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31鳥取県

2016年9月29日 (木)

JR米子空港駅 (鳥取県米子市)

鳥取県米子市のJR米子空港(よなご・くうこう)です。

米子市では中心地のJR米子駅をupした事がありますが、今回は市内にある空港駅の記事となります

-JR米子空港駅
【路線】JR境線(米子-境港間)
【開業】1902年11月1
【訪問】2014年6
【1日あたり平均乗車人員】 4人/日 (2007年)
【近隣の主要駅(米子方面)米子駅→9駅
           (境港方面)境港駅→6駅

●駅名標

デカデカとになりますが、米子-境港間の途中駅としては初めての駅記事となります。なかなかのこの間の駅でこれというのがない部分があり、ここだけは異質かなというところです、なにより空港と直結の駅ですから、もうこれは山陰唯一です。

ただ当駅がこの名前になったのは2008年の事で、それまでは800m米子側(南側)に「大篠津(おおしのづ)」という駅があり、これが前身となっています。この大篠津駅、昔々1990年代前半に寄ったような気がしますが定かではありません。隣駅が「大篠津町」となっていますが、これもこの時に改称されたもので、それまでは「御崎口(みさきぐち)」という駅名を名乗っていました。

利用者数が4人/日となっているのは、この移転前の統計であり、旧大篠津駅は周辺が大変廃れた地区であったそうです。私が訪ねたかどうかの90年代では、空港というより基地の街の飛行場というイメージがかなり強く、何があるという印象は殆どなかったです。

山陰唯一の海外定期便の就航する空港であり、現在は香港と韓国仁川の便があり、国内は東京だけで、逆に海外の方が多い状態になっています。

かつては、新千歳、成田、茨城、関空、伊丹、神戸、隠岐、福岡、那覇などの空港へと結んでいましたが、近年では特にスカイマークの縮小による影響が大きく、写真のこの時も実は神戸空港へと戻る時だったのですが、その便も今や過去のものとなってしまいました、まだ2年半と経っていない、2014年6月当時です。2013年に米子-神戸便が就航し、2年と持たず、その間にこうして利用できたのは実にレアだったと思います。

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●ダイヤ

境線という本線から外れた路線で、山陰本線の主要駅のひとつである米子駅から境港への分岐になる事から、さほど便数がないかと思っていましたが、なかなかどうして境港が観光地として成功した影響があったのか、この地域で毎時1本以上あれば、かなりの上出来かと思います。ヘタすれば山陰本線より多いレベルかと?!

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●ホーム

全くの単線で1面1線のホームです。向こうが米子方面(南側)です。

結構本数が多いながらもこのホームで行けるのですね、1時間に1、2本で行き交いがなければ大丈夫なのかなと。

すぐ向かいには空港がある訳ですが、そんなロケーションとは思えない、穏やかな佇まいのホームでした。

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●ホーム2

上の写真と反対方向を眺めたカットで、向こうが境港方面(北側)です。

切符の回収箱が手前に見えます。空港駅にして無人駅というのも珍しいのでは、と思います。

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●ホーム3

これは中央部をアップ気味にしたカットで、時刻表の横あたりになります。

やはり方向を間違える人がいるのでしょうね、こうして表示があるところを見ると。

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●路線図&運賃表

境港までは190円、米子駅が240円と米子の方がやや遠い恰好になります。

島根県に入って松江までは760円、米子から近いように見えて電車賃はかなり違うもんですね…。逆方向で倉吉までは1140円、これは結構な距離です。この辺でと知って来れ位なんですよね、米子の隣には安来もありますが。ちなみにICOCAなどありません、山陰はいまだに自動改札ではなく、駅員手作業ですし。

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●目玉おやじ電車

またホームのカットに戻りますが、電車つきのもので。

全面に目玉おやじのドアップはかなりインパクトがありますね、側面は多数の目玉おやじで百目タイタンのよう(全然違いますが…)

この境線は水木しげるロードのある境港市を通る路線であり、とにかく水木しげるワールドです。この目玉おやじ以外に鬼太郎は勿論、ねずみ男、ねこ娘など6種類の電車が走っているそうです。

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●券売機

壁つきの券売機ではなく、山陰線にも多いこういうタイプの箱形の?ものでした。この辺りの中心駅以外の駅ではスタンダードですね。

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●駅舎内

改札に相当する設備は皆無で、切符回収箱のみです。

その他のゲートやポールすらもない単なるコンコース状態でした。

ただ新築駅舎らしい木目のきれいな内装ではありました。ベンチ状に木製長椅子状態になっているのもgoodです。

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●空港連絡通路

手前が駅側、向こうが空港側になりますが、両者をつなぐ通路です。間の道路が交通量が多い訳ではないので、平地を歩いた方が断然早い、というのはこの際言いっこなしってことで(笑)

にしても設備に金かかってるな、と感じざるを得ませんでした。勿論バリアフリーの意味合いもあるでしょうが。

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●駅前道路

単なる空港前の道路という感じで、人家などは向こうに僅かに見える程度でした。

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●米子空港駅 駅舎

空港とを歩道橋で結ぶこじんまりとした駅舎です。

境線の途中駅で元々大きい駅舎どころか、駅舎のある駅すら半分あるかどうかですが、この駅に初めて寄るという時に、どんな規模かを想像しながら行ってみると、予想以上に小さかったです。が、この辺りの駅には似つかわしい規模かなとも感じました。

ちなみに境線では、各駅に妖怪に因んだ愛称がつけられていますが、当駅は「べとべとさん」駅です。べとべとさんとは、夜道を歩く人間の後をつけてくる妖怪だそうで、80年代のバレーボール中継等に欠かせないキャラクター「パボちゃん」のような球体の姿に口だけが大きく開いた姿の妖怪です。何でこの街にその妖怪か、の因果までは分かりませんが…

しかし折角山陰の空港として多方面に乗り出したと思ったら、長く続かずに先細りになってしまっている現状は残念で、この当時よりだいぶ就航路線が減ってしまっているのでは?と思います。陸の孤島とはいわせない、そんなパワーをこの山陰に感じさせてほしいものです。

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2016年4月21日 (木)

JR福部駅 (鳥取県鳥取市)

鳥取県鳥取市のJR福部(ふくべ)です

鳥取市ではJR鳥取駅 湖山駅、鳥取大学前駅末恒駅、宝木駅浜村駅、青谷駅と次々続々upしましたが、山陰本線の鳥取市の駅シリーズとしては最後となります。

-JR福部駅-
【路線】
JR山陰本線(京都-幡生間)
【開業】1910年10月10日
【訪問】2008年9
【1日あたり平均乗車人員】 不明
【近隣の主要駅 (京都方面) 浜坂駅→6駅
           (幡生方面) 鳥取駅→隣駅


●駅名標周り

平成の大合併まではここは岩美郡福部村という村でした。その村で唯一の駅、というのがこの駅の位置づけでした。

現在では、山陰本線で鳥取市で最東端の駅であり、鳥取県の市部で最東端の駅でもあり、東へ進めば、この駅を境に郡部に突入し、次に市の駅に入るのは兵庫県豊岡市の竹野駅まで13駅を要する事となります。

隣は県都の中心・鳥取駅なのですが…、その県都から実に11kmも離れた隣駅、というすごい事になっています。県都の隣がこないだまで村だった所、というロケーションもすごいですが…。

開業は1910年10月10日ですが、10,10,10というのは意識したのでしょうか?当時の西暦の普及具合・がどんなものか分かりませんが…。

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●ホーム

見事なまでの山あいにあり、荒涼感満載でした。

これが県都・鳥取駅の隣駅とは…、

辛うじて待合室がある程度、という感じで、ホームの上は何にもないに近い状態でした。

1面1線だけのように見えますが、山側にも線路があって、1面2線ではあります。

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●1面2線

の様子が分かるカットです。

草むらのような幅の広いホーム上の両サイドに線路が通っていました。

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●ホーム待合室

ホーム上に唯一あるもの、といってもいいくらいの設備です。

完全な室内型でなく、横の入口はドアのない開きっぱなしの状態です。その中にいくつかのベンチがあるという形になっています。

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●らっきょう

駅舎内に貼ってあった、福部の紹介のようなものですが、名産品にらっきょうがあります。「らっきょ」ではないんですね今更ながら。

個人的に昔は嫌いな食べ物のひとつでした。今でもそんなに好きではないですが、食べられるようにはなりました。

この辺りは鳥取砂丘に隣接するという事で「砂丘ラッキョウ」として売り出され、全国屈指の生産量を誇るといわれています。

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●寂しげベンチ

これも駅舎内ですが、何も貼られていない壁の片隅にポツンと一脚だけベンチが置かれていて、寂しげな雰囲気が満載でした。事実、ここに降り立った時は1人きりだったので、孤独を噛みしめまくっていました。

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●乗車証明書

福部駅には券売機がなく、このような「乗車証明書」が切符がわりになります。都会の方には、こんなものの存在自体が「何これ?」状態かもしれませんね。ワンマン列車の乗り方説明なども、都会の方々には無縁かも。

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●時刻表

山陰本線の時刻表となりますが、1時間に2本ある時間帯がほぼなく、大体どの時間帯も1本、または0本の時間帯すら複数あります。

鳥取方面(西へ)は、始発が7:13になってからという状態で、個人的にはこんな時刻に電車乗ってたら、今の会社間に合うかどうかのレベルです。

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●駅前風景

駅前にこのような通りがありますが、かなり閑散とした風景で、いかにもこないだまで村だった事が感じられます。

高い建物は皆無で、山に向かって進んで行くような感じでした。

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●福部駅 駅舎

駅舎内のカットがいくつかありましたが、こんな小さい駅舎がありました。ホーム上の待合室の方が大きいんじゃないか?とさえ思いました。こんな小さな中に色々なものが貼られたりしていたのですね。

ホームから見た駅舎裏の様子も2枚目の写真に載せていますが、ホームから出て、この駅舎を通らなくても外へ出る事ができます。

駅前の広場のだだっ広さもかつての村であったことが窺えます。

ここと鳥取駅の間、11kmの距離の中で新駅が誕生する事があるのでしょうか?せっかく村から市になったのだから、そういった面でのメリットがあってほしいな、と勝手に思っています。

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2016年4月19日 (火)

JR浜村駅・青谷駅 (鳥取県鳥取市)

今回は、鳥取県鳥取市のJR浜村(はまむら)青谷(あおや)の2駅をお届けしま

鳥取市ではJR鳥取駅 湖山駅、鳥取大学前駅、更に末恒駅、宝木駅をupしましたが、またまた鳥取市の駅シリーズです。

まずは浜村駅から…

-JR浜村駅-
【路線】
JR山陰本線(京都-幡生間)
【開業】1907年4月28日
【訪問】2008年9
【1日あたり平均乗車人員】 不明
【近隣の主要駅 (京都方面) 鳥取駅→5駅 
           (幡生方面) 倉吉
→4駅

●駅名標周り

平成の大合併までは鳥取市外であり、気高郡気高(けたか)町の中心駅でした。気高町は当駅と末恒駅の2駅で、西隣の青谷駅は旧気高郡青谷町に属していました(現在は鳥取市)。

現在は鳥取市になりましたが、駅レベルでいえば、鳥取駅より倉吉駅の方が近い形となっています。鳥取大学前駅が1995年に開業するまでは、鳥取駅からも倉吉駅からも4駅となり、鳥取と倉吉の中間駅という存在でした。

なぜか不思議な事に、この駅だけ駅名の下に所属する自治体名が記されています。国鉄方式とでもいいますか。しかし、その名前は旧所属の自治体でした。この訪問時は2008年、既に鳥取市に編入されて4年が経過していましたが、まだ「鳥取県気高郡気高町」のまま。しかも何かで上書きされたような跡が…

自治体名が今の形に変わった内容で上書きされているなら分かりますが、なぜ旧自治体名表示で上書き跡があるのか…??不思議マークが取れませんでした。

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●浜村温泉の看板

駅ホーム沿いの看板です。温泉街として鳥取-倉吉間では栄えている部類の駅ですが、その観光客もかつてよりかなり減ってしまったそうです。

また鳥取県民謡の「貝殻節」発祥の地でもあり、ホタテガイ漁の際に歌われていたとされ、それは重労働であったといいます。

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●網舟

この沿線には珍しい、ホームにジオラマがありました。それだけの駅という事なのでしょう。

で、これは「網舟」というタイトルで、かつてこの地は周期的にホタテガイの群れがやってくるといわれ、貝殻節の話になりますが、手漕ぎの船で底引き網漁をやっていたという事で、その重労働ぶりを紛らわすために貝殻節は歌われたのだといいます。何気なく歌われているようでも、歌というものはいろんな理由で歌われているのだ、という事を思い知ります。

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●自由通路

かなり向こうに線路も駅敷地も跨いだ長い歩道橋が見えます。

駅出口は一ヶ所しかなく、まずそこを出てから、あの歩道橋まで行ってから、出口向い側へ渡る事となります。橋上駅化されて両方向から出られたら一番良いのですが、なかなかそこまでお金が回らないというものでしょうか?向こう側へ回る需要がどれだけあるかとか、土地の問題とか色々あるのでしょうが。

左側にはかつて看板で埋められていた名残が見えますが、今や骨組みだけになってしまって、廃れた感をどうしても抱いてしまいます。昔はもっと色々看板に出すほどの「ウリ」があったのでしょうか

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●ホーム

うまく撮ったカットがなくて、中途半端な形のものばかりになりますが、これは向かいの島式ホームの待合室にスポットを当てた形で、この待合室が周辺の各駅と違って最低限の設備という感じではなくて、ちょっとゆったり広めの形となっています。ただし室内型ではなく、開きの部分があるので冬はやや寒いです。

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●ホーム2

これまたなんでか中途半端なカットになってしまいましたが、跨線橋が見えるホームカットです。

ここもまた2面2線で、元々2面3線あったものが、1線撤去されて現在に至る、という具合です。右側の島式ホームの方は、跨線橋の降り口から少し離れた待合室まで屋根が継がれる形となっており、雨に濡れずに辿り着く事ができます。

左の駅舎側のホーム屋根が大きくて重厚感に溢れています。

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●跨線橋内

2面ホームを繋ぐ跨線橋内です。

湖山駅もこんなだったし、他の沿線駅も大体こんな感じですね。この骨組みのハッキリした、窓の機能は度外視の…という感じで。幅はやや狭めで、床はコンクリ単色みたいな。

しかし決定的に違うのは、ここは掲示物がある事です。つきあたりには「ようこそ浜村温泉へ」とあり、横側にもポスターが貼られていました。さすがは観光地、鳥取駅から西へ向かって順に行って5駅目でやっと掲示物のある駅に出くわした、というところでした。

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●駅前通り

「歓 浜村温泉 迎」なるゲートが出迎えてくれる、観光地らしい駅前となっていました。

貝殻節発祥の地らしく、てっぺんは貝殻模様となっています。

かつては年間に何万人と観光客が居たそうですが、今や一桁少ない5千人程度までに落ち込んでしまったそうです。このゲートは往時の名残を留めているのかな、と思わされますが、現在は旅館1軒、民宿2軒ほどの小さな温泉街のようです。

ここまで鳥取駅から来た感じでは…

鳥取駅 …県の中心地

湖山駅 …湖山池

鳥取大学前駅 …鳥取大学

末恒駅 …住宅街

宝木駅 …同じく住宅街

ときて、ここ浜村駅は温泉街、というところです。

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●駅前足湯

駅の真ん前に足湯があります。2人の人間が貝殻を持ち上げていて、この地らしいモニュメントつきです。

この時ここに寄ったのが、10数分という極めて短い時間であった為、浸かるべくもありませんでしだか、遠い所ではないので、今度来たら是非浸かりたいし、なんなら温泉旅館も泊まりたいと思う程です。

それら以外取り立てて遊ぶような所も無いようですが…、それならとことん温泉を楽しんでみたいものです。

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●浜村駅 駅舎

和風建築っぽい立派な駅舎です。

前面の「浜村駅」という表記がなんとも独特です。

そして出入口横には顔抜き看板がちょこんと置いてあり、さりげなく観光地っぽい雰囲気を醸し出していました。横にはタクシーが停まっていて、それなりの街なのかな、という部分帆を感じさせてくれます。

鳥取駅以外の鳥取市の駅で、旅心をそそられる部類の駅かと思います。温泉好きならばなおさらこんな渋い所に行ってみたくなるのではないかと思いますが、鳥取と倉吉のほぼ真ん中にあります、浜村駅です。

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---------------次は「青谷駅」です--------------------

-JR青谷駅-
【路線】JR山陰本線(京都-幡生間)
【開業】1905年5月15日
【訪問】2008年9
【1日あたり平均乗車人員】 不明
【近隣の主要駅 (京都方面) 鳥取駅→6駅 
           (幡生方面) 倉吉
→3駅

●駅名標周り

ここまで来るといよいよ倉吉駅に近くなってきました。これでも鳥取市内です。

平成の大合併までは気高郡青谷町という町で唯一の駅でした。今では鳥取市で最西端の駅、という位置づけになっています。西隣の泊駅は「湯梨浜町」という郡部になります。

周辺の沿線駅、特に東側の浜村、宝木、湖山などといった駅が1907年開業なのに比べて、この駅はひと足早い1905年に開業しています。西側の松崎駅から延伸してきて、開業時は終着駅扱でしたが、翌々年に当時の官設鉄道が鳥取の方まで延伸して途中駅となりました。

バックに見えるのは鳥取森田という会社の衣料染色工場で、この時は操業していましたが、残念ながら2013年に破産し、操業停止となりました。

ちなみに京都に「山城青谷」という駅がありますが、こちらは「あおだに」と読みます。

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●ホーム

向こうが倉吉方面です。

撮り方のせいもあるでしょうが、かなり寂しい見た目になっています。そこまでのどかではないんですが実際は…

ホーム上の植樹がいい感じです。

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●ホーム2

向こうが鳥取方面です。

隣の浜村駅とほぼおんなじ構造です。跨線橋で結ばれていて、その跨線橋のデザインも一緒、屋根の設けられているエリアの広さもほぼ同じと思います。

右側の島式ホームの待合室はやや広めで、また浜村駅と違うのは室内型で、戸を閉めれば風が防げる形のものです。

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●跨線橋内

階段部分と橋の部分です。

階段はレンガ色に縁の下部分がブルーという妙にドギツい対照色で、目立つ色で塗ってみたよ的な印象を受けました。

そして橋の部分、、隣の浜村駅とおんなじ!と見まがうほどで、間違って浜村駅の写真をupしたのか、と思わず見直しましたが…、突き当たりの看板が違うものでした「海と和紙との青谷町へようこそ」とありました。

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●ホーム3

跨線橋下から駅舎側へのカットです。

駅舎の裏側自体が美しい建造物、という感じで、屋根色もあるのかもしれませんが豪華感に溢れてるな、と思います。

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●駅舎内

そこそこの数のベンチがあり、自販機もあります。駅舎の外ではなく、中にあるところもなんとなくグレード高い感じがします、勝手にですが…。この自販機がカップ式であれば更にグレードアップ感があります、これまた勝手にですが…

とりあえず明るくて、閑散感が薄い、それなりに人の居そうな雰囲気ではあります。この辺の駅では常に駅に人が居る、という状態ではなく、逆に人が居る時間の方が短いのではないかと、ハッキリ分かりませんが、1駅ずつ巡っていての感覚はそんなものでした。

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●駅から正面

駅前がいくつもの道路に分岐していますが、最も正面なのがここかな、という地点です。駅の出口からまっすぐの目線です。

特にロータリー状になったりなどはありませんが、横断歩道が設けられています。

またタクシーも1台ながら停まっていました。

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●駅から左向き

駅を出て左を向いた様子です。

青谷郵便局が見えます。

広場スペースがそこそこ広々としている様子も窺えると思います。

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●青谷駅 駅舎

裏から見ても既に素晴らしかったですが、沿線近辺ではかなり素晴らしい部類の駅舎です。

数段の階段の上にあるところがまた、その豪華感を一層引き出しているように思えます。

駅舎内に自販機がありましたが、このように外にも2機あって、その充実ぶりも窺えます。

大きな駅ではないながら、その素晴らしさを実感できる、駅に来るだけでも価値ありといえそうな駅です。

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2016年4月17日 (日)

JR末恒駅・宝木駅 (鳥取県鳥取市)

今回は、鳥取県鳥取市のJR末恒(すえつね)宝木(ほうぎ)の2駅をお届けしま

鳥取市ではJR鳥取駅 、更に湖山駅、鳥取大学前駅をupしましたが、これに続く形での御紹介です。

まずは末恒駅から…

-JR末恒駅-
【路線】
JR山陰本線(京都-幡生間)
【開業】1928年9月11日
【訪問】2008年9
【1日あたり平均乗車人員】 521人/日 (2012年) 
【近隣の主要駅 (京都方面) 鳥取駅→3駅 
           (幡生方面) 倉吉
→6駅

●駅名標

長らく湖山駅が隣駅でしたが、1995年に鳥取大学前駅が開業してからは、この隣駅表示となっています。

鳥取駅まで3駅の所に位置していますが、山陰本線ではここまでが旧・鳥取市で、この西隣の宝木駅からは旧鳥取市外となります(現在は鳥取市内ですが…)

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●ホーム

2面2線の相対式ホームです。

長いホームが見えていますが、この見える限りでは屋根なしです。

ここで見えるのは「田中製作所」という工場だけです。

本社はこの隣駅の宝木の方になりますが、コネクタ製作や精密金型製作等を行っている地元の企業だそうです。

ちなみに向こうが鳥取方面です。

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●ホーム2

上の写真と反対に、こちらは向こうが倉吉方面となります。

両ホームは向こうに見える跨線橋で結ばれています。

出口はこの左手前の手すりが見えている部分のみなので、跨線橋を渡るのは結構遠回りになります。

左側の待合室がイコール駅舎のような形となり、正式な形の駅舎は存在しません。

それでも駅利用者数では県内15位にランクされるそうです。→コチラ

鳥取県の15位と他とではまた違いますが…

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●待合室内

実質的な駅舎内という事になりますが、両サイドにベンチがあります。

向かいホームにも待合室はありますが、待合施設のみであり、こちら側は手前に覗いて見えるような券売機等の駅機能も有しています。また向こうにはトイレも見えます。

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●時刻表・運賃表

上の写真の待合室内にありました。これと券売機とがあって実質的な駅機能をなしています。

山陰本線の時刻表な訳ですが、山陽とはまるきり本数が違います。1時間に3本が1時間帯のみで、あとはせいぜい2本で、1本もない時間帯すらあります。この辺りはまだ良いものの、島根県西部などへ行けばこれどころではない状態です。

倉吉へは570円(当時。現在は580円、約50分)で、鳥取へは市内でもあり190円で行けます(当時。現在は200円、約13分)。 しかし、その隣の福部駅まで行くと400円以上かかります(現在410円。約30分)。

鳥取-福部間は隣にもかかわらず10分以上かかり、距離にしても11km以上の距離があり、通常県庁所在地の中心駅間は距離が短いものですが、この長さは異例です。

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●出入口付近

末恒駅のホームの様子をやや遠景で。

手前のこの階段が駅の出入口となります。

これを降りると、この2つの自販機があり、そしてまた階段を上って外へ出るという構造です。2008年当時につき、まだこの2つとも自販機があるのかは分かりませんが。

右手前に柵とコンクリート片が見えますが、これが階段横となっています。

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●駅前通り

真ん中に見える横断歩道の部分が駅出入口で、その左側が駅になります。駅から出るとこの道路が横に通っている状態となっていて、駅前感も何もない、単なる通りという感じです。

駅前は自転車置場がズラリと並び、向かいは閑静な住宅街、という言葉がぴったりな雰囲気で、商店よりもまず住宅街に目がいきます。

というかこの駅前で撮ったいくつかのカットを見返してみても、商店が一切写っていませんでした。それだけ住宅街感が強いといっても過言ではないと思います。商店や施設もあるようですが、たまたま行った所がそんなエリアではなかったという事でしょうか。

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●末恒駅 駅舎(扱)

前述の通り駅舎はなく、この出入口手前側の待合室が駅機能を有した施設であり、実質駅舎という事になります。

鳥取駅から西へ、湖山→鳥取大学前…とどんどん駅舎が小さくなっていき、ついにここでは駅舎なし、順に訪ねるとそういう事になります。

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---------------次は「宝木駅」です--------------------

-JR宝木駅-
【路線】
JR山陰本線(京都-幡生間)
【開業】1907年4月28日
【訪問】2008年9
【1日あたり平均乗車人員】 不明
【近隣の主要駅 (京都方面) 鳥取駅→4駅 
           (幡生方面) 倉吉
→5駅

●駅名標

「ほうぎ」と読みます。

山陰本線で、ここから西は旧鳥取市外となり、ここは平成の大合併までは気高郡気高町という郡部でした。気高町ではこの宝木駅と、隣の浜村駅の2駅のみで、浜村駅の方が中心駅でした。

現在では、ここから2駅西の青谷駅までが鳥取市となっているので、合併により鳥取市の駅が3駅分(宝木・浜村・青谷)西へ伸びた事になります。

西隣の浜村駅は温泉で有名です。

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●ホーム

向こうが倉吉方面です。

屋根がいくつかは見えますが、かなりのどかな風景です。

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●ホーム2

上の写真とは反対に向こうが鳥取方面となります。この辺りの駅って大体が北側(海側)に出口がある感じですね。

屋根のある部分が限定的で、特に右側の島式ホームの方は跨線橋の下り口から待合室の部分のみとなっています。

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●駅前広場

右端に跨線橋が覗いて見えますが、右に隠れた部分が駅舎になります。

広いスペースの駅前広場で、特にロータリー状になっているという事はありません。

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●駅前道

この宝木駅前の道路は何股かに分かれていますが、そのうちのひとつです。

どこの道もですが、やはり住宅街の印象が強かったです。末恒駅ほどではなかったものの、商店や施設の存在が感じられなかった駅前でした。

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●宝木駅 駅舎

こちらは末恒駅と違い、駅舎があります。

旧気高町の2駅は、浜村駅もここもいずれも駅舎を有する形になっています。

屋根が二重になって庇が出ていたり、なかなか立派な駅舎で、旧郡部で中心駅ではなかった駅とは思えませんでした。

そしてもうひとつ、「ごうぎん」こと山陰合同銀行の宝木代理店として駅内に入っている点がこの駅の特筆すべき点です。銀行と同居という事がこの駅の規模維持に役立っているのかどうか分かりませんが、地方の駅だからこそ、駅に別の役割を与える事も大事かな、と感じました。

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2016年4月16日 (土)

JR湖山駅・鳥取大学前駅 (鳥取県鳥取市)

今回は、鳥取県鳥取市のJR湖山(こやま)駅と鳥取大学前(とっとりだいがくまえ)の2駅をお届けしま

鳥取市では県の中心駅たる存在のJR鳥取駅 をupしていますが、この鳥取駅から続く2つの駅の紹介となります。

まずは湖山駅から…

-JR湖山駅-
【路線】
JR山陰本線(京都-幡生間)
【開業】1907年4月28日
【訪問】2008年9
【1日あたり平均乗車人員】 521人/日 (2012年) 
【近隣の主要駅 (京都方面) 鳥取駅→隣駅 
           (幡生方面) 倉吉
→8駅

●駅名標

隣駅表示の通りですが、県の代表である鳥取駅の隣駅になります。

鳥取県では中海に次いで2番目に大きい湖沼(ちなみに「池」とつく湖沼の中では日本で最も広い)である「湖山池」の最寄駅のひとつで、湖山池では2014年に約30年ぶりに遊覧船を再開させたそうです。

今の時期だと「お花見遊覧船」として3月~4月末まで行われているといいます。約40分で1,000円、湖山池にまつわる伝説や昔話などを語り部さんが鳥取弁で楽しく案内してくれるのだとか。

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●ホーム

以前は2面3線であったものが、うち1線については保線車両の留置線となり、現在は2面2線となっています。右側が1番のりば、左が2番のりばと表示されています。

ホームの屋根庇はいろんな形のものがあり、あとから付け足されたのか…。左側の島式ホームにはこじんまりとして待合室があります。

広く屋根が取られている事から山陰本線ではそれなりの規模の駅と見なされると思いますが、鳥取駅の隣にしてこのような雰囲気です。つなみに鳥取駅からの距離は4.2kmで、少々離れてしまっているので、様子がガラリと変わってしまうのはある程度無理からぬところですね。

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●ホーム2

2つのホームはこのような跨線橋で結ばれており、跨線橋から屋根が途切れなく設置されていて、雨に濡れない形となっています。

駅舎側からのカットですが、柱の立っている位置もあり通路がやや狭く感じます。

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●跨線橋内

とにかく骨組みが強烈に目立つ跨線橋で、掲示物は一切ありませんでした。

上半分は窓というより、半透明の覆いという表現の方が合うのかもしれません。景色が見えるとかその辺りは排除して、雨露掛からないとか機能性優先のつくりなのか?と思わされましたが、どうなのでしょうか??とにかくゴツゴツ感満載の内装でした。

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●出入口

券売機や出札が見えます。

出入口の脇に「こやまえき」というひらがな表記の駅名があって、妙にかわいいです。しかもバックがピンクで。

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●湖山駅 駅舎

真ん中にある庇の前面には「JR」マークがあるだけです。

屋根の上に看板の形で「KOYAMA station」とあり、出入口の横は先に書いたひらがな表記であり、「湖山駅」なる漢字表記が駅舎には全く見られない状態です。

鳥取駅の隣という位置的なものもあってか、広い駅前スペースがあり、タクシーが数台停まっていました。

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---------------次は「鳥取大学前駅」です--------------------

-JR鳥取大学前駅-
【路線】JR山陰本線(京都-幡生間)
【開業】1995年7月27日
【訪問】2008年9
【1日あたり平均乗車人員】 2,164人/日 (2012年) 
【近隣の主要駅 (京都方面) 鳥取駅→2駅 
           (幡生方面) 倉吉
→7駅

●駅名標

分かり易い駅名ですが、文字通り鳥大こと鳥取大学の前にある駅で、鳥取駅からは2駅西へ行った所にあります。

長らく湖山駅の隣は末恒駅でしたが、1995年に開業した比較的新しい駅です。

この地の周辺1km圏内に小中高が5校あるという事で、鳥取県や鳥取市の要望でつくられた請願駅というやつですね。学生利用の側面が強い駅で、鳥取駅側に近い「湖山駅」に比べて利用者数が4倍もあります。

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●ホーム

1面1線の実にシンプルなホームです。

向こうが西側、倉吉や米子方面になります。

学生利用が大半、という限定的な利用を見越してでしょうか。駅舎と反対側の左側は丘状になっています。

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●ホーム2

こちらは反対に向こうが東側で鳥取方面となります。

ホームからは数段の階段で繋がっていて、屋根も途切れなく、雨に濡れない形となっていますが、ホームでの屋根設置エリアはある程度限定的です。

駅を出た後の右側の丘とは向こうに見える橋で繋がっていて、これを渡る形で鳥取大学へと至ります。

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●ホーム3

上の写真と同方向のカットですが、屋根の手前に階段が伸びていながら、向こう側にも階段が出ています。

これまた学生利用中心を見越してなのか、待合室はありません。そして自販機はあります。山陰本線で自治体の中心駅以外で自販機のある駅というのは意外と少ないのではないかと思います。

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●スロープ

駅から入ってホームへと下りていく長いスロープがありました。

この駅といえば真っ先にイメージするのが、この長いスロープですね個人的には。

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●ホーム全景

駅を出てからのホーム全体の様子です。

向かいの丘から撮っている格好ですが、実にコンパクトな駅で限定利用っぽい雰囲気がここにも出ている感じでした。

そして駅舎部分もこのように丘の上にある形で、ホームから両サイドの階段で繋がっている形も、このカットで窺い知れます。

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●鳥取大学前駅 駅舎

真ん丸ロータリーの駅前広場があって、駅舎自体は実にこじんまりしたものとなっています。

鳥取駅のような居住性重視というよりも、逆に流動性重視というところでしょうか。ほぼ出入口分くらいのスペースでコンパクトな駅舎です。

屋根部分が三角屋根で窓がついており、向こうが見える形にもなっている、という少々凝った部分は見受けられますが、駅というより学生が家との往復に利用するバス停の延長上的なもの、というイメージを受けました。

駅の真ん前に大学、しかも国立大学があるというのは、自宅生には助かる存在ですね。駅から遠いと下宿、の可能性が上がってしまうところが、この駅の存在で下宿せず自宅から通える、というケースもあったのでしょうか(分かりませんが…)、ただ山陰本線なので本数的に少々厳しいかな、というところではあります。

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2015年12月15日 (火)

鳥取/倉吉 新駅舎から旧建屋まで

鳥取県倉吉市、JR倉吉駅からの歩き旅です。

(2012年6月当時)

●まずは新駅舎

冒頭に駅記事のリンクをつけましたが、この当時は旧駅舎の頃で、今回の記事は新駅舎になってからのものにつき、まずは新駅舎の御様子を。2011年1月供用開始との事です。

旧駅舎もなかなかの大規模でしたが、今回の倉吉駅はこれを上回る大きな建物でした。

地方都市の駅舎にありがちな看板や垂れ幕の類は完全に排除されており、旧駅舎はそのようなもので多数賑わっていたので、今のこの駅舎はすごくスッキリと見える感じがしました。

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●駅前通り

倉吉駅の南口から中心の通りが続いており、通りの始めの辺りはこのような風景です。

北と南と、どちらかといえば南側の方に各主要施設が点在しています。

写真ほぼど真ん中のバスの右側に見えるは「山陰合同銀行」、いわゆる「ごうぎん」です。鳥取・島根の山陰地区では最大規模の銀行で関西地区にも支店をもっています。

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●つづく駅前通り

駅前通りを更に進んだところで、それほど高くない建物が続いています。オフィス街的な感じではなく、幹線道沿いの商店街という感じです。

左側の薬局のローカルな雰囲気がほのぼのしていていいですね。

最近はドラッグストアが数多く進出して、こういった昔ながらの「薬局」が衰退しつつあると感じていますが、このお店にはずっと頑張っていてほしいものです。

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●上井町一丁目西バス停

上井と書いて「あげい」と読みます。倉吉駅から駅前通りに入って一つ目のバス停です。

倉吉駅は1912~72年という60年もの長きにわたり「上井駅」を名乗っており、しかも開業した1903年は倉吉駅を名乗っていたものが、上井駅に改称になり、また当初の倉吉駅に戻ったという壮絶な名称変遷?を持った駅です。

倉吉駅が上井駅を名乗っていた頃(1972年まで)は、別に倉吉駅が存在していた訳ですが、この駅は後に打吹(うつぶき)駅に改称となり、1985年に廃駅となりました。倉吉駅から2駅離れた所にあり、この沿線約20kmが「倉吉線」として存在していたのですが、1985年3月限りで路線ごと廃止になってしまいました。「日本一の鈍足路線」とも言われていたそうですが、一度乗ってみたかったものです。

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●お倉とお吉

何そのシンプルなネーミング、というところですが、「打吹天女伝説」というお話によると、天女の二人の娘の名が、先の「お倉」「お吉」で、これが倉吉の地名の起源になった、とされています。

尚、「打吹」の名は先代の倉吉駅が改称後に名乗ったものですが、この像の通り「太鼓を打つ」「笛を吹く」からきています。母である天女のいる天に向かって、これらを打ち鳴らしたというもので、母恋しさという感情はいつの時代でも変わらないものだな、と改めて思わされます。

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●横道へ

それてみました。

都市の駅前通りを歩いて、その都市らしさを感じる事もあれば、横道へそれる事で更に深い部分を知る事ができる、というか、横道へ行く行かないではその都市に対してのイメージが全然違ったものになって帰る事になるのだな、というのを非常に感じます。

時代が止まった感の強い風景により出会える、こういう横道は大好きなので、時間の許す限りは見るようにしています。下の写真のスナックなどは草に覆い尽くされようとしていますが、いつ頃まで稼働していたのかな?などと考えてしまいますね、ついつい。

考えてみれば、このお店なかなか怖い所にありますね。店を出る時に、酔った足取りでそのまま右にそれてしまったら、ドブ河にはまってしまいそうで。

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●パチンコ「銀河」

倉吉といえば、蔵の街並みを行くのが王道なのかもしれませんが、何度か行ったうちで一度も訪ねた事がなく、まともに旅したのもこの1回がいいところかも、という状態ですが、今回は駅前をぐるっと歩き回った感じでした。

そんな中で、最も鮮烈な印象が残っているのが、このパチンコ「銀河」でした!

この見るからに寂れてしまった感、コンクリートの塗装後の色褪せ感とでもいうか、字体の浮き出た感じも往年のセンスを感じさせます。

店の前の看板の文言もサイコーです!「今期最後のファン感謝祭」って、いつの期だよ?と思わず突っ込みたくなります。

ここでいちいち語る事もなく、とにかくこの建物がここに厳然と存在し続けている事に拍手を送りたいと思います。

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2014年9月21日 (日)

鳥取/境港 お決まりコース行ってみよう!

鳥取県境港市、JR境港駅からの歩き旅です。

(2014年7月当時)

●駅バス停

駅前にいくつものバス停標識が立っていました。

はまるーぷバスとか、皆生温泉行のものとか、一畑バスとか、松江市コミュニティバスのものまでありました。松江市とは境水道大橋や大根島との間で繋がっています。私が初訪問した1990年当時は平成の大合併前で、いずれも松江市にはなっていない自治体と繋がっていたのですが、合併して松江市と繋がる事となり、この標識も置かれるようなルートができたのでしょう。

実際、この時ここへ来たのも松江駅からバスでやってきたのでした。90年代じゃじゃ考えられなかったですね。松江から交通機関で行こうと思ったら、JRの山陰本線で米子まで出てから、境線に乗換えという大回りなルートしかなかったので。

観光地としてクローズアップされるようになってからなのか、タクシーも多数停まっていました。1990年頃は寂しいものだったのでまさに隔世の感というものです。

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●駅前通り

駅を出て、駅前広場から左へ直角に折れたところの通りです。

これを見るだけでは観光地の雰囲気がそんなに感じられる訳ではないかと思いますが、この通りを進んで行きます。

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●街灯は…

目玉おやじになっていました!

これが4本も分岐する形で。

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●境港の旬の味

駅前の一角で海鮮料理の店ですが、室内型のスペースではなくて、こんな感じでの飲食する形となっていました。食べたかったんですが、それまで色々食べ過ぎて、ムリでした…

松葉カニ丼とかホントに食べたかったんですが。

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●妖怪ストリート

駅前通りがそのまま「水木しげるロード」になっています。

これができた事で境港市は観光地として大躍進を遂げた訳です。

で、この駅前の通り800mのうちに実に153体もの妖怪のブロンズ像があるといいます。いちいち全部載せられないので、そこんとこは実際に訪ねてのお楽しみですが、こういう感じで置かれてるという程度で見て頂ければと思います。

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●水木しげるロード

の真っ最中です。

米子空港への標識がありますが、JRでも2008年に「米子空港」駅ができて、空港へ直結となりました。便としては殆どがスカイマーク便で、札幌、成田、羽田、神戸、那覇への航路があり、海外では唯一、韓国ソウルへ週3便出ているようです。

この旅の時も、JRでここから米子空港駅まで行って、スカイマークで神戸空港まで飛んでいきました。わずか\7,800(当時)で50分くらいで行けてしまうので、これを使わない手はないな、と思いました。電車だと4時間くらいはかかってしまいますので。

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●茶屋

本格的に水木しげるロードという感じでしょうか。

それまでは通りに妖怪がズラッと並んでいるもの、という感じでしたが、ここからは色々関連の店が出ていて、観光客が多く立ち寄るエリアに入っていきます。

鬼太郎の顔抜き看板とか、妖怪ガイドブックがあったりとか、色々楽しめそうです。故嫁に通り過ぎたんですが(笑

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●砂かけばばあ

のブロンズ像です。

アニメのせいか善のイメージが強いのかなと思います。

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●妖怪倉庫

第二章始まる

と書かれていました。

無料望遠鏡があったりしますが、「???」な感じの場所でした。

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●改めまして

「水木しげるロード」とハッキリ表記されているものを見つけたので、敢えて撮りました。

Shigeruだけ控え目に小文字になってるけど、水木ロードと浸透させるつもりだったのでしょうか。

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●水木ロード郵便局

とは、思い切って名前付けたもんだな、と思いました。

ここの窓口からハガキを出すと鬼太郎がデザインされた風景日付印が押されるとありました。しかし土日で開いてるのは、土曜午前中のATMのみのようです。

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●プリクラ

鬼太郎プリクラがポツンと置いてありました。

木製フレームでなかなか渋かったです。

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●街並み

水木しげるロードといえど、鬼太郎関係の店がずっと続いている、というよりは、こういった普通の街並みに観光客向けの店々が点在している、という表現が正しいのかもしれません。

旅館が何軒かあるのは見受けましたが、どれほど現役で稼働しているのかは不明です。また、ビジネスホテルらしきものは駅前では見かけませんでした。

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●目玉おやじ 清の水

目玉おやじが普段浸かってる風呂(茶碗か何かの中で)を思い出します。

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●ねこ娘ベンチ

ただの木製ベンチにねこ娘の絵を描いただけですが、それでも観光地のものとなればちょっと違って見えるのは気のせいでしょうか。

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●妖怪神社

というものまでありました。

右に掛かっている絵馬以外の棒状のものは「妖怪念力棒」だそうで、これもまた願い事を書いて奉納するものです。

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●手作り妖怪

最後はこの写真です。

顔抜き看板はお約束のようにありますが、「手作り妖怪」とはなんとも惹かれます。

工房のようですが、オリジナルの妖怪が作れるという事なのでしょう。

暇があったら色々やってみるのもいいかな、というところですね。子供とか居たらやってしまうのかな、とも。。

まだまだこれだけでは伝えきれない境港の様子ですが、本記事は一旦これにて。

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2014年8月16日 (土)

JR境港駅【新】 (鳥取県境港市)

鳥取県境港市のJR境港駅の再訪の時の様子です。

(2014年6月当時)

●駅名標周辺

以前、旧駅舎の記事(冒頭リンク参照)をあげましたが、1990年当時の駅舎であり、またバイク訪問で、中まで行ってませんでした。なので、駅内部の様子は写真として撮ったのが、初訪問から24年も経った、この6月という事になりました。

これは外から撮ったものですが、ホームはこの1面2線のみで、外から見ても剥き出しの結構簡素な構造となっています。

JR境線の終着駅につき、隣駅表示は片側のみです。この路線で米子まで行くのですが、その途中には米子空港に直結した「米子空港」駅があります。

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●別名

境線の各駅はそれぞれ妖怪の名前で愛称がつけられています。

この境港駅はキーとなる駅という事もあってか「鬼太郎」駅の名を与えられています。また、境港駅と両端をなす米子駅は「ねずみ男」駅が与えられています。

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●名所案内

大山隠岐国立公園のエリア内という事ですが、挙げられている「美保関(みほのせき)」も「隠岐の島」も隣の島根県にあたります。この境港から「境水道大橋」という橋が結ばれており、美保関(島根県松江市)とは陸続きです。その下にある「大根島(だいこんじま)」も松江市域(旧・八束郡八束町)にあり、これもまた橋により繋がっており、島根県の複数箇所から繋がる交通の要衝です。

境港は鳥取県の全4市中唯一JRの山陰本線上になく、それた形となっていますが、鉄道以外の部分で松江市との繋がりを少なからず持つ形となっています。

名所として「境港市」として、市内のもので挙げられているのはなんといっても「水木しげるロード」であり、これによって境港市が観光地として一躍脚光を浴び、実際この訪問時でもかなりの観光客の方々が居られ、駅でも狭いホームに多くの方がおられました。

水木しげるロードは1993年に造られ、この年の観光客数は年間2.1万だったものが、翌94年には28.1万と10倍以上の急速な伸びを見せ、「山陰・夢みなと博覧会」の開催された97年には38万人を記録したといいます。その後横ばい傾向ながら、2003年からまた上がり始め、2010年の「ゲゲ゛ゲの女房」で再び脚光を浴び、この年は結局370万人を記録し、1日あたり1万人来ている計算になります。

市の人口自体が3万人そこそこなので、それを考えるとものすごい観光客数ですし、何より自分が初めて訪ねた1990年当時などは中心地ですら寂れきっていて、自分自身が「静かな場所に行きたい」と思って時々行ってたぐらいですから(笑。そのくらい寂しげで衰退する一方の町かと思っていましたが、こんな形で町が再生する事もあるんだな、と思わされます。

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●のりば

先述の通り、このホームだけの1面2線です。で、右に1番のりば、左に2番のりば(向こうが米子方面)とありますが、実質ほとんど1番線の方が使われているようで、この時もここに停まっていました。

いろんなデザインの車体があるようで、やはりこの路線は「ゲゲゲの鬼太郎」関連の列車が、文字通り「目玉」です!四国にアンパンマン列車が通りまくっているように。

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●目玉おやじ列車

車体の前面ど真ん中にデカデカと目玉おやじという列車はインパクト充分ですね。

横面も目玉おやじをフィーチャーしたものとなっています。

この境線を走る車体は他にもあり、鬼太郎列車(車体:青)は勿論の事、ねずみ男列車(車体:黄)、ネコ娘列車(車体:赤)もあり、それぞれ車体色も違うので、それで区別もつきます。

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●ホーム床面

各キャラクターが円内に描かれ、歓迎の言葉を発しています。

ベンチの背もたれもネコ娘だったり。

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●日本各地の妖怪

駅のホーム入口付近に衝立のように立っている部分に描かれているものですが、この上に日本地図のデフォルト版があり、各県の妖怪がこのようなイラストで紹介されています。

この裏面に北海道から中部までの妖怪が紹介され、こちら側は近畿以西です。左へ行くにしたがい、西の妖怪になります。真ん中上に大きく砂かけばばあの絵がありますが、兵庫県または奈良県の妖怪とされています。アニメの影響か正義側の妖怪として捉えられている向きが強いかなと思います。

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●ホームを外から

ホームがあって、向こうに衝立的に妖怪紹介があり、その向こうが駅舎となり、大変小さな駅です。ただ、建物に灯台的な突出があります。以前は青い瓦の普通の駅舎でしたので、規模感としてはむしろ小さくなったかもしれませんが、だいぶ様変わりしました。

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●駅スタンプ

まんまゲゲゲの鬼太郎です。

左から、鬼太郎、ねずみ男、ネコ娘の順です。

妖怪に会える側面がかなり強調され、山陰きっての観光地のひとつになった訳ですが、かつてのウリであった港の面は陰を潜めてる、そんな雰囲気も感じなくもないです。水木しげるロード以前のこの街を知る者としては。

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●構内

小規模な駅ながら、ある程度のスペースの待合室と、その向こうにはみどりの窓口も一般客が入れるスペースとして待合室スペースとは別に確保されています。

ここの床面もホームと同様に各妖怪のキャラクターが円内に描かれています。

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●駅前広場全景

駅舎は左端のちょこっとした建屋で、正面にあるのは別の建屋で、「みなとさかい交流館」というものです。境港は日本海に面する港の中でも稀な、ロシアとの交易が行なわれている港だそうで、そんな境港の漁港としての部分にスポットを当てた施設といえます。

どうしても鬼太郎とか妖怪とかいった部分にスポットが当たりがちなこの街でありますが、ここには漁港としてのこれまでの特色部分を維持している、そんな思いが伝わる気がしました。

これが駅舎だったらすごい都会、と思ってしまうところですが…

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●河童たちの眺め

駅を出た所から見た駅前広場の様子です。

竹馬に乗った河童たちから見た様子がこんな感じ、という事で。

駅舎自体はむしろ小型化したかもしれませんが、駅前は1990年に比べるとだいぶ整備され、タクシーの停車数も格段に増えたと思います。

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●先生の執筆中

駅舎の真ん前にあるオブジェ?!で水木しげる先生がマンガを執筆しているところを鬼太郎やねずみ男が眺めているというものです。ねずみ男の頭近くには目玉おやじも居ます(笑

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●境港駅 駅舎

建屋は以前より縮小された感じながら、高さは突出した灯台様のもののお蔭で高くなっています。

青い瓦屋根の前駅舎もそれはそれで魅力ありましたが、観光都市に対応した造りになっているというところでしょうか。

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●鬼太郎自販機

最後はこれ、駅舎の写真でも置いてあるのが見えますが、自販機の側面にはデカデカと鬼太郎が!

鬼太郎って個人的印象では昭和末期のアニメ第三期でかなり正義のキャラって感じで定着したように思います。それまでの鬼太郎は明確に正義キャラではなかったような記憶があいまいながらあって、その辺もミステリアスな感じを受けました、声が野沢雅子さんだったかな。

第三期は「アンパンマン」で有名な戸田恵子さんが声を当てていて(その直後アンパンマンの役が入ったと記憶してます)、いかにも正義キャラを前面に出していた印象を受けました。ちなみにこの頃、近藤真彦さんがこんな感じで前髪を伸ばしていて(当時の流行か保阪尚輝さんなんかもこんな髪型で)、「鬼太郎ヘア」とか言われてました。

前面にねずみ男のカットもありますが、彼の着てる服の色は色々なんですね。

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2013年5月 6日 (月)

JR鳥取駅 (鳥取県鳥取市)

鳥取県鳥取市のJR鳥取(とっとり)です。

鳥取市は鳥取県の東部に位置し、人口は195,583人(2012.12.1現在)で、鳥取県の県所在地で、鳥取砂丘や鳥取城跡などが有名です。近年は鉄道や高速道路網も発達を遂げ、京阪神等の大都市部との交流の活性化も期待されています。

鳥取県も県庁所在地駅が登場し、これで鳥取県の市の駅はひと通り出てきました。他にもなかなか良いところがあるので、機会を見て登場させたいと思います。

-JR鳥取駅
【路線】
JR山陰本線(京都-幡生間)
      因美線(鳥取-津山間)

      

【開業】1908年4月5日
【訪問】初訪問-1990年12月
【1日あたり平均乗車人員】 5,546人/日 (2011年)
【近隣の主要駅(京都方面)浜坂駅→7駅、城崎温泉駅→15駅 
          (幡生方面)倉吉駅→9駅 
          (津山方面)郡家駅→3駅


駅名標

JRの山陰本線にあり、南北方向には岡山県津山とを結ぶ因美線の始発駅でもあります。

山陰の東の玄関口として拠点となる駅で、所属はしていないもののJR以外でも智頭急行の特急「スーパーはくと」が智頭を越えて、この鳥取まで運行されています。これにより大阪からの所要時間がぐっと短縮されました。

ここを初めて訪ねたのは個人的に随分古く、1990年暮れです。当時まだ20駅ほどしか訪ねた事がなかったと思います。鳥取県では同年夏に訪ねた境港駅に次いで2番目に訪ねました。その頃はまだ「スーバ゜ーはくと」も通っておらず、因美線、津山線と乗り継いで、岡山まで出たものでした。

この記事での写真は基本的に2008年訪問時のものを載せています。

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ホーム

ここにはしょっちゅう行くせいか、殊更にホームをちゃんと撮った覚えがなく、これぐらいしかないかも、ということで載せます。

初めて行ったのが1990年末ですが、以後は1993~96、2000、2004、2008、2011、2012くらいな感じで訪ねてます。何故か夏五輪YEARにきれいに訪ねてますが、たまたまです。他の年も行ってるかもですが、記憶にあるのがこんな感じです。

高架駅舎です。この時は鳥取より西側の山陰本線の駅をひとつひとつ訪ねて行ってた時で、鳥取にて宿泊後、早朝から動き出したという訳です。

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スーパーはくと

ホームの写真、まだありました。これだけは2011年訪問時のものです。

ホームに停まっていたスーパーはくとの勇姿、京阪神とつなぐ重要な存在です。

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改札内

前夜に最終の特急?!でやって来たのでほぼ無人状態でした。

夜なので光りまくってますが…

ここの駅構造って松江駅に似てるなと訪ねる度に思います。山陰の両県庁所在地という事もあるのでしょうか。シャミネという駅のショッピングセンターも両駅ともにあるし(鳥取と松江のみ)で。

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駅構内

改札出た後の構内の様子です。

確か23時前だったので、そこらじゅうはもう閉まっていました。

山陰の夜は早いので…

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シャミネ入口

駅構内のシャミネの片側の入口部分、この先に店が続いています。

右側にそば屋さんがありますが、ちょうど改札の向かった左すぐにあります。この位置は松江駅でも全く同じロケーションでしたが、松江の方は改装後に別の位置に移ってしまいました。

上の「智頭線沿線の旅の誘い」という看板がありますが、初訪問した1990年には智頭線すら通っていなかった(1994年に開通)ので、この駅は発展したなとつくづく思います。

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しゃんしゃん大傘

鳥取市の夏の風物詩である「とっとりしゃんしゃん祭り」で使われる傘で、駅改札付近で吊下げられていました。現在は中二階のホールに常設されているそうですが、直径は3.4㍍もあるそうで、駅に着くや出迎えてくれるにはうってつけの存在です。

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駅前通り

両脇に屋根のついた歩道のある商店街があり、真ん中に幹線道路が走る構造になっています。

この横には閉口してアーケードのある商店街が通っています。

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駅前

駅前には木々が繁っていて、いつも撮るのに困る駅舎です。

山陰の玄関口として重要な拠点でタクシーも沢山停まっていました。

大きなバスターミナルもあり、バス路線も充実しています。

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鳥取駅 駅舎

だいぶ引いて撮れば木々も目立たなくなるんですが、「鳥取駅」という文字が見えるように撮ろうとすると、木々に隠れてしまうという印象があります。

やはり両雄ともいうべき島根県の松江駅とよく似た駅舎です。今の松江駅よりも改装前の松江駅に似ているというべきでしょうか。

そして下側の写真、この駅前のといえば個人的に「柳」を真っ先に連想します。昔っから風景変わらないな、と来る度思います。

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1990年の鳥取駅

昔からあまり変わらない印象でしたが、初訪問時の写真を引っ張り出してみたら、色も違うし、全く一緒ではなかったのか、と改めて感じました。今の駅は両側とも上の写真のような色なのですが、この当時はこんな色だったんですね。

この時は雨模様で松江→鳥取→津山→岡山…、鈍行で乗り継いでチンタラ帰ってました。
もう22年半も経つのか…と感慨深くなりました。

その間に智頭線ができ、スーパーはくとが開通し、高速網もでき、と鳥取は発展を続けてきたのですね。

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2012年11月 7日 (水)

JR米子駅 (鳥取県米子市)

鳥取県米子市のJR米子(よなご)です。

米子市は鳥取県の西部に位置し、人口は148,207人(2012.9.1現在)で、県内では県都・鳥取市に次ぐ鳥取県第2の人口を誇り、また山陰に数少ない10万以上の都市として、まさに山陰屈指の街であります。

皆生温泉の存在があまりに有名な山陰を代表する温泉都市で、日本でのトライアスロン発祥の地ともいわれています。平成の大合併では2005年に西伯郡淀江町と合併したのみで、他の山陰の都市(鳥取・松江・出雲など)のような大規模合併はしていません。

-JR米子駅
【路線】JR山陰本線(京都-幡生間)
      境線(米子-境港間)

【開業】1902年11月1
【訪問】1990年12
【1日あたり平均乗車人員】 3,668人/日 (2009年)
【近隣の都市駅(京都方面)倉吉駅→14駅
          (幡生方面)安来駅→隣駅
          (境港方面)米子空港駅→9駅

ホーム周辺

この駅に初めて訪ねたのは、正直記憶定かではありませんが、1990年12月かと思います。それ以前に寄っているとしても、90年のいつかであり、年までは正確と思います。もう22年も前ですね。

山陰本線に属しながら、境港へ北上する「境線」の始発駅でもありますが、伯備線を通る特急「やくも」の停車駅でもある山陰屈指のキー駅です。

境線は0番ホームとされており、そこへ向かう案内がこの写真のものです。境線は、特に境港の駅前に「水木しげるロード」がある事から、各駅に妖怪の名前が付けられていて、当駅は「ねずみおとこ駅」と名付けられています。

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駅名標周辺

本来はこういう写真を冒頭に載せているんですが、ここへの訪問は何度もあって写真を撮った時期もバラバラで後から見つかったので、2枚目に載せました。

あまりにもいろんな時期のがあるんで都度時期を書きますが、この写真は去年2011年5月に寄った時の様子です。

JR西日本の米子支社が入っていて、山陰本線では鳥取県東端の東浜駅から益田駅を管轄するなど、JRの支社として山陰では最重要拠点の役目を担っています。

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鬼太郎階段

これも2011年5月の写真ですが、
ゲゲゲの鬼太郎に関係するのは、水木しげるロードのある境線の方になりますが、その境線のある「0番線」への案内として鬼太郎の絵が描かれています。

ちなみにホームは3面6線と広大で、2路線しか属してはいませんが、伯備線の電車も特急・普通含めここまで乗り入れるので、これだけの線が必要になる、といったところでしょうか。

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米子駅 駅舎(1990年ごろ)

今から20年以上も前の米子駅です。

米子には時々来ていたので、古くからその姿を見ていますが、境線が注目されるようになったのはここ15年くらいでしょうか、「山陰夢みなと博覧会」などがあったりして。この写真はそれ以前の時代のものです。

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米ッ子合掌像

と名付けられた巨大なモニュメントが駅前にそびえ立っています。

なんでも米子の「米」の字を象徴していて、世界の人々を合掌する気持ちで迎えようという意味があるのだそうです。

ちなみにこれは2010年1月撮影です。

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駅舎 (2004年)

2004年当時の駅舎です。

1990年ごろはてっぺんに米子駅なる表示がありましたが、ここでは真ん中あたりの階にローマ字でYONAGO STATION と表記されています。

ここでも米ッ子合掌像が見えます。

米子駅の駅舎を見ていつも思うのは、「学校のような駅舎」という事です。ホントに学校の校舎や市役所チックな建屋だなと思います。

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駅前交差点

駅前の交差点は駅前広場への出入りの車も含めて様々行き交っていました。

隣の都市駅である松江駅は駅からまっすぐに伸びた通りがない(横切る形での通りはありますが)ので、米子の方が駅前がしっかりとメインの通りがあるように見えます。

ちなみに20年ほど前の話ですが、この駅前に安くで服を買える店があって時々寄ってました。名前も場所ももうろくに覚えてないけど、今はもうないのかな??とかこの風景見る度に思い出します。

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