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音楽

2010年4月21日 (水)

今日は何の日 (1975.4.20)

今日は何の日60年代・70年代プレイバック ~忘れられない今日がある~ 毎日更新

1975年(昭和50年)4月20日(日)のニュース
『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』が発売

『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』が発売

日本レコード大賞作曲賞の『思い出ボロボロ』などで実績のあった宇崎竜童は、1973(昭和48)年にダウン・タウン・ブギウギ・バンドを結成。4月20日に発表したのが『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』、作詞は妻でもある阿木燿子。
大半が、ロック・サウンドをバックにしたセリフで構成されている。同年6月から7月にかけ5週連続オリコンチャート1位となった。
この年の紅白歌合戦に初出場し、日本レコード大賞の企画賞を受賞した。

(写真提供:SANKEI/Getty Images)

 
 

1975年4月20日、「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」が発売された日だそうです。ってもう昨日になってしまいましたが…

この当時って、レコードの発売日は1日とか5日、21日とかって割に決まってたような印象があります。この曲って当初「カッコマン・ブギ」がA面ではなかったか?と思うのですが記憶違いでしょうか??

なんといってもこの曲は「歌であって歌でない」そんな曲ですね。ロックのリズムの中に竜童さんのツイート、いや呟きが延々と展開されるという。刑事の聞き込みのように人が訪ねてきて、1年前だと分からないだとか、3月前まで居た筈だとか、どんどん時期が近くなって、最後はたった今まで座ってた、ってとこまでいくんですよね。

そうそう、この曲をカラオケで歌いながら(喋りながら)いつも思っていたのは小さな子犬を拾った晩に…、って出てくる部分。大きな子犬はおるんかい??って訳の分からんツッコミをしておりました。

ダウンタウンブギウギバンドは宇崎竜童さんの独特の歌唱からカタカナ演歌なんて言われてましたが、バリバリロックのカッコイイ曲や切ないバラード、ハチャメチャなコミックソング、呟き、一人芝居のようなドラマ調の喋り等々、同じ人か?思うほどバリエーションに富んだ楽曲が世に送り出されています。この「港のヨーコ…」のような歌わない呟きの曲も、彼なればこそサマになる訳で、他の歌手で同じ事をされても、なんだろな??と思ってしまいそうです。

そんな竜童さんの呟き歌唱が堪能できる他の曲がコレ→「商品には手を出すな」

不思議と歌らしく聴こえるんだからスゴイですわ。。。

2010年3月11日 (木)

卒業ソングで思い出すのは

リンク: 卒業ソングで思い出すのは.

この曲です。

http://www.youtube.com/watch?v=NdoPuSngKvs&feature=related

隠れた、埋もれてしまった?!卒業の名曲、タイトルもまさにそのものですが、、、

倉田まり子さん「グラジュエイション」!

1979年という微妙な年代?!のリリースもまたよしです。

2010年2月22日 (月)

わが心の…、、太田裕美さん

何を隠そう、って隠しませんが太田裕美さんの歌が大好きです。

我々よりもう少し上の世代の方にファンは多いのでしょうが、ある時聴いてすっかりハマってしまいました。それはもう彼女がアイドル的活躍をしていた頃から長い年月が過ぎた1996年頃の事でした。リアルタイムでも多少その存在は目にした事があるのですが、その頃はなんとも思っていなかったのに、大人になって聴いてみたら、なんとも言えない癒し感というか、それだけじゃないとにかく自分の中でハマってしまったのでした。

アイドルとニューミュージックをつなぐ存在、などとよく言われますが、
やはり「木綿のハンカチーフ」のイメージを持たれる方が多いのでしょうか、一般的には。でもホントにいい歌が沢山あり、その歌唱によってまた一段と歌がよいものになっているなと感じるのです。

好きな曲を挙げろと言われたらキリがありませんが、とりあえずここでは「木綿-」でブレイクする前のシングル3曲について触れようと思います。

「雨だれ」(1974)→http://www.youtube.com/watch?v=q5E5bG9n8Mc&feature=related

記念すべきデビュー曲で、コンサートではオープニングで歌われることも多く、彼女の弾き語りのイメージの色濃い、ひとつのトレードマークのような曲です。

コンサートの冒頭で出だしのピアノの「♪タララン~」という部分が聴こえたら、観客は「おぉーっ!」ってなモンです。

独特の舌足らず歌唱で情景を思い浮かべさせてくれる、そんな曲です。今の時代のようなチャラチャラしたところの全くない世界が幻想的とさえいえます。

「たんぽぽ」(1975)→http://www.youtube.com/watch?v=u5h4UqOJNbs&feature=related

聴き始めた当初は正直「雨だれ」と混同してました。その後コンサートのオープニングで頻繁に聞くようになってから「雨だれ」の方は覚えたのですが、この「たんぽぽ」の方は自分にとってはいまひとつ印象の薄い曲です。同じく弾き語り路線の2枚目シングルです。
「あなた」に対して「ですます調」なところにも時代を感じますし、また今聴くと固定電話しかなかった時代の連絡のとれない寂しさが妙に伝わってきます。

「夕焼け」(1975)→http://www.youtube.com/watch?v=FxkHSQSk0AM&feature=related

大ヒット曲「木綿のハンカチーフ」前夜の?!3枚目のシングルです。それまでのような弾き語りバラードではなく、出だしは淡々としたものですが、サビのところではややアップテンポになっていく「陽」の部分も垣間見せた曲です。後付けで聴いてなんなんですが、これからまだ上り坂だ、という印象を受け、次の「木綿~」のヒットに結びついていくような展開を感じました。歌いだしとサビとこの3曲の中では個人的には最も好きな曲です。

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皆がPC画面を通してこのような曲を聴けるなんて、全くいい世の中になったものです。まだまだ好きな曲がいっぱいupされているので、もっとレビューしたいと思います。

マイ・オーディオ史

ってタイトルつけるほどの事もないんですが、先日コンポを買い替えたもので、これまでのラジカセ(古)の所持/買替えヒストリーなどを書いてみたいと思います。

初めて持ったのは12歳の時、時に1983年、小学校卒業時に親から借りる形で譲り受けたものです。ラジオの英語講座を聴きなさい、と言われて譲り受けたのですが…
それはそれで勿論やっていたものの、こういうものを持ったからにはやはり「新しい世界が見えてくる」、というもので、ラジオのDJなんかをよく聴いたものです。部屋にはテレビがなかったので(当時の子どもにはごく当たり前ですが…)、ラジオがテレビのようなもので、あとはカセットテープもお気に入りの「太陽にほえろ!」のサントラを文字通り擦り切れるほど聴いてました。

当時もっていたものは既になく、このラジカセではないのですが、当時のものに近い分のお写真お借りしましたちなみに親は1980年にはそのラジカセを持ってました。

当然のようにリモコンはありません。カセットひとつとラジオだけで今から考えるとものすごい大きさでした。ラジオのチューナーはつまみで合わせるやつで、カセットのボタンがやたらゴツかったです。再生のやりすぎで、ついにはボタンが吹っ飛んでしまいました

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1986年、高校入学と同時に親からラジカセを「買って」もらい、一応初の自分の持ち物としてのラジカセがこんな感じでした。これも正確なものが探し出せず写真借り物ですみません…。

念願のダブルカセットです。これまでダビングがしたくてもままならなかったのが、なんときれいな音でダビングできる事!と感動したものです。カセットのEJECTを押した時にゆっくり開くのもいい感じでした。前のは押すと瞬時にパカッと開いてましたから。

それとこの代のラジカセになって画期的だったのは、TVが聴ける事でした。前述の通りTVが部屋にないので、面倒な時はTV見ずに聴いてました。あと夜遅く見てたら怒られるので、自分の部屋でこっそり「聴いて」たりとか…。それのみならず、TV放送をきれいな音で録音できるようになりました。これも前のラジカセの時はあんなでっかいのをTVに近づけて、マイクをつないでTVのスピーカーに近づけて音を拾ってたのです。当然その録音中は無言です。周りで音が発生すると完全にかき消されてもしまいます。ビデオがある家庭の方が珍しかった頃は、こうしないとTV番組の保存はできなかったので。周囲の音を気にせずにTV録音できるようになったのは大進歩でした。
Img600x4501

 

高校を出て一人暮らしをはじめた大学時代も上のラジカセは一緒に連れて行きました。まぁその頃は別にCDプレーヤー(昔はCDプレーヤ単体でありました)も買い足して一緒でしたが、これはスピーカーもなく、ヘッドフォンをつないで聴いていました。

で、CDラジカセなるものが出回るようになった事もあり、1989年19歳の時に、ついにCDラジカセ(これもイメージです、すみません。Panasonicのこういう感じというところまでは合ってます)を買いました。その買った店はCDレンタル&電器店という形態で、買った後5回分くらいただでCDレンタルができました。もうその店は跡形もなくなってしまっていましたが…

何よりCDがそのまま聴けるのが大きかったです。CDプレーヤ単体では、先述のように音が聞こえないので、別にスピーカを買ってつけたりしていましたが何か違和感がありました。

この代のものは外に持って行ったりして、埃がたまったのか最後はかなり音も悪くなって録音もままならなくなっていました。
Img600x4502

 

その後1995年に初めてコンポなるものを買いました。念願のコンポです昔見たようなでっかいすごいコンポには憧れたものですが、この頃になるとそのようなものは逆に時代遅れだったようでした。これはちょっと写真が見つけられなかったのですが、高さは40cmくらいだったでしょうか。内容的に画期的なことは特になかったように思います。そうそうリモコンがついたのはこの代からかな、というところですね。

 

次がこの代、つい先日まで使っていたもので、これは1999年に買いました。

これは正真正銘、自分のものです。

CDが3枚入るのも当時は魅力でしたが、それはすぐに壊れてしまいました。実質2年持ったかどうか…、CDはそのうちPCで聴き、また取込むようになった事もあり使わなくなりました。

この代ではMDの録音再生ができるようになり、それが目的でもありました。カセットテープに録音していたものをMDに落とし込み、またMDに曲名を登録していくのも当初は楽しみでした(後で面倒になりましたが…)。
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そしてこの度、10年ぶりに買い替えたコンポです。

随分と小さい中に色んな機能をまとめられるようになったものです。カセット、CD、MD、ラジオ、そしてUSBも使えるというものです。一番の目的はUSBにカセットの音を落し込み、MP3ファイルにしてパソコンへ取込ませる事です。テープは擦り切れたら終わりなので、これはどうしてもしておきたいと思って。既に録音後10年以上経つものが殆どです。一部PCにつないで取込みしてましたが、ファイル形式のこともあり、いい音でとれずにいました。USBでMP3にするとだいぶいい音で撮れてます。

これが\29,800で買えるんだからいい時代です。昔はラジカセだけのものでもデカくて高かったような覚えがありますが…。

まぁしばらくはこの機にふれ合いたいと思います。
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2010年2月11日 (木)

中村雅俊シングルを聴く

先日、コンポを買い替えまして、USBメモリにカセットテープからMP3へ変換できるものにしました。

でもって、今テープ→USB→PCへと落とし込みにはまっているところです。

昔テープで録ってそれっきりにしているやつを片っ端から引っ張り出していますが、そんな時手を止めて聴き入ったのが中村雅俊さんのシングル集。全曲ではありませんが、デビューの'74年から'86年までの主要な曲をテープに収めていました。

そこにあった曲…

●ふれあい(1974)
 デビュー曲にしていきなりオリコンチャートの1位に輝いた大ヒット曲。役者としても主役デビューと申し分ないスタートを切った人だなと改めて思わされます。そのデビュードラマ「われら青春!」の劇中でもこの曲が流れていた事がありました。切ないような暖かいような名曲です。

●白い寫真館(1974)
 女学生なんて言葉が普通に使われていた?!時代だったのか、トーンが低くあまり目立たない曲ですが、初恋が散った切なさがしみじみとほのぼのと伝わるかなり名曲です。


●いつか街で逢ったなら(1975)
 松田優作さんとの共演で話題になった刑事ドラマ「俺たちの勲章」の挿入歌です。緩やかな風が流れていくようなメロディーは吉田拓郎氏によるもの。この街であった色んな事を淡々と歌い連ねていきます。


●俺たちの旅(1975)
 中村雅俊という俳優のイメージを決定づけたドラマの同名の主題歌です。教師役でデビューしてその後大学生役とは…という感じですが、歌詞に夢というフレーズが出てきて、主人公の夢と重なる気がします。


●俺たちの祭(1977)
 これも同名ドラマの主題歌です。「~旅」では夢や希望に満ち溢れた面が前面に出ていましたが、ここでは少し年齢も上がり、挫折もそれなりに経験し、というドラマの作風もまるで違い、曲としても何かはかなげなものを感じ、ドラマのコンセプトと一致してるように思いました。メロディーは割に淡々としたメルヘンぽさも感じます。


●青春試考(1978)
 試考というのは辞書では見つからず当て字と思われますが、一見意味のよく分かりそうな感じに見えます。色んな事を手探りで考えてみて、というような。再び教師役に返り咲いた「青春ド真中!」の主題歌ですが、タイトルがズバッとした感じながら曲は割に淡々としたメロディーで「青春」というものに対する向き合い方を歌っています。

●時代遅れの恋人たち(1978)
 「青春ド真中!」に続いて教師役の「ゆうひが丘の総理大臣」の主題歌です。全面的にポップな曲調で、ドラマの明るくノーテンキな主人公「ソーリ」のイメージにぴったりといった感じになっています。人とのつながりや流行廃りに合わせない等今聴くと考えさせられる部分が多く、この曲に出てくるような生き方がしたいものだとも思ったりもします。


●「日時計」(1979)
 「ゆうひが丘~」の挿入歌ですが、劇中であまり聴いた覚えはないです。美しいそしてせつない情景が思い浮かぶ佳曲です。長いこと人を待っている自分が日時計になってるという今ではこんな長く人を待ち続けることができるでしょうか?場合によっては犯罪といわれる、かも?!いや、でもいい曲です。


●激しさは、愛(1979)
 円広志さん作詞・作曲という意外なナンバーで、メロディーはスローで淡々としていますが、歌詞はかなり肉食系男子っぽいです。やはり主演したドラマ「われら行動派!」主題歌で、個人的にはこのドラマが彼の最後の青春ドラマだと思っています。


●マーマレードの朝(1980)
 あの、後に「恋人も濡れる街角」を送り出した桑田佳祐さん作詞作曲で、冒頭は英語詞が歌い連ねられていきます。壮大なサビを迎えるスローバラードといったところでしょうか。映画「刑事珍道中」主題歌でアフロ全開のヘアスタイルが印象的でした。この辺りから独特の歌唱が定まってきたように思います。あ行の言葉をは行にする、みたいな。


●表通りは欅通り(1981)
 派出所の班長を演じた「俺はおまわり君」主題歌です。このドラマも青春ドラマといえなくもないですが30歳になり、この頃より髪が短くなり大人の風貌を漂わせてくるようになってきました。街の朝や晩を淡々と描いたポップですが、この時期までヒットには恵まれなくなっていました。「ああ」というところを「あはん」と独自の歌唱が聴けます。


●心の色(1981)
 大人の俳優・中村雅俊として大成後に初めて飛ばした大ヒット曲。ドラマ「われら動物家族」の主題歌で、歌番組にも多く登場しました。って私がこの方の存在を知ったのはドラマではなく歌番組で、この曲のヒットによるものなのです。


●恋人も濡れる街角(1982)
 桑田佳祐氏作によるヒット曲。この曲でも歌番組によく出演していました。同名のドラマは6年後に作られ、やはり主演しましたが、関連性があったのかよく分かりません。

●日付変更線(1985)
 刑事ドラマ「誇りの報酬」の主題歌。幸せを待ったり悲しみを追ったりなどせず、必ず来る明日に期待しようよ、という曲でしょうか。目の前の水溜りも晴れやかな青空に変わるのだと。初め淡々として壮大になっていくメロディー。


●想い出のクリフサイドホテル(1986)
 前作に続く「誇りの報酬」主題歌。こちらはシティポップス調で、ドラマのコンセプトにはあまり合わない気がしましたが…。はかない恋を笑い飛ばせない男の姿が浮かびます。


またまた長々レビューになってしまいました…