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映画・テレビ

2023年6月10日 (土)

「太陽にほえろ!」を無料で見放題!

刑事ドラマの金字塔的作品として現在でも語り継がれる名作「太陽にほえろ!」

14年4ヶ月の放送期間で全718回が放送されましたが、そのほとんどの話をインターネットのサイトで無料で見る事ができます!

 

それがこの「Rutube」

   ↓

https://rutube.ru/channel/1440382/

 

You Tubeではありません、そこで観れてしまうとそれは違法アップロードになりますが、このRutubeはロシアのサイトで、表記もロシア語になっています。

 

上記URLへアクセスすると、こんな画面が上がってきて、そこはもう「太陽にほえろ!」各話のサムネイルが見えています。

言葉は分かりませんでしたが、後は添付の手順を進めていけば、サムネイルがどんどん読み込まれて、上は新しい話(放送末期のもの)で、だんだん下へ古いもの(放送初期のもの)へと、スクロールすれば人事読み込んでいきながら、表示してくれます。

Rutube

あとは、みたいエピソードを選択してクリックするだけ。

DVDでこれだけの話数を購入すると、何十万というお金が必要になりますが、このサイトだと無料です。いくつか欠番があり、完全に全部見れるわけではありませんが、再放送などで音声が消されていた放送禁止用語の類も、ここではしっかり聞き取れます。

各刑事の殉職ストーリーもあり(特番などで一部ないものもありますが)、昭和の時代背景が如実に読み取れるという意味でも、今見てて非常に興味深いものがあります。

この人間愛溢れるヒューマンドラマを、一人でも多くの方々に見て頂きたいと思います。

 

2022年12月 3日 (土)

俺たちのヒーロー列伝・その27 渡辺徹(1961~2022)

「俺たちのヒーロー列伝」久々に、急遽upします。

今回のヒーローは…

渡辺徹(わたなべ・とおる)さんです。

 

昨日、訃報が届き大変驚きました。

まだ61歳の若さで…

御冥福をお祈りしつつ、渡辺徹さんの演じた役柄でヒーロー性のあるものないものを問わず、今回は個人的に印象に残ったものを書き綴っていきたいと思います。

 

「太陽にほえろ!」

まずはやはり、代表作といって過言ではない、デビュー作であるこのドラマが一番に挙がってくるでしょう。

番組スタート10年目となる1981(昭和56)年9月に新人刑事「ラガー」として登場しました。当時20歳。

この当時、それまでのレギュラー陣で最年少の役柄を演じていたのがスニーカー刑事役の山下真司さんで年末に30歳になるという状況、役者レベルでの最年少は満29歳の沖雅也さん(番組上の役柄では30代)でしたが、徹さんは山下さんの降板後の後任として約10歳年下の最年少刑事として登場します。(刑事の役柄設定は22歳でしたが…) 

という事で一気に10歳も下回る、イキのいい新人として一躍世の注目を浴びる事となりました。

当時、この番組の新人刑事役というと、ドラマのストーリー中で主役を張る事も多いポジションであり、ましてやこの当時は主役である石原裕次郎さんが大動脈りゅう乖離という生死をさまよう難病と闘い欠場中の状況だったので、その存在感を問われるのは尚の事、という状況でした。

やがて登場後数ヶ月で裕次郎さんが奇跡のカムバックを果たし、「ボス」のもとでラガー刑事は活躍を続けますが、その後番組はベテラン刑事が次々と殉職や転勤などで去り、後から刑事が登場してきますが、しばらくはずっと「一番下っ端」の役どころでした。

登場後わずか2年近くで、ようやく後輩となるブルース刑事(故・又野誠治さん)が登場し、「先輩刑事」になりました。

初期のラガーは精悍で痩せていて、動きもシャープで無鉄砲、初代新人のマカロニ刑事(故・萩原健一さん)を思わせる部分も見せていました。

時を経るにつれて体重が増加し、見た目には初期と別人になるぐらいのレベルで、1984(昭和59)年頃にはかなりの重量感が顔に身体に現れていました。この頃は自身の主演ドラマとの掛け持ちで活躍機会が激減し、いつ降板してもおかしくない感じでしたが、1985(昭和60)年の初めには、それまでブルゾンなどのカジュアルスタイルで出ていたのが、スーツスタイルへ変わっていきました。歴代で一番下っ端の新人が、カジュアルスタイルからスーツスタイルへ変更となったのは、彼が初めてでした。それだけ長期に在籍して、成長していったという事だと思います。当初はアクションに比重が置かれた主演回が多かったですが、段々と推理など「静」の部分も少なからずのストーリーでも主演するようになっていきました。

そしてこの年の初めには、ラガー刑事が入院する「ラガー倒れる」という回が制作され、犯人との格闘で膝をやられ「骨肉腫」という事で入院、この時「殉職への伏線か?」と当時中学生なりに思いました。

約2ヶ月後に戦線に復帰するまでは、入院中の設定で同僚や後輩刑事が見舞いに来るというスポット的な出演を重ね、「退院」という形で復帰しました。しかし古傷は時々うずき出しながら、復帰後4ヶ月で「ラガーよ 俺たちはお前がなぜ死んだか知っている」という番組史上最長のサブタイトル回で1985年8月2日、殉職しました。

バスジャックされたバスに重要証人が乗っているという事で、複数の殺し屋がビルの屋上で狙撃体制に入ったところ、ラガーが別のビル屋上へ駆けつけ、殺し屋の一人を仕留めながらも、もう一人の殺し屋はバスの狙撃体制に入り、銃身だけしかみせなくなり、この間では確実にバスが狙撃されてしまう…!そんな中、「やめろーーー」と大声を上げて、ビル影から突然躍り出て、おとり同然でライフル犯の前に走ったところを狙撃され弾丸は右胸を貫通、出血多量の中を相討ちの形で殺し屋を仕留め、自らの命と引換えにバスの狙撃を食い止めました。大量出血しながらも這ってビルからエレベータで降り、出たところで挟まって死んでいるという姿で、劇中では同僚たちの涙溢れるシーンでしたが、後で振り返って見られると、いつも本人含めギャグのように話していたのを思い出します。

デビュー作にして当たり役にもなったラガー刑事役は約4年務めていました。

映画「夜明けのランナー」

1983(昭和58)年公開の映画初主演作にして、「太陽にほえろ!」出演時に掛け持ちで出演でした。

実業団サッカー選手だった男がケガがもとで選手生命を絶たれ、車で運転中に恋人が妊娠したと打ち明けられ、気が動転し事故を起こして恋人は流産、やがて別れ…となり、帰郷するにあたりその元恋人の待つ所へ向かうも、街でチンピラにカツアゲされて無一文になり、お金がないので元恋人のもとへ走って会いに行く為、そこからひたすら走りに走るという映画でしたが、彼がこういった青春スター的立ち位置で映画出演をしたのはこれが最初で最後でしたね。

 

「風の中のあいつ」

1984年に放送された日本テレビ系土曜21時の連続ドラマで、これも「太陽にほえろ!」でレギュラー出演中に掛け持ちで、しかも連続ドラマ初主演作として出演した作品です。

それまで刑事役でデビューした役者は、番組を降板してから主演ドラマをもらうのが通例のようになり、萩原健一「傷だらけの天使」、松田優作「俺たちの勲章」、勝野洋「俺たちの朝」、宮内淳「あさひが丘の大統領」など、歴代の新人刑事経験者は、この道をたどってきましたが、これ以降はそのような事がなく、降板した山下真司氏は特にそういったドラマがなく、3年経ってから全く別系列のオーディションで「スクール・ウォーズ」主演の座を射止めました。

が、徹さんの場合は出演中という事でかなりの異例でした。それに比例してラガー刑事の主演回は激減し、1984年は数えるほどしかありませんでした。それだけこのドラマの出演に比重がかかっていたのでしょう。

約10年前の1973(昭和48)年に同じタイトルのドラマが「時代劇」で存在していましたが、これは「太陽ー」の大先輩にあたる萩原健一氏が主演しており、悪役キャラとされる「黒駒の勝蔵」の若き日を描いた青春時代劇的な作品でしたが、これとはまったく無関係のものでした。

相手役が、後に妻となった榊原郁恵さんで、徹さん本人が郁恵ちゃんの大ファンで出演が決まった時は相当喜んだ、というのは有名な話です。

このドラマは見たり見なかったりしてましたが、病院の先生役で、ライバル的な役どころに「太陽ー」の後任となる金田賢一さんが出演されていたのが後に「おお」となりました。

とにかくこの作品が縁で、郁恵さんと結婚する事になったといいます。

続編として翌1985年に「気になるあいつ」がスタートしました。この作品は掛け持ちではなくて、「太陽ー」でラガー刑事が殉職した翌日にスタートし、そのドラマの冒頭シーンは徹さん演じる主人公が(前日に放送された)「太陽ー」のラガー殉職シーンを見て泣く、というものでした(笑)

 

春風一番

1986(昭和61)年放送のやはり日本テレビ21時枠の作品。この枠の徹さん主演3部作のラストというところです。

今回の相手は郁恵さんではありませんでしたが、この3部作のすべてに明石家さんまさんが出演しており、この年の夏に「男女7人夏物語」で主役の座に躍り出て、共演の大竹しのぶさんと結婚する事にもなります。

太った身体を利用して?元相撲取りという設定にされていました。

 

映画「そろばんずく」

とんねるずの主演映画ですが、この頃からバラエティの要素が濃くなり、この映画では局所にモザイクのかかった全裸で踊ってるシーンがあります。それもかなりの体格で踊ってるので、コメディーにしか見えませんでした、この映画で記憶あるのはこのシーンだけですが…

 

ハングマンGOGO

1987(昭和62)年に放送された「ザ・ハングマン」シリーズの最終作です。

この時、「ハングマンの顔」的存在の名高達男さんが主演した「ザ・ハングマン6」が放送されていましたが、自身のスキャンダルにより降板する事となり、他のメンバーは残留のまま急遽徹さんが主演に据えられる形でタイトルを変更し継続された格好です。

ハングマンといえば、ハードボイルド路線のイメージもありましたが、時を経るごとにコメディーチックになっていき、このハングマンGOGOはハチャメチャでギャグ全開といっても過言ではないぐらい、ハードボイルドの要素は微塵もありませんでした(笑)

この時、徹さんの体重は最盛期(130kg)並みと思われ、ちょうど郁恵さんと婚約しており結婚間近の状況で、劇中でも「結婚資金を貯める為」にハングマンになった、とされています。

それまでハングマンの主役というと、林隆三さん(ブラック)、黒沢年雄さん(マイト)、名高達男さん(E・T、サファリ、フラッシュ)、山本陽子さん(パピヨン)といった具合ですが、徹さんの「コードネーム」は「ダブル」で、ダブルサイズだからじゃないか?と劇中で言われていました。東大出でIQ200と言われていますが、胡散臭さに満ち溢れ、そんな設定はドラマと何の関係もなく、自身が隠れ蓑にしていたラーメン屋の名前は「豚珍軒」だったり、ただただ徹さんの明るさが突き抜けていた、異色のハングマンでした。

 

この番組の終了した翌月に、渡辺徹、榊原郁恵の披露宴として全国中継されましたが、リアルでこれ見てました!

別れてもダメなひと

そして、この結婚の翌年1988(昭和63)年に、夫婦そろって主演したのがこのドラマでした。

その話題はかなり先行していましたが、すみませんストーリーはよく覚えてません…

 

こまらせないで

1989(平成元)年の作品で、ここでは主演ではなく準主演的立ち位置で、主演・荻野目洋子さんの兄役ですが、行方不明から突然現れ、探偵を稼業としながらもいつも失敗ばかりで家族に金をせびるようなダメ男を演じていましたが、なぜか憎めないキャラクターでした。

毎回クライマックスで荻野目ちゃんがスーパーレディーに変身して、その兄の窮地をこっそり救う(バレないように)ような一話完結のテイのものだったと記憶していますが、もう一回見たいですこの作品だけは。

今回の徹さんの訃報で、的場浩司さんがコメントをされていましたが、「徹さんがいなかったら、今の俺はない」というものでした。

それは、連ドラ初レギュラーだった彼にとって「当時自分に話しかけてくれる人間がほとんどいなくて敬遠されていたが、唯一話しかけてくれたのが徹さんだった」と、このドラマでの出会いについて触れたものでした。当時の彼は、かなりの強面だったので、声を掛けるのも勇気が要るであろうことは想像に難くなかったのですが、でも「敬遠された」と感じ取っていたのですね。底抜けに明るい徹さんが、「NGを連発して、周りから嫌味を言われても、「気にするな」と慰められた」とあり、今日電車内で偶々この記事読んでて涙が止まらず恥ずかしかったです…。

 

その後の役柄というと、連続ドラマから遠ざかった事もあり、正直あまり見ていなかったですが、1992(平成4)年に「俺たちルーキーコップ」(仲村トオルさん主演)のオープニングのトメにキャスティングされていた記憶はあります。

CMでは、初期は小泉今日子さんと共演した「グリコ・アーモンドチョコ」での「カリっと青春」のフレーズのもと、アイドル路線で爽やかにやっていた時期もありましたが、1990(平成2)年頃の紙オムツのCMだったか「徹なのに、通れない」と着ぐるみを着てのものが個人的にとても印象的でした。

 

渡辺徹さんの御冥福をお祈りいたします。

 

 

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2022年6月 5日 (日)

俺たちのヒーロー列伝・その26 水谷豊(1952~)

俺たちのヒーロー列伝・その25 森田健作(1949~)

 

つづいてのヒーローは…

 

水谷豊(みずたに・ゆたか)さんです。

 

言わずと知れた国民的俳優と言っていい存在と思いますが、助演から主演へ躍り出て、来月で70歳を迎えます。

今年「相棒」などで主演となれば、「20代から70代まで連続して、連続ドラマ主演俳優」となり、ずっと第一線で、しかも主演を維持して活動している「常にトップを走っている」俳優という事になります。

当初はどちらかというと悪役、不良役というところから、刑事ドラマのエース的存在となり、やがては現在のような「飄々とした雰囲気」の俳優へと時と共に華麗にシフトしていきす。

そんな水谷さんの役柄にヒーロー性を感じたものを挙げていきす。

 

「傷だらけの天使」/乾 亨(アキラ)

1974(昭和49)年10月~1975(昭和47)年2月まで放送された探偵ドラマで、主演:萩原健一氏と兄弟分としてコンビを組んでいます。

それまでもドラマ出演はあり、なんといっても1972(昭和47)年「太陽にほえろ!」の初回の犯人役として、萩原氏と渡り合う役どころでしたが、2年後のジーパン編の末期まで4度にわたって、主に犯人役としてゲスト出演し、鮮烈な印象を残しました。

子役時代から活動歴があり、色々とドラマに出ていますが、出世作となると、まずこの作品が挙がると思います。当初は火野正平氏の構想であったそうですがスケジュール調整ができず水谷氏に転がり込んだともいわれています。

とにかく、金のない若者たちの話で、大人に翻弄されながらという回を繰返していきますが、最終的にそれらの事が元で肺炎にかかり、あっけなく死んでしまい、兄貴分の修が引くリヤカーによって夢の島へ捨てられる形で弔われます。簡単に言うと死体遺棄ですが…。

萩原氏もそうですが、水谷氏もまた若い頃は、挫折感のある若者を演じさせると画になった役者だなという事を感じます。

 

「夜明けの刑事」/山本刑事

1974(昭和49)年10月~1977(昭和52)年3月まで、2年半にわたり放送された坂上二郎氏主演の人情刑事ドラマです。

水谷氏は途中参加かつ途中退場で、1975(昭和50)年10月(第43話)~1976(昭和51)年4月(第67話)の約半年間の活躍でした。

それまで石橋正次氏が務めていた若手刑事ポジションを引き継ぎ、前任のような不良っぽい感じではないものの、正義感に溢れた若者らしい役柄でした。彼が出ていた回はほとんど見た事がなく、断片的にしか分かりませんが、「傷だらけの天使」から一変しピシッとした服装に刑事という役柄で、役者としての幅がついた作品かと思い、また彼がこの後多数の刑事ドラマに出演する事となる、連続刑事ドラマの初レギュラー作品でもありました。最後は殉職ではなく、休職届を出して署を去ったとありました。

 

「影同心Ⅱ」/留吉

1975(昭和50)年10月~1976(昭和51)年3月に放送された作品で、前作「影同心」のヒットを受けて、全く異なるキャストで制作された続編です。この放映期間は、「夜明けの刑事」の出演期間と見事に被っていて、掛け持ちしていたものと思われます。当時はよくありましたが。

「必殺シリーズ」のパクリと揶揄されながらも放送された2作目は、前作が全員同心であったのに対して、今作は黒沢年雄(当時:年男)さん演じる堀田源八郎ただ一人で、主演は浜木綿子さん(香川照之さんのお母さん)です。

水谷氏演じる留吉は寺男にして殺し屋の役柄で、口に仕込んだ楊枝を吹き矢のように口から飛ばして相手を仕留めるというものでした。このすぐ後に「必殺からくり人血風編」でピーター氏が同じような役柄かつ殺し技(針)の殺し屋を演じていました。

最後は捕らわれたところを、仲間の平七(演:山城新伍さん)に庇われて逃走、平七は壮絶な死を遂げて、最後の最後にその平七の褌を使って敵討ちを果たし消えていきました。

 

「赤い激流」/田代敏夫

1977(昭和52)年6月から11月に放送された「赤いシリーズ」の第5弾で、1974年10月~「赤い迷路」に始まり、「赤い疑惑」「赤い運命」「赤い衝撃」とすべて山口百恵さんが出ていたのに対し、今作は初めて百恵さんが出演しなかった「赤いシリーズ」(冒頭少しだけ出てましたが)となりました。

それまで「男たちの旅路」映画「青春の殺人者」など当たり役を得ての出演となりました。

主演は宇津井健さんですが、その宇津井さん演じる大沢武がピアニスト魂を叩き込む青年役こそが、彼の演じた「田代敏夫」でした。天才ピアニストの父(演:緒形拳さん)を持ちながら、その父は武とはライバル関係にあり、「武に身を滅ぼされた」と逆恨みされつつ、母(演:松尾嘉代さん)と武が結婚する事となり、敏夫にとって武は師であると共に親ともなりますが、実の父親との関係性に悩みながら、武との衝突を繰り返しながら、また殺人犯の汚名を着せられ警察のマークに遭いながら、ピアノコンクールを目指して猛練習を重ね、やがてはコンクールを勝ち抜いていくというものでした。

実質的に水谷氏が主演といっても過言ではないほど、ストーリー回しの中心にいました。野良犬と自他ともにいう彼と、竹下景子さん演じる音楽学校のお嬢様との恋愛模様や、音楽学校内のドロドロとした人間ドラマのストーリー展開も相まって、話題を呼び視聴率も良かったといいます。またピアニスト役としてかなりの猛練習をしたそうです。

一見ふざけてるようで、何を考えてるか分からない言動をくり返し、トラブルメーカー的な役どころでしたが、基本は自分の信念に忠実に行動する純粋な若者を巧みに演じていました。

 

「熱中時代」/北野広大

1978(昭和53)年10月から1979(昭和54)年3月まで放送された、小学校を舞台にした学園ドラマで、それまで高校を舞台にした学園ドラマはありましたが、小学校はこのドラマが本格的には初めてだったと思います。(中学校は翌1979年の「3年B組金八先生」にて)

ここからは主演作の紹介となりますが、俳優・水谷豊のイメージを決定づけ、国民的俳優ともいうべき位置にまで押し上げたのは、この作品の出演によるものと思います。劇中の「先生はなぁ」という北海道訛りの入ったセリフは、ドラマを見ていなくても知っている人多数でした。

という自分もこの作品はあまりよく見んにてないんですが、昔同級生で好きだった子が作文で「熱中時代の水谷豊さんのような先生になりたい」と読んでいたのをよく覚えています。

その後、この教師編は1980(昭和55)年7月から1981(昭和56)年3月に続編が製作され、またその間1979(昭和54)年4月から10月に「熱中時代・刑事編」も作成され、完全に「フィーバー」していました。この頃、歌手としても「カリフォルニア・コネクション」などのヒット曲を飛ばしています。

 

「事件記者チャボ!」/中山一太

1983(昭和58)年11月から1984(昭和59)年5月まで放送された「記者もの」です。

前髪の真ん中部分だけチョロっと尖らせた独特の髪型がニワトリのようで「チャボ」と呼ばれていました。

警視庁の記者クラブに所属し、難事件を何故か解決する熱い事件記者を演じていましたが、この作品いくつか見ているはずですが、髪型の印象ばかりが何故か強くあまりストーリーを覚えていないです。ただなんか、いつもこの手の上司役って藤岡琢也さんだなという印象はありました。個人的にこの方が出てくるたび、関西弁なのか標準語で喋るのかがいちいち気になってしまいます(笑)すごい標準語喋りにくそうで、同郷でもあるので余計に気になります。

前作にあたる「あんちゃん」で伊藤蘭氏と共演し、ここでも継続で共演、その後結婚する事となります。

 

「気分は名探偵」/夢野圭介

1984(昭和59)年10月から1985(昭和60)年5月まで放送されたタイトル通りの「探偵もの」で、「事件記者チャボ!」終了後半年を経て同じ時間帯に戻ってきており、ちょっとした続編的なイメージの作品です。

朝丘雪路さん演じる女性上司の下で活動していますが、「傷だらけの天使」以来約10年ぶりの探偵もので、相手役には岡江久美子さん、弟分に船越英一郎さんが出ていました。

 

「ハロー・グッバイ」/伊達晋作

1989(平成元)年4月から9月まで放送された刑事ドラマで、連ドラでの刑事役は79年「熱中時代・刑事編」以来10年ぶりです。

ここから刑事ドラマ出演が続き、当時舘ひろしさんと並ぶ「刑事ドラマのエース」的存在となっていきます。

80年代後半は、あまり活動して良かったようで、連続ドラマ出演は殆どなく、2時間ドラマでシリーズものをいくつかやっていたような状態でした。

しかしこの作品、それなりにアクションはあるもののビデオ映像作品で、どうしてもそのへんはチープな感じがして、上司である課長役に三田村邦彦さん、同僚の女性刑事に賀来千香子さんと、この3人が同期という設定に少々無理がありましたが、最終的に3人は事件での失態を受け、それぞれ海外へ散らばっていきます。布施博さんや川﨑麻世さんなどの部下を連れて、学校の先生の引率みたいなセリフ回しだったのを覚えています。「ハイ、行くヨー」みたいな感じの。

 

「ザ・刑事」/矢島刑事

1990(平成2)年4月から9月まで放送されたまたまた刑事ドラマで、「ハロー・グッバイ」から半年のインターバルを経ての刑事役です。

ここでは片岡鶴太郎さんとコンビを組みますが、これまたビデオ映像作品で、発砲シーンもほとんどないドラマでした。彼の演じる矢島刑事もあまり発砲をしたくないという設定でした。

ただし殉職はあり、途中の第10話で江口洋介さん演じる坂上刑事が殉職しています。その後任として小西博之さんが登場しますが、アロハシャツに黒く日焼けしてヒゲ面という、恐ろしく強面な刑事として出てきたのを覚えています。

音楽が「太陽にほえろ!」の大野克夫さんであったのが印象的でした。

 

「刑事貴族2・3」/本城慎太郎

「刑事貴族2」は1991(平成3)年4月から1992(平成4)年3月まで、「3」は1992年4月から12月まで放送されたまたまた刑事ドラマで、これまた「ザ・刑事」から半年のインターバルを経ての刑事役です。

久々のフィルム映像作品で「夜明けの刑事」以来15年ぶりとなります。

「刑事貴族」のシリーズとして初作は、舘ひろしさん、郷ひろみさんときて、「2」からシリーズの最後まで一貫して水谷氏主演です。

↓30年経って、この中で存命は3人のみとなり、今も芸能活動しているのは水谷氏と宍戸開さんのみです。

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いかにも「破れかぶれ」な刑事としてアクション全開で登場してきました。スタート当時38歳になっていましたが、第一線の先頭を走り続ける、そんな感じの熱い男を演じ、また若手3人が田中実さん、宍戸開さん、団優太さんと田中さん以外は二世として、またいずれも長身の「ハンサムタワー」として話題にもなりました。しかし、今やこの3名のうち存命者が宍戸さんだけとは寂しい事になりました。

本城の放つ名台詞も色々とありました「お恥ずかしったらありゃしない」「あラッキィラッキィ」とか。

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出演者の交代もあり、団さんと高樹沙耶さんに代わり、寺脇康文さんと鳥越マリさんが登場し、「3」になると庶務係の中山忍さんと、彦摩呂(超スリム)さんが登場します。彦摩呂さんは後とは似ても似つかぬ細さで、スケボーを乗り回して犯人を追ったり結構身体張ってました。

宍戸さんと鳥越さんの降板後、最後の1クールだけ高樹さんが復帰し、前田耕陽さんが登場しています。前田さんは最後の8回ぐらいしか出られませんでしたが。結局番組が翌年3月を待たずに12月いっぱいで終了してしまいました。

「2」の初回と「3」の最終回、つまり水谷氏の最初と最後の回は、同じ犯人が登場し、不死身ともいうべき恐ろしく強い体の大きな女性と対決、特に最終回は本城への強い恨みをもって巧みにおびき寄せながら直接対決してきます。その頃には40歳を迎えていましたが、特にこの最終回はホントによく走りまくってました。

Cap0023

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その後は「相棒」が当初は2時間ドラマから、レギュラー番組に昇格して20年近くずっと下半期に定期的に放送を重ね、相変わらずの健在ぶりで、70代になってもまだまだ第一線で、活躍を続けてほしいものです。

2022年5月29日 (日)

俺たちのヒーロー列伝・その25 森田健作(1949~)

俺たちのヒーロー列伝・その24 渡辺裕之(1955~2022)

 

続いてのヒーローは…

 

森田健作(もりた・けんさく)さんです。

 

近年では、千葉県知事など「政治家」のイメージが強いですが、元々は「青春の巨匠」として、まさに「青春」の代名詞的な俳優であり、「青春」というワードで真っ先にイメージする俳優です。

それまでにも「青春ドラマ」はありましたが、それらは大抵教師が主人公で、青春時代を過ごす生徒たちとの交流を描いたものでした。

森田さんが革命的だったのは、その青春ドラマに「生徒役として主人公になった」事でした。

それからは「青春」というば森田さん、と真っ先に連想されるくらい、一時代を築き、また「いくつになっても青春」を実践されている方と思います。知事時代は苦難に満ちた表情が目立ち、大変厳しい状況でしたが、今はその知事も退任しています。

意外にも?サンミュージック所属タレントの第一号で、その後桜田淳子さん、松田聖子さんなどが所属する大手となっていきます。

 

そんな森田さんが演じた役柄で、個人的にヒーロー性を感じたものを挙げていきます。

 

「おれは男だ!」/小林弘二

1971(昭和46)年2月~1972(昭和47)年2月まで放送された学園ドラマです。

この作品こそこのドラマのまさに彼が「青春の巨匠」として名を上げる作品であり、そのまま彼の俳優として代表作的に取り上げられる事となる作品です。

そんなドラマですが、実は個人的にはあまり見れていないドラマで、元々女子高だった女性ばかりの高校に、男として転校してきて、男性は数が少ない事もあり圧倒的不利で、男性の権利向上といわんばかりに彼が演じる主人公が剣道部を立ち上げる話、というのは知っていますが、断片的にしか見た事がなく「吉川くぅーん」というのは見ましたが、あとは剣道に打ち込むシーンぐらいしか記憶にないですね。

このドラマの主題歌「さらば涙と言おう」が大ヒットして、歌手としても実に28枚もシングル曲を出しているのが意外な事実?でした。10枚程度かと思っていましたが、この曲がなんと6枚目であり、以後80年代、90年代、00年代にも少ないながらシングルリリースを行なっていました。

このドラマと並行して「青春を突っ走れ!」(1972年)に主演、またこのドラマの成功を受けて続編的に「おこれ男だ!」(1973年)に主演して、「青春」スターの名を確固たるものにしていきます。

また、このドラマの後番組は村野武範さんか主演した「飛び出せ!青春」で、再び教師モノに戻りますが、青春ドラマが大いに隆盛した時代となっていきました。

 

「気まぐれ天使」/榎本一光

1976(昭和51)年10月~1977(昭和52)年10月に放送された、石立鉄男さん主演のいわゆる「石立ドラマ」末期の作品です。

昭和40年代はほぼ学園ものの主人公、という立ち位置でしたが、昭和50年代に入ると脇へ回って、存在感を見せる事が多くなってきました。

ここでは主人公・加茂忍(演:石立鉄男)の相棒的な後輩役として出演、石立さんにいつも「エノ!」と呼ばれていて、後に「教師びんびん物語」(1988年)で田原俊彦さんが野村宏伸さんに「エノ!」と呼ぶんですが、個人的には「エノ!」といえば、ここでの森田さんのイメージですね。

エノはエリートで、先輩である忍の上司として副部長になり、また家も裕福ですが、忍には義理堅く、人間的な礼儀や優しさもちゃんと持っていて、童話作家として社業はそこそこにする忍の事をに過渡期にかけていました。いつもピシっとスーツを着こなしていた姿が印象的でした。

最終的には、後期のマドンナとして登場した酒井和歌子さん演じるバイくで出勤する「部長」と、この榎本が恋仲になり、主人公の忍は失恋をする格好になりますが、それが不幸な結末にならないところが、この手のドラマの良いところでもありました。

 

「必殺からくり人」/仕掛の天平(てんぺい)

1976(昭和51)年7月~10月に放送された「必殺」シリーズの1作で、それまでの必殺シリーズ7作はほぼ2クールの作品で定着していましたが、この作品が8作目にして、初の1クール(13話)作品でした。

初の時代劇出演で、必殺シリーズではおなじみの「殺し屋」役に起用されました。

山田五十鈴さんが主演で、緒形拳さん、芦屋雁之助さん…という重鎮に囲まれての「若き殺し屋」天平を演じていました。

必殺シリーズでは、初期こそ沖雅也さんや宮内洋さんなど「若くてイキのいい殺し屋」の立ち位置の方がいましたが、その後年齢層が上がり、華麗な殺しかごつい男の豪快な殺しが主流となり、久々に走ったり飛び蹴りしたり、という若手らしい殺し屋として活躍をしていました。血気盛んでエネルギーに満ち溢れた、という若さを前面に出したタイプではないですが…。

何よりその殺しのシーンが印象的で、彼が演じる「天平」は花火職人で、相手と格闘しながら口で噛んで封を飛ばし発火させた花火玉を相手の口の中に入れて、すかさず口を塞ぐと、相手の胃袋の中で花火が爆発するレントゲン写真が出てくる、という、必殺の中でも特に印象的な殺し技としてよく紹介されます。

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この作品はラストにつれてハードな展開となり、ラスト2の話で緒形拳さん演じる「時次郎」が、私怨による単独の暗殺行為に失敗して自爆死し、また最終回で敵の闇組織と真っ向から対立し、まさに全面戦争となり、殺し屋役を演じた全員が「殉職」します。

彼の演じた天平は、寝ていたところを敵組織に急襲され、住処が花火で吹き飛ばされ、爆風の影響で失明してまいます。一緒にいたへろ松(間寛平さん)のナビゲートで、失明しながらも襲ってくる敵を斬りつけて命だけは助かりました。その時に叫んでいた「へろまつぁ~という発音が青春ドラマでの叫びにとてもよく似ていて、彼のモノマネをする人は大体、この語尾を捉えているように思います(笑)

その後、天平はへろ松のサポートを得て、敵組織の屋敷に乗り込む時に、へろ松を巻き込みたくない為、強引に彼を引き返させ、火のついた松明と花火玉を持って単身敵屋敷に乗り込んでいきます。やはり青春スターですね、そこで助かったからと引き返さない(笑)

目の見えない状態で敵屋敷に乗り込むので自爆覚悟な訳ですが、取り囲んでくる敵に「曇を出せぁ~!」と何度も叫びます、これまた青春の絶叫(笑) 「曇」というのは敵組織の頭目の名前です。敵は斬りつけようとするも、大暴れする天平に手が出せず、いつ花火玉に火がつけらるか分からず迂闊に近づけない状態でした。そうしながら中へはいっていきますが、何せ目の見えない状態で、土間からの段差でつまずき転倒、そのまま花火玉が大爆発を起こし、やがて声も音も聞こえなくなりました。最初見た時は失明の中、敵に取り囲まれ無残に斬り殺されていくのかな、とハラハラしていましたが、死に様の分らない殉職で個人的にはホッとしました。

ちなみに彼は数年後「銭形平次」という18年も続いたロングラン時代劇の一時期(1979-81年)には同心役として出演しますが、殉職による卒業降板となり、時代劇レギュラーでは後述含め大抵殉職してる印象が強いです。

 

映画「黄金の犬」/

1979(昭和54)年公開の映画で、タイトル通り犬を中心にストーリー展開がなされるもので、この当時テレビドラマでも「炎の犬」「太陽の犬」など類似作品もよく放送されていました。

飼い主と犬がはぐれて、犬の帰巣本能をもとに行方を探して行く中で、犯罪組織にぶつかり、その犬や人が命を狙われるというサスペンスが基本フォーマットです。

ここでは主演の鶴田浩二さんが演じる刑事の部下役で、勇猛果敢に犯人を追い詰めるも、その犯人(地井武男さん)に無残にも銃弾を何発も浴びせられて殉職してしまいます。

 

「大岡越前」/蕪木兵助

1970(昭和45)年から「水戸黄門」と交互に放送される事の多かった人気時代劇で、森田さんの出演は1984(昭和59)年スタートの第8部から1990(平成2)年スタートの第11部と1991(平成3)年スタートの第12部の1話のみという形です。

当初のこの番組の同心は村上源次郎(大坂志郎さん)というベテラン同心と若手が代る代わる出ていた感じで定着せず、1978(昭和53)年から和田浩治さんが演じる「風間駿介」が中堅どころとして定着するようになり、駿介がややベテランになってきて、当初の駿介の立ち位置にこの兵助が収まった格好です。

当初は新米扱いでしたが、その後後輩同心も登場し、先輩も後輩もいるまさに「中堅」として活躍し、風間駿介を演じていた和田浩治さんや村上源次郎を演じていた大坂志郎さんが相次いで亡くなったという背景もあり、彼の演じる蕪木の存在感が大きくなっていった事もありました。

そういった大人の事情が大きく作用しながらの出演でしたが、最終的には彼自身が政治家へ転身する事がキッカケで降板となりました。

最終作となった第12部の初回のみ出演し、この時はその前に密偵として「猿(ましら)の三次」を演じていた松山英太郎さんも若くして亡くなられた事があり、三次の殉職シーンを過去映像の編集で流し、後半は森田さんのシーンでした。

かねてより惚れていた後輩同心の姉と晴れて結ばれるという中で、事件が発生し、襲われた女性を庇う為に敵に取り囲まれ勇猛果敢に戦うも、無残に斬られまくってしまいます。そこでは絶命せず、伊織(竹脇無我さん)の治療が始められ、そこで大声を上げて痛みに耐え、「あるいは助かるのでは?」と思いましたが、大岡越前(加藤剛さん)ら多くの関係者に看取られながら死を迎えました。

時代劇というスタイルに変わっても、やはり彼は青春スターでした。そして死ぬ役も多かった…。

 

その後は政治家に転身して…となりますが、俳優として見ていたい人なので、千葉県知事を退任した今、もう一花俳優として咲かせてほしいな、という思いはあります。

 

2022年5月21日 (土)

多分死ぬまで思い出せない昔のドラマ(教えて)

さて、今回は少々違うことを書きます。(知恵袋に書けよって話ですが…)

 

最近はYoutubeの普及で?昭和のCMなど、

「子供の頃見たきりで、一生見れないと思っていた」ものが見れるようになり、

「この時代まで生きてて本当によかった!」

となるのですが、それでもなかなか表出しないものがあります。

個人のビデオにないものや、再放送がされないものは、まずそうですね。

 

ものすごく個人的な内容になりますが、自分の脳内に残っている超断片記憶のみで

「どうしても思い出せない」昭和ドラマについて2つ挙げたいと思います。

もしこれを読まれて「ああ、あれじゃない?」「それは、○○というドラマだよ」

言い当てられる方がいるとすれば、一生「神」として崇め奉りたいと思います(笑)

 

①昭和のお昼のドラマ

いわゆる「昼ドラ」でした。

1970年代末期(78、79年頃?)、1980年以降ではない記憶ですが、

フィルム作品で、多分その年の夏休み~秋のはじめ頃に見た記憶です。

「しげる」という10歳くらいの少年が、主人公またはかなり重要な役柄だったと思います。

その少年が、何かの理由でバックレたような感じになり、父親が「しげる」を追いかけますが、

父親は、積んであった丸太(他のものかもしれませんが)が崩れて下敷きになり重傷を負いました。

瀕死の重傷を負い、床に臥せる父を「しげる」はこっそり見舞いに行きますが、やがて父は亡くなります。

その父の役は、前田吟さんかそんな雰囲気の方でした(小学校低学年当時のイメージにつき分からず)

 

昼ドラでも「愛の劇場」ではないように思います。東海テレビ枠でもなく、

「ライオン奥様劇場」っぽい勝手なイメージですが、タイトルやキャストを調べてもそれらしい感がなく、

それほど詳細情報もなく、40年以上経った今も上記の記憶のみで思い出せずにいます。

これは絶対放送されることがなく、この世から何もかも消え去ってしまう、あるいはもう当時の映像が残っていない

かもしれない、と思いますが、昭和50年代の昼ドラの映像って全部残ってるものでしょうか?

まさか自分が夢で見た勝手な幻、ではないと思いますが、この事を思い出す度、モヤモヤします。

今やっとこの事を活字にしました。

 

②70年代末期ゴールデンタイムのドラマ

これはもうオープニングの一部しか記憶にないので、余計手掛かりがないのですが…

手掛かりはたった一つ。

オープニングで♪トットゥルー というコーラスが入り、その後、♪タンターンタンという音が入り、

これを二回繰り返した後、♪トットゥル- トゥトゥ トゥルルットゥルー トツトゥルットゥ

という感じのコーラスがメロディーにのって、そのままCMに入る、そんな感じでした。

一連の流れで表すと、

♪トットゥルー (♪タンターンタン)

♪トットゥルー (♪タンターンタン)

♪トットゥル- トゥトゥ トゥルルットゥルー トツトゥルットゥ

となります。

おそらく20時台のドラマで、TBSかフジテレビ、曜日は火曜か水曜

だったように思います(まず金曜ではないです)

オープニングというか、番組の前振りみたいな感じで、いつも同じ画面のそのシーンがありました。

定刻にそのシーンが入って15秒ほどで終わり、再度CM、その後本編みたいな。

これかな??と思う作品はいくつかあります。

「おおヒバリ」(北大路欣也さん主演)

「青春諸君」(古谷一行さん主演)

この2つのどちらかかな?と思いますが、OPが見れず確証が得られずです。

「青春諸君」は、この続編にあたる「青春諸君・夏」(田中健さん主演)の方を

平成になってから見た事があったのですが、本家の方を見た記憶がなく不明のままです。

古谷一行さんの出ていたビデオ映像の、ちょっと楽しい系のドラマだったように思います。

Youtubeにあがってこないかな??見れたら卒倒するかも?ですが。

 

※手掛かりがないのですが、「青春諸君」のTVガイド写真がありました。

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これを見て、作品を特定される方がいたら、本当に心から尊敬致します。

 

 

 

2022年5月 7日 (土)

俺たちのヒーロー列伝・その24 渡辺裕之(1955~2022)

俺たちのヒーロー列伝・その23 天知茂(1931~1985 )

 

続いてのヒーローは…

 

渡辺裕之(わたなべ・ひろゆき)さんです。

 

つい先日の訃報には大変驚きました。

いつかこのブログで記事にしようと思ってはいましたが、こんなに早く記事にしたくなかったのも正直なところです。

あまりに衝撃でしたが、自分が見てきた限りで、彼にヒーロー性を見出した役柄をいくつか挙げて哀悼の意を表したいと思います。

 

映画「オン・ザ・ロード」/富島哲郎

1982(昭和57)年公開の映画で、同時上映があの「転校生」です。「転校生」といえば「おれがあいついであいつがおれで」という山中恒さんの有名作品を映画化したもので、男女で互いの身体が入れ替わってしまったという、この有名作と同時上映だった訳です。

渡辺氏のデビュー作ですが、この映画を見たのは10年以上経ってからレンタルビデオで見ました。

白バイ警官の役ですが、冒頭で追跡中にスクーターとの接触事故を起こして、後日その被害者女性に謝罪に行ったところ、姉と車で鹿児島まで向かっているという事で、これを追跡するというものでした。その長い追跡で、所在不明の白バイが1台発生したというので、警察組織を挙げての大追跡劇、というのがあらすじです。

その追跡劇(本人からすれば逃亡)で、警察をいわば敵に回す格好で、周囲の市民から喝采を浴びていたのを思い出します。

 

CM「リポビタンD」/

個人的に渡辺氏を初めて見たのはこのCMです。

これまで何度もこの「列伝」を書いてきて、CMを取り上げたのは初めてと思いますが、このリポDに関しては、そういう「ヒーロー」を見出すCMだったと思います。

1977(昭和52)年に勝野洋さんと宮内淳さんの「太陽にほえろ!」コンビでスタートした毎回体を張ったこのシリーズで、勝野さんは継続出演しながらコンビが代わっていき、宮内さんに代わって真田広之さんが登場したと思ったら短期間で交代となり、1982年に登場したのが渡辺裕之さんで、自分は当時小学生でしたが「誰これ?」となりました。たぶん新聞の広告欄でその名を見て知ったんだと思います。今思い返すと勝野さんのフォロワー的な若い人、みたいな捉え方をしてたように思います。とにかく体を張ったハードな色んな事にトライされていました。

このCMは10年以上も務めていて、その期間中にブレイクした事もあってか、勝野さんが勇退後も野村宏伸さんと組んでたりもしていました。末期にはすっかり肉体派俳優のイメージもついていたように思います。肉体派俳優的な役柄はあまりやっていなかったように思いますが…

 

「特捜最前線」/的場刑事

肉体派の俳優でありながら、あまりそのような作品で見かけなかった渡辺氏でしたが、昭和の長寿刑事ドラマでこの作品にだけは出ていました。それもゲストでなく、といって正式なレギュラーでもありませんでしたが、1985(昭和60)年当時大滝秀治さんが演じていたおやじさんこと船村刑事の代打で4話のみ出演していました。この出演の経緯が分かりませんでしたが…。

当時はもうリポDのCMでおなじみとなって2、3年も経つ頃でしたが、それ以外の知名度があまりなく、「特捜最前線」だけにアクションを遺憾なく発揮した訳でもなく、いつの間にか出てきていなくなった感じでした、チラッとは見ましたが記憶にないです。後から見るとデビューから数年の20代の頃の髪型が中途半端だった記憶はありました。長髪でもなく、きりっとした髪型でもなくというところで。

 

「愛の嵐」/川端猛

東海テレビ制作の昼ドラマの「嵐」三部作の初作で1986(昭和61)年に放送され、主人公・ひかる(田中美佐子さん)とのラブストーリーが話題となりました。幼少期からストーリーが描かれていることもあって、2人とも途中からの登場で、全体の2/3程度の話数の出演でした。

渡辺氏はこの作品ではブレイクまではいかず、田中美佐子さんがブレイクした作品、と個人的には思います。それでもこの作品で渡辺氏の知名度はある程度上がったのは確かです。

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昼ドラという性質上か、男女の恋愛ものである場合、女性が主人公となり男性がフォロワー的に準主役になる事が多く、ここでも田中美佐子さんが主演で渡辺氏が準主役の扱いでした。また戦時中が舞台の「時代もの」でもあり、ひかると猛は対等な関係でなく、猛はひかるを「お嬢様」と呼ぶ、そんな関係性でした。そんな中でのラブストーリーがまた主婦層の感情を揺さぶったのでしょうか。そういう意味では主婦層のヒーローだったのかもと今にしてみれば思います。

 

「華の嵐」/天堂一也

1988(昭和63)年に放送された作品で、「愛の嵐」の成功を受けて制作された(と勝手に思っている)作品です。

この作品こそが、渡辺氏を一気にスターダムに押し上げた作品と思っています。

ヒロインは田中美佐子さんから高木美保さんへ代わり、この高木さんとの黄金コンビが1980年代末期の昼ドラを大いに盛り上げました。

劇中で「お嬢様」の高木さんが発した「ごきげんよう」は流行語になり、小堺一機さんの「ごきげんよう」の番組名はこのセリフからとられたといいます。

実際、当時我々は高校生でしたが、そのクラスでも「ごきげんよう」とあいさつするくらい、世に浸透していました。学校が早く終わってこの昼ドラが見れた時には、前日のストーリーを話し合ったりして、主婦層どころかあらゆる世代を巻き込む昼ドラブームの時代がそこに確かに存在し、その中心にこの渡辺氏の存在があったのです。

ここでは、「愛の嵐」のひかると猛のような主従関係でなく、華族のお嬢様と一般庶民という関係性でした。

三部作で必ず共通するフォーマットとして、渡辺氏とヒロインの恋模様があり、でも離れてしまい、これまた渡辺氏と共に「嵐」三部作すべてに出演している長塚京三氏が必ずヒロインと結婚する(「夏の嵐」を除いて)が、結局は破滅し渡辺氏とヒロインが最終的に結ばれるという、ある程度バレバレになっても見てしまう、そんな中毒性がありました。

ここで演じた天堂一也は、正義感の強い男で、また長塚氏が演じた「朝倉」に対して激しい敵対心を持ち復讐に燃え、しかし互いに好きになった相手・柳子(高木美保さん)がよりにもよってその浅倉と結婚するという…。

そして朝倉はヤクザを使って地上げを進め、天堂のもとにもその手が伸び、この行きがかりで天堂が結婚した妻(岩井友見さん)が殺されてしまうという…そして天堂はより一層「朝倉許さん」となり朝倉を叩き潰す決断をするのですが、かつて愛し合った相手は朝倉夫人となっていて敵対してしまっており、すっかりその妻となった彼女は「夜叉夫人」と揶揄されるようになります。

徒手空拳の天堂が、華族の朝倉家に裸一貫で立ち向かうのを後押ししていた黒沢年男さん演じる飛田組のカシラが男気があって、またカッコ良かったです。

最終的にはその夜叉夫人は目覚め自分の愚かさを悔い、朝倉は自決し、天堂は朝倉と別れた柳子と「金の鳴る丘」の建設に奔走し、子どもたちと幸せに暮らす事になりましたとさ、で物語はハッピーエンドします。

すっかり筋を書き連ねてしまいましたが、この愛と復讐に生きる男を好演して彼の知名度は一気に上がりました。

 

「さすらい刑事旅情編」/神田真二

人気を博した「華の嵐」終了直後の同じ1988(昭和63)年10月~半年間放送された刑事ドラマで、最終的に1995(平成7)年まで7作つくられた人気作品となりましたが、その初作のみレギュラー出演していました。

おそらくブレイクしなかったら回ってこなかったであろう役で、ようやく「刑事ドラマに渡辺裕之がレギュラー出演する」と思って、カッコいいアクションを期待していましたが、前番組「はぐれ刑事純情派」の流れを汲む人情刑事ドラマでした。多少走るシーンはありましたが、彼のキャラを活かしきれなかった感が自分にはありました。

駅の分駐所が舞台で、宇津井健さんが主役として警部に据えられましたが、実質は三浦洋一さん演じる香取刑事が主人公で、その周りにベテラン刑事や若手刑事がいる、というのが全7作でのフォーマットでした。全作通して、出てくる刑事は三浦氏の先輩か後輩かでしたが、渡辺氏の演じる神田は唯一、三浦氏と対等の役柄でした。

今後、この二人のバディもの的になっていくのかな、と思って続編の報が入った時にキャスティングを見たら渡辺氏が外れていて、代わりに高木美保さんがレギュラー入りしたのはビックリしました。

 

「夏の嵐」/結城一馬

1989(平成元)年に「華の嵐」で大人気を博したのを受けて制作された完全な二番煎じ的作品です。

高木美保さんとの主役コンビが再登板、という事で、お昼のドラマにもかかわらず大いに注目を浴び、また敵役も同じ長塚京三氏で、今度は高木さんの兄役という形での血縁者を演じました。

音楽も当時新進気鋭だったG-クレフが起用されるなど、その意欲の凄さを感じた作品でもありました。

結城一馬という、天堂一也から頂いた役名で、やはり長塚氏演じる南部家という華族に激しい恨みを抱き、しかし恋心を抱いたのがよりにもよって南部の妹という…。やがて戦争が二人を割き…というのも「華の嵐」とおんなじです。

華の嵐との違いのひとつで、一馬は刑事という職業をもち、南部と対峙するストーリーが描かれ、その中で拳銃を突き付けるとかちょっとしたアクションもあったりしました。

黄金コンビによる安定したストーリー展開は、分かり切ってても見てしまっていた訳ですが、最後になるにつれあまりに二番煎じ度が高くなっていったのが少し残念ではありました。

 

その他、役どころありますが、書き連ねられるほどみていなかったので割愛しますが、1990年頃は「刑事貴族」あたりに主演しないかな?と思っていましたが、郷ひろみ氏→水谷豊氏になって、「もうないか、残念」と思った覚えがあります。

21世紀にはVシネマで活躍されていたようですが、TVの刑事ドラマで思う存分アクションする役柄を見てみたかったものです。

2022年4月24日 (日)

俺たちのヒーロー列伝・その23 天知茂(1931~1985 )

俺たちのヒーロー列伝・その22 露口茂(1932~ )

 

つづいてのヒーローは…

 

天知茂(あまち・しげる)さんです。

荒木しげるさん→露口茂さん、ときたので、「しげる」つながりにしました。

前回の露口茂さんとほぼ同年代で、共に渋い名優でしたが、「ニヒル」さの漂う主人公の似合う代表的俳優として「非情のライセンス」などの当たり役をもつ大スターでした。

ニヒルな存在感、というのはどちらかというと脇役に多く見られるものと思っていますが、これを主演者として表現し、存在感を高めっていた人、だと思います。

勿論「非情のライセンス」の会田刑事の印象が絶大なのですが、時代劇でも主演者として存在感を放っていた方でもあり、自分が見た限りで、あまり数はないのですが、それぞれの印象について綴っていきたいと思います。

 

「大岡越前」/神山左門

1970(昭和45)年より放送スタートしたロングラン時代劇で、初期はあの「水戸黄門」と交互に放送されていました。

その中で、初作から第三部までの出演でしたが、与力・神山左門として登場し、「カミソリ左門」とあだ名される切れ味鋭い与力役で、あまりちゃんと見た事がなかったのですが、後に演じる事となる「非情のライセンス」の会田刑事にそのままつながるような役柄でした。

 

「非情のライセンス」/会田刑事

1973(昭和48)年より3部にわたり放送された、彼の代表作です。

ニヒルな苦みばしった男の眉をひそめる姿が、世のマダムたちを虜にしたといっても過言ではない、ここで確固たる存在感を築き上げたといえるでしょう。

放送日は以下の通りです。

 第1シリーズ:1973年4月~1974(昭和49)年3月

 第2シリーズ:1974(昭和49)年10月~1977(昭和52)年3月

 第3シリーズ:1980(昭和55年)5月~12月

第1・2シリーズはほぼ同時期で、半年開いているだけで、第3シリーズは3年開いて1980年代の放送となり、少し異質な感じになっていました。

第1シリーズは1年で終了しましたが、第2シリーズは好評だったのか結局2年半続き100話を越えるエピソードがインターバルなく放送されました。そしてまたこの第2シリーズは多くの仲間の刑事たちが殉職し、某刑事ドラマを意識していた気がしましたが、実際にそのドラマで刑事が殉職するという同時期に、2話連続で殉職エピソードを出したりもしていました。(裏番組ではありませんが)

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ここで演じた会田刑事は、広島出身で両親を原爆で失くし自身も被爆者で、姉や妻など家族が悲しい最期を遂げ、人一倍犯罪を憎む熱い男で、とかくこのドラマは天知氏の持つ雰囲気がマダムキラー的に炸裂する人情刑事ドラマとイメージする方も少なからずと思いますが、実際見ると会田は結構拳銃の発砲をするし、しょっちゅう暴走して止まらないそれこそ「あぶない刑事」という感じです。

推理や説得など、腰を下ろしている時と、ハードなアクションをしている時の落差が結構大きいです。決して人情モノではなく、時にはバイオレンスアクションになるし、女性遍歴的なものも描かれる事も少なからずで、当時放送されていた坂上二郎さん主演「夜明けの刑事」などとは全然肌の色が違う刑事ドラマでした。

某人気刑事ドラマでいうところの、山さんとゴリさんを足して2で割って、別ドラマの櫻井刑事の血を入れて40代にしたかのような感じ?でしょうか。ただ存在しているだけのカッコよさ以外に、それとは裏腹に暴走気味な行動をするところも彼の魅力であり、こちらは男が見てもカッコいいと思える中年像だったように思いました。

サブタイトルには必ず「兇悪」の文字が使われていたのも印象的でした。

 

「野望」/氏家修(猪斐雅彦)

「非情のライセンス」の第2シリーズが終了後の1977(昭和52)年10月~1978(昭和53)年3月までの半年間放送された作品で、この原作をかねてよりいたく気に入っていて、主演したいと願い出たものの「非情のライセンス」が製作される事となり、5年越しで主演が叶ったといいます。

「非情のライセンス」の会田が、刑事ではなく、復讐魔になったような作品で、テイストは実に似ています。やはりハードボイルドであり、ただ違うのは変装したりとか、すこしコミカルな面も垣間見られますが、基本それらも復讐行動の為の小芝居のようなものでした。

会田のような刑事ではないので、拷問とかに制御がなく、それこそ相手を徹底的に痛めつけるシーンもありました。また相手役の三田佳子さんとの関係性もストーリーに絡んでいて、やはり刑事では描けない部分も描かれたりしていました。

 

「江戸の牙」/剣精四郎(つるぎ・せいしろう)

1979(昭和54)年10月~1980(昭和55)年3月まで放送された時代劇です。この出演の後、再び「非情のライセンス」に三たび登板する事となります。

江戸本所方を舞台に、密命を受けて秘密裏に立ち上げられた警察的な組織「江戸の牙」。悪人どもを一掃を目的とするこのチームのリーダーとして活躍する男の役柄です。

基本ハードボイルド調ではありますが、仲間に坂上二郎さんや藤村俊二さんなどコメディー系のメンバーがほぼそのままの役柄ででいる事もあり、マイルド瞬間とハードな瞬間の落差の激しい作品といえます。また新人時代の京本政樹さんがこの作品に見習い同心役でレギュラー出演しており、途中で殉職を遂げます。

クライマックスの殺陣シーン前の口上で「江戸の牙参上!」と告げて、斬り込みを始めるシーンがお決まりであり、印象的でもありました。

 

「闇を斬れ!」/鳥飼新次郎

1981(昭和56)年4月~9月に放送されたやはり時代劇作品で、ここでも主演しています。

「非情のライセンス」最終作に出演を終えたところで、ちょうどこの頃に50歳を迎えています。

タイトル通りですが、闇の組織の頭目であり、上司からその組織立ち上げの命が下ったストーリーは「江戸の牙」とおんなじです。

世は田沼時代で、歴史で習ったような悪として、これが敵キャラだった訳ですが、これらと対決するのが基軸でありますが、ストーリー的にはあまり利記憶がなく、ただCMに入る際のアイキャッチで大型犬がジャンプしていたのだけはよく覚えています。

そして、最終回は観れなかったのですが、主人公の彼を除く全員が殉職してしまう壮絶なラストだったようで、その仲間が坂口良子さん、三浦浩一さん、山城新伍さんでした。今では三浦さん除き全員故人ですが、山城さんがこういう時代劇の脇を固める時はいい役が多いんですよね。ラストで仲間を守って壮絶に死んでいくという点では「影同心Ⅱ」でもおんなじでした。

クライマックスの「闇を斬る!」の「きる」の天知さんの独特の言い方がツボでした。タイトルは「闇を斬れ!」で、口上は「闇を斬る」というもので、後に里見浩太朗さんが主演した全く違うドラマは「闇を斬るだったので個人的にその辺、こんがらがってます(笑)

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あと、連ドラではありませんが、2時間ドラマの「明智小五郎」シリーズでも人気を博して、彼の当たり役のひとつとなりました。初期「2時間ドラマの帝王」だったともいえます。

 

今の役者さんは、イメージがつきすぎてしまうのを恐れて「長く同じ役をやらない」という方が多いようですが、天知さんが会田刑事を長くやっていて確かにそのイメージはかなりつきすぎたと思うものの、その後にバラエティドラマにも出演されて新しい一面も見せたりしていました。だから長く出演しても悪い事はないと個人的には思っていますし、いろんな役がやれなくなることもないと思います。

 

惜しむらくは1985(昭和60)年、54歳の若さで亡くなられたという事で、もっと長生きされていれば、いろんな役柄が回って来てたでしょうし、実際50歳をすぎてから、それまでのような役柄とはちょっと違ったものも演じておられただけにその早世は実に残念でした。

2022年4月 9日 (土)

俺たちのヒーロー列伝・その22 露口茂(1932~ )

俺たちのヒーロー列伝・その21 荒木しげる(1949~2012)

 

続いてのヒーローは…

 

露口茂(つゆぐち・しげる)さんです。

われわれの子供時代の憧れのヒーロー、というよりは、当時40代のいわゆる「ナイス・ミドル」でした。

まだその渋いカッコ良さが理解できなかったままに、画面上の彼を見ていました。

年を取るにつれて、幼少時に見たこの渋い中年男性のカッコ良さが理解でき、また思い入れが増してくるというもので、当時見ていた若きハツラツラとした青年だけでなく、異彩を放っていた渋い大人のカッコよさに「ヒーロー」を見出しました。

昨日、4月8日は露口さん90歳のお誕生日でした。おめでとうございます。60代半ばごろから芸能の仕事はされていないようで、事実上の引退状態にありますが、これからもお元気に過ごして頂きたいと思います。

 

そんな訳で、自分の見た限りでの彼にヒーロー性を見出した役柄をピッアップしてみます!

勿論「太陽にほえろ!」の山さん役は彼の代名詞的な役どころですが、これについては最後に綴ります。

 

「清水次郎長」/黒駒勝蔵

1971(昭和46)年~1972(昭和47)年に放送され、竹脇無我さんが主演し次郎長に扮した作品です。

露口氏はここでは「黒駒勝蔵」という、次郎長にとっては「敵キャラ」でしたが、ふてぶてしさと狡猾さ冷静さをもち、あからさまに悪行を行う感じではありませんでした。知略をめぐらせ、あの手この手を考えるような、それでいて場合によっては、次郎長の味方をする事すらありました。あまり多く見れませんでしたが、「山さん」を演じる前の彼の役柄は、大体ひと癖もふた癖もある、どちらかというと敵キャラである事が多かった、のが印象です。

ちなみにこの「勝蔵」役は、翌1973(昭和48)年に「風の中のあいつ」というドラマで、「太陽にほえろ!」で共演した萩原健一氏が主役として演じており、助演で露口氏が敵キャラとして演じた役柄を、萩原氏はその若き日を主役として演じ、まったく敵キャラ然とした感がなく、描かれ方が全然違っていました。

 

「お祭り銀次捕物帳」/一本長兵衛

1972(昭和47)年に放送された、あおい輝彦さん主演の時代劇です。

ここでは、あおいさんが演じる主人公・銀次の良き相談役となる一本長兵衛という謎めいた男を演じていて、ここではどちらかというと悪の香りが漂う「善」の役柄という感じでした。ちなみに「太陽ー」で共演する萩原健一氏と少しだけ共演しています。

この時期に集中して、萩原氏と何かと縁が深かった露口氏でした。

このドラマの終了する前月には「太陽にほえろ!」がスタートしており、1ヶ月ほど「掛け持ち」状態でした。

 

「同心部屋御用帳・江戸の旋風Ⅱ」等/島津半蔵

1975(昭和50)年に放送された「同心部屋御用帳・江戸の旋風(かぜ)」という加山雄三さん主演の時代劇が好評により、続編が制作される事となり、1976(昭和51)年よりスタートしたこの第二シリーズから、露口氏が同心役としてレギュラーで加入する事となりました。

露口氏の連続ドラマでは「太陽にほえろ!」と掛け持ちしながら、このフジテレビでの時代劇シリーズも彼の代表作となり、一連の「江戸の」シリーズの常連俳優として小林桂樹氏と活躍を続ける事となります。

江戸の旋風では「Ⅱ」で加入し、断続時に放送が続きながら「Ⅲ」(1977年4月~78年4月)、「Ⅳ」(1978年11月~1979年5月)と3作にわたり継続出演しています。

この同心「島津半蔵」は限りなく「太陽にほえろ!」の山さんに近い役柄で、作品自体が現代版「太陽ー」のコンセプトでつくられていますが、そんな中で推理力、洞察力を駆使して謎を解き明かす渋いベテラン、独特の仕草・雰囲気を含め、まさに山さんそのものでした。

 

「江戸の渦潮(うず)」/辰蔵

1978(昭和53)年に放送された、「江戸の旋風」の派生的作品で、同番組の合間に放送されました。

ここでは「江戸の旋風」での同心から、岡っ引き役として登場していますが、渋すぎて岡っ引き然としてなかった感がありました。

主人公が親子同心で、小林桂樹(元同心)さんと古谷一行(現同心)さんが演じており、その配下にあたる役どころですが、全然そんな風に見えませんでした。

 

「江戸の激斗(げきとう)」/毛間内以蔵

1978(昭和54)年に放送された、「江戸の旋風」シリーズでの出演を終えてから、その後番組としてまたも「江戸の」シリーズに登場し、「江戸の旋風Ⅱ」から本作まで、3年9ヶ月もの間「江戸の」シリーズに出づっばりの状況でした。それも「太陽にほえろ!」と掛け持ちで。

この番組については、このブログでも記事にした事がありますが、役人にして金で雇った浪人たちと共に悪と戦う「遊撃隊」の隊長で、己の信念の為なら仲間を敵に回す事をすらも厭わぬ「鬼」と呼ばれた男で、でもやっぱり根っこの部分は「山さん」だなと思ってしまいます。

そして彼の演じるこの手のキャラは殆どが妻とは死別していて、そういう悲しい運命を背負ってきた男の厳しさと悲しさをうまく表現している事を感じます。

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「森村誠一の終着駅シリーズ」/牛尾刑事

1990(平成2)年~1994(平成6)年にわたり計4作、2時間ドラマで放送された作品で、彼の俳優人生最晩年の当たり役といえる役柄です。

俳優は同じ役を長くやると、そのイメージから抜けきれないので、早めに降板したい、というのが「太陽にほえろ!」出身俳優特にベテラン勢からは多くあり、そのために降板を申し出る俳優が重なって、プロデューサーが時期をずらすのに苦心したという話がありますが、確かにどこで彼を見ても「山さん」が個人的にはついて回りました。しかし、その山さんとの違いを見るのもまた良かったと思っていて、「当たり役」があればこそではないかなと思いました。

この作品はぼーっと見ててあんまり記憶はないんですが、山さんの延長上で見ていたんだと思いいます。

 

「太陽にほえろ!」/山村精一(山さん)

1972(昭和47)年~1986(昭和61)年まで、14年近く演じ続けた彼の「代表作」かつ「代名詞」ともいえる作品です。彼の俳優としてのキャラはこの作品で決定づけられました。それが良いのか悪いのかはありますが、自分は良いと思っています。

彼が「山さん」を降板した半年後に番組は終了しました。

犯罪者の人間心理を知り尽くした「落としの山さん」として、初期はまだ若かったせいか普段は麻雀に興じて、ここという時だけ出ていく感じたとか、喋り方が荒々しかったり、「動」の部分も少なからずありましたが、年を経るにつれて「静」の雰囲気がすっかり似合うようになり、背中で演技をするというか、その物腰だけで表現される、そんな感じを受けました。

特にこの写真の一本指を立てるポーズですべてを表現したり、その仕草が独特でした。

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豊富な経験から、推理は絶対的に外れず、ボスも部下たちも全幅の信頼を置く存在で、ボス役の石原裕次郎氏が大病後復帰してからは現場にはあまり出ず、署内で実質的に指揮を執っていた状況でした。

そんな山さんに「千代田署の署長」への栄転話が持ち上がり、危険な商売だからという事で、養子として引き取った子供と別れ、大きな事件を解決した直後…、組織の残党の報復の対象となり、物陰に隠れて2発の銃声が。

相手が事切れたのを確認階段駆けあがっていく山さん…。仕留めたか!と思い、電話でボスへ拳銃一丁押収の報告を入れた後…

袖口から血がしたたり落ち、意識が遠のいていき…、、そう、やはり相討ちだったのがここで確認できるわけです。

分かれる息子へ電話を入れた後は、受話器を置く事すらできず…23歩進んでいきますが、、倒れ、夜の闇に消えていくようにその命も消えていきました。という殉職劇でした。

「まさか、山さんまで死ぬとは…」と衝撃でした。

丹念に証拠を集め、推理力・洞察力に長けた男、これもまたヒーローだったんだなと年が上がるほどに、その良さが分かるようになってきました。

2022年3月26日 (土)

俺たちのヒーロー列伝・その21 荒木しげる(1949~2012)

俺たちのヒーロー列伝・その20 里見浩太朗(1936~)

に続いてのヒーローは…

 

荒木しげる(あらき・しげる)さんです。

 

久々に子供時代のヒーローです。

といっても、彼のヒーロー然とした動画は高校生以降になって見た感じで、小さい頃は雑誌や本の写真でしか見た事がない程度でした。

なので、とちらかというと割と大きくなってからヒーロー性を見出しました。実は小さい時に見てるんですが、それが彼だったと知らずに見ていたものもありました。

 

という個人的な事はこのくらいにして、彼にヒーロー性を見出した役柄をいくつか書き綴っていきます。

 

「仮面ライダー・ストロンガー」/城茂

1975(昭和50)年に放送された昭和仮面ライダーの一旦最終作です。

1971(昭和46)年にスタートした初作の「仮面ライダー」は大好評もあり2年間放送が続けられ、その後「仮面ライダーV3」「X」「アマゾン」と続き、本作の放送をもって連続しての放送は一旦終了されました。(4年後の1979(昭和54)年に「仮面ライダー」(スカイライダー)として再スタート)

この作品で、主人公となる城茂(じょう・しげる)役に抜擢されました。

荒木氏は元々は1968(昭和43)年にフォークグループ「フォー・セインツ」のドラマーとしてデビューし、時期的にはグループサウンズ全盛期でしたが、それらとは一線を画す形で、「カレッジ・フォーク」的な路線で活躍し、1973(昭和48)年に解散するまで活動していました。

その後はCMモデルを中心にドラマにチョイ役で出ていた形でしたが、本作が実質的なデビュー作となります。その城茂を演じる事となり、それまでの本名・荒木行徳で活動していたのを「荒木茂」の芸名にしたといいます。以後何度か、茂⇔しげるを繰返しています。

少し甲高い声での「口上」がいかにも昭和のヒーローでした。

「天が呼ぶ 地が呼ぶ 人が呼ぶ 悪を倒せと俺を呼ぶ」

そしてこの声がまた印象的だったのが、

「へんーーしん!ストロンガーー!!」と変身するシーンですね。腕を何度もこすりつけるところは、当時の近所のガキどもがよくマネしていました(笑)

昭和の仮面ライダーは、その後途切れ途切れながら続いていきますが、初作の仮面ライダーからこのストロンガーまでがよく一括りにされることが多いと思います。その中で、ストロンガーは最もスペックの高いライダーでした、というのは当時ケイブンシャなんかから出ていた「仮面ライダーのひみつ」的な本に歴代ライダーのスペックが載ってて、大体の項目がストロンガー1位だった訳です。

小学生当時はそういう本のみが情報源で、特にストロンガーは自分の地域では再放送がなかったので、そういう媒体のみでヒーロー像を膨らませたりしていましたね。動画で本編が見れるようになったのは、大学生の時にレンタルビデオで見たのが最初だったと思います。

いかにも昭和なファッションも印象的でしたが、何より大きな「S」の字の入った単色のTシャツが印象深かったですね。

ストロンガーの最終回で、歴代仮面ライダー全7名で一堂に会すシーンがあり、子供の頃はただただすごい勢ぞろいだとか思っていましたが、藤岡弘、さんや宮内洋さんなど当時既にかなり売れた役者含めよくスケジュールを押さえられたな、と大人になって思ったものでした。

城茂役では、ストロンガー終了の5年後、1980(昭和55)年に「仮面ライダー」(スカイライダー)に客演の形で数回、髪の短くなった城茂が再び現れ、30歳を過ぎてもこの役を演じる事となりました。

 

「超神ビビューン」/月村圭

1976(昭和51)年7月~1977(昭和52)年3月に放送されたヒーローものです。

ストロンガー終了の半年後に、再び正義のヒーローとして主演で戻ってきました。

当時読んでいた子ども誌の付録にこの番組のシールがついていて、家のヒーターやなんかに貼り付けていたのを思い出しました。

よく間違えられますが「超人」ではなく、超「神」です。

前作「アクマイザー3」の魂を受け継ぎながら、設定も登場キャラクターも一新された形の3人での変身モノです。当時は元祖戦隊モノの「秘密戦隊ゴレンジャー」の成功があってか、いろんな形でいろんな「戦隊モノ」が乱立する時代で、これもそんな作品のひとつでした。

荒木氏の演じるビビューンがメインながら、力のイメージのズシーンや、水のイメージのバシャーンとの3人で構成され、それぞれに個性的な存在でした。

ここでもやはり大学生役ですが、甲高い声で見えを切るようなセリフ回しは、当時のヒーローものにピッタリはまったのではないかなと思いました。

この作品は幼稚園、小学校に上がる前に確かにリアルで見ていましたが、ビビューンが荒木氏と知らず、まだストロンガー城茂も知らなかったぐらいの頃なので、後で振り返ってみて色々分かったという感じでした。

 

「特捜最前線」/津上刑事

1977(昭和52)年4月~1987(昭和62)年3月の10年間にわたって放送された「テレビ朝日」誕生時から支えた看板刑事ドラマです。この出演時に荒木「しげる」と、ひらがな表記にしています。

荒木氏が津上刑事として出演していたのは番組スタートから1980(昭和55)年1月までの2年9か月程度でした。

スタート当初は、新たに特命課に抜擢された新人の役どころで、なにかにつけ半人前の姿が描かれた、血気にはやるイキのいい若者という感じのキャラクターでした。そういう事もあってか、スタート時のOPでは高層ビル群をバックに全速力で走り抜けるシーンが描かれています。当時流行のアクション刑事ドラマの新人刑事を思わせるものでしたが、この「特捜最前線」はあくまで人間や犯罪を描いたドラマで、刑事にスポットが当たるのが主の他のドラマとはやはり違っていて、前作の「特別機動捜査隊」の流れをくむものでした。

なので、銃撃戦でバンバン撃ちまくってアクションしまくるというものでなく(レギュラー刑事役がそういう系の方ばかりでしたが)、それと対極をなすといっていいドラマでした。ただ時代背景もあってか、時にそんな拳銃がらみの事件が起きて、銃撃戦に対峙する事もありました。

中でも、初期の「哀・弾丸・愛」という回は、津上刑事の未熟さが強調され、自分が犯人を撃てなかったことを正当化し、撃った先輩を「殺す事なかったんだ」などと非難するうちに孤立してしまったり、そうこうしてるうちに自分の妹を誘拐される窮地に立たされたり…彼の成長エピソードという訳ですね。若いくせに何かと理屈っぽかったのが初期津上の特徴のひとつでもありました。

その後メンバーが変わり、後から加入してくる刑事たちの影響もあり、すっかり一人前の刑事になった津上は、笑顔が素敵な明るいキャラでありつつも、スタート3年目には荒木氏が30歳を迎えた事もあってか立派な紳士に見え、OPの振り返るシーンもスーツが似合う男の風格が感じられました。

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しかしその3年目の終盤、1980年代に入ったばかりの頃、津上は最初の殉職者となります。

ジャズバンドに潜入し、普段のスーツ姿ではなく革ジャンとジーンズで、ドラムを叩きまくっていました。これは荒木氏のバンド時代のキャリアを存分に活かした脚本設定でした。公衆の面前でバンドとして出演し、下手に動けない中でドラムを叩きながら、犯人の狙いを仲間の刑事たちにモールス信号で送る芸当をやってのけ、仲間が犯人の車を急襲するや、ボツリヌス菌の充満した風船を回収し、車に乗り込み突っ走っていきます。

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運転中にボツリヌス菌の入った風船は割れ、車の中は菌でいっぱい…、もうここから出る事はならないと悟った津上は、仲間の必死の制止も振り切って、激しく車を運転していく、、そのシーンで殉職前編を終え、翌週の後編冒頭には、自爆覚悟で車を鉄柱に激突させ、まさに特攻の形で車を爆発炎上させ、菌を死滅させると共に、自らの命も失ってしまった、という形で序盤で殉職となりました。

これは荒木氏の意向で今後は時代劇に進んでいきたい、というものだったそうで、それまで同番組を出たメンバーは転籍や転勤の形でしたが、あえて退路を断つために「殉職」という選択をしたそうです。その割には4年後に「津上刑事の遺言状」という作品で、回想ではなく新録で亡霊?のような形で出演していたりします。

その後は時代劇?と思いきや「走れ!熱血刑事」という松平健さん主演の刑事ドラマにエリートっぽい刑事役でレギュラー出演していました。

 

「暴れん坊将軍Ⅱ」/木葉才蔵

1983(昭和58)年3月~1987(昭和62)3月の4年間放送された「暴れん坊将軍」の第2作です。

ここでは「走れ!熱血刑事」で共演した松平健さん演じる将軍吉宗の公儀御庭番「木葉才蔵」を演じました。

初作の最初の御庭番は「仮面ライダーV3」の宮内洋さん、その後「特別機動捜査隊」の和崎俊哉さんが演じていましたが、これに続き本作で4年間、表舞台で華々しい活躍はしないが陰で素晴らしい働きをする「御庭番」の役柄を突き進んでいきます。

宮内洋さんは御庭番で殉職してしまい、荒木氏の次のお庭番として三ツ木清隆さんが演じた「左源太」も壮絶な殉職を遂げましたが、才蔵は無事でした。

 

荒木氏がレギュラーで正義キャラを演じたのがここまでかな、というのが自分の認識ですが、その後目黒区議会議員選挙に立候補しながら落選したりしましたが、2012(平成24)年に63歳の若さでお亡くなりになりました。随分と早いなと感じますが、今年でもうすぐ没後10年、これもまた早いと感じます。

 

 

2022年3月13日 (日)

俺たちのヒーロー列伝・その20 里見浩太朗(1936~)

 

俺たちのヒーロー列伝・その19 渡瀬恒彦(1944~2017)

続いてのヒーローは…

 

里見浩太朗(さとみ・こうたろう)さんです。

 

個人的に子供時代にTVを見てヒーロー性を感じた俳優さんって、大体団塊の世代の当時「お兄さん」的な20代だった役者さんである事が多く、このコーナーでも、だいたい1950年前後生まれの方にある程度偏って挙げてきていたと思います。

それはやはり、子供の頃に若い人に感情移入して、思い切り力任せにほとばしらせるその若いエネルギーに魅了されていたんだと思います。

しかしながら、年を取って大人の視点で見てみると、もっと上の年代層で、自分が子供時代からある程度「おじさん」と呼ばれる世代の方々も当時厳然とヒーローだったんだな、という事を感じるようになっていきました。特に時代劇スターといわれる方々は、常に主役で正義の味方で、悪を倒し続けてきた人たち…そういう視点から、この人は絶対外せないだろう、とセレクトするにあたり、まず浮かんだのがこの里見さんです。

 

若い頃から時代劇を中心に活躍されてきたようですが、自分が映像で見る限りで、最も古いのはおそらく「大岡越前」の火消し・政吉役でこれが1970(昭和45)年で、当時33歳頃と思いますが、後のような主役ではなく、2番手でもなく、もっとあとの位置づけでした。その頃くらいに里見浩太郎から浩太朗へ改名されています。

大岡越前のレギュラーは「水戸黄門」の合間に務める形で最初の3部まで出演し、2部終了後1971(昭和46)年に水戸黄門第3部の2代目「助さん」役に抜擢され、杉良太郎さんに代わって務める事となります。その次の大岡越前までは務めますが、以後は水戸黄門のみレギュラーとなっていきますが、個人的にリアルで見た一番最初はこの助さん役でした。

その後並行して現代もので「特別機動捜査隊」の主任役として回替わりで主役を務める事となります。また1974(昭和49)年から「大江戸捜査網」でやはり杉良太郎さんの後任の形で主役を5年間務める事となります。

1979(昭和54)年に5年間務めた「大江戸捜査網」を松方弘樹氏へバトンタッチし、「長七郎天下ご免!」に主演します。駿河大納言卿忠長の忘れ形見「長七郎君」という偉い男でありながら自由闊達に生きる正義漢の役どころで、それまでも主演してきていましたが、時代劇スター的な地位を確立したのは水戸黄門であり、また主役としてそのイメージを大衆に与えたのがこの長七郎を演じたあたりからだと思います。40歳を過ぎてから本格的に花開いた、そんな感じがします。

彼の出演する作品は長く続くものが多く、「長七郎天下ご免!」も2年半続き、その後は1982(昭和57)年から「松平右近事件帳」続いて1983(昭和58)年「新・松平右近」で、同じような役どころですが普段はやぶら小路のやぶ太郎として「やぶさん」と呼ばれる医者に扮しながら徳川家斉の弟という役どころで、「すごい偉い方だけど市井の人間として暮らす正義漢」というイメージが完全に定着し、水戸黄門では主役ではないのでセーブせざるを得ない動きなども、主役作品では舞うような鮮やかな殺陣や納刀など、存分に見せつけてもきました。

そして1983年からは「長七郎江戸日記」で局を変えながら、また松平長七郎を演じる事となり、これも間を挟みながら1991(平成3)年まで3作続くロングランヒットとなり、その頃には55歳になろうかという頃でした。悪の屋敷に乗り込み、殺陣の前の「俺の名前は引導代りだ、迷わず地獄へ落ちるがいい」など独特の「口上」も人気のひとつでした。

水戸黄門だと悪は観念して土下座するのですが、長七郎は身分を明かしても悪が刃向かってくるのも大きな特徴でした。そして長七郎はカッコよく殺陣をこなしてカッコよく納刀でキメる訳ですが、いつも一緒に三宅宅兵衛(下川辰平さん)がナイスファイトをしている事は忘れないであげてほしいと思います。

里見さんは「長七郎江戸日記」のスタート時には、既に押しも押されもしない時代劇スターにのし上がっていましたが、それでもまだ「水戸黄門」の助さんは遺族出演していて、ここではあくまでも主人公の黄門様を立てる役回りに終始していました。降板の話もあったようですが、スタッフからの強い慰留でなかなか降りられず、1987(昭和62)年まで約16年の長きにわたり「助さん」を務め、降板時には50歳になっていました。

「長七郎江戸日記」の合間に同時間帯でやはり2作放送されたのが「八百八町夢日記」で1989(平成元)年と1991(平成3)年にそれぞれ1年間放送されました。ここでは榊原主計頭忠之という北町奉行にして「夢さん」というやはり市井に生きる男を演じ、ねずみ小僧を演じた風間杜夫さんとのダブル主演的な形で話題を呼びました。クライマックスで悪の屋敷に乗り込む時に「夢」と書かれた鉄扇を投げつけるのが定番でした。斬る時の口上が「人の命を弄んだ貴様らに、もはや見る夢などないのだ」というものでした。

 

やはり同じ時間枠で1993(平成5)年に放送されたのが「闇を斬る・大江戸犯科帳」でした。この作品は短期で終わりましたが、この終了時には既に57歳で、さすがにハードな殺陣は厳しいだろうと感じました。

時代劇ってアクションドラマだし、殺陣以外でもこのドラマで里見さんが走っているシーンがあって、すごい元気だなと後から見て感じました。数ある彼の演じるヒーローの口上の中でも、この作品のものが個人的に最も好きでした。悪党どもに「証拠はあるのか」と迫られると、「やかましいやぃ悪党!闇奉行の俺に証拠なんざ要らねえんだ!」と真っ向からねじ伏せます。ここでは闇奉行こと一色由良之助という男を演じていますが、堅物奉行の小笠原として西郷輝彦さんが扮し、ここでもダブル主演的なキャストがウリでしたが、立場の違う2人の対照的なキャラクターもまたウリでした。

その後還暦を過ぎてからどのように活躍されるのかと思ったら、まさかの「水戸黄門」復帰でした。助さんを演じた俳優が後年、黄門様を演じるというのは快挙であり、元助さんだけあってか、殺陣も元気で強そうな風格ある黄門様でした。

現在85歳の里見さん、これからもどんな活躍をみせてくれるのか楽しみにしています。

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