2023年9月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
無料ブログはココログ

43熊本県

2018年9月 4日 (火)

熊本/玉名 玉名温泉街を往く!

熊本県玉名市、JR新玉名駅から玉名駅への様子です。

(2018年1月当時)

●玉名温泉 つかさの湯

新幹線のみの新玉名駅に着いてから、在来線の玉名駅へ向おうとしましたが、バスで17分くらいかかるという、容易に徒歩でアクセスできず、この道のりの途中で温泉があるというので、新玉名駅からタクシーに乗って、ここ「つかさの湯」へやって来ました。タクシーで5分くらいで着きます。

Img_5113

●つかさの湯 入口

まず、この大きな看板に圧倒されました。

いきなり「西日本最大級の」とあって、少々構えました。

車もハンパない台数停まっていて、これはものすごい混雑の中で温泉に入るのか…と想像し、「のんびりゆったり」という温泉の楽しみ方ができないんじゃないかと。ものすごい人数を入れ込む、アミューズメントタイプの温泉、ってあんまり好きではないのですが活気はあります。

【玉名温泉 つかさの湯】

住所/熊本県玉名市立願寺町656-1

電話番号/0968-72-7777

営業時間/10:00~23:00

休館/なし

入浴料/一般大人700円

入口からしてエスカレータで上っていく方式で、金かかってるな…と感じさせられました。

玄関部分も県知事表彰の「衛生優良施設」という事で、この事がドデカくアピールされていました。何から何まで威圧感が凄かった、これが感想でした。

2005年10月にグランドオープンし、以来13年勢いは衰えることなく突っ走っている、そんな感じでしょうか。

Img_5114
Img_5109
Img_5108

●つかさの湯 内部

内部も実に華やかで派手な感じでした。

のんびりゆったりというより、エンタテイメント重視という感じでした。

この時は1月3日であったので「賀正」の文字が躍っていましたが、飾付けもしっかりとあり、また色んなライブやショーなど外部から色んな人々を呼んでのエンタメも積極的に実施されている感じでした。単に浸かる事以外の色んな楽しみが準備されている、そんな感じでしたね。

Img_5115
Img_5116

●司ロイヤルホテル

つかさの湯のほぼ向かいにあるホテルです。

ここも「司」の名前が入っており、玉名の名手として名高い「司グループ」の系列で、このグループは昭和39年の創業以来、玉名のエンタテイメントを一手に担うくらい、様々な施設を経営するしており、このエリアにはそれらがギッシリ詰まっている印象を強く受けました。

Img_5110_2

●つかさボウル

これまた「つかさ」です。

ホテルのほぼ隣にありました。この一帯だけで温泉、ホテル、ボウリング、実に手広く手掛けていて、「つかさ」で玉名のエンタテイメントがもってる感じでした。一族の掌中、そんな感じでした。

Img_5117_2

●立願寺公園

一連のつかさグループエンタテイメントエリアから出て、玉名駅へのバス停を探そうと幹線道に出てきたところ、この立願寺(りゅうがんじ)公園を見つけました。

詳しく中へ入って見ていませんが、ここには元旅館であったところを利用しての足湯があるといいます。 「玉名温泉」とされる一帯にあり、その中で気軽に寄れる公園施設といった役割を果たしていると思われます。

金栗四三とありますが、これは来年2019年大河ドラマ「いだてん」の主人公の名前で、この玉名出身であり、来年はこの玉名の年ともいえます。

Img_5135_2
Img_5126_2

●玉名温泉 バス停

立願寺公園前に当たる位置にあるこの「玉名温泉」バス停。

新幹線の新玉名駅へは1日3便のみで、在来の玉名駅へは「玉名循環」という路線で1時間に1本程度ありますが、あまりバスが頻繁に来る感じではなく、新玉名から来てここを経て、玉名駅へと向かう道中で、バスの利用はよく考えないとし辛く、タクシーを利用した方が良いように思いました。

Img_5122
Img_5124

●玉名市観光案内

しょうぶまつりやいちご狩りや色々ありますが、筆頭に挙げられているのは、この地にある「玉名温泉」でした。

玉名温泉は1300年の歴史を持ち、旅館ホテルが約20軒存在し、湯めぐりチケットが発行されているとの事で、そう聞くと立派な温泉街があるのかと思いますが、町を歩いた限りでは、そんなに温泉街然とした感じはしなかったですね。

かつて炭鉱で栄えた周辺地域で「三井の奥座敷」と称されましたが、炭鉱の衰退と共に旅館も減少し、かつての半数以下になっているといいます。それでも20軒も残ってるのか、というのが街を歩いていての感想でした。

Img_5128

2018年7月18日 (水)

JR新玉名駅 (熊本県玉名市)

熊本県玉名市のJR新玉名駅(しん・たまな)です。

玉名市ではJR玉名駅をupした事がありますが、前回の新広駅に続いて「新」のつく駅の御紹介です。

-JR新玉名駅
【路線】JR九州新幹線(博多-鹿児島中央間)
【開業】2011年3月12
【訪問】2018年1月
【1日あたり平均乗車人員】 605人/日 (2016年)
【近隣の都市駅(博多方面)久留米駅→3駅
           (鹿児島中央方面)熊本駅→隣駅 
※いずれも新幹線

●駅名標

2012年3月12日、東日本大震災の翌日に開業した九州新幹線の駅のひとつとして開業し、在来線のない「新幹線だけの」駅です。

隣駅の片側である「新大牟田」駅も新幹線のみの駅で、もう一方は県都・熊本駅で、「熊本駅まで1駅」は県内においてはウリだと思います。

しかし、九州新幹線は新幹線のみの駅も結構あり、実際ちょっと不便に感じる部分もあります。ここからでも玉名駅へ行くバスが頻繁にあるかというとそうでもなく、ここから直接行った訳ではありませんが、少々苦労しました。

という訳で、在来線で市の中心にあるJR玉名駅とは4km程も距離があり、接続性はありません。全くの別ものとなります。

Img_5083

●時刻表

上の写真の駅名標とは別位置にあるもので、ここには時刻表が載っていました。

こちらは博多方面のものですが、朝こそ1時間に3本の時間帯があるものの、以後は1時間に1、2本程度で、1時間に1本の時間帯も長く続いていたりとか、少し時刻表を気にしないといけないかな、というレベルの本数でした。

1日あたりの乗車数が600人程度という事で、少々厳しいかなというところで、この程度の本数も無理からぬことかもしれません。

Img_5087

●ホーム

2面2線でスタンダードな新幹線ホームという感じでした。

天井にものすごく凝った装飾があるとか、そんなものもこれといって見受けられず、普通に新しい駅のホームというのが感想でした。

Img_5086

●いだてん

来年のNHK大河ドラマだそうで(知りませんでした)、ホームを降りたところのスペースに大々的に掛けられていました。

「日本マラソン界の父」と称される金栗四三(かなくり・しそう:1891-1983)は、ここ玉名の出身だそうで、彼を主人公とする大河ドラマが来年放送されるといいます。明治期以降のいわゆる現代ものとなると大河では1986年三田佳子さん主演の「いのち」以来33年ぶりですね、現代ものの大河嫌いではなかったので個人的には楽しみです。

この時の旅では、最初は今年の大河ドラマである「西郷どん」ゆかりの湯を訪ねたり、偶々寄ったここでは来年の大河の主役の生誕地にぶち当たったりして、妙に大河づいた旅となりました。

Img_5088

●おかえりなさい

流石は熊本県の駅、という感じでお決まりのようにくまモンが居りました。

駅構内のスペースです。観光ほっとプラザ「たまララ」とありました。

Img_5104

●Tampopo

という訳で、上の写真の右側に写っていたこのお店で昼ご飯かねがね頂きました。

南関温麺(なんかん・うーめん)というものを。温かいそうめんにネギとかあげとかの入った汁状の?もので、にゅーめんの延長上的なものですね。

新幹線駅構内にある飲食店では結構異色と思いますが、ここは薬膳料理的なものをコンセプトとしたメニュー構成になっていて、 「薬草ダイニング」と冠されていました。といってもそんな草っぽいものではなく、あくまで親しみやすいメニューだったと感じます。

Img_5106

●駅前ロータリー周辺

九州新幹線で新規開業した駅の中には、このように駅前にもかかわらず何もない風景が広がっていたりとか、結構あります。

もちろん、街なかに新しい駅をぶっ立てるなど容易な事ではないので、こういう所に建てられるのはよく分かりますが、何もなさすぎて駅から徒歩移動する興味が萎える所が個人的には辛いところです。それに玉名駅とも距離がありますしねここの場合は。

Img_5095

●新玉名駅 駅舎

2012年にできた新駅なのにこの古めかしい雰囲気は…??と二次元でこのように見ると余計に感じてしまいます。

駅名のある辺りなど「色褪せてるんじゃないか?」というぐらいのものでした。

これには意図があって「森の駅」にしてほしい、という願いが込められており、歴史を大切するとの想いから、あえて近代的な駅舎とする事を避ける道を選んだそうです。

しかし新幹線駅である事からやはり規模は大きいですね。1日600人ほどしか乗客利用がなくても、この規模はすごいですね、採算合っていないというか。

もうす少し玉名駅とのアクセスが良ければな、と実際に行った時に感じました。

単に熊本駅へ行くのに1駅ですぐ着くというのはメリットではありますが。

今のダイヤがこのままなのか、もう少し増えると便利になって利用者が増すのか…、、周りの開発がなされないとなかなかその辺りは厳しい部分があるのでしょうね。

しかし九州新幹線単独の貴重な駅、寄って見られる価値は十分にあると思います。

Img_5090
Img_5099
Img_5094
Img_5100

2017年10月14日 (土)

熊本/宇城 たくさんの「在りし日の姿」

熊本県宇城市、JR三角駅からの様子です。

(2012年5月当時)

●待合所

三角(みすみ)駅を出てすぐの所、まっすぐに港に向かっての目線です、といってもこれは5年前当時の姿です。

現在は港のリニューアル工事が行われたそうで、この右側の待合所(三角港の管理事務所)は移転したそうで、今から3年前の(この写真の2年半後の)2014年10月から、左に隠れている「海のピラミッド」の構内に移っています。

この辺なら5年経っても変わってないかな?と思いつつ念のため調べてみたら、結構変わっていてビックリしました。今回記事は「在りし日の姿」となる部分が少なからずになると思います。

Img_7925

●駅前右側

駅を出て、駅前広場で右側を向いた様子です。

U字路的な形になっていて、真正面にレストランがありますが、この「ナポリ」という店名を検索してもまともに出てこないところを見ると閉店してかなり時期が経っているのかもしれません。入口横のメニューが置かれるディスプレイであっただろうスペースには枠だけで何もない状態でした。

Img_7928

●海のピラミッド

駅記事にも出てきましたが、三角駅前の、三角東港の所要的な存在である、この高さ25mにもなる「海のピラミッド」。冒頭の港の管理事務所は現在はここへ移転しています。

これもまた在りし日の姿となります。

といっても、この建物が無くなった訳ではありません、今も健在で、現在は駅前広場を出た辺りから、この建物の入口まで周囲をぐるっと囲む形で庇つきの通路ができています。雨に濡れずに行けるという訳ですね。

この5年の間に発展する方向で変わるとは正直思っていませんでした。調べたところちょうどこのまっすぐの横断歩道の終点あたりから、向こうの建物の入口までをぐるっと囲む形で屋根ができてました。また実際に見に行って確かめてみたいものです。

三角(ミスミ)だけあって、どこまでも「サンカク」だな、と思わせられる建物です。

Img_7933

Img_7935
Img_7940
Img_7941

●旅客船のりば

この三角東港から出ている定期船は2つで、写真にある通りですが、これは現在も変わりないようです。

ひとつは竜ヶ岳・御所浦・倉岳行きの「スーパーイーグル号」が1日2便、もうひとつは本渡などへ行く「天草宝島ライン」1日2便(途中までは3便)です。

いずれも天草諸島の各地で、本渡は天草の中心地で現在は天草市となっていますが、平成の大合併前は本渡市という自治体名でした。基本的に天草との懸け橋になっているのがこの地の役割のひとつというものでしょうか。

Img_7944
Img_7945
Img_7946
Img_7947

●港

船ののりばから左を向いて、海の姿込みでのカットです。

ここは三角東港ですが、三角西港の方は世界遺産のひとつに認定されるほどの素晴らしいものとなっています。

Img_7948

●街へ出る

港を見た後は、三角駅前の街へ。

昭和の時が停まったようなコンクリートゴツゴツの建物の続く商店街でした。

ちなみにここ三角は宇城市の中心ではなく、中心駅はここから電車で1時間近くもかかる松橋(まつばせ)という駅になります。市内なのに中心地行くのに電車で1時間近くかかるというのもすごいですね。

三角(三角線)と松橋(鹿児島本線)は路線自体が違うのですが、乗換待ちで時間かかる部分はあるものの、それでも実質2路線で40分くらいは移動時間そのものであり、距離にしても30kmはあるという事です。そんなに広いんですか宇城市。

Img_7952
Img_7953

●コンビニ

コンビニがありました。

ってそりゃあるわな、と思われるかもしれませんが、駅前でもコンビニを探す事もままならない街もある訳で、ここにあるかな?と思いましたが、ありました。三角駅から1分です。

every oneというコンビニですが、実はこれも今はありません。熊本・鹿児島を中心に九州に展開していたコンビニチェーンですが、去年末までにほぼファミリーマートなどに転換されたそうです。この店も今はファミマだそうです。

Img_7955

●オレンジの歩道橋

草むらの上に取って付けられたような形で建っている鮮やかすぎるオレンジ色の歩道橋は、駅外の横断通路です。屋根も何もないただ単なる歩道橋です。しかしこれでもか!ってぐらい色鮮やかすぎますね!

Img_7957

●産交バスのりば

三角駅前にある「産交バス」ののりばとして設けられている、同バスの三角営業所にあたります。ここから天草諸島などへ繋がっていきます。

産交といえば九州産交ですが、ここの野球部から野田浩司投手等が輩出されてるんですよね。

Img_7967

●三角駅通りバス停

駅前のオレンジ歩道橋のある辺りに設置されているのがこの「三角駅通り」バス停です。

でもなんか草むらの上にポツンと立ってる感じでなんとも駅前感の乏しい、そんな感じでした。これだけ見ると。

便数は思ったより多いかな、というところでした。この辺は船と同様大体が天草の方へ行くものみたいですね。天草諸島との境目みたいなところですから。

Img_7958
Img_7959
Img_7960

●三角港入口

三角から天草諸島へ出ようとして、三角港「入口」バス停へ。駅の踏切を越えて、ちょうど駅の裏側に回り込むような位置になります。

天草諸島といっても「天草五橋」という5つの橋で各島と繋がった陸続きとなっているもので、ここは一号橋に差し掛からんとするところです。

Img_7975

●橋への道

天草五橋の一号橋へ差し掛かる所で、右への分かれ目が橋で、三角から天草へ入って行きます。この橋の真ん中が宇城市と上天草市の境目となります。

Img_7976

●近代遺産?

橋を渡らんとするその地点から、下を見下ろした様子です。

最初の写真はレストランと表示のある建物で細い柱の上に建っていました。その隣はコンクリート屋根がむき出しの感じで、廃墟感が凄かったです。その向こうには「ポートピア熊本みすみ」建設予定地とありました。しかし今これで検索しても明確に存在を確認できず、建設が進んでいるのかよく分かりませんでした。

2枚目の写真は同じく見下ろした所で、1枚目の写真の近くにある大きなホテルです。3枚目は大きいですが、近くから撮ったのではなく望遠で撮ったものです。

廃墟となって久しいようで字が見えづらいですが、 「天草パールラインホテル」です。1963年ごろに開業し、1980年頃には廃業したようで、結構短命に終わってしまったのですね。廃業してしまってから廃墟として残っている期間の方が断然長くなってしまっていました。しかしそれも「在りし日の姿」となり、この写真の2年後2014年には解体されたようです。創業17年廃墟34年遂にその姿を消す時が来てしまい…、撮っておいて良かったと思うのでした。

Img_7978
Img_7979
Img_7983

●天門橋

天草五橋の一号橋である「天門橋」です。

全長は502mあり、昭和41年に完成して約50年になり、現在は新・天門橋なる橋もあるそうです。建設当時は連続トラス橋としては世界最長であったといいます。トラスというのは三角形を基本単位にした形の集合体を意味します。骨組み?三角ですね。

そういう栄光への架け橋、というより栄光の架け橋だったのですね。

Img_7986
Img_7989

●橋から見下ろす

最後はこの写真です。

天門橋から見下ろした様子です。

真ん中にある小島がかわいらしいですね。ちょっと足を踏み入れてみたくなります。岩場でいきなり山地という地形で踏み入れられなさそうですが。

ここが宇城市と上天草市の境目です。

この記事は宇城市の旅なのですが、今度は宇城市の中心部の街の姿も見てみたいと思います。

Img_7988
Img_7993

2017年7月 8日 (土)

熊本/荒尾 世界遺産登録記念!万田坑を往く

熊本県荒尾市、JR荒尾駅からの旅です。

(2016年11月当時)

●バスのりば

荒尾駅前のバスのりばです。

今回旅記事で、いつもの「歩き旅です」としなかったのは、歩きではなくバスを使ったからです

元々この荒尾を初めて訪ねたのは1997年4月の事で、自分にとっては熊本県最初の訪問地でもありました。当時はこの駅から歩きで少し山の方へ行って桜を見たりしていたのですが、それ以外にこれという旅をしておらず、記録もあまり残っていなかったので、いつかちゃんと再訪しようと思っていました。荒尾駅は駅記事での写真とほぼ同じ、市の中心とは思えないほどの小規模駅舎で、そこは今も変わらずでした。

そうして、いつか再訪したいと漠然とした思いの中、ふと目にしたJRのキャンペーンポスターに「万田坑(荒尾市)」と載っていて、「これは行くしか!」と思いました、しかも世界遺産登録されたのもありまして。そんな事で昨夏辺りから訪問時期を探りつつ、11月になってようやく行けたという次第で、今から半年ほど前の姿です。(おそらく今とほぼ変わりないと思います)

まぁそんなこんなで、バスで万田坑へ向かう事としました。ダイヤ的には1時間または2時間に1本というところです。平日はコンスタントに1時間に1本ですが、土日祝は午後に少しずつ空きがあって2時間に1本となる部分もあります。バスでは8分程度、歩いても行けなくもないですが、少し頑張る必要があります、実際帰りは歩いて帰ってきましたが、ちょっと頑張る事となりました

表:土日祝日ダイヤ(荒尾駅~万田坑)
所要時間約8分

荒尾駅前万田坑前
9時05分 9時13分
10時05分 10時13分
11時05分 11時13分
12時05分 12時13分
14時05分 14時13分 
16時05分 16時13分
17時05分 17時13分

Dscn1812

●万田坑バス停

荒尾駅からバスに乗る事8分で万田坑に着きました。

バスは1時間に1本という事で、逃したら少し退屈してしまうところでした。タクシーも停まっていなくて、バスで行くしか…という感じで待っておりました。

帰りのバスは見ていたのですが、少しタイミング悪く、待ち時間が長くなる事となったので、待ちきれずに歩いて帰ったら結構しんどかったです。

Dscn1827

●顔抜き看板

ようこそ万田坑へ!的な看板です。日付もちゃんとありました。

黒バックというのがいかにも炭鉱ですね。昭和を知る方には有名な「三池炭鉱」、その中心的存在がこの万田坑であった訳です。20世紀初頭がピークで、その後はエネルギー資源転換により、石油に次第にその座を奪われ、1951年に採炭を停止し、1997年には閉山という歴史を辿っています。

Dscn1825

●万田坑ステーション

また駅に来たみたいな感じになっていますが、向こうの建物は「万田坑ステーション」という万田坑の導入部を担う建物で、入場券の販売や万田坑DVDの映写室などを有しています。

ただ、この中に入って万田坑を見学するのではなく、ここで手続きしてDVDを見てからは、一旦この建物を出て、写真右向こうへ歩いて行く形で、万田坑の見学へと繋がる形です。

手前のオレンジの重機がすごく目を惹きました。炭鉱とは対極にある鮮やかすぎる色で。

Dscn1928

●万田坑の案内

上の写真の入口部分、低い柵を越えてすぐの所にある説明板です。

世界遺産ではありますが、これに先んじて1998年には国指定の重要文化財になっていますが、息を飲むような近代文化遺産が一帯にたくさん詰まっています。

Dscn1834

●万田坑自販機

万田坑を構成する建物群の色で統一された、万田坑自販機です。

真ん中は空き缶入れですが、両サイドの自販機含め、万田坑の建屋群の勇姿が刻まれている、そんな感じです。

いちいち「万田坑」って書いてあるところが地味な機体に似合わず、精一杯アピールしている感がありました。

Dscn1838

●入坑券販売所

同じく万田坑ステーション入口にある入坑券販売所です。

上の段の青い部分が大人料金の券で410円です。あとは高校生が300円、小中学生が200円となっています。

「入坑券は跡地にてスタッフが確認いたします」なる記載がありました。ここから入る訳ではなく、この建物を出てから跡地へ入り直す方式になっています。そこで券のチェックをするという訳ですね。

ちなみに跡地へ行くとトイレがないので、トイレはこのステーションの方でお済ませ下さい、の旨の記載がありました。

Dscn1839

●入坑券

世界文化遺産、と冠されています。

荒尾にこんな施設があるとは、初めて訪ねた20年前には全く知りませんでした。

Dscn1924

●跡地への道

ステーションで券を買って、施設の中へ入ってみました。

すると、そこは万田坑の事を伝えるDVDが映されていて、観賞用の椅子が並べられていました。またその鑑賞スペースだけでなく、万田坑の模型や展示パネルなどで部屋内は埋めつくれさていました。

そしてそのDVDを一通り見てから、万田坑ステーションを出て、この道を道なりに曲がっていきつつ、向こうのテント辺りで左に入って、万田坑の跡地に入って行った訳です。

Dscn1840

●万田坑跡地 入口

ステーションを出て3分くらい歩くと、この跡地に辿り着きます。

特に派手なゲートとか歓迎看板とかある訳ではありません。ただ、この入口の所ではステーションで購入した入坑券を見せる事となり、ここで券がなければステーションへ行って購入する事になります。

また、ボランティアさんがかなり待機していて、いつでも声をかけて下さい的な態勢で待っておられました。ガイドをお願いしたい時は助かると思います。大体何人かまとまった団体さんであったり、その場に居合わせた数人組を纏めてガイドしたり色々ですが、かつての遺構が何のために存在し、どんな機能・役割を果たしていたのか?を知る事ができるので本当に助かります。この時、つまみ聞きではないですが、たまたま居合わせて色々お梨を聞かせて頂きました。

Dscn1853

●案内図

跡地構内にある万田坑案内図です。

国重要文化財であり、国指定史跡であり、そして世界遺産なのですね。記事タイトルには「世界遺産・万田坑」などと書きましたが、入坑券にも記されていますが正確には

「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」

という長ったらしい括りの世界遺産の中のひとつに「三池炭鉱・三池港」があり、この万田坑はその三池炭鉱に包括されている炭鉱、という位置づけです。なので「姫路城」のような単体のものとはかなり世界遺産のイメージが違います。、

Dscn1854

●レール跡

万田坑にはいたる所にこういったレールが残っています。

その上に乗って動いていたと思われるトロッコなども。

拙ブログの「兵庫/養父② 遥かなる明延鉱山…」には復元レールが見えますが、同じ鉱山産業(つまりは鉱業)遺産の素晴らしさをつくづく感じるというものです。

復元も良いのですが、原形をとどめるという事もまた素晴らしからずやですね!維持努力という要素もある訳で。

Dscn1856

●山ノ神祭祀施設

万田坑で働く人々の安全祈願のために1916年に分祀されたもの、という事でこの訪問した2016年にその100周年をめでたく迎えた訳ですね!

炭鉱マンは入坑前に自らの安全を願って、この山ノ神の方に向かって拝礼をしていたといいます。

炭鉱の仕事というのは危険と隣り合わせというイメージが個人的に強くて、実際自分の幼少期はバリバリの昭和時代で、炭鉱事故のニュースというのは幼いながらも何度か聞いた事があり、被害も甚大になるので本当に怖いなと思っていたものでした。坑内崩落、ガス充満、海水流入…いろんな危険と常に背中合わせだった訳ですから。

Dscn1864
Dscn1861

●倉庫およびポンプ室

20世紀初頭に建てられたもののようです。

元々は構内の換気を行う部屋であったようで、蒸気を動力とする扇風機が備えられていたとありました。その後は予備の消火器などを置く倉庫として使われたり、坑内から汲み上げられた水を送水するポンプ室として利用されたりしていました。国重要文化財だそうです。

Dscn1871

●ミックス建屋

ここまで見てきてレンガの建屋が多い印象の強い万田坑ですが、この建屋はレンガをメインとしながらも?右かコンクリートがついていたり、手前は取って付けたように木の建物があったり、これはどういう状態なのか??という感じでした。

Dscn1869

●レンガの中…

レンガ建屋の内部ですが、経年具合が一層このスペースを渋いエリアに仕立てているなという感じで、今なかなかこんな通路に出会う事はないですね。左手前のプラ板みたいなのに白文字で書かれたものも懐かしさ満点です!

Dscn1876

●安全燈室および浴室

「〇〇および△△」が多いですが…、ここもまた扇風機を動かす機械室であったといわれ、1951年の万田坑閉坑に伴って、このタイトルの部屋になったそうです。

ヘルメットに付けるランプの充電器もあったといいます。

浴室についての記載は特にないですが、閉山後浴室ができたとはこれいかに??というところですが。

Dscn1877

●第二竪坑櫓

「だいにたてこうやぐら」と読みますが、高く建っているこの櫓の事です。荒尾駅前にも模擬のこの建物が建っていて、万田坑の象徴的な建物といえます。

1905(明治38)年に建てられて、既に100年以上経っています。高さは18.9mあり、人員の昇降などを主目的につくられたもので、ちなみに第一の櫓は石炭を送り出すためのものであったといいます。

この櫓の足下にある建物は手前には給湯タンクや重油タンクなどがあります。で、向こう側のトンネル状になっている部分は見学できるようになっていて、そこではガイドさんが色々と教えてくれました。

Dscn1879
Dscn1902

●トンネル部分

その見学スペースのカットをお送りします。

トンネル入口部分には、トロッコが空のまま、外で取り残されてる感じでした。

中に入ると地下との昇降設備があり、その昇降用のエレベーターの中身が残っていました。この地下に行く時の緊張感たるやいかなるものだったのでしょうか。それとも慣れてくるとルーチンワークのような気持にもなったりする人も居たのでしょうか。今は埋められていますが、地下264mに達する深さまでエレベーターで降りていたといいます。

信号を送る設備?などもあり、何の合図は何回とか、規定として記されていました。

Dscn1889
Dscn1890
Dscn1897
Dscn1894
Dscn1893

●第二竪坑 巻揚機室

先程の昇降機の巻揚機のある所で、室内を見学できます。

入口のところでヘルメットを渡されて、ヘルメット着用でガイドさんの説明を聞いていました。ボロボロになった設備もそのまま残っていて迫力を感じました。

後で知りましたが、ガイドさんの中には実際この万田坑で働いていた人も在籍しているといいます。この時教えて下ったガイドさんもかなりご年配の方ででしたが、あるいはOBだったのかもしれません。

Dscn1906
Dscn1907
Dscn1910

●その他

最後ですが、坑内は建物やレールで埋まった場所ばかりでなく、下の最初の写真のようなスペースもありました。柵が中途半端な状態になっていますが、これもまた当時の様子からそのままにしている感じで、その下のレンガの残骸と思われる写真同様、変に小奇麗に復元しないところが返って惹きつけられました。

看板は外にあったものですが、ここでは世界遺産の旨が堂々と謳われていました。入坑券と同じ写真が使われ、バックデザインも似ていてチケットがそのまま看板になったような感じでした。

というわけで、世界遺産と知り訪ねた万田坑でした

Dscn1914
Dscn1921
Dscn1931

2016年12月14日 (水)

熊本/合志 御代志駅から1本の道

熊本県合志市、熊本電鉄/御代志駅からの歩き旅です。

(2012年5月当時)

●西合志郵便局

現行の自治体名は合志市ですが、平成の大合併以前は「西合志町」であったので、この名前がそのまま今に至っています。

御代志駅からはわずか50m程度という近さで合志市の本局で、建物の規模は大きいです。よく駅前だと〇〇駅前郵便局という形で小さめの局があったりしますが、ここの場合は大きな局が駅近くにあります。

Img_8386

●ビーバー

という名のホームセンターがありました。

西合志郵便局から少し御代志駅を離れた所で、ほぼ向かいに位置しています。

調べた限りではチェーン店ではないっぽく、ここだけのようです。

手づくり風のキャラにこじんまりとした建物が、ローカル感満載でした。

Img_8387

●貯水タンク

これまた旧自治体であった「西合志町」の名が残っていました。

2006年2月までは西合志町として存在し、当時の人口は約3万人でしたが、当時2.2万人ほどであった合志町と合併して合志市になっています。ひまわりが描かれていますが、当時の町の花がひまわりでした。現・合志市の市の花はカスミソウだそうです。

Img_8388

●バス停

御代志水源地というバス停名ですが、上の写真の貯水タンクの真ん前にあります。

ここで降りる人って、郵便局行く人とホームセンター行く人と、他に居るのかな??という感じでしたが。

ちなみにレターバスというコミュニティバスのバス停です。バスの車体が封筒になっていました。バス車体にメッセージが書き込まれていて、沿線住民やバス利用者、運転手等に対するメッセージ(手紙)とされ、これをコンセプトにしているが為に「レターバス」と命名されたようです。

右回りと左回りの2コースあり、どちらも停車します。左回りが1日4便、右回りが5便です。利用する場合は時刻確認必須ですね。便数は少ないですが、1便が1時間半以上動いている状態で、停留所数は実に63もあり、何気に結構動いているバスなのですね。

Img_8389
Img_8390

●合志市役所西合志庁舎

御代志駅から約500mの地点にあります。濃い褐色の建物がインパクトありましたが、角ばった形を主体としながら、真ん中のジョイント部分には曲線を入れたり、凝った形になっていると思います。

右下には「西合志町の碑」とあり、旧・西合志町役場でもあった訳ですね。

Img_8395

●さらに合志市役所西合志庁舎

上のカットのアップ版と左側の角ばった部分のクローズアップのカットです。

継ぎ目の丸い部分にやはり目が行きます。

Img_8397
Img_8400

●御代志市民センター

市役所西合志庁舎の辺りは、各種公共施設が集中していて、この市民ホールも近くにあります。視聴覚室や工作室、音楽室や多目的室等様々な用途に対応可能な各部屋があり、また講堂として504席の収容が可能なスペースもあります。

建物のフォルムがなんとも素晴らしいです。柱と柱の間が長い楕円のような形で、屋根の先が鋭角になっていて、カッコいいなと。

Img_8406
Img_8401
Img_8403

●合志市西合志図書館

これもまた市役所や市民センターのエリアにある施設で、1995年11月にオープンした割と新しい図書館です。

蔵書約20万冊で、熊本県内でもトップクラスの貸出率を誇る図書館だそうですが、何よりユニークなのが「天文台がある図書館」という点です。この時は、その事に全く気が付かずに、ただの前面コンクリート色の渋い建物、ぐらいにしか思っていませんでしたが。

Img_8404

●市民センター裏

5月の訪問だったのですが、いかにもそれらしく鯉のぼりがあがっていました。

Img_8411

●マンホール

旧・西合志町時代のものです。

貯水タンクのカットにもありましたが、町の花であるひまわりが載っていました。

Img_8412

●ポツンと

御代志駅から市役所等のエリアまで離れていきましたが、ここからは引き返しの道中です。何もない中にポツンとコンクリート色丸出しの整形外科にでくわしました。

草むらにコンクリートぶっ立ててみました感がすごい風景だな、と。

Img_8416

御代志駅から500mそこそこの1本の道の延長上で、これだけ見れるという事です。もうすこし合志の歴史に触れるようなものも見たかったですが、この時用事もあって長時間居れなかったし、これ以上歩いても特にめぼしいものは…という感じでもあったので、駅前歩きならこれくらいで良かったのかもしれません。

2016年4月16日 (土)

熊本/宇土② あの宇土市役所が…

熊本県宇土市、熊本/宇土 渋い石橋、船場橋!に続く宇土市の旅記事です。

宇土市の旅記事第2弾をいつ載せるか、全くの未定でしたが、この度の熊本地震にて宇土市役所が半壊した姿を見て、数年前の姿を載せて、復興祈念をしたい思いに駆られたというところです。

(2013年3月当時)

●フレッシュくまい

というスーパーがありました。

「うまいものをどんどん安く売る」というフレーズが出ています。

これって「、」の打ち所次第で全然意味が変わってくるなと思って見ていました。

①「うまいものを、どんどん安く売る」

②「うまいものをどんどん、安く売る」

①だと、どんどん安く売る(値段が下がる)というイメージを抱き、②だと、多量に売るというイメージを抱くのではないかと。どちらにしても「うまいもの」という前提なのだな、と変な納得をしましたが(笑) 今回の震災でこの辺りは大丈夫だったのでしょうか?

ちなみに本記事は、前回の宇土市の旅記事と同じ日のものですが、必ずしも前回の続きものではありません。

Dsc09050

●この建物は…

昔は商店として看板が出ていたのではないか、という雰囲気のこの建物は大丈夫だったのでしょうか?撮った写真の色々な建物の今回の状況が気になってしまいます。

当初熊本市や益城町あたりの限定的な被害かと思っていましたが、やはり情報が入ってくるにつれ、被害は思ったより大きかったり、また最初の分が前震で本日未明のものが本震ではないか、という情報があったり、こんな所にまで影響しているのか!というのを改めて知らされました。

Dsc09051

●デイリーヤマザキ

のお店ですが、2F部分がちょっと洋風のオシャレな建物であったため、大変印象深いものがありました。何の建物がこのコンビニに利用されたのか、と気になったものでした。

Dsc09052

●びっくりネコ

目をパッと見開いた、この八割れ頭の猫がいたのも宇土での印象深い想い出のひとつでした。首元に鈴が覗いて見えて、飼い猫だったのでしょうか。橋の下まで行かせてしまってごめんなさい。こういう時はスルーすべきだったかなと反省。

Dsc09053
Dsc09054

●くまモンビル

あまりにも何気にビル2F前面にくまモンが出てきていました。

ともすれば見逃してしまいそうですが、面白すぎます。こんな所にこんなにもさりげなさすぎて。

Dsc09059

●宇土市役所…

今回記事の本題ともいうべきカットですが、この宇土市役所が今回の震災で、半壊になり、見るも無残な姿になってしまっていました…。今後この建屋での執務継続は難しいようで、昭和40年建築の築50年を越える建物であったという事で…

白を基調としながらも、平面のスマートな建物ではなく、窓の部分が窪んだ、全体的期にボコボコした感じがとても印象的な建物でしたが、新しい建屋に生まれ変わる方が濃厚でしょうか?

この建屋が現役で活躍していた事の証を、ここに載せる事で建てたいと思います。と同時に家屋の被害や内部の被害などに遭われた皆様の、今後の少しでも早い元の暮らしに戻れるよう祈念したいと思います。

Dsc09067
Dsc09068
Dsc09083

2016年3月 8日 (火)

JR肥後大津駅 (熊本県菊池郡大津町)

熊本県菊池郡大津町のJR肥後大津(ひご・おおづ)です

大津町は、熊本県北部の真ん中に位置し、人口は33,704人(2016.2.1現在)で、本田技研熊本の工場がある企業城下町として今も人口増加を続け、また熊本空港の敷地の一部はこの町内にあります。

-JR肥後大津駅-
【路線】
JR豊肥本線(熊本-大分間)
【開業】1914年6月12日
【訪問】2012年5
【1日あたり平均乗車人員】 3,862人/日 (2010年) 
【近隣の主要駅 (熊本方面)水前寺駅→7駅 
           (大分方面)阿蘇
→6駅

●駅名標

何回か前の記事で滋賀県のJR「大津」駅をお送りしましたが、今回は「肥後」を冠する駅で、また大津もここでは「おお」と濁ります。

隣の「せた」は瀬田と表記する駅で、これまた大津市にある瀬田駅と同じ表記となっています。

Img_9003

●日の丸駅名標

「日吉神社のある駅」という事で、向こうに見える日の丸の変わった駅名標がありました。大変ユニークです。正直な話、撮った時にはこの存在に気づきませんでした。

そういえぱ最近upした塩山駅(山梨県甲州市)も、日本最古の日の丸のある街、という事で、そんなところにもつながりが!と感じました。

Img_9001

●時刻表

この駅は豊肥本線という、熊本と大分をつなぐ横断路線になるわけですが、東の熊本方面と西の阿蘇(大分)方面とで全然本数が違っています。

この時は、ここ大津の地で宿泊し、熊本へ向かうところだったので問題なかったのですが、逆となると、よくよく時刻表を見ないと!という事になります。

Img_9002

●名所案内

先程の日の丸駅名標ででてきた「日吉神社」はつつじの名所だそうで、その他いろいろとつつじの名所があるようですが、それしかないのか?という感もありました。

その前に字の部分がそこかしこ欠落してしまっていて、どうにもならない感じでした…

隣の看板は、熊本空港の最寄りである旨を書いてありますが、なんとも地味で無駄な使い方をしてしまってる、としか思えず、勿体なさを感じました。もっと売り込めばいいのに…というところで。

Img_9004

●両サイドに電車

この島式ホームと右側に片側だけの計2面3線あります。

両サイドに電車が停まっている姿はやはりインパクトがありますね。

Img_9010

●出口へ

島式ホームは先がスロープ状の1本道になっていて、突き当りで北口と南口の各出口に分岐していました。

ここから出口やホームへの連絡は構内踏切となります。

左側へ曲がった南口は2011年10月供用開始という事で、この写真の半年前ということになります。この当時はまだまだピッカピカだった訳ですね。

北口へ出れば町役場などがあり、南口はイオンやホテルルートイン(ここに泊まりました…
)などがあります。

Img_9007
Img_9008

●肥後大津駅 駅舎(南口)

2011年に供用開始となった大津町ビジターセンターと前面に表記されている南口駅舎です。

ちょっとくつろげる観光案内所のようなものでしょうか?待合所と観光案内所がある、という事でした。

駐車場のスペースもあります。

Img_8972

●南口駅前通り

南口の駅前のようすです。

右手には肥後銀行が見えており、左手は手前の建物のすぐ向こうにイオンがあります。

右側肥後銀行の向こうを右折すると程なく、ホテルルートインがあります。

この時、山鹿市から熊本市へ戻るところだったと記憶していますが、ここで降りてホテルを取りました。熊本市のホテルが空いてなかったのかどうか忘れましたが…

Img_8976

●横断幕

線路沿いのフェンスに「JR大津駅に自由通路を作ることを望みます」とありました。やはり「大津駅」というのですね、地元では。滋賀県のと混同しないように「肥後」を冠しているだけで。

2011年に駅に両出口ができたものの、改札を越えなければ向こう側へ行く事ができない状態で、切符もなく反対側へは行ける状況にありません。線路を跨ぐ歩道橋がほしいところでしょうが、実現するのかどうか??

Img_8977

●肥後大津駅 駅舎(北口)

こちら側は純然たる鉄道駅の駅舎という雰囲気でした。

元々あった方の駅舎になりますが、全体的に色のトーンが渋めですね。妙に荒涼感が出ています。

Img_8989

●北口駅前

元々あった側ですが、駅前というより市街地感の強い街並みでした。

元々はこういう駅前で、南口ができてから、再開発で色々できた格好でしょうか。

Img_8987

2014年5月19日 (月)

熊本/宇土 渋い石橋、船場橋!

熊本県宇土市、JR宇土駅からの歩き旅です。

(2013年3月当時)

Dsc08995●宇土市観光案内

まずは宇土駅の観光案内図です。

この駅前は割に内陸部ではありますが、西の方は海沿いの部分が多く、宇城市三角(みすみ)へ向かうJRの三角線は海に沿って通っている部分が結構多くて、沿線を電車乗るだけでもよい観光になるかな、と思います。

小西行長が築城したという宇土城(小西城)跡があります。

Dsc09000 ●駅前通り

宇土駅からまっすぐ伸びている通りです。

最も手前にCocoストアがありますが、これより向こうは中途半端な高さの建物が並び、金融機関が見える訳でもなく、市の中心地の駅前という感じではありませんでした。

この通り自体が100mほど続いて、その後も行き止まらず道としては続いては行きますが、道幅が狭くなっていたりして、直進しても駅前感はあまりない、というところです。

Dsc09004●大坪橋

駅から直進して100m程歩いた所で、直進すると細道に入りますが、これを左折して幹線道へ、そこからまた100m程歩いた所にこの大坪橋が架かっています。

獅子舞の獅子みたいな豪快なのが描かれていて、橋の名の下には当時の市長の名も。西田誠市長というのは1990年から1998年まで2期8年務められており、このデザインも1990年代になされたものなのでしょう。

Dsc09006 ●川

その大坪橋から眺めた川の様子です。

コンクリートで両サイド覆われている格好なので風景としては少々味気なかった印象でしたが、川の流れはやはり見ていて心和むものがあります。

Dsc09009

●行長しゃん号

という地元のコミュニティバスが走っているのですが、そのバスの「駅前団地」バス停です。

宇土城が小西行長築城の小西城といわれていますが、秀吉の九州討伐で武功を挙げた事で、この地域を与えられたといいます。キリシタン大名としても有名ですね。

Dsc09010●宇土市コミュニティバス

のルートとダイヤです。

料金は1乗車あたり150円で均一です。

「短縮ルート」とAB2種類ある「循環ルート」がメインで、それぞれ1日4,5便程度あるといったところで、日曜日や年末年始は運休だそうです。

バス停を見てると、宇土の名がつく、地名的なものが多く、特別な場所へ行くものとか観光用という感じではなく、市民の足的な側面が強いのかな、と思わされました。

Dsc09012●宇土市本町通

宇土の駅からさほど離れていない一角ですが、立派なゲートのある周辺はどこか寂しげな雰囲気を感じました。

本町といってもここだけでなく、エリアが広いのでいろんな顔を持っている訳ですが、単純にゲートと街の様子が妙に不釣り合いに思えました。

Dsc09020●船場川

に架かる橋です。

青っぽいツヤのある独特の雰囲気の橋です。

欄干がさほど高くない割に曲線状になっていて、なかなかユニークな形状でもあります。

Dsc09026●船場橋

上の写真の橋は名前が分かりませんでしたが、これと平行に隣に架かっているこの橋こそが、川の名と同じ「船場橋」なのです。

延長13.7m、幅4.1mの江戸末期につくられたという立派な石橋です。この石は宇土で取れる「馬門石」という石がつかわれているそうです。下部の曲線具合が見事ですね。

Dsc09030前から見るとこんな感じで、階段と平らな面と両方が存在します。

建造年代は江戸末期というだけで不明だそうですが、江戸の末期でも時期の判然としないものがあるんだな、と思わされました。いちいちこういうのに記録を残してないもんなんだな、という事を改めて。

熊本県でいえば、天草諸島の天草市にある「祗園橋」が有名ですが、こちらの橋もなかなかのもので、熊本=古い石橋のイメージがすっかり付いてしまいました。

 

 

 

 

2013年12月 1日 (日)

JR宇土駅(新) (熊本県宇土市)

熊本県宇土市のJR宇土(うと)駅の新駅舎です。

この駅はJR宇土駅(仮)として、一度記事にした事があるのですが、この2009年8月当時は仮駅舎の頃で、今回は2013年3月再訪し新駅舎となった姿をお送りしたいと思います。

駅名標

国鉄っぽい駅名標はまだありました。だいぶきれいな字体のものでしたが。

Dsc08988

列車と共に

乗って来た電車と。

左に見えるのは在来と平行に走っている新幹線の高架です。

Dsc08985

ホーム

右側に跨線橋から伸びた後の駅舎ができているのが見えます。

前回訪問のわずか3ヶ月後の2009年11月に橋上駅舎になったといいます。

それまで2面3線だった駅舎も、今は1面2線となっています。

Dsc08986

外側階段

新駅舎の階段です。

改札を出て、出口へ抜けんとするところですね。

しかし新築の駅関係の手すりってこういう波型のが多い気がしますが、すべり防止のためでしょうか?普通に持ってると引っ掛かってしょうがないな、という印象のが強かったのですが…。

Dsc08991

駅そと

駅出て、駅舎と広場のひさしの間です。

前の記事では仮設だったので全然様子が違ってました。超豪華に。

宇土って人口3万人台の市ですが、よくつくったなと思いました。

Dsc08993

駅前広場

こんなモニュメントも前回時点ではなかったと思いますが、時計塔としてつくられています。ただちょっと寂しげな雰囲気が漂ってるように思えました。もっと植込みとかあれば豪華に見えるのに、というところで。

Dsc08994
Dsc08998

宇土駅 新駅舎

黒を基調とした重厚な感じの駅舎になっていました。

ただし、下の部分は黒ではなく、骨組みのくっきり見える感じのものに。

どこかのソーラーの工場の形を真っ先に思い浮かべてしまいます。

とにもかくにも2009年リニューアルのこの宇土駅でした。

Dsc09001

2013年10月 3日 (木)

熊本/人吉 人吉城までの道のり

熊本県人吉市、JR人吉駅からの歩き旅です。

(2012年5月当時)

ホテルサン人吉

ここへは2012年のGW、夜に乗り込み、このホテルで一泊させて頂きました。

人吉へ行く事は当初から考えていましたが、「じゃらん」で予約をしようとした時に唯一人吉市で載ってたのがこのホテルだったのです。駅から遠くなく、5000円ほどで泊まれて助かりました。ホテルの少ない小都市では駅近でなかったり、金額が高かったりしても不思議ではなかったので。

Img_8079

出町地蔵尊

ホテルの真ん前にある地蔵尊です。

内部には1657年に造られた地蔵尊の立体があるそうです。こじんまりした、何てことない雰囲気?!に見えましたが、侮り難い歴史ある地蔵尊でした。

Img_8078

球磨川

人吉といえば球磨川、と勝手なイメージを持っていますが、ここは球磨川から写真手前方向へ流れ込む支流のような所で、そこに出町橋という橋が架かっており、そこからの眺めです。

Img_8083

西九日町バス停

人吉駅から500mほど歩いた所でしょうか。このような名前のバス停がありましたが、付近には二日町、五日町、七日町などさまざまな〇日町の地名が連なるように存在しています。

Img_8087

九日町

郷土の偉人として、吉岡文六(1899-1946)という人物について、説明書きがなされています。

「硬骨の新聞人」というタイトルで、昭和19年、当時の東条英機首相の戦争政策を批判する形でいわゆる「竹槍事件」が起き、物議を醸したものの、最後までその主張を貫き通した人物で郷土の誇りというところでしょうか。

Img_8090

人吉は雛人形の町でもあります。

専徳寺という雛の寺があったり、ひな人形の飾ってある所が沢山あったりしました。

Img_8095

熊本中央信金

の人吉支店です。

色んな絵が描かれていたのでついつい撮りました。

ネズミのはこの信金のキャラクター、その名も「チューちゃん」です。

Img_8097

水の手橋

人吉駅から南方向へ、球磨川を跨ぐ大きな橋が中心に3つあり、その東端にあるのがこの橋です。

昭和9年に渡り初めが行われたという記録がありますが、人吉城跡に最も近い橋でもあります。

Img_8098

球磨川・本流

こちらこそが球磨川の太い川、川幅の広い本流の部分です。

上の写真の水の手橋からの眺めです。

この辺りは、他の橋が見えるあたり含め、陸地になっている部分が結構ありますが…

Img_8099

人吉城石垣

最後は、この水辺の人吉城の石垣群です。

長い石垣が続いています。

天守が築かれず、城跡としても天守を造ったりしておらずで、石垣がかなり印象的な城跡、そんな印象が強かったです。なので分かりやすい城を見たい方には不向きかもしれませんが、城や城跡に興味のある方々には面白い場所かと思います。

Img_8102