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旅行・地域

2017年7月22日 (土)

大阪/高石 お城からお寺へ、華麗なる転身

大阪府高石市、南海/高石駅からの歩き旅です。

(2012年9月当時)

●史跡顕彰板マップ

高石駅前にあったMAPです。

小学生の郷土関連の本にあるような説明が書いてありました。高石市となったのは、1966(昭和41)年の事で、意外と新しいというかようやく50周年を迎えたところです。市域は東西4㌔南北6㌔とあり、古事記日本書紀の頃からその名が出ていたといわれています。

また海岸の美しさから多くの和歌に詠まれたともありました。この地図を見ても西側はきれいに海に沿っていますが、この高石で実はあまり海を見ておらず、今こうして記事を書きながら、この地図を見るまで、その事に全く気付きませんでした。確かに沿線の駅でも「浜」の名を有するものが多いですが、「松ノ浜」「高師浜(たかしのはま)」など…。

日露戦争時代には大規模な捕虜収容所があったとも記されています。

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●紅白と提灯と

ズラリと並んだこの提灯群はインパクトがありました!!

「綾井」とありますが、住所表記上の地名に綾井というものはなく、字名かと思われます。

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●綾井地区提灯連

提灯は上の写真のように固められているものと、このように通りに面して連なっているものとがありました。だんじり祭りのものですね。 「わが街の情熱!だんじり祭り」と銘打たれていました。高石は岸和田同様にだんじり祭りが盛んで、台数も多くあるといいます。

そして立派なだんじり小屋を有しています。かつては地区の東西に2台もだんじりを擁していたものの、昭和には一時廃れていてだんじりのない時期がありましたが、1983(昭和58)年にだんじりを購入し、この写真の翌年となる2013(平成25)年には30周年記念式典が行われたそうです。

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●寄付金

だんじり祭りの開催には欠かせないものと思いますが、寄付金の額と名が記されていました。しかしこのかっぱえびせんに出てくる海老みたいなので字が隠れてしまっているものも少なからずでした。

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●ポスター

「高石だんじり祭」のポスターが貼られていました。

この時は2012年で10/6・7と開催され、訪ねたのが約10日前であったので、本番を控えて気運が高まっていた頃、というのがこれを見て改めて分かりました。だから提灯が連なっていた訳ですね。そう思うと良い時期に訪ねたなと思います、大体の場合が偶然なので。

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●城蹟山専稱寺

高石駅から南東へ約5分歩いた所にあるお寺ですが、ここはかつて綾井城とされていた地です。門の前の石橋の下に濠らしきものがめぐらされていて、お城であった事を思わせます。城跡であった事からこの山号を用い、また寺名は簡単な表記では「専寺」となります。

応仁年間に沼間清成という人物により築かれたとあり、やがて1544(天文13)年にこの城跡に本寺が建立されたとあり、既にその頃には廃城になっていたようです。敵に攻められて火がつけられたなどという説明も一部では見られました。このようにお寺の真ん前に濠が配されているのは珍しい事といわれています。元がお城であったというその経歴ならではですね。

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●専稱寺境内

最後はこの写真です。

立派な本堂がありました。

「法然上人八百年…」と標柱があり、浄土宗のお寺である事が分かります。それは門の所にも書いてあるので分かりますが…。

高石駅に着いて、歴史的な側面に手っ取り早く触れたいと思ったら、このお寺を訪ねたらよいと思います。やはり寺の真ん前にお堀があったり特異な地形は見ものではないかと思います。

また訪問時期については、だんじり祭りの直前である10月初旬より少し前だと町じゅうに提灯がめぐらされ活気づいているかと思います、全くの偶然の産物ですが…。ダイレクトにだんじり祭りを見たければ、今年は10月8日(土) 9日(日) に開催されるそうです。詳しくはコチラ 

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2017年7月19日 (水)

青森/むつ 大きな湊のストーリー


青森県むつ市、JR大湊駅からの歩き旅です。

(2009年8月当時)

●駅前風景

これもまた実に8年も前の風景を記事として紹介していく事になります。

駅記事をupしたのさえ6年も前で、街の風景のupがこんなに遅れてしまいました。

駅を出て、駅前広場からの目線ですが、この旅館はまだ現役のようで、HPもありました。素泊まりだと4,000円というリーズナブルぶりです。

下北半島の中心都市としての役割を担っているのかと思いますが、場所的にアクセスが難しい位置になってしまうので、少々取り残された感を受けました。真ん中の建物は色々更新されてそうですが、両サイドは昭和から止まったまんまっぽかったです。

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●駅前商店街

この大湊駅前は駅前広場からまっすぐ伸びている道路がなく(上の写真で土産物屋や旅館があったように)、駅前がT字路になっていて、線路と平行に商店街が連なっています。

商店街らしい2連の真ん丸街灯が並んでいますが、建屋は昭和感満載のコンクリート色丸出しのものがズラリと並んでいました。

幟も連なっていて「結集!!青森力」というものでした。これは当時の東北新幹線の新青森までの延伸開業に伴うキャンペーンのキャッチコピーでした。当時は八戸までの新幹線運行で、この1年4ヶ月後に新青森までの80km余りが延伸開業される事となり、開業を控えて気運が高まっていた頃ですね。この大湊駅からだと新幹線の最寄りは、この時延伸された七戸十和田駅になりますが、直接つながっていないので正直殆ど影響はないという感じですが…。

右手前は昭和のパチンコ店でしょうか?いかにも廃墟という感じですが、「OOMINATO CENTER」とありました。今はこんな雰囲気で、車が通り過ぎるだけのような感じでしたが、かつてはここにこぞって買い物客が押し寄せたりしていたのでしょうか??

下側の写真のネブタ館という建物のシャッター画がかなりのインパクトがありました。「むつ専門店会催事場」と銘打たれていますが、催事スペースだったのでしょうか?

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●蕩蕩水

大湊駅からT字路を左折して程ない地点にあった湧水です。

この辺りには「大湊湧水群」とよばれる名水の湧き出るエリアが形成されていて、ここはその1つであるという訳です。美味しい水ではあるそうですが、管の部分のサビのようなものが少々気にかかり、見るに留めました。この時は湧水群とは知らず、単に水の出ていた場所という認識しかなかったので、湧水群と知っていればこれを巡るのも面白いかと思います。

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●海へ向かって

大湊駅前十字路を左折して国道に入り、西へと歩いて行くと今度はY字路に出くわし、そこを左折し、更にまたすぐ左折したのがこの道路です。

距離的に大湊駅から200mもない距離で、まだまだ駅近です。これをずっと向こうに進んでいくと、海へと至ります。まだまだ商店街の雰囲気でした。

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●ネブタ??

海へ向かうところで、ネブタらしきものとその蔵と、遠目に出くわしました。

人がそこそこ集まっていたようで近づくのは避けましたが、練習をしていたのか?分かりませんでした…。蔵といっても専用の蔵という感じではなく、町工場の空きスペースが蔵のように使われていた感じでした。

青森(市?)のねぶたは企業ねぶたである事に対して、ここの大湊ねぶたは主に地域住民の手によって創られるもの、という事で、この分も見ていて手づくり感というか、地域ならではの自由さというか、そんなものを勝手に感じていました。ちょうどこの時期(8月第一週末)が祭りの時期で、この訪問が8/9であったので、終わった後の片づけか何かだったのかもしれません。

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●海へ来た!

ようやく海へ出ました!歩いて500mほどで海辺に辿り着けるので、気軽に行けます。

駅の裏から行くのが距離的には短い訳ですが、駅の構造上難しい状態です。

海というより正確には「陸奥湾」になります。青森県の東北部で斧みたいな形になっている部分を下北半島といいますが、その斧の下部分で囲まれている辺りが陸奥湾です。(下写真地図参照)

半島南部のぐるっと囲まれている中にあるので、ここでの対岸は北海道ではなく、青森県の野辺地辺りになります。この大湊駅からのJR路線が野辺地まで繋がっているので、陸伝いに対岸まで電車路線で通行している事になります。

1枚目の写真の木造の小屋は今は使われているのかな?とか撮っててふと考えます。もし使われていたらすごいなと思いますが…

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●大湊駅の裏の顔

陸奥湾から内陸へ向けて、ちょうど大湊駅の裏手にあたり、先ほど書いた大湊駅の裏から行けば海へは短距離、とはこういう事です。この草地を行けば近いのですが、駅出口はこの反対方向にしかないし、ここからでとまともな道がないので、まっとうに行こうと思ったら、この記事でのルート取りになります。

駅の左手にでっかく見えている建物は「ホテルフォルクローロ大湊」です。じゃらんで見てみたら、\6,000で泊まれるという事で、建物が立派な割にはリーズナブルな感じです。

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●漁協

いかにも海と感じられる施設はテトラポット、海水浴場…とありますが、この漁協の建物も「海」を感じさせてくれる施設です。その建物と、対岸からの様子とを載せました。

ホタテ養殖、定置網が中心との事で、この辺りはホタテ養殖が盛んだそうですが、ここではそのホタテの加工などもしているそうで、県内の八戸や弘前など主要都市に直売所を設け、ホタテの販売拡大に努めている、とありました。ホタテの販売といえば、昔々故安岡力也さんが「ホタテマン」として「俺たちひょうきん族」で活躍して、ホタテの売上に貢献したという話を思い出します。

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●ホタテセンター

という訳で、これはまさにホタテの加工/直売所です。

インターネットでの販売(⇒HP)もやっていて、遠方からの注文も可能な状態です。

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●教育機関エリア

むつ市立大平中学校や青森県立むつ工業高等学校などの名前が並んでいてこの一帯が学校が密集しているエリアである事が分かります。文教地区とでもいうか。偶々でしょうか、この辺りの地名は「文町」といいます。京の字ですが。

看板には書かれていませんが、大平小学校というのも付近にあります。

看板にある真ん中のものがよく読めませんが「青森県立 むつ高等技術専門校」です。これはいわゆる職業能力開発校というものです。

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●駅前道(東)

当初、大湊駅前T字路を西へそれて、南へ海側へ回って行きましたが、海側を東に進み、さらに北上し、とちょうど一回転するような形で戻ってきています。

これはその一回転しようかという、大湊駅前道の東側にあたります。西側が昔ながらの商店街であるのに対して、こちら側はコンビニがあったりある程度イマドキ?といえるかもしれません。この写真は約8年前のものですが、大湊駅のすぐ前では今でもコンビニはここだけのようで、駅から徒歩3分とされています。他には駅から15分の所にローソンがある、とされており、これだけのようですね。

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●大平神明宮

上の写真の道路を大湊駅へ向かって西へ進む中にあったお宮です。

大平村 新高観音堂という名をもち、1560年に当時の城主であった竹花因幡という人物が兜の前立ちに頂いた黄金の観音像を御神体として祀ったのが最初といわれています。

田名部海辺三十三観音巡礼地のひとつで、その十六番札所とされています。下北半島を中心とした巡礼ルートですが、約270kmにも及ぶ長さになるといいます。

上側の写真は「神楽殿」として拝殿のサイドにある形ですが、ここで神楽が今でも奉納されているといい、例祭として毎年9月8日に山車が町内を練り歩き、それとともに神楽もあるという事で、このような木造建物が未だ活用されているのも素晴らしいものですね。

いちばん下の写真に手水舎らしきものがありますが、明治十四年と刻まれています。1881年のものがそのまま残っているという事でしょうか。「大平村」の記載がありますが、この8年後の1889年には合併で大湊村となっています。

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●間もなく駅!

これを進めば、左手に大湊駅へ分岐する交差点に差し掛かります。

青森銀行や郵便局など金融機関が見られたり、建物の密集具合も密になってきており、ピンポイントではありますが、市の中心駅の駅前感が濃い街並みとなっています。

向こうに提灯が並んでいるのが見えるのは、ねぶた祭りの名残?と思われ、時期的なものだと思います。今年ももうすぐ、このような風景になるのだと思いますが。

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●みそ貝焼き

最後はこの写真です。

大湊駅へ戻ってきました。そこにあった看板です。

下北の郷土料理として「みそ貝焼き」というものが挙げられていました。

ちなみに読みは「みそかやき」と読み、「みそかいやき」「みそがいやき」と読むものではありません。凝った料理ではなく、「なまぐさな料理」として紹介されており、「おかず考えたくない」「買い物に行きたくない」の考えのもと、冷蔵庫の有り合わせでつくるもの、とされています。

江戸時代に陸奥湾の漁師がホタテ貝を鍋代わりに味噌を溶き、稗や粟の飯と共に食べていたのが起源とされています。後に卵を溶いて食べる形になったようです。

この店で食べる事ができるようです。隣の下北駅を最寄に3km程度離れた所のようです。ちなみにこの大湊駅では食べられる店がよく確認できず、コンビニかあるいはホテルなどの方が食べるものがあるのかもしれません。

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2017年7月18日 (火)

岐阜/土岐 トキの流れと共に…

岐阜県土岐市、JR土岐市駅からの様子です。

(2005年8月当時)

●駅から目線

土岐市駅を出て眺めた様子です。

何せもう12年も前の姿なので、今はどうなっているか…というところですが。駅記事の紹介からも6年経ってしまい、今やこの当時の画像を残しておいて良かったレベルかもです。

これ以来確か土岐には行っていないと思うので、もっとちゃんと巡りたいと思います。この時もホント駅前をちょこっと歩いただけでした。まず訪問を優先していた事もありまして。

時計の向こうは「よろづやビル 土岐パセオビル」として今も存在しているようです。マンションの下の階にこのビルテナントが入っている格好でしょうか。一見、昭和からの小規模パチンコ屋かと思いましたが…「TOKI PASEO」という表記と色遣いなどが。

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●商店街

昔ながらの歩道のみアーケードつき商店街が駅前にありました。土岐市駅前(南側)を直進した所です。

ここから12年経ってこの形を保っているのか?と思って調べてみたら、2015年にアーケードの撤去工事が行われたといいます。老朽化が著しいという事で、2F部分は商店主の住居スペースなのでしょうか?昭和40年代を中心に建てられたものでしょうか??写真撮ったら各建物の建設年代が特定できるアプリでもあればいいのに、と思ったりしますが(笑)

そんな事で、この辺りの様子も変わったのでしょうね、こういうのを聞くとまた行かねば、という気にさせられます。この姿は今は亡き姿になった訳で、貴重なカットとしてここにあげる事ができて良かった、と思います。この土岐駅前はかつてアーケードがあったのだ、という事を伝える事ができるので。

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●中央小橋

土岐市駅から南へ200m程直進した所に小さな川があり、そこにかかっている橋がここにある「中央小橋」です。

昭和7年に竣工し、平成7年には修景されているというこの橋、普通の小橋よりちょっと金かかってる感があり、欄干の部分にちょっとした柄が入っています。

下側の写真には「ビジネスホテル土岐」への案内看板が出ていました。土岐市駅から南へ直進し、この中央小橋を渡って左折し、100mも行かないうちにあります。この辺りは、JR沿線で恵那、土岐市、瑞浪、中津川…などと小さめの街が続いていきますが、このようなリーズナブルなホテルが少しずつあったりします。

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更に駅から進んで行った様子です。

右側の手前にバス停がありますが、ここは今はEDIONが入っています。当時は分かりませんが、建物からして到底元々EDIONであったとは思い難いですね。

左側ですが、今Google Mapで見ると、殆ど更地になっているようで、これら店店は現存しないようです。

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●商店街終点

上の写真で向こうにゲートが小さく見えていますが、これでした。

ハートキアと銘打った土岐市商店会のゲートです。しかし今ハートキアで検索してもほとんど出てきません。これもGoogle mapで見ましたが、現在このゲートは存在しないようです。

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●中央橋

土岐市駅から、商店街→中央小橋→商店街→中央橋と、南へ直進したのが今回記事のルート取りです。中央小橋の方は小さな川に架かる橋ですが、こちらは土岐川という幅の広い川の上を流れる橋です。

土岐川は庄内川の岐阜県内を流れている部分で呼ばれているものです。

この河川敷では、毎年7月に花火大会が行われ、今年もその「土岐市織部まつり」というものが、7月23日に行なわれるそうです。

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●土岐市駅へ戻る

最後は土岐市駅に戻った様子です。

コンクリート色丸出しの懐かしげなビルがそこかしこにあって、さすがに12年も経てばこの辺も変わってしまっているかな、と思ってこれまたGoogle Mapで確認すると、今もほぼこのまんまで返ってビックリしました。

いつも鮮度のない記事ばっかり書いていますが、実質的に鮮度は保っている、そんな街もある訳ですね。ここの場合は、駅前はそのまんまで、商店街が構造の変革を迫られているという感じで更地になったり、アーケードが撤去されたりしているのですね。

いずれにしても駅から直進しただけで終わってしまったので、次の訪問機会をつくって、もう少し深い旅らしいことを今度はしたいものだと思っています。

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2017年7月 8日 (土)

北海道/北広島 ここは北のヒロシマ!

北海道北広島市、JR北広島駅からの歩き旅です。

(2013年4月当時)

●マンホール

北広島市のマンホールです。

「とんぼ」?かと思いましたが、妖精が向かい合っているのだそうです。

北広島駅に「エルフィンパーク」というのがあると駅記事に書きましたが、そこでも小妖精を意味する言葉が入っており、北広島が「妖精と出会える街」を標榜している事もあって、マンホールにもこれが反映された格好となっています。

特に妖精にまつわる歴史があったようではなく、自然豊かな地形からキャッチフレーズとして打ち出されたようです。

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●石造りのお店

北広島駅より程ない地点に、このような石造りのお店がありました。

「南インドスープカレー 天竺」というお店で、HPもありますが、1997年に札幌市の清田という所でオープンし、ここ北広島にもお店がある(この2店のみの模様)という格好です。

こうして数年前の写真に載っているお店を調べてみたら既に廃業しているという事も少なからずですが、ここのようにHPも残って食べログにもちゃんと残っていたりすることもあって、そういう変化の有無を確認するのも個人的な楽しみの一つでもあります。「前に行ったあの店、今どうなってるかな?」というの、ありますよねsmile

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●北広島商工会

商工会議所です。

市役所と比べて意外とインパクトのある建物が多い、と個人的に思っているのがこの商工会議所で、やはり建替機会が少ない(であろう)のもあって、渋い建物である事が多いと思います。コンクリート色そのままの色の物とか。しかし、この建屋も手前部分の屋根の具合といい、いい感じに渋いなと感じました。

商工会のHPを見ると、日本ハムの本拠地移転構想に乗っかって、誘致活動を盛んに行なっているようです。札幌ドームから移転しようという構想があるんですね、それに驚きました。

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●カトリック北広島教会

レンガ造りで横長の素晴らしい教会です。

前の記事で万田坑の事を書きましたが、その事もあってかすっかりレンガ造りの建物に目が慣れてしまいました(笑)

バックには高層マンションがいくつも並んでいました。

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●天使幼稚園

「広島天使幼稚園」というインパクト絶大な名前の幼稚園がありました。そのまま「てんしようちえん」と読みます。看板は「広島」「天使」「幼稚園」とそれぞれ色違いで表現されていて、より目立つというものでした。

と、書きましたが、カトリックの幼稚園として多く使われている名前であると分かりました。本園もカトリック幼稚園連盟500校余りに属しているといいます。

駅記事でも書きましたが、広島県人が集団移住したきたという経緯があり、北広島市という名前になっていますが、地元では単に「広島」という表現が使用されている事も少なからずのようです。「きたひろ」とか「ひろしま」とかの表現をあちこちで見かけました。

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ヒロシマの願い

街を歩いていて行き着いた「開拓記念公園」です。北広島駅より北東方面に徒歩約15分という事で、北広島市役所の向かいとなります。

そこで見たものは、広島市との交流であり、また広島から「被爆石」が寄贈されており、これをここに設置していました。あの悲惨な戦争を再び起こさせないように、そんな願いが強く込められている事が伝わってきました。

「北広島市市制記念」として、ここに平成8年9月1日と刻まれていますが、この時に市制化されており、時期的にはかなり珍しいのではないかと思います。平成の大合併よりかなり前ですが、個人的にはもっと昔から市制化されていたのかと思っていたので意外でした。

ちなみに広島市との姉妹都市提携は結ばれておらず、実は広島市と1980年に提携が結ばれています。広島からの開拓移民の中に現在の東広島市域の方も含まれているとの事です。

提携のもと、昨年はここ北広島の小中学生14人が東広島市へ「子ども大使」という事で訪問したというニュースがありました。姉妹都市提携のイベントってあるものなんですね。

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●開拓記念公園

1984(昭和59)年に開基100周年を記念して造られた公園です。

上の写真はその一角の様子でしたが、この下の写真は結構メインというか、開拓記念公園で検索してよく出てくるカットです。

やはりなんといってもこのタイル状の通路はインパクトがあります。階段上の真ん中にあるオブジェは「飛躍」を表わしたものだそうです。

面積としては7,271㎡という事で、大体80m×90m程度ですね。

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●きたひろしまの歴史

かなりひびが入ってしまっていますが説明板がありました。

ここでの歴史年表は1889年の道路開通から始まっていますが、1884年に広島市の段原地区から和田郁次郎(1847-1928)ら25戸が移住し、開拓した事に始まります。段原といえば広島では路面電車の駅名として存在し、またこの姓の方も居られるということで、広島市を象徴する名前といっても過言ではありません。

開拓は容易ではなく、温暖な瀬戸内地方から来た移住者には北海道の寒さは厳しく、凶作に見舞われた事もあり、しばらくは移住をシャットアウトして開墾に務め約10年の時を経て軌道に乗ったようで、ここを「広島村」として初めて、広島の名が自治体として誕生しました。

その村が1968年に「町」になり、1996年には現在の「北広島」市となっており、年表にはここまでが記されています。

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●元町通り

公園を抜けて街へ出てきました。

「3-4-216元町通」とあり、バス停は「中央1丁目」とあります。

通りにこのような数字があるのがいかにも北海道ですね。この数字が表わすものとして昔どこかで見た記憶があるのですが、今ググってもなかなか出てきませんし、まずこういった形の標識自体が面白いほどヒットしません。標識とか通りの番号とかで検索しても何も出てこず、別な言葉で検索した方が良いのか、、とにかくサッパリ分かりません。

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●ショッピングつむら

細々と営業している感のスーパーですが、ブログをやっていたりもします。

タイトルには38年間営業しているとありますが、どこを起点にしているのか?とにかく今まで40年くらい営業し続けている老舗スーパーですね。味付けジンギスカンが名物的存在で、羊を一頭丸ごと買いして、特性のタレに漬けこんだものだそうです。スーパーとしては異色ですね、しかも地方スーパーとしては。

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●北広島東記念館

会議室や集会室、和室など借りる事の出来る施設のようです。

調べてもなかなか出てこず得体の知れない感じでしたが…、入口のゲートの辺りが昭和感の濃い感じでした。

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●北広島市中央公民館

東記念館のすぐ傍にある東広島市の中央公民館で、かなり立派な建物でした。

1974年築という事ですが、この(2013年の)直後の2015年5月にリニューアルオープンしたという記事がありました。

さまざまなサークル活動が行われていたり、ダンスパーティーがあったりなどというのも見かけました。

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●Joshinと空きビル

右の空きビルは名前の部分が欠落していますが、「ハマダビル」と思われます。フジカラーのお店は今はなく、右半分は既にこの時全く何も入っていないであろう状態でした。かつては動物病院などが入っていたようでした。

左のJoshinだけが残っている?と思いきや、この訪問の2年半後になる2015年11月に閉店を迎えたそうです。おそらくここに写っているものすべてが今や稼働していないと思われます。

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●廣島神社

最後になりますが、廣島神社です。

先述の和田郁次郎らが広島からの移住途中に伊勢に参詣し開墾の成功を祈り、移住後に彼らの守護神的な役目を担って奉斎されたとあります。3度の改修歴があり、現在の建物は1980年12月の造営との事です。廣島という名前ではあるものの、北海道らしい重厚な屋根はここだけ色が濃いのでよく目立ちます。重くのしかかってる感がすごいです。

下側の写真の「開村記念碑」は、広島村開村25周年を記念して1908年に建てられたもので、この看板はその100周年にあたる1984年に当時の広島町として記されています。開拓記念公園のできた年と同じですが、ここにとって記念すべき年であった訳ですね。

北広島は広島からの移民の力で今日を築き、それがまた自治体名にもなった訳ですが、和歌山から千葉に来て、自治体名まで持ってきた例になんか似ています。北海道にあるけど広島の心もここにはあるのかな、という事を感じさせられました。

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熊本/荒尾 世界遺産登録記念!万田坑を往く

熊本県荒尾市、JR荒尾駅からの旅です。

(2016年11月当時)

●バスのりば

荒尾駅前のバスのりばです。

今回旅記事で、いつもの「歩き旅です」としなかったのは、歩きではなくバスを使ったからですsmile

元々この荒尾を初めて訪ねたのは1997年4月の事で、自分にとっては熊本県最初の訪問地でもありました。当時はこの駅から歩きで少し山の方へ行って桜を見たりしていたのですが、それ以外にこれという旅をしておらず、記録もあまり残っていなかったので、いつかちゃんと再訪しようと思っていました。荒尾駅は駅記事での写真とほぼ同じ、市の中心とは思えないほどの小規模駅舎で、そこは今も変わらずでした。

そうして、いつか再訪したいと漠然とした思いの中、ふと目にしたJRのキャンペーンポスターに「万田坑(荒尾市)」と載っていて、「これは行くしか!」と思いました、しかも世界遺産登録されたのもありまして。そんな事で昨夏辺りから訪問時期を探りつつ、11月になってようやく行けたという次第で、今から半年ほど前の姿です。(おそらく今とほぼ変わりないと思います)

まぁそんなこんなで、バスで万田坑へ向かう事としました。ダイヤ的には1時間または2時間に1本というところです。平日はコンスタントに1時間に1本ですが、土日祝は午後に少しずつ空きがあって2時間に1本となる部分もあります。バスでは8分程度、歩いても行けなくもないですが、少し頑張る必要があります、実際帰りは歩いて帰ってきましたが、ちょっと頑張る事となりましたcoldsweats01

表:土日祝日ダイヤ(荒尾駅~万田坑)
所要時間約8分

荒尾駅前万田坑前
9時05分 9時13分
10時05分 10時13分
11時05分 11時13分
12時05分 12時13分
14時05分 14時13分 
16時05分 16時13分
17時05分 17時13分

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●万田坑バス停

荒尾駅からバスに乗る事8分で万田坑に着きました。

バスは1時間に1本という事で、逃したら少し退屈してしまうところでした。タクシーも停まっていなくて、バスで行くしか…という感じで待っておりました。

帰りのバスは見ていたのですが、少しタイミング悪く、待ち時間が長くなる事となったので、待ちきれずに歩いて帰ったら結構しんどかったです。

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●顔抜き看板

ようこそ万田坑へ!的な看板です。日付もちゃんとありました。

黒バックというのがいかにも炭鉱ですね。昭和を知る方には有名な「三池炭鉱」、その中心的存在がこの万田坑であった訳です。20世紀初頭がピークで、その後はエネルギー資源転換により、石油に次第にその座を奪われ、1951年に採炭を停止し、1997年には閉山という歴史を辿っています。

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●万田坑ステーション

また駅に来たみたいな感じになっていますが、向こうの建物は「万田坑ステーション」という万田坑の導入部を担う建物で、入場券の販売や万田坑DVDの映写室などを有しています。

ただ、この中に入って万田坑を見学するのではなく、ここで手続きしてDVDを見てからは、一旦この建物を出て、写真右向こうへ歩いて行く形で、万田坑の見学へと繋がる形です。

手前のオレンジの重機がすごく目を惹きました。炭鉱とは対極にある鮮やかすぎる色で。

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●万田坑の案内

上の写真の入口部分、低い柵を越えてすぐの所にある説明板です。

世界遺産ではありますが、これに先んじて1998年には国指定の重要文化財になっていますが、息を飲むような近代文化遺産が一帯にたくさん詰まっています。

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●万田坑自販機

万田坑を構成する建物群の色で統一された、万田坑自販機です。

真ん中は空き缶入れですが、両サイドの自販機含め、万田坑の建屋群の勇姿が刻まれている、そんな感じです。

いちいち「万田坑」って書いてあるところが地味な機体に似合わず、精一杯アピールしている感がありました。

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●入坑券販売所

同じく万田坑ステーション入口にある入坑券販売所です。

上の段の青い部分が大人料金の券で410円です。あとは高校生が300円、小中学生が200円となっています。

「入坑券は跡地にてスタッフが確認いたします」なる記載がありました。ここから入る訳ではなく、この建物を出てから跡地へ入り直す方式になっています。そこで券のチェックをするという訳ですね。

ちなみに跡地へ行くとトイレがないので、トイレはこのステーションの方でお済ませ下さい、の旨の記載がありました。

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●入坑券

世界文化遺産、と冠されています。

荒尾にこんな施設があるとは、初めて訪ねた20年前には全く知りませんでした。

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●跡地への道

ステーションで券を買って、施設の中へ入ってみました。

すると、そこは万田坑の事を伝えるDVDが映されていて、観賞用の椅子が並べられていました。またその鑑賞スペースだけでなく、万田坑の模型や展示パネルなどで部屋内は埋めつくれさていました。

そしてそのDVDを一通り見てから、万田坑ステーションを出て、この道を道なりに曲がっていきつつ、向こうのテント辺りで左に入って、万田坑の跡地に入って行った訳です。

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●万田坑跡地 入口

ステーションを出て3分くらい歩くと、この跡地に辿り着きます。

特に派手なゲートとか歓迎看板とかある訳ではありません。ただ、この入口の所ではステーションで購入した入坑券を見せる事となり、ここで券がなければステーションへ行って購入する事になります。

また、ボランティアさんがかなり待機していて、いつでも声をかけて下さい的な態勢で待っておられました。ガイドをお願いしたい時は助かると思います。大体何人かまとまった団体さんであったり、その場に居合わせた数人組を纏めてガイドしたり色々ですが、かつての遺構が何のために存在し、どんな機能・役割を果たしていたのか?を知る事ができるので本当に助かります。この時、つまみ聞きではないですが、たまたま居合わせて色々お梨を聞かせて頂きました。

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●案内図

跡地構内にある万田坑案内図です。

国重要文化財であり、国指定史跡であり、そして世界遺産なのですね。記事タイトルには「世界遺産・万田坑」などと書きましたが、入坑券にも記されていますが正確には

「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」

という長ったらしい括りの世界遺産の中のひとつに「三池炭鉱・三池港」があり、この万田坑はその三池炭鉱に包括されている炭鉱、という位置づけです。なので「姫路城」のような単体のものとはかなり世界遺産のイメージが違います。、

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●レール跡

万田坑にはいたる所にこういったレールが残っています。

その上に乗って動いていたと思われるトロッコなども。

拙ブログの「兵庫/養父② 遥かなる明延鉱山…」には復元レールが見えますが、同じ鉱山産業(つまりは鉱業)遺産の素晴らしさをつくづく感じるというものです。

復元も良いのですが、原形をとどめるという事もまた素晴らしからずやですね!維持努力という要素もある訳で。

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●山ノ神祭祀施設

万田坑で働く人々の安全祈願のために1916年に分祀されたもの、という事でこの訪問した2016年にその100周年をめでたく迎えた訳ですね!

炭鉱マンは入坑前に自らの安全を願って、この山ノ神の方に向かって拝礼をしていたといいます。

炭鉱の仕事というのは危険と隣り合わせというイメージが個人的に強くて、実際自分の幼少期はバリバリの昭和時代で、炭鉱事故のニュースというのは幼いながらも何度か聞いた事があり、被害も甚大になるので本当に怖いなと思っていたものでした。坑内崩落、ガス充満、海水流入…いろんな危険と常に背中合わせだった訳ですから。

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●倉庫およびポンプ室

20世紀初頭に建てられたもののようです。

元々は構内の換気を行う部屋であったようで、蒸気を動力とする扇風機が備えられていたとありました。その後は予備の消火器などを置く倉庫として使われたり、坑内から汲み上げられた水を送水するポンプ室として利用されたりしていました。国重要文化財だそうです。

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●ミックス建屋

ここまで見てきてレンガの建屋が多い印象の強い万田坑ですが、この建屋はレンガをメインとしながらも?右かコンクリートがついていたり、手前は取って付けたように木の建物があったり、これはどういう状態なのか??という感じでした。

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●レンガの中…

レンガ建屋の内部ですが、経年具合が一層このスペースを渋いエリアに仕立てているなという感じで、今なかなかこんな通路に出会う事はないですね。左手前のプラ板みたいなのに白文字で書かれたものも懐かしさ満点です!

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●安全燈室および浴室

「〇〇および△△」が多いですが…、ここもまた扇風機を動かす機械室であったといわれ、1951年の万田坑閉坑に伴って、このタイトルの部屋になったそうです。

ヘルメットに付けるランプの充電器もあったといいます。

浴室についての記載は特にないですが、閉山後浴室ができたとはこれいかに??というところですが。

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●第二竪坑櫓

「だいにたてこうやぐら」と読みますが、高く建っているこの櫓の事です。荒尾駅前にも模擬のこの建物が建っていて、万田坑の象徴的な建物といえます。

1905(明治38)年に建てられて、既に100年以上経っています。高さは18.9mあり、人員の昇降などを主目的につくられたもので、ちなみに第一の櫓は石炭を送り出すためのものであったといいます。

この櫓の足下にある建物は手前には給湯タンクや重油タンクなどがあります。で、向こう側のトンネル状になっている部分は見学できるようになっていて、そこではガイドさんが色々と教えてくれました。

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●トンネル部分

その見学スペースのカットをお送りします。

トンネル入口部分には、トロッコが空のまま、外で取り残されてる感じでした。

中に入ると地下との昇降設備があり、その昇降用のエレベーターの中身が残っていました。この地下に行く時の緊張感たるやいかなるものだったのでしょうか。それとも慣れてくるとルーチンワークのような気持にもなったりする人も居たのでしょうか。今は埋められていますが、地下264mに達する深さまでエレベーターで降りていたといいます。

信号を送る設備?などもあり、何の合図は何回とか、規定として記されていました。

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●第二竪坑 巻揚機室

先程の昇降機の巻揚機のある所で、室内を見学できます。

入口のところでヘルメットを渡されて、ヘルメット着用でガイドさんの説明を聞いていました。ボロボロになった設備もそのまま残っていて迫力を感じました。

後で知りましたが、ガイドさんの中には実際この万田坑で働いていた人も在籍しているといいます。この時教えて下ったガイドさんもかなりご年配の方ででしたが、あるいはOBだったのかもしれません。

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●その他

最後ですが、坑内は建物やレールで埋まった場所ばかりでなく、下の最初の写真のようなスペースもありました。柵が中途半端な状態になっていますが、これもまた当時の様子からそのままにしている感じで、その下のレンガの残骸と思われる写真同様、変に小奇麗に復元しないところが返って惹きつけられました。

看板は外にあったものですが、ここでは世界遺産の旨が堂々と謳われていました。入坑券と同じ写真が使われ、バックデザインも似ていてチケットがそのまま看板になったような感じでした。

というわけで、世界遺産と知り訪ねた万田坑でしたsign03

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2017年7月 2日 (日)

JR岐阜駅 (岐阜県岐阜市)

岐阜県岐阜市のJR岐阜(ぎふ)です

岐阜市は、岐阜県の南西部に位置し、人口は404,749人(2017.5.1現在)で、
岐阜県の県庁所在地で、かつては大規模な繊維問屋街として栄え、長良川の鵜飼
も有名です。

新幹線の駅がある県でありながら、この県庁所在地である当市に新幹線駅がない
という状態であり、これは
佐賀県(新鳥栖駅のみ)や群馬県(高崎駅と安中榛名駅)、
滋賀県(米原駅のみ)
等と同じ形です。

ここ岐阜の場合は名古屋が割に近くあるという事や新幹線のルートによる部分も
あると思われ、当県では岐阜羽島駅のみが新幹線駅として存在している状態です。

-JR岐阜駅-
【路線】
JR東海道本線(東京-神戸間)
      高山本線(岐阜-猪谷間)

【開業】1887年1月21日
【訪問】初訪問-1993年7月
【1日あたり平均乗車人員】 31,656人/日 (2015年) 
【近隣の主要駅 (東京方面)尾張一宮駅→2駅 
           (神戸方面)穂積駅→2駅
           (猪谷方面)鵜沼駅→5駅


●駅ホーム

ここへ初めて訪ねたのが1993年の事でありますが、その後2005年、2010年など
に何度か訪問していますが、本記事では
2011年訪問当時の写真をお送りします。
(ここ5年くらい行ってないかな…というころでもあり)

JR東海道本線に属しながら、高山本線の始発駅でもあり、この美濃から飛騨地方へも
つながる交通の要衝的存在です。

名鉄にも同名の「岐阜駅」がありますが、少し距離があり、ここから出て北へ
200~300m程歩いた所にあります。降りて真ん前にあるという感じではないので、
「別の場所」という印象が強いです。

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●ホーム2

向かいのホームから線路越しのカットです。

ちなみにホームは3面6線あり、東海道本線では上りが1・2番線、下りが5・6番線、
高山本線が3・4番線という構造になっています。

このホームに名鉄岐阜駅があればもっと便利だと思うのですが、距離的には
200mくらいでも、出てすぐに視界に入らないので、全く別の距離がある所、
にしか思えないですね個人的には。

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●駅前噴水

駅前広場に噴水がありました。

ビル群をバックにすると画になるな、と思って撮ってみたものです。

個人的には右向こうに写っている中日新聞のマークを見ると、岐阜駅前に来たな
という事を実感します。

この噴水、夜見るともっと綺麗ですよ。

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●駅前広場から

の景色です。

末広がりの階段が、本当に漢数字の「八」のようで、なかなか縁起良さ気な
雰囲気でした。どこかスタジアムのような雰囲気を感じました。

階段を下りてからの広場スペースも広く取られていて、ゆったり感は満点です。

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●黄金の信長

駅前の象徴的存在となっている「黄金の織田信長像」です。

右手に持っているのは鉄砲でしょうか。

織田信長といえば、尾張というイメージが個人的に強くて「岐阜??」と思ったの
ですが、1567年に信長は岐阜に入城して天下統一の足掛かりとしていき、同時に
この地を「岐阜」と命名したのも信長だといわれており、非常につながりの強い
存在だったのですね。

確かに信長にとって美濃という地は、マムシとよばれた斎藤道三がじっくり腰を据え、
なかなか攻略できない所で、斎藤家の代が変わったところが狙い目だったのかなと。

2017年、信長の岐阜入城・「岐阜」命名の450年を記念してプロジェクトが立ち上げ
られています。 ⇒ コチラ

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●夜の噴水

夜は駅前が広範囲にわたってライトアップされており、どこもかしこもとにかく
綺麗です!

噴水はこの時はあまり出ていませんでしたが、このようなブルーラインを描いて
いるかのようでした。

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●駅前ネオン

昼間の風景で撮っていませんでしたが、駅の2F部分から街の様子を眺めると、
なかなか素晴らしいもので、夜にこれを撮るとこんな感じになります。

通路脇の何の変哲もない?柵が、夜になると一転してブルーに染まり、
ピカピカネオンの一帯をけん引しているかのような存在になっています。

ブルーラインが曲線を描きながら、向こうへ伸びていっている姿はまさに
「近未来都市」さながらの雰囲気でした。噴水を中心としてアレンジのスポットライト
が当たっている感じも素晴らしかったです。

最近、各町で駅前の夜のこういったライトアップの類があって、とても綺麗ですが、
岐阜駅の夜景もなかなかのものです。

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●岐阜駅 駅舎

駅舎前に通路が出ていたり、だだっ広い駅舎であったりして、なかなか全体感が
分かるようなカットが駅前では撮りづらく、これは泊まっていたホテルから見下ろして
撮ったものです。その分詳細が分かりづらいかもですが…

通路があちこちに伸びて立体交差している様が分かります。高架駅になってから
このような形になったのでしょう。1997年に高架駅が完成し、2004年には高架化事業
が完全終了されたとあり、1993年に初訪問して2005年に再訪するまで、一連の
事業が行われていたところだったのですね。

県内の大垣駅に比べると高さでは低いですが、横の長さは断然長く、さすが県下を
代表する駅、というところです。

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●1993年の岐阜駅

最後に、初訪問時の駅の様子です。

1997年に高架駅になる前の岐阜駅の姿ですが、この時期に訪ねて写真に残して
おいてよかったとつくづく思います。

駅舎の形や構成物、前に停まっているタクシー、すべてがゴツゴツ感に満ち溢れて
いるような、そんな印象を今となっては受けます。てっぺんの看板類も当時を象徴
していて、こういうスタイルの駅舎って今やかなり少なくなり、寂しくもあります。

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2017年7月 1日 (土)

石川/野々市 御経塚遺跡・先人の営み

石川県野々市市、JR野々市駅からの旅の様子です。

(2016年11月当時)

●野々市駅出口

今回記事は野々市駅を起点とした旅の様子、ではあるのですが、まずこの写真は
野々市駅の中から外を見た様子で、冒頭リンクつけている駅記事にも同じ写真が
あるのに、改めてここで載せています。それは何故か…??

駅記事は2008年8月訪問時のもので、今回記事のこの下にある写真は2016年11月
訪問、8年ぶりの野々市訪問となった訳ですが、この間に野々市は「町」から
「市」に昇格になりました
!!2011年11月11日という 「11.11.11」
の記念すべき日に市になった訳です。

そんな訳で、この出口への看板も「野々市へようこそ」と何気なく変わっています。
駅記事では「野々市へようこそ」となっており、英訳もTOWNからCITYに変更されて
います。

よって駅記事は町の時代、今回記事は市の時代なので、駅の様子と今回記事の
街の様子は連動はしていない状態です。

それにしても「野々市市」と、市の字が続く市は三重県の四日市市や現在は東近江市
となった『八日市市」、あとは広島県の廿日市市くらいしか思いつかず、〇日市市以外
では、ここが唯一ではないでしょうか?

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●駅前バス停

野々市駅を出てすぐの所にあるバス停ですが、標識が2本立っていました。

右側は白山市のコミュニティバスで、左側は「のっティ」というこの野々市市の
コミュニティバスです。2つの市のコミュニティバスが並び立っている状態でした。

白山市コミュニティバスは「東ルート」なるものが入っていて、ここ野々市駅から
白山市の中心地である松任駅までを約40分で結ぶコースが運行されています。

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●駅前ロータリー

左側が野々市駅という形でのカットで、駅前広場を横から撮っている格好に
なります。

町から市へと自治体的には昇格しましたが、特にこの駅前の目立った変化は
ないようで、とりあえず駅舎規模は変わっていませんでした。

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●野々市市交遊舎

野々市駅北口すぐにある多目的ホールとでもいうべき施設でしょうか。

会議室やホールなどを借りる事ができ、7,000円で会議室1室を9時から
22時まで借りる事ができます。(1時間ごとであれば600円!)

ホールは200名程のキャパシティなので、あまりこれというイベントが行われて
いる訳ではないようです。

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●装通り

野々市駅から北へ300m程の地点で、向こうにはニトリが見えています。

そんな所で、このようなコンクリートの千本鳥居のような?地下道がありました。

地下道って個人的には都会の象徴のように思っているので、あってビックリしました。

ゲートの入口部分には「装通り」とあるのですが、検索しても皆目出てこなくて、
ここの通りの事をそう呼んでいるのか何なのかサッパリ分かりませんでした。

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●川沿い公園

野々市駅から北へ、駅のすぐ西を流れる川に沿って進んだところにある公園です。

野々市市での見どころを探しながら歩いていたのですが、そこで出てきたキーワードは
「御経塚」でした。この名のついた遺跡があるという事で探していたところ、この地名に
出くわして、この公園が遺跡??と思って見ていましたが、違いました。本当に
単なる公園でした。遺跡の方はこの後、別の地で見つける事となりました。

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●リバーサイド

公園を出て、一旦野々市駅方面へ歩き出した時の様子です。

野々市駅の西をこの川がずっと流れています。

で、川沿いのこの柵の模様?!が妙に印象的でした。縦線が1本1本長さの
違うエンピツが並んでいるみたいなこの模様がインパクトあって、思わず
写真に撮ってしまいました。

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●あやめ

という名のバス停です。

まるで温泉旅館の部屋の名前のような(笑)しかし、このような名前ばかりでなく、
むしろこのような名前の停留所はここくらいです。ちなみに隣のバス停は「あやめ北」
です。元々は「あやめ団地前」という名前だったそうですが、団地を省略して
「あやめ」にしたとは、どういう意図だったのでしょうか。

コミュニティバスではありますが、便数は結構あります。45分に1本という
これは、この辺りではかなり多い部類になるのではないでしょうか。

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●御経塚西バス停

「あやめ」の隣のバス停で、「おきょうづかにし」と読みます。

野々市には不可欠な地名ともいうべき?御経塚は、バス停の名称として多数存在し、
「あやめ」「あやめ北」を経て、御経塚中央、御経塚史跡公園…と続いていきます。

ちなみに御経塚という地名の初出は1644年だそうです。

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●完工記念碑

当時の野々市町として、御経塚第二土地区画整理事業というものが行なわれ、
その完工記念としてつくられた碑が公園にありました。

この事業は1986(昭和61)年から2002(平成14)年という17年間の長きにわたって
行なわれ、対象地域600㎡に対して総事業費115億円を計上した大プロジェクトで
あったといいます。

そのまちづくりの努力が認められ1998(平成10)年には都市景観大賞というものを
受賞しています。

元々は安住の地として縄文時代~古墳時代の遺構が数多く発見され、田んぼで
あったこの一帯を市街地とするために組合が立ち上げられ、整備事業が進められて
きたといいます。

絶えず次の時代を模索し、変容に対応しつつ情報発信し続ける街、というコンセプト
のもとに進められてきた事業とありましたが、それが後の野々市市としての
「市制化」に繋がっていったのでしょうか??

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●公園の噴水

上の碑の近くにある噴水です。

噴水とか滝とか海とか、色々ありますが、水の流れというものに人は惹きつけられ
がち、と勝手に思っていますが、この噴水を暫し眺めていました。

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●御経塚中央バス停

御経塚西バス停のすぐ東にあるバス停です。

御経塚西は番号が21番に対して、ここは24番、位置的にはすぐ横という感じで、
御経塚西から北へ進路が伸びて、ました南へとグルッと回ったようなルートに
なっていて、ここは3番離れたバス停ながら同じような地に戻ってくる格好です。

ちなみにこのバス停は、イオン御経塚店の真ん前に停車します

バス停にベンチがあると、座るかどうかに関わらずなんか安心感があります。
疲れてたらたまに座りたい時もあり、座らなかったとしてもベンチがないと、
疲れがドッと出てくるときもあります。

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●御経塚史跡公園

ここ野々市の歩き旅で個人的にメインとなったのが、この史跡公園の観光?で、
ここには行っておきたい、というのがありました。(野々市駅より徒歩約10分)

先の土地整備事業記念碑の写真で、この辺りに遺構が数多くあったと書きました
が、その往時の姿を思わせるエリアが公園として残っています。

縄文終末期当時は30,000㎡を越える大集落を形成していたという事で、
これほどの規模の集落は全国各地見渡してもなかなかなかったそうです。

縄文時代後期から晩期の遺跡で、1954年に発見され、1977年に国史跡に指定
されています。約3,000年前後昔の史跡で打製の石斧が多く出土しているという
事です。人の一生が昔50年だとすると、わずか60代前はそんな暮らしをしていたのに、
人類の文化発展のスピードに驚かされるというものです。

もっとも縄文人の平均寿命は30歳そこそこであったといわれ、もっと早いサイクルで
世代交代を繰り返してきたようですが。

…ここから先は主にその史跡公園の写真です。

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●住居跡

第〇号炉住居跡、といった具合に号数が振られる形で、住居跡の区画がいくつも
残っています。

ここに竪穴式住居をつくって、何人もの人数で一つのスペースで暮らしていたの
でしょうか?今の人間の暮らしから考えると、1つのスペースに何人も…というのは
なかなか考えづらいですね。

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●復元 竪穴式住居

歴史で習う竪穴式住居が復元の形で1軒だけありました。

こういうものも、歴史で習って写真だけで見るより、こうして実際に訪ねて実物見た
方が遥かに勉強になものだ、という事が大人になって分かっても遅いのですが、
子供の時に習ったものが、大人になってこうして体感して「こういうものなのか…!」
と知る事ができるのも、また楽しからずや、というものです。

この史跡公園の象徴的な存在であり、ひいては町のシンボルといっても過言では
ないでしょう。野々市に来て駅から歩いて何かを見て帰りたい、という時には、
ここへの訪問はおススメです。

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町から市になった野々市市、昨秋8年ぶりに訪ねましたが、前回は駅前をちょっと
歩いただけで、今回はこの遺跡公園を訪ねる等、わずかでもよい旅ができました。

2017年6月25日 (日)

福岡/小郡 何気ない日本三大合戦舞台

福岡県小郡市、西鉄/小郡駅からの歩き旅です。

(2011年3月当時)

●駅前通り

駅前ロータリーから西へと通っている通りです。

中層の商店が立ち並ぶ中で、高層マンションがちょいちょい見えていて、という
駅前風景になっています。そのおかげか、閑散という感じではなく、それなりの
街感?はあります。

甘木鉄道の小郡駅はこれを右にそれた形に位置しており、200mも歩けば
行き着きます。

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●街灯

小郡には織姫彦星の伝説があり、「織姫オーディション」なるものがあったり、
ゆるキャラも「彦星くん、織姫ちゃん」なるものが存在しています。

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●小郡市役所(本館)

西鉄小郡駅から出た冒頭写真は駅西側ですが、市役所は駅東側にあります。

という訳で反対側に回り込んでのここ小郡市役所です。

この建物は4F建ての「本館」で、他に5つほどの別館が周辺を固める感じで
建っています。本館は昭和37年築でそこから増築や耐震対応などを経て、
今に至るというところです。人口5万人台の市役所の割に規模大きいな、というのが
感想でした。

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●小郡市役所 南別館

本館とは唯一道を隔てた形で存在する「南別館」です。

本館のようなピシッとした建物とは対照的な感じで、コンクリート色丸出しな建物
となっています。昭和50年築との事で40年以上が経過しています。

正面に市役所別館という表示があるので分かったのですが、そうでなければ
金融機関の建物かと思ってしまいます。実際「福岡県南部信用組合」がこの市役所の
建物に入っていますが、この信組は久留米に本拠地があり16店舗を数えるといいます。

金融機関だけの建物ではなく、市役所の機能も有していて、信組は1Fの半分を
占める形で、残り半分は市役所の生活環境課などがあり、2F3Fも市役所の部署で、
農業振興課等々がここに入っています。金融機関の方と、市役所の方が知り合う
事もあるかな、という感じの共有の建物となっています。

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●市役所前の道

市役所本館と南別館を隔てている道路で、市役所前の道という格好になりますが、
こんな感じの街並みです。

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●市役所横の公園

市役所本館のすぐ東にある「東町公園」です。

とにかく碑が沢山建っているのですが、1359年に起こった大原合戦とよばれる
壮烈な戦いの舞台になったという事で、下に載せている写真のいちばん上の写真の
左端には「鎮魂」碑がありますが、これはその戦いの650年記念として2009年に
造られたものです。

この戦いはあまり知られていないかもしれませんが「筑後川の戦い」とも呼ばれ、
日本三大合戦のひとつとされている事があります。戦死傷者は2万5千を数える
といわれ、それだけに鎮魂費や関連遺跡が多数あるとか。結構地味にすごい場所
であったりしました。

ここはそれらのものが集結している感じで、特に夜になると「気」のようなものが
強く感じられるのかもしれません。

あまり歴史の教科書的には知られていない事かもしれませんが、この合戦により
南北朝時代の10数年間は九州では菊池氏が政治実権を握っていた形となります。
九州といえばどうしても島津氏や大友氏などを想像しがちですが、少なくとも
今の熊本県菊池市は今も自治体名としてその名が残っている格好になっています。

教科書では教えてくれない歴史を現地で学べるのも旅の醍醐味のひとつですね!

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●無料回収

市役所や東町公園に面した道路を東へ(駅から離れて)進んだところに、
このような不用品引取りのスペースがありました。手書き感が凄かったです。

期間延長の「延」の字がよく分からない事になっていました。

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●小郡郵便局

先程の引取り場のすぐ傍にある小郡市内の中心局です。

駅からだと400mくらい歩く事になるでしょうか。

山口県のJR新山口駅を最寄とする郵便局も「小郡郵便局」としてその名が残って
おり、駅名は小郡⇒新山口に変わっても郵便局名は変わりなかったようです。

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●西側へ

最後に西側へ戻ってきましたが、そのワンカットを。

何という事はないのですが、この標識の角を右に曲がると小郡駅前の広場に
行き着く事となります。

左側に写っている西日本シティ銀行は、2004年に西日本銀行と福岡シティ銀行と
が合併してできたもので、全188店舗中160店舗が福岡県内にあるといいます。

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2017年6月17日 (土)

甘木鉄道/小郡駅 (福岡県小郡市)




福岡県小郡市の甘木鉄道/l小郡(おごおり)です。

小郡市では、西鉄/小郡駅をupした事がありますが、同じ場所にある同じ駅の
御紹介です。

-甘木鉄道/小郡駅-
【路線】
甘木鉄道甘木線(基山-甘木間)
【開業】1939年4月28日
【訪問】2011年3月
【1日あたり平均乗車人員】 1,011人/日 (2008年) 
【近隣の主要駅 (基山方面)基山駅→2駅
           (甘木方面)甘木駅→8駅 


●駅名標周辺

今から6年前、2011年3月当時の姿です。

「おごおり」というと、今の新山口駅がかつて名乗っていた駅名ですが、その当時
からここ福岡県には小郡市があり、この小郡駅という名称は1986年から使用され
ていて、開業以来それまでは「筑後小郡駅」として旧国名が冠されていました。

山口県の方は旧・小郡町(現在は山口市)で、2003年までこの駅名で、以後は
現在の新山口駅となっており、1986~2003年の17年間は両方に「小郡駅」
として存在していた
格好になります。

駅ホームはこんな形で階段を上がった先にあり、その正面にこのように駅名標が
見える形になっています。

西鉄小郡駅との位置関係は互いにほぼ十字交差しており、南北には西鉄が、
東西にはこの甘木鉄道のそれぞれ小郡駅が存在しています。両駅間は約200
mで、西鉄の小郡駅の出口がここ甘木鉄道の駅からは少し離れている為に、
駅間自体は距離が短くても、移動距離としては長くなるという形です。

それにしてもこの駅名標、駅名自体は漢字表記がないのですね。

ちなみに向こう側に見えているのは大分自動車道です。

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●ホーム1

御覧のように1面1線のみのホームです。

西鉄の方がメインで、同じ小郡駅の利用者数比で西鉄:甘木では約5:1と
なります。

よってこちらの駅は市名を名乗る中心駅でも規模は小さく、単なる沿線中の1駅
の要素が強いです。

こちらは基山方面として西側へのカットですが、こちら側の隣駅である立野駅は
佐賀県であり、甘木鉄道では当駅が福岡県最西端という事になります。

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●ホーム2

反対側の甘木方面(東側)への眺めです。

自販機の横のこういうカットも少し前のものになると懐かしくて、よい記録になるな
とつくづく感じます。

向こうに薄緑の橋が見えますが、この地点で西鉄の線路と十字交差しています。

この甘木鉄道甘木線において、途中駅で他の路線との乗換があるのは当駅のみ
です。そういう意味では重要な拠点駅という事になるのかなと。

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●ガイドマップ

西鉄小郡駅との位置関係が分かり易いマップです。

この駅周辺は主要施設こそありますが、観光に適したものは別の駅の近くという
漢字です。

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●甘木鉄道売店

駅入口から階段を上がったところです。ここから上がればホームですが、
ちょうど真ん中のフロアにあたります。

酒房「道」という店が入っていたり、「取次所」として、定期の窓口になっていたり
していたようですが、この酒房「道」は検索してもなかなか出てこず、この時は
こののれんの向こうで営業していたのでしょうか?実際に行っても中が怪しげ
過ぎて確認もしませんでしたが。

沿線内で単なる1駅でない部分というと、こうした施設があるというところです。

定期窓口と居酒屋?と隣合わせた不思議な空間でした。

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●時刻表運賃表

ダイヤ的には時間帯によってかなり便数が違っていて、1時間に4本が最多で、
最少は1本となっています。通勤通学の行き帰り時間帯が多く、他の時間帯が少ない、
実に分かり易いダイヤとなっていました。

料金的には甘木駅まで310円(現在は320円)ととなっていて、隣駅でも大板井駅は
なんと110円です。JR含め大人の鉄道運賃で120円より安いものをここで初めて
見たように記憶しています。今でも後にも先にもここ以外は知らないです。安い!

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●甘木鉄道小郡駅 駅舎

こじんまりとした建物ですが、3F建てとなっています。

入口階段横の銀河鉄道を思わせるデザイン描画が何気に印象深いです。

駅舎自体がボコボコした雑然とした雰囲気ですが、このイラスト部分だけ
がキリッとした感じになっています。

特別これといって駅前広場的なスペースがなく、バス・タクシーなども西鉄駅の
方に集まる形となっていて、そこから200m歩くとこんな感じで、道の一角に
唐突に駅が建っている、そんな感じです。この駅舎は6年経った今も変わっていない
ようです。

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JR横須賀駅 (神奈川県横須賀市)

神奈川県横須賀市のJR横須賀(よこすか)です

横須賀市は、神奈川県の南東部、三浦半島に位置し、人口は403,429人
(2017.5.1現在)で、昭和50年代の歌謡曲でも度々取り上げられた港町で、
思いつくだけでも

「横須賀ストーリー」


「横須賀Baby」

「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」

といった具合です。

人口は最盛期では43万を数えた事もありましたが、今は減少に転じて、
神奈川県では人口第5位の都市となっています。(横浜・川崎・相模原・藤沢に次ぐ形)

-JR横須賀駅-
【路線】
JR横須賀線(大船-久里浜間)
【開業】1889年6月16日
【訪問】初訪問-2004年6月
【1日あたり平均乗車人員】 5,583人/日 (2015年) 
【近隣の主要駅 (大船方面)逗子駅→3駅 
           (久里浜方面)久里浜駅→2駅


●駅名標

三浦半島の先端まで走る「横須賀線」の駅で、その先端の久里浜駅まで
2駅という事で、かなりのシーサイドなロケーションになっています。つまり
海の近くにあるという事なんですが…。

横浜と並び称される事もよくありますが、横浜のような街の賑わいではなく、
もっと海の際のような場末感があるというか、横浜よりアウトロー感が強い
かな、と感じます。

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●側線上

ホームから離れた側線に停まっていたこの車両はいわゆる「マルタイ」(マルチブル
タイタンパー)で、軌道整備用のものです。レールの寿命を延ばすため、レールの
頭部を極々薄く削り取るなどをしています。

ユニオン建設というところのものですが、デザインがいいですね、色んなものが
あしらわれていて。作業車両にしとくのが勿体ない?!

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●ホーム

人口40万超の大都市の市名を名乗る中心駅の割に、実質1面2線という
規模の小さいホームとなっています。この右にももう1面ホームはあるのですが、
使われておらず草むらと化し、このホームの両端のみが実質有効となっています。

屋根が長く取られ、幅も広いのでそこだけは大きな駅という感じですが、
都市の大規模駅とは全然違う感じです。このひと気の無さからも感じられると
思いますし、利用者数も1日平均5,000人程度なのです。

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●幻の一面

先述の草むらと化した1面が左端に写っています。

この面は手前側のホーム部分はこんな形なので活用もされていませんが、
出口に近い向こう側は活用されていて、その様子はこの後の写真に出てきます。

で、右側に見えている線路はここで行き止まりになっていて、いわゆる
頭端(とうたん)式ホームの形になっています。終着駅でもないのに頭端式ホームが
あるという不思議な状態になっています。

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●幻ホームの活用部分

上の写真ですっかり草むら化していた端側のホームですが、この手前が出入口で、
この見えている部分のみが活用されていました。

トイレであったり、鉄道写真を展示していたりとギャラリーとしての活用もされて
いました。「旧・駅長室」という表示も見られます。

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●頭端部

駅の改札を入った直後辺りの様子です。

この正面の線路部分は、頭端式で行き止まりとなっていて、左側の線路部分は
途中駅らしく、線路が続いています。なんとも不思議な構造です。

ここまで見て分かるかと思いますが、ホーム内は一切の階段・段差がありません。

そして改札外も全くそのようなものはなく、駅に入ってから電車に乗るまで、
一切の段差がない、天然の完全バリアフリー構造の駅なのです。

それにしてもこの雰囲気、人口40万超の都市の市名駅とは到底思えない、
のどかで穏やかな雰囲気そのものです。

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●駅舎内も

御覧のように完全バリアフリーです。

対応しなくても完全に天然バリアフリーなのです。素晴らしいですね。

広々とした構内ですが、これという施設はありませんでした。この時は2013年
でしたが、右に写っているコンビニのNEWDAYSぐらいでした。

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●駅出て目線

くるっと丸いロータリーにバスが数台停まっていました。この角度から見ると
ちっぽけですが、違う角度から見るとこれが素晴らしい姿になります。
これもまた次の写真にて。

この左に隠れている部分が海になり、シーサイドロードがずっと続いていく訳で、
いかにもというぐらい「横須賀の海辺」を堪能する事ができます。

それにしても閑散気味でした。決して田舎ではないんですが、これだけ見ると
田舎っぽさも想像するかもしれませんね。

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●横須賀駅 駅舎

何度も言いますが人口40万超の中心駅です。

この建屋がそれに見合う規模とはとても思えません。なんでこんなに小さいの??
と思うでしょうが、これも先述の通り利用者数が少ないのです。

バスがズラッと並んでいる光景は圧巻でした。

いわゆる「どぶ板通り」は、ここから少し歩けば行き着きますし、「スカジャン」
売ってる店も多数あります。

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