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旅行・地域

2019年5月22日 (水)

滋賀/守山 ほたるの湯への道

滋賀県守山市、JR守山駅からの歩き旅です。

(2016年7月当時)

▼守山を初めて訪ねたのは2006年の事でしたが、駅前をチラッと見ただけのレベルで、とても旅するなどありませんでした。

それでこの2016年にちょっとだけではありますが、町の様子でも撮って温泉浸かってこよう、と行ってきたのがこの時でした。

そしてこれは守山駅前の商業施設「チカ守山」です。

守山駅西口と直結の格好で、シダックスなどがあり、地下へ降りていったその辺りに色々な店やエリアがあります。

市の中心駅前ではありますが、結構のんびりとした穏やかな雰囲気の場所でした。

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▼そのチカ守山の隣にある駅前の自転車置場周辺です。

いかにも昔ながらな建物、という感じで酒屋だったのが字が褪せたり消えたりしてる感じでした。

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▼これも駅前の一角です。

たばこ屋の看板が見えていますが、coca-colaの看板もかなり色褪せながら見えていたり、そして赤い郵便ポストがあり、何かと昭和を感じさせるスポットでした。住居の一角のタバコ屋さんというのが分かり易い建物でした。

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▼美戸津川(水戸津川)とゲンジボタル、という案内板がありました。

守山は「ホタルの里」として有名で、この川は守山ゲンジボタル発生の地として賑わったとされていると書かれています。

一旦水質悪化するも川の環境が再度整備され、これを維持する取組みがなされているようです。こうやって見るとカラッカラの川に見えてしまいますが…

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▼日帰り温泉を目指して歩く道中にあった「油池」という名のバス停で、守山駅から北西方向へ徒歩約5分程度の場所です。

守山駅西口の次のバス停で、この先は近江鉄道バスでは市民病院や警察署、立命館守山の中高などへと至ります。

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▼歩いて行くうちに出くわしたこの看板、目指すはこの「ほたるの湯」です。

やはり守山がホタルの里である事が、この名前からも窺えるかと思います。

守山へ寄った時に、どこへ行こうか?となり、駅から歩いて行ける「これ」という所を探した時、安直にも温泉を選んだ訳です。

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▼途中でこんなアパートに出くわしました。

かなり年季が入っているようで、倒壊の危険があるのか?軒下には柵がされていました。いずれ撤去するのでしょうか?

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▼目的地であった「ほたるの湯」には到達しましたが、そこから先に橋が見えていたので、行ってみたのがこれです。

野洲川橋という、そのまんま野洲川に架かる橋でした。

野洲川大橋というのが別に存在しますが、これとは全く違う橋です。

何連ものアーチを描いた構造で見栄えも実にかっこよかったです、壮観でした!

右側が普通の通行用の橋で、左側の壮観のやつは水管橋で「野洲川2号水管橋」という事で1977年にできたものです。

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▼さて、橋まで行ったところを少し引き返して、駅からの方向で左折の形にて入ってきました、この「ほたるの湯」の駐車場です。

温泉はこの左に隠れた部分にあります。

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ほたるの湯に着きました。

内湯には「超炭酸泉」があり、10分くらい使っているとかなりの保温効果があるという事です。

サウナは内にアロマオイルを使用した「ロウリュサウナ」と外には蒸気塩サウナがあります。ちょっとオーソドックスなサウナとは違うタイプのものでした。

外に露天風呂があり、寝ころび湯もありました。露天風呂は浴槽部分は真上が屋根で覆われ、露天感が今一歩という感じもしましたが、お風呂以外に休憩所周りが割に充実していたなという感じでした。

守山駅から少し歩けば着きますし、夜も遅くまでやっているので、そこはおススメどころかなと思いました。

守山の旅という程ではありませんが、温泉への道という事で、以上今回記事でした。

【守山天然温泉 ほたるの湯】

住所:滋賀県守山市吉身4-5-20

電話番号:077-514-0591

利用時間:10:00~25:00 (最終受付24:00)

入館料:大人(中学生以上)平日850円、土日祝450円

     小人(3歳以上)  平日450円、土日祝500円

HP:http://hotarunoyu.jp/

アクセス:JR守山駅西口より徒歩約15分

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2019年5月 9日 (木)

一畑電車/出雲大社前駅 (島根県出雲市)

島根県出雲市の一畑電車/出雲大社前(いずもたいしゃまえ)です。

出雲市ではJR・一畑電車/出雲市駅をupしていますが、これに続いての駅紹介です。

-一畑電鉄/出雲大社前駅
【路線】一畑電車大社線(川跡-出雲大社前間)
【開業】1930年2月2
【訪問】初訪問-1990年8
【1日あたり平均乗車人員】 280人/日 (2012年)
【近隣の都市駅(川跡方面)川跡駅→4駅 
                   出雲市駅→8駅 (川跡経由出雲市方面)
                   雲州平田駅→8駅 (川跡経由松江しんじ湖温泉方面)

▼電車でここまで来なかった為、ホームの様子の写真はありません。

代わりにといってはなんですが、改札出た後の駅舎内を天井中心に撮ったものです。

ステンドグラス調になっていたり、シャンデリアっぽくなっていたり、規模は中途半端ですが、オシャレ要素のある駅舎内となっていました。

この駅は、一畑電鉄の中でもメインの本線ではなく、本線途中の川跡駅という駅から「大社線」へ分岐しての終着駅となっています。

今は出雲市に属していますが、平成の大合併以前は「簸川郡大社町」という形で郡部に属していました。

この付近にJR大社駅がありましたが、1990(平成2)年4月1日をもって大社線廃止に伴い、その役目を終えております。今ではこの旧大社町にはJR駅は存在せず、一畑電車の駅のみが存在する形となっています。

ただ、この大社駅の駅舎はそのまま保存されていて、少し歩けばその勇壮な姿を見る事ができます。

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▼駅を出ると、出雲大社への参道が横に通っていて、駅を出て右向いてそのまんま突き当りまで歩いて行くと、そこは出雲大社です。

そしてその参道沿いには実に沢山のお店があり、さすが島根きっての観光名所・出雲大社だけの事はあるな、と思いますし時々「ここって島根県なのか?」という驚きにも似た感情を抱きます、それくらい賑やかです。島根県に住んでいた事があるのでついこのような表現をしてしまいますが、本来ののどかな島根県は大好きです。故郷に帰ったような気分になって。

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▼出雲大社前駅の駅舎です。

角と丸をふんだんに使った独特の形の駅舎となっています。

そして屋根の丸さと多数の縦線横線??が建物にものすごくアクセントを与えています。上半分は主に丸が使われ、下半分は角が多く使われている感じです。

出雲大社の前にありますが、そんなに大きな駅ではありません。

といっても一畑電車の沿線駅では駅舎があるだけでも少々格上感があり、ましてやこんな立派な駅舎があるという事で、一畑電鉄の中でも屈指の規模の駅という事になります。

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▼駅舎の真ん中部分のみのアップです。

窓の枠の組み具合というのか?独特のものがあります。

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▼この出雲大社前駅はたいそうな建物で、

登録有形文化財 (1996年)

近代化産業遺産(2009年)

と複数の指定を受けている素晴らしい駅舎です。

登録有形文化財は全国に約12,000件あるそうで、島根県には約200件あり、これもその1つに入ります。意外と多いのですね。

出雲大社へ歩いて行けるこの駅、素晴らしい建物遺産であるこの駅、

一度は訪ねてみられては??と推したいと思います。近くには平成の初めに廃駅後もそのまま残っている「旧国鉄の大社駅もあります。

そして島根県きっての観光地の最寄駅であります。

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2019年5月 6日 (月)

山電/中八木駅・藤江駅・林崎海岸駅 (兵庫県明石市)

兵庫県明石市の山陽電車/中八木駅・藤江駅・林崎海岸駅の3駅について、1駅ずつお送りします。

 

明石市ではすでに、JRでは明石駅西明石駅朝霧駅大久保駅魚住駅を、

そして山電では西二見駅、 東二見駅 、そして前回の山陽魚住駅、西江井ヶ島駅、江井ヶ島駅upしていますが、

これに続いてまたまた山電の駅御紹介です。

まずは中八木(なかやぎ)駅から。

-山陽電車/中八木駅-
【路線】
山陽電車本線(西代-山陽姫路間)
【開業】1923年8月19日
【訪問】初訪問-1986年8
【1日あたり平均乗車人員】 1,658人/日 (2017年) 
【近隣の主要駅】 (西代方面) 明石駅→4駅 
           (山陽姫路方面) 東二見駅→4駅
 

▼写真は2006年当時の様子ですが、13年経った今も大して変わっていないと思います。

駅名標の写真は撮っていないので、こんな写真からのスタートですが、今回記事の3駅ともに駅名標を撮った事がないのです。というのも、当時は駅名標を撮る事をしていなかったのと、その後近年訪ねていない等の理由によるものです。

で、これは改札周辺の様子ですが、この改札を出て、緩いスロープを下りて出口へと至ります。

前回記事の3駅と同様に2面2線のホームです。改札入ってすぐにホームという構造で、それもまっすぐではなく曲がって入る事になるというちょっと特殊な構造かと思います。改札入ってグルッと左向いて電車に乗る、みたいな。

この駅には1986年に初めて来たという、自分史上五指に入るレベルで古くに訪ねた所で、数少ない昭和時代訪問駅のひとつです。当時の写真があればベストでしたが、ここへ来たのは当時テニスの試合で会場となる高校(明石城西高校)へ行くためのものでした。その当時と比べても今と殆ど変わっていないように思います。

特急が停車する明石駅と東二見駅のちょうど真ん中にあって、どちらへ行くにも4駅を要する事となります。といっても山電の4駅なんてすぐですが…。

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▼両ホームは1970年に設置されたこの地下階段で繋がっていますが、この駅も御多分に漏れず、アートが描かれております。結構マリンな感じの絵ですね。壁全面に描かれているのではなく、パノラマ的に帯状に描かれています。

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▼駅前の駐輪場付近で、向こうが駅舎で、手前左が踏切になります。

この駅は旧浜国道沿いにあり、二位江井ヶ島や魚住等の駅とは、その辺りが少々違います。

明石の夜間急病センター明石医療センターなどの医療機関があり、明石城西高校はすぐ近くにあります。

明石城西高校はここを初めて訪ねた1986年当時は全くの新しい高校(1984年創立)でしたが、今ではそれなりに歴史ある学校になっています。

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▼自転車置場の横から踏切を越えて北上したばかりの地点で、駅は踏切越えてすぐ左というロケーションです。

昔の話すぎて記憶があいまいですが、1986年当時この辺りにお好み焼き店があって「超特大のお好み焼きを食べきったらタダ!」という事をやっておりました。高校生とかよく来ていた店だったと思いますが、食べ゛盛り世代を相手によくやるな、と当時から思っていました。

そのお店は当時から20年経ったこの写真当時でも「もうないんだろな…」と思いながらこの辺りを見つめていました。

どなたかこのお店のあった頃を知る方がいたらコメントください(笑)

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▼中八木駅の駅舎です。

旧浜国沿いに駅があり、逸れるとすぐこの坂という感じで建っています。

スロープがある分、ちょっと高い所に建っている訳ですね。

今はきっと駅名表示の部分がリニューアルされているかと思いますが、駅舎自体は特に変わっていないようです。

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次は藤江(ふじえ)駅です。

-山陽電車/藤江駅-
【路線】
山陽電車本線(西代-山陽姫路間)
【開業】1923年8月19日
【訪問】初訪問-2000年10
【1日あたり平均乗車人員】 1,762人/日 (2017年) 
【近隣の主要駅】 (西代方面) 明石駅→3駅 
           (山陽姫路方面) 東二見駅→5駅
 

▼ここも駅名標を撮っていないので、このホーム写真からです。こけもやはり2006年当時の様子です。

これは東側を向いた形で、明石・神戸・大阪方面になります。

この駅は周辺の沿線駅と少し違って、2面2線ではなく2面3線のホームを有しています。これによって優等列車の待避が可能な形となっています。

そしてまた「S特急」という通勤特急の停車駅であり、特急停車駅である明石-東二見間で唯一のS特急停車駅です。そんな事もあってか、ややホームが大きく、格上感があります。大抵はこの右側の2番線か、右向かいホームの1番線かがメインで、3番線は待避線です。

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▼こちらは反対に西側で、東二見や高砂・姫路方面となります。

他の沿線駅の御多分に漏れず、西側に改札があります。(中八木駅は変則的に南側ですが…)

他の沿線駅と違う点として両ホームを繋ぐのが地下通路ではなく、構内踏切になっています。

この写真を撮っている島式ホームでは、真ん中右に写っている部分が構内踏切で、左側の向かいホームとの構内踏切は、このホームの向こうにかすかに写っていますが、それぞれ違う場所へ改札付近から繋がっています。

改札からどちらの方向へも構内踏切で繋がっている駅というのも結構珍しいのではないかと思います。

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▼これは改札を入ってからホームを眺めた様子です。

真ん中の島式ホームと右側の1番線と全然長さが違っていて、それぞれのホームに繋がる構内踏切の位置も全然違う訳です。

写真を撮っている地点の道はホームではなく、単なる改札からの通路です。

なので、どっちのホームへ行くにしても構内踏切を渡る必要があるちょっと面倒くさい部分があります。

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▼上の写真の反対側になりますが、改札からの通路で、改札入っての通路を左向いての形となります。

この位置にトイレがあります。

改札は右奥に覗いて見える形であります。

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▼駅前の様子です。

右側の建物の向こうが駅になりますが、右の建物は洋服店など2つ3つ並んでいる感じでした。これは13年前の様子ですが、今もあるのでしょうか??

でその店の前が自転車置場になっていました。

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▼駅前のバス停です。先ほどの自転車置場とは反対側になります。

前記事から含めて、沿線駅で駅前にバス停があるような所が皆無で、そもそ駅前バスが乗り入れるようなスペースすらない状態ですが、この駅にはそのスペースがあります。大体が明石駅行きの便です。電車でも明石駅へは行ける訳ですが、バスならではのルート取りで行けるので、回り道するような場所へも行く訳です。

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▼駅向かいにある「藤江市場(藤江綜合市場)」です。

全国ベースかと思いますが、このような「〇〇市場」という施設が閑散として来ていると思います。1970年代はまだこのような市場に店が入りそれなりに活気はあったと思いますが、80年代に入り平成になるにつれて、全国展開のチェーンに浸食されて町野市場が消えていったのだと思います。

2006年のこの当時ですら、完全に店が埋まりきらず空きの出るレベルで、今は探してもこの建物すらロクに検索にひっかかりません。確認できたわけではありませんが、もう無くなってしまったとかあるのでしょうか?現役とも引退とも判然とした情報がなく、未だにどうなってしまっているのか??謎だらけで仕方のない状態です。

入口から入る時の閑散具合はなんともいえず、ゴースト感満載ながら、いくつかまだやっている店は、この時はありました。今は正直分かりません。

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▼藤江駅の駅舎です。1986年改築され現在に至るといいます。

昔はこの辺には藤江競馬場があり、その開催時期には臨時駅が開業していましたが、今から80年も前には無くなってしまっています。

やはり少々格上感があるというか、これ以西の沿線駅に比べると少し大きな駅舎という感がありました。

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次は林崎松江海岸(はやしさき・まつえかいがん)駅です。

-山陽電車/林崎松江海岸駅-
【路線】
山陽電車本線(西代-山陽姫路間)
【開業】1941年5月3日
【訪問】2003年1
【1日あたり平均乗車人員】 2,838人/日 (2017年) 
【近隣の主要駅】 (西代方面) 明石駅→2駅 
           (山陽姫路方面) 東二見駅→6駅
 

▼ここは駅名標を撮っていないのはおろか、ホーム内の様子も撮っておらず、駅舎のみのご紹介の形になりますが2009年当時のものです。

向こうに駅舎が見える形での駅前通りの様子です。昔ながらの飲食店という感じの建物が軒を並べていました。

その名の通り、林崎漁港が近くにあり、また松江公園というのもあります。元々は電鉄林崎という駅名で、他の沿線駅より少々遅く1941年に開業していますが、今も近くにある川崎重工の工場従業員の輸送を目的として設置された駅です(JR西明石駅も同様です)。

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▼という訳で林崎松江海岸駅の駅舎です。

川重の工場の存在もあってか他の沿線駅よりも利用者数が多く、駅規模自体はそんなに変わりませんが、建物のてっぺんがこのような三角屋根であったり、ちょっと差別化が図られているようにさえ感じました。

ちなみに駅名の林崎は「hayashisaki」と濁らず発音します。全部で12文字の長い駅名、周辺にそんなに多くはないでしょう。

ちなみにこちらは南側で海側となり、川重の工場は反対側となります。

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という訳で3駅続けましたが、この隣の西新町駅はup隅につき、明石駅以西の山電の明石市内全駅の掲載に成功しました。またどこかで明石駅以東をお送り致します。

2019年5月 2日 (木)

山電/山陽魚住駅・西江井ヶ島駅・江井ヶ島駅 (兵庫県明石市)

令和おめでとうございます。これからも良しくお願い致します。

令和一発目の記事として、

兵庫県明石市の山陽電車/山陽魚住駅・西江井ヶ島駅・江井ヶ島駅の3駅について、1駅ずつお送りします。

明石市ではすでに、JRでは明石駅西明石駅朝霧駅大久保駅魚住駅を、そして山電では西二見駅、 東二見駅をupしていますが、これに続いて山電の駅御紹介です。

まずは山陽魚住駅から。

-山陽電車/山陽魚住駅-
【路線】
山陽電車本線(西代-山陽姫路間)
【開業】1923年8月19日
【訪問】初訪問-1997年6
【1日あたり平均乗車人員】 1,332人/日 (2017年) 
【近隣の主要駅】 (西代方面) 明石駅→7駅 
           (山陽姫路方面) 東二見駅→隣駅
 

▼駅名標周辺です。

ここに初めて来たのは1997年の事ですが、今回記事は2016年訪問時のものを中心にお送りします。

魚住駅 はJRにも存在しており、こことは全く別の場所で、両者の距離は約750mあり、名前こそ同じですが接続もなく、全く別の駅です。

当駅の開業時の駅名はその「魚住」で、JR魚住駅より先に開業していましたが、この当時の国鉄魚住駅が開業した1961年に「電鉄魚住」駅へと改称する事となりました。国鉄優先という事なのでしょうか?

更に1991年に現在の「山陽魚住」駅へと改称して現在に至ります。これはそれまで「電鉄◎◎駅」であった、主にJRと被りのある駅名を変更した一連の動きのようです。

タクシーなんかで「魚住駅へ」という場合、JR駅かこの山陽電車駅かは結構重要になります、前述のように距離があるので間違ったら全然違う所へ着いてしまいます。

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▼改札を入った直後からの様子で、ホームは2面2線で、向かいホームへは右に写っている地下階段で移動します。

向かいホームの様子が左側に写り込んでいますが、屋根のあるエリアは少ないです。

沿線駅が大体こんな感じで特に独特なものがある訳ではなく、また特急停車もなく、特急への乗換は明石駅か東二見駅で行う事となります。東二見は隣駅なので良いのですが、神戸大阪方面は明石駅まで7駅を要します。

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▼改札周辺です。

改札内からのカットですが、改札出てからの駅舎スペースはこの券売機のあるあたりのみで、これを出るともう出口です。これも沿線駅ほぼ一様に同じですが、隣の東二見駅は特急停車駅でもあり、改札出ても両方向へ出る通路が設けられていて、これは別格です。

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▼駅前の様子です。

左側の建物の手前の道を左へ数十m進むと駅です。

いわゆる「旧浜国」とよばれる県道718号線から少し横道に入る形で、この形で建っている沿線駅が多く、当駅もこれに漏れずというところです。

駅付近には「住吉神社」というちょっとした神社があり、すぐ前には喫茶店が1軒ありますが、駅前通り的な特別のものはなくすぐにこのような市街地に入るという感じです。

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▼山陽魚住駅の駅舎です。

券売機の部分のみ駅舎内、と書きましたがこんな感じで、他の沿線駅も同様です。

基本的に人が滞留する想定はなく、どんどん流れていく想定なのでしょうね。駅が大きくなる可能性も感じられず、改築はしてもずっとこの規模なのかな…とここらに限らず沿線駅を見ていても思います。JRの魚住駅の駅舎は大きくなりましたが…。

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▼追加ですが、山陽魚住駅の駅舎2006年当時のものです。

駅名表示が建物横ではなく入口庇にあり、また「魚住駅」の表記でした。現在の表示が建物横にあるのは、構造上、横から入る形になっているので合っている(道から見て分かり易い)と思います。

駅名の通りに「山陽魚住駅」と呼ぶ地元の人は殆ど居ないと思いますが、大体は「山電の魚住」とかそんな感じです。

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さて、続いては西江井ヶ島駅です。

-山陽電車/西江井ヶ島駅-
【路線】
山陽電車本線(西代-山陽姫路間)
【開業】1923年8月19日
【訪問】初訪問-2003年8月
【1日あたり平均乗車人員】 1,666人/日 (2017年) 
【近隣の主要駅】 (西代方面) 明石駅→6駅 
           (山陽姫路方面) 東二見駅→2駅

▼これも2016年当時の様子を中心にお届けします。

先の山陽魚住駅の東隣の駅で、駅間は約700m、あっという間に隣駅です。

隣駅の表記は単に「うおずみ」になっていますが、この魚住駅と同日に開業しています。

開業当初は「江井ヶ島西口」でしたが、開業後20年ほどの1944年に現駅名に改称されています。隣に江井ヶ島駅があって、その江井ヶ島駅の西口と勘違いされるのを避ける為だったのでしょうか。

それにしても明石市には「西」のつく駅が多く、この西江井ヶ島、西二見、西明石といった具合です。

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▼駅名標を含めたホームの様子です。

山陽魚住とほぼ一緒ですね構造は。

違うのはベンチのカラーがピンクに塗られている事と、魚住駅のように掲示物がズラッと貼られていない事ですかね。

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▼ホームの様子です。

2面2線で、大体の沿線駅はこの形です。

上の写真は東側で、明石・神戸方面になります。

下の写真は西側で、姫路方面になりますが、こちらが改札側になり、あまり広く取られていないものの屋根があるのもこちら側になります。

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▼屋根のある側のホームを進んで行き、改札の見える所へ。

ホーム上の屋根のある部分と改札との間にまたこのような屋根のない部分があって、大半のスペースは雨の時は傘をもって待っておかないと、という事になります、これは沿線他の駅も同様ですが。

魚住駅では改札機はこれを左折した所に取り付けられていますが、当駅の場合は直進して改札を出る形となります。

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▼駅前の現在地案内です。

上が北になっていますが、この地図の最上部にJR山陽本線が通っていて、一方で山陽電車はこの最下部に位置していて、両者の距離感がある事が分かると思います。

JRは駅間距離が長いですが、この山陽電車は短くなっています。

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▼駅を出て右側の様子で、踏切が見えていますが、駅が右端に写り込んでいます。

ちょうど北を向いた形で、JR線側になりますが、距離がある為全然見えない状態で、ここから数百m歩く事となります。

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▼こちらは逆に駅を出て左側(南側)を向いた状態です。

こちらは旧浜国(県道718号)側となり、先の魚住駅同様に旧浜国から少し入りこんで駅に至るロケーションになっています。

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▼駅が左に出てすぐ、旧浜国との交差点にはこの「西江井ヶ島プラザ」という施設があり、この駅前では最も目立つ施設というところです。

一見賑わいがあるように見えましたが、それほどは人通りがないようで、ここで時間を潰そうとは思えませんでした。

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▼西江井ヶ島駅の駅舎です。

魚住駅は線路と平行に立っていますが、この駅は垂直に立っています。

駅規模的にはやはり魚住駅と同じですね。

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▼これは2003年当時の駅舎です。

やはり同じ駅舎ですが、駅名の表示看板がより正方形に近いものでした。

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さて、最後に江井ヶ島駅です。


-山陽電車/江井ヶ島駅-
【路線】
山陽電車本線(西代-山陽姫路間)
【開業】1923年8月19日
【訪問】初訪問-2003年2月
【1日あたり平均乗車人員】 2,422人/日 (2017年) 
【近隣の主要駅】 (西代方面) 明石駅→5駅 
           (山陽姫路方面) 東二見駅→3駅

▼駅名標周りの様子です。

この駅は魚住駅から東へ、西江井ヶ島駅と続いて、更に東隣の駅で、開業日は魚住、西江井ヶ島と同じ日です。

時刻表も載っていますが、だいたい1時間に4本で+αという感じです。これは先の2駅も同様です。

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▼上から順にホームの東向きと西向きの写真です。

やはり西側の方に改札機や駅舎がある構造となっています。

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▼これは向かいの改札(北側)の様子です。

屋根があるのはここだけという事で、今回記事の3駅とも同様でした。

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▼両ホームを結ぶ地下階段です。

魚住も西江井ヶ島も同じように地下階段で繋がっていますが、その様子を撮れていませんでした。

他の沿線駅でも多数この駅同様にこのようなイラストが見られます。

魚住駅では明石高専の生徒による作品が描かれており、この駅では江井島小学校の生徒による作品が採用されているといいます。

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▼駅前はこのような多数の自転車置場が真ん前にあります。

今回記事の3駅の中では、もっとも利用者数の多い駅で、共に特急停車しないのは同等ですが、その中でもちょっと格上感があるというのか。

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▼江井ヶ島駅の駅舎です。

下2枚中、上側の写真では自転車置場とセットの形で載せていますが、下側は駅舎オンリーにて。

前に自販機が並べられている点は先の2駅と違うところかもしれません。

ここから少し歩かなければなりませんが、江井ヶ島の海岸は海岸沿いの道路辺りが素晴らしい景色で、これはイチオシしたいと思います。明石の絶景の中にも十分入るレベルです。あとはこの延長上で「江井ヶ島酒造」という酒蔵ですね。この辺りは本当に観光の価値ありです。

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▼最後は、江井ヶ島駅の2003年当時の様子です。

やはり駅は同じです。この辺の駅は長年変わっていないものと思われますが、今後も変わる気がしなです。

自転車が駅前の通路まで置かれているように見えますが、撮った角度による錯覚で、実際はこの当時からも駅前の通路は確保されていました。

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といった形で3駅続けてお送りしました。

明石市には山陽電車の駅が多数あり、これについて未だ伝えきれていない所があるので、折を見てお送りしていきたいと思います。

2019年4月30日 (火)

大阪/交野 きさいちぃ散歩

  大阪府交野(かたの)市、京阪/私市駅からの歩き旅です。

(2018年12月当時)

▼交野(かたの)市の私市(きさいち)と、難読地名が続きますが、その私市駅を降りて程ない所にあった「天の川 散策マップ」

天の川ではありませんが、「天野川」という川が流れており、有名人の古歌に多数詠われているといい、そしたまた交野は「星のまち」を標榜している自然をウリにしたところで、大阪にあってこんな風に自然を前面に出したところはそう多くないと思うので、癒しを求める方にはとても良いかと思います。

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▼私市駅から高齢者・障がい者支援バスが1日8便このような時間帯で出ていました。

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▼これも私市駅前の一角ですが「交野市広報板」として色々なものが掲示されていましたが、やはり色んな所に色んな文化がある事を感じます。

で、交野というこの街にもいろんなイベントや開催事があるのだなという事も感じました、至極当たり前の事ですが「ここはどんな街なのか?」と疑問が湧く時、よけいにこの事を実感します。

TOEICもあれば太極拳教室があったり、環境フェスタなどもあったり、消防士の募集もキャラを登場させたり、色々でした。

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▼私市駅から出てすぐ左を向いた辺りで、既に住宅街に商店がついてるみたいな雰囲気でした。

この辺りは結構ガッツリ住宅街で、それ故先の天の川がウリにはなっているものの、それ以外のものを見つけるのがなかなか難しいものがありました。なのであまり「これ」というものは撮れませんでした。そういうものを探してはいたんですが…

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▼交野市のマンホールです。

真ん中を分断している形の横線は天野川のイメージで、市の木桜と市の花つつじがそれぞれ配され、更には市の鳥キジが添えられていて、「市の〇〇」でまとめられてしまっている感じでした。

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▼このあたりは「私市○丁目」という地名がつづく住宅街で、そんな住宅街に川沿いの家並みがありました。崖屋造りではないですが、それに似た感じの雰囲気が良かったです。

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▼私市駅前の広場と反対側へ出ての住宅街の一角です。

こちらは古くからの住宅街という感じで、いわゆるニュータウン的な感じではない、昔ながらの家々が立ち並ぶエリアで田畑もありながらのどかな雰囲気でした。

石垣塀から木が突き出しているのがとても印象的で撮ったカットです。石垣塀造る時にこの木を切らなかったのでしょうが、そんなに大事な木だったのでしょうか?カットとして面白いものになっていますが…

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▼私市駅の周りをぐるっと回るような形で、再度私市駅前広場側へ戻り、少し距離はありますが若宮神社というところへやって来ました。

270年からの歴史はあるようです。

広めの公園の中にあり、公園の延長上にある古くからの神社という感じです。

飾られている絵がインパクト大でした。龍が口から火のようなものを吐いていて。

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▼またまた私市駅を越えていく形で、ジグザグしていましたが、どの辺訪ねていいやら分からず、試行錯誤で?あちこち心の赴くままに歩いていたままの状態でした。とりあえず私市駅に戻るのはやめて、隣の京阪/河内森(かわちもり)駅へ徒歩移動する事にして、その道のりで写真を撮っていきました。

そんな中で、これらのブリキ版広告群に出会えました。

まだ全国各地に少し残っていますが、あればいちいち写真に撮ってしまいます。

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▼古めの住宅群を抜けると、こんなカントリーな感じの所へ出てきました。

「生産緑地地区」なんてあるんですね。

自治体によって指定された、農業などに使う用地であり、農地などとして残すべき土地、とされている場所です。

交野ってその名前からすると、都市的な雰囲気を勝手に抱いていましたが、その実は結構カントリーな要素に満ち溢れた街なんですね、という事を実際に訪ねてみて感じました。

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▼そしてこの辺りには結構お寺がありました。

これは浄土真宗「西念寺」というお寺です。

1624年に当時の私市の門徒さんの為に開かれたお  寺、と伝わっているようです。西念寺という名前は1719年についたといいます。

下側は門をくぐっての中の様子ですが、親鸞聖人像がありました。

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▼河内森駅へはこの道を向こうに進んで行きます。

田畑上の堤の上という感じの道路です。

河内森駅は駅舎の真裏に来てしまうと、すぐ傍にあるにもかかわらず、何百mも歩かなくてはならない超めんどくささがあり、これにも参りました。

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という訳で、これといった目を惹くものも大して見つけられず、私市駅から河内森駅まで来た感じの旅でした。

交野の街の一角の風景をお伝えしただけの格好となりましたが、名前のイメージと違って、星の里でカントリーな風景という大阪の市では珍しい所と思いますので、そんな事でアプローチして見ても良い街ではないかと思いました。

 

2019年4月23日 (火)

秋田/由利本荘② お城展望台で雨宿り

秋田県由利本荘市、 秋田/由利本荘① 本荘公園は4月が旬!!に続く由利本荘の様子です。

▼今回記事は本荘公園の様子の続編として始まりますが、左端に写っている展望台の様子をまずはお届けです。

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▼という訳で、本荘公園内の展望台です。

特に本荘城の何であったという建物ではないようです。公園内に展望台としてプチ城を模してつくっただけのものかな、と。

中に階段があって上れるようになっていたので、躊躇なく上ってみました。

この時、雨模様でもあったので、雨宿りを兼ねる意味合いもありましたが…

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▼階段周りの様子です。

下のフロアの内壁は基本白で、きれいな印象を受けました。ただただ白でした。

階段はサイドは白ですが、上面から見るとコンクリート色でした。

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▼主に2Fフロアの様子です。

しっかりした建物で、色々凝った形になっていたり、ちっょとした展望台とは侮れないものがありました。

ちっょと一休みにうってつけでした。観光客が詰めかける感じでもなかったので。ただ、今の時期は桜祭りで盛況になると思うので、あちこちに人が居ると思いますが…。

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▼公園の名にふさわしく、遊具コーナーもありました。

しかし城郭の公園らしく?落ち着いた佇まいの遊具コーナーで、子供の遊び場然としていない雰囲気でした。

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▼公園の塀は、お城の塀状の形で長々と続いていました。

そこに花畑がビッシリと続いている所もあり、白壁に色とりどりの花々というのがコントラストがきいたすごい良い風景を生み出していました。

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▼これは何の建物でしょうか…???

 

こたえは…

 

小学校 です!

由利本荘市立尾崎小学校というれっきとした小学校です。

何かの科学館みたいな雰囲気の建物でした。全然学校然としてない建物てすね。

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本荘公園の続きとその延長上、という感じでしたが、雨に濡れた由利本荘歩き旅、2編にわたってお送りしました。

2019年4月21日 (日)

JR金沢駅 (石川県金沢市)

石川県金沢市のJR金沢(かなざわ)です

金沢市は、石川県の中央部のやや南に位置し、人口は465,325人(2018.10.1現在)で、石川県の県庁所在地であり、北陸3県では最も人口の多い市です。

かつては加賀百万石の中心地として栄え、日本有数の美しい庭園「兼六園」があり、また海産物を中心に賑わう「近江町市場」の存在も有名です。

-JR・北鉄・IR石川鉄道/金沢駅-
【路線】
JR北陸本線(米原-金沢間)
      北陸新幹線(高崎-金沢間)
     IRいしかわ鉄道線(金沢-倶利伽羅間)
     北陸鉄道浅野川線(金沢-内灘間)

【開業】JR-1898年4月1日
    北鉄-1926年5月18日

【訪問】初訪問-1995年6
【1日あたり平均乗車人員】 JR-22,895人/日 (2017年) 
                  IR-10,619人/日 (2017年) 
                  北鉄-3603人/日 (2006年)  ※北鉄のみ乗人員

【近隣の主要駅】 (米原方面) 野々市駅→2駅 
           (高崎方面) 
富山駅→2駅  ※新幹線
           (倶利伽羅方面) 津幡駅→3駅、石動駅→5駅
           (内灘方面) 内灘駅→11駅
           (七尾方面) 
宇野気駅→7駅

●駅名標

ここへの初訪問は1995年6月で、もう20年以上も前ですが、その後1999年、2002年に寄ったりしていましたが、この記事ではまずホーム内は2009年訪問時の姿にてお送りします。

元々JR北陸本線の駅でしたが、2015年3月に北陸新幹線が開通して、当駅まで延伸されました。ここから西へは計画はありますが未開通の状態で、そしてこの写真の当時はまだ新幹線の未開通時でした。

今は北陸新幹線は金沢まである状態なのですね、敦賀まで延伸すると関西人から見て北陸に対しての新幹線メリットも感じられるのでは?と思いますが、現時点では北陸へはやはりサンダーバード頼りの感は否めないところです。

新幹線の開通によって当駅より西の新幹線未開通区間はそのまま北陸本線の駅となっていますが、新幹線の開通された当駅より東の石川県の駅は「IRいしかわ鉄道」の駅となり、更には富山県の駅は「あいの風とやま鉄道」の駅となっています。複数の路線に属していますが、どれかしら全て起点終点となっている節目の駅でもあります。

所属はしていませんが、北の能登半島へ向かうJR七尾線への乗入れもなされています。

JRと、以前JRであったIRはここで共同ホームとして使用され、北鉄金沢駅は改札を出て少し進んだ所に別にホームを有しています。

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▼これも2009年当時のものです。

今はもうないと思いますが、当時の金沢駅は「ホームにタコ焼き屋のある駅」として話題になった事がありました。

黄色と黒の縦じまでどこかの雰囲気満載でしたが…

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▼ここからは改札を出てからの様子ですが、以後は2016年訪問時の写真でお送りします。

これは金沢駅西口広場にある金沢市制100周年の記念モニュメントです。金沢市は1889年に市制化された為、1989年つまり平成元年につくられたということでしょうか。

このモニュメント、斜めになっているものは60°の角度との事で30°傾いており、高さは約20mもあります。未来へ向かって伸びゆく姿、を表現したものだそうです。

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▼西口である「金沢港口」の駅前の様子です。

どちらかというとサブ側で、後発で開拓された側という感じです。

それもあってか賑やか度合いは東口とはかなり違った感じでした。

ビルは大きいのが建っていましたが、何か取って付けた感がありました。すみません全てこれ感想ですが…

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▼金沢駅西口駅舎です。

駅ビルがホテルになっていて「ヴィアイン金沢」が入っています。

サブ側といえど、庇の部分は実に重厚でお金かかってそうな感じがしました。

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▼転じてメインの東口(兼六園口)の駅舎建物を出たばかりのところです。

この全体を覆っているものは「もてなしドーム」とよばれる巨大な総ガラス製の建物で、2005年に完成したものです。この2016年当時、2002年以来14年ぶりの金沢訪問(2009年はホーム内立ち寄りのみ)で、いつの間にこんなすごいものができたんだ?とただただビックリしました。

真ん中向こうにあるゲートは「鼓門(つづみもん)とよばれるこれまた立派な建物で、もてなしドームと同時にできましたが、これら含めて総工費は実に172億円!という莫大な費用が投じられたものです。鼓門だけでも3.5億円という巨費です。

ものすごい費用がかかってる訳ですが、さすがにこれだけのものが造られると、旅行者は写真撮る人が結構いました。

下の方には地下の様子も写り込んでいましたが、地下広場があり、北鉄の金沢駅へはここを下っていく事となります。

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▼駅を出てドーム内で、駅側に見た様子です。

この地点はまだ鼓門内なので門は写り込んでいません。

ドームの荘厳さがよく分かると思います。

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▼更に引いて、鼓門を含めた金沢駅東口駅舎の様子です。

もてなしドームと鼓門は立派すぎるぐらい立派で、金沢駅といえば…という存在ですが、逆に金沢駅の駅舎建物そのものがよく分からなくなってしまっています。これらすべて含めて金沢駅の駅舎と捉える、が正解なのでしょうか。

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▼先の写真にもありましたが、JR金沢駅の改札を出て地下へ階段とエスカレータが出ていました。

基本的に休憩や広場的なスペースで、地上の賑わいとは随分と違ったのどかな雰囲気でした。

普段はどうか分かりませんが、実はこの時団体行動をしていて、時間を切って個人行動になったのですが、この地下へ行き着くとそれまでの喧騒がうそのように静かで穏やかでした。

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▼地下へ下りて少し歩いて左側にこの「北鉄」(北陸鉄道)の金沢駅があります。

表記上は「北鉄金沢駅」となっています。

この隠れている右側に券売機があります。

ここは北鉄の浅野川線という路線ですが、この金沢駅から内灘駅までの6.8kmを結ぶ路線で、沿線全12駅のうち当駅を含む10駅が金沢市内で、のこり2駅は内灘町の駅という構成です。

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▼北鉄の切符です。

あまり時間もなかったので、とりあえず一区間だけ!ってことで、隣の七ツ屋駅までの切符を買って乗ってきました。

自動改札ではなくて、改札を通って駅員さんが押してくれる方式です。

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▼北鉄金沢駅のホームです。

駅舎はJRなどと共通で、改札は北鉄だけ地下にある形です。

北鉄の他の駅は基本的にホームだけの所が多く、地下でこれだけの立派なホームは始点であるここぐらいです。

北鉄の電車は1時間に2~3本で、日中は30分に1本出ている感じでした。

石川県の鉄道では、JR以外では「のと鉄道」とこの北陸鉄道くらいが目立ったところなので、これからも発展していってほしいものです。

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▼最後はおまけですが、1999年当時の金沢駅の駅舎です。

もう20年も前かと思うと感慨深いものがあります。

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2019年4月20日 (土)

秋田/由利本荘① 本荘公園は4月が旬!! 

秋田県由利本荘市、JR羽後本荘駅からの歩き旅です。

(2012年8月当時)

▼羽後本荘の駅から出てすぐ、このような大通りへ。

広い道路にゴツゴツした建物が続いていて、北海道の小都市の駅前にこんな感じの街並み多かった印象が強いのですが、ホントそれによく似た感じでした。

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▼道中に食堂の建物に出くわしましたが、既に「貸店舗」の表示が…

この名前で検索しても全然出てきませんでした。閉店後相当経っているのかもしれないですね。

昭和期には食堂としてさぞや栄えたのでは…?と思わされる雰囲気をすごく感じました。

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▼更に駅から離れる形で進んで行ったところです。

色んなお店や施設が並んでいる「幹線道の商店街」という感じの駅前通りです。

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▼由利本庄市文化交流館「カダーレ」です。

カダーレ、とカタカナ表記がされていますが、その名前由来は「仲間に入って」という意味の方言「かだれ」からきているのだそうです。

羽後本荘駅から西へ約300~400m程の地点にある複合公共施設で、図書館・公民館・教育学習施設などを持ち、文化ホールも有しており、2011年に開館しましたが、この時の訪問が2012年当時で、まだ出来たてのホヤホヤだったのでした。

それだけあってフォルムも斬新な建物で、BCS賞などの建築関連の賞も頂いたりしています。

前の道路の曲がり具合と建物の曲がり具合が妙にマッチしてる感じでしたが、そこを狙って設計しているのかもしれません。

建物の形そのものも実にユニークで、建物を見てるだけでも充分堪能できました。

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▼本荘は城下町の側面も強く、電話ボックスがこんなに立派なところもありました。

白壁の和風建築電話ボックス、なんとも贅沢です。

そしてサイドには城壁を模した塀が。

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由利本荘市役所です。

茶色と白のビビッドの色遣いがとても印象的な、学校風の建物でした。

てっぺんの部分が出っ張っているのも建物としてインパクトがあります。

旧・本荘市時代の1969年竣工という事で、建物として今年でちょうど50周年を迎えます。

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本荘公園として整備されている辺りで、塀は城郭風ですが、その周辺の木々や床面などもかなり整備されていました。

そして本荘公園の地図があり、由利本荘市の案内図や広域案内図まで並んでいました、この辺り由利本荘の観光のメインになっている事が窺えます。

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▼お堀周辺の様子です。

よく整備されて、水面はぼんやりと樹木が映っていました。

この時はあいにくの天気で、そのせいで霞んでいた部分があったのかもしれません。

本荘城は当時の遺構があまり多くなく、公園として整備され出したのは1990年代に入ってからといいます。そんな中で水掘は貴重な遺構のひとつです。

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▼復元された大手門です。

本荘城は、最上義光の家臣である楯岡満茂によって、江戸時代に入ってからの1610年に築城されたもので、元は「本城」であったようです。

門をくぐれば本格的にお城の公園です。

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▼大手門をくぐって公園スペースへ。

このような庭園状のスペースや、芝いっぱいのスペースなどがありました。

そして正面には階段がデンと構えていました。

その階段の辺りから大手門へ向かっての眺めが3枚目の写真のカットです。

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▼石段を上がった先の公園案内図です。

昔の城郭感の溢れる地割というか、そういうものをすごく感じました。

桜の名所として秋田県内でも屈指の地のようで、東北地方の桜の開花時期を考えると、ちょうど今この時期がまさに桜の最盛期ではないかと思います。

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▼その階段を上って行ったところには、本丸の館として休憩室的な建物と「修身館」として本荘のまち・歴史・文化などを学ぶ体験学習的な施設などがあります。この建物へもまた階段を上っていきましたが…。

修身館は本荘城三の丸にあった藩校「修身館」からそのまま名前が取られていますが、利用状況としては年間1万人強の方々が利用されているようで、その中でもこの4月の利用者数が断然多く、桜祭りなどの影響大との事でした。やはり今が旬なのですね、この本荘公園は。

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▼本荘城の本丸跡に鎮座している「本荘神社」です。

右側には稲荷神社が建っていて、これと並ぶ形で存在しています。

例祭が4月28日にあるという事で、これまたもうすぐな訳で、桜の見ごろと共に色々とあるこの界隈です。

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満州開拓の碑というのがありました。

正式表 記は「満開拓の碑」とさんずいの付く形でした。

もうすぐ平成も終わり令和を迎えますが、この日は平成元年に設置されたとありました。

中国にある満州国への「由利郷開拓団」が結成され、秋田県派遣の開拓団の中でも最大規模の人数で大きな成果を上げたという事で、ここにその功績を讃える形でつくられたようです。

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▼本荘公園には色々なものがあり、何故かこんな鳥の大きなケージがありました。

インコのような鳥が1羽確認できましたが、あとはいるのかいないのか分からない状態でしたが…

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▼由利本荘の街を見下ろした様子です。

平山城である本荘城なので、少し高い所へも行く訳で、それなりの街の眺めが堪能できます。

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▼本荘神社周辺の様子です。

桜の時期などの賑わう時期を除けば、割と穏やかでのんびりした感じで見られると思います。観光客で賑わうという感じではありませんでした。

ただこの時はそれに輪をかけて、雨天でもあり出歩く事自体が失敗だった感がありました。

その為に少し雰囲気の出たカットになったかな、という感じはしますが…

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一旦ここで切って、主要な建物に焦点を当てて次の記事にてお送りしたいと思います。

2019年4月11日 (木)

福島/須賀川 花火ボータンの街

福島県須賀川市、JR須賀川駅周辺の様子です。

(2006年8月当時)

▼「EKIMAE-DORI」ってそのまんま駅前通りです。

何故こんな外国人にも分かりにくい表記にしたのか?と思わなくもありませんが、昔は結構スタンダードな表記だったかもしれません。

今から13年ほど前の景色ですが、ここはあまり変わっていないのでは?と勝手に思っています。

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▼ある地点の道路標識です。

空港の街・須賀川だけあって福島空港への標識が出ていました。

空港へは須賀川駅から約12kmの距離にあり、15~20分で着くと思われます。

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▼須賀川の滞在は時間がなかった事もあり、短時間であったので、あまり遠出はできていませんでした。

そんな中でここは最も駅から離れて訪ねた地点ではないかと思います。

須賀川駅から南へ約400mの所で、「釈迦堂川」に架かる橋です。欄干の部分に灯籠状のものが建っていて、ただの橋ではない所が感じられました。

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▼冒頭に「EKIMAE-DORI」とあった訳ですが、今度はもっと長い名前の通りに出くわして、そこもしっかりローマ字表記が長々となされていました。

その名も「釈迦堂川花火通り」です。先ほどの釈迦堂川から取られた名前で、名物の花火とくっつけての命名と思われ、須賀川は空港の街であると共に、「花火の街」でもあり、こんな名前の通りもあるわけだ、と納得したのでした。

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▼駅に程近い地点、歩道の花々がとってもきれいでした。色も鮮やかさに溢れていて。

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▼須賀川が花火の街である、事の象徴的なものがこのマスコットキャラクターの存在です。

この時は2006年という時期でまだ「ゆるキャラ」など流行っていなかった頃で、こういう2次元キャラクターはよくあったな、というような時代でした。

このボータンは、須賀川市のマスコットキャラクターですが、プロフィールがここにありました

    ↓

http://www.city.sukagawa.fukushima.jp/3403.htm

平成6年3月28日生まれというかなりの先駆け的存在で、まぁいえば25歳な訳です(笑)

三次元スタイルもあるのですね → https://www.facebook.com/sukagawacity.botan/

ボータンの名は火祭りの火のボーっと燃える音のイメージ化と思ったら、加えて「牡丹園」のボタンからも来ているとは!

あまり遠出できなかった須賀川ですが、今度来る事がアレば少しはじっくり訪ねてみたいものです。

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2019年4月 9日 (火)

新潟/燕 雨に煙るスワローシティ

  新潟県燕市、JR燕駅周辺の様子です。

(2015年1月当時)

▼駅前広場にあった燕市街図です。

かなり色褪せたままになっていて、市名を名乗る駅前の広場にある地図なのにこんなもんで良いのか??と思ったものでした。

こういうところひとつ取っても観光に力を入れているかどうかも窺えるというものです。観光側面よりも市内の各施設の案内図的な側面が強いようです。

川の曲がり具合がすごく特徴的な街でもあるなと感じます。

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▼実質的な燕駅前の駅前通りで、これを入ったばかりの地点です。

この時は雨雪の舞い荒れる中での訪問となってしまい、まともな景色は撮れないわ、写真撮るのもままならないわで大変でした。

殆どの写真が雨や雪が線状になってのカットになっているかと思います。

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▼上の写真から進んですぐの所です。

駅前であっても軒の庇がめくれ上がったきりになっている建物もありました。

この時は終始あいにくの天気でしたが、道路が水面のように映えて、あちこちで建物が写り込んでいました。ここもそんな一端が窺えると思います。

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▼右側の渋い建物に「雪印メグミルク」の新しい看板の組み合わせがどこか妙な感じで撮ったカットです。

そして雪印の看板に雪が叩きつけていました…

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▼こちらは全面レトロ感満載といったところ、昭和から時が止まってる感に満ち溢れていました。

看板の字体など、今の時代で書かれる文字とは思えないほど?でした。

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▼上の写真で右側に見えていた建物です。

あまりの渋さにどんなたいそうな建物か??と思っていましたが、

「理髪店」でした。

燕の街で個人的に最も印象的な建物でした。

そしてここはまた「燕本町」のバス停でもありました。

ちなみに燕は昔は「津波目」と表記したそうです、津波という事ではないと思いますが、水とかかわりの深い街ではあったのだと思います。

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▼そしてまた街を歩いて、悉くというくらい古い建物に出会っていました。

建物は古いのに、道路はピッカピカで不思議な光景、燕の街ではこういうのばっかり目にしていたような気がします。

それぞれ昭和何年にできた建物なのか??アプリで年代を特定できたらいいのに…と思わされます。

それにしても今度は一度、好天の時に訪ねたいものです。

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より以前の記事一覧