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26京都府

2019年4月 3日 (水)

京都/福知山 桜舞う福知山城

京都府福知山市、福知山城を中心とした風景です。

(2003年4月当時)

▼線路の北側に福知山城が見えているカットです。

この時はJR福知山駅からの歩き旅ではなくバイクで来たのですが、駅からお城まで歩いて行く事も可能です。

福知山駅から福知山城まで東へ約1.3km程度で、このカットは線路南からお城へ向かって撮ったものですが、この辺りでは舞鶴城とこの福知山城が天守を持つお城として存在感を放っています。

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▼福知山城の東側に架かっている「昇龍橋」です。

曲線具合が独特でたいへん印象的でした。高さの違う2点を曲線で繋いでいます。

龍が天を昇る姿をイメージしてつくられたのだそうですが、そんな風に見えますかね??

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▼お城の建物の通路までやって来ました。

時にもう16年も前の4/26頃でしたが、桜の花びらが散り落ちた中を通って行きました。

まだ近畿でも北部だからか、開花も散るのも時期が遅かったと思われ、近畿では中南部だと4月末に桜の雰囲気など消え失せています。

実際ここへ来た時も、そんな期待などしていなかったのですが、想定外に桜の舞う姿が見られたので、実にうれしい誤算でした。

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▼福知山城は平山城ということで、少々上っていきますが、それだけに見晴らしも相応の素晴らしさがあり、福知山の街の景色も御覧の通り、という訳です。

ライトアップの記載もあるので、夜のお城は光に照らされて、より一層にきれいな景色となるのでしょう。

昼は昼でこの雲の浮いている光景が、なんともいえない素晴らしさがありました。

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▼さて、お城と桜の景色です。

4月末でもこんだけ咲いていました、2003年の事ですが…。

GW初期に桜の舞う(もちろん桜の咲いている)福知山城が見れる、という事です。

同時期に長野や山梨などでも見た事はありますが、近畿でも北部ならば見れる、というところですね。

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▼打って変わってこちらは、緑の木々とこれに隠れる福知山城の画です。

謎のベールに包まれた要塞の様でした。

冬は木々か枯れて、お城の本体の様子がかなり見えやすくなっているのでしょうか。

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▼福知山城の二の丸の部分です。

左手前の建物は銅門番所とよばれる建物で、福知山城では唯一の現存する建物だそうです。この辺りは藩士などを詰めさせて、容易に入れないようにガードしていたといいます。

ちなみに現在のような縄張りを行ったのは明智光秀であるといわれています。

お城の歴史としては室町時代からあるとされていますが、築城年は1579年で、光秀の謀反による本能寺の変はそのわずか3年後に起こる事となります。このお城はそんな歴史の生き証人ともいえる場所で、光秀は信長を自害に追い込んだものの、その後戦いに敗れ果てに殺害されるという暗転を迎えます。そんな激動の時代をこのお城も眺めてきたのでしょうか?光秀が居城していたのはわずか3年の短さでした。

その後、秀吉の養子から始まり様々な武将の手により治められてきましたが、最終的に江戸時代末期までの200年間にわたり朽木氏が藩主として福知山を治めてきました。

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▼福知山城の天守です。

石垣の外形がとても整っていて、その上に濃い茶色の板張りが乗っかっていて、白壁の妻入り屋根と建物が重なるという、独特の色遣いのお城、という感じで、個性がとてもよく出ていてイイネ!と感じました。

不自然なくらい綺麗な形で整った建物で、逆に歴史を感じさせない部分があるとは思わされますが、スタイリッシュで良いとも思いました。

日本百名城、などというのがありますが、このお城はそれにこそ選ばれませんでしたが、2017年に「続日本百名城」という事で、つまりは日本百名城に続く101~200番目のお城を決める際に選出されています。中へは入る事ができ「郷土歴史館」という事で営業されており、おとな310円で入場可能です。毎週火曜日が休みなので要注意です。

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という事で福知山城でしたが、このGW期間の初期であれば、十分桜と共に写真が撮れる可能性がありますので、これからの時期おススメかと思います。

2019年3月 1日 (金)

京都/城陽 気になる木なら見てみよう

京都府城陽市、JR城陽駅からの歩き旅です。

(2012年5月当時)

▼城陽駅の線路に沿った道は整備されていて、つつじ?が咲いた通りとなっていました。

そして、ここへ来るまで知らなかったんですが、城陽市は京都サンガのホームタウンです。と、いってもホームタウンのひとつで、色んな市がホームタウンとなっているので、そのうちのひとつという感じです。

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▼踏切周辺の様子です。

駅から100m程南の所にあります。北側はもう少し近い所に踏切があります。

予備校とか銀行などがありました。

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▼上の踏切から西へ進んだ所にあった「城陽模型」のウインドウに沢山のプラモデルの箱がありました。

しかし、この城陽模型…

2017年9月初めをもって閉店したそうで、こんなニュースにもなっていました。

1972年に創業されて、80年代初めはガンプラで盛況したのかな?と想像しますが、いつの間にやらプラモデル店というのも少なくなったなと感じていたところ、ここに出くわしたのでいつまでも存在していてほしいと思ったのですが、現状調べてみたら閉店していました…

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▼城陽市役所バス停へ来ました。

ベンチが複数脚あるバス停ってなかなかお目にかかれないのでは?と思い見ていました。

ちなみにここでは近鉄寺田駅行きで、寺田駅はここから西へ1km弱の地点にあります。

ダイヤ的にはきれいに1時間に2本、8時台~18時台のみで設定されていましたが、その18時台のバスが最終です。

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▼城陽市役所の建物をいろんな角度から。

市役所は城陽駅から南西方向にあり、徒歩5分程度で着きます。

白を基調とした角ばった建物で、窓の部分の黒っぽい色と交互に織りなされたツートンストライプの形になっており、また表の入口の庇部分は円盤が半分飛び出たような形になっていました。

前の広場もなく、いきなり道路に面して建っていることに驚きましたが。

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▼城陽市役所から南東へ200m程歩いた所に、この城陽郵便局があります。

面によって色が違う建物となっていて、片や白で片や茶色という構成でした。角度が違えば全然違う建物の様でした。

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 「サポウト」の文字が目に入って撮っただけのものです(笑)

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▼城陽の駅前は味気ない感じだったな、というのがそれまでの訪問での感想で、商店街はどこにあるんだろうと思って歩き回っているうちに行き着いたところです。

5月のGW期間中でもあったので、鯉のぼりが賑やかに舞い、街を彩っていました。

個人的に城陽市で最も印象的だったカットです。

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▼城陽高校バス停に行き着きました。

落ち葉が凄かった覚えがありましたが、写真で見てもこんな感じでした。

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▼そしてその城陽高校の入口スロープと校舎が見えました。

この高校は城陽が市となった1972年に開学しており、先の城陽模型が創業したのもこの年であり、城陽にとっての1972年というのは色々と縁の深い年という事を感じさせられます。

先に載せた商店街の鯉のぼりですが、この高校のボランティアのメンバーが飾りつけをした、とありました。

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▼城陽高校のそばにある「水度(みと)神社」です。

かなり古い歴史を持つ神社のようで「山城国風土記」には「水度の社」なる記載があり、奈良時代には存在していたものとされています。

鳥居の下には綱が架けられていました。

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▼水度神社にて、坂道の続く長い参道を上っていきました。

鴻ノ巣山という山の裾にあり、緑に包まれた道を歩いて行った訳です。

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▼水度神社の拝殿です。

本殿を奥にしてくっつく形のものではなく、敷地のの真ん中にドカッと立っている感じの拝殿でした。

酒樽が沢山乗っかってるのも印象的でしたし、この反った屋根も画になる感じでした。

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▼拝所です。

屋根部分のぐにゃっとした曲がり具合が素晴らしいですね。横から撮ると奥行きが感じられて、また深い味わいが感じられました。

この奥に本殿があります。

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▼拝所の奥にある本殿です。

拝所の塀の関係で垣間見える感じにしか見えませんでしたが、風格を感じる建物でした。

この本殿は重要文化財に指定されており、1448年建立城陽市内では最も古い建物とされています。城陽に来て、その最たる象徴的な建物を見る事ができて良かったというところです。

1448年にこの京都府内で建ったという事で、応仁の乱前夜に生まれて、それからずっと世の中と共に生きてきた建物であり、時代の生き証人な訳ですね。

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夜叉ばあさんのムクノキ、と説明板にあった木です。

幹から突然ボコッと唇が出っ張っているような木がありました。老女の顔に似ているとして、この名前で言い伝えられているといいます。

ちなみにこんな風に幹からコブが出るような現象は、虫が入ったか枝が切られたか等して、木が自らを修復しようとする働きだといわれています。この辺りは結構色んな木があったりして、樹木が見どころとなっています。

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▼水度神社の参道のクスノキとして説明板のあったものです。

高さ17mある立派な木ですが、この個体は特に参道を代表する木と位置付けられているのでしょうか、枝の分岐っぷりがものすごかったです。

上の写真の木と共に「城陽市の名木・古木」の中に選ばれていて、城陽の街の楽しみ方がこれらの「木を見ること」であると気づきました。

京都府にあって「城陽市」という個人的な印象はなかなか渋い所、という感じで、何を見に行けばよいのか??何を見つけられるのか??と思ってやってきたのですが、木めぐりなんてするのも良いかなと思いました。

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▼最後はコレです。

プチ土産という感じですが、「山城風情」とか「梅城陽」というお菓子を買いました。

しかし今検索で調べてもなかなか出てこず、スポット的な商品だったのかもしれません。

それならそれで、これは貴重なカットなのかもしれません、という事で以上、城陽市でした。

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2019年2月 2日 (土)

京都/木津川 加茂駅前 昭和の灯が残る街

京都府木津川市、JR加茂駅からの歩き旅です。

(2009年2月当時)

▼マンホール

木津川市のものではなく、旧加茂町のマンホールがありました。

表記が「KAMO」で漢字ではありませんでした。

上半分は、町の木クロマツ、町の花アジサイ、そして下半分は特産のお茶とシイタケという形で載っていました。

さて、木津川市の中でも中心的な部分はJR木津駅の辺りになるかと思いますが、あまり詳しく行っていない部分もあり、この加茂駅周辺の方がより詳しく歩き回っていたので、このエリアをあげる事としました。

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▼加茂駅東口の駅前広場のすぐ横にある「駅東公園」です。

約5,600㎡の面積を有する公園になっていて、水の部分もあったりして、単なる広場ではない感がありました。そして緑もあります。

駅東公園が剥き出しな硬質の感じなのに対して、こちらは自然に溶け込んだ感じのものでした。

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▼駅前にあった旧加茂町全域図です。

木津川市は2007年3月に市になったところで、この写真の当時は2009年2月だったので、まだ市になってから2年と経っていない時期でもあり、旧加茂町の名残りがまだまだ強く残っていたようです。

街を木津川が横切る格好になっていて、江戸時代は舟運で賑わっていたといいます。東部になるにしたがって、線路と木津川の距離が縮まっていきます。

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▼これまた公園で「井尻公園」とありました。

これは加茂駅から東へ少し進んだ所のものですが、それでもまだまだ駅近でした。ここは駅東公園にはない遊具類もあります。

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▼加茂駅前には動輪がありました。

この動輪は1914年生まれの8620型蒸気機関車の主動輪で、全国を快速旅客車として走行したものといいます。加茂は水運から鉄道の発展と共に躍進してきた、との記載もあります。

案内板のタイトル通り、木津川市の誕生を記念して、旧加茂町長の名のもと「私費で」設置されているとの事で、木津川市の誕生が2007年3月12日につき、ここにある3月吉日とはその当日という事でしょうか。

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▼上の写真の広場の一角にもうひとつ案内板が見えていたのがこの分です。

「大仏鉄道ってなに?」とありますが、「だいぶつ」ではなく…と書こうとしましたが実際に「だいぶつ」と読みます。 「だいぶつてつどう」です。

まさに奈良の大仏に因んだもので、東大寺の西約1.8kmの地点にあり、現在の奈良市にあった「大仏駅」と、この加茂駅が結ばれていたとあります。

この大仏駅は1898年に開業したものの、かなりの急勾配路線であり、1907年には木津経由の平坦な路線への変更がなされた為に廃止となり、年内には駅舎も撤去され、わずか9年でその役目を終え姿を消した、まさに「幻の駅」です。

その数少ない遺産を大切に残したい、との想いからこの案内板が建てられ、これら遺産も点在しています。

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▼そしてその大仏鉄道の数少ない遺構と思われる、レールやレンガ片が動輪の傍にありました。

しかしちょっと雑然としたこの置かれ方はなんなのだろう?と思いましたが…

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▼少し場所を離れて、これもまた大仏鉄道の遺構で、その中でもかなり分かり易い形のものですが、赤レンガ造りの「ランプ小屋」です。

前照灯や尾灯や室内の照明、またこれに使用する灯油などが保管されていたといい、案内板にもある通り1897年加茂駅開業当時の建物なので、今はもう築120年以上という事になります。

この建物が建ったわずか30年前は江戸時代であった事を考えると、非常に貴重な遺構である事が感じられると思います。

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▼加茂駅西口駅前では昭和チックな風景、スポットが満載だった印象が強く、ここからはそんなカットをお送りしたいと思います。

先ずはこの商店街の一角ですが、看板が時の止まったままの状態でした。今からちょうど10年前の姿なので、変わっているのかいないのか今は定かではないですが、少なくとも2009年でこの姿、というのはそれだけでも貴重だと思います。

手前の店の幟に「恭仁京カード」とありました。恭仁京(くにきょう)は、かつての日本の都で、平城京が740-745年の間に一時、都でなくなっていた頃の740-743年に都として存在しており、その場所はこの木津川市の加茂地区であったといいます。つまりここも日本の首都であった訳です。歴史の教科書だと710-794年が奈良時代で首都が平城京であったように見えますが、結構いろいろと変わっているのですね。

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▼古い街並み感が漂う一角がありました。

木津川の水運で栄えた町の雰囲気が感じられ、京都・大阪方面の物資が行き来したりなどして栄えていたといいます。

路地に入れば板張りの建物など見るとやはり惹かれます。

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▼昭和の自販機が残っていました。

これ3つともすべて同じ商店の前に点在する形で置かれていましたが、敢えて残されていたのかもしれないですね。10年経った今も残っているといいなと思いますが…

これらが現役で稼働していた昭和期ですら、個人的に見た事のないタイプの自販機でした。特にいちばん上のアイスの自販機などホントに見た事がなかったですね。

真ん中の自販機はBOSSなどあるので、平成の初期には稼働していたのかも。またUCCのコーヒーが3種類あって、現在も残っているミルクコーヒータイプのものに加えて「BITTER」「HALF BITTER」がありました。これも90年代前半にあったものですね。個人的にHALF BITTER大好きだったのに、何でなくしたんだよ??とずっと思ってました。

カップヌードルの自販機は昔見た事がありますが、いつの間にかカップめんの自販機無くなってしまいましたよね、、外で食べられるのが良かったんですが。

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▼この看板は昭和のいつ頃に作られたのだろう??と思わされる看板がありました。

児童と思われる子たちの顔が古風で、時代を感じさせられます。平成の世からこの顔は書けないだろうなと。この字体も出てこないと思います。

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▼最後に、これまた昭和な看板群です。

ビタワンは定番ですが「いの一番」が見れるとは思いませんでした!

「いの一番」って日本語の言葉遣い?として「いの一番に報告する」みたいなのがありますが、個人的にはこの商品名でこの言葉を覚えたので、日本語の言葉遣いでこういうのがあるのを逆に知りませんでした。「いの一番」ってこの商品名でしか知らなかった訳です。

TVCMでやっていた記憶があり、色々調べてみたら、まだ存在している事が分かりビックリしました。1961年に発売され、自分が存在を知ったのが1980年頃かと思いますが、まだあったんだな、と…。ロングセラーとして愛されている調味料なのですね。

看板の右上にタケダのマークがありますが、昭和期はタケダ食品の商品で、女優の故・真屋順子さんがCMをされていました。現在はタケダの商品ではなく、MCフードスペシャリティーズという会社の商品で、これは2001年のキリンとタケダの業務提携に端を発してこの会社になっているものです。

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そんなそんなで、木津川市加茂地区は渋い所目白押しでした。

この写真から10年経って残っているかどうか確かめるのも面白いと感じますが、古い息吹を感じていたい時に気軽に寄ってみられては…??という気もします。

2019年1月31日 (木)

JR加茂駅 (京都府木津川市)

京都府木津川市のJR加茂(かも)です。

木津川市ではのJR木津駅をupした事がありますが、今回はその隣の駅をupします。

-JR加茂
【路線】JR関西本線 (名古屋-JR難波間)
【開業】1897年11月11日
【訪問】2009年2月
【1日あたり平均乗車人員】 2,359人/日 (2016年)
【近隣の都市駅】(名古屋方面)伊賀上野駅→5駅 
          (JR難波方面)木津駅→隣駅

▼この駅の厳密な初訪問は2006年11月の事でしたが、この時は改札を出ずにホームにいたので、自分の中のルールでは訪問とみなさず、ホームに下りてちゃんと外へも出た2009年2月が初訪問です。今回記事の写真もその頃のもので、今からちょうど10年前の姿です。

新潟県加茂市にも全く同じ名前のJR加茂駅という駅があります。「加茂」の付く駅は多く、徳島県には阿波加茂駅がありますが、なんでこの木津川市と加茂市の駅は全く同じままになっているのでしょうか?

例えばこの駅が「山城加茂」駅などとなっていたかもしれないのですが、見事なまでに「加茂駅」で並び立っています。開業日も今回の木津川市の加茂駅が1897年11月11日なら、新潟県の加茂駅も同じ1897年11月20日とわずか9日しか違わない「同い年」でもあります。同い年キター、ですね(意味不明)

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▼ホームは2面3線です。

室内型の待合室を有し、階段を上がった先に改札がある形の橋上駅舎です。

所属上はJR関西本線単独所属ですが、この駅を境に

名古屋方面は「関西線」 なんば方面は「大和路線」

とそれぞれ呼称されています。

また、この駅から三重県の亀山駅までが関西本線の非電化区間で、この両サイドはいずれも電化されており「電化に挟まれた非電化」区間となっています。

ホーム屋根も広く取られています。

ちなみに木津川市の中心駅は隣の木津駅で、利用者数比では加茂駅は木津駅の約半分になります。木津川市に名前はそれぞれ、旧・木津町と旧・加茂町の中心駅でしたが、木津駅は市の中心となり、加茂は市内の1駅という立場になりました。

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▼改札を出るとこのような自由通路があり、両出口へ出られます。

1999年に現在のような橋上駅舎になったとあり、この当時はそれから10年を経ていますが、かなりきれいでした。

駅の中に特に何か店が入っているという事もないですが、1992~2016年の間は「みどりの窓口」があり、ここでも標識が覗いて見えます。

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▼加茂駅の東口駅前広場です。

ちょうどバスがロータリーを回って来ていたところですが、ロータリー周りの床地も整備されています。

バス停もただ標識だけでなく、椅子と屋根も設けられたものとなっていて、座って待てるバス停となっています。バス停の設備の有無も結構、駅の規模を計るのに有効な基準かと思っています。

東口西口とありますが、どちらかというとこの東口の方がメインで、行き来するバス路線も東口の方が多いです。

この東口からでは、奈良駅(JR/近鉄とも)行きの便も出ています。

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▼加茂駅東口の駅前風景です。

駅から一本道が出ていますが距離は短く、すぐに突き当たりに出くわします。山がそびえているのですが、南都銀行の向こうの高層マンションが異様なまでに高く、目立ち度もハンパないレベルでした。

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▼加茂駅の駅舎(東口)です。

橋上駅舎で、自由通路から両方向へ階段が下りた構造になっています。

正面は2F部分に大きな窓があります。2Fから階段が下りている分、やはり少し大きめの駅舎となっています。

横から自由通路がよく見える形で撮ると、駅舎全貌がより分かり易いです。自由通路の真ん中の線路の上部分は実に大きな窓が五角形にて設けられていました。建物として単調ではないところにお金かかってる感がありました。

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▼加茂駅の駅舎(西口)です。

どちらかというとサブ側のこちらは、駅舎の見た目は勝手反対のみで同じようなものですが、ロータリーの規模は東口の方が大きくなっています。

バスのりば周りは屋根がしっかりついたもので、東口より路線が少ないながら設備はなかなか立派なものでした。

西口からは市外へ行くものとして、バスは和束町へ行く路線があります。1時間に1本程度あるので、京都の茶どころ和束町へは、ここから気軽に寄れます。

木津川市という新しい市の中心駅でないこの駅がこんな感じでした。

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2018年10月28日 (日)

京都/京田辺 虚空蔵谷マイナスイオン

京都府京田辺市、JR松井山手駅周辺の旅の様子です。

(2018年8月当時)

●虚空蔵谷バス停

「こくぞうだに」と読みます。

普段なら歩いてでも行ける近さにあるのですが、松井山手駅から暑い中でもあったので、バスを使いました。距離にすると1kmもなく、バスでは所要時間4分とされています。

ぐるっとした屋根のついた立派なバス停が設けられていて、またバス停名も平仮名表記までされていて、単なる標識が立っているだけのバス停とは全然違っていました。そんなキーステーション的な所でも何でもないただの通過点だと思いますが。

これまで京田辺市について特に観光した事がある訳でなく、沿線駅はいくつか訪ねたものの、その周辺しか行った事がなく、「ここ!」という所を全く行った事がありませんでした。

ある時にふと機会ができて松井山手駅周辺をGoogle MAPで「名所」にて検索したら、この「虚空蔵谷」が出てきた訳で、駅近の観光地って事でここへ行く事に決めました。しかしまだまだここから歩く必要があります。その名の通り「谷」へ行くので。

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●緑の中へ

バス停からは道をそれて、このような森へ入っていきそうな道へ。

この道を進んで行って、どこかに目指す谷があるはず、と思いながら進んで行きました。

そんな観光地に値するような風景がこの先に待っているのだろうか?という疑念を抱きまくりのままで。

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●そよかぜ幼稚園

森へ吸い込まれるように入っていったと思ったら突如見えてきたこれは幼稚園でした。

その名も「そよかぜ幼稚園」

「赤い風車の回る森の幼稚園」としてHPにアピールされていましたが、子供たちの成長を願い自然に近い環境ですくすくと…という思いが込められているのでしょうか。1977年に設立されて40年以上続いているといいます。

「雑創の森プレイスクール」との表記が見られますが、これは土日の子どもたちの遊び場として併設されているものとありました。周りに何もない自然環境ですが、考えてみるとそんな小さい時に周りを見る余裕もなく、園の中は周りに何があってもその中で生きていく、そんな感じですごしていましたが、そこに自然いっぱいというのはまた心身の育成という面で効果的なものかな、と感じました。

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●谷へ入る

森への道を入って、そよかぜ幼稚園の所でその道を折れて、谷の方へ入り込んで行きます。ちょうど幼稚園を横目に見る形でずーっと谷の方へと進みました。

最初はこんな感じで階段がついていましたが、次第に自然の風景になっていきます。

「生きものたちを持ち帰らないで」という警告標識が出ていました。自然環境の破壊につながるという事で、近年は生物多様性などもいわれており、こういう事は本当に大切な事、と子供たちにも分かれば良いなと思いました。保護者へ向けてのメッセージもありましたが。

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●自然の道

本格的に谷の道に入っていきました。

一応ロープは張ってありましたが、低い位置にとどまっており、落ちたら終わりかなという感じでした。道の整備がされているのかというと、そんなハッキリしたものではなかったです。

自然の姿を遺したい意志の表れかもしれませんが、よくあるハイキングコースのような道の整備はここではされていない感じでした。なので行き交う時など要注意です。

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●虚空蔵堂

「こくぞうどう」と読みますが、谷の道へ入っていった辺りにあり、そよかぜ幼稚園の横から滝への道の中で唯一この辺りのみ建物が立っていました。

元々は法輪山葛井寺といったとされ、その事を示す標柱も建てられていました。

1221年にこの辺りの地区の何もなっている大住氏が建てたもので、かなり大規模な建物であったようです。こんな谷の一角のどこにそんな大きなものが建てられたのかな?と不思議ではありましたが、当日になるとこのお堂に幕が張られピシッとした風貌?になっていました。

毎年4/13の縁日には十三参りの人々で賑わう、とありましたが、これまたこんな谷でも人で賑わうのか?と感じましたが。ただ、ここを巡っていて、この地点で初めて人とすれ違いました。家族連れで自然環境に触れに来たのか?という感じでしたが、ここにも人が来るのか…と思い少々安心しました。

そしてまたこの辺りには大きなゴツゴツとした岩がそこらじゅうにありました。

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●谷川

ひたすら自然風景が続き、道のあるようでないような所を歩き続けました。

といっても虚空蔵堂の所から5分歩いたかどうかですが、滝などある様子もなく、ただただ川沿いの谷道を歩いているだけ、でした。

あとで調べてみると、もう少し行けば滝があるようで、一の滝二の滝などとYouTubeにも上がっていました。ただ、そこまで行くならばそれなりの格好をしてきた方が良さそうです。この時街歩きの延長上で、ペラペラの夏靴しか履いておらず、道も整備されている感じではないので、途中で引き返してきました。

本来ならば滝の写真でも撮って「こんなすばらしいとこあるんだ」と見せたかったところですが、叶わずでした。ただ自然の景色いっぱいで癒される事は確かです。

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●戻る

谷から戻ってきて、元に来た虚空蔵谷バス停(このバス停は行きに来たバス停と反対側のもの)です。

こちらは松井山手駅行きのものですが、時刻表的に1時間に3本くらいあって、時刻を見ながら、この手前にある看板のスープカレーのお店へ入りました。まぁ歩いてでも松井山手駅行けるんですが、盆の熱い時期に1km歩くのも辛くてバスに頼りました。

そして入った「Soup Curry Quarter」。色んな種類のスープカレーがありました。

Soup Curry Quarter

住所/京都府京田辺市花住坂1-29-1

営業時間/11:30~22:00

定休/月・火曜日

アクセス/JR松井山手駅より徒歩15分またはバス4分「虚空蔵谷」停留所下車徒歩すぐ

そんな感じの京田辺市のプチ旅でした。京田辺といえば一休寺が定番かと思いますが、敢えてこういう所へ行ってみました。
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2018年10月 6日 (土)

JR松井山手駅 (京都府京田辺市)

京都府京田辺市のJR松井山手(まつい・やまて)です。

京田辺市ではJR京田辺駅をupしたことがありますが、今回は市名のカケラもないこの駅の御紹介です。

-JR松井山手駅
【路線】JR片町線(木津-京橋間)
【開業】1989年3月11
【訪問】初訪問-1999年3
【1日あたり平均乗車人員】7,055人/日 (2016年)  
【近隣の主要駅(木津方面) 京田辺駅→2駅 
           
(京橋方面) 四条畷駅→8駅

●駅名標周辺

初訪問が1999年3月と書きましたが、今回この8月に19年ぶりにこの駅にやって来て、今回記事は基本その時のもの、つまり今の姿をお送りします。

松井山手行の電車はちょくちょく見ていましたが、なかなかここまで行く事もなく、久々に行ってみようという訳でこのお盆休みの時に行ったものです。

JR片町線に属していて、平成になってからの開業の新しい駅ですが、当初の駅名は「山手」のつかない「松井」駅であったそうです。

大住-長尾間約4kmの間にできた駅ですが、JRの駅でありながら、京阪電鉄が建設費を負担したそうです。これは近くで京阪東ローズタウンを京阪が運営している事からきているようです。

しかし驚きはナント、この駅の付近に北陸新幹線の駅を設置する事で、中途半端なところにつくるもんだな、という感しかなかったですが…。

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●ホーム

2面2線のホームで各面の内側に電車線がある格好です。

コンクリートのぶっとい柱が重厚感を前面に押し出していて、固い感じのホームでした。

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●時刻表

左側は四条畷・京橋方面でお昼前後の4時間ほどが1時間4本と最少で、大体の時間帯が1時間に7、8本あるような感じです。

右側の木津方面は、やや少なめで1時間に4本+αといったところです。

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●ホームから

出口へと向かうにはこの向こうに見える階段を上がっていきます。

大きな広告看板には枚方自動車教習所が載っていました。

尚、ここで駅ナンバリングがされていますが、今年から適用となったようで、この駅は「H25」と打たれていました。

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●駅前広場

駅を出るとロータリーのついた広場があり、真ん中には時計塔が設置されています。

見えている建物は「コ・ス・パ」というフィットネスクラブです。

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●おすすめハイキングコース

隣の大住駅へ遠回りで行くコースが示されていました。

他に一休寺を回るコースもありました。

松井「山手」の表記に、ひたすら住宅街を感じますが、意外と歴史あるものに触れられるようで、じっくり歩くのも良い旅ができそうです。ここへ来る前は、なんか見るものがあるのかな??と疑念いっぱいでしだか、行ってみるものですね。

このコースは歩いていませんが、時間があれば少しだけでも歩きたかったです。この時は時間の問題だけでなく、訪ねたのが8月だったので、暑い中をとても歩けたものではない、という事情もありましたが…。

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●バスのりば

駅の西側のみバスのりばがあり、東側は単に行き来できるロータリーがあるだけの状態でした。

京阪バスおよび京都京阪バスのバスが行き来していて、近鉄田辺駅行きが多数あり、また京都駅行きもあり、大阪の樟葉駅行きもあります。

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●一休さん

京田辺市という事で名所のひとつ「一休寺」に因み、駅前広場の外周にこの一休さん像がありました。

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●直Q京都

バスのりばから乗れますが、京都駅への直通便として約30分500円で行ける、として大きな看板が出ていました。

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●フレストへの道

駅西口を出て、やや右前に駅前広場がありますが、駅から出て直進するとこの通りになります。

フレスト松井山手店という商業施設で、駅前唯一といっていい大型商業施設です。

駅の開業後にできた施設で、またその後増床を繰り返してリニューアルしてきたりして、平成と共に発展してきたところといえると思います。

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●松井山手駅 駅舎

電車の行先にある程の駅で、どんな感じだろうかと思って意外とこじんまりとしている駅って結構あると思いますが、ここもそうでした。

この出入口が筒抜けになっていて、どちら側へもぬける事ができる構造になっています。

建物としては白を基調としたゴツゴツとした感じ、これに屋根縁の曲線が緩和している感じでした。

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●松井山手駅 駅舎'99

初訪問1999年3月当時の駅舎です。

今とおんなじです。

ただ、駅名表示が今のように出入口の上ではなく、横の部分になされていました。

あとは、その出入口横が植込みでむき出しであったのに対して今はその部分に柵がされているいました。また、自転車進入禁止のような表示もなく完全ノースルーで向こうが丸見え感も出ていました。

20年近くも経つとどこかしらが何か変わるものなのですね。

Jr

2018年8月 8日 (水)

近鉄/新田辺駅 (京都府京田辺市)

京都府京田辺市の近鉄/新田辺(しんたなべ)です。

京田辺市ではJR京田辺駅をupした事がありますが、これと程近い京田辺の中心的存在としてこの駅をupします。

-近鉄/新田辺
【路線】近鉄京都線(京都-大和西大寺間)
【開業】1928年11月3
【訪問】2008年7月
【1日あたり平均乗降車人員】 25,881人/日 (2015年)
【近隣の都市駅(京都方面)近鉄丹波橋駅→9駅
           (大和西大寺方面)大和西大寺駅→10駅

●駅名標周辺

JR京田辺駅がかつて「田辺駅」を名乗っており、これに対しての「新」田辺駅と思われます。ちなみに和歌山県田辺市にあるのは「紀伊」田辺駅です。

近鉄京都線は奈良市京都市を結びますが両市以外の経由地では市の中心駅にはなかなか通らないので、当駅の存在は貴重です。

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●ホーム

ホームは2面4線となかなか広く設けられています。

これは2008年当時、今からもう10年も前の姿ですが、電車が「KYOTO」の文字と共に、金閣が描かれていたり、既にラッピング電車があったんですね。

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●線路と電車

ホームを離れたところの線路の交差具合の様子と複数の留置線に停まる電車の様子です。

左向こうには車庫も見えます。

広い駅敷地を持っているのがよく分かりますね。

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●改札周辺

橋上駅舎構造で、ホームを上がった先が改札となっており、左右両側に出られるよう通路が通っている形となっています。改札を出たすぐ先はパン屋さんでした。

JR京田辺駅までは約300mほどで、徒歩移動は十分に可能ですが、連絡があるかというとそうではない状態です。

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●一休ととんちはし

一休さんのモデルである一休宗純が没した地がここ田辺であるといいます。

近くには「一休寺」というお寺がありますが、この像の真ん中には橋のど真ん中を闊歩するかのようなプチ一休さんが見受けられます。

アニメであったのが「このはし わたるべからず」と橋の前に書かれているのを、とんちを駆使して堂々と闊歩する様子でした。この端わたるべからず、って事でではなくど真ん中をのし歩いてたというものでした。

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●ありとあらゆる案内

とにかく「案内」の文字がひと通りある駅前の一角です。

新田辺駅そのものの駅前広場の案内図から、名所「一休寺」の案内図、観光案内にバス路線図にと、とにかく色んな案内がありました。

一休寺へは徒歩15分とありましたが、JR京田辺駅の方が近くにあります。一休さんが晩年を過ごされ、当地に葬られたとされ、一休ファン?にとっては垂涎の地ともいえます。

お寺は拝観料がかかるそうで、大人500円とありました。

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●一休さん

そのものズバリの「一休さん」と表示された像がありました。

いかにも寺小姓という感じで、ホウキ持ってました。

新田辺駅の象徴的な像といえるかと思います。

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●駅前通り

駅から横断歩道を挟んでホコテン様の商店街が続くこの街並みは、北海道の旭川駅前に雰囲気似てるな、と感じました。

コンビニからボウリングから本屋から、と多種多様ですが、これが10年前の姿である為、今はどのくらい変わっているやらいないやら…です。

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●新田辺駅 駅舎

ガラス張りに「本 CD」と描き込まれた形の駅舎でした。

Wikipediaで現在の駅の姿を確認しにいきましたが、やはり今回記事と同じ2008年当時の様子だったので全く一緒でした(笑)

ちなみにこちらは西口ですが、こちらの方がメインのようで、東口はもっと簡素なつくりのものでした。東口へは行っていないので西口のみのカットです。

駅の1F部分はケンタッキーとか色々お店が入っていました。そして駅前ロータリーもそこそこスペースが取られていて、京田辺の中心的な雰囲気は随所に窺えました。

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2018年7月30日 (月)

京都/八幡 男山!石清水八幡宮

京都府八幡市、京阪/八幡市駅からケーブルカーを上ってからの様子です。

(2006年11月当時)

●男山山上駅

京阪本線の八幡市駅を出てから、ケーブルカーの同名駅に入って上がっていた先がこの「男山山上駅」です。このケーブルカーも京阪所属で「京阪鋼索(こうさく)線」といわれています。

駅のプロフィールを。

-京阪/男山山上駅
【路線】京阪鋼索線(八幡市-男山山上間)
【開業】1955年12月8
【訪問】2006年11月
【1日あたり平均乗車人員】 ?
【近隣の都市駅(八幡市方面)八幡市駅→隣駅

今からもう12年前の姿ですが、現在もこの駅舎であるようです。

鋼索線は八幡市駅と結ぶだけのケーブルカーで、八幡市駅から約3分、200円で行けます。

ダイヤ的には15分おきで、毎時00、15、30、45分の運行ですが、00分と30分については不定期の(乗客がいれば運行する)形となっています。

最終は18:45と早いので要注意です。

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●男山ケーブルの歩み

たぶんこれ左端に年が書いてあったと思いますが、切れてしまっているようです(笑)

普通撮る時は絶対こんな所を見切れるような撮り方はしないはずですが…。あるいは最初からなかったのか…もう記憶にありませんが。

1955年に開業した当駅ですが、この事は最上部の内容ではなく、真ん中らへんの「当社により、男山駅-八幡宮駅間を復活開業」の部分にあたります。男山駅は現在の八幡市駅のケーブルカーのりばを指し、当駅は「八幡宮駅」という名前だったのですね、石清水八幡宮がある事そのまんまの名前で。

また、当時のケーブルカーとして乗車定員136人は最多だったのですね。

京阪として復活開業させたのが1955年ですが、ケーブルとして最初の開業は?というと、実に1926年とありました。90年も前にケーブルカーなどという代物があった事にビックリでした。

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●参道

石清水八幡宮への参道です。

これが八幡市にあって、ケーブルカーを上った先にあるなんてこの時訪ねるまで全く知りませんでした。

とにかくズラーッと灯籠が立ち並ぶ中、木々にごっそり塞がれる中を歩いて行きました。山上で最も印象深い風景がこれでした。

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●石清水八幡宮 

男山山上駅から歩いて5分くらいで石清水八幡宮に到着します。

「日本三大八幡宮」のひとつとされ、860年に清和天皇が社殿を造営した事に始まる歴史の長い由緒正しき神社ですが、こんな山の上にあるのか!という感じでした。吉田兼好の「徒然草」の「仁和寺にある法師」にもここの名前が出てくるといいます、高校の時に習ったはずですが…

1869年にこの山に因んでか男山八幡宮と改称されましたが、1918年に石清水八幡宮に戻り今に至ります。名前が戻ってから今年でちょうど100周年になるのですね。

この入口部分の楼門は「国宝」に指定されていて、楼門だけでなく各門など計10棟が国宝指定されています。

訪ねたのが11月でちょうど七五三の時期だったので、ご家族連れが沢山来ておられて、大きな犬のぬいぐるみも「出動」していました。今からちょうど一回り前、この年も戌年だったからでしょうか。それにしてもこのぬいぐるみ、四つん這いになったら「伝次郎」みたいなのでした。伝次郎といっても分かるのはある地方のある一定の年齢以上かと思いますが…。

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●本殿

上の写真でもあるように、本殿は絶賛修復工事中でした。

この時が2006年で2009年竣工予定と記されていたので、3年後には完成したのか?と思って調べてみたら、この年の4月に「修復相成った」との記載がありました。

ただこれは「第一期工事」であって、本殿以外にも色々やっていたようで、その完了は平成24年であったといい、時期を少し被らせつつ第二期工事があり、この竣工予定が今年平成30年であるといいます。

この時は残念ながら、本殿はこんな形でしか見る事ができませんでした。

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●七五三

戌年が終わり亥年へ、という事でこんな感じの絵馬をバックに写る子たちが沢山居ました。

しかしなんかバックが妙に寂しいですね、犬と猪をバックにちょこっと配しているだけで。

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●亥も!

先に犬のぬいぐるみが居ましたが、このように亥も登場しました。

やっぱり干支の今年と来年って事で彼らが出てきたのか、って具合で。

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●展望

山の上なので、八幡市の街並みが一望できます。

向こう側はグルッと山に囲まれている感じで、盆地っぽい地形を思わせます。

この時の雲の湧き方が異様で、そこにもだいぶ目がいってました。

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●下山

ケーブルカーを下りてきて、八幡市駅前へ。

しかしこの昭和満載感はなんだろう、というこの並び。

八幡市では石清水八幡宮しかまともに行ってなくて、他はこんな風にチラッと寄った程度につき、今後は平地でもう少し観光をしてみたいと思います。遠い所でもないので。

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2018年5月19日 (土)

JR西舞鶴駅 (京都府舞鶴市)

京都府舞鶴市のJR西舞鶴(にし・まいづる)です

舞鶴市ではJR東舞鶴駅をupしていますが、今回は同じ舞鶴市内で東舞鶴駅とツートップというべき存在のこの駅についての記事をお送りします。

-JR・京都丹後鉄道/西舞鶴駅-
【路線】
JR舞鶴線(綾部-東舞鶴間)
    京都丹後鉄道宮舞線(西舞鶴-宮津間)

【開業】JR-1904年11月3日
    京都丹後鉄道-1990年4月1日

【訪問】2009年10月
【1日あたり平均乗車人員】 JR-1,455人/日 (2016年)
                 京都丹後鉄道-400人/日(2016年)

【近隣の主要駅 (綾部方面)綾部駅→4駅  
            (東舞鶴方面)東舞鶴駅→隣駅
            (宮津方面)宮津駅→6駅


●駅名標

東舞鶴駅と並ぶ、舞鶴市のツイン中心駅のひとつといった位置づけの駅であり、利用者数も東舞鶴駅とほぼ同数です。

舞鶴市には「舞鶴駅」というものは存在しませんが、当駅が元々「舞鶴駅」を名乗っていました。1904年の開業から1944年まで舞鶴駅でしたが、市域の拡大により「西」が冠され現在に至ります。

東舞鶴駅はJRの小浜線と舞鶴線を繋ぐ役割を果たしているのに対して、この西舞鶴駅は舞鶴線と京都丹後鉄道(旧・北近畿タンゴ鉄道)を繋ぐ役割を果たしています。

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●ホーム

JRでは2面3線を有し、京都丹後鉄道では切欠き上に1面1線のホームを持つ形で構成されています。

1999年に橋上駅舎になったという事ですが、中心駅のひとつの割には、遅くに開発されたのだなと感じました。ただこれと同時に多数の留置線が削減されたようです。

この駅のホーム内の写真はこれだけしか撮っていませんでした。東舞鶴駅も駅舎の写真しか撮っておらず、意図していませんでしたが舞鶴市の駅はあまりちゃんと撮れていない事を改めて感じます。

東舞鶴はかつての軍港として栄えた所で、ここ西舞鶴は城下町として栄えた所です。

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●駅前俯瞰

ホームから上がった先から駅前を眺められますが、いかにも城下町という感じの駅前広場周りです。

真ん中に立っている櫓のようなものがひと際目を惹きます。

これは舞鶴城の太鼓堂を再現した時計塔で、毎日12時と17時には太鼓の入った音楽が流れるといいます。かつてのここ田辺藩では誇れるものとして謳われていたともいう。この辺りの代名詞的存在です。

この辺りは当初は「田辺」と呼ばれており、舞鶴は明治になってからの呼び名といわれています。田辺城が鶴が舞うように美しく見えるからという事で、管轄するのも田辺藩であったものが明治維新頃に舞鶴藩になったとか。

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●芸屋台

駅舎内に展示されていたものです。

江戸時代に子供を主とした歌舞伎が「屋台芸」として2日間にわたり行われ、その舞台としてつくられたのがこの芸屋台であるといいます。

起源として時期的なものは不明ですが、1743年には屋台の寸法が示されてたというので、これ以前には存在していたとされています。

江戸時代の途中で飢饉が発生した際に一時廃れましたが、現在では10近い地区でこの屋台が保存されていて、田辺城まつりに参加している、とありました。

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●駅前広場

実際に降り立ってのカットです。

やはり太鼓堂が絶大なインパクトを放っていました。

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●西舞鶴駅 駅舎

全面ガラス張りのインパクトのある駅舎です。

この時の訪問が2009年で約9年前の姿ですが、駅舎は今もこの形です。

中の階段が透けるように見えていたりして、反射するガラス張りでない形のものでした。

城下町の側面が強い所の割に、和風建築だとかそんな要素は駅舎自体には微塵もない、近代的な雰囲気でした。

東舞鶴駅の方はよく撮らないままで約20年訪ねておらず、再度ちゃんと訪ねて記憶にも記録にも残したいと思いました。

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2017年3月12日 (日)

京都/京丹後 峰山の街

京都府京丹後市、京都丹後鉄道/峰山駅からの歩き旅です。

(2010年9月当時)

●駅前俯瞰

駅からの旅、という前にまず峰山駅から見下ろした様子です。

カラフルな塔が何本か立っていました。

「羽衣天女の舞い降りた(る?)街」として、駅構内にもこのような描写の看板がありましたが、これがこの街のウリの大きなひとつなのでしょう。実際、この訪問以降の2014年に京丹後市の「駅の愛称選定委員会」で「羽衣天女の里駅」という愛称が公募を経てついたそうです。

また、この時は結構な雨で、この天気の中を街歩きして写真撮っていくのか…と思ったものでした。雨というだけでレンズに水滴がついたり、こういう写真に残す上で大きな障害となってしまうのでなかなかに辛かったです。

タクシーが意外と台数停まっていたな、というのもここでの印象でした。

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●駅前目線

駅西側、地平に下りて駅の前を見た様子です。

上の写真の塔やタクシー群からは少し右へずれた形ですが、真ん前は道路が通っておらず、少しずれた形で駅からの道路が伸びていて、この辺りは駅と正対する形で建物が軒を並べていました。

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●駅からの道

駅から右斜め前を見た格好の様子です。自転車置場が右側に見えています。

そして駅から伸びる道路への橋渡し的に歩道が伸びていました。ここから街へ出ていくという感じで、駅の真ん前ではなく、少し右へずれた形で駅前の通りが形成されています。

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●峰山マンホール

峰山らしく羽衣天女のかなりデフォルメ化されたものでしょうか?京丹後市ではなく、旧峰山町としてのマンホールでした。

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●駅前通り

といっても、商店街を形成している感じの通りではありませんでした。駅から右へそれてまっすぐ伸びている道です、歩いて行くとカーブを描いていきますが。

賑やかな感じはしませんが、労働基準監督署やハローワークなど主要施設が点在しており、延長上には京丹後市役所もあります。

ここに写っているのは「京丹後建設業協会」の建物です。土建業者等の相談所のようなものでしょうか、よく建設組合のような吾人まりとした事務所を見かけますが、そういう類でしょうか。とにかく雨の中を西へ歩き続けます。、

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●住宅

上の写真から直進し、駅から1km程の京丹後市役所へ向かう途中のカットですが、手前の2棟の建屋に惹かれました。

昭和の炭鉱夫用の住宅にこういう感じの建屋が多くて、北海道でもよく見かけた気がします。これら住宅の為に、川にコンクリートの橋が架けられたのでしょう。今はまず使われていないだろうと思いますが、昔の人の暮らしが窺えて、今は何やかやモノがあふれかえってる事を感じさせられます。貴重な文化遺産、とでもいいたいです。

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●鉄塔としごろむ

これもまた市役所への道で、NTTの鉄塔がありますが旧・NTT峰山営業所です。今更レベルで気づいたのですが、こういうNTTの営業所ってどんどん閉鎖していってるのですね。窓口問合せより電話・ネットでの問合せが大半を占めるようになったという世の流れからきているようですが、大きな建物ばかりが残って周りはひっそり…という事もよくあるなと思うようになってきました。

「しごろむ」とは手前のタクシー会社の電話番号、4567って順番はいいけど、この「しごろむ」って語呂がいいのかどうかよくわかりませんでした。関西人のノリがよく表われてると感じました。

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●京丹後市役所

峰山に着いてからどこへ行こうかと思いましたが、歩いて行ってもこれはというものが見つけられず、雨の中を駅から1km程度歩いてようやく着いたこの京丹後市役所、とりあえず市役所は見ておこうと思って辿り着きました。

京丹後市は網野や久美浜、大宮といった旧町がありますが、市役所があるのはここ峰山地区であり、他の地区には庁舎がそれぞれ存在しています。

白系の一色で新しい建物、感が出ていました。

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●みねやまMAP

京丹後市役所の前にある峰山地区のイラストマップです。

右上の部分に集中しており、峰山駅もこの部分にあり、鉄道路線は右端部分を通っていて、左の部分はかなり寂しげな感じになっています。左下の部分で、兵庫県豊岡市と接しています。

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●市役所抜けて

駅から西へ歩き続け、市役所へはほんの少し北へ入ると出くわしましたが、更にこれを北へ。川を隔てた向こうの街の様子です。

住宅街という感じですが、年季の入ってそうな建物が並んでいる感じでした。

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●川を渡る

上の写真では飛田橋という橋を渡るところからまっすぐ見たものですが、こちらは横向いて川の方向を見たものです。雨で結構流れが速くなっていて、色も濁り気味でした。

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●商店街

こんな所にあったのか商店街!という感じでしたが、市役所から川を隔てた先にありました。駅から来た通りからみて北に平行に通る形ですが、かなり商店街的側面の強い通りでした。

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●続く商店街

この通りでは逆に峰山駅方面へ戻る形で進んでいました。

昔ながらの商店が軒を並べていていい感じでした。各店にお客がそれほど入るとも思えず、どこも維持していくの大変だろうな、とか考えてしまいます。全国チェーンや量販店が幅を利かす時代になり、この辺りの街の景色は大きく変わらずとも、賑わいはだいぶ減ったのかな、と思ってしまいます。

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●峰山橋

更に峰山駅へ戻る道中のカットです。

この地点は既に通りは突き当りまで来て、右折してあとは峰山駅までわずか、という所まで来ていますが、そんな場所にこの峰山橋は架かっています。

両端に石が突出していて、その上に街灯代わりか網籠に入る形でランプがついていて、単なる橋でない、ちょっとした橋だなという事を感じさせられました。

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●丹海バス

というところの京都行き、大阪行きの高速バスのりばがありました。峰山橋を峰山駅方面へ渡ってすぐで、峰山駅からも5分もあれば歩いてこれます。

大阪と京都だけのようで、大阪までは3時間強、京都までは3時間弱で着くようですが、同じ京都府内でも京都駅まではかなりかかるようです。京都府といっても兵庫に接するような丹後地方なので、随分と毛色も違うし、時間もかかるという訳ですね。

そんなこんなで京丹後市は、峰山にスポットを当ててお届けしましたが、他の地区にも行ってるのでそこの様子もお見せできればいいなと思います。

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