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41佐賀県

2016年11月17日 (木)

佐賀/伊万里 陶器溢れるこの通りに

佐賀県伊万里市、JR伊万里駅からの歩き旅です。

(2011年12月当時)

●マンホール

まずは伊万里市のマンホールです。

江戸時代の古伊万里(焼き)の積み出し風景だそうです。もっと焼き物を前面に出したものを想像していました。伊万里港から長崎を経由してヨーロッパへ出ていたそうで、今ヨーロッパでその陶器を持っている方は居ないのか??等想像してしまいます。

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●駅前道

JRと松浦鉄道をつなぐ形で駅が構成されていますが、その両者をつないでい歩道の下を交差している道路の南側を眺めた様子です。

これは今からちょうど5年前の姿ですが、このガストは今もあるようです。

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●ロードギャラリー

伊万里焼ロードギャラリー事業という事で、この訪問の前年にあたる2010年3月に伊万里市が「伊万里当時工業組合」の協力のもと設置した、とありました。

以降、いたる所でこのような街なかに陶器を目にする事となり、これが伊万里の「ウリ」という事を改めて感じさせられます。

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●伊万里牛

伊万里は焼き物だけではなく、伊万里牛としても知られており、その上質さは佐賀牛と同じものであり、生産がJAの伊万里管轄であれば「伊万里牛」と呼ばれているだけだそうです。

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●これも陶器!

器だけではなく、こんな陶器もありました!

これなんの着物の女性??と思い説明書きを見ると「伊万里色絵夫人立像」とありました。

江戸時代でも寛文年間といわれる17世紀後半ごろの風俗画を特徴づける美人画の様式との事で、こういうものまで焼き物でつくられていてビックリしました。

絵画の世界では、この後浮世絵が流行し出して、絵のタッチが変化していきますが、陶器の世界ではこの様式が踏襲されていったそうで、それぞれの世界でそれぞれ別の変貌をしていくのか…と思わされました。

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●牛の首

ユニークな看板、というかこの三次元的なのがなんとも目を惹きます。

壁から牛の頭の部分がニョキッと突き出している訳ですから。

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●浜町交差点

伊万里駅から北へ2つ目の信号、距離にして200m程のところにある「浜町」交差点です。

ブルー・寿というホテルのブルー具合が妙に目立ちます。

あまり駅前にホテルがポンポン立っているような町ではありませんが、ホテルはちゃんとあります。「じゃらん」では都市によっては探せないところもあったりして、つい県庁所在地や大都市に目がいってしまいますが…。

手前のおもちゃ屋さんが存在感があっていいですね。カラフルな店名表示はまるでア●ヒペンのようです(笑)

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●佐賀銀行と伊萬里津

上の浜町交差点から北へすぐの所で、橋の手前にあたる部分ですが、そこに佐賀銀行があります。で、この佐賀銀行には面白いものがありました。マンホールにあったものと同様に、伊万里焼を積んだ古い船を三次元化したものです。これが銀行の軒先にあるという訳です。

下の説明板には「伊萬里津と伊萬里商人」とのタイトルで説明がありました。江戸時代には伊万里川の河口に開けた街並みを伊萬里津とよんでいたそうです。「萬」と旧字?表記だったのですね。

これ以前は伊萬里浦とよばれていたのが、17世紀の前半に港が整備されたそうです。あとはは先述通り長崎まで船で、生産された陶磁器が運ばれ、遠くヨーロッパへ渡ったといい、いわば「陶磁器ロード」の出発点といわれています。

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●樽に乗る人

上の写真の佐賀銀行の向こうには、このような橋の片鱗が見えていた事と思いますが、遂にその橋までやってきました。

するとその手前はこんなファンキーな陶磁器像が出迎えてくれました。

説明板には「伊万里色絵酒樽乗人物型注器像」とありました。よみはまんまです、「いまりいろえさかだるのりじんぶつがたちゅうきぞう」と。

酒樽に乗った人がつくられているのですが、この人はオランダ人です。この像はオランダからの依頼で江戸時代に陶器としてつくられたものだそうで、実用品は首の部分が蓋となって取り外しができていたものだとか。首を取り外す事で酒を注ぐ事ができていた訳ですね。

下にある酒樽の前面には蛇口がついています、変な位置に突起物がついているので、あらぬ誤解を受けそうですが。左手に酒瓶を持って覗き込んでいるというのですが、どう見てもマラカス振って踊り狂ってるアジアの志士の仲間のようにしか見えませんでした。

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●和風な堤防

この橋のある川は伊万里川で、かつては焼き物を運ぶ船が行き来していました。伊万里港から流れ込んでくる形で、長さは約10kmあります。

そしてこの堤防たち、下2枚中の上側は和風建築の象徴的存在ともいわれる「なまこ壁」を前面に出したスタイルの堤防で、いまひとつは城郭建築の片鱗を感じさせる屋根と白壁がズラリ並んだ堤防です。後者は堤防というよりは柵的な要素の方が強いですが。

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●和風な堤防2

白壁が全面にドーンと立った堤防もありました。しかも「伊万里津」の絵つきで!

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●堤防裏から

川の外側からのカットのひとつですが、伊万里津の古絵図がありました。横には古い写真も並べられ、往時の伊万里をここで窺い知る事が出来る訳です。

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●壺

「伊万里色絵楼閣山水門大壺」(いまりいろえろうかくさんすいもんおおつぼ)という壺がありました、これもまた橋の上です。

模様や形はかなり派手ですが、描かれている絵は実に和の佇まいに溢れた穏やかなものである事が窺えます。

ここでの説明板では「中国では沈香壺に香木を入れて、普段は蓋をしていて、来客時にはき蓋を開けて香りを漂わせていた、とありました。アロマテラピーのはしりのような事がなされていたのでしょうか。ヨーロッパを席巻したこの古伊万里もこの形は踏襲したものの、部屋の飾りなどに使われていたのが主であったとされています。

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●壺2

こちらは「伊万里色絵菊梅文壺」 (いまりいろえきくうめもんつぼ)というやはり壺です。上部の模様からすると縄文土器を連想させられます。

ヨーロッパでは器としてだけではなく、金工技術も加えて、王侯の宮殿や館の壁面などを飾ったといわれ、これはローソクの燭台仕立てになっているのですが、その事との好例として挙げられています。

上部の曲線を駆使した部分はロココ様式とされ、これに壺本体の鮮やかな彩色がよく合った好例としても挙げられているようです。壺の面に埋めや菊の花があしらわれています。

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●オーム鳴く

最後ですが、これは「伊万里色絵鸚鵡像」 (いまりいろえおうむぞう)です。要は陶磁器でつくられたオームですね(笑)

17世紀当時でこれ以外にも、虎、鷹、獅子、鶏などもつくられ置物とされていたようです。腹回りがこんな模様のオームっていないと思うのですが、どのような意図でこうなっているのか知りたいところですね。

あちらこちらにでっかい陶器が立っているこの伊万里、歩いているだけで思わず息を飲むというものです。色んな陶器をスタンプラリーの如く制覇してみると、旅として楽しめるだろうなと思います。

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2015年12月23日 (水)

佐賀/武雄 武雄温泉街への道!

佐賀県武雄市、JR武雄温泉駅からの歩き旅です。

(2011年12月当時)

●武雄温泉街へ

武雄温泉へは、駅の北口からのアプローチとなります。

バスなどののりばはこちらにもあり、反対の南口にもあって、鉄道のない嬉野市へ行く場合は南口からのアプローチとなりますが、北側は佐賀市や多久市などの周辺各市、また市内の循環バス、そして関西など(神戸・大阪)への長距離バスも出ているといいます。

北口を出て、その平行に入る道路を隔てた向こうに、このような標識看板がありました。

実際こんな写真のゲートをくぐって入っていきます。

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●駅北道路

これが駅の北口で線路と平行に走っている、北口の駅前道です。

右側に隠れているのが武雄温泉駅です。

左側は薬局とか酒屋さんとかありますが、このゴツゴツしたいかにも昭和な建物が味わい深いものがありました。

建物は結構まばらに建っていますが、温泉街へ向うにつれ店の軒が多く現われ、逆に駅の真ん前はこんなにのどかな雰囲気でした。

ちなみに温泉街はこの写真では、手前方向になります。

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●南口

転じてこちらは駅南口です。

先述の通り、嬉野市へのバスはこちらから出ており、長崎県の彼杵(そのぎ)などへのバスも出ています。

この木造の渋さに細い柱で、往時の面影を感じさせますが、近年できた高架駅舎とはあまりにもかけ離れた感が出過ぎてしまっていました。

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●南口バスのりばUP

上の写真のバスのりばの接写です。

JRバスが運行されており、その路線図が天井付近にありました。

嬉野温泉(嬉野市・嬉野温泉バスセンター)までは640円(当時)となっていますが、今、乗換案内で調べてみると、660円(所要時間33分)との事です。(この間、消費税率が8%に上がった影響と思われます)

嬉野市については記事をupしていますので、コチラを参照下さい。

下側の写真は主に時刻表がありますが、JRバスや祐徳バスのもの等複数路線がここを発着している様子が分かります。

祐徳バスでは三間坂駅という所へ行く便のものが載っていますが、これはは武雄温泉駅からJRで2駅行った所(距離にして7.8km)になります。

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●マンホール

武雄市のマンホールです。

武雄温泉の入口の立派な楼門、武雄を象徴した非常に分かり易いマンホールでした。国重要文化財という事で、武雄では自慢すべき存在といってもいいのかもしれません。

なんというか、すごく彫刻というか版画っぽい印象でした。これまでこうして数多くマンホールを見ては撮りしてましたが、「マンホールって彫り物なんだな…」という事をこれ見て初めて感じました。彫り物であるかどうかは別として、そう感じたという事です。

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●温泉方面

再び北口に戻って、左側が武雄温泉駅ですが、線路と平行なこの道を向こうに進んで行くと温泉街に入っていきます。

歩いて10分もすれば温泉街spaに着きます。

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●温泉街周辺

駅から温泉街へ向かう途中、上の写真の地点(ほぼ駅前)から歩いて約5分で、このような飲食店街に出くわします。

観光客で賑わうとか、そんな感じではなかったですね。

とにかく昔ながらの雰囲気、が前面に出ている感じで、現役の店もそうでない店も一緒くたな感じでした。

かつては温泉街を拠り所に栄えてきた街並みも、時の移ろいと共に…というところでしょうか、時が止まったままのようなお店も少なからず見受けられました。これもまた昭和の遺産なのかな、と…。

そういった街のカットをピックアップしたものが下の写真です。

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●温泉街の手前

上の写真のような懐かしげな街並みを抜けて、楼門のある温泉も近づいてきた地点ですが、「なかます」という立派な旅館の姿が見えました。

この旅館、創業200年を越える老舗の国際観光旅館で、古美術品の展示などもあるそうです。

価格面で調べてみると、それほど高級というものではなく、シングル朝食付きでは6,000円~と、むしろリーズナブルでしたdelicious

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●楼門が見えてきた!

上の写真の道を左に折れて進むと、武雄の代名詞的存在といえる楼門が向こうに見えてきました。

このあたりは、温泉旅館でガッチリ固められている感じのロケーションになっていますが、旅館は17軒あるとされています。

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●ついに楼門!

の真ん前まで来ました。

「武雄温泉新館ならびに楼門 二棟」という形で、国の重要文化財に指定されています。

辰野金吾(1854-1919)の設計によるもので、今から100年前の1914年に完成祝賀会が開かれていますが、この方といえば、東京駅や大阪の中之島公会堂などその他多数全国に及ぶ有名建築物の設計にも携わったという事で、近代建築においてその輝かしい実績は色褪せる事もなく残るでしょうし、このように形としても残り続ける事でしょう。

また辰野作品としては佐賀県唯一であり、それがまたこの武雄に存在する事も貴重だと思います。

楼門自体の歴史は100年ほどですが、開湯は約1200前ともいわれ、江戸初期には伊達政宗や宮本武蔵も入湯したといわれています。

とにかく、この下をくぐって日帰り入浴ができ、3軒の浴場から選択できます。

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●入口

楼門をくぐったところです。

手前にはちよっとした食堂があります。

向こう側には浴場がsign03

この時は、「元湯」spaに浸かってあったまってきましたgawk

この食事処のすぐ向こうの建屋に浸かってきたので、その向こうの新館は外から眺めていただけです。

食事もでき、湯にも浸かれ、短時間ながら武雄の旅は良い思い出となりました。

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2014年11月30日 (日)

JR佐賀駅 (佐賀県佐賀市)

佐賀県佐賀市のJR/佐賀(さが)です。

佐賀市は佐賀県の東部に位置し、人口は235,492人(2014.11.1現在)で、佐賀県の県庁所在地です。人口は佐賀県内では1位ですが、九州の県庁所在地としては最少という状態です。

かつては「薩長土肥」のひとつである肥前藩の城下町として栄え、維新の英傑も沢山出ており、今では熱気球の国際大会である「バルーンフェスタ」が開催される事などで知られています。

-JR佐賀駅
【路線】JR長崎本線(鳥栖-長崎間) ※唐津線も乗入れ
【開業】1891年8月20
【訪問】初訪問-1997年4月
【1日あたり平均乗車人員】11,949人/日 (2012年)
【近隣の主要駅(鳥栖方面)神埼駅→2駅 
           (長崎方面)久保田駅→2駅
           (唐津方面)小城駅→3駅

●駅名標

10年くらい前にはやったS・A・G・Aさが~というのを真っ先に思い出してしまいました。

ここに初めて来たのは1997年4月の事ですが、今回の写真は2014年11月再訪時のもので、今回はかなり鮮度の高い記事という事になります。

所属としてはJR長崎本線のみに属していますが、唐津線の電車も乗入れてきます。ただ、県庁所在地でありながら、JR以外の電車は通っていません。

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●特急列車

かもめ号です。

初期の0系新幹線のようなフォルムがなんとも目を惹きます。

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●ホーム

ホームは2面4線で県内一の規模の駅としては少ない方かなと思います。

分岐する路線もなく、他の私鉄も通らずで、路線上の途中駅にすぎないという部分も大いにあるのでしょう。島根県の松江駅も同様の構造ですね。

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●待合室周辺

ガラス張りの待合室です。

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●旅立ち恵比須

人々の旅立ちの応援をする恵比寿様がホームに鎮座しています。

佐賀市内にはこのような恵比寿様が多数設置され、ここには2004年に設置されたといいます。そしてそれぞれに名前があり、ここはこのような名前になっているといいます。

恵比寿八十八ヶ所巡り、と幟もあるように多数設置されていますが、これらを巡るスタンプラリー的な「通い帳」もあるようです。

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●面浮立

「めんぶりゅう」といいますが、佐賀駅前に建っているインパクトの大変大きい像で、初めて訪ねた1997年当時も佐賀駅といえばこの像がもっとも記憶に残っていました。

佐賀県を代表する民俗芸能との事ですが、戦国時代の大内氏と竜造寺氏の戦に由来すると言われます。中国地方から攻め込んできた大内氏を迎え撃つ竜造寺氏、しかし形勢不利な竜造寺側、負け戦を覚悟したその時に一族の部隊がシャグマをかぶり奇襲をかけ、見事撃退を果たしたといわれ、その時の戦勝踊りが元になっているという説があります。

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●けったくり

レンタサイクルの看板ですが、佐賀では自転車を「けったくり」というそうで、最初この看板を見た時は、自転車に乗る人の絵と「けったくり」という言葉だけが目に飛び込んできたので、自転車で近寄って蹴りをかましてひったくりする犯罪?!に注意を促す看板?かと思ってました。

1回500円で8:30~17:00利用可との事です。佐賀城などは少し距離があるので自転車が効果的です。

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●駅前通り

南口の駅前通りです。

ここもまた県庁所在地の中心駅前らしい高層ビルに挟まれた立派な道路が通っていて、11月という時節柄もあり銀杏並木が大変きれいでした。実際通りを歩くともっときれいに感じられます。

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●佐賀駅駅舎(南口)

新幹線駅のような立派な高架駅舎です。

佐賀県の新幹線停車駅は新鳥栖駅ただひとつであり、ここ佐賀駅は博多-鹿児島中央間の「鹿児島本線」からそれている事もあって新幹線が通らず、県内に新幹線駅がありながら県庁所在地に停車しない稀有な例となっています(滋賀県・岐阜県などもこれにあたります)

駅前広場としては、真ん中のハートがてっぺんにあるネオンが印象的です。

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●北口駅前通り

反対側、北口のカットです。

明らかに南口と雰囲気が違って、南口がメインでこちらがサブという雰囲気でした。

ここに写っている建物以外にも高層のものはありましたが、雰囲気はまるで違ってました。

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●佐賀駅駅舎 北口

南口の華やかな雰囲気と違うとはいえ、それなりにタクシーも停まっていて、行き来はありました。

駅舎自体の様子は北も南もおんなじでした。それぞれ違う方が味わいがあっていいと思うのですが、画一化の方が優先されたのでしょうかね。

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2014年11月25日 (火)

佐賀/小城 田中丸家と赤れんが

佐賀県小城市、JR牛津駅からの歩き旅です。

(2011年12月現在)

●案内

牛津駅の広場一角にある案内板です。

牛津といえばまずは「れんが館」!駅からも200mという至近にあり、まず押さえておきたい名所といえる存在です。

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●マンホール

旧・牛津町のマンホールです。

真ん中は町章でカタカタの「ウ」を曲線にして、牛の角が生えたようなマークになっています、ちょっと吉野家っぽいですね(笑)

周りを覆っているのはサザンカだそうです。

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●駅前道

線路と平行に通る駅前の道路で、向こうを左折すると牛津駅といったロケーションになります。

歩道はきれいになっている感じがしますが、建物周りはずっと変わってなさそうな雰囲気でした。

青空と立ちこめる灰色がかった雲のコントラストが実に眩しかったです。

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●線路を越えて

駅前の道路を平行に歩いてからの踏切に差し掛かり、線路を越えていく所で牛津駅方向へのカットです。踏切のど真ん中で止まるというのはあまり良いものではないので、早々に立ち去らねば、という気分で時々こんなカットを撮ります。

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●カーブ

踏切渡った先の道路ですが、こういったカーブの美しさを撮るのも風景写真の醍醐味と勝手に思ってます。小城とか牛津とかそういう地元らしさは感じられないかもですが。

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●江戸期木版街道地図

江戸期の全国街道地図のうち九州の部分がクローズアップされていますが、小倉長崎間の「長崎街道」」沿いの宿場が詳細に書かれており、牛津宿もその中に記されています。

当時の牛津宿は「西の浪花」と呼ばれるほど商人の街として栄えていたそうです。佐賀の物資を扱う卸問屋が集まり、大阪や四国、九州各地の物資なども有明海から牛津川をさかのぼる船によって運ばれてきたと言われ、今よりもっと賑わっていたのでしょうか?

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●牛津町会館

牛津の名所のひとつである、「牛津町会館」に来ました。国登録の有形文化財です。

旧・田中丸家住宅との事ですが、それで思い出すのが「田中丸家御一同様」という昔のドラマ、調べてみたら1982年との事ですが、今となってはもう誰も知らないに近いレベルですね。幼い頃の記憶にかすかにあるのですが…、、森光子さんが主演で坂口良子、近藤正臣…といったところが出演していました。これと関係あるのかな??と思って調べても不明なほど情報のないマイナーな作品のようですが、、多分何の関係もないでしょう?!

建屋の内容は、下の説明板通りですが牛津宿時代の豪商の邸宅として明治末期or大正初期頃に建てられたとの事で、様々な建築手法が取り入れられている事も分かります。

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●牛津赤れんが館

最後は牛津町会館と隣接する「赤れんが館」です。これこそが牛津でまず見たかった、そして最も見たかった建物でしたが(笑)、隣の和風の門塀は町会館のもので、これと接する形でれんが館があるという、違和感の大きな容貌となっていますが、この2大名所といってよてものがこんな形で共存しています。

町会館より一足早く、明治中~後期にかけて建てられたといわれており、戦時中は軍需工場としても利用されていたといわれます。

現在は小城市教育委員会で管理を行い、絵画展でのギャラリーなどに利用されているとの事でした。開放されていると知らず、ひたすら外からだけ撮っていましたが、出入りする人々も居なかったので、開放の事など考えもしませんでした。

今度行く時は、この中も堪能したいものです。

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2013年8月 1日 (木)

佐賀/神埼 神崎駅前の「ケ里」

佐賀県神埼市、JR神埼駅からの歩き旅です。

(2010年8月現在)

駅前広場

神埼駅のホームから外を見た駅前広場の様子です。

左側にあるのは卑弥呼像で、駅記事にはこれのupを載せていますが、周りはこんな感じでロータリーが形成されています。

「遊歩百選」という言葉をこの時初めて見ましたが、読売新聞が2002年にに発刊50年記念事業として呼びかけを行い、一般投票と選考委員会により100ヶ所選ばれた風光明媚な歩道だそうです。ここ神埼は「弥生の里からの水の郷」ということで選出されています。

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神崎駅前

の交差点です。

「うどん」の幟が出ていて、昭和臭さが感じられます。こういうとこでうどん喰うのがいいんですよね~日本の旅らしくて。

コンクリ色丸出しの建屋にもまた惹かれます。

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黄色いシャッター

に惹かれて撮っただけのものですが…

インパクトありますよね、何気ないけれど、神崎で見た記憶に残るカットの大きなひとつなのです。

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COFFEE Z

と書かれた昭和期活躍したと思われる自販機跡です。

跡っていうか自販機そのものは残ってて中身がないだけですが…

VIVO(ビーボ)というかつて存在した清涼飲料水メーカーのもののようで、スペイン語で「いきいき」「はつらつ」という意味だそうです。こういう自販機にお世話になっていた時期が確実にあり、ホントに懐かしいですね、その頃は自分のお金で買えなかっただけに余計に。

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ケ里

最後はこの写真を。

吉野ケ里のある神埼市ですが、ここも「田道ケ里」という地名で、「~ケ里」がちょこちょこある街なのかな、と勝手に思いました。古代に区画がなされていたのかな、とかいろいろと想像をめぐらしつつ。

そんな魅力的な街をこの程度しか見ていない、という事で記事は終わりになります。

色んな街に行きたいばかりに、ひとつひとつが結構雑になってしまい、全国の市全部行く事ができたら、今度はひとつひとつを詳しく行きたいのです。

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2013年7月28日 (日)

佐賀/鹿島 肥前鹿島駅から市役所まで

佐賀県鹿島市、JR肥前鹿島駅からの歩き旅です。

(2011年11月当時)

マンホール

まずは鹿島市のマンホールから。

市の花であるサクラが散りばめられ、真ん中は鹿島城跡でしょうか。

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さあ行こう

駅から歩き出したところで、標識に出くわしました。

道の駅あり鹿島城跡あり公園に肥前浜宿とありました。肥前浜宿行きたかったんですが時間かかる等々あり断念、鹿島城跡を目指す事としました。

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2011年のクリスマスは…

上の写真で看板がチラッと見えていたセブンイレブンを通りかかった時のカットですが、2011年のクリスマスはAKBだったんですね、こういうのも記録として残しておくと、旅の思い出とリンクしたりするんですよね。

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祐徳温泉 看板

全国的に有名な祐徳稲荷神社の1km手前に「宝乃湯」という温泉があるようで、その看板が出ていました。食事だけでもOKと。

祐徳稲荷へのアクセスとしては肥前鹿島の駅からだとバスで20分程度かかるという事で、結構距離あります。この時佐賀県の未訪市を色々回っていた自分の観光のプランからは自動的に外れる事となり、鹿島城跡目指して歩みを続けました。

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中牟田バス停

駅前の交差点を左折し300~400㍍ほど南下したところにある中牟田バス停。

歩き旅を基本としており、色んな所に目が止まり、観光するものだけじゃなく工程も全部記憶・記録に残したい方なので、こういう写真が沢山残ってしまいます。これがバスや自転車となると景色が流れてしまって、記録からも記憶からも消え去ってしまうのです。

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白壁

の建屋がありました。

腰の部分が板張りで惹かれました。

鹿島は「発酵まつり」というものがあるほど、発酵食品の製造が盛んで酒蔵も点在していたりで、これらを巡る旅をしても楽しめるかな、と思います。

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祐徳バスのりば

鹿島駅から中牟田へと進み、更に進んだ鹿島中川のバス停にあたると思われますが、結構なのりばになっているなと思ったら、祐徳バスの鹿島営業所でもあるようです。

ここがバスセンターかとも思いましたが、センターの方は駅向かいにあります。

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中川橋

駅前から線路に沿うようにして南へ下り続けた先に架かっている橋です。

朱塗りで金の宝珠のついた厳かな雰囲気の橋です。祐徳稲荷で有名な街でもあり、そのアピールもあるのかもしれません。

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森田判助邸跡地

通りがかりに出くわした石碑です。

森田判助邸の跡地という事ですが、森田判助(もりた・はんすけ:1879-1959)は実業家で、製薬会社を設立し社長になった後、鹿島町長を務め、また祐徳薬品工業の初代社長を務めた人物でもあります。

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鹿島市民会館

かしま市民立楽修大学が受託して運営しているそうで、市民会館そのもののHPはなく、建屋もかなり渋めです。特に建屋をつなぐような出入口の部分はかなり渋いです。

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鹿島市役所

鹿島市民会館と直角をなす形で隣接している鹿島市役所です。

最初、上の市民会館が市役所かと思い、随分渋いな…と思って見ていましたが、こっちが市役所でした(笑

ちなみにこちらは「鹿」市で、茨城県の鹿嶋神社のある方は「鹿」市です。

鹿島市では鹿島城跡を見たりしてますが、それはまた後の機会にて!

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2013年6月16日 (日)

佐賀/多久 多久駅前の昭和

佐賀県多久市、JR多久駅からの歩き旅、ただ単に駅前をフラフラしてただけの探訪記です。

(2010年9月当時)

駅から目線

駅前(北口)、アスファルトの広場がひろがるだけでなんにもなかったです。当時まだ開発中の様子でもあったので、3年近く経った今は分かりませんが…

そんな中にバスが一台だけポツンと停まっていました。

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多久 バスのりば

「多久」と書いただけののりばです。多久駅でも多久駅前でもなく。

上の写真でバスが停まっていた地点です。広場が工事中だったせいか、バスが乗り入れてこず、広場向こうにあたるこの位置にバス停が設けられていました。

この道は線路と平行に走る道路ですが、実質これが駅前通りかなという雰囲気でした。

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更地中に

ポツリと家屋があって、それが木造であったりと、とにかく昭和臭に満ちた、それもつくられたものでなく、ごくごく自然な昭和臭に圧倒されそうでした。

正直、この多久で地場ならではのものは見れていませんが、こういう街並みだけで個人的には大収穫でした。

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路地を入ると

自然な昭和に出会えました。

駅前からちょっと外れた所でこういう景色を見るのが趣味、といっていいぐらいのレベルなので本当に惹かれる風景です。昭和に育ったという原風景的なものがそうさせるのか分かりませんが。

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▼多久市マンホール

多久市の花が梅で、市の木はカエデだそうです。それぞれ内側と外側に散りばめられています。

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またまた昭和

昭和を象徴するようなもの、発見しました。

ブルーチップ です。

買い物したら切手みたいなポイントのクーポンがついて、それを所定の台紙に貼って貯めていくという…親がよくやっていました。個人的にはグリーンスタンプと並んで、貼って貯めるセービングクーポンの両雄、というところです。

現在も両者存続しており、さすがに今はポイントカード制になっているそうですが、ブルーチップはいまだに紙のシートを一部使っているところがあるとか。台紙がPCからダウンロードできるようになっているところがさすが現代、という感じですが。

ちなみにブルーチップのアニメがつくられていました!→http://www.bluechip.co.jp/Campaign_anime.html

昭和の遺産であって、もうなくなったのかと勝手に思っていましたが、よくよく調べてみると結構違っていたりするものですね。

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商店街交差

手前を横切るのが京町商店街、向こうに続くのが砂原商店街です。

かつての栄華を感じさせる雰囲気ですが、多久は炭鉱の町として発展し、これが衰退するとこのような中心地街から人口流出が増え、中心地街の活性化ということで市が取り上げて活動している、と多久市のサイトにはありました。

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砂原商店街

上の写真でも向こうに覗いて見えていた部分で、直進して程なくの風景です。

軒の低い店がずっと並んでいました。

炭鉱のあった頃はここで買い物する人々も数多く居たのかな、と想像してしまいます。

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渋い建屋の続く道

商店街を抜けて駅前の通りに出てきました。

これを直進して程ない所を左折すれば多久駅です。

というところで、ものすごく渋い建屋群に遭遇しました。

続いてるすべての建物がもれなく渋いという、個人的に垂涎モノのエリアでした。

そのいちばん向こうにあったものを最後にピンでupします。

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2013年3月 4日 (月)

佐賀/嬉野 なまず様への美肌祈願

佐賀県嬉野市、佐賀県の西部に位置し人口は28,301人(2012.12.1現在)で、2006年に旧・藤津郡塩田町と嬉野町の2町が合併してできた新しい市です。嬉野温泉と嬉野茶が有名で嬉野温泉には年間100万人の観光客が訪れるといいます。(2013年1月)

嬉野温泉バスセンター着

今年1月の年始の連休中1/3~5にかけて旅した分で最後に訪ねた地でした。

佐賀県で最後に訪ねた市で、ここへの到着をもって佐賀県の市全制覇と相成りました。

また佐賀県の市で唯一鉄道駅のないここ嬉野市ですが、アクセスとしては前泊していた武雄市のJR武雄温泉前バス停を7:42に発ち、約30分強の8:15頃にここ嬉野温泉バスセンターに着きました(640円)。

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バスセンター建屋

市の中心的なターミナルとしてなかなか大きな建屋となっていて、基本はコンクリートでゴツゴツした感じの昭和っぽい建屋で味わいが感じられます。

鉄道駅のない市はバスターミナルが公共交通機関の中心になる事が多いですが、それとても建屋が小さかったりして活気に欠ける所も少なからずありますが、ここは嬉野温泉という観光地をもつ分違うのかな、と感じました。

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待合室

バスセンターの待合室です。

入口には「嬉野温泉へ ようきんしゃったね」とあります。2枚中上の写真は外から、下の写真は室内からのカットです。

ここもまた鉄道駅のない市の場合、その設備の整い具合によって賑わいの有無や都会田舎的なバロメーターになる部分かなと思います。こういう室内型の待合室すらない市の中心バスターミナルもある訳で。

そう考えるとここは非常に整っていて、しかも小奇麗でかなり良い部類に入ると思います。正直もっと田舎的な寂れたイメージをもってやってきたもので、嬉しい誤算でした。

今回の2013正月九州島渡り旅(←勝手に命名)では、熊本県の天草市を皮切りに、フェリーで渡って長崎県南島原市、バス移動で雲仙市、途中鉄道入りますが、佐賀県武雄経由でここ嬉野市と殆ど駅のない市(雲仙市はあるものの訪問地区が駅のない町)ばかりで、田舎続きで寂しい思いをしても旅の収穫に恵まれなくても仕方ないという気で行きましたが、どこもかしこもが嬉しい誤算続きでホントにいい旅でした。あ、記事的には旅はこれからなんですが…(笑

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時刻表と路線図

時刻表は見方が若干ややこしいのですが、JR武雄温泉駅、JR彼杵駅とあるのはバスではなく、JRのそれぞれの駅自体の時刻表です。バスの時刻表はど真ん中の彼杵駅行と両端の分です。武雄温泉行は昼間は1時間に1本、それ以外は基本30分に1本の割合です。

ここにあるのは路線図含めJRバスの分で、他のバス会社路線の乗り入れもあり、肥前鹿島駅への便などもあります。

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バスのりば周辺

武雄からやって来た時は、最初の写真のようなバスセンターの市街地沿いの部分に停まって降りましたが、乗る時はその真裏にあたるこちら側にバスがやって来ました。

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バスセンター角

バスセンターすぐの交差点で、センターはほぼ角といってよい場所にあります。

嬉野温泉街へはここを左折していく事となり、ここへは全くそのために来たのでした。

バスセンターには嬉しい事にコインロッカーがあったので重い荷物を預けて、この交差点を左へ曲って歩き出しました。

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温泉街の道

交差点を左折して歩き出すところ、これを向こうに進んで行きます。

自転車置き場はバスセンターのもの?!か、この左がセンターになります。

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構口(町木戸)跡

平成10年に書かれた看板なので旧・嬉野町の表記になっていますが、嬉野は江戸時代、長崎街道の宿場町で、宿場町の境界には東西に町木戸を構えたといいます。ここはその西境で、西構口とされる地点です。

東端の東構口までは約500mとの事で、宿場町の長さがイコールこの距離です。

脇でお湯が出ていて、この辺から温泉街の雰囲気を本格的に感じられるようになってきました。

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豊玉姫神社

温泉街を更に進むと程なく左手に見えてきたこの「豊玉姫神社」。

美肌の湯として知られる嬉野温泉ですが、豊玉姫様というのは竜宮城の乙姫様であり、その肌は美しく、「美肌の神様」として祀られているのだといいます。

実はこここそが、自分にとって2013年初詣の地となったのでした。

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意外な初詣

今年の初詣は色々考えていたはずでしたが、結果的にふらりと行き着いたここになったのでした。が、それがナントここのお祈りが大変変わっているもので、○○の神様という不思議な神社にはいくつか行ったものの、初詣にイレギュラーなお祈りしたのは全く初めてでした。

で、それがどんなものかというと…

「美肌の祈り!」

それも、 「なまず様」に向かってです。

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なまず様

「なまず様」のMAXアップのカットです。

このなまず様に向かって二礼、二拍子、そして一礼です。

ここは通常のお祈りと一緒です。相手がなまず様であるのが違うだけです(笑

次に、美肌を祈りつつ、このなまず様にひしゃくで水を掛けます。

最後に一礼で終わります。

これが2013年の初詣でした。40過ぎのオッサンが美肌祈願が今年の初詣とは…

まぁ肌がきれいに越したことはないですが…

ここ嬉野地区では、「なまず様」を粗末に扱うと祟りがあるとされ、食用にするなどもってのほかなのだそうです。信仰の対象となるので、このなまず様にも粗末に扱ってはならない、と記されていました。各地に各文化がある訳ですね…

2013年の年明けから珍妙な体験ができて面白かったです。温泉へ行く前に早くも良い思い出ができたというものでした。今回はここまで。温泉編に入ると写真up量が際限なくなってしまいますので…

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2012年8月14日 (火)

JR唐津駅 (佐賀県唐津市)

佐賀県唐津市のJR唐津(からつ)です。

唐津市は佐賀県の北部に位置し、人口は125,623人
(2012.7.1現在)で、日本三大くんちのひとつである
「唐津くんち」が大変有名で、唐津城でも有名な
佐賀県きっての城下町です。

-JR唐津
【路線】JR唐津線(久保田-西唐津間)
      筑肥線(姪浜-唐津間)

【開業】1898年12月1
【訪問】2010年9
【1日あたり平均乗車人員】 2,120人/日 (2009年)
【近隣の都市駅(久保田方面)多久駅→7駅
           (姪浜方面)筑前前原駅→12駅
           (伊万里方面)伊万里駅→12駅

駅名標

唐津線は当駅ではなく、西唐津が終点となります。

筑肥線としては途中で途切れており、姪浜からの路線は
属しているものの、伊万里方面は属していないという
奇妙な現象になっています。

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ホーム(1・2番線)

ホームは2面4線あり、こちらは右が1番線、左が2番線です。

鉄製にライトブルーのペイントされた柱が印象的です。

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ホーム(3・4番線)

左側は3・4番線で、向こうに電車が停まっている側が3番線で、
その向こうが4番線です。

高架ホームで、階段を下りて改札へ向かう構造です。

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顕彰碑

駅外へ出てきました。

手前は鉄道尽力者の顕彰碑で、唐津線の前身である
唐津興業鉄道の創設に尽力した面々のレリーフが
つくられています。

そしてその向こうにあるのが次の写真、、

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唐津くんち 曳山

唐津の名物、唐津くんちの獅子の曳山像です。

くんち、とは九州北部における秋祭りの呼称、だそうですね。
初めて知りました。

曳山は獅子や鯛や龍など様々ありますが、
1番曳山は赤獅子だそうで、これはそのイメージでしょうか。

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曳山リスト?!

上の写真の台座の部分には各曳山の番号と種類が
イラスト付きで紹介されています。

上杉謙信の兜とか酒呑童子とか七宝丸とか本当に
実に様々、バリエーションに富んでいます。

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五足の靴文学碑

1907年に与謝野鉄幹や北原白秋などの文学関係者5人が
主に九州西部を1ヶ月旅してできた紀行文が五足の靴と呼ばれ、
ここではその一人である木下杢太郎の詩が刻まれています。

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復活予告

2011年春 旧唐津銀行が蘇ります

との看板が出ていました。この当時は2010年夏、まさにもうすぐ
という時期でした。

旧唐津銀行は1912年の築で、日本近代建築の父といわれた
辰野金吾氏の手によるもので、今年でちょうど100周年なのですが、
2002年に市が需要文化財に指定し、2008年から改修工事が
着手され、2011年3月に改修が終了し開放されたとの事です。

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唐津駅 駅舎

立派な高架駅舎です。

向こうには唐津シティホテルというホテルが建っています。

以前はこの唐津駅が市の中心でありながらも、
東唐津駅が実質的な市のメインでしたが、唐津駅に中心
機能を一本化するため、1983年に電化やこれに伴う東唐津駅の
移転などが行われ、現在では名実ともに唐津市の中心駅の
座にあります。

KARATSU STATION というローマ字表記がシックな
建屋に溶け込んでいるように思いました。

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2012年1月11日 (水)

松浦鉄道/伊万里駅 (佐賀県伊万里市)

佐賀県伊万里市のJR・松浦鉄道/伊万里(いまり)です。

伊万里市は佐賀県の西部に位置し、長崎県にも接していて人口は56,813人(2011.12.1現在)で、伊万里焼はその名があまりに有名な陶磁器の町で、有田焼の有田町にも隣接しています。伊万里焼は江戸初期の1638年が文献上の初見とされ、作られ始めたのはその少し前とされています。

-JR・松浦鉄道/伊万里
【路線】JR筑肥線 (山本-伊万里間)
    松浦鉄道・西九州線 (有田-佐世保間)

【開業】JR-1898年8月7日
    松浦鉄道-1988年4月1日

【訪問】2011年12月
【1日あたり平均乗車人員】 JR-313人/日 (2005年)
                 松浦鉄道-742人/日(2005年)
近隣の都市駅(有田方面)有田駅→10駅
       (佐世保方面)松浦駅→13駅
      (山本経由唐津方面)唐津駅→12駅

▼伊万里市の中心駅で、JRと松浦鉄道の駅が道を隔てて隣接する構造となっていますが、利用者数は松浦鉄道の方がJRより倍以上多くなっています。

この時は松浦鉄道のみの利用であったので、記事タイトルも松浦鉄道とさせて頂きました。という訳で、こちらは松浦鉄道の駅名標です。下にあるイラストはモノクロっぽくて分かりにくいと思いますが、伊万里焼の焼き物です。この隣駅表示は少々変わっていて、「かわひがし」と「ひがしやましろ」は伊万里から見た互いに逆方向の松浦鉄道での隣駅で、「かみいまり」はJRでの隣駅で、ここは三叉路のど真ん中のような感じでしょうか。

昨年12月、佐賀県の未訪市として小城市を皮切りに武雄市で温泉に浸かってきて、この日最後に寄ったのがここ伊万里なのでした。

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▼名所案内と乗り換えの案内です。

松浦鉄道のホームにつき、平戸口方面のりかえ、となっています。平戸も松浦も今年中には行きたいな、と密かに野望?!を抱いております。

玄海国定公園が絶景らしいのですが、公園ばかりですね、ここに載ってる名所は。しかし軒並み5km超で、一番下の伊万里神社だけが1kmとまぁ徒歩で行けそうな感じです。そこまで行かなくても近くの橋が妙に華やかだったり、見つければ色々とあります。

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▼松浦鉄道のこのホームは2面3線となっています。

電車が停まっているところですが、横からだと昔の新幹線っぽいカラーリングという気が若干します。結構きれいな形の四角形という印象で、白に濃いめのブルーが良く映えています。

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▼側線にも色々電車が停まってて、しばし見入ってました。

どれも一両きりの電車なんでかわいく見えます。

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▼こう見れば2面3線が分かると思います。

両ホームをつなぐのは跨線橋ではなく、構内踏切でもありません。

この駅はここで行き止まりなのです。なので車止めの向こうに通路がある訳です。

頭から乗り入れた後、今度は手前側が頭となって走るスイッチバックになるという訳で。初めはここが全くの終着駅かな、と思ってましたが…。

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▼そしてこれがその車止め部分です。

この向こうの通路で両ホーム行き来します。

こういう構造のホームを頭端(とうたん)式というんですが、このタイプのホームは普通のよりも撮りたい意識が高まります。それだけ行き止まりってものに尋常じゃない(普通じゃない?!)やや特別なものを見る気がするのでしょうか。

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▼伊万里駅の駅舎、松浦鉄道側(西駅舎)です。

この手前がJR側(東駅舎)となっていて、JRと私鉄が橋上通路でつながっているという珍しい構造です。

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▼で、こちらがJR側の駅舎です。

てっぺんがこちらは角ばってて、松浦側は丸みを帯びているなど微妙に違いが見られます。

両方をつなぐ橋の部分に「伊万里駅」と銘打たれているのがいいですね。離れているけど、どちらも伊万里駅なんだよ、と言われているような気になりました。

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▼JR側で、反対から見に行くと、こんな風に別に立った駅舎がありました。

ホームは見てませんが、1面1線のみだそうで、規模も利用者数もこの駅に関しては松浦鉄道に軍配が上がるようです。

こちらはこちらで立派な駅前広場スペースがつくられています。

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▼という訳で、ここはJRの駅前広場です。

左の石碑は「交響曲伊万里より ふるさとよ」とある楽譜です。

この曲の作詞者である片岡繁男氏は伊万里出身の詩人で、作曲者の池田松洋氏は伊万里高校卒だそうです。

そんな伊万里ゆかりの2人に手掛けられたこの曲は1980年に伊万里合唱団によって初披露され、やがてはこのように記念として建立され今に至ります。

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▼気持ち悪いと思った方、すみません。

カブトガニ像のアップで。

ライオンズクラブによる作との事です。

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▼歴史ある街は必ず、こういう城を模したデザインなり色なりで案内板がつくられたりなんかしてる気がします。

日本人の郷愁をそそる、また海外の人たちからはいかにも日本的なものと容易にイメージさせる、そういう要素が強いのでしょうか。

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▼さて、最後は両伊万里駅を結ぶ姿も見られるやや遠景のカットです。

タクシーが何台も停まるようなスペースはなく、広場は車の通らない部分に結構つくられていて、駅前自体がそれほど活気がある印象はなかったです。ただ目の前道路であり、車の行き来はかなり激しい印象がありました。

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