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32島根県

2017年10月 7日 (土)

島根/浜田 島根の西の城下町

島根県浜田市、JR浜田駅からの歩き旅です。

(2013年3月当時)

●どんちっちタウン

浜田駅の記事でも登場した「どんちっち」。街の中でもこのような壮大なゲートがつくられ、街の象徴的な存在ともなっています。この辺りでは夏祭りイベントとして、神楽フェスタなども開催されています。石見といえばやはり神楽は切っても切れない存在ですね。

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●グリーンリッチホテル

県都・松江市にもあるちょっとリッチ感のあるホテルがここ浜田にもありました。

島根県内では、松江、出雲、浜田とあるようで3大都市のひとつ、の位置づけともいえます?!ちなみに松江市の同じホテル、当時はグリーンホテルと称していましたが、ここは管理人が島根県で初めて泊まったホテルであります。

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●石央文化ホール

石西文化会館、というのが西隣の益田市にありますが、こちらにあるのは石「央」文化ホールです。石州の中央という意味合いでしょう。

パステル調で曲線の入った、ちょっとふんわり目の建物です。大ホールは1,150席のキャパシティがあり、映画上映会や落語の一門会、学校の定期演奏会など様々な催しが行われている浜田の代表的なホールといえます。

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●琵琶町

浜田駅前の隣のバス停です。

浜田駅南口から駅前すぐを右折して、県道208号に入って200m程行くかどうか位の位置にあります。結構駅近ですが、建物の密集度はパラパラとした感じでした。

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●ジェンナー像

ジェンナー(1749-1823)、子どもの頃伝記で習った名前、種痘の研究で有名な人、というイメージです。とにかく野口英世のように病気の研究をして功をなした人という感覚で覚えていた名前ですが、その彼の銅像がこの浜田にありました。

種痘ってそういう病気なのかと思っていたら、昔は死の病といわれた天然痘の予防法として種痘法を発明した、とありました。天然痘を撲滅した訳ですね。子供のころ勘違いしたまま大人になってしまった、よくある事ですね(笑)

この近くの少し離れた場所には頌徳(しょうとく)碑もあり、意外にも?ジェンナーの功績を讃える公的な碑というのは世界中でも、この浜田にしかないようです。で、なんで浜田に??という事で関係性を探ってみたものの、浜田の豊原観一郎(1864-1922)という医師が発起人になって建立にこぎつけた、とありました。別にジェンナーがこの地に縁があるというのではないようですね。とにかく「人類の大恩人 ジェンナー博士」とあります。そしてこの像を建てたのは「ジェンナー顕彰会」です、なんと素晴らしい。

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●浜田市役所

濃い茶色を基調とした空に映える色の建物です。

この建物自体の情報があまりないのですが、建物の左端に時計があるとちょっと不思議な感じがしました。ドアノブみたいな位置にあります。

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●俵国一博士像

浜田市役所の前に建てられている像です。

俵国一(1872-1958)氏は浜田市生まれの工学博士で、日本の製鉄製鋼技術の発展に尽力した人物です。鉄鋼業の発展を促進させ、日本鉄鋼協会を設立したり、研究委員会などを立ち上げて自ら委員長を務めたり、並々ならぬ心血を注いだ、という事です。

浜田が生んだ偉大なる科学者の栄光を讃え、後世に伝える為に建てられたとあります。

と、ここまでは、郷土の偉大な方の像なんだな…という話なのですが、この人物の姪孫(てっそん)が、あの、昭和50年代の夜を中心にフジテレビキャスターとして存在感絶大であった「俵孝太郎」氏なのです!これには驚きました、ビートたけしのモノマネで覚えた人物ですが、今年で87歳になる今も御存命のようです。

更に脱線しますが、俳優の小泉孝太郎さんの名前は、父親の小泉純一郎元首相が俵氏の名前からとって命名したのだとか!調べれば調べるほどにビックリ続きです。浜田の英雄からここまで話が膨らむとは…。

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●浜田市役所前バス停

さすがに市役所前のバス停、という感じで、しっかり停留所にベンチと屋根もついています。こういうプチ豪華?なバス停見るのが大好きです。直射日光や雨露を避けて、座れる、バス停でこれっていいな、とかすごく思うんですよね。

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●ココ

という喫茶店を挟む形でのY字路、ならぬЧ字路という感じの道路です。

しかしこの喫茶店の何時代も前の、時が止まったようなポツンと佇んでいる感がなんともいえず近づいてみたら…

平成18(2006)年12月に閉店済でした…、今から10年以上前に閉店していて、この写真の当時(2013年3月)から見ても6年少し前という事になります。それでも21世紀までこの佇まいの喫茶店が残って営業していた、というのが素晴らしいと思います。

この急角度で傾いた庇が古さを感じさせるのでしょうか??

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●城山公園へのいざない

幹線道をそれて、山沿いのような坂道を上がっていきます、様々な店名の灯籠?が立ち並んでいる中を。この華やかな並びの先は城山公園という事で、正直ここへ来るまで浜田に城下町のイメージがなく、島根の石見地方にあまりそういうものがないと思っていたのですが、浜田の城跡は建物こそないものの、石垣レベルではなかなかのものでした。

ここは観光に良いと思います。この街に観光に来る人はあまり多くないようですが、逆にその分ゆったり見れるというものだと思います。

「桜まつり」とありますが、訪ねたのが3月末で桜の咲こうとしている実によい時期であり、この灯籠群?もこれにあわせて並べれたのか?分かりませんが、とにかく華やかなる事この上なしでした。

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●城山公園

坂をのぼっていくうちにこの城山公園の看板が出てきました。

浜田城は亀山城ともいわれ、標高68mの丘陵に築かれたお城です。

1619年に古田重治(1578-1625)という人物が大坂の陣の功により、この浜田藩5万4千石を与えられて初代藩主として入封したとあります。築城されたのはこの翌年1620年だそうです(完成は1623年)。

ちょっと年代的に遅いのかな、という感じですが、姫路城も1610年代だしそんなもんかという気もしますね。

その後古田氏は二代目でお家騒動を起こして改易となってしまい、その後は松平、本多、再び松平氏ときて、明治を迎える事となりました。

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●秋葉神社

城山公園内にある神社で「火の神」とされています。

元は別地にあったものが1872(明治5)年にこの城山に造営されたといいます。独特の曲線を描きつつ、上半分が妙に存在感のある白色に、そしててっぺんの赤に、不思議な雰囲気の塊という感じがします。

この社殿は昭和42年に建てられたという事で今年ちょうど50年になります。

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●抱月碑

島村抱月(1871-1918)の碑がありました。なんと浜田の出身なんですね。正確には那珂郡金城(かなぎ)町生まれで、平成の初めまで浜田市外でしたが、現在は浜田市内になっています。島根県の人だとは知りませんでした。松井須磨子と共に芸術座を結成して、須磨子の唄う「カチューシャの唄」が有名になるなど名を馳せた人物でした。

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●勤労青少年ホームと色々な碑

色んな偉人の碑やら慰霊碑やら色々ある城山公園スペースですが、このバックにあるのは「勤労青少年ホーム」だそうです。働く若者の憩いの場でありオアシスである、という事ですが、どれほど利用されているのか。

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●浜田城跡説明板

浜田城に関する説明があちこちにありますが、柿本人麻呂の終焉の地ともいわれていて、石見では他にいくつもの地の説がありますが、ここもその一つという事です。

浜田城の復元CGがありました。建物はここにはありませんが、当時を偲べばこんな感じか、というのを表現してくれています。

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●城門あたり

門は屋根の下を純木造の建物が支えていて、この色のくすみ具合がまたなんともいえない渋みがありました。入口門のドア部分に比べて上の屋根が実に重そうです。

元々津和野藩庁の門であったそうですが、明治3年に浜田県誕生時に県庁の門として移築され、更に昭和42年にここに移築されて今に至るという事です。つまりは元々、浜田城とは何の関係もない存在であったという事です。

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●石垣の群れ

浜田城は天守はおろか櫓もなく、城の建物がないのですが、その分この石垣の存在感がかなり大きいです。

階段と石垣の組み合わせがカッコよかったり、石垣が段々状になって見える部分もまたカッコいいなと思いました。

これに関しては実際に行ってみてほしい、の一言に尽きます。この写真では伝えきれない壮観がここにはあります。

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●本丸から

てっぺんの本丸です。

そんな高い所からではないんですが、眺めがなかなかよろしいです。

眼下には外の浦という深く入り組んだ入り江があります。ここは江戸時代に海運でかなり栄えたところらしく、浜田藩最大の物流拠点であり、廻船がかなりの数ひしめいていたといいます。

浜田城は平山城であり、海城であるともいわれるのは、この眺めによるところも大ですね。

この時が浜田に来たのが4,5回目くらいで、街歩きしたのも2回目ぐらいでしたが、やっとまともに旅したなという感じがしましたし、こんなに城下町だったのか、というのも改めて感じました。何度か行ってる割に漁港のイメージが強くて、お城という感じではなく、島根県西部にそもそもお城のイメージがなかったので、この旅では良い発見ができたなもというのをつくづく思います。

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2017年9月30日 (土)

JR浜田駅【新】 (島根県浜田市)

島根県浜田市のJR浜田駅です。

といって、浜田駅は以前にもお送りしましたが、改装途中の仮駅舎であったため、新駅舎(現駅舎)の様子を今回お届けしたいと思います。

(2013年3月当時)

●駅名標

これに関しては新旧ある訳ではないので(たまに色が変わったりはしますが…)、特に何という事はありませんが、島根県西部の石見とよばれる地方で、市の中心駅に「西〇〇」と方角のつく駅のある市は、この浜田のみで、隣は西浜田駅となっています。

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●ホーム

ホーム自体が前とそんなに変わった訳ではなく、ただ島根の西のキー駅の割には屋根のあるエリアが狭く、都市感がやや希薄な気もします。左に隠れている側のホームは屋根は長いのですが、細いせいかやはり都市感薄いかなと。

これは石見の他の都市である益田や江津が、山口線や三江線など分岐しているのに対して、この浜田は鉄道としては山陰線のみという事もあるのかもしれません。広島と道路網で結ぶという点では、やはりこの浜田がキーになるとは思いますが。

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●石見神楽ラッピング列車

が停まっていました。

米子-益田間で運行とありました、快速アクアライナーを中心に運行されているようです。

「IWAMI KAGURA TRAIN」などと表記されていて、純日本語的なものが英語表記されているパターンですね。写真がとにかく荘厳でカッコいいです。

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●ホーム2

電光の時刻表がありました。この山陰線界隈、特に石見地方においてはとりわけ希少ともいえると思います。

先述の通りホーム屋根は長く続いてはいるものの、なんとなく貧相な印象を個人的には受けました。簡易な感じとでもいうのか。

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●時刻表

山陰「本線」といいつつも、左側の下り(益田方面)はなんとか1時間に1本はあるというところで、1~2本程度です。益田より西は更に本数が減り、1駅ごとに訪ねるのは困難を極め、前に山口県の東萩駅と隣の萩駅を訪ねるのに実に苦労したものでした。

右側は上り(出雲市・松江方面)です。こちらの方がやはり人口的には全然上で、山陰でも都市部につきやはり本数は多めになっています。しかし、特急や快速を除いた黒字だけのダイヤとなとかなり減ってしまい、ここのようになんでも停まる駅は一定の本数がありますが、普通しか停まらない駅では便数が激減します。

この辺が山陰の怖いところで、1駅ずつ行った時は苦労しました、電車が来ないからバスで移動したりとか。

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●階段から通路

ホームから上がって来ての構内ですが、とにかくここへ来るとこの文字が飛び込んでくるという「どんちっち」。

神楽の囃子を表現するこの幼児言葉が、石見神楽全体を意味するようになったという事です。この辺りで獲れる魚に冠して「どんちっちアジ」とか「どんちっちカレイ」などとしてブランド的に売っているようです。ノドグロと足して「どんちっち三魚」というそうで。

それにしてもホーム的には以前までとさほど変わらなかったのが、ここへ来るとさすがにガラッと変わりましたね、特に前回来た時は仮駅舎だったので尚更ですが、ここに初めて来たのが1992年、次に96年という感じで来ていましたが、その時期に比べてもだいぶ違いました。

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●自由通路

2009年に橋上駅化されたという事で、この当時で4年ほどという事になりますが、きれいでリニューアル感満載に感じました。4年も経ってないのでは?と思うくらいでした。

石見地方の駅でここまで豪華っぽく見えるのは、そうそうないですね、幟なんか並んでたりして。

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●駅前広場

広場真ん中の神楽のからくり時計が駅前の象徴的な存在です。

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●動輪

駅前にありました。前の仮設の時はあったのか記憶していませんが…、いわゆるデゴイチの動輪だそうです。結構きれいですね。

傍には天皇行幸啓記念としてタイプカプセルのプレートが設置されていました。

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●浜田駅 現駅舎

2009年にできた駅舎です。

前回が短期間の仮駅舎であった時の訪問だったので実に貴重なカットをおさめる事ができました。

上部の突出した部分に新しさを感じましたが、ここだけ浮いてるような気もしなくもないなという感じでした。大きいようなコンパクトなような駅舎で、今後の発展の可能性を感じさせるような感じがあまりしませんでしたが、とりあえずリニューアルされて、島根の西部を代表する駅でいてほしいものです。

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2017年4月 8日 (土)

一畑電車/松江しんじ湖温泉駅 (島根県松江市)

島根県松江市の一畑電車/松江しんじ湖温泉(まつえ・しんじこおんせん)です

松江市では、JR松江駅、宍道駅、東松江駅・乃木駅をupしましたが、今回はJR以外の駅として一畑(いちばた)電車の駅を初upします。

-一畑電車/松江しんじ湖温泉駅-
【路線】
一畑電車北松江線(出雲市-松江しんじ湖温泉間)
【開業】1928年4月5日
【訪問】初訪問-1992年11月
【1日あたり平均乗車人員】 944人/日 (2012年) 
【近隣の主要駅 (出雲市方面)神戸駅→9駅 

●ホーム

中には入らず外からのカットです。利用した事はあるのですが、ホーム内の写真は撮った事がなかったので。昔改札入る時に硬券の切符で、切符を切ってくれた記憶がありますが、今もそうなのでしょうか?

初めてここに来たのは実に25年前、1992年11月と記憶していますが、当時は「松江温泉駅」と名乗っていました。この記事での写真は2017年1月再訪時のものを使用しています。

松江市ではJR以外ではこの一畑電車が通っています。中国地方の県都である市では私鉄が走っている事が少なく、広島こそ広島電鉄やアストラムラインなどが通っていますが、岡山は路面電車のみ、鳥取や山口は県都以外を走る路線はあるものの、県都にはなしという状態です。

そんな中、純粋に私鉄の鉄道として通っているのが貴重な一畑電車ですが、この駅はその東端にあり、松江市ではターミナル的な存在となっています。JR松江駅とは少し距離が離れていて連絡がないのが難点ですが、バス路線で両駅を繋いでいる状態です。ライトレール構想などあったようですが、東日本大震災の影響なのか現在は凍結状態だそうです。

一畑電車の北松江線に属しており、これはいわゆる本線ですが、当駅も開業当初は「北松江駅」と名乗っており、これが路線名の起源となっているようです。もう潰れて無くなっていますが、駅前にあったホテルも「北松江」という名称でした。駅の名はその後1970年に松江温泉駅となり、2002年に現駅名になっています。

JR松江駅と距離があり、賑わいの点でも松江駅周辺のような賑わいはなく、このホームにもそんな様子の一端が窺える気がします。

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●電車

駅に停留していた電車の様子です。

これは7000系という車両で、2016年から使われているという今現在で最新の車両であり、他社からの譲渡等ではなく、一畑電車では実に86年ぶりという新造車両だそうです。

一畑は「いちばた」と濁りますが、個人的にはその読みを知らなかった頃は「いちはた」だと思っていました。この辺りでは「バタ電」の名で親しまれています。

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●車両2

こちらは当駅を出ていくところのカットですが、別の車両です。

これも新規の車両で、2014年導入された1000系の車両で、こちらは東急からの譲渡だそうです。7000系のような新造車両ではないものの、一畑電車にとっては当時16年ぶりの新車リウであり、ここ数年でラインナップが変わった事を痛感します。

この車両はその1000系のなかでも「しまねっこ号」というもので、いわゆる「ゆるキャラ」の「しまねっこ」がラッピングされています。

元々このタイプの車両は1台だけだったそうですが、団体さんなどの要望で「この車両を利用したい」という指定などがあり、もう1台「しまねっこ号Ⅱ」をラッピング造成したそうです。

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●足湯

駅前に足湯があります!さすがは温泉駅

このように人の気配が無くなったのを見計らって浸かってきましたsign01

ここから少し歩いて温泉街の通りにもう一つ足湯があります。

島根県といえば、玉造温泉、あとは湯の川温泉、温泉津温泉などが挙げられますが、松江しんじ湖温泉というのはいわゆる観光名所にあがってくるイメージは個人的には薄くて、その知名度を上げるのに「しんじ湖」の名称をつけたり色々やってるな、という事は感じますが…。外湯めぐりを楽しめるのが温泉街のイメージだとしたらちょっと違う感じですね。

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●駅前広場

主にバスターミナルとして機能している駅前広場ですが、真ん中にモニュメントやらが建っている訳でもなく、ただただ広いスペースになっています。

バス路線としては松江駅行きが主ながら乃木駅へ行くものや、延長上で雲南市の出雲大東駅へ行くものもあります。

下側の写真にマンションが建っていますが、その角を曲がった辺りか、あるいはこのマンションが建つ前に?「ビジネスホテル北松江」というホテルがあり何度か利用した事があります。大浴場もあったホテルで、いつの間にか無くなってしまっていたのが残念でした。

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●軽食

駅舎の袖側にあたる部分にモーニングやランチなどとありました。

一畑電車の駅で食べられるコーナーがあるのはJRと同居している出雲市駅とここぐらいではないでしょうか?昔は平田市駅(当時。現「雲州平田駅」)にも喫茶軽食コーナーがありましたがなくなっているようですし。

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●松江しんじ湖温泉駅 駅舎

最後に駅舎です。

一番上のカットが正面にあたります。

中井貴一さんが主演して話題になった映画「RAILWAYS」のことが前面に打ち出されています。49歳で電車の運転士になった…って大きな人生の決断ですよね。この映画の元タイトルは「BATADEN」つまり、一畑電車そのものの事だったのですが、その後変更になったそうです。

この映画で沿線の各駅がロケに使われ、主人公が一畑電車の運転士になるというストーリーが描かれており、この映画と一畑電車は切っても切れない関係です。しょっちゅうロケのあるような町ならともかく、山陰のあるところに…というのはなかなかないので、まだまだこれからもこの駅でRAILWAYSの看板はかかり続けるのではないかと思います。

それにしても現駅舎になってからガラス張りのスタイリッシュなものになったな、と実感しました。前の松江温泉駅の時は、ホントにゴツゴツとしたコンクリート駅舎でしたので。それはそれで少々寂しいものもありますが。

早くJR松江駅とライトレールで繋がらないか、と心待ちにしております。松江新時代を感じるような交通変革あがあればなと。そのひとつは高速ができた事ですが、公共交通機関でも発展があればと願うばかりです。

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2017年4月 1日 (土)

JR乃木駅・東松江駅 (島根県松江市)

島根県松江市のJR乃木(のぎ)駅と東松江(ひがし・まつえ)駅の2駅につきお送りします。

松江市では、JR松江駅JR宍道駅をupしていますが、これ以外の市内のJR駅の御紹介です。

-JR乃木駅-
【路線】
JR山陰本線(京都-幡生間)
【開業】1937年4月10日
【訪問】初訪問-1990年6
【1日あたり平均乗車人員】 854人/日 (2014年)
【近隣の主要駅 (京都方面)松江駅→隣駅
           
(幡生方面)宍道駅 →3駅、出雲市駅→6駅

●駅名標

JR山陰本線で松江駅の西隣の駅です。

この写真は2004年8月当時の様子ですが、初めて訪ねたのは1990年の6月、管理人はまだ10代でした…。

旧松江市内のJR駅として、松江、東松江と3駅しかない駅のうちのひとつです。現在は玉造温泉、来待、宍道、そして木次線の南宍道までが松江市のJR駅となりますが、旧市内だと3つだけです。

松江市では、松江駅周辺が市内で賑わっている訳ですが、あとは大学のある川津地区、そして高校や各施設の多いこの乃木地区は賑やかであり、昔はコンビニが大学周辺かこの乃木くらいにしかなかったような状態でした。地名ベレルでは「浜乃木」「上(あげ)乃木」というものが存在し、住所的には乃木という地名自体はありません。総称して乃木というところでしょうか。

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●ホーム

ここから先の写真は2017年1月再訪時の様子です。

跨線橋横側がホーム幅がかなり狭くなっており、その中で通路とスロープが共存していた感じで余計狭い通路になっていました。

椅子は最近はやりの??線路と平行スタイルの向きになっていました。この辺りは近年変更したのでしょうか?ホームに向かう形で座るとホームへの転落や電車への衝突リスクがあがるとの事で、管理人の行動範囲内の駅も順次椅子はこの向きに変更されていってましたが、この駅もこれに倣う形にしたのか…??

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●ホーム2

上の写真と反対側の様子です。

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●向いホーム

駅舎側のホームから跨線橋をのぼって反対側のホームです。

手前と向こうのホームに挟まれる形での2面2線となっています。

屋根のあるエリアはここから右へつながっていて、そこそこ長い距離になっています。松江駅とはだいぶ規模が違うものの、松江市南部では主要なエリアのひとつでもある事が多少なり感じられます。

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●跨線橋

2つ上の写真が同じようなカットでしたが、電車でよく見えず、こちらは跨線橋が見える形のカットとなっていますが、一応屋根つきの跨線橋となっています。

これが屋根つきか屋根なしかで駅の規模というか格のようなものが違うな、と感じてしまいます。中身は見ていませんが、掲示物の有無や充実ぶりでも駅の格みたいなものが感じられます。

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●乃木駅バス停

駅から出て、駅前広場にバス停が2か所ありました。

下2枚中、上の写真は駅出て右側、下の写真は左側にあるものです。

上の分は、接近状況の分かるものとなっていました。松江市にこんなバスシステムあったのか??と大変驚きましたが…、、でもこの機体は「調整中」でした。こちらのバス停は一畑(いちばた)バスなどのものと思われますが、隣のバス停が多数表示されています。それだけいろんな路線が通っていて、色んな方向に分かれていくのですね。そんな頻繁にバスが行き来している感じもしなかったので、1路線あたりの本数がそんなにはないのかもしれませんが。

下の分は、松江市コミュニティーバスと思いますが、市内に10コースぐらいあるうちの1コースがここを通っていて、忌部(いんべ)という市内南西部の閑散な地域を巡るもので、1日3便の日祝日運休という形態で運行されています。これは旅で使うのは厳しいですね。

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●駅前広場

真ん中にモニュメントがある形ではなく、ぐるっと丸い形に広がっただけのスペースです。バス停も立っているだけで、庇もない状態で、駅前が開発されているとは言い難い状況です。

駅前の自転車置場も昔から変わらずにずっとありました。最近は預り所などに吸収されて、駅前に止まっているのをあまり見ないのですが、ここには厳然として存在しているのですね。

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●乃木駅 駅舎

白を基調とした建屋に青い屋根、平屋の駅舎が以前よりずっと立っています。

地味に記録を持っている駅で、ここに来て初めて知りましたが、昭和55(1980)年に「国鉄初の女性駅長の誕生した駅」という事です。

2015年に33年ぶりに女性駅長復活としてニュースになっていましたが、その式典には当時の女性駅長であった86歳の女性も横浜から駆けつけたといいます。この駅長さんは1982年まで務められたのですね。

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●乃木駅駅舎2004

2004年当時の乃木駅の駅舎です。

今と同じですね。

この時は駅前に電話BOXがなくて、2017年にはあるというのがなんとも不思議でした。携帯電話の普及で、電話BOXはなくなっていってるのに逆に設置されたというのが。

初の女性駅長云々…と記載はこの当時はありませんでした。既に女性駅長が退任して20年余りで、まだ復活前の状態でした。

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つづいて、東松江駅です。

-JR東松江駅-
【路線】
JR山陰本線(京都-幡生間)
【開業】1908年11月8日
【訪問】1992年12
【1日あたり平均乗車人員】 85人/日 (2014年)
【近隣の主要駅 (京都方面)安来駅→3駅、米子駅→4駅
           
(幡生方面)松江駅→隣駅

●東松江駅 駅舎

和歌山市にも同名の「東松江駅」があります。

この駅では止まって立ち寄った事がなく、外から駅舎を撮ったこのカットのみとなります。ただこれは1992年当時、約25年前の姿です。

今みたいにデジカメなどあるはずのない時代で、「写ルンです」で限られたフィルムの中で撮るしかなかったので必然的に記録は少なくなります、まして学生時代の貧乏期でもあったので。また、撮っていた時にフィルムの残りがなければ買いに行く必要があり、この近辺ではなかなか買えなかったとか諸事情あったのかな、と懐かしく思います。

現在もネットで調べた限り?!ではこの駅舎が残っているようですが、この左側にJR出雲鉄道部の建物が増築されて、ここに写っている柱の左側より左はその増築分に覆い隠されているようです。ちなみに出入口はこの右側に隠れている部分になります。一応、この柱の間の部分だけは今も残っている形のようですね。

JR山陰本線で、乃木駅が松江駅の西隣の駅ならば、こちらは東隣の駅です。ちょうど乃木駅との間に松江駅がある格好です。冒頭書いた通りに、松江駅と乃木駅と当駅が平成の大合併前の「旧・松江市」に3駅しかなかったJR駅のひとつです。

乃木は松江市内でも有数の発展した地域ですが、この東松江駅のある馬潟(まかた)地区はかなりのどかな雰囲気で、利用者数も乃木駅の1割程度にすぎない状態です。

ただ駅としての歴史は古く、山陰ではかなり古い部類の1908年開業で、既に100年を越え、来年110周年を迎えようとしています。

今度行ったら、駅やホームは勿論、駅前の様子も撮りたいと思いますが、いかんせん山陰本線なので、1つ寄ると他の所へ行けないぐらい、1ヶ所余分に寄るのに時間がかかるので、なかなかできないでいます。1992年以来まともに訪問していないので、25年ぶりに寄りつくのもいいかな、とも思っています。

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2017年1月28日 (土)

JR出雲大東駅 (島根県雲南市)

島根県雲南市のJR出雲大東(いずも・だいとう)です

雲南市では木次(きすき)駅をupした事がありますが、今回は沿線の近くの駅の御紹介となります。

-JR出雲大東駅-
【路線】
JR木次線(宍道-備後落合間)
【開業】1916年10月11日
【訪問】初訪問-1990年11
【1日あたり平均乗車人員】 164人/日 (2014年)
【近隣の主要駅 (宍道方面)宍道駅→4駅
           
(備後落合方面)木次駅 →2駅

●駅名標周辺

出雲大東という事で、平成の大合併までは旧大原郡「大東町」の中心駅でした。今は雲南市となり、市の中心は2駅隣の木次駅であり、当駅は市内の1駅という位置づけにあります。大東というと、大阪に大東市というのがありますが、ここの中心駅は住道(すみのどう)駅であり、大東駅というものは存在しません。どこにあるのかというと…存在しないようです。千葉県いすみ市に「(たいとう)駅」というのはありますが…

この駅を初めて訪ねたのはかなり昔の事で1990年11月の事でした。もう26年少し経っていて、四半世紀以上の時が流れていました。ちなみに今回記事掲載の写真は全てこの2017年1月再訪時のものとしています。

JR木次線というローカル路線で、山陰本線の宍道駅から南へ下っていく路線で、昔はオール郡部の路線だった訳ですが、合併でだいぶ市部の通行が増えました。だから活況になったという訳では全くありませんが。

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●電車とホーム

終着駅でもないのに、1面1線という最小限のホームでした。

電車でここを訪ねたのが初訪問の1990年以来26年ぶりで、途中一度来ましたが、それも1992年だったかで、ほぼ四半世紀この駅には寄りついていませんでした。逆にいつか行きたい、と近年思っていたのが今年の正月にやっと叶いました。正月三が日の1/3に訪ねたものです。

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●神阿多津姫命

「かむあたつひめのみこと」と読みます。

駅の北東には延喜式にも載っているという加多神社があり、配祀神としてこの姫命が祀られているといいます。美しい姫神であり、三神を生んだとも。隣にはそのイラストがある訳ですが、駅名標の横にこのようなものがありました。

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●時刻表

反射していて見えづらいですが、上半分が時刻表です。

都市圏からは考えられないような本数の少なさです。

数えてみたら上下共に1日11本のみsign01です。もっと少ない路線もありますが…

終電は宍道(松江)方面だと20時台という、これはずこい事になっています。この辺りの地域で21時以降に電車を必要とする事がないのか?というとYESかもしれません確かに。

真ん中あたりに駅の並びがありますが、左端の宍道駅は山陰本線へ合流する駅で、平成の大合併までは八束郡宍道町という郡部でしたが、現在は松江市内となっています。ただし、ここから松江駅へは更に4駅先となります。

下半分は主要な駅への運賃が載っていますが、松江までは580円となっていて、この時も松江から乗ったので、それだけ払って切符を買ってここまでやってきました。

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●ホーム

電車が去った後のホームの様子です。

2枚中の上側が木次方面(中国山脈へ向う側)で、下側が宍道(松江)方面です。

ホントに寂しげな様子です。郡部の町の中心駅であったところですが、1面1線なのかと…。

これでは便数もろくに増やせないというものか…という訳ですね。まず行き交いができないし。

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●出口へ…

上2枚の写真の上側の方(木次方面)で、ホームを向こうへ進んでいくとこのような所へ出くわします。

そのまま左折すれば駅前広場へと出る事となりますが、直進すると広い待合スペースがあります。昔1990年代に訪ねた時にはなかったスペースです。ここは単なる待合スペースではなく、様々な施設が入ったいわば合築駅舎のような形になっています。

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●窓を開ければ…

待合スペースを入った所です。

広々としたスペースにまばらに机椅子が置かれ、向こうにもスペースがあり、また右に隠れている位置には簡易郵便局も入っています。

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●貼り紙いろいろ

これも待合室内のカットです。

ここは色々な貼り紙がありましたが、雲南の地酒で乾杯とか色々ですが、イベント案内が多くありました。この広いスペース自体でも色々催されているようです。昔のこの駅では考えられなかった事で、それなりに活性化に向けて努力されて、それなりの賑わいを見せているのかな、と感じさせられます。

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●簡易郵便局

これが駅舎内にある簡易郵便局です。

駅スペースに併設されている所という意味で駅舎内ではないかもしれませんが、外から見たら同じひとつの駅舎内にあると見えるので、「駅舎内」という表現で差し支えないと思います。まぁとにかくそんな所に簡易郵便局があるのって珍しいかなと。この時は正月三が日で閉まっていたのでしょうか。なにせ1月3日の事ですので…。

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●「阿用の一つ目鬼」自販機

阿用とはこの駅のある大東地区(旧・大東町)の地名のひとつであり、「出雲国風土記」ではここに一つ目の鬼が出て、それは人食い鬼であったという伝説があるそうで。神やら鬼やら出雲国らしさを感じます。

人食い鬼という事ですが、絵面はどこか間が抜けている感じで。逆に愛嬌みたいなものを表現しているのでしょうか、親しまれるように、とか。そんな絵の描かれた地域支援の自販機が駅内にありました。

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●100周年

この駅の開業が1916年という事ですが、木次線自体も去年開業100周年を迎えました。

同じ島根県でやはり同じように南北を横断する三江線(さんこうせん)2018年3月31日をもって廃止が決定してしまい、40年余りの歴史に幕を閉じる事となりますが、この木次線も安泰という訳ではなく、とにかく去年無事に100周年を迎えたという事でとりあえずはホッとしましたが、この先どうなるやらsign02という部分はまだまだあると思います。

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●大東駅前バス停

ここからは駅前広場へ出てのカットです。

真ん前に大東駅前なる標識のバス停がありました。

このバスは松江駅を経由して松江しんじ湖温泉駅へ向かう便が主流で、1時間に1本程度はあります。ここから電車で松江へ向かう時には、途中の宍道駅で乗換が発生してしまうので、直通で行きたければバスの方が便利ですし、便数も電車より多いので、当初はバスで来る事も考えたぐらいでした。

時間的にもそう変わらず、逆に電車だと宍道での待ち時間次第では長時間になるケースも出てきます。

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●駅前

床面が整備されていたのがまず驚きでした。20ウン年前に来た時は雑然としていましたが、見事なものです。

駅に来た事はあっても、駅前を歩いて…という記憶がなくて、バイクで来て寄り付いた程度のような感じだったので、こうして通りをちゃんと見るのは初めてだったかもしれません。

下側の写真の右にある大きな建物は雲南市立病院で、2011年までは公立雲南総合病院と名乗っていました。かなり前からあったようですが、駅前にこんな立派な病院があった事自体も全然知りませんでした。

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●出雲大東駅 駅舎

出雲大東、という字を見ると「出雲大社」と一字違いですね、漢字レベルでは。

それはさておき、2007年からこの新駅舎になったという事で、以前の駅舎とは全く違っており、横が長くなっていて、駅前広場スペースも整備されて広く取られています。市になった事が関係しているのでしょうか、よく分かりませんが。横に長すぎて全体像をなかなか撮りきれませんでした。

確かにこの木次線沿線で、90年代と今と、この駅と木次駅、出雲三成駅など、かつての町の中心駅は確実に姿を変えてるな、という感はあります。木次駅は駅舎自体はほぼ同じで駅前をかなり開発した格好ですが。

とにかく生まれ変わったこの出雲大東駅、ネットでは見ていましたが、この目で初めてその姿を焼きつける事ができました。

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●1990年の出雲大東駅

最後におまけですが、管理人初訪問時の1990年11月当時の出雲大東駅です。

この頃は今のようにバシバシ撮れる環境になかったので、1ヵ所でせいぜい数枚の写真しか撮れず、この辺りもこれ以外ロクに撮っていませんでしたが、これを撮っておいてつくづく良かったなと思いました。

在りし日の旧駅舎です。建物の横の長さも今とは全然違う事が分かるかと思います。

しかしこの時はタクシーが複数台停まっていて、今回訪問ではタクシーは全く見かけなかったのは逆に寂しかったかもしれません。

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2017年1月 4日 (水)

島根/飯南④ 赤名宿とエンターテイメント衣掛

島根県飯石郡飯南町、島根/飯南③ 24年ぶり赤名へ!に続く飯南町の旅記事第4弾で、飯南町の記事はひとまずこれが最後です。

(2016年8月当時)

今年盆旅の様子をupしていくもまだ初日の分しか上げられず、気がつけばこれも去年の旅の様子となってしまいました。当ブログの中では鮮度の高い方ですが(^_^

●橋を渡れば…

という事で、前記事では主に赤名バスセンターを中心とした国道54号線上の主要施設についてのお届けでしたが、今回は国道をそれて、この橋を渡ったところから始めたいと恵思います。

ちなみにこの橋は「下市大橋」という事で、これでも一応”大橋”です。

これを渡る手前は国道54号で、渡った先は赤名宿として栄えた街並みを垣間見られる住宅や商店のエリアとなります。

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●赤名の街並み

橋を渡った先は国道54号と川を隔ててほぼ平行に通っていて、この記事はこの通りに沿う形でお送りしていきますが、まずはこのカットにて。

国道沿いの方は交通機関や役場、道の駅などの主要施設がありますが、ここでは商店や住宅、金融機関もあります。ただコンビニに関しては国道も含めこの辺りでは皆無でした。

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●逆向き

上の写真から少しだけ進んで、反対側から撮ったものです。

右側の建屋の横からの様子がこんなに素晴らしいものだったとは!板張りが高く続いていってて実に見事でした。こういうの見ると、いつ建てられたんだろうコレ?と思ってしまいます。

アプリで人の顔を解析?して「何歳」とか年齢を出すものが一時期流行っていましたが、これ建物版ってないかな?と思ってしまいます(笑)

ともあれ、この道を道なりに向こうへ進んで行きます。

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●道しるべ

大森銀山道の道標という事で足下にありますが、説明板が設置されていました。

同じ飯南町のかつての町の中心地であった頓原の中心道ではこういったものに出くわせませんでしたが、ここ赤名はれっきとした宿場町だけあってこのようなものも見る事ができます。

大森銀山道は大田市の温泉津(ゆのつ)を起点にして、現在の広島県や岡山県に繋がっていきますが、ここ赤名は広島県へ繋がる国境の役割を果たしていたのでしょう。この国境には赤名峠があったので。

道標には「左は石州さけ谷 大田 大もり五百らかん」とあり、別の面には「右ハとん原 まつえ 大やしろ一ばた」と刻まれていて、安政三辰二月とあり、1856年につくられたとされています。大やしろ、というのは大社の事ですね。「石州さけ谷」というのがいくら調べてもサッパリ分かりませんでした。 

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●左折して

先程の道標のところを左折して、街道の面影をたどり続けます。

この道にはSNACKがあります。町役場からは坂を下りて道と橋を渡って道なりに進むと行き着くところなのであるいはこういう所で憩いの時を…とか想像してしまいますがその辺はよく分かりません。ただ娯楽のスペースはどこかにあるはずだとか思ってついつい探してしまいます。どんな田舎でもこういう所が必ずある、というのが今まで色々巡ってきて思う所ではあるので。

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●梶谷先生頌徳碑

上の写真の通りの左向こう側の斜面にこの頌徳碑といくつかの石碑が建てられていました。

梶谷先生に関しては、説明板もつけられていましたが、ネットで調べてもどんな人物か全くわからず、この説明板にある事がすべてという感じです。

これによれば、梶谷金三郎は赤名冨屋梶谷家三代とあり、1866年生まれで1949年に82歳で没していますが、明治14(1881)年に赤名小学校に就任し、大正5(1916)年まで30年余りにわたってこの町で教育の基礎を確立された、とあります。

15歳で小学校の先生??と思いましたが50歳過ぎで退官??人生50年時代だとすれば無理からぬ事かなと。この間明治44(1911)年には島根県知事表彰、大正4(1915)年には文部省の表彰を受けています。昭和10(1935)年に建立とあり、氏の生前にこれはもうできていたんですね、これもなかなかビックリものでした。

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●まっすぐな道

左折右折を繰り返した道も、ここからはまっすぐ続いていきます。

やはり人家と商店が共存する形ですが、ここにこうして商店が営業し続けているという事は、住民のニーズの元に成り立っているという事なのかな、と感じます。

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●良田山

まっすぐ続く道から横へそれると、お寺へ続く道があるというのがここの通りのひとつのパターンでもあります。

突き当たりにはお寺の山門がそびえていますが、これが木製の上半分がガッシリした立派なものでした。

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●明窓院

境内に入ってのカットですが、良田山明窓院という名称です。

曹洞宗のお寺だそうで、その歴史は1451年から始まるとか。

島根県では東は出雲、西は石見と分かれる中で、この地方はどちらかというと出雲かな?というところ(かなり真ん中に近い)で、石見のようなオレンジ色の瓦(石州瓦)ではなく、やはり出雲地方なのかな?と思わされました。石見でもすべてオレンジ屋根という訳ではないでしょうが、行った限りでは結構多い印象はあります。

街道から横道それるとお寺に入るというのが何ヶ所かあるパターンとして滋賀県湖南市の石部の通りを思い出します。ここも宿場町で栄えたところで、街の構造的に似た感じでした。

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●再び通りへ

大きな家が立ち並んでいて、オレンジの石州瓦屋根の住居も結構目立ちます。

この風景は何十年くらい変わってないのだろうか?とか考えて歩くと楽しいなと思います。戦前、大正期、明治の頃はどんな建物だったんだろう?とか、江戸時代の宿場町として機能していた頃はどんな建物でどの程度密集していたのかな?とか、いろいろ考えると楽しいのでこういう所を歩くのが好きなのかな?と思いますが、それがもっと具体的にイメージでき~もっといいだろうな?と思います。当時の写真というのは都市部はあっても地方のものはあまりないんですよね…。映像となるともっと少ないので、想像力が頼りです?!そんな中で、昔の写真サイトが見つかりました →コチラ

ただ、ここの場合は大正8(1919)年の大火で街の大半が焼失するという事故が発生し、これ以前の面影はほとんど残っていないのだそうですね。逆にそれでもその後復興してこのような立派な家並みが形成されているのは対応力があり、各々100年近くぐらいの歴史は有しているのかな?というのは感じさせてくれます。

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●赤名宿

通りを歩いていて、初めて「赤名宿」の名前に出くわしました。

明治初期で家数150程度で600人ほどが居たそうです。

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●赤名中市バス停

この街道を歩き始めた地点は「赤名下市」バス停付近でしたが、ここは中市。飯南町営バスの標識ですが、ちょっと簡易な感じです…

赤名方面と頓原方面にそれぞれ1日6便出ています。赤名方面といってもここから歩いて行けるレベルですが…。

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●ファミリーショップ

割に重厚な建物の多い中で、異彩を放っている感じだったのがこのお店です。

といってもいかにも昭和風のお店ですが、華は感じますね。かつては色んな人たちがこの店先を賑わせたのでしょうか?などと想像してしまいますね。

また、このお店から宅配荷物を送る事ができるという事で、その意味では重宝されているのかもしれません、この辺りはコンビニがないので、かなり重宝しているかもです。

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●ごうぎんと本陣跡

通りの中に金融機関がありました。

頓原の町でもごうぎん(山陰合同銀行)がありましたが、ここの通りにもありました。宿場街の通りにこうしてあるという事で、この通りが街の中心的な部分にあたるという事が感じ取れます。

隣の建屋には赤名宿本陣跡の碑がありました。

肥後屋という所に本陣が置かれていたようで、その屋敷がこの周辺にあったようです。「銀山街道」とある通り、石見銀山から運上の銀や銅が運ばれ、その規模は人夫400人牛馬300頭の大所帯であったようです。その銀銅の受け渡しで賑わったという訳ですね。ちなみにあの伊能忠敬も測量の途中で肥後屋に宿泊した記録が残されているそうです。

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●さらに赤名宿

更に進んでいくと、赤名宿についてきっちりクローズアップしたものがありました。

説明板によると季節ごとに大きな市が開かれ、その度毎に遠方からも人が押し寄せた、とありました。またこの辺りの道筋は当時の様子を概ね留めたもので、火災後の復興時にそのようにした旨が記載されていました。

瀬戸山城の城下町として形成されたというのが元で、一国一城令が発せられても国境という位置的な重要性ゆえか、城の番が派遣されて麓に侍屋敷が立ち並んでいたとも。銀の荷継ぎ行程が広島側の国境である布野から三次まで延長されると(その距離が延びるので)、ここの業務負担が増大し、負担軽減の訴えを起こした事なども記されていました。

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●バス車庫

これも宿場街の通り上にありました。

そろそろこの辺りで建物が立ち並ぶエリアも途切れていくかな、というのが見えてくるぐらいの所にありました。

車体前面に「いーにゃん」というゆるキャラの顔面がのせられています。

頓原から赤名まで町営バスに乗りましたが、全く無音であった事はなかなか忘れそうにないと思います。

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●夢街道

夢街道ルネサンス推進会議なるものが「夢街道」として認定されており、その認定証が飾られていました。表には酒樽も!

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●赤名郵便局

赤名の本局、今では飯南町の中心局という事になるかと思いますが、こじんまりとした規模の局でした。建屋も昔ながらですね。

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●廃屋

これはかなり街道の通りも終わりというところですが、廃屋とみて間違いないような家が目立ってありました。解体の予定もないのか分かりませんが…。

こういう家屋見ると、この家はいつまで人が住んでいたんだろう?とすぐ考えてしまいます。よく観光地で旧家の実物展示みたいなのがあって、往時の暮らしを伝えてくれるのですが、昭和の庶民層の…というのがなかなかなくて、逆にこういった家屋を材料に往時の暮らしをを学ぶことができないか?という事はかなり思うところではあります。

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●国道54号へ

街道をずーっと歩いてきて、ひとしきり見たところで右折して、再び国道54号へ戻ってきました。この向こうへ行けば赤名バスセンターへ至りますが、ちょうどぐるっと一周しようかというところです。

「島根和牛の本場 飯南町」としてデカデカと塔がつくられていました。「飯南町」のぶぶんだけきれいになっていたので、元々は古くにつくられていて、赤来町→飯南町へ貼り換えた事が簡単に分かってしまいますが。

国道54号でありますが、184号も被っています。

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●衣掛(きぬかけ)橋

更にバスセンターへ近づいていくと、この衣掛橋に差し掛かります。

記事タイトルに「衣掛」としていますが、この辺りの山が衣掛山という山で、瀬戸山城もこの山にあり、赤名の起源となる「赤穴氏」が支配していたといいます。

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●衣掛

記事タイトルにした「衣掛」はこの建物の事です。

赤名バスセンターの向かいに建っている、宿あり食事あり温泉ありの赤名ひいては飯南町きってのエンターテイメント施設です。

バス便の都合もあり、ここに3時間居る事となったので、歩き回った後にここを利用させて頂く事としました。

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●衣掛 温泉

という訳で、早速入ってみました。

入った先のフロントで入浴したい旨を告げて、450円+貸バスタオル代を払って、エレベータで最上の5Fまで。

5Fがまるまる温泉スペースで、休憩室を挟んでこのような大浴場へ。

他に誰もいない1人だけの貸切状態であったので、このように撮らせて頂きました。

お風呂はこの大浴場だけで、露天も他の風呂もサウナもありません、まったくの1種類です。この地でお風呂に入れるだけよしというものかなと。完全にガラス張りで外の景色が良く見えるのは素晴らしかったです。

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●休憩室

風呂から上がると、隣の休憩室へ。

真ん丸窓から街の景色を眺める事ができます。向かいはバスセンターなので、その辺りの景気はよく見えますが…。

手前に自販機があり、向こうに足つぼのマッサージ機があり、いちばん奥には身体のマッサージ機があります。右奥は小さなテーブルと座布団、小さなテレビがあります。

1団体が来たらすっかり埋まってしまうようなスペースで、この時も足つぼをやっていたら家族連れがやって来て、机周りのスペースは埋まっていました。盆時期でもありかなり空いていたようですが、年間どの程度の方々の利用があるのか気になるところでもありました。

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●つなぎ目

街道歩きと衣掛の施設利用が今回記事の中心ですが、この写真は国道54号と街道通りを結ぶあたりのひとつです。交通が不便が故に逆に昔の雰囲気を維持した街並みになっているのかとも思い、放置された部分もありますが、人の手で維持された部分は立派なものだと感じました。

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●最後

になりますが、これは赤名酒造の「絹乃峰」(きぬのみね)の酒蔵周りです。

1929年創業でもうすぐ90年になろうかという歴史をもっており「米の味わいがしっかりあるお酒」と評されています。後継者がいない為廃業を予定されていた、とありましたが、後継者が出て継続となっているようです。

こういう業種の後継者問題もありますし、街並みを見ていても立派な家ばかりで、それぞれについて後継者問題とかあるのかな?と考えさせられました。人口流出も少なからずで今に至るのかな…とも思ったりしますが。

そんなこんな色んなもの見て赤名バスターミナルで詰所のおばさんに色々お世話になって、ここ赤名および飯南町を後にしました。なかなか行けなかったのですが、アクセスに苦労しつつ訪ねた甲斐はじゅうぶんにありました。

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2016年12月18日 (日)

JR津和野駅 (島根県鹿足郡津和野町)

島根県鹿足郡津和野町のJR津和野(つわの)です

津和野町では以前にJR青原駅をupした事がありましたが、その津和野町の中心たる駅です。本来はこの津和野駅を先にあげたかったのですが、記録として残しておらず、青原駅しかなかったのでこれをupしたのですが、この夏ようやく津和野駅の再訪が叶い、今回御紹介できる事となりました。

-JR津和野駅-
【路線】
JR山口線(新山口-益田間)
【開業】1922年8月5日
【訪問】初訪問-1996年1
【1日あたり平均乗車人員】 197人/日 (2014年)
【近隣の主要駅 (新山口方面)宮野駅→11駅、山口駅→13駅
           
(益田方面)日原駅→2駅、益田駅→7駅

●駅名標

ここの初訪問は1996年1月の事でしたが、当時記録全くなしの状態で訪ねてしまい、いつか再訪を…と思っていた折、今年夏にようやく叶いました。実に20年ぶりの再訪でした!よってここでお届けする写真は全て今年8月当時のものです。

「山陰の小京都」として有名で、地形的な面で萩などと共にツアーの組まれる事の多いこの津和野ですが、JR山口線の途中駅では島根県側の代表的といっても過言ではない存在です。

津和野町で前回upした青原駅は旧・日原町の駅のひとつですが、ここ津和野は平成の大合併(津和野町と日原町の合併)以前も津和野町の中心駅としてあり続けている状態です。この沿線は郡部が続いていて、最も近い市の中心駅は島根県の益田駅で7駅あります。反対方向では山口駅まで13駅を要します。

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●名所案内

2km以内のところで列挙されていて、徒歩訪問も十分可能な圏域です。

ただ、駅を出た通りが小京都の雰囲気溢れるエリアであるので、歩いているだけで十分よい旅になると思います。

文豪・森鴎外(1862-1922)の出身地であり、その旧家が遺されています。

名所とは無関係ですが、歌手・森昌子さんのシングル曲で「津和野ひとり」(1978年6月発売)という作品があります。管理人は津和野という地名はこれで初めて知りました。恋した女性がある時雑誌に出ていた津和野の街を見て、独りでやってきた、というような内容の曲でしたが、1人でフラッとやってきて、色々考えながら歩くのも良いかもしれません。

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●時刻表

こちらは新山口方面の時刻表です。

10時台までは1時間に1本ありますが、以後は間隔が開いていきます。

一応15~17時台は1時間に1本になるものの、終電は実に19:35!!

山口線は島根県側だとかなり本数が減り、ここはまだ特急が停車する分だけ赤字の列車が停車しますが、各駅停車の駅ではこの分がなくなってしまう形です。南側はここから11駅先の山口市にある宮野駅から本数が増え、宮野-新山口間(山口駅・湯田温泉駅含む)はさほど時刻を気にしなくても…という感じですが、宮野以北、とりわけ特急停車しない訳はよく時刻表をチェックしておかないと…という事になります。

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●ホーム

右側が山口方面、左側が益田方面になります。

益田からは山陰本線に合流し、萩方面へアクセスできるわけですが、山口市から萩へアクセスする時は「列車」という選択肢ははまず考られず、バスでのアクセスとなります。

理由は鉄道利用の場合、

1.益田を経由する為、その分の時間がかかる

2.益田からの山陰線の本数が極少

の大きく2つです。

で、新山口駅から東萩駅へのアクセスで比較してみると、

バス…新山口駅6:26  ⇒  東萩駅7:54  (1時間28分)

鉄道…新山口駅5:53  ⇒  山口駅6:16着、6:30発  ⇒  
      東萩駅7:54  ⇒  益田駅8:35着、9;31発  ⇒ 東萩駅10;42
     (4時間49分)

と、こんなにも違います。

で、津和野駅から萩へのアクセスについては、バス移動は確認できず、公共交通機関では益田経由で鉄道利用しかないようです。2時間余りかかるようで…。萩・津和野としてツアーでセットにされる事の多い両者ですが、公共機関での移動がこんなにかかるのは山陰本線の機能ぶりが窺えてしまうというものです。

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●ホーム2

跨線橋が見えるテイのカットで2枚ありますが、ホーム自体は1面2線です。

つまりこの写真を撮っているホームだけで列車の運行が機能しており、この跨線橋は改札側と繋ぐために機能しているものです。

という事で、右側はそのまま改札側への通路となっています。

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●跨線橋内

通路はやや狭めな感じで、ポスターを貼ってるのは意外と少なく数枚でした。

窓も半分程度あるのみで荒涼とした感じでした。

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●跨線橋から

駅舎側と反対側を撮ったものです。

右側のホーム側の屋根は結構広く取られています。やはり特急停車駅だからというのはあるのでしょうか。

左の駅舎側は、見事な石州瓦色の屋根というところでしょうか。この辺りは街を見ていても住宅は軒並みこのようなオレンジぽい石州瓦の屋根がひしめきあっているのも見られます。

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●駅舎側

稼働しているホームから駅舎側を眺めた様子です。

左端の跨線橋を下りて、右へ進んで行き改札へ至ります。

ただそのための通路につき、線路は通っていても、ホームの際は完全に柵がなされています。

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●往時の1コマ

駅の字が旧字体になった柱に昔ながらの雰囲気の木製ベンチに腕木式信号機?ととりあえず昔を思わせるものを羅列してみた、という感じではありますが、昔の雰囲気は漂いはするかな、という事で。

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●主な観光名所

改札を出て、駅を出ようかというところです。名所案内で連ねられていた場所も写真付きで説明文と共に紹介されています。

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●駅舎内

この辺りでは数少ないみどりの窓口があり、間口の広い駅舎です。

ただ、終電が早い為、窓口の取扱時間も18時までとなっています。

また観光の要素も強い為、各種パネルも設けられています。

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●駅前目線

広い駅前広場があって、その真ん中に植込みだけの円のエリアがあってロータリーを形成している格好です。

この駅前広場の形といい、道の分かれ方といい、兵庫県の城崎温泉駅を彷彿とさせる、個人的にはそう思いました。

小京都として有名な地ではありますが、人で賑わっているかというとそうでもない感じでした。20年前の初訪問時は平日でしたが結構賑わっていたイメージを勝手に持っていましたが。

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●津和野駅 駅舎

山口線屈指の規模の駅舎です。

島根県の郡部の駅舎としてもかなり大きい部類に入るかと思います。

それでも近年は1日の利用者数(乗車人員)が200人を切る程になってしまい、県内を走る三江線は廃止の方向へと追いやられてしまい、益々厳しい状況になっています。残ってほしいと思うのですが、利用される以外にその道はないので、なんとか利用促進が進んでくれないものかな、と思うばかりです。

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●津和野駅前広場俯瞰

駅から見た駅前広場をより引いた感じでのカットです。

広々とした駅前広場の様子が窺えるかと思います。

とりあえず正面の通りを、右斜めになる形で進んで行きましたが、さして目的のない場合はこの通りを進んで行けばよいと思います。

山陰屈指の小京都の街並みはここで堪能できます。

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2016年12月 4日 (日)

島根/飯南③ 24年ぶり赤名へ!

島根県飯石郡飯南町、島根/飯南② 頓原Ⅱ・街の核心に迫るに続く飯南町の旅記事第3弾です。

(2016年8月当時)

最初の2回では旧頓原地区についてのお届けでしたが、今回は頓原を発って赤名地区へ。ここは、平成の大合併で現在の飯南町になる前は、赤来町という自治体名でした。町内の「赤名」地区と「来島」地区の合名町名だった訳ですね。

そして、ここ赤名へは1992年に寄った事があり、写真記録は残していませんが、当時寄り道した所のレシートは持っていました。そんな赤名の写真記録を残してみたい、と今夏24年ぶりに訪ねた格好となりました。

●赤名地区入り

先の頓原へ向かう際に、広島の三次駅からバスでここを通って頓原へ行き着いた訳で、頓原から戻る形でバスでここまで来ました。

三次から頓原へ行った時のバス(備北交通)とは全然違っていて、戻りに利用したこのバスは飯南町の町営バスです。頓原-赤名間は備北交通だけでなく、町営バスも利用できます。

こんな感じですね↓

三次→(赤名経由)→頓原   備北交通のみ

      赤名→頓原       備北交通、飯南町営バス

かくして頓原のバス停から町営バスに乗りましたが、20分ほどの道中、全くの音なしでした。運転手が何もしゃべらなければ、次の停留所をアナウンスする訳ではなく、また運賃は両替機もなく、そのまま運転手に払って、小銭がなければお釣りをもらうような形式でした。とにかく降車ボタンも押しづらくどうしようかと思っていましたが、ここ赤名が終点であったこともあり、終始無言で降車の時を迎える事となりました。

頓原から赤名は、所要時間20分、料金は200円でした。

バスの車体は「いーにゃん」とよばれる飯南町のゆるキャラがそこかしこに散りばめられたカラフルなものでした。

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●赤名バスターミナル

上の写真でバスの向こうに写っているのが、まさにこの赤名バスターミナルの建物で、実にこじんまりとしたものでした。

建物の前にバス停標識がありますが、その下の部分に時刻表が貼ってありました。三次からのバスとして八栗口行き(頓原へ向かう便)が1日に4便、加えて飯南町営バスでは赤名吉田線として、ここ赤名を起点に頓原を経由する便がやはり1日4便あり、赤名からであれば頓原へは計1日8便あります。どちらにしてもダイヤはよく確認しておかないと、他に交通手段はないので要注意です。

入口付近に路線図がありましたが、随分前のものではないかな、という感じでした。一番上は「JR」バスと書かれていたのでしょうか、先頭部分が隠されています。建物も今はてっぺんがフラットになっていますが、前までは「JRバス赤名駅」の看板が出ていました。JRバスとして機能しなくなり撤去されたのでしょうね。

建物の真ん中部分は電機店が入っていて、待合スペースは右端(標識寄り)部分のみです。その左隣は職員の方の詰所ですが、おばあさんが1人でやっておられるようで、ここを発つ時にバスを待っていたら、その方が声をかけて下さり、バスbus待ちの間、その詰所内でテレビを見ながら、バナナにパンに…といろいろ頂きながら話をしていました。かなりご高齢のように見受けましたが、おばさんその節は本当にお世話になり、ありがとうございました。テレビを見ていた時に高校野球がやっていて、鳴門が智弁学園に勝って2人して驚いた事は忘れませんsmile

まぁそんな出来事が赤名での旅をより色濃くしてくれました。

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●赤来 マンホール

旧赤来町時代のマンホールです。

真ん中に町章と、町の花であるボタンが4つ並べられていました。

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●さんのあストアー

赤名バスターミナルの向かい、少しずれた所にこのようなショッピングセンターがありましたが、これはどうみても廃業してるな…と思い、見てみました。

このあたりはこじんまりとしたスーパーが近くにありましたが、こういう目立つ形の大型商店は見当たらず、赤来では街のシンボル的存在ではなかったかと思います。しかし調べてみても、いつ閉店になったのかsign02等情報がサッパリ掴めずでした。中身は閉店後そんなに長期間たってるような感じではなかったですが、建物の褪せ具合は結構なものですね。

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●バスターミナルを出て

すぐの地点で、国道54号頓原方面のカットです。

左向こうに見えているのは「道の駅赤来高原」で、バスターミナルが正直廃れていく感の中で、赤名の、ひいては飯南町の交通の要衝的存在といえます。

その道の駅の手前に左へ分岐する道路があり、これを進んでいくと、飯南町役場に行き着きます。

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●飯南町役場

分岐した道の坂をのぼった先にこの役場があります。

また道の駅からでも階段をのぼると、直接ここに行きつく事ができます。

この役場、ことし5月23日にこの地に移転したばかりで、前の役場もこの近くですが、道の駅を頓原方面へすぐの所にありました。

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●旧飯南町役場

ことし5月まで使用されていた旧の飯南町役場です。

この手前の坂をのぼって行くとすぐに、現役場に行き着きます。

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●道の駅 赤来高原

1996年に道の駅として登録されてから20年になる、赤名の交通要衝であり、情報拠点でもあります。それまではドライブイン赤名54というドライブインが要衝的存在でしたが、2011年頃に閉鎖になった模様です。いつの間にか、ドライブインという言葉すら死語になってきている感があります。

建物の向って左側が主要な施設で、観光案内所があって、地元および各地の案内書類があったり、TVもこちら側にあります。また土産物売り場や軽食コーナーもあり、

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●古今 赤名宿絵巻

道の駅の施設の向かって左端に、赤名に関連する地図や歴史的背景を紹介するコーナーがあります。

あまり知られていないかもしれませんが、赤名は石見・出雲・備後の国境を接する部分で中世は城下町として、近世は宿場町として栄えたといい、その様子が偲ばれるコマがこの絵巻看板の近くに並んでいます。

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●赤穴瀬戸山城 登山道案内図

中世は城下町として栄えたという事ですが、その一面を最も垣間見られるのが、この辺りかと思います。

今のように赤名ではなく「赤穴」と表記されており、赤穴氏が14世紀後半に築いたとされています。1615年頃には既に廃城となっているようですが。

登山道として、現在地からのアクセス方法が地図にて示されています。標高631mの山のてっぺんに主要どころがあるようで、現在地(道の駅赤来高原)から登山口までが徒歩10分、更に登山口から本丸までは徒歩約30分、との事で、行くにはかなり時間が欲しいところですね。

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●石見銀山街道

近世になると赤穴城は既になく、宿場町の要素が強くなる訳ですが、石見銀山街道に含まれ、各国の国境付近にある事から要衝として栄えたといいます。御用銀を運ぶという大事な役目を背負った街道で、兵庫県の姫路から北上する「生野銀山ルート」と同じような「銀の道」な訳ですね。

街道随一の難所といわれる赤名峠が境にあり、進んでいくと一里塚やら道しるべやら宿場を思わせるアイテムが現われてきます。

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●ぼたんの郷

建物のほぼ中央部分は、「ぼたんの郷」という事で単独のコーナーが設けられていました。

また農作物直売所として表示もありました。

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●軽食コーナー内外

道の駅の主要機能は向かって右側に集中していますが、そんな中の様子はあまり撮れておらず、軽食コーナーで一服していた時のカットのみです。食べ物類は無くなり次第終了でもあり、この時はもう夕方であったので基本飲みものだけの状態、マンゴージュースを買って、あとは出発の為バスターミナルへ向かうのみという状態でした。

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道の駅を中心にお届けとなりましたが、他にも色々この赤名では見てきましたので、それらの様子も伝えられればと思います。

2016年9月18日 (日)

島根/飯南② 頓原Ⅱ・街の核心に迫る

島根県飯石郡飯南町、島根/飯南 ここが彼の地、頓原か!に続いて町内の頓原(とんばら)地区歩き旅第2編です。

(2016年8月当時)

●商店街はつづく

頓原の道の大動脈である国道54号をそれて、すぐ出てくる橋もそれた先に、頓原の中心街的なこの通りが続いています。国道54号が時計の針でいう12時なら、この通りは2時あたりの角度でそこから分岐して続いています。

商店、廃屋、民家…そんなものが続きながらのこの通りを歩いていました。お客様は皆近所の人たちなのかな?等々想像しながら。低い建物がずーっとまだまだ続いていってました。歩いている人は皆無で、地場の人が近所を訪ねるべく出歩いているのが殆どだった気がします。近所付合いが切っても切れない「村」であることを感じました。

訪ねたのがお盆だったせいもあるかもですが、どこかのお家から大きな声のお経を読む声が聞こえてきました。

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●中心地へと

通りも最初のうちは淡々と商店や民家が続いていく形でしたが、かなり歩いて行くと中心的な雰囲気?ちょっと賑わいのようなものすら感じました。元々郡部の町の中心地付近でしたが、やはりそれらしい雰囲気は残ってるのかな、というところで。

大森酒店という酒屋さんが写っていますが、手前にも酒屋さんがあり、こういった地域と酒屋の関係って切っても切れないものがある事を感じさせられます。

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●しましんATM

古風な建屋が立ち並ぶ中、突如としてこのようなボックス状の建物が!

遂に金融機関が現われました。

「しまね信用金庫」の頓原"出張所"という事で、この辺りには支店はなく、このようにATMのみ設置しているようです。土日でもそれぞれ17時まで利用できます。(平日は19時まで)

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●浄土真宗 一念寺

商店街を通っていて、しましんATM付近にこのような参道的なものがあり、一旦それてこのお寺に向かいました。浄土真宗本願寺派の一念寺です。京都市にも同じ宗派の同名のお寺があります。

島根県でも辛うじて東部ながらオレンジの石州瓦が印象的ですが、山門は瓦の見えない下から見ると、木造感に溢れていて実に立派です。

こんな立派なお寺ですが、開基等々プロフになるデータがほとんど見当たらず、ただただ謎です。頓原にこんな立派なお寺がある、とだけここでは書いておきます。

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●飯南町役場 頓原庁舎

遂にいかにも中心地、という分かりやすい場所に到達しました。

旧頓原町役場で、昭和32年につくられた建物という事で、既に築60年近くになるという事ですが、この5月20日をもって閉庁されました。玄関口に閉庁の旨貼り紙がありましたが、5月20日金曜日とだけあり、いつの年かを含め色々調べてみたら今年でした。もう少し早く行ってれば、この建物が現役であったのに…というところでした。

現在は「飯南町保健福祉センター」というところに、頓原基幹支所として機能が移転されています。

ちなみに庁舎閉庁貼り紙の横にある妙なポスターは「ゆるキャラグランプリ」のもので、ご当地には「いーにゃん」という招き猫のようなキャラが居て、現在全国88位、県内では屈指の得票数を記録しています。→いーにゃんエントリー

2014年度140位、2015年度93位という事で順調にステップアップしていますね?!

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●飯南町商工会支援センター

飯南町商工会の頓原支所的なものでしょうか。旧頓原庁舎の2つ隣にある建物です。

本当にこの辺りが頓原の中心か、と実感します。金融機関もこの辺りに複数あるしで。

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●ごうぎん

島根県を代表する金融機関である「山陰合同銀行」が左側の赤い看板に見えます。

ここも頓原"出張所"ですが、窓口営業はやっています。ATM稼働時間はしまぎんの出張所と同様でした。差がついてないので共存できるのか?分かりませんが…。

県内でも主要市以外では、合銀がある場所はそれなりの所という基準のようなものがあると感じます。この辺りでは、歩く人の通行はご近所さん以外皆無で、車は通るだけ、という感じですが、唯一ここだけは絶え間なく車が止まり、お金をおろしては去って行く…という流れがありました。頓原の中心中の中心のカットといえば、自分の中ではこのカットですね。

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●きらく食堂

この頓原の商店街を歩いていて、看板はあれこれ出ているもののいったいどれほどのお店が今も稼働しているのか?と疑問も沸々湧いておりました。ここもその1つでした。幟が出ているところを見ると現役っぽいと思いましたが、その後の調べで現役と分かりました。

食べログにもこのようにありました。→きらく食堂 

このお盆(ナントこの訪問の翌々日!!)に書き込みがありましたので、正真正銘の現役食堂です。いいですね、こういうのはいつまでも残ってほしいものです。

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●畳

再び国道54号へ抜けました。

手前には通りにあった大森酒店の看板が出ていました。

で、この家屋、屋根の妻の部分にうっすらと「畳」とありました。かなり色褪せていて分かりにくいですが、いつまで現役の畳店として営業されていたのだろうか?とこういうのを見る度に思わされます。平成にはもう廃業しているか?昭和でも40年代にはあったかな?とか色々思いを馳せてしまいますね。

ここが現役の時はこの辺りはどれほどの賑わいだったのか、とかそういうものを決して肌で感じ取る事ができないし、記録にもなかなか残っていないと思うので、いくらインターネットが普及してもこの辺りは何か埋めきれないものか?いつも思ってしまいます。

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●さらば頓原

という事で、①の記事から今回の②のラストのこの部分まで実に30分余りで駆け抜けて、バスに乗るため戻ってきました。

ここへやって来た三次へ戻るのではなく、途中の「赤名」まで戻るべく「飯南町営バス」を利用しました。このバスは驚いた事に次停留所のアナウンスが一切なく、運転手ひとり、乗客自分ひとりの中を無音で過ごした20分でした…そのあたりはまた赤名編としてupできればと思っていますが、頓原からは以上です。やっと来れた頓原、さようなら!

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2016年9月13日 (火)

島根/飯南 ここが彼の地、頓原か!

島根県飯石(いいし)郡飯南(いいなん)町、島根県の中南部に位置し人口は4,965人(2016.6.1現在)で、広島県に接していて、町内の9割が山林・原野となっています。島根県と広島県を結ぶ主要な国道54号にて、橋渡しとなる役割を担う「赤名」地区があります。

今回記事はこのお盆の旅行にていちばん最初に行った、町内の「頓原(とんばら)地区」についてのお届けです。

●頓原 バス停

飯南町は2005年1月に旧頓原町(ここ)と赤来町が合併してできました。旧飯石郡の中でも、三刀屋町や掛谷町(故竹下登元首相の出身地)などは合併により、雲南市となりましたが、南部にあるこちらは飯南町として再スタートを切る事となりました。

その中で、旧頓原町の中心的エリアがこのバス停辺りになります。昔島根県に住んでいた頃に山道の一部の道をこの頓原町内で通った事はあったものの、街の部分は全然知らないまま島根を離れ、ずっと行きたいと思っていて20数年、ようやくこの8月に訪問が叶いました。

ここへのアクセスについて触れます。

JR広島駅

   ll JR芸備線 100分(快速80分)、または高速バス105分

JR三次駅

   ll バス 備北交通「花栗口」行 67分 1,340円

「頓原」バス停

三次駅から頓原へ向かうバスは1日に4便しかないので、時刻表チェックは必須です。

「tonbara.pdf」をダウンロード

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●バス停2

こちらは反対側、帰る時に待つ方の待合室です。

来た側にも待合所はありましたが、人が居た為撮らず、こちら側のみ。

小ぎれいな外見の待合所でしたが、中身は昔ながらという感じでした。どのくらいメンテされているのか気になってついつい座れずにいてしまいます。

ここで時刻チェックしておかないとまともに帰れないので、すぐさま寄って確認しました。

4枚あるうちの3枚目が主な時刻表で、一番下の柱に巻いてある感じのはよく分かりませんでしたが、時刻的に朝の分のみでした。とりあえず3枚目の時刻表のが重要で、中でも最下部の「赤名吉田線」の時刻が重要でした。この辺りは路線によっては土日運休のルートもあるので前以て確認したつもりですが、それでも気になってしまいます。

ここから三次へ戻るのは行きとおんなじで1日4便ですが、途中の「赤名」バス停までの便が「町営バス」として走っていたので、この存在は大変助かりました。おかげで赤名へ寄って、そこでも過ごして三次まで戻れたので、ここ頓原と赤名と両方旅できたのです。

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●バス停周辺

妙なレンガチックな建物が続いていました。

降りたバス停はこの道路の左側のすぐ手前です。

向かい(右側)にはガソリンスタンドがあり、その向こうにはAコープがあります。

中心街はこの道路と右側に平行に走る道路にあります。

この辺りは途中で通ってきて赤名もそうでしたが、バス停ひとつ違うだけで何にもない所へ降りる羽目になってしまうので、降りる場所の周りに何があるかちゃんと確認しておかないと、という事になります。

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●Aコープ

瓦屋根のAコープでした。

Aコープ頓原店とかではなく、「エルシィー店」とありました。

なんか買おうと思って海老カツ買って食べました(笑) この頓原に落としていったお金はこれだけです。コンビニは見当たらなかったので、ここで食べ物を買うしか、という感じで。他にも食べれそうなお店も見当たらずで。それよりここには30分強しか居られないので、早く街めぐりしなければという状態でした。

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●中心街へ

この通りが幹線道としての中心地であれば、街としての中心である通りへ向おうという事で、バスを降りたこの道から三次方面へ少し逆戻りする格好で歩いて、この標識の道路を左折します。

左折すると、「頓原ラムネ温泉」の看板がありました。ここへ行きたかったんですが、赤名と2ヶ所訪ねる事を選択したため、ここでの滞在を短くせざるを得ず断念しました。温泉へはこの道を入ってずーっと歩いて行くところでした。

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●頓原郵便局 標識

この地区の本局です、旧頓原町時代は中心となる局であったろうと思います。

上の写真のバス停のある国道54号の延長上の地点にあり、ここから見ると、すぐ向こうの横断歩道の部分を右折して、街並みへ入る格好となります。

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●頓原郵便局 全体と詳細

郵便色の建物全体像です。大きめの局ではありますが、平屋建てで小型の郵便局の延長線上的な感じです。

ATMの稼働は土曜日は17時まで可能で、日曜祝日は13時まで、その辺の小さな局よりはまだ便利という感じです。

局名の部分の下にはちょっとしたアートというか、手づくり感満載の納涼イメージのものがつくられていました。

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●マンホール

現飯南町ではなく、旧頓原町のマンホールです。

琴引フォレストパークとそこを滑るスキーヤー、それと清流を流れる鮎の組み合わせで、「頓原町」という表記がなされています。よくある「とんばら」「おすい」的なパターンではありませんでした。

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●万対橋と頓原川

ここまで出続けていた国道54号を南東に下りて、頓原川の流れる所にある橋です。まんたいばしと平仮名しか分からなかったのですが、調べると「万対橋」のようでした。

そしてこの頓原川、メチャクチャきれいでした。上空の雲が川面に映える様は実にすばらしかったです。まるで透明なスクリーンのようでした?!ちょっとした天空のような錯覚すら覚えて。

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●傷だらけの縁石

すごい事になっていました。何がどうぶつかったのか?という感じで。

万対橋を渡らずに手前で引き返して左折する所で、国道54号とは平行のように見えて実は「八」の形のように広がって行くのが、このカーブの向こうへ続いていく道です。

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●頓原の街並み

民家や商店が立ち並ぶ、頓原の本格的な街並みの始まりです。歴史ありそうな建屋が続いていきます。商店街の名残か独特の街灯が立っています。今は民家でもかつては商店であった所も少なからずあったのでしょうか。

頓原の地名由来としては、戦国期に広島を中心に活動していた大内氏が出雲侵攻の際にこの地に軍隊を駐屯させていた事に端を発するとの事です。

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●夏休み とんばらラジオ体操

として8/4の6:30~とありました。手づくり感満載のこの感じ、いいですね。

1日限りなのでしょうか?夏休みだと最初の1週間だけとか、7月だけとかいう地域はよく聞きますが。

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●通りを進む

と、かなり渋い感じが色濃くなってきました。

木造の建物も目立ってきたり。

こういう所に身を置いてるだけで通常と違うモードになれますが、普段見ない世界的な感じがすごくよろしい、ホントにそんな気分になれます。

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●更に渋い建屋

へと続いていきます。

ここが20年来行きたいと思っていた頓原の町か…、そんな気持ちを噛みしめながら、こんな通りを歩いていました。

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より以前の記事一覧