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14神奈川県

2017年6月17日 (土)

JR横須賀駅 (神奈川県横須賀市)

神奈川県横須賀市のJR横須賀(よこすか)です

横須賀市は、神奈川県の南東部、三浦半島に位置し、人口は403,429人
(2017.5.1現在)で、昭和50年代の歌謡曲でも度々取り上げられた港町で、
思いつくだけでも

「横須賀ストーリー」


「横須賀Baby」

「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」

といった具合です。

人口は最盛期では43万を数えた事もありましたが、今は減少に転じて、
神奈川県では人口第5位の都市となっています。(横浜・川崎・相模原・藤沢に次ぐ形)

-JR横須賀駅-
【路線】
JR横須賀線(大船-久里浜間)
【開業】1889年6月16日
【訪問】初訪問-2004年6月
【1日あたり平均乗車人員】 5,583人/日 (2015年) 
【近隣の主要駅 (大船方面)逗子駅→3駅 
           (久里浜方面)久里浜駅→2駅


●駅名標

三浦半島の先端まで走る「横須賀線」の駅で、その先端の久里浜駅まで
2駅という事で、かなりのシーサイドなロケーションになっています。つまり
海の近くにあるという事なんですが…。

横浜と並び称される事もよくありますが、横浜のような街の賑わいではなく、
もっと海の際のような場末感があるというか、横浜よりアウトロー感が強い
かな、と感じます。

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●側線上

ホームから離れた側線に停まっていたこの車両はいわゆる「マルタイ」(マルチブル
タイタンパー)で、軌道整備用のものです。レールの寿命を延ばすため、レールの
頭部を極々薄く削り取るなどをしています。

ユニオン建設というところのものですが、デザインがいいですね、色んなものが
あしらわれていて。作業車両にしとくのが勿体ない?!

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●ホーム

人口40万超の大都市の市名を名乗る中心駅の割に、実質1面2線という
規模の小さいホームとなっています。この右にももう1面ホームはあるのですが、
使われておらず草むらと化し、このホームの両端のみが実質有効となっています。

屋根が長く取られ、幅も広いのでそこだけは大きな駅という感じですが、
都市の大規模駅とは全然違う感じです。このひと気の無さからも感じられると
思いますし、利用者数も1日平均5,000人程度なのです。

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●幻の一面

先述の草むらと化した1面が左端に写っています。

この面は手前側のホーム部分はこんな形なので活用もされていませんが、
出口に近い向こう側は活用されていて、その様子はこの後の写真に出てきます。

で、右側に見えている線路はここで行き止まりになっていて、いわゆる
頭端(とうたん)式ホームの形になっています。終着駅でもないのに頭端式ホームが
あるという不思議な状態になっています。

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●幻ホームの活用部分

上の写真ですっかり草むら化していた端側のホームですが、この手前が出入口で、
この見えている部分のみが活用されていました。

トイレであったり、鉄道写真を展示していたりとギャラリーとしての活用もされて
いました。「旧・駅長室」という表示も見られます。

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●頭端部

駅の改札を入った直後辺りの様子です。

この正面の線路部分は、頭端式で行き止まりとなっていて、左側の線路部分は
途中駅らしく、線路が続いています。なんとも不思議な構造です。

ここまで見て分かるかと思いますが、ホーム内は一切の階段・段差がありません。

そして改札外も全くそのようなものはなく、駅に入ってから電車に乗るまで、
一切の段差がない、天然の完全バリアフリー構造の駅なのです。

それにしてもこの雰囲気、人口40万超の都市の市名駅とは到底思えない、
のどかで穏やかな雰囲気そのものです。

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●駅舎内も

御覧のように完全バリアフリーです。

対応しなくても完全に天然バリアフリーなのです。素晴らしいですね。

広々とした構内ですが、これという施設はありませんでした。この時は2013年
でしたが、右に写っているコンビニのNEWDAYSぐらいでした。

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●駅出て目線

くるっと丸いロータリーにバスが数台停まっていました。この角度から見ると
ちっぽけですが、違う角度から見るとこれが素晴らしい姿になります。
これもまた次の写真にて。

この左に隠れている部分が海になり、シーサイドロードがずっと続いていく訳で、
いかにもというぐらい「横須賀の海辺」を堪能する事ができます。

それにしても閑散気味でした。決して田舎ではないんですが、これだけ見ると
田舎っぽさも想像するかもしれませんね。

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●横須賀駅 駅舎

何度も言いますが人口40万超の中心駅です。

この建屋がそれに見合う規模とはとても思えません。なんでこんなに小さいの??
と思うでしょうが、これも先述の通り利用者数が少ないのです。

バスがズラッと並んでいる光景は圧巻でした。

いわゆる「どぶ板通り」は、ここから少し歩けば行き着きますし、「スカジャン」
売ってる店も多数あります。

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2017年1月29日 (日)

神奈川/逗子 鎌倉の鶴 逗子の亀

神奈川県逗子市、JR逗子駅からの様子です。

(2011年2月当時)

●逗子マンホール

今回の逗子市は、旅というより、JR逗子駅から京急/新逗子駅までの徒歩移動しただけ、という感じで、その途中の風景はこんな感じという記事にとどまるかと思いますが、そんな中でまずはこのマンホールから。

「ずし」などの明記がなく、市のマンホール化よく分かりませんでしたが、検索すると市のマンホールのようです。海の波につばきを散りばめたものだとか。「青い海とみどり豊かな平和都市」を標榜しているそうで。

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●逗子市役所

市役所は逗子-新逗子間というより、ほぼ新逗子駅前にあります。

マンホールの写真のところで「青い海と…」と標榜している旨書きましたが、まさにその通りの文言がここの建物の幕にも吊るされていました。

よくある感じの建物かな、と思っていましたが、入口の上の部分?の格子のベランダ??のようなものがかなり異質で、建物のアクセントとしてインパクトを感じました。

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●亀岡八幡宮

なんてことないそこらのお宮かと思って、さして意識もせず通っていました、そんな大きな神社でもなかったしで。ただ、この名前の由来は鎌倉の鶴岡八幡宮に対しての亀岡八幡宮とつけられたのだとか。この辺りがなだらかな岡で亀の背中のようであった事からきているという説もありますが。ただ創建年代に関しては不明です。

それにしても鶴岡八幡宮に対して、の割に規模が違いすぎるなと…。

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●保存樹木指定標識

両駅の移動のみにつき、足して写真も撮れていないのですが最後の写真です。

亀岡八幡宮の保存樹木のリストが見取図と共に表されていました。

沢山の木々が保存対象になっているのですね。

20m前後の樹が実に多く、太い幹の樹も実に多い、新逗子駅前というロケーションにおいて、異空間ともいえる場所だと思います。

やっつけ仕事の如く、逗子駅と新逗子駅行ったようになってしまったので、今度は寿司という街をちゃんと味わいながら訪ね歩いて、再び記事に載せられたら…と思いますが、それはいつのことやら…いろんな場所に対してこういう事書いてしまって。旅行で写真撮るというInputに対して、こうして記事をあげるというOutputが圧倒的に追いつかない状況がなかなか打破できずにいます。これを解消するには、しばらく旅行をやめるしかないのかな、と。

ともあれ次に逗子へ行くと時はマリーナシティーの側面をおさめられればと思います。

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2016年7月10日 (日)

神奈川/厚木 37回目の夏~ボンのいた風景

神奈川県厚木市、ここでの旅はハッキリと目的を決めてやってきました。それは…

「ボンの殉職地探訪」です。

よって、今回は旅記事というよりもドラマヲタクの聖地巡り的な要素が強くなると思います。

1972年からスタートした刑事ドラマの金字塔「太陽にほえろ!」、このドラマでは14年間の放送のうちに実に11人もの殉職者を出し、「殉職」という言葉を世に定着させたドラマといっても過言ではありませんが、その1人であるボンボン刑事(ボン=演:宮内淳さん)の殉職地が今回記事の訪問地です。

他の刑事の殉職もロケで結構行われていますが、都内だったり海外(カナダ!)だったりで、「ここなら行けるかな」と思ったのが厚木で、また歴代刑事の中でも特にボンが大好きでどうしても訪ねたかった!というのも多分にあり、2013年6月遂に訪ねました。

ボンの殉職は、長い歴史のこの番組のちょうど折り返し地点にあたる1979年7月13日の金曜日に放送されました。そのタイトルも「13日金曜日、ボン最期の日」でした。当時、小学3年生でしたが、「太陽にほえろ!」の"本放送では初めて"刑事の殉職を見る事となった(再放送ではジーパンやテキサスの殉職は見てましたが…)ので、親からその話を聞いた時は衝撃的でした。その割に「最期」の漢字が読めず、親に「"さいき"って何?」と聞くと、復活するような意味の事を言ってきて、「再起」と勘違いされたんだな、と後で思ったものでした。

今年もまたその「7月13日」がやってくるという事で、今回このタイミングでこの記事を書くという次第です。

●内陸工業団地

ボンが殉職したのは早朝の工業団地、という訳でまずは、ここまでのアクセスですが、駅近にある訳ではなく、本厚木駅近くの「厚木バスセンター」から30分以上かかってこの工業団地へやってきました。料金は忘れましたが調べると400円ほどのようです。

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●交差点

工業団地内の交差点です。

団地の面積自体は234万㎡ということで、正方形だとすると1.5km四方という事になるでしょうか。自治体レベルでは厚木市と愛川郡愛川町の両方に跨る格好です。

ボンが銃撃戦を始める前にこんな交差点を曲がり切った所で軽トラをおもむろに止めた覚えがあります。敷地内に交差点は多数あり、また当時より35年近くも経っているので、なかなか特定には至らないですが…。

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●中交差点

上の写真は東側の交差点でしたが、西へ進んでコチラは中交差点です。

ボンが撃たれてから、目標とする電話ボックスまで、瀕死の体で歩いて行く道のりに、こんなような緑が生い茂っていました。

しかし、そもそも電話ボックスは撮影用に設置されたもののようで、ここで探しても見つかるはずもありませんでした。また、ボン殉職の記念碑的なものも一切ないので、全く場所特定に行き着くには至りませんでした。ここではないか?と推測しているサイトはありますが、「ココ!」と断定しているサイトはないようで、当時を知る方が居れば、是非に場所をハッキリ教えてほしいくらいです。

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●ここなのか?!

ボンが瀕死の身体で電話ボックスまで這いつくばっていったのはここだろうか?単に感覚だけでそう思った場所です。当時とはガードレールの様子も違うし確証はないのですが、当時のようなガードレールのある場所もなかなか見当たらず、雰囲気的に近い場所としてはここかな?という感じで、暫ししげしげと見つめておりました。

なかなかここにロケで来たという記録は見受けられませんが、記念碑もないし、感覚で勝手に決めるしかないかな、と(笑)

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●西交差点

東、中、ときて、西交差点です。

この工業団地で交差点を有するのは縦に続いたこの3本の通りのみです。

それでざっと見てみても、最もそれらしい雰囲気があったのは、上の写真の所で、ここでボンが彼女を助けるために、ボスに連絡を取るために、必死になって歩き、時には倒れて意識を失いながらも、這いつくばった場所なのかな??と思わずにはいられませんでした。

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●ここはどこ?

これは「太陽にほえろ!」での劇中にボンが致命傷を被弾した時のカットです。

しかし向こうにあるようなクレーンのレーン?らしきものが全く見られず、「ここはどこなんだ?」と思うばかりでした。これも工業団地での撮影と聞いたのですが…。

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●バス停

「中一丁目」とあります。

四丁目が北端で、南へ行くにつれて三丁目、二丁目…とそれぞれ、西・中・東と縦に通っていて、ここは真ん中の通りの南端です。「団地入口」とされる所も、東南端に位置し、入口の近くにあたります。

この路線は、厚木バスセンターではなく、海老名駅に行き着くようになっています。

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…やはり、というべきか結果的に「ココ」という場所の特定には至りませんでしたが、ボンが最期を迎えた時の撮影がここで行われたんだ、と思うだけで色んな思いを馳せ、それだけで十分楽しかったのでよしとすべきかもしれません。自己満足甚だしいところですが…。

以上、ボン殉職後37回目にやってくる7月13日に向けて。

2014年10月15日 (水)

神奈川/南足柄 まさカリーな街

神奈川県南足柄市、伊豆箱根鉄道/大雄山駅からの歩き旅です。

(2011年10月当時)

●ピアゴ

今からちょうど3年前の姿となりますが、大雄山駅を出て真正面の様子です。

駅と相対するようにこのショッピングセンターが建っていました。

ユニーグループの店で4F建てにて専門店街が形成されています。それにしてもインパクトありすぎですね、この前面。

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●左向き

駅前広場に出て左側を向いた様子です。

ちょっとしたビルがあって、ダイソーはじめいくつかのお店が入っています。

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●まさカリ~亭

大雄山の駅から道を隔てて向かい側の通りの角にあるカレー屋さんです。マサカリとカリーが掛かってるベタな名前ではありますが、ご当地らしい名前でもあります。

いかにも足柄といった感じの名前と看板で、金太郎の絵がドドーンと描いてありました。入口の足マットも御覧の通りです。

ご当地の足柄牛を使ったゴボウ入りのカレーのようで、看板だけに惹かれて店には入ってないんですが。

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●マンホール

南足柄市のものか旧自治体のものか分かりませんが、当地らしい熊に乗った金太郎が描かれています。金太郎の顔がちょっと怖いなと(笑

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●街灯には

支柱から突き出る形で金太郎が描かれていました。

ここでの金太郎は可愛く描かれてました(笑

駅とピアゴが正対する形で建っていますが、ピアゴの脇から始まる通りが、商店街の入口的な役目を果たしているという感じでした。

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●長福寺

門入口に「六福寺」の文字がありますが、「南足柄 六福寺めぐり」とあります。

そのうちのひとつであるここは「長福寺」です。ちなみに六福寺とは近隣で「福」のつく福田寺‐善福寺‐天福寺‐弘済寺‐長福寺‐龍福寺を指すといいます。

この寺はかつて中寺と呼ばれ、近くの古墳から沢山の遺跡が出てきており、その古墳は円墳が主であったといいます。

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●関本宿

この辺りは関本という地名ですが、かつては小田原と甲州を結ぶ「関本宿」の宿場街として交通の要衝であったようです。旅籠や問屋、商店などが並び、人足と馬の調達に心を砕いた、とあります。

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●関本

の地名は今もこのような形で生きています。

ちなみにここは上の写真の立札のある地点で、県道74号と78号が被っています。

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●駄菓子屋さん

コカコーラとスプライトの看板が両サイドについた昭和の駄菓子屋さん、という感じのお店がありました。まだ現役みたいでなんか嬉しかったです。昔子どもの溜まり場ってこんなお店だったりしてたので。

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●南足柄郵便局

市内の本局です。

白く角ばった片とが印象的な建屋ですが、本局としては若干小さいというか中途半端な大きさ、という印象をもちましたがどうでしょうか。

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●高札と絵図

この辺りには色々高札が掛かっています。「関本宿を語る会」の方々などにより支えられている部分が大きいと思いました。下の写真は関本村の1807年当時の絵図だそうですが、単色で何が描かれているのか分かるような分からないような感じでした。

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●はたご「角屋」本多徳兵衛

なる札が立っていました。

古くから旅籠を営み、幕末に小田原藩主等の宿として利用されていた旨記されています。

大正末年での当旅籠の規模は1階4部屋20畳と台所、2階26畳の広さであったとあります。この地にあったのかどうか、その記載はありませんでした。

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●文化会館

南足柄市文化会館、「金太郎みらいホール」という愛称を持つ会館ですが、近代的というかガラス張りのなかなかアートな雰囲気に溢れた建屋です。

市制施行20周年を記念して平成4年に開館したそうで、ここの市制化は1972年という事になるのでしょうか。市制化した時期としてはかなり珍しい部類になるかなと思います。

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●南足柄市役所

文化会館の素晴らしい建屋のほぼ向かいに立っているのがこの市役所です。

こちらはいろんな形のものが無理やりくっついたような感じの建屋でした。

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●神輿と金太郎と熊と

市役所建屋内のカットです。休日でしたが入れました.。

熊が毛が寝てる感じで返って怖いんですが…(笑)

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●水源の森百選認定のまち

という事で最後の写真ですが、南足柄市は「水の郷」として、これに関連する表彰を多数受け、それらが市役所内の一角に飾られています。

こういうスペースってよく特産品が飾られたりするんですが、こんなに賞状ばっかりというのも逆に新鮮?!でした。

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この街に来たら、金太郎や水に関連するものを色々探せばいい、かなと思います。この2つがここを旅するにあたってのキーワードといってよいでしょう。

2014年5月24日 (土)

JR平塚駅 (神奈川県平塚市)

神奈川県平塚市のJR平塚(ひらつか)です。

平塚市は、神奈川県のほぼ中央に位置し、人口は257,737人(2014.2.1現在)で、かつては東海道の宿場町として栄え、神奈川県の相模川より西の地域では初めて市になった所です。

-JR平塚駅
【路線】JR東海道本線(東京-神戸間)
【開業】1887年7月11
【訪問】2007年8
【1日あたり平均乗車人員】 60,643人/日 (2012年)
【近隣の主要駅(東京方面)茅ヶ崎駅→隣駅
          (神戸方面)小田原駅→5駅

Himg0249●駅名標

人口25万を誇る平塚市において、唯一の鉄道駅という不思議な状態となっています。極端に面積の狭い市でもなく(約67k㎡)、というところですが、南部になるにしたがって細くなる地形になっています。

隣駅は茅ヶ崎駅と、もう片側はあの有名な大磯ロングビーチでおなじみの大磯駅なんですが、大磯ロングビーチが今でも有名なのかはよく分かりません(笑 芸能人の水泳大会でとっても有名だった訳ですが…。

Himg0250●ホームから

のエレベータと階段です。

エレベータはこちらは上りのみでした。

標識は東改札口と大きく載っていて、小さく北口・南口とも書かれていました。

 

Himg0255●幟

平塚駅前に相撲の幟が数本立っていました。

夏には大相撲の高砂部屋の合宿が恒例となっているようです。公開稽古あり、ちゃんこ試食にわんぱく相撲と市民と高砂部屋との交流を深める目的もあるようですね。

高砂部屋力士と夕涼み、なんかもあるようです。かつては横綱・朝青龍が在籍した人気部屋のひとつで、朝乃若、朝乃翔などの力士もいましたが、今はその頃に比べるとやや寂しくなった気はしますが…

Himg0254●駅前

テナントビル「梅屋youU館」というのがあります。

当時は百貨店として「梅屋・本館」という事で営業していましたが、この丁度4年後の2011年8月をもって閉店し、1年後の2012年9月に「ユーユー・ウメヤ」というテナントビルの形でリニューアルしたという事です。

長崎屋やダイエーといった百貨店が次々撤退していく中で粘りを見せた「最後の百貨店」といわれる同店ですが、遂にその役目を終える時が来た、というところでした。時代は本当に移ろいゆくのですね。

Himg0253●平塚駅 駅舎

LUSCAという駅ビルになっている為、大型駅舎になっています。

駅ビルとしては1973年に完成し、なんと日本初の国鉄出資の駅ビルという由緒ある駅であります。

窓の面が広く、区切りが多くて、多数の窓が配されたデザインになっていて豪華さが前面に出ています。芸術的なセンスを感じますね。てっぺんの突き出た屋根なんかもあって。

 

 

2013年12月27日 (金)

JR茅ヶ崎駅 (神奈川県茅ヶ崎市)

神奈川県茅ヶ崎市のJR茅ヶ崎(ちがさき)です。

茅ヶ崎市は神奈川県の中南部に位置し、人口は237,250人(2013.7.1現在)で、いわゆる湘南地方の中心に位置する都市で特例市です。その名は非常に有名で、海岸、サーフィンなどのマリン系のイメージが非常に強い町ですね。

-JR茅ヶ崎駅
【路線】JR東海道本線(東京-神戸間)
      相模線(茅ヶ崎-橋本間)

【開業】1898年6月15
【訪問】2007年9
【1日あたり平均乗車人員】 54,984人/日 (2012年)
【近隣の都市駅(東京方面)藤沢駅→2駅
           (神戸方面)平塚駅→隣駅
           (橋本方面)海老名駅→9駅

          

駅名標まわり

JR東海道本線に属しながら、橋本方面へ分岐する「相模線」の始発駅でもあります。

小田原や横浜など新幹線のある街の中間点的な位置にあります。

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ホーム

3面6線を有する大きなホームで、東海道本線のみならずというところも関係あるのでしょうか。

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駅前俯瞰

駅前を見下ろした様子です。

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駅前モニュメント

駅を出ての、駅前広場のモニュメント周辺の様子です。

バスが複数台行き来していました。

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茅ヶ崎駅 駅舎

マリンのイメージの強い町ですが、駅舎は真っ白でした。

いかにも橋上駅舎というのが分かる建屋構造です。

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2013年12月14日 (土)

相鉄/大和駅 (神奈川県大和市)

神奈川県大和市の相鉄/大和(やまと)です。

大和市は神奈川県の南東部に位置し、人口は人(2013.10.1現在)の都市です。

-相鉄・小田急/柳瀬川駅
【路線】相鉄本線(横浜-海老名間)
    小田急江ノ島線(相模大野-片瀬江ノ島間)

【開業】相鉄-1926年5月12日
     小田急-1929年4
月1
【訪問】初訪問-2004年9月 再訪-2013年6
【1日あたり平均乗車人員】 相鉄53,761人/日 (2011年) 
                 小田急55,362人/日 (同)
【近隣の都市(横浜方面)二俣川駅→4駅
          (海老名方面)海老名駅→4駅
          (相模大野方面)相模大野駅→5駅
          (片瀬江ノ島方面)藤沢駅→8駅

駅名標など

ホームの様子です。

大和駅自体は小田急と相鉄(=相模鉄道)と両路線ありますが、記事タイトルを「相鉄」としたのは、相鉄を利用してやって来たからであり、これも相鉄のホームです。相鉄は地下ホーム、小田急は高架ホームという構造になっています。

というわけで、相鉄の海老名駅からやって来たのでした。

地下ホームにつき特段ハッと目を惹くようなものはなく、ホームの写真はこれだけです。

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のりかえ

小田急江ノ島線のりかえの案内板が出ています。

下にある時刻表は相鉄のものです。

ちなみにこの駅の初訪問は2004年9月で、藤沢泊での足伸ばしに訪ねましたが、夜の暗い写真が2枚あるだけでUPに値しないかな、という感じなので、ことし6月、約9年ぶりに再訪して、今こうして載せるに至りました。

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駅前風景

綺麗なモニュメントになった時計塔等歩道部分の広場があり、その向こうに車の行き来する広場エリアがあります。左側には大和銀座のゲートが見えます。

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駅前通り

中層のビルが立ち並ぶ駅前の通りです。

純喫茶、って最近聞かなくなった響きですね…

名曲喫茶、画廊喫茶…いろいろな名前がありましたが、「喫茶」という名前すら消えようとしてるのかな、という気がしますが、この響き、好きなんでいつまでも残っていてほしいものです。

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大和駅 駅舎

駅ビル「プロス」として地下1Fから4Fまで店舗の入る、大規模な建屋となっております。

一見するとただのショッピングセンターに見えて駅舎とも分からなかったぐらいでした。前回訪ねた時もそうですが、横から見て高架下の出入口を見た方がはるかに、駅と分かりやすい、そんな駅でした。

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2013年10月14日 (月)

小田急/本厚木駅 (神奈川県厚木市)

神奈川県厚木市の小田急/本厚木(ほん・あつぎ)です。

厚木市は神奈川県のほぼ中央に位置し、人口は224,981人(2013.9.1現在)で、神奈川県央の都市として物流・交通の要衝として重要な役割を果たしている街です。往年の人気刑事ドラマ「太陽にほえろ!」で前半期に活躍していたボンボン刑事の殉職シーンのロケが市内の工業団地で行われました。

-小田急/本厚木駅
【路線】小田急小田原線(新宿-小田原間)
【開業】1927年4月1
【訪問】初訪問-2001年8
【1日あたり平均乗降車人員】 140,186人/日 (2011年)
【近隣の都市駅(新宿方面)厚木駅→隣駅、海老名駅→2駅
          (小田原方面)伊勢原駅→2駅

駅名標周辺

ここを初めて訪ねたのは2001年8月と10年以上も前になります。当時、「写ルンです」で幾らか撮ったんですが、諸事情によりその写真を手放す事となってしまった事もあり、この6月に再度、約12年ぶりに足を降ろしました。今回記事で写真upするのは、駅外では今年の再訪時のものが中心ですが、ホーム内は時々乗換などに使っていたので2011年頃のものです。

隣には市名そのままの厚木を名乗る駅がありますが、この駅は海老名市に存在するもので、当時寒村であった海老名が「厚木」の名を借りて駅名にしたという経緯があり、厚木市の中心駅はここ本厚木な訳です。

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ホーム

ホームは2面4線、高架駅で階段が下に降りています。

両脇にブルーの枠のようなものが続いているのも高架駅ならではです。

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駅前広場

駅を出て広い歩道エリアがあって、そこには一定の間隔で植込みがなされています。

その向こうには、タクシー等の行き交うロータリーになっています。

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あつぎ鮎まつり

という大きな看板が出ていました。

この時、6月末でしたが、鮎まつりは8/3,4とありました。

厚木市でのイベントでは最大のものだそうで、花火も県内最多とされる1万発も打ち上げられるそうです。

「第67回」とあり、普通に考えたら戦後すぐくらいからと考えられ、なかなか歴史のある祭りかと思います。

その向こうには高いビルがあちこちに建っています。

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本厚木駅 駅舎

右の白い建物が駅ビルです。

小田急の商業施設である本厚木ミロードを形成しており、多くの店が入っています。

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アップ

駅ビルの一番下が出入口になっていて、駅名もこんな所に小さく表示されています。

その下には駅ビルの「バーゲン」の看板がデカデカと!

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2013年5月22日 (水)

伊豆箱根鉄道/小田原駅 (神奈川県小田原市)

神奈川県小田原市の伊豆箱根鉄道/小田原(おだわら)です。

小田原市は神奈川県の西部に位置し、人口は196,756人(2012.12.1現在)で、神奈川県では新横浜駅のある横浜市と共に新幹線の停車駅を有します。

小田原城の城下町として栄え、また秀吉がここを討伐したことにより天下統一を成し遂げるという歴史の大きな1ページに名を連ねるような町でもあります。

-伊豆箱根鉄道・箱根登山鉄道・JR・小田急/小田原駅
【路線】伊豆箱根鉄道大雄山線(小田原-大雄山間)
    箱根登山鉄道線(小田原-強羅間)
    小田急小田原線(新宿-小田原間)
    JR東海道新幹線(東京-新大阪間)
      東海道本線(東京-神戸間)

【開業】伊豆箱根-1935年6月16
    小田急・箱根登山-1927年4月1日
    JR-1920年10月21日

【訪問】2011年10
【1日あたり平均乗車人員】 伊豆箱根-8,600人/日 (2010年)
           箱根登山-10,758人/日 (2010年)
           小田急-32,218人/日 (2010年)
              JR-32,469人/日 (2011年)
【近隣の都市駅(東京方面)平塚駅→5駅  ※新幹線では新横浜駅→隣駅
          (神戸方面)湯河原駅→4駅
  ※新幹線では熱海駅→隣駅
          (強羅方面)箱根湯本駅→4駅
          (大雄山方面)大雄山駅→11駅
          (新宿方面)新松田駅→6駅

駅名標周辺

小田原駅には実に多くの鉄道会社の路線が通っていて、まさに神奈川県西部の交通の要衝といえます。

そんな中でJR駅も新幹線すらもありながら、記事タイトルを「伊豆高原鉄道」としたのは、この路線を利用し、最もちゃんと記録に残したからです。

という訳でこのようなカットから。

伊豆高原鉄道の始発駅として、この時は終着である南足柄市の大雄山駅へ向かっていました。始発駅で駅名標があるこの部分が行き止まりとなる「頭端式」のホームとなっています。

実質は1面2線で左側のホームの両面が使われている状態で、左側の右が1番線、左が2番線になっています。

写真についてですが、ここへの初訪問は2000年1月ですが、掲載写真は特別に断りを入れない限りは2011年10月訪問時のものです。

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電車

これも伊豆箱根鉄道のものです。

漫画の顔っぽい電車、というか機関車トーマスに出てきそうな電車のように思えましたが…
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伊豆箱根鉄道ホーム

渋い木製の長ベンチが背中合わせに並んでいました。

椅子の背もたれ部に広告看板があるとローカルを感じます。。

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伊豆箱根鉄道改札口

伊豆箱根鉄道の改札の上はこのような強面の天狗がお出迎えです。

これはこの路線の終点である南足柄市の大雄山駅が最寄りである大雄山最乗寺の道了尊という天狗さまです。このお寺が駅からバス10分との事で、本数の多少によりアクセスの難易度が左右されます。大雄山に寄った時は行きませんでしたが…

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JR改札上

JR駅の改札の真上付近です。

大きな「小田原」と書かれた提灯がぶら下がってて、これがとてもインパクトがありました。

ちなみにここの駅の電報略号はヲタ→オタだそうです(笑

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小田急・箱根登山鉄道ホーム上

ホームを上った所から見下ろした様子です。

何せこの素晴らしいアートな天井に感動しました。言葉は要りません、表現できません上手く…。

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小田急・箱根登山鉄道駅名標

両隣駅の表示がありますが、足柄は小田急、箱根板橋は箱根登山鉄道の駅です。

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小田原駅 駅舎

これより上は2011年撮影ですが、この写真は2004年9月当時のものです。

デジカメで保存していたのですが、色々加工してるうちにこんなに劣化してしまい、upも忍びないものとなってしまいました。再度訪問してきれいな写真を撮ってこなくては…とも思っています。

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小田原駅 旧駅舎

2000年1月初訪問時の小田原駅の旧駅舎です。

今でこそ大きな駅になりましたが、当時はこんな平屋の小さな駅でした。

人口20万で新幹線の駅もある駅舎としては寂しい規模でした。ここから西の新幹線駅である熱海や三島なども駅舎としては小さいですが…、とにかく今の大きくなった駅舎をまたきれいに撮りたいものです。


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2013年2月24日 (日)

神奈川/三浦 早咲き桜と冬の海

神奈川県三浦市、京急/三浦海岸駅からの歩き旅です。(2011年2月)

ここへ行ったのは今から2年前ですが、2年前のちょうど今頃であり、季節的に旬な話題をupしたいと思います。

桜まつり 立看板

桜まつりはどこの街でもあれど、2月上旬~3月上旬が開催期間というのはそうそうないと思います。早咲きの河津桜、時期にするともうすぐ終わりという事になるんですね…

桜まつり自体は、この三浦海岸駅から離れた所が会場となっていますが、この駅前でもじゅうぶんこの早咲き桜が楽しめます。

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駅前の早咲き桜

駅記事でも一部出しましたこの桜、「別記事で存分にupしたい」と書いておきながら2年も引っ張ってしまい、ようやくの登場です。

ホントに駅降りてすぐの所で、そして2月に、こんな桜が見る事ができるんです!

2月にここで見て、4月に本来の桜を見て、GWに北海道に行けば、1年に3つの時期で桜を見れる訳です(笑

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まだまだ桜

提灯が並ぶ中を桜が咲き誇っていたりして、写真だけ見るとすっかり春のようですが、結構寒い時期なのです。

駅と桜の関係は、下の3枚中いちばん下の写真で見えますが、これより前で御紹介の桜の写真はこれよりまだ駅に近い所のものです。

ちなみにここから線路沿いに約1kmにわたって桜が植樹されているというので、まだまだ楽しめる事でしょう。

元々ここに来たのは、未訪市訪問の旅で三浦市に来る事だけでした。ただ中心地が隣駅である三崎口駅かここかが分からず、市名である三浦の名が入ってるし、「海岸」とあれば海ぐらいは見れるだろう、という軽い気持ちだったのです。が、嬉しすぎる誤算で、なんと早咲き桜がある、しかもこの時期!という事を駅のホームに降り立ってから知る事となりました。

もし三崎口で降りていたら、この存在に気付かなかったかもしれず、ホントに色々偶然が重なってツキを感じました。

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BIG招き猫

駅前の某店先にて。

戸口とほぼ同じ高さのでっかいエアの入った招き猫が置かれていました。

傍には「さくらまつり」の幟も出ています。

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駅前道路

ここ三浦海岸駅前は真ん前の道もあるのですが、横の高架をくぐったこの道路を通って海へと向かう事としました。向こうが海側です。

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海防陣屋跡

三浦海岸駅から海へ向かう途中で出くわしました。

1847年に幕府が異国船の脅威に怯え、江戸湾の防備に着手し、三浦半島では当時の彦根藩主・井伊直弼が警備を命じられ軍政本部を置いたといいます。

その後、長州藩→熊本藩が警備に当たり、長州藩では木戸孝允、伊藤博文といった後の世を動かす人材が、衛士として赴任したとあります。司馬遼太郎「龍馬がゆく」では、木戸と龍馬がこの地で初めて出会ったとの描写があります。

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海が見えてきた

途中小道に入っていますが、海が向こうに見えてきました。

駅からは直線距離にして300~400㍍というところです。

ただ、三浦半島でも先端からはかなり離れていて、駅から降りて横っちょの海に面している所に出る、という感じになります。電車が半島の先端まで通っておらず、終点の三崎口(隣)駅からでも5,6kmはありそうです。

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海岸と道路

海岸沿いの道路まで出てきました。

道路と防波堤と三浦海岸海水浴場とのカットです。

下の方は別地点ですがやはり海沿いで、「さくらまつり」と「三浦国際市民マラソン」の幟が交互に出ていました。

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三浦海岸海水浴場

最後はこの海の写真です。

上から、正面、左向き(北側)、右向き(南側)です。

北向きで見えている陸地は横須賀市久里浜の方向、南向きは三浦半島の先端付近になります。海岸線が両方ともぐるっと曲線を描いていて、景色が単調じゃなくていいもの撮れたなという感じでした。

夏は海水浴客で賑わうのだと思いますが、冬の海が昔から好きで、機会があれば必ず行きます。夏よりも冬の海が好きかなというくらい。

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ともあれ、今時期は三浦半島はです。

ひと足早く桜を見たいと思われる方には絶対おススメです!