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30和歌山県

2018年11月 9日 (金)

和歌山/田辺 弁慶の生まれたところ

和歌山県田辺市、JR紀伊田辺駅周辺の様子です。

(2009年8月当時)

最近、京田辺市の記事をupしましたが、今回は「京」のつかない純粋な「田辺」市の記事です。

●ブラウン管テレビ

紀伊田辺駅前のホテルに泊まった時に部屋にあったテレビです。

当時はまだ地デジ移行前でしたが、2009年当時の薄型テレビ普及率は約50%と半数で、こらはまだブラウン管勢として残りの50%を占めていたひとつだった訳ですね。

わざわざこの写真を撮っていたのは、リモコンが昔自分の持っていたテレビと一緒だ!と思い、本体も似たようなやつだったので記念に撮った具合です。

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●ある商店街

紀伊田辺駅から南西へ約200Mの商店街の一角です。

シャッターの閉じた店もあり、昔の雰囲気を保ちつつ人の気配はまばらでちょっとゴーストな感じでした。朝早かったのもありますが。

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●闘鶏神社 入口

紀伊田辺駅前のホテルに泊まって、チェックアウトしてからこの闘鶏(とうけい)神社へ向かいました。

紀伊田辺駅からだと南へ直線距離で200m程ですが、直線で行けない為もう少し歩く事になりそうです。

「日本神話の誘(いざな)い」という幟がズラリ並んでいました。

5世紀からの歴史があるという由緒ある神社で、「権現さん」とよばれています。

湛増(=たんぞう・1130-98)という僧が源平合戦の際に鶏を紅白に分けて闘わせた為、「権現」といわれるようになり、神仏分離令の際に現在の闘鶏神社になったといいます。

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●説明板

境内に入りました。

こんな木の板で神社の説明がありました。

当初の名は田辺の宮というもので、7/24・25に紀南の大祭として田辺祭が行われるとの記載がありました。

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●闘鶏神社の指定文化財

無形民俗文化財として先に記した田辺祭が筆頭に挙げられていましたが、紀州三大祭のひとつとされています。

実に450年の歴史をもつといい、江戸時代よりも前ですね。安土桃山時代。

17世紀後半には笠鉾の原形ができあがっていたようで、今でもその笠鉾の曳き揃えがあるなどと記されていました。

古文書の類として万代記、田辺町大帳などが挙げられています。

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●鶏

その名を表す「鶏」がきっといるはず、と思って探していたのですが、居ました!

かなり地味に居た感じですが…

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●弁慶社

同じ境内にあった「弁慶社」です。

この紀伊田辺と弁慶との関係ですが、弁慶はここ田辺の生まれとされる説があります。まず弁慶自体が実在の人物かどうかも定かではない訳ですが。

京の五条大橋だかで義経と出会ったというような話からすると、京都のそこいらの人かと思っていましたが、和歌山のこの田辺の説が有力だとは、という感じでした。弁慶の産湯の井戸や釜など色々と遺物遺跡が多く残されているともいいます。

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●湛増弁慶の像

弁慶といえば相方は義経、ここにいるのも当然義経であろう、と大方の方が思われるかと思いますが、ここにいる相方は「湛増」です。先に記した紅白二色の鳥を闘わせて、この神社の名付け親となった人物です。

実は湛増は弁慶の父親で、熊野三山の統括に当たった「熊野別当」という役職についた人物でした。湛増は実在人物のようですが、息子とされる弁慶は不明という、よく分からない状態です。ここでは親子して鶏合わせを見ているとされる画となっています。

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●拝殿

闘鶏神社の拝殿です。

ある意味独特な佇まいが感じられました。

屋根縁の両サイドがちょこっと出っ張った感じとか、真ん中に妻がちょこっと現われている感じとか。

神社特有の荘厳な感じはあまりしなくて、どこか庶民的な建物の延長上というか、親しみのようなものがありました。

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●社務所

ここに来た時はまた早朝であったので誰も居ませんでしたが、昼間は誰か居そうな感じの社務所がありました。

拝殿よりこちらの方が荘厳な印象かも…。

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●商店街と、どさん子

闘鶏神社を出ました。

そしてこんな商店街がありましたが、片側のみの形になっていて、それもシャッター商店街という感じで、そんな中見つけた「どさん子」ラーメンのお店。どさん子ラーメン今何店舗残っているのかな?と調べてみたら、昨年4月1日をもって株式会社どさん子としては消滅した、とありました。

現在はアスラポートという会社に吸収合併され、最大1,200を誇っていた店舗数も最近では139(2017年当時)にまで減っているのだとか。知りませんでしたが、「どさん」とか「どさん子大将」とかいうお店は何の関係もない会社が運営していたラーメン屋だったのでした。

この店舗ってもれなく色褪せてる感じがなんだか好きなんですよね。

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●スナック街

小都市であっても市の中心部は駅前のどっかにはこういったスナック街があるもんですね。夜は華やかであったであろう景色が、朝になると兵どもの跡、という感じです。

看板が縦に立ち並ぶ姿は昭和感満載でした。

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●田辺ステーションホテル

この時泊まったホテルです。

紀伊田辺駅を出て右へすぐのところにあり「徒歩0分」と謳われていました。いやいやさすがに1分は歩くやろ、と思いましたが(笑)

ここの駅前にはそんなにホテルがないので駅の真ん前にデンとあるのは大変貴重です。

横に非常用の外付け階段がついていますが、こういうところに昭和を感じます。

こう見えて喫茶・レストラン・土産物店も設けられています。この当時は全くの素泊まり利用でしたが。

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●弁慶イラスト

弁慶の懐中時計などと記されていました。

紀伊田辺駅前の一角で、レストランモミの木というのがありましたが、ここにはシラスやヒジキなどを使った「田辺丼」というものがあるそうです、食べたかった…。

巡る場所場所に弁慶が付きまとっていたような、そんな「京」のつかない、紀伊田辺の街でした。

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2018年6月 2日 (土)

和歌山/紀の川 粉河寺35,000坪に酔え!

和歌山県紀の川市、JR粉河駅からの歩き旅です。

(2018年1月当時)

●粉河駅前通り

それなりの高さの商店や施設に囲まれる中で多少のカーブをつけながら続いていくこの道は、そのまま粉河寺へつながっていきます。

「とんまか通り」という典型的な門前町が形成された通りで、この県道124号線は名前もそのものズバリ「粉河寺線」で、まさに粉河寺への道です。

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●Ksマートちからや

粉河駅から粉河寺への約1kmの道のりの途中にあるお店です。

この昭和感満載の店に括目せよ!という感じでした。

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●朱塗りの橋

粉河寺の手前の橋ですが、思い切り工事中でした。

ここからはほんの少しで粉河寺の門が待っています。

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●西国第三番 粉河寺

という事で粉河寺の山門です。

この赤を基調とした大きな山門がかなり印象的でした。

「大門」といわれ、重要文化財に指定されています。

この大きな門は和歌山県では、高野山・根来寺に次ぐ規模といわれ、粉河寺ってこの粉河に来るまでは正直知りませんでしたし、その存在を知った後も規模など全く関心もなかったのですが「行けば分かる」としか言えないですね。

1706年に建てられた総欅造りの建物で、のっけから威圧感抜群でした。

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●粉河寺大門 説明板

大門の前に建っていた説明板です。

桁行が12.5m、梁の間が7.5mという大きさを誇ります。

当時あまり例のないスタイルで建てられていたという事ですが、当時の形態がよく保たれてもいるようです。

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●いざ、境内へ

大門を通ってすぐの地点ですが、えらい広いお寺だな!とここで初めて気づきました。

それでもこの向こうに見えている所に拝殿があって、それぐらいの所だと思っていました、しかしそれが違う事に気づくのはもっと先へ進んでからでした。粉河駅にえらくこの粉河寺がアピールされていたな、と思っていましたが、そこらのお寺の広さではなかったのですね。

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●茶屋

上の写真にも見えていますが、粉河寺入ってすぐの右側にある茶屋です。

いかにもそれっぽいメニューの看板が出ていて分かり易いです。

単に茶屋だけでなく土産物屋さんもあります。

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●すばらしい石垣

茶屋と道を隔ててある石垣の坂道です。この先通っていないので何があるのかは見ていませんが、坂道だけでなく、サイドの壁?にあたる部分まで石垣となっていて石垣づくしのゾーンでした。

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●長屋橋と川

茶屋を通過した直後にこの長屋橋があり、その下を流れている長屋川は綺麗なカーブを描いていました。これまた石垣の素晴らしい所でした。

この川に粉河の地名由来があるようで、この川に対して「粉をすって入れたような白い流れ」といわれた事からきているとか。

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●旧南丘家住宅

大門から茶屋を通ってすぐの所で一旦右へそれ、お寺の施設を少々外れる形で案内標識が出ていたので行ってみました。

旧家があるだけですが、えらく案内標識が出ていました。

という事でやって来ました、旧南丘家住宅

元禄年間というので1700年ごろには鷹狩の調達役の役人の長屋があり、周辺には御鷹部屋や鷹匠屋敷も存在していたと記されています。今でも「鷹匠町」として地名に残るところもありますが、この辺りはそういう町だったのでしょうね。

紀州藩では和歌山城下以外でこのような鷹狩りに関する職制があったのはここ粉河だけで、藩主の鷹狩の拠点であったとの記載もありました。

紀州藩といえば「暴れん坊将軍」の徳川吉宗の将軍になる前の拠点で、その頃からかなり盛んであったのでしょうか?江戸でもそれまで「生類憐みの令」で禁止されていた鷹狩が、吉宗の将軍治世に復活したともいわれています。

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●不動堂

旧南丘家住宅を見てから、また茶屋の所へ戻ってきて、境内を直進します。

最初に行き当たった建物はこの「不動堂」でした。

弘法大師爪彫の不動尊を安置す、とありました。爪彫って爪で彫ったという事なのか…弘法大師爪彫の…というのは他にも出てくるようですが、弘法大師はどこでとんだけ色んな事やってたんだ?と思いますよね。

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●粉河寺案内図

がありました。

普通の寺社なら拝殿までたどり着いている距離でも、このお寺ではまだまだ全然序の口の地点です。本堂なんてまっだまだ先です!

現在地が左端の真ん中とすると、これを横にずーーっと行っても左折してまだ進むという感じで、一通り見るのにどれくらいかかるか、ここで全貌を知りましたが、本当に大きなお寺です。紀の川市随一の観光地といっても過言ではないと思います。

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●長い参道

上の写真の案内板の所を右折して、ずーーっと直進していきます。

左には寺院の建物が続き、右には川の流れが続いていきます。

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●童男堂

粉河駅の記事で、駅前に童男大士像というのがありましたが、これを祀っているお堂で、1679年の建立と考えられています。

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●本坊

粉河寺本坊とあった門の立派な建物で、御池坊ともいわれています。

建物の名称を金色で書かれていてこれがまた素晴らしい、格調高い感を与えてくれます。

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●仏足石

お釈迦様の足跡が刻まれており、その大きさはすなわち人徳の大きさを表しているといいます。

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●出現池

この門の中が池を含んだ庭園になっています。

このお寺を象徴するといってよい童男大士が柳の枝を手に白馬に乗って現れたとされています。千手観音の化身といわれますが、現世利益の佛としてたいへん霊験あらたかであるともいわれています。

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●念仏堂

これも一連の境内を直進する中にあったものですが、光明殿ともいわれています。

阿弥陀如来の安置された江戸時代後期建立で総欅造りのお堂です。入る時の大門も総欅でしたが、ケヤキはお寺の建材に欠かせない、丈夫で耐朽性の高い木なのですね。

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あまりに多くて一度に紹介しきれないので、一旦ここで切ります。

粉河寺の広大さは訪ねてみて大いに実感するので、この広さと建物の多さに是非とも酔いしれてほしいと思います。

2018年5月30日 (水)

JR粉河駅 (和歌山県紀の川市)

和歌山県紀の川市のJR粉河(こかわ)です

紀の川市ではJR打田駅をupしていますが、今回はこれにつづいて紀の川市の駅についての記事をお送りします。

-JR粉河駅-
【路線】
JR和歌山線(王寺-和歌山間)
【開業】1900年11月25日
【訪問】初訪問-2009年8月
【1日あたり平均乗車人員】 1,112人/日 (2016年)
【近隣の主要駅 (王寺方面)橋本駅→9駅  
            (和歌山方面)打田駅→2駅


●駅名標周辺

「こが」でも「こなかわ」でもなく、 「こかわ」です。

紀の川市では2駅隣の打田(うちた)駅が中心駅とされていますが、ここ粉河は市を代表する観光名所のひとつである「粉河寺」の最寄駅として、市内の重要な駅となっています。

といっても和歌山線のみに属する形であり、沿線の紀の川市の駅もすべてこの形で、特別大きい駅というのがこれといってないところが紀の川市内の駅の特徴です。むしろJRではなく、和歌山電鉄の貴志駅というたま駅長の駅の方が断然有名で、JR駅にひとつ市内の分かり易い拠点駅がほしいものだと思いました。

2009年に初訪問しましたが、これはその時の様子です。2018年、今年再訪しましたが、特に大きくは変わっていませんでした。

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●ホーム

1面しか見えていませんが、2面3線のホームです。

ホーム上に屋根のあるエリアがかなり小さく、拠点駅感があんまりない感じです。

向かいホームとは向こうの跨線橋で繋がっています。

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●ホーム2

上の写真にも遠目に見えていますが、粉河寺の広告塔が立っていました。

こういうところはやはり単なる1駅にとどまらないところ、というものでしょうか。粉河寺はとにかく敷地の広いお寺で、すぐには回り切れないです。

当駅から北へ1kmとありますが、駅前の道路をまずはひたすらまっすぐ歩く事となります。

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●駅前広場

とにかく粉河寺が観光名所であるこの辺りで、900m直進で粉河寺の案内板が出ていました。

傍にいるのはビリケンさんではなくて童男大士(どうなんたいし)というもので、粉河寺の中にもその像はありますが、千手観音の化身とされています。国宝となっている「粉河寺縁起絵巻」にも載る重要人物?とされています。

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●粉河駅前通り

過去2回行きましたが、この道しか通った事がありません(笑)

駅からまっすぐ伸びていく道です、粉河寺もこの道まっしぐらです(笑)

商店街的な性格の強い通りという感じでしたが、あまり立ち止まって行くような所は記憶にはなかったです。中心街らしく金融機関は並んでいましたが。

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●駅前東

駅からまっすぐ伸びている上の写真の道路は駅から北へ伸びていますが、こちらは線路と平行に、駅前広場から東へ伸びている道路です。

直進すると県道7号と交差する道で、この道自体も和歌山県道123号となっています。

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●粉河駅 駅舎

平屋建ての横に長い駅舎で、北陸の小都市の中心駅のような雰囲気でしたが、あまり駅自体のスペースが広い訳ではなかったと思います。

この沿線だと岩出駅(岩出市)や打田駅(ここ紀の川市)などの市の中心駅がありますが、どれもこじんまりとしすぎるくらいの駅舎で「これ市の中心駅か?」と思わされるぐらい小さな駅舎で、ここがかなり大きい部類に入るのでは?と感じるほどです。

駅名表示のこじんまり感もこの辺り特有という感じでした。

ここから行くならズバリ粉河寺です。ここを行かない手はないかと。

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2018年1月17日 (水)

和歌山/橋本 押し寄せる路地群

和歌山県橋本市、JR橋本駅からの歩き旅です。

(2007年1月当時)

●駅前通り

今からもう11年も前の姿になります。

駅からまっすぐ伸びた道路周辺の様子です。

昭和の色が結構残った雰囲気で、通っていて楽しかったです。今はどれくらいここから変わっているのか?また確かめに行ってみたいものです。

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●更に進む

上の写真の道を進んで行ったところです。

その渋さが本領発揮、ではありませんが、かなり昭和テイスト濃い空間という事を思い知りました。

看板の褪せ具合やコンクリートの色や。ここに写っている○福も花岩もネットのMAPに共に名前があるので現役で稼働していると思われます。

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●川

橋本駅の近くには南側に紀の川、西側に橋本川という川があって、橋本川の方には特に多く橋が架かっています。

駅から200m程で大きな川に遭遇しますが、眺めも綺麗で壮大感があります。

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●石垣と崖屋造り

川の方へ降りていこうとすると、石垣の間から川が覗いて見える所がありました。

石垣を見るだけで「歴史的な何か」を感じさせられるのですが、特にそういうものではないようでした。しかしそれなりに年季の入ったものではあると思います。こういうのがいつ頃できたのか?なかなか歴史には残らないかもしれませんが、とても知りたいです。

で実際に川原まで降りてみて見上げれば、石垣の上に建つ家々が!立派な「崖屋造り」です。ここ橋本駅前では、色んな姿でこのようなハッと息を飲むような景色に出くわしました。

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●ほんまち

ほんまち商店街とされる通りです。

これも10年以上前の姿につき、今でもまだ商店街自体は残っているものの、かなり歯抜けになっている模様で、屋根は既にこの当時からかなりなくなっていて、真ん中に真ん丸街灯が並んでいる状態でした。商店街として機能しているのかどうか…

今ではかなり更地化が進んでいるようで、建物がまだ多数建っているこの写真も在りし日を伝える貴重なカット、という事になるでしょうか?再訪して定点観測?してみたい気もありますが…。

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●橋本橋

上から読んでも下から読んでも、、という「橋本橋」です。国道370号上にあり、紀ノ川に架かっている橋です。

色は決して鮮やかではありませんが、角度によっては迫力が感じられ、サイドの骨組みが逆W型になっているこの橋のタイプは「ワーレントラス型」というそうです。

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●狭い路地と昭和自販機

駅に近くてもこんな狭い路地はザラにありました。今でもきっとそうでしょう。

そしてこの昭和自販機、UCCのものでした。UCCといえば25年くらい前は、今でも売っているオーソドックスなミルクコーヒーのタイプに加えて、BITTERとHALF BITTERがあったんですよね。HALF BITTERが個人的に大好きでよく飲んでいました。この自販機はその頃よりもっと古い時期のものと思いますが。

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●3F建の迫力

このような古風な佇まいで縦に長い3F建てというのは非常に珍しいと思います。

耐震面でどの程度の安全性があるのかな?という事を非常に考えさせられる形をしていました。この後年の同じ建屋と思われる写真には囲いがされていて、現存するかどうか不明です。

橋本駅前はかなり再開発の動きもあるようで、この記事で載せた写真の建物が今どれほど残っているのか…。

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●この狭い路地裏で…

これでも駅前です。多少裏道へそれるものの駅はすぐそこというくらいの位置です。それでもこんな景色に出くわすという、市の中心駅の真近としては異例の景色といっても過言ではないと思います。

何度となく書いていますが、この景色のいくつかはもう既に無くなっていると思います。駅前がいつまでもこんなではいけないという地元の想いもあれば、この景観?を保ちたいという思いもあるでしょう。旅して訪ねる身としては絶対後者なのですが…。

それでもまだこの橋本駅前は訪ねたら渋い箇所は沢山残っていると思います。非日常を感じるのには十分すぎるロケーションと思いますので、それを求めてこの地に来られるのも良いかなと思います。

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2016年8月16日 (火)

南海/和歌山市駅 (和歌山県和歌山市)

和歌山県和歌山市の南海/和歌山市(わかやまし)です。

前回記事で、「和歌山駅」をupしましたが、今回はこの和歌山駅と共に「市駅」として相並び立つ和歌山市駅の記事です。

-JR・南海/和歌山市駅
【路線】JR紀勢本線(亀山-和歌山市間)
    南海本線(難波-和歌山市間)
       和歌山港線(和歌山市-和歌山港間)

【開業】1903年3月21
【訪問】初訪問-2006年7
【1日あたり平均乗車人員】 JR-1,845人/日 (2014年)
                  南海-17,732人/日(同上) ※南海は乗降人員
【近隣の主要駅(亀山方面)和歌山駅→2駅
           (難波方面)みさき公園駅→4駅

           (和歌山港方面)和歌山港
→隣駅 
           (加太方面)加太駅→8駅

●駅名標

ここへの初訪問は2006年7月ですが、写真は2007年4月訪問時のものを中心にお届けします。

JRも紀勢本線として通っているのですが、和歌山駅と結ぶ線の要素が強く、南海の主要駅としての機能が前面に出ている形で利用者数にもかなり差があります。それ故この記事タイトルも「南海」と冠しました。

この駅名標はJRの路線のものですが、駅名標は完全に南海で、JRには路線が通っているだけで、他は全て南海といっても過言ではない雰囲気がありました。

南海では本線の終着駅という重要な役割を果たし、また隣の和歌山港駅と1駅分だけ結ぶ「和歌山港線」としても所属しており、また属してはいないものの加太駅までを結ぶ「加太線」も当駅へ乗り入れてきています。

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●改札

ホーム内の写真をあまり撮っておらず、次はこの改札の風景です。

こういうカットを撮るのは珍しいのですが、奇跡的に人がいない瞬間があったので。人がワンサカいるうちは基本撮りません。

JRも南海も共用の形で、同じ和歌山県の橋本駅などもこのような構造と記憶しています。南海の方は車両数の情報も載っていますが、JRは時刻だけで、ここにも南海優位の感を垣間見ました。

それぞれ全然時間帯が違うところに、路線によっての運行状況(本数)を窺い知る事も出来ますね。

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●階段を下りる

和歌山市駅といえば正面にデンと構える大きな階段が特徴的で、鹿児島中央駅を思い出しました(あんなに階段むき出しではありませんが…)

そんな階段を降りる時のカットです。地下にも商店街があります。

冒頭も書きましたが、この駅は「市駅」の愛称で親しまれており、一方の和歌山駅の方は「和駅」といわれています。それぞれ市内で中心駅として並び立つ存在で、両者の距離は3㌔余りあります。市内の主要施設へはどちらの駅からでもそれなりに距離があり、アクセスが良いのかどうかよくわからない町、というのが個人的印象ではあります。

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●駅前通りへ

駅舎の前はこのような広い道路があって、これを隔てて駅前の通りへ。

元々あったアーチを遮る形で、ホテルの看板が出ているのがなんとも関西…な気がします。

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●駅前広場

バスターミナルが広がっていて、和歌山駅と並びバス交通の重要拠点として存在しているのが窺えました。

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●和歌山市駅 駅舎

和歌山駅と並ぶ、堂々とした佇まいの駅舎です。

昔の和歌山駅もこのような色ではありましたが…。

しかしこの駅もピーク時の昭和40年頃の乗降人員は約5万人、現在はその1/3程度にまで落ちてしまい、また駅舎の老朽化もあり、建て替えになるというニュースがありました。

図書館が入り、スーパーも入るとの事で、イメージ図も見ましたが、このようなカラーではなく、白を基調としたシックな色遣いになるようで、こういう目を惹く感じではなくなってしまうのかな、と思うと少々残念な思いもします。

2015年からの5か年計画で再開発を行うとの事で、現在真っ最中かと思いますが、この駅の姿はこの記録にていつまでも残ってほしいと思い、また新駅の姿にも期待したいと思います。

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2016年8月15日 (月)

JR和歌山駅 (和歌山県和歌山市)

和歌山県和歌山市のJR和歌山(わかやま)です。

和歌山市は和歌山県の北西部に位置し、人口は362,840人(2016.6.1現在)で、和歌山県の県庁所在地であり、紀州徳川家が治めた紀州藩の城下町として栄え、かの徳川吉宗もここから世に出た人物です。

かつて1980年代前半は人口が40万を越えていた時期がありましたが、近年は減少が問題となっており、当時より1割ほど落ちています。

-JR・和歌山電鉄/和歌山駅
【路線】JR紀勢本線(亀山-和歌山間)
      阪和線(天王寺-和歌山間)
      和歌山線(王寺間-和歌山間)
    和歌山電鉄貴志川線(和歌山-貴志間)

【開業】1924年2月28
【訪問】初訪問-1993年9
【1日あたり平均乗車人員】 5,251人/日 (2014年)
【近隣の主要駅(亀山方面)海南駅→4駅
           (天王寺方面)和泉砂川駅→6駅

           (王寺方面)岩出駅
→6駅 
           (貴志方面)貴志駅→13駅

●ホーム

ここへの初訪問は1993年9月、実に23年も前の事となりますが、この記事でお送りする写真は2006年7月の再訪時のものを中心にお届けしていきます。それでも10年前になりますが、このあたりの景色はそんなに変わっていないのではないか、と勝手に思いながら載せます。

さて、この和歌山駅、開業が1924年と他の主要都市駅に比べるといささか遅い形となっていますが、この駅は元々東和歌山駅として開業したものであり、この時既に「和歌山駅」が別に存在していました、今の紀伊駅(現・和歌山駅の隣駅)です。その後、様々な世の流れの変化に従い、当駅の方が中心的機能を持つようになり、1968年になって現在の「和歌山駅」に改称されています。

JRで複数路線に分岐するキー駅ですが、どの路線でも終着駅扱いで、紀勢本線と阪和線の境界となる駅でもあります。また、JRのみらず「和歌山電鉄」の始発駅でもあり、この鉄道では終点まで乗って行くと、あの「たま駅長」の居る"貴志駅"に辿り着きます。初代駅長は亡くなってしまいましたが、現在は2代目のたま駅長が就任しています。

南海に「和歌山市駅」があります(JRと共存)が、こことは少し距離があり、JRで紀伊駅を挟んでの移動、またはバスでの移動になります。松山駅と松山市駅との関係に少し近いですかね、この両者の場合は鉄道での移動は不可能ですが。

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●ホーム2

ホームから階段へ行くにあたっての各ホームの案内はこのようになっています。

これ以外に7番線は和歌山線として岩出方面、8番線は和歌山市駅と結ぶ紀勢本線で、この撮影しているホームはこれらにあたります。その為、この駅名標では隣駅表示が片側しかない格好となっています。

また、9番線として和歌山電鉄のホームがあります。6番は欠番であり、しめて5面8線と広大なホームを有する形となっています。とても中心駅ではなかったとは思えないですね。

ここから「9番線」の写真までは2010年10月の再訪時のものです。状況はあまり変わっていないかと思いますが、車両によっては2006年当時なかったものなども出てきます。

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●駅構内

何といっても印象的なのが、このように自動車を駅構内に展示している事です。

これはダイハツのディーラーにより置かれているもので、新大阪駅にも同様に置いてるのだとか、新大阪には何度も行っているものの全く気付かなかったです。

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●8番線から

という事で、こちらは和歌山市駅と結ぶ紀勢本線のホームで、当駅→紀和駅→和歌山市駅と結ぶ短い路線用です。

ちなみにかつて和歌山駅を名乗っていたのは「紀伊駅」で、この「紀和駅」と紛らわしいものがあります。

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●9番線

こちらは和歌山電鉄のホームですが、独特なカラーの列車が顔を覗かせていたので衝動的に撮ったものです。 「おもちゃ電車」と呼ばれる車両で、2007年に登場したそうですが、このあと2009年には、猫の顔が模された形がフロント部に出てくる「たま電車」が登場する事となります。いずれも有名な水戸岡鋭治氏の手によるデザインだそうです。

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●駅前目線

和歌山駅を出ての様子です。

さすが県都、堂々とした佇まいで、高層の建物が向こうへ続いていっています。

和歌山県は特に、人口規模では和歌山市一極集中の状態で、次に人口が多い自治体は田辺市の7万台です。そんな背景もあって、和歌山県内でこのような高層の建物が続くエリアというのはそうそうないという事です。

あと、ここで印象的なのは近鉄の電車は一切走っていませんが、向こうに「近鉄特急」の看板が見えたり、近鉄百貨店が入っていたりします。

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●近鉄百貨店

という訳で駅の真ん前に堂々と建っています。

和歌山市はおろか、和歌山県自体に近鉄は走っていませんが…。和歌山県で走っている大手私鉄は南海のみです。ちなみに和歌山「市駅」の方の駅ビルは「南海和歌山ビル」となっています。

2014年に高島屋が閉店以降、市内はおろか和歌山県内でさえも、ここが唯一の百貨店として生き残っているそうです。近鉄における売上としては、あべのハルカス店がダントツで、奈良店や大阪上本町店よりやや下という状態で、2013年の調査で売上234億円、全国73位という記録が残っています。地方都市での「百貨店」という業態の今後というものは色々考えさせられる要素がありそうです。

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●和歌山駅 駅舎

2007年4月当時の駅舎です。

この当時からでは駅ビルの名称が変わっており、この当時は「VIVO和歌山」で、現在は「和歌山MIO」としてリニューアルされているという事です。長らく行っていないので、その辺りもまた確認したいものですが…

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●和歌山駅 駅舎2

こちらは初訪問した1993年9月当時の駅舎です。

建物は同じですが、外装が今とだいぶ違っていて、濃い色で迫ってくる感じ?がありました。

この時は、近畿地方で最後に訪ねた県が和歌山県で、しかもここだった、という個人的にはかなり記念すべき訪問でした。

建屋の前にかかっている幕に枠がなく、そのまま垂れ下がっている感じで、後年のものは枠内にはまる形となっています。

この幕のいちばん右の分には「世界リゾート博」という、この翌年1994年夏に和歌山で開催された体験型博覧会のものがあり、時代を感じさせられます。関西国際空港の開業はこの博覧会の終盤となったものの、こういう形での地方での博覧会の「稀有な成功例」として語られています。

駅に歴史ありで、建物が変わっていなくても、色々な部分に目を向けて時代を感じる事ができるものだなと、改めて思わされました。

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2016年7月 9日 (土)

和歌山/岩出 岩出駅前・哀愁のYロード

和歌山県岩出市、JR岩出駅前の様子です。

(2010年10月当時)

●ガイドマップ

小さい駅ながらも市名を名乗る中心駅として、駅前にはこのような案内図がありました。

現在地である岩出駅は、この図でいうと真ん中よりやや右下の大きめの丸の部分です。

すぐ下を流れているのは紀ノ川です。

地図上部にある豪華そうなお寺は新義真言宗・根来寺というお寺です。「新義真言宗」というのは真言宗の宗派のひとつで、真言宗は大日如来が自ら説法するというもので、新義真言宗では大日如来が説法の為に加持身となる、という違いがあるそうです。岩出に来たなら行ってみたいひとつかもしれません(行きませんでしたが…)、バスで10分+徒歩10分、あるいはタクシーで10分等のアクセスになるといい、徒歩ではちょっと辛いようです。

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●駅前通り

高い建物はなく、それでもそれなりには駅前らしい通りの雰囲気は出ていました。商店らしき建物が並ぶ感じで。

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●タケベ薬局

この岩出の街で見た最も鮮烈な印象をもった場所かもしれません。

こんな薬局まだあったんだ!という目で見てました。

近頃量販のドラッグストアがあちこちで見られる訳ですが、そんな中にこういった昭和の薬局の王道といえる存在がこうして見られるのは、本当に嬉しい事でした。

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●いわでマンホール

真ん中上部は市の木ウバメガシ、その両サイドに市の鳥であるウグイス、外周には市の花である桜が散りばめられているという、発想的には至ってシンプルなネタのマンホールとなっています。

ウバメガシとは「姥目樫」と表記し、いわゆるカシの木な訳ですが、その中でも硬い葉をもつカシだそうで、都道府県によっては絶滅危惧種にも指定されているようです。

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●岩出郵便局

岩出市の本局ですが、大きな郵便局って大抵、割に四角いゴツゴツとした存在感のある建物である場合が多いと感じますが、こんな風に庇が長くついた局は珍しいのでは?と思いました。

開設は1872年、岩出郵便局という現在の名称になったのは1883年という歴史の長い局でもあります。

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●中華料理

の看板が寂しい通りです。

庇が骨組みだけになっていますが、営業しなくなってから何年ぐらい経つんだろう、とこういう店を見る度想像してしまいます。往時の思いを馳せる、そんな感じも抱きます。

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●岩出市役所

学校のようにも見える建物でした。結構道路沿いにあるというか、道路と建物の間に広場的スペースが殆どない構造になっていました。町役場から市役所にそのまま移行となったせいなのかは分かりませんが。

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●小豆島?

街を歩いていたら、「小豆島」なる文字が道路標識に!

「しょうどしま」ではなく、「あずしま」と読みます。

川の中州ということで「島」という地名になっているのでしょうか。

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●Y字路

最後に、典型的なY字路です。

岩出公民館付近の地点ですが、挟まれる格好になるこのブルーの建屋の形がなんともいえないものを感じます。道路の形に合わせるように段々幅が広がっていく感じに惹きつけられます。

もう少し、岩出の歴史に触れるものに出会いたかったのですが、駅前をそこそこ歩くだけでは少し足りなかったかもしれません。岩出の街の風景記録としてこの記事をあげたという事で。

以上 岩出の様子でした。

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2016年7月 7日 (木)

和歌山/海南 20年ぶりの街歩き

和歌山県海南市、JR海南駅からの歩き旅です。

(2013年8月当時)

●駅前道

駅から伸びる道路ではなく、駅前広場を挟んで線路と平行に走る道路です。

この能開センターは20数年前の初訪問時もここにあった気がします。駅は大変変わりましたが、対岸は当時に近い、印象が強かったです。

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●ヴァンサンカン

海南駅と平行に走る道路上にある喫茶店です。

これも1993年訪問時にあった気がします。すごくおいしそうで、あれもこれも食べたい!と思った記憶があるのですが、あちこちでそんな事を思っていた為、本当にここだったか定かではありません。それにしてもおいしそうですね、このメニュー群。

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●一番街商店街

駅前の商店街として代表的な通りです。

商店街の振興組合は昭和52年にできて、間もなく40年を迎えようとしています。身近な女性をターゲットにイベントを企画立案、実行するという独自の取組みも行っているといいます。

この垂れ下がっている3連の街灯も独特の華やかさを感じますね。

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●海南医療センター

の前のバス停です。

元々は1939年に海南診療所として開院したもので、46年には市民病院となり、この年の3月に当地に移転したばかりの状態でした。それまで市民病院の名で親しまれて約70年、ここへの移転が大きなターニングポイントとなったようです。

バス停のダイヤを見ると、4路線のバスが止まるものの、毎日運行便はなく、月水金の運行です、等の但し書きのある状態で、各路線1日2便程度で、土日運行はありません。

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●ジャスコ跡

サビの目立った建物のてっぺんに薄く{JUSCO」の文字が…!

今は亡きJUSCOの跡地ですが、昭和42年に海南市に進出した「海南店」とは別に昭和53年に開業した「海南ココ店」の跡地のようです。この辺りは開店当時は「海南一の繁華街」といわれ、大変栄えたそうです。「ココ」という商業施設に核店舗として入ったJUSCOも2007年に29年で撤退となりました。ちなみに海南店の方は1967年開店、2001年に閉店しており、その跡地はナント、上の写真の海南医療センターなのだとか。

海南ココ店は当初、「絶対に撤退しない」との約束を反故にして撤退し、その後裁判沙汰など泥沼の様相を呈したとか。

地域にとってこういった大型SCの進出というのは、当時の周辺地域にとって脅威であったり、異物であったり、歓迎される向きではない部分も多分にある事と思いますが、それらの難題をようやくクリアして開店にこぎつけたと思ったら、20~30年程度で撤退されると、その痛手もまた大きいというものですね。

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●じどうとしょかん

という、インパクトのある文字と、インパクトのあるレンガ色の建物、大変印象的でした。

海南市の図書館としては下津図書館という旧海南市外の旧・下津町のエリアにあるものの、旧海南市内のこの辺りのエリアでは、この児童図書館しかないようで、それがなんだか意外でした。

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●海南市民会館

このコンクリートの渋さに満ち溢れた建物がなんとも印象的な市民

会館です。色んな印象的な建物が立て続けに見られた、という訳ですここまで。

派手な色にするわけでもなく、きれいな色にするわけでもなく、この色で通してきた?のも逆にすごいと感心してしまいました。いつの建築かなかなか分かりませんが、この年季は本当に素晴らしいです。

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●海南市役所

をいろんな角度から。

これまたコンクリートの年季に満ち溢れた魅力的な建物でした。

昭和40年築のもう50年にもなる建物だそうですが、色による年季感もさる事ながら、この建物の複合感というか、いろんな形を寄せ集めた感もまた妙な雰囲気を醸し出していて、見る者の心を掴んでしまう、そんな気がします。

まるでジェンガのように下の層に無理矢理乗っけられた感満載の上の層、そしてその上の層を串刺しにするような突起物(エレベータ?)、すべてのゴツゴツしたものがつくり上げた芸術感溢れる集合体、ハーモニー?書いてて訳が分からなくなりましたが、この建物を堪能せよ!という気持ちでいっぱいです。

海南へ来たなら、こんな色々な建物群に心を打たれるべし、そう勧めてもよいかなというぐらい、魅力たっぷりです。

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2016年7月 5日 (火)

JR海南駅【新】 (和歌山県海南市)

和歌山県海南市、JR海南駅(旧)としてupしていましたが、20年ぶりの再訪で新駅舎の御紹介です。

といっても、旧駅記事の訪問年が1993年で、今回記事分は2013年当時のものです。

●駅名標

旧駅舎の記事の時は、駅舎しか撮っていなかったので、このような内部写真は一切ありませんでした。

ちなみに隣駅名のある「しみずうら」とは「冷水浦」と表記します。清い水ではなくて、冷たい水なんですね。

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●ホーム

和歌山駅から4駅という好立地で、2面4線の高架駅です。

高架化されたのは1998年の事で、旧駅記事の訪問より5年後、本記事の訪問時には既に高架化後15年の月日が流れていました。20年ぶり再訪というのはやはり、時の流れを感じずにはいられませんでした。

上側の写真の電車は117系の「和歌山色」といわれるものだそうです。「普通」とありますが、表示がなければ特急かな?と勘違いしてもおかしくないぐらいのものでした。

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●観光案内図

海南・海草 観光案内とありました。

海草とは、隣の海草郡を指していると思われます。

高校野球などで昔語りによく「旧海草中学」というのが出てきますが、これは現在の和歌山県立向陽高校という和歌山市内の高校です。尚、この学校は和歌山県内で初の中高一貫型の県立の学校として存在しています。

地図の左側に海がありますが、線路はこの海沿いに通っており、当駅もそんな海の割に近くにあります。さすがは「海」南というところで。

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●駅前広場

整備された床面がかなりのスペースにわたり広がっています。

下側はほぼ駅向かいの位置になりますが、これらの建物は20年前と大きくは変わっていない印象がありました。当時はこんなきれいな床面は殆どなかったと思いますが…。

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●駅前石碑

駅舎が見えてしまっていますが、これをバックにする形で建っている石碑です。

「紫の 名高の浦の 靡(なび)き藻の 情(こころ)は妹(いも)に 因りにしものを」とあります。

萬葉集からの撰で、作者は不詳ですが、「名高の浦になびく藻のように 私の心はあなたになびき寄ったものを」という意味だそうです。ここ海南駅の住所が海南市名高というもので、この辺りが海岸線であったとも。

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●海南駅 駅舎

1998年に新駅舎となってから、2013年になって初めて新駅舎を見た格好になります。

旧駅舎に比べて随分大きな駅舎になりました。またブルーレインボーといった感じの出入口上の模様も大変インパクトがあります。

向かいの海南駅しか知らない、という方にはこの姿は是非とも見てほしいものです。

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2014年1月13日 (月)

和歌山/御坊 JR御坊駅からひと駅歩き

和歌山県御坊市、JR御坊駅からの歩き旅です。

(2010年10月当時)

御坊駅から

JR御坊駅から通りを眺めた様子です。

この時は紀州鉄道の駅をひと通り行こうって趣向で訪ねました。紀州鉄道の同名駅も同じ場所にあるんですが、ここからではなくまずはタイトル通りひと駅分歩く事としました。その行程こそがこの記事そのものであります。

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幹線道へ

駅前から程なく右へそれて、この幹線道へ。

ここを暫く歩いてから左へそれて、紀州鉄道のレールに沿うように歩きました。

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小道も

通ります。

幹線道路をそれた後の道はこんなような小道が続きます。

色んな街を訪ねて思うのは、主要な通りじゃなくて、こんな小道にこそ、その町の性格というか独特のものが感じられる、という事でしょうか。

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田んぼ道

田んぼが両サイドにある道も通ります。

紀州鉄道は数駅しかない短い路線ですが、御坊駅から次の駅までがいちばん距離が長く、暫くこんな風に歩いていたのでした。

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田んぼの向こうに

見えるは、紀州鉄道の線路です。

これに沿って行くがために、田んぼの間の道を通って行ってる訳です。

のどかでいいですね、こんな所を走ってる短距離の路線、それが紀州鉄道です。もっとも御坊駅から離れるにつれ、駅間は短くなり、それなりに街も走りますが。

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小さな鉄橋

ローカル線に相応しい、と言えるくらいの小さな鉄橋がありました。

ちょっとした川だけど、こことて橋がなければ渡れないので、それは重要なものです。

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単なる踏切

遮断機も何もない、レールの周囲が板で埋められているだけの踏切です。

そんな猛スピードで走る電車ではないので、よほどでない限り必要ないのかもしれませんが、なんとも簡素なつくりだな、と。

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そして続くレール

踏切を越えて、次の駅まで続くレール。すぐ先にはまた踏切が!

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そしてまた、鉄橋

またもや小さな鉄橋です。

これだけを繋ぐための鉄橋ですが、やはり欠かせない存在です。

そして、程なく次の駅に到達するのでした。

ひと駅間歩いてみるだけでも、色んな風景に出会えるのでこうして歩く事は大事だし、新たな発見にもつながるかと思うのでした。。

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