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旅行・地域

2017年9月16日 (土)

山陽電車/別府駅 (兵庫県加古川市)

兵庫県加古川市の山陽電車/別府(べふ)駅です。

加古川市では、JR加古川駅はじめupしており、山陽電車でも最近、尾上の松・浜の宮という駅を御紹介しましたが、これらと共に加古川市内の山陽電車3駅を構成している残りが当駅です。

-山陽電車/別府駅-
【路線】
山陽電車本線(西代-山陽姫路間)
【開業】1923年8月19日
【訪問】初訪問-2003年2
【1日あたり平均乗車人員】 4,759人/日 (2015年)
【近隣の主要駅 (西代方面)東二見駅→3駅
           
(山陽姫路方面) 高砂駅→3駅

●駅名標周辺

大分県の温泉で有名な「べっぷ」と同じ漢字を書きますが、ここでは「べふ」と読みます。

神戸市西区にも「北別府」という地名があり、こちらも「きたべふ」と読みます。

隣駅は片側は浜の宮であり、加古川市内の山陽電車3駅では最東端となり、もう片側の隣駅「はりまちょう」は現在の播磨町というそっくりそのまま自治体名となっています。かつては「本荘」という駅名でしたが。

加古川市内の山陽電車3駅中では、唯一の高架駅舎となっていて、また利用者数も尾上の松、浜の宮に比べて倍程度あります。明確な中心駅ではありませんが、3駅中では最も栄えている駅といえるでしょう。

ちなみにこの記事での写真は2016年訪問時のものが中心ですが、たまに初訪問時の2003年当時のものを断りを入れて載せていきます。

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●ホーム

高架で2面2線のホームです。

加古川市内の3駅はすべて特急停車がなく、そういう意味では同列の扱いとなりますが、駅前にヨーカドーのようなショッピングセンターをもつ駅は当駅のみです。

加古川市内の乗客はもちろん、隣の播磨町からの乗客もあります。また、1984年までは別府鉄道という鉄道が交差していました。

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●新幹線と並走

右側が山陽新幹線で、このように並走している状態です。

加古川市には残念ながら新幹線の駅がありませんが、新幹線は通っているという状態ではあります。

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●北口俯瞰

ホーム北側から見下ろした様子、新幹線との間の通路が北出口として1本道が短く通っています。

街は反対の南口に広がっています。

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●ホーム階段

高架ホームから下りる階段です。

尾上の松も浜の宮もホーム階段を下りる形となっていますが、これらは地下道を通って改札に出る構造になっていて、当駅はそのまま階段を下りて地上改札に至る構造です。

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●駅構内

高架ホームから降りてきて、1F部分の改札を出ると、駅スペースは高架下のこの1本道のみです。

3段の階段が元々あったものにスロープを追加してバリアフリー対応にしたのかな、という感じが見て取れます。

駅構内にコンビニがあるとかそういったものは特にありませんが、他の駅が改札出るとすぐ出口である事が多いのに対して、ここはこの通路があり、たまにこの通路で滞留している人も居たりします。

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●北出口(駅舎北口)

ホームから眺めた様子は先ほどの写真にありましたが、ここでは降り立っての様子です。

北口は基本的に通路だけで、この通路を過ぎて新幹線沿いの道に出てから街へと繋がります。

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●北出口2003

初めて訪ねた2003年当時の同地点です。

基本変わりませんが、上の2016年の写真には駅舎にエレベーターが取りつけられているのが最大の違いであり、この2003年版はそれがなく、駅名の表示もありません。

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●南口 駅前広場

北口は通路だけでしたが、南口はこのように駅前広場のスペースが取られています。

下2枚中、上側の写真は全くの出たところで、下側は出た後に駅前広場を横から(左から)撮った形のものです。

真ん前にはパチンコ屋やコンビニがあり、広場はタクシーが停まっています。尾上の松や浜の宮ではタクシーのりばはありますが、停まっていない事もあり、ここでは大抵タクシーが停まっている印象があります。

また駅前広場を出て右にそれると、幹線道沿いにカフェやミスタードーナツなどがあります。その向こうにはイトーヨーカドーがでっかく建っていて、駅前を象徴する、また核となる大規模ショッピングセンターです。

バスは加古川駅方面へ、小型車体の「かこバス」が出ています。

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●別府駅 駅舎

南口の駅舎です。

高架駅だけあって規模の大きさを感じます。ですが、駅内に特別な設備がなく、ただひたすら駅の設備のみで構成されています。

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●別府駅 駅舎2003

2003年当時の駅舎です。

現在に比べて駅名表示がかなり大きくて、違う建物のようにも思えます。基本的にエレベーター設置による違いが大きいのですが、駅の面の部分もここではだいぶ変わったようです。味のある駅名表示が消えたのは少々残念ではありますね。

この時は自販機群もこのようにありましたが、現在は撤去されています。

そんなこんなで別府駅をお伝えしてきましたが、当ブログで加古川市の駅はこれにて全駅up完了と相成りました。街の様子もいつかはupしなければですね、ネタはあるので…

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2017年9月 9日 (土)

JR新三郷駅 (埼玉県三郷市)

埼玉県三郷市のJR新三郷(しん・みさと)です。

三郷市ではJR三郷駅をupした事がありますが、これに続いて三郷市の駅の御紹介です。

-JR新三郷駅
【路線】JR武蔵野線(鶴見-西船橋間)
【開業】1985年3月14
【訪問】2017年5
【1日あたり平均乗車人員】 15,072人/日 (2016年)
【近隣の都市駅(鶴見方面)吉川駅→2駅
          (西船橋方面)三郷駅→隣駅、新松戸駅→3駅


▼駅名標


三郷市としては6年前の2011年に隣の三郷(みさと)駅を訪ねたのが初めてでしたが、この5月に機会を得て、前回行けなかったこの駅に行く事ができました。

1985(昭和60)年開業という比較的新しい駅で、国鉄としての歴史はわずか2年で終わる事となり、以後はJR駅となり今に至ります。ちなみに隣駅の片側である「吉川美南(よしかわみなみ)駅は2012年に改行した新駅であり、その隣の吉川駅とこの駅の反対側隣駅の三郷駅、といういずれも現市の中心駅同士が隣り合っていたのが昭和50年代の様子でした。それなりに駅間があったのが、新駅ができていって駅間が狭まっていったのですね。下が近辺の駅と開業年です。

南越谷 1973年

越谷レイクタウン 2008年

吉川 1973年

吉川美南 2012年

新三郷 1985年

三郷 1973年

とまぁこんな感じなのですが、そもそもこの武蔵野線という路線自体ができたのが1973年の事で(上に同年開業している駅は開業時からの駅)、路線自体が新しいという事です。

これに加えて、この区間でいえば当時あったのがうち3駅のみで、12年経ってひとつ増えて、21世紀に入って二つできたという事ですね、開業前はそれほど鉄道需要がなかった地域なのでしょうか?今では首都圏の外環状路線として、なくてはならない存在となっています。

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●ホーム

2面2線のみのホームで、両側に出口がある橋上駅舎です。沿線大体こんな感じなのかな、という個人的な印象でしたかありませんが。

ただこの駅のある三郷市や隣の吉川市の駅は他路線への乗換がなく、この武蔵野線のみの所属駅で、周囲の自治体では越谷市(東武と接続)や千葉県流山市(つくばエクスプレスと接続)など乗換路線がある格好となっています。

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●駅前広場

駅の2F出口から繋がっている通路から見下ろした駅前広場の様子です。

上の通路の片側からなので広場の半分の様子しか分かりませんが、こんな感じです。広場の中に「そらまめ」のモニュメントがありますが、べつに特産という訳でもないようで、旧操車場の形でそら豆に似ているという事で、こんなオブジェがつくられた、という一見では分からない理由のものが設置されています。

風景として、そんなに都会感溢れるという感じではありませんが、2009年に「ららぽーと新三郷」やコストコホールセールという大型商業施設が次々と開業し、この駅の利用者数もぐんと伸びていきました。この撮っている地点である通路も、そのららぽーとまでの駅から伸びている直通道路なのです。

ららぽーと効果はなかなかのもので、駅の住所まで変更させる影響力を持ち、元々は三郷市半田という住所であったものが、今では三郷市ららシティ二丁目…」などとなっています。

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●ららぽーと新三郷

として上側の写真はFOREVER21というアメリカのチェーンストアとの事で、駅の2F通路から繋がっていて、手前側左に分岐しています。

これを直進して下側の写真にあるららぽーと新三郷の建物があり、ここの地上階ではイペントが行なわれる事があり、上から観覧もできるようになっています。しかしここの客数がなかなかのもので、食べ物を食べに行くのはなかなかままなりませんでした。オープン当初の店舗数は178店で、駐車場台数は3,262台とか。どのくらい大きな規模かよくわかりませんが、とにかく絶対的に大きな数字であろうことは想像に難くないところです。

とにもかくにも大型商業施設群が大きなウリである、それがこの新三郷の大きな特徴であると言えると思います。

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●新三郷駅 駅舎

2F部から通路の出ている駅特有の駅舎の撮りにくさでしたが、雰囲気的にこんな感じという事で…。

地上に下りて駅を撮れば良かったのですが、これに関してはちょっと手抜きしてしまって、地上に下りる事なく駅を撮ってしまいました。ららぽーとにずっといたもので駅を撮る事に執着してませんでした。

とにかくこの時の訪問で、三郷市内の三郷・三郷中央駅と訪問していたのに続いて、未訪であった本駅を訪ねる事ができて何よりでした。

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2017年9月 6日 (水)

北海道/小樽 石原裕次郎記念館よ、永遠に!

北海道小樽市、先月末の8月31日をもって、あの「石原裕次郎記念館」が閉館になったという事で、在りし日の同館の様子をお送りする事で、記念館よ永遠たれ!との想いをのせたい思います。

(2015年5月当時)

●記念館の帆

石原裕次郎記念館の入り口を象徴する存在の大きなひとつであるこのヨットの帆。

1991とあるのは、1991年に開館された事を示しています。

今年閉館したので、開館期間は26年間という事になりますが、この26年はあっという間のように見えて、実は石原裕次郎氏の52年の生涯の実に半分にあたる訳で、相当長きにわたり語り継がれ、そして又、形になって残っていた事を実感させられます。

ちなみに先程「そして又」というフレーズを使いましたが、これは「太陽にほえろ!」の最終回のサブタイトル「そして又、ボスと共に」からとったものです。それまで長期休演していましたが、最後の最後に病身をおして再登場を果たし、7分にもわたる「遺言」ともとれるべきアドリブ(当時はそんなこと知る由もありませんでしたが…)は、ただただ圧巻でした。

この記事の姿は今から2年前の2015年5月当時のものですが、正直やはり往時の勢いには翳りが感じられ、個人的にこの時1997年以来18年ぶりに訪問しましたが、やはり97年の方が全然盛り上がっていた、その感は否めなかったですね。ファンの高齢化、館内の老朽化…致し方なしというところでしょうか。寒冷地での設備の維持・管理は相当苦労し、これ以上は難しいと閉館に踏み切った経緯が先日記されていました。

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●裕次郎記念館 本体

これが裕次郎郎記念館です。またまた個人的な話になりますが、初めてクレジットカードをつくった時に「裕次郎カード」を選んで、この建物の真ん中にあるサイン?は、その時によく目にしたものでした。結局カードの期限が来た時に裕次郎カードも廃止になってしまいましたが…。

この建物は貰い手がなければ解体されるそうです。裕次郎関係の絵や字は無くなるのは仕方ないかもしれませんが、建物の面影ぐらいは残っててほしいなと願ってやみません。団塊ジュニアといわれる我々世代にとっては絶対的な「ボス」であり、それは多分死ぬまで揺らぐことはないと思います。

ちなみにこの時は、JR小樽築港駅から歩いて来ました。徒歩約10分、小樽駅からでも歩いて行こうと思えば行けなくもないですが、2駅離れた築港駅が最寄りです。

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●斜めから

上の写真では正面からで奥行きがあまり感じられませんでしたが、斜めから見ると奥行きが感じられ、より大きな建物に見えます。1俳優でこれほどの記念館を遺せる人物はそうそう居ない訳で、石原裕次郎という人物のスケールの大きさ、周りのサポート力の強さをひしひしと感じます。

思えば「西部警察」の全国縦断ロケなども大病後にも関わらず積極的に敢行され、全国をことごとくイベント会場にしてしまったそのスケール感たるや、圧巻の一言でした。当時、関西にもロケで来て、大阪ででっかいイベントがあって行きたくて仕方なかったのですが、そこはまだ当時中学生になったばかり、とてもじゃないけど行けたものではありませんでした…、そんな想い出も甦ってきました。

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●裕次郎

建物に幕の形でどでかく顔が飾られていました。この姿ももう見られないのですね。40代前半頃でしょうか。今の同年代にこんな貫禄は出せないですね…

しかし、移動記念館という形で計画されているそうで、この北の大地になかなか足を運べないというお客も沢山居たという事で、今度はこちらから出向いて記念館を開くイペントの用意がある、とまき子夫人よりあったそうです。夫人の元気な間に閉めたら?というのが渡哲也氏の進言であったようです。

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●コンテッサ三世と軍団

記念館の外に飾られていたヨットと、ヨットに乗っていた石原軍団のスナップショットです。

ヨットは「コンテッサ三世」という名で1963年に進水し、1963,65,73年にヨットレース出場歴があるといいます。ヨット大好き裕次郎の象徴的なものは入口以外にもあった訳ですね。

そして石原軍団のショット、こういう感じのをある年の正月番組で見た事あります。石原軍団の恒例行事といった感じで、新年早々濃いなぁ…と思いつつ。裸の舘ひろしとか結構定番だったりして、あとバンダナ巻いてたりもして、それを見たビートたけしが「二日酔いの包帯」とか言ってましたが(笑)

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●記念館入口

ここまで引っ張りに引っ張りましたが、いよいよようやく館内入口です。

こんな豪華な素晴らしい施設が無くなっただなんて、改めて寂しい限りと思うしかない状態です。

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●玄関でお出迎え

館内に入ったすぐ先はこんな風に等身大?かわかりませんがほぼそれぐらいのでっかい裕次郎がお出迎えです。

ちなみにこれは西部警察の課長か太陽にほえろ!のボスか、というと後者です。

昔「太陽にほえろ!」は毎年ポスターカレンダーを出していました(長寿番組ゆえ)が、それの1983年版頃のカットだと思います。家で毎年買っていたのでよく覚えています。西部警察の課長は概して服が派手です、ベストの裏地がすごかったりとか。こういうピシッとしたスタイルは「太陽~」での場合が多いです。

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●名車続々

いよいよ館内です!

最初の写真の手前側はRS-TURBOとして西部警察に出てきた車両です。

日産スカイラインのR30型というもので、西部警察は日産自動車がスポンサーとして全面協力し、数々の車を番組に登場させ、また活躍させてきました。このRSは1から3まで3台を有していて、各刑事が番組中で乗り回していたいわば戦闘車両です。RSの中でこの車両は「1」で他の2や3と違って戦闘車利用的な側面の強い車両です。他の車は情報収集や分析面が強い車両、とそれぞれに役割があります。

二枚目の写真はスズキ刀Rというバイクで、舘ひろし演じる鳩村刑事(ハト)が後期に乗り回していたものです。ちなみに彼は西部警察では番組スタート時に巽刑事(タツ)役で出演していたものの、契約の半年(番組自体も当初は半年程度であったとか)が過ぎた時点で、殉職の形で降板していましたが、その1年半後に鳩村刑事としてしれっと甦り、現在に繋がる人気を獲得するに至りました。巽刑事だけの出演であれば、ここまでにはなってなかったかもしれません。ちなみにタツが乗り回していたのがハーレーダビッドソンで、タツとハトって役者は一緒だし舘氏本人も変える工夫はしなかったと語っていますが、タツは髪も長めでヤンキー色の強いワイルド系なのに対してハトは髪もちゃん耳が見える程度に切り揃え、若干大人の余裕めいたものも感じられました。

最後の写真は大門団長が乗るスーパーZ「(フェアレディZ)で、何といっても真横が縦に開くこの「ガルウイング」がインパクト大な車です。右側の裕次郎氏の後ろにあるのはオープンカー「ガゼール」です。西部警察でも割と初期に乗っていた印象が強くて、大病後は車に乗るシーンはかなり減ったような気がします。

でまぁ、石原・渡・舘と西部警察の3大スターが等身大写真で現れているのですが、なぜ舘氏だけが現在の写真なのか??と思わされます。

裕次郎ワールドというば、こように西部警察色がかなり強くなり、「太陽にほえろ!」的な要素はあまりないのですが、これは「西部警察」が石原プロモーション、また石原裕次郎自身が制作者として名を連ねている文字通り石原軍団ドラマなのにたいして、「太陽にほえろ!」での石原裕次郎というのは、東宝が制作している中での1役者に過ぎない、というポジションの絶対的な違いによるものが大きいです。

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●パネル

色んな写真がありました。

真ん中のは遺影としてよく出てくる分ですね。これはどっちかっていうと西部警察での服装という感じがします、派手な色のシャツとかが。

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●出演映画の数々

銀幕の大スターといわれるだけあって、数々の映画に主演してきたその足跡をパネルで楽しむ事ができました。TVスターとしてしか知らない我々世代にとっては、へえ~ものでしたが。

下側の写真は後期のものが多く、影狩りなどは「太陽にほえろ!」で初めてテレビ進出した頃の作品で、1970年代に入って映画産業も斜陽化していくと共に出演作品も減っていく訳ですが、テレビドラマに進出してからは更に映画出演が減り、「太陽~」のスタート翌年である1973年の「反逆の報酬」 (右下の)が最後の主演作となり、映画での主演は38歳が最後となりました、ちなみにこの作品では渡哲也氏とも共演しています。

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●最後の映画

1973年「反逆の報酬」を最後に映画での主演はなくなり、それまで殆どの映画を主演で登場しながら、最後の作品はその3年後、1976年中村雅俊が直後に妻となる五十嵐淳子と共演した「凍河」での友情出演のものでした。ポスターにあるようにここではもう裕次郎の顔すら登場していません。最後の出演作品の割にはかなり認知度が低いようで、Wikipediaにもこの作品は載っていないようです。

この時代は「太陽にほえろ!」のボスとしてお茶の間の大スターの座を不動のものとし、また自社での制作を始めた頃でもあり西部警察の前身ともいうべき「大都会」シリーズを開始させた頃でもあり、完全なTVスターだった訳ですね。

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●西部警察ワールド

ここまでは映画の世界でしたが、ここからはTVの世界、やはりどうしても西部警察に偏りがちですが、撮影に使ったカメラ群にまず圧倒されました。

DVDの立て続けのリリース時に話題になったのも、このドラマの元々の人気の地力的な部分があったものかと思います。

最後は団長である大門の殉職という形で5年間の放送に幕を閉じた西部警察、1984年のことでした、ギリギリ昭和50年代、本当に熱く素晴らしい時代でした。大門殉職はショッキングでしたが、自分が死ぬという形で皆さんに恩返しをしたかった、とは当時の渡氏の弁でした。

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●コンテッサ

最後はこの写真、コンテッサってどっかで聞いた名前…

と思ったら館外の一角にあったヨットですね、そこからとられたと思いますが、館内には飲食施設もありました。

飲みものが中心でしたが、裕次郎パンというのも売っていました。今思えば、これを食べなかった事を後悔しています…

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これは2015年の姿でしたが、偶然とはいえ閉館2年前に再訪する事ができて本当に良かった思いました。観光記というよりはヲタクが熱を語っていただけのようでしたが…

これからは移動記念館として活動予定があるとの事ですが、こういう固定の記念館として26年間もの長きにわたりの御活躍、本当にお疲れさまでした!

石原裕次郎記念館よ、永遠(とわ)に!

2017年9月 2日 (土)

福島/南相馬 南相馬は原ノ町

福島県南相馬市、JR原ノ町駅前の様子です。

(2010年9月当時)

●原ノ町駅周辺地図

駅前によくある周辺地図です。ちなみに2010年当時につき、この記事全般にわたり震災前の様子です。

左上が北となりますが、その左上部分に書いてある地名は「南相馬市原町区」となっています。

これは、ここが旧・原町市から周辺町との合併によって南相馬市に2006年になった際に、この辺りが原町「区」という地名になったもので、新市制化による名称変更がなされたものです。

市内には原町区以外に「小高区」(旧・小高町)、「鹿島区」(旧・鹿島町)があり、いずれも合併前の自治体名が南相馬市内の区名となっています。

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●野馬道の里案内図

「のまおいの里」と読みます。

平将門が野馬を放って、これを敵兵に見立てて行なった軍事訓練が元とされている「野馬追」は国指定重要無形民俗文化財であり、年に一回イベントとして実行され、今年は7/29~31の期間で行われたという事です。その「野馬追」のお行列があったりして、ルートなどが示されていました。

このような全身鎧の武士が馬に乗って次々続々とやってくる姿は、Youtubeで見ただけですが壮観でした。お行列は割に淡々と、「行列」として練り歩く感じなので、見入る感じですが、本祭りの草原上での何十、いや百を超えてるのか??というぐらいの多数の武将を乗せた馬たちの乱れ走りともいうべき「馬追」はまさに戦国時代の合戦前のような雰囲気でした。

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●原ノ町駅前通り

現在の南相馬市になる前から、原町市として市の中心駅であった当地は、駅前の通りはそれなりにできあがっている感じでした。右手前の大きめの建物は市民情報交流センターです。

格別高い建物が続く街並みではないものの、そこそこ中層の建物は続いている感じでした。

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●駅横

原ノ町駅を降りて右側の線路沿いの道路周辺です。

右にあるのは駐輪場ですが、屋根が波のようになっていて、左側の道路のカーブと相まって曲線だらけの美しい絵面になっていたので、ここに載せました。この道路が直線であったなら、ここまで面白い画にならなかったかも、と勝手に思っています。

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●マンホール

旧・原町市のマンホールという事で、市の花しらゆりとの表記も見られます。

ちなみに現在の南相馬市の花はサクラだそうです。

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●駅前バス停

駅前のバス停です。表記が原ノ町駅前ではなく、旧市名の「原町」駅前になっています。

本数を見るとかなり少なく、3ルートぐらいありますがいずれも1日に1,2本くらいしかない極少路線のようでした。

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●原ノ町駅前郵便局

よく〇〇「駅前」郵便局とある場合は小さな局である事か多いのですが、ここは大きめの郵便局でした。しかしこれと別に本局があり、原ノ町駅からこの道路をそのまま1kmほど進んだ所に「原町郵便局」として存在します。

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●駅前更に進んで

原ノ町駅前郵便局の更に向こう、これでもまだ駅から100mもないぐらいの地点です。

向こうのホテル西山というのがありますが、この原ノ町駅からここまでの短距離で実に3つものホテルがあるという何気に宿泊には便利な街です。ちなみにこのホテル西山というところは、シングル4,000円で泊まれるというリーズナブルさですが、バストイレはなし(共同)で、バストイレありだと5,600円となっていました。それでも安いですね。しかも大浴場サウナ完備だそうです。

左手前のこじんまりとした建物は当時は釣具店でしたが、現在は建設会社の事務所になっているようです。この時の看板に「マミヤ・オーピー」とありますが、この東証二部上場企業名が出てるのは、かつてこの会社が釣具事業をやっていた事によると思われます。(2000年に撤退)

その向こうの建物が取り囲まれていますが、おそらくこの直後に取り壊されてしまったのでしょうね、今はそのまま更地になっているようです。7年でもこんなに変わってしまうのか、と感じさせられます。

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そんなこんなで、原ノ町駅から100mすら歩いたかどうか、ぐらいの短い旅?しかできなかった南相馬市でしたが、なんとか行く機会をつくってもっと魅力を感じたいものです。

GoogleMapとの対比でえらく様子が変わっている部分も知る事ができましたし、より一層また行ってみたいです、いつ機会がつくれるかですが…。

2017年8月28日 (月)

大阪/阪南 尾崎の街並み 心のふるさと

大阪府阪南市、南海/尾崎駅からの歩き旅です。

(2017年2月当時)

●尾崎駅前の一角

駅記事で尾崎駅に来たのは2007年4月の事で、奇跡的なツバメの飛翔写真が撮れたりしているのですが、それ以外ほぼない状態でもあったので、今回この2月に再訪の形でもう少し周辺を歩いてみようという事で、この記事のネタのためにやって来たのでした。

色の褪せまくった「Coca-Cola」の看板に昭和が遠くなったことを感じます。その時の流れを感じつつ、格安きっぷといういかにも平成らしい自販機があるのもまた不思議な一角と感じます。

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●はんなんマンホール

大きく3つに分かれて、上は生活を豊かにする「水」を表し、左は市の花「さつき」、右は市の木「マツ」が描かれています。

初めて来た10年前は全く意識していませんでしたが、ここは意外と?海辺の美しい街で、今回はその辺りまで足伸ばしができたので実にみのりがありました。

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●駅前道

尾崎駅西側の駅からまっすぐ伸びている道路ですが道幅が狭くて、本通りという感じでありませんでした。それでもここは府道250号(鳥取吉見泉佐野線=約10km)で、駅から伸びている道路では最も幅の広い通りではあります。

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●尾崎神社

尾崎駅から海辺へ向かって歩く道中にある神社です。

1700年頃に当地にて祀られ始めたといわれ、よく奈良時代や平安時代の創建と伝えられたりする神社において、割と歴史が浅いと思ってしまいます。当時疫病が流行し、この平癒祈願として造られたとされています。

当初は八坂神社と称し、1909(明治42)年ごろに今の名になったといわれています。

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●家並み

だいぶ海辺まで来ました。

尾崎の街の魅力はこんな所にあったのか?と再認識させられました。

この通りを見るだけでも雰囲気と情緒に溢れていると感じました。どんな街でも海辺へ行くと情緒出てきますよね、こんなのどかなとこなら尚の事で。

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●本願寺 尾崎別院(外)

街並みを流していたら、白壁が長く続くところがあり、このお寺の塀だったという訳です。

ここは逆に海側でなく、駅方向へと引き返した格好で、尾崎駅からわずか100m程の地点にあり、尾崎駅に来て、壮観に触れ合いたいのであれば、ここへ来ればいい、とすら思えました。

門横の幾重もの屋根が印象的で、いちばん上の屋根のかわいらしさも素敵でした。

大阪に3つある西本願寺の別院のひとつ(他に大阪市の津村別院、堺市の境別院がある)であり、元は善徳寺といっていたそうですが焼失したようで、1598年に時の領主が壮大なお堂を建て、本願寺第十二代宗主の准如上人という人物に寄進し、尾崎御坊と呼ばれるようになったといいます。

その後1700年に火災に遭い(同時期に尾崎神社が祀られ始めていますが…)、再び焼失の憂き目にあったわずか4年後に近くの浜でたまたま巨木を積んだ船が嵐のあと漂着した事から、その木を利用して翌1705年には再建されたといいます。不思議な縁のおかげで、今この姿を見る事ができているのかもしれないですね。

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●本願寺 尾崎別院(内)

境内に入った様子です。いちいち建物が素晴らしいなと。

ただ、このように門が閉じていたりなどしていました。入った門は山門ではない、お勝手のような入口という事でしょうか。人が訪ね歩き、行き交うような雰囲気はありませんでしたが。

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●街並みを往く

白壁の手入れの行き届いた家屋もあれば、往時そのままに?姿を留めた家屋もありで、尾崎の街を象徴するような通りとなっています。こういう姿を見るだけで、非日常の空間に入った気分になって、いかにも「旅してるな」という気分になります。そこに暮らす方々はこれこそが日常なのでしょうが。

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●海辺の風景

最後はこのカットで。

懐かしい街並みから横へそれて、海辺までやってくると、高い防波堤がある道路が続き、この向こうが海なのが分かる風景でした。

この防波堤にのぼって眺めたら、テトラポットが多数積んでありました。ちなみにこの対岸は、淡路島の東部です。

尾崎駅から直線距離にして300m程度でこの海辺へと行き着き、阪南市、尾崎へ来たならこの海まで手軽に足伸ばしできるという訳です。ただちょっとこの防波堤が高いので、向こうの海が見づらいかなという部分はあります。一応、はしご状の階段のついている部分はありますが、気をつけてのぼらないとケガの元ですから。

特別ものすごく目を惹く景色、という訳ではないですが、どこか心和む風景も少なからずで、そういう部分がこのブログを通して少しでも伝われば、と思います。

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2017年8月20日 (日)

静岡/湖西 浜名湖だって見られます!

静岡県湖西市、JR鷲津駅周辺の様子です。

(2017年7月当時)

●技術立国発祥の地

湖西市およびこの駅に初めて来たのが2007年8月で、ついこないだと思っていましたが、既に10年が経過し、またこの初訪問当時があまりあげられる写真が見当たらなかったので、先月10年ぶり再訪の形でこの鷲津に寄ってみました。

この看板は鷲津駅の外壁に掲示されているもので、「豊田佐吉・喜一郎が生まれた街」として「技術立国」なる言葉でアピールされています。豊田佐吉は現在のトヨタグループの創始者として偉大な存在であり、現在のこの湖西市域で生まれたといい、喜一郎はその息子です。佐吉は豊田自動織機の、喜一郎はトヨタ自動車の各々発展の基礎を築き、今もトヨタグループは絶大なる存在であり続けています。

ここでは「豊田佐吉記念館」が紹介されていますが、豊田佐吉の生誕120周年を記念し、1988年に開館されましたが、この鷲津駅から南西方面へ約2km程の所にあります。徒歩では少し時間が必要ですね(この時もここへは行ってませんが…)

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●横の建物は…?

という事ですが、折角先月10年ぶりに訪ねたというのに、この鷲津駅の姿すらが今や旧駅舎となってしまいました…つい8月6日に新駅舎へと移転となったばかりなのでした…それが完成し切る前の貴重な姿をここに納める事ができたのは良かったですが…。

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●コーちゃんバス

鷲津駅前のバスのりばに、このバス停標識が立っていました。駅を出てすぐの側ではなく、駅前広場を隔てた向こう側の方にこのバス停があります。

湖西市のコミュニティバスですが、時刻表では5系統出ていて、便数はバラバラですが、1時間に1本近くのものもあれば、1日に4便程度のものもあります。

「コーちゃん」とは、湖西市のマスコットキャラクターで1992年に市制化20周年を記念してできたもので、このバスの車体の横っちょにこのコーちゃんの絵がデカデカと描かれていました。「バボちゃん」にちょっと似た感じのキャラクターです。

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●くれたけイン浜名湖

この時は湖西市を少しでも歩こうと思って、市内に宿泊する事を考えて取ったホテルです。鷲津駅から徒歩すぐの場所にあり、駅前広場を越えて、道路を渡ればすぐの所にあります。鷲津に来たなら最も迷わずに泊まれるホテルだと思います。

「浜名湖」とあるので浜松市のホテルかなと思いきや、浜名湖はここ湖西市にも接しているので、浜名湖と名のつくホテルでも湖西市にある可能性もありな訳です。

このあたりは主要な駅前によくこのくれたけインがあります。浜松を本拠として県内に多数あり、また愛知県にも複数あり、その他北海道や東京、石川、岡山など中部地方外にも少しあります。

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●周辺図

といっても結構ボケてしまっていますが、雰囲気ということでupします。

鷲津駅が上の〇囲みで、このホテルが下の〇囲みとなります。飲食店が点在しているという事ですが、浜松近郊とはいえあまり人で賑わっているような街とは思えず、歩いていたらそれなりの店にぶつかる、という感じではなかったです。ある程度候補を絞って行った方が良いかも。

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●よるごはんの店

ホテルを出て晩御飯の場所を探し歩き、結局ここで頂きました。

チェスティーノ 湖西店 TEL:053-575-0339 HPはコチラ 

居酒屋メニューを1人で飲食してあまりおいしいと思った事がないので、普通に食べれる店を探す事が多いのですが、ここは21時過ぎでも普通に入れて、22時まではオーダーできる感じでした。と思って調べたところ11:00~24:00の営業との事です。

イタリアンでここまで営業している店というのは嬉しいですね、愛知県の新城市にももうひとつ店舗があり、ここは9:00~24:00との事ですが…。バイトの子?が「今日は朝から10:30まで入ってます」という声が聞こえたので、その位までの営業時間かと思っていました。

肝心のご飯は撮れる状況になく取っていませんが、イタリアンのお店としてパスタの種類がとにかく豊富で選ぶのに困る程でした。ホテルから西へ5分程度、ホテル前の国道301号を500mほど歩くと行き着きます。夜だと行程内に明るい所ばかりではないので、ちょっと距離が長く感じると思われ、少し遠く感じると思います。

ちなみにこの写真は翌朝再度通って撮ったものです。

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●ホテルからの俯瞰

くれたけインの宿泊部屋からの鷲津駅周辺の様子が一望できましたが、普通に住宅街という感じでした。浜松市のベッドタウンそのもの、の印象でした。

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●鷲津駅バス停

宿泊した「くれたけイン」を出て、前の晩に歩いた道をそのまままずなぞってみました。夜の写真だと伝わらないので、夜通って撮りたいと思った所は翌朝通るなどして昼間の風景を撮るようにしています。

駅前広場にあるバス停を先にあげましたが、そことは国道301号を挟んで立っているバス停です。ここは国道上にあるバス停で、屋根もベンチもあり、横壁もついているという設備的にはハイスペック?なバス停です。

バス停のバックはこのような広場になっていて、ステージもある感じなので、イベントスペースとしてよく使われているようです。

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●ビル

鷲津駅から国道301号を西へと進んで行きましたが、その途中で見かけたビルです。時計メガネ店でこれだけのビルってすごいな…と思いつつ見ていました。

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●浜名湖れんが館

鷲津って何か見るモノあるのか??とここへ来る前に調べて見つかったものがこれでした。鷲津駅から徒歩5分以内で行ける観光名所ともいうべき場所です。

湖西の観光はここと浜名湖の一端だけ見られればいい、そういう想いでここへやってきました。

説明書きにもありますが1904(明治37)年に建てられた倉庫もので、繭の安定供給のため倉庫として使われていたという事です。我々の年代でも製糸工場の中での「養蚕」を体感する事は難しく、当時の学研の教材についていた「カイコの繭」でその一端を知れました。今どきの子供たちにはもっと分かりにくい内容なのか?と思ったり、この説明文で感じました。

歴史的建造物として保存されるとともに、ホールとして催し物に利用されてもいます。

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●本興寺前バス停

レンガ館を更に西へ進みこのバス停へ。

そこそこの規模のお寺で観光にはここもよいかなと思い、寄ってみました。鷲津駅からはじゅうぶん徒歩圏域です。コーちゃんバスの路線としては鷲津駅では複数あった訳ですが、ここでは単路線(鷲津循環線)のみです。もうひとつは遠鉄の自主運行バスとして出ています。

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●本興寺

バス停は国道301号沿いにありますが、このお寺へは南に少しそれて入る事となります。

その入り口にはこのような境内地図がありました。ある程度観光の側面もあるという事でしょうか。国指定、県指定、市指定の各文化財が多く存在し、この地図ど真ん中の赤い部分には受付があり、庭園と書院の見学は有料という事です

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●山門

常霊山の山号があり、法華宗の寺院です

1383年創建とされ、開基者の日乗(1345-1425)は1414年の退位まで32年もの間この住職を務めたといいます。

この山門は元は三河国吉田城(愛知県豊橋市)の城門であったものを1674年に移築したという歴史がありますが、その後改修が重ねられて今のこの姿となっています。

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●本興寺境内

全長300mにもおよぶ長い参道が真ん中を通っていて、大規模のお寺である事を感じさせられます。平成の大改修でこのような完全舗装になったといいます。

途中には石垣階段のついた庭園スペースもあります。

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●本興寺を出て

今度は浜名湖の一端を見ようと北側へとかじを取りました。

そんな中で見かけた一角、家の一軒分?が「湖西市」のついたバリケードが張り巡らさせていました。一瞬「これだけの土地買おうと思ったらどれくらいするのかな?」とか考えてしまいました(笑)

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●合資会社佐原織布

現在は佐原工業(株)という地元湖西を中心に活動している自動車部品製造の会社という事で、元はここの門にある佐原織布工場という合資会社でした。1967年にはこの織物部門を引継ぎ現名の佐原工業としています。この工場門から見て今はもう使われなくなったものか、、??

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●浜名湖!

とにかく浜名湖の一端でもいいので見に行こう、というつもりできました。

案の定というか、観光に向けての案内等一切無い状態で、ただ湖が見えたのと堤防がなされているのみの状態でしたが、湖が見れたので満足しました。

湖西市、というだけあって浜名湖の西という事に今頃気づきましたが、観光として楽しむなら浜松市の方から見た方が良いかなと思いますが、ここでは湖西市からでも見れる、という事だけでお送りしました。観光然としてない分、人がおらず風景が楽しめるという部分はあります。

東隣の新居町駅では、浜名湖西岸の継ぎ目あたりで、もっと景観が望めるかと思います。以前新居町駅には寄りましたが、関所を見ただけに近かったので、浜名湖にも注目していれば、と思います。

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2017年8月12日 (土)

福岡/古賀 フードコートで寄り道

福岡県古賀市、JR古賀駅前の様子です。

(2017年7月当時)

●古賀市観光ポスター

JR古賀駅構内にそれぞれの古賀市のポスターが貼ってありました。

ちなみに冒頭リンクの駅記事は2008年訪問のもので、今回記事の写真はすべて先月2017年7月のものですので直接的なつながりはありません。

「薬王寺の湯」など惹かれるのですが、この古賀駅から距離があり、行きたい場合は少しまとまった時間が必要ですね。歴史街道あり山里あり、といったところですが、今回再訪時もなかなかそういう場所は行けませんでしたが、1ヶ所遺跡に行けたのは収穫でした。

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●Daiei

今やすっかり懐かしのものとなってしまった、このダイエーの鷹のイラストが駅前自転車置場の管理場?らしきところにありました。

10年ひと昔といいますが、まさにそれを感じさせられます。いつの間にかあっさりソフトバンクになってしまったな、という印象でしたが…。

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●未来に残したい巨木

として登録されている古賀駅前(東)のニビシ醤油という会社の前にあるクスノキです。

樹齢100年、高さは15mとあります。意外と若いな、という印象でしたが…樹齢ほどよく分からないものはないと一方にはあり、神秘を感じる部分もあります。

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●古賀駅前

西口の駅前です。

東口よりも街らしい景色、というか市の中心駅前の佇まいです。

下2枚中、上側の写真の写真が線路沿いの道路で、右側に隠れる形で古賀駅が存在しており、下側の写真はそこから左側の大きなビルの前で左折した、線路と垂直な駅前通りです。ただしこの通りの長さはすぐに無くなり、T字路に突き当たる事となります。

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●古賀市マンホール

2パターンあり、いずれもカラーで遭遇できました!

上側はなんただろうsign02と想像していたのですが、なんだと思いますか??

「下水処理場」のデザイン

だそうです。確かにマンホールといえばズバリそのものなのですが、大体その自治体に因むものが描き込まれている訳で、この発想は逆に斬新に思えました。

下側は市の花であるコスモスがピンクカラーで描かれたものです。

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●フリーエリア?

古賀駅西口の駅前通りを歩いていると、このような屋根つきのものが見えてきました。

こういうのを見ると、SLでも展示してあるのかな?と反射的に思ってしまうのですが、特に何というものはありませんでした。

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●「古賀」バス停

古賀駅から駅前通りを少し歩いた所にある「古賀」バス停です。

隣のJR古賀駅行きは1時間平均2本程度ありますが、他の方面には1日1、2便程度で、ほとんど利用できないかな、という感じでした。

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●古賀保線管理室

駅西口の駅前道路を引き返してきて、線路沿いを右に歩いていたところ、渋すぎる建物を見て思わず撮ってしまいました。後から見たら、保線管理室であったと。人がいた感は全然なかったですが…

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●SunLive

サンリブというスーパーマーケットチェーンが駅前にあります。駅前すぐというより西口から右へ少しずれた位置にあります。小倉を本拠とするチェーン店ですが、ここ古賀には1992年に開店したといいます。

この店舗の総面積は20,000㎡あまりで、正方形だと140m程度の四方ですね。ただのスーパーであれば寄ったかどうか考えましたが、フードコートもあるという事で寄ってみました。一時代前の雰囲気ながら、駐車場には沢山の車が停まっていました。この辺で買い物できそうなのは、ここしかないかなという感じでした。歩いていての個人の感想ですが。

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●ざるそば定食

サンリブ内には1Fにフードコートがあり、ミスタードーナツなども入っており、その中でこういう食事の出来るお店「ハッピーメイト」さんにてこのような「ざるそば定食」を注文しました。暑い時にひんやりしたざるそば、おいしかったです。他にもお好み焼き、焼きそば、ちゃんぽんやドリンク、アイスクリームと幅広くありました。

このお店はこのサンリブができる1992年以前から古賀市の方々にはご愛顧頂いている、とありました。また博多華丸・大吉の大吉さんは定期的にこのお店に寄っているのだとか。大吉さんは古賀市の出身で、ふるさと大使も務めているとありました。なるほど、そういう事なんですね。

その街ならではのものを食べられるともっと良いのですが、その街の名物店的なところでお食事を頂くのもまた良い想い出になるというものですね。暑くて脇目を振る余裕もなくここまで歩いて来ましたが、来てみて良かったと思います。

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2017年8月 7日 (月)

石川/七尾 色褪せた2002

石川県七尾市、JR七尾駅周辺の様子です。

(2002年8月当時)

●七尾駅前

昔の写ルンですで撮った写真を携帯で撮ってダウンロードしているので、基本的に画質が悪くて申し訳ありません。

今から15年前、2002年8月の姿です。

まず最初はこの七尾駅前、なんといっても「歓迎」の灯籠?群が目を惹きました。しかしこの15年の間に、駅前もだいぶ様子が変わったようで、このモニュメントもすっかりなくなってしまったようでGoogle Mapで覗いても確認できませんでした。祭りが大変多い街で、それも派手なやつが多いので、祭り好きな方にはうってつけの街だと思います。

もう15年もここには行っていないので久々に訪ねたいのですが、何せここへ行くのには時間がかかります。うちの地元からだと片道5時間は必要で、金沢から約1時間かかります。それにここへ行くのなら、同様に滅多に行けない輪島へも行きたいので、ちょっとまとまった時間が必要になります。輪島へはこの当時ですら、前年に鉄道が廃止されてしまい、金沢からバスで行くしか…という状態につき、本当にまとまった時間が必要です。でも輪島は15年経っても変わってなさそう…(知りませんが)

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●七尾北鉄前

交差点名称が見えにくくなっていますが「七尾北鉄前」とあります。七尾駅前すぐ右の北鉄(北陸鉄道)の七尾バスセンターの前につき、このような名称なっていますが、現在この位置に信号はない模様です。

右側にある鉄塔を頼りにGoogle Mapで確認しましたがやはり信号はなく、建物もだいぶ変わっているようです。鉄塔はまだ同じ位置にあるようですが。

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●七尾サンハーバー

という看板が右端に見えます。確かこの時泊まったホテルだったような…正直もう記憶になくて、別のホテルに泊まったのかもしれませんが。何せホテルへ行くのに、駅前のちょっと外れたこんな小路を通った覚えはあります。今でも残っているのかどうか…

七尾サンハーバーで検索してもほとんど出てこず、廃業したとしてもかなり前の事なのかもしれません。まだデジカメを持っていなくて、たくさん写真が撮れる状況になかったとはいえ、こんな写真しか撮れなかったのか、と後悔しています。

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●リボン通り

いかにも商店街、という感じの通りがありました。

鮮明でなくて全体的に黒っぽくてすみません。

かつては七尾市のメインストリートとして賑わったといいますが、時の流れがこういう街の位置づけを変えてしまうのかな、と。

…この写真から15年経った今、これらと同じ場所に立って撮ってみたいなと思います。なかなか寄れる場所ではありませんが。

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●七尾郵便局

建物の脇の部分に「日本一のでか山 山車」のフレーズと共にインパクトのある絵が描き込まれていました。これもまたGoogle Map先生に頼ってみると、郵便局はこの姿で今もあるのですが、この手前のイラストは完全になくなってて、ただの壁面になっていました。

ココにあるとおり、とにかく祭りの多い街です。

このイラストはホントによく覚えています。夜にホテル出て散歩してた時にもこの横を通った覚えがあって。今やなくなってしまったのが残念です。小都市の割に15年も経つとかなり変わってしまうものなのか、、と思わされました。

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2017年8月 6日 (日)

茨城/那珂 茨城県植物園ここにあり!

茨城県那珂市の旅の様子です。

(2017年7月当時)

●茨城県植物園へ

いつもは駅からの歩き旅がメインですが、那珂市ではそれまで上菅谷駅の前までちょっと出ただけで悪天候もあり帰ってしまい、街の様子をまともにお送りできる要素がなかったので、先月ピンポイントに行ってきました。

8:00に神戸空港を発って飛行機で1時間ほど飛び、9:00過ぎには茨城空港に着き、10:00前に水戸駅行きのバスに乗って約40分、11:15頃の水戸駅発の水郡線に乗って11:40頃に上菅谷駅までやってきました。

上菅谷に着いたものの、やはり駅前に目ぼしいものがなく、12:00前に上菅谷駅に停まっていたタクシーに乗って、この茨城県植物園までやってきました。上菅谷駅はタクシーが常時停まっている訳ではなさそうなので、その辺は要注意です。また、この植物園の最寄駅としては同じ市内の瓜連(うりづら)駅の方が近いのですが、そこからでもタクシーで約10分だとかで、電車だと水戸から上菅谷までは本数もあるのですが、ここから先があまりアテにならなかったので確実を取って上菅谷に来てタクシーに乗りました。

タクシーで15分強かかってこの値段でここまで来ました、帰りはタクシーを電話で呼びましたが、タクシー代だけで5,000円くらいかかりました。

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●案内地図

茨城県植物園に着き、駐車場付近の地図群に植物園の案内図と茨城県の観光案内地図がありました。

上側は植物園の見取り図です。1981(昭和56)年に開園された県営の植物園で広さは約81ha(=約810,000㎡)という事で、これは長方形ですが、正方形でいうと900m四方と同じ広さになります。この形通りだとすると1.2kmあまり×0.6kmあまりというところでしょうか。

下側の写真は茨城県の中でも那珂市にスポットを当ててのカットです。線路がY字状になっていますが、この交点にあるのが上菅谷駅です。瓜連駅の方が近いのが分かりますが、便が減ると共にタクシーが停まっている確率もグンと落ちると思われ、上菅谷から行っても不正解ではないと思いました。

ちなみにバス便では、ここから徒歩20分くらいかかる地点が最寄り停留所であり、便も殆どない為、バスでのアクセスはかなり望み薄と思った方が良いと思います。少なくとも夏はバスに乗れても、そこから20分も歩こうという気になれませんでした。公共交通機関頼みならばタクシー一択と思います。

アクセスについては下の3枚目の写真にもあります。那珂市の施設見学を中心とした観光をしたいならこのエリアがおススメというところです。

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●植物園前

下に二枚ある写真の上側の方は駐車場の出入口で、この向こうから入る形となります。

下側は園の入口で、向こうに写っている建物の所で入場料(大人1枚300円)を支払います。人の気配はというと…本当にこんな感じで、少なくとも人で賑わって入場を待つという事は皆無でした。むしろタクシーを降りた瞬間「閑散」の2文字が真っ先に思い浮かぶほど、ちょっととんでもない所に来てしまった感がありました。

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●入場

\300払って入ってみました。

辺りに人の気配がまるでなし。そんな中を沢山の花壇が並ぶ景色が続いていました。

ただの花の咲く公園なのか…??と思いつつ歩を進めていました。

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●沈床園

約600種、5万本を数える大量の植物が管理されているという、この園の入口を飾るというべき序章的な部分です。きちっとした型枠内に植えられて咲いている植物群と、向こうには大きな噴水があります。

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●レストハウス

沈床園をまっすぐ進んでから右に折れて行き着いたレストハウスです。

歩いているうちにトイレに行かなければ!という事態になり、そのトイレを探していて行き着いた場所です。クーラーが効いていて夏は避暑にも良い場所です。しかし中には誰も居ませんでした。

居たのは、このトイレのある部屋の廊下を隔てて向こうにある「緑の相談室」という部屋に職員らしき方ぐらいです。この相談室は庭木の管理や、病虫害の防除などの相談を受けているところといい、全国にそのような団体があるそうですが。

小学校の校外学習の場としても使われており、その写真が展示されていました。

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●外周

をグルッと回ってみましたが、ここは両サイドを何がしかの植物が覆っている状態でした。木についての説明板もしっかりありました。広すぎてどこまで進んで行けばいいのか分からないほどです。

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●横を見れば

外周を歩いていて、内側にこのような芝生の広がりも見えました。

こういうの見ると個人的には「ゴルフできるじゃん」と思ってしまいます(笑)

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●展望塔

歩いているうちに出くわした「展望塔」です。

昭和感丸出しのコンクリート色そのままの建物にバラのような花の絵がドット状に描き込まれています。 

階段を上るごとに各階層に展望スペースがありますが、ただそれだけの施設です。エレベーターは付いていないので自力で上るのみです。

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●展望塔からの眺め

近くに熱帯植物園があるのが見えます。

あとは松かさの若いのも見えました。

ある程度の高さはあって眺める事は出来ますが、周囲を一望というまではいかずで、緑に覆われている印象ばかりが強かったです。

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●茨城県熱帯植物園

植物園の敷地内にあります。敷地内で最も立派な建物でもあります。

熱い中歩き続けて来てやっと避暑できる、と思い入って行きました。

入口にいろんな掲示物があり、また自販機もここにはあります。

それまでの道のりでほぼ人の気配なしの所を歩いてきて、ここも入ったところに人がいた訳ではなく、無料でそのまま入って行けました。ただここでは何人かの人にはすれ違いました(笑)

「猛禽ふれあいタイム」なんてあるんですね。フクロウや鷹などを手に載せて写真が撮れるとありました。

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●シアタールーム

30分ほどの映像を2テーマ、1日に2回ほど上映されていました。

つまり稼働時間は2時間ほどです。

テーマは「四季が育む命の山々」と「森に生きる」というものでした。

偶々入った時は上映中でしたが、見ていたのは2人だけでした。

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●胡蝶蘭など

シアタールームを出たところがこのような展示スペースになっていて、熱帯植物の鉢植えが並んでいました。

中でもひと際目を惹くのが、この胡蝶蘭でした。

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●カブトクワガタ展示

主に熱帯のカブトムシ・クワガタムシの展示が、植物の展示の隣にありました。

なんといってもやはり最大のカブトムシ「ヘラクレスオオカブト」に目を惹かれます。

身体も大きいですが、凶暴という印象が個人的には強くて、初めてこのような外国産のカブトムシを飼った時にオスを掴もうとしたら胸と腹の間の継ぎ目(色の変わっている境目の部分)で挟んできたのは大変驚きました。日本のカブトムシのオスはちょうど掴みやすい突起があって扱いやすい訳ですが。

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●熱帯植物館ゾーン

本施設のメインの場所ともいうべきゾーンです。ジャングルゾーンなど、そこに迷い込んだかのような気分を味わえます、通路を除けば(笑)

でもやはり両サイドに、所狭しと生い茂る植物群には圧倒されます。

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●コーヒーの実

アラビアコーヒーつってどっかの商品名かと思うくらいですが、コーヒーの実もありました。

「ただいま開花中」つて事で実を見る事も出来ました。こんな赤い実があのコーヒーになるなんて…という感じですね。

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●更に進む

ぐるぐる回っていくうちにいろんな景色・植物に出くわします。

滝状になっているところもあり、複数階層にわたって楽しむ事ができ、なかなか侮れない施設です。これだけの維持をしようと思うと相当な費用がかかると思いますが、1人300円で観光客もあまりいなさそうで大丈夫かな??と勝手な心配をしてしまいます。

入場者数は年間約6万人だそうで、1日平均160人くらいになります。そう考えたらあんまり多くないのかな、と感じますが。

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●カメ

歩いているうちにこんな大きなリクガメにも出くわしました。と思ったら小さなカメも居ました。

ギリシャリクガメ「リクくん」(小さい方)とケヅメリクガメ「メリーちゃん」(大きい方)だそうです。これでも同い年だそうで。とりあえず大小比が分かるように両者のカットも撮りました。

小さなカメを飼ってた時はかわいい餌をやってたんですが、大きなカメになると食うもんが違うな、と思い知りました(笑)

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●マンゴーの樹

大好きなマンゴーがあったのでこれも撮りました。

10℃以上確保できれば一般的な鉢植えと同環境で栽培可能とありました。

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…植物園といいながら動物も少なからずいて楽しめる要素が意外とあったなと感じました。

那珂市で楽しめる施設…??(ってあるのかな??)と行く前は疑問符ばかりが頭にありましたが、タクシーを要するものの行ってよかったと思いました。これはなかなかの施設です。

2017年8月 5日 (土)

山陽電車/尾上の松駅・浜の宮駅 (兵庫県加古川市)

兵庫県加古川市のJR尾上の松(おのえのまつ)駅と浜の宮(はまのみや)駅の2駅につきお送りします。

加古川市では、JR加古川駅東加古川日岡駅・神野駅 などをupしていますが、今回は山陽電車の駅の御紹介です。

-山陽電車/尾上の松駅-
【路線】
山陽電車本線(西代-山陽姫路間)
【開業】1923年8月19日
【訪問】初訪問-1997年6
【1日あたり平均乗車人員】 2,027人/日 (2015年)
【近隣の主要駅 (西代方面)東二見駅→5駅
           
(山陽姫路方面) 高砂駅→隣駅

●駅名標周辺

初訪問は今から20年も前ですが当時の写真はなく、最新の2016年訪問時のものをあげていきます。

山陽電車では、加古川市の駅として別府(べっぷではなく「べふ」 )、浜の宮、そしてここ尾上の松とありますが、そのもっとも西端の駅で、隣は高砂市の高砂駅となります。

また、この加古川市の3駅はいずれも特急停車がなく、この駅の隣の高砂駅は停車しますが、これより東で次に特急停車するのは、加古川市を越えて明石市の東二見駅となります。

近くの尾上神社の松は「高砂」にも詠まれている伝統あるもので、ここから「尾上の松」の名がきています。

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●イラスト駅名標

がありました。

聖徳太子ゆかりの寺院にして加古川市の目立った観光地である「鶴林寺(かくりんじ)のイラストが前面に出されています。

ここから鶴林寺へは約1.5kmあり、隣の浜の宮との中間地点というかこの3つが三角形を描くような位置関係にあります。また、JR線路とこの山陽電車線路はほぼ平行に走っており、ここから真北にJRの加古川駅があり、距離にして3km余りといったところです。加古川駅へはバスがおよそ30分に1本の割合で出ています。

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●ホーム

2面2線のホームです。

この沿線の特急停車しない駅は大体がこの形で、高砂駅などは特急待ちで停車している普通電車があったりするので、2面4線あります。

跨線橋はなく、両ホームを繋ぐ地下道で出口へ向かう事となります。

屋根のあるエリアはほんのわずかです。

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●ホームから地下階段

出口への地下階段のすぐ上にベンチがありましたが、階段を下りていくと何やらカラフルな点のようなものが。

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●地下通路

階段を下りて地下の通路には全面的にイラストが描かれていました。

沿線の駅のいくつかはこんな形でイラストがあり、このブログで他の駅についても紹介できれば、と思います。

このイラストは地元の加古川西高美術部の手によるものだそうです。

ブタに風船を括り付けて飛ばそうという発想が、なんだか夢があって?いいなと思いました。なんとか浮き上がっている感もなかなか(笑)

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●駅出てすぐ

地下通路を上がってくるとすぐに改札に行き着きます、基本的に無人駅です。

そしてその改札を出てすぐの目線がこのような形です。

駅前広場はこれを左に進んですぐの所にあります。

昔ながらの雰囲気のお店が真ん前にありますが、駅前売店のような位置づけでしょうか、おそらく昔はもっと栄えていたと思いますが、かなり中身は縮小されてきている感じがします。

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●駅前広場

改札出てすぐ左の道路を通っていくと駅前広場が見えてきます。

更に左へ曲がれば下側の写真のような景色になりますが、ここにはバス停があり、加古川駅行きのバスが出ています。そのバス停のバックに建物が写っていますが、かつての駅前スナック街の雰囲気溢れるものでした。見えているのはお好み焼き屋のみで、この建屋の中に入った事がないですが、スナック街のような雰囲気でした。

ここではタクシーが停まっていませんが、停まっている時は真ん中のロータリーの時計塔付近に停まっています。

広場向かいには「尾上の松駅前綜合市場」がありますが、営業しているお店はわずかで、昭和の佇まいが色濃く残っています。

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●尾上の松駅 駅舎

入ってすぐの所に改札機が並ぶ無人駅舎です。

沿線の他の駅も同様のスタイルであり、画一的で個性はあまり感じられないです。改札入るや地下通路通ってホームへ行くだけで、滞留スペースも皆無です。

横に自販機が多数ありますが、こういうのも真ん前の店が縮小する要因のひとつかなと思ったりもしました。

直角に道路が曲がるその部分にこのように駅舎がある形となっています。

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以上、尾上の松駅でした。

 

続きまして、浜の宮駅です。

-山陽電車/浜の宮駅-
【路線】山陽電車本線(西代-山陽姫路間)
【開業】1923年8月19日
【訪問】初訪問-2003年
【1日あたり平均乗車人員】 2,464人/日 (2015年)
【近隣の主要駅 (西代方面)東二見駅→4駅
           
(山陽姫路方面) 高砂駅→2駅

●駅名標と時刻表

山陽電車加古川市3駅の真ん中に位置し、両隣はいずれも加古川市の駅です。

ダイヤ的にはほぼ15分に1本、通勤時間帯はやや増えて、終電は24時台という形ですが、このあたりは先の尾上の松駅も同様です。

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●ホーム

この駅の初訪問は2003年で、かなり以前より時々利用機会があったのですが、去年行ったら黒い建物が取って付けられたようにありました。

この駅記事の写真も2016年Verですが、バリアフリー化がなされていて、渡線橋とエレベーターが設置されていたのでした。2015年には完了したとあり、この時は割とその後の日の浅い時期と思われます。(去年の話ですが…)

山陽電車の加古川3駅では特急は停車しないし、高架なのは別府駅だけで、という状態でしたが、この駅はバリアフリーで進歩し、尾上の松駅だけが今のところ設備的なウリのない状態?というところでしょうか。

しかしあまりにも取って付けた感満載のカラーリング、が第一印象でした。

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●階段付近

エレベータ用渡線橋がありつつ、従来の地下階段もある形で、基本はこの地下通路で繋がっている構造です。

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●地下通路

この駅の地下通路も尾上の松駅同様、壁画となっています。

尾上の松駅の壁画は加古川西高校の、この駅の壁画は加古川南高校の美術部の手によるものであるとの事です。下半分が街や建物を中心とした絵で、上半分はプレゼントのような箱を持った子が相手に手渡そうとている感じのものでした。

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●駅前広場

右側に隠れている部分が浜の宮駅になりますが、向かいに「ビジネスイン松葉」というビジネスホテルがあるという、駅前にホテルがある点ではなかなかポイント高いなと感じます。

これと別に「ビジネスホテル松葉」というホテルがありますが、これは隣の尾上の松駅の近く(駅前ではありませんが…)にあるホテルで、この系列がここにあるビジネスイン松葉だという事です。

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●バス停

駅を出て、駅前広場の左側にこのようなバス停標識が2本立っています。いずれも「かこバス」という加古川市のコミュニティバスのものです。

真ん前には自転車置場があります。最近はこういう形の地上集中型の置場が少なくなってきたな、と感じますが。

バスはJR加古川駅行きと、別府・海洋文化センター前行きの2系統があります。JR加古川駅へは約20分かかります。

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●浜の宮駅 駅舎

尾上の松と同じような、入るなりすぐ券売機があって、すぐに改札機があるような、滞留性の低い?構造の駅舎です。やはり電車を待つだけの施設という感じです。

それにしてもバリアフリー対応の渡線橋が異常に目立ちます。ここで見てもいかにも、取って付けた感満載でした。小さな駅舎に大きな渡線橋というアンバランスさが新たなウリになるのかも? 画としてとても面白いと感じました。

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●駅前2003

ここからは初めて訪ねた2003年当時の様子です。

まずは駅前広場ですが、今と違うのはビジネスホテルの下の階にトーホーというスーパーが入っていた事で、今はFamily Martとエディックという学習塾が入っています。

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●駅舎2003

駅舎の2003年当時の様子です。

基本的に同じ建物ですが、綺麗に改装されています。

屋根がゴツゴツしていたものがきれいになっていたり、この当時は窓があったものが無くなっていたり、建物が全体的に明るい色に変わっていました。駅名看板が変わっていたのはすぐに分かったのですが、建物がこんなに変わっている事は、ここでこうして見比べるまで気がつきませんでした。

今のように渡線橋などないので、何の変哲もない普通の駅という感じでした。でもこういうのを記録として残しておいて見比べるというのは面白いものですね。今の駅も10年経ったらどこかしかは変わってるだろうな、と感じます。

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