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20長野県

2016年11月 5日 (土)

JR長野駅 (長野県長野市)

長野県長野市のJR・しなの鉄道/長野(ながの)です

長野市は、長野県の北部に位置し、人口は375,234人(2016.10.1現在)で、長野県の県庁所在地であり、日本でただ3ヶ所、オリンピックの開催された街のひとつで、善光寺の門前町としても有名です。

-JR・しなの鉄道/長野駅-
【路線】
JR北陸新幹線(高崎-金沢間)
      信越本線(篠ノ井-長野間)
    しなの鉄道北しなの線(長野-妙高高原間)

【開業】1888年5月1日
【訪問】初訪問-2006年9
【1日あたり平均乗車人員】 21,168人/日 (2015年)
【近隣の主要駅 (高崎方面)上田駅→隣駅  ※新幹線
           (金沢方面)糸魚川
→3駅 ※新幹線
           (篠ノ井方面)篠ノ井駅→4駅  
※信越本線
           (妙高高原方面)妙高高原→7駅  
※北しなの線
           (越後川口方面)飯山駅→7駅 
※飯山線
           (軽井沢方面)屋代駅→5駅
 ※しなの鉄道線  

●駅名標

1888年開業のかなり歴史ある駅で、信越地方でこの年代に鉄道が通っていたのは驚きでした。

この駅に旅行で初めて来たのは2006年9月ですが、高校のスキー合宿でこの方面に行っていて、長野駅で降りたのか記憶になく、もし降りていたとすれば、ここへの初訪問は1987年1月となります。全く記憶にないので2006年9月としています。

80年代は某ドラマのサブタイトルに「長野行特急列車」とあったりするなど、当時は東京から新幹線も開通していませんでした。長野オリンピック前年の1997年に新幹線(長野新幹線:当時)が開通し、新幹線も乗り入れるようになって約20年経つわけですが、未だに新幹線でこの駅を利用した事がありません。

というのも関西在住なもので、名古屋から中央線で回った方が早く、そういう意味では殆ど今の北陸新幹線の恩恵にあずかった事がない状態です。東京からであれば利用したのでしょうが。

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●ホーム1

2012年撮影分です。

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●ホーム2

この2枚は2011年当時です。天井部分がいくつもの木で組まれていて、素晴らしい光景でした。

色んなタイプの電車が止まっていて、さすが様々な路線から乗り入れてきているだけの事はある、と感心させられます。

下に2枚あるうちの上側は5番線ですが、色々な路線が発するとされ、見ても訳が分かりませんでした。下側は4番線、こちらは飯山線の直通列車が出ているという事です。

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●改札内

の様子です。これは2006年の初訪問当時のものです。

右側に「3・4・5」の表示があり、3番線~5番線の3つの線が同一ホーム上にあります。3番線と4番線が同一の線内で分断されて、それぞれ別ホームとなっている為です。

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●分断

前後しますが、再びホームです。おなじく2006年当時で、この先暫くその時の写真となります。

同一の線で3番線と4番線が分断されていると先に書きましたが、こういう状態です。

向こうは3番線、手前は4番線、これをこのゴツいコンクリートで仕切っているのです。

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●改札を出て

広い1本の通路が通っていて、色々な施設が入っています。

また、通路の真ん中でイベントが行われたり、臨時のお店が出たり、結構賑やかです。

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●五輪記念

長野といえばやはりこれです。

本ブログでオリンピックの開催された都市は国内では初掲載となりますが、オリンピックの開催地として数少ない、名誉ある都市のひとつです。

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●イベントの1コマ

これは2011年当時のものです。

これ以外にもいくつかのゆるキャラが駅構内に居て、「信州を元気に」というコンセプトのもと、長野に関連したイベントが盛大に行なわれていました。

それにしてもこれの正体は…??色々調べてみますがようとして知れません…

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●駅出入口

駅舎の一部の様子ですが、こちらは2006年当時のもので、大きな庇と階段、そしてエスカレータもついた形で、2F部分通路と繋がっています。

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●1F部へ

上の写真で左にそれる通路が見えますが、これを通るとこのように下へ降りていく階段があります。このような階段がいくつかある訳ですが、これでもって地上へと下りたちます。

これもまた2006年当時で今から10年前になりますが、とにかく自転車めちゃくちゃ多いですね。

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●駅前広場

長野駅に降り立ち、右側にされた形でバスのりばにたどりつきます。

この右端に隠れるあたりの部分で、長野電鉄の長野駅への地下階段があります。

ちなみにこの時、この手前に写っているバスのりばで川中島へ行きました。JRでも「川中自島」という駅が当駅から信越本線で2駅先にありますが、古戦場からは4km程離れていて、そこへ行きたい場合は、長野駅からのこのバスのりばを利用した方がよさそうです。

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●駅前広場2

上の写真でもそうでしたが、駅前は高層ビルが立ち並び、単なる地方都市とはいえない都会感が全面に出ていました。

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●駅前広場3

循環バスである「ぐるりん号」ののりばがあるほか、善光寺方面へののりばも向こうにある、というバスのりばエリアです。善光寺へはバスで15分という事ですが、長野電鉄の『善光寺下』という駅が最寄りにはなります。

ただし徒歩でもじゅうぶん行けるます。一応20~30分とされていますが、この時も善光寺へは徒歩で行きました。少し時間に余裕があれば、途中の景色も楽しみつつ徒歩で行く事もお勧めします。

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●長野駅 駅舎

綺麗な真四角の茶色のビルと手前の二股に分かれた白い通路階段部分で構成されています。

これもまた2006年当時の様子につき、この10年でどれだけ変わったかですが…。

それでもその更に10年前とではかなり様子が変わっていると思われ、やはり五輪がこの地にもたらした影響は大きいだろうなと想像します。信州一の駅としてこれからも発展を見守りたいものです。

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2016年10月26日 (水)

長野/茅野 どこをとっても画になる街

長野県茅野市、JR茅野駅からの歩き旅です。

(2006年9月当時)

●弥生通り

今からちょうど10年前の様子となってしまいます。色んな町の訪問記がなかなかあげられないままズルズル来てしまい、気がつけば鮮度の低い記事ばかりになってしまっていますが、ご容赦下さい。

という訳で最初の写真はこれです。茅野駅からのびる「弥生通り」 。明確に街灯に示されていて分かりやすいです。ただ通りの最初が両サイド駐車場で、建物ではないところがなんともですが…。その向こうにはホテルやら何やら高めの建物が散見されます。

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●茅野駅向かい

右端に連絡橋が見えますが、茅野駅とはこの橋で繋がった商業施設「ベルビア」です。

もう10年も前なので現存するか?気になって調べてみましたが、まだまだ健在のようで安心しました。サイトはコチラ しかし元々あった茅野岡島という百貨店が2001年に閉店し、核となる店舗を失って、市の管轄となっている今はやりくりに色々苦労しているようです。

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●大鳥居

茅野は中心地に居ても高い山々があちこちで見れる、とても景色良い街です。

山の上にかかる雲が常に神々しさすら感じさせてくれます。そんな景色にこんな大鳥居は大変よく似合います。

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●橋の歩道にて

上川という川に架かる橋、名前確認しませんでしたが、上川橋でしょうか?しかし上川橋は四隅に高い石柱があるというので違うかも、10年前だとチト分からないです。

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●上川

橋を渡っている所から眺めた「上川」の様子です、向こうに架かっているのは中央本線の橋でしょうか。

上川は天竜川水系の川で、一級河川だといいます。諏訪湖から諏訪市を通って、茅野市を東西に横切る形で流れていますが、その長さは36kmで茅野市内を流れる川としてはダントツの長さです。

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●雲が湧き立つ

山のてっぺんあたりで雲がモクモクと湧き立っていましたが、山の辺りはどこを撮っても絵になる感じで、その土地自体がある種雰囲気を持っているというか、そんな地の持つパワーのようなものを感じました。

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●茅野町交差点

茅野駅から南東へ約400m、橋を渡る直前にある交差点です。

ここから見える山々も雲のかかり具合が絶妙で、大変良い風景でした。

この辺りどこへ行っても絶景と思えるくらい、いたる所素晴らしかったです。

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●白岩山惣持院

最後はこのお寺ですが、茅野駅の東口から約250m程の所にあります。

いかにも長野県の建築、という感じの寺院だなというのが第一印象でした。

白壁に、縦横のラインがふんだんに入っていて、ベル状の窓とか、個人的に持っている長野県の建築のイメージをことごとく体現しているな、と感じてやまなかったです。

1462年開創、1570年に現在地に移されたといわれる高野山真言宗のお寺です、真言宗なので立っている像は弘法大師さまなのでしょう。よく確認しませんでしたが、大抵開祖が立っているので。

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https://blogcircle.jp/commu/414/topic/3

2016年3月27日 (日)

長野/岡谷 9月の花火と美しい橋

長野県岡谷市、JR岡谷駅からの歩き旅です。

(2006年9月当時)

●花火!

駅からの旅というか、この時は岡谷に夜入って宿泊し、翌朝出発したという事で、夜と朝の写真という事になりますが、まずは夜のカットから。

諏訪湖花火大会、9月まで毎土曜日の夜に上がる花火を見る事ができました。9月の花火を見ようと思ったのではなく、この辺りを旅していて、泊まる場所を探していたら、ここ岡谷が目に入り、たまたまその夜に花火大会があったという具合です。

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●宿泊ホテル

岡谷セントラルホテルという岡谷駅から駅前広場隔ててすぐ向こうのアクセス至便なホテルです。

このホテルは横浜を本拠地とするBBHホテルグループ(プリーズベイホテルグループ)に属しており、名誉支配人として、あの俳優の高橋英樹さんが就任されているといいます。

花火大会で周辺に泊まれるホテルが殆どない中で、少々割高ながら取る事ができて幸いでした。

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●ララオカヤ

市街地再開発事業として、実に48億円をかけて整備され、1984年にオープンしたという岡谷駅前のショッピングセンターが、この「ララオカヤ」です。

しかし2001年に各店舗となるイトーヨーカ堂が撤退し失速、現在は1階部分しか使用されておらず、2階へ上がる事すらできないようです。

1990年当時の記事には、活性化の事例として紹介されていたのも今は昔で、時の流れとは恐ろしいものだと思います。時代が進むにつれて、飽きられる早さもスピードアップしている感じで、世知辛いというか、なかなか厳しいものを感じます。特に1980年代にでっかくオープンして、2000年前後に撤退して、その後は衰退の一途…という事例をよく目にするような気がします。ちょうどその辺りが時代の変わり目なのでしょうか。

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●駅前通り

北口の駅前通り、セントラルホテルやララもこの北側です。

通りといっても程無く県道14号へと交差し、中心的なエリアはここを右折して少し歩いたところにあります。

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●天竜橋

岡谷駅の南側へ回って、東へ進んでいくと諏訪湖に至りますが、その諏訪湖の少し手前に掛かるこの橋は「天竜橋」といいます。

欄干の部分が山の形に曲線を描きながら盛り上がっていて、色づかいと合わせて大変印象的な橋となっています。また山の形のてっぺん部分はステンドグラスが入っているなど、凝ったつくりになっています。

向こうに橋が2つあり、その先は諏訪湖へと広がっていきます。

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●長野自動車道

岡谷高架橋です。

こちらは天竜橋から見て西側、つまり諏訪湖とは反対側に位置します。

1986年長野自動車道の歴史のスタートと共に開通し、地上50mの高さにある橋梁で、2009年に88ヶ所でひび割れや剥離などが確認されたとの事で、この高さの位置からハンマーで叩くなどして定期点検を行っている、とありました。

この位置に橋を作ること自体多くのリスクを伴うと思いますが、景色としてはすごく素晴らしいものとなっていて、この辺りどこ眺めても良い景色ばかり、そんな事を感じた岡谷の街でした。

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2016年2月15日 (月)

長野/諏訪 諏訪湖畔は名所だらけ!

長野県諏訪市、JR上諏訪駅からの歩き旅です。

(2006年9月当時)

●上諏訪駅前

まず、今からもう10年近く前の景色になる事を御承知願います。

右に隠れている部分が上諏訪駅になり、この道路は駅と平行に通る駅前道路になりますが、駅前広場から歩道橋を通って、左側の「スワプラザ」へ渡れるようになっています。

ですが、この「スワプラザ」は2014年12月に商業棟が閉鎖され、35年の歴に幕が下ろされ、別会社により駅前再開発の構想がなされているといいます。

また、ここと共に諏訪市の商業の核であった「まるみつ百貨店」も2011年に閉店され、この当時からは随分商業の勢力図が変わったようです。この時の写真のひとつに「まるみつ百貨店」の駐車場もありました。

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●連絡通路

上の写真の側は、どちらかというと街側で、市街地が通る方になりますが、諏訪湖等観光資源に恵まれているは反対側になり、上諏訪駅を出て、この連絡橋を渡る事となります。

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●諏訪湖口

駅の反対側です。

駅前頃場にアスレチック?的なものがあったり、提灯が並んでいたり、観光向けの要素を思わせる駅前広場でした。

駅前のこちら側は、ホームから直接出られるようになっていないのですが、駅前広場だけはしっかりあるという形で、ここからホームへ行くには、上へあがって連絡橋を渡って降りて、駅改札を入る、という少々面倒な事になります。実際、帰る時にこちらから入っていって、電車の時間がないという状況で、かなり慌てて走って行ったのをよく覚えています。

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●諏訪市美術館

諏訪湖の方へとアプローチして、この向こうはもう湖畔公園、というロケーションですが、そんな所にあるのこの美術館、とにかく緑の屋根瓦が煌めいていた印象が大変強かったです。

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●諏訪湖!

湖に出てきました。

上諏訪駅からは十分歩いてこれる距離で、ホントに気軽に行く事ができます。

ちょっと行くだけで、この素晴らしい光景に出会える、これが当地の素晴らしいところでしょう。

湖面が実に綺麗で、この映え具合も見事と言うほかありませんでした。

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●すわんに乗る

折角来たので…という訳で、この時は諏訪湖の遊覧船に乗りました。

乗ったのは、左側のアヒルの方、その名も「すわん」と、アヒルにも諏訪にもかかった絶妙のネーミング?です。右の亀の方は「竜宮丸」とありました。諏訪湖の観光サイトを見てましたが、遊覧船のラインナップを見ると、10年近く経つ今もこのコンビのようです。すわんの製造年は昭和57年という事で、30年以上になる結構なベテランさんで、竜宮丸は更にベテランで昭和52年製だそうです。

運航スケジュールを見ると、9:30発をはじめに1時間ごとで15:30まで7便あり、1周約25分で回ります。料金は900円、ちょっと高いですが。

船内はこんな感じで、1階席は100席、2階席が゛72席あります。

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●スタート

竜宮丸をおいて桟橋を離れていく、すわん。

向こうには温泉施設が複数あり、湖畔にして温泉があるのも諏訪のすばらしいところと思います。

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●クルージング

航行中にいろんな風景が見えますが、その一端を。

湖に浮かぶのは「初島」という人工島で、1954年に諏訪湖の花火大会の打上げ場として湖畔沖合約250mの地点に造られたもの、という事です。

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●間欠泉センター

これも間近にある、諏訪湖間欠泉センターです。

諏訪湖は「日本一の間欠泉」があるとされ、1983年に噴出した間欠泉は高さ50mにも達し、当時は世界2位の記録とまでいわれていたそうで、これを観光利用する目的で1990年にこのセンターが開館されたそうです。

1時間半ごとに間欠泉が噴出され、現在は約5mの高さだそうです。

そしてこのセンターは間欠泉だけでなく、諏訪湖の花火大会に因んで、花火についての展示もなされており、今もあるのか確認したところ、現在も「花火館」として存在しているようです。花火玉の断面構造の説明図もついていて、分かり易かったです。

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●片倉館

1928(昭和3)年竣工の建造物で、当時の片倉財閥の当主が、地域住民への厚生施設として造られたものだそうです。ヨーロッパへ視察に行って、このような厚生施設を地域住民が利用している事に感銘を受け、日本でもこのような事ができないか?と発案し、つくり上げたといわれており、なんとも素晴らしい発想であり、社会還元でもありますね。

外装のみならず内装も非常に立派で、最初「こんな所が日帰り温泉なのか??」と思って、入るのをためらったぐらいですが、入ってみれば庶民的そのもの、外の建屋の立派さなどまるで無関係になってしまいます。

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●お堀と橋と

これもまたまた諏訪湖畔より近くにある、今度はお城(高島城)です。

湖の近くに温泉あり、お城あり、そして9月まで花火が見れる…とあまりに多種多様な観光資源?!諏訪市おそるべしです。

高島城、という一般にはそれほどものすごく有名なお城ではないかもしれません(長野県には松本城というビッグネームもあり)が、天守があって観光のシンボルとしてはかなり貢献しているかと思われます。その前にこの橋と門、そしてお堀は立派なものです。

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●入口

「史跡高島城本丸」とあり、立派な木造の門がありました。

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●城跡公園

門を入ると、このような公園状になっており、池のある庭園的な部分もあります。

とにかく緑いっぱいのイメージが強かったですね。

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●入場料

天守閣への入場料、という形で料金を徴収していて、大人は300円となっています。当時の価格ではありますが現在も据え置きの模様です。

中は展示コーナーがあったり、資料室が設けられたりしています。

隠れた名所的な感じで、人で溢れてごった返す感じではなく、程よくのんびりできると思います。

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●高島城 天守閣いろいろ

高島城は別名「浮城」ともいわれ、その所以はこの下のいちばん上の写真で窺い知れると思います。諏訪の湖畔に浮かぶ城、なのです。そうかと思えば2枚目の写真のようにアスファルトから出ていたり、色んな姿が見られます。

この天守閣は1970年に復興されたものですが、当時とは細部が多少違っているようです。

1598年にお城は完成し、江戸期は一貫して諏訪氏が城主として治めましたが、1875年には天守はじめ破却されたとあり、1970年の復興までは石垣の残った寂しい公園だったのでしょうか。

長野というのは越後(新潟)の上杉、甲斐(山梨)の武田と彼らがしのぎを削った川中島が長野市にあたるなど、戦国の合戦において重要な地ではあります。その頃はまだこのお城はなかったのですが、水辺に優雅に浮かんでいたこの城とて、穏やかならぬ時代をどこかで見てきていたのでは…と思いを馳せたりもします。

諏訪湖に、温泉、美術館、間欠泉、花火関連、お城…まさにエトセトラエトセトラ…というぐらい色んなものがこの諏訪湖畔に凝縮されていて、長野に来たなら外してほしくない名所揃いの地である、と思います。

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2015年4月 5日 (日)

JR軽井沢駅 (長野県北佐久郡軽井沢町)

長野県北佐久郡軽井沢町のJR・しなの鉄道/軽井沢(かるいざわ)です。

軽井沢町はは長野県の東部に位置し、人口は19,662人(2015.2.1現在)で、日本屈指のリゾート地として非常に有名で、年間約800万人もの観光客が訪ねるといわれています。また、夏・冬1回ずつ日本で行われたオリンピックでそれぞれ会場として利用され、世界で唯一、夏冬両方のオリンピック競技会場となった町でもあります。

-JR・しなの鉄道/軽井沢駅
【路線】JR北陸新幹線(高崎-金沢間)
    しなの鉄道線(軽井沢-篠ノ井間)

【開業】JR-1888年12月1
    しなの鉄道-1997年10月1日

【訪問】2014年7
【1日あたり平均乗車人員】 
         JR-2,889人/日 (2012年)
         しなの-1,099人/日 (2013年)    

【近隣の主要駅(高崎方面)高崎駅→2駅
           (金沢方面)上田駅→2駅
           (篠ノ井方面)小諸駅→5駅

駅名標と時刻表

元々はJR信越本線の駅でしたが、1997年に長野新幹線が開通した際に、新幹線の停車駅となり、同時に在来線はここを起点に長野駅まで「しなの鉄道」に移管され、反対方向は廃止されてバス路線に転換されている、という歴史をたどっています。その為に、JRとしては新幹線しか停車しないながら、駅の歴史は百何十年もあるという格好になっています。

駅名標の方向から見て、こちらは群馬県高崎から長野へ向かう「下り」ですが、ダイヤ的にはこの写真の通りとなります。概ね1時間に2本、時に1本の時間帯があるという状態です。

尚、これは2014年7月当時の「長野新幹線」(通称)の時のもので、今年3月には金沢まで延伸されて正式に「北陸新幹線」としての駅となっています。

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●ホームと新幹線

東京からは1時間強で着きます。意外と短時間だな、と思いつつやってきました。

高架ではなく、地上駅であり橋上駅の構造となっています。

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●ベンチ周り

曲線が互い違いになった形でベンチが置かれていました。

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●みどころ

軽井沢、善光寺、白馬、上高地…などなど全国区の名前が目白押しの信州長野。

ここ軽井沢も全国区のリゾート地としてその名がとどろいている訳ですが、逆に高尚なイメージが自分の中に強くて、恐れ多くて?!行けずにいた部分があり、昨夏東京に行った際に「どんな所かな?」という興味本位で寄り道がてらに来てみた次第です。

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●自由通路

天井付近しか写していませんが、富岡製糸場の世界遺産登録を祝う横断幕が出ていました。ここから富岡は県外でもあり、ちょっと距離があるのですが…。 

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●レリーフ

自由通路にあるこのレリーフはオリンピックの競技が夏冬共に当地で開催された事を示しており、それぞれのものが作られています。東京オリンピックの会場のひとつになっていたとは知りませんでした。

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●北口出口

北口の出口です。

こちら側が実質的なメインで、街への通りが続いて行きます。

さすがに新幹線駅らしく天井の高い、大きな出口となっています。

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●2F通路

2F部分から出ての通路、いわゆるペデストリアンデッキというやつですが、鮮やかな曲線で通路がつくられています。

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●駅前広場

通路下にひろがる広場の様子です。

タクシーが何台か停まっていますが、周りの様子は自然にあふれていて、日本屈指の観光地といえどやはり郡部である事を窺わせます。

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●軽井沢駅 駅舎(北口)

2Fからカットや下に降りてからのカットなど、様々な角度で撮り甲斐のある?!駅舎でした。

駅舎自体がそんなに大きいという印象は与えないかもですが、通路と階段を合わせて撮ると壮大感が出ると感じました。

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●軽井沢駅 駅舎(南口)

こちらは南口です。

北口とだいぶ趣が違っていて、また全面工事中の状態でした。

駅舎と階段部分を繋ぐ通路が青空に映えると、空に浮かぶようにも見えました。

こちら側は大規模な売店群があり、北口とは全く趣を異にしています。

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2014年12月 9日 (火)

長野/中野 ナガノのナカノ

長野県中野市、長野電鉄/信州中野駅からの歩き旅です。

長野県の県庁所在地は長野市ですが、濁らない「中野」市という自治体も存在します。

(2011年4月当時)

●周辺地図

信州中野の駅前にありましたが、かなり地味目な地図でした。

道路図が主のようですが、字名が沢山書かれていてごちゃごちゃした感じになっています。

とにかく隣の山ノ内町に出ればスキー場が数多くあるというのはよく分かります。

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●駅前通り(右)

東側の出口から右を向いたところの道路です。

駅からまっすぐ伸びている道路ではなく線路と平行な通りとなります。右側の建物は「中野保健センター」です。

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●駅前通り(前)

こちらは駅から伸びた通りの始まった部分になります。

ピンクの建屋の中華料理店がなんとも目を惹きます。縦長の建屋というのもインパクトありました。

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●駅前通り(前)2

駅前すぐの交差点が手前にあって、それから程無くあるのがここに見えている「中野駅入口」交差点です。地元では中野駅で通っていると思いますが、東京の中野駅(中野サンプラザで有名な)の存在から、「信州」が冠された駅名になっています。

通りの街灯は真ん丸のがぶら下がったものとなっています。

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●カチューシャ通り

と銘打たれていた上の写真の駅前の通り。

作曲家・中山晋平はここ中野市の出身で、彼の代表作のひとつに「カチューシャの唄」という曲があり、これに因んだものと思われます。この曲は1914(大正3)年発表という事で、今年が丁度リリース?!100周年という事にもなります。かの有名な女優・松井須磨子も歌唱したといわれています。

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●中野市マンホール

真ん中やや上は市章でしょうか。「中」の字がデザインされた形になっていて、両サイドには音符、これは郷土の偉大な作曲家・中山晋平に因んででしょう。という事で、真ん中に描かれている建物は中山晋平記念館だそうです。

ちなみにこのタイプは、旧・中野市のもののようで、市の鳥ライチョウ、市の花シャクヤク、市の木リンゴといずれも旧市のものが描かれています。

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●官庁街バス停

ざっくりしたバス停名です(笑)。大抵、市役所前とか市役所とか言ったりすると思いますが、この辺り一帯を指すざっくり名称で。

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●中野庁舎

というわけで、庁舎の建屋です。

3F建てで、1Fが主な市民窓口、2Fは市長室等々、3Fは議事関係というのが主な部屋割りです。割にコンパクトな建屋ですね。

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●信州中野郵便局

こちらも駅名同様「信州」中野郵便局、となっています。

本家の「中野郵便局」はやはり、というべきか、東京都中野区に存在します。

角を跨ぐ?感じで荘厳に建っている素晴らしい郵便局です。

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●白雲流れる…

のどかな雰囲気の幹線道、向こうには山がそびえ、白い雲が流れていくという絵に描いたような風景に出くわしました。

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●法運寺

郵便局近くにある浄土宗のお寺です。

この厚い屋根が寒い国を思わせます。

下の3枚目の写真の御影堂という建物では白壁に梁という形で、長野県でよく見る建屋のタイプだと思わされます。

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●中野騒動記

1871年に当時の中野県で起こったご当地の農民一揆について刻まれています。

この法運寺は、一揆で消失した中野県の庁舎が移されてきた地、という事もあり、ここにこの説明がなされている事の意味がある訳ですね。

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●学校と枝垂桜

ここ中野で見た最も印象深いものは、この枝垂桜ですね。

中野の駅前にも4月末にして豪快に咲き誇る枝垂桜を目にしたりして、とにかくインパクありました。

写っている高校は「長野県長野立志舘高等学校」です。2007年に中野高校と中野実業高校が統合したそうですが、最近学校も統廃合みたいなのが実に多いですね。

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●中野市中央公民館

独特の絵柄のついたユニークな公民館でした。これがなかったら何の変哲もないただの大きめの建物、なのでしょうが…。

ここも青い空と白い雲のコントラストが絶妙なものがありますね。

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2014年2月 8日 (土)

JR松本駅 (長野県松本市)

長野県松本市のJR松本駅です。

松本市は、長野県の中西部に位置し、人口は242,933人(2014.1.1現在)で、国宝として名高い松本城を有する城下町で、県都・長野市に次ぐ長野県第2位の人口を誇る特例市です。

-JR松本駅
【路線】JR篠ノ井線(塩尻-篠ノ井間)
      大糸線(松本-南小谷間)
      アルピコ交通上高地線(松本-新島々間)

【開業】1902年6月15
【訪問】初訪問-2006年9
【1日あたり平均乗車人員】 JR-15,864人/日 (2012年)
              アルピコ-1,762人/日 (2010年)
【近隣の主要駅】 (塩尻方面)塩尻駅→5駅
           (篠ノ井方面)明科駅→2駅
           (南小谷方面)豊科駅→8駅
           (新島々方面)新島々駅→13駅

駅名標と名所案内

ここへは初めて訪ねたのは2006年9月で、次は6年後の2012年8月に訪ねています。初回時は松本城を見たりしてそこそこ旅しましたが、2回目はほとんど宿泊のみという感じでした。
写真は混在で載せますが、この下の2枚は上2012年、下2006年です。以下、あまり変わっていないと思われる部分は撮影年を割愛しますが、2006年時は駅が工事中だったので、その辺りは変わってるかもしれません。
長野県の都市駅らしく、駅名標は全面に写真がついています。(松本城とお堀)

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ホーム
2012年のホームです。
0番線~7番線まで、4面8線もの広大なホームを有し、ここに写っているのは右側が2番線、左が3番線です。
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正面口
2006年当時の正面口の様子です。
標識の右端部分には「松本電鉄 上高地線」と旧社名で表示されています。今から見ると時代が感じられていいですね、とってもさりげない違いではありますが、名称が変わったのが2011年なので、たった6年でもこれだけの変遷がある、という事を思い知りました。

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自由通路2012
2012年の自由通路の様子です。
2007年に松本市が市制100周年を迎え、その前後に色々と改装がなされています。
2012年はすっかりリニューアル後で、2006年は色々中途半端な姿が垣間見えました。

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プロ野球公式戦横断幕
DeNA-中日戦が松本市野球場で行われるという事で、大々的に幕が張られていました。
この幕は色んな意味で歴史や時代を物語る!撮った時からその事を意識してました。
DeNAというチーム名になった事、中日に高木監督が写っている事、その他いろいろ…こういう写真ほど後になって振り返ると懐かしさ満載です。
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駅前広場2006
2006年当時の駅前広場周辺の様子です。
アルプスの城下町、というなんとも和洋折衷なフレーズの広告塔がありました。

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駅前広場2012
こちらは2012年の様子です。
撮ってる位置が違う事もあり、なかなか比較はできませんが、時代により少しずつ変化していくもの、かなと思います。

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松本駅 駅舎2006
2006年当時の駅舎です。
改装工事中の様子がよく分かります。
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松本駅 駅舎2012
そしてこちらが6年後、2012年夏の駅の様子です。
松本駅、と書かれた名標の左側に通路とその建屋がつくられているのが見えます。2006年当時工事中だったものですね。
この町に来たなら、やはり国宝・松本城がいちばんのおススメですが、他は各人の想い想いで観光を!と思います。

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2013年8月 4日 (日)

長野/駒ヶ根 商店街とお祭りと

長野県駒ケ根市、JR駒ヶ根駅からの歩き旅です。

(2012年7月当時)

坂道の商店街

駒ヶ根駅を出て、少し左側からまっすぐ伸びた道を行きます。

上り坂になった商店街に出くわし、軒先には提灯が連なってぶら下がっていました。

そして通りにはゆかた姿もチラホラ…

この日2012年7月28日はたまたま、駒ヶ根市の夏まつり「KOMA夏!」の開催日だったのでした。

今年は先週末、7月27日(土)に終わったばかりのようですね…http://www.komanatsu.com/

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スクランブル

あまり大きな町ではないと思うのですが、こんなスクランブル交差点がある事に驚きました。この日はお祭りだったので人が集まっていましたが、普段の人通りはどのくらいなんだろう、というところも気になりました。

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仲町

というバス停付近です。

上の写真のスクランブル交差点を左折し直進したところです。

ここもまた歩道には屋根がついた商店街が続いていくのでした。

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本町・仲町商店街 案内図

上の写真から少しだけ進んだ所にあった案内図です。

隣にトシちゃんのコンサートのポスターが貼ってあったので思わず一緒に写真に収めました。駒ヶ根市文化会館で9/9(2012年の)に行なったんですね。主要都市だけでなく、こういった町でもLiveが行われるのはいいですね。トシちゃんは50過ぎてもまだ衰えを感じさせない激しいダンスで、自虐トークも交じって今ステージが結構面白いらしいですね。

現在地は仲町から本町に至ったところでしょうか。絵の通り色んな商店が立ち並んでいます。

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本町

という交差点で、国道にも本町の表示がありました。

ここは国道153号、名古屋と長野県の塩尻を結ぶそうですが、途中が長野県飯田などを経由する形でルートがとられています。

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路地へ

入ってみましたが商店街、それもかなり昔ながらな雰囲気の街並みに出会えました。

看板が…タイムスリップ気分で。

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シャッター

の閉まったままの店もチラホラと見受けられます。

それでも以外に商店街の長く続いている街だなという印象でした。

昔の商店街隆盛自体はこの辺の通りも賑わったのだろうか?と思いを馳せてしまいます。

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駒ヶ根市武道館

さて、商店街エリアを抜け出て、隣の小町屋駅の付近まで来ました。

ここで出くわしたのはこの「駒ヶ根市武道館」でした。

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駒ヶ根市役所

程なく出くわしたのが駒ヶ根市役所。

ここの市役所は駒ヶ根駅よりも隣の小町屋駅が最寄りとなっています。

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火の見櫓

最後はこの火の見櫓、武道館近くで目にしました。

こういうのが残っている街っていいですね。

といいつつ、駒ヶ根駅から隣の小町屋駅まで1駅分の歩き旅となった駒ヶ根市でした。

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2013年7月24日 (水)

長野/東御 田中駅前 田中宿の面影

長野県東御(とうみ)市、しなの鉄道/田中駅からの歩き旅です。

(2011年4月当時)

駅前通り

田中駅から伸びた道路です。

駅前感はあんまりなくて、幹線道路上の一角、そういう印象でした。

何があるのかよく分からないまま、とりあえず歩いてみることに。

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FMとうみ

この田中駅前でいちばん最初に、これというものを見たのは何か?と聞かれると、このFM局かもしれません。

東御市を中心としたコミュニティ放送局で、午前7時から午後9時までの毎日14時間の放送ですべて自主制作番組だそうです。

開局日は「とうみ」に因んで10月3日(2010年)だそうです。この時は、まだ開局後半年程度の状態だったんですね。

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田中宿

ここ田中は、北国街道の宿場町として栄えました。

当初は隣の海野宿と合宿という形で、ひとつの宿として扱われていましたが、1742年大洪水により多大の被害が出て、海野宿の方へその機能を移す事となりました。その後立ち直った田中宿にも本陣が置かれ、海野/田中の両宿に本陣があるという状態となりました。

しかししかし1867年、またも大火が田中宿を襲い、宿場の殆どが焼失、大名旅人も海野宿に泊まるようなり、田中宿の本陣は明治期に廃業、旅籠も全く残っていないそうです。そのせいか当時を偲ぶことがかなり難しい街並み、と感じました。

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商店街

田中駅前で個人的に最も賑ってると感じたのがこの辺りでした。

飲食店が通りにずらーっと並んでいました。

「雷電」という名の店も見えますが、江戸時代の力士として有名な雷電為右衛門(1767-1825)は当地の出身です。

当時の相撲は、大関が最高の地位でしたが、その大関を27場所(当時は年2場所、現在換算だと80場所程度!)務め、44歳で引退するまでの通算成績は254勝10敗という驚異的な記録で、大相撲史上最強の力士とまで称されています。

そういえば今の大相撲に長野県出身力士っていないよな、と思って調べたら、現役では三段目筆頭の力士が最高で10人もおらず、かつての力士でもwikiで10人も出てこない状態でした。昭和50年代前半まで現役を務めた大鷲(平)以来、関取は出ていないようですね。長野の力士ってなんでそんなに居ないのか不思議ですが…、、

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東御市役所

田中駅から距離にして600mほど行った所の坂の上にある東御市役所です。

この当時は、ちょうど市庁舎内の大改修が終わったばかりの頃で、事務所や議会など色々なものがちいさな移転をしていて、そのようすが看板に示されていました。

庁舎はてっぺん部分が屏風のように折れ曲がっているのが特徴的な建屋でした。

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貸自転車

最後は田中駅に戻ってのカットですが、貸自転車があるそうです。

駅規模が小さくて、そんなのなさそうに思っていたのですが…。

9月19日ヨリと書いてあって、いつの9/19なのか調べてみたら、2009年のだそうです。

1日500円乗り放題で8:00~という早くからの対応が嬉しいですね。

この時でそれから1年半、今で4年近くになりますが、続いているのでしょうか。

仮に乗ったとしてどこへ行くんだろう、と考えてしまいますが、歩きよりも行動範囲は広がるんでいろんなものは見れるでしょうが、自転車だと上に載せたような通りの写真とか撮らない事が多いんですよね、風景を流してしまうというか。そこが徒歩と自転車の違いなんですが…

徒歩旅もあれば自転車旅、バス旅いろんなパターンで旅してる(基本歩きですが…)んで、それぞれカットが変わってくると思いますが、そういう事含めてこれからもupしていきたいと思います。

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2013年7月21日 (日)

長野/大町 流鏑馬と塩の道

長野県大町市、JR信濃大町駅からの歩き旅です。

(2012年8月当時)

マンホール

大町市のマンホールです。

市の鳥がライチョウという事で、これが前面に出たイラストになっています。

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駅前通り

信濃大町駅から出てすぐの通りです。

片側だけ商店が立ち並んでいた、というイメージです。

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子ども流鏑馬

700年もの歴史をもつという若一王子神社の例大祭として行なわれているのが子ども流鏑馬であったり、山車の曳き揃えであったりだそうです。

中でも流鏑馬は有名な鎌倉・鶴岡八幡宮、京都・賀茂神社と並ぶ三大流鏑馬のひとつで、子どもが行うというのは特に珍しいようですね。

今年は今度の土日、7/27・28の両日に一連の祭が行われるようで、詳細はコチラ

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大町郵便局

大町市の本局の郵便局です。

そんなに大きな建屋じゃないですが2F建てとなっており、土日もATM稼働しています。

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日の出町商店街

飲食系が中心の商店街のようで、夜は賑わうのでしょうか。

ここへ来たのが盆時期の早朝だったもんで、人の通りなど皆無に等しかったですが…

ちなみにここ大町は1か月遅れの8月7日が七夕で、もう30年くらい前からこの時期に短冊の飾りつけを商店街一帯にしているそうです。

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塩の道博物館

と書きましたが、現在は「塩の道ちょうじゃ」という名称だそうです。

去年8月時点では、「塩の道博物館」だったのが、今年4月に現名称に変更され、この1年の間に名前が変わるとは、、調べとかないと分からないもんですね。

かつて「塩の道」と呼ばれた千国(ちくに)街道(新潟県糸魚川から長野県の松本まで)の歴史と、人々の暮らしを紹介するという博物館です。早朝だったので開いておらず、後の調べでこの内容を書いているんですが…

ちなみに流鏑馬会館へ行きたい場合に、この博物館へ申し出れば、実質無料で入る事ができるとありました。今はその辺どうなのでしょうか。

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飴市の絵

戦国時代、上杉謙信と武田信玄が川中島で激戦を交えていた頃、信濃は塩の流入を止められて苦しんでいて、謙信がこれを聞いた時に、「戦いは弓矢でするもの」と言い、塩を送ったといいます。

そして、その塩が入った時に人々は盛大に市を開いたそうで、その塩はやがて飴に変わり、この地方で正月以降最初の賑わいを見せる「飴市」ができたそうです。今では2/9-11の間に行なわれ、これが終わると雪深い当地でも春の足音が日に日に迫ってくる、と説明板には書いてありました。

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流鏑馬会館

流鏑馬が大町市の大きなウリのひとつであり、その会館が建っています。

立派な建物ですが、表示が分かりづらく一見して何の建物かな、と思うようなものでした。

ここも開いてませんでしたが、どっちみち時間なかったから、開いてても中まで見なかったと思いますが、この細長いスペースは流鏑馬のバーチャル体験ができるのか、とか想像してしまいました。HP見ると、流鏑馬の衣装が展示されていました。

何にせよこれらに限らず、沢山の和風建築が立ち並んでいたこの一帯でした。大町って何があんのかな?と思いながら行ってみましたが、こういう建屋群の風景が見れたのは収穫でした。

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