生活と世の中と思い出と(1982年①)
遡って振り返る、「生活と思い出と世の中と」。72回目は1982年の第1回です。
当時小5から小6にかけての年でしたが、この年に起こった出来事と自分の暮らしとを結びつけて綴っていきます。
●ニュース
「ホテルニュージャパン火災」
…とにかくこの言葉と社長の名前だけが耳によく飛び込んできていました。
大きなホテルの火災で死者が出たという事で大変ニュースになっていました。
「日航機羽田沖墜落事故」
…ホテルニュージャパン火災の翌日に起こった大規模な航空事故でした。今年の1/1、1/2と連日で大変な事故が起こりましたが、この時の事を思い出しました。
この事故では「逆噴射」という言葉が大変飛び交い、それまで殆どの人が知らなかったこの言葉を皆が知ったように思いました。
「テレビ大阪開局」
…関西には、それまでテレ東系の局がなく、一部の番組をキー局の時間帯に振り分けて放送されていました。
なので「東京12チャンネル」系の番組って、朝日放送とか関西テレビとかサンテレビとかのどこかの時間帯で、遅れネット的に放映されたりすることが多く、その系列局として、この年「テレビ大阪」が開局しました。
しかし、うちはテレビ大阪の電波をアンテナで拾えなかったので、全然関係ありませんでした。
「500円硬貨登場」
…それまでの500円札に代わって、「500円玉」になりました。
500円って札だった事もあってか小学生には少し高いもののように思えましたが、コインになってから少しチープになったような気がしました。岩倉具視の500円札がいまとなっては懐かしい限りです。
「東北・上越新幹線開業」
…それまで新幹線といえば、東京から博多の東海道・山陽新幹線しかなくて、この少し前に上岡龍太郎さんが関西ローカルで司会をされていた平日帯のクイズ番組「クイズ新幹線」でも、東京から博多までしかありませんでした。
これに新しい新幹線路線が加わるという事で、東北にまで新幹線が伸び、更に少し遅れて上越新幹線も開通し、新幹線の新たな歴史の転換点となりました。
「横浜スタジアム審判集団暴行事件」
…夏休み最後の日に起きた、阪神タイガースのコーチらによる審判の判定を巡っての審判への暴行事件でした。
昔のプロ野球は「揉め事」「乱闘」はしょっちゅうで、半ばそれを楽しみに見ていた部分も正直ありました。子供心にもちょっと行きすぎだろうという感じでしたが、当事者のコーチ陣は当初永久追放といわれていましたが後年現場復帰しています。
「西武初優勝」
…西武ライオンズが新生球団としてスタートして4年目でリーグ優勝および日本一を達成しました。
ヤクルトを指揮していた広岡監督による優勝劇で、前身クラウン時代は最下位争いをしていて、西武1年目も開幕から12連敗するほど弱いライオンズでしたが、福岡から埼玉所沢への移転、選手の数多い入替等で戦力を充実させ、この優勝に繋がりました。
「中曽根内閣発足」
…鈴木善幸首相の退任を受けて、自民党総裁選というものを生まれて初めて見ました。
地元の河本敏夫議員も出馬しましたが、中曽根氏に敗れ、後の安倍晋三首相の父である安倍晋太郎氏も敗れました。もう一人敗れた候補は自殺し、これもまた話題になりました。
「E.T.公開」
…大変話題になった映画でした。月をバックに自転車こいでたり、人差し指同士をくっつけ合わせて「ET!」ってやってました。翌年の「新ハングマン」で初主演としてひとり立ちした名高達男さんのコードネームは「ET」だったし、うちの近所の喫茶店の名前も一時「ET」になった時期がありました。
「三波伸介さん急死」
…今も続く毎週日曜夕方定番の「笑点」の司会を務めていた三波伸介さんが52歳の若さで急死され、番組は急遽後任の司会者選定に迫られ、5年前まで大喜利メンバーだった三遊亭圓楽(5代目)さんが番組に司会として復帰という形で就任しました。圓楽さんの解答者時代をかすかに覚えていたので違和感ありませんでした。この圓楽司会時代は笑点の安定期というか黄金期といってよいかと思います。
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