2018年9月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            
無料ブログはココログ

21岐阜県

2018年8月26日 (日)

岐阜/羽島 佐吉と藤とオールカラー

岐阜県羽島市、名鉄/羽島市役所前駅からの歩き旅です。

(2011年11月当時)

●佐吉大仏へ

羽島市役所前駅から徒歩で200mほど歩くとあります。

出口を出てから踏切を越えて反対側へ回る事となりますが。

この時、羽島の町を少し歩こうという事で、それまでは岐阜羽島の新幹線駅前を5分くらい歩いたぐらいで、周りにさしたるものもないと感じて以来の訪問でしたが、そんな中で、どこを訪ねようか?と考えつつ出てきたのが、この「佐吉大仏」の存在でした。大仏が見れるならいいか!って事で行ってみた訳です。

詩人・野口雨情の詩が看板にデカデカと出ていましたが、ここ羽島の竹鼻には縁の深い方のようで、しばしばこの地を訪ね、羽島の高等女学校では複数講演を行ったととの記録もありました。

大仏の拝観無料という事で、敷居も高くなく訪ねる事ができました。

Img_1738
Img_1739
Img_1741

●佐吉大仏

白い鉄筋のゴツッとした建物が境内に現われ、建物の中を入っていきます。

そんなに人通りはなく、落ち着いてゆっくり見る事ができました。

中へ入ってみると、確かに存在していました!

大仏様!

1759年に永田佐吉翁により建立され、その名前がそのまま取られて佐吉大仏となっています。佐吉翁は匿名で゛奉仕活動を度々行い、親孝行を重ね「美濃聖人」とよばれた人物で、母の病気を仏様に祈ったところ全快し、これが大仏建立のきっかけになったといいます。

ちなみに高さは186cmで、日本の観光名所にあるようなものすごい大仏ではありません、ただ人間でもやや大きめのサイズの方相当の大きさはあり、大きめの仏様であるる事は変わりはありません。

Img_1744
Img_1748
Img_1751

●竹鼻の商店街

この市役所駅前界隈も隣の竹鼻駅同様に竹鼻地区であり、その竹鼻の商店街として広がっていました。

こういう昭和からと思われる店がいまだ数多く並んでいました。

サイドにはなまずの幟がヒラヒラと並んでいました。

「なまずシール委員会」との名前が記されていましたが、この「なまず」をシンボルに町おこしがされたそうです。

で、このなまずシールというのは、昔懐かしのスタンプ式に集めるもので、商店街の該当するお店で100円買上げにつき1枚もらえて、600枚貯めると500円分の商品券として使える、とありました。

しかしこのスタンプシールの発行は、ナントこの平成30年8月限りだそうで、利用できるのも今年いっぱいだそうです。もうこのシールが発行されるのも今週の平日いっぱいなのですね。このなまずの幟も無くなってしまうのでしょうか?これが7年前の姿なので、今もあるのかどうかも把握していませんが。

商店街のイラストでの案内マップが商店街HPにありました。手づくり感が満載でいいですね、こういうの。

Img_1754
Img_1756
Map

●羽島市役所

市役所前の駅からの歩きなので、当然この市役所も徒歩圏域な訳です。

割にこじんまりとしていますが、てっぺんの曲線が妙に印象的でした。羽島市の市章でも表しているのか、とも思いましたが市章のマークとは全然違ったものでした。

1959年竣工と結構な年数の経った建物で、コンクリート色そのものの部分が結構多い年季を感じさせるものでした。

Img_1764

●街並み

歩いている中、随所にこのような落ち着いた街並みにお目にかかれます。

木造の家屋、商店など本当に多数目にしました。

2階部部分の高さの低い「つし二階」っぽい、江戸時代の雰囲気すら感じられる家屋が並んでいたり、どれほどの歴史ある家屋群なのか?と思わされるものがありました。特に伝統的建造物保存地区に指定されていたりという事はないようで、天然の歴史ある建造物群という感じでした。

Img_1786
Img_1787
Img_1809

●竹鼻別院 拝殿

竹鼻の観光スポットとして知られる「竹鼻別院」は、この拝殿が重厚感に溢れとても立派なものでした。

創建は1235年といわれ、1470年に蓮如が中興させたとされています。

その後何度も移転を繰り返したり、天災等による倒壊などを経て、現在の本堂は1915~22年頃に再建したものだそうです。

Img_1825
Img_1823

●竹鼻別院 藤棚

竹鼻別院といえば…

というぐらい、この藤棚は象徴的な存在です。

「美濃竹鼻藤まつり」というのがあるほど、ここの藤の存在感は絶大です。

毎年4月下旬から5月上旬までの藤が綺麗に咲き誇っている時期に開催されていますが、この写真の時期は11月初めの様子で、ちょうどそのピーク時の半年後、真裏の状態の時で藤棚はただの葉っぱの群れでした…。

Img_1822

●竹ヶ鼻城跡

竹鼻の町にある城跡ですが、場所の特定まではされていないようで、建物もおそらくこんな感じではないでしょうが、地域の象徴的存在のひとつとして存在感を放っている事は確かです。

応仁年間に築城がされたという事で、応仁の乱が1467年に始まったとされているので、その頃にできたようです。

しかし苦難困難続きで小牧・長久手の戦いで水攻めに遭い、関ヶ原の戦いでも多数の戦死者を出し、遂には落城したといいます。

現在は歴史民俗資料館になっていますが、ここで開催されているものが興味のあったもので想定以上に入り浸ってしまいました。しかも「本日 入館無料」とありましたので迷いなく入りました。何と、無料のとこばっかりでした(笑)

ちなみに通常は大人300円で中学生以下は無料です。また、歴史民俗資料館だけでなく、映画資料館でもあり、ここに惹かれて入っていった訳です実は。

Img_1835
Img_1847

●クールス!

映画資料館に入ってみるなりこんなでした。

個人的に超絶ツボのジャンルで、これは長く居る事になりそうだ、と直感した瞬間でした。こんな昔の映画のポスターや、当時ならではの関連資料がここには沢山あったのです。

かつてここには竹島朝日館という映画館があったのですが、1971年に閉館になって以降、建物だけが残ってしまい、1992年にここから当時の資料が大量に見つかった事を契機に保存活動を呼びかけたものの、市の財政難を理由に断念、朝日館は取り壊しとなり、1996年に当館は開館されたといいます。

所蔵の映画資料はナント50,000点余り、岐阜羽島にこんなすごい資料館があったとは!オドロキ以外の何物でもありませんでした。

それでこのクールス、「バイクと原宿をこよなく愛するチーム」として血判状でもって結成された筋金入りで、リーダーはあの舘ひろしさん(左から4人目)、相棒は岩城滉一さん など後のビッグネームを複数輩出するチームで、岩城さんは別で俳優デビューが決まっており、この中はいませんが、このチームの館さん以下の面々はロックバンドとして活動しながら、時々このように映画に出ていました。

この「暴力教室」という映画は、松田優作さん主演で1976年に公開されましたが、このクールスらが幅をきかせてのさばる荒廃した学園に赴任した不良バスター的な教師役が優作さんだった訳です。

クライマックスでの優作さんと館さんの「タイマン」での決闘シーンは、もっと語られるべき、と勝手に思っています。ストーリーはともかく、この2人の存在感そのものがものすごくて、演技力関係なしに見てるだけで迫力満点でした。

写真の下のメンバー紹介のところで、「ボス=館ヒロシ」と名前がカタカナ表記であったところが、当時の正確な表記であったのかどうか分かりませんが…。まぁこの時代は本当にTVや映画界に「ボス」が多かったものです(笑)

Img_1848

●映画ポスターの数々

これはほんのごく一部だと思いますが、このポスターの数々、「゛オールカラー」とか「総天然色」とか言っていた時代でしょうか。

Img_1850
Img_1849

●映写機

映画そのもののポスターた゜゛けでなく、このような映写機などのハード資料も沢山残っていました。映画といえばこのフォルムっていうぐらいお馴染みの形ですね。

Img_1853
Img_1854

●歴史民俗資料

映画館の方ばかりに目を奪われていましたが、民俗資料の方もしっかり展示してありましたので。

この神輿は昭和35年ごろ寄贈されたようで、近年もこのような神輿を担がれていたようですが、その後担ぎ手が居なくなったようでお蔵入りしている、と記されていました。

渡船場の標柱などもありました。

舟便りの時代が近年まで確実にあった訳で、なんでも便利になったのは良いことかもしれませんが、どんどん風情やのんびりした時の流れが失われていくみたいで、どうなのかな??と思ったりする部分もありますね。

Img_1851
Img_1855

といったところで羽島の旅終わりです。

本当はお寺も沢山あって、いちいち巡っていましたが、そのへんは実際にこの地で見られればと思います。オールド邦画ファンの方は、この資料館はうってつけだと思います。

新幹線で飛ばしてしまいがちな岐阜羽島ですが、少し足を伸ばせばよい旅ができるというものです。

それでは。

2018年8月18日 (土)

名鉄/竹鼻駅・羽島市役所前駅 (岐阜県羽島市)

岐阜県羽島市の名鉄/竹鼻(たけはな)駅・羽島市役所前(はしま・しやくしょまえ)の2駅の御紹介です。羽島市では、新幹線停車駅の岐阜羽島駅をupした事がありますが、羽島市では名鉄駅の方が多く、今回はその名鉄駅の方をupします。

まずは竹鼻駅から。

-名鉄/竹鼻
【路線】名鉄竹鼻線(笠松-江吉良間)
【開業】1921年6月25
【訪問】2011年11月
【1日あたり平均乗降車人員】 2,046人/日 (2016年)
【近隣の都市駅(笠松方面)笠松駅→6駅
           (江吉良方面)新羽島駅→3駅

●ホーム

名鉄竹鼻線という10km程の短い路線の駅のひとつで、その線名を名乗る駅でもあり、それなりの駅でもあるのかな、という感じでした。竹鼻線は名鉄でも愛知県を全く通らない数少ない路線のひとつでもあります。

ただホーム自体は1面1線のみでした。路線自体が短いのでホームが広い必要がないからでしょうか。利用者は少ない訳ではなく、1日あたりの乗降者は2,000人は超えています。ダイヤ的には15分に1本来る形で、決して少なくはないです。

竹鼻線の江吉良方面で江吉良駅へは2駅ですが、隣の羽島線との一帯運行で、その次の駅が新羽島駅であり、ここはJRの岐阜羽島駅と隣り合わせの駅です。つまりは新幹線駅までわずか3駅で着く格好となります。

Img_1666

●ホーム2

沿線の1駅という感じで、特に何という事はありませんでしたが、広告看板の需要は最近やはりあんまりないのでしょうか。ここでも歯抜け状態になっていますが、昔はどこもこういう看板はビッシリだったような気がします。

ちなみに開業は1921年当初いまの竹鼻駅でしたが、その後1929~51年の間は「栄町」駅を名乗っており、その後また竹鼻駅に戻って今に至っています。開業当時は名鉄ではなく、「竹鼻鉄道」という鉄道会社が管轄しており、その本社がここにあった訳です。

Img_1667
Img_1668

●竹鼻駅 駅舎

分かりづらいカットでしか撮っていないのですが、駅舎と周辺の様子です。

この駅ではホームで駅名標も撮っていなければ、駅舎もこんな適当な感じのが1枚あるだけで、特に急いでたとか撮れない状況であったとかの記憶はないのですが…。

平凡な駅舎のように見えて、中部の駅百選として第2回目に選定されています。

ちなみにこの訪問の4年前である2007年までは有人駅舎であり、現在は無人駅となっています。

Img_1671

以上、竹鼻駅でした。

つづいて、羽島市役所前駅です。

-名鉄/羽島市役所前
【路線】名鉄竹鼻線(笠松-江吉良間)
【開業】1929年4月1
【訪問】2011年11月
【1日あたり平均乗降車人員】 1,989人/日 (2016年)
【近隣の都市駅(笠松方面)笠松駅→7駅
           (江吉良方面)新羽島駅→2駅

●駅名標

「市役所前」という路面電車の駅か、バス停かのような駅名ですが、れっきとした名鉄の駅です。

先の竹鼻駅の隣駅であり、この訪問時は竹鼻駅からこの駅まで歩いて行きました。両駅間は約1kmにつき時間さえあれば全然歩いて行けます。ただし、今のような酷暑の時期は1km歩くのも苦行ですが…。

隣駅は江吉良駅であり、竹鼻線としてはここまでとなりますが、その隣が新羽島駅で、江吉良駅から先の羽島線との一帯運行につき、新羽島まで2駅で着き、イコール新幹線駅のJR岐阜羽島駅までわずか2駅の好立地という事になります。

そしてひの一帯運行の竹鼻線・羽島線では、竹鼻線で名古屋本線と接する笠松駅を除いて唯一の有人駅です。それだけキーになる駅という事でしょうか。

利用者数的には竹鼻駅よりほんの少しだけ少ない恰好となっています。

この駅は改称履歴が多く、1929年の開業当初は隣にある「竹鼻駅」をこの羽島市役所前駅が名乗っていました(この時に現・竹鼻駅は栄町駅に改称)。現・竹鼻駅が栄町駅から現在の竹鼻駅に戻った1951年に、当駅は「西」竹鼻駅に改称しています。更には1959年に羽島駅となり、1982年に現駅名になって今に至ります。

Img_1875

●ホーム

1面2線のホームを持っており、この点では隣の竹鼻駅よりも優位性があるというか、設備としても恵まれた格好になると言えます。

待合室もしっかりした重厚なものがホーム真ん中にデンと構えています。

ホームの柱も、待合室の骨組みとなる部分もピンクが使われており、ピンクの大変印象的な駅となっています。

Img_1876
Img_1874

●ホーム連絡

ホームと改札の間は構内踏切で結ばれていて、踏切を渡った後は長く緩いスロープになっていて、両サイドには手すりもつけられていました。

スロープの部分は屋根がついていて、ホームまで濡れずに行けるちょっと優しい、またちょっとお金のかかった?!仕様になっています。

Img_1873
Img_1872

●ホームを外から

1面2線ホームを斜めから見た様子です。

真ん中に待合室が存在感を放っているのと、やはりピンク色を配されているのが目立ちます。

重厚な屋根が長く続いているのも特徴的で、設備的にも周辺の沿線駅より恵まれているのでは、という印象を受けました。

Img_1866
Img_1863

●羽島市役所前駅 駅舎

こちらは横幅はコンパクトですが、ちょっと高めで2階建ての駅舎になっています。

2階は宿直施設との事で、一般用ではなく駅職員用のようです。実質1Fのみですが、それでも駅舎としての建物が2F建てで、有人駅であるという事での規模の大きさが表われています。

タクシーが複数台停まっていて、ここにもまたそれなりの駅であることが表われているように思いました。

という訳で、竹鼻駅とこの羽島市役所前駅につきお送りしましたが、この時の観光で楽しめたのはちょっとした大仏(佐吉大仏)や歴史民俗資料館などでした。街並みも昭和情緒が色濃く残っていました。新幹線だと岐阜羽島は飛ばしてしまいがちですが、ここに降り立ってちょっと足を伸ばす事で、また面白い旅ができるので、行っても行ってもまた行きたい所が増えてしまうのです。

以上、羽島市内の2駅でした。

Img_1730

2017年7月18日 (火)

岐阜/土岐 トキの流れと共に…

岐阜県土岐市、JR土岐市駅からの様子です。

(2005年8月当時)

●駅から目線

土岐市駅を出て眺めた様子です。

何せもう12年も前の姿なので、今はどうなっているか…というところですが。駅記事の紹介からも6年経ってしまい、今やこの当時の画像を残しておいて良かったレベルかもです。

これ以来確か土岐には行っていないと思うので、もっとちゃんと巡りたいと思います。この時もホント駅前をちょこっと歩いただけでした。まず訪問を優先していた事もありまして。

時計の向こうは「よろづやビル 土岐パセオビル」として今も存在しているようです。マンションの下の階にこのビルテナントが入っている格好でしょうか。一見、昭和からの小規模パチンコ屋かと思いましたが…「TOKI PASEO」という表記と色遣いなどが。

Dscf0105_2

●商店街

昔ながらの歩道のみアーケードつき商店街が駅前にありました。土岐市駅前(南側)を直進した所です。

ここから12年経ってこの形を保っているのか?と思って調べてみたら、2015年にアーケードの撤去工事が行われたといいます。老朽化が著しいという事で、2F部分は商店主の住居スペースなのでしょうか?昭和40年代を中心に建てられたものでしょうか??写真撮ったら各建物の建設年代が特定できるアプリでもあればいいのに、と思ったりしますが(笑)

そんな事で、この辺りの様子も変わったのでしょうね、こういうのを聞くとまた行かねば、という気にさせられます。この姿は今は亡き姿になった訳で、貴重なカットとしてここにあげる事ができて良かった、と思います。この土岐駅前はかつてアーケードがあったのだ、という事を伝える事ができるので。

Dscf0109

●中央小橋

土岐市駅から南へ200m程直進した所に小さな川があり、そこにかかっている橋がここにある「中央小橋」です。

昭和7年に竣工し、平成7年には修景されているというこの橋、普通の小橋よりちょっと金かかってる感があり、欄干の部分にちょっとした柄が入っています。

下側の写真には「ビジネスホテル土岐」への案内看板が出ていました。土岐市駅から南へ直進し、この中央小橋を渡って左折し、100mも行かないうちにあります。この辺りは、JR沿線で恵那、土岐市、瑞浪、中津川…などと小さめの街が続いていきますが、このようなリーズナブルなホテルが少しずつあったりします。

Dscf0110
Dscf0111

●商店街2

更に駅から進んで行った様子です。

右側の手前にバス停がありますが、ここは今はEDIONが入っています。当時は分かりませんが、建物からして到底元々EDIONであったとは思い難いですね。

左側ですが、今Google Mapで見ると、殆ど更地になっているようで、これら店店は現存しないようです。

Dscf0112

●商店街終点

上の写真で向こうにゲートが小さく見えていますが、これでした。

ハートキアと銘打った土岐市商店会のゲートです。しかし今ハートキアで検索してもほとんど出てきません。これもGoogle mapで見ましたが、現在このゲートは存在しないようです。

Dscf0113

●中央橋

土岐市駅から、商店街→中央小橋→商店街→中央橋と、南へ直進したのが今回記事のルート取りです。中央小橋の方は小さな川に架かる橋ですが、こちらは土岐川という幅の広い川の上を流れる橋です。

土岐川は庄内川の岐阜県内を流れている部分で呼ばれているものです。

この河川敷では、毎年7月に花火大会が行われ、今年もその「土岐市織部まつり」というものが、7月23日に行なわれるそうです。

Dscf0114

●土岐市駅へ戻る

最後は土岐市駅に戻った様子です。

コンクリート色丸出しの懐かしげなビルがそこかしこにあって、さすがに12年も経てばこの辺も変わってしまっているかな、と思ってこれまたGoogle Mapで確認すると、今もほぼこのまんまで返ってビックリしました。

いつも鮮度のない記事ばっかり書いていますが、実質的に鮮度は保っている、そんな街もある訳ですね。ここの場合は、駅前はそのまんまで、商店街が構造の変革を迫られているという感じで更地になったり、アーケードが撤去されたりしているのですね。

いずれにしても駅から直進しただけで終わってしまったので、次の訪問機会をつくって、もう少し深い旅らしいことを今度はしたいものだと思っています。

Dscf0116

2017年7月 2日 (日)

JR岐阜駅 (岐阜県岐阜市)

岐阜県岐阜市のJR岐阜(ぎふ)です

岐阜市は、岐阜県の南西部に位置し、人口は404,749人(2017.5.1現在)で、
岐阜県の県庁所在地で、かつては大規模な繊維問屋街として栄え、長良川の鵜飼
も有名です。

新幹線の駅がある県でありながら、この県庁所在地である当市に新幹線駅がない
という状態であり、これは
佐賀県(新鳥栖駅のみ)や群馬県(高崎駅と安中榛名駅)、
滋賀県(米原駅のみ)
等と同じ形です。

ここ岐阜の場合は名古屋が割に近くあるという事や新幹線のルートによる部分も
あると思われ、当県では岐阜羽島駅のみが新幹線駅として存在している状態です。

-JR岐阜駅-
【路線】
JR東海道本線(東京-神戸間)
      高山本線(岐阜-猪谷間)

【開業】1887年1月21日
【訪問】初訪問-1993年7月
【1日あたり平均乗車人員】 31,656人/日 (2015年) 
【近隣の主要駅 (東京方面)尾張一宮駅→2駅 
           (神戸方面)穂積駅→2駅
           (猪谷方面)鵜沼駅→5駅


●駅ホーム

ここへ初めて訪ねたのが1993年の事でありますが、その後2005年、2010年など
に何度か訪問していますが、本記事では
2011年訪問当時の写真をお送りします。
(ここ5年くらい行ってないかな…というころでもあり)

JR東海道本線に属しながら、高山本線の始発駅でもあり、この美濃から飛騨地方へも
つながる交通の要衝的存在です。

名鉄にも同名の「岐阜駅」がありますが、少し距離があり、ここから出て北へ
200~300m程歩いた所にあります。降りて真ん前にあるという感じではないので、
「別の場所」という印象が強いです。

Img_0976
Img_0975

●ホーム2

向かいのホームから線路越しのカットです。

ちなみにホームは3面6線あり、東海道本線では上りが1・2番線、下りが5・6番線、
高山本線が3・4番線という構造になっています。

このホームに名鉄岐阜駅があればもっと便利だと思うのですが、距離的には
200mくらいでも、出てすぐに視界に入らないので、全く別の距離がある所、
にしか思えないですね個人的には。

Img_0974

●駅前噴水

駅前広場に噴水がありました。

ビル群をバックにすると画になるな、と思って撮ってみたものです。

個人的には右向こうに写っている中日新聞のマークを見ると、岐阜駅前に来たな
という事を実感します。

この噴水、夜見るともっと綺麗ですよ。

Img_1587

●駅前広場から

の景色です。

末広がりの階段が、本当に漢数字の「八」のようで、なかなか縁起良さ気な
雰囲気でした。どこかスタジアムのような雰囲気を感じました。

階段を下りてからの広場スペースも広く取られていて、ゆったり感は満点です。

Img_1588
Img_1589

●黄金の信長

駅前の象徴的存在となっている「黄金の織田信長像」です。

右手に持っているのは鉄砲でしょうか。

織田信長といえば、尾張というイメージが個人的に強くて「岐阜??」と思ったの
ですが、1567年に信長は岐阜に入城して天下統一の足掛かりとしていき、同時に
この地を「岐阜」と命名したのも信長だといわれており、非常につながりの強い
存在だったのですね。

確かに信長にとって美濃という地は、マムシとよばれた斎藤道三がじっくり腰を据え、
なかなか攻略できない所で、斎藤家の代が変わったところが狙い目だったのかなと。

2017年、信長の岐阜入城・「岐阜」命名の450年を記念してプロジェクトが立ち上げ
られています。 ⇒ コチラ

Img_1592

●夜の噴水

夜は駅前が広範囲にわたってライトアップされており、どこもかしこもとにかく
綺麗です!

噴水はこの時はあまり出ていませんでしたが、このようなブルーラインを描いて
いるかのようでした。

Img_1580

●駅前ネオン

昼間の風景で撮っていませんでしたが、駅の2F部分から街の様子を眺めると、
なかなか素晴らしいもので、夜にこれを撮るとこんな感じになります。

通路脇の何の変哲もない?柵が、夜になると一転してブルーに染まり、
ピカピカネオンの一帯をけん引しているかのような存在になっています。

ブルーラインが曲線を描きながら、向こうへ伸びていっている姿はまさに
「近未来都市」さながらの雰囲気でした。噴水を中心としてアレンジのスポットライト
が当たっている感じも素晴らしかったです。

最近、各町で駅前の夜のこういったライトアップの類があって、とても綺麗ですが、
岐阜駅の夜景もなかなかのものです。

Img_1573
Img_1574
Img_1575
Img_1577

●岐阜駅 駅舎

駅舎前に通路が出ていたり、だだっ広い駅舎であったりして、なかなか全体感が
分かるようなカットが駅前では撮りづらく、これは泊まっていたホテルから見下ろして
撮ったものです。その分詳細が分かりづらいかもですが…

通路があちこちに伸びて立体交差している様が分かります。高架駅になってから
このような形になったのでしょう。1997年に高架駅が完成し、2004年には高架化事業
が完全終了されたとあり、1993年に初訪問して2005年に再訪するまで、一連の
事業が行われていたところだったのですね。

県内の大垣駅に比べると高さでは低いですが、横の長さは断然長く、さすが県下を
代表する駅、というところです。

Img_1581
Img_1584
Img_1585
Img_1583

●1993年の岐阜駅

最後に、初訪問時の駅の様子です。

1997年に高架駅になる前の岐阜駅の姿ですが、この時期に訪ねて写真に残して
おいてよかったとつくづく思います。

駅舎の形や構成物、前に停まっているタクシー、すべてがゴツゴツ感に満ち溢れて
いるような、そんな印象を今となっては受けます。てっぺんの看板類も当時を象徴
していて、こういうスタイルの駅舎って今やかなり少なくなり、寂しくもあります。

0028

2016年10月12日 (水)

岐阜/美濃加茂 太田・星座散りばめられた街

岐阜県美濃加茂市、JR美濃太田駅からの歩き旅です。

(2013年11月当時)

シティホテル美濃加茂

のロビー?入口部分です。

このホテルは駅記事にもその写真が載っていますが、2009年宿泊時にも利用し、この2013年の再訪時にも利用させて頂きました。美濃太田の駅南口を出て左すぐ前にある実にアクセス至便なホテルなのです。

1F入口部分は旅行会社が入っていて、これを更に中へ入って行ったところです。フロントは右端に覗いている階段を上がった所にあります。

にしてもこのクリスマスの飾りつけは出迎えには素晴らしすぎて、夜泊まりに来る時にものすごくほっこりした覚えがあります。

Dsc09432

●街道マップ

"江戸と昭和に出会うまち"美濃加茂市、と駅の案内板に記されていました。

ここは江戸時代に中山道の「太田宿という宿場町として栄えた地で、中山道最大難所のひとつである「太田の渡し」がある、とあります。岐阜というこの内陸部に水の難所?と思っていたら川なんですね。

確かに江戸時代は舟運で栄えた地が多く、川というのは重要な交通機関のひとつだった訳で、この絵にもその事が現われていると感じます。

ちなみに太田というのは、この地の以前の自治体名でもあり、その時は加茂郡太田町と名乗っていて、やがて自治体名が変わる時に太田の名は駅名や住所として地名としては残りながらも、自治体名としては「加茂」の方が使われ、加茂市は新潟県にもあった為か、「美濃」加茂市と旧国名が冠された形になるという、ちょっとミスマッチな事になってしまっています。「美濃加茂市の美濃太田駅」という…

Dsc09439
Dsc09441

●いざ!

さて、ではここから、美濃太田の駅からの歩き旅開始です。

までは駅前通り。そこそこの高さのビルがいくつか見え、幾分市の中心駅前の通りの雰囲気は出ていると感じます。

Dsc09445

●この星座は…?

なんでしょうか??

美濃太田の駅前通りにはこのような、星座の像が並んでいるのです。

ちなみにこれは…

「うお座」です。

美神アフロディーテが息子と散歩をしていたら、怪物と呼ばれるデューポンと出会ってしまい、川に飛び込んで魚になる事で難を逃れたといい、うお座はこの時の姿が空に上がったもの、と言われています。

と、下の説明文に書かれていました(笑)

Dsc09446

●金色

この星座は、分かりますね??

「おひつじ座」です。

羊なのにフカフカでなくて、また角もすごいですが、角がこれよりすごい羊も実在するんですね。

この通りで、色んな星座の具現物が像として表れていますが、これが最もインパクトありましたね。街の中にそびえたつ、金の羊ですsign03

Dsc09448

●美濃加茂マンホール

日本ライン下りの船と、舵を取る船頭さん、だそうです。

この美濃加茂市から愛知県犬山市までの木曽川ラインの峡谷を日本ラインと呼びます。「日本~」とはまた壮大な名前だな、と感じざるを得ないですね、

Dsc09450

●「太田駅前」交差点

十六銀行などの金融機関があり、その他いろいろとビルが続いていく通りで、美濃太田の駅から南へ100m程の地点です。

2枚あるうちの上側は駅からまっすぐ(南下)の方向、下側は右へ曲がった形のものとなります。

十六銀行のどっしりとした雰囲気とてっぺんの看板がより都会感を演出しているように見え、人口5万そこそこの市の中心駅前よりもっと栄えてる雰囲気を感じました。といっても人で賑わっている訳ではありませんでしたが。

Dsc09451
Dsc09452

●おうし座といて座

その通りですが、いちいち造りが見事だなと思ってしまいます。

いて座の傾き具合なんていい感じです。

Dsc09453
Dsc09454

●「太田町」バス停

駅から南へ300m余り直進した辺りにあるバス停です。

こちらは「東鉄バス」というバス会社のバス停で、東鉄とは「東濃鉄道」の略で名鉄グループのバス会社です。

「鉄道」の名が示す通り、元々は鉄道会社で笠原線(多治見市)や駄知線(土岐市)などという路線の電車が走っていましたが1978年までに廃止されてしまい、現在はバス一本で運営しています。

Dsc09459

●これは何座??

「てんびん座」です。

つい、天使みたいなのが天秤を両肩にかけて…みたいなのを想像しがちですが、ここのものは全然違っていました。ジャンヌダルクかと思いました(笑)右手には剣のようなものを持っていたので…

Dsc09463

●あい愛予約バス

「おでんくん」ではありません。

美濃加茂市のコミュニティバスです。あい愛バスという路線バスが複数路線で1日数便ずつ出ていますが、こちらの「予約バス」の方は一定区域内で走っている予約制のバスという事で、前もって電話して下さい、とありました。

ちなみにこの絵にあるのは「美濃加茂定住自立圏のマスコットキャラクター「かも丸」です。プロフィールはコチラ  江戸時代生まれだそうです(笑)

Dsc09464

●太田本町

美濃太田駅から南へ500m程度進んだ所の「太田本町1」交差点より程ない所で、これを右折して中山道の道を西へと進んで行きます。

さすが街道の通りというか、渋い懐かしげな建物が軒を並べています。「太田宿」を冠したお店も。下側の写真の「魚武」は「うおぶ」と読むようです。仕出し屋さんで、お祝いの席の料理なども賜っているとか。

Dsc09466
Dsc09468

●木曽川へ

太田本町1の交差点から更に南へ進めばすぐにこの木曽川へ行き当たります。

太田宿のこの木曽川の辺りが中山道屈指の難所と言われていたそうで、太田宿の版画も川での舟の航行や舟を待つ人が描かれていましたが、この辺りがその絵の現在の姿になるのでしょうか。

下側の写真は橋をupにしたものですが、西側を向いて撮ったもので、「中濃大橋」という橋です。木曽川に架かる国道41号上のバイパス道であり、長さは380m、1969(昭和44)年竣工式が行われています。こんな立派な橋でも、もうできて50年近くになるのですね。

Dsc09474
Dsc09476

●太田稲荷

最後はこのカットで。

お稲荷さんらしい、赤鳥居の続く様子はどこで見ても見事なものですが、これは街道沿いのお寺『祐泉寺」に含まれているものです。

Dsc09483

2016年8月30日 (火)

岐阜/瑞穂 みずほのほづみは虹のトンネル

岐阜県瑞穂市、JR穂積駅からの歩き旅です。

(2013年7月当時)

●虹のトンネル

穂積駅の高架下のトンネルです。駅記事にもこんな虹のトンネル載せていましたが、絵が違います。記憶が定かではないですが、反対側のものではないかと思います。駅記事は2007年4月当時のもので、今回記事分はその6年後に再訪した際のものです。

駅記事の写真があまりに乏しく、再訪してもう少し時間をかけて歩いたものですが、そのおかけで今回記事になんとか載せられるくらいのネタはできたかな、という感じです。

Dsc03996

●バスのりば

穂積駅のバスのりばです。

前回訪問時に確認できなかったのですが、駅前広場の外周部部分がこんなに濃いブルーのバス専用ゾーンがあったとは!こんな印象的なものは撮らない手はない、と言わんばかりに撮りました。

で、ここののりばの行先は「大野バスセンター」というものでした。どこにあるのか?と思っていたら揖斐郡大野町という郡部の町役場の前なのだとか。「大野穂積線」として走っています。鉄道が配線となってしまった大野町を訪ねたい場合は、ここからアクセスすれば良い訳ですね。

Dsc03999
Dsc04000

●バスのりば2

こちらは朝日大学のスクールバスのりばです。

朝日大学って岐阜県にあったのは知っていましたが、詳しくどこにあると意識した事がありませんでした。それで調べてみたら瑞穂市穂積…ってここではありませんか!普通に岐阜市とか勝手に思っていたので…

Dsc04002

●県道188号

穂積停車場線ということで、停車場線というのは、よくある駅前の道路ですね。

建物でぎっしりの駅前通り、という訳ではありませんでした。

Dsc04004

●穂積郵便局

穂積駅から200mほどまっすぐ歩いたところにある本局です。

2F建て部分だけ見ると、こじんまりした感じですが、右側に平屋の部分があり、そこそこの広さになります。

1918年開局という事で、再来年に開業100周年を迎えます。

Dsc04005

●穂積郵便局バス停

その郵便局のバス停です。

穂積駅の隣の停留所になります。

穂積駅の所で載せた写真のバス停は「岐阜バス」というバス会社のもので、ここの分は「みずほバス」とあり、瑞穂市のコミュニティバスと思われます。

路線図を見ると3路線走っており、時刻表を見ると、各々の右回り、左回りという形で運行されており、料金は一律100円となっていました。どの路線もだいたい1日に4~5本程度で、利用するならよく時刻を見て、という事ですね。10、13、14時台は全ての便が全く走っていない状態でした。

「みずほ」の「み」から一筆書き状に飛び出ているのがちょっと面白かったです。

Dsc04006
Dsc04007
Dsc04008

●街灯の上

駅前通りの街灯の上部をアップにしたものです。

何かよく分かりませんでしたが、太鼓持って叩きながら踊っている感じでした。

Dsc04011

●瑞穂市掲示板

こういった市や地域の掲示板は、その地域ならではの物の宝庫ともいうべき存在なので、特に意識して撮るようにしています。

千日詣り、とかシビれます(笑) それにやはり「盆踊り大会」とか、ローカル丸出し感がいいですね。後にもなかなかな記録に残り難いものであればある程、こうしてカットとしておさめるのは貴重な事ですし。

Dsc04016

●モーニング

そこそこ歩き回って、朝食頂こうかという事で寄った喫茶店「とらいあんぐる」さんです。

食べログはコチラ

最近思うのは、喫茶店減ったな…という事です。外食チェーンやコンビニなどは増えて、非常に便利になったように見えますが、こういった喫茶店の方が居て落ち着きますし、地域に根差した感をすごく感じるんですよね、昔っから喫茶店巡りが趣味みたいなもんだった自分からすると。

メニューが色々あった印象ですね。このお店。3年前で記憶が薄れかけていますが、メニューが多かった事だけは覚えています。位置的には穂積駅の南300m程度でしょうか。

Dsc04019

●時は、止まれり

最後になりますが、この昭和感満載の風景。

いまや「洋品」という言葉が死語になり、というか、我々も子供時代は洋品店って普通にありましたが、それが何を意味するのかよく理解していなかったです。そうこうしてるうちにだんだんこういう店舗はなくなっていきました…。

そして下側は酒屋さん(三乃一酒店)とパン屋さんだったのでしょうか。パン屋さんの方は庇がへしゃげてしまって、すごい形になってしまっていますが…。昭和にヤマザキデイリーストアなどないので、ヤマザキパンの看板のかかったお店は大抵純粋なパン屋さんでした。お店に入るとほぼパンだけ売ってるという。ディスプレイとか明かりとしかそういうの度外視で、とにかく売ってる中で食べたいパンを買うという、そんなスタイルだった気がします。

こういうスポットがある街は大抵なにかしら記憶に残り続けます。

瑞穂市穂積、ミズホのホズミ、ご当地らしい歴史に触れるとかそういう部分はなかったものの、この風景もこの街の歴史であり、なかなか良い街でした。

Dsc04022
Dsc04023

2016年6月 8日 (水)

岐阜/恵那 大井なる宿場町!

岐阜県恵那市、JR恵那駅付近の様子です。

(2005年8月当時)

●駅前通り

今からもう10年以上前の鮮度のない記事になってしまいますが、逆にここから今どう変わったのか、変わっていないのか、また実際に確かめに行きたいところではあります。(2009年再訪時はほとんど変化なしでした)

3F建てぐらいの中層の建物が続く感じでした。ちょっと横道それると一転して古めかしい店が軒を並べてたり、雰囲気が変わるので、そういうところも見どころかと思います。

Dscf0025

●更に進む

駅前通りに入っての様子です。

やはり中層の建物が続いていて、小都市なりの駅前通りの体を保っている感じでした。歩道もそれなりに整備されていました。

この辺り両サイドにコーヒーショップがあったように記憶していますが、今もあるのやら…?

Dscf0026

●横道入れば…

恵那駅前広場向こうすぐの信号から駅前通りを歩いた次の信号、駅から50m程の地点になりますが、ここを左折した所です。いかにも地方らしい商店街のいでたちがそこにはありました。

「中山道」の看板と共に街道らしい街灯が並んでいましたが、実際の街道はここよりもう一つ駅から離れた平行に続く道路になります。

Dscf0029

●中山道の案内

上の写真より更に駅から離れて平行な通りへ、これこそが旧中山道の街道となります。

この地は旧中山道の大井宿として栄え、この辺りには数々の見どころがあります。街道に沿って歩き旅すれば、恵那の旅としてはそこそこ収穫が多いものになるかとは思います。

Dscf0030

●中山道大井宿

という名の居酒屋がありました。あまりにもダイレクトな名前すぎて忘れられません。検索してもなかなか出てこず、現存しないのかもしれませんが。

Dscf0031

●大井橋

大井宿の雰囲気を漂わせるエリアから橋を渡ろうとすると、その欄干に江戸時代の宿場町の絵がズラリと並んでいました。歌川広重の中山道大井宿の絵は、すっかり積もった雪の上を歩く人々のカットでした。

この橋の下を流れる川は阿木(あぎ)という木曽川水系の川です。「大井宿」というと大井川を連想しがちですが、大井川は静岡県の川ですねdelicious

Dscf0034
Dscf0033

●大井村庄屋古屋家

全体像のない雑な写真ですみません、当時はかなりこういう撮り方的なものを意識しておらず、建物があったら、その建物が写ってさえいればいい、という気持ちでしか撮っていませんでした。

天保元年から約20年間庄屋を務めたとあり、江戸末期に要職を務めた家柄という事ですね。村長(むらおさ)というか、そんなところでしょう。

間口が27m、奥行きが65mあり、茶室にまた特別茶室があるというなんとも贅沢な部屋割りのようです。2Fは高さが低く見える「つし2階」という構造です。高く見せると大名行列でお殿様が通る時に「なんだこの家は!」という事になるので、控え目につくっていたのだとか。

ここにはこの庄屋古屋家の方に庄屋古山家もあったりしてややこしいです(笑)

Dscf0038

●明治天皇大井行在所

行在所は「あんざいしょ」と読みます。

岩井邸という邸宅ですが、宿場町の時代は大井宿の旅籠であったところです。

というかこれもまた雑な撮り方ですみません、どんな建物か分からず、間口しか撮っていないという雑さ、記事にするに値しない気もしますが、こういうものがあるという事だけ見せておきたいと思います。

岩井邸とありますが、岩井氏が所有したのは明治に入ってからで、江戸末期は伊東弥兵衛という当主が庄屋を務めていたそうです。1880(明治13)年に伊藤氏が当主の頃、明治天皇がお泊りになるという事で、その際に造られた風呂や部屋などは、当時のものが今も残っているという事です。

Dscf0040
●下問屋場跡

大井宿の下問屋場跡という事でこの案内板だけが建っている格好です。

問屋場が上と下2ヶ所あっちという事で、コチラは下問屋場であったといいます。

ここにあるように人や荷物の継立事務を行っていたという事で、宿役人と下役人で月の半分ずつ上と下で交互に勤務していたとあります。

Dscf0041

●中山道ひし屋資料館

先に庄屋古屋家に古山家というのもあって紛らわしいというような事を書きましたが、この建物こそが「古山家」の方です。ひし屋は「菱屋」という屋号であった事からきています。

中山道大井宿の有力な商家であったところで、当時の様子へと改修復元しているといいます。当時の当主がたしなんだ俳諧など古文書もあり、大井宿や近隣の村に触れる資料もあるといいます。尚、入館料は大人200円と有料です。

Dscf0042

●大井宿いろいろ

大井宿を示す標識あれこれという事で載せました。

もう少し建物をきっちり取っていればマシな記事になったところが、当時まだブログもやってなかったし、とにかく姿かたちだけ何かしら撮って、自己満足の達成感を得ていただけだった、というのが今にして思えばよく分かります。見せる要素がなかったなと。

今同じ個所を巡って撮ると、だいぶ違った様子になるかも。そういうのを感じに再訪するのも面白いかもしれませんね。とにかく恵那市は大井宿。そういう事で(^^

Dscf0045
Dscf0047

2014年9月10日 (水)

岐阜/郡上 長良川in北濃

岐阜県郡上市、長良川鉄道/北濃駅の駅前風景です。

(2010年5月当時)

●北濃駅の解説

まずはこれから。

北濃駅にあった解説板です。

この時、郡上市を初めて訪ねるにあたり、郡上八幡の駅とこことどちらにするか迷いました(時間的に両方はムリという事もありました)が、長良川鉄道で最果てまで行く事にして、ここに行き着きました。

美濃太田から実に72.1km。郡上郡白鳥町と旧自治体名で表記されていますが、現在は「郡上市」です。海抜は446㍍。さすが内陸部、です。

ご案内として色々出ていますが、ちょっと歩きで行くには遠いですね、、レンタカーかタクシーが要るレベルです。周りのアバウトな地図もありましたが、殆どスキー場という感じでした。

Himg0073

●駅前道路

駅前に通りがあるという感じのロケーションではありません。

こういう幹線道沿いにポツンと駅があるという感じで、右側は川です。

Himg0077

●橋

上の写真の右端にチラリとのぞいて見える橋を渡るところです。

五月に入っていながらまだ桜?!が咲いているような所でした。

Himg0083

●川

この川は長良川です。

鉄道も「長良川鉄道」というくらいなので、付近を流れる川も当然それな訳です。「長良川艶歌」のあの長良川ですね。「日本の水浴場88選」の中で唯一、河川として選ばれているという素晴らしい川でもあります。

この辺りでは南北に流れていますが、少し北へ行くと、西へ90°ぐにゃっと折れ曲がます。

Himg0082

●川 反対側

橋から、今度は反対向いての景色です。

左が街側であり、駅もこちらにあり、右が山側となります。

川の眺めの素晴らしさ、自然に恵まれ、休日の気分転換にはうってつけの場所と思います。

Himg0084

●この花は…

サクラか桃か…サクラにしては濃いかなと思いましたが、時にGW真っ只中で、この辺りでは桜でもおかしくはないのかな…とも思いました。いずれにしても5月初めにこんなピンクの綺麗な花を見れたことが、ここ郡上市北濃のいちばんの個人的ハイライトかもしれません。

そんなこんなで、短い距離の旅?!でしたが郡上市でした。今度は郡上八幡のお城を見たいところです。

Himg0087

2014年7月21日 (月)

岐阜/下呂 温泉宿の街並み

岐阜県下呂市、JR下呂駅からの歩き旅です。

(2013年11月現在)

●下呂駅前

下呂駅と向かい合う形で土産物屋等の店が並びます。

あまり都市ではない所の観光地に時々ある風景ですね。箱根湯本とか木曽福島とかこんな構造でした。飲み食いできる場所が駅近くにあるのは助かります。

Dsc09549_2

●駅前広場中心

駅前広場の中心は単なる植込みエリアではなく、龍の口から水は出てるし、「白鷺が見つけた 下呂の温泉」なる説明碑があるわ、両サイドには街灯が立っているわで、さすが観光地。なかなか手間と金がかかっています。

Dsc09550_2
Dsc09551_2

●歓迎 下呂温泉

と、あるオブジェ(屋根の発達型?!)を挟んで、右側に下呂駅、左側は駅前の物産展街です。駅前の充実具合が窺い知れると思います。

Dsc09559

●下呂マンホール

下呂温泉が「白鷺が教えた温泉」という事で、その白鷺が前面に出ています。

それでもって「いい湯 いいまち 下呂のまち」のフレーズが横に入っています。白鷺の足下は温泉なのでしょうね。

Dsc09555

●赤と黒

2010年に日韓共同制作として作られたドラマ「赤と黒」のロケ地として、この下呂駅が使用されたそうで、下呂での撮影は2010年2月に行なわれたといいます。主要キャストは韓国勢で、殆ど韓国ドラマというところですが、日本人勢では豊原功補さんなどが出演しています。

Dsc09561_2

●顔抜き看板

観光地によくある「顔抜き看板」ですが、やはり下呂温泉がモチーフとなったもので、温泉に浸かっている親子、といったところでしょうか。

バックには合掌造りの家屋が描かれており、これもまた当地の名物のひとつでもあります。

Dsc09563

●温泉街への道

「温泉街」とゲート入口のようになっていますが、要は駅の自由通路の入口で、ここから線路の下をくぐる形で駅舎の反対側へ出て、温泉街へと進んで行く事となります。

中心市街が駅市のある側と反対側って大分県の日田市もそうだったな、、と思いながらここを歩いてました。

Dsc09568

●地下道

下呂駅の真下にある地下自由通路です。この向こうが温泉街への道となります。

Dsc09574

●地下道抜けて

駅の地下道を抜けて、駅舎と反対側へ出るとこのような景色が目に飛び込んできました。

温泉関係のホテルやお店の数々が既に見えてきており、ここを流し歩くだけでもそこそこ旅気分が味わえます。

Dsc09578

●湯元

と書いてある大きな給水塔のような建屋、駅反対側へ出てすぐの地点です。

調べても何かさっぱり分からず、湯元館という温泉旅館はここより離れた所にあり、「湯元」で検索しても意に沿う答えは得られずでした。源泉のタンクか何か、かな?と勝手に想像していました。建物が妙に素晴らしくて。

Dsc09580

●アメリカン招き猫

上の写真の向こう側にある招き猫幕の建屋は土産物屋ですが、その表にあったこの大きな招き猫。

この猫は、勝海舟と共にアメリカへ行った猫を先祖に持つもので、アメリカ猫になり切っているという事で、目が青かったり、英語が書かれていたり(招福の代わりに「LUCKY」)、ドルを持ってたりとかしている、という事です。最後には「英語で話しかけて下さい」とも。

「気やすくさわるとかみつきますので ネコに手をふれないで下さい」ともありました(笑

Dsc09586

●下呂大橋から

橋に差し掛かった所のカットです。

向こうには沢山の温泉宿があり、賑やかな様子が窺えます。

熱海もそうですが、人口3,4万位の街でもこんなに賑やかなのは、ひとえに温泉を武器に観光地を形成できているから、と感じさせられました。

勿論温泉があるだけでなく、それを利して様々な手を打つ必要がある訳ですが、下呂の場合は草津、有馬と並ぶ日本三名泉ともいわれ、そのブランド力は大きいと思います。

Dsc09590

●川向う

橋をずーっと渡って来ているところですが、向こうの温泉宿の並びと、紅葉(訪ねたのが11月だったので)と青葉とのコントラストや、向こうにそびえる山の稜線と…いろんなものが重なり合って、美しい風景を作り上げている、そんな感じでした。

風景好きな身としては、これ見るだけで下呂に来て良かったと思ったぐらいでした。

Dsc09597

●リバーサイド

この記事最後の写真ですが、下呂大橋の下を流れるのは飛騨川で、木曽川水系の一級河川です。

飛騨川は148kmの長さを誇りますが、流域は岐阜県内に収まります。それだけ岐阜県が広いという事でしょうね。

両サイドどちらにも温泉宿が建ち、特に右側はずーっと並んでいます。日本を代表する温泉の街なので、なかなかの壮観です。温泉宿で豪勢に…というのとは無縁の旅だったので、このての宿の相場すら知りませんが、どこかで余裕ができるような事がもしあれば、その時はこういう宿でお泊りを考えてもいいかな、という所で下呂市でした。

Dsc09602

2014年6月24日 (火)

岐阜/瑞浪 瑞浪駅前の風景2005

岐阜県瑞浪市、JR瑞浪駅前の様子です。

(2005年8月当時)

Dscf0093●駅前広場

瑞浪駅前広場の一角です。

タクシーが連なっている部分で、駅を出て広場の右側から撮った様子です。なので向こう側が駅前広場の左側という事になります。

ゴツゴツしたコンクリのビルが沢山ありました。今からもう9年も前の風景になりますが、ここがどれほど変わったのか変わっていないのか?、長いこと訪ねていない街をここ最近記事としてあげていますが、ここもそのひとつです。

Dscf0096●駅から左

駅前広場を過ぎて、左を眺めた様子、幹線道であり商店街が形成されていました。

「市営浪花駐車場」なんてのがありました。「なにわ」と読み、大阪かいな?と思わされそうですが…。瑞浪のうしろの「浪」から取られたのでしょうか。

しかし通りの右側に続くコンクリート建屋の渋さ具合がなんともたまりません。

Dscf0097●駅前道

こちらは駅出てまっすぐ伸びている道路です。

上の写真のような線路と平行な通りの方が栄えていて、こちらの通りは道路だけ立派という印象がありました。この通りを詳しく行かなかったので実際分かりませんが、見る限りコレというものはなさそうで足を踏み入れませんでした。

Dscf0099●商店街

瑞浪駅前広場から左にそれた通りですが、そこそこの高さのコンクリートゴツゴツの建屋の下に色々な商店が軒を出している、という姿が続いた商店街を形成していました。

今も営業しているお店がどの程度あるのかな、と時が流れるとすぐ考えてしまいます。

結局コンクリートのゴツゴツした建屋が駅前に続いていた、の一言になってしまう瑞浪駅前の感想/印象でしたが、これ以上の旅としての「収穫」を得るべく、次にまた訪ねたいな、と…、、そんな街が多くて困ってしまうのですが…(笑

より以前の記事一覧