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ニュース

2010年4月25日 (日)

木村コーチに捧ぐ試合!

昨日4/24の巨人×広島戦は先日亡くなった木村拓也コーチの追悼試合として行われました。個人的に自分より若い人がこんな形で亡くなることは非常に残念でならない、思いつつ見ていました。うちは地上波以外見られないので試合終了まで放送してくれるNHKで中継してくれてたのは本当に助かりました。どうしても見たい試合だったので。

この追悼試合に恥じる事のない、すばらしいプレーが随所に出た試合でした。

結果として失敗に終わりましたが、広島の赤松選手の果敢なバント攻撃には木村拓也「選手」のスピリットが篭っているように見えたし、三塁のファールフライで巨人の小笠原選手が、球は取れなかったものの、スタンド内にダイビングしてしまうシーンにも木村選手のあきらめない闘志が乗り移ったようにも思えました。小笠原選手は木村氏とは巨人に来てから同僚となった年代の近い間柄ですが、共に日本ハムに入団しキャッチャーから内野に転向して主力に成長したという点では共通しています。

キャッチャーであり主将でもある阿部選手も木村コーチとは深い親交があったようですが、ホームランを放って、その想いを表現しているように見えました。

広島の選手たちは比較的若手の選手が多かったのですが、野手全員を使い果たすまさに全員野球で、また控えの位置にいる選手が個々の役割を全うしていました。野村監督は現役時代長らく内野手として共に活躍した間柄で、野村「選手」の控えとしても活躍し、巨人に移ってコーチになっていても敵味方関係ない思いで、木村コーチに捧げるこの試合に臨んでいたことでしょう。

荒れた試合になる事もなく投手戦で1点をめぐる攻防のしまった試合展開となっていましたが、それが急変したのが8回裏。広島は3勝負けなしで10試合で防御率0.00を誇り「勝利を呼ぶ」中継ぎエース、41歳の高橋建投手をマウンドに送りました。高橋投手の入団と木村コーチの広島移籍は同じ95年、まだ木村コーチはそれほどキャリアがなく同期入団に近い間柄なのかな、と察したりもしましたが。

その高橋投手が満塁のピンチを迎えたところで、代打のコールが…そこへ出てきたのは谷選手。37歳を迎えた今季は控えに甘んじ打率もまだ1割台という瀬戸際ともいえなくもない状況で、まさに起死回生の代打逆転満塁ホームラン

オリックスの主力だった頃から期待/応援してきた選手で意外にもこれが初の満塁弾だったとは。移籍当初は何で巨人へなんか来たのか?すぐにしぼんでしまうのでないか??と心配もしましたが、随所で存在感を発揮し今まで生き残ってきたというイメージで、まさにその姿が木村コーチとダブります。木村コーチと同級生で現役を続ける彼がよくここで打ってくれた、と思いました。

ヒーローインタビューで一番立ってほしい選手がたってくれたな、と。同級生ならではの木村コーチへの思い入れ、それもある程度の地位を築いて30歳を過ぎてからの巨人というとてつもない球団への移籍、そんな中で生き残ってきた二人…、谷選手が言葉を詰まらせたシーンに他の選手にはない木村コーチとの間柄というものを感じる事ができ、本当によい試合になったなと感じました。プロ野球の試合見て泣く事なんてなかなかないので。

2010年1月17日 (日)

小林繁さん 死去

今ニュースを見て、声を上げて驚きました。

巨人と阪神の両球団でエースとして活躍した小林繁さんが57歳という若さで亡くなったというのです。

球界広しといえど、巨人と阪神、この伝統ある両球団で共にエースを張った投手はこの人しかいないと思います。細身の体に甘いマスク、帽子が脱げ落ちるほどの独特のアンダースローは憧れの的でした。また昭和50年代のプロ野球を全速力で駆け抜けて、わずか31歳で、しかもその年13勝を挙げながら、あっさりと引退してしまった美学の持ち主でもありました。

現役時代には属さなかった近鉄や日本ハムで投手コーチを務めるという晩年はやや地味な役回りにも見えましたが、現役時代の華々しさたるや相当なものでした。

御冥福をお祈り致します。

2010年1月12日 (火)

最も日の出の遅い時期!

一年のうちで最も昼の時間が短いのは冬至である12月22日前後ですが、日の出時刻が最も遅いのは…

1月1~15日頃といわれます。

神戸の日の出時刻を見ると、きょう1月12日ではナント7時7分!

自分的にはもうとっくに家を出て、電車に乗って勤務地の駅に着いてます(笑

この7時7分がピークであす13日まで続きます。

これ以降は少しずつ早くなってきます。

起きた頃は当然真っ暗なんですが、そろそろ駅へ向かう時くらいは明るくなっててほしい、と思う今日この頃です。

2009年11月18日 (水)

高知県東洋町のリコール請求?

の有効性が争われた裁判なんてあったんですね。

四国の南東端のこの小さな町に…、、

そんな事はつゆ知らずこの東洋町を訪れたのは今年の8月末。

小さくてのどかな町でも色んな事があるもんですね…

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2009年11月 7日 (土)

祝!原巨人日本一!!

7年ぶり、原監督就任の年以来。

おめでとう

2009年10月14日 (水)

東京-大阪 67分!

リニア新幹線の中央ルートとやらで1時間ちょいだそうで、2025年開通を目指しているとか。

北海道-鹿児島まで新幹線全通はいつ実現して、どのくらい短縮されるのか、その辺も興味あります。

2009年10月 6日 (火)

ハム リーグV!

日本ハムのパリーグ優勝が今日決まりました。

といってもクライマックスシリーズなどがあるので日本シリーズに出られるかもまだ分かりませんが…

このまま巨人×日本ハムでいいじゃないか、と思ってしまうのですが…

リーグ優勝の値打ちの低い事。。

巨人×日本ハムといえば、かつては同じ後楽園球場→東京ドームを本拠地に持っていた球団同士。1981年の日本シリーズがまさにその戦いでした。

当時は巨人の現・原監督が選手として入団したルーキーイヤーだった年でいきなりレギュラーに定着し新人王を獲得しました。またエース・江川が20勝の大台に乗って最多勝、ライバル西本も18勝でこちらは投手の最高栄誉と言われる沢村賞受賞と両雄並び立った年でもありました。内野陣は中畑、篠塚、そしてベテラン河埜とこの布陣はしばらく不動でした。

日本ハムは…間柴投手が15勝0敗の勝率10割を達成した年だったでしょうか、前年は新人として木田投手が投手記録を総ナメする大活躍でしたが…。それまでエースだった高橋直樹投手が広島へ移籍し、代わって優勝請負人・江夏豊投手が広島から移籍、同じく広島から移籍の高橋里志投手も活躍しました。打線は…柏原選手が主砲というイメージがあります。あと古屋、高代といった内野陣、外国人のソレイタ・クルーズのコンビも共に強打者のイメージがありました。外野は島田誠選手のイメージが強いですね。

両リーグの優勝球団が決まってもまだ日本シリーズのカードが決まらない…時代は変わりました。

GWに北海道に行った晩に買った「ファイターズ・ヌードル」です。
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2009年9月27日 (日)

土井正三氏 死去

元巨人の土井正三氏が25日に亡くなられました。67歳。

一昨年の巨人5000勝達成を祝う試合でかつてのV9戦士が一同に会しましたが、その球場で車椅子に乗ってすっかり痩せ細った土井氏の姿がありました。かなり痛々しい姿に見えましたが、あれから特に何を聞く事もなく月日は流れていったのですが…

V9時代の真っ只中に生まれた自分にとって、V9とか長嶋の現役時代というのはリアルでは知りません。野球を見始めた小さい頃の巨人は第一次長嶋政権下のV9戦士がかなり高齢化していた頃でした。

柴田、高田(現・ヤクルト監督)、王といった面々と共にV9の生き残りとしてその土井選手の姿はありました。彼が打席に入った時、実況で「うるさい土井がバッターボックスに入りました」と言ってたのを覚えています。まだ小学低学年だったので「うるさい」が単にやかましいという意味でしかとらえられず、「別にペラペラ喋ってないじゃないか」のような事を思ってました。いつものように見かけていたのに、いつの間にか居なくなり、背番号6もいつの間にか篠塚選手がつけていた、という印象です。現役最後の78年も規定打席に到達し、ダイヤモンドグラブ賞まで獲ったのに引退していたというのを後に知りました。

その後は巨人のコーチなど歴任しましたが、91年にオリックスの監督に就任。この時はビックリしました。元巨人の選手が他球団で監督をやるなんて、と。。とかくイチローを見出せなかったように言われますが、イチローといえど新人からあのような活躍ができたか分からないし、ある程度2軍で実績を積んだから今があるのでは…という考え方もあるかなと思います。確かにそれまでのブルーサンダー打線は影を潜め、地味なチームになったなと感じました。後に大リーグで実績を作った長谷川投手が新入団したのもこの91年、一軍で投げても投げても勝てず0勝6敗までいったように記憶してます。かつて阪急で山田投手がつけていた背番号17の呪縛があまりにも大きいんじゃないか、と。。それでも最終的に12勝9敗で新人王を獲得し、土井監督がガマンして使い続けた部分もあるのかな、と今思えばそんな気もします。オリックスの3年間は優勝に縁がなく、結局後任監督就任時に花開くわけで不運だった部分もあります。

横浜・仁志選手が「土井さんが居なかったら今まで現役でやっていない」というくらい、巨人コーチとしての功績も大きかったのかな、と思います。

ご冥福をお祈りします。

2009年9月20日 (日)

シルバーウィークって…

ただただ人混みのようですね…

どこへ行っても人だらけ。

ホテルもどこもかしこも満室、ある意味GWや盆正月よりも混雑がひどいかも。

出かけるのは疲れるだけかも、ちょっとだけ出かけてもそう思いました。

航空運賃半額になる株主優待券、いつ使おうかな…というところです。

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2009年8月15日 (土)

やはり佐用行きは…

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姫路から佐用、岡山の津山、新見へとつながるJR姫新線ですが、やはり先日の大水害の影響で佐用周辺の電車の運転は見合せとなっていました。

姫路-佐用間にある播磨新宮駅から当の佐用までと、そこから先の沿線では兵庫県最後となる駅・上月(こうづき)から岡山県の美作江見(みまさかえみ)までが代替バス輸送、とありました。その間の佐用-上月間は??と思ったら、夜のみバスを運転するという曖昧な表現となっておりました。95年阪神大震災の時もしばらく電車が寸断された状態でしたが、今回もまた大きな被害となってしまいました。