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20長野県

2018年8月23日 (木)

長野電鉄/湯田中駅 (長野県下高井郡山ノ内町)

長野県下高井郡山ノ内町の長野電鉄/湯田中(ゆだなか)です。

山ノ内町は長野県の北東部に位置し、人口は11,852人(2018.4.1現在)で、志賀高原や湯田中渋温泉郷、地獄谷野猿公苑など観光資源に大変恵まれた町です。

-長野電鉄/湯田中
【路線】長野電鉄長野線(長野-湯田中間)
【開業】1927年4月28
【訪問】2017年8月
【1日あたり平均乗車人員】 646人/日 (2015年)
【近隣の都市駅(長野方面)信州中野駅→5駅

●駅名標周辺

実際に看板形式になった駅名標があったはずですが確認できず、この駅名標を代用で載せます。一応隣駅表示があって、片側のみ記されていますが、長野電鉄の長野線の終着駅であり、ここは郡部ですがもっちも近い市の中心駅はここから5駅行った信州中野駅です。

猿の看板が印象的ですが、これは「地獄谷野猿公苑」の看板です。冬場には猿が温泉につかる国際的に有名な観光地で、ここがまずこの駅のウリです。この駅からあまり便数は多くありませんがバスが出ています。時間があれば是非寄りたい所です(寄れませんでしたが…)

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●片道切符

長野駅からの切符、乗車券と特急券です。

JR長野駅の構内を一旦出てすぐの地下階段を下りて長野電鉄ののりばへ出ます。

そしてここから買った切符です。1年前のちょうど今ごろです。

湯田中は特急停車駅につき、乗車券1,160円に特急料金100円が加算され、特急利用時は総計1,260円となります。

特急利用で長野駅から45分前後で到着します(普通列車の場合は70分余りかかります)

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●おさるスナップ

駅のホームには地獄谷野猿公苑のお猿の写真は複数あり、ちょっとしたスナップ集といった感じでした。よほどここがウリなんだろうな、と感じました。それにしても子ザルはかわいいですね。

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●電車内

これは帰りの時のカットですが、長野へ向かう電車が折返しで来ていて、出発待ちの時に誰も乗っていなかったので撮れたものです。

行きは特急で来たので上等な感じの座席でしたが、この帰りは普通列車で帰ったので、こんな感じの座席でした。これはこれでほのぼのしていてよかったです。

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●ホーム

特急列車の入ったホームのカットがいちばん上の写真ですが、特急だけあってなかなか長めでした。

2枚目の写真は古風な感じが見て取れるホームのカットです。コインロッカーも設置されています。

観光資源に恵まれて特急停車駅でもありますが、1日平均の乗車人員は600人余りとさほど多くなく、土日など休日頼みなのかもしれません。

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●楓の館

これは駅を出て裏側に当たる位置にある湯田中駅の旧駅舎で現在「楓の館」として利用されている施設です。

日本の歴史的景観に寄与しているものとして文化財登録原簿に登録された、とありました。文化財登録原簿に登録された文化財が「登録有形文化財」という訳です。

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●楓の湯

旧湯田中駅舎に隣接する形で位置しているのがこの「楓の湯」です。

この湯田中駅前の日帰り入浴施設です。

折角駅前にある訳で入りたかったのですが、行きは少し離れた渋温泉まで行く必要があり、帰りは早めに出る必要がありで、利用する事ができず残念でした。

ただ、この前に足湯があり、そこだけは浸かってきました。その足湯の写真も載せています。

【楓の湯】

 

住所:長野県下高井郡山ノ内町大字平穏3277-1
      (長野電鉄/湯田中駅より徒歩1分)

 

電話:0269-33-2133

営業時間:10:00~21:00(受付20:30まで)

料金:大人300円。小人150円

休館日:毎月第1火曜日(祝日の場合は翌日)

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●駅前広場

駅降りると湯田中温泉街という事もあり、郡部にしては賑わった駅前になっていて、広場を隔てていくつものお店があり、また多くのバスが停まっていました。長距離バスもここから出ています。

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●湯田中駅 駅舎

観光資源の豊富な場所でもあり、大きめの駅舎になっています。

階段のついた立派な建物で、駅の看板も真ん中にデンと出ていました。

白を基調とした建物で、青空によく映えています。曇天だと同化するのでしょうか。

田舎の駅だから小さいではなく、こういう駅もある訳であって、以前この沿線に行った時は長野駅から途中の信州中野駅までしか行きませんでしたが、少し足伸ばししてこんな駅があるとは!という感じでした。行ってみるもんですね。

この界隈には色んな温泉があります。それらをくまなく巡ってみるのも良いかなと思います。

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2018年6月17日 (日)

長野/伊那 いーなの商店街群

長野県伊那市、JR伊那市駅からの歩き旅です。

(2012年7月当時)

●駅バス停

伊那市駅バス停として標識が2本並んでいました。

伊那バスとして市内循環線として2路線で1時間に1本程度あり、あとJRバスの運行がされているようでした。

この駅から徒歩3分程度の所に伊那バスターミナルというのがあります。

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●商店街へ

この街での印象で最も強かったのは商店街の通りでしょうか。ほぼ商店街の記憶だった気がします。もちろん駅周辺ですが。

珈琲たいむという珈琲がありますが、ここはcoffeeタイム。タイムという名の喫茶店ですね。軒先は「珈琲タイム」表記となっていました。

このような歩道のみ屋根のついた商店街が続いていました。

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●スクランブル交差点

人口7万ほどの街ながら、駅前交差点がこのような斜めから渡れるスクランブル状になっていました。

歩道に屋根のつく商店街がずーっと続いていて、高さもそこそこの建物もずーっと続いていて、人口にたがわず?割に都会的な街の雰囲気でした。

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●伊那市マンホール

伊那市のマンホールのカラー版がありました。

米を馬に括り付けて運び峠を越える姿が描かれていますが、「伊那節」との表記もあります。これは地元の民謡・伊那節にこの絵のような歌詞があるという事です。

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●伊那まつり

のポスターが貼ってありました。

毎年8月の第一土日に行なわれ、昨年で60回を数え、還暦の歴史を持ちます。

市民おどりやおどりコンテストも行われ、市内での賑やかな年に一度のイベントという訳ですね。

オープニングにはパレードが行われ、また2日目には花火大会があり、4,000発の花火が打ち上げられるといいます。長野県といえば、夏周辺時期の土日に毎週のように行われている諏訪湖花火大会のイメージが個人的に強いのですが、ここも結構な数の打ち上げがあるのですね。

もう1枚貼られていたのはプレミアム商品券のものですが「いーな伊那」というものでした。分かり易いネーミングです。

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●長野県伊那合同庁舎

長野県で「上伊那」と呼ばれる地方の県現地機関事務所が入った庁舎で、上伊那地域振興局が複数階にわたってあります。

あまり高くは見えないですが5階建てです。

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●路地裏

細い路地に入ると、かなり年季の入った建物群に出くわして、路面の濡れと相まってか荒涼とした雰囲気を醸し出していました。

コンクリート色丸出しの建物に人通りの少ない通り、こんな情緒溢れたものがあるか、というぐらい。

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●通り町

という地名が見られた辺りで、屋根つき商店街がやはりずーっと続いています。

「電子マネーい~なちゃんカードの街」との表記がありました。

商店街の屋根サイドには、提灯が並んでいました。

先の「伊那まつり」を1週間前に控える状況にあった為、祭りの準備モードだったのでしょうね。

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●バラ咲く街角

ちょっとしたスペースがありましたが、プチバラ庭園という感じでした。

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●伊那橋と山頭火碑

伊那橋は1894(明治27)年にかけられたのが最初といわれる歴史のある橋で、 「信濃の橋百選」として本の中に納められているといいます。

昭和39年当時では歩道部分がなく、昭和41年は歩道部分がついたものとなっていました。

橋の親柱に種田山頭火の句碑があるのは、山頭火がここを訪ねた事があるからで、1940年に亡くなっていますが、その前年にここを訪ねたとありました。

この橋の架かっている川は小沢川といいます。

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●商店街へ

商店街に始まり、商店街に終わる今回の記事ですが、この赤い縁のアーケードが長々と続いていました。古い町なんだなという印象をかなり受けましたが、昨今の郊外型主流の波の中で、これら商店街がどれほど稼働しているのか…と思わされました。

他の街のようなシャッター商店街が目立つという感じではなかったのも印象としてあり、古い商習慣?の街がいまだに続いている部分もあるのかな、と思ったり。

以上伊那市でした。

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2018年3月10日 (土)

長野/塩尻 奈良井タイムスリップ!

長野県塩尻市、JR奈良井駅からの歩き旅です。

(2009年11月当時)

●正面

奈良井駅向かいです。

白壁の和風建築でお出迎えといったところです。

長野県のこの辺の沿線では、木曽福島駅南木曽駅に少し似た雰囲気でした。これらのような賑やかさはありませんが。

真ん前にドンと自販機が置かれていなかったらホントにタイムスリップ気分でした。

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●駅前から

駅出て右側がこんな感じの坂でした。これもまた木曽福島の駅前と似た雰囲気でした。

家並みの下の石垣も荘厳な雰囲気を醸し出していました。ホントに沿線の宿場町関係の駅前はこんな感じのとこが多いです。

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●奈良井宿案内図

宿場町周辺のMAPです。

奈良井駅はこの地図の右端にあり、線路に沿う形で旧宿場町が通っています。

その上に建物として描かれているのは主にお寺です。

この辺りは「重要伝統的建造物保存地区」であり、要は素晴らしい街並みが展開されています。

とにかくこれはもう行くしかないかと。

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●木曽路 奈良井宿

という訳で宿場町の街並みへやって来ました。

駅からほん近いので気軽にやって来れます。

これだけでも旧宿場町の雰囲気が伝わってくると思います。

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●奈良井宿説明板

石の看板と、その横に説明板&地図です。

この説明によると、奈良井は戦国時代に竹田氏が定めた宿駅、と記されています。

中山道最大の難所といわれた「鳥居峠」を控えた位置にあり、この峠越えに備えて人が立ち寄り「奈良井千軒(宿屋が千軒並んでいたという意味)」と呼ばれていたとされ、たいそう賑わったのではないかと思います。やはり今よりももっと難所が昔の道にはあった訳で、旅も今と違って命がけの部分もあったかと思います。

「塩尻市奈良井」と上から貼られていた痕跡が見られ、塩尻市になってから日が浅かった事が窺えます。

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●いよいよ宿場町!

いかにも宿場町の街道の絵に出て来そうな面構えでしたが、ホントに昔にタイムスリップしたような気分になりました。中途半端なレベルではなく、結構江戸時代まんまじゃないか、と思いさえするフシもありました。そう思えた街並みはここと関宿(三重県亀山市)くらいでしたね個人的には。

文で伝えきれないものがありますし語彙力もないのですが、これらの写真を見て頂くだけでまずは楽しんで頂ければと思います。

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●続く街並み

見事なまでに旧来建屋が続いていて、切れ目がないのです。

ずっとこんな感じで昔の街並みが続いていて、ものすごい有名な観光地では決してないと思うのですが、これは素晴らしい風景だと個人的には思います。自分の中では立派に日本百景のうちのひとつです!

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●いかりや

この街並みの中には民宿も点在していました。

なかでも「いかりや」には目を惹きつけられました。敢えてひらがななところに余計に。正確には「いかりや町田民宿」というそうです。サイトがあったので見てみましたが、おとな一人8,500円だそうです。

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●横水水場

奈良井宿の中ほどにある水場とその付近の様子です。

色んな所への標識が出ています。民俗資料館や木曽の大橋、杉並木、鳥居峠などなど。

奈良井宿にはこのような水場がいくつもあり、これを巡るのも面白いと思います。

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●街並み堪能

出来る限り宿場町街並みのカットをお送りします。

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●木曽の大橋

奈良井宿街に身から少しそれて川の方へ行った所にある大橋で、これもまた奈良井の名所的存在です。

総檜造りの太鼓橋で、橋脚を持たない橋としては日本有数の大きさだといいます。

確かに橋を下から支えているものが何にもありません。長さ33mありながら支えるものがないってすごいですね、強度的に大丈夫かな?という感じですが。

4月上旬から11月上旬まではライトアップがなされて、川面にはこの橋が映り込んでいて、その姿は非常に素晴らしく、サイトでしか見た事ありませんが実物を見ると更に感動するだろうなと思いました。

昔からある街道がらみのものかと思っていましたが1991年製との事で、ここには道の駅があり(道の駅奈良井木曽の大橋)、その併設的な役割のようですが、そこは道の駅でありながら売店が一切ないという珍しい施設でもあります。

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●案内板

最後はこの写真です。

木曽漆器という伝統工芸があるのですね。「うるし」ですが、この協同組合の組合員企業が列挙されていました。

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2018年3月 3日 (土)

JR奈良井駅 (長野県塩尻市)

長野県塩尻市のJR奈良井(ならい)です

塩尻市では以前にJR塩尻駅をupした事がありますが、これに続く駅としてupします。

 -JR奈良井駅-
【路線】
JR中央本線(東京-名古屋間)
【開業】1909年12月1日
【訪問】2009年11月
【1日あたり平均乗車人員】 66人/日 (2015年) 
【近隣の主要駅 (東京方面)塩尻駅→5駅
           (名古屋方面)木曽福島駅→4駅


●駅名標周辺

バックに奈良井駅開業100周年の幕が見えますが、上の様式にも記している通り、この駅の開業は1909年で、訪ねたのは2009年とちょうど100年であった訳です。

そしてこの駅もそうですし、隣の藪原も宿場町として栄えたところで、この沿線の駅はこのように宿場町であった町が多く、駅からそれらの町を訪ねるという事だけでも立派な旅になってしまうので、好きな沿線です。ただ本数が少ないのがネックですが…。とにかく奈良井宿の街並みは素晴らしく、当駅から歩いて行けるのでこれは絶対お勧めです。特にタイムスリップ気分を味わいたい方には。

長野県塩尻市と表記されていますが、2005年までは木曽郡楢川村という村の駅であったものが塩尻市に編入されて現在に至ります。

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●ホーム待合室

2面3線のホームで、このような室内型の待合室がありました。8年以上も前の姿ですが、この辺は変わってないのではないかと思います。

建物資産票があってS18年12月とありました。1943年製の待合室なのでしょうか、であればもう75年になろうかというところで、これまた何気に歴史ある資産なのですね。

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●ホーム

両ホームと駅舎側と、跨線橋は階段が3つ下りています。

この階段の足が長くてなかなか良い眺めです。

階段が3つも下りているとそこそこ大きな規模の駅かと思わされますが、駅舎側へ余分に階段が出ているので、そのように見える訳ですね。

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●跨線橋階段

幅の随分と狭い階段部分の様子が窺えます。

サイドの骨組み部分は3層に分かれるような斜めに走ったような形で構成されていますが、下の土台部分はハードでゴツゴツした感じですが、サイドや屋根は取って付けたようなちょっとヤワな感じも受けました。

ホームには「中仙道 奈良井宿」の表示が屋根つきで立てられていて、宿場町付近である事が容易に分かるようにアピールされていました。

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●跨線橋内

1、2番のりばと3番のりばとで降り口が分かれています。

下半分の節みたいなのがついた変な縦線?が印象的なちょっと変わった感じの跨線橋内でした。窓の部分にすらその縦線がある部分もありました。

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●名所案内

なんといってもそのままですが「奈良井宿」です。この街並みが駅から徒歩でアクセスできるのがここの最大の魅力です。

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●跨線橋とホーム

跨線橋はこのアングルで見ると和風建築色が強くて、長野県らしい建物という事を感じさせられます。そして結構堂々と立っている雰囲気で、また青空にとてもよく映えていました。

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●駅舎裏

駅舎から改札入った辺りの様子です。

木造色の強い雰囲気に宿場町を感じますし、なつかしい気分にもなるというものでした。

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●駅舎内

習字が飾ってあったのがとっても印象的でした。

そして駅舎内がまた一段と純和風の雰囲気で、来た甲斐がありました。

窓の部分の格子?が渋さをグッと上げてる感じでした。

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●中山道

中仙道とも中山道ともどちらも表記するようです。仲仙道とも。

奈良井宿は中山道六十九次の34番目の宿場町という事で、ほぼ真ん中にあり、木曽路とよばれる11宿の中でも2番目に標高が高く、約900mのところにあります。

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●奈良井駅アップと周り

手書き感溢れる「奈良井駅」の駅名表示は飾らない宿場街感を大いに引き立たせていて、白壁と梁の具合などいかにも長野県の建物っぽく、またドア周りのこの渋さもなんともいえませんでした。

そしてこの時、駅の開業100周年であった事がここではこんなも大々的にアピールされていました。少し前まで村の駅だった事を考えると感慨深いというか、そんな気分にもなりました。そしてまた、この時は塩尻市制50周年という節目の年でもあったのですね。

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●奈良井駅 駅舎

塩尻市内の1駅という位置づけで、かつては旧楢川村の1駅という位置づけでありました。

駅利用者(乗車者)数は1日平均66人という少なさにもかかわらず、奈良井宿という宿場町がある分、単なる1駅というよりもやや豪華さ?のカケラのようなものがあるのかな?という感じで、庇というより二重になった屋根のようなものがそれを少し感じさせてくれます。

この駅に寄ったら是非に奈良井宿宿場町を通る事をおススメします。

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2017年11月19日 (日)

長野/千曲 屋代駅前の嬉しい誤算

長野県千曲市、長野電鉄/屋代駅(現・しなの鉄道/屋代駅)の歩き旅です。

(2011年4月当時)

●こいのぼりの絵

駅記事にもありましたが、地元の保育園の子たちの書いた絵や切り貼りしたものです、まさに図画工作!

これが6年前のものなので当時の園児たちももう小学校の高学年にはなっているのでしょう。今はもうさすがにこれは置かれていないと思いますが、別のものが置かれているのでしょうか?

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●駅前通り

やや広めの道路に少し高めの建屋が続く商店街の雰囲気で、そこそこ市の中心駅前らしい、なかなか整備された駅前の通りといえます。

当時の屋代は現在のしなの鉄道以外にも、「長野電鉄」の屋代線が通っていましたが、この訪問の翌年2012年にその線が廃止になってしまいました。

この辺りは平成の大合併以前は「更埴(こうしょく)市」という自治体名で、以前から市部ではありましたが、これに上山田町、戸倉町と温泉を有する町と合併して現在の千曲市になっています。

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●駅前通り2

上の道路を進んでいったところです。上の写真にも見えているので、どの程度進んだかは大体わかると思います。

高さの違う街灯が木の枝のように分かれた形で設置され、これが通りに並んでいました。

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●マンホール

旧・更埴市時代のものがありました。千曲川を遡上するサケと、市の花アンズの花と実が載っています。

更埴とは、この地域の更級(さらしな)と埴科(はにしな)の合成地名で、現在の千曲市になる時にこの更埴市と合併した町もまた更級郡と埴科郡にそれぞれ属するものでした。更埴更埴の合併だった訳です。

それにしても更級は「しな」こそ「級」の字ですが、長野県の地名には「科」の字が実に多いですね。他にも…

・豊科(とよしな=安曇野市の中心地)

・蓼科(たてしな=高原地で有名)

・明科(あかしな=安曇野市の地区) 等々…

「科」の字には「層をなして重なったもの」「坂道、階段」を意味する部分もあるという事で、長野県の旧国名である信濃も「科濃」と記されていたともいわれています。

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●五十里川

屋代駅前の街なかを歩いていて、ふと横を見ればこんな小さな川と何気にオシャレな小橋がありました。こんな小さな橋でも、泣ければ交通が成立しなくなるので貴重だな、という事をある時から感じさせられたものです。

市名にもなっている千曲川は、屋代駅から1km程度歩く必要がありますが、この川はそのずっと手前で、駅から100m程の所にあります。

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●駅前更に進む

屋代駅入口バス停付近です。

歩道の花壇は見事に手入れをされていて、これと木の枝のような街灯とが良いマッチングで華やかさを引き立てているように感じました。

正直この駅に来た時は、駅前はもっと寂しいものを想像していましたが、嬉しい誤算というか意外と華やかな様子でした。歩道に描かれている曲線は千曲川の流れでしょうか。

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●一転

華やかな風景から一転、商店兼住宅であったと思われる家屋が。

昭和のいつかまでは普通に商店として営業していたのでは?と思いを馳せてしまいます。いつ頃までやっていたのだろうか?と。どういう経緯で閉めてしまったのかな?とも。こうして残っているのが素晴らしいというか尊い気がします。

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●千曲神社

いかにも地元らしい名前ですが、千曲神社です。

鳥居と拝殿があるだけで社務所とかはありませんでした。ネットで検索しても特に記述は見受けられず、地域のちょっとした神社というところでしょうか、しかし拝殿の軒先には国旗が掲げられており、誰かが管理している事は間違いありません。

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●千曲市役所 更埴庁舎

千曲市を構成する旧自治体の戸倉町や上山田町にも庁舎があり、ここは旧・更埴市のテリトリーで更埴庁舎となっています。勿論規模も最大です。

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●屋代駅へ戻る

千曲市役所までは足伸ばししましたが、そこから屋代駅前まで引き返してきました。

千曲川周辺の様子を見てくるくらいの時間があればよかったのですが、この時は長野県の未訪市めぐりという事で広く浅く巡っていたので、そこまではいきませんでした。

その代りといっては何ですが、今年のお盆に同じ千曲市内の戸倉(とぐら)地区に行って温泉巡りをしてきました。この時の様子がまたお伝えできればと思いますが、書きたい記事があり過ぎてupが追いつかず、もっといろいろ伝えたいのに、書けないままにまた旅をするものだから、載せたいけど載せられないものが溜まる一方の状況です。

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2016年11月 5日 (土)

JR長野駅 (長野県長野市)

長野県長野市のJR・しなの鉄道/長野(ながの)です

長野市は、長野県の北部に位置し、人口は375,234人(2016.10.1現在)で、長野県の県庁所在地であり、日本でただ3ヶ所、オリンピックの開催された街のひとつで、善光寺の門前町としても有名です。

-JR・しなの鉄道/長野駅-
【路線】
JR北陸新幹線(高崎-金沢間)
      信越本線(篠ノ井-長野間)
    しなの鉄道北しなの線(長野-妙高高原間)

【開業】1888年5月1日
【訪問】初訪問-2006年9
【1日あたり平均乗車人員】 21,168人/日 (2015年)
【近隣の主要駅 (高崎方面)上田駅→隣駅  ※新幹線
           (金沢方面)糸魚川
→3駅 ※新幹線
           (篠ノ井方面)篠ノ井駅→4駅  
※信越本線
           (妙高高原方面)妙高高原→7駅  
※北しなの線
           (越後川口方面)飯山駅→7駅 
※飯山線
           (軽井沢方面)屋代駅→5駅
 ※しなの鉄道線  

●駅名標

1888年開業のかなり歴史ある駅で、信越地方でこの年代に鉄道が通っていたのは驚きでした。

この駅に旅行で初めて来たのは2006年9月ですが、高校のスキー合宿でこの方面に行っていて、長野駅で降りたのか記憶になく、もし降りていたとすれば、ここへの初訪問は1987年1月となります。全く記憶にないので2006年9月としています。

80年代は某ドラマのサブタイトルに「長野行特急列車」とあったりするなど、当時は東京から新幹線も開通していませんでした。長野オリンピック前年の1997年に新幹線(長野新幹線:当時)が開通し、新幹線も乗り入れるようになって約20年経つわけですが、未だに新幹線でこの駅を利用した事がありません。

というのも関西在住なもので、名古屋から中央線で回った方が早く、そういう意味では殆ど今の北陸新幹線の恩恵にあずかった事がない状態です。東京からであれば利用したのでしょうが。

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●ホーム1

2012年撮影分です。

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●ホーム2

この2枚は2011年当時です。天井部分がいくつもの木で組まれていて、素晴らしい光景でした。

色んなタイプの電車が止まっていて、さすが様々な路線から乗り入れてきているだけの事はある、と感心させられます。

下に2枚あるうちの上側は5番線ですが、色々な路線が発するとされ、見ても訳が分かりませんでした。下側は4番線、こちらは飯山線の直通列車が出ているという事です。

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●改札内

の様子です。これは2006年の初訪問当時のものです。

右側に「3・4・5」の表示があり、3番線~5番線の3つの線が同一ホーム上にあります。3番線と4番線が同一の線内で分断されて、それぞれ別ホームとなっている為です。

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●分断

前後しますが、再びホームです。おなじく2006年当時で、この先暫くその時の写真となります。

同一の線で3番線と4番線が分断されていると先に書きましたが、こういう状態です。

向こうは3番線、手前は4番線、これをこのゴツいコンクリートで仕切っているのです。

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●改札を出て

広い1本の通路が通っていて、色々な施設が入っています。

また、通路の真ん中でイベントが行われたり、臨時のお店が出たり、結構賑やかです。

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●五輪記念

長野といえばやはりこれです。

本ブログでオリンピックの開催された都市は国内では初掲載となりますが、オリンピックの開催地として数少ない、名誉ある都市のひとつです。

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●イベントの1コマ

これは2011年当時のものです。

これ以外にもいくつかのゆるキャラが駅構内に居て、「信州を元気に」というコンセプトのもと、長野に関連したイベントが盛大に行なわれていました。

それにしてもこれの正体は…??色々調べてみますがようとして知れません…

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●駅出入口

駅舎の一部の様子ですが、こちらは2006年当時のもので、大きな庇と階段、そしてエスカレータもついた形で、2F部分通路と繋がっています。

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●1F部へ

上の写真で左にそれる通路が見えますが、これを通るとこのように下へ降りていく階段があります。このような階段がいくつかある訳ですが、これでもって地上へと下りたちます。

これもまた2006年当時で今から10年前になりますが、とにかく自転車めちゃくちゃ多いですね。

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●駅前広場

長野駅に降り立ち、右側にされた形でバスのりばにたどりつきます。

この右端に隠れるあたりの部分で、長野電鉄の長野駅への地下階段があります。

ちなみにこの時、この手前に写っているバスのりばで川中島へ行きました。JRでも「川中自島」という駅が当駅から信越本線で2駅先にありますが、古戦場からは4km程離れていて、そこへ行きたい場合は、長野駅からのこのバスのりばを利用した方がよさそうです。

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●駅前広場2

上の写真でもそうでしたが、駅前は高層ビルが立ち並び、単なる地方都市とはいえない都会感が全面に出ていました。

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●駅前広場3

循環バスである「ぐるりん号」ののりばがあるほか、善光寺方面へののりばも向こうにある、というバスのりばエリアです。善光寺へはバスで15分という事ですが、長野電鉄の『善光寺下』という駅が最寄りにはなります。

ただし徒歩でもじゅうぶん行けるます。一応20~30分とされていますが、この時も善光寺へは徒歩で行きました。少し時間に余裕があれば、途中の景色も楽しみつつ徒歩で行く事もお勧めします。

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●長野駅 駅舎

綺麗な真四角の茶色のビルと手前の二股に分かれた白い通路階段部分で構成されています。

これもまた2006年当時の様子につき、この10年でどれだけ変わったかですが…。

それでもその更に10年前とではかなり様子が変わっていると思われ、やはり五輪がこの地にもたらした影響は大きいだろうなと想像します。信州一の駅としてこれからも発展を見守りたいものです。

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2016年10月26日 (水)

長野/茅野 どこをとっても画になる街

長野県茅野市、JR茅野駅からの歩き旅です。

(2006年9月当時)

●弥生通り

今からちょうど10年前の様子となってしまいます。色んな町の訪問記がなかなかあげられないままズルズル来てしまい、気がつけば鮮度の低い記事ばかりになってしまっていますが、ご容赦下さい。

という訳で最初の写真はこれです。茅野駅からのびる「弥生通り」 。明確に街灯に示されていて分かりやすいです。ただ通りの最初が両サイド駐車場で、建物ではないところがなんともですが…。その向こうにはホテルやら何やら高めの建物が散見されます。

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●茅野駅向かい

右端に連絡橋が見えますが、茅野駅とはこの橋で繋がった商業施設「ベルビア」です。

もう10年も前なので現存するか?気になって調べてみましたが、まだまだ健在のようで安心しました。サイトはコチラ しかし元々あった茅野岡島という百貨店が2001年に閉店し、核となる店舗を失って、市の管轄となっている今はやりくりに色々苦労しているようです。

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●大鳥居

茅野は中心地に居ても高い山々があちこちで見れる、とても景色良い街です。

山の上にかかる雲が常に神々しさすら感じさせてくれます。そんな景色にこんな大鳥居は大変よく似合います。

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●橋の歩道にて

上川という川に架かる橋、名前確認しませんでしたが、上川橋でしょうか?しかし上川橋は四隅に高い石柱があるというので違うかも、10年前だとチト分からないです。

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●上川

橋を渡っている所から眺めた「上川」の様子です、向こうに架かっているのは中央本線の橋でしょうか。

上川は天竜川水系の川で、一級河川だといいます。諏訪湖から諏訪市を通って、茅野市を東西に横切る形で流れていますが、その長さは36kmで茅野市内を流れる川としてはダントツの長さです。

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●雲が湧き立つ

山のてっぺんあたりで雲がモクモクと湧き立っていましたが、山の辺りはどこを撮っても絵になる感じで、その土地自体がある種雰囲気を持っているというか、そんな地の持つパワーのようなものを感じました。

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●茅野町交差点

茅野駅から南東へ約400m、橋を渡る直前にある交差点です。

ここから見える山々も雲のかかり具合が絶妙で、大変良い風景でした。

この辺りどこへ行っても絶景と思えるくらい、いたる所素晴らしかったです。

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●白岩山惣持院

最後はこのお寺ですが、茅野駅の東口から約250m程の所にあります。

いかにも長野県の建築、という感じの寺院だなというのが第一印象でした。

白壁に、縦横のラインがふんだんに入っていて、ベル状の窓とか、個人的に持っている長野県の建築のイメージをことごとく体現しているな、と感じてやまなかったです。

1462年開創、1570年に現在地に移されたといわれる高野山真言宗のお寺です、真言宗なので立っている像は弘法大師さまなのでしょう。よく確認しませんでしたが、大抵開祖が立っているので。

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https://blogcircle.jp/commu/414/topic/3

2016年3月27日 (日)

長野/岡谷 9月の花火と美しい橋

長野県岡谷市、JR岡谷駅からの歩き旅です。

(2006年9月当時)

●花火!

駅からの旅というか、この時は岡谷に夜入って宿泊し、翌朝出発したという事で、夜と朝の写真という事になりますが、まずは夜のカットから。

諏訪湖花火大会、9月まで毎土曜日の夜に上がる花火を見る事ができました。9月の花火を見ようと思ったのではなく、この辺りを旅していて、泊まる場所を探していたら、ここ岡谷が目に入り、たまたまその夜に花火大会があったという具合です。

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●宿泊ホテル

岡谷セントラルホテルという岡谷駅から駅前広場隔ててすぐ向こうのアクセス至便なホテルです。

このホテルは横浜を本拠地とするBBHホテルグループ(プリーズベイホテルグループ)に属しており、名誉支配人として、あの俳優の高橋英樹さんが就任されているといいます。

花火大会で周辺に泊まれるホテルが殆どない中で、少々割高ながら取る事ができて幸いでした。

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●ララオカヤ

市街地再開発事業として、実に48億円をかけて整備され、1984年にオープンしたという岡谷駅前のショッピングセンターが、この「ララオカヤ」です。

しかし2001年に各店舗となるイトーヨーカ堂が撤退し失速、現在は1階部分しか使用されておらず、2階へ上がる事すらできないようです。

1990年当時の記事には、活性化の事例として紹介されていたのも今は昔で、時の流れとは恐ろしいものだと思います。時代が進むにつれて、飽きられる早さもスピードアップしている感じで、世知辛いというか、なかなか厳しいものを感じます。特に1980年代にでっかくオープンして、2000年前後に撤退して、その後は衰退の一途…という事例をよく目にするような気がします。ちょうどその辺りが時代の変わり目なのでしょうか。

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●駅前通り

北口の駅前通り、セントラルホテルやララもこの北側です。

通りといっても程無く県道14号へと交差し、中心的なエリアはここを右折して少し歩いたところにあります。

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●天竜橋

岡谷駅の南側へ回って、東へ進んでいくと諏訪湖に至りますが、その諏訪湖の少し手前に掛かるこの橋は「天竜橋」といいます。

欄干の部分が山の形に曲線を描きながら盛り上がっていて、色づかいと合わせて大変印象的な橋となっています。また山の形のてっぺん部分はステンドグラスが入っているなど、凝ったつくりになっています。

向こうに橋が2つあり、その先は諏訪湖へと広がっていきます。

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●長野自動車道

岡谷高架橋です。

こちらは天竜橋から見て西側、つまり諏訪湖とは反対側に位置します。

1986年長野自動車道の歴史のスタートと共に開通し、地上50mの高さにある橋梁で、2009年に88ヶ所でひび割れや剥離などが確認されたとの事で、この高さの位置からハンマーで叩くなどして定期点検を行っている、とありました。

この位置に橋を作ること自体多くのリスクを伴うと思いますが、景色としてはすごく素晴らしいものとなっていて、この辺りどこ眺めても良い景色ばかり、そんな事を感じた岡谷の街でした。

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2016年2月15日 (月)

長野/諏訪 諏訪湖畔は名所だらけ!

長野県諏訪市、JR上諏訪駅からの歩き旅です。

(2006年9月当時)

●上諏訪駅前

まず、今からもう10年近く前の景色になる事を御承知願います。

右に隠れている部分が上諏訪駅になり、この道路は駅と平行に通る駅前道路になりますが、駅前広場から歩道橋を通って、左側の「スワプラザ」へ渡れるようになっています。

ですが、この「スワプラザ」は2014年12月に商業棟が閉鎖され、35年の歴に幕が下ろされ、別会社により駅前再開発の構想がなされているといいます。

また、ここと共に諏訪市の商業の核であった「まるみつ百貨店」も2011年に閉店され、この当時からは随分商業の勢力図が変わったようです。この時の写真のひとつに「まるみつ百貨店」の駐車場もありました。

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●連絡通路

上の写真の側は、どちらかというと街側で、市街地が通る方になりますが、諏訪湖等観光資源に恵まれているは反対側になり、上諏訪駅を出て、この連絡橋を渡る事となります。

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●諏訪湖口

駅の反対側です。

駅前頃場にアスレチック?的なものがあったり、提灯が並んでいたり、観光向けの要素を思わせる駅前広場でした。

駅前のこちら側は、ホームから直接出られるようになっていないのですが、駅前広場だけはしっかりあるという形で、ここからホームへ行くには、上へあがって連絡橋を渡って降りて、駅改札を入る、という少々面倒な事になります。実際、帰る時にこちらから入っていって、電車の時間がないという状況で、かなり慌てて走って行ったのをよく覚えています。

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●諏訪市美術館

諏訪湖の方へとアプローチして、この向こうはもう湖畔公園、というロケーションですが、そんな所にあるのこの美術館、とにかく緑の屋根瓦が煌めいていた印象が大変強かったです。

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●諏訪湖!

湖に出てきました。

上諏訪駅からは十分歩いてこれる距離で、ホントに気軽に行く事ができます。

ちょっと行くだけで、この素晴らしい光景に出会える、これが当地の素晴らしいところでしょう。

湖面が実に綺麗で、この映え具合も見事と言うほかありませんでした。

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●すわんに乗る

折角来たので…という訳で、この時は諏訪湖の遊覧船に乗りました。

乗ったのは、左側のアヒルの方、その名も「すわん」と、アヒルにも諏訪にもかかった絶妙のネーミング?です。右の亀の方は「竜宮丸」とありました。諏訪湖の観光サイトを見てましたが、遊覧船のラインナップを見ると、10年近く経つ今もこのコンビのようです。すわんの製造年は昭和57年という事で、30年以上になる結構なベテランさんで、竜宮丸は更にベテランで昭和52年製だそうです。

運航スケジュールを見ると、9:30発をはじめに1時間ごとで15:30まで7便あり、1周約25分で回ります。料金は900円、ちょっと高いですが。

船内はこんな感じで、1階席は100席、2階席が゛72席あります。

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●スタート

竜宮丸をおいて桟橋を離れていく、すわん。

向こうには温泉施設が複数あり、湖畔にして温泉があるのも諏訪のすばらしいところと思います。

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●クルージング

航行中にいろんな風景が見えますが、その一端を。

湖に浮かぶのは「初島」という人工島で、1954年に諏訪湖の花火大会の打上げ場として湖畔沖合約250mの地点に造られたもの、という事です。

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●間欠泉センター

これも間近にある、諏訪湖間欠泉センターです。

諏訪湖は「日本一の間欠泉」があるとされ、1983年に噴出した間欠泉は高さ50mにも達し、当時は世界2位の記録とまでいわれていたそうで、これを観光利用する目的で1990年にこのセンターが開館されたそうです。

1時間半ごとに間欠泉が噴出され、現在は約5mの高さだそうです。

そしてこのセンターは間欠泉だけでなく、諏訪湖の花火大会に因んで、花火についての展示もなされており、今もあるのか確認したところ、現在も「花火館」として存在しているようです。花火玉の断面構造の説明図もついていて、分かり易かったです。

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●片倉館

1928(昭和3)年竣工の建造物で、当時の片倉財閥の当主が、地域住民への厚生施設として造られたものだそうです。ヨーロッパへ視察に行って、このような厚生施設を地域住民が利用している事に感銘を受け、日本でもこのような事ができないか?と発案し、つくり上げたといわれており、なんとも素晴らしい発想であり、社会還元でもありますね。

外装のみならず内装も非常に立派で、最初「こんな所が日帰り温泉なのか??」と思って、入るのをためらったぐらいですが、入ってみれば庶民的そのもの、外の建屋の立派さなどまるで無関係になってしまいます。

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●お堀と橋と

これもまたまた諏訪湖畔より近くにある、今度はお城(高島城)です。

湖の近くに温泉あり、お城あり、そして9月まで花火が見れる…とあまりに多種多様な観光資源?!諏訪市おそるべしです。

高島城、という一般にはそれほどものすごく有名なお城ではないかもしれません(長野県には松本城というビッグネームもあり)が、天守があって観光のシンボルとしてはかなり貢献しているかと思われます。その前にこの橋と門、そしてお堀は立派なものです。

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●入口

「史跡高島城本丸」とあり、立派な木造の門がありました。

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●城跡公園

門を入ると、このような公園状になっており、池のある庭園的な部分もあります。

とにかく緑いっぱいのイメージが強かったですね。

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●入場料

天守閣への入場料、という形で料金を徴収していて、大人は300円となっています。当時の価格ではありますが現在も据え置きの模様です。

中は展示コーナーがあったり、資料室が設けられたりしています。

隠れた名所的な感じで、人で溢れてごった返す感じではなく、程よくのんびりできると思います。

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●高島城 天守閣いろいろ

高島城は別名「浮城」ともいわれ、その所以はこの下のいちばん上の写真で窺い知れると思います。諏訪の湖畔に浮かぶ城、なのです。そうかと思えば2枚目の写真のようにアスファルトから出ていたり、色んな姿が見られます。

この天守閣は1970年に復興されたものですが、当時とは細部が多少違っているようです。

1598年にお城は完成し、江戸期は一貫して諏訪氏が城主として治めましたが、1875年には天守はじめ破却されたとあり、1970年の復興までは石垣の残った寂しい公園だったのでしょうか。

長野というのは越後(新潟)の上杉、甲斐(山梨)の武田と彼らがしのぎを削った川中島が長野市にあたるなど、戦国の合戦において重要な地ではあります。その頃はまだこのお城はなかったのですが、水辺に優雅に浮かんでいたこの城とて、穏やかならぬ時代をどこかで見てきていたのでは…と思いを馳せたりもします。

諏訪湖に、温泉、美術館、間欠泉、花火関連、お城…まさにエトセトラエトセトラ…というぐらい色んなものがこの諏訪湖畔に凝縮されていて、長野に来たなら外してほしくない名所揃いの地である、と思います。

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2015年4月 5日 (日)

JR軽井沢駅 (長野県北佐久郡軽井沢町)

長野県北佐久郡軽井沢町のJR・しなの鉄道/軽井沢(かるいざわ)です。

軽井沢町はは長野県の東部に位置し、人口は19,662人(2015.2.1現在)で、日本屈指のリゾート地として非常に有名で、年間約800万人もの観光客が訪ねるといわれています。また、夏・冬1回ずつ日本で行われたオリンピックでそれぞれ会場として利用され、世界で唯一、夏冬両方のオリンピック競技会場となった町でもあります。

-JR・しなの鉄道/軽井沢駅
【路線】JR北陸新幹線(高崎-金沢間)
    しなの鉄道線(軽井沢-篠ノ井間)

【開業】JR-1888年12月1
    しなの鉄道-1997年10月1日

【訪問】2014年7
【1日あたり平均乗車人員】 
         JR-2,889人/日 (2012年)
         しなの-1,099人/日 (2013年)    

【近隣の主要駅(高崎方面)高崎駅→2駅
           (金沢方面)上田駅→2駅
           (篠ノ井方面)小諸駅→5駅

駅名標と時刻表

元々はJR信越本線の駅でしたが、1997年に長野新幹線が開通した際に、新幹線の停車駅となり、同時に在来線はここを起点に長野駅まで「しなの鉄道」に移管され、反対方向は廃止されてバス路線に転換されている、という歴史をたどっています。その為に、JRとしては新幹線しか停車しないながら、駅の歴史は百何十年もあるという格好になっています。

駅名標の方向から見て、こちらは群馬県高崎から長野へ向かう「下り」ですが、ダイヤ的にはこの写真の通りとなります。概ね1時間に2本、時に1本の時間帯があるという状態です。

尚、これは2014年7月当時の「長野新幹線」(通称)の時のもので、今年3月には金沢まで延伸されて正式に「北陸新幹線」としての駅となっています。

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●ホームと新幹線

東京からは1時間強で着きます。意外と短時間だな、と思いつつやってきました。

高架ではなく、地上駅であり橋上駅の構造となっています。

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●ベンチ周り

曲線が互い違いになった形でベンチが置かれていました。

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●みどころ

軽井沢、善光寺、白馬、上高地…などなど全国区の名前が目白押しの信州長野。

ここ軽井沢も全国区のリゾート地としてその名がとどろいている訳ですが、逆に高尚なイメージが自分の中に強くて、恐れ多くて?!行けずにいた部分があり、昨夏東京に行った際に「どんな所かな?」という興味本位で寄り道がてらに来てみた次第です。

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●自由通路

天井付近しか写していませんが、富岡製糸場の世界遺産登録を祝う横断幕が出ていました。ここから富岡は県外でもあり、ちょっと距離があるのですが…。 

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●レリーフ

自由通路にあるこのレリーフはオリンピックの競技が夏冬共に当地で開催された事を示しており、それぞれのものが作られています。東京オリンピックの会場のひとつになっていたとは知りませんでした。

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●北口出口

北口の出口です。

こちら側が実質的なメインで、街への通りが続いて行きます。

さすがに新幹線駅らしく天井の高い、大きな出口となっています。

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●2F通路

2F部分から出ての通路、いわゆるペデストリアンデッキというやつですが、鮮やかな曲線で通路がつくられています。

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●駅前広場

通路下にひろがる広場の様子です。

タクシーが何台か停まっていますが、周りの様子は自然にあふれていて、日本屈指の観光地といえどやはり郡部である事を窺わせます。

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●軽井沢駅 駅舎(北口)

2Fからカットや下に降りてからのカットなど、様々な角度で撮り甲斐のある?!駅舎でした。

駅舎自体がそんなに大きいという印象は与えないかもですが、通路と階段を合わせて撮ると壮大感が出ると感じました。

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●軽井沢駅 駅舎(南口)

こちらは南口です。

北口とだいぶ趣が違っていて、また全面工事中の状態でした。

駅舎と階段部分を繋ぐ通路が青空に映えると、空に浮かぶようにも見えました。

こちら側は大規模な売店群があり、北口とは全く趣を異にしています。

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