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2019年9月 4日 (水)

JR京町温泉駅 (宮崎県えびの市)

宮崎県えびの市のJR京町温泉(きょうまち・おんせん)です。

えびの市ではJRえびの駅をupした事がありますが、今回は市内の温泉駅を名乗るこの駅のご紹介です。

-JR京町温泉駅-
【路線】
JR吉都線(吉松-都城間)
【開業】1912年10月1日
【訪問】2019年1
【1日あたり平均乗車人員】 69人/日 (2015年) 
【近隣の主要駅】 (吉松方面) 吉松駅→2駅 
           (都城方面) えびの駅→隣駅

▼今年の初め、霧島温泉郷へ行く前の計画段階で、近くにこのような名前の駅があるのを全く知らず「これは是非行ってみよう」と思い立って寄った所です。

こんなに地味に「温泉」駅が存在していたなんて!という感じです。

隣はえびの市の中心である「えびの」駅と、もう片側の隣「鶴丸」駅は鹿児島県の駅で、前回の吉松駅から吉都線に乗っていちばん最初の宮崎県の駅で、ここから宮崎県、あとは都城駅までずっと宮崎県な訳です。

開業したのが明治最後の年である1912年で、当初は単に「京町」駅だったのですが、平成初期の1990年に現在の京町「温泉」駅となり現在に至ります。

宮崎県は意外にも「温泉資源の乏しい県」といわれ、この内陸部にある、都会とは言い難いこの辺りが県内随一の温泉エリアであるそうです。海沿いの都市部にそういえば温泉が思いつかないな、と。この辺に何かあればもっと賑わって注目されたろうに…と思うのですが。確かに鹿児島県や大分県は温泉といえば色々思いつきますが、それらに隣接している宮崎県でパッと思いつかないのがなんだか不思議です。

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▼吉松駅でキットカットをもらって、このキットカット電車に乗って、ここまでやってきたのでした。

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▼ホームは1面1線のみの最低限の形でした。

屋根のある部分もこれだけ、という感じの短いものでした。

駅の乗車人員は1日あたり69人が直近情報ですがこれが2015年の事で、2009年までは100人を超えていたのが近年急降下している感はあります。

あとフェンスの辺りが工事中を物語っていました。今年の初め、絶賛工事中でした。

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▼名所案内が2つありました。

1つはボロボロでメンテも行き届いていない状態のもので、もう1つはまっさらで工事の際に新設したものでしょうか。

この時、タイミングが少し遅かった感じで、工事中というレア感はありますが、旧の様子をおさめきれなかったのは少々残念でした。

京町温泉はこの界隈全てといっていいほど、ここにある「駅付近」そのものですが、他にも40分も歩けば吉田温泉という温泉にも行けるようです。

いちばん下の「薩摩鶏・地頭鶏」というのが天然記念物で、徒歩20分とあるのが興味深かったです。薩摩鶏というのは闘鶏の一種とありました。徒歩20分とは…、、その辺にいるという事でしょうか??

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▼ホームから出ていくところです。

辺り一面が囲いと更地でした。

「駅のホームを作り直しています」とあり、まさに真っ只中でした。

なのでこんな柵だらけの中を通ってホームを降りて行ったのでした。

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▼まだ、シートが取れていない状態の時刻表や近距離きっぷの運賃表です。

近距離きっぷの路線図では、真ん中左側の赤い部分がこの京町温泉駅で、これを右に行くと吉都線で都城へ至ります。

京町温泉駅から2つ左で分岐しているのが吉松駅で、ここで肥薩線と吉都線が分岐していて、縦に走っているのが肥薩線で、下側は隼人へ、上側は左へ折れながら人吉へ繋がっていきます。


そして時刻表の方ですが、

左が都城・宮崎方面 右が吉松・隼人方面です。

どちらも1日に8,9本程度で10本もないという希少路線です。時刻表のチェックは欠かせないですね。

中でもオドロキは都城方面の終電が19:46という事です。ここでこの電車を乗り過ごしたら「どうしよう?」となります。特に都城や宮崎などでホテルを取っている場合などは。

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▼工事中の仮設塀に沿ってホームから出て、入口はこんな感じです。

駅舎はこの左に隠れている形で位置していて、駅舎を通らなくてもホームを出る事ができます。というか駅舎を通ってホームから出る手段がないのです逆に言えば。門松が置いてあるのはこの時がお正月だったからだと思います。

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▼上の写真の仮設入口の向かいに当たる部分には、このような温泉旅館がありました。

本当に駅から出て目の前です。

「あわじ荘」という旅館です。

日帰り入浴も可能で、午前9時から午後9時までとありました。

京町温泉が一般的な知名度がものすごく高いとは思い難いのですが、この駅周辺に割にこじんまりとした宿が結構点在しています。

ビジネスホテル的なものは逆にあまりありませんが、この手の旅館的なものはこの辺りを歩けばいくつも見つかる、という感じです。隠れた温泉名所という言い方が正しいか分かりませんが、なかなか渋いところだと思います。

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▼ホームを出て、外付けの形で駅舎があり、中に入ってみました。

駅舎というより「観光交流センター」と建物にあり、いわゆる合築駅舎となっていて、駅設備は皆無でした。

電車を待つには良いスペースでした。人の行き来も殆どなくて、たまに数人来るくらいで、この空間を独り占めした時間も少なからずで、快適でした。

そしてパネル展示されていたのは「京町温泉の昭和」というもので、往時栄えた京町温泉の様子を色々と感じ取る事ができました。

こういうのはなかなか売っていないし、ネットでも見れないし、実際に訪ねて見るのがいちばんだな、とこういう時思います。

でも半年以上たった今、どんな姿になっているのかは正直よく分かりません。展示内容も変わっているかもしれませんね。

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▼京町温泉駅の駅舎です。

観光交流センターとの合築的側面がある事は書きましたが、ホームとのつながりが途切れた形でポツンと線路沿いにありました。

この時が工事中であったので、工事後はホームから繋がった駅舎になっているのかどうか…もう一度行ってみたい気もします。

遠いし本数も少なくて気軽に行ける所ではないので、訪ねるのもひと苦労ですが…。

パッと見て「京町温泉駅」の表示が見られないのは、これがまだ過渡期という事なのでしょうか??

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2019年9月 1日 (日)

JR吉松駅 (鹿児島県姶良郡湧水町)

鹿児島県姶良郡湧水町のJR吉松(よしまつ)です。

湧水町は鹿児島県の北部内陸地域に位置し、人口は9,552人(2019.6.1現在)です。

2005年に旧・吉松町と栗野町が合併してできた町で、池から湧き出る湧水に因んでの命名といいますが、湧水というのは「水が湧く」という事で、このような名詞に動詞をくっつけたような自治体名はなかなか珍しいのでは?という気がします。

-JR吉松駅-
【路線】
JR肥薩線(八代-隼人間)
      吉都線(吉松-都城間)

【開業】1903年9月5日
【訪問】2019年1
【1日あたり平均乗車人員】 116人/日 (2013年) 
【近隣の主要駅】 (八代方面) 人吉駅→4駅 
           (隼人方面) 霧島温泉駅→4
駅 
           (都城方面) えびの駅→3駅

▼駅の名前はよく聞いていましたが、こうして訪ねたのは今年の初めの事で「ようやく来れた」という感じでした。

JR肥薩線と吉都線を結ぶ駅であり、南九州にあって郡部の珍しいキー駅の役割を担っています。なので、隣駅表示も片方は2つ書かれてありました。

JR吉都(きっと)線の「吉」はこの吉松の事で、「都」の都城駅と結んだ路線という事です。

隣駅の「くりの」 (栗野)駅は湧水町になる前、合併相手の町名駅で、吉松もこの旧町を名乗った駅となります。

もう片方の「まさき」 (真幸。これで「まさき」と読みます)駅は肥薩線で、宮崎県の駅となります。吉都線ではここにある「つるまる」 (鶴丸)駅を経て次からが宮崎県の駅となります。

鹿児島の駅記事が続きますが、これは今年の初めに霧島温泉郷を訪ねた事に始まる一連の旅で訪問した駅を順次upしていってるためです。

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▼時刻表です。

左から 「隼人・鹿児島方面」(肥薩線)  「人吉・熊本方面」(肥薩線)  「都城・宮崎方面」(吉都線)

となっています。

最も本数が多いのが肥薩線の「隼人・鹿児島方面」で、1時間に1本近くありますが、これが最多です。この駅が複数路線にまたがるキー駅であっても、全体的な本数は多いといえない状況です。

全体を通して終電時刻が20時台とはすごいですね、早すぎる…ヒトの生活としては、そうしたものであるべきかもしれませんが…。

肥薩線の反対方面(人吉・熊本方面)は1日に3本しかなく、吉都線の都城方面は概ね2時間に1本という形です。

この時は吉都線の駅をいくつか降り立った訳ですが、常に時刻表とのチェックをしながら巡っていました。

九州の内陸部を走るレアな路線で、存続していてほしいなと個人的には望みますが、この先どうなるのかな?とも感じました。

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▼ホームは2面4線で、実際に使用されているのは2面3線で、残り1線は留置線です。

ホーム上にはドカッと売店がありました。

この時は見かけませんでしたが、昭和の頃によくあった駅弁の立ち売りを今もやっているそうです。

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▼南九州の内陸部では屈指のキー駅であるためか、豪華な雰囲気が感じられ、ホーム上の屋根が広く大きく取られているだけでなく、骨組みにも着色されていたりしました。

1日あたりの乗車数は100人そこそこですが、そう思わせない立派なホームで、この時は両側ホームに電車が停まっていました。

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▼そのホームに停まっていた電車たちの様子です。

上の写真では両側ホームに列車が停車していましたが、この時3つ稼働しているホーム全部に列車が停まっていたのでした。

上側の単独で写っている電車は「キットカット電車」で、前面には縁起良く「吉」の字が並んでいます。

このあたりは縁起の良い駅名三部作?で、丸、吉、真と縁起良い漢字が並んでいるのです。

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▼両面あるホームを繋いでいるのはこの跨線橋です。

改札側のホームと、島式ホーム2つがあり、階段は橋から3つ下りている格好になります。

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▼その跨線橋の内部です。

とりあえず階段部分は掲示物はなく、手すりの上と下で色が分かれるツートンになっていて、デザインにアクセントがついたものとなっていました。。

橋の部分は掲示物がありました。手すりを境にしたツートンはここでも続いていて、また屋根部分は骨組み部分が丸みを帯びてちょっと凝った形となっていました。

この階段は、階段が3つ下りている跨線橋の真ん中のもので、上りきった後は両サイドに通路がある形です。

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▼島式ホームから跨線橋を渡って来て、改札側のホームへ。

ここは列車が停車しないホームです。

当日日付つきの顔抜き看板があったり、チェンソーアートの木彫物があったり、ただの通過点の一駅では無いようなものが色々と置かれていました。という事で、今年の1月3日の事でした。貴重な「平成31年」です。

この湧水町では「チェンソーアート全国大会」というのが近年になり毎年行われている事から、このようなものが置いてあるようです。

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▼改札を出るところです。

切符入れがポツンとあって、ただ縦にまっすぐなゲートがあるだけの構造でした。

ただ出口までには少し距離を感じさせる奥行きがありました。

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▼駅前広場には動輪が静態保存されていました。

そしてその両サイドには肥薩線の開通記念碑や、吉松駅の開業100周年記念碑なども並べられていました。

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▼駅前広場の延長上ともいうべきスペースには、このような蒸気機関車も静態保存されていました。

C5552号というものでした。

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▼この駅前には色々ありすぎて嬉しい誤算でした。

こんな郡部のひっそりした感じの駅にこんなに色んなものがあるとは…往時は栄えていたのかな??などと思いを馳せてしまいます。

ということでこれは「石倉」という"近代化産業遺産"として保存されているもので、燃料庫だそうです。1903年の開業当時に造られ、鉄道関連施設としての石造物では現存最古級ともいわれています。

また、案内板にありましたが、この駅は鉄道の街として大いに栄え、最盛期には600人を越える職員が働いていたそうです。

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▼吉松駅の駅舎です。

郡部とはいえ交通の要衝の役目を果たし続けている駅だけあってか、2階建てのそこそこの規模の駅舎となっています。

それぞれの階の屋根縁に当たる部分がオレンジになっていて、白を基調とした建物において、良いアクセントになっています。

当初は、肥薩線と吉都線の分岐駅で、どの道待ち時間が発生するので、どんな所かな?位な感じでやって来ましたが、あれこれ見る分に関しては時間つぶしができる所、というのが訪ねての感想でした。

ただ、駅前が賑わっているとか栄えているとか、そういう感じはありませんでした。なので食べる所を探すなどは困難でした。しかし真ん前に銭湯があります。

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▼最後はこのカットで。

キットカットです(笑)

ホームにキットカット電車が停まっていましたが、「吉都」線に因んでのもので、駅で切符を買った時に駅員さんがくれました。

切符購入者には全員くれたのでしょう、正月期間でキャンペーン的なものであったのかもしれません。

という訳で、この切符にあるように次に向かったのは「京町温泉」駅でした。

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2019年8月26日 (月)

JR霧島温泉駅 (鹿児島県霧島市)

鹿児島県霧島市のJR霧島温泉(きりしま・おんせん)です

霧島市では、JR隼人駅と前回記事でJR霧島神宮駅をupしましたが、今回はこの駅です。

-JR霧島温泉
【路線】JR肥薩線(八代-隼人間)
【開業】1908年7月11日
【訪問】2019年1月
【1日あたり平均乗車人員】 241人/日 (2016年)
【近隣の都市駅】(八代方面)人吉駅→8駅
           (隼人方面)隼人駅→5駅

▼前回記事の霧島「神宮」駅はJR日豊本線という本線上にありましたが、この駅は別路線の「肥薩線」に属しています。ちなみに霧島神宮駅は旧・霧島町、この霧島温泉駅は旧・牧園町に属していて、その町名である「牧園駅」を長らく名乗っておりましたが、1962年に「霧島西口」駅と改称し、更に2003年に現駅名となり、それからまだ16年しか経っていない状態です。

そんな訳で、同じ霧島市内でも霧島神宮から霧島温泉へJRで移動するのは結構時間がかかり、隼人駅を経由して7駅を要します。この辺の7駅というのは相当なもの(時間・距離とも)であり、ダイヤを要確認ではありますがバスで移動した方が早い事もあります。

この時は、霧島温泉郷のホテルから少し歩いてからバスに乗ってこの駅へやって来ました。

この駅は普段は普通列車しか通っていない状態で、土日などの休日のみ1日2往復だけ特急「はやとの風」が通っていて、その停車駅となっています。週末だけの特急停車駅という事ですね。

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▼名所案内です。

辺りは「霧島国立公園」です。

霧島温泉郷、霧島神宮はもちろんですが、山々が豊富??で、新燃岳、韓国岳、高千穂峰、えびの高原ete…が列挙されていました。

徒歩で行けるところもあるにはありますが、というレベルでほとんどがバスを要する距離につき、いっぺんに色んな所は行きづらいかなと。というか殆どんが山なので遊ぶジャンルが限られてしまいますが…。

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▼ホームは1面2線で、隼人方面と吉松方面へ別れています。

隼人の方が都会に出る形となり、吉松方面は内陸に入っていくような感じです。

霧島神宮駅の方は隼人まで2駅ですが、ここからだと隼人まで5駅を要します。

しかし、かの有名な「嘉例川駅」が隣駅として存在しています。古くからの姿を遺す駅として有名な駅です。

それと長いホーム幅が取られている中で、屋根のあるスペースはごくわずかです。

ホーム上はそのわずかな屋根こそありますが、待合室はなく、座って待つなら駅舎でという感じです。

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▼1面2線のホームと駅改札とは構内踏切で繋がっていて、そこから坂を上ってホームに至る形で、跨線橋はありません。

構内踏切も遮断はなく、そのまま渡れてしまう形です。

改札へ入る時は「いってらっしゃい」の表示が、観光的な要素を醸し出しています、ここにも霧島温泉郷というかなり遠いですが観光地を擁している側面があります。ちなみに利用者数では霧島神宮駅よりもやや多く、1.3倍程度あります。

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▼ホームの最も駅舎から遠い側からのカットですが、左端にはかつての線路の残骸?も見えました。

車止めであったのか?今は線路もなく分かりませんが、この部分が切欠きになっていて、何だったのだろう?と思いめぐらせてしまいます。

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▼改札を入ってすぐの所に、龍馬とお龍の顔抜き看板がありました。

立派に観光の要素が感じられるものとして、駅を象徴するものとしてこれはなかなか重要なものではないかと思います。

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▼またまた写真が横転できずスミマセン。

縦長につき横向きになってしまったのですが時刻表です。

肥薩線の時刻表で左側が隼人方面で、右側が吉松(都城)方面です。

赤字は特急「はやとの風」号の停車で休日のみですが、それ以外が通常の普通列車の停車で、1時間に1本もない時間帯もあり、左側の隼人方面は14時台の次は17時までの2時間半電車が来ない(赤字の15時台特急は休日のみ)という状況もあり、時刻表を見ながらの旅程組みが必須です。

とりあえず平日ベース(黒字のもの)では、1時間に2本ある時間帯は皆無です。

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▼ここからは駅舎内です。

ホームの様子からすると、そんなに大きな規模の駅という感じではなく、田舎の小さな駅という感じですが、駅舎内は意外にも?なかなかの規模でした。

ガッツリ重厚感に溢れた木製の机と椅子が沢山待合室に並んでいる様はなかなか荘厳でした。

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▼上の写真の向こう側に見えていますが、パネル展示がなされていました。

この牧園でも西南戦争があった、という事でその説明です。西南戦争といえば薩摩でありこの鹿児島ですが、ここでも展開されていたのですね。

戦った人たちとしてもちろん西郷隆盛の写真もありました。

他に肖像のある辺見十郎太、桂久武なども西郷と同じ1877年に自決、戦死などで亡くなっています。

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▼駅舎入口から改札を見た目線のカットです。

こちら側にも色々ぺたぺたと貼ってありました。

感謝状も飾られていました。この霧島駅宛ではなく「花のある駅づくり実行委員会」宛のもので、2011年に国土交通大臣からの感謝状でした。

一方で「猫に餌をあげないでください」という注意の貼り紙も、その下にはありました。

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▼駅前広場です。

霧島国立公園としての側面が最大のウリで歓迎看板が真ん中に、適度に目立ち適度にひっそりと置かれていました。

この駅前で、目だった歓迎を示すものはこれぐらいだったように思います。

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▼駅舎内で猫に餌をあげないように、とありましたが、ネコが駅前にいました。

普段から居るんでしょうか?それで悩まされているのか??しかもかなり慣れた感じで近づいても全然逃げないどころか、カメラを向けてさえこんな寛ぎようでした。

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▼これも横になりすみません。

駅前広場には複数路線のバスのりばがありました。

鹿児島交通と横川ふれあいバスというものの標識が立っていました。

(この写真を縦にできないのが辛いです…)

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▼霧島温泉駅の駅舎です。

霧島「神宮」駅のような階段の上にあるような厳かな感じはなく、真っ平の平屋駅舎ですが、そこそこ横に長い駅舎になっています。

そして広めの広場スペースでロータリーが形成されていますが、バスやタクシーが活発に行き来している感じではありませんでした。

それでも鹿児島屈指の温泉街である「霧島温泉郷」へアブローチできるところなので(そういう目論みで駅名が「霧島温泉」になったのかと思ていますが…)、温泉大好きな方には是非とも寄ってほしい所ですね。

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2019年8月25日 (日)

JR霧島神宮駅 (鹿児島県霧島市)

鹿島県霧島市のJR霧島神宮(きりしま・じんぐう)です

霧島市では、JR隼人駅をupした事がありますが、今年の初めに霧島温泉郷へ行ってきた時にアプローチしたこの駅をお送りします。

-JR霧島神宮
【路線】JR日豊本線(小倉-鹿児島間)
【開業】1930年7月10日
【訪問】2019年1月
【1日あたり平均乗車人員】 203人/日 (2016年)
【近隣の都市駅】(小倉方面)財部駅→4駅
           (鹿児島方面)国分駅→隣駅、隼人駅→2駅

▼JR日豊本線で、隼人駅、国分駅に続いて位置している駅で、平成の大合併以前は旧・姶良郡の霧島町に属していて、その町内2駅のうちの中心駅的な役割を果たしていた駅です。

特急「きりしま」の停車駅であり、霧島神宮の最寄り駅として存在感のある駅です。ただし霧島神宮へはバスで10分ほどかかり、徒歩では少々厳しいです。

隣の国分駅とは12.7kmもの距離があり、JR九州管内の在来線では最長の駅間距離だといいます。

このあたりでは、隼人駅(旧・隼人町)→国分駅(旧・国分市)→当駅(旧・霧島町)と、旧自治体では中心駅が続いている所であったので、そんなに駅間距離が長いとは気づきませんでした。

屋根の骨組部分が朱塗りになっているところに霧島神宮の最寄りっぽさを感じさせます。

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▼ホームには霧島神宮の看板も出ていました。

「天孫降臨」の文字がありました。

天孫 瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が降り立った地として伝えられた由緒ある神社という訳で、この時1月2日でしたが、初詣参拝客で周辺がかなり渋滞していました。

当駅から霧島温泉郷へ向かう場合は、霧島神宮より更に向こうに位置しているので、もろに霧島神宮の渋滞の影響を受け、この時かなり長くバスに乗っていたのを覚えています。霧島神宮まで車10分とありますが、この時は何十分かかったやら…というところでした。

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▼ホームは1面2線です。

日豊本線のみという事でシンプルなホームですが、特急停車駅につきやはり立派な雰囲気があります。

柱の方も朱塗りなのですね。

新幹線の通らない日豊本線において特急停車駅というのはかなり大きいものがあり、九州新幹線終点である鹿児島中央駅からのアプローチでいけるので、そんなに時間がかかる感は少なく、鹿児島中央へ行く延長上的な感覚で行ける、といえます。これも新幹線が通っていなければ何時間かかるんだろう?と想像もつかなかったように思います。

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▼画像が横になってしまいすみません。

これもup時に修正がきかず、ココログの改定以降の弊害ともいうべき現象ですが、時刻表です。

日豊本線で、鹿児島中央方面と宮崎方面というかたちで載っています。

特急が停車するのでまだ1時間に1本、たまに2本ある時間帯もありますが、特急停車しない駅だと半分くらいに減り、とても「本線」などと呼べる本数のダイヤではないと思います。

特急停車するこの駅でさえも、1時間に1本も停まらない時間帯があり、ここで移動を考えるにはやはり時刻表のチェックは要です。新幹線で鹿児島中央まで行き着いてからの連絡時間等、このチェックは重要です。

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▼駅を出て目線の風景です。

駅前広場を出るとすぐに橋があります。

この駅前自体は多少お店はあるものの、霧島神宮のような賑わいは感じられず、距離がある事を感じます。

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▼駅前の橋の手前左側に、霧島神宮等へのバスのりばとこの地図があります。

近隣の地図がありますが、当駅と霧島神宮、霧島温泉郷との位置関係はこんな感じです。

バスルートもこの順に通っていきます。

初詣時期であったこの時は、霧島温泉郷へ行き着くのに2時間かかりました。(本来約30分)

順調ならば当駅からは以下のような感じです。

 霧島神宮へ ⇒約13分。250円

 霧島温泉郷(丸尾バス停)へ ⇒約28分。480円。

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▼駅のトイレは外にありましたが、暖簾が架かっていて、また建物もやはり朱塗りでキマっていました。

トイレの中は、ひねる蛇口でしかもこの三角形っぽい金属むき出しのタイプで、かなり懐かしい気がしました。

トイレ(小)もボタンで押して流すたいぷのものでした。

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▼駅舎の足元部分に当たるところに、駅の改築記念碑がありました。

今から50年以上前の1966(昭和41)年に建てられたものが、まだ遺されています。

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 「四季折々の霧島へようこそ」という事で、

春夏秋冬の霧島の魅力が写真で紹介されていました。

藤棚や紅葉や海岸などがありましたが、坂本龍馬とおりょうが新婚旅行で来た地、とありました。

彼らが日本初の新婚旅行をした、というのはよく聞く話ですが、その訪問地がここであったとは!

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▼そして駅前に足湯があります。

霧島神宮行きのバスに何人か待っていて、その方々が利用していたので浸かりませんでしたが、さすが霧島温泉郷の近くでもあるところ、といった感じでした。この写真で無人のように写っていますが、確かに無人でした。ただこの時はバス出発直前だったので無人であっただけで、慌てて撮って慌ててバスに乗り込みました。

「霧島温泉」駅という駅がJRの別路線で別に存在していますが、ここもまた霧島温泉郷から徒歩では少々辛いかな、というところで、霧島温泉駅から霧島温泉郷、霧島神宮駅らから霧島神宮、それぞれがバスで10分程度要するので、遠方から訪問の際はその辺りの時刻確認も必要です。バス便がそんなに沢山ある訳ではないので。

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▼霧島神宮駅の駅舎と、駅舎内の様子です。

利用者数は1日わずか200人ほどの駅ですが、霧島神宮という観光名所を有する点が特急を停車させ、また駅規模も大きくさせたのだなと感じます。

駅舎内も厳かな雰囲気で神社の近くを思わせる暖簾が架かっていて、待合スペースも仕切られた中にあります。

鹿児島中央以東の南九州の駅で隼人駅くらいしかそこそこの規模の駅を見た事がなかったので、この駅に対して小さな駅しかイメージになかったのですが、ここはそこそこの規模があって嬉しい誤算でした。

霧島神宮へ行きたい時に最寄り駅ではありますが、参拝客で溢れる時期は渋滞も想定して訪ねたい所ですね。

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2019年8月18日 (日)

JR大分駅 (大分県大分市)

大分県大分市のJR大分(おおいた)です

大分市は、大分県の中央部のやや南に位置し、人口は477,715人(2019.6.1現在)で、大分県の県庁所在地であり、九州では(福岡市、北九州市、熊本市、鹿児島市につづいて) 5番目に人口の多い市で、九州新幹線の通っていない東九州では最大人口の市です。

かつては豊後の国府として栄え、大分城は「府内城」などとも呼ばれています。

-JR大分駅-
【路線】
JR日豊本線(小倉-鹿児島間)
      九大本線(久留米-大分間)
      豊肥本線(熊本-大分間)

【開業】1911年11月1日
【訪問】初訪問-2010年8
【1日あたり平均乗車人員】 19,067人/日 (2018年) 
【近隣の主要駅】 (小倉方面) 別府駅→3駅 
           (鹿児島方面) 臼杵駅
→11駅 
           (久留米方面) 由布院駅→12駅
           (熊本方面) 三重町駅→8駅


▼駅名標周辺の様子です。

 

この写真は2015年3月当時のもので、本記事では特に断りのないものはこの2015年当時の写真を使用します。

2012年に全面高架化が完了し、これはその後の姿となります。

JR日豊本線に属しており、久留米と繋ぐ久大本線と、熊本と繋ぐ豊肥本線へも分岐する東九州随一のターミナル駅で、九州新幹線が通らない東九州にあって大変重要な役割を果たしています。利用者数は九州では第4位で、博多、小倉、鹿児島中央といずれも新幹線の重要なターミナル駅に続く多数の利用者数(九州新幹線の通っていない駅では九州最多)を誇っている活況の駅といえます。

ただ、そんな中で豊肥本線の「肥後大津-阿蘇」間では、熊本地震の影響でいまだに不通となっています。

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▼他のホームを含めたカットですが、ホームは実に4面8線もあります。

なので、向こうにいくつもホームが見えてます。

そして、どのホームも普通と特急の混在している形です。

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▼特急ソニックが乗り入れる形でのホームの様子です。

九州は列車がそれぞれ特徴的なのが魅力で、身近にそれらを見る事ができるのが楽しいですね。

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▼両サイドが見える形でのホームの様子です。

かなり屋根に覆われている印象が強かったです。

高架化されて豪華感が増したと思います。高架につきこのホームから降りて改札へ向かいます。

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▼改札を出て、駅構内の食堂街を歩き回っていた時に出くわした写真です。

大分県の方言が数々載っていました。

写真に写っているのは大分出身の指原莉乃さんでしょうか?

「はげらしい」が「悔しい」とか、全然原形留めてないような言葉も結構あるのですね。

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▼これはその食堂街で頂いたたしか「だんご汁定食」です。

大分といえば「だんご汁」

「だごじる」などともいいますが、来たからには名物を食べたいと思いまして。

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▼写真横になってすみません。

これは2017年再訪時のカットですがラグビーワールドカップまでの日数が表示されていました。

この時はまだ何百日というレベルでしたが、この開催は2019年9月20日~ということで、今からみるともう来月!の開催となるので載せてみました。

大分は全国で行われるワールドカップの12会場のうちのひとつであり「大分スポーツ公園総合競技場」で試合が行われます。もう来月に控える状況につき、かなり盛り上がっているのではないかと思います。

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▼これは構内のフロアで、改札を出て出口までのコンコース内ですが、大分駅内を普通に闊歩する「ぶんぶん号というミニトレインです。

定期的に人を乗せて走ったりもしていて、子供には人気のある大分駅名物です。

動いているのは土日祝の11~17時で、15分おきに運行していますが、動いていない時も駅構内に停まっていて、ひときわ目を惹く存在です。

距離をそんなに動くわけではないのですが、子どもにしたらこういう乗り物に乗ってそれが動くというだけで特別なものですよね、それも大人に乗せられて走る車と違ってゆったり乗れるものでもあるので。

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▼駅コインロッカーのひとつです。

駅構内ではなく、駅を出てすぐの所にあるものですが、

コミカルな絵柄と番号ごとにすべて絵が違うという、この凝りようが素晴らしいです。

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▼南口の駅前広場の様子です。

グルッと周囲を囲んだひさしが大変印象的で、色んな角度から撮りたくなり、また見せたくなります。

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▼大分駅南口の駅舎です。

南口は「上野の森口」という別称がつけられています。

ロータリーの真ん中は特に何もない状態で、単純に丸のスペースがとられています。

ロータリーのスペース周辺は歩行者スペースで、このエリアが広くとられています。

道路を挟んで広場スペースがありますが、そこではイベントが活発に行われたりしていました。

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▼北口へ転じて、駅前広場ですが、こちらもグルッと囲まれた広場スペースは同様の構造でした。

バスのりばには色んな行先の表示が看板に書かれる形で置いてありました。

一体型ではなく、それぞれ看板が別々につくられているのがなんとも…ですが。

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▼北口の駅前ロータリーの様子です。

どちらかというと、こちらの方がメインという感じでした。

北口は「府内中央口」という呼び名があり、まさに中央でメインな訳ですね。

府内城(大分城)はこちらからのアクセスとなります。

また商店街も近くにあるのですが、エリアによってか?かなり古い曲(40~50年くらい前の)ばかり流れている印象がありました。

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▼大分駅北口の駅舎です。

南口とはかなり違うデザインで、より豪華な雰囲気が感じられました。

庇が大きいところが、豪華さを感じさせる要因のひとつかもしれません。

ちなみにここへ初めて来たのが2010年夏の事でしたが、2015年春に5年ぶりに来てみたら、このように全然違っていたのでビックリしたものでした。

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▼これは翌年の2016年当時のものですが、この時は夜泊まっていたので、駅の夜景を見る事ができました。

という訳で載せますが、大分駅でこんな素晴らしい夜景を見れるとは正直思っていませんでした。

庇の部分など、昼の景色とほぼ同じ角度で撮れていると思いますが、写っているものは全然違う感じですね、

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▼最後は2010年当時の大分駅の旧駅舎と駅前の様子です。

今はもう見る事の出来ない姿につき、貴重なカットとなってしまいました。

いかにも昭和の地方都市の駅舎という感じを受けました。

向こうにクレーンが見えていて、工事をやっていたのも窺えるのですが、この当時はこんなに駅舎が変わってしまう程の改装をしているなど、考えもしなかったので5年後再訪してビックリした訳です。

少し行かないと、駅舎ごと変わってしまう事って結構あるので、前の姿を撮っておいて良かったとつくづく思うものです。

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2019年8月11日 (日)

タイ/バンコク⑦ 何はなくともワット・ポー

タイ/バンコク、Sathorn港から川をゆく!(後編) 以来の久々の記事です。

(2014年8月当時)

▼川を行ったところで記事の更新が止まってしまっていました(笑)

 

タイを代表する観光名所「ワット・ポー」の最寄りの港である「ター・ティアン(Tha Tien)」港に着いて、中へ入るとこのような木の床の建物に色んなお店が並んでいました。

 

本当に「庶民的」という言葉がピッタリの店ばかりでした。ジュースなんかも売っていて、帰りに港で船を待っていた時も買いました。

 

時々、日本語を見かけると嬉しくなったもので、この下の3枚目の写真の左上に「おみやげが安い」という表記が見受けられました。

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▼上の写真の木床の建物が港の駅のような位置づけならば、ここはさしずめ「駅前通り」という事になるでしょうか。

 

屋内は雑貨系なら、こちらは食物系という事になるかと思います。

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▼これも港の前の一角ですが、蓮が咲いている!と思って見てみたものです。

タイにもハスってあるんだな、と。

接写した時にその綺麗さに尚の事引き込まれました。

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▼これは通りの露店っぽいところで買った、いちごジュース的なものでしょうか。

いちご味ではなかったと思いますが、そんな感じの味と砂糖がかなり使われていたような感じのものでした。40バーツだったかなと。

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▼港から程なく、少し右へ歩いて行けば、すぐにワット・ポーの一部が見えてきます。

この他に実にいろいろな建物が見えてきますが「どこが入口なんだろう?」と探し回っていました。

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▼色んな車が走っているワット・ポー周りでした。

上の写真と全く違う建物で、どこまでが該当施設なのかよく分かりませんでした。

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▼真っ白な塀がいかにも宮殿という感じでした。

その前の道路は常に色んな車がひっきりなしに通り続けているカオスな状態でした。

バス停も設けられていました。このタイ旅行の間、バスはなかなか乗る勇気が出なかったです。乗り方とか降り方とか色々と…

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▼こういうアングルで見ると、いかにも海外という感じがしました。

街の建物のの続き方、色んな車が通っている感じとか。

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▼やっと正式なワット・ポーの入口を見つけました!

入口のようでそうでないところが何ヶ所もあって、歩きながらモヤモヤしていました。

そして、チケットは100バーツとありました。

こんな素晴らしい宮殿に300円あまりで入れる訳です。

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▼ワット・ポーに入場して、そのチケットと共に。

ここまででも既に色んな建物が現われていますが、このワット・ポーは敷地面積がナント約80,000㎡もある壮大なもので、中には勿論もっと色んな建物があります。

入場の際は寺院によっては服装にかなりうるさいところもあるようで、服装チェックが入ったりもするそうです。シャツにジーンズぐらいなら問題ないと思いますが、短パンとかタンクトップとか肌を露出する系のものが引っ掛かる場合があるようです。ここではそのようなチェック風景は見ませんでしたが…。

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▼中に入るや、神秘的な建物の数々がこれでもか!というぐらいに押し寄せてきます。

バンコクで最も古い寺院であるこのワット・ポーは14世紀ごろの創建といわれ、タイ古式マッサージの総本山であるといいます。

とにかく壮観です!

なんと説明したらよいのか言葉もありません。

先端が天に向かって長く伸びているような、この灯籠のようなもの(仏塔)がとにかく多数ありました。

またオレンジ屋根の独特の傾斜をした建物も沢山ありましたし、その屋根サイドに施されている装飾もまた芸術的なものがありました。

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▼何本もの塔の先が天空に向かって伸びてゆくさまは、やはり圧巻の一言です。

下側の写真で両サイドに立っているのは、日本でいうところの金剛力士像みたいなもんでしょうか。

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▼もう色々ありすぎて、その中から何を載せたら良いのか??状態ですが、屋根の妻の部分をアップで撮ってみたものもあります。

灯籠的な建物(仏塔)は真っ白バージョンもありました。

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▼それぞれについて説明できないところがもどかしい限りですが、こんな風景がありますよ、こんなのが見られますよ、程度で載せていきます。

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▼やはり仏塔の群れは圧倒的感満載です。

実際に目にしたら、きっとこの写真以上に圧倒される事でしょう。

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▼日本の狛犬のようなものもありました。

というか、この辺りから逆に日本へ入ってきたであろうものでしょうが。

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▼これらは御開帳ではありませんが、中に安置されている形のもので、沢山の方がカメラを向けていた仏像です。

仏像は殆どこういう金ピカ系でした。

ワットポー最大の仏像としては「大涅槃仏」という足の裏から撮らないと全体の収まらない、巨大な寝そべっている仏像がありますが、最後までどこにあるのか分からずじまいでした。とにかく敷地が広すぎるので、事前に下調べしておいたほうが良いと思います。

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▼仏像群がありました。

結構シンプルな形です。

頭の先が尖っていて、ふくよかさがなくシャープでスリムな感じでした。日本のは太りすぎなのでしょうか?(笑)

たまに金ピカでないものもありました。

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▼ワット・ポーの写真としてはこれで最後にしますが、とにかく広い敷地に色んな建物があります。

1時間では足りないくらいですので、十分な時間を確保して観れれば良いともいました。

どうしても時間がない状態であれば、とにかく仏塔群を見る事、かもしれません、それだけでも激しく圧倒されます。


この後は、この近くにある「ワット・プラケオ」に行ってみましたが、時間的な部分と入場料が500バーツもするのと色々…でやめました。

この移動の際に、教科書通りの詐欺グループに出会ったのもよく覚えています。

「日本人デスカ?」と聞いてきて、案内するとかなんとか言ってきたので振り切って歩いて去っていくと「そこ(ワット・プラケオ)は今日は休みで、やっていない!」と大声で制止しようとして来て。この詐欺、ちょうど「地球の歩き方」の下の蘭に載っていたのを見てたので、引っ掛からずに助かりました。元々この手の誘いは全部振り切る主義で(特に海外は)、必要だったら自分から要求するわ!という具合なので良かったですが、くれぐれも騙されないようして下さい(多分ボッタクリです)

とにかくこの界隈は、バンコク観光の目玉としてしばしば観光サイトなどで紹介される所で、中心地から少し離れていますが、タイに来たならここは行っておきたい、という所と個人的に強く感じた所です。

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2019年7月28日 (日)

島根/松江⑦ 今年ももうすぐ水郷祭

島根県松江市、これまで旧松江市外の地域を中心に6記事お届けしてきましたが、今回遂に平成の大合併以前から松江市であった(純然たる松江市)エリアの記事です。

本来は旧・玉湯町の玉造温泉エリアをお届けしたかったところですが、次の週末には松江の一大イベントである「水郷祭」を控える時期につき、昨年の様子の一端をお届けしようと思います。

基本的に水郷祭に特化しての写真記事となります。

(2018年8月当時)

 

▼去年の水郷祭での花火大会の様子です。

花火のカットを沢山撮ったのですが、1枚1枚あげてるとかなり縦長の写真だけの記事になるかと思い、主なものを1枚にまとめて、他の特に綺麗なものは別途あげる形としました。

水郷祭は松江市の夏の風物詩として代表的なもので、毎年8月の第1土日に開催され、中でも目玉はこの花火です。

今年の花火大会は8月3日(土)4日(日)の2日間行われ、3日は10,000発、4日は3,000発花火が上がるといい、観光客は30万人以上にのぼるといいます。松江市の人口が20万そこそこに対して、これをも上回る人でごった返します。

ここでの写真は、昨年の土曜日の花火になりますが、20:00に打上げ開始で1時間余り、色んな花火が打ち上げられて、見応え十分です。

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▼花火の上がる何時間も前から場所取りで人人人の賑わいでした。

宍道湖の北岸、松江市役所の付近で見ておりましたが、まずは日帰り温泉でひとっ風呂頂きました。

「松江しんじ湖温泉」駅付近にある「ちどり湯」という、2017年にオープンしたばかりの旧松江市内で唯一の日帰り専用温泉施設です。

 

脱衣所はこんな感じですが、設備的には銭湯に近い感じです。お湯は松江しんじ湖温泉のものを使っており、近辺の温泉宿と共通という訳です。

お風呂の種類がそんなに多くなく、露天風呂も確かなくて、石鹸やシャンプー類もありません。

また風呂以外に食堂やマッサージ機などもなく、銭湯と呼んで差し支えないと思います。

 

ちなみに周辺に足湯は点在しています。

↓とりあえずタオルは買いました。

【ちどり湯】

住所:島根県松江市千鳥町83 COCO MATSUEビル1F

電話番号:0852-61-5526

営業時間:10:00~22:00 (最終受付:21;20)

入館料:大人350円 子ども(小学生) 130円 未就学児童 70円

定休日:水曜日

HP:https://r.goope.jp/chidoriyu

アクセス:一畑電車 松江しんじ湖温泉駅より徒歩約5分

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▼ちどり湯の扉を出てすぐのところ、ビルの下の所で、机が出されて水郷祭用の臨時出店なのか?少し飲食物が販売されていました。

そのうちのこのナポリタンを買わせて頂きました。

これを花火が上がるまでの待ち時間に、宍道湖畔で頂いておりました。おいしかったです(笑) こういうお祭り時に食べるナポリタンは例外なく美味い。

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▼水郷祭の花火が上がるのを待機していた宍道湖畔(北岸)の様子をざっくりと。

対岸が向こうに見えていますが、この宍道湖北岸か、港に架かる数本の橋の最西端である「宍道湖大橋」の西側の欄干がポジションとしては良いようです。

JR松江駅北口の線路と平行に走る道路の西側でも、それなりには見えます。

一畑電車の松江しんじ湖温泉駅周辺が人気で賑わっており、この場所は松江駅からバスが出ていますが、十分歩いて行ける距離(約2km)でもあります。

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▼JR松江駅と一畑電車?松江しんじ湖温泉駅との関係性を地図にて。

松江駅が真ん中右の「目的」の部分で、松江しんじ湖温泉駅は北西の「出発」の部分にあたります。

左側に「フ」の字のように赤で描いた部分が、花火客で特にごった返す(と感じた)部分です。

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▼夜店も色々出ています。

そこで色々飲み食いしながら花火はどんどん上がっていきます。

至福の時でした。

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▼この赤っぽいのは宍道湖の夕映えを表しているのでしょうか?

ぐるっと松江レイクラインという周遊バスがありますが、その車体色もこんな赤い色で、聞くと宍道湖の夕日を表しているのだとか。

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▼その他花火です。

いろんな所から色んな花火を見る事ができました。

今度の土曜日8/3の晩に、直にこれを楽しんで頂きたく思います。

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▼当初見ていた場所から離れて、終盤はホテルへ向かいなが花火を見ていました。

というのも、終わってから動いても人の波がものすごいと思い、先に湖畔の賑わいどころから離れてきていました。

宍道湖に架かる橋まで出てきても橋から見ている方々も多かったので、まだまだ賑わっていましたが、下側の写真のように松江駅近くまでくると少なくなっていました。これが終了と同時に移動していると、この辺りもきっとごった返すと思い、先に引いたので人並みのそれほど飲まれずに済みました。(ホテルのがこの駅前だったのですが…)

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こんな感じですが、8/3(土)は10,000発の花火が上がります。

見に行かれる方は、楽しんで来て下さい!!

 

2019年7月25日 (木)

秩父鉄道/行田市駅 (埼玉県行田市)

埼玉県行田市の秩父鉄道/行田市(ぎょうだ・し)です。

行田市ではJR行田駅をupした事がありますが、今回は「市」のついた秩父鉄道の駅をお届けします。

-秩父鉄道/行田市
【路線】秩父鉄道秩父本線 (羽生-三峰口間)
【開業】1921年4月1日
【訪問】2012年9月
【1日あたり平均乗車人員】 865人/日 (2017年)
【近隣の都市駅】(羽生方面)羽生駅→5駅 
          (三峰口方面)熊谷駅→3駅

▼ 行田市駅の駅名標として、床付けタイプと吊下げタイプの両方がありました。

JRの行田駅の方は1966年に開業したのに対して、こちらの行田市駅は1921年と45年も前に開業しており、元々この行田市駅の方が「行田」駅を名乗っていました。

されがJR行田駅が開業した事に伴って、後ろに「市」がつき、現在の行田駅となっています。

駅名標が古き昭和の国鉄チックでちょっと惹きつけられました。

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▼ホームに停まっていた秩父鉄道のこの独特の黄色い電車、味がありすぎですね。

前面が食パンそのものという感じで大変ユーモラスな雰囲気でした。

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▼ホームは1面2線で、両側の出口へ出られる橋上駅舎の構造になっています。

細い柱でゴツイ建物を支えてるな、という感じです(笑)

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▼ホームの屋根下はこんな感じですが、結構広い屋根が取られている感じでした。

そして時刻表が吊り下がっていました。

左の黒い分が平日で、右の赤い分は休日のものです。概ね1時間に2、3本で、朝夕で最大4本ある時間帯もある、というところです。

待合室は室内型になっていて、前には自販機があり、室内には木製の長椅子が入っていました。なかなか渋い感じでした。

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▼JR行田駅の記事でも触れましたが、ここは「埼玉県名発祥の地」で、その事が書かれたポスターが貼られていました。

そしてお城の写真も。

ここ行田は「忍(おし)城」が有名な城下町です。

前回、JR行田駅に行った際は忍城まで3.5km以上離れており、歩いて行くには時間的に厳しく、バス路線等もあるようですが、そこまでの時間が取れず訪ねるのを断念した事もあり、忍城跡まで歩いて行けるこの駅までやってきたという訳です。

なので改めて書いておくと、忍城跡の最寄り駅はJR行田駅ではなく、秩父鉄道の行田「市」駅の方です!

この駅からだと歩いて行けますので。

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▼更にまたまたポスターですが「日本最大 田んぼアートが出現」とありました。

「古代蓮の里」というところの展望タワーから見られるという事で10月中旬まで見ごろ、とここには書いてありました。

毎年様々なデザインがなされているようですが、今年のを見ると「令和」と書かれたアートになっているようです。

行田に来たら、このような田んぼアートを見るのも良いですね。

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▼駅内の自由通路周辺です。

特に構内にお店が入っているとかはなく単純に通路でした。

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▼行田市駅の駅前広場です。

真ん中に建っているものは「埼玉県名発祥の地 行田」と刻まれています。

行田市役所などの公共機関もJR行田駅よりもこちらの駅の方が近いようで、行田駅よりこちらの方が行田の中心的な側面がやや強いかな、と感じました。

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▼行田市駅の駅舎です。

駅名の表示が遠くからだと見えにくい所にあります。横に近い角度からだと見えますが、正面からだと木の陰に隠れたり見づらいです。

建物の正面ではなくて、横へ降りる階段のサイドに表示されていますが、その位置が駅前広場から見ると端の方なので少々見づらいですね。

ただの四角い箱の建屋ではなく、その周りを縦に横にうねっているようで、何やらせわしげな印象を持たせる、そんな建屋でした。

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2019年7月21日 (日)

島根/松江⑥ 八雲 ラスト・ビレッジ!

島根県松江市、旧松江市街シリーズも第6弾となりましたが、今回は旧・八雲村です。

 

平成の大合併で松江市となった旧・八束郡のうち、唯一「村」であったところで、それが合併によって村から市へ一挙にジャンプアップしました。

(2004年8月当時)

 

▼この八雲村域に初めて来たのは1990年の事で、以後度々訪ねていましたが意外にも撮った写真が少なくて、今回記事にてお届けできるのもわずか3枚のみです。

八雲「村」といっても、合併直前の人口は7,000人余りいた訳で、この辺りの7,000人というと当時では完全に「町」のレベルでした。

当時から松江市のベッドタウン的な存在で、八雲村から松江へ通勤・通学する人も居たので、一般的な「村」のイメージとはかけ離れた状態であったかと思います。


訪ねていた事の殆どはこの鳥居の向こうの「熊野大社」へ行っていたというものです。

そしてその写真は松江市となってからのものではなく、合併で松江市になる直前の旧・八雲村最末期の頃のものとなります。村から市になり、住所表記上も「松江市八雲町…」と完全に村表記は消えていますが、当時から15年も経った今でもこの辺りはあまり変わっていないのでは?と思います。

この鳥居の向こうに熊野大社がある訳ですが、ここでよくおみくじを引いたものでした。


熊野大社は、720年「日本書紀」にはその名が既に現れているとされ、古くは出雲国において出雲大社以上の崇敬を集めていたといわれる由緒ある神社で、旧・八雲村エリアでは代表的な見どころのひとつです。

夏休み時期はラジオ体操が行なわれていて(1990年代当時)、体操しているところを加わった事があります(笑)

アクセスは下記内容ですが、バスでは松江駅から直通がなく「八雲車庫」にて一旦降りて、隣接する「八雲バスターミナル」でコミュニティバスに乗り換えてアクセスする方式となっています。この時すぐの接続ではないようで、多少のバッファがある為、どの便でもトータルすると松江駅からは50分程度かかります。

松江駅からは1時間に1本(30分に1本の時間帯もあり)程度で、松江駅に戻る時は1時間半に1本程度となっているので、バス利用の場合は要チェックですね。

【熊野大社】

住所:島根県松江市八雲町熊野2451

電話番号:0852-54-0087

アクセス:JR松江駅から南へ車で約40分
      車以外⇒JR松江駅から一畑バス22分「八雲車庫」行き終点下車、
              更に
「八雲バスターミナル」より八雲コミュニティバス「須谷」行き12分「熊野大社」バス停下車すぐ(計約50分、630円)
              ↓
             時刻表
 

HP:http://www.kumanotaisha.or.jp/

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▼道路から入って、熊野大社へ向かって左手前にあったのがこのお店「らーめんはうす・くまの」ですが、現在は旬野菜のレストラン「知足亭」となっているそうです。

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▼熊野大社の前にある温泉&宿泊施設「ゆうあい熊野館」です。

八雲エリアでは貴重な宿泊施設ですが、日帰り温泉での利用も可能で、この時も浸かってきました。

温泉もこの辺りでは貴重で、神社へお参り⇒温泉というルートも良いのかもしれません。

アクセスについては「熊野大社」と同様で、施設について最後に記します。


【ゆうあい熊野館】

住所:島根県松江市八雲町熊野773-1

電話番号:0852-54-0140

営業時間:10:00~21:30(最終受付21:00)

入浴料:大人410円、子ども200円

休業日:第3火曜日

HP:http://www.kumanokan.jp/

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このエリアは個人的にも、この辺りしか行った事がなく、改めてどこか違うエリアの開拓にも行きたいと、こうしてupして、より思うようになりました。

2019年7月20日 (土)

島根/松江⑤ 鹿島 愛して愛した恵曇・古浦の海

このブログで載せられる写真のメモリもかなり逼迫してきました…

あと何記事更新できるか…というところです。

 

島根県松江市、松江市では5つ目の記事となりますが、これまで宍道町美保関町島根町八束町と旧・八束郡の各町であった地域の様子をお届けしてきましたが、今回は「旧・鹿島町」の記事をお届けしたいと思います。

 

(2018年8月当時)

▼旧・鹿島町へはバスでアクセスしました。

松江駅から北西へ向かって、ここ「恵曇(えとも)連絡所」へ辿り着きました。

旧・鹿島町では、交通の重要拠点のひとつといえ、単なるバス停ではなく、ちょっとした待合所の建物が造られています(真ん中の屋根の平たいこじんまりした建物です)。 そしてその周辺(建物手前のスペース)はバスの待機所および方向回転場です。

松江駅から約35分、630円で行き着きます。

ダイヤ的にはほぼ30分に1本出ている格好で、ここから松江駅に向かう便だと、通学と思われる朝7時台は10分に1本の過密度合いになっている部分もあります。

この手前は歩いて2、3分くらいで海です。

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▼恵曇連絡所の待合室中身です。

この時は朝早くで出札は居ませんでした。普段いるのかもわかりませんが…

去年のお盆時期の暑い盛りでしたが、このベンチでくたばりながら松江駅へ帰り着くバスを待っていたものでした。

お盆の朝という時節柄的な部分もあったのかもしれませんが、自分の他にここで待っていたのは1人だけでした。

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▼バス連絡所がこの右に隠れている形ですが、ほぼ真横に位置している地点です。

十字屋という建物とカフェテラスJUJIYAというのが隣り合っています。

記憶が定かではない部分がありますが、右側の建屋の2F部分は昔「ふぁいぶ」という名前の喫茶店だったように思います。たしか内側の階段を上って2F部分がお店で、そこでかき氷を食べたりした記憶があります。左側が「十字屋パーラー」といってたような気が…、いずれももう20年以上前の記憶ですが…この辺寄ったのもこの時14年ぶりくらいでしたし… 

今はもうやっているのがどうかもわからないレベルですが、食べログ系の検索をすると名前だけは今も出てきます。レビューがないので、あるいはもう現役ではないのかもしませんが…いずれにせよ実はこの辺りは大変思い入れのある界隈です。

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▼恵曇連絡所から西へ、港に向かって歩いて行きます。

向こうにはもう海が見えています。

そんな海の近くの独特の家並みが目の前に現れていました。それぞれに歴史のありそうな、そんな家並みでした。

この家並みを歩いていると、左向こうのお家から出てきたおばあさんが「なんと暑い中を…」 (よく歩いてますな)というような感じで声をかけられました。この辺の御年輩の方たちは人情豊かな方々が多いなというのが勝手な印象です。大阪のおばちゃんとはまた違う、下から来るような温かさでして。

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▼港へ向かう家並みを通り過ぎ、ドン突きの港の所を左へ向いた光景です。

昔はこんな道路がなかったはずですが…しかしどんな姿だったかと聞かれると思い出せません、、

ここは恵曇漁港というころで、この左側の道路を緩やかに上っていけば古浦(こうら)という海水浴場に至り、この辺で海水浴場として今時期そこそこ賑わっているのでは、というところで、この時も夏の盛りだったので、外国人海水浴客なんかもいました。古浦については後ほどですが、まずはここ恵曇です。

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▼港へ向かった突き当たりの風景がこれです。(若干右を向いていますが…)

「恵曇漁港」の看板があります。

恵曇連絡所という所へバスで降り立ちましたが、ここは港町なのです。

当初はここを「エトモ」と読めずに漢字の塊で覚えてましたが「けいうん?」とか勝手に思ってましたね(笑)

今はここは松江市ですが、2005年3月までは八束郡鹿島町でした。更に遡れば、1956年までは「恵曇町」として自治体で存在していました。

出雲国風土記では「恵杼毛」と表記されていたようです。

右に見える建物は「JFしまね 恵曇支所」という恵曇港の漁協ですが、古いコンクリート色そのままの建物が歴史を伝えてくれるような雰囲気で、少なくとも平成初期からは殆ど変わっていないと思います。というか、この建物でどんな営みがあるのか?何回か行っている割には全然意識した事がありませんでした。

ちなみに「JF」とはJapan Fisheries cooperatives(日本漁業協同組合)、つまり漁協ですね。

ちなみに日本の漁港はナント2,860もあるといわれており、第1から第4種まであるそうで、この看板にある「第3種」というのは「利用が全国的なもの」という事で大規模漁港のひとつであるという意味合いです。 これの上に「特定第3種」というものが最大規模で13港しかないのですが、いずれも名だたる港ばかりでした。ここ恵曇港の「第3種」もこれに準ずる存在として101港のうちのひとつで、ピラミッド的に見ればかなり上の方に属する部類かと思います。

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▼そのコンクリート色そのままのJF(漁協)の建屋傍まで来ました。

たしかATMがあったな、なんて思って見てましたが入口左にありました。

でも、ここの前ホントに人通ってるのほとんど見た事なかったんです。この時も皆無でした。

この角度から見るとまだ幾分きれいというか、上の写真のように裏から見るとすごく黒ずんだように見えましたが。

ちなみにこの漁協の建物は、港でも入り組んだ部分に存在しています。

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▼漁協の建物から海沿いに200~300m程北西へと進んで、港の北西の出っ張った先へ出てきました。

恵曇漁協の卸売市場です。

この辺りはそこそこ人の気配もあった所で、恵曇といえばここへ必ず寄っていました。

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▼恵曇の漁港の様子です。

漁協の辺りよりも、こちらの卸売市場のある「港の先端」の方が、いかにも『漁港』の雰囲気に溢れています。

下の写真のいちばん上のものにあるようなスペースを、バイクで風を浴びながらゆっくり走るのが、とても心地よかったのです。1990年代から25年以上経ってもこの景色は殆ど変わっていせんでした。

いちばん下の写真のレンガ色っぽいのは卸売市場の建屋で水産会社などが入っています。

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▼同じ恵曇漁協卸売市場のスペースで、これは2004年夏当時のものです。

この訪問の14年前の姿ですが、殆ど変わっていません。

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▼恵曇漁港の先端から少し陸へ戻って「恵曇神社」へ来ました。漁港から東へ100mあまりの地点です。

廃屋と化した家々もチラホラ見受けられました。

恵曇神社ですが、創建年代は不明ながら、出雲国風土記に「恵杼毛社」の記載があったなど、かなり歴史あるところといわれています。建物の堂々とした佇まいに、その歴史を感じさせる雰囲気を感じました。

鎮座位置から 「江角大明神」ともいわれていたそうです。「江角」といえば個人的に島根県を連想しますが、江角姓といえば島根県でした個人的に。

実際、かつて女優で大躍進した江角マキコさんや、昭和期に主に悪役でならした故・江角英明さんなど、いずれも島根県出身で、やはり江角=島根だなと。

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▼降り立った恵曇連絡所バス停から港へ向かった時の地点へ戻ってきて、古浦海岸への道です。

この橋を渡れば古浦へ行き着きます。恵曇と古浦を結ぶ架け橋ですね。

恵曇の漁協からだと700~800mほどで古浦海水浴場に辿り着き、漁港と海水浴場それぞれ地名が違いますが、実に近い距離であり普通に歩いて行き来できます。

そしてこの橋を渡る時に、橋から横(陸側へ)を見てみると素晴らしい町並が目に飛び込んできました。昔この辺り何度も行っていた割にいつもバイクで駆け抜けていたので全然気づきませんでした。

こうして見て初めてこの町並に感動しました。こんなにできあがった港町なのかと。

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▼橋を渡ってこんな路地を通りながら、向こうへしばらく歩いて行けば古浦の海水浴場が見えてきます。

酒店や材木店等が見られました。

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▼古浦の地に来た事が分かる看板がありました。

「はまひるがおの咲く砂浜」と記されていて、恵曇と隣り合わせながら全く違った雰囲気の印象を受けます。

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▼古浦の海岸です。

恵曇は漁港ですが、古浦は海水浴場がメインとなっています。

という訳で砂浜、海が広がっています。

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▼海の家も出ていました。

そんなに派手な存在ではありませんが、ちゃんと海の家くらいはあるよ、という感じでした。

以下は古浦の海岸の様子を。

かつては海岸の手前部分が段々畑のような緩やかな階段状のものが取り付けられていましたが、今は無くなっています。

階段状になっていた時はここへよく来たものでしたが、その面影が亡くなってしまい、普通の海岸になってしまった感じで、少々寂しかったです。

古浦海岸の海での営業は7月8月との事で、これれから最盛期というところかと。

松江市では人気の海岸につき、一度行ってみられては…とお思います。

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▼最後に、古浦海岸の先述の海岸手前が階段状になっていた当時のカット(2004年)を載せます。

上野海岸の写真では、これはすっかり撤去されていて、古浦といえばここの上で海を眺めていた身としては寂しいものがありました。

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