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26京都府

2017年3月12日 (日)

京都/京丹後 峰山の街

京都府京丹後市、京都丹後鉄道/峰山駅からの歩き旅です。

(2010年9月当時)

●駅前俯瞰

駅からの旅、という前にまず峰山駅から見下ろした様子です。

カラフルな塔が何本か立っていました。

「羽衣天女の舞い降りた(る?)街」として、駅構内にもこのような描写の看板がありましたが、これがこの街のウリの大きなひとつなのでしょう。実際、この訪問以降の2014年に京丹後市の「駅の愛称選定委員会」で「羽衣天女の里駅」という愛称が公募を経てついたそうです。

また、この時は結構な雨で、この天気の中を街歩きして写真撮っていくのか…と思ったものでした。雨というだけでレンズに水滴がついたり、こういう写真に残す上で大きな障害となってしまうのでなかなかに辛かったです。

タクシーが意外と台数停まっていたな、というのもここでの印象でした。

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●駅前目線

駅西側、地平に下りて駅の前を見た様子です。

上の写真の塔やタクシー群からは少し右へずれた形ですが、真ん前は道路が通っておらず、少しずれた形で駅からの道路が伸びていて、この辺りは駅と正対する形で建物が軒を並べていました。

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●駅からの道

駅から右斜め前を見た格好の様子です。自転車置場が右側に見えています。

そして駅から伸びる道路への橋渡し的に歩道が伸びていました。ここから街へ出ていくという感じで、駅の真ん前ではなく、少し右へずれた形で駅前の通りが形成されています。

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●峰山マンホール

峰山らしく羽衣天女のかなりデフォルメ化されたものでしょうか?京丹後市ではなく、旧峰山町としてのマンホールでした。

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●駅前通り

といっても、商店街を形成している感じの通りではありませんでした。駅から右へそれてまっすぐ伸びている道です、歩いて行くとカーブを描いていきますが。

賑やかな感じはしませんが、労働基準監督署やハローワークなど主要施設が点在しており、延長上には京丹後市役所もあります。

ここに写っているのは「京丹後建設業協会」の建物です。土建業者等の相談所のようなものでしょうか、よく建設組合のような吾人まりとした事務所を見かけますが、そういう類でしょうか。とにかく雨の中を西へ歩き続けます。、

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●住宅

上の写真から直進し、駅から1km程の京丹後市役所へ向かう途中のカットですが、手前の2棟の建屋に惹かれました。

昭和の炭鉱夫用の住宅にこういう感じの建屋が多くて、北海道でもよく見かけた気がします。これら住宅の為に、川にコンクリートの橋が架けられたのでしょう。今はまず使われていないだろうと思いますが、昔の人の暮らしが窺えて、今は何やかやモノがあふれかえってる事を感じさせられます。貴重な文化遺産、とでもいいたいです。

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●鉄塔としごろむ

これもまた市役所への道で、NTTの鉄塔がありますが旧・NTT峰山営業所です。今更レベルで気づいたのですが、こういうNTTの営業所ってどんどん閉鎖していってるのですね。窓口問合せより電話・ネットでの問合せが大半を占めるようになったという世の流れからきているようですが、大きな建物ばかりが残って周りはひっそり…という事もよくあるなと思うようになってきました。

「しごろむ」とは手前のタクシー会社の電話番号、4567って順番はいいけど、この「しごろむ」って語呂がいいのかどうかよくわかりませんでした。関西人のノリがよく表われてると感じました。

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●京丹後市役所

峰山に着いてからどこへ行こうかと思いましたが、歩いて行ってもこれはというものが見つけられず、雨の中を駅から1km程度歩いてようやく着いたこの京丹後市役所、とりあえず市役所は見ておこうと思って辿り着きました。

京丹後市は網野や久美浜、大宮といった旧町がありますが、市役所があるのはここ峰山地区であり、他の地区には庁舎がそれぞれ存在しています。

白系の一色で新しい建物、感が出ていました。

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●みねやまMAP

京丹後市役所の前にある峰山地区のイラストマップです。

右上の部分に集中しており、峰山駅もこの部分にあり、鉄道路線は右端部分を通っていて、左の部分はかなり寂しげな感じになっています。左下の部分で、兵庫県豊岡市と接しています。

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●市役所抜けて

駅から西へ歩き続け、市役所へはほんの少し北へ入ると出くわしましたが、更にこれを北へ。川を隔てた向こうの街の様子です。

住宅街という感じですが、年季の入ってそうな建物が並んでいる感じでした。

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●川を渡る

上の写真では飛田橋という橋を渡るところからまっすぐ見たものですが、こちらは横向いて川の方向を見たものです。雨で結構流れが速くなっていて、色も濁り気味でした。

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●商店街

こんな所にあったのか商店街!という感じでしたが、市役所から川を隔てた先にありました。駅から来た通りからみて北に平行に通る形ですが、かなり商店街的側面の強い通りでした。

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●続く商店街

この通りでは逆に峰山駅方面へ戻る形で進んでいました。

昔ながらの商店が軒を並べていていい感じでした。各店にお客がそれほど入るとも思えず、どこも維持していくの大変だろうな、とか考えてしまいます。全国チェーンや量販店が幅を利かす時代になり、この辺りの街の景色は大きく変わらずとも、賑わいはだいぶ減ったのかな、と思ってしまいます。

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●峰山橋

更に峰山駅へ戻る道中のカットです。

この地点は既に通りは突き当りまで来て、右折してあとは峰山駅までわずか、という所まで来ていますが、そんな場所にこの峰山橋は架かっています。

両端に石が突出していて、その上に街灯代わりか網籠に入る形でランプがついていて、単なる橋でない、ちょっとした橋だなという事を感じさせられました。

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●丹海バス

というところの京都行き、大阪行きの高速バスのりばがありました。峰山橋を峰山駅方面へ渡ってすぐで、峰山駅からも5分もあれば歩いてこれます。

大阪と京都だけのようで、大阪までは3時間強、京都までは3時間弱で着くようですが、同じ京都府内でも京都駅まではかなりかかるようです。京都府といっても兵庫に接するような丹後地方なので、随分と毛色も違うし、時間もかかるという訳ですね。

そんなこんなで京丹後市は、峰山にスポットを当ててお届けしましたが、他の地区にも行ってるのでそこの様子もお見せできればいいなと思います。

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2016年8月21日 (日)

京都/向日 かつての栄華と今の激辛…

京都府向日市、JR向日町(むこうまち)駅からの歩き旅です。

(2012年10月当時)

●からっキー

向日市には2003年に初めて来て、次に2009年にも訪ねましたが、これらは駅周りの写真のみで、町めぐりしたものは?という事で、2012年10月の再訪時に詳しく回っていたので、この時のものをお送りいたします。

まずはこの「からっキー」から。

JR向日町駅前に立っていましたが、向日市には「激辛商店街」なるものがあります。

激辛商店街の熱い思いを語り、激辛挑戦者を待っているそうです(笑)

この商店街HPにもありますが、町おこしの材料として熟考を重ねた結果、生まれてきたものだそうで。古き良き伝統に基づいたものでは決してないけれど、その伝統をここから生み出すんだ、という発想でしょうか。かくしてこのキャラクターは2009年に誕生したそうです。

そういえばですが、2003年ここに初めてきた時は、この向日町駅前に地獄ラーメンのようなお店があったと記憶しています。当時は激辛のキーワードの「げ」の字も出なかったでしょうが、勝手に向日=辛のイメージを持っていました。

とにかく、この激辛商店街のHPを見てると色んな料理の激辛店舗が満載なので、興味ありの方は見て挑戦頂ければ面白いと思います。

こんなのがありました →http://matome.naver.jp/odai/2137686618034945101

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●伝統の竹

そんな激辛で売る向日市ですが、元々伝統的なものとして竹やタケノコの里としての側面が強かったようです。同じ京都府の八幡市もそうですね。あとは南丹市、園部の付近のお寺で大きなタケノコを貰った事があって、これも勝手ながら「京都=竹」のイメージを強く持っています。

で、向日市はこのタケでかなり売ろうとして、竹馬で270km先の金沢まで歩いたり、それはもう色々と町の方々は努力されたそうです。が、なかなか大きな反響には結びつき難く、その後丁々発止の挙句、「激辛」が浮上したそうです。

ちなみにこの竹は「かぐや姫時計」だそうです。

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●駅前道

向日町の駅から南西へと進んでゆくメインの通りです。

これを400m程進んでいけば、阪急の東向日駅に行き着きます。この辺りではJRと阪急が平行に走っていて、向日町と東向日の間は西国街道で繋がっています。

京都市のベッドタウン的な位置づけもありますが、この辺りを見る限りでは、あまりそんな雰囲気ではなく、結構のんびりしています。

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●西国街道

というわけで、東向日駅までの道のりです。

向日市の西国街道を歩く3時間コースというのがでていました →コチラ

で、ここに流れている「寺戸川」という川は、今から1400年も前に大陸からの渡来氏族が灌漑用水路として造った、とあります。その頃からそのような発想があったのでしょうか??稲作は弥生時代から始まったというので、水路確保という意味であっても不思議ではないと思いますが、どんな形でつくり込まれていったのか?は興味あるところです。

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●向日町温泉

何気に温泉と銘打った施設が目に飛び込んできました。

普通の銭湯のようで、あちこちから気軽に行くスーパー銭湯タイプの所ではないようです。行った方の感想を見ると、ものすごいにごり湯なのだとか。そこのところは少々惹かれるものがありますね…。

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●車が飛び出る!

面白い軒先の店がありました。

ただこの辺り全般的に古めかしい雰囲気に満ちていて、どれほどの店がやっているのか?謎でしたが。

この辺りはもう東向日の駅を越えた辺りで、その駅前商店街の一角にあたります。

東向日駅については外からしか撮っていませんが、また駅記事にて改めて触れたいと思います。

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●和風

左側は店舗として仕立てられたものかと思いますが、右側のは素晴らしい白壁の和風建築でした。この時訪ねるまで意識していませんでしたが、向日市にはこういった側面もかなりあるようです。よく行かないと分からない場合もありますよね。

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●向日町競輪場

向日は競輪場のある街です。1950年開設され、当時ここは向日「町」でしたが、1972年に向日「市」となっても、そのまま名称が変わらず、今はこれに「京都」の冠された「京都向日町競輪場」となっています。(JRの駅名も同じように向日「町」のままです)

ここ数年は存続問題が取り沙汰されて苦しい状況が続いているようで、来年からは民間委託、早ければ2020年には廃止、などとも報じられていました。最盛期は1987年で、この時は400億円余りを売り上げていたのが、今では人気低迷で100億円ほどに落ち込んでしまっているのだとか。昭和に栄華を極めたものがなかなか続かないものですね、どんな業界においても。

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●向日市商工会館

白を基調とした角ばった建屋です。真っ青な空にはとてもよく映えていました。

表の看板の柱が茶色いのは、元々なのか錆びてそうなったのかは分かりませんが…

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●向日消防署

ガラス張りの印象的な建屋です。

「乙訓の街に聞こえる 火の用心」とガラス部分に貼られていました。

ちなみに乙訓は「おとくに」と読みます。京都の山城地方の郡部で、向日市も郡部であった1972年まではこの乙訓郡に属していました。現在は大山崎町のみが属しています、あの「YAMAZAKI」で有名な町です。

消防署というものでよくある事なのかもしれませんが、小学校の社会見学の記事が載っていて、なかなか微笑ましかったです。

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●向日市文化資料館

市制施行40周年記念事業、というのが前面に出ていますが、1972年に市制化されて、この時が2012年、という事で真っ只中でした。昔の地図や絵図などが展示されていたようで。

この建物自体は、かつて長岡京の一角であった当地に、遷都1200年を記念してつくられたそうです。歴史的な古文書・民具などを展示し、各種の講座・講演会なども開催されていて、立派な施設に見合った活動も行われているようです。→コチラ 

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●時の流れ…

最後になりますが、個人的にかなり惹きつけられたカットです。

どこで見てもこういうものには惹かれます。とにかく歴史、というか、この建物が現役であったのは一体いつ頃なのか??その頃この辺りはどんな賑わいだったのか??この軒先はどんな様子だったのか??などと色々思いを馳せてしまうのです。

まず中には居ないと思われますが、確かにここに居が構えられ、活動がされていた事、そして中に人が居なくなっても、撤去されずにこういう建物が残っている事、それらに色んな思いが交錯してしまいます。

手前が呉服販売のスペースで、向こうが住居だったのでしょうか?この建屋が現役であったことが知る方がもしもおられるならば話を聞いてみたいものです。

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2016年6月 4日 (土)

阪急/西山天王山駅 (京都府長岡京市)

京都府長岡京市の阪急/西山天王山(にしやま・てんのうざん)です。

長岡京市では、JR長岡京駅 をupした事がありますが、今回は阪急電車でできたかなり新しい駅の御紹介です。

-阪急/西山天王山
【路線】阪急京都線 (十三-河原町間)
【開業】2013年12月21日
【訪問】2016年1月
【1日あたり平均乗車人員】 3,267人/日 (2013年)
【近隣の都市駅】(十三方面)高槻市駅→4駅 
          (河原町方面)長岡天神駅→隣駅

●駅名標

西山天王山、となんとも字面の良さそうな名前です。

2013年12月に開業したという、まだ開業してわずか2年半しか経っておらず、阪急電車では現時点で最も新しい駅です。

この駅名由来は、西山という地区にあり、付近に天王山(プロ野球の首位決戦などによく使いますね)という山がある為だそうです。

阪急で最も長い駅名ではないか、と思って探してみたら、「雲雀丘花屋敷(ひばりがおかはなやしき)」とか「西中島南方(にしなかじまみなみがた)」など、これより長い駅名が複数ありました。

それまで長岡京市では阪急の駅は、「長岡天神」駅のみでしたが、この駅の開業により、市内の阪急駅が複数となりました。

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●ホーム

2面2線のみのシンプルな構造です。

この駅ができるまでは、両隣の大山崎-長岡天神の駅間は約4kmと、関西大手私鉄の駅間としてはちょっと長い距離だったな、というところでした。今はこれらのど真ん中ではないですが、大山崎駅から2.5km、長岡天神駅から1.5kmの距離にあります。

両ホームは階段を下りた先の地下道で繋がる形となっています。

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●駅前広場案内図

駅を出ると道路からそれる形でこじんまりとしたロータリーがありますが、その橋の一角に設けられた案内図です。

案内図というだけでなく、ボタンを押すとバスやタクシーののりばやトイレなど、付近の道順について音声で案内してくれるという設備までついていて、さすがは新駅と感心しました。総工費は約35億円で、長岡京市と阪急電鉄が共同出資したといいます。

この広場とエレベーターで直結する形で「高速長岡京バスストップ」があり、東京・横浜・名古屋などの都市行バスが止まるようになっています。

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●長岡京市総合案内

これも駅前広場にあったものですが、タッチパネル式の長岡京市の案内板で、英文・中文・ハングルまで対応しています。

市の中心駅でもないし、決して規模の大きい駅でもないのに、設備面は充実していて、これもやはり新駅効果なのか…。

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●駅前広場

駅を出てのロータリーの部分です。

この真上に高速バスののりばがあるという具合です。

ここに写っているのは高速バスではありませんが、バスがそれなりに行き来していました。

真上に道路があるせいかやはり、この広場スペースにかなりの閉塞感のような感覚を覚え、ただでさえさほど広くない駅前スペースがよりこじんまりとした感じを受けました。

駅を出ると、真ん前はこの広場ですが、左側に出ると普通に道路で、特に駅前施設的なものが他に見受けられず、このロータリーの向こうに公園スペースがあるくらいです。

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●西山天王山駅 駅舎

やはり「西山天王山駅」という字面が良いというか、駅舎に横にビッシリ名前が表記されると、ものすごく迫力を感じます。

大規模駅ではありませんが、建屋としてはやや大きい部類に入るのかなという感じの駅舎でした。改札を出てからになりますが建屋内に売店もあります。

隣の同じ市の長岡天神駅に比べると、かなり利用者数が少なく桁違いのレベルですが、新駅としてそれなりのスペックは与えられてる、という感じですね。開業時の乗降者見込みが7,000人/日強ということで、ほぼその位かやや足りない、そんなところです。

周りに色々できてくると利用者数も違ってくるのかとも思いますが、周辺が手狭で現時点では普通の街という印象が強いですね。今後どうなるやら…

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2013年6月 9日 (日)

京都/宮津② 最後の日本三景へ参る

京都府宮津市、京都/宮津 宮津駅前のようすに続く宮津市の記事です。

宮津市、というとあまりピンとこない方々もおられるでしょうが、日本三景の「天橋立」のある所、といえば分かるでしょうね。というくらい有名な、天橋立。

個人的には、日本三景の中で最後に訪ねた地で、最初は宮島(1992年)、次は松島(2000年)ときて、ここへは2004年7月にようやく初めて訪ねました。以下はその時の写真なので、もう9年も前の事になります。

天橋立物産店街

北近畿タンゴ鉄道の「天橋立駅」(宮津駅の隣駅)からすぐ、意外と駅近だったことをこの時初めて知り(この時はバイクで訪問)驚きましたが、腹ごしらえにと、この通りをふらふらと歩いてみました。
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食堂内

昼食を頂いたお店にて。

天橋立の地図や名産など張ってありました。

2004年当時、ブログもやってなかったしで、結構記録が雑です。記憶は薄れてしまうしで、この頃はSNSで写真あげるとかなくて意識もしてないしで、今から思えばよく写真撮っておけば…とも思いますが、食べ物の写真はうまく撮れなかったかな、とも思います。

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回転橋

天橋立海水浴場へ向かうこの橋、何気なしにボーッと見ていたから、真ん中を軸にして横へ時計の針のように回転し始めました。

昔、鳥取県境港の中浦水門という所の橋が「_」から「l」の状態に90°せり上がるのは見たことありましたが、回転したのはこの時初めて見ました。いずれもですが船が通行できるようにするためです。

これを見るのと見ないのとでは、ここでの観光に大きく差がつく?!ので、船の通行を待った方が良いと思います。

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日本三景碑

日本三景、という言葉は現代人が観光用につくった言葉、ぐらいに思っていたのですが、れっきとした歴史をもった言葉なんですね。

江戸初期の1643年に林春斎という儒学者が、現在の3地点を日本三景として定義づけているといい、その事がここに刻まれています。

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▼特別名勝碑

「名勝」とは「景色のよい土地」で、国指定の文化財のひとつであり、特別名勝はその中でも特に価値の高いもの、とされています。近畿地方では20箇所ほどありますが殆どが京都・奈良ですね。

ここが特別名勝に認定されたのは1952年の事で、日本三景同時だったそうですが、このうち世界遺産に認定されているのは現時点では宮島(厳島神社)のみです。

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案内図

天橋立公園として京都府立なんですね。

地図の真ん中のくの字状に入り組んだ部分は実際は長い一本道で、上からのここの見渡しが非常に素晴らしい訳です。なので平地であるこの部分を歩いていて特段素晴らしいとかいう事ではないです、いやまぁ由緒正しい建屋もいくつもあり、海岸線も見るに値しますが…

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天橋立海岸

夏は海水浴場として賑わい、この時もその真っ只中でしたが、ここはそのエリアから外れた部分で、のどかにのんびりと歩いていました。

股覗きができるのはリフトで上へあがってからです。この記事では平地部分まで。

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2013年3月21日 (木)

JR宇治駅 (京都府宇治市)

京都府宇治市のJR宇治(うじ)です。

宇治市は京都府の南部に位置し、人口は189,398人(2012.12.1現在)で、人口では京都府第2の都市であり、京都南部の中心都市でもあります。

宇治茶で知られるお茶の生産が盛んな町で、近年は宇治茶大好き大使任命や宇治茶のゆるキャラが誕生したりしています。

宇治茶大好き大使は、Berryz工房(「ももち」のいるグループ)熊井友理奈(アイドル界№1の長身)と℃-ute鈴木愛理(最近漫画雑誌の表紙に多く登場。ブロゴルファー鈴木亨氏の愛娘)という「ベリキュー」のそれぞれ人気メンバーにして、抹茶大好きな2人が非公式に「抹茶ーず」と名乗っていたところから、宇治市の認定大使にまでなったというものです。

-JR宇治駅
【路線】
JR奈良線(京都-木津間)
【開業】1896年1月25日
【訪問】初訪問-2005年1
【1日あたり平均乗車人員】 773人/日 (2009年)
【近隣の主要駅(京都方面)京都駅→8駅  
          (木津方面)城陽駅→3駅

駅名標周辺

2005年1月初訪問時と次の2006年11月当時のものを込みにて写真upします、いずれにもても中途半端に古くてすみませんが…。

JR奈良線では城陽駅や木津駅をupしたことがありますが、これらと共に奈良線上の市の中心駅で、途中駅でいえば城陽とここだけです。ただ、両駅ともJRは奈良線のみの単独路線で分岐がなく、この宇治駅については駅を出て徒歩圏内に京阪の宇治駅があり、そこから乗換は可能ではあります。

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ホーム階段

電光掲示の次発列車案内が設置されていました。

路線所属としては京都~木津になりますが、列車は木津を越えて奈良まで乗り入れます。こちらは木津方面ですが、奈良までの便もあれば、3駅先の隣の市の中心である城陽止まりのものもありました。

逆方向の京都駅までは各駅で30分弱、快速だと17~19分程度で着くので、京都からのアクセスもそう悪くなく、手軽に行ける所ではあります。ただ東海道線から外れるので都会的なイメージが薄いのかもしれません。

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自由通路

ホームから階段を上がって改札を抜けると両出口への通路があるという橋上駅となっていて、その自由通路の様子です。

突き当りはガラス張りになっていて、外の様子が見えます。

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テラスの先

自由通路の端から駅前を見下ろした様子です。

ちょっとしたテラスが出ているようですが、窓を開けてないので立ち入れるかどうかは不明です。ただ外から見るとお飾り程度のような感じで、立ち入って眺めるようなものではなさそうでした。

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宇治茶たち

駅の中にあった宇治茶の集まったスペースです。

ペットボトルから茶葉のものまで。

8年も前のものなので、今このコーナーがどうなってるのかは分かりません。

それにしても500mlペットボトルっていつの間にか人々の暮らしに定着しましたよね、昔は缶のものしかなくて、蓋をしていつでも手軽に飲めなかったというのに。ホントいい時代になりました。何でも手軽すぎるのが逆に良くない事もありますが…

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茶壺ポスト

赤いはずのポストが緑の茶壺にすっぽり覆われて、形まですっかり変わってしまっている駅前のポストです。これはインパクトありました!

2001年に宇治市制施行50周年を記念してつくられたそうです。

向こうにはホームに停まっている電車が見えています。

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駅前広場

駅からの目線で、駅前広場のタクシー停車場周辺です。

お茶の意識があるのかグリーンのラインが入っていました。お茶の意識があればもっと真緑な感じの車体だったでしょうか(笑

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宇治駅 駅舎

片側しか撮っていませんが、いかにも橋上駅舎という形の建屋で、真ん中に自由通路の端があり、両サイドに階段が下りる三角状の駅舎です。白を基調としていて、とてもきれいに見えました。で、屋根の部分がてっぺんに曲線のものが乗っかる形で建物にインパクトやアクセントを与えています。

こちらは南口でどちらかというとメインの方になります。北口も同じ形の駅舎がありますが、ロータリーだけあるという感じです。

このような橋上駅舎になったのは2000年との事で、この時で4年そこそこといったところ、まだ新駅舎というにふさわしい頃だったでしょうか。

あの、「平等院鳳凰堂」へここから徒歩で行く事ができ、この時は行きました。そこへ行くまで多くの店が参道に沿う形で並んでいて、観光にはもってこいの場所でした。

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2013年3月 7日 (木)

京都/南丹 園部城跡あたり

京都府南丹市、JR園部駅から徒歩で行った園部城跡の様子を。(2012年5月)

園部駅へ初めて行ったのは2006年11月ですが、その時は駅前をチョロっと歩いただけで、それから5年半、当時歩いて行けると思ってなかった園部城へ行く事が出来ました。

史跡 園部城跡 碑

木で隠れてますが、城の塀と門が見えます。そしてその前に「史跡 園部城跡」と。

これが園部城跡なのかぁと思って入って行こうとしました。

しかし、ここは…

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府立園部高校

そのまま入っていけない所でした、府立園部高校、高校の門なのです。

高校の門がこんな立派って羨ましいですね、、実際にこれは園部城の大手門だったものです。

城門と同じように完全に閉ざされるんだな、と妙に感動しました。普通の学校の門ってスライド式だったりとかするな、と思って。

園部城は今の園部高校の場所に主要部分があったといわれています。また日本の城郭としての最後の建造物であるともいわれており、江戸時代を越えて明治になった1869年に新築完成しています。明治時代になって新たに城がつくられたという事実に驚きました。

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説明板

高校前にある園部城跡の説明板です。

小出氏という外様大名が城主として治めていましたが、幕末まで250年間全く国替えがなかったという安定政権だったんですね…

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園部公園

園部高校を離れて、すぐ傍のこの園部公園へやって来ました。

南丹市役所はじめ色んな施設がこの辺りに集中している格好で、博物館や図書館もあります。

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大きなクチバシ

キツツキかどうかですが、すごくでっかいのがオブジェとしてありました。

と思い調べてみたら、旧・園部町の鳥であるカワセミだそうです。「太陽にほえろ!」の刑事アイドル化のピーク時は神田正輝、渡辺徹、世良公則、三田村邦彦で「カワセミカルテット」って呼ばれていた時代かあった、というのは全くの余談です(笑。しかしこんなイケメンばっかり4人も同じ職場に居ないですよね、さすがはTVドラマ。

この鳥に話戻しますが、結構怖い顔してます…

突き刺さったら痛そう…

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国際交流会館遥か

最初見て、園部城と勘違いした南丹市国際交流会館の建屋です。城と無関係の模擬の建屋です。

園部城は1869年に築城されながら、わずか3年後の1872年には多くの建物を破却されてしまったというある意味悲劇的なお城ですが、こっちが本物かなと思って見ていたので、園部高校側にそのほとんどがあると知り残念な気分でした。殆ど見る事が出来ずで…。

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親柱と共に

この親柱は園部大橋という園部の代表的な橋で使われていたもので、昭和7年から44年まで橋の親柱として勤めていた?!ものが撤去されてこちらへ移されたものだそうです。

この親柱を門に見立てる形で国際交流会館を眺めた様子です。

ホントに城っぽいですよね、、これが何の関係もない建物とは…

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扇形というか三味線の撥形とでもいうか、独特の形をした池が公園内にあります。

真ん中の丸い部分は噴水の口でしょうか。

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南丹市国際交流会館

立派な城を模したこの建屋の中には、イベントホール、展示ホール、会議室や研修室、レストランなどが入っています。

ちなみにこの行った時には締まっていました。そのように見えないかもしれませんが、雨で写真撮るの大変だったのを覚えています。

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ジグザグ城塀

国際交流会館周辺の城塀で、石垣の上に白壁が続いていますが、芸術的なジグザグをつけながら独特の線形を描いていて、見てて面白いものがあります。

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アーチとプール

園部公園の敷地から国際交流会館に架かるこのアーチ。

下にはなんとプールが。

プールの上に架かるアーチな訳です。

で、このプールも先述の国際交流会館のものだそうで、50㍍6コースと本格的なものです。

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城塀プール

石垣と白壁という城の塀が側についたプールなんてかなり珍しいのでは?と思うほど異質感がありますが、こんなプール素晴らしすぎます。

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というわけで、園部城周辺、南丹市おススメのコースの大きなひとつだと思いますが、お伝えしました~

2013年1月14日 (月)

京都/長岡京 勝竜寺城跡とアヒル

京都府長岡京市、JR長岡京駅からの歩き旅です。

長岡京はかつて、平城京と平安京の間の時期に日本の都でしたが、そんな長岡京の市域にも城跡があったのか、と思って訪ねたのが今回の勝竜寺(しょうりゅうじ)城跡です。(2006年11月当時)

見えてきた

長岡京駅の裏手を線路に沿うように歩いていると、目に飛び込んできます。

隅櫓を角において直角に塀が続き、外周を堀が囲っています。

勝竜寺城は1339年細川頼春が、京をうかがう南朝の牽制のために建てたと言われ、前年に室町幕府が開かれたばかりの京都で、しかも京都では山崎城に次ぐ防衛拠点という重要地点であり、激動の町の、激動の時代の産物といえます。

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隅櫓と土手と堀

上の地点から進み、櫓と堀の様子を。堀の部分は傾斜のついた土手で守り、その上に塀などの建造物という構造になっています。

塀の内側は幟が連なっていて、武士の拠点らしさを演出しています。

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正面の掘

上の写真と直角をなす堀周辺の様子です。

架かっている橋を渡って中へ入っていくことになります。

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堀に浮かぶ

ミニ屋形船…というか、小屋船というかですが、

中になんか入っていました。

しかも動いてたし…

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出てきたのは…

浮かぶ小屋に入っていたのはこのアヒルたち。

これは…獲物を仕留めるシーンに遭遇!だったかな、与えられた餌だったか、記憶が定かではありませんが、なんか喰らいついてます。

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入城

フリーで入れます。

建物は模擬櫓であり、遺構としては神足神社境内の土塁や空堀などが該当し、ここに見えているものは当時の様子を伝えるものではないようです。それでも雰囲気出てるから良しとして。

決して天守閣のある派手な城建物ではないですが、前に門があったりしてそれらしい雰囲気は見せています。

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直角

右が入った所で、門まで直角に曲がっている所に城らしさを感じます。敵が直進できないように、というところで。

ところでこの城は、世間的にはそれ程有名ではないかもしれませんが、歴史にはしっかり名を残しています。

1568年、織田信長が上洛の直前に、家臣に命じて三好三人衆の属城であったこの城を攻撃させて、近畿攻略の足掛かりとしています。

また1571年には細川藤孝が堅固に二重堀の城に改修し、その嫡男・細川忠興とガラシャはここで盛大な結婚式を挙げ新婚時代を過ごしたといわれています。

そして1582年、本能寺の変が起きて明智光秀の属城となり、その後の山崎の戦いで光秀はここに一度帰ったものの、ここを出て坂本城へと落ち延びる途中で殺害され、その後はこの時に猛追した豊臣秀吉が入城したといいます。

そんな数々の歴史に名を刻んだこの城ですが、その後荒廃し、江戸初期僅かに修築されたといいますが、程無く1649年には廃城となったといいます。

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天守をもった城跡もあちこちありますが、こういった櫓だけの城跡も数多く、また町の象徴として存在感を放っています。廃城となった城でも、当時は天守閣など建てられておらず模擬の天守が造られた城でも、町のシンボルとして脚光を浴びるのは良い事だと思います。

史実通りに建っているのもいいですが、旅してこういう素晴らしい建物に出くわすと単純に高まるので、ホントいいなと思います。

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現時点では長岡京の旅行記で載せられるのはこれくらいですが、一度長岡天神をちゃんと行っておきたいと思っています。あと長岡京跡なども。

2012年3月20日 (火)

JR亀岡駅(旧) (京都府亀岡市)



京都府亀岡市のJR亀岡(かめおか)です

亀岡市は京都府の中西部に位置し、人口は92,070人(2012.2.1現在)で、京都市・宇治市に次いで京都府第3位の人口規模を誇ります。旧丹波国の中心都市で、かつては「亀山」の名で城下町として栄えました。保津峡の保津川下りなどが有名で、また京都市に隣接する為、数々の時代劇のロケにも使われた市でもあります。

-JR亀岡
【路線】JR山陰本線(京都-幡生間)
【開業】1899年8月15日
【訪問】初訪問-2006年11月
【1日あたり平均乗車人員】 9,356人/日 (2009年)  
【近隣の都市駅】(京都方面)京都駅→9駅   
          (幡生方面)園部駅→5駅 

駅名標

ここを初めて訪ねたのは2006年11月で、当時は橋上駅舎化の工事中でした。その後2007年9月に寄った時のものと写真は2パターンありますが、その後ここには寄っておらず、この先の写真すべて現在のものとはだいぶ違っています。本記事はあくまで当時の姿としてお伝えします。

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ホーム

工事中の雰囲気がそこかしこに感じられる状態でした。

完全に橋上駅舎に変わり切ってから訪ねたことがないのですが、こういう過渡期に訪ねた事こそが貴重と思えます。

ホームは2面4線あります。
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ホーム・2

橋上部分が組まれて、覆い尽くされている状態でした。

柵や囲いがあちこちで見られて工事もかなり進んでいるという状態で、2008年に橋上化がスタートする事となります。

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ホーム・3

ホーム・2の写真から視点を右にずらしたものです。

骨組みが見えている部分もありました。

それにしても、ここを拠点に暮らしている人々からするとわが町の駅が変わりゆく様子にいろんなことを感じるだろうな、と思います。

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駅裏手風景

亀岡駅はホームから見て両側がとても対照的な風景で、橋上化した今は当然両側に出口があるのでしょうが、この訪問当時は片側しか駅舎・出口がなく、駅舎側は都会的な風貌ながら、反対のこちら側はこのような田園風景が広がっていて、何にもないと感じるほどでした。秋口にはコスモスがきれいなコスモス園が広がっています。

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駅表風景

上の写真の反対側。

市の中心たるにふさわしい、裏側とは全く対照的な光景ですね。

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亀岡駅 仮設駅舎

橋上化される前の在りし日の亀岡駅の仮設駅舎です。

旧駅舎はもう少し大きい、屋根の妻が真中に入ったそこそこ堂々としたものでしたが、2006年の時点で取り壊されてしまい、これは仮設駅舎と思われます。

残念ながら旧駅舎にはお目にかかれずでしたが、この仮設駅舎がある過渡期に来れた事が本当に貴重でよかったと思います。仮設駅舎の存在する期間が最も短いし、記録にも残りにくいと思うので…

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新駅舎立地位置

先ほどの仮設駅舎はここから少し右の位置にあり、この工事している部分が新駅舎(現駅舎)の位置です。「平成20年 完成予定」とありますが、予定通り完成し現在に至ります。写真で新駅舎は見ましたが、やはりこの目で一度は確かめておきたいものです。

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▼駅前通り

駅から伸びている通りです。

飲食店がぽつぽつ並んでいますが、建物は途切れ途切れになっていました。

もうすこし都会的な様相であり、この写真ではその当たりが切れてしまっていますが、ここ亀岡では亀山城址や保津川下りなどに行ってるのでそのあたりお伝えできればな、と思います。

取りあえず亀岡駅の記事としてはここまでです。

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2011年12月19日 (月)

JR東舞鶴駅 (京都府舞鶴市)

京都府舞鶴市のJR東舞鶴(ひがし・まいづる)です。

舞鶴市は京都府の北東部・日本海側に位置し、福井県にも接しており人口は87,975人(2011.11.1現在)で、軍港として栄えた東舞鶴と商港として栄えた西舞鶴の両方で栄えています。海軍の拠点として栄えた東舞鶴には引揚記念館がある事でも有名です。

-JR東舞鶴
【路線】JR舞鶴線(綾部-東舞鶴間)
      小浜線(敦賀-東舞鶴間)

【開業】1904年11月3日
【訪問】1999年3月
【1日あたり平均乗車人員】 1,288人/日(2009年)
【近隣の都市駅(綾部方面)西舞鶴駅→隣駅
    
      (敦賀方面)小浜駅→9駅

▼舞鶴市内にはJRと北近畿タンゴ鉄道が通っていますが、西舞鶴と両雄並び立つ?!形で、ツイン中心駅といった状態でしょうか。いずれもそれぞれに発展し、中心的な機能を持っているといえます。所属する小浜線と舞鶴線のいずれにも終着駅となっており、利用者数はJR自体は東舞鶴の方が勝りますが、タンゴ鉄道の駅も持つ西舞鶴が総数では勝る格好となります。

ここへ訪ねたのは1999年3月、12年も前の事で、京都府では京都駅に次ぐ2駅目の訪問でした。今では府内100何駅と訪ねていますが、20世紀中に訪ねたのはほんの数駅(他に松井山手駅など)しかありません。個人的にはそんな貴重な駅です。

ちなみにもう一つの中心駅・西舞鶴を訪ねたのはこの10年後、2009年秋の事になります。ここでは舞鶴城跡などを見ることができ、軍港色の強い東舞鶴とは違う味わいがあります。

昔の訪問であまり撮っていないので、ここでも「1枚の写真」記事にさせて頂きます。カットもむちゃくちゃですみません!今でもこんな駅のようですが、当時から高架駅舎でした。

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2011年9月25日 (日)

JR城陽駅 (京都府城陽市)

京都府城陽市のJR城陽(じょうよう)です

城陽市は京都府の南部に位置し、人口は79,548人(2011.8.1現在)で、京都府では前回記事の福知山市と10人も変わらないほど同数の人口規模ですが、人口密度的には福知山の17倍(2,430人/K㎡)と密集しています。

1972年に市制施行されて来年で市制40周年を迎える比較的新しい市で、電波銀座といわれるほど各地の電波が受信できるそうで、大阪・兵庫・奈良などのテレビ局が受信できるのだとか。

-JR城陽
【路線】JR奈良線(木津-京都間)
【開業】1958年7月11日(訪問は2007年6月)
【1日あたり平均乗車人員】 3,318人/日(2009年)  
【近隣の都市駅】(木津方面)木津駅→7駅 
          (京都方面)宇治駅→3駅 

▼城陽市ではJRと近鉄がそれぞれ3駅あり、当駅は市名を名乗る通り、城陽市の中心駅ですが、利用者数レベルでみると近鉄の寺田駅が最も多くなっています。

ローマ字表記のJoyoのそれぞれ「o」の部分に伸ばしの記号が入っていて、なんとく軽いイメージをもってしまいます。

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▼駅前にはコンビニがあるのが見えていて、バスの待合スペースもありますが、それ以外目だったものがなかった印象があります。市名を名乗る駅の駅前とは思い難い風景を感じました。

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▼駅の中からホームの様子を撮っておらず、外から撮ったカットを。

2面2線だけで階段上がった先が改札の橋上駅舎です。

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▼前述のとおり駅前にバス待合スペースとコンビニがあり、屋根つきの待合所となっています。標識も平面ではなく立体状で市の中心駅のバス停という感じがします。

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▼駅前ロータリーのモニュメントです。

周りに埴輪なんかが置かれています。奈良時代の役所とされる正道官衙(しょうどうかんがい)遺跡が市内では有名な遺跡であり、そのことに因んででしょうか。

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▼して、駅前通りがこんな様子です。

建物こそあるけど、ただ建物と道路があるだけ、という感じで、どこへ行くことなくこの駅前だけ撮って次の所へと行ってしまいました。周りを見回して何かに行き当たりそうな気がしなかったので…。

まぁ、次の機会にたっぷり時間をかけてよい状況であれば、じっくり探訪して何かを見つけ出すのもよいのかもしれませんが…、さていつ行こうか…、というわけで城陽駅周辺はこんな感じでした。

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▼おっと、ここで終わってはいけませんでした。

肝心の駅舎を…!

典型的な橋上駅舎といった雰囲気で、橋の部分から横へ階段が下りているだけの構造です。

ただ階段の屋根部分が平行に2本通っていて、何か三角定規が2本少しスライドしたように見えるのが特徴的で目を惹きました。

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