2017年11月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    
無料ブログはココログ

旅行・地域

2017年11月19日 (日)

長野/千曲 屋代駅前の嬉しい誤算

長野県千曲市、長野電鉄/屋代駅(現・しなの鉄道/屋代駅)の歩き旅です。

(2011年4月当時)

●こいのぼりの絵

駅記事にもありましたが、地元の保育園の子たちの書いた絵や切り貼りしたものです、まさに図画工作!

これが6年前のものなので当時の園児たちももう小学校の高学年にはなっているのでしょう。今はもうさすがにこれは置かれていないと思いますが、別のものが置かれているのでしょうか?

Himg0169

●駅前通り

やや広めの道路に少し高めの建屋が続く商店街の雰囲気で、そこそこ市の中心駅前らしい、なかなか整備された駅前の通りといえます。

当時の屋代は現在のしなの鉄道以外にも、「長野電鉄」の屋代線が通っていましたが、この訪問の翌年2012年にその線が廃止になってしまいました。

この辺りは平成の大合併以前は「更埴(こうしょく)市」という自治体名で、以前から市部ではありましたが、これに上山田町、戸倉町と温泉を有する町と合併して現在の千曲市になっています。

Himg0170

●駅前通り2

上の道路を進んでいったところです。上の写真にも見えているので、どの程度進んだかは大体わかると思います。

高さの違う街灯が木の枝のように分かれた形で設置され、これが通りに並んでいました。

Himg0174

Himg0176

●マンホール

旧・更埴市時代のものがありました。千曲川を遡上するサケと、市の花アンズの花と実が載っています。

更埴とは、この地域の更級(さらしな)と埴科(はにしな)の合成地名で、現在の千曲市になる時にこの更埴市と合併した町もまた更級郡と埴科郡にそれぞれ属するものでした。更埴更埴の合併だった訳です。

それにしても更級は「しな」こそ「級」の字ですが、長野県の地名には「科」の字が実に多いですね。他にも…

・豊科(とよしな=安曇野市の中心地)

・蓼科(たてしな=高原地で有名)

・明科(あかしな=安曇野市の地区) 等々…

「科」の字には「層をなして重なったもの」「坂道、階段」を意味する部分もあるという事で、長野県の旧国名である信濃も「科濃」と記されていたともいわれています。

Himg0175

●五十里川

屋代駅前の街なかを歩いていて、ふと横を見ればこんな小さな川と何気にオシャレな小橋がありました。こんな小さな橋でも、泣ければ交通が成立しなくなるので貴重だな、という事をある時から感じさせられたものです。

市名にもなっている千曲川は、屋代駅から1km程度歩く必要がありますが、この川はそのずっと手前で、駅から100m程の所にあります。

Himg0177
Himg0178

●駅前更に進む

屋代駅入口バス停付近です。

歩道の花壇は見事に手入れをされていて、これと木の枝のような街灯とが良いマッチングで華やかさを引き立てているように感じました。

正直この駅に来た時は、駅前はもっと寂しいものを想像していましたが、嬉しい誤算というか意外と華やかな様子でした。歩道に描かれている曲線は千曲川の流れでしょうか。

Himg0180
Himg0181
Himg0183

●一転

華やかな風景から一転、商店兼住宅であったと思われる家屋が。

昭和のいつかまでは普通に商店として営業していたのでは?と思いを馳せてしまいます。いつ頃までやっていたのだろうか?と。どういう経緯で閉めてしまったのかな?とも。こうして残っているのが素晴らしいというか尊い気がします。

Himg0184

●千曲神社

いかにも地元らしい名前ですが、千曲神社です。

鳥居と拝殿があるだけで社務所とかはありませんでした。ネットで検索しても特に記述は見受けられず、地域のちょっとした神社というところでしょうか、しかし拝殿の軒先には国旗が掲げられており、誰かが管理している事は間違いありません。

Himg0186
Himg0187

●千曲市役所 更埴庁舎

千曲市を構成する旧自治体の戸倉町や上山田町にも庁舎があり、ここは旧・更埴市のテリトリーで更埴庁舎となっています。勿論規模も最大です。

Himg0189

●屋代駅へ戻る

千曲市役所までは足伸ばししましたが、そこから屋代駅前まで引き返してきました。

千曲川周辺の様子を見てくるくらいの時間があればよかったのですが、この時は長野県の未訪市めぐりという事で広く浅く巡っていたので、そこまではいきませんでした。

その代りといっては何ですが、今年のお盆に同じ千曲市内の戸倉(とぐら)地区に行って温泉巡りをしてきました。この時の様子がまたお伝えできればと思いますが、書きたい記事があり過ぎてupが追いつかず、もっといろいろ伝えたいのに、書けないままにまた旅をするものだから、載せたいけど載せられないものが溜まる一方の状況です。

Himg0193

2017年11月18日 (土)

JR上毛高原駅 (群馬県利根郡みなかみ町)

群馬県利根郡みなかみ町のJR上毛高原(じょうもうこうげん)です

みなかみ町では上牧駅をupした事がありますが、これにつづくみなかみ町の駅の御紹介です。

-JR上毛高原駅-
【路線】
JR上越新幹線(大宮-新潟間)
【開業】1982年11月15日
【訪問】2016年12月
【1日あたり平均乗車人員】 731人/日 (2016年) 
【近隣の主要駅 (大宮方面)高崎駅→隣駅  ※新幹線
           (新潟方面)長岡駅→3駅  
※新幹線

●駅名標

上越新幹線専用の駅で、在来線の駅はありません、上越新幹線開業と共にこの駅も開業となりました。

隣の越後湯沢駅と共に、郡部の新幹線駅が連続している状態になっています。

そしてこの駅は、上越新幹線で最も利用者数が少ない駅です。位置的には東京と新潟のちょうど中間にあたるといいます。

新幹線しかない駅ですが、ここへは同じみなかみ町内のJR水上駅からバスでやって来ました。バスは概ね1時間に1本で20分強で着きます。

ちなみに水上駅に関して、町名(自治体名)はひらがなの「みなかみ」で、駅名は「水上」と漢字です、「すいじょう」でも「みずかみ」でもありません。

Dscn5348

●ホーム

これがこの駅のホームの全てです。新幹線しかないので。

運行本数は1時間に1本程度です。1本乗り過ごすと1時間待つのでなかなか辛いです。

Dscn5352
Dscn5349
Dscn5347

●駅スタンプ

ぐんまちゃんが温泉に浸かってる姿と共に、その横にスタンプのイラストがあります。

群馬県は温泉の東の横綱である「草津温泉」があり、この近くには水上温泉があり、という温泉銀座ともいえる県で、そりゃぐんまちゃんも温泉に浸かる訳ですね。

スタンプは「ホタルの里」として沢山のホタルがお尻を光らせてるカットがありました。この駅裏で6月下旬~7月上旬ごろにホタルの乱舞が見られるそうです。

Dscn5344
Dscn5344_2

●迦葉山

「かしょうざん」と読みます。

ここから東方18kmにある沼田市にある曹洞宗の寺院という事です。

そこに日本一の天狗面とされる高さ6m余りの天狗面が奉納されており、8月初めの「沼田まつり」では、女性の手でこれら天狗面が担ぎ出されるという事です。京都の鞍馬駅前にも大きな天狗オブジェがあったのを思い出しました。

Dscn5345

●高原へいらっしゃい

というドラマが昔ありましたが…

「ようこそ上毛高原へ」というメッセージ入りの顔抜き歓迎看板です。

その横には「水上温泉 おいでちゃん」とありますが、温泉宿の女将と思われる人を模した立体看板が、この駅のあるみなかみ町の観光マップをもっています。水上温泉を代表とする温泉街の広がるエリアがこの町のウリで、この女将が登場しているのでしょう。しかしこの上毛高原駅自体の周辺はそのような街はない(数キロ距離があります)です。

Dscn5342

●ぐんまちゃん、すべる

スキーにしては板の横幅が広いと感じますが、その裏面にはやはり「ようこそ 上毛高原へ」の歓迎文字が。とにかく、ぐんまちゃんが立体の姿で歓迎してくれています。

今でこそ、ゆるキャラブームで各所こぞって手を変え品を変え?キャラクターをつくっては登場させていますが、ぐんまちゃんの歴史は意外に古く、1983年に登場しています。実に30年以上も前です。

しかしその当時のぐんまちゃんは今の姿ではなく、もっと馬っぽい?( 「初代ぐんまちゃん」 で検索すれば出てきます)キャラで、今のぐんまちゃんが登場するのは1994年の事で、当時の名前は「ゆうまちゃん」でした。2008年に二代目ぐんまちゃんを襲名したという、実は歴史あるキャラなんですね、他県民はなかなか分からないですね、こういうの。

2014年のゆるキャラグランプリでは堂々のグランプリを獲得し今では押しも押されぬ人気キャラとなったぐんまちゃん、県には着ぐるみが実に13体もあり、各種イベントに対応できるようにしている、という事です。今では全国に通じるキャラとなったので、このように置かれても「ぐんまちゃん」と認知されるのは強みかと思います。

Dscn5341

●駅のうどん

利用者数はあまり多くないものの、れっきとした新幹線駅で、駅にそば屋さんもあります。

という訳で、ここではうどんを頂きました!舞茸うどん です。

Dscn5340

●支援自販機

これも近年よく見かけるようになった地域支援自販機が駅前にありました。

「スポーツ健康まちづくり宣言」なるものをしているみなかみ町では「みなかみハピネス計画」なるものを策定して、企業との協働で積極的に事業展開していく、とありました。この自販機もその活動の一環で置かれたものと思います。

Dscn5338

●駅を出て

出口すぐの所を横から撮った様子です。

郡部でもさすがは新幹線駅、出で立ちが立派です。ただし人はあまりいませんでした。

Dscn5339

●みなかみ町観光センター

駅と垂直の位置関係で建っている観光センターです。

土産物屋を中心とした施設という感じでした。周りに何もないので、ここか駅構内で買い物するぐらいしか選択肢がないかなと。ちょっと頑張って歩けばどこかには行き着きますが…。

群馬県の新幹線駅というと高崎駅はありますが、その他はこの駅や安中榛名駅など、かなり乗客の希少な駅が多く、上越新幹線で最も利用者数の少ないこの上毛高原駅で730人/日に対して、同県内で北陸新幹線に属する安中榛名駅は更に少ない1/3程度の約280人/日という事で、この両駅なんで新幹線としてあるのか?と思わされます。

昭和末期の群馬といえば衆院選挙などでは激戦中の激戦区であったので、つまりはそういう事でしょうか。こんな新幹線駅もひとつの個性だとは思いますが。

Dscn5331

●駅前俯瞰

ホームから見下ろした駅前の様子です。

駅前広場は駐車場のスペースもそこそこあります。向こうにはレンタカーも。

向こうに見える山までの間にちょっとした街が広がっている形です。

Dscn5346

●上毛高原駅 駅舎

郡部を思わせない実に立派な駅舎が横一面に広がっています。

それでも群馬県に立地しているという事で、東京駅まで1時間ちょっとで着きます。県内の主要都市・高崎へはわずか15分ほどで着くので、都会の日常を離れてちょっとのどかな所へいきたない、と思った時に寄ってみるのも良いかもしれません。

Dscn5336

2017年11月16日 (木)

JR鳴子御殿湯駅 (宮城県大崎市)

宮城県大崎市、JR鳴子御殿湯(なるこ・ごてんゆ)です

大崎市ではJR古川駅をupした事がありますが、これにつづく駅の御紹介です。。

-JR鳴子御殿湯駅-
【路線】
JR陸羽東線(小牛田-新庄間)
【開業】1952年1月25日
【訪問】2017年5月
【1日あたり平均乗車人員】 60人/日 (2016年) 
【近隣の主要駅 (小牛田方面)古川駅→10駅
           (新庄方面)鳴子温泉駅→隣駅、最上駅→6駅   


●駅名標

陸羽東線の途中駅に降り立ったのは、この時(今年5月)が初めてだと思います。というか、通った事さえも初めてだったかもしれません。

この時はGW初日に宮城県の名取市に用事があって、連休の旅はここを基点にしばらく宮城を巡ろう、と突発的に思い立ち、どこか温泉街に泊まりたい!という事で探したのがこの東鳴子温泉でした。それでわざわざ陸羽東線に乗り入れたという訳です。

写真入りの駅名標は長野県の駅を思い出しますが、ここ宮城県にもありました。隣は鳴子温泉駅で、まさに鳴子温泉街の駅なのですが、ここ鳴子御殿湯駅は鳴子温泉の温泉街の駅となります。

そもそも今の駅名になったのが1997年とつい最近の事で、それまでは「東鳴子駅」を名乗っていました。東鳴子に仙台藩藩主専用の風呂である「御殿湯」が置かれていた為、この名前に変わったようです。

Dscn9078

●ホーム

「ようこそ鳴子御殿湯駅へ」という長い幕が塀にかけられていました。温泉街の交通中心地というか、そんな役割を負っているのかな、という感じがしました。

1952年開業という時期的に中途半端な時期にできた駅で、隣の鳴子温泉駅駅とは2.2kmの距離で十分歩いて行けます。実際この時、歩いて鳴子温泉駅まで行きました。道中、温泉旅館が多数見れて、景色として面白かったです。

ホーム自体は1面1線の最小限の状態で、屋根のあるエリアもそんなには広くなかったです。

Dscn9079
Dscn9073
Dscn9077

●改札

木組みの新しい感じの改札でした。

駅自体は2004年に改装して新築し、テープカットまでやる程、本格的に行なわれたといいます。

Dscn9072
Dscn9069

●駅舎内部

2004年に新築された駅舎は大きな建物ではありませんが、中身はこんなに凝っていて立派です。1日の乗車人員がわずか60人の駅にこの贅沢さsign03さすがは温泉の駅というところでしょうか。

座るところでも何人分座れるんだ?というぐらいあります。畳敷きのスペースもあるくらいで、行ってみればここで寝ることだってできます(笑)

額のように飾ってある、カラーをバックにしたイラストがとっても印象的で、駅の中の雰囲気をずいぶん盛り上げています。

Dscn9081
Dscn9088
Dscn9080

●時刻表

おおむね1時間に1本程度のダイヤとなっています。

この辺りは〇〇温泉駅的なところが4つぐらい続いたりしますが、ダイヤ間隔がこれくらいなので、それらの温泉を制覇するならダイヤをしっかり把握して計画的に行くべきと思います。

右には出札が覗いて見えますが、やっているのでしょうか。ここに来た時は早朝だったために誰も居なかったのだと思いますが…。

Dscn9092

●周辺案内図

ここが東鳴子温泉で、西隣が鳴子温泉ですが、両サイドには更に中山平温泉、川渡温泉と広がる温泉エリアです。日本広しといえど、これだけ温泉関連駅が続いているエリアもないのではないでしょうか。

鳴子から北上しても鬼首温泉郷という温泉エリアに行き着き、それはもう温泉温泉した地域だとつくづく感じます。

Dscn9082

●新駅舎開業写真

2004年に改築されたと何度か書いていますが、この駅舎内は、その新駅舎開業時に因んだものが多数見られます。

ここにもその関連写真という事で、旧駅舎のカットがあります。左側の分はホームの様子と思われますが、今よりかなりゴツゴツしたものと思われます。

Dscn9084

●旧駅舎スナップ

左側に特に旧駅舎の様子が見て取れます。あまり詳しくは撮りませんでしたが…

Dscn9085

●新聞記事切抜き

これも新駅舎開業関連の記事です。

この日を境に生まれ変わった旨の記載が多い気がします。駅名が変わったのはこれの7年前の事ですが。駅名変更より駅舎変更の方がはるかに大きく取り上げられています。

しかし悲しいかな駅舎が改築された2004年の平均乗車人員はかろうじて100人を超えていたのですが、今や60人にまで落ち続けています。50年ぶりの駅舎改築もそういう意味での効果は上げきれていない状態です。

Dscn9089

●東鳴子界隈

この鳴子御殿湯駅周辺の宿を中心とした地図で、ピンクで塗られた建屋が宿と思われ、実際この時に泊まった宿もここにピンクで塗られています。東鳴子よりも鳴子温泉の方が件数も多く賑わいもあります。

この辺りは食べに行く所も殆どなく、娯楽というものが皆無です。ただただ自分の泊まる宿の温泉を楽しむ事と、寂しげな夜の街を散歩するのが楽しむといえば楽しみでしょうか。夜歩き回ると結構孤独を感じたものでした。浴衣を着た温泉観光客がすれ違う、なんてことは殆どありません。ただ寂しい分、のどかさというか非日常は感じられます(笑)

Dscn9093

●駅前広場

温泉街の案内地図と自転車置場があるくらいで、あとは坂道の広場があるだけの空間です。観光案内地図は右側には各宿の名前が列挙されています。こう見ると宿は結構あるんだなと思わされます。

よく確認していませんでしたが、バス停もないです。この坂を下りてT字的に交差しますが、その両サイド約100m位の位置に各々バス停がありますが、この駅まで乗り上げてくるバスはないようです。

Dscn9066
Dscn9062
Dscn9067

●鳴子御殿湯駅 駅舎

内装が実に充実した感じで、中から見たらどんな大きな駅かな?と思いますが、こうして見ると実にこじんまりとした感じの駅です。この通路の向こうに入口があって、その中は贅沢な空間が広がっています。

正面の通路を無視してサイドからホームへ直接行く事も出来ますし、わざわざ駅舎に入る用の無い方はそうするのでしょう。手書き風の駅看板も印象的でした。駅看板にJRと銘打っていないところも逆に味が出ていていいなと感じました。

Dscn9065

2017年11月12日 (日)

岡山/真庭② 湯原 20年の時を経て…

岡山県真庭市、城下町勝山の家屋群 に続く真庭市の旅です。

前回は主に市内中心部の中国勝山駅周辺の散策の様子でしたが、今回は旧湯原町であった湯原温泉周辺の様子をお届けします。

(2017年1月当時)

●湯原へのアプローチ

日本の温泉で「西の横綱」と称される湯原温泉、個人的には1997年に初めて行きましたが、これ以来約20年ぶりに今回(今年1月)訪問しました。

で、湯原へは最寄駅が真庭市中心部のJR中国勝山駅となり、ここからはバスでのアプローチです。20年前と全く同じでした。

他の公共交通機関としては、岡山駅(東口)からここまでバスで約2時間で来れますが、1日4往復しかないので、岡山から来る時は要注意です。ここから、つまり勝山~湯原も変え添えるほどの本数ですが。

駅の向かいにこのバス待合室があり、室内でも待合できるようになっています。

Dscn5958
Dscn6196
Dscn5959

●時刻表

バスセンターの時刻表は室内で待合の方々も居られた為、写真に撮れなかったので、冊子のものを写した形です。写真の上が中国勝山駅⇒湯原温泉、下が反対方向になります。

湯原は終点ではなく、蒜山高原行などのバスに乗る事になりますが、1日6往復で所要時間は35~40分かかります。1日7本のように見えますが、最後の2便は夏ダイヤと冬ダイヤに分かれるので、時期によりこのどちらかの運行となります。概ね2時間に1本というところです。

料金は200円です。40分ほどの長い間バスに乗ってわずか200円とずいぶん格安と感じます。タクシー遣うのに比べれば桁違いですね。

中国勝山駅から乗る時は大抵は何人か同じバスに乗る方も居られて、雰囲気で大体分かりますが、アナウンスがあるとも限らないので、時間が近づいたら様子をきっちり把握してて乗り遅れないようしたいものです。

中国勝山駅⇒湯原温泉

  7:12  ⇒7:46

  10:18 ⇒10:53

  12:25 ⇒12:59

  14:23 ⇒14:58

  16:23 ⇒16:58

(夏)19:20 ⇒19:53
(冬)19:05 ⇒19:38 

のりば・JR中国勝山駅向いバスセンターより

バス・真庭市コミュニティバス「まにわくん」にて「蒜山高原」行

所要時間・約35分

料金・200円 

Dscn6170_2
Dscn6170

●湯原温泉 バス待合ステーション

中国勝山駅から約40分かけてバスが辿り着く場所はここです。

真庭市になる前の旧・湯原町としての交通の中心的存在でもあります。

20年前に来た時にこのような建物があった記憶がありませんが、この建物自体は2006年に地域対策交付金事業施設なるもので新築されたとあります。

Dscn5966

●湯原待合 室内

湯原温泉待合ステーションは、スタッフ用の建物かと思っていましたが、一般待合客も使用できる施設になっていました。

という訳で、ここは入ったばかりの所ですが、左側が待合スペースで通路を挟んで右側にはトイレがあります。バス待ちでトイレに行けるとはいいですね。歩き回っていて建物は沢山ありますが、気軽にトイレに入れるところはそんなに多くないと思うので。

Dscn5971

●湯原待合 室内2

入ってすぐの扉を開けて待合室内です。

ソファーまでついた贅沢な雰囲気の待合室でした。外の様子も窓越しに見えるので、冬の寒い時でも、この室内で待つ事ができます。ただしスタッフはおらずアナウンスなどはないので、自分たちで判断してバスに乗る等は必要です。

Dscn5968
Dscn5970

●待合ステーション広場

待合ステーションは広いスペースが取られていて、この向こうに出ると温泉街へと至りますが、どちらかというとここを右へ曲がった方が温泉街として栄えている方になります。

下側の写真はバスと共に写っているのは、ものすごく渋いコンクリートの建物。これは完全に昭和からの建物だろうと。バスのすぐ向こうには、サビサビの枠が…。おそらく往年は、ここに沢山の広告看板があったのでは?そのパネルの枠ではないかと思われます。

今や無用になってしまったのか、枠だけが変わり果てた色で手入れもされずに残っています。これが地区の交通中心地の真ん前にあるというのは少々さびしいものがあるかも、というところでした。

Dscn5972
Dscn5973

●時が停まって…

こちらは待合ステーションのすぐ隣にある住宅群ですが、土台の石垣部分が傾いています。住宅も建物の腰の部分に穴が開いていたり、時が停まったまま感に溢れていました。

Dscn6194
Dscn6193

●湯原自販機

待合ステーションの広場を出る寸前の部分に置いてある自動販売機です。

真庭市の市づくり支援の自販機という事です。こういう自販機で飲みものを買うと地域事業に貢献したような気になって、ついつい買ってしまったりします。

左側には旅館案内が載っています。しかし温泉の宿となると大抵予約すると思うのですが、飛び込みで行く人はどれくらいいるものでしょうか??

Dscn5976

●温泉街ご案内

これもバス待合ステーションにある温泉街の地図です。

最初は位置関係が分からなかったので、この地図にお世話になりました。携帯のマップ見ても分かるのですが、やはりこのようなイラストを交えてのものの方がすんなり理解できるというか、スッと頭に入っていくような気がします。

真ん中のいちばん上は、この辺りで見られるという天然記念物のはんざき(=大山椒魚)です。昔、仮面ライダーの怪人でハンザキランというのが出てきて、それでこのはんざきの存在を知りました。そういうものから学ぶ事もあるものですね。その「はんざき」に関する施設について真ん中下に紹介してあります。

現在地として真ん中よりやや右上にありますが、左下へ向うに従って温泉街が賑わうエリアになってきます。ほぼこの中央のエリアで温泉街をある程度掌握、という感じです。

Dscn5978

●右折して温泉街へ

バス待合を出てすぐ右折したところです。

この辺りの建物は、待合ステーションから右側に写っていた渋すぎるコンクリートの建物の辺りですが、現役で稼働している旅館でありお店です。

温泉街のメインは川沿いの通りで、片方が建物、片方が川というロケーションが多いですが、川側に建物がある所もあります。

Dscn5980

●鼓橋

「つづみばし」と読みます。真っ赤な欄干が印象的で、いくつもあるこの界隈の橋の中で最もポピュラーな存在と思われます。

温泉街を進んで行くところです。湯原温泉は河原にある無料露天風呂がある事で有名ですが、その方向へ進んで行っています。

Dscn5993
Dscn5992
Dscn5995

●温泉街

かなり温泉街として充実してきた辺りです。

古い温泉街の象徴的存在ともいうべき「射的場」もあります。お客さんがやっていたのも見かけました。温泉宿泊施設が殆ど、といっても過言ではないぐらいの街並みです。

Dscn5998
Dscn6000

●福寿司

温泉街の食事処のひとつで、実際この時の晩御飯はこちらで頂きました。

店名は寿司ですが、メニューとしてはそば・うどんも少なくなく、カレーなどもあります。

湯原温泉街は、というか温泉街そのものがというべきかもしれませんが、食べに行くところがあまり多くありません。湯原はコンビニもありません、酒屋の延長上で夜遅くまでお菓子やカップラーメンの類が売っているお店はありますが、これも呼び出したら店の方が出てくる感じで、コンビニ食的なものは事前にコンビニで調達した方が良いと思います。

で、食事処に関してはこの周辺に数軒ある程度で、それも頻繁にお客さんが出入りする様子がなく、入って行きづらいのが正直なところでした。それでもポツリポツリとは入っていかられた方々も居られました。

界隈に宿泊客はかなり居ると思われますが、みんなどこで食べてるのか…??と思いながら、晩飯時はこの辺をウロウロしていました。この時宿泊先の夕食なしにしていたのですが、夕食を取っていたとしても、もう少し繰り出したりとかないのかな?と思っていましたが、意外と出歩く客で賑わうなんてことはあまり見られませんでした。皆さんある程度宿で夜は過ごされるのかな、と。平たく言えば、遊ぶところはあまりありません。純粋に温泉を優雅に感じるのが良さそうです。

Dscn5999

●温泉薬師堂

温泉街らしいお堂がありました。400年もの歴史があるといわれ、無病息災、目の病に効果をもたらすとされています。

そしてお湯は「薬湯」です。温泉に浸かる前にこのお湯で手を清めました。冬の寒い時期に実に暖かく沁みました。

人の居ない間を撮っていますが、昼間は結構観光客で賑わっていました。

Dscn6003
Dscn6005

●湯元温泉館

湯原温泉の日帰り入浴施設として代表的なところです。

湯原温泉は、無料露天の「砂湯」があり、また日帰りではこの施設がありますが、他は温泉旅館の日帰り客向けの時間限定入浴が殆どで、ここと自分の宿泊地以外に入浴したい場合は、各宿泊施設の日帰り入浴者向けの時間帯をよく見ておく必要があります(各入口に大体、時間帯の表示があります)。夕方時を過ぎると入れなくなる事が多いかと思います。

で、ここは土産物屋さんなどもあって、あまり土産物屋が界隈にある感じではなく、お土産買うにもうってつけの施設と思います。

Dscn6009

●砂湯

いちばん上の、隠そうナントカという看板は砂湯にあるものではなく、バスセンターから進むと少し手前にあるものです。(向こうに写っている橋の向こうが砂湯です)

そして、砂湯。

湯原温泉ならではの、河原にある無料露天風呂です。男女とも入れますが、入っているのは殆ど男性です。この写っているひとつのお湯だけでなく他にもあり、そこには何人も入っていましたが、写真的にきわどいのでそれは載せておりません。ご想像にお任せします(笑)。

普通に河原にあるので、全くの街なかで裸になっている自体が、何となくいけない事をしているような気になります?!

温泉の西の横綱、湯原温泉。昔の古き良き温泉街の雰囲気を保っている部分がかなりあると思いますが、やはりピークを少し過ぎた感もあり、今後どのようになっていくのか?と気にかかる部分もあります。いかにも温泉宿、というところで日常を離れて一晩過ごすにはとても良い所だと思います!

Dscn6021
Dscn6042
Dscn6047

2017年11月11日 (土)

千葉/東金 東金駅前 渋々続々




千葉県東金市、JR東金駅からの歩き旅です。

(2011年2月当時)

●百万弗

東金駅前(西口)の通りの一角です。

いきなりインパクトのある建物が出てきましたが、昭和感満載のまさに「パチンコ屋」でした。閉店としてネット上では載っていて、建屋はきれいに残っていますが、営業はしていないようです。

閉店との情報はたくさんあるのですが、いつ頃閉店したのでしょうか??逆に情報求ムというところです(笑)

Himg0425

●商店街

上の写真から少し右へずらしたカットです。

右側は歩道側に屋根つきの商店街が続いていました。

屋根を支える柱がか細くて、屋根もどこかしら貧相な感じで、昔のちっぼけな感じのものを思わせます。昭和からの時が止まった感といいますか。

Himg0426

●石造?

と思われる渋い建物に出くわしました。

そこに「FUJI XEROX」の看板がかかっていました。なんだかミスマッチな。

しかし周りが割とスラッとした?建物が続く中で、ゴツゴツっとした重厚な感じのこの建物はひと際目を惹きました。

Himg0428

●また石造

今度は薬局の駐車場という看板のついた石造建築物で、またまた渋すぎる建物でした。左下の部分がレンガっぽくてなんでここだけこんなになってるのかよく分かりませんでした。

中にある戸の部分がなんともいえません、1段差ある形で戸がついていて、枠の囲みもまた渋くて。戸というより窓なんですかね、でも明かり取りの感じもしないしよく分かりませんでした。

いつ造られたんだろう?と思わされざるを得ない建物ですが、こんなのいつ建てられたかなんて、ネットで調べてもなかなか分かるものではないでしょうね。有名な建物でもなければ、旧何々…の建物でもないし。名もなき渋きこの建屋。

Himg0432

●西川園ほか

左側のやや高い建物に、「西川園」というお茶や海苔のお店があり、SINCE1875とあります。この界隈きっての老舗なのでしょう。東金を拠点に「いつもいいお茶と暮らしたい」をモットーに操業を続けている、という事です、もう140年を越える歴史を有する訳ですね。

Himg0430

●駅を渡る

この前の写真までが東金駅の西口から出ての風景でしたが、この駅上の歩道橋を渡って今度は、東側へと転じます。

向こうに見えている「サンピア」というお店は「東金ショッピングセンター」と冠されていて、東金駅前商店街組合の主導のもとで運営されているそうで1960年オープンというこの手のものにしては古い歴史をもっています。

核店舗はイオンで、「ジャスコ東金店」としてオープンしたのが1978年で、その後イオンになるも40年近く続いています。3Fには映画館がこの時ありましたが、その後2013年に閉館しています。

Himg0434

●東口

東金駅東口は駅記事でもお送りしましたが、駅舎がなく歩道橋で降りたところにロータリーなどの駅前広場スペースが構築されているエリアがあり、この写真はそこを出た駅前道路にあたる場所の様子です。

バスが連なって見えていますが、この東口はバス路線があるもののかなり少なく、圧倒的に西口から出る路線の方が多いです。

Himg0437

●東金中央公園

駅東口のサンピア(イオンの入っている)の向かいにある公園です。

1979(昭和54)年に東金駅前の区画整理事業の一環でできた公園だそうで、もうすぐ40年になるというところで、この当時だと30年強くらいになります。

駅前にありながら十分な活用がされているのか…、雰囲気的にちょっと勿体ないような気がしました。あくまで感覚ですが。フリーマーケットなどは行われているようです。

Himg0440
Himg0439

●関寛斎 像

これも東金中央公園内のカットです。

関寛斎(1830-1912)という人物の胸像がありました。

東金出身で蘭方医として生きた人物であり、その思想は現代医学にも通ずるという、「養生」「医療」「運動」の総合性を重視したものであったといいます。この時代の人物にしては長寿で、しかも最後は服毒自殺であったというので、本来ならば大正まで生きられたのではないかというくらいです。

彼の晩年10年は北海道開拓に心血を注いだというもので、努力の甲斐なく夢果たせずに終わったとの事ですが、終生挑戦する気持ちを忘れずに進んだその生涯はまさに「偉人」と言えると思います。

入口にちょっとした門が置かれているのはなんでしょうか?特に但し書き等ありませんでしたが。

Himg0442
Himg0443

●東金小学校跡

これも同公園内のものです。

東金小学校は開校時期はよく分かりませんが、1974(昭和49)年に統廃合の形でその役目を終えています。なのでOBOGの方々は50代~居られる事になります。

この学校はナント「フラフープを全国に先駆けてやめさせた学校」という結構な記録?をもっています。当時大流行であったこの遊びを「腸ねん転になる」「胃に穴が開く」等の都市伝説が急速に襲いかかり、これにいち早く対応したのがこの学校、という事になるのですね。

Himg0441

●東金市立鴇嶺小学校

鴇嶺は「ときがね」と読みます。

鴇が鳥の「トキ」を表わします、「朱鷺」とも書きますね。

先程、碑のあった東金小学校の統廃合によって再編された学校のひとつですが、このコンクリートの建物の古さはもっと昔の建物のように思えます。沿革を調べてもこれ以上の記載が見られない為、よく分かりませんが、とにかく渋すぎる建物の小学校で、てっぺんに地球儀があるのもインパクトがあって良かったです。

Himg0452
Himg0453

●壁画

東金市制40周年を記念して1994年に記念事業として書かれた壁画という事です。

東金というのは全くの内陸の街ですが、えらく鯨が強調されてるな、という感じでした。

ついでに駅東口の駅前の地図もざっくりした内容で載っていました。

Himg0456
Himg0455

●関東ふれあいの道

東金駅へ戻ってきました。

ハイキングコースが記されたマップです。

東金駅から2駅先の山武市は成東駅までの17kmのコースを「伊藤左千夫のみち」として紹介されています。「野菊の墓」でお馴染みの伊藤左千夫氏の生家が途中にあり、また食虫植物など自然に触れ合い要素も楽しめるコースという事です。

ちょっと距離が長いので時間と体力が少々必要でしょうが。この界隈を楽しむ事ができそうなコースです。

そんなこんなで東金市、東金駅周辺を中心に流し歩いた街歩き、これにて終了いたします。

Himg0458

2017年11月 8日 (水)

中国/天津② 巨川白玉蘭酒店のおもてなし

中国/天津市、中国/天津① 天津濱海国際空港2016に続く記事です。その②として今回は宿泊したホテル編です。

●入った所

から撮ってみたものです。

ちなみにホテルの名はタイトル通り「巨川白玉蘭飯店」です。

『白玉蘭』は英語ではマグノリアと表記されていて、モクレンとかこぶしの花などが英名でマグノリアと表記されています。

2013年にオープンしたという新しいホテルで、宿泊料の記憶が定かではないのですが400何軒か払ったように思います。日本円で7,000円台程度だったとか。その割にはハイグレードに感じました。

このホテルは天津導軌電車という路面電車の「第三大街」という駅から歩いて5分強程度の位置にあります。あと、日本語は通じません。この時は現地アテンドの方がおられたのでチェックインは全部お任せしていました。なので日本語の通じるホテルに泊まりたい方はここは外してください。

Dscn6644

●スイッチ類

カードキー式で、その横に各スイッチがありました。

スイッチには中国語の漢字表記と英語表記がありました。浴室灯なんかは分かり易いですね。

Dscn6678

●バストイレ周り

洗面所を中間にして、トイレが右、バスが左に位置していました。

うちの部屋でもこういう配置につき、特に違和感はないですが、バスの部分のガラス仕切りがちょっと高級感あって良かったです。新しいホテルでピカピカ感があるし、色の雰囲気からか高級っぽく見える何かがあるな、と感じさせられました。

ちゃんと湯船あってよかったです。海外のホテルじゃ、湯船なくてシャワーだけのとこもザラにありますから。

Dscn6643
Dscn6646

●ベッド周り

部屋を奥に入って、右の壁にぴったりフィットする形でTVがあり、少しの距離を挟んでベッドの配置です。枕がフッカフカで良かったです。向こうには金色っぽい椅子が!

Dscn6645

●TVを見てみる

色んなチャンネルがありましたが、日本のNHKもやっていて、真ん中の写真は「ライフ」ですね。日本のチャンネルが写るとやはり安心します!

いちばん上のは中国大陸の天気予報でしょうか?ここは天津ですが、上海の天気予報やらやっていました。5月でこの気温です。日本よりやや低いぐらいでしょうか。

いちばん下のは当時のオバマ大統領(昨年当時)ですが、これは中国の放送局のです。

Dscn6642
Dscn6708
Dscn6710

●ウェルカムドリンクなど

左の水はウェルカムドリンクです。右のはコンビニで買ったものです。

水が置いてあるのはいいのですが、サービスのものか?サービスのようにおいていて実はMini Barになっていてお金を取るのか??分からない場合がありますよね。この時はどっちか分からんけど、金取りたかったら取ってくれや!いうぐらいの感じで水飲んでましたけど。

でもまぁ歯みがきで使う事もあるのでサービスだろうな、みたいには思っていました。水道の水で口をゆすぐことすらちょっと怖いと思っていましたので中国では。

Dscn6737

●スニッカーズ

ここでも売っていました。

漢字にするとこんな感じです。士力架。

Dscn6684

●外の風景

同じ形のビル(マンション?)がきれいに建っていました。

その横は運動公園でした。

スタジアム状の運動公園で、トラックもあれば砂場みたいな遊び場もあり、真ん中では思い思いに音楽をかけて色んなジャンルの踊りが展開されていたり、実際ここに行って踊ってきましたが、緩い踊りに見えても結構全身使ってあっという間に息が上がったり筋肉痛になったり、なかなかのものでした。

日本人が1人紛れ込んでもそんなの全くお構いなしで、音楽がかかる中で何気に入って行って、周りが踊るままに体を動かせば、あっという間にそこに溶け込んでしまいます。

ただ、ホテルからここへ行くまでに道路ひとつ渡るだけなのですが、これが辛かったです。

中国なので自動車優先、その中をすり抜けるようにして渡る、コツがつかめるまでなかなか難しい、、現地人が渡るのにピッタリくっついて渡ってました。変に走って渡ると逆に跳ねられる率が上がりそうで。中国と道路横断は切っても切り離せないものがありますね。

Dscn6681
Dscn6680

●廊下

最後はこの写真、ホテルの部屋へ行くところの様子です。

木のシックな内壁がずっと続いていて、すごく高級感がありました。

天津で日本語ホテル取るならニッコーですかね。でもこういういかに地のホテルでもこれはこれで気分を味わえます。言葉が無理ならなんなりかのアテンドをつけてもらうかですね。

そんなこんなで天津で泊まったホテルでした!

Dscn6736

2017年11月 6日 (月)

JR長崎駅 (長崎県長崎市)

長崎県長崎市のJR長崎(ながさき)です

長崎市は、長崎県の 部に位置し、人口は421,612人(2017.10.1現在)で、長崎県の県庁所在地で、鎖国下にあった江戸時代に唯一の貿易港を持ち独特の文化を築いたと共に、広島と共に原爆投下された歴史を持つ街でもあります。

-JR長崎駅-
【路線】
JR長崎本線(鳥栖-長崎間)
【開業】1905年4月5日
【訪問】初訪問-2002年11月
【1日あたり平均乗車人員】 10,650人/日 (2016年) 
【近隣の主要駅 (鳥栖方面)諫早駅→7駅  

●駅名標

ここへ初めて訪ねたのが2002年の事でありますが、この記事では2014年再訪時の様子をお届けします。

長崎本線の終着駅であり、九州の西へそれた最果ての駅であり、隣駅は片方だけとなっています。九州西部にありながら、九州新幹線のルートから唯一外れている長崎県の中心駅で、県庁所在地の中心駅でこのような最果ての構造というのも珍しいかと思います。

Dsc05642

●ホームと電車

ホーム沿いの青い電車は「SEA SIDE LINER」というものでした。1989年3月のダイヤ改正で名付けられた快速列車です。さすが九州の車両というところで、色が独特で特急でもいけるかなという感じのものでも快速であったりもします。

現在は上り下りで各15本前後運行されています。

ちなみにこの電車はラッピングされていて、地元長崎のサッカーチーム「Vファーレン長崎」のものがのっていました。このチームは「ジャパネットたかた」がスポンサーのひとつで、ホームページには社長の写真も載っていました。

Dsc05637
Dsc05638

Dsc05643

●電車

ホーム沿いではない側線にも複数電車が停まっていてて、実に沢山の種類の電車を見る事ができました。

下側の写真の白いものは特急「かもめ」で、この時はこれに乗ってやってきました。新幹線が通っていないので、特急が最上級の優等列車なのですこの辺りでは。博多との往復は1日26往復とかなり多めです。

Dsc05635
Dsc05641

●車止め

冒頭にも書きましたが、県庁所在地の中心駅で行き止まりは珍しい構造で、高松駅などはここと同じように車止めがある行き止まり構造ではありますが、方向を変えて反対方向へ進んでいく形です。宇高連絡船の連絡のため港へ近づける必要がある為に、形として出っ張っているだけで両方向へ電車が走りますが、ここ長崎駅の場合は完全な終着駅、いわゆる盲腸線の構造です。

そしてその行き止まり部分に「長崎駅」の表示があるのが不思議な感じです、なぜこんな所に表記があるのか。

ホーム自体は3面5線ある広めの駅です。長崎本線しか路線を持たない割には広いホームを持っています。属していないものの、大村線の列車も乗り入れています。

Dsc05648
Dsc05649
Dsc05650

●御朱印船

長崎港まつりの出し物として地元企業の三菱重工長崎工場が制作したものだそうですが、ベトナムとの友好の証とされ、「長崎くんち」の奉納踊りの山車として使われたのだとか。ちゃっかり三菱マーク入っています!

で、この2014年当時はこの長崎駅にあったのですが、この2017年10月にベトナムに寄贈されたというニュースがありました。3年行ってないだけでも様子が刻々と変わっていくのですね。

Dsc05651
Dsc05652

●長崎駅 構内屋根

改札を出ると前面は全開の不思議な構造です。

高松駅も行き止まり構造で、ホーム→改札すべて1Fで前面に出口→駅前広場ですが、前面がこんな吹きっさらしではなく、室内感があるのですが、ここはホントに半室内とでもいうか、室内感は希薄な感じでした。

Dsc05653

●長崎駅前

左が駅舎で、右が歩道橋ですが、間にロータリーのような広場がありますが、普通の道路上というか、広場スペース自体は駅内で完結している感じで、ここは完全に駅の真ん前が道路になってる感じでした。とにかく構造が色々と異色でした。左端がタクシーのりばです。

Dsc05659

●歩道橋の上

上の写真で右端にヘリの部分が写っていましたが、その歩道橋の上の部分です。

歩道橋というよりペデストリアンデッキ構造になっていて、通路であり広場ですね。駅と直接繋がっている訳ではなく、駅を出て階段を上がった形でここへ行き着く構造であり、決して駅の2F部分から出ている通路と直接繋がっているとかはないです。

Dsc05663

●長崎駅 駅舎

曲線を描いた大きな屋根こそあるものの、厳然とした建物の無い、吹きっさらしの妙な構造の駅舎です。建物がガシッとあって、そこに「長崎駅」と銘打たれているのではなく、サイドの建物の上に「長崎駅」と複数面に記してある形です。

また長崎には「長崎電気軌道」なる路面電車も走っていて、その様子は撮れませんでしたが、2度訪ねた中で2度とも路面電車には乗りました。路面電車駅を本ブログで紹介した事がなかったので、その辺りも今後やっていきたいとも思っています。

Dsc05665

Dsc05660
Dsc05664

2017年11月 5日 (日)

岡山/玉野 宇野港に見る昭和~平成

岡山県玉野市、JR宇野駅からの歩き旅です。

(2009年6月当時)

●宇野駅から港へ

Himg0244

●駅前の街道

宇野駅前広場を出て、港に面した道路です。

とにかく渋い建物が多かった…これがもう8年も前の姿ですが、今頃はどうなっているのやら。

Himg0269

●宇野港ターミナルへ

宇野駅から本当に近く、駅前広場を挟んですぐ斜め、といった位置にある宇野港。

意外と?こじゃれた建物で、周辺の道路路沿いの建物の渋さに比べたら実に近代的といいますか…、宇野といえばかつて宇高連絡船で栄えたけれど今は…と思う方もいるかもしれませんが、小豆島との行き来で船便は健在な訳で、他の島への便も出ています。

宇高連絡船は廃止されても高松への便は残っていますし、アートな島でお馴染みの直島への便もあります。しかし50年間続いていた宇野-高松間の24時間運航が近年取りやめになってどんどん減便されたり、やはり航路というものは時が流れるにつれてどうしても縮小の道を辿って行くのかな??と思わされてしまいます。

Himg0274

●四国フェリー

宇野から高松までの便をこの四国フェリーが受け持っていますがこじんまりした建物でした。今年の4月に発着場が移転したそうです。といってもこの敷地内で、大したものではないようですが。

Himg0271

●四国汽船 小豆島フェリー

こちらは四国汽船や小豆島フェリーの切符売り場です。

小豆島直島豊島(てしま)など各島への航路を管轄しています。

この時、ここから行ったのは豊島で、一行上の豊島の文字に貼ってあるリンクがそれです。

Himg0280

●突堤と港

宇野港から伸びている突堤とその周辺の港の様子です。

島の多い瀬戸内海らしい風景というか、色んな島の景色が見て取れます。

玉野市といえば昔知り合いに連れて行かれた玉野けいりんとこの宇野港しか覚えがないくらいですが、やっぱり海辺はどことっても画になるし、目に飛び込む景色が非日常感でいっぱいなので、余計に記憶に残り易いなと感じます。

Himg0277

●フェリー

この時、宇野港に停まっていたフェリーたちです。

まずは「フェリーてしま」

就航が2006年という事で、この時だとわずか3年の新型という事になります。豊島まで40分で結ぶフェリーで旅客定員は350名、8tトラックが8台積めるそうです。

船の総トン数は365tとの事ですが、これは小豆島を行き来するものと比べると小型なんだそうです。

次に「せとしお」 (右から読みます!)

1996年に就航した船ですが、残念ながら現在は稼働しておらず2013年に引退しています。

トン数は393tで、旅客定員は400名でした。

でもまぁ小船ではなくて、そこそこのクラスの船舶が稼働しているのですね。人口1,000人余りの豊島という事で。ちょっとした豪華感はありました。

Himg0279
Himg0379

●直島行(ゲート)

芸術の島・直島の宮浦港まではフェリーで20分でつなぎ、1日に10本以上の便が出ています。旅客船だと便はかなり減りますが15分で着きます。

Himg0270

●メモリアル空間

宇野港に公園的に設置されているスペースです。

これまでの宇野港のあゆみと、現在の宇野港の役割についての説明板も設置されています。

やはり四国や周辺の島と航路を結んでおり、その重要性が窺えます。そして色んなエリアに緑地スペースとして整備されています。

Himg0380
Himg0381

●石碑

「ごくろうさま 宇高連絡船」として石碑がありました。

1910(明治43)年から、瀬戸大橋が開通する1988(昭和63)年まで、78年の長きにわたり運行されてきた国鉄・JR路線の一部で、今でもこれらを結ぶ航路自体はありますが、瀬戸大橋に加えて明石海峡大橋ができたり、通行料の引き下げなどでじわじわと廃止の道を辿りつつあるように見えます。

Himg0382

●第二バース跡

バースとは「船が停まる場所」を意味し、宇高連絡船の稼働当時のバースが遺構として残されています。崩れかかっている部分も敢えて遺しているということでしょうか。

かつてここから船に乗って四国へ渡っていたのですね。ほんの30年前には橋がなかったので、本当に貴重な交通手段だった訳ですね。自分が初めて四国へ行ったのが、瀬戸大橋の出来た翌年だったので、宇高連絡船しか手段のなかった頃に一度四国へ渡ってみたかったものです。

昭和の重要交通網の一翼を担った宇野も、今後はその役割転換を本格的に迫られそうな状況です。まだまだ小豆島や直島との航路は健在ですが、高松とのつながりはどのようになり、宇野港の役割は?そんな事も気にかかりますが、また時々寄ってみてどんな風に変わっていくのか、その行く末を見守りたいと思います。

Himg0383
Himg0384
Himg0385
Himg0387
Himg0388

2017年10月29日 (日)

香川/観音寺 誰が呼んだか銭形砂絵

香川県観音寺市、JR観音寺駅からの歩き旅です。

(2016年12月当時)

●駅前通り

元の駅記事は2010年訪問時のものですが、今回の記事写真は2016年再訪時のものをお届けします。

観音寺駅の駅前広場を出るとすぐに橋があります。

右側に歩道がありますが、これを過ぎるとすぐ橋です。このため中心地街も橋の向こうで、中心的機能も同様です。

Dscn3911

●たいしょうばし

親柱の上にある「寛永通寶」の古銭オブジェが印象的な、観音寺駅から北上して最初の橋で長さは約30mです。この古銭がここに出ているのは、市内の琴弾公園内の銭形砂絵に由来しますが、江戸時代に人を迎え入れる為につくられたという点で共通するものの諸説あり原点はよく分かっていないそうです。

欄干下にあしらわれている花模様も文字通り「華を添えて」います。

Dscn3912

●観光案内所

大正橋を渡り切った後に現われるのがこの「大正橋プラザ 観光案内所」です。

レンタサイクルもここにあります。9時から利用可で1日ナント100円!500円前払いで返却時に400円キャッシュバックだそうです。

観音寺駅を出て、駅からまっすぐの道をすぐの橋を渡った左側にあります。ここではレンタサイクルの利用は有効と思います。先述の銭形砂絵を見る際のアクセスも自転車がある方が断然便利です。

Dscn3914
Dscn3915

●商店街

駅通り商店街として店の外壁にド派手な宝船が描かれていました。

別のビルには招き猫も!

この観音寺駅前の商店街ではユニークな活性化事業が展開されており、1店舗内に2業種のお店を出すなどして、過去の活性化事業で失敗した苦い体験をもとに新たな展開を考えているといいます。

Dscn3917
Dscn3923

●中国銀行跡地

1970年に中国銀行観音寺支店としてオープンした時の建物ですが、老朽化により駅から徒歩10分の別地点へと2010年3月に移転されています。

この建物は40年間稼働していた訳ですが、昨年末のこの時点ではまだ残っていました。今はちょっとしたコンサートなど別用途で使用されているようです。

Dscn3921

●公園的スペース

観音寺駅からまっすぐ、北へ300m進行後左折して更に300m程西へ進んだところにあった公園的なスペースです。

三豊工業高校の学生さんがつくったオブジェが並べられ、床にはでっかく「寛永通宝」の古銭が描き込まれていました。かぼちゃの馬車とか作り方が素敵でした。

Dscn3925
Dscn3927
Dscn3926

●あかちょうちん

というお店がありました。表がこんな感じなんで現役ではないかもですが、すごい形で残ってるなと感じます。しかし食べログで調べたら、5年前のコメントながらクチコミがあり、閉店の情報も確認できないので、あるいはまだやっているお店かも。

Dscn3929

●三架橋と財田川

三架橋は「さんかばし」、財田川は「ざいたがわ」とそれぞれ読みます。

三架橋は日本百名橋にも選ばれたという観音寺を代表する橋で、元々三つの橋が架かっていた事からこのように呼ばれているといいますが、その名残なのか今のこの橋も三連の橋になっています。

すごく貫録があり、すごく大きい橋のように見えますが、長さは90mあまりです。

財田川は香川県で最大の流域面積を持つ、やはり香川県を代表する川(二級河川)です。

Dscn3935
Dscn3933
Dscn3939

●三架橋2

こちらは観音寺駅から来て橋を渡り切った後からのカットです。

三連の様子が分かり易いと思います。

川面に橋が写っているのもまた素晴らしいですね。

Dscn3998
Dscn3997
Dscn3995

●琴弾八幡宮 鳥居

橋を渡ると程なく、琴弾(ことひき)八幡宮という神社の鳥居に行き着きます。

琴弾というこの名前は…銭形砂絵があるのも琴弾公園ということで、一連のエリアに入ってきたという事です。砂絵はもう少し先ですが…そしてこの観音寺へ再訪したのも他ならぬ砂絵を見に来るためでした。

Dscn3944

●源平屋島合戦の由来

として説明板がありました。

屋島というと県でも東部の高松市にあり、そこで源平の激しい戦いが展開されたといいますが、県西部のこの観音寺・琴弾山がこの戦勝の大きなカギを握った地である旨の説明がありました。

戦というものは単に面と向かって戦う事だけでなく、いわゆる「知略」が奏功するものだという事をつくづく思い知らされます。

Dscn3946

●庭園

琴弾八幡宮の鳥居をくぐって、階段を上がると八幡宮に至りますが、これを上がらず平地を直進していきます。

空も映す水面のきれいな池とみどりの織りなす庭園を横目に進んで行きます。

Dscn3950

●問答石

開祖・日証上人が問答石に座って黙想していた時に、老人が船に乗って近くの海岸に到着、上人が問うと「我は八幡大菩薩り」と答えたという、などとありましたが、なぜこれが問答石と呼ばれたかを書いたものが見つかりませんでした。この石の上で老人に問答したから、なのでしょうか。

Dscn3955

●展望台へ

平地を暫し歩いた後、この一番上の写真の右側に分布する道から入って、山道とも思える道をひたすら上って行きます。

車でも上っていけますが、ここだけは自転車だとしんどいところですね。

Dscn3956
Dscn3957
Dscn3958
Dscn3962


●名勝 琴弾公園

展望台へと登りつきました。

山道はひっそりしていて、距離はそんなに長くはないながら心細ささえありましたが、ここまで上り着けば、すっかり観光地になっていました。駐車場もしっかりあります。車で来る方の方がむしろ多いと思いますが。

観光地ではありますが、お店が出ている感じはありませんでした。ここは展望台というだけなので、そこらにいくつかの碑がある程度のものです。

ここから見下ろす形で砂絵を見るという形で、決して砂絵のある砂地へ踏み出して見られるという訳ではありません、砂絵は基本的に立入禁止のようで。

Dscn3973
Dscn3972
Dscn3969
Dscn3974

●銭形説明板

ここでは1633年に藩主を迎え入れる際に地元住民が一夜にして完成させたと説明がありますが、これは一説だそうです。昼は砂絵として美しいのはかねがね見ていましたが、夜のライトアップがまた綺麗なのですね、それはここに来るまで知りませんでした。

一見して円形に見えるが実際は約120×90mの楕円形なる説明もあります。そしてまた都市伝説的な話ですが、これを見た人はお金に不自由しない、というものがあります。

Dscn3977
Dscn3976

●銭形砂絵!

相当引っ張りましたが、おまちどうさまでした!

今回の旅のメインともいうべき「銭形砂絵」です!

往年のテレビドラマ「銭形平次」で故・大川橋蔵さんがオープニングで銭を投げた後のタイトルバックとして使用されていたのがこの砂絵です。橋蔵氏主演の銭形平次は1966年から84年まで連続888回、1人の主人公が連続で演じた回数は日本一だと思いますが、超ロングヒット作です。終了した84年内に大川橋蔵氏が亡くなった事もあり、健康的な理由がなければもっと続いていたのでは?と思いますが55歳の早過ぎる死は惜しまれました。

観音寺でちゃんと観光していなかった事があり、何か見るものがないか?と思って行き着いたのがこの砂絵です。銭形平次は幼少期にTVでやっていたし、より一層興味が湧いてやってきたのでした。

砂絵の周りは緑に囲まれていて、そしてすぐそばは海なんですね。実際は楕円なのに遠景に見えるのは斜め上から見ているからなんでしょうか??

観音寺きっての観光名所に行けて良かったです。

Dscn3978
Dscn3979
Dscn3981

2017年10月28日 (土)

東京/福生 拝島・境目のマイナスイオン

東京都福生市、JR拝島駅からの歩き旅です。

(2017年8月当時)

●ウェルカムボード

おそらく駅記事の時にあった「ふっさコミュニティマップ」の更新版と思われます。

ちなみに駅記事では2006年8月当時の姿を載せていますが、当時は駅外での記録が乏しく、今回のような旅記事に載せるに値するものがなかった為、今年のお盆に寄り道して少しだけですが゛、巡った内容を載せられるかと思い、今回記事更新にこぎつける事ができました。

ここ拝島駅は福生市と昭島市の境界に存在しますが、福生側に着目した記事したいと思います。

Dscn1555

●川に並木

拝島駅の北口からすぐに左へ折れて進んで行ったところです。

線路の東に沿う形でこのような川が流れていて、その両サイドをこのような並木が続いていました。

西部とはいえ東京の駅前すぐでこのような緑いっぱいの景色に出くわし、またこの時あいにくのお天気で、とにかくマイナスイオン充満という感じでした。

Dscn1560

●街並み

拝島駅北口から約3分、川に沿う形で歩いて行くとこのような街並みです。

東京の片隅、という感じですが、実にひっそりとしていました。東京でもこんなに自然に落ち着く場所があるんだな、と田舎もんなので思ってしまいます。

Dscn1561
Dscn1562

●日光橋

左側に隠れているのが川ですが、上の写真の街並みを交差点まで進んで行くと、左側にはこのような橋が架かっており「日光橋」とありました。

ちなみに川は玉川上水です。そしてこの辺りは条例によりその玉川上水の歴史環境保全区域に指定されています。なるほど道理で自然いっぱいな訳ですね。

で、この日光橋はレンガ積みアーチ橋では日本最古とされ、1891年に日光脇往還という街道の行程中で建設されたといいます。橋そのものには昭和25(1950)年竣工の記載がありますが、これは交通量増加に伴い、コンクリートで拡幅した時のものです。

正直なところ、福生で見るものを事前に探してもなかなか出てこず、横田基地があるというものの、それを見る訳にもいかずと思っていたところで何か見るものはあるのかな?と思っていましたが、こんな記録的なところがあるとは、嬉しい誤算でした。

Dscn1563

●日光橋公園

その日光橋の名を冠した公園エリアがありました。正確には「玉川上水緑地 日光橋公園」といい、1995年に玉川上水に沿って細長く造られました。

日光橋はこのアーチとは垂直に位置しており、日光橋の延長上という形ではありませんが、ネーミングは日光橋の名前が入っています。

これから更に緑深い空間に入って行く訳で、それこそマイナスイオン湧き湧きの中、体中でそれを受け止めて進んで行ったのでした。しかし天気がなかなか…雨続きで大変でした。

Dscn1567
Dscn1568

●どんぐり橋

入口から直進して程無く、このような橋があり、ここを渡りました。

途中にベンチがあったりしましたが、雨で用をなさずでした。

Dscn1572
Dscn1573

●雨宿り

どんぐり橋を渡った先の屋根つきこのベンチで雨宿りしました。

自然いっぱいに雨に…マイナスイオンづくしを最も感じた地点でした。傘を持ってなかったし、元々傘を持って歩くのが面倒なもので(こうして写真を撮りにくくなるので)、ここで雨がやむのを少し待っていましたが、なかなかやまないどころか、この後強くなってちょっと大変でした。それもあってこの後の福生の旅は非常に不調なものとなってしまいましたが、とりあえずここまで来れて新しい発見ができたのは収穫でした。

東京で落ち着ける場所、としておススメです(笑)

Dscn1576
Dscn1575

より以前の記事一覧