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日記・コラム・つぶやき

2023年3月21日 (火)

生活と思い出と世の中と (1992年②)

遡って振り返る、「生活と思い出と世の中と」。36回目は1992(平成4)年の第2回です。

第1回は自分史的なものでしたが、第2回は世の中の動きをより濃くアプローチします。

 

●ドラマ

 あくまでオンタイムで少しでも見て記憶にあるもののみを並べます。

 

「刑事貴族」シリーズ 

 …「刑事貴族2」が3月まで1年間放送されましたが、水谷豊さんはじめ好評だったのか、4月からも一部メンバーを加えてほぼ継続の形で「刑事貴族3」が放送されました。これは「西部警察」と同じパターンですね。初作だけが大きく変わり、2と3はほぼ続きもという。
そして、これも「2」同様に1年間放送されるのかな?と思っていたら、12月で放送終了してしまい、それも9月から10月の間はかなり空いて、9月で終わってしまったのか?と思うぐらいでした。10月も末になってから再開され、高樹沙耶さんの演じていた青木順子刑事が復帰し、前田耕陽さんの演じた新人刑事「ダイ」が同時に登場しましたが、その活躍もわずか10回程度で終わってしまいました。

最終回は水谷豊さんが最初から最後まで徹底したハードアクションで、自身の登場した「刑事貴族」2」の初回に出てきた同じ、大きな女性の超難敵の犯人と再び対決し、死闘を演じた末のハッピーエンドとなりました。

寺脇康文さん、高樹沙耶さんと水谷さんの共演で、後の「相棒」が、この刑事貴族の同窓会ともいわれました。

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「愛しの刑事」

 …石原プロの刑事ドラマとしては最後になった作品で、以前放送された同プロの「代表取締役刑事」の配役に近い、渡哲也さん主演で、舘ひろしさんが実質的主人公の位置づけの刑事ドラマでした。今回、舘さんとコンビを組んだのが宅麻伸さんでした。

石原プロの刑事ドラマもそれまでのようなハードアクションは影を潜め、いささかソフトな路線で、といって人情モノまでも行かず、役者は揃ってましたが中途半端な感もありました。

「愛という名のもとに」

 …鈴木保奈美さん、唐沢寿明さん、江口洋介さんなど当時の旬の役者陣が結集して、若者の人生を描いた作品。挫折や仲間の「チョロ」の自殺など悲惨な場面も多く、全体に重々しい雰囲気が印象的でもありました。

浜田省吾さんの歌った主題歌「悲しみは雪のように」が大ヒットし、この曲やドラマのタイトルでもある「愛という名のもとに」の含まれるアルバムで1981(昭和56)年に発売された「愛の世代の前に」が大ヒットし、古いアルバムが掘り起こされた格好で、またドラマのサブタイトルにも浜省の楽曲がそのまま使われていました。

「ウーマンドリーム」

 …当時人気の高かった裕木奈江さんの主演ドラマ。内藤剛志さんが裕木さんをスターに育て上げる姿が印象的、それしか記憶にありませんが…

「裏刑事-URADEKA-」

 …藤竜也さん主演、法では裁けない悪を裁く「裏刑事」たちの活躍を描く。藤竜也さんが50歳を越えてもアクションしてて、片や彼に並ぶような存在に近藤正臣さんがトランプを使ったマジックなどで好演、この二人の対照的なキャラクターのぶつかり合いが妙に好きでした。近藤さんが長髪だったのって、この頃くらいが最後だった気がします(笑)

「俺たちルーキーコップ」

 …後に結婚する仲村トオルさんと鷲尾いさ子さんが主演・準主演として共演。

  トオルさんに使われる新米警察官に萩原聖人さんや榊原俊彦さんらが扮し、彼らこそがルーキーコップでしたが、他にも中条静夫さんの出演は「あぶない刑事」つながりだったり、若き課長に渡辺徹さんが扮していました。半年放映の予定が14回に短縮されたのは残念でした。

EDは仲村トオルさんの歌った「ブラザーズ・ソング」で、これは故・松田優作さんが歌っていた曲のリメイクでした。

「学校があぶない」

 …森尾由美さん主演のドラマで、偶々テレビを見たらチャンネルが合って何度か見ました。田中健さんの演じた教師が危ない感じの人だったのを覚えています。あと安達祐実さんがバリバリの子役で出ていた事と。

「社長になった若大将」

 …文字通りの若大将こと加山雄三さんの主演作。当時55歳でかなり貫禄もついていましたが、これも2クール予定が16回で終わってしまったといいます。何気に何度か見てましたが、娘息子役もなかなかいい年(20歳前後?)で出ていて、ストーリーは正直あまり覚えていませんが、ホームドラマというイメージでしたね。

「素顔のままで」

 …安田成美さん主演。とにかく中森明菜さんのドラマ出演が話題でした。それもすごく低い声でダミ声のような喋り口が大変印象的でした。

 主題歌は米米CLUBの「君がいるだけで」でこれが大ヒットしました。

「ずっとあなたが好きだった」

 …賀来千香子さん主演。「冬彦さんブーム」で話題になった佐野史郎さんの怪演が大変印象的で、野際陽子さんの姑キャラもこの頃辺りから出来上がっていったように思います。当時大学生でしたが、学生会館にあったテレビで仲間内みんなでこのドラマを見て、冬彦さんが豹変するたびにワーキャー言ってていたのを思い出します(笑)

「二十歳の約束」

 …あまり覚えていませんが、とにかく牧瀬里穂さんが連ドラ主演するという事で話題になったドラマでした。

「ホテル」

 …1990年に放送された「ホテル」がその後のスペシャル版を挟んで、連ドラで帰ってきた2作目でした。菊池桃子さんに代わって伊藤かずえさんが登場し、ベテランどころはこの作品のみ小野寺昭さんが登場していました。原作者・石ノ森章太郎氏の御子息・小野寺丈さんは初作から出演していましたが、小野寺昭さんとは血縁関係はないそうで、今作のみ小野寺被りしていました(笑)。この二人は現在でも舞台共演するなど親交があります。

「真夏の刑事」

 …時任三郎さんと別所哲也さんを中心とした刑事ドラマ。個人的には地元へ帰省中しか見れず、あまり覚えていませんが、最終回の柳沢慎吾さんが殉職する回は見たかった…。

 

●音楽

自分の手元にある曲のみ限定で、この年の作品は正直あまりもっていないです…

Anytime Woman/矢沢永吉

 …タイトルを聞いた時「まさか!」と思いましたが、永ちゃんがキャロル時代にラストコンサートで歌っていた、まくしたてるような英語詞のみの曲と同じタイトルで、キング・オブ・ロックの永ちゃんも歌い口はあくまでスローであり、早口で歌う事は殆どなく、個人的に待望の早口曲!と思っていましたが、詞は松本隆さんがつけて、曲のみ当時のものが使われ、あくまでソロ矢沢永吉のちょっとスローなロックでした。

リリース3週間後に同名の英語詞としてEnglish Versionがやはりシングル曲としてリリースされました。この年は永ちゃんのデビュー20周年であり、同時期にリリースれたアルバムも「矢沢永吉、20年目のロックンロール」と帯に書かれていました。当時は40代以上でロックをやる人がいなくて、その先頭を走っていましたが、今では50代60代でも普通にロック歌手・バンドがいて、時代の変遷を感じます。

BRIDGE~あの橋を渡るとき/ハウンドドッグ

 …ビールのCMソングとしてのタイアップもありましたが、ハウンドドッグ最大のヒット曲となりました。

 

●訃報

若山富三郎さん …風格を備え、勝新太郎さんの兄としても有名。ウエスタン時代劇「賞金稼ぎ」の錣市兵衛が印象的。62歳は早かった…

尾崎豊さん …26歳で屋外にて発見されたその急死はあまりに衝撃で、多くの若者に影響を与え、没後もみんながカラオケで彼の曲を歌い上げるのを見ると、皆の心に厳然と生きている事を今でも感じます。

大杉勝男さん …セパ両リーグで1,000安打達成の偉業成し遂げたプロ野球選手。プロ野球ニュースの解説やコーチも務めるも47歳の早世。

いずみたくさん …作曲家。中村雅俊さんのデビュー作「われら青春!」の主題歌や「江戸を斬る!」シリーズの主題歌作曲で有名

長谷川町子さん …サザエさんの作者。「意地悪ばあさん」の作者でもあり、今も続くサザエさんに日本の家庭を感じる。

船田和英さん …大杉勝男さん同様ヤクルトのベテランとして活躍し早世。

藤村富美男さん …元ミスタータイガースとならした野球選手。「新・必殺仕置人」では元締めとしてドラマ出演も。

中村八大さん …「上を向いて歩こう」「こんにちは赤ちゃん」など誰もが知る曲の作曲家として有名

近江敏郎さん …歌手として一時代を築き、晩年は「オールスター家族対抗歌合戦」の審査員としても有名

大山康晴さん …十五世名人にして5つの永世称号をもつ将棋界の偉人。

五社英雄さん …「極道の妻たち」「吉原炎上」などの大作映画の監督を務めた

松本清張さん …「砂の器」など多数の作品を世に知らしめた作家。多数の作品が二時間ドラマ化された。

松尾和子さん …ムード歌謡の女王として一時代を築くも晩年は騒動が多く、最後は突然の転落死でワイドショーでかなり話題に。

太地喜和子さん …女優にして志村けんさんのコントにも参加し新たな一面を見せるも49歳の早すぎる事故死

玉川良一さん …コメディアンにして俳優としても数々の作品にゲスト出演、石原プロ「ただいま絶好調」ではレギュラー出演

 

ここまでで長くなってしまったので、次は「第3回」として引き続き1992年をお送りします。

おそらく、時を前に遡る毎に書く量が増えてくると思います。

 

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2023年3月11日 (土)

生活と思い出と世の中と(1992年①)

遡って振り返る、「生活と思い出と世の中と」。35回目は1992(平成4)年の第1回です。

もう30年以上も前になる事にただただ驚きですが、バルセロナオリンピックが開催され、競泳・岩崎恭子選手の「今まで生きてきた中で、一番幸せです」と14歳にして放ったセリフが印象的でした。また100歳の長寿の双子「きんさん・ぎんさん」も大変話題となりました。

●ニュース

東京佐川急便事件が発生し、副総裁であった金丸信副総裁が議員辞職したというのがありました。当時は深くは知りませんでしたが、その3年前のリクルート事件など、企業と政治献金のクローズアップされた時期でした。

福岡県飯塚市の女児連続殺人や千葉県市川市の一家4人連続殺人など凶悪な事件が発生していたのもこの年で、後に犯人が死刑になる事件が数多く発生し、たいへん衝撃的でした。市川の事件はしばらくの間はワイドショーを賑わしていました。

アニメ「セーラームーン」のシリーズが始まったのはこの年でした。'90年代を大いに盛り上げたアニメシリーズといえます。

東海道新幹線に「のぞみ」が登場した年でもあり、それまで「ひかり」と「こだま」しかなかった状態から、この「のぞみ」の存在はグッと大きくなっていき現在に至ります。また、山形新幹線がこの年開業しています。

太陽神戸三井銀行が、「さくら銀行」となりました。現在の三井住友銀行ですが、自分のキャッシュカードはいまだに「さくら銀行」のもので、この「さくら銀行」銀行のイメージは強いです。

国家公務員の週休2日制がスタートしました。当時学生でしたが、通っていた大学がこの年より土曜休みとなり、土曜の授業がなくなったのを覚えています。で、土曜に校舎に入る時は、専用のカードでセキュリティに通して入るようになり、事前にカードをもらっておかなくてはいけませんでした。

貴花田関と宮沢りえさんの婚約が日本中で話題になりました。その後解消されていますが、2人ともこの時期は何かと話題を振りまく事が多かった、影響力のある人物であったとつくづく感じたものでした。

色々な長寿番組が終了し、昭和からの一時代の終焉が感じられた年でもありました。これについては後述します。

 

●学生生活

このシリーズで「仕事」というカテゴリで1993年に遡るまで書き続けてきましたが、この年は1年通してまだ就職していない「学生」でしたので、学生身分であった自分史を「学生生活」として書き綴りたいと思います。

この年は大学3年から4年として過ごした年でした。

本格的に就活を始めたのは4年生になってからで、3年生の終わりごろは企業案内が届くなど、今でいう「就活」を意識する事となりました。当時はまだそんな言葉はありませんでしたが…

どこから届いたか忘れましたが、企業案内をもらえる多数の会社説明が載った冊子が届き、興味のある会社には付属のハガキで案内を取り寄せる形でスタートし、全国企業にも地元企業にも、それぞれアプローチしました。

中でも、地元の企業展みたいなのに行って、興味のある企業ブースに入ってその会社の方々のお話を聞いたりなどしてました。

全国企業だと、広島とか京都とかの町へ出て、企業説明会に参加したり。学生身分にはそこまで出てくるお金が大問題でしたが、それ相応の交通費がもらえたりしていました。

6月か7月には地元企業から内定が出て、8/1に人生が決まる日として内定者の集まりがありましたが、事もあろうにドタキャンしました。

そこで決めてしまうのは…と、ためらいがあり、その後他の企業を応募し役員面接までいきましたが結局は内定ならず、それでも最初に内定していた会社が色々案内を送ってきて、ひとまず通信教育的にテスト提出をしていました。それでドタキャンしながら見捨てもされず、最終的にその会社に就職できることとなり、正直気が進まなかったものの、そこはある意味幸運でした。

そこの会社は秋口には「バイト研修」の通知をしてきて、実店舗に入ってバイトの形で研修をせよとの事でしたが、学生生活を送っていた地とその店舗との物理的距離の乖離等々あり全く断って、それもやりませんでした。それでも入る事が出来たのでした…。

ちなみに地元市役所の試験も受けましたが、全然ダメでした。それよりも高校時代の同級生と何人か会い晩まで歌って飲んで、とそっちの方がある意味収穫だったかもです。しかしながらこれ以降、高校時代の同級生とは一人だけしか会っていない形で30年も経ってしまいました…

就活以外の話では、卒論も大きかったです。ネタ集めとして11月頃から市内の全公民館をめぐる「行脚」も実施し、そこの地域の活動に対する積極性をはかることができ、あまりやる気ないなと感じる所もあれば、すごく熱心にお話し頂いた所もありで、行程は全公民館へテレアポして全部自分で計画しましたが、やってて楽しかったですね。

論文を書き始めたのは12月からで1ヶ月で原稿用紙100枚分、先輩から借りた「ワープロ」と格闘の日々でした。今みたいにPCで色んな操作ができる時代でなく、殆どの人間がワープロ頼りで、一部の情報処理に長けた人がPCを使っていたかどうか、ぐらいでしたねこの当時は。

大学に入ってから、この年の年末に初めて、実家に帰りませんでした。卒論執筆真っ盛りで受験生同然の生活で、家に帰ってのんびりできる余裕がなかったので。その論文を提出するのは翌年初めの事でした。

 

●プライベート

といっても、学生生活がイコールでプライベートだったので、特に分けて書く事もないですが、この年はそれまでのような日勤バイトをしてませんでしたが、単発でいくつかバイトをしてました。ほとんどが知り合いの伝によるもので、日給1万円くらいもらってましたかね。

それらのバイトは当時やっていた恐竜博覧会で何日か入り、化石売りをした日もあれば、ジュース売りでほぼ女の子とベラベラ喋ってただけの日もありました。化石売りは主催者のオッサンが全面ヒゲ面のとても怪しい雰囲気でした(笑) あとスポーツレクリエーションのバイトや二科展の搬入バイトなんかもやってました。

あと、当時ならではだと、実家への帰省時に一度バイクで250kmの道のりを帰ってましたが、色んなところで喫茶店や、ドライブインに寄っていました。今は存在しない店が殆どではないかな、と思います。特にドライブインはなくなりましたね、、逆に今みたいに道の駅などほとんどありませんでした。

週に1日しか授業が無かったので、春先は殆ど地元へ帰って、週一で学校へ戻ったり、というのを何度か繰り返していましたが、夏以降は逆に実家に帰る事が殆どなくなり、学生生活を満喫していました。就職が決まった事が、その境目でした。

大学のイベントで「徹夜ハイキング」として、夜8時頃?~翌朝9時過ぎくらい40kmあまりの道のりを何度も休憩しながら、一緒に歩いた人々とずっとくっちゃべりながら歩いていたのは実に良い想い出でした。最後は足が棒みたいになってましたが、不思議とあまり寝られず、すごいしんどい感はあまりないままでした。単純に若かったなと。寒かったのにずっとハイテンションのまんまでした。

 

1992年第二弾は、見たテレビや聴いた音楽や、もっと当時の世相を反映した内容を書き綴ります。

 

2023年1月23日 (月)

生活と思い出と世の中と(1993年②)

遡って振り返る、「生活と思い出と世の中と」。34回目は1993(平成5)年の第2回です。

 

まずは、この年に見たドラマから。

●ドラマ

並木家の人々 …武田鉄矢・陣内孝則・安田成美という3人での家族ドラマ。

振り返れば奴がいる …織田裕二・石黒賢氏による医師ドラマ。Bitter&Sweatの対照的な医師の絡み合い。

はだかの刑事 …松方弘樹氏主演。約3年続いた「刑事貴族」シリーズ終了後、人情刑事ドラマとしてスタート。少しアクション寄りとなりつつ9ヶ月放送。

RUN …長渕剛氏2年ぶりの主演ドラマ。占い師をしながら「鼠小僧」として悪を闇へ裁くスタイルのドラマ。

高校教師 …真田広之・桜井幸子氏を中心として高校の禁断学園ドラマ。主題歌「ぼくたちの失敗」の大ヒット

正しい結婚 …昼ドラマ。藤吉久美子・船越英一郎・川島なお美氏等で繰り広げた30代の複雑な恋愛模様。郷ひろみ氏の主題歌「僕がどんなに君を好きか、君は知らない」がヒット

パパっ子ちゃん …朝ドラマ。水野真紀・阿部寛氏の主演で、父子の愛情・恋人との愛情などを織り交ぜ奈から展開

●音楽

「東京」(矢沢永吉)

「風の中の火のように」(KAI FIVE)

「エロティカ・セブン」(サザンオールスターズ)

「RUN」長渕剛

 

▼風の中の火のように

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●訃報

田中浩さん …悪役を中心に活躍した俳優。しかし「丸大ハム」のCMでは「わんぱくてもいいたくましく育ってほしい」でお馴染みの良きお父さん役で人気を博した

桂春蝶さん(2代目) …関西落語界のホープとして長年活躍、51歳の若さで病死

園山俊二さん …「はじめ人間ギャートルズ」で人気を博した漫画家。

笠智衆さん …おじいさん役で人気のあったベテラン俳優

加藤正之さん …「ドラえもん」のび太のパパ役の声優として知られた。

戸浦六宏さん …常に目を細めた雰囲気の狡猾で残忍な悪役を得意とした俳優。

安倍徹さん …強面の風貌を生かした、組織の黒幕的な役どころで活躍した俳優。

津田恒美さん …広島東洋カープ「炎のストッパー」として80年代後半に大活躍も脳腫瘍により32歳の若さで死去

ハナ肇さん …クレージーキャッツのリーダーとしてテレビのバラエティー界に君臨し、俳優としても味のある演技で人気

潮健児さん …「仮面ライダー」の地獄大使役など悪役で有名俳優。「忍者キャプター」では50歳を過ぎて正義のヒーローを演じた。

森永勝也さん …プロ野球ニュースの解説でお馴染み。広島の監督も経験。

田中角栄さん …元首相。日本列島改造論の展開、ロッキード事件での逮捕など破天荒な政治家として知られた

 

●プロ野球

ヤクルトが西武を下して、初めてリーグ優勝&日本一となった1978(昭和53)年以来2度目の日本一となりました。

新人王は、セ・リーグはヤクルト・伊藤智仁投手、パ・リーグは西武・杉山賢人投手と、いずれも優勝チームから出ました。

伊藤投手は故障でフルシーズン働けず7勝2敗でしたが、内容が評価されての受賞となりました。今後を大きく期待されたものの、やはりケガが付きまとい続け、短命に終わりました。

杉山投手は入団年齢が遅くて長い年月は活躍できませんでしたが、この年は鹿取・潮崎いった投手とトロイカ体制ともいうべき鉄壁のリリーフ陣を形成していました。

また、巨人では長嶋監督の再就任が大きな話題となりました。また、その長嶋新政権1年目に松井秀喜選手が入団してきて、レギュラーとまではいきませんでしたが、それでも高卒1年目で11本の本塁打を記録し、大器の片りんを見せていました。

大洋が、横浜大洋ホエールズから「横浜ベイスターズ」になったのはこの年からでした。しかしその横浜で、大量解雇がありました。巨人からFAした駒田徳広選手を獲得すべく、球団の選手を大量解雇し、高木豊・屋鋪要などの主要な選手も含まれていました。結局高木選手は日本ハムへ移籍し1年で引退、屋鋪選手は巨人へ移籍し、日本シリーズでのスーパープレーでチームの日本一に貢献しました。

また、このオフでの大型トレードで大変印象的だったのは、西武とダイエーのトレードでした。西武・秋山幸二、渡辺智男、内山智之の各選手とダイエー・村田勝喜、佐々木誠、橋本武広の各選手の「3対3」のトレードで、規模もスゴイですが、「西武・秋山とダイエー・佐々木を出すか??」と衝撃でしたね。

日本一を花道にヤクルトから2人の大ベテラン選手である杉浦亨外野手(当時41)と八重樫幸雄捕手(当時42)が長い現役生活に別れを告げました。杉浦選手は前年引退するつもりだったのが、日本シリーズで劇的なホームランを打ったことで現役続行となったものでした。

また、オリックス・松永浩美選手と阪神・野田浩司投手がトレード移籍したシーズンで、野田投手はオリックスで短いながらも大活躍し優勝に貢献していきますが、松永選手は阪神移籍し、背番号2から「02」に変更した挙句この1年限りで阪神を退団したという事もありました。

西本聖投手がこの年のみオリックスに在籍していました。中日を退団し、オリックスへ移籍し37歳のシーズンでしたが5勝を挙げるなどそこそこ活躍していましたが、次の年は古巣へ戻る事となりました。

 

●大相撲

が横綱に、貴花田が大関に昇進した年でした。貴花田はわずか20歳5ヶ月での大関昇進となり、これは北の湖が持っていた最年少記録を更新するもので、この大関昇進時に父と同じ「貴ノ花」と改名しました。(その後貴乃花へ改名)

また、このタイミングで父が藤島親方から二子山親方となり、二子山部屋を継ぐ事となりました。

この当時は1991年の千代の富士引退以降、すっかり勢力図が変わっており、前年までに当時の横綱・大関も多数現役を去っていった頃でもありました。

そんな中、曙が突出して強かった時代で、6場所中4回優勝しており、逆にその後の失速が際立った感がありましたが、この時はとにかく強かったです。他は若花田・貴ノ花が1回ずつ優勝しており、若花田の初優勝はTVで見て覚えていますが、ちょうど大学を出て引っ越し前の部屋の片づけをしながら見ていました。

引退力士としては、前頭下位から十両が最高位の力士が多く、目立つのは元小結・両国くらいです。同期の栃乃和歌と共に学生相撲出身で大器として騒がれた存在でしたが、ケガに悩まされる事も多く小結止まりでした。最後は92年11月に十両に陥落してわずか1場所で幕下へ陥落してこの93年にも番付こそ載りましたが場所前に引退したものでした。

 

…Jリーグが開幕し、サッカー中継がゴールデンタイムにされていたこの1993年、♪オーレオレオレオレーのメロディーが流れまくっていた印象が強い年でした。

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2023年1月 8日 (日)

生活と思い出と世の中と(1993年①)

遡って振り返る、「生活と思い出と世の中と」。33回目は1993(平成5)年の第1回です。

長らく自民党の政権が続いていた「55年体制」に終止符が打たれ、自民党以外の政党が政権を奪取した年であり、また現在の天皇陛下が皇太子時代に御成婚され「ロイヤル・ウエディング」として話題になった年でもありました。今からもう30年も前になるのですね。

 

●ニュース

冒頭の通りですが、自民党55年体制の崩壊により、それまでの野党連立政権が誕生し、細川護熙首相の内閣が発足しました。

生まれてこの方ずっと、自民党政権しか知らない身としては新時代が到来したような気分でしたね…、あんな短命政権になるとは…この時は夢にも思いませんでしたが…。新党さきがけや新生党といった政党が誕生したのもこの年でした。

 

そして「ロイヤル・ウェディング」。時の皇太子さまのご成婚はいつか?と話題になっていましたが、決まるや祝福ムードに包まれた日本がそこにありました。

新幹線の「のぞみ」が運行開始されました。それまで東海道・山陽新幹線は「ひかり」「こだま」だけでしたが、のぞみはやはり早いなと数年が感じる事となりました。この当時はあまり新幹線に乗っていなかったので分かりませんでしたが。

北海道南西沖地震が発生、奥尻島で多くの死者が発生するという痛ましい事件もありました。

 

●仕事

「仕事」というカテゴリでこの文を書くのは、この回が最後です。

この年に大学を卒業して、学生から新社会人になったので、まさに社会人一年生、就職した年でした。

3/30に実家へ戻ってきて、4/1からいよいよ働き出す慌ただしさ、2日間の集合研修を経て、4/3から配属先へと散っていきました。

毎日覚える事ばかりで、社員として働くという事が初めてで、日々慣れずにしんどかったですね。

店舗勤務だったので土日の休みがなく、平日の連休が楽しみでしたが、これもあっという間に過ぎていきました。

ごくたまに3連休をゲットできた時は嬉しかったものでした。なにせGWも盆も何もなかったので。

夏ころまでなれない日々でしたが、8月に後から人が入ってきた時に、一番下っ端は変わらずながらも少し慣れてきた感がありました。それからでしょうか、社会人としての生活リズムに馴染んできて、仕事とプライベートの使い分けとか、分かるようになってきました。

 

●学生生活

仕事が4月から始まったなら、学生生活は3月に「なんとか」終わりました。

「なんとか」と書いたのは、、すんなり4年間で卒業できたわけではなかったからです。

2月末に大学の学生課から電話があり、「後期の一般教養試験が不可になった」「指導教授を訪ねて追試を受けさせてもらえ」との事でした、この時の「凍りつき具合」は半端ありませんでした。ヤバイヤバイ、もうそれしかありませんでした…

「このままでは4年で卒業できない…」

1年次に一般教養の単位を落としてしまい、学年が上がってから一般教養を受ける事を避けてきて、4年次に巻き返すつもりでしたがやはり出れずに試験も失敗、恐れていたものを蓋をしてきていました。。がやはり隠し切れず、無情にも「通告」されました。

それでも「チャンス」はもらったので、それこそここでやっと「本気」になりました。指導教授経由で、教科の教授をお訪ねし、そこで出されたお題を丸暗記して、「再試」に挑みました。ここでやっと合格し逆転で「単位取得」となり、無事に4年で卒業できることとなりましたが、それまでの何日間かは「地獄」でした。卒論出した後にこんな事があるとは…というところで。

 

年明けは、初めて年末年始に親元へ帰省しませんでした。「卒論」の追い上げがあって、のんびりする間がなかったので。正月も卒論を書いていました。多少バイクで出かけて気晴らし程度の事はしていましたが、卒論終わるまで何ヶ月も髪を伸ばし続けたり、「卒論ありき」の生活でした。

卒論提出はギリギリまでかかりましたが、終了間際はいろんな事で気持ちがギリギリになり、わーきゃー喚きながら書いていた、と言っても過言ではないレベルでした。ちょっともう精神的にもヤバかったです。

卒論発表はとても寒い日で、最高でも氷点下だったかな、という日でした。その後の謝恩会とか、色々と学生生活最後のイベントごとが続きました。

卒業式は後輩たちが盛り上げてくれて、思い出深いものとなりましたね。

その後ギリギリまで部屋じまいができず、住み慣れた街を離れるのが嫌で、ぐずりながら荷造りを開始、なんとか3/29くらいまでにはまとめる事ができましたが、がらんとした部屋にすごく寂しさを感じていした。喜怒哀楽いっぱい感じた「濃い」4年間だったので、終わらせたくなくて。

 

●プライベート

仕事の項で書きましたが、来てはあっという間に休日が過ぎた感じでした。

最初は常に開店前に出勤していましたが、シフト制になり、9:15くらいに出て9:30に入るとかそんな感じで出勤するようになってから、幾分楽になりました。晩は閉店19時で決まっていたし、早番だと18:30に帰れたので、遅くまで働く事がなく、そういう意味でもリズムをつかみやすかったと思います。

学生生活への恋しさが強くて、月に一度くらいは学生時代過ごした街へ出かけて(電車で4時間!)、キャンパスに入って留年した友達と遊んだり、出くわした後輩と出会って楽しんだりしてました。夜中は後輩のところでギターの弾き語りに合わせて歌ったり…今なら絶対できなそうですが、そういう時代でした…

一方で、金がなかった為、これまで楽しめなかった「旅行」を楽しむこともできました。

泊りはありませんでしたが、滋賀県や岐阜県に、和歌山県にも初めて行きました。兵庫から日帰りで、というささやかな旅をしてました。観光を楽しむというより、未踏の「県」や「街」に足を踏み入れる事が目的だった気がします。

あとは、「ワープロ」を初めて買いました。卒論でワープロは使っていましたが、先輩からの借り物で、自分のものとしては社会人になってやっと、10万円近く出して買いました。当時はPCなどないので、ワープロを持ってるかどうかぐらいでした。そういう感じのステータスとしては。そのワープロを使って学生時代の後輩などに手紙を出したりとかしていました。

 

次の記事では当時の流行や見たもの等TVメディア関連を中心に綴ります。

 

 

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2022年12月17日 (土)

生活と思い出と世の中と(1994年②)

遡って振り返る、「生活と思い出と世の中と」。32回目は1994(平成6)年の第2回です。

 

●ドラマ

アリよさらば …矢沢永吉さんの実質的連続ドラマ初出演作の高校が舞台の学園ドラマ。生徒役で後に有名になったメンバーを多数輩出。

夏子の酒 …和久井映見さん主演の酒蔵もの。

家なき子 …安達祐実さん主演「同情するなら金をくれ」のセリフが有名な、またバイオレンスシーンも強烈な作品。翌年続編放映。

お金がない! …織田裕二さん主演。貧乏な男が成り上がっていくサクセスストーリー。

 

●音楽

「いとしさと切なさと心強さと」(篠原涼子) …あちこちで流れていた曲で、篠原涼子さんの出世作

「アリよさらば」(矢沢永吉) …自身が主演した同名ドラマの主題歌、作詞は秋元康さん。

「Virgin Beat」(氷室京介) …軽快なビートに乗せて軽快に歌い綴るヒムロックの象徴的作品

「ROCK ME」(ハウンドドッグ) …ハウンドドッグのシングルでは異次元のボルテージの高さをほこるROCK曲

●訃報

高品格さん …元ボクサーで鈍牛のような雰囲気を持った悪役から、「大都会」シリーズでは全話にベテラン刑事役で出演

安井かずみさん …沢田研二「危険なふたり」など数多くのアイドル系を中心に作詞した作詞家。

菅貫太郎さん …ギョロ目に信念の強い狂信的な悪役を得意とした俳優、交通事故死。

香川登志緒さん …関西放送作家界の重鎮。「てなもんや三度笠」などの作詞も。

大山倍達さん …空手家の重鎮的存在。「空手バカ一代」ではその空手の神髄を垣間見られる

小川英さん …「太陽にほえろ!」のメイン脚本家として番組のクオリティーを保ち、番組長寿化に貢献

鳳啓助さん …京唄子さんとの漫才コンビで人気を博す。「ポテチン」などのギャグも有名。

東野英治郎さん …悪役として活躍してきたがTVドラマ「水戸黄門」の初代・黄門様を長年演じてきた俳優

海原お浜さん …海原お浜・小浜として漫才コンビで活躍。眼疾の為途中で引退。

中川勝彦さん …ビジュアル系の歌手、タレントとして活躍も32歳で白血病の為早世。中川翔子さんのお父さん。

京塚昌子さん …にっぽんのお母さん、の主演級女優として昭和のホームドラマに主演。「肝っ玉かあさん」は特に有名。

中条静夫さん …勤勉な忠臣から豪快なオヤジまでさまざまに演じ分けた名優。「あぶない刑事」の課長役でも有名。

汐路章さん …ゴロツキ系の悪役を得意とした俳優。

乙羽信子さん …新藤兼人監督を夫に持つ女優。「おしん」では主人公の晩年期を好演。

 

●プロ野球

「10.8決戦」と「イチロー旋風」がハイライトでした。

巨人vs中日のシーズン最終戦が、両チーム同一の69勝60敗で、「この試合に勝てば優勝」というこれ以上ない劇的な優勝争いとなりました。野球のペナントレースの場合はほとんどが、途中の試合で優勝が決まってしまうので、後は消化試合…となりますが、この時は最終戦まで全く気の抜けない展開となりました。

巨人はこの年、落合博満選手が中日から巨人へ移籍してきていて大きな戦力となっていました。10.8決戦では巨人は槙原-斎藤-桑田という当時の「先発三本柱」の文字通り「シビレる」リレーによるまさに総力戦で挑み、結果6-3で中日を下し、最終の優勝決定戦でリーグ優勝を決め、西武との日本シリーズも制しました。

この時敗れた西武の森監督は監督を辞任し、後任には石毛選手が現役を引退して就任、という話も上がりましたが、結局石毛選手は固辞してダイエーへ移籍する事となりました。(後任監督には東尾修氏が就任)

パ・リーグでは「イチロー旋風」で、それまで一軍の実績はわずかなものでしたが、この年すい星の如く現れた「イチロー」の大活躍をずっと見ていて、またメディアが連日報道しました。

夢の4割到達か?200安打達成なるか?といわれ、毎日の成績が報道され…結果的に打率は.385で210安打となりましたが、年俸は10倍になったといわれました。

中日のエースとして活躍した「スピードガンの申し子」小松辰雄投手が引退し、200勝投手の広島・北別府学投手もこの年引退しました。また巨人・篠塚和典選手も引退、晩年は腰痛に悩まされ90年代は出場が限定的でしたが、天才的な広角打法で3割の常連でした。

 

●大相撲

優勝は貴乃花が4回、曙と武蔵丸が1回ずつの「貴乃花時代」でした。もっとも「貴乃花」に改名したのは11月の九州場所からで、それまではずっと「貴花田」でした。

貴乃花に改名した11月場所は大関でしたが、「2場所連続の全勝優勝」を飾り、大関までで7度も優勝し、満を持して翌1995(平成7)年初場所より横綱へ昇進しました。

引退力士としては、三役経験者は一人もおらず、前頭筆頭で恵那櫻、花ノ国が引退しました。花ノ国はね千代の富士が通算1,00勝を達成した時の対戦相手でした。

 

総じて1994年、松本サリン事件のような怖い事件も発生しましたが、Windows95以前の、PCの一般的でなかった、まだ昭和の残る時代だったと思います。

2022年12月 4日 (日)

生活と思い出と世の中と(1994年①)

遡って振り返る、「生活と思い出と世の中と」。31回目は1994(平成6)年の第1回です。

自民党外の政権が続いた中で細川内閣の退陣、羽田内閣、村山内閣の発足、松本サリン事件の発生、色々と波乱含みだった印象のある年で、個人的には24歳になる年男の年でした。

 

●ニュース

前年に自民党政権体制、いわゆる55年体制が崩壊して、新しく誕生した細川護熙内閣でしたが、翌年にあたるこの年にわずか9ヶ月弱で退陣、続いた誕生した羽田孜内閣は更に早く2ヶ月わずか64日で退陣という、目まぐるしい動きがあり、そして村山富市内閣が誕生しました。眉毛が長い「トンちゃん」は人形まで出て、その飄々としたキャラクターと相まって話題になりました。

松本サリン事件はテロ事件として話題になりました。これが翌年、あの地下鉄サリン事件につながるとはこの時まだ思ってもみませんでした。

関西国際空港はこの年開港しました。それまで伊丹が大阪空港としての役割を担っていましたが、この90年代だけで関空ができ、またその後には神戸空港ができ、と急速に増えました。伊丹が「大阪空港」と呼ばれていたので、昔幼少時にこの空港に行くとなった時に、大阪府に足を踏み入れる、ものだと思っていたら実は兵庫県(県内)でがっくりした事があります。

野球の項で触れますが、10.8決戦がこの年で、当日先述の皆で集まっていた時にこの戦いが行われていました。同じく野球で巨人の槙原博已投手が平成唯一の「完全試合」を達成しました。オリックス・イチロー選手がシーズン200安打を越えたのも大変話題となり、かなり破格な出来事が多かった年と思います。

 

●仕事

社会人2年目を迎え後輩が入ってきたという状況で、ちょうど勤務1年にして最初の店舗から異動命令により離れる事となりました。

最初の店舗は、最初は慣れな過ぎて酷かったですが、年明け以降はすっかり慣れて、頑張れると思いながら日々を過ごしてきた中での異動命令、上司である店長に「今君に抜けられたら痛い」と言ってもらえたのは嬉しかった思い出です。

4月~2つ目の勤務先へ異動してきました。勤務先がすごく遠くなり通勤時間が激増し、それまで遅番だと9:15くらいに出てたのを6:55くらいに出たり、帰りも19:30くらいに帰れたのが、21:00までに帰れる事がほぼなくなり、バス→電車→バス→徒歩みたいな感じでした。なのでだいぶプライベートタイムは減りました。また社内でいちばん売れる店舗だったのでレジに立ったり、休憩明け店舗に戻る時が、戦場へ向かう気分でした。多分これまで30年近い社会人キャリアでも、もっともハイテンションで仕事に取り組んでいた時期だと思います。

多分、そんなに長くはここにいないだろう、と思いつつ仕事していましたが、案の定3ヶ月半で異動となり、次は他の小店舗で「店長」として赴任となりました。それまで店長を上司に「アシスタント」の立場でしたが、社内イチ忙しい店舗で修業期間だったんだなというところでした。

7月~は店長として赴任しました。という感じで、1月、4月、7月とどれも違う勤務先で、最初の会社の4年間では最も慌ただしい年でした。

店長になって赴任し、そこは小店舗で忙しさ具合は前勤務地と異次元に少なかったのですが、何せ人手不足でした。パートさんがやめていき…という状況で、募集しても来なかったり、来ても「??」で続かなかったり…。それもあって後にも先にもない14日連続勤務をこの時やりました。シフト上「休日」とした日も何回か出てきたりして…。

3ヶ月くらい経ってようやく人的面が安定し、久々にプライベートタイムを感じられ、学生時代過ごした地へ半年以上ぶりに行きました。それまでほぼプライベート何してたか覚えてないくらいでしたが、ここから少しペースが掴めてきたかな、という感じで。この会社は2年目で店長とか当たり前でしたが、昔の同級生から見ると驚かれてました(笑) 普段2、3人で回してた店舗ですが。

 

●プライベート

覚えてない期間もあるぐらい仕事に全力投球していたといっても過言ではない時期でした。それもまだ若くて情熱があったので、仕事の忙しさとそれに向き合う能動的なパワーと、これまでのキャリアで最もあった年だと今振り返っても思います。

その分だけ、プライベートも最もアグレッシブだった気がします。毎日のようにCD店寄ったりは以前からしていましたが、恥ずかしながら朝帰りも初めてしたり、夜遅く2時や3時まで遊んでたり、若さゆえかあまりに酷かったので、実家に居づらくなり引っ越して自立する事を決め、初めて自分で不動産屋に行って、賃貸契約をしてきました。社会人2年目で敷金40万払うのは痛かったですが、単身移住を果たしました。当時は敷金礼金が家賃の10ヶ月分とか普通でしたから…。

とにかく手続きが色々面倒でした。それまでの引っ越しは実家から学生アパートの引っ越しで、この時は大家になる方に勧誘されてそのまま入ったので、ほぼ苦労なしで、大学卒業時の引っ越しも実家に戻るだけだったので楽なものでしたが、社会人になって初めて自分で決めて引っ越し、全部自分でやり切るのは大変でしたが、楽しくもありました。何せ初めての1Rでのひとり暮らし、学生時代はキッチンと風呂、電話が共同だったので、やっとホントの意味での一人暮らしができるようになった、気分でした。

引っ越ししました、というハガキを方々へ送りつけたり、当時あった「プリントごっこ」を買って年賀状を作ったり、以後数年はこれを使って年賀状を作るのが年末の楽しみのひとつでもありました。

学生時代過ごした街へ3月までは毎月のように行ってましたが、転勤後ほぼ行けずに半年後にようやく、しかもめったに休めない土日に休めて、行く事ができました。学生時代メンツが20数名集結して旅館で大宴会、とても楽しいひと時でした。

翌月、同様に訪ねた際には小規模でしたが何人かと会い、出身大学のイベントを色々見て回って、平穏なひと時を過ごしました。学生時代の日常に帰ったようにも思えて、これまた良いひと時でした。

また、この年辛かったのが「腰痛」でした。春から夏ごろまで、ぎっくり腰のような突然来たのではなく、いつの間にか常時痛くなっていました。立ち仕事に重い荷物運び、若さに任せて腰のケアも考えず動き回っていて、明らかにそれがダメだったのですが23歳にして腰痛に悩まされる辛い日々が続きました。じっと立っててもいたい、歩いてても座り場所を見つけたがる、座り続けても、寝続けても痛い…どうしようもない日々でした。しかし、いつの間にか痛みが引き2、3ヶ月で解消されました。特に何をしたわけでなく、辛さに悩んでるうちにいつの間にかなくなり、その後は一時的に痛いと思う事はあっても、日々常時痛くなることは30年近く経って一度もありません。特に腰のケアもしていません。ただモノを持つ時は絶対に腰を落としてから持つようにしているぐらいです。

そしてこの年は「暑い夏」でした。腰を痛めて調子悪いさなかで余計厳しく感じたかもしれませんが、夏の暑さがこの時代にしては突出していたように感じました。ここ近年はそのぐらいの暑さは普通になってきた気がしますが…

 

●旅行

1月に初の愛媛県に行きました。初四国は1989(平成元)年に大学受験で香川・高松へ行きましたが、四国で2番目に訪ねたのは愛媛・松山でした。ホントにちょっと寄っただけで帰ったので、大して行ってませんが、その県に足を踏み入れるというだけで、この時は良かったのでした。

これ以外は殆ど旅行はできていなくて、春から秋はどっぷり地元に浸かっていた事もあって、そこへ気持ちが向かなかった部分もあります。

 

2022年11月23日 (水)

生活と思い出と世の中と(1995年②)

遡って振り返る「生活と思い出と世の中と」。31回目は1995年の第2弾です。

 

●訃報

南利明さん …飄々としたコメディアンから味のある役者へ。ジンセンアップの広告でも有名

金子信雄さん …刑事ドラマやヤクザ映画の敵役俳優としてならし、料理の腕前を活かして料理番組でも長年人気を博す

蔵間龍也さん …元関脇の大相撲力士。美形で人気を博すも病気により引退。タレント業へ進出も42歳の若さで早世

城達也さん …「ジェットストリーム」のナレーターとして大人気を博す。「赤い」シリーズ「赤い絆」のナレーターも担当

土井勝さん …「おかずのクッキング」で有名な料理研究家。息子・土井善晴氏が後継

山田康雄さん …ルパン三世の声であまりに有名。「お笑いスター誕生」の司会、「俺たちは天使だ!」の次回予告も担当

テレサ・テンさん …80年代中盤の歌謡界を支えた歌姫。儚げな佇まいが印象的も早世

宮内幸平さん …「アルプスの少女ハイジ」のアルムおんじなど、おじいさん役の声優としてお馴染み

浜村純さん …飄々とした雰囲気に悪役や頑固なオヤジを演じた俳優

福田赳夫さん …1976~78年まで首相を務めた。後に息子・福田康夫氏が後に首相となり親子二代首相となった。

笹川良一さん …日本モーターボート協会のCMで有名。一日一善のCMは昭和の象徴。

仲根政裕さん …ジャンボ仲根とよばれ主に近鉄で活躍したプロ野球選手だったが40歳の若さで早世

岡田栄次さん …日本初のガラス越しキスシーンを演じた俳優。フィクサー的役柄を得意としたが「しゃぼん玉」ガンさんが印象的

渡辺美智雄さん …ミッチーとあだ名され独特の存在感を放った自民党の政治家。

宮口二郎さん …仮面ライダーの最初の幹部「ゾル大佐」で人気。天知茂氏につき「非情のライセンス」では刑事役で活躍した俳優

及川ヒロオさん …飄々とした雰囲気でヒゲ面のコソ泥系の役柄が印象的な俳優。

富山敬さん …1970年代を中心に数々のアニメヒーロー役を務めた声優。「侍ジャイアンツ」「宇宙戦艦ヤマト」「タイガーマスク」等

川谷拓三さん …通行人役から長い下積みを経てピラニア軍団で人気を博し「3年B組貫八先生」では主演を務めたが54歳で早世

 

●ドラマ   …当時見ていたドラマに限り並べます


「部屋(うち)においでよ」 …今は亡き某グループの某メンバーが年上の彼女に甘える感満載だった

「私、味方です」 …舘ひろし氏が探偵役で登場し、クライアントのお悩み解決に奮闘。この時期はコミカルな役が多かった。

「いつかまた逢える」…集団青春恋愛もの?島根が舞台なのが何気にお気に入り。今田耕司氏が連ドラに出た珍しい例。

「おかみ三代 女の戦い」…山岡久乃・萬田久子の各氏を相手に高橋由美子氏が奮闘

「風の刑事・東京発」…「さすらい刑事旅情編」のシリーズが終了し、柴田恭兵氏が久々に刑事役。次からは「はみ出し刑事…」へ

「ひと夏のラブレター」…平穏そうな住宅街に巻き起こる泥沼の恋模様

 

●ブロ野球

オリックスが、阪急時代の1984(昭和59)年以来11年ぶりのリーグ優勝を遂げ、ヤクルトとの日本シリーズには敗れたものの「がんばろうKOBE」を合言葉に、この年起こった阪神大震災の被災者への大きな力になりました。小林宏投手の「オマリーの14球」の熱闘はリアルで見ていましたが本当に「手に汗握る」がピッタリな瞬間でした。

その日本一ヤクルトはこの年、外国人を他球団からの移籍により獲得、阪神からオマリー選手、ロッテからミューレン選手が加入し、怖い打線になりました。

巨人では「若大将」原辰徳選手が引退し15年の現役生活に別れを告げました。次々にFAなどで新戦力が加入し、立場的に不利になっていく一方で出番も減り、そんな中で見せた意地の一発、バットを高く放り上げて放ったホームランが忘れられません。

同じく巨人、FAで川口和久投手が広島から移籍、当初は西武の話が長嶋監督のラブコールで急転巨人入り、西武へ口利きをした社会人時代の先輩・森繁和氏に平謝りし口を聞いてもらえなかった話は、本人がYou Tubeでよくしています。巨人入りはなりましたが、先発で結果が残せず、その後中継ぎに活路を見出す事となります。

広島・山内泰幸投手が新人王を獲得しました。独特のタメて投げるフォームが印象的でしたが活躍が長続きしなかったのは残念でした。広島はこの後も澤崎投手や小林幹英投手など鮮烈なデビューの後あまり活躍できなくなった投手が続く事となりました。

 

●大相撲

貴花田改め「貴乃花」初場所より横綱デビューし、新横綱で優勝を成し遂げました。

ちなみに四股名を改名したのは前場所の1994(平成6)年11月場所で、この場所が大関最後となり、2場所連続の全勝優勝という文句ない形で、横綱へ昇進する事にもなりました。

22歳の新横綱誕生は相撲界を更に活気づかせ、この年の優勝は貴乃花4回、若乃花が1回ずつでした。

若乃花の優勝は、弟・貴乃花との「兄弟対決」での優勝決定戦によるもの、というこれ以上ない舞台でのものでした。

主な引退力士としては以下の通りです。

元幕内・琴椿 …30歳を過ぎてから新入幕を果たした遅咲き力士ながら現在も親方を務めるまでに

元小結・琴富士 …平成3年に平幕優勝を成し遂げるも、最高位は小結止まりで30歳で引退

元小結・隆三杉 …約10年の長きにわたり幕内を務め安定した成績を残した。角界きってのいい人としても知られた

元幕内・起利錦 …鏡山部屋で多賀竜と共に幕内で活躍

元幕内・大翔山 …学生横綱から角界入りし大器と騒がれながら故障に泣き29歳で引退

 

貴乃花が横綱になり、ますます彼を中心に回り始めた相撲界でした。

2022年11月17日 (木)

生活と思い出と世の中と(1995年①)

遡って振り返る「生活と思い出と世の中と」。30回目は1995(平成7)年の第1弾です。

阪神大震災に地下鉄サリン事件…世の中が震え上がるような出来事が立て続けに起こった、そんな印象の強い年でした。

●ニュース

やはりなんといっても阪神大震災でした。

兵庫県に住む身としては切っても切れない事件で、それまでの24年と少しの人生で感じた事のなかった大きな揺れは、揺れというよりは敵機が攻め込んできたのかというぐらいの衝撃でした。朝の5時46分というまだ起きていなかった時刻もあって、その瞬間は余計にそう感じました。半分寝ぼけていたので。

最初は被害状況がまるで掴めませんでしたが、時間が経つごとにその凄惨な状況が如実になり、自宅の全壊・半壊などもあり、自分は幸いな事に阪神地方ではなかったので、最悪の事態こそ免れましたが、神戸市周辺の方は大変でした。JRも須磨駅ぐらいで寸断されてて、大阪から来れない為、北上して山陰線経由で神戸から大阪へ、通常の何倍もの距離と時間をかけて行き来していた時期もありました。

また兵庫県在住の事もあり、他県の旧知の友人より心配されていたのもありました。久々に話した相手とは5時間も話したり…

そして地下鉄サリン事件…、ドラマでつくったような事件が現実のものとして起こった…ものすごい事件でした。まさに大規模テロ…。1999年や2000年に世界が滅ぶ、とかいろんな説がありましたが、一番危なかったのは、この年だと思います。

横山弁護士やああいえば上祐とか…そして村井氏の殺害シーンが大勢のマスコミの詰めかけるテレビカメラの沢山あった中で映し出されていたの衝撃でした。日本転覆のような、特撮もののような悪事が現実に行われていた事が本当に衝撃でした。

Window95の発売は、パソコンというものをマニアの持ち物から一気に庶民の持ち物へと変えていきました。

それまではNECのPC-**01MarkⅡやらMSXパソコンやら…という時代でしたので。。それでもまだPCを持っている人の人口はそんなになくて、身の回りで持っていた人もこの時期ではまだ少なかったです。

 

●仕事

最初の会社に入って3年目、25歳になる年でした。

職場の近くに引っ越した翌年で、歩き通勤していた頃でしたが、11月20日をもって転勤になり、この会社では最後の勤務地へ赴任する事となりました。それまでは職場のガラスが派手に割れたり、シャッターが壊れて下りずに帰れなくなったり、従業員同士が喧嘩して夜まで言い合いしてたり、客の家まで商品を動かしに来いと言われて行ったり…まぁ色んな事がありました。。

阪神大震災の日も出勤しましたが、ほとんどお客さんは来ませんでした…1日に10万も売れなかったし、この店で勤めていて最も売り上げの少ない暇な日だったと思います。

●旅行

初北陸はこの年でした。福井、富山、石川…この年にすべて行きました。平日休みでしたが、最初の会社での4年間で最も旅行した年だと思います。金沢は兼六園に行って、ちょっと百万石の街を楽しみました。富山か、高岡か忘れましたが、駅の待合エリアで休憩していたら新聞社がインタビューに来たこともありました、ハイジャックがあったか何かで…。

初東北もこの年で25歳の誕生日という記念すべき日に、東北地方に生まれて初めて足を下ろしました。

それは山形県酒田市でした。酒田駅から庄内空港行きのバスに乗って庄内空港から帰ってきて、これは全くの予定外でしたが、これが生まれて初めて乗った飛行機でした。

0008 ←1995年のJR酒田駅

平日休みの身でもあったので、母校の卒業式を見に行き、2つ下の後輩の卒業を見送ってきました。

●ライブ

矢沢永吉in阪急西宮スタジアム、のライブに行きました。

何回も下見として最寄駅から試しに会場へ行ったりするくらい、楽しみでした。

生まれて初めての永ちゃんのライブは球場でした。裸の上から革ジャン来た人とか「カッコから入る」人が沢山いましたね。そういう自分もリーゼントにして行きましたが(笑) オーロラビジョンに米粒ぐらいな大きさの永ちゃんしか見えませんでしたが、やはりライブの参加は何倍もシビれました。YAZAWAタオル5000円で買ったりしましたし。

 

今回はまず、これぐらいにして続きを書いていきます。

2022年11月13日 (日)

生活と思い出と世の中と (1996年②)

遡って振り返る、「生活と思い出と世の中と」。29回目は前回に続き、1996年の第2回です。

前回書き切れなかったので、第2弾ですが、まずは当時見ていたドラマから触れます。

 

●ドラマ

あんまり見なくなったな…という感じで、下記どれも「通し」で見たものは殆どなくて、何話かずつ見た感じでした。

むしろ再放送を見まくってました。

(本放送)

将太の寿司 …柏原崇さん主演。マンガを原作に持つ、当時はやりの「料理モノ」。毎回お寿司がうまそうでした。

快刀!夢一座七変化 …三田村邦彦さん主演の時代劇。旅一座風の団体で、実は世直し仕事人の話。宇津井健、地井武男、渡辺裕之…とレギュラーが豪華でした

刑事追う …役所広司さん主演の刑事ドラマながら、独特の視点で事件を描いたもの。役所さんは「Shall WE DANCE?」でブレイクした頃

さむらい探偵事件簿 …高橋英樹さん主演の定番時代劇、と思いきや、現代の色んなものや言葉をを取り入れたコミカルな超異色時代劇。

ピュア …軽度知的障害の女性が時の人になりマスコミとの絡みで、ヒロインと記者との交流。Mr.Childrenの「名もなき詩」が大ヒット。

古畑任三郎 …1994年「警部補・古畑任三郎」の続編。更に大人気に。

(再放送)

「影の軍団」シリーズ …「服部半蔵・影の軍団」から「影の軍団・幕末編」まで地元のローカル局で一気に再放送されていました。

Cap0036 

「ザ・ボディガード」 …影の軍団同様、千葉真一さん主演のアクションドラマ。ボディーガードを職業とする男たちの活躍。

「警視庁殺人課」 …1989年に地元で少しだけ見ましたが、この時「通し」で視聴。最終回は衝撃の「全員殉職」がこの時見れました。本当に全員殉職したんだな、と。。

「必殺仕掛人」 …必殺シリーズの記念すべき初作です。1986年に再放送で初見でしたがあまり見れず、この時かなり見れました。

「必殺仕切人」 …同じく必殺シリーズで仕事人を卒業した中条きよしさんと仕舞人だった京マチ子さん、その他豪華キャストの作品。

「太陽にほえろ!」 …刑事ドラマの王道であるこのドラマが「テレビせとうち」でこの年4月に第1話から再放送がスタート。4年余りかけて、最終回まで14年分放送されていました!

●プロ野球

なんといってもこの年は、巨人の「メークドラマ」でした。長嶋監督第二次政権において最もパワーワードだったのではないでしょうか。

広島に大差をつけられながらの大逆転優勝でした。

そしてパ・リーグは前年に続いてのオリックスでした。今年2年連続でオリックスがリーグ優秀しましたが、この時以来でした。

そして、メークドラマの巨人と、「がんばろう神戸」のオリックスが日本シリーズで相まみえ、オリックスが悲願の日本一を達成しました。

新人王はセ・リーグが巨人・仁志敏久選手、パ・リーグは日本ハムの金子誠選手といずれも内野手でした。仁志選手は前年引退した原辰徳選手の後を受ける形で背番号8をつけて入団しましたが、その原選手以来の巨人野手での新人王となりました。仁志選手と同期入団の清水隆行選手もコンビで活躍しました。

本塁打王はセ・リーグは中日・山崎武司選手が39本で初の獲得、後に楽天でも本塁打王を獲得し、両リーグ本塁打王に輝く事となります。パ・リーグはオリックスのニール選手で、打点との2冠王でした。セ・リーグの打点王は広島・ロペス選手で、その後ブランクを経て他球団含め長くプレーする事となります。

最多勝は巨人・斎藤雅樹投手と同じく巨人のガルベス投手が16勝で分け合いました。斎藤投手は実に5度目の最多勝でしたが、この年が最後の最多勝獲得でした。またガルベス投手は実力以上に、舌出し投法やボール投げつけ事件など、お騒がせな面も少なからずありました。

また、この年から中継ぎ投手にもスポットが当てられ、セ・リーグは「リリーフポイント」、パ・リーグは「最多ホールド」としてタイトル表彰される事が追加されました。セ・リーグは巨人へ移籍してきたゲンちゃんこと河野博文投手、パ・リーグは日本ハムの島崎毅投手が受賞しました。河野投手はそれまで日ハムに居て、FAで巨人へ移籍しましたが、長嶋監督が投手交代時に「ピッチャー、ゲンちゃん」といった事から「ゲンちゃん」のあだ名が定着し、活躍と共に有名になりました。日ハムでは先発ローテの投手でしたが、やはり人気球団に来ると人気も出てくるものですね。巨人では、この年途中加入した「マリオ」投手が抑えに君臨し、その名前と共に有名になりました。

広島・小早川毅彦選手はこの年通算1,000本安打を達成しましたが、この年はヒットがこの1本のみで、999安打で開幕を迎えて1,000安打で閉幕を迎えたのは彼ぐらいではないでしょうか。結局は戦力外となり、翌年ヤクルトへ移籍し開幕3連続本塁打で再生する事となります。

巨人・落合博満選手が退団を申し入れ、年末には日本ハムへ43歳にして移籍となりました。

 

●大相撲

6場所のうち4場所(連続で)貴乃花優勝という、貴乃花全盛期でした。

その他の優勝は貴ノ浪武蔵丸が1回ずつ分け合っています。

引退力士としては、まず元大関・霧島が37歳で引退しました。30歳を過ぎてから急速に強くなり、一気に大関へ駆け上がりましたが、その後大関から陥落し平幕でとっていました。

元幕内・鬼雷砲は30歳で引退、新入幕から25場所連続で幕内を維持しながら、十両陥落後はあっという間に負け越しが続き、幕下陥落が確定的になったところでの引退となりました。

元幕内筆頭・春日富士も引退、その後春日山部屋の親方になるも後年スキャンダルで退職、更に訴訟を起こされたり、厳しい晩年を送る事を余儀なくされ、訴訟和解直後に病死しています。

元小結・旭道山は国会議員になる為に引退、という変わった形で幕内力士のまま、協会を去りました。同じ大島部屋だった元幕内・旭豪山もこの年引退しました。

またこの年は土俵外で八百長問題が報道されたと思ったら、関係者が立て続けに亡くなる怪事件が発生し、その後にも暗い影を落とす事となります。

 

 

2022年10月30日 (日)

生活と思い出と世の中と(1996年)

遡って振り返る、「生活と思い出と世の中と」。28回目は1996(平成8)年です。

O-157による食中毒が流行ったり、再び自民党政権へ戻ったり、巨人の「メークドラマ」があったり、色々な一年でした。

 

●仕事

最初に入社した会社で年を越した最後の年でした。つまりこの翌年2月に退職を切り出し、3/31付で退職しているので、そういう事を考えながら働いていた日々ではありました。会社が平日休みだったので、平日開催の転職フェアみたいなのに行ったりしてました。

また最初の会社は異動が激しくて、その中にあって1/1~12/31まで全く異動がなく、最初の会社では同じ勤務地で過ごした唯一の年でした。

 

●ニュース

ダイエーやイトーヨーカドーが元日から営業、と話題になっていました。当時ダイエーがうちの近所にあった事もあり、この日に売り出されていたMacのパソコンを買いました。

当時同業の商業界に身を置いていたので、元旦営業か…!と思いましたが、元日だけが「休み」だった自分は、とりあえず客入りがどんな感じか気になって、行ったついでに初めてパソコンを買った訳です。当時の上司から「うちも元旦営業すると言ったら、いくら手当てが出たら出勤する?」と聞かれたりもしました。「いくら積まれても出ない!」と言いましたが(笑)お金の問題ではない、と。

村山内閣が年が明けてすぐ、退陣を表明したのも驚きでした。55年体制を崩しての当時の社会党首班の内閣だった訳ですが、残念でした。

当時からおじいちゃん感のあった村山首相ですが、現在も御存命であることに驚きます、御年98歳。時々近況がニュースとして入り、ご健在が報告されています。

村山内閣に代わって、橋本龍太郎氏が首相となりました。以前から政界のホープ的存在でしたが、ここで就任となりました。また「民主党」が結成されたのもこの年でした。

羽生善治氏が将棋のタイトル七冠を独占したのも話題になりました。後に藤井聡太氏が脚光を浴びますが、そういうもののハシリ的な活躍と話題の取り上げ方をされていた事を感じます。

アトランタ五輪が開催され、マラソンの有森裕子選手が銅メダルを獲得し「自分をほめてあげたい」という発言が流行語大賞になりました。

O-157が発生してニュースになりましたが、今のコロナみたいに厳重な感じでなかったし、一過性のものという感じが結構ありましたね。

 

●もちもの

先述の通り、MacのPCを買いました。当時はWindows95が前年に出て、一般層に「パソコン」というものが急速に普及し始めた時期でした。

それまではパソコンなんて「マニア」の持ち物だった訳で、インターネットは「パソコン通信」と呼ばれるマニアのもので、今では当たり前になったパソコンを「当たり前にし始めた」のがこの時期だったと思います。

 

●訃報

岡本太郎さん …「太陽の塔」作者として名高く「芸術は爆発だ」のフレーズも有名

三橋美智也さん …戦後歌謡界を牽引した流行歌手

横山やすしさん …「やすし・きよし」で漫才ブームの頂点に君臨。派手な趣味と破天荒な生活ぶりも話題に。

司馬遼太郎さん …ノンフィクション作家の重鎮

金丸信さん …自民党の重鎮にして副総理まで務めた政界のドン。

高橋悦史さん …渋みのある俳優として「必殺仕舞人」や「鬼平犯科帳」などで活躍

フランキー堺さん …「赤かぶ検事奮戦記」などユーモアと味のある役者、「霊感ヤマ感第六感」の司会でも人気

非常階段・ミヤコさん …若手女性漫才師「非常階段」として活躍も病により早世

山形勲さん …闇のフィクサーなど力を持った重鎮的な悪役を得意とした俳優

坂本新兵さん …朝の番組「ママと遊ぼうピンポンパン」のシンペイちゃんとして子供たちに親しまれた

渥美清さん …「男はつらいよ」の寅さんとして国民的人気俳優

小林昭二さん …ウルトラマンのキャップに仮面ライダーのおやっさん、「西部警察」シリーズでもおやっさんを演じた俳優

藤子・F・不二雄さん …ドラえもんなど国民的アニメの原作者として大人気を得た漫画家。

塚本信夫さん …「帰ってきたウルトラマン」の隊長、「仮面ライダー」のおやっさんと小林昭二氏の足跡をたどった俳優

安田伸さん …クレージーキャッツのメンバー

柏戸 …大鵬と共に横綱として君臨し、柏鵬時代をつくりあげた横綱。

武原英子さん …清純派女優として活躍、「太陽にほえろ!」ゴリさんの最初の恋人役も。にしきのあきら氏と結婚後引退も後に復帰。

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