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2024年3月の2件の記事

2024年3月24日 (日)

生活と世の中と思い出と(1982年①)

遡って振り返る、「生活と思い出と世の中と」。72回目は1982年の第1回です。

当時小5から小6にかけての年でしたが、この年に起こった出来事と自分の暮らしとを結びつけて綴っていきます。

 

●ニュース

「ホテルニュージャパン火災」

 …とにかくこの言葉と社長の名前だけが耳によく飛び込んできていました。

 大きなホテルの火災で死者が出たという事で大変ニュースになっていました。

「日航機羽田沖墜落事故」

 …ホテルニュージャパン火災の翌日に起こった大規模な航空事故でした。今年の1/1、1/2と連日で大変な事故が起こりましたが、この時の事を思い出しました。
 この事故では「逆噴射」という言葉が大変飛び交い、それまで殆どの人が知らなかったこの言葉を皆が知ったように思いました。

「テレビ大阪開局」

 …関西には、それまでテレ東系の局がなく、一部の番組をキー局の時間帯に振り分けて放送されていました。
 なので「東京12チャンネル」系の番組って、朝日放送とか関西テレビとかサンテレビとかのどこかの時間帯で、遅れネット的に放映されたりすることが多く、その系列局として、この年「テレビ大阪」が開局しました。
 しかし、うちはテレビ大阪の電波をアンテナで拾えなかったので、全然関係ありませんでした。

「500円硬貨登場」

 …それまでの500円札に代わって、「500円玉」になりました。

 500円って札だった事もあってか小学生には少し高いもののように思えましたが、コインになってから少しチープになったような気がしました。岩倉具視の500円札がいまとなっては懐かしい限りです。

「東北・上越新幹線開業」

 …それまで新幹線といえば、東京から博多の東海道・山陽新幹線しかなくて、この少し前に上岡龍太郎さんが関西ローカルで司会をされていた平日帯のクイズ番組「クイズ新幹線」でも、東京から博多までしかありませんでした。
 これに新しい新幹線路線が加わるという事で、東北にまで新幹線が伸び、更に少し遅れて上越新幹線も開通し、新幹線の新たな歴史の転換点となりました。

「横浜スタジアム審判集団暴行事件」

 …夏休み最後の日に起きた、阪神タイガースのコーチらによる審判の判定を巡っての審判への暴行事件でした。

 昔のプロ野球は「揉め事」「乱闘」はしょっちゅうで、半ばそれを楽しみに見ていた部分も正直ありました。子供心にもちょっと行きすぎだろうという感じでしたが、当事者のコーチ陣は当初永久追放といわれていましたが後年現場復帰しています。

「西武初優勝

 …西武ライオンズが新生球団としてスタートして4年目でリーグ優勝および日本一を達成しました。
 ヤクルトを指揮していた広岡監督による優勝劇で、前身クラウン時代は最下位争いをしていて、西武1年目も開幕から12連敗するほど弱いライオンズでしたが、福岡から埼玉所沢への移転、選手の数多い入替等で戦力を充実させ、この優勝に繋がりました。

「中曽根内閣発足」

 …鈴木善幸首相の退任を受けて、自民党総裁選というものを生まれて初めて見ました。
 地元の河本敏夫議員も出馬しましたが、中曽根氏に敗れ、後の安倍晋三首相の父である安倍晋太郎氏も敗れました。もう一人敗れた候補は自殺し、これもまた話題になりました。

「E.T.公開」

 …大変話題になった映画でした。月をバックに自転車こいでたり、人差し指同士をくっつけ合わせて「ET!」ってやってました。翌年の「新ハングマン」で初主演としてひとり立ちした名高達男さんのコードネームは「ET」だったし、うちの近所の喫茶店の名前も一時「ET」になった時期がありました。

「三波伸介さん急死」

 …今も続く毎週日曜夕方定番の「笑点」の司会を務めていた三波伸介さんが52歳の若さで急死され、番組は急遽後任の司会者選定に迫られ、5年前まで大喜利メンバーだった三遊亭圓楽(5代目)さんが番組に司会として復帰という形で就任しました。圓楽さんの解答者時代をかすかに覚えていたので違和感ありませんでした。この圓楽司会時代は笑点の安定期というか黄金期といってよいかと思います。

 

2024年3月17日 (日)

生活と世の中と思い出と(1983年④)

遡って振り返る、「生活と思い出と世の中と」。少し空きましたが71回目は1983年の第4回です。

今回は、この年に見た再放送ドラマや、本放送のアニメやバラエティその他テレビ番組、そしてラジオ番組などについて触れていきます。

 

●ドラマ(再放送)

「西部警察」

 …当時は「西部警察PARTⅡ」の本放送中でしたが、最初の無印「西部警察」の初めての再放送がされていました。

 初期は本放送時見てなかったので、初めて見る作品も多々ありました。

 

「太陽にほえろ!」

 …これまた沖雅也さんのスコッチ刑事登場編からの再放送でした。
 その後スコッチの転勤を経てもまだ続き、ボン(宮内淳さん)単独編の短い期間の途中で唐突に終わってしまいました。
 しかしその翌月に沖雅也さんが自殺してしまうとは…衝撃すぎました。

 

●アニメ

「愛してナイト」

 …同時期やっていた「ときめきトゥナイト」と混同されがちですが、ミッチこと堀江美都子さんと佐々木功さんというアニメ界のプリンスとプリンセスのような二人が声優として恋人同士になる役柄で共演したアニメでした。
 佐々木さんの演じたバンドマンの役柄が「加藤剛」ってマジかよ?と子供心に思いましたが、ふんわりリーゼントの金髪に先端だけ赤毛というすごい髪型のキャラでした。

「アルプス物語 わたしのアンネット」

 …世界名作劇場の作品で日曜日に見ていましたが、従来の作品が健気に生きる幼い主人公、というのに対して、ナントも救いようのない恨みや憎悪に満ちた作品、の印象が強くありました。主人公自身が弟を崖に落とされる事故を誘発した友達を強く恨み続けるという、この枠の主人公にはありえないキャラだったので。

「伊賀野カバ丸」

 …少女漫画タッチの忍者アニメでした。
 高校に転校してくる忍者のカバ丸と同級生の麻衣が事あるごとにぶつかりながら、互いの思いは…?みたいな感じもありましたが、基本ギャグアニメかなと勝手に感じていました。カバ丸の食べる大量の「やきそば」がすごくうまそうでした。
 OP・EDともシュガーが歌っていましたが、EDはちょっと儚げで、これ聴いて明日は金曜日か…と思って学校へ行くとして教科書やノートを鞄に詰め替えたりしてました。
 
 後にジャパンアクションクラブ(JAC)のホープ3人組(真田広之さん、黒崎輝さん、高木淳也さん)を中心としたキャストで実写版映画も制作され、師匠である千葉真一さんも出演していました。映画では黒崎さんがカバ丸を演じ、三の線も必要なこの役柄で三人組の中では彼が最適だったように思います。

「キャッツ・アイ」

 …美人三姉妹による怪盗のアニメで、北条司先生の出世作でした。
 アニメはなんとなく時々目にした程度でしたが、杏里さんの歌う同名主題歌が大ヒットして歌番組でも披露されていました。
 いわゆるアニソンとしてベストテンにランクインするヒットをした元祖のような曲だと思います。

「キン肉マン」

 …あまり見ていませんでしたが、時々見た程度で、最初はプロレスのギャグアニメかなと思っていましたが、結構ガチなバトルものの印象を受けて興味が薄れたように記憶しています。

「パーマン」

 …日曜朝9:30枠の藤子不二雄作品3作目として1979年「ドラえもん」1981年「忍者ハットリくん」と2年おきに変わっていましたが、この4月からスタートしました。月~土の帯番組15分枠で放送したものを、日曜日なりに30分枠として再放送的にやっていたといいますが、関西では帯番組はなく単に毎週日曜の朝番組としてだけ放送されていました。
 元々「コロコロコミック」なんかで見ていたので知っていた作品で、遂にアニメ化されたか!とそんな感じでした。
 EDのフレーズで♪君のクラスのいちばんうしろ いちばんうしろ パッパッパッパパーマンはそこにいる というものがあって、当時中学校で一番後ろの席になった時「おまえ、パーマンか?」と言われたものでした(笑)

「じゃりン子チエ」

 …元祖・大阪弁アニメとして81年から放送が続きましたが、この年3月に終了しました。「最終回とはいうものの…」というタイトルで、継続を密かに期待していましたが、ここで終わり。夏休みに「じゃりン子チエ大会」として全編再放送された時はもうずっと見てました(笑)
 個人的にマンガをあまり読みませんでしたが、これだけは高校生になっても読んでました。

 

●バラエティ/クイズ等

「欽ちゃんの週刊欽曜日」

 …スタートしたのは前年10月でしたが、個人的に見始めたのがこの年からでした。
 風見慎吾さんの「僕笑っちゃいます」が流行り始めた頃でした。
 これがコニタンか…とか、これがちなみショーか…とか思いながら見てました。
 「ちなみに」って今では一般化してますが、この番組キッカケで言われるようになったのでは…?と思います。
 佐藤B作さんもこの番組でブレイクしたといえます。名前だけは知ってましたが、それにしても「B作」ってなんだよ?と思いました。
 佐藤栄作氏から来てると知っていても。

「欽ドン!良い子悪い子普通の子おまけの子」

 …1981年に「欽ドン!良い子悪い子普通の子」としてスタートしていましたが、このタイトルでの最終年となった'83年は二代目「フツオ」の後藤正さんが引退し、「フッくん」「ツッくん」「オッくん」の3人で「フツオ」をやっていて、全員がずぶの素人でしたが、「はじめてだから」ってそういう感覚で見てました。

 そして、10月から番組名に「おまけの子」を追加して内容をリニューアルして出演者が激増しました。
 欽ちゃんの妻役にアクション女優として名高い志穂美悦子さんが起用されたのは驚きでした。この頃から山口良一さんのポジションが上がった?感が顕著で、この妻コントに良い・悪い・普通の姑の3役を演じ、「欽一」と呼ばせていました(笑) 
 研究レポートなどのコーナーで、山口さんが志穂美さんの師匠に当たる千葉真一さんのマネで「悦ちゃん!」とすごむシーンが笑えました。
 先述の3人のフツオはオッくんこと境田晃一さんが選ばれ一本立ちし、「おまけの子」として遠藤由美子さんが起用されました。
 そして先生コーナーか新設、良い先生役にあの柳葉敏郎さんが起用され、銀縁メガネで東北弁丸出しでまさか後年あんな風に時代を引っ張る役者になるとはその時全く思いませんでした。
 
 この番組のエンディングはハガキの当選者発表で、今の時代ではありえない「○○県 ○○○○○さん」みたいな感じのテロップが流れてて、この時代はこれが普通でしたが、これを見ると「月曜も終わったな」と感じながら、次の火曜の支度をしていました。

「世界まるごとHOWマッチ」

 …大橋巨泉さん司会のクイズ番組で、世界のいろんなものに対する値段を当てる番組です。レギュラー解答者が石坂浩二さん、ビートたけしさんと豪華で、ケント・ギルバートさんやチャック・ウィルソンさんなど外国人有識者枠もありました。
 この番組でブレイクしたといっていい小倉智昭さんのハイテンションなリポートナレーションも大きな顔でした。

「たけしのお笑いサドンデス」

 …素人がギャグを披露して、それを審査員がジャッジする番組で、当時たけしさんの冠番組は多くありましたが、視聴率の振るわないものも結構あり、この番組は9ヶ月で、その前後の番組は2、3ヶ月で終了する事もザラでした。

「タケちゃんの思わず笑ってしまいました」

 …ビートたけしさんによるギャグコント集で特番形式で、年に数回放送されていました。
 一番記憶にあるのは「太陽にほえろ!」のパロディーで、よくありがちな形式で一旦作って、たけしさんが解説者に扮してそれらのシーンの「クサイ」演技を色々と指摘し、その上で「リアリティーのあるものだとどうなるか」を再現コントで流していたもので、また出てくる役者陣が加納竜さんや荻島真一さん、小野進也さんなど普通に刑事ものとして通用するレベルの役者を揃えて、あえて対比ドラマを作っていたのが面白かったです。

「わくわく動物ランド」

 …関口宏さんが司会の、世界各国の動物たちに因むクイズ番組で、後にエリマキトカゲやウーパールーパーなど話題になりました。

 

●ラジオ番組

「理恵と歌おう」

 …「三菱ドライビングポップス」の冠のついた番組で、何代かの方がパーソナリティーを担当していて、たしかこの前年に中原理恵さんが担当されたと思いますが、この4月から聴き始めました。月~金は夕方17:34~数分の帯番組で、日曜には昼に30分枠で放送されていました。

中原理恵さんが「欽ドン」降板後しばらく見かけなくなってから、この番組でそのコミカルなトークを聴いていました。

「世良公則 ちょっとイカした10 o'clock」

 …前年からスタートしたようですが、この年4月から聴き始めました。
 10時スタートなので10 o'clockというタイトルですが、「イカテン」とよばれていました。あの「イカ天」が流行る何年も前で、自分の中でイカテンといえば、このラジオ番組の方です。
 当時の世良公則さんは「太陽にほえろ!」出演中だったので、共演者がラジオにゲストで参加していて、そういう回はなぜかあまり聴けませんでしたが、神田正輝さんがゲストで登場し「兄貴」「いっちゃん」と呼び合ってた回を「録音」していました。

「サンデー・ダークダックス」

 …ダークダックスがホストになって、マンスリーゲストを迎えてトークする番組で、1965年スタートのこの時既に18年を迎えていた長寿番組でしたが、彼らの年代とは全然下の若い歌手やグループとの交流を時々耳にしていました。

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