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24三重県

2019年4月 6日 (土)

三重/名張 サンロードに栄光あれ!

三重県名張市、近鉄/名張駅からの歩き旅です。

(2006年2月当時)

▼もう今から13年も前の姿になりますが、名張駅前にあるこの「ビジネスホテル栄」に宿泊しました。

駅近でリーズナブルで、泊まるだけなら申し分のない宿でした。そして又コンパクトな宿でした。贅沢な事を求めるとちょっと違う…となりますが、駅まで来て疲れて一刻も早く寝たいな、という状況下での宿泊にはうってつけです。

名張の街を本格的に訪ねたのはこの時が初めてだったのですが、それまで知人から周りに何にもないと聞いていて、若干不安がありました。しかし駅の周辺はそれなりに街であったので、そんなに閑散というイメージはありませんでした。

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▼名張駅前の幹線道の様子です。

名張駅前という交差点があり、そこから北西へ進む感じです。

今のgoogleマップでこの辺りを見てみると、大方は変わっていませんが、ちょこちょこ色んな所が変わっていました。

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▼これも上の写真とほぼ同じ地点で、方向違いのカットで、方角的に南側を向いてのものです。

左側の千成という旅館はあまりに渋くて、もうないのかな?と勝手に思って調べていましたが、まだ現役でやっているようです。googleマップで出てくるという事はそういう事ではないかと思っています。冒頭のビジネスホテル栄と同様に、ホテルのHPが確認できないので、本当に営業しているのかはっきり掴めませんが…。

ちなみに右側の岡三証券は、この2006年内に駅隔てて向こう側へ移転しており、現在この地には魚民が営業をしています。

こうして昔の写真を載せると在りし日の姿が残っていて、いいなとつくづく思います。

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▼名張藤堂家邸というのがありました。

名張の領主として江戸時代を通して続いてきた「名張藤堂家」の邸宅です。

江戸期は「名張陣屋」として存在し、現在はその跡地として公開されていますが、学術的にもかなり貴重な資料があるのだとか。

藤堂、といえば藤堂高虎が有名ですが、その高虎の養子となった藤堂高吉がその祖となり、200年領主の座にあり続けた名張の名家です。

【名張藤堂家邸跡】

住所:名張市丸之内54-3

電話番号:0595-63-0451

利用時間:9:00~17:00

入館料:大人200円、高校生100円、小中学生 無料

休館日:毎週月・木曜日(祝日の場合は各々翌日)

HP:http://www.city.nabari.lg.jp/s061/020/000/050/201502051899.html

アクセス:近鉄名張駅西口より徒歩約7分

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▼名張本町商店街、として店配置の簡易マップがありました。

一応狭いエリアながらビシッと埋まってるよ的なアピールでしょうか。

「人情味あふれるまちづくり」をキャッチフレーズに約20ものお店が並んでいました。

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上本町サンロードと書かれたアーケード商店街のヘリの部分がありました。

屋根の隙間が垣間見えて、商店街としての充実具合に「?」を感じずにはいられず、逆に寂れていて渋すぎる光景を目にできるのか?の変な期待感もありました。

アーケードのある寂しい商店街は個人的に大好きなので、こんなのを見たら入らない訳にはいかないですよね。

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▼という訳でサンロードのアーケードの中へ。

といってもその様子を撮ったのはこの1枚だけでした…、もっと撮っておけば、、と後悔しています。

本来はもっと古めかしい雰囲気が漂いまくっている商店街なのですが、このカットからでも割にその年季が感じられるとは思います。右手前の建物の電話番号の部分とか。

そしてサンロードの端へ。ゲートの柱の細さがどこか物悲しげでした…

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▼こちらはアーケードのない方の商店街的な通りです。

商店が立ち並ぶというより街道的な側面が強いのですが、独特の街灯が立ち並んでいる部分は商店街を感じさせます。かつて商店街であったのか。

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▼最後はこの写真です。

江戸川乱歩先生生誕地の標柱がありました。

なんといっても名探偵明智小五郎です。

江戸川乱歩(1894-1965)は本名は平井太郎という実に素朴なお名前だったのですね。乱歩が本名でない事は知っていましたが…

実際に探偵として勤務していた経歴があるのは驚きでした。

乱歩はここ名張で生まれ、家は祖父の代まで藤堂氏に仕えていた藩士であったといいます。

名張で生まれたといっても、2歳の時には県内の亀山へ引っ越し、更に名古屋へ…と、生涯46回もの引っ越しをしたといいます。

明智小五郎を演じた俳優…天知茂、北大路欣也、小野寺昭…いろんな方々が浮かびますが、そんなヒット作を世に送り出した作家が生まれた地がこの名張りなのですね。

という訳で名張の街歩き、2006年当時はこんな感じでしたが、その後も何度か行ったので、別な地を紹介できる機会があれば…と思いつつ、アウトプットがなかなかおぼつかない状況をなんとかしたい…とずっと思っております。

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2018年3月14日 (水)

近鉄/白子駅 (三重県鈴鹿市)

三重県鈴鹿市の近鉄/白子(しろこ)です。

鈴鹿市の駅としては、同じ近鉄の鈴鹿市駅をupした事がありますが、これに続く鈴鹿市の駅です。

-近鉄/白子駅-
【路線】
近鉄名古屋線(伊勢中川-名古屋間)
【開業】1915年9月10日
【訪問】2008年4月
【1日あたり平均乗車人員】 8,250人/日 (2015年) 
【近隣の主要駅 (伊勢中川方面)津駅→8駅
           (名古屋方面)近鉄四日市駅→10駅


●駅名標周辺

白子という文字が黒バックで表示されていて変な感じでした。「しらこ」かな??とか思っていましたが、「しこ」と読みます。

鈴鹿市の中心駅的存在で、鈴鹿市にはそれこそ市名を名乗る「鈴鹿市」駅があり、伊勢鉄道にはズバリ「鈴鹿」駅がありますが、いずれも規模はそこそこながら中途半端で、栄えているとも言い難い状況の中、この駅は利用者数も多く、賑わいもあります。

近くには「伊勢型紙資料館」なる施設があります。また鈴鹿サーキットまでは約5kmの距離があります。

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●ホーム

2面4線のホームを有しています。

鈴鹿市内で唯一、特急の停車する駅でもあり、格上感があります。

1日あたりの乗車人員は8,000人を超え、鈴鹿市駅は1,000人台と何倍もの開きがあります。

開業は1915年、第一次世界大戦の翌年で、2015年に開業100周年を迎えています、といってもこの写真は2008年当時のものですが。

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●ホーム2

待合室周辺の様子です。

片側だけ見えていますが、室内型の待合室があって、室外も壁と椅子がありました。

ホームの真ん中が壁に仕切られていて、吹きっさらしになっていないところが良いなと思いました。椅子も結構な数ありました。

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●自由通路

自由通路があって、コインロッカーがあるくらいには規模の大きい駅です。

沿線の近くの駅だとホームを歩いたら改札で、そのまま駅を出るみたいになりますが、こうしてこのような通路があって、滞留するスペースがあるというのは良いなと思います。語彙力なくてこんな書き方ばっかりになってしまいますが。

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●改札周辺

4レーンある格好でしょうか。

当時はなかったと思いますが゛、今は改札上の部分がチェッカーフラッグのチェック模様になっているようです。鈴鹿サーキットになぞらえてですね。ホーム上の待合室もこの模様になっているとどこかで耳にしました。

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●駅前広場周辺

いかにもという感じの駅前感が出ています。

鈴鹿市の駅の駅前でこれだけ雰囲気のある所はホントないです。鈴鹿市駅は駅舎こそ大きいものの利用されているであろう面積はその何分の一か程度な感じでしたし、駅前はひっそりとしていましたし。それに比べたらここは純然たる都会でした。

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●大看板

鈴鹿サーキットへいざなう大きな看板が駅前にありました。

鈴鹿サーキットなのに動物のイラストがデカデカと載っていたり、最初何の看板だろう?と思ったぐらいです…いつ描かれたものか気になります。昭和の「レジャー」という言葉があった頃からのイラストのような、そんな雰囲気を感じました。

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●白子駅 駅舎

樹に隠れて撮りづらかったのですが、白子駅の駅舎です。

駅舎の大きさだけなら鈴鹿市駅の方が大きいですが、賑わい具合が全く違ってて、こちらのが断然賑やかです。コンビニもあり、タクシーも停まっていました。

鈴鹿の名前を一切冠しないので中心駅と分かりにくいのですが、鈴鹿市の賑やかな所へ行きたいならここへ行くべきです。という白子駅でした。

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2016年9月19日 (月)

三重/亀山 間違えられた城

三重県亀山市、JR亀山駅からの歩き旅です。

(2016年3月当時)

●駅前広場

を横から見た様子です。

亀山駅は左に隠れている状態です。

なので、右側の建物群は亀山駅に正対する形になりますが、寂れてる感がなかなかのものでした。

この駅には初めて来たのが2008年5月の事ですが、当時駅前に寄っただけで写真をあまり撮っておらず、今年3月に8年ぶりに再訪して、少しは旅らしいこともしてきました。この駅前辺りは前回も行きましたが、あまり変わってないなというのが率直な印象でした。かつてはこれらがすべて有効活用されるぐらい賑わっていたのでしょうか?その頃があったならば是非に体感したいところですが…

右側の青いひさしのたてものも完全な空き建物でした。この右半分に写っている建物がヘタすると今全く使われていないのかも…完全駅前空洞化?すら感じさせられました。

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●駅前通り

駅記事では、駅前広場の大鳥居の写真を載せていましたが、その向こうの位置から駅前のメイン通りを眺めた様子です。

右手前は坂本屋旅館という旅館の建物ですが、現役のようには見えませんでした。

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●ひさしの下

その旅館の建物のひさしの下へ行ってみました。

ちょうど角の部分は上側の写真のように「食堂」の表示がありましたが、営業してなさそうでした。駅前通りに面した側は下側の写真のように「旅館」の看板がありました。看板周りは現役っぽかったのですが、でもやっぱり閉まってるな…という雰囲気しかなかったです。

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●亀山駅前郵便局

亀山は東海道46番目の宿場町として栄えた街で、同時に城下町でもありました。そんなイメージをアピールしてなのか駅前の郵便局もこのような和風建築となっておりました。

ちなみに亀山市では亀山宿以外にも隣の「関宿」があり、ここの宿場町通りは実に素晴らしく、ホントにタイムスリップしたかと思わされました。関宿の辺りは旧・鈴鹿郡関町に属していましたが、平成の大合併で旧・亀山市と合併して現在に至ります。この関宿の様子も是非ともアップしたいのですが、記事にしたいネタが多すぎて力がなかなかままならない状態です。

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●亀山市マンホール

城下町・亀山らしく城郭(多門櫓)がメインに描かれ、また足下の部分には市の花である花菖蒲が描かれています。

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●駅前の交差道路

亀山は駅前が色んな建物があって賑わってるのかと思いきや、使われている建物があまりなく、結局あまり時間を潰せなかったのが初訪問時の印象でした。

中心地が駅から離れた所にあるようで、駅前広場を抜けて、このような橋状になった道路を抜けていく必要があります。駅前だけチョロっといっても亀山ご当地らしいものには出会えない、と感じたのが前回訪問時の反省でした。

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●御幸町バス停

亀山駅前の次のバス停にあたります。駅から1停留所分進んだ所、という事にもなります。

バス停標識が2本立っていますが、いずれも亀山市コミュニティバスのものです。

手前が「野登(ののぼり)・白川ルート」のもので、ここには2路線の時刻が載っていて、左側が野登ルートで、右側が野登・白川ルートの形になっています。朝夕のみの運行で計6本(右側の白川地区を通る分は夕方の2本のみ)という形になっています。

向うの標識は、おなじくコミュニティバスですが「さわやか号」というもので、市内の要所をループする形のものです。これも本数的には1日6本の運行となっています。

料金はいずれも1回100円で、さわやか号は1/1~1/3を除く全日運行してい間ますが、野登ルート側は日祝日も運行無しです、今日のような振替休日に現地へ行って、ここで待っていても来るバスはさわやか号だけという事になります。

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●西町

亀山駅前の橋状の道路を抜けると「亀山駅前」交差点があり、これを右折しすぐさま左折して進んだ道路です。駅からだと300m程度の地点になるでしょうか。普通の幹線道路沿いの表情という感じですが、昭和色濃いお店が並んでいる通りでした。

手前のミノヤというお店は靴とカバンのお店のようですが、ブログがありました→コチラ  膝に良いくつ選びを呼びかけられています。

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●休憩所

先程の西町の通りから歩いてくると上り坂になっていて、そんなところにこのような休憩所スペースが丘状につくられていました。

しっかり「東海道 亀山宿」の表示もありました。階段を上るとちょっとした公園的なスペースになっていて、屋根のついた休憩所的なものもあり、その屋根の内部てっぺんには「お城見庭園」なる記載もありました。椅子は柱を中心とした真ん中にあるタイプのものでした。

駅からそんな長距離ある訳ではないのですが、ここでちょっと一休みしながら、また亀山の主要な部分をちょっと展望できるので、その意味でもよいスペースかと思います。大した高さではないものの、ちょっと高いだけでこんなに見下ろせるのか…と思いましたね。

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●西町問屋場跡

昔の亀山宿は西町と東町からなる…の記載がありますが、今もこの辺りは「西町」という地名としてそのまま残っているのですね。ここに跡地の看板がありますが、後世の道路改良等でその位置を厳密に特定する事は困難なようですが、19世紀期初めの当地の絵図などから、この辺りではないかという事で、この看板が立てられています。

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●池之側橋より

上の写真の休憩所を降りるとこの橋に差し掛かります。これを渡り終えて少々歩けば、亀山城というロケーションです。この写真でも見えていますが、この橋から亀山城が見えています(左端に)。ちなみにこの水は川ではなく池です。決して広い池ではないのですが、何を埋め立てようとしていたのかは分かりませんでした。

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●池を泳ぐカモ

こういうのを見ると必ず撮りたくなります。ズーム使いまくりで。

お城の水辺には大抵何かいると思って見ていたら、何羽か泳いでいました。

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●備中松山と伊勢亀山の交代

板倉家という当地の藩主であった家系が1744年に備中松山(日本三大山城のひとつ)へ移る事となり、代わって石川家がこの亀山にいわばトレードの形で赴任してきました。この75年前である1651年にはやはり石川家が当地に赴任(1659年に転封)しているので、二度目の亀山藩赴任という事になりました。

再び備中松山から亀山に来た石川家ですが、当時備中松山には飛び地があって、その領地内に「伊勢国亀山領」なる石柱が今もあるという事で、岡山県の中に三重県領地がある、と考えると非常に面白い話と感じます。

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●亀山城跡

池之側橋を渡ると学校のグラウンドを横目にこの道路を進んでいけば、亀山城はすぐそこです。駅から歩くと10分程度ですが、初めて行くともう少しかかる感じがしました。

マンホールにもありましたが、高い石垣がかなり印象的です。この上に建つのは天守ではなく、「多門櫓」という櫓です。天守はあったそうですが、丹波国の同じ亀山城の天守解体を命じられた際に、間違ってここの天守が解体されたといいます。

肝心の天守が失われた後、天守台に建ったのはこの多門櫓という事ですが、ナントこの多門櫓は原位置のままで遺っており、これは全国でも数少ない事例だそうで、三重県下では唯一の遺存例であるといいます。間違って天守が解体されたにもかかわらず、こうして残ったというのは大変素晴らしいですね。

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2016年7月23日 (土)

三重/志摩 鵜方駅前歩き旅

三重県志摩市、近鉄/鵜方駅からの歩き旅です。

(2012年12月当時)

●鵜方駅から

歩いた様子です。

道中通して空がきれいだったので、総じて良い風景に写っています。

そして右側に川の流れるこの通りを向こうへと歩いて行きました。

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●川の幕

島の産直品の朝市・フリーマーケットという形で、「日曜朝市」がある、という事ですね。日曜朝市が名物になっているまちはいくつかありますが、こういう所でも何気に行なわれている、という事を知りました。

伊勢地方なので、赤福の看板もバックに出ていました。

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●リバーサイド

川沿いをずっと歩いて行きます。

蒼い空に、コンクリート色丸出しの建物、よく映える風景だなと改めて感じます。

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●鳥たち

川沿いに進んで行くと、鳥たちがこうして群れている姿が見えました。

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●志摩庁舎へ

鵜方駅から東へ300mほど進んだところの橋です。

右側に見えているのが三重県の志摩庁舎で、下側の写真は橋を渡り切った後の庁舎の建物です。

三重県の庁舎は大きくは、北勢、中勢、南勢、伊賀、東紀州と分かれ、当地は南勢(=なんせい。つまり南伊勢。志摩も含む)地方の中にある2つの庁舎のうちのひとつで、ここともう一ヶ所は伊勢市の伊勢庁舎という構成になっています。実際にこの南勢地方で市は伊勢市とこの志摩市のみです。

志摩市が発足した頃はここは志摩市役所の本庁舎として2008年まで利用されていたといい、現在の志摩市役所は、標識が覗いて見えますが、この庁舎の向かいにあります。

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●志摩市役所

三重県の志摩庁舎とは道向かいに建っているのが、この志摩市役所です。

概ねカクカクッとした窓も整然とした建屋ではありますが、真ん中てっぺんの曲線を帯びた出っ張りがなんとも印象的でした。

正面玄関の扉の真ん前の柱の部分にバス停標識がありました。本当に建物の真ん前までバスが乗り入れてくるんですね。

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●スナック街

「街」というほど広いエリアでなく、ヘタするとこの建屋だけかも、というぐらいですが、この何十年も変わっていなさそうな雰囲気がなんともいえないですね。同じ建物にいろんな看板がついていますが、各店どこから入るのか?妙に気になります。袖の階段はどの店に通じているものなのか、なども含めて(笑)

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●各標識

こちらは逆に鵜方駅から西へ300m足らず歩いた地点です。

ここにはこんな標識が出ていました。

大王崎というのは市内にある岬で、その突堤には灯台が立っていて、日本の灯台50選にもえらばれているといいます。

志摩市といえば賢島、英虞湾等海に関するものが多く、ここにも出てくるのは「崎」が多いですが、これもまた海沿いのもので、ここからだと結構距離はあるものの、海辺の風景に恵まれているのはここの強みです。

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●阿児郵便局

このエリアは志摩市の中でも、平成の大合併前は阿児(あご)町という人口約2万3千人の町に属していて、当時の町名を名乗ったものが残っています。名前はナント英虞湾からきているといいます。よく社会の授業なんかでアゴ湾アゴ湾と言ってたのを思い出します。

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●水戸黄門?

店先には「ビデオ」水戸黄門とありますが、レンタルビデオ店です。この名前だけ惹かれて中身を詳しく見ていませんでしたが…。しかしこのマークとか問題ないんでしょうか、許可得てるのか、色々ツッコみたくなります。

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●鵜方公民館

最後になりますが、青々とした空に実に映える真白な建物の公民館です。

ゴツゴツしたつくりがまた、青い空から浮き上がって出てきているように見えて更に素敵に見えました。

志摩市では、この鵜方、磯部、賢島と行きましたが、それぞれの土地にそれぞれの味がある、その事がよく分かる、それぞれの旅でした。

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2015年6月20日 (土)

JR四日市駅 (三重県四日市市)

三重県四日市市のJR四日市(よっかいち)です。

四日市市は三重県の北部に位置し、人口は305,890人(2015.5.1現在)で、中京工業地帯を代表する工業都市で、県庁所在地である津市よりも人口が多く、三重県で最も人口の多い都市となっています。

-JR四日市駅
【路線】JR関西本線(名古屋-難波間)
【開業】1890年12月25
【訪問】2006年2
【1日あたり平均乗車人員】 2,388人/日 (2013年) 
【近隣の主要駅(名古屋方面) 桑名駅→4駅  
           
(難波方面) 亀山駅→6駅 
           (津方面)鈴鹿駅→3駅 ※伊勢鉄道

●構内

ホーム内の様子を撮ったものがないので、いきなりこのような写真から入ります。

JRの駅ではありますが、所属こそしていないものの「伊勢鉄道」も乗入れしています。

また、近鉄にも同名の「近鉄四日市駅」がありますが、JR駅とは約2kmの距離がある全くの別駅であり、四日市でJRから近鉄に乗換え…などと考えていたらとんでもない事になります

市のメインは近鉄四日市の方になり、利用者数としては、このJR駅は近鉄同名駅より1ケタ少ないレベルであり、両者の差はかなり大きいものがあります。

こうして2F部分への階段がありますが、その先はひっそりしていて、現在2階は閉鎖されているとありました。この写真は2006年当時のもので、上まであがっていませんが既に閉鎖されていたかもしれません。かつてはレストランだったようで、以下にもかつて栄えていて寂れた、という雰囲気ありありでした。

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●四日市バスターミナル

駅前のバスターミナルです。

駅構内はその広いスペースを持て余し気味にしていた感じでしたが、こちらも広い土地はあります。バスもそこそこ停まってはいましたが…。

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●JR四日市駅 駅舎

かつて栄華を誇っていたかのような大きな駅舎にひっそりとした雰囲気でした。

広いスペースにポツンといる気分は悪くないのですが、どうしても寂れてしまった感はぬぐえないですね、かつての栄華(があったのかは知りませんが…)に思いを馳せながら、この場所の空気を吸い込むのもよいかな、というところでしょうか。

立地自体が街のはずれにあるので致し方ない部分があり、市名である四日市を名乗るには少々無理があるのかもしれませんが、JRでは中心部に比較的近いということでしょうか。近鉄王国といわれる三重県において、JRと近鉄で大きく差の出ている、その事を如実に体現している駅ではないかと思います。

人口30万以上の三重県最大都市の市名を名乗るJR駅、には間違いないのですが、そのイメージを持ってここに来ると激しいギャップに襲われます。それもまた面白いかなと思います。

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2015年1月24日 (土)

近鉄/宇治山田駅 (三重県伊勢市)

三重県伊勢市の近鉄/宇治山田(うじやまだ)です。

伊勢市では伊勢市駅をupした事がありますが、今回は建屋の素晴らしいこの駅を取りあげます。

-近鉄/宇治山田駅
【路線】近鉄山田線(伊勢中川-宇治山田間)
       鳥羽線(宇治山田-鳥羽線)

【開業】1931年3月17
【訪問】初訪問-2006年2
【1日あたり平均乗車人員】 5,551人/日 (2012年)
【近隣の主要駅(伊勢中川方面)伊勢市駅→隣駅
           (鳥羽方面)鳥羽駅→4駅

●駅名標周辺

初訪問は今から9年前の2006年2月ですが、この時は夜になっていて暗い写真しか残っていない為、再訪した2012年11月当時の写真にてupします。

近鉄の山田線と鳥羽線に属していますが、両路線がこの駅を境につながっています。

駅開業の1931年当時のここの属する自治体名は「宇治山田市」で、1955年に近隣自治体を編入の上、伊勢市に改称されて現在に至りますが、当時の自治体名がそのまま駅名として残っている格好になります。

伊勢神宮の外宮の方は1.1kmと徒歩で行ける距離にあります。また伊勢市役所は約600mと近くにあります。隣が伊勢市駅ですが、これと並んで伊勢市の中心的な機能を担う駅といえます。

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●ホーム

次発列車に特急の表示があるように特急停車駅です。

ホームは2面4線取られています。

ベンチに赤福の看板が出ているのがこの辺りらしいですね。

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●宣伝

駅構内にあった志摩スペイン村のものです。

ここが最寄りとかではなく、ここから最寄りの鵜方(うがた)駅まで36分、鵜方駅から直通バスで13分、とありました。 

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●モダン建築

駅舎内外の様子です。

東武浅草駅や南海難波駅も手掛けたという久野節(=くの・みさお・1882-1962)氏の設計による近代建築です。

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●正面

駅の向かいにはこの大きな「伊勢市観光文化会館」があります。

1953(昭和28)年に伊勢会館としてオープンしたのが最初で、単に観光の設備だけではなく、芸能・ライブなどの興行用のホールもあります。駅からのアクセスとしては上々ですね。

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●宇治山田駅 駅舎

近代建築の駅舎と書きましたが、その素晴らしい駅舎です。

中部の駅百選にも入っていますが、それよりも特筆すべきは国の登録有形文化財である点です。

現在の市名の伊勢市駅がそれほど大きな規模の駅舎でないだけに、この駅はかなり目立ちます。

全部この距離から撮っていますが、もう少し近くからも撮っておけばもっと素晴らしさが伝わるかな?とも感じました。

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2014年12月22日 (月)

三重/いなべ 楚原を歩いてみた

三重県いなべ市、三岐鉄道/楚原駅からの歩き旅です。

(2011年7月当時)

●駅前広場

楚原駅の駅前広場周辺、年季の入った建屋が固まって見える姿が圧巻でした。

広場といえば広場だし、道の途中といえば、そう言えなくもないそんなスペースでした。

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●駅前道

駅前の通りといっても住宅街の様相でした。市の中心駅の駅前という感じではなくて。

それがのどかでとっても雰囲気よいものではあります。ただどこかに寄ろうと思ってもなかなかない、というところではあります。

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●いなべ市商工会

ミニ警察署のような?雰囲気の立派な建屋で、白でカクッとした建屋は厳格なイメージを持たせます。

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●路地にて

ここもまた住宅街の様相の通りですが、時計メガネの店がありました.

しかしいつも思うのはどうして時計メガネ店っていつも同じ括りにあるのか、という事です。

輸入代理店が時計と宝石貴金属類を一手に購入(これにメガネまで取り扱う事となった)していた事によるものだそうです。仕入れの共同組合が同一だとも書かれていました。

いずれにしてもここに写っている店は老舗だと思います。

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●朝市うりぼう

員弁市役所付近にありました。無農薬農産物コーナーなどがウリの施設だといわれてます。

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●いなべ庁舎前 バス停

立派な丸太ど横壁が構成され、他の箇所も木材で造られた見事な木造バス停です。

バス停でこんな立派な建物だと個人的に惹きつけられずにいられないですね。だって鉄道駅でもこんな待合設備がないような所もあるので。

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●いなべ市役所

正面からの様子です。

真ん中はエントランスと周辺のフロア、両サイドに建屋が本格的にある、そんな感じでしょうか。屋根縁が白く太くなっていて、建物としてのインパクトを与えています。

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●幹線道

市役所前の幹線道の様子です。

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●INABE マンホール

いなべ公園の五重塔と旧員弁町の花・さくらが描き込まれていて、旧郡部時代の町のマンホールのようです。

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●楚原神社

最後はこの写真です。楚原神社。

そんなに大きな神社ではなく、調べても名前以外の詳細情報が出てくるわけでもなくで、意外とローカルなのかな、という感じでした。

ちなに狛犬は、小さい狛犬を前脚で踏んでいる感じのものでした。

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2014年11月29日 (土)

JR津駅 (三重県津市)

三重県津市のJR・近鉄・伊勢鉄道/津(つ)です。

津市は三重県の中部に位置し、人口は280,647人(2014.10.1現在)で、三重県の県庁所在地ですが、人口では四日市市に次ぐ県内2位となります。世界一短い地名としてギネスブックに載っているそうで、tsuではなく「z」として登録されているとか。ベビースターラーメンでおなじみの「おやつカンパニー」は当地に本社を構えています。

-JR・近鉄・伊勢鉄道/津駅
【路線】JR紀勢本線(亀山-和歌山間)
    近鉄名古屋線(伊勢中川-名古屋間)
    伊勢鉄道伊勢線(河原田-津間)

【開業】1891年11月4日(JR・伊勢鉄道)
    
1932年4月3日(近鉄)
【訪問】初訪問-1999年9月
【1日あたり平均乗車人員】JR-3,537人/日 
           近鉄-15,000人/日、伊勢-1,840人/日
                   (いずれも2012年)
【近隣の主要駅(亀山方面)亀山駅→3駅 
           (和歌山方面)松阪駅→4駅
           (伊勢中川方面)久居駅→3駅
           (名古屋方面)白子駅→8駅
           (河原田方面)松阪駅→4駅

●窓口

この駅には何度か訪ねていますが、その割にホーム内を撮ったものがなく、いきなりこんな窓口周りの写真でスタートです。

初めて訪ねたのが1999年9月ですが、この写真は2007年1月再訪時のものです。

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●駅出口フロア

同じく2007年1月当時のカットですが、駅を出て、駅前ロータリーの端が右に覗いているカットです。

綺麗な床面が広がっていて、さすが県庁所在地の中心駅という感じでした。夜に携帯のカメラで撮ったもので、光が斜めに走ってしまっています。

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●駅前通り

ここから先は2011年11月当時のカットです。

駅から伸びた道路ですが、高層の建物に挟まれる形で多数の車線が取られた通りとなっています。

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●駅ロータリー

駅前のロータリー部分。高層ビルが色々と立ち並ぶ様子が見えます。さすが三重県の県都。

ロータリーの真ん中は像こそありますが、あんまり賑やかなものはありませんでした。「ようこそ〇〇へ」みたいな派手なのはここにはなかったですね。

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●津駅 駅舎

まずは駅前広場と共に横からのカットです。

これだけでもこの駅の大きさがよく分かると思います。

この駅はJRも近鉄も同じ場所に駅がありますが、県内最大人口の四日市市は、JRと近鉄とで少し離れた場所に駅があります。

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●津駅 駅舎 様々な角度から

正面 左から 右から といった形で様々なアングルからの駅舎カットです。

それにしても「津駅」って言いにくいと感じます。「つ・えき」というより「つえき」と一気に言った方が言いやすいというか。

津だと津城跡があります。ちょっと距離がありますが。

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●津駅1999

最後に初訪問時1999年9月当時の津駅の駅舎です。今と一緒ですけど、20世紀の記録がこの中にはある訳ですね。

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2013年5月26日 (日)

近鉄/鈴鹿市駅 (三重県鈴鹿市)

三重県鈴鹿市の近鉄/鈴鹿市(すずかし)です。

鈴鹿市は三重県の北部に位置し、人口は198,598人(2012.11.1現在)で、鈴鹿サーキットがある事で大変有名な、三重県では四日市市、県都・津市に続いて第3位の人口の街です。

三重県は、四日市、この鈴鹿、そして県庁所在地の津と人口で3位までを占める都市がすべて繋がっています。なので三重県では北部と南部でかなりの人口格差が見られる状態になっています。

-近鉄/鈴鹿市駅
【路線】
近鉄鈴鹿線(伊勢若松-平田町間)
      

   

【開業】1925年12月20日
【訪問】2012年11月
【1日あたり平均乗車人員】 1,774人/日 (2011年)
【近隣の主要駅(伊勢若松方面)伊勢若松駅→2駅、近鉄四日市駅→10駅
          (平田町方面)平田町駅→2駅


駅名標

開業当初は「伊勢神戸(いせ・かんべ)」駅を名乗っており、1963年に現駅名となって今年でちょうど50年になります。

近鉄の主流である名古屋線の伊勢若松駅から4駅分岐した「鈴鹿線」のど真ん中の駅です。単なる盲腸線の途中駅で、ここで折り返している等のキー的要素もなく存在している状態です。

鈴鹿の市名を名乗る駅であり、市役所からも最も近い駅ですが、名古屋線の白子駅が利用者数では約4倍で賑わいも見せており、特急停車など優等駅扱いとなっています。

鈴鹿市という所は分散して発展している街で、どこが中心、という事がなかなか特定しづらいものがあります。

隣の駅が三日市駅というのが面白いですね。四日市とは10駅程度離れていますが…

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ごあんない

名所案内に準ずるものです。

この中では「神戸(かんべ)城跡」に行ってきました。公園の一角にある形で大手門や太鼓櫓などが遺構として残っています。

鈴鹿の中で自分の行った代表的な場所というと、ここになりますが、駅から1km程度の地点にあるので小一時間暇があればそこそこ見て帰ってこれます。

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時刻表

「平田町方面」とあるので、盲腸線であるこの路線の終着駅方面の時刻表です。

おおむね1時間2,3本というところでしょうか。平日は急行・普通とあり、土日は普通のみとなっていますが、平日の急行は名古屋線の四日市駅から鈴鹿線へ乗り入れてくる便が朝に数本あるのみで、鈴鹿線で駅を飛ばす訳でもなく、実質オール普通列車です。

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ホーム

ホームは2面2線です。

基本は鈴鹿線内の5駅間で折り返し運転であり、優等列車もない状態につき、双方向行き交う事さえできれば特に問題ない状態かなと。

写真の左側ホームはゆるいV字形の屋根で、右側ホームは外へ向かって下へ傾いた屋根になっています。また右側ホームは室内型の待合室も有しています。

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両ホーム間

は跨線橋ではなく、ホームの坂を下った先の構内踏切で繋がっています。

設備的にこの程度で十分ということでしょうか。特急の追い越しがある訳じゃないし、ここでの折り返しもないしで。

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駅前広場

駅出てやや右を向いた感じの所、ここに駅前ロータリーがあります。

周りに立ってる建屋の様子は、昭和期のそこそこ都会の風景があまり変わらずに残っている、そんな印象を受けました。冒頭も書きましたが、明白な市の中心という感じでなく、どこか穏やかな雰囲気がそこかしこに漂っていました。

下側の写真はそこから視線を左に移した感じで、ここも広場が広がり、タクシーが停まっていました。タクシーはそれ程多くは停まっておらず、そんなに行き来がなされている感じではありませんでした。

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鈴鹿市駅 駅舎

とても大きな建屋で、市の代表に相応しい風格を持っています。

建屋は大きいですが、どうもそれ相応の賑わいが感じられず…

この駅ビルの中にどれほどの人が入っているのか…??予備校みたいなのはありましたが、他に何かある形跡がなく、店が入ってる感がなくて、かつては商業施設が色々入ってたりしたんでしょうか?

全面白の建屋で青空によく映えます。その印象のが強くて、絵的にはいいのが撮れたな、というところでした。

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2013年3月19日 (火)

三重/鳥羽 マリーナシティを歩き行く!

三重県鳥羽市、鳥羽駅からの歩き旅です。

JRも近鉄もある鳥羽駅から歩き出せばすぐに海沿い道。

鳥羽駅前道

海側は駅舎から2F部分で通路が伸びていて、道路を突っ切っています。

駅舎が左側、海が右側になります。

これを写真の手前方向に歩いていきます。

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麓だけ

鳥羽駅から南へ下って歩いていると、海に向かって突き出たようなこんな所が。下の部分だけ建物が集中していて、あとは半分はげ山のようになっていました。

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マリンロード

歩いている海沿いの道はこんな感じです。

そういえば横須賀駅から下りて、海沿いの道を歩いた時もこんな歩道だったような気が…、うる覚えですみません。

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鳥羽湾めぐり

の観光船ののりばです。

橋渡ししている通路の向こうにあるのは、その観光船の待合所とありました。

これ自体がその観光船ではないんですね(笑

鳥羽湾めぐりは1周50分ということで、乗船券も発売してるようです。少し時間があればクルージングしたいとこですね。鉄旅で鳥羽駅に来てもすぐの所なので、時間さえ合えばいい旅ができるでしょうね。

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龍宮城

上の待合所の写真にいくつかの船の紹介がありましたが、そのなかで「龍宮城」とされている船舶が待合所の向こうに現れました。この当時、2006年2月なんで今から7年も前ですが、当時の携帯の粗い画像で撮ったので出来がいまひとつです…

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イルカ島?

鳥羽湾めぐりの所にあった地図です。

イルカのショーが見れるんですね!イルカのタッチもできたり。

鳥羽駅より北側にある少しだけ離れた小島がイルカ島で、南北に長くてそれでも400mくらいでしょうか。色々楽しめそうです。

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ミキモト真珠島への

海上で通路が伸びているところです。

ミキモトは自分の母親が働いてたとこなので若干愛着あります。このカタカナ4文字を見ると普段と違う反応をしてしまいますね…

ちなみに先ほどの鳥羽湾めぐりののりばのすぐ近くです。

島めぐりの料金はこんな感じです。大人1200円で約50分ですね。

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鳥羽水族館

先のミキモト真珠島からまたまた程なく、次から次へと目を惹く所が現われますが、鳥羽水族館です。海浜都市・鳥羽を象徴する施設は沢山ありますが、ここもまたその重要なひとつといえます。

世界屈指の規模を誇る水族館のようで、1000種類20,000点もの海や川の生き物が飼育・展示されている、とありました。来た時にはそんな印象はなかったんですが、後で調べてビックリでした。

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ラッコがお出迎え

この2006年当時で「おかげさまで50周年」のあいさつがついた形でラッコがお出迎えしていました。1955年が開業だそうで、この時2006年でも年初の方だったので、まだ50周年記念の圏内的な時期だったという事でしょうか。

1,000余りもの多種多様な生物が存在する鳥羽水族館の中でも代表的なもののひとつがこのラッコです。1987年頃はラッコがホントに流行ったなぁ、と感じました。これもブームというやつですね、ラッコブームなんて言われていたので。

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伊良湖・常滑フェリーのりば

これもまた海浜都市らしい場所ですが、伊良湖や常滑へのフェリー(伊勢湾フェリー)のりばがありました。

伊良湖は渥美半島の先端、常滑は知多半島の付け根と、それぞれ愛知県の海浜部にクワガタの上アゴのごとく突き出している部分への就航がありました。

が、この翌年2007年には常滑への就航は廃止され、常滑営業所も閉鎖されたといいます。伊良湖への便はあります。

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市内の中心駅前からマリーナ気分を味わうのに十分なこの鳥羽、ここではうまく伝えきれていませんが、行けばかなり楽しめる事と思います。