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2023年8月28日 (月)

生活と思い出と世の中と(1987年④)

遡って振り返る、「生活と思い出と世の中と」。55回目は1987(昭和62)年の第4回です。

この年の物故者にまつわる話を綴ります。

 

●訃報

梶原一騎さん

 …「タイガーマスク」「巨人の星」など命がけのスポーツ根性アニメで一世を風靡した漫画家でした。

 我々世代は本放送では知りませんが、度々された再放送でその世界観に触れたクチで、今からは考えられない世界ですが、当時はそれなりにそういうものなんだと思って観ていましたし、次どうなるのかハラハラしていたものでした。

 プライベートが破天荒である事も知られワイドショーでもいろいろやってたな、という印象がありました。50歳の太く短い人生でした。

春日照代さん

 …「春日三球・照代」で、夫婦漫才の代表的存在として活躍した方。
 番組の本番中に倒れてそのまま51歳の若さで帰らぬ人となりました。夫の三球氏はことし89歳の長寿で亡くなられました。

鶴田浩二さん

 …任侠映画などで主演格として人気を博し、晩年は脇に回って重鎮として君臨した映画俳優。
 テレビではNHK「男たちの旅路」シリーズや1年半放送された「大空港」の加賀チーフが当たり役でしたが、「戦争」をバックボーンにした役柄が多かったように思います。
 といっても生前、個人的に顔と名前が一致しませんでした。田中邦衛さんと勘違いしていた(多分、大空港で)時期もあって、その存在をはっきり知ったのは亡くなられてからでした。

石原裕次郎さん

 …この年の訃報で最も衝撃的でした。

 ずっと「太陽にほえろ!」のボス役で見ていた人だったので。
 1981(昭和56)年に動脈瘤で倒れた時もかなりの衝撃でしたが、「太陽にほえろ!」が終了して1年も経たないうちにまさか亡くなるとは…

 そういえば、その最終回で延々と「命」について説くシーンがあったのをその時に思い出しましたが、本人が死期を悟って作ったシーンかな、とか勝手に思っていたら、後日「俺に7分だけ時間をくれ」といってノーカットで撮ったという逸話が公開され、「やっぱりそうだったんだ」となりました。  

 忘れもしない、NHKラジオを自部屋で聴いていたら16時のニュースで「俳優の石原裕次郎さんが…」と言い出すから、「何事??」と思っていたら「亡くなりました。52歳でした」ってそれはもう衝撃で、しばらくは空虚状態が続いていました。

石原裕次郎さん最終回シーンのひとコマ

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有島一郎さん

 …「暴れん坊将軍」の爺こと加納五郎左衛門役で存じ上げていた方でした。
 この3月までレギュラー出演していて、まさかとビックリしました。また裕次郎さんの訃報から日が浅く、そういう意味でも「立て続けに知ってる方が…」とビックリしました。

 この爺役以外のこの方の役を知りませんでしたが、その直後に再放送でやっていた「われら青春」で、舞台となる高校の校長役をやっていたのを見ました。

岸信介さん

 …元首相の訃報として生まれて初めて接しました。それまで現役の大平正芳首相の死去は経験しましたが、元首相の訃報に接する事がなかったので。

川口浩さん

 …俳優。だったのですが、俳優だったことを知ったのは死後でした。我々世代にとっては「水曜スペシャル」の「川口浩探検隊」なんですよね。嘉門達夫氏も歌にしたぐらいの人気シリーズで。わずか50歳の若さでした。

 

と、早世の方ばかり挙げましたが、当時高校生というのもあって、あまり年の離れた方は存じ上げず、どうしてもTVで馴れ親しんだ若い世代の方に関心がいきがちで、またそんな50歳前後の若さで逝く方の多かった年でもあると思いました。

 

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