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2023年11月の2件の記事

2023年11月28日 (火)

生活と思い出と世の中と(1984年②)

遡って振り返る、「生活と思い出と世の中と」。65回目は1984年の第2回です。

 

この回は、自分の当時の出来事から世の中へと絡める形で綴ります。

 

●生活

この年は中一から中二になる年でしたが、1月は地元の「とんど祭り」に初参加しました。
地方により「どんど」とか色々言い方が違うようですが、うちの田舎は「とんど」です。

書初めを燃やしたりする行事ですが、それまで冬の早起きが苦手なのと参加する気がないのとで行った事がなかったのですが、行ってみるとなかなか面白いなという感じでした。今もまだ地方により風習は残っているようですが、廃れたところもあるのでしょうか。

この冬、すごく寒かったようで、1月末頃?中一にして生まれて初めての「積雪」を経験しました。うちの地方は雪が降るのも珍しいところで、積もるなんて一大事でした。中学校の運動場で雪合戦をしましたが、これももちろん生まれて初の経験でした。

落語家の林家小染さんがトラックにはねられて亡くなりました。酒が大好きで深酒にまつわるエピソードも少なくない、との事でしたが、こんな最期は…まだ35歳くらいだったけど、すごい貫禄のある方でした。

グリコ・森永事件が世間を賑わせましたが、関西で起こった事件だったので、怖さも感じました。最初はグリコの社長が誘拐され、「グリコ事件」と呼ばれていましたが、森永製菓も標的になり「グリコ・森永事件」と呼ばれるようになていきました。

前の記事にも書きましたが、地元の球場にオープン戦で阪急×広島が来て見に行きました。この年から阪急ブレーブスの大ファンになってしまい、そして日本シリーズではこの両チームが対戦したので、それはもう最後まで楽しんでいました。まさかこの4年後に阪急ブレーブスがなくなるなんて思いもしませんでしたね。いつかは公式戦を見たいと思っていたのが結局叶いませんでした。

ラジオの「歌のない歌謡曲」にハマっていました。ついこないだまで放送されていた大長寿番組ですが、当時歌謡曲よりもインストゥメンタルを聴く方が好きで、「太陽にほえろ!」の各刑事にテーマ曲があったように、身近な友達の「○○のテーマ」を探して、「この曲、○○にピッタリじゃない?」とか友達に聞かせてました。そのネタとして「歌のない歌謡曲」はうってつけだった訳です。

「マイコンBASICマガジン」(通称「べーマガ」)という雑誌にもハマりました。「マイコン」ですから(笑)昭和ですねぇ。 当時のパソコンなんてヲタクのやるものでした。自分もTV画面のついたすごいパソコン?持っていませんでした(憧れでした)が、電卓の延長上のようなポケコン(=ポケットコンピュータ)は、この前年に買ってもらって持っていました。
この雑誌は、一般のパソコンユーザーがプログラムを組んだものが誌上に紹介されていましたが、それに沿ってポケコンでプログラムを組んでゲームを楽しんだりしていました。あと、このポケコンは1つブログラムを組むと、メモリー(「ステップ」といっていました)がそれでいっぱいになるので、増設のカセットインターフェースをつないでデータをセーブしないと、他のプログラムが入れられない状態でした。それでカセットテープにセーブするんですが、それをラジカセで聴くと、ひたすら♪ピーーーピピピッピーーみたいな音が聞こえてきていました。この時代からすると、今みたいにこんなにパソコンが扱いやすくなって、誰でもやるようになるとは夢にも思いませんでした。

↓当時のポケコン。カシオのPB-100(今も手元にあります)
 すり切れててスミマセン
Pb100

お正月に、久々に仮面ライダーの本放送を見ました。この時代仮面ライダーの放送がなく、1981(昭和56)年秋に「仮面ライダー・スーパー1」が終了し、1987(昭和62)年に「仮面ライダーBLACK」が放送されるまで6年間ありませんでしたが、ちょうどその真ん中の時期で、この時単発の特番のような形で「10号ライダー誕生」としてZX(ゼクロス)が登場し、V3の宮内洋さんなどは先輩として登場していました。で、その宮内さんがV3風見志郎の役そのままで、ビデオを見せて先輩ライダーの紹介をしながら、仮面ライダーの歴史を語るのですが、「そのビデオどこで撮ったん?」と中学生ながらに突っ込みたくなるほどでした(笑) ライダーマンの山口豪久(山口曉)さんも出ていましたが、この当時かなりの晩年で2年後くらいに亡くなっていました。晩年は事業に忙しかったといいますが、この時が俳優としての遺作だったそうです。

この時の事で思い出すのは、今みたいにこういう番組は幅広い年齢層で見るものではなく、「中学生にもなって、まだ仮面ライダーなんか見るの?早く卒業しなさい」と親から言われ、それがまた珍しい事ではなかった時代でした。アニメなんて子供の見るものであって、大人になってそんなものみるなんて、小さい子の親でもない限りあり得ない、そんな風潮の強かった時代でした。そういう意味で、今はいい時代だなと思います。

お札が変わりました。新札になったのです。諭吉の1万円札はこの時から始まりました。
五千円札は新渡戸稲造、千円札は夏目漱石でした。それまで一万円も五千円も聖徳太子で、千円のみ伊藤博文でしたが、当時中二でまだ小遣いが月4,000円だったので、五千円札とか万札とか普段見る事はなく、親から見せてもらうのが精一杯でした。

横綱・北の湖が優勝した最後の年でした。この当時の北の湖はかつての「憎たらしいほど強い」横綱の姿は消え30歳も越えて、思わぬ金星を提供したり、長く休場したり、すっかり往年の力は消えていました。それでも1場所は優勝を決め、翌年の両国新国技館最初の場所までなんとか土俵人生を永らえる事ができました。

この時絶頂期だったのが大関・若嶋津でした。全勝優勝を含め2度の優勝で、横綱は時間の問題と言われるほどでしたが、ケガなどに悩まされ結局はその後があまり続きませんでした。その他の事は前の記事で結構書いています。

最後の家族旅行はこの年に行きました。うちは家族旅行という習慣がなく、あっても父の会社の社員旅行に家族も乗っかるというそんな感じでしかなく、両親が出不精で車もなかったので、ホントに旅行に出る概念がありませんでした。大人になって自分が旅しまくってるのは、あるいはその反動かもしれません。で行った先は小豆島でした。3年ぶり2度目に来ましたが、これも父の会社の旅行でした。

中二の新しいクラスになって、特に前半は不遇でした。

中一のクラスが楽しすぎてめちゃめちゃ浮かれてましたが、中二は昼休みに野球しても、チーム決めの時に「取りもん」で一人ずつ取っていくんですが、いつも最後まで残った「残り物」で、実際三振やエラーばかりしてて、スポーツ大会?でもザコ扱いで、スポーツに対するコンプレックスが大きかったですね、ちょっとぐらい馬鹿でもいいからスポーツできた方が良かった、と小さい頃ずっと思ってました。

頼みの勉強も中一の終りから徐々に成績が下がっていき、一学期の期末は自己最低のところまで落ち込みました。

また途中から転校してきた奴に悪い形で目を付けられ、いじめに遭いかける状況で、このまま他の奴からも餌食にされたら「終わる」と思ってました。不登校を考えるようなものではなかったし、学校へ行かないという発想自体がなかったですが、ちょっとまずい状況になってきていました。

しかし、10月が来ると何もかも好転、そいつがまた転校することになり、状況が一変、何の心配もない状態になりました。野球でも時々は活躍したりホームラン打ったり、どうしようもない状況から抜けました。これぞ運です。運以外何物でもなく。

クリスマス前後に忘年会的な形で、小学校からの仲良し4人で集まってお菓子買いまくってパーティーをしました。中学時代のこういうパーティーって単純に楽しかったですね。友達の家にカラオケ機器(!)があって、カートリッジをガシャっとはめてBGMが流れてくる奴で、当時まだ近所にカラオケBOXなんてないし中学生だし、というのでこういう機器がある家って「すごい」って感じでした。歌える曲がすごく限られてて、演歌中心でアイドルポップスが少々って感じでした。

こんなかんじで昭和50年代の最後が過ぎていきました。

 

2023年11月18日 (土)

生活と思い出と世の中と(1984年①)

遡って振り返る、「生活と思い出と世の中と」。64回目は1984年の第1回です。

 

この年は昭和59年、遂に昭和50年代まで遡ってきました。

この年、中1から中2になる年でしたが、当時の出来事と自分とを絡めながら綴っていきます。

 

●ニュース

「ロス疑惑」

 …大人のよく分からない事件、そんな感じで、保険金の事とかも全然知らず、当事者の名前だけが独り歩きするかの如く、有名になっていきました。同姓同名のサッカー選手の存在を知ったのもこの時期でした。まだ17歳くらいで、日本にプロのサッカーリーグのない時代で、たまたま新聞で目にしただで、ロス事件の人とおんなじ名前だ、ぐらいしか認識がありませんでした。この時はロスでオリンピックを夏に控える状況だったので、とかくロサンゼルスの地名が前へ出た年だったと思います。

「植村直己氏マッキンリー遭難」

 …当時ちょうど中学の国語の教科書に、植村直己氏に関するものが載っていて当時まだ存命者としてプロフィールが記されていましたが、これを授業で習って程ない頃か、にこのニュースが流れてきました。数々の山を征服して、登れない山はない、くらいの勢いだった彼が、マッキンリーの登頂に成功したニュースが流れてきて「さすがだな」と思った矢先に、直後暗転して「遭難」の報が流れ「消息不明」となったのがより一層悲しかったです。この4月にクラス替えでクラスにウエムラという人がいて、彼は「ナオミ」とあだ名されていました(笑)

「グリコ・森永事件」

 …中学生の自分にも分かり易い、それだけ衝撃の大きい脅迫事件でした。

 それも地元・兵庫県で発生し、慣れ親しんでいる「江崎グリコ」の社長が誘拐されたというショッキングな幕開けでした。

 社長が無事・解放された後も脅迫が続き「キツネ目の男」の顔写真が一躍有名になりました。また脅迫内容も報道され、中学生だった自分たちはよく学級日誌に先生宛にこの脅迫文を真似した書き方をしたりもしていました。

 この事件の時に「ファミリーマート」というコンビニを知りました。当時、自分の校区にコンビニなどなく、ローソンはCMで知っていた程度で「ファミリーマート」なんて、それまで聞いた事もありませんでした。

「銭形平次」終了

 …水曜の20時といえばこの番組でした。というぐらい、物心ついた時からいつもそのオープニングは目にしていました。
 だから終わるなんて考えられなかったですが、4月4日をもって終了しました。
 888回、18年も連続して放送されていたなんてその時知った訳で、当時13歳の自分からしたら人生以上の歳月で、ただただすごいなという印象でした。「1人の俳優が同じ主人公を演じ続けたドラマ」の最多回数記録としてギネス認定されているといいます。

 しかしさらに驚いたのは、この年の暮れに主演の大川橋蔵さんが55歳の若さで亡くなった事でした。健康上の理由で勇退されたのかと思いましたが体調を崩したのが9月の事で、4月には番組が終了していましたが、実際健康上の不安がその時になかったのか今となっては分からないですね。

「鈴木啓示投手の通算300勝達成」

 …近鉄の大エース・鈴木啓示投手が通算300勝を達成、現時点においてもNPB最後の300勝投手であり、投球回数の制限や実績をあげたらすぐメジャーへ行ってしまう今のプロ野球では300勝はおろか200勝投手すら誕生もままならない気がします。この当時は200勝投手も山田久志投手(阪急)、東尾修投手(西武)、平松政次投手(大洋)など何人もいた状態で、分かり易いチームの顔が各チームにいました。

「高見山引退」

 …大相撲で外国出身力士として大人気を博していた高見山関が十両で大負けして、関取の座を維持できない事が確定し引退しました。
 最後まで堂々と取り組み、負けた時には土俵を叩いて悔しがっていたのが大変印象的でした。
 幕内での優勝も経験し、CMにも出たりタレント性があり、大きな体と長いもみあげなど独特の風貌でとにかく人気の高い力士でした。

「生放送の停電」

 …当時終末期とはいえまだまだ人気のあった生放送のお笑い番組「8時だヨ!全員集合」で、オープニング時に突然停電し、真っ暗闇の中で約9分、懐中電灯を照らしながら場をつなぎ、やっと復旧してスタート、という事がありました。後々にも語り継がれる番組史上屈指の迷シーンでしたが、バラエティーを毎週生放送でやっていたって今考えたら本当にすごいですよね。

「京都・大阪連続殺人事件」

 …元警官だった男が、現職警察官を殺害して拳銃を奪い、大阪でもその拳銃で殺人を行ったというゾッとする連続殺人事件でした。

「さよなら蔵前国技館」

 …大相撲の東京場所として現在の両国国技館になる前は、この蔵前国技館で開催されていました。その最後の場所がこの年9月の秋場所で、この時は多賀竜が平幕優勝を果たすという劇的な結末でも、春に引退した高見山の後継のごとく現れた小錦も12勝3敗で「小錦旋風」を巻き起こしました。

「広島×阪急の日本シリーズ」

 …この年、個人的にオープン戦で地元の球場にやってきたのがこの両チームで、まさにこの試合を見に行ってました。
 阪急は前年のオープン戦も同じ球場に来てて2年連続試合を見た訳ですが、阪急の球団が発行した「イヤーブック」を買って、それからというものすっかり「阪急」のファンになってしまいました。
 昔、憎たらしいほど強かった阪急はむしろ嫌いな球団でしたが、1978年を最後に優勝から遠ざかったこのタイミングでこんなにハマるとは…と自分でも不思議でした。
 阪急はこの年快進撃でペナントを乗り切り、西武の連覇を断ち切って見事リーグ優勝を果たしました。毎日のようにテレビを見るかラジオを聴くか翌朝の新聞を見るかして、毎試合の成績をノートに書いたりするほどでした。

 そして日本シリーズ、広島・長嶋、阪急・福原各選手の満塁ホームランが出て、意外性も含めた波乱のシリーズとなりました。結局阪急は敗れ日本一は逃しましたが、昭和最後のリーグ優勝は立派で見事でした。福本、弓岡、簑田、ブーマー、松永…という打線は不動で、素晴らしいものでした。捕手では藤田浩雅捕手がレギュラーに定着し、今後10年安泰といわれました。投手では山田久志、21勝を挙げた今井雄太郎佐藤義則の3本柱でほぼ勝っていて、この年ブレイクしたベテラン左腕の宮本四郎投手が活躍し、抑えに回った山沖之彦投手がフル回転しました。

「ロス五輪」

 …夏冬同年開催だったこの当時、冬はサラエボ五輪でしたが、夏はアメリカ・ロサンゼルスでオリンピックが開催されました。前回の1980(昭和55)年モスクワ五輪がありましたが、日本は不参加だったので見る事ができず、実施生まれて初めてまともに見たオリンピックでした。

水泳の長崎宏子選手がとにかく注目されました。柔道の山下泰裕選手は期待に応え、見事金メダルを獲得しました。当時NHKで中継をしていましたが、競技成績を送るコーナーがあって、これを当時NHKアナウンサーだった草野仁氏が務めていたのを覚えています。

「西部警察」終了

 …1979(昭和54)年から始まった「西部警察」のシリーズが前年より「PARTⅢ」となっていましたが、この10月に5年間の放送が終了しました。視聴率が絶好調の中惜しまれながらの終了でしたが、最後は団長である大門自身の殉職という幕切れで、石原裕次郎さんの木暮課長が大門の亡骸を目の前にして泣く姿はもはや演技を越えたものがありました。

「エリマキトカゲ」

 …ビックリした時に二本足で走る「エリマキトカゲ」が突如卯注目され、大流行となりました。個人的にうちの母親も、そのエリマキトカゲのTシャツを着ていました(笑)

「新紙幣」

 …一万円札が現在も続く福沢諭吉になったのはこの年でした。
 五千円札は新渡戸稲造、千円札は夏目漱石になりました。それまで一万円と五千円は聖徳太子で、千円は伊藤博文でした。
 特に聖徳太子の五千円札は今より値打ちの高いお札のように見えたものでした。

「ミソラ…」

 …この年引退する都はるみさんについて、大晦日の紅白歌合戦で、名前を間違えられる一幕がありました。

「名称変更」

 …トルコ風呂といわれたいたものが、ソープランドという名称となったのはこの年でした。よく昔のドラマでも街が映る時に「トルコ」などとネオンがありましたが、トルコに対する侮蔑でというのは分かる気がします。

 

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