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2023年10月 1日 (日)

生活と思い出と世の中と(1985年①)

遡って振り返る、「生活と思い出と世の中と」。60回目は1985(昭和60)年の第1回です。

 

なんといっても日航ジャンボ機墜落事故は衝撃的すぎました。

そして阪神タイガースの「アレ」があったのもこの年でした。

 

自分が中二から中三になる年でしたが、当時のニュースと自分の生活を絡めて綴っていきます。

 

●ニュース

・日航ジャンボ機墜落事故

 日本中が震撼したといっても過言ではないレベルの大惨事でした。

 乗客乗員520名という、これは航空機事故で最大の死者数だそうで、それまでも航空機事故の類は何度かは聴いていたものの、これほどの大惨事は知らないくらいのレベルでした。

 8月のお盆に入る頃で、我々は中学生だったので夏休み真っ最中でしたが、とにかく臨時ニュースの連続で、搭乗者氏名がカタカナでどんどん明らかになっていき、その中には坂本九さんなどの有名人もいました。
 これをキャンセルして難を逃れた明石家さんまさんなど何人かそういう方もいたそうですが、お盆時期で東京-大阪間だとすぐ満席になるだろうなというところで、こんな大惨事の中に生存者が4名いた事もまた驚きでした。

 

・阪神タイガース日本一

 今年も成し遂げた「アレ」を、当時21年ぶりに実現し、リーグ優勝だけでなく、西武を破って日本一にもなりました。

 関西にいると、それはもうお祭り騒ぎのようで、当時中学校の運動会の出し物で仮装行列がありましたが、そこでもあるクラスが「トラフィーバー」として、運動場を練り歩いていました。
 この時は阪神の隠れファンやにわかファンもどんどん現れて、生粋の巨人ファンである自分は随分肩身の狭い思いもしました。

 巨人・槇原投手が打たれたバース・掛布・岡田のクリーンアップのバックスクリーン3連発は衝撃であり屈辱でした。それまでバース選手はたしか打率が1割台で調子悪かったと記憶していますが、ここで完全に火をつけたなと感じました。

 

・豊田商事会長刺殺事件

 豊田商事の悪徳商法により多くの被害者が出て問題になっいて、その会長が逮捕されるとの報を受けて自宅前に多くの報道陣が詰めかけている中、男たちが窓ガラスを割って侵入し、中にいる会長を刺殺して多数のカメラの前に出てきたこの事件は衝撃でした。殺害シーンこそ映されなかったものの、殺してすぐ出てくるというあまりに堂々とし過ぎた殺人事件で。
 当時放送されていた「刑事物語'85」という渡瀬恒彦さん主演のドラマで、この事件が題材として使われていた覚えがあります。

 

・両国国技館 こけら落とし

 大相撲でそれまで東京場所が開催されていた蔵前国技館が1984(昭和59)年の9月秋場所限りで役目を終え、この年1月からは両国国技館で開催されることとなりました。
 当初はよく「新国技館」という表現をされていました。
 そして新入幕力士が4人もいて、いずれもイキのいい力士たちで、その中には寺尾関もいました。
 新旧交代の時期でもあり、新勢力が台頭する中で、「憎たらしいほど強い」横綱・北の湖が遂に引退をしたのが、この新国技館こけら落としの初場所でした。31歳、若い頃から全盛期を築きましたが、その分衰えも早かったかなという感じでした。

 

・田中角栄元首相の脳梗塞

 ロッキード事件で有罪判決を受けた田中角栄首相が脳梗塞を発症し、政治の表舞台から事実上の引退との報道がありました。
 有罪判決を受けながら国会議員を続けていたのも不思議だし、出馬すれば圧倒的な得票数で当選していたのも、中学生ながらに不思議でなりませんでした。大人になればなんとなくわかりましたが、今の時代なら完全アウトだろうなと思います。

 

・つくば'85開催

 いわゆる「つくば万博」が開催されました。

 個人的に万博と聞いて真っ先に浮かぶのが、このつくば万博です。
 当時、東京方面へ修学旅行へ行っていた元中学の同級生が、万博で見た映像に使った赤青の3Dメガネを送ってくれたのを覚えています。
 「太陽にほえろ!」渡辺徹さん演じるラガー刑事の殉職時に、殺し屋たちが狙っていたのが、このつくば万博の観光バスで、このバス狙撃を食い止めるためにラガーは自ら盾となって殉職しました。

 

・「夕やけニャンニャン」スタート

 おニャン子クラブが世に出た番組でしたが、個人的にはこのムーブメントが好きじゃなくてあまり見ませんでした。

 当時感じたのはこのタイトル「ニャンニャン」って大丈夫かな?という感じでした。この少し前に「ニャンニャン」の後に喫煙、みたいなので某アイドルが謹慎となった事件があり、えらくオープンなタイトルだなと感じたものでした。

 

・NTTなどの発足

 電電公社がNTTとなり、専売公社がJTとなったという民営化の動き、当時は公的企業から私企業になったぐらいにしか理解できませんでしたが、その後国鉄がJRになるとも思いませんでした、それとて何がどう変わるのかよく分かってませんでしたが…。

 

・聖輝の結婚

 松田聖子さんと神田正輝さんの結婚が大きな話題になり、「世紀」に掛けてこのように表現されていました。

 わずか10年そこそこで離婚しますが、この結婚時は超人気アイドルと国民的刑事ドラマの中心刑事役で活躍する人気俳優として絶大な人気を誇り、注目度抜群の話題でした。

 その後娘さんの不幸があったり、最近土曜日になる度に神田正輝さんの激やせとか老化が「X」でトレンド入りするのは何か哀しいものがあります。

 

・ユニバーシアード神戸大会

 この年神戸で開催されて、この言葉を初めて知りましたが、学生の為のオリンピックという事で、地元の局がかなり力を入れていたので知ったようなものでした。

 

・「8時だヨ!全員集合」終了

 国民的お笑い番組として多くの小学生たちに支持されたこの番組も、ライバル「オレたちひょうきん族」に追い落とされ、この年9月に16年間の放送に遂に幕を下ろす事となりました。我々の年代は小学生の終り頃に全員集合からひょうきん族へ多く流れ、またこの番組が終わると知って再び全員集合に戻ってきた、そんな感じだったように思います。

 終了後の10月から12月の3ヶ月間は総集編的に放送が続いていましたが、これがとにかく面白くて、この番組が終わるのがとても寂しいと改めて感じたし、改めて自分たちは全員集合で育ったんだな、という事も感じさせられたものでした。

 

・「アップダウンクイズ」終了

 長年司会を務めていた毎日放送アナウンサーの小池清さんの名調子が味のあるクイズ番組で、解答者の乗っているゴンドラが上がったり下がったりもちょっとハラハラしながら見ていたものでした。
 最後の2年間は西郷輝彦さんが司会をしていたと記憶していますが、この時期はドラマやバラエティ、色々なものが終焉を迎えて、時代の移り変わりのようなものを感じました。

 

・「ニュースステーション」スタート

 久米宏さんが「ザ・ベストテン」の司会を降板して、約半年後にこの番組でキャスターとして帰ってきました。

 これまでの平日夜の放送枠を大きく揺さぶる改編となり、「特捜最前線」もこの改編で水曜22時から木曜21時となり、その後視聴率が振るわなくなるという悪影響もあったと個人的には思います。
 しかしこの番組のスタートは、多極のニュース番組に対する扱いや考え方に大きな影響を及ぼしたことも事実で、熾烈なニュース戦争に色んなキャスターを配して、あの手この手で繰り出される事を感じました。

 

・アフタヌーンショー「やらせ」リンチ事件

 お昼の情報番組として20年にもわたって放送されてきた「アフタヌーンショー」。学校から早く帰ってくると時々TVで見かけた番組でした。

 そんなお昼の番組で「やらせ」が行われ、刑事事件にも発展し逮捕者が出て、番組は即刻打ち切りになったというものでした。
この時に「やらせ」という言葉を初めて聞き、覚えました。
 今では軽い感じでも使われるこの言葉でしたが、当時のこの件はそんな軽い感じでは済まないものがありましたね。

 

 

まだ政治の難しい事はよく分からない年頃でしたが、印象的な事件は多かったように思います。

昭和が60年代に突入し、新時代へ入っていく、そんな雰囲気を感じましたし、世の中まだまだ右肩上がりの時代だったので、無茶苦茶なこともあったけど、夢のある時代だったようにも思いました。

 

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