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2017年4月17日 (月)

北大阪急行/千里中央駅 (大阪府豊中市)




大阪府豊中市の北大阪急行・大阪モノレール/千里中央(せんり・ちゅうおう)です

豊中市では、阪急/豊中駅をupした事がありますが、今回は地下鉄の延長上にあるこの駅をお送りいたします。

-北大阪急行・大阪モノレール/千里中央駅-
【路線】
北大阪急行南北線(江坂-千里中央間)
    大阪モノレール本線(大阪空港-門真市間)
【開業】1970年9月14日
【訪問】初訪問-2000年8月
【1日あたり平均乗車人員】 47,074人/日 (2015年) 
【近隣の主要駅】 (大阪空港方面)大阪空港駅→4駅 
           (門真市方面)万博記念公園駅→2駅
           (なかもず方面)江坂駅→3駅、新大阪駅→5駅


●駅名標

真っ黒ですが、これは地下駅の壁面を撮っている為で、ホーム上にこういう形の駅名標が見当たらず、壁面のものを撮りました。

ちなみにここに初めて来たのは2000年8月の事でしたが、当時はなんら記録を残さず、2007年に初記録(写真)がありますが、駅構内の記録などがなかったので、2017年4月、つまり今回、きちっと記録を残すために訪ねました。よって、今回記事の写真はほとんど、最新の形のものでお送りいたします。(北大阪急行の方のみですが)

大阪市営地下鉄の御堂筋線(新大阪や梅田、難波などを通る路線)の延長上にある北大阪急行の終着駅で、この駅名標でも隣駅は片側のみになっています。しかし、完全な盲腸線ではなく、大阪モノレールの駅があり、大阪空港駅(伊丹空港)へも直通でアクセスできます。

千里中央って名前はよく聞いていましたが、どこにあるんだろうと思っている方は少なからず居るかと思いますが、豊中市なんですね。ちなみに大阪空港駅というと兵庫県伊丹市にありそうに思うでしょうが、所在地の住所としては実は豊中市になります。

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●時刻表

大阪市内行発車時刻表という形で載っていますが、終着駅につきこの片側の時刻表のみとなります。

見てると8分間隔で出ている感じですね。ここから大阪方面へ戻る時に暫く電車が止まった状態で、

江坂駅の記事でも触れましたが、北大阪急行に属しているものの、ほぼ大阪市営地下鉄へとそのまま直通しているので、新大阪とか梅田とかそのまま乗換なしで行けます。「ほぼ」と書いたのは、極稀に江坂駅のものがあって、なかもず行に連絡という形になっているからです。

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●ホーム

北大阪急行のものですが、1面2線のみの地下駅で、階段やエスカレータで上がっていく形です。

大きな駅の割に1面2線のみというのが意外でした。

いろんな看板類が置いてありますが、桜の季節には桜のセットが置かれていたり、また売店もホーム上にあります。

ホーム上に隣駅表示のあるような駅名標がみられず、柱に駅名だけ書かれたものだけは見つけられた、という感じです。

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●ホームを見下ろし

ホームの階段上から全景が見下ろせる形です。地下駅では珍しい構造ですね。階段サイドの部分が上までなくて、手すり部分までになっている事もそうですが、堀切状になった地下駅という部分も特異ではあるかと思います。

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●改札出て

ホームから上がったらすぐに改札で、これを出たすぐ傍の地点です。

ホームのすぐ上の階ですが、そのホームを囲う形で飲食店はじめとした店の数々が軒を並べています。大阪モノレールへは別の階まで行ってアクセスする事となります。

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●駅前に降り立つ

地上階まで下りてきてのカットです。タクシーが多数待機していました。

色んな出口があるので、色んな駅前の姿/表情があるのですが、こちらは千里阪急という阪急百貨店の店舗ですが、この駅と同じ1970年に開業しています。何といってもこの大量の三角枠がインパクト大のビルです。

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●せんちゅうPAL

せんちゅうとは千里中央の略ですが、北大阪急行の駅から出て2Fの通路から抜けると、多層になったこの専門店街のビル内部を輪切りにした形で見る事ができます。この建物のてっぺんに「せんちゅうPAL」と表記されています。

阪急百貨店があり、この専門店街があって、更には千里セルシーという複合商業施設があり、千里ニュータウンの中心地域として開発が進められたという当地域ですが、とにかく商業店舗はめちゃくちゃ沢山あります。

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●駅周辺

これを駅舎というかどうか?な部分はありますが、駅と隣接した商業施設のビルという状態で、駅ビルといえなくもないのかな?と。しかし、建屋を外から見て『千里中央駅』と表記された部分が見当たらず、駅舎の表現がちょっと合わない気がします。

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●駅案内一角

ここからは2007年訪問時のカットとなります。大阪モノレール側は10年前でも多少記録にあるので、ここからはモノレール側について触れます。10年前の姿ではありますが大きくは変わっていないと思います。

これはバスのりばからの駅への案内です。バスのりばが多数あり、路線はかなり多いです。

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●あちこちモノレール

大阪モノレールの駅へ来ました。パネルとしてデカデカとありました。大阪モノレールの歴史を綴っているのかと思いきや全然違っていて、各地のモノレールの開通年と現況の説明をしたものでした。管理人は4つの街にここまでの生涯で暮らした事がありますが、うち2つはモノレールの有った都市で、いずれも現存していない状態です。

10年経った今もこれがあるのかどうか…

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●モノレール駅

こちらは割と分かりやすい形で、駅名の表示があります。

北大阪急行の駅から千里セルシーを経て、ここへ至ります。

阪急線であれば同じ豊中市内の蛍池駅で乗換えて伊丹空港へ向かいますが、この駅であれば北大阪急行で大阪市内からやって来て、少し歩いてここへ乗り換えれば、そのまま伊丹空港へ行く事ができます。

この駅周辺は千里セルシーのセルシー広場で色々とお世話になりました。セルシー広場がもう使われないと聞いて寂しい限りです。「THE日本の休日」という感じの雰囲気がそこかしこに感じられ、その1つがセルシー広場で行われていて、休日?レジャーの象徴的存在と思っているので、本当に寂しいです。

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2017年4月12日 (水)

北大阪急行/江坂駅 (大阪府吹田市)

大阪府吹田市の北大阪急行・大阪市営地下鉄/江坂(えさか)です

吹田市では、JR吹田駅をupした事がありますが、JR以外の駅として今回はこの駅をupします。

-大阪市営地下鉄・北大阪急行/江坂駅-
【路線】
大阪市営地下鉄御堂筋線(江坂-なかもず間)  
    
北大阪急行南北線(江坂-千里中央間)
【開業】1970年2月24日
【訪問】初訪問-2007年11月
【1日あたり平均乗車人員】 41,665人/日 (2016年) 
【近隣の主要駅】 (千里中央方面)千里中央駅→3駅 
           (なかもず方面)新大阪駅→2駅 


●ホーム

駅名標周りの様子です。

2007年初訪問当時の様子ですが、去年も行った限りでは現在も大きな差はないと思います。

大阪市営地下鉄と北大阪急行の境目の駅で、どちらにも属する格好となっていて、大阪市外の吹田市にありながらも大阪市営地下鉄の駅となっています。大阪の玄関駅的存在である新大阪駅までわずか2駅という至近にあり、実に交通至便な場所に位置していると言えます。

個人的には江坂MUSEというライブハウスに行った事があります。大阪MUSEというライブハウスもありますが、そことは姉妹店のようです。現地では、ローマ字表記とされているのでOSAKA-MUSEとESAKA-MUSEでより一層姉妹店、という感じがします。

あとは江坂公園のイベントなんかも行った事があります。

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●ホーム2

線路に沿ってのカットです。

右側に見えているホームは2番線、桃山台・千里中央方面という事で、ここから北大阪急行の路線になりますが、運行上では明確な区別はなく、大抵は直通であり、地下鉄目線からそのまま北大阪急行路線まで一気通貫していきます。

ただし運転士・車掌さんはここで交代するそうです。千里中央までの3駅だけを北大阪急行の運転士・車掌さんが対応するという事でしょうか。千里中央駅からは大阪モノレールが通っています。

という事は、反対側は大阪市営地下鉄路線となり、新大阪や梅田、堺市のなかもず方面へと至ります。

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●江坂駅

駅舎というより、ホームとこの歩道橋が江坂駅という感じで、建物として駅舎が存在するとか意識した事がないですね。地上を通る地下鉄というか。「江坂駅」という表記もこの歩道橋の橋の部分と、階段の入口の部分との印象のみです。

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●江坂公園入口

江坂駅前のカットを1コマだけ。駅から程無くのところにある江坂公園の入口にあたる部分の三角の池。「カスケード」とよばれる階段型水景施設という事で、7段構造になっていますが、夜はライトアップされています。

江坂公園は時々ステージが組まれてイベントが催されていて、去年たまたま通りかかったらダンスパフフォーマンスとか色々やっていました。ビールでも飲みながらそんなイベントを見るのもいいかなと思ったりしました。

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2017年4月10日 (月)

阪急/豊中駅 (大阪府豊中市)

大阪府豊中市の阪急/豊中(とよなか)です

豊中市は、大阪府の北西部に位置し、人口は396,014人(2016.10.1現在)で、大阪府では5番目の人口を有する市で、大阪市以北の北摂地域で最大の人口であり、大阪空港駅も所在地としては豊中市内であり、大阪市営地下鉄の延長上にある北大阪急行の駅があるなど、大阪北部の交通の要衝といえる地であります。最近では連日話題になっている森友学園の件で、売却された国有地がここ豊中にあるということです。

-阪急/豊中駅-
【路線】
阪急宝塚線(梅田-宝塚間)
【開業】1913年9月29日
【訪問】初訪問-2006年11月
【1日あたり平均乗降車人員】 54,027人/日 (2015年) 
【近隣の主要駅 (梅田方面)十三駅→6駅 
           (宝塚方面)池田駅→3駅 


●ホーム

ホーム内のカットがこれだけにつき、こんな写真からのスタートです。

市名を名のる駅でありながら意外にも1面2線のみのホームで、ただ高架駅ではあります。利用者数が阪急全駅中10位とかなり上位にあり、また特急こそ停車しませんが、他の全ての列車は停車するのに、この規模は全くの意外です。

ちなみにここへの初訪問が2006年でこの次に訪ねたのが2007年につき写真もすべてそれらのものです。大きくは変わらないのでごちゃ混ぜに載せています。

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●屋根

駅は2F出口があり、2Fは通路に広場にスペースが取られていて、その2F通路の屋根部分はこのような複雑な模様のもので、相撲の土俵の上に吊り下がっている屋根部分のようでした。

この2Fスペースの事もあり、駅舎全体像をなかなか掴みにくい状態でもあります。

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●ニッショー豊中駅前店

現在は阪急に吸収されて「阪急オアシス」となっているようですが、大阪の主要都市の駅前に何店かあったな、と思って見ていました。このトマトみたいなマークが目印ですね。JRだと千里丘の駅前'(摂津市)にあったのを覚えています。

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●豊中駅 駅舎

40万都市の中心駅らしい大きな駅舎ではありますが、駅前がせせこましい感じで、ゆったりしたロータリースペースもなく、駅前通りのような明確な大通りもあるように感じられず、夜に駅前でとこで食べようか?あまりなくて困りながらたこ焼き買った覚えがあります。

ホテル宿泊こそしたものの、駅前をあまりゆったりと歩いた事もなく、豊中ではここよりは千里中央駅の方へよく行くので今度はそちらの方をお届けしても良いかと思っています。しかしこの豊中駅前も神社なりには行ったので、その辺りは記事にできるかなと思います。

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2017年4月 8日 (土)

一畑電車/松江しんじ湖温泉駅 (島根県松江市)

島根県松江市の一畑電車/松江しんじ湖温泉(まつえ・しんじこおんせん)です

松江市では、JR松江駅、宍道駅、東松江駅・乃木駅をupしましたが、今回はJR以外の駅として一畑(いちばた)電車の駅を初upします。

-一畑電車/松江しんじ湖温泉駅-
【路線】
一畑電車北松江線(出雲市-松江しんじ湖温泉間)
【開業】1928年4月5日
【訪問】初訪問-1992年11月
【1日あたり平均乗車人員】 944人/日 (2012年) 
【近隣の主要駅 (出雲市方面)神戸駅→9駅 

●ホーム

中には入らず外からのカットです。利用した事はあるのですが、ホーム内の写真は撮った事がなかったので。昔改札入る時に硬券の切符で、切符を切ってくれた記憶がありますが、今もそうなのでしょうか?

初めてここに来たのは実に25年前、1992年11月と記憶していますが、当時は「松江温泉駅」と名乗っていました。この記事での写真は2017年1月再訪時のものを使用しています。

松江市ではJR以外ではこの一畑電車が通っています。中国地方の県都である市では私鉄が走っている事が少なく、広島こそ広島電鉄やアストラムラインなどが通っていますが、岡山は路面電車のみ、鳥取や山口は県都以外を走る路線はあるものの、県都にはなしという状態です。

そんな中、純粋に私鉄の鉄道として通っているのが貴重な一畑電車ですが、この駅はその東端にあり、松江市ではターミナル的な存在となっています。JR松江駅とは少し距離が離れていて連絡がないのが難点ですが、バス路線で両駅を繋いでいる状態です。ライトレール構想などあったようですが、東日本大震災の影響なのか現在は凍結状態だそうです。

一畑電車の北松江線に属しており、これはいわゆる本線ですが、当駅も開業当初は「北松江駅」と名乗っており、これが路線名の起源となっているようです。もう潰れて無くなっていますが、駅前にあったホテルも「北松江」という名称でした。駅の名はその後1970年に松江温泉駅となり、2002年に現駅名になっています。

JR松江駅と距離があり、賑わいの点でも松江駅周辺のような賑わいはなく、このホームにもそんな様子の一端が窺える気がします。

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●電車

駅に停留していた電車の様子です。

これは7000系という車両で、2016年から使われているという今現在で最新の車両であり、他社からの譲渡等ではなく、一畑電車では実に86年ぶりという新造車両だそうです。

一畑は「いちばた」と濁りますが、個人的にはその読みを知らなかった頃は「いちはた」だと思っていました。この辺りでは「バタ電」の名で親しまれています。

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●車両2

こちらは当駅を出ていくところのカットですが、別の車両です。

これも新規の車両で、2014年導入された1000系の車両で、こちらは東急からの譲渡だそうです。7000系のような新造車両ではないものの、一畑電車にとっては当時16年ぶりの新車リウであり、ここ数年でラインナップが変わった事を痛感します。

この車両はその1000系のなかでも「しまねっこ号」というもので、いわゆる「ゆるキャラ」の「しまねっこ」がラッピングされています。

元々このタイプの車両は1台だけだったそうですが、団体さんなどの要望で「この車両を利用したい」という指定などがあり、もう1台「しまねっこ号Ⅱ」をラッピング造成したそうです。

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●足湯

駅前に足湯があります!さすがは温泉駅

このように人の気配が無くなったのを見計らって浸かってきましたsign01

ここから少し歩いて温泉街の通りにもう一つ足湯があります。

島根県といえば、玉造温泉、あとは湯の川温泉、温泉津温泉などが挙げられますが、松江しんじ湖温泉というのはいわゆる観光名所にあがってくるイメージは個人的には薄くて、その知名度を上げるのに「しんじ湖」の名称をつけたり色々やってるな、という事は感じますが…。外湯めぐりを楽しめるのが温泉街のイメージだとしたらちょっと違う感じですね。

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●駅前広場

主にバスターミナルとして機能している駅前広場ですが、真ん中にモニュメントやらが建っている訳でもなく、ただただ広いスペースになっています。

バス路線としては松江駅行きが主ながら乃木駅へ行くものや、延長上で雲南市の出雲大東駅へ行くものもあります。

下側の写真にマンションが建っていますが、その角を曲がった辺りか、あるいはこのマンションが建つ前に?「ビジネスホテル北松江」というホテルがあり何度か利用した事があります。大浴場もあったホテルで、いつの間にか無くなってしまっていたのが残念でした。

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●軽食

駅舎の袖側にあたる部分にモーニングやランチなどとありました。

一畑電車の駅で食べられるコーナーがあるのはJRと同居している出雲市駅とここぐらいではないでしょうか?昔は平田市駅(当時。現「雲州平田駅」)にも喫茶軽食コーナーがありましたがなくなっているようですし。

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●松江しんじ湖温泉駅 駅舎

最後に駅舎です。

一番上のカットが正面にあたります。

中井貴一さんが主演して話題になった映画「RAILWAYS」のことが前面に打ち出されています。49歳で電車の運転士になった…って大きな人生の決断ですよね。この映画の元タイトルは「BATADEN」つまり、一畑電車そのものの事だったのですが、その後変更になったそうです。

この映画で沿線の各駅がロケに使われ、主人公が一畑電車の運転士になるというストーリーが描かれており、この映画と一畑電車は切っても切れない関係です。しょっちゅうロケのあるような町ならともかく、山陰のあるところに…というのはなかなかないので、まだまだこれからもこの駅でRAILWAYSの看板はかかり続けるのではないかと思います。

それにしても現駅舎になってからガラス張りのスタイリッシュなものになったな、と実感しました。前の松江温泉駅の時は、ホントにゴツゴツとしたコンクリート駅舎でしたので。それはそれで少々寂しいものもありますが。

早くJR松江駅とライトレールで繋がらないか、と心待ちにしております。松江新時代を感じるような交通変革あがあればなと。そのひとつは高速ができた事ですが、公共交通機関でも発展があればと願うばかりです。

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2017年4月 7日 (金)

JR朝霧駅 (兵庫県明石市)

兵庫県明石市のJR朝霧(あさぎり)です

明石市では、JR明石駅JR西明石駅JR魚住駅、JR大久保駅、そして山陽電車/西新町駅をupした事がありますが、これらに続いての駅記事です。

-JR朝霧駅-
【路線】
JR山陽本線(神戸-門司間)
【開業】1968年6月20日
【訪問】初訪問-2003年2月
【1日あたり平均乗車人員】 17,098人/日 (2015年) 
【近隣の主要駅 (神戸方面)神戸駅→9駅 
           (門司方面)明石駅→隣駅
 

●ホーム

JRではこれまで明石、西明石、魚住、大久保といった駅の記事をupしてきましたが、唯一の未upであった明石市のJR駅がここでした。今回をもって、明石市のJR駅を全部記事にした事になります。

明石市のJR駅では最東端にあり、市名を名のる明石駅が西隣、これより東が神戸市になる舞子駅が東隣になります。2001年の花火大会での歩道橋事故のイメージがどうしても付きまとうところで、この事件の影響で結果的に花火大会はなくなっています。

隣の明石駅、その隣の西明石駅は新快速が停車し、東隣の舞子駅は快速が停車しますが、これらに挟まれる当駅は普通列車のみの停車となっています。

この駅の初訪問は2003年2月頃ですが、その後何度か訪ねてはいるものの、画像のきれいなものがなかった為、2017年1月に訪問した分を今回記事用に載せています。

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●ホーム

海辺はすぐそこにある駅で、その海側を眺めてのカットになりますが、ここに走っている電車はJRのものではなく、平行に走っている「山陽電車」の車両です。

JRの線路、その南に山陽電車の線路、さらに南は国道2号線、さらにさらに南は大蔵海岸ときて、海というロケーションです。

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●歩道橋

朝霧駅を出て海側へ続く歩道橋です。

これがその事故のあった歩道橋で、海側へ行く人と反対側へ戻る人とがぶつかり合う格好で滞留状態になったといいます。この向こうの海岸にはバーベキューサイトがあります。

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●ホーム2

西側に向かっての視線です、向こうが明石駅という形です。

ホームは1面2線です。普通列車しか停車せず、この辺りでは比較的本数が少なくなります。

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●ホーム3

ここに見える歩道橋は、ホームから上がって改札へ至るまでの通路で、右側の建物が駅舎になりますが、その中に改札があります。

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●階段&エスカレータ

ホームからこれを上がって、その先から線路を跨ぐ通路を渡って改札、の流れとなります。

1面2線で普通列車とか停車しないというスペックの低さでもエスカレータがついているのは、さすがはこの沿線だな、というところでした。

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●明石海峡大橋

が駅のホームから見えます。

ちょっとうっすらな感じですが。

東隣の舞子駅は大橋を渡るバスが出ていて、ほぼ橋と直結状態ですが、この駅はそこから1駅分離れた格好です。それでもこのくらいにはよく橋が見える訳です。

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●駅出て目線

短い橋を通って駅舎を出るとこんな感じです。

向こうは山側(海とは反対側)で、坂道が続いていく事となります。昔この先の病院へ同僚の見舞いに行った事があるなとか思い出しました。

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●朝霧駅 駅舎

結構広めの駅前広場スペースで、あまり車が停まっていないのどかな感じでした。

駅舎は独特の建物の骨組みが目立つ形の建屋となっています。ものすごく密度の低い建物といいますか。

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●朝霧駅2003

これは初訪問時期あたりの2003年頃の駅舎です。今と一緒です。

今回の駅舎カットでアップのものがなかったのですが、この分はアップで撮れたもので、やはり建物の骨組みが目立った感じがよく分かると思います。

この駅の開業は1968年という、珍しい昭和40年代開業の駅で、この当時で35年ほどで、来年でようやく開業50周年を迎えるという新し目の駅でした。

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2017年4月 4日 (火)

奈良/桜井 日本の首相も三人寄れば…

奈良県桜井市、JR(近鉄)桜井駅からの歩き旅です。

(2007年1月当時)

今からちょうど10年前の様子になりますが、当時あったものが今はなし、というものも出てくるかもしれません、その辺りは平に御容赦願いたいと思います。

●山の辺の道へ

桜井駅の前の通りにひっそりと立っていたこの石標。

「山の辺の道」は古代奈良時代にあった日本最古の道として知られているもので、ここ桜井駅を起点として6km余りの道をハイキングコース的に設定されていたりもします。

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●西本町商店街

昔の名残かそこそこ立派なゲートでお出迎えですが、その向こうはおよそ商店街らしからぬ雰囲気に見えますが、入ってみると右側は個人商店がそこそこ並んでいました。

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●本町通商店街

西本町と違って、こちらはアーケードのある商店街となっています。この時、中を歩かなかったので分かりませんでしたが、かなりのシャッター商店街で、古い看板が結構残っているとあり、寄らなかった事を後悔しました。

ちなみにこのアーケードは、2013~14年にかけて撤去されたようで、殆どの店が営業していない状態で、活性化を狙って撤去という結論となったそうです。昭和46年につくられたアーケードも、約40年でその役割を終え、約4,000万かけて日の撤去作業は行われたといいます。

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●稲荷神社

桜井駅から南へ進んでいますが、その途中で出くわしたお稲荷さんです。

稲荷神社でよくあるのは千本鳥居のような朱色の鳥居がずっと続いていくものですが、ここはキツネが沢山居ました。キツネの群れはちょっと怖いですね。

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●若櫻神社

鳥取県東部に若桜(わかさ)という町がありますが、この神社は「わかさくら」神社と読みます。桜井駅から南へ徒歩10分というところでしょうか。

石段がある訳ですが、上になると更に急になるのがなんとも厳しかったです。

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●若櫻神社 櫻の井

若櫻神社にある井戸で、これがここ「桜井」の名前の由来と言われています。

第十七代の履中天皇が井戸の傍に桜を植えて、井戸の清水を愛でていた為、この井戸が「櫻の井」→この地が「桜井」になったのだとか。井戸の水は鏡の如く澄んでおり、当時からの1,500年ほどの時の流れを今の世に伝えるもの、とありました。さすがは奈良県、いろんなものの歴史が深いですね。

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●安倍文殊院へ

若櫻神社を下りて15分くらい歩いて辿り着きました。有名な「安倍文殊院」です。

ここの最寄駅は桜井だったのですね。

三人よれば文殊の知恵、といいますが、その文殊さんです。今回の記事タイトルは、現首相の名前と文殊に因んだ事とをミックスしたものです。

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●金閣浮御堂

ここから安倍文殊院敷地内のカットです。

安倍文殊院は華厳宗の寺院ですが、大化の改新で要職に就いた安倍倉梯(くらはし)麻呂の開基とされ、切戸文殊(京都府宮津市)、亀岡文殊(山形県高畠町)とともに日本三文殊に数えられます。

そしてこの建物は「金閣浮御堂」で、朱塗りの橋を通じてつながる水上の建物で、水辺に浮かぶ金閣といったところでしょうが、昭和60年に造られたという新しいものでした。阿倍仲麻呂や安倍晴明像などが祀られているといいます。

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●不動堂

こちらは昭和62年、不動明王の祈りの行場として信徒からの要望でできたといいます。こう書くと新しい建物ばかりじゃないか、となりますが、それはたまたまです。

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●白山堂

幟が沢山立っているように、縁結びに御利益があるお堂です。

ここに祀られているのは、白山菊理姫というイザナギ・イザナミ夫婦を黄泉の国で仲直りさせた神様という事で、縁結びにはうってつけという訳ですね。

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●石仏群

江戸時代に四国八十八ヶ所霊場めぐりなど容易にできなかった時代に、この辺りの誰もが気軽にそのような巡礼(もどきのような?もの)をできるようにと、各地の霊場の御本尊とされるものを石仏としてこの地に一堂に集めたものといいます。

四国八十八ヶ所以外にも西国三十三ヶ所めぐりにも同様に御本尊が祀られています。

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●合格門

安倍文殊院とは、その文殊の名の通り、文殊の知恵⇒学業成就が最も御利益のあるものとされていますが、そんな中にあったこの「合格門」。

縁結びもあれば学業成就もあり、プチ八十八ヶ所もあり、なんでもござれですね。

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●如意寶珠

なんでもござれの御利益はまだまだ続きます。

この寶珠の玉の部分を撫でると、魔除け方位除けの大きな御加護が受けられるとあります、御利益のオールマイティーや~とでも言いたくなります(笑)

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●十一面観音像

本当に色んなものがあるこの文殊院ですが、古来より当山本堂に伝わる十一面観音像を歓請して、昭和57年に奥の院に建てられたといいます。

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●ジャンボ花絵

安倍文殊院の名物といえば、この大きな花の絵です。

合格門なんてありましたが、学業の御利益に触れ、また訪問時期が1月だった事もあってか、これから受験シーズンという事かで、「合格」の文字がありました。そして当時は2007年、亥年で大きな猪の絵がお花で造られていました。

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●土舞台

ここは、聖徳太子が推古天皇の摂政であった頃に設けられた国立の演劇研究所と劇場だといいます。大和時代にそんなものが存在したのか?と驚きですが…、とにかくそんな事で、「芸能発祥の地」とされています。

桜井市という名自体がそんなに有名な市ではないかもしれません(あくまで個人の感想です)が、色んな大切なもの文化財が眠り、安倍文殊院のようなオールマイティーな御利益をもたらす寺院もありで、桜井侮り難しですね。

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2017年4月 1日 (土)

JR乃木駅・東松江駅 (島根県松江市)

島根県松江市のJR乃木(のぎ)駅と東松江(ひがし・まつえ)駅の2駅につきお送りします。

松江市では、JR松江駅JR宍道駅をupしていますが、これ以外の市内のJR駅の御紹介です。

-JR乃木駅-
【路線】
JR山陰本線(京都-幡生間)
【開業】1937年4月10日
【訪問】初訪問-1990年6
【1日あたり平均乗車人員】 854人/日 (2014年)
【近隣の主要駅 (京都方面)松江駅→隣駅
           
(幡生方面)宍道駅 →3駅、出雲市駅→6駅

●駅名標

JR山陰本線で松江駅の西隣の駅です。

この写真は2004年8月当時の様子ですが、初めて訪ねたのは1990年の6月、管理人はまだ10代でした…。

旧松江市内のJR駅として、松江、東松江と3駅しかない駅のうちのひとつです。現在は玉造温泉、来待、宍道、そして木次線の南宍道までが松江市のJR駅となりますが、旧市内だと3つだけです。

松江市では、松江駅周辺が市内で賑わっている訳ですが、あとは大学のある川津地区、そして高校や各施設の多いこの乃木地区は賑やかであり、昔はコンビニが大学周辺かこの乃木くらいにしかなかったような状態でした。地名ベレルでは「浜乃木」「上(あげ)乃木」というものが存在し、住所的には乃木という地名自体はありません。総称して乃木というところでしょうか。

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●ホーム

ここから先の写真は2017年1月再訪時の様子です。

跨線橋横側がホーム幅がかなり狭くなっており、その中で通路とスロープが共存していた感じで余計狭い通路になっていました。

椅子は最近はやりの??線路と平行スタイルの向きになっていました。この辺りは近年変更したのでしょうか?ホームに向かう形で座るとホームへの転落や電車への衝突リスクがあがるとの事で、管理人の行動範囲内の駅も順次椅子はこの向きに変更されていってましたが、この駅もこれに倣う形にしたのか…??

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●ホーム2

上の写真と反対側の様子です。

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●向いホーム

駅舎側のホームから跨線橋をのぼって反対側のホームです。

手前と向こうのホームに挟まれる形での2面2線となっています。

屋根のあるエリアはここから右へつながっていて、そこそこ長い距離になっています。松江駅とはだいぶ規模が違うものの、松江市南部では主要なエリアのひとつでもある事が多少なり感じられます。

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●跨線橋

2つ上の写真が同じようなカットでしたが、電車でよく見えず、こちらは跨線橋が見える形のカットとなっていますが、一応屋根つきの跨線橋となっています。

これが屋根つきか屋根なしかで駅の規模というか格のようなものが違うな、と感じてしまいます。中身は見ていませんが、掲示物の有無や充実ぶりでも駅の格みたいなものが感じられます。

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●乃木駅バス停

駅から出て、駅前広場にバス停が2か所ありました。

下2枚中、上の写真は駅出て右側、下の写真は左側にあるものです。

上の分は、接近状況の分かるものとなっていました。松江市にこんなバスシステムあったのか??と大変驚きましたが…、、でもこの機体は「調整中」でした。こちらのバス停は一畑(いちばた)バスなどのものと思われますが、隣のバス停が多数表示されています。それだけいろんな路線が通っていて、色んな方向に分かれていくのですね。そんな頻繁にバスが行き来している感じもしなかったので、1路線あたりの本数がそんなにはないのかもしれませんが。

下の分は、松江市コミュニティーバスと思いますが、市内に10コースぐらいあるうちの1コースがここを通っていて、忌部(いんべ)という市内南西部の閑散な地域を巡るもので、1日3便の日祝日運休という形態で運行されています。これは旅で使うのは厳しいですね。

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●駅前広場

真ん中にモニュメントがある形ではなく、ぐるっと丸い形に広がっただけのスペースです。バス停も立っているだけで、庇もない状態で、駅前が開発されているとは言い難い状況です。

駅前の自転車置場も昔から変わらずにずっとありました。最近は預り所などに吸収されて、駅前に止まっているのをあまり見ないのですが、ここには厳然として存在しているのですね。

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●乃木駅 駅舎

白を基調とした建屋に青い屋根、平屋の駅舎が以前よりずっと立っています。

地味に記録を持っている駅で、ここに来て初めて知りましたが、昭和55(1980)年に「国鉄初の女性駅長の誕生した駅」という事です。

2015年に33年ぶりに女性駅長復活としてニュースになっていましたが、その式典には当時の女性駅長であった86歳の女性も横浜から駆けつけたといいます。この駅長さんは1982年まで務められたのですね。

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●乃木駅駅舎2004

2004年当時の乃木駅の駅舎です。

今と同じですね。

この時は駅前に電話BOXがなくて、2017年にはあるというのがなんとも不思議でした。携帯電話の普及で、電話BOXはなくなっていってるのに逆に設置されたというのが。

初の女性駅長云々…と記載はこの当時はありませんでした。既に女性駅長が退任して20年余りで、まだ復活前の状態でした。

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つづいて、東松江駅です。

-JR東松江駅-
【路線】
JR山陰本線(京都-幡生間)
【開業】1908年11月8日
【訪問】1992年12
【1日あたり平均乗車人員】 85人/日 (2014年)
【近隣の主要駅 (京都方面)安来駅→3駅、米子駅→4駅
           
(幡生方面)松江駅→隣駅

●東松江駅 駅舎

和歌山市にも同名の「東松江駅」があります。

この駅では止まって立ち寄った事がなく、外から駅舎を撮ったこのカットのみとなります。ただこれは1992年当時、約25年前の姿です。

今みたいにデジカメなどあるはずのない時代で、「写ルンです」で限られたフィルムの中で撮るしかなかったので必然的に記録は少なくなります、まして学生時代の貧乏期でもあったので。また、撮っていた時にフィルムの残りがなければ買いに行く必要があり、この近辺ではなかなか買えなかったとか諸事情あったのかな、と懐かしく思います。

現在もネットで調べた限り?!ではこの駅舎が残っているようですが、この左側にJR出雲鉄道部の建物が増築されて、ここに写っている柱の左側より左はその増築分に覆い隠されているようです。ちなみに出入口はこの右側に隠れている部分になります。一応、この柱の間の部分だけは今も残っている形のようですね。

JR山陰本線で、乃木駅が松江駅の西隣の駅ならば、こちらは東隣の駅です。ちょうど乃木駅との間に松江駅がある格好です。冒頭書いた通りに、松江駅と乃木駅と当駅が平成の大合併前の「旧・松江市」に3駅しかなかったJR駅のひとつです。

乃木は松江市内でも有数の発展した地域ですが、この東松江駅のある馬潟(まかた)地区はかなりのどかな雰囲気で、利用者数も乃木駅の1割程度にすぎない状態です。

ただ駅としての歴史は古く、山陰ではかなり古い部類の1908年開業で、既に100年を越え、来年110周年を迎えようとしています。

今度行ったら、駅やホームは勿論、駅前の様子も撮りたいと思いますが、いかんせん山陰本線なので、1つ寄ると他の所へ行けないぐらい、1ヶ所余分に寄るのに時間がかかるので、なかなかできないでいます。1992年以来まともに訪問していないので、25年ぶりに寄りつくのもいいかな、とも思っています。

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2017年3月30日 (木)

高知/須崎 たそがれの港町…

高知県須崎市、JR須崎駅からの歩き旅です。

(2017年1月当時)

須崎には1999年12月に初めて寄って、その後2006年に7年ぶりの訪問をしたものの、さして写真を撮っておらず、再々度今年の1月に約10年ぶりの訪問によって、ようやくまともな記録を残せたので、須崎の町の様子をここにお届けしたいと思います。

●動輪

須崎駅前にある蒸気機関車の動輪です。

ここ須崎は高知県で最も人口の少ない市ではありますが、 「高知県鉄道発祥の地」だそうで、土讃線発祥の地でもあるといいます。その永い歴史を永久に記念するため、ここに動輪が置かれたといいます。

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●駅前通り

駅記事(2006年当時)でも同様の姿を載せていますが、手前のモニュメントで向こうが見えない形になっていました。ここでは向こうが見える形で載せています。

基本的にほとんど変わらないですね。この短い駅前通りと、歩道のみアーケードのついた商店街と、初訪問体からだと約20年になりますがホント変わらないです。

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●観光マップ

須崎市の観光マップです。

左上に高知県の地形の中の須崎市の位置が示されていますが、高知県のほぼ真ん中の海沿いにあり、「かわうそのまち」とありました。

カワウソの中でも日本に生息しているものはニホンカワウソとよぶそうですが、現在は環境省からも絶滅が宣言され(2012年)ているものです。この須崎とのかかわりは、当時ほとんど絶滅状態と言われていた中を1979年に発見され、テレビ局や地元の人のカメラに収まり、「守る会」までつくられたといい、最後の目撃例の出た街、という事で、カワウソの町になったというものでしょうか。それにしてもカワウソなんてそこらに居るもんだと思ったら、ニホンカワウソに関しては絶滅宣言がされるほどの幻の生き物だとは、この記事を聞くにあたって調べるまで知りませんでした、色々勉強ですねsmile

ちなみにこのマップにおける須崎駅周辺は、地図真ん中やや左の色々な線の交わった辺りで、入り組んだ海辺がよく分かる地形になっています。実際港は駅から歩いて裏手に5分くらいのグッドロケーションですが。

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●須崎駅前バス停

須崎駅前広場ではなく、駅前商店街の短い通りの途中にあります。なので駅を出て数10mかは歩きます。

市内でここよりもやや賑やかに多ノ郷(おおのごう)駅行きのバスが7~16時台で全8本出ていて、1時間強に1本のペースで、この辺りにしてみれば便数の多い方かと感じます。最近特にバスを使ったりもするので、1日6本以上あれば、工夫次第で上手く使えるし、少ないとも感じなくなってきました、ある意味恐ろしいですねこの感覚。

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●すさき駅前食堂

須崎は「すき」と濁らずに読みます、今更ですが。

須崎駅前の短い商店街の突き当たり部分にあります。

駅前商店街は一応店はありますが、開いているのかいないのかよく分からない状態で、ここは確かに開いていました。開いてはいましたが、外から様子が分からず、客がいるのか居ないのかもよく分からず、入りそびれてしまいました。結局須崎では、多ノ郷駅から歩いて入ったお店でご飯を食べる事となりました。

行けなかったので調べてみるとこのお店、2010年に出来たばかりだそうで、前回ここを訪ねた時の2006年にはなかったという事になります。須崎といえば…といわれるほどの「鍋焼きラーメン」があるそうです。向かって左に立っているのが、その鍋焼きラーメンの幟です。

軒先はレトロな雰囲気に溢れていました。

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●原町

須崎駅から短い駅前商店街を通って左折した所がこの通りとなります。

特に商店街名を銘打っている感じではありませんでしたが、唐突に「ようこそ原町へ」と何か名所でもあるような雰囲気をもった看板が現われました。

ここに現われたキャラクターは「しんじょう君」といって、須崎のゆるキャラで、須崎と縁深いニホンカワウソをベースに頭部にはこれまた須崎の名物鍋焼きラーメンを被っている、全身これ須崎を表わしたものとなっています。名前はニホンカワウソが最後に発見された市内の新庄川からきており、絶滅したと宣言されてしまっても彼は日本のどこかに友達(ニホンカワウソ)がいないか、と全国を旅しているのだそうです。悲しげな夢のあるようなお話ですね。

それでこのキャラ、全く知らなかったのですが、2016年のゆるキャラグランプリでナント! 「1位」を獲得しているのです。2014,15年においても2年連続4位を獲得するなど、近年安定した人気を保っており、その割には全然この存在を知らずにいました。

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●川端シンボルロード

上の写真の原町の商店街を進んで出くわしたのがこの交差点で、この交差する道路が「川端シンボルロード」という訳です。ここで右折してこのロードを進んでいきます。

市街地にして須崎のメイン通りともいえる比較的賑やかなエリアで、12月になるとX'masイルミネーションという事で、夜には約6万球の光りの海が街を包み込み、ネットで写真を見た程度ですが、それはもう綺麗を通り越した光景でした。

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●シンボルロードの向こう側

上の写真から右折した風景です。

分離帯から左が車道、右が歩道という感じで分かれていました。

本来これより向こうに少し見どころがある訳で、進んで行こうと思ったのですが、まずは港町を見ておかないと(初訪問の1999年当時見た光景とも比べてみたくて)と思い立ち、急遽ここから引き返す事となりました。

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●コンクリートそのもの

今は使われていないであろう、すごく立派なコンクリート天然色そのものの建物が残っていました。これは撮らずにはいられないというものです。

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●津波之碑

昭和21(1946)年12月21日に発生した昭和南海地震といわれる大震災で特に和歌山県・高知県で甚大な被害が出ましたが、ここ須崎では津波が発生し、地震後10分も経たないうちに津波が発生し、それまでの古老の常識であった「地震後、間を置いて津波がやってくる」を覆したといいます。

死者51名、行方不明者3名、流失160戸余りといわれ、高さ6.5メートルにも達した津波は、うねりをあげて街に流れ込み、また一瞬にして海側へとのみこんで行ったといいます。

この碑は、その脅威を今の世にも伝えるシンボルとして、昭和40年から港の少し手前に建ち続けています。

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●踏切とイカリ

津波の碑から踏切を越えて、いよいよ港周辺へ、という所でこのような大きなイカリのモニュメントに出くわしました。港町の象徴的存在といえます。

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●港町の建物

須崎港まで出てきました。

踏切越えたらすぐそこというところで、1分も歩けばかなり港の近くです。

そこに建っていた建物たちですが、1999年に寄った時はもっち古めかしい事務所もあったような記憶があり、ここにある建物もそれなりに年季入っていますが、もっと古めかしいものがあったような…もうそれらはここには残っていないのかも…とか思いながら見ていました。

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●須崎港

港の部分です。

こうして船が沢山停まっていました。船というよりボートという規模です。

大きな船も数か所で見かけましたが、行き来している感じは皆無でした。

セメントと木材の集散地点として重要な役割を果たしてきたといいます。

前にここに来た時は、ほぼ夜に近い状況だったので、やっと昼間の光景が見られた、と嬉しい想いでした。

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●儚げなる港

最後はこの写真ですが、この辺りは1999年ごろには日本にある主要な港町という事で、ここ須崎を含む各港が地図内にて紹介されていましたが、いつの間にか撤去されたようです。

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2017年3月24日 (金)

大阪/四条畷 小楠公さんと畷の里

大阪府四条畷市の旅の様子です。

(2016年12月当時)

●幻の年…

通常はどこかの駅からの歩き旅、という形でお届けするのですが、今回はJR四条畷駅からの様子で、また四条畷市では忍ヶ丘駅しかupした事が無い為、いきなり街の景色から入ります。ちなみに四条畷駅は存在しますが、四条畷市ではなく、大東市(大東市と四条畷市との境)にあります。

それで四条畷駅から適当に歩き出してみましたが、ここは大東市になります。一見何てことのないように見えて、「えっ??」と思うような文字が目に飛び込んできました。ここに写っているお店、 「創業昭和六十四年」ですって。年が明けて7日しかなかった幻ともいうべき昭和64年創業のお店に出くわしました。こうして活字で見るのは実際初めてでした。当時は世間的に自粛ムードも色濃くで、なかなか物事を始めようという雰囲気も薄かった頃ですから本当に貴重だと思います。 焼肉屋さんです ⇒コチラ


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●大東-四条畷の境目で

四条畷駅から歩いてきただけあって、駅が大東市にあるといっても、四条畷市と接していて、しょっちゅう大東市に行ったり四条畷市に行ったりを繰り返していたような気がしますが、このダイエーグルメシティのあたりにも大東市と四条畷市の境があったとは…!!そんなこんなで四条畷市の旅記事ながら、大東市の様子も度々出てくることとなります。

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●楠木正行公墓地

ここから本格的に四条畷市内の様子となります。これは昨年末の様子ですが、管理人自身が四条畷市を訪ねたのは忍ヶ丘駅に行った際の2007年5月が実質的な最初となります。

楠木正行(=くすのき・まさゆき 1326?-48)は南北朝時代の武将として建武の新政で名を馳せた楠木正成の息子で、正成を「楠公」様と呼ぶならば、正行は「小楠公」とよばれています。正行は四条畷の戦いで、足利側の高師直らの軍に敗れて自害して果て、この墓所に葬られたといいます。「小楠公御墓所」といわれています。

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●12月の銀杏

上と同じ小楠公公墓所はこのような公園状になっていて、これは去年12月の様子ですが、銀杏の葉が多数散っていました。まだ葉は残っていて、陽の光と相まってちょっといい光景にもなっていました。四条畷駅に来たなら、寄っても良い癒される空間のひとつかと思います。四条畷駅から北西へ約600メートルの位置にあります。

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●商店街

小楠公御墓所を東へ抜けてすぐの通りです、向こうが四条畷駅方面になります。

ちょっと賑やかな感じの商店街が続きます。

商店街ってこのブログでもその通りの様子を少なからずあげてきましたが、寂しいものが多く、でも大阪の商店街はどこも賑やかだという事を感じさせられます。これは人が通っていないのを狙って撮っていますが、人が少なくても店それぞれに活気を感じます。

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●更に商店街

四条畷駅へ向かって進んでいくところです。

一部閉まっていて、人通り無さ気ですが、開いている店は活発な印象でした。

そして線路の手前まで進んだ所で右へ曲がると程なく、四条畷市から大東市へと入る事となり、その傍には四条畷駅があります。こうして記事を書いていても、撮った写真をみていても、どの写真が大東市で四条畷市で…といった事が分からなくなってくる事多々でした。

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●バス停(大東市)

四条畷駅に戻って、再び大東市の様子を!

ここからバスに乗って、四条畷市某所へ行く事としました。

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●イオンモール四条畷バス停

四条畷駅からバスでやって来たのはここです、「イオンモール四条畷」!終点です。

四条畷駅からバスで15分程度、\230でした。イオン行きのバスってのは色んな街でみかけますが、イオンとバス会社がつながってんのかな??という気もします。

といっても、ここが目的地でやって来たのではありません。

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●イオンからのバス

の時刻表です。

四条畷駅までのバスもあれば、京阪寝屋川市駅までの便もあります。歩きだとちょっと厳しいので、ちょっとぐらい待ってでも足がない場合は、バスを使った方が良いと思います。

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●AEON

と青空のカットです。

バスがここまでだったので終点まで乗ってきました。

AEONの写真をこんな風に撮っていますが、かなり店舗から離れた所で撮っています。

というのも、このブログを見た方はお分かりかと思いますが、とにかく色んな所でいろんな写真を撮っています。それなりに気をつけて写真を撮っているつもりでもあります。そんな中で唯一といっていいほど、撮っていて制止されたのがAEONでした。「撮影許可得てるの??」などと。全くの店外なのに、人が全く写らない形でもダメなんだとか、どんだけ秘匿性あるんだよ??と思いましたが、警備員に猛烈に止められました、それからというもの特にAEONではまともに撮らないよう気をつけています。

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●畷の里温泉

イオンと道を隔てて向かいに立つ日帰り温泉です。

ここに来るためにイオンまでバスに乗って来たのです。

帰りは最寄となる忍ヶ丘駅まで温泉から出ている送迎車で送ってもらいましたが、その時は年配の運転手から「にぃちゃんどこ行くんや?」てな感じで訪ねられました。なんでそんな上からやねん?とか思ってビックリしました。

とにかく温泉でホッコリしてきました、大阪の各都市でなかなか見るモノがない、という時にこんな風に温泉に浸かってくるとこれがまたいい思い出になるなと思いました。口の荒いおっちゃんに訪ねられたのも四条畷の思い出となりました。

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2017年3月17日 (金)

福岡/直方 陣屋と遺跡と昭和と

福岡県直方市、JR直方駅からの歩き旅です。

(2010年4月当時)

●駅前通り

今から約7年も前の姿になりますが、直方駅の駅前広場から駅前の道路へと進んで行く様子です。

左側に見えている「Sun Live(サンリブ)直方」という、中国地方西部から九州に多数店舗を持つスーパーマーケットチェーンが写っていますが、昨年2016年8月に閉店してしまい、1.5kmほど北の郊外に移転してしまったそうです。ドーナツ化現象なのか、小都市の駅前って寂れていくなぁ、という事を先日別の町で体感しましたが、ここもそうなったか…という感じでした。

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●直方陣屋城下町

という看板が駅前にありました。

江戸初期の1623年に黒田長政の遺言により、福岡藩の支藩として開かれたのがこの直方藩であったといわれ、当初は東蓮寺藩という名称であったそうです。

この絵にあるのは1700年ごろの城下町の様子です。

藩ができた頃は数百人の下級武士がいたとされ、市街地が形成されていったそうですが、当時は一国一城令のもとで、藩主は城ではなく、陣屋に住んでいたといい、陣屋城下町といわれるゆえんでもあります。藩が開かれて50年ほど経った1675年東蓮寺の地名を直方に改められ、「直方藩」という名称になったそうです。その後1720年に藩主の黒田長清が没し後継がなかった為、直方藩も廃藩を迎え、この藩は約100年でその役目を終える事となり、本藩の福岡藩へ還付されたといいます。

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●圓徳寺

直方駅よりほど近い位置にあるこのお寺、先述の直方藩の創設に伴って、この地に移設されたといわれています。城下町を守る要塞としての役割を果たしていたといいます。

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●直方マンホール

市の木「たいさんぽく」と明確に銘打って表示されています。この潔さがなんとも素晴らしいですね。あんまり「市の木」と律儀に書いてるマンホールは見た事がないので。

たいさんぼくは、「泰山木」あるいは「大山木」と表記し、モクレン科の常緑高木という事ですが、花径が50~60㌢にもなるといわれ、日本の樹木としては最大の花径を誇るといいます。

また直方市では、このたいさんぼくの他にもヤマボウシというミズキ科の植物も市の木として指定され、市の木が複数存在しています。

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●懐かしげな一角

これまた直方駅前よりほど近い地点のカットですが、この昭和感はたまりませんでした。建物の出来合い感というか、看板も何十年となく変わってなさそうな印象も受けるし、この前に立ってしげしげと見続けていたいとさえ感じました。

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●林芙美子 碑

直方駅前にある公園の一角です。先ほどの昭和感満載の一角の道隔てて向かいにあります。

「私は古里を持たない 旅が古里であった」と刻まれていました。

舞台上演回数が実に2,000回を越えた「放浪記」の作者として名高い林芙美子(1903-51)は幼少時にここ直方の木賃宿に滞在し、両親と行商生活を送っていたといいます。母親がバナナの叩き売りをして、近くで芙美子自身もアンパンを売っていたと。親が旅から旅の行商生活というところから出てきたフレーズでしょうか。代表作が「放浪記」というのも実に「らしい」と思います。

彼女の命日辺りにはこの石碑が少し飾られて、献花もされてということで「芙美子忌」としてちょっとした盛り上がりを見せるようです。

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●須崎町公園遺跡

その林芙美子碑が端にあるのは、この須崎町公園で、ここはまた遺跡としても存在し、江戸時代の直方陣屋城下町下で、江戸期の陶磁器などが出土した事が発掘調査で分かったといいます。

他にも江戸後期の墓地や多量の瓦を廃棄した後なども見つかったといい、江戸期の生活を色濃く伝える遺跡として貴重な存在といえます。

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●公園とステージ

最後はこの写真、公園の全体像とそこにはステージが設置され、時にここでライブや市のイベントなどもあったりするそうです。

床面が曲線で盛り上がってるのがなんとも、ですが、こういう加工って結構難しいのでは?と思ってしまいます。隙間なく、タイルの四角形の形も崩さずして、実に見事でした。

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