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37香川県

2018年2月 1日 (木)

JRオレンジタウン駅 (香川県さぬき市)

香川県さぬき市のJRオレンジタウン(オレンジタウン)です

さぬき市では以前にJR志度駅をupした事がありますが、同じ志度地区にあるJR駅の御紹介です。

 -JRオレンジタウン駅-
【路線】
JR高徳線(高松-徳島間)
【開業】1998年3月14日
【訪問】2017年3月
【1日あたり平均乗車人員】 122人/日 (2014年) 
【近隣の主要駅 (高松方面)志度駅→隣駅
           (徳島方面)三本松駅→6駅 


●駅名標

なんといってもこの「カタカナ」オンリーの駅名標が印象的すぎます。

このカタカナだけの駅はどんなとこだろう??という疑問がここを訪ねた動機です。

他にJRでカタカナの駅名はどんな所か??探してみると…

ユニバーサルシティ駅

ハウステンボス駅

スペースワールド駅

というアミューズメント系の所が多く、これ以外では

マキノ駅 (滋賀県高島市)

などがありますが、ここの場合は旧・自治体名です。

北海道にはありがちですが、

トマム駅

ニセコ駅

など。

そんな中、このオレンジタウンはこの辺りの田園都市をこのように呼んでいるようです。周りは住宅地です。ただ正直あんまり賑わいは感じられませんでした。1日あたりの乗車人員は120人あまり、この降り立った時も2,3人降りたぐらいだったと思います。

隣駅が市の中心部である志度で、そこから2.5km程の所にありますが、だいぶ雰囲気が違います。志度自体もそんなに賑わいまくってる感じではありませんが…。

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●オレンジタウンについて

「四季の自然と一緒に暮らせる街」と駅のベンチにありました。

住宅地の分譲については、四鉄不動産というJR四国のグループ企業が行なっているようです。平成10年10月10日に販売が開始されたという事で、住宅開発に連動する形でこの駅も同じ年の3月に先行で開業した訳で、間もなく開業20周年を迎える若い駅です。

県外からこの分譲地に越してきている方も結構多いようです。

オレンジタウンの名前由来を色々と調べていましたが、オレンジという色の暖かみと、JR沿線上にある(JRといえばオレンジカード)事などからつけられているといいます。ただしオレンジカード自体はもう既に販売終了となっています。

この辺りでは年末になると、オレンジの光がそこかしこで綺麗に輝いたイルミネーションが展開されているといい、それとはまったく縁遠い真っ昼間に来てしまった事をちょっと後悔しました。

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●ホーム1

出口とは反対側の様子です。

ホームは1面2線です。

文字通り「オレンジ」のホーム屋根が設けられていて、まさにこの駅の象徴とも言える存在です。

この寂しげなホームの駅ではありますが、1日に3、4本ほど特急「うずしお」が停車するというりっぱな「特急停車駅」です。

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●ホーム2

反対にこちらは出口方向です。

向こうの階段を上がって左右どちらにも出口はあり、右に見えているのは右側に分岐している出口の階段です。

出口の階段の屋根までオレンジです。

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●ホーム3

ホーム2と同じ出入口側のカットですが、階段を上がって左サイドの様子です。

橋が伸びて、駅の内壁に接合する形になっていて、こちら側が駅のメイン口になります。

屋根という屋根はオレンジです。逆にそこだけがオレンジなのですが…。

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●階段部分

屋根はあるものの横壁のない形の駅階段でした。

この階段上と交差する橋の部分とでT字形にオレンジ屋根が続いています。

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●きっぷうりば

無人駅で改札もなく、改札の形をしたものもありません。

駅らしい設備としては、階段を上がった先にあるこの切符売り場周辺です。

券売機がこの時刻表の真裏に位置する形で設置されています。

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●時刻表

高徳線の時刻表です。

ちょっと斜めからで見にくいですが、正面からだと姿が写りこんでしまうので、反射するものは正面から撮らない事にしています。

左側が三本松方面という事で、つまりは徳島方面ですね。夕方に本数が多いですね。昼間は1時間に1本しかない状態が4時間ほど続きます。逆に高松方面は、朝方の方が多いですね。昼間はやはり1時間に1本程度で、晩になると1時間に2本ほどになります。

切符の券売機は正面からだと見えませんが、この角度からだと見る事ができ、本当にこの中に隠れるような形で設置されていました。

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●自由通路

というか、ホームからの階段を上がった後の両方向へ伸びている通路です。

こちらは階段上がって左側、メインの駅舎のある方で、逆に右側へ折れるとただの歩道橋と化します。

この見えている通路を右へ折れると程なく駅舎ですが、それらしくない建物です。

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●ホーム俯瞰

通路からホームを見下ろした様子ですが、長く続くホームに対してオレンジの屋根の続く区間は実に短いのが、これを見るとよく分かります。

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●駅舎内

通路を通って来て行き着いた通路です。

右端は駅舎内というよりホーム上の景色のように、椅子と掲示物が並んでいました。

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●駅を出て

目の前の風景です。

ただアスファルトと山々が広がって車がちょっこっとあったりしますが秘境站では決してなく、この道の向こうを進むとすぐ、住宅地帯が突如見え出し、基本的に住宅街前の駅という感じです。

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●オレンジタウン駅 駅舎

一見して駅舎?と疑問符が出てくるようないでたちの駅舎でした。

「JRオレンジタウン駅」とドーンと書かれた駅看板が見受けられず、なんの建物だよ??と外から見たら思うだろうなという感じでした。どっかの研修施設の入口のような雰囲気を感じました。

左サイドにある幾何学模様のものは単に添え物のオブジェでしょうか。

車が停まっている割には人影まばらで、ひっそりした雰囲気が全体に漂うエリアで、周辺は殆ど住宅で、商店街も無ければコンビニやお店なども見受けられず、ゴーストタウンのような感もありました。

カタカナだけのユニークな名の駅は住宅街を前にした、ひっそりとした駅でした。

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2018年1月19日 (金)

香川/三豊 詫間 亀に乗った男

香川県三豊市、JR詫間駅からの歩き旅です。

(2010年7月当時)

●詫間駅前交差点

JR詫間駅前からロータリーを越えて西へ100m程の所にある、駅から最初の交差点付近の様子です。

これも8年近く前の様子につき、どれほど変わっているかもしれませんが、この向こうへずっと駅前の通りが続いていきます。

三豊市の現在の中心がこの詫間地区という事ですが、2006年平成の大合併以前は、この辺りは駅名と同じ「詫間町」でした。詫間町は合併前当時の人口で15,000人ほどいて、町としては規模の大きい方であり、今の三豊市を構成する旧町では高瀬町に次いで2番目に人口の多い町でした。

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●街灯

お城の形をした街灯が並んでいました。

お城はお城でもよくある「城下町の象徴」という感じではないこの街灯、これは竜宮城の表現と思われます。この地区は昔は「浦島」と呼ばれており、浦島太郎関係のものがそこかしこで散見されます。ただ浦島伝説は日本各地で見られ、どこが発祥やらようとして知れないですね。

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●マンホール

とてもダイレクトに浦島太郎が描かれていて、もちろん亀も竜宮城もあり「3点セット」が揃っているマンホールです。これは三豊市ではなく、旧詫間町として。

こういう楽しいマンホールっていいですね。少なくとも旅して訪ねる身としては得した感満載です!イルカに乗った少年、ではなく亀に乗った男です。

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●更にカメに乗った男!

高瀬川に架かる「詫間大橋」の欄干には、浦島太郎がこのようにデーンと乗っかっていました。これだけダイレクトに鎮座していると爽快ですね!実に分かり易くて、旅した感も満載でした。

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●詫間大橋から

詫間駅から詫間大橋を経て更に向こうを眺めた様子です。

なかなか言葉では言い表しにくいですが、カーブを描く道路はなんとなく山々に吸い込まれていきそうな気がしました。それと街灯ばかりが立ち並んでいて、建物はあんまりあるように見えないのですが、あんまり田舎感がなかったです個人的には。街灯が多かったせいかもしれませんが。

詫間駅から400mほど西へ行ったこの地ですが、歩き旅はここまでで、あとは詫間駅へ戻っていくだけとなりました。なのでこの橋の向こうは実際に歩き回ってはおらず、ちょっと残念というか心残りがあります。これもこの土地に足を下ろす事を目的としていた時期の訪問であった為で、やはり今度来る時はじっくり訪ねてみたい所のひとつです。行けば行くほど行きたい所が増えてくる、それがまた「旅」というものかと思います。

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●ホテル

これは詫間駅前に戻って来てのカットですが「ステーションイン タクマ」というホテルがありました。ホントに駅の真ん前にあります。

ちなみに俳優の宅麻伸さんはこの香川と同じ文化圏の岡山県の出身ですが、タクマは本名であり「詫摩」と表記するそうで、詫の字だけは合っています。ちなみに宅麻さんが「必殺」シリーズでチョンマゲを結わない現代風髪型の殺し屋役でレギュラー出演していた事を知っている人はかなり少ないでしょうね。

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●バス路線図

旧詫間町時代の名残りと思われる「詫間町営」バス路線図がありました。今では三豊市コミュニティバスの詫間線という位置づけになるかと思います。

町内どこまで行っても100円とあり、結構な箇所停まる中でなかなか気前がいいなという感じで、逆に収入源としては見込んでいないのかな?という感もありありです。赤字垂れ流しっぽい感がプンプンしました。

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●路地裏の猫

通りかがりに見つけました。

何せもう今から7年も前の事なので、さすがにこの猫もうこの世にはいないだろうな、とかついつい考えてしまいます。飼い猫ならともかく。

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●多度津藩 郷蔵/番所跡

ここは今では郡部である多度津藩の領内であったようです。

多度津藩は丸亀藩の支藩であり、1万石を領し多度津に陣屋を構えられていたといいます。1694年に藩として成立したといいますが、当初は陣屋を構えず、丸亀城内に居を置いた状況が続き、結局陣屋が置かれたのはかなり後の1827年だそうです。

そんな多度津藩の郷蔵(ごうぐら)という事で、郷村の共同倉庫として年貢米などが置かれていたのでしょうか。

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●とこやさん

メンズとして描かれた絵が昭和テイスト濃しでした。

今のご時世、散髪屋ですら全国展開が幅を利かしていて、街の床屋さんもどんどんなくなっていってる感じです。件数も凄い減ったな、と思います。気軽に髪切りに行きにくくなったなと感じるばかりです。逆に高級な床屋さんも見られないというか…、パーマかけている人も減りましたよね…。この街とそんな事とは関係ないんですが、この絵を見るにつけ古き日々の事ばかりが思い出されます(自発)

この詫間地区は、とにかく浦島太郎関連をいかに見つけるかが旅を楽しむ一つの材料になると勝手に思っています。

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2017年10月29日 (日)

香川/観音寺 誰が呼んだか銭形砂絵

香川県観音寺市、JR観音寺駅からの歩き旅です。

(2016年12月当時)

●駅前通り

元の駅記事は2010年訪問時のものですが、今回の記事写真は2016年再訪時のものをお届けします。

観音寺駅の駅前広場を出るとすぐに橋があります。

右側に歩道がありますが、これを過ぎるとすぐ橋です。このため中心地街も橋の向こうで、中心的機能も同様です。

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●たいしょうばし

親柱の上にある「寛永通寶」の古銭オブジェが印象的な、観音寺駅から北上して最初の橋で長さは約30mです。この古銭がここに出ているのは、市内の琴弾公園内の銭形砂絵に由来しますが、江戸時代に人を迎え入れる為につくられたという点で共通するものの諸説あり原点はよく分かっていないそうです。

欄干下にあしらわれている花模様も文字通り「華を添えて」います。

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●観光案内所

大正橋を渡り切った後に現われるのがこの「大正橋プラザ 観光案内所」です。

レンタサイクルもここにあります。9時から利用可で1日ナント100円!500円前払いで返却時に400円キャッシュバックだそうです。

観音寺駅を出て、駅からまっすぐの道をすぐの橋を渡った左側にあります。ここではレンタサイクルの利用は有効と思います。先述の銭形砂絵を見る際のアクセスも自転車がある方が断然便利です。

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●商店街

駅通り商店街として店の外壁にド派手な宝船が描かれていました。

別のビルには招き猫も!

この観音寺駅前の商店街ではユニークな活性化事業が展開されており、1店舗内に2業種のお店を出すなどして、過去の活性化事業で失敗した苦い体験をもとに新たな展開を考えているといいます。

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●中国銀行跡地

1970年に中国銀行観音寺支店としてオープンした時の建物ですが、老朽化により駅から徒歩10分の別地点へと2010年3月に移転されています。

この建物は40年間稼働していた訳ですが、昨年末のこの時点ではまだ残っていました。今はちょっとしたコンサートなど別用途で使用されているようです。

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●公園的スペース

観音寺駅からまっすぐ、北へ300m進行後左折して更に300m程西へ進んだところにあった公園的なスペースです。

三豊工業高校の学生さんがつくったオブジェが並べられ、床にはでっかく「寛永通宝」の古銭が描き込まれていました。かぼちゃの馬車とか作り方が素敵でした。

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●あかちょうちん

というお店がありました。表がこんな感じなんで現役ではないかもですが、すごい形で残ってるなと感じます。しかし食べログで調べたら、5年前のコメントながらクチコミがあり、閉店の情報も確認できないので、あるいはまだやっているお店かも。

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●三架橋と財田川

三架橋は「さんかばし」、財田川は「ざいたがわ」とそれぞれ読みます。

三架橋は日本百名橋にも選ばれたという観音寺を代表する橋で、元々三つの橋が架かっていた事からこのように呼ばれているといいますが、その名残なのか今のこの橋も三連の橋になっています。

すごく貫録があり、すごく大きい橋のように見えますが、長さは90mあまりです。

財田川は香川県で最大の流域面積を持つ、やはり香川県を代表する川(二級河川)です。

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●三架橋2

こちらは観音寺駅から来て橋を渡り切った後からのカットです。

三連の様子が分かり易いと思います。

川面に橋が写っているのもまた素晴らしいですね。

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●琴弾八幡宮 鳥居

橋を渡ると程なく、琴弾(ことひき)八幡宮という神社の鳥居に行き着きます。

琴弾というこの名前は…銭形砂絵があるのも琴弾公園ということで、一連のエリアに入ってきたという事です。砂絵はもう少し先ですが…そしてこの観音寺へ再訪したのも他ならぬ砂絵を見に来るためでした。

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●源平屋島合戦の由来

として説明板がありました。

屋島というと県でも東部の高松市にあり、そこで源平の激しい戦いが展開されたといいますが、県西部のこの観音寺・琴弾山がこの戦勝の大きなカギを握った地である旨の説明がありました。

戦というものは単に面と向かって戦う事だけでなく、いわゆる「知略」が奏功するものだという事をつくづく思い知らされます。

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●庭園

琴弾八幡宮の鳥居をくぐって、階段を上がると八幡宮に至りますが、これを上がらず平地を直進していきます。

空も映す水面のきれいな池とみどりの織りなす庭園を横目に進んで行きます。

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●問答石

開祖・日証上人が問答石に座って黙想していた時に、老人が船に乗って近くの海岸に到着、上人が問うと「我は八幡大菩薩り」と答えたという、などとありましたが、なぜこれが問答石と呼ばれたかを書いたものが見つかりませんでした。この石の上で老人に問答したから、なのでしょうか。

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●展望台へ

平地を暫し歩いた後、この一番上の写真の右側に分布する道から入って、山道とも思える道をひたすら上って行きます。

車でも上っていけますが、ここだけは自転車だとしんどいところですね。

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●名勝 琴弾公園

展望台へと登りつきました。

山道はひっそりしていて、距離はそんなに長くはないながら心細ささえありましたが、ここまで上り着けば、すっかり観光地になっていました。駐車場もしっかりあります。車で来る方の方がむしろ多いと思いますが。

観光地ではありますが、お店が出ている感じはありませんでした。ここは展望台というだけなので、そこらにいくつかの碑がある程度のものです。

ここから見下ろす形で砂絵を見るという形で、決して砂絵のある砂地へ踏み出して見られるという訳ではありません、砂絵は基本的に立入禁止のようで。

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●銭形説明板

ここでは1633年に藩主を迎え入れる際に地元住民が一夜にして完成させたと説明がありますが、これは一説だそうです。昼は砂絵として美しいのはかねがね見ていましたが、夜のライトアップがまた綺麗なのですね、それはここに来るまで知りませんでした。

一見して円形に見えるが実際は約120×90mの楕円形なる説明もあります。そしてまた都市伝説的な話ですが、これを見た人はお金に不自由しない、というものがあります。

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●銭形砂絵!

相当引っ張りましたが、おまちどうさまでした!

今回の旅のメインともいうべき「銭形砂絵」です!

往年のテレビドラマ「銭形平次」で故・大川橋蔵さんがオープニングで銭を投げた後のタイトルバックとして使用されていたのがこの砂絵です。橋蔵氏主演の銭形平次は1966年から84年まで連続888回、1人の主人公が連続で演じた回数は日本一だと思いますが、超ロングヒット作です。終了した84年内に大川橋蔵氏が亡くなった事もあり、健康的な理由がなければもっと続いていたのでは?と思いますが55歳の早過ぎる死は惜しまれました。

観音寺でちゃんと観光していなかった事があり、何か見るものがないか?と思って行き着いたのがこの砂絵です。銭形平次は幼少期にTVでやっていたし、より一層興味が湧いてやってきたのでした。

砂絵の周りは緑に囲まれていて、そしてすぐそばは海なんですね。実際は楕円なのに遠景に見えるのは斜め上から見ているからなんでしょうか??

観音寺きっての観光名所に行けて良かったです。

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2017年10月28日 (土)

JR高松駅 (香川県高松市)

香川県高松市のJR高松(たかまつ)です

高松市は、香川県の中央部に位置し、人口は420,261人(2017.5.1現在)で、香川県の県庁所在地で、香川県の鉄道交通の中心であり、海上交通の中心としての側面も持っています。

-JR高松駅-
【路線】
JR予讃線(高松-宇和島間)
      高徳線(高松-徳島間)

【開業】1897年2月21日
【訪問】初訪問-1989年3月
【1日あたり平均乗車人員】 12,579人/日 (2015年) 
【近隣の主要駅 (宇和島方面)坂出駅→8駅  
           (徳島方面)志度駅→9駅  


●駅名標

ここへ初めて訪ねたのが実に平成元年!1989年の事でありますが、ここでは2009年訪問時のものを主にお届けしたいと思います。

「四国最北端の駅」とされ、JR予讃線と高徳線に属していますが、分岐しているという訳ではなく、両路線が変則的ながら一応一続きになっている形です。この駅名標では、隣駅が両サイドではなく、同じ側に2駅記してあります。両隣駅が同じ方向にあるというのが変則的と書いた理由です。Yのあと番号がついているのは予讃線、Tの番号のものは高徳線の駅ナンバーで、ここ高松駅にはY番号とT番号の2つが振られている訳です。

しかし、本州から四国に入って東へ進むと高松止まりが殆どで、大体が高松で寸断される、個人的にはそんなイメージが強いです。岡山から出る快速マリンライナーもそうですね。初めて来た1989年当時、瀬戸大橋が開通してまだ1年程度の頃で、マリンライナーに高まりつつ乗った覚えがあります。

ことでん(琴平電鉄)の高松築港(たかまつ・ちっこう)駅は出てすぐ、徒歩2、3分程でアクセスできる距離にありますが、直接の連絡はしていない状態です。

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●ホーム

4面9線という広大なホームをもつ四国随一のターミナル駅です。

瀬戸大橋線の乗入れと、予讃線、高徳線と、土讃線の乗入れ(予讃線と被りあり)もあります。

ホーム間を繋ぐ波形の骨組みが印象的です。

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●ホーム2

このすぐ下のカットのみ夜のものですが、改札を入った直後のものです。

全てがここで行き止まりの構造で、いわゆる頭端式ホームとなっており、その下の写真の通り車止めもあります。両隣の駅が同じ方向、と先に書きましたが、例えば予讃線でこの駅へ乗り入れる際にこの行き止まりまで進んで一旦停まり、高徳線はここから折り返す形で出ていく事となります。

予讃線と高徳線の線路に少し被りがあって、この駅が突き出ている為にこのような構造になっていますが、これは昭和末期まで運行していた宇高連絡船の連絡駅という機能を有していた為といいます。

視覚的に分かり易い形で示すと、下の地図のように両路線が被っていて、やがて南と西へ分岐しています。県庁所在地の中心駅でこのような行き止まり構造はかなり珍しいと思いますが、やはり港連絡の役割からかなりその近くまで延伸していたという事でしょうか。全くの段差がないバリアフリー駅で、駅入口から各ホームまで階段なしでたどり着けます。神奈川県の横須賀駅もそうですね、横須賀の場合は駅舎も平屋につき、駅全体が完全バリアフリーですが。

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●舵輪

「だりん」と読みます。船の舵を切るハンドルですね。

ホーム上のうどん屋の前にありました。宇高連絡船の名残りですが、眉山丸(びざんまる)という宇高連絡船で操業していた船のものです。

この船は宇高連絡船初の車載客船で、重量約1,500t、乗船人員も約1,500人であったといいます。IHI(石川島播磨)で製造され、1947年から66年まで稼働し、この後は後進の船に現役の座を明け渡し、そのハンドルがここに残っているのですね。

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●駅構内

駅舎正面は網状のガラス張りになっていて、外がきれいに見えます。

広告看板があちこちにあるのが四国の駅らしいなと勝手に感じました。昔は駅舎外面にこういったものが多かったですが、今ではこのように構内に並んでいるのか…とも思いました。

2Fはカフェや飲食店がいくつか入っています。

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●海水池

駅前広場に出てきました。

港、そして海がすぐ近いという事もあってか、海水の池がありましたが、実は高松港と水路で繋がっているんだそうです。

そして石は江戸時代に築かれた護岸や石垣に使われていたものが使用されているという事で、何気に歴史も感じる事ができます。

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●駅前広場

車の入らない歩行者用のスペースが広く取られた駅前広場です。

下側の写真の左に見切れていますが、これが高松シンボルタワーで四国一高い建物で150m余りを誇っています。

この一連の建物はサンポート高松として、高松駅前再開発で生まれ変わった建物群で、1989年訪問後10数年ぶりに再訪した時に、前の駅舎や駅前の面影がなくてビックリしたものです。2001年に300m程移転した事もあり、尚の事面影薄であったのかもと思いました。

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●駅前通り1

高松駅の駅前広場を出て、高松築港駅へ向おうとする短い直線道の様子です。

実質的な駅前通りは、この突き当たりでT字交差する道路になります。

それでもここへ行くまでにいくつかのうどん屋さんがあるので、それも押さえておきたいところです。

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●駅前通り2

上の写真の通りを右折したところです。

左側に隠れている部分に高松築港駅があります。

この通りは、昔とあまり変わっていなくて何となく落ち着きました。

ここを始めて通った時に姫路駅の駅前(南側、お城と反対側の方)にそっくりだと思って歩いていました。とても感覚的なものなのでどこが、という訳ではありませんが、雰囲気がすごい似てたなと思いまして。

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●高松駅 駅舎

21世紀になって来てみたら20世紀のものと全然違っていました。

右側が駅のスペースで、左側は店舗関連になります。

建物は向こうまでガラス張りである事がこのカットで分かりました(笑)

ことでんも港も近いこの高松駅、他の交通網の活用で更に旅の可能性が広がっていくというものです。

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2017年2月 8日 (水)

香川/坂出 まろと牛神さまへの道

香川県坂出市、JR坂出駅からの歩き旅です。

(2016年12月当時)

●駅前俯瞰

坂出駅の高架ホームから見た駅前の様子です。

駅記事は2009年1月当時の様子ですが、今回記事は2016年12月再訪時の様子です。というのも、当時の駅から出ての写真があまりなく、先々月再訪でじっくり歩いて撮ってきたので、その時の様子を載せています。

こちらは駅北側の様子ですが、ずっと先には坂出港があり、坂出の港町たる面が見られます。

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●地平にて

駅から出て地平からの駅前の様子です。

冒頭の写真にもありますが、高層ビルがひとつ建ってるのが目立っています。

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●駅周辺図

この地図では下側が北になっていて、港方面もこちら側になります。

観光向きというより、市内各主要施設への案内的側面が強いものとなっていて、北側に主要施設が集中しています。

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●津波浸水想定マップ

港町であるが故、切り離せないのが津波の危険性という事で、地域別に何メートルの津波が想定されるか色分けされています。

中心である坂出駅周辺はことごとく色づけされていて、駅の辺りは0.3~1メートルとなっています。しかもそこから上へ矢印が出ていて、どこまで影響を及ぼすのか…と考えると、本当に恐ろしいなと思います。

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●まろ

坂出駅の駅舎外側の柱にあったものです。

坂出市には讃岐国の国府が置かれていて、その国司志望の男の子という設定だそうですが、 「さかいでまろ」とストレートなネーミングの市公認キャラクターです。

くまモンなどの人気キャラクターを目指そう、と2013年に公認キャラクターのデザイン募集が行なわれ、1500点近くの応募から最終6点までに絞られた上での「市民総選挙」の末に2014年初めに「当選」したキャラクターだそうで、誕生して3年ほどでどの程度の浸透具合かはよく分かりませんが、浸透していくといいなと思います。プロフィール等はコチラ 

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●駅前広場

車の進入しない歩道エリアがスペース的に広く取られています。

訪ねたのが年末であったので、イルミネーションが色々と置かれていました。それから別の所には絵馬も!

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●駅とAEONと

右側が坂出駅で、左側が駅前のイオンです。両者このような関係で対峙している格好です。かつては坂出サティとして営業していたのが、2011年にイオン坂出店に変更され現在に至ります。現存するイオン系の店舗では香川県最古なのだそうです。

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●駅前通商店街

駅北の駅前商店街です。

入って少ししてから歩道に屋根のついた商店街となっています。

店舗よりも銀行や駐車場が目立つ印象でした。

四国地方でも中国銀行があるのですね、しかも他支店同様の厳粛そうな雰囲気の建物で。

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●バス停

商店街に入って少しの所で、バス停標識が何本も立っていました。

のりばもあれば降り場もありますが、以下の通りです。

・高松空港リムジンバス降り場(坂出駅バス停)

・坂出市営バス瀬居線のりば(坂出案内所バス停)

・琴電バスのりば(元町バス停)

同じ場所にありながら、3つとも停留所名が違うとは…

ちなみにリムジンバスの便数は下側の写真にある通りです。ここはのりばではないので、到着時刻が示されており、のりばは向かい側である事が記されています。高松空港へは坂出からでは所要約50分、運賃は800円との事です。

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●元町名店街

駅前通り商店街を歩き続け、この『元町名店街』と交差しました。こちらは完全歩道のアーケード商店街です。いささか褪せた感じが渋いですが、この外観からして中身がどんな感じか…というのはちょっと想像してしまいますね。

坂出の商店街で相対的に活気のあるところ、だそうですが、2001年度から市の助成などで安く借りれるようになったものの手を挙げた借り手は1件もないという状態で、商店街の行く末が見えてくるような話ですね、

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●珊瑚樹

坂出市の「市の木」珊瑚樹です。

スイスガラ科の常緑高木で暖かい地方に多く、高さは5mにもなるといいます。

防火樹として庭木や生け垣に使用される事が多いといい、そんな感じの葉の質ではありますね。

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●胸像

坂出市民ホール前にある胸像ですが、「番正辰雄市長」とあります。

番正辰雄(=ばんじょう・ただお:1916-89)とは、坂出市長を務めた人物で、1973年から4期にわたり坂出市長を務め、とりわけ瀬戸大橋の着工から開通まで関わった人物として坂出市の名誉市民としてもその名を連ねています。

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●坂出市民ホール

上の元市長胸像のあるのがこの「坂出市民ホール」です。

坂出駅から北へ約300メートルの地点にある市民ホールで800席収容できるホールを有しています。

何よりこの切れ込みたいになったところに出ている階段、この形がユニークな建物です。

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●商工会館

市民ホールより更に北へ100メートルあまり進んだこの地点には、「商工会館」があります。

足下の部分が斜めになっていたり全体的に荘厳な雰囲気すらある建物です。

建物の前には大きな立体看板が出ていて「北インターの早期フルインター化実現を!」とありました。「フルインター」とは上下線どちらも出入りできるインターチェンジですが、これに対して坂出北インターは、本州方面のみから出入可能な「ハーフインター」という事です。

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●坂出天満宮

坂出駅から北へ徒歩5分程度の所にある天満宮です。

天満宮という事で、菅公さま(菅原道真)が祀られています。

江戸時代の文政年間にこの地域に天災が多発したため、その平穏祈願として1830年に創建されたとあります。

牛が神として崇められているのも天満宮の特徴といいます。

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坂出駅から徒歩5分程度の所までで、多くの写真を出してきましたが、この先は港町へと至る道を延々と歩いていました。思ったより時間かかったなという印象ですが、港付近はゴースト的な印象でした。立ち入っていいのかな??という感じで。その辺りはいずれかの機会にて。

2016年10月22日 (土)

香川/さぬき 志度駅より始動

香川県さぬき市、JR志度駅からの歩き旅です。

(2016年4月当時)

●駅前通り

JRの志度駅からの通りです。ここから街歩きスタートな訳ですが、「JRの」と書いたのは、琴電の志度駅が程ない地点にあるからです。

その琴電志度駅は、この写真ではほぼど真ん中に小さな標識が見えると思いますが、そのすぐ左に隠れる形で存在しています。

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●昭和な看板

琴電の志度駅周辺、つまりはJR志度駅からもさほど遠くない辺りでも 、このような看板はあちこちで見られました。

上側の写真の結納熨斗という看板もインパクトがあるし、その左の貸衣装というのも。昔は花嫁送迎車みたいなののブリキ看板とか町じゅうにあったんですよね、、通学路なんかで見てました。そんなのがまだ残ってくれているこの奇跡…

下側の写真のお店は検索してもなかなか出てこずで、現役ではないようで。

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●平賀源内の里

四国北東部の沿岸でも窪んだ形となっている「志度湾」の真ん前まで来た辺りで、JR志度駅から北へ200mほど直進した地点です。

右へ進むと「平賀源内記念館」という形で標識が出ています。反対側に源内の旧邸の標識が出ているのがまた面白いですが…。

エレキテル等で有名な発明家・平賀源内(1728-80)は当地の出身です。長崎の平戸とかその辺の方かと勝手に思っていました。

源内は通称で、画号俳号含め数多くの名前を使い分けた人物でもあったそうです。最後は殺人による投獄死、遺体も墓碑もない寂しい葬儀があげられたといい、なんとも悲しい最期だったようですが、そんな彼の出身地であることがこの志度のウリのひとつである事が歩いていて窺えました。

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●志度湾

駅から200mそこそこで海に出られるという良いロケーションとなっておりますので、志度駅に来たらまずは北へ直進すると良いかなと思います。

養殖が盛んな港で、牡蠣焼きは半世紀以上の歴史があるそうです。冬のシーズンには食べ放題のメニューのある店があるとか、この辺はそういうエリアではなかったようですが。知ってたら行きたかった、といっても訪ねたのが4月だったのでシーズンではなかったですね。

まぁあれですよ、志度の街は駅から程無くこんな海が見れるって事です。

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●平賀源内記念館

2009年にオープンしたという郷土の英雄の記念館ですが、志度の新しいランドマークというところでしょうか。

表の舞台のポスターがカラフル源内で実にインパクトがありました。歌舞音曲劇ということで、わらび座という劇団がやっているミュージカルのものですね。⇒コチラ

源内といえば80年代を鮮烈に彩った忍者アクション時代劇「影の軍団Ⅱ」で山村聰さんが演じていたり、89年には西田敏行さんが主演した「翔んでる!平賀源内」 (水戸黄門時間枠)という作品もありました。「翔んでる~」は自分が1人暮らしを始めた頃にTVで晩御飯を食べる時間に見ていてよく覚えています。

肝心の中身については早朝でもあり入れませんでしたが、平賀源内の足跡をたどる資料であったり、現存するエレキテル(さぬき市指定文化財)のうち1台も見る事ができるそうです。

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●源内記念館を東へ抜けて

通りゆく道は、古風な建築の建屋が続いていました。

家が立ち並ぶという感じではなく、ところどころ歯抜けになっていますが、出会う建屋がことごとく目を惹く渋さで、思わず立ち止まってしまいます。

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●志度マンホール

「しど」の表記で、さぬき市発足以前の「志度町」時代のものと思われます。

志度町の祭りである「多和神社例大祭」の御神輿だそうで、これが全面に描かれていました。

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●つし二階旧家

二階部分を低く見せている「つし二階」の旧家がありました。これの2枚上の写真の家もこれに当てはまりますね。

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●カラーテレビのシャッター

昔ながらの電器屋さんでいまだにこうした「カラーテレビ」のシャッターを見る事ができて、これを目にする度に、ハッと目や足を止めてしまうものです。

ここに書いてあるのは、三菱カラーテレビ「高雄」というもので、昭和42年に新発売されたものだそうです。何で台湾の都市が書いてあるのかな??と思いましたが、全く違ってました。ただし京都の高雄がその名の起源だとか。

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●横壁剥がれ

コンクリート色丸出しのこの建屋、商店+個人宅であったのでしょうか、横の外壁がすっかり剥がれてしまっていて、いつまで現役だったのだろう??とつい考えさせられてしまいます。まさか今も現役とは思えませんが…。

志度駅から北へ200m、志度湾のすぐ手前の交差点を東へ歩くと、こんな建屋にあちこちで出会えます。西へ行っても出会えるのか…??行ってないから分かりませんが、多分大きくは違わないと思います、チラ見した程度ですけど。

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2016年9月16日 (金)

琴電/志度駅 (香川県さぬき市)

香川県さぬき市の琴電/志度(しど)です。

さぬき市では、JR志度駅をupしましたが、今回は同名の琴電(琴平電鉄)の駅をお届けします。

-琴電/志度駅
【路線】琴平電鉄志度線(瓦町-琴電志度間)
【開業】1911年11月18
【訪問】初訪問-2001年4
【1日あたり平均乗降車人員】 1,439人/日 (2001年)
【近隣の主要駅(瓦町方面)琴電屋島駅→9駅

ホーム

琴電志度線の終着駅で、このように線路が途切れています。

1面1線きりのコンパクトなホームです。

「ことでんしど」と平仮名で同じ大きさの続き文字で表現されると、どこで切るやらよく分かりませんね。

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●ホームと駅と

この柵の向こうがホームになりますが、この小さな駅の正面から入って左へ90°曲がる形でホームへと入っていきます。

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●琴電志度駅 駅舎

上の写真で既に見えていた訳ですが、改めて駅舎です。すぐ近くにあるJR志度駅とは全く違う規模で、近くにありながら連携性は全くありません。同じ香川県の高松駅と高松築港駅のような関係、といえば分かる方には分かるかと思います。

白とスカイブルーの織りなすソフトタッチの配色、加えてこれが木造建築と相まって、何とも言えない味を醸し出しています。

それにこのコンパクトな駅舎が可愛らしくて、色々と魅力に満ち溢れている、個人的にすごくツボな駅舎だと感じます。

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●バス停

駅舎がすぐ傍のこんな位置に琴電志度駅のバス停があります。

JRの志度駅からは100mも行かない所にあり、駅前通りを歩いているとすぐ、唐突に見えてきます。駅を出てすぐの時は、ロクに見えないのですが、歩いていると道路脇に突如として出てくるのです。

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●駅前道路

手前がJR志度駅側になりますが、前述の「唐突に現れる」というのが分かると思います。本当にこんな駅前の道路の脇にひっそりと存在しています。

駅前広場スペースなど皆無で、気持ち道路脇が広めかなという感じで、上の写真のバス停もこの道路脇にあります。

同じ志度駅でもJRと琴電でこんなに違う、という分かりやすい形になっていて、こういうかわいらしい駅舎を見るのも駅を訪ねる醍醐味のひとつかと改めて感じます。

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2013年8月18日 (日)

香川/善通寺 善通寺I.C.置き去られ…

香川県善通寺市、善通寺ICからJR善通寺駅への徒歩帰還ドキュメントの格好になります。

(2006年10月当時)

善通寺I.C.バス停

ここへの初訪問は自分の中では実に意外な、珍しいケースとなりました。

この時、高知県の街を色々訪ねて、高知駅のバスターミナルから岡山の方へ出て帰ろうとしていたのですが、便の状況から、とあるバスに乗って帰る計画をしました。その途中で「善通寺」とあったので、善通寺市まだ行った事なかったし、このバスに乗って寄ってみるか!と決めました。しかし、「善通寺」とは、JR善通寺駅ではなく、この高速のI.C.だった訳で、すべてがこの始まりでした…

バスは駅には行かないといわれ、仕方なくここを降りてから駅を目指す事としましたが、ここが位置的にどの辺か分からないし、駅からの距離も方向も不明、駅前と違い地図など皆無、という状況の中、ここを下りていく事となりました。ケータイのナビで探そう、そんな感じでしたね。

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高松自動車道

善通寺I.C.、バスが下りた付近の様子です。

高松自動車道は、徳島県の鳴門から香川県を経て、愛媛県の四国中央市まで続く全長約120kmの高速道路で、ここ善通寺I.C.は1987年に開通し、92年までは終点だったという事で、四国中央市の川之江JCTからここまでが高速だったんですね。この間には瀬戸大橋の開通があり、本州との結びつきが強くなった事でしょう。

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下りてきて…

高速から下りて、歩きながらケータイナビを頼りに善通寺駅を目指して歩きました。

バス路線があれば理想でしたが、ナビでそこまで探せず、とりあえず駅の方向へ歩こうという事で。

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のどかな風景

通りがかりにはこんな光景にも。田んぼのあぜ道、昔はよく歩いたものでした。

家々が趣きあって実に絵になる光景でした。善通寺で特に記憶に残る風景のひとつです。

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コンビニ

高速を下りてから探していたコンビニが、歩き続けて10分余りでようやく見つかりました。

コンビニの存在は旅を豊かにしてくれた、とつくづく思いました。何か食べ物の売ってる店であれば良かったんですが、開けてすぐに食べれるものがあり、ケータイのバッテリがあがりそうになれば電池を買ってしのぐとか、今も色々役に立っております。

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標識

上の写真から実に約20分、歩き続けてようやく明確な標識が。

駅までのものではなかったものの、善通寺への標識となれば行けたも同然!と勝手に解釈して歩き続けました。

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西原会館前

というバス停前です。

上の写真から更に10分、I.C.を下りてから実に50分の時が経過していましたが、ようやく街の景色になってきたかな、と。建物はまだまばらですが、何よりバス停を発見。

善通寺駅へバスが着いていればこの1時間ロスしないで済んだのに、という考え方もありますが、この行程を楽しめたという風に捉えれば。駅からの旅で見ないような光景にも出会えたかな、と自己満足ですが…

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あと300m

上の写真から約5分、明確な駅への距離を示した標識に出会いました。

駅まであと300m!

四国学院大学もあるんですね。

それにしてもI.C.から1時間、長かった…

距離で見てみると1kmちょっとのはずなのに、なぜ1時間もかかったのか…、ナビがあるとはいえ大まかな方向以外は手探りだったからかも。

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駅前通り

最後は善通寺駅前の通りの様子です。

駅のすぐ横の通りで、線路と交差しています。(このすぐ手前が線路)

酒店・たばこ店って昔は当たり前だったけど、今見ると昭和だな、と思って見入ってしまいます。昭和が終わって25年も経つとそうなるもんでしょうか。

ところで、善通寺市の旅なのに肝心の善通寺がない?!→そうです、その通りです。

善通寺はここから割に近くにあるのですが、寄ってません。寄る気になれなかったのです。歩きすぎて…、帰りの電車の都合もあったりでしたが…、今度は善通寺に寄って善通寺②の記事を挙げたいとこですが単なる旅行ガイドブックみたいなのも…という気もします。

本記事のような内容はなかなか他ブログでは見ないと思いますが(特に見どころも載せてないので…)、このブログらしいという事で

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2012年6月 4日 (月)

JR丸亀駅 (香川県丸亀市)

香川県丸亀市のJR丸亀(まるがめ)です。

丸亀市は香川県の中西部に位置し、人口は110,568人(2012.4.1現在)で、うちわの生産が全国の9割にも及び、また丸亀城の城下町として有名です。

-JR丸亀
【路線】JR予讃線(高松-宇和島間)
【開業】1889年5月23日
【訪問】初訪問-2006年8
【1日あたり平均乗車人員】 4,138人/日 (2009年)
【近隣の都市駅(高松方面)坂出駅→2駅
                 児島駅→2駅(隣の宇多津駅経由岡山方面)

           (宇和島方面)多度津駅→2駅
                 善通寺駅→4駅(多度津経由土讃線)

駅名標

ここを初めて訪ねたのは2006年8月の事ですが、画像劣化が著しい事もあり、2012年4月に再訪した際の写真を中心にお伝えしたいと思います。

隣の宇多津駅では、岡山方面と高松方面へと分岐する事となり、高松方面へは坂出を経て行き着く事となります。

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ホームの電光掲示

ホームは2面2線の高架駅です。

瀬戸大橋線の駅にはこんな構造のものが多いですが、ここは予讃線であるものの、瀬戸大橋線っぽいテイストのホーム周りとなっています。

これは朝の6時台ですが、特急がわずか3分差で2本も来るとは…!最も行き先が違っていて、松山行は予讃線をそのまま西へ、高知行は近くの多度津駅で土讃線へ入り南下していきます。

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ホームと電車

くすんだカットとなってしまいました…

松山行は見送って、この時は高知行に乗ったのでした。

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改札への道

高架駅舎につき、改札は階段を下りた所にありますが、ここではエスカレータと階段が両方ついています。

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▼名所案内

丸亀城が1km圏内にあります。小1時間ほど余裕があれば是非見たいところです。私は行きましたが…(笑

猪熊弦一郎現代美術館はMIMOKAの略称で親しまれ、駅からホントにすぐの所にあります。ここへ寄った時に最低限の時間しかなければ、まずここへ寄れば、いいのかも。丸亀出身の洋画家・猪熊弦一郎(1902-93)の画業顕彰と地域の美術振興のために建てられたものといわれています。

塩飽諸島へも行ってみたいですね、これはちょっと時間がないと無理でしょうが…。

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▼MIMOKAを見渡す

駅の高架ホームから猪熊弦一郎現代美術館を見渡したものです。

ホントに駅のすぐ傍なのです。

壁の左上端に「MIMOKA」の文字が見えます。

屋内?!の空間は何ともいえない広がりと空気感で、普段とは異質な世界をここに居るだけで感じられるかもしれません。
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駅舎内

うちわの町らしく、うちわが所狭しと沢山吊るされていました。

ちなみにこの写真は2006年8月当時のものです。

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▼丸亀駅 駅舎

見事な高架駅舎です。隣の宇多津、その隣の坂出と自治体の中心駅かつ高架駅が続く事となり、香川の都市的エリアの一角ともいえる位置づけにあると思います。

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2011年4月21日 (木)

JR詫間駅 (香川県三豊市)

香川県三豊市のJR詫間(たくま)です。

三豊市は香川県の西部に位置し、人口は68,265人(2011.3.1現在)で、2006年1月1日をもって旧・三豊郡の7町が合併してできた新しい市で、そのおかけで香川県では高松、丸亀に次いで第3の人口を誇る市となりました。かつて浦島と呼ばれていた地区があり、浦島太郎伝説として町おこしに一役買っています。

-JR詫間
【市内】市内6駅(いずれもJR)中の中心駅 ※臨時駅を除く
【路線】
JR予讃線(高松-宇和島間)
【開業】1913年12月20日(訪問は2010年7月)
【1日あたり平均乗車人員】
1,968人/日 (2005年)
【近隣の都市駅】
(高松方面)丸亀駅→4駅 
          (宇和島方面)観音寺駅→5駅

▼駅名標は香川県三豊市詫間町となっていますが、「市」の部分が上から貼られていて、合併して市になる以前の香川県三豊「郡」詫間町から変わったものと察しがつきます。

隣駅の「みの」駅は実際にみの駅で漢字表記ではありません。しかしまぁこんぴらさんの周辺だけのことがあってか、かいがんじ(海岸寺)、観音寺、善通寺、金蔵寺、と寺の名のつく駅名が多いことに感心します。
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▼四国らしいと個人的に感じるステンレスボディーにブルーラインの電車が止まっているホームは1面2線のみで、ここもまた平成の大合併でできた市の中心駅につき、郡部の中心駅的な規模をそのまま引きずっている様子でした。
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▼駅外の自由通路(歩道橋)の階段部分がらせん状になっていて、見た目も楽しい様子。坂もなだらかでよろしい、と感じます。

ベンチ上の看板が懐かしい雰囲気、昭和が残っている気がしました。
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▼1面2線のホームにベンチが点在していますが、出口へはホームの坂を下りて構内踏切を渡ることとなります。ホーム上の待合室や自販機がないという、市の中心駅にしては寂しい風景ですが、屋根のあるエリアはそこそこ広いかな、とは感じます。
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▼「花と浦島伝説の里 たくま」と題された石のバックには数体の人影の像が。

バックにいるのは昔の子供たちのようですが、ポニーテールのような不思議な髪型はなんなんだろう?と思わされました。なんだか不思議な空間です。
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▼詫間駅の駅舎です。

小さいながらそれなりに立派な雰囲気も持ち合わせている駅舎かな、とは感じました。屋根部分が平たいしっかりしたもので、駅名もハッキリ銘打たれていて、四国の市の中心以外の駅ではあまり見られない光景かも。
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▼正面からの様子です。

ラッピングのバスが停まっていました。(三豊市コミュニティバス)

ど真ん中には安全地帯のみがポツンとあります。

この駅が少しでも大きくなれば、と思うのですが三豊市は人口減少の傾向にあり、今のままではなかなか発展は難しいという気がしなくもありません。
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▼更には側面から。

右側が駅舎です。

タクシーはチラホラとながら停まっていました。
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▼最後は外から見た駅ホームの全体像を。

構内踏切を渡って坂を上ってホームに至る様子が分かると思います。

屋根のあるスペースもこんなもんか、というのもここでよく分かります。

その向こうには駅外の歩道橋が線路を大きくまたぐ形で存在しています。今は単なる歩道橋状態ですが、これに屋根がついたり、エレベーターができたりするとなぁ、などと思いを馳せたりします。新しい市に発展の道はあるか?みたいな期待をしてしまいます。
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