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2023年10月の4件の記事

2023年10月22日 (日)

生活と思い出と世の中と(1985年④)

遡って振り返る、「生活と思い出と世の中と」。63回目は1985年の第4回です。

この年に見た再放送のドラマについて綴ります。

 

●ドラマ(再放送)

「必殺仕置人」

 …初めて見た必殺シリーズがこの作品でした。1973(昭和48)年放送で、この当時から見ても12年前で、当時15歳の身としては遥か昔の作品、という感じでした。すごく古すぎる感があった、というか。なんとなく知っていた山崎努さんの顔と名前が完全に一致しました。既に故人となっていた沖雅也さんが若くてかっこよかった印象が強かったです。
 そしてなんといってもこの作品は、藤田まことさんが中村主水として初出演した作品でしたが、その主水は主演ではなかったことが驚きでした。

「虹のエアポート」

 …1975(昭和50)年放送で、当時のサンテレビでは大体10年前のドラマを午後4時に再放送していて、古いドラマ大好きな中学生には「宝庫」でした。あまり見れなくて桜木健一さんが主演していた飛行機モノぐらいな記憶しかありません。

「青春諸君・夏」

 …1980(昭和55)年放送で、タイトル通り「夏」に再放送されました。
 田中健さんの主演で、寮が舞台ですが、登場人物のほとんどが「杉下」というもので家族ではないけど家族のようなドラマでした。
 1989(平成元)年、大学生の時に下宿先でも再放送で見れました。

「ゆうひが丘の総理大臣」

 …何度か再放送していた記憶がありましたがちゃんと見たことがなく、前年1984(昭和59)年もやっていた覚えがありますが、途中で高校野球か何かで放送されなくなり、再開もされないままでした。そのリベンジか分かりませんが、この年はフルで再放送され、また自身もちゃんと見ました。
 似たような作品を1982(昭和57)年の夏に見ていましたが、それは「青春ド真中!」で、その後にこの番組が再放送されていたはずですが見れていませんでした。由美かおるさんや岡田奈々さん、篠ひろ子さんなどこのドラマで顔と名前が一致しました。

「TOKYO DETECTIVE 二人の事件簿」

 …1975(昭和50)年放送の刑事ドラマで、先述の「虹のエアポート」の次にサンテレビで再放送されました。
 「二人の事件簿」って何か聞いたことあるな、昔再放送で見たものか?と記憶と全然違ったもので、初見なのだろうか?と思いながら時々見ていました。植木等さんがヒゲを生やしていたのが印象的で大泉滉さんと混同してしまっていました(笑)

「新二人の事件簿・暁に駆ける」

 …「二人の事件簿」の続編です。続編があったというのをこの時初めて知りました。と同時に、昔おぼろげな記憶があった「二人の事件簿」とはこちらの方でした。主題歌である「暁に駆ける」(牧美智子さん)のメロディーがおぼろげな記憶にヒットしました。
 どちらもレギュラー陣はほぼ同じですが、毒蝮三太夫さん演じる鬼塚刑事が出ているのが本作の大きな違いです。毒蝮さんをウルトラマンシリーズ以外のドラマで見たのは、個人的にこの作品くらいですね。

 主人公である二人は篠田三郎さんと高岡健二さんですが、キャスト紹介で前作では○○刑事でしたが、今作ではこの二人のみがフルネームで、よりバディ色の強い感がありました。

「大非常線」

 …千葉真一さん主演の刑事ドラマで1976(昭和51)年放送作品でした。先述「新二人の事件簿・暁に駆ける」が終了してサンテレビで放送されました。次回番組紹介で「大非常線」と出ていて、当初は(自分の知っていた)「大捜査線」じゃないのか?と思いましたが、これとは全く別の作品があった事を知りました。

 たった10回だけの放送で最終回は「高山刑事殉職」とあり、高山刑事は主演の千葉さんなのか?それも分からず、また学校に行ってて再放送も見れずにあっという間に終わりました。毎回レギュラー陣がフルに出てなくて誰か欠場してるな、というのがほんの数回だけ見た時の感想でした。

「俺たちの旅」

 …これもサンテレビで再放送していました。それまでおそらく読売テレビ何度も再放送していたであろうと思いますが、興味がわかなかった事もあり、この時もそんなに見たいと思っていませんでした。「ゆうひが丘の総理大臣」などのような中村雅俊さんのドラマだろうぐらいな感じでした。

この当時、秋にこの番組の10年後を描いた「10年後の再会」が放送され、この番組の存在をはっきりと知りました。それから程なくこの再放送が始まり、なんとなく見ていたらものすごくハマりました!それまで大して興味のなかった「青春ドラマ」大好き人間に変わり、中三で受験期でもあり将来の事を少なからず考えていた頃でもあり「人生とは?」の問いに答えをくれたようなドラマでした。

「太陽にほえろ!」

 …当時まだ放送中でしたが、昔の時期の再放送で、そしてこの時初めて朝の再放送となりました。
 朝の10:25~再放送されても、今みたいにビデオもないし見れるはずもありませんでした。

 それまでずっと午後4時、学校帰ってから見てたのに、なんで朝??ずっと思っていました。
 これ以降、午後に再放送する事はなく、朝の再放送だけになってしまい、翌年には番組も遂に終わってしまう事となります。

「西部警察PARTⅡ/PARTⅢ」

 …本放送をバリバリ見ていたので、ここで殊更に書かなくてもという感じですが、毎日昼間に見れるのはやはり嬉しかったですね。

 

↓当時の新聞テレビ欄です

1985tv

 

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2023年10月14日 (土)

生活と思い出と世の中と(1985年③)

遡って振り返る、「生活と思い出と世の中と」。62回目は1985年の第3回です。

当時見たドラマにまつわる事を綴りたいと思います。

 

●ドラマ(本放送)

・「大岡越前」(第9部)

 …「水戸黄門」と交互に放送されていた頃のもので、第6部から4部連続で水戸黄門と交互に放送されていました。

 この部では、若手同心として佐藤佑介さん演じる「立花喬之助」が登場し、前作から出演していた森田健作さん演じる「蕪木兵助」に後輩ができた格好となり、喬之助はその後10年にわたり活躍を続けることとなります。

 高橋元太郎さん演じる岡っ引き「すっとびの辰三」が長らく独身でしたが「おはな」と結婚し所帯を持ちます。

 ベテラン同心でスタート時から越前を「若」と慕いサポートし続けてきた「源さん」こと村上源次郎(大坂志郎さん)の最終作となり、演じる大坂さんも次の部の終了後1989年に死去されますが、後任の「おやじさん」を佐野浅夫さんが演じる事は決まっていたようで、これは予定通りの交代であったと言われています。

 和田浩治さん演じる風間駿介もこの部で最終となりました。これは演じる和田さんが放送終了直後に死去された為で、風間駿介は「疾風同心」「八丁堀暴れ軍団」などのスピンオフ番組が制作されるほどの人気を得たキャラクターで、この部でも和田さんの体調がかなり悪化していて出番が少なかったといいます。1986年の衆参同日選挙頃にひっそりと新聞紙面にその訃報が載せられていて、42歳の若すぎる死が悔やまれます。

・「影の軍団Ⅳ」/「同・幕末編」

 …実際見てはいませんが、久々に「影の軍団」が放送されるという事で話題になりました。2年後に再放送で見ることになりますが、本放送は22時からの放送で、なかなか見れませんでした。
 半年で終わるかと思ったら10月からは「幕末編」がスタートし、前年までプロ野球選手だった江夏豊さんが西郷隆盛役で登場したのがビックリで、これは話題になっていました。

・「金曜日の妻たちへⅢ恋に落ちて」

 …「金妻」の第3弾です。あまり見ていませんでしたが、奥田瑛二さんの出世作の印象があります。
 それとやはり主題歌、小林明子さんの「恋に落ちて」が大ヒットして、あちこちで聞いた覚えがあります。

・「少女に何が起こったか」

 …大映ドラマシリーズにキョンキョン(小泉今日子さん)がヒロインとして起用された話題作でした。

 天才ピアニストの娘とされる少女が上京して高名な音楽大学に住み込みで入り、大学経営者家族(長門裕之さん、辺見マリさん等)からは「偽物」と罵られ、学校ではライバル(賀来千香子さん)や仲間に囲まれながら、コーチ(辰巳琢郎さん)にも励まされながら、音楽コンクールで優勝するまでの苦難の軌跡を描いたもので、大映作品だと水谷豊さんがピアニストを演じた「赤い激流」に似たものでもあり、学校に入って訓練を受けながら共に頑張るフォーマットは「スチュワーデス物語」のようでもありました。

 毎晩12時のベルが鳴るとキョンキョンのいる部屋に悪徳刑事が押しかけてきて、石立鉄男さんの口調で「オイ!薄汚ねえシンデレラ!」と定型句で挨拶しながら、締め上げたり脅したり、今では「あかんやつ」とされる暴行まがいの脅しで震え上がらせるシーンが、かわいそうでかつ笑えました。

 それまでこの大映ドラマで多数善良な役をこなしてきた石立鉄男さんが、黒い肌に派手なスーツでヒゲを生やし、音楽大学の学長代理と手を組む悪徳刑事として、ヒロインに凄む姿がそれまでとギッャプがありすぎて。
 そしてもう一人、大映ドラマの顔ともいえた存在、宇津井健さんが、この悪徳刑事に締め上げられ縮み上がったヒロインを陰からそっと見守る「謎の男」を不気味に演じていました。

 最終回はヒロインがコンクールに優勝しますが、それだけでなくいろんな事が一気に解明され、学長代理(長門裕之さん)が横領で逮捕され、宇津井健さんの謎の男は実は東京地検の検事で、この学長代理の不正を内定調査していて、悪徳刑事の石立鉄男さんは実は宇津井さんの検事と連携して学長代理の化けの皮を剝がすべく巧みに潜入捜査をしていた、というのはビックリでした。
 あれだけ毎回締め上げておいてキョンキョンに最後だけ「すまなかった。でも君は強い子だ」だけで済ますのか?と(笑) 別れ際にいつもの罵り定型句を変形させ「とってもかわいいシンデレラ!」と言い出ていくのにギッャプを感じて感動すらしてしまいました(笑)

・「スーパーポリス」

 …すごく見たかった刑事ドラマですが、実際あまり見れませんでした。昭和も60年代に入ってGメン'75の枠でこれを踏襲したテイストでやるのは無理があったのでしょうか…?

 丹波(哲郎)ボスが再び降臨、という感じで、三浦友和さんや「太陽にほえろ!」殿下の小野寺昭さんを出してきたまでは良かったのですが、他のキャストがちょっと奇抜で、半年間の放映予定が視聴率で苦戦し、結局3ヶ月強で打ち切られてしまいました。

・「スケバン刑事」

 30分ドラマがまだ普通にあった時代でした。春に「卒業」がヒットした斉藤由貴さんがスケバン高校生としてヨーヨーを武器に悪を成敗するという奇抜な感じが良かったですね。予告のラストで「てめえら、許さねぇ」と啖呵を切って斉藤由貴さんがヨーヨーを投げるシーンもカッコ良かったです。

 最終回は高橋ひとみさん演じるキャラと相討ちで死ぬような描写で印象的でしたが、その前に中康治さん演じる「神恭一郎」の立ったままの死が印象的すぎました。

・「スケバン刑事Ⅱ少女鉄仮面伝説」

 …前作のヒットを受けて、南野陽子さん主演で制作された第2弾。2代目麻宮サキが土佐弁なのはビックリでした。
 予告の最後は、斉藤由貴さんのを踏襲してヨーヨーを投げますが「おまんら、許さんぜよ」という土佐弁でした。

 このシリーズからスケバン刑事が3人になり、相楽晴子さんの「ビー玉お京」はそしかしこで有名だった気がします。

・「ただいま絶好調!」

 …石原プロが「西部警察」シリーズ以来、半年ぶりにドラマ制作に乗り出した作品でした。
 当時掛け持ちしていた「私鉄沿線97分署」と同じく主演は渡哲也さんですが、実質的主役は舘ひろしさんでした。

 舘さんがロック歌手だった事を生かしての設定か?ロックバンドとしてマジソン・スクエア・ガーデンを目指す姿を描いていましたが、彼らは金がないのでアルバイトなんかもしていてそこで色々な事に巻き込まれたりします。
 キャスト的には、峰竜太さんと御木裕さんは西部警察からのスピンオフのようなものですが、バンドのマネージャー役に勝野洋さん、バンドメンバーは舘さんと峰さんの他に、太川陽介さん西山浩司さんと松本伊代さんとなかなかの布陣でした。

 渡さんは鳶職の親方という役どころでしたが、元刑事の設定もあり、西部警察の大門さながらのグラサンに銃を持っての回想シーンがありました。渡さんと勝野さんに共通して感じたのは「刑事ドラマ時代は角刈りだったが、刑事ドラマを終わると、髪を伸ばす」でした(笑)

・「乳姉妹」

 …「ちきょうだい」と読みます。「乳姉妹」だと思っていました。

  当時はあまり見れませんでしたが、かつての同じ大映ドラマ「赤い運命」を思わせる「出生の秘密」がらみの壮絶なドラマでした。
  当初半年以上放映するという事を聞き、えらい気合の入りようだなと感じたものでしたが、実際に26回を越え28回放送されました。

・「スタア誕生」

 …堀ちえみさんが大映ドラマに帰ってきた、という感じでした。あまり見れませんでしたが、最後はヒロインが死んでしまうというもので、「スタ誕生」の表記にしなかったのは、別に番組が存在する為なのですね。

・「毎度おさわがせします」

 …性描写の多い、中高生の興味関心を大いに引くタイプのドラマで、ホームドラマの体をしながら、サブタイトルからして性器を表すもので、思春期の青少年に多大なる影響を及ぼしました。中山美穂さんの小悪魔的人気がここで一気に爆発していました。
主演は小野寺昭さんで、彼のそれまでのイメージを覆す、コミカルさを持った平凡な家庭のパパぶりもまた良かったです。

・「夏・体験物語」

 …「毎度おさわがせします」の流れを汲んだ作品で、同じく中山美穂さんが主演し、女友達やその周辺のロストバージン的なものを描いた作品で、当時中三だったので、親の目を盗んでこういうのを見たかった思いがすごくありました(笑)、実際ちょっと見てましたが…。

 そういう作風でありながら、吉幾三さんが主演なのがビックリモノです。「俺ら東京さ行くだ」のヒットも影響したのでしょうか。

・「ハーフポテトな俺たち」

 …リアルではほとんど見たことがなく、当時買っていた雑誌のコーナーで存在を知った作品でした。後年チラッとだけ見ましたが、何せ今からは考えられない、中山秀征さん主演のドラマでした。彼が演じる青年がアルバイトを通しての様々な体験が描かれるという形で、当時「ABブラザーズ」というお笑いコンビを組んでいた10代の頃でした。
 半年間の放映予定だったと後で聞いてビックリしましたが、12回で打ち切りになりました。

・「ポニーテールは振り向かない」

 …春まで放送されていた「スクール・ウォーズ」の時間枠で、途中「スーパーポリス」を挟みながら、再び大映ドラマが戻りました。
 そして伊藤かずえさんが「乳姉妹」に続いて実質主演(「乳姉妹」主演は鶴見辰吾さんで、伊藤さんはヒロイン役)を務め、松村雄基さんらと共に大映黄金時代の真っただ中にいた、という感じで、あまり見ていませんでしたが、バンドものというのは分かりました。主題歌を歌っていた小比類巻かほるさんの存在もこの時、有名になりました。

・「わが子よⅤ」

 …花王愛の劇場で、毎年夏休みには必ず放送されていたドラマで、夏休み中に母子で見る事を期待して制作されたものと思われ、我が家でも後半は親子で見ていました。全6シリーズ中の5作目で、6作すべて小林千登勢さん母親役で、その後の「母さんと呼びたい」含め、7作連続で夏休みの愛の劇場に主演し続けていました。
 ヒロインはシリーズごとに様々なハンデを負いながらも、強く生きていく姿を描くのですが、この時は足の病気で、足を切断してしまうものでした。荻野目洋子さんの歌う主題歌「心のままに」はドラマの内容に実にリンクしていて、当時からいい歌だなと思っていました。「ダンシングヒーロー」などでブレイクする直前の事でした。

・「水戸黄門」(第15部)

 …それまでの作品と大きくは違いませんが、伴の女性が姫である場合、たいていは駆け出しの女優が演じるところを、この部では片平なぎささんが演じていて一行と道中を共にしていました。中学生なりにも「ここで片平なぎさ使うの?」とか思ったものでした。

 

以下はこれ以外で、前年以前から放送されているものです。

・「特捜最前線」

 …この年は実に革命的と言える年で、それまで約5年間ほぼ刑事役の人事変動がありませんでしたが、夏に大滝秀治さん演じる「おやじさん」こと船村刑事が遂に退職します。6年前に一度退職し、また復職していますが、今回は完全な退職になりました。
 そして誠直也さん演じる吉野刑事がスタートから8年間の活躍に、殉職の形で終止符を打ちます。リアルで殉職は見れませんでしたが、新聞記事でこの吉野刑事の殉職は知っていました。この番組で殉職したのは荒木しげるさんの津上刑事と今回と、10年間の放送で2人だけでした。

 最も大きかったのは、放送時間枠の移動でした。それまでの水曜22時から木曜21時へと変更となり、これは当時10月改編で「ニュースステーション」のスタートによるものが大きかったです。

・「太陽にほえろ!」

 …通年放送された最後の年でした。次の1986年はし11月14日に最終回を迎えています。

 この年は2月に「ラガー倒れる」にて、渡辺徹さん演じるラガー刑事が、犯人との格闘で古傷である膝を痛めつけられ、病院で骨肉腫であることが判明し、しばらく入院する設定となり、4月に戦線復帰しますが、この骨肉腫は完治しておらず、殉職への伏線となっていきます。

 8月2日「ラガーよ 俺たちはなぜ おまえが死んだか 知っている」という番組史上最長のサブタイトルにて、ラガー刑事はバス狙撃犯と相討ちの形で、右胸をライフル段が貫通し、背中から大量の血しぶきを上げながら、バスの無事を見届けて殉職しました。この時、渡辺徹さんはズボンが真っ二つに裂けた話をよく笑い話にしていて、また最後に視力を振り絞ってエレベーターへ這いつくばって、たどり着いた階下でエレベーターの動く扉に挟まれながら死を遂げますが、動く扉に肉を挟まれ、タプンタプンとなってる姿が確認でき、正直彼が太り過ぎてしまったために、殉職の悲しみが少し減っていったように思われました。

 ラガー殉職後、次の話では後任は登場せず、後任がないのか?と思っていたらその次の回に金田賢一さんが演じる「デューク刑事」が登場します。それまでの沖雅也さんのスコッチ刑事や三田村邦彦さんのジプシー刑事の流れをくむクール系キャラの刑事ですが、仲間をあだ名で呼ばないところが新鮮でした。クールだがヒネている訳ではない刑事で、とにかく賢いキャラでした。
 ちなみに、その後も新刑事は当時要しますが、「○○刑事登場!」のサブタイトルで登場するのは、このデュークが最後でした。
 この時期になると知名度のある役者が新人刑事として登場するようになり、逆に彼を大々的に売り込むような流れにはならず、金田さんの舞台出演の関係もあったのか、翌年秋番組終了直前に研修で海外へ旅立つ形で降板し、1年強の在籍でそれほど強いインパクトを残せなかったという感じでした。番組自体のパワーも少し落ちている感じがなんとなくしていましたが…。

 

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2023年10月 9日 (月)

生活と思い出と世の中と(1985年②)

遡って振り返る、「生活と思い出と世の中と」。61回目は1985年の第2回です。

当時の生活から世の中に絡めて綴りたいと思います。

 

この年は中学2年から3年の年でした。

まずは高校受験でしょうか。

高校受験の時が最も勉強したような気がします(笑)

その辺は後にするとして、なにせ昭和が「60年」になったということもあり新時代的なものを感じました。

自分記憶として昭和40年代は皆無で、実質昭和50年代の中だけを生きてきた感があって、それが変わるというのは大きい事でした。

 

1月は大相撲の新国技館での初場所をよく見ていました。

それまでの蔵前国技館からの両国の新国技館での「こけら落とし」の場所。こけら落としって言葉はこの時覚えました。

そしてこの場所で、横綱北の湖の引退…

新しい国技館にギリギリ立てたものの、この場所限り…、時代の変わり目を感じた瞬間でした。

新入幕に、花乃湖、琴ヶ梅、寺尾、藤ノ川(服部)…と新しい力の台頭もありました。

2月は「太陽にほえろ!」で渡辺徹さん演じるラガー刑事が入院の形で一旦一線から外れました。

タイトルは「ラガー倒れる」。スケジュール調整だったようですが、かなり太り過ぎていて走り回るのも難しそうに見えました。

劇中で、徹底的に膝を痛めつけられ、入院時「骨肉腫」と判明、「このまま死んでいくのか?」とか思っていました。

その後数回は入院している設定でベッドでの出演のみでした。4月に復帰しますが、8月に殉職します。この件は後程。

3月は中二で最後の月となりました。

中二時代は前半から10月になるにしたがって状況が悪化しましたが、10月を境に好転しました。平たく言えば、いじめに遭いかかるところでしたが、最も嫌だった奴が転校してくれたおかけで、周りの状況も完全に好転し回避できました。運命の分かれ道を感じました。

そして4月、中三になりました。

春休み、母親と大喧嘩して数日口を聞かなかった時期がありましたが、やはり家族でやはり親子、いつの間にか元のさやに納まってるんだから不思議なものですね。ちゃんと家族というものが機能していた、、親には感謝です。あまり肯定されてきた感がなかったのは寂しかったですが…

プロ野球選手名鑑、なるものを初めて買いました。200円で。安い…。

期待の新人として郭泰源(西武)、広沢克己(ヤクルト)、武田光訓(大洋)などの選手がカラー写真入りで載っていました。基本全選手の名鑑はここではモノクロで載っていました。

そしてそのプロ野球、4月は阪神戦できついシーンがありました。バース・掛布・岡田のバックスクリーン3連発もありますが、その前の巨人・河埜選手の痛恨の落球がありました。2アウトだったのでランナーが走っていて点にもなりました。河埜選手がこの後、まともに機能しなくなってしまったのが実に残念でした…

ドラマ「ただいま絶好調」が始まりました。「西部警察」の終了から半年、待望の石原プロ制作のドラマがスタートしました。

クレジット上は渡哲也さんが主演ですが、実質の主人公は舘ひろしさんで、彼らの組んだロックバンドがアメリカのマジソン・スクエアガーデンへ旅立つまでの軌跡をユーモアいっぱいに描いた作品で、視聴率は??でしたが個人的には好きなドラマでした。

「ビートたけしのスポーツ大将」もこの4月スタートでした。2年間放送して、しばらく休止を経てまた2年間放送されました。

たけし軍の野球コーナーが最も好きでしたね。時々元プロ選手も出てきたりして。あとはカールルイスに似せた「カール君」をレールの上で走らせて100m走るコーナーもあったような。

一方で終わる方では、「欽ドン」が終了しました。正確には欽ドンのシリーズとして後も続いていきますが、「欽ドン!良い子悪い子普通の子」としては終了しました。タイトルは正確には「欽ドン!良い子悪い子普通の子おまけの子」というタイトルに変わっていましたが、小5から見てたこの番組、月曜の夜はこれ見て寝てたというのを中2までやっていましたが、当時萩本欽一さんが「休養」という事でレギュラー全番組を降板するという事で「視聴率100%男」のひとつの時代の幕切れ、という感じです。

受験の年になって勉強もしていかないと…という中で、いろんな面白い番組に出会ってしまう誘惑にも多々やられました(笑)

6月に初めて淡路島へ行きました。船で。おのころアイランドだったか、不思議と記憶がないのですが…。

その帰った後に家で見たテレビ番組で、石原裕次郎さんのショーみたいなのがやっていました。渡哲也さんはじめ石原軍団が一堂に会していたような記憶があります。

そしてこの月には「聖輝の結婚」がありました。映画「カリブ・愛のシンフォニー」での共演がきっかけで、あれよあれよという感じでした。

7月は夏休みに入りましたがこの時目覚めたのが体力づくりとDIYでした。

体力づくりは、体育の成績が悪かったので、体力上げないとと思って色々課しました。今あるか分かりませんがエキスパンダーなど買ったり(笑)

DIYは中学の「技術家庭」で学んだ「電機」が面白くて、どうせ課題もあるし何かつくろうという事で、当時あった「ハンデーエーモン」というホームセンターへ足しげく通っていました。中学時代にあまり校区外へは行きませんでしたが、ここだけは行ってました(笑)

最終的には導通のテスターを作りましたが、ホームセンターってそれまで殆ど行った事がなく、実に色んなものが売ってるとこだな、と世界が広がった感がありました。それまでほとんど近所の市場や書店しか行かない生活でしたので。

この年から父親の会社の旅行行事に参加しなくなりました。自分の受験もありましたが、いい年になってきたのもあり、家族全員で会社の旅行に出かけたのは前年限りで、会社が絡まない家族全員の旅行もこの84年限りとなりました。

8月は前記事にも書きました、日航ジャンボ機墜落事故が衝撃すぎでした。

▼当時の新聞切り抜きがありました

1985

夏休み前後には、近くのラーメン屋へ餃子を食べに時々行ってました。

とにかく餃子に味噌だれの組み合わせが絶妙で、一般家庭の玄関を入ったような所にカウンターのあった店で、その直後何事もなかったかのように一般家庭の家屋になっていて、面影を見るべくもなくなっていました。店名の記憶も知る記録も残っておらず、幻のラーメン屋、そんなところが個人的にいくつかあります。

9月は阪神の21年ぶりの優勝機運が盛り上がる中で、巨人ファンとして肩身の狭い思いをしていました。

この年の阪神はとにかくイケイケでした。少々ピッチャーが悪かろうが打って取ったれ、って感じで。その勢いで日本シリーズで西武を破ったのは更に驚きでした。

この年は、英検4級を受験し合格し、続いて3級も受験しました。4級は一次の筆記だけでしたが、3級は二次もあって、一次は自分たちの中学校で試験をしましたが、二次は市内中心部の小学校まで出て、スピーキングの試験でした。
まだ4級までしかなかった頃で、この2年後に5級が新設されたといいます。3級のスピーキングはかなり心配でしたが、何とか合格できました。

中学最後の運動会(うちの学校では「体育大会」と称していました)があり、「やっと組体操から解放される」と思ったものでした。実際には高校でも一部やることになりましたが、ガッツリ組体操(くみたい)はこれで終わりになりました。今では一部で廃止されながら、まだまだ根強く残っていると聞きますが、タワーとかマジでやめてほしい、と思います。団結するどころか、わざと笑わすこと言う奴がいて力抜けてケガする寸前までいったのを度々経験したのもあったので。人と一致団結してことを成し遂げていく、的なことをここで経験しなかったので自分にとっては嫌なものでしかありませんでした。

中学が特にでしたが、強制ごとが多かったと感じます。昭和ですから、それが当たり前とも思っていましたが、今ならないだろうな的な。

この年の初めか?まだ中二の時に、偶々上ぐつで外へ出てしまったことがあり、体育の先生に横に並ばされてグーで顔面を殴られました。ちょうど人気ドラマ「スクール・ウォーズ」で山下真司さん演じるラグビー部の先生が生徒たちを並べて愛のムチを振るうシーンがありましたが、ホントそれでした。悪い事をしてるので罰せられるのは仕方ないし、殴られるのも当時は「殴られた」って感じだけで何もありませんでしたが、「先生、テレビの見過ぎじゃない?」とも思いました。
状況が違うので愛情なんか感じないし、今だったらこの先生大問題だろうな、という感じでしょうか。昭和だったので?殴られても親に泣きつく訳でもなく、親も学校に口出しする訳でもなく、先生と親が今みたいなギスギスしたものでもなく、それはそれで良かったとも思いますが。先生に殴られるなんて、日常茶飯事でもなかったけど、珍しい事ではなかったという感じでしたね。

カツアゲに何度か遭いました。大抵、何か買いに出かけたところを捕まって、必死で懇願して少しだけまけてもらった事もありましたが、自分から金取ったコイツらはまともな人生歩んでないだろうなと勝手に思っていますが、まともな大人になってたらなんか嫌ですね。これ以降、高校に入ってから金取られたり悪人に捕まったりした事は今まで一度もありませんが、中学3年間で3度カツアゲに遭ったのは良いものではないですね。坊主頭だったので中学生、とすぐ分かった不良集団が絡んできてました。

とか書いてると、人間関係でろくな思い出がない奴、みたいに思われるかもしれませんが、それなりに友達もいたし、別に不登校になるような事もなく、そんな事は考えた事もなかったですね。ただすごくいい思い出があった訳でなく、悪い思い出が目立つだけです。ただ、外にいるより家の中で見たTVに関する想い出が多くて、この記事の前半もTVがらみの事になってるのは、そういう訳です。

そういえば、中学時代は自分のわがままで友達とケンカしてそれっきりになってしまった事も何度かあり、後悔もしますがそういう運命だったのかなとも感じます。どっちみち高校以前の同級生とは誰一人とも繋がることなく現在生きているので、当時の親友とも別れ、それも後悔してなくて、という感じです。特に断絶した訳でなく、故郷を離れているうちになんとなくそうなってしまいました。

そう、この年の自分的キーワードの一つに「内申書」があります。「内申が…」なんてことをどれだけ同級生との会話で出てきたか…。高校受験には避けて通れないものでした。いまでもあるようですね。

 

2023年10月 1日 (日)

生活と思い出と世の中と(1985年①)

遡って振り返る、「生活と思い出と世の中と」。60回目は1985(昭和60)年の第1回です。

 

なんといっても日航ジャンボ機墜落事故は衝撃的すぎました。

そして阪神タイガースの「アレ」があったのもこの年でした。

 

自分が中二から中三になる年でしたが、当時のニュースと自分の生活を絡めて綴っていきます。

 

●ニュース

・日航ジャンボ機墜落事故

 日本中が震撼したといっても過言ではないレベルの大惨事でした。

 乗客乗員520名という、これは航空機事故で最大の死者数だそうで、それまでも航空機事故の類は何度かは聴いていたものの、これほどの大惨事は知らないくらいのレベルでした。

 8月のお盆に入る頃で、我々は中学生だったので夏休み真っ最中でしたが、とにかく臨時ニュースの連続で、搭乗者氏名がカタカナでどんどん明らかになっていき、その中には坂本九さんなどの有名人もいました。
 これをキャンセルして難を逃れた明石家さんまさんなど何人かそういう方もいたそうですが、お盆時期で東京-大阪間だとすぐ満席になるだろうなというところで、こんな大惨事の中に生存者が4名いた事もまた驚きでした。

 

・阪神タイガース日本一

 今年も成し遂げた「アレ」を、当時21年ぶりに実現し、リーグ優勝だけでなく、西武を破って日本一にもなりました。

 関西にいると、それはもうお祭り騒ぎのようで、当時中学校の運動会の出し物で仮装行列がありましたが、そこでもあるクラスが「トラフィーバー」として、運動場を練り歩いていました。
 この時は阪神の隠れファンやにわかファンもどんどん現れて、生粋の巨人ファンである自分は随分肩身の狭い思いもしました。

 巨人・槇原投手が打たれたバース・掛布・岡田のクリーンアップのバックスクリーン3連発は衝撃であり屈辱でした。それまでバース選手はたしか打率が1割台で調子悪かったと記憶していますが、ここで完全に火をつけたなと感じました。

 

・豊田商事会長刺殺事件

 豊田商事の悪徳商法により多くの被害者が出て問題になっいて、その会長が逮捕されるとの報を受けて自宅前に多くの報道陣が詰めかけている中、男たちが窓ガラスを割って侵入し、中にいる会長を刺殺して多数のカメラの前に出てきたこの事件は衝撃でした。殺害シーンこそ映されなかったものの、殺してすぐ出てくるというあまりに堂々とし過ぎた殺人事件で。
 当時放送されていた「刑事物語'85」という渡瀬恒彦さん主演のドラマで、この事件が題材として使われていた覚えがあります。

 

・両国国技館 こけら落とし

 大相撲でそれまで東京場所が開催されていた蔵前国技館が1984(昭和59)年の9月秋場所限りで役目を終え、この年1月からは両国国技館で開催されることとなりました。
 当初はよく「新国技館」という表現をされていました。
 そして新入幕力士が4人もいて、いずれもイキのいい力士たちで、その中には寺尾関もいました。
 新旧交代の時期でもあり、新勢力が台頭する中で、「憎たらしいほど強い」横綱・北の湖が遂に引退をしたのが、この新国技館こけら落としの初場所でした。31歳、若い頃から全盛期を築きましたが、その分衰えも早かったかなという感じでした。

 

・田中角栄元首相の脳梗塞

 ロッキード事件で有罪判決を受けた田中角栄首相が脳梗塞を発症し、政治の表舞台から事実上の引退との報道がありました。
 有罪判決を受けながら国会議員を続けていたのも不思議だし、出馬すれば圧倒的な得票数で当選していたのも、中学生ながらに不思議でなりませんでした。大人になればなんとなくわかりましたが、今の時代なら完全アウトだろうなと思います。

 

・つくば'85開催

 いわゆる「つくば万博」が開催されました。

 個人的に万博と聞いて真っ先に浮かぶのが、このつくば万博です。
 当時、東京方面へ修学旅行へ行っていた元中学の同級生が、万博で見た映像に使った赤青の3Dメガネを送ってくれたのを覚えています。
 「太陽にほえろ!」渡辺徹さん演じるラガー刑事の殉職時に、殺し屋たちが狙っていたのが、このつくば万博の観光バスで、このバス狙撃を食い止めるためにラガーは自ら盾となって殉職しました。

 

・「夕やけニャンニャン」スタート

 おニャン子クラブが世に出た番組でしたが、個人的にはこのムーブメントが好きじゃなくてあまり見ませんでした。

 当時感じたのはこのタイトル「ニャンニャン」って大丈夫かな?という感じでした。この少し前に「ニャンニャン」の後に喫煙、みたいなので某アイドルが謹慎となった事件があり、えらくオープンなタイトルだなと感じたものでした。

 

・NTTなどの発足

 電電公社がNTTとなり、専売公社がJTとなったという民営化の動き、当時は公的企業から私企業になったぐらいにしか理解できませんでしたが、その後国鉄がJRになるとも思いませんでした、それとて何がどう変わるのかよく分かってませんでしたが…。

 

・聖輝の結婚

 松田聖子さんと神田正輝さんの結婚が大きな話題になり、「世紀」に掛けてこのように表現されていました。

 わずか10年そこそこで離婚しますが、この結婚時は超人気アイドルと国民的刑事ドラマの中心刑事役で活躍する人気俳優として絶大な人気を誇り、注目度抜群の話題でした。

 その後娘さんの不幸があったり、最近土曜日になる度に神田正輝さんの激やせとか老化が「X」でトレンド入りするのは何か哀しいものがあります。

 

・ユニバーシアード神戸大会

 この年神戸で開催されて、この言葉を初めて知りましたが、学生の為のオリンピックという事で、地元の局がかなり力を入れていたので知ったようなものでした。

 

・「8時だヨ!全員集合」終了

 国民的お笑い番組として多くの小学生たちに支持されたこの番組も、ライバル「オレたちひょうきん族」に追い落とされ、この年9月に16年間の放送に遂に幕を下ろす事となりました。我々の年代は小学生の終り頃に全員集合からひょうきん族へ多く流れ、またこの番組が終わると知って再び全員集合に戻ってきた、そんな感じだったように思います。

 終了後の10月から12月の3ヶ月間は総集編的に放送が続いていましたが、これがとにかく面白くて、この番組が終わるのがとても寂しいと改めて感じたし、改めて自分たちは全員集合で育ったんだな、という事も感じさせられたものでした。

 

・「アップダウンクイズ」終了

 長年司会を務めていた毎日放送アナウンサーの小池清さんの名調子が味のあるクイズ番組で、解答者の乗っているゴンドラが上がったり下がったりもちょっとハラハラしながら見ていたものでした。
 最後の2年間は西郷輝彦さんが司会をしていたと記憶していますが、この時期はドラマやバラエティ、色々なものが終焉を迎えて、時代の移り変わりのようなものを感じました。

 

・「ニュースステーション」スタート

 久米宏さんが「ザ・ベストテン」の司会を降板して、約半年後にこの番組でキャスターとして帰ってきました。

 これまでの平日夜の放送枠を大きく揺さぶる改編となり、「特捜最前線」もこの改編で水曜22時から木曜21時となり、その後視聴率が振るわなくなるという悪影響もあったと個人的には思います。
 しかしこの番組のスタートは、多極のニュース番組に対する扱いや考え方に大きな影響を及ぼしたことも事実で、熾烈なニュース戦争に色んなキャスターを配して、あの手この手で繰り出される事を感じました。

 

・アフタヌーンショー「やらせ」リンチ事件

 お昼の情報番組として20年にもわたって放送されてきた「アフタヌーンショー」。学校から早く帰ってくると時々TVで見かけた番組でした。

 そんなお昼の番組で「やらせ」が行われ、刑事事件にも発展し逮捕者が出て、番組は即刻打ち切りになったというものでした。
この時に「やらせ」という言葉を初めて聞き、覚えました。
 今では軽い感じでも使われるこの言葉でしたが、当時のこの件はそんな軽い感じでは済まないものがありましたね。

 

 

まだ政治の難しい事はよく分からない年頃でしたが、印象的な事件は多かったように思います。

昭和が60年代に突入し、新時代へ入っていく、そんな雰囲気を感じましたし、世の中まだまだ右肩上がりの時代だったので、無茶苦茶なこともあったけど、夢のある時代だったようにも思いました。

 

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