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2024年6月の1件の記事

2024年6月15日 (土)

1982年・通った塾の事

前々回、1982年②として、当時の生活の事を書きましたが、その中で当時の「塾通い」について、これに特化した内容を今回は単体記事として書きたいと思います。

このブログもほとんど読まれなくなったし、現在住んでいない街の事、現存しない団体の事、遠く40年以上前の昭和の事、であることから今回、自分の脳内だけに留めてきたものを文にして出力する事にしました。なので色々具体的な名前を出しますが、そこんとこよろしくってところで(笑)

さて、その塾とは前回も少し書きましたが「兵庫県教育テスト協会」という団体で「H.T.A.」などとロゴが添書きされていましたが、地元では長谷川塾とかいっていたり、俗には「英才教室」とか「英才」とかいわれ、そこに小学5年生の3月から約1年間通っていました。私立中学を受験する為の塾で、当時では淳心学院や白陵といった中学、上位者になると灘中学なども視野に入っていました。

塾の正式名称が正直よく分からないままでした。というのも、「○○塾」などと看板下げているものではなく、毎週土日に当時の姫路駅前の三井生命ビル9Fのスペースを借りて開講されていただけのものだったのです。あくまで先述の「協会」が本部で、それは別の所にありました。姫路市北条口だったか。

最初の入塾で、教材を買いに行き、しかも塾に「制服がある」のにビックリでした。「必勝」の文字の入ったハチマキも買い、受講中は「ゼッケン」をつけていました。「1333 ○○(自分の名前)」な感じのゼッケンを首にかけて、前と後ろにその表示が見えるようになったものでした。この番号、「鎌倉幕府が滅んだ年や」とかよく仲間の塾生から言われてまし(笑)

最初は土曜コースと日曜コースが選べて、土曜は学校から帰って昼から晩まで、日曜は朝から3時ごろまでの感じでした。正確な時間は忘れましたが…

自分は日曜コースにしましたが、小学6年生の頃は人並みの日曜日はありませんでした。友達と遊んだりとか、そういうのがなかったですね。人並みに遊びたかった、と正直少し後悔はしてます。良い経験にはなりましたが。日曜日の自由時間はほぼ午後4時以降でした。普段は学校の給食でしたが、日曜だけは母が毎週お弁当を作ってくれたのは今思えば感謝しかありません。

日曜には塾へ行くので、土曜の晩はそれまでの宿題をやっておかなければならず大変でした。「俺たちひょうきん族」を見るのもそこそこに、宿題をこなすのにいっぱいいっぱいでした。私立中学の入試問題がセットになった分厚い本と格闘して…それが小6の土曜の夜の過ごし方で、パラダイスとは程遠いものでした。

田舎住まいで外出しない家だったので、市の中心駅までバスで出てくるなんてそれまでほぼなくて「なんて都会なんだ!」と思いました。
通学路に信号がほぼなかったので、街へ出ると信号はあるわその時に音も出るわでビックリでした。そして何より人通りがいつも過ごしていた校区内の比ではありませんでした。

その塾は国算社理の4科目の開講で、それぞれに先生がいましたが、どう見ても50代以上、中には60代以上の先生もいたかもしれません。

算数の先生が、そのテスト協会の理事長でしたが、長谷川○男という方でした。当時57歳くらいの方で。国語の先生は三木○という方で60歳を越えていたかも、じじい丸出しのような言葉遣いで朴訥とした中に時々ユーモアも飛び出していました。理科の先生は名前知りません。豪快なキャラの方で、社会の先生は逆にまじめ風ののほほんとした感じの方でした。

他に、理事長の息子で「若先生」と呼ばれる方が時々出てきてました。何も教えないのに「先生」はないだろと思っていましたが、青ひげの濃い豪快そうな感じの人物でした。

毎月1度はテストがあって、順位や偏差値なんかも出されて、小学校生活にはそんなものはありませんでしたが、ここで学ぶと小学生からそういうものを知る事となりました。

夏には、塾の修学旅行もありました。小学校で行ったのと同じ伊勢志摩!しかしやる事が違くて「地曳網」なんかやって、海藻を標本に採ったりしました。帰りのバスのテレビは「太陽にほえろ!」のビデオが流されていたのを覚えています。

10月からは木曜の学校帰りに行なわれる「木曜特訓」がスタートしました。学校帰って、夕方に市内の中心地へバスで行き、この特訓は毎週姫路市民会館で開催され、夕食は地下のレストランでとっていました。
これで木曜日に放課後は友達と遊ぶことがなくなり、毎週見ていた21時からの「ザ・ベストテン」もほとんど見れなくなりました。塾が終わると帰りは終バスの21:35で、バスで20分、徒歩5分くらいで帰ると22時前後になっていて、たまに1本早い21:00発のバスに乗れると、半分弱くらい見れたかな、というところでした。

その後は土曜日も「土特」と称して放課後の授業…、どんどん勉強に傾き、普通の小学生生活は奪われていきました。半分望んで、半分望まなかった私立中学の受験…、後悔が2/3で良い経験が1/3というところでしょうか。。

そして年末は「ジャンボ宿題」なる、大量の宿題を家でこなして、年明けに持って行かなければいけない、というものがありました。何題問題を解いたのか…????

夏休みも冬休みも「集中講習」があり、そして2月は追込みという事で受験前の最終週は月~金まで集中講習で、この時は1週間学校を休ました。小学校の先生からは、国算社理以外の科目をさぼってたら承知しない、と公衆の面前で言われました。今なら問題発言ですが、当時は言われてもただ受け止めるだけでした。

その週が終わったら、塾の卒業式?がありました。姫路商工会議所で。最後に理事長の気合入れという事で握手をしたのですが、なぜかうまくいかず「気合を入れてやりよんじゃないか」と言われました。。

私立中学受験前に、その勉強の日々は終わりましたが、辛さと良い経験のないまぜの1年間、結局受験には落ちて、公立の中学行く事となり、3月末には坊主頭にしました。ひょっとして坊主頭にする必要がなければ、すんなり公立中学へ入って、もっと小学生らしい生活を謳歌できたのかも…と思う事もありますが、人生に山谷あってそれはそれでよかったのかもと感じます。

 

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