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25滋賀県

2017年2月24日 (金)

滋賀/湖南 石部宿を往く!

滋賀県湖南市、JR石部駅からの歩き旅です。

(2016年7月当時)

●駅からの道

これが実質的な石部駅の駅前通りで、駅前広場を抜けると、この通りを進んで街へ出る事となります。中心地は少し行った先の為、この辺りは駅前感は希薄です。この辺りだけ見て「石部は何にもない」と思うのは早計で、少し歩いて宿場町を堪能する、これがここの基本的な楽しみ方だと思います。

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●県道118号

「湖南市 石部」の標識が立つ県道118号は「石部停車場線」ということで、石部駅周辺のわずか1.0kmの短路線です。

石部駅前の通りからは左へ折れていくとこの道で、これを向こうに進んで行きますが、まだ単なる幹線道という感じであり、駅前感はやはり希薄であり、宿場の雰囲気も全く感じられない状態でした。

この辺りで石部駅からの距離にして100mあまりです。

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●分かれ道へ

この辺りで駅から400mというところでしょうか。

直進するのと右折するのとで辿り着く主要施設が異なる事となります。

「石部町役場」と旧自治体のままになってるのがいいですね。

ともあれ、主要施設への標識が出てきたという事は、中心地街もそう遠くはないな、、と確信できた瞬間でもありました。ひと口に「駅から400m」といっても、初めて来る知らない街を駅から400m歩くというのは結構なものです。ましてやろくに何もなくて、この先何かあるのかな?と思いながら歩いていると尚更です。

一応、石部宿の街並みは駅からどのくらい距離があるのかくらいは調べますが、「少し離れている」ぐらいの情報に留めています。よく調べれば安心できるのですが、それよりも予備知識なしに出くわす光景に感動したい気持ちも強いので、基本的に必要以上のリサーチはしない事にしています。どうしても行っておきたい場所がある場合は別ですが。

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●石部町住居表示案内図

石部町といってもその中で、石部西一丁目から三丁目までの表示がされています。

この地図では北が右下になりますが、石部駅が真ん中の下の方にあって、これを赤い線に沿って矢印地点までが、ここまで辿ってきた道のりです。この地点で石部駅から500mほどで、逆に市役所西庁舎までバス停ひとつ分です。

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●西御旅バス停

上の写真の住居地図のある辺りの角のバス停です。全くの角っこにあってすごいなと。普通曲がり角の何m以内にはバス停を置かないとかなかったでしたっけ。

これは石部駅行きのバス便な訳ですが、結構本数が多い事に驚きました。この辺りにしては1時間に3本もある時間帯などもあり、これはすごいなと。1日に片手で数えられるほどしかなくてもおかしくない、と思ってましたので。数えてみると27本もありました!ただし休日になると激減し、ほぼ1時間に1本で、本数にして12本、半数以下になってしまいます。この時も結局、バス便の時間があまりあてにならなかったので、全編歩き旅となったのでした。

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●大峯

和風建築っぼい雰囲気満点のお店で、「石部の里 大峯」とありました。

和食単品料理を中心に会席料理やセットものもラインナップされているようでした。→コチラ

アクセスとして石部駅から徒歩5分とありましたが、駅からここまでは10分では済まなかった気がします。勿論写真撮りながら立ち止まりながらというのもありますが。とにかく駅から歩いてきてようやく、この辺りで明確な飲食店を見つけました。駅前コンビニなどあるはずもない状態でしたから。

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●見えてきた!

ハッキリ街らしい景色が見えてきました!

真ん前は年季の入りまくった喫茶店ですが、その向こうには「平和堂」の建物が見えてきて、いよいよ中心地が見えてきました。石部駅から1km近くになるようです。やっと来た、という感じでした。

2008年初訪問時は石部駅の前をちょっと歩いただけで、こんな景色のカケラも目に飛び込んでこなかったので再訪して良かったなと。ある程度その為に再訪した訳ですが。

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●石部文化ホール

上の写真の交差点を右折してすぐ、その角の部分にある石部地区の多目的ホールで1990年にオープンしています。アクセスとしては石部駅から徒歩15分となっています。

席数は502席とあり、歌手のコンサート等は確認できませんが、熊本へ送るチャリティーコンサートとかその類のものは行われているようです。

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●湖南市役所西庁舎

石部文化ホールのほぼ隣といっていい位置にこの分庁舎があります。

湖南市では、西庁舎・東庁舎という方式で並び立っていて、この西庁舎は旧・石部町役場で、東庁舎の方は旧・甲西町役場と、互いに元町役場の形となっています。建物が役場っていうよりマンションみたいでした。

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●地図

石部地区の地図ですが、左上に石部駅があり、その下にピンクのラインが左上から右下にかけてほぼ線路と平行に通っていますが、これが旧東海道です。

楕円囲みで各所の位置が示されていますが、それらは結構バラバラでまさに「点在」という状態で、旧東海道沿いだけ歩いてもなかなかの観光になります。

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●愛宕大神

石部には「あたごさん」とよばれる愛宕神社祭があり、地域内に数多くのこのような愛宕神社があります。宿場通りの脇にも多くの神社があり、神がかった?側面も強い町という事を感じました。

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●石部中央

という交差点の角にはちょっとしたスペースが設けられていて、ミニ公園的な感じになっています。いよいよ石部宿の雰囲気が味わえるエリアへやってきました。ここはその象徴的な場所といえ、色々と絵や写真や説明板が設けられています。東海道五十三次51番目の宿駅として栄えた石部宿です。

で、ここには高札場跡であったり、石部城跡であったり、安眠米倉庫お半長右衛門といったものの案内板があります。

石部城…元々は文明年間(1496-87年)に三雲氏によって築かれたとあり、1530年頃に築城され1573年に廃城となったとの事ですが、石部氏という一族が約40年間治めていたといわれています。三雲というのは石部の隣の駅名であり、これらの氏族から地名が取られていった様子が窺えます。城址は現在、善隆寺というお寺の境内にあります。

安眠米倉庫…1880(明治13)年に当地の服部善七(1825-83)という江戸帰りの商人が創設した制度で、稲の植え付け時に食べものない農民に安眠米(救済用のお米)として1農家に1俵貸し付け、収穫時に5升年貢徴収するというもので、その米を備蓄していた倉庫でしょうか、この時服部善七は玄米165俵を寄贈したそうです。貧農を助けた制度であり、周辺からも高く評価されたといいます。

お半長右衛門…簡単に言えば不倫心中の話ですが、なれ初めは京都の帯屋の主人が丁稚に言い寄られた女性をかくまった、というとても美しい話で、石部宿に伝わる悲恋物語だそうです。

ちなみにこのエリアは徒歩では15分ほどで、徒歩でもじゅうぶん行けますが、バス利用の場合は殆ど便数がないのでよく見ないと利用は厳しいです。先にバス停の写真で便数が多い事を書きましたが、これは石部駅の隣のバス停でいろんな路線が走っている為です。ただし市役所の「西庁舎」前のバス停であれば、同じ多くの便数がある為、ここから徒歩で数分というアクセスでここへ来ることも可能です。この時もそうでしたが、夏の暑い時に何という景色のない中を歩くのもなかなか辛いと思い、これを追記した訳です。

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●石部宿の街並み

旧東海道とされる宿場町の面影をようやくここで辿れました。

東海道51番目の宿駅である石部宿は、京都からちょうど1日の行程に位置し「京立ち石部泊まり」といわれており、本陣2件旅籠32件があったといいます。宿場町の成立は諸説ありますが、1601年とされています。江戸時代末期に時の将軍がここに宿泊しており、14代家茂、15代慶喜と立て続けに上洛時に利用しているとの事です。

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●昔の看板

宿場町の通りに昭和の看板、素晴らしい組み合わせです。

いつも思いますけど、車に顔のついた看板は主にいつ頃頻繁につくられていたのでしょうか?やはり昭和40年代かな??などと。

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●更に宿場町の街並み

細々と営業しているお店、シャッターがおりたままの元商店?等色々な顔が見られます。

かつてはこの通りは人で賑わっていたのだろうか?と妄想してしまいますが、平成の初めごろは?昭和50年代は??この通りのお店がどのくらい営業していて、どのくらいの人が行き来していたのか?なかなか知る事ができないので妄想するしかないかなと(笑)

やはり全国規模のスーパーチェーンやコンビニの進出で、時代は変わったなという事を思い知らされもします。昔は「〇屋さんで〇〇を買って、その次に□屋さんで□□を買う」時代でしたもんね。便利にはなりましたが、地域密着感が薄れてしまって。

時が止まったかのような佇まいを感じる湖南市石部の町、JR石部駅から徒歩約15分で行き着くので、これを見て行こうという気になった方が居られれば幸甚です。

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2017年2月19日 (日)

滋賀/高島 近江今津 琵琶湖周航のまち

滋賀県高島市、JR近江今津駅からの歩き旅です。

(2016年10月現在)

●駅前庭園

この近江今津駅に初めて来たのは1999年4月の事で、以降駅ホームに寄る事はあったものの、なかなか外へ出る機会がなく、この時17年ぶりに駅外に出る機会を得て、ようやくこのように記事としてあげる事ができるようになりました。

駅前広場は床面の整備された歩道エリアが広く取られていて、こういう花壇であったり、他にも色々広いスペースがあります。

高島市で最も利用者の多い駅であり、それらしい雰囲気は漂っています。人が絶えず流れ歩くという感じではありませんが。

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●風の船

古より今津の地に根づく座禅草と、琵琶湖からの空気に敏感に反応してかすかに震える水を象徴的に石船で表わしたもの、とありました。これも駅前のフロア一帯でのカットです。

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●琵琶湖周航の歌

の誕生の町として、この今津は知られています。♪わーれーはうーみの子…というやつです。

滋賀県のご当地ソング的なもので、歌として成立したのが1917年、つまり今年でちょうど100周年を迎える訳ですね、ちなみにレコーディングされたのは1933年だそうです。作者である小口太郎という人物が琵琶湖の漕艇中に歌詞を思いついた といいますが、戦後には多くの歌手に歌われて、1961年のボニージャックスに始まり、小林旭、ペギー葉山といった歌手までがこの曲をカバーし、1971年の加藤登紀子版は70万枚以上を売り上げたといいます。

この曲の作詞の小口太郎という人物と作曲者の吉田千秋という人物は、互いを知らず、また両者とも20代の若さで亡くなっています。

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●バスのりば

近江今津駅前のJRバスのりば周辺の様子です。

この時ここのバスを利用して、福井県は熊川宿の方へ行っておりました。熊川宿はここから東へ10kmあまり、福井県若狭町という滋賀県と福井県の県境にある宿場町の面影が強く残る街並みのあるとです。

このバスは福井県の小浜行きのバスですが、途中で熊川へも停車し、頻度的には1時間に1本はある状態です。このルートで主要な地といえば、熊川と上中、そして小浜といったところでしょうか?ちなみにここから熊川まではバスで約30分、800円です。

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●ローラン名小路

名小路は「なこじ」と読みます。

1999年に来た頃は、これと平行に通る駅前の普通の通りしか歩かなかったので、駅前広場を抜けたら突如現れるこの通りの存在に気づきませんでした。

この辺りでは唯一のアーケードつき商店街ではないでしょうか。あまり長く続いた通りではなく、また人通りもそれほど…な感じでした。ただ、通りの有線は最新曲が流れていました♪

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●今津マンホール

高島市となる前の「今津町」の頃のマンホールです。

先述の、この辺りに群生する「座禅草」と町の鳥である「ひばり」とが描かれていますが、国内では座禅草の自生地としては南限地という側面もあります。

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●駅前会館

冠婚葬祭セレマ、でお馴染みの「セレマ」の今津駅前会館です。

密葬・家族葬の会場として主に使われ、またイベントが行われたりもしていて、単に斎場的なものだけでなく、もう少し広い目的で使われているようです。

この辺りは昔訪ねた時は、パチンコ屋が複数軒あるのみ、という印象しかないのですが、多分この建物は1990年代にはなかったと思われます。

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●銀玉

とてっぺんに記されているのがすっかり色褪せてしまっていますが、表には「TEA&SNACK」とありました。どうやら60年代の建物だそうですが、今津のこの当時この辺りは栄えていたのでしょうか?

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●突然の怪獣

近江今津の駅前、西側をずっと歩いていたところ、突如として現われたこの怪獣?、台座があったので、見ると「びわ湖タワー」とありました。

びわ湖タワーとは、かつて滋賀県内(大津市堅田)にあった大規模遊園地で、2001年に廃業してしまいましたが、この怪獣はその園内にあった一体だそうです。昭和レジャーの典型的施設だったと思われ、管理人も幼少期にその名を聞いた事がありましたが、やはり時代は進んでいくものなのですね。それまで当たり前にあったものが、徐々に時代とマッチせずにやがてはなくなっていく、その悲哀を感じずにはいられませんでした。

滋賀といえば「びわ湖わんわん王国」ってのもありましたね、行きたいと思ってチケットを先行で買ったものの、遂に行けずじまいでこれも廃業してしまっていました。

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●交差点

近江今津駅から200mほど東へ進んだ所、駅前東側最初の交差点になります。

左側にはギフトのシャディ、右側にはローソンがあります。しかし、西側に関してはこれ以上進んでも何も無さそう…と思い始めた瞬間でもありました。初めてここへ来た1999年当時もパチンコ屋2軒ほどを除いては特にこれといったものを見つけた覚えのなかったこの方向には、きっとこの先も特にないのだろう…と思い、この地点で引き返しました。

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●近江今津駅周辺図

駅側に戻ってきて、付近の地図を。しかしかなり色褪せていて、いつ頃につくられたものなのでしょうか?

左下の理容室の看板など、人の顔が白黒反転してて怖いです…。パーマをウリにしてるとこなんかも時代を感じますね。

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●西から東へ

近江今津駅方向へ戻り、右側の高架下を抜けると、駅東側へと移り、こちらは琵琶湖側となります。後で知る事になりますが、こちらの方がずいぶんと観光向きなんですね、17年まうに知っておけばよかったと思うばかりでした。駅舎の色も当時はレンガ色っぽかったのですが、今はグレーっぽいのですね。

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●手を挙げて…

東側へ転じて、ここは高島警察署前の交差点です。そしてその前に立っているのは手を挙げて立っている観音様風の像です。ちょうどこの真ん前に横断歩道がある訳ですが、完全にそのつもりで造られているのでしょう。(横断歩道では手を挙げて!って意味合いで)

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●琵琶湖周航の歌資料館

なんともダイレクトなタイトルの施設ですが、これも駅東側へ出てすぐの所、高島警察署の向かいにあります。

1998年に当時の今津勤労者センターを改装してつくられたそうです。

この時入りませんでしたが、入館は無料です。それにしても一曲の唄で資料館ができるなんてすごいですね…。今津の観光名所や特産品の紹介も行われているそうですが。

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●駅東通り

ちょうど左に「琵琶湖周航の歌』資料館」の前になりますが、通りの様子です。

駅を出てから琵琶湖までの短い距離の通りですが、歩道と車道の境には花壇やらの置かれた華やかな通りとなっており、西側とは違った雰囲気でした。17年前にはここへ寄らなかったので、この面には全く気付きませんでした。資料館もできたばっかりの状態だったのに…。

で、下側の写真は同じ通りにある「ひつじぐさ」です。未の刻(午後2時頃)に花が咲く事からこのように名づけられたとの説がありますが、「琵琶湖周航の歌」の原題が「ひつじぐさ」であった事から今津町ゆかりの花として育てられているといいます。沢山の鉢に水で埋められている中で、右端の手前から4番目の鉢には花がついています。

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●周航そば

駅西でなかなか見つからなかった飲食店でしたが、東側ではあっさりと見つかりました。

琵琶湖めぐりの乗船場の向かいにある「周航そば」の看板が出ている「ひょうたん亭」というお店です。時間があれば食べたかったのですがバスの時間もあったので写真だけ。琵琶湖周航の様子を蕎麦に表現したもの、という事で鴨肉なども入っています。

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●観光船のりば

近江今津の駅から東へ歩いて5分とかからない場所に、この琵琶湖観光船のりばがあります。

高速船で「竹生島(ちくぶしま)」への船が出ていて、便数は下の写真通りですが、9時台から13時台のうちで約1時間おきに1日計4便出ていて、乗船時間は25分、竹生島での上陸時間は75分という事です。料金は往復で2,590円と少し高いかなという感じです。

竹生島は琵琶湖の北部に浮かぶ島で、「神の棲む島」としてパワースポットの側面から注目され続けている島です。小さな島で、神社のみがあるくらいのようですが、ある神様が首を切り落としてできた島という事で、神聖な場所に足を踏み入れた、という感覚を得られるのかな?という気がします。

この時は人がズラズラ並んでいるという感じはなかったですが、どのくらいの竹生島での盛況ぶりか?をいつか現地で見てみたいですね。

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●乗船口

最後の写真になりますが、のりばのサイドから琵琶湖川を撮ったものです。1本の長い橋が続いていました。

のりばの建屋に入りたかったのですが、職員の方が表に居て、乗らないと入れない感があったので遠慮しときました。

できれば船を撮りたかったところですが、また実際に乗船してみたいと思います。竹生島へはここ今津行以外に長浜市の長浜港からも航路が出ていますので、そこから乗るのもありかな、というところです。

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2016年11月27日 (日)

JR石部駅・三雲駅 (滋賀県湖南市)

滋賀県湖南市のJR石部(いしべ)駅/三雲(みくも)の2駅をまとめてお送りします。

湖南市では甲西駅をupした事がありますが、今回はこの甲西駅を挟む市内の2駅という形でお送りします。

まずは石部駅から…

-JR石部駅
【路線】JR草津線(柘植-草津間)
【開業】1889年12月15
【訪問】初訪問-2008年5
【1日あたり平均乗車人員】 1,783人/日 (2014年)
【近隣の主要駅(柘植方面)貴生川駅→3駅
           (草津方面)草津駅→2駅

●駅名標

JR東海道本線の草津駅から分岐する「草津線」の駅で、以前お送りの甲西駅が隣で、更にもうひと駅隣が三雲駅で、当駅含めこの3駅が湖南市内の駅となります。元々は関西鉄道というところで、その創業時の駅として「草津-三雲」間の唯一の中間駅として開業したという歴史を持っています。

で、反対側の隣駅「手原」は栗東市の駅となります。その1つ向こうは草津駅(草津市)となり東海道線と合流しますが、東海道線でも栗東駅(栗東市)があり、栗東市の駅は草津駅を挟んで、飛び地的に存在する形となっています。

石部は宿場町として江戸時代に栄え、湖南市内の3駅(三雲・甲西・石部)中で最も宿場色の強い地です。

この駅の初訪問は2008年5月の事ですが、ここでの写真は2016年7月再訪時のものを基本的に載せていきます。

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●ホーム

2面2線のホームで、草津線の途中駅であり、市の中心駅でもなく、特にどうという事のない沿線中のひと駅ではありますが、少し歩けば宿場町の面影を味わう事の出来る「渋い」地だと思います。

市の中心駅ではありませんが、平成の大合併で湖南市になる前は、甲賀郡石部町唯一の駅として町の交通の代表的存在ではありました。

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●ホーム2

2面のホームはこの跨線橋で繋がっていますが、階段部分の下りている先が各々逆方向になっていて、対向ホームの屋根のついた部分は、かなり離れた位置にあります。

また、上の写真でも対向側(駅舎のない側)のホームに屋根のついた部分がなく、ほんの一部の椅子があるところだけが屋根つきのようです。

跨線橋は橋の部分の下を見てもかなり年季が入っているようでした。

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●駅隣接

しているコミュニティセンター内のカットです。駅の真横に並んで立っていて駅とは別棟ですが、殆ど駅構内といっても過言ではないレベルです。

石部が東海道五十三次の五十一番目の宿場町として栄えた様子を押し出しており、街道関係の地図もつくられています。その手のものが駅の中でこんな形で展開されています。草津線の途中駅の中では、なかなかこのように取り上げられている駅というのはないものです。

石部駅は東海道始発の「京」を出て1日の行程にあり、「京発ち石部泊まり」という言葉がある程、1日目の宿泊地として定番であったようです。またその当時、ところてんに黒蜜をかけて食べる方式を取り入れて、そのように食べる発祥の地ともされています。

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●石部駅前公園

位置的には駅よりコミュニティセンターの真ん前に立っている格好となりますが、このような立派な門でお出迎えしてくれる庭園があります。

草津線の途中駅にこんなものがあるとは!と驚きもしましたが、この中を入ると単なる植込みが並ぶ庭園で、特別にインパクトのあるものがある訳ではないです、わざわざちょっとした公園としてスペースがつくられて維持されているんだ、という視点で見た方が良いかな、というところでした。

向こうにある看板は、石部宿のちょっとした説明が手書きタッチで書かれているものです。宿場町としての側面は勿論ですが、かつては石部町の代表駅的な位置づけからか少しだけ「石部」の名が前面に出されいてる感じを受けました。

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●駅前風景

左側が石部駅前公園、その向こうの2棟の左側の和風の建物がコミュニティセンターで、右側の平たい屋根の建物が石部駅です。

コミュニティセンターといっても観光促進用の配布物があったり、また待合室的な性格も強く、そういう意味で先述のように駅内の一角といっても過言ではないというところです、建物が別になっているだけであって。

バスは両建物のほぼ中間、幾分コミュニティセンター寄りの地点に乗り入れてきます。近場のコミュニティバスを中心に運行されていて、さすがに長距離バスの類はここからは出ていないようでした。

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●石部駅 駅舎

上の写真でチラッと覗いて見えていましたが、石部駅の駅舎です。

この沿線は意外にも?!すべて駅舎があり、また建屋規模も形も個性的で、これまた意外と?!駅舎探訪のし甲斐があると思います。そんな中でもこの駅はかなりオーソドックスなつくりというか、見る者に特別なインパクトを与えるというものではないと思います。右側のレンガ調っぽい模様は少々目を惹きましたが…

右端に見える「石部駅」の表記は国鉄時代からのものと思いますが、真ん中の出入口の所にはJRの駅表示があります。

バリアフリー化や橋上駅舎化など様々な事が要望されているようですが、この先どうなっていくのやら…駅舎が変わるようであればまた見に行きたいものです。

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以上、石部駅でした。

つづいて、三雲駅です。

-JR三雲駅
【路線】JR草津線(柘植-草津間)
【開業】1889年12月15
【訪問】2008年5
【1日あたり平均乗車人員】 1,922人/日 (2014年)
【近隣の主要駅(柘植方面)貴生川駅→隣駅
           (草津方面)草津駅→4駅


●駅名標周辺

駅名標下部分が反射してしまい、隣駅表示が見えなくなってしまっていますが、甲賀市のキー駅である貴生川駅の隣駅となります。記事冒頭の石部駅は2つ隣で、この間に甲西駅があります。

駅プロフィール的には石部駅とほぼ同様で、やはり旧関西鉄道の創業当時からある駅で、石部駅と同時に開業しており、1880年代開業とかなり古い歴史を持つ部類の駅です。

管理人の訪問時も石部駅と同じ2008年5月で、石部駅は今年8年ぶりに再訪しましたが、ここはしていないので、upする写真は2008年当時のものとなります。特に大幅な更新状況も確認できず、今も大差ないだろう…と勝手に思っていますが、そう思って調べてみると、橋上駅舎化に向けて工事をしている模様です。これは新駅舎ができたら行かねば…となってしまいます。この年度末には橋上駅舎と南北連絡通路も完成予定、と湖南市長のコメントにありましたので。この記事での写真は、「当時の姿」と思って見て頂ければと思います。

利用者数も石部駅と大差なく、若干三雲駅の方が多いかな、という程度です。

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●ホーム

石部駅同様に2面2線で、両ホームは跨線橋で結ばれています。こちらは橋から下りている階段は互い違いではなく、同じ方向に下りていて、向かい側(右側、駅舎でない側)ホームの屋根も手前側にかかっています。

特に市の中心駅でなく、平成の大合併前は甲賀郡甲西町に属しており、そこでも町の中心駅は甲西駅の方で、湖南市3駅の中で旧市町制以来中心駅の経験がない駅です。

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●駅前交差点

駅の真ん前にキッチリとしたスペースがある訳ではなく、ここは駅から北へ20m程進んだ所にある、駅前の交差点周辺です。複数のタクシー会社ののりばがありました。

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●駅周辺

三雲駅を出て、上の写真の交差点を左折して西へ進むとこのような風景になります。

商店街の面影を残し、左側には接骨院があり、その向こうはカネボウ化粧品の昭和期から見かける看板が見えますが、ここは今も営業しているのか分かりません。商店がシャッターのかかったままになったり、更地になったり、駐車場やマンションになったり、かつての駅前のその後たどる姿は様々ですね。

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●ここも駅前

2枚上の写真のタクシー会社がこの位置で写っていて、これの引き版という形になるでしょうか。

右の建物の年季の入りようには目を奪われました。

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●三雲駅 駅舎

駅の前はこのような感じで、多少のスペースはありますが、駅前があまり広いとはいえず、

この駅のインパクトのある点といえば、出入口前の緑の厚い庇ですね。横から見ると分かりやすいのですが、駅舎からピョンっとせり出していて前側に支柱もなく、また建物の色と全然違うので余計にせり出している感が出ています。

なんでこんな色違いの肉厚な庇が飛び出しているのか?不思議な駅ではあると思います。建物は壁色もフォルムと妙に小奇麗という印象でした。

以上、三雲駅でした。

これで湖南市の駅はすべて当ブログの記事にあがりました。

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2016年7月 2日 (土)

JR膳所駅 (滋賀県大津市)

滋賀県大津市のJR膳所(ぜぜ)です

大津市では中心駅の大津駅をupしていますが、この駅はその隣駅となります。膳所と書いて「ぜぜ」と読む難読駅のひとつでもあります。

-JR膳所駅-
【路線】
JR東海道本線(東京-神戸間)
【開業】1880年7月15日
【訪問】2007年2
【1日あたり平均乗車人員】  12,623人/日 (2014年) 
【近隣の主要駅 (東京方面)石山駅→隣駅、草津駅→4駅
           (神戸方面)大津
→隣駅、京都駅→3駅

●駅名標周辺

東海道本線で西からやって来て、滋賀県で最初に入るのは大津駅ですが、当駅はその隣駅になります。

同じ文字が続く2文字だけの駅というのは非常に珍しいと思います。通津と書いて「つづ」と読む駅ならありますが…。

開業は実に1880年!というかなりの草創期であり、滋賀県内では最も古い駅で、全国でも19番目に開業した駅とされています。

ちなみに開業時の駅名は「馬場」で、途中で大津駅を名乗ったりもしましたが、再び馬場になり、1934年に現駅名になっています。それにしても「ばば」から「ぜぜ」とは、新旧駅名共に同じ文字が続く2文字だけの駅名であるケースはおそらく日本唯一でしょう。

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●ホーム

2面4線のホームを持っています。

大津駅の隣である事もあってか、新快速は停車せず、この両サイドの大津、石山の各駅は新快速が停車するものの、当駅は普通列車のみの運行となっています。

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●ホーム2

上の写真と反対方面のカットです。

これは2007年当時の様子ですが、現在は新駅舎の工事中で2017年度辺りに完成予定とか大津市HPはじめいろいろなサイトで見かけます。

橋上駅舎化するようで、今回当駅を記事に取り上げるまで、その情報を知らずにいたので、また暇が見つかれば現況を見てみたいところです。

新駅舎になると、こういう姿もまた貴重な写真になっていくのでしょうね。

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●改札外

膳所駅の改札を出た様子です。

この改札から駅を抜けて、50mも歩かない間に京阪電車の膳所駅に行き着きます。京阪膳所駅へはとりあえず改札を出てから、また入り直しとなります。

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●駅前ロータリー

「芭蕉 義仲 顕彰の街」とありました。

源氏の木曽義仲はこの地に葬られたとして、近くの義仲寺(ぎちゅうじ)というお寺があり、またこれより500年ほどの後、松尾芭蕉が度々この地を訪れ、生前の遺言によって、この地に墓が建てられたとの事です。このお寺へは行ってませんが、当駅から北へ徒歩約10分の所にあります。

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●駅前通り

駅前ロータリーから通りを眺めた様子ですが、左端には京阪膳所駅が写り込んでいます。

手前には「ときめき坂」なる標柱が建っていますが、この辺りはときめき坂商店街となっていて、「〇〇(店名)ときめき坂店」のようなところもあります。

狭い車道に車が行き交い、また歩道も広くないので、この時雨天だった訳ですが、そうすると傘も広げる訳で、狭苦しくて歩きづらい印象でした。

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●膳所駅 駅舎

手前にあるシェルター状?の曲線はタクシーのりばの庇で、駅舎の屋根ではありません。

大きな駅ではありません、といっても橋上駅舎化へ向けての工事中で、今はかなり姿も変わっていってるのでしょうか?

しかし長らく「ぜんしょ」と読んでいたのは自分の中での恥でした。実際、台所という意味での「膳所(ぜんしょ)」という言葉は存在します、変換しても出てはきませんが…。

この大津に都があった頃、歴史に名高い天智天皇の「陪膳(おもの)の所」(=食事をされる場所)という事で、それが縮まって膳所となったようですが、「所」の字を「ぜ」と読むのは当地と、奈良県御所市(ご「せ」し、ですが…)だけだそうです。

右端にある庇はずっと伸びていて、そのまま京阪膳所駅まで続いていく形となっています。

以上、膳所駅でした。

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2016年4月 8日 (金)

JR近江高島駅 (滋賀県高島市)

滋賀県高島市のJR近江高島(おうみ・たかしま)です

高島市ではJR近江今津駅をupしていますが、これに続いて2つ目の駅紹介となります。

-JR近江高島駅-
【路線】
JR湖西線(山科-近江塩津間)
【開業】1974年7月20日
【訪問】2007年7
【1日あたり平均乗車人員】 832人/日 (2013年) 
【近隣の主要駅 (山科方面) 近江舞子→2駅 
           (近江塩津方面) 
安曇川駅→隣駅

●駅名標周辺

現在の高島市の市名である「高島」を名乗る唯一の駅で、前所属自治体でも「高島郡高島町」と、生粋の高島であり、旧高島町は人口7,000人程度の町でしたが、その町の唯一の駅でした。

ちなみに「近江」を冠さない「高島駅」は岡山市にあり、近年まで岡山駅の隣駅でした。

琵琶湖西岸に沿う「湖西線」の駅で、もれなく高架ホームとなっています。

この薄っぺらい壁掛けの駅名標も、湖西線ならではですね。隣駅表示の下部分はきれいな青ではなく、ちょっとくすんだ感じだったりするし、色々な面において中途半端さを感じのは気のせいでしょうか、この湖西線駅名標。

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●ホーム

これもこの沿線ではよくある2面2線です。

どこも高価なので凄い大規模駅のように見えますが、他の設備的には最低限であったり、途中駅はどことも交わらない単一路線らしい部分を感じます。また、庇のあるエリアがそれほど長くない状態です。

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●降りてくる

高架ホームから降りてきての様子です。

全線高架の湖西線の駅は中身も広々としていて、規模は大きいです。あとはそこに人の賑わいがあるかどうかで、各駅の都会度?!的なものが計れるのかな?という感じです。

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●観光案内所

旧町の唯一の駅であり必然的に街のシンボル的存在だったと思われ、このような観光案内所もありました。湖西線では、観光案内所であっり、専門の売店であったり、とにかく何かしらこういうこじんまりした建物が、駅舎内にある、そんな印象もかなり強いです。

公衆電話なんてホントに使わなくなりましたが、携帯を持っていない方々にはまだまだ重宝するのでしょう。

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●駅前広場

近江高島駅を出ての様子です。

なんといってもこの右側のでっかいガリバー像に目が行きます!

高さ7.5mの巨大なガリバー像、船を引っ張ってお城へ向かうというガリバー旅行記の1シーンを再現しているといい、町おこしのために造られたといいます。

ちなみにここはガリバーメルヘン広場と名付けられています。

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●大きなガリバー

をアップで。やはり壮大感あります。

足が浸かってるこの池は琵琶湖をモチーフにしてつくられているそうで、さすがは滋賀県ですね。

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●近江高島駅 駅舎

高架駅で立派に見えます。

ただ高架の下に駅舎がある感が強いですね。沿線の大抵の駅にいえる事ですが。文で書くのが難しいですが、高架の部分と同じコンクリート色の駅舎で、それ以外の駅ビル的な部分も希薄で、高架の延長上で結果的に駅舎という建物が形成れている感というか…表現が難しいですが…。

手前の池にあるのはガリバーが引っ張っている船です。

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●駅前広場俯瞰

高架から駅前広場を見下ろした様子です。

まずこの光景が目に飛び込んできて、これはすごい駅に来たな、と思いました。何の予備知識もないままにやってきたので尚更でした。

この駅はこれだけ見に来るだけでもじゅうぶん価値があると思います。

ただ駅から5分ほど歩けば、城下町を思わせる街並みがあるという事で、この時はその事を全く知らなかった事もあり、行っていないのですが、今度行く機会があれば、是非にその辺りを見たいと思います。

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2016年3月 5日 (土)

JR大津駅 (滋賀県大津市)

滋賀県大津市のJR大津(おおつ)です

大津市は、滋賀県の南西端、琵琶湖西岸に位置し、人口は341,418人(2016.2.1現在)で、滋賀県の県庁所在地で、西暦667-672年の間は、近江宮として日本の都であった地です。

比叡山延暦寺や石山寺などの古刹も多く、国指定文化財保有件数は京都市、奈良市に次いで全国3位という意外な?!面もあります。

-JR大津駅-
【路線】
JR東海道本線(東京-神戸間)
【開業】1921年8月1日
【訪問】初訪問-1997年9
【1日あたり平均乗車人員】 17,653人/日 (2013年) 
【近隣の主要駅 (東京方面)草津駅→5駅 
           (神戸方面)京都
→2駅

●駅名標周辺

東海道本線で西からやって来て、滋賀県で最初の駅になります。県庁所在地の中心駅が県の端の駅になるというのは結構珍しいのではないでしょうか。

ちなみに西方面の隣駅は山科という京都市の駅ですが、その隣が京都駅という事で、京都府と滋賀県の県(府)庁所在地の中心駅が2駅しか離れていないのも珍しい現象といえます。

この駅に初めて来たのは1997年9月の事ですが、この記事での写真はすべて2013年再訪時のものです。

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●ホーム

2面4線をもつ地上駅ですが、両ホームは地下道で繋がる形となっています。

これまた県庁所在地の中心駅としては珍しいスタイルかと。

東海道本線にしか属しておらず、また通過するひとつの駅でしかない部分もあり、全部京都にもっていかれてる感もありますが、地味な印象がなかなか拭いきれないなという感じを持ちました。

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●歓迎看板

改札を出て駅出口へと差し掛かる所にあった歓迎看板「ようこそ びわ湖 大津へ」

大津びわ子なんてタレントがいた(かつて明石家さんま師匠がヤンタンを月曜日に担当していた頃に一緒に務めていた方です)ほど、大津とびわ湖は関係性の深いものがあります(笑)

そのびわ湖までは徒歩10分とあります。

この標識に違和感があるのは、上の3つが「〇〇 徒歩×分」なのに対して、一番下だけ「軽食・喫茶 2F」と唐突に建屋内の案内が出ているところで、何で急に軽食・喫茶の案内なんだろう?と思いましたね。

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●駅2F

大津駅名店街、観光案内所等が入っていました。

この写真は2013年当時な訳ですが、この翌年3月には老朽化もあり、市が運営撤退をしています。昭和50年の開業から40年経とうという頃で、空調設備も相当厳しかったようです。

そんな中、昨年末に駅リニューアルのニュースが飛び込んできて、今年10月のオープンを目指している、という事で、正直この駅2階は寂しげな雰囲気が強かったのですが、それが今後どう変わるか、楽しみです。

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●観光案内所

中途半端に薄暗い?観光案内所辺りでした。これが県庁所在地駅の駅舎内かと思う程で。

この駅は1Fの改札から出たら、そのまま出口であり、2F自体に駅設備的なものがなく、わざわざ2Fに行くか?というような感じで、どうしても通過してしまいがちになるのも分かると思います。これもリニューアルに期待したいものです。

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●ランチ

ここも駅2階ですが、そんな2階にはわざわざ行った訳です。

食べる所があって良かったな、と思い、少し遅いお昼を頂きました。

駅の2階にちょこっとこういう食堂がある、という駅もだいぶ少なくなってきた気がします。昔はあったけどリニューアルでなくなってしまったりで。

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●丸ビルたち

駅の真ん前には大きな丸いビルが複数あって、意外とインパクトがあります。

上から日本生命ビルと滋賀ビルです。

それ以外の部分が結構地味な印象を受けましたが…

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●大津駅 駅舎

2階建てのコンクリートでゴツゴツした駅舎で、一見高架駅舎に見えますが、地上駅舎です。

駅名表示の下で横長に和風の絵が連なっているのが独特の雰囲気を醸し出しています。

なんでも今、この駅舎は改装工事の真っ最中らしく、2階部分にレストラン・屋上テラス・カプセルホテルなどができるそうで、先に10月リニューアルを目指すと書きましたが、外観改修はこの3月に一応終了するのだとか。

通過される駅から、立ち止まる駅へ、という事のようですが、この「大津」という街、京都・奈良のようにもう少しクローズアップされてほしいものです。

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2015年12月31日 (木)

滋賀/野洲 野洲市役所までの道のり

滋賀県野洲市、JR野洲駅からの歩き旅です。

(2011年7月当時)

●ほほえみ乃湯

野洲駅の真ん前に「あった」日帰り温泉です。 ※すでに閉店しています

野洲には2000年に来て以降ほとんど来ておらず、多分この時が11年ぶりの再訪で「知らん間にこんなのできてるsign03」とこの時は思ったのですが、既にこの時閉店後2週間ほど経っていたようです。

冒頭書きましたが2011年7月の訪問で、正確には7月17日になります。で、ここが閉店したのが7月3日のようで、もう少し早く来ていればspaに浸かっていたのかもしれません。

JR利用者が1日13,000人を超す野洲駅前にあっても思うような集客が得られなかったのでしょうか、10年ほど営業していたようですが、この時閉店後でした。これ以来、ここを訪ねていませんが、駅前の様子はまた変わったのでしょうか…sign02

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●野洲駅前交差点

南口の駅前交差点です。

駅前広場を抜けてまっすぐ50mほど進んでからの交差点で、駅前の通りの最初の部分ではないです。

この町だと駅前で「野洲らしいもの」を見つけるのが困難かと思い(何度か来ていたのもあって)、とりあえず市役所方面へ歩いてみよう、という感じでこちら側を進んで行きました。

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●市役所前交差点

上の写真の駅前交差点の次の信号になりますが、100m程進行した地点です。

この交差点を左折して市役所に至ります。

四輪の停止線の前に二輪の停止線がある道路でした!

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●野洲市役所

交差点を曲がって程なく見えてきました野洲市役所です。

野洲市になる前は「野洲町役場」でした。現在はここが市役所の本庁舎で、一緒に合併した中主(ちゅうず)町役場が現在は市役所分庁舎という位置づけです。

白を基調とした、割にこじんまりとした建物でした。

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●おのりやす

と名付けられている野洲市コミュニティバスの停留所がありました。

おのり「やす」(=野洲)なのですね。

市内で5路線あって、大体1日に3~4便程度の運行となっていて、ここにあるのは「祇王・中里コース」というものでした。野洲駅と市役所本地庁舎(=このバス停の場所)、市民サービスセンターを結ぶコース、という事です。

2010年4月

から市直営になったという事で、この訪問の前年にあたります。車体は普通のバス状のものもあれば、バンのタイプのものもあるようで、

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●野洲市商工会館

商工会館の建物というのは結構味のあるものが多いなと思って、ここでも見ていましたが、このコンクリート造り丸出し感がなんともいえませんでした。築年を調べてみてもなかなか出てこないですね…。

とりあえずコンクリート丸出しの建屋の前に立つ縦型の赤い看板がかなり浮き上がってる感は覚えましたsmileこれくらい浮き上がっている方が標識としては分かり易いので、これはこれで役目を果たしているのでしょう。

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●ミゃうけんの道標

再び市役所に目を転じ、広場敷地内に建っていた道標にこのような表記がありました。

「妙見」という事ですが、野洲市には三上山という「近江富士」と称される山があり、その中腹に妙見堂というものがあったそうです。星の中の王である"北斗七星"を「妙見さん」として信仰する考えが古くからあり、この地もその考えがあったようです。

ただ、この信仰の殆どは関東に占められるもので、鎌倉幕府成立前の源頼朝の挙兵時に協力した千葉氏ゆかりのものとされているようです。近江三上の地を与えられた遠藤氏も、そのひとつという事ですが、遠藤氏がこの地に来たのは1698年で、ここに近江・三上藩が立藩となりました。

わずか1万石の小藩で、あまり有名ではないかもしれませんが、明治を迎えるまで藩は存続し、最後まで遠藤氏が6代にわたって治めていました。

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●銅鐸マーク

市街で歩いていた時に出くわしたのですが、銅鐸の絵だけあって、下の方が消されてしまっていました。

野洲には銅鐸博物館とよばれる施設がありますが、正式には歴史民俗博物館というそうです。ねつ造疑惑で消されたのか?等々色々考えましたが、そうではないようです。

1881年に出土した銅鐸14個を中心に展示されているようで、現存する銅鐸の中では日本一大きなものもあるそうです。野洲駅から北東3km程という事で、少し時間が要りますが、古代史好きにはうってつけですね。

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●養専寺

浄土真宗本願寺派の霊松山養専寺というお寺です。

野洲駅から約700mの距離にあり、徒歩10分程度でいけます。

1477年、了念の開基とありました。応仁の乱が終わった年ですね。

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●どうたく博物館の案内

野洲駅に戻ってきました。

妙見の道標ぐらいでしょうか、野洲らしいものを見られたのは。

駅にこのように博物館案内があったので、先に見ておけば…という気もしなくもありませんでしたが、「弥生の森体験工房」というのは面白そうですね。

こういった博物館って大抵、石器時代とかから取り上げている所が多い中で、弥生時代に焦点を当てて運営されているのはユニークかと思いました。

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●野洲駅前広場 俯瞰

最後は野洲駅に入って、駅前広場を見下ろした様子です。

ロータリー内部にバスとタクシーのスペースがあり、いい形でそれぞれ収まっていました。

野洲の見どころとして検索すると、お寺が非常に多く出てきました。意外なところでは「平家終焉の地」がありました。

平家最後の武将、平宗盛が最期を迎えたのがここ野洲で、彼やその子たちの死により平家滅亡とされています。現地の場所はここ野洲駅より東隣の篠原駅の方が近いですが…。平家は壇ノ浦で滅んだと思っていたので、この事実は意外で新鮮でした。

それにしてもこの辺のバスはライオンズカラーですね。白地にのライン、ここに停まっているバスにも見えます。この辺りは「湖国バス」という近江鉄道の子会社が運営している事が多いのですが、この近江鉄道が西武グループの会社である事からきています。 

以上、野洲市の様子でした。

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2014年7月 2日 (水)

滋賀/米原 20年目の旅

滋賀県米原市、JR米原駅からの歩き旅です。

(2012年6月当時)

Img_9765●周辺MAP

米原駅の周辺地図ですが、駅を出て西へ直進していけば、琵琶湖の方へ出ます。

湖がそんなに近いというイメージがなかったし、これといった見どころを見つけられずにいたので、海へは絶対行こう!とこの地図見て思ったのでした。

Img_9773●ビジネスホテル

米原って新幹線停まる割に穏やかな雰囲気で、ホテルがあるのもあまり聞いた事が無く(「じゃらん」などのサイトにもなかなか載ってこないし)、駅前に泊まる所なんてないのかと勝手に思ってましたが、行ってみたらありました。

ちなみにタイトルに「20年目の旅」とありますが、ここ米原を初めて訪ねたのが1993年の事で、以後何度もホームには寄り、たまに外へも出たりしてましたが、街を探訪する機会がなく、初訪問以来20年目を迎えた2012年にようやく「米原を歩いてみよう」と思い立ち、初めてこの記事の写真にあるような風景に出会う事となった訳です。

Img_9774●パチンコ

高い塔のような突出のあるパチンコ屋の建屋が。

「パチンコ」と表記されている部分に昭和を感じますが、その昭和のパチンコ屋ではかなり豪華な部類に入るのではないかなと。

Img_9776●米原市役所前

の交差点です。

左に米原市役所が見えます。

ど真ん中に写りこんでいる建屋はJAのもので、これではなく、その左奥に隠れる形で写っている建屋がそれで、わずか2F建ての低さでした。

Img_9782●米原市役所

の米原支所、とありました。

米原は滋賀県で唯一新幹線の止まる駅でありますが、自治体としては数年前まで「町」、つまり郡部であり、市になった際に合併前の旧自治体にそれぞれ支所がある形になっています。

にしても結構コンパクトな建屋だなと改めて感じました。

Img_9789●雪かき車

米原で初めてといっていいほど、観光気分を味わえたものに出会えました。

それがこの「雪かき車」。静態保存されていました。

ラッセル車というやつですが、「キ555号」という名で、昭和18年から39年間、米原~大垣間を雪かきし、地域住民のみならず産業発展にも大きく貢献した、とされています。

西日本から東日本へと東海道本線を乗ると分かりますが、途中でこの豪雪地帯に出くわします。普通に晴れてた所から知らぬ間に豪雪になってたりして…、そのエリアを雪かきにて貢献していたのがこの車体だった訳ですね。

Img_9797●カントリーロード

市役所近辺を外れて、西へ西へ、琵琶湖の方へ向かうこの道は田んぼや草むらが続くのどかな道路です。

米原駅前もちょっと離れると、こんなんなってしまうんだな、と。

Img_9800●農耕車多し

駅から琵琶湖へ直進道をそれた所ですが、農免道路のようなものでしょうか。

旧「米原」の表記が目を惹き、撮ったものです。こういうのに結構敏感なもので…

それにしてものどかすぎる光景です…

Img_9802●何かある所

へやっと出てきた、という感じの場所でした。

琵琶湖干拓資料館というものが近くにあるようです。

ここで米原駅から約2km。この辺りの干拓は元々コメの増産のために行なわれたそうですが、現在では住宅地に変わっていってるそうです。

Img_9804●揚水機

干拓資料館の間近く、上の写真の橋を渡った先のような所に差し掛かると、このようなものが現われました!

揚水機。昭和19年に入江内湖の干拓と共に設置されたそうで、昭和57年まで運転を続けたという、この機体が記念すべき第1号機なのだそうです。

先の雪かき機もそうですが、終戦前の時期頃に登場し、時同じく昭和57年に活動停止という事で、こういうもののひとつの寿命的なものかもしれません。「ゐのくち式渦巻きポンプ」というタイプで荏原製作所による製作だそうです。


Img_9810●干拓資料館

資料館というよりも小さな事務所、という佇まいの建屋ですが…。中に入っておらず、様子もよく分からずでしたが、米原で見る所のひとつではあるのかな、というところでしょうか。

建屋前の広場には「干拓の郷」と刻まれた石碑が置かれています。当時の米原町長・村西俊雄氏の書によるものですが、米原が市制化しつつある頃の町長で、その後県内の愛荘町の町長を務めておられます。

といったところで、米原の探訪をひと区切りしたいと思います。

2014年6月26日 (木)

JR米原駅 (滋賀県米原市)

滋賀県米原市のJR米原駅です。

米原市では、以前にJR醒ヶ井駅をupした事がありますが、今回は市内の中心駅をお送りいたします。

-JR・近江鉄道/米原駅
【路線】JR東海道新幹線(東京-新大阪間)
      東海道本線(東京-神戸間)
      北陸本線(米原-直江津間)
    近江鉄道 線(米原-貴生川間)

【開業】JR-1889年7月1
    近江鉄道-1931年3月15日

【訪問】初訪問-1993年7
【1日あたり平均乗車人員】 JR西日本-4,758人/日 (2012年)
                  JR東海-6,111人/日 (2012年)
                  近江鉄道-不明
【近隣の主要駅(東京方面)名古屋駅→2駅 ※新幹線
                  関ヶ原駅→4駅 
※在来線
           (新大阪方面)京都駅→4駅 
※新幹線
                   彦根駅→隣駅 
※在来線
           (直江津方面)長浜駅→3駅
           (貴生川方面)彦根駅→3駅、尼子駅→7駅 
※近江鉄道

Himg0002●駅名標

米原駅はJRでは東海道新幹線、東海道本線とあり、私鉄では近江鉄道がありますが、写真では新幹線のものを中心にお届けしたいと思います。

まずはこの新幹線の駅名標から。

滋賀県で唯一の新幹線駅です。現在は駅名と同じ「まいばら」市にありますが、平成の大合併で市制化される前は同じ米原の字で「まいら」町に属していました。

両隣は、京都と岐阜羽島で、当駅と岐阜羽島は、のぞみ等では飛ばされてしまう事もあり、じっくり寄る機会が少ないです。という訳で敢えて寄った訳です。

Img_9760●新幹線口へ

在来線口から新幹線口および出口への通路です。

在来線口は撮っていない為、ここには出てきませんが、ここを左に折れると新幹線へ、直進すると出口へと進みます。

ちなみにJRでは東海道新幹線と在来線の東海道本線だけでなく、北陸本線にも分岐しています。また、JRの会社としても複数に跨り、東海道線でここより東はJR東海、西はJR西日本に属するという、まさに交通の要衝となっています。

Img_9763●駅前俯瞰

駅前ロータリー部分を駅舎内から見下ろした様子です。綺麗なまん丸のロータリーって見ていて気持ちが良いものです。

近年整備できれいになっています。ここを初めて訪問したのは今から20年以上も前の1993年ですが、その後ちゃんと寄った事があまりなく、東海道線の乗継(名古屋方面から)で在来ホーム上で待つだけ、が圧倒的多数でした。寄って撮った事もありましたが、その写真もきれいでなく…といった具合で、2012年6月に撮ったものを記事ではお届けしています。

Dscf0017●米原駅駅舎2005

以前に寄って撮った綺麗でない写真のひとつですが、2005年当時の米原駅の駅舎です。近年までこの形でしたが、現在は変わってしまっています。

初めて寄った1993年もこの形でした。

新幹線のある駅なのに平屋という事で驚いた覚えがあります。また、郡部の新幹線駅としても初めて訪ねた所でもあります。

Img_9768●円内

こちらは再び2012年の様子ですが、駅前広場の中心円の部分に足を踏み入れてのカットです。

向こうが駅ホームですが、駅舎自体はこのもう少し左側にあたります。

Img_9770●米原駅駅舎2012

現在の駅舎です。

大きくなったとかいう訳ではありませんが、橋上駅舎として2009年に供用されて以来、5年が経過しています。(この写真の当時では3年)

他の駅と違い高層駅舎で豪華な賑やかなイメージというのとは違う佇まいを見せています。

Dscf0015●米原駅前道2005

米原駅前といえば、このゲートが象徴的です。

個人的にこれを真っ先に連想します。

で、その向こうの左側には平和堂があります。滋賀県の主要駅の駅前には平和堂、といった感じですが、その光景をこの目で初めて見たのが、どこあろうここ米原だったのでした。

Img_9769●米原駅前道2012

上の写真の7年後の様子です。少し角度が違いますが、このゲートは相変わらず健在で、周囲の風景も概ね同じかな、というところでした。

それにしても、2012年この時に訪ねるまで、米原駅前は左端の平和堂の所までしか行った事が無く、ろくに散策もしてこなかったので、この時に海まで出て、色々な景色風景を楽しむことができたのは本当に収穫でした。

数を訪ねて行くのもいいのですが、その土地をできるだけ深く訪ねて行く、これが数を訪ねた後の課題、と自分で思ってきたので、今後も少ししか訪ねていない街を深く訪ねる事にはこだわっていきたいと思っています。

2013年2月11日 (月)

滋賀/栗東 栗東駅前の発見

滋賀県栗東市、JR栗東駅からの歩き旅です。

ここもあまり歩いてはいないのですが…、滋賀県の市についても駅記事以外全くなくて、旅の記事を載せなければ…というところでまずはここ栗東にしました。

駅出て目線

独特の形をした駅舎から出て眺めた所。

真ん前にAL PLAZA。滋賀県の都市の駅前にはよくある風景ですね。

この辺りは10年ちょっと前まで栗東町といって、市ではなかったんですが、2001年に市制化され、向こうには高層ビルも見えます。こんなビルも町の頃はあったのでしょうか、その当時行った事がないので分かりませんが…。

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観光案内

駅前にあった斜めになった栗東市の案内地図です。

黄色が市域で、当駅のある地点は上端の赤い部分、栗東と市名を名乗る駅であるとはいえ、市域でいえばほんの端っこで東海道線は端をかする程度です。

どちらかというと草津線の手原駅の方が市役所も近くにあります。栗東駅は東海道線上にあるという点が大きなウリではありますが…。

栗東八景として左半分に紹介されています。

このうち、ここから徒歩で行けそうなのは、

 ・大宝神社(徒歩10分)

 ・新善光寺(徒歩5分)

といったところです。

ちなみに栗東といえば厩舎で有名ですが、「栗東トレーニングセンター」はバスで20分、要予約との事です。

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駅前通り

駅を出てAL PLAZAの右脇にあたる部分に、駅前の通りとして幹線道が通っています。

高層マンションが延々と立ち並んでいて、逆にこの通りで商店は見られず、中心商店街みたいなのもあるのかな…?といった雰囲気で、殆どがAL PLAZAと隣にWINGに集約という感じもしなくないくらいです。

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さきら

駅からAL PLAZAを経て向こうにあるのが、この栗東芸術文化会館「さきら」です。

この町に来て、栗東らしいものをロクに見ていないので、自分の見た中では唯一これが栗東らしいものかな、というところです。

ジャズライブ等様々な音楽コンサートや落語独演会などが催されているようで、3月末には桂ざこば師匠の芸能生活50周年記念独演会なども行われるようです。最初は「ざこば」って名前、定着するかな?(旧名の)朝丸の方が馴染むでぇ…とか思ってましたが、すっかりざこば師匠ですね。

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さきら、をぐるっと

「さきら」の敷地内でぐるっと見回したカットを。

中でも、真右を見た時の石垣にため池の光景は素晴らしかったです。ちょっとした城跡とお堀を見たような気分になりました。

左側は立体駐車場ですね。

入口から左前
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真左
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右前
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真右
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ウイングプラザ

駅前に見えたAL PLAZAと通路で繋がってるのが、このウイングプラザです。

このウイングプラザ関連のページを見て初めて知りましたが、栗東は中心地を持たない4つの村が合併したという背景、そして工業立地に比べて商業拡大の立ち遅れ、人口増でありながら消費は市外で、というような状況が続いていたのですね。

そんな中、市と商工会が協議を進め、地元企業の力の結集により、このような施設がてきたとありました。実は時々、ここへは行くんです。ほんの年に数回程度ですが…。栗東に中心街がない事から生まれたとは知りませんでした。

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栗東マンホール

最後はマンホールの写真です。

カラー版が取れたのでカラーで載せてます。

基本、カラーのがある時はカラーで撮りますが、大抵単色ものが先に見つかるのでこれを先に撮って、後でカラーの分が見つかったらそれも撮るというスタイルです。

で、このマンホールは栗東の市の木、花、鳥がひと通り載ったものとなっています。

市の(旧・栗東町時代からの)木は貝塚伊吹というもので、庭木として有名で、緑深い栗東を象徴するものだそうです。

市の花はキンセンカ。これは鮮やかな色で有名ですね。薬草としても使われているとか。

そして市の鳥はメジロ。目が真っ白になってます(笑 優しい声の鳥で、豊かな自然をイメージさせるにふさわしいとの事です。木と花は昭和48年に制定されていますが、このメジロだけは遅れて昭和63年に制定されています。

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ここへは多分また行くでしょうから、その時は栗東八景のどこか一つぐらいは見て行きたいものです。

より以前の記事一覧