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17石川県

2017年8月 7日 (月)

石川/七尾 色褪せた2002

石川県七尾市、JR七尾駅周辺の様子です。

(2002年8月当時)

●七尾駅前

昔の写ルンですで撮った写真を携帯で撮ってダウンロードしているので、基本的に画質が悪くて申し訳ありません。

今から15年前、2002年8月の姿です。

まず最初はこの七尾駅前、なんといっても「歓迎」の灯籠?群が目を惹きました。しかしこの15年の間に、駅前もだいぶ様子が変わったようで、このモニュメントもすっかりなくなってしまったようでGoogle Mapで覗いても確認できませんでした。祭りが大変多い街で、それも派手なやつが多いので、祭り好きな方にはうってつけの街だと思います。

もう15年もここには行っていないので久々に訪ねたいのですが、何せここへ行くのには時間がかかります。うちの地元からだと片道5時間は必要で、金沢から約1時間かかります。それにここへ行くのなら、同様に滅多に行けない輪島へも行きたいので、ちょっとまとまった時間が必要になります。輪島へはこの当時ですら、前年に鉄道が廃止されてしまい、金沢からバスで行くしか…という状態につき、本当にまとまった時間が必要です。でも輪島は15年経っても変わってなさそう…(知りませんが)

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●七尾北鉄前

交差点名称が見えにくくなっていますが「七尾北鉄前」とあります。七尾駅前すぐ右の北鉄(北陸鉄道)の七尾バスセンターの前につき、このような名称なっていますが、現在この位置に信号はない模様です。

右側にある鉄塔を頼りにGoogle Mapで確認しましたがやはり信号はなく、建物もだいぶ変わっているようです。鉄塔はまだ同じ位置にあるようですが。

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●七尾サンハーバー

という看板が右端に見えます。確かこの時泊まったホテルだったような…正直もう記憶になくて、別のホテルに泊まったのかもしれませんが。何せホテルへ行くのに、駅前のちょっと外れたこんな小路を通った覚えはあります。今でも残っているのかどうか…

七尾サンハーバーで検索してもほとんど出てこず、廃業したとしてもかなり前の事なのかもしれません。まだデジカメを持っていなくて、たくさん写真が撮れる状況になかったとはいえ、こんな写真しか撮れなかったのか、と後悔しています。

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●リボン通り

いかにも商店街、という感じの通りがありました。

鮮明でなくて全体的に黒っぽくてすみません。

かつては七尾市のメインストリートとして賑わったといいますが、時の流れがこういう街の位置づけを変えてしまうのかな、と。

…この写真から15年経った今、これらと同じ場所に立って撮ってみたいなと思います。なかなか寄れる場所ではありませんが。

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●七尾郵便局

建物の脇の部分に「日本一のでか山 山車」のフレーズと共にインパクトのある絵が描き込まれていました。これもまたGoogle Map先生に頼ってみると、郵便局はこの姿で今もあるのですが、この手前のイラストは完全になくなってて、ただの壁面になっていました。

ココにあるとおり、とにかく祭りの多い街です。

このイラストはホントによく覚えています。夜にホテル出て散歩してた時にもこの横を通った覚えがあって。今やなくなってしまったのが残念です。小都市の割に15年も経つとかなり変わってしまうものなのか、、と思わされました。

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2017年7月 1日 (土)

石川/野々市 御経塚遺跡・先人の営み

石川県野々市市、JR野々市駅からの旅の様子です。

(2016年11月当時)

●野々市駅出口

今回記事は野々市駅を起点とした旅の様子、ではあるのですが、まずこの写真は
野々市駅の中から外を見た様子で、冒頭リンクつけている駅記事にも同じ写真が
あるのに、改めてここで載せています。それは何故か…??

駅記事は2008年8月訪問時のもので、今回記事のこの下にある写真は2016年11月
訪問、8年ぶりの野々市訪問となった訳ですが、この間に野々市は「町」から
「市」に昇格になりました
!!2011年11月11日という 「11.11.11」
の記念すべき日に市になった訳です。

そんな訳で、この出口への看板も「野々市へようこそ」と何気なく変わっています。
駅記事では「野々市へようこそ」となっており、英訳もTOWNからCITYに変更されて
います。

よって駅記事は町の時代、今回記事は市の時代なので、駅の様子と今回記事の
街の様子は連動はしていない状態です。

それにしても「野々市市」と、市の字が続く市は三重県の四日市市や現在は東近江市
となった『八日市市」、あとは広島県の廿日市市くらいしか思いつかず、〇日市市以外
では、ここが唯一ではないでしょうか?

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●駅前バス停

野々市駅を出てすぐの所にあるバス停ですが、標識が2本立っていました。

右側は白山市のコミュニティバスで、左側は「のっティ」というこの野々市市の
コミュニティバスです。2つの市のコミュニティバスが並び立っている状態でした。

白山市コミュニティバスは「東ルート」なるものが入っていて、ここ野々市駅から
白山市の中心地である松任駅までを約40分で結ぶコースが運行されています。

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●駅前ロータリー

左側が野々市駅という形でのカットで、駅前広場を横から撮っている格好に
なります。

町から市へと自治体的には昇格しましたが、特にこの駅前の目立った変化は
ないようで、とりあえず駅舎規模は変わっていませんでした。

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●野々市市交遊舎

野々市駅北口すぐにある多目的ホールとでもいうべき施設でしょうか。

会議室やホールなどを借りる事ができ、7,000円で会議室1室を9時から
22時まで借りる事ができます。(1時間ごとであれば600円!)

ホールは200名程のキャパシティなので、あまりこれというイベントが行われて
いる訳ではないようです。

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●装通り

野々市駅から北へ300m程の地点で、向こうにはニトリが見えています。

そんな所で、このようなコンクリートの千本鳥居のような?地下道がありました。

地下道って個人的には都会の象徴のように思っているので、あってビックリしました。

ゲートの入口部分には「装通り」とあるのですが、検索しても皆目出てこなくて、
ここの通りの事をそう呼んでいるのか何なのかサッパリ分かりませんでした。

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●川沿い公園

野々市駅から北へ、駅のすぐ西を流れる川に沿って進んだところにある公園です。

野々市市での見どころを探しながら歩いていたのですが、そこで出てきたキーワードは
「御経塚」でした。この名のついた遺跡があるという事で探していたところ、この地名に
出くわして、この公園が遺跡??と思って見ていましたが、違いました。本当に
単なる公園でした。遺跡の方はこの後、別の地で見つける事となりました。

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●リバーサイド

公園を出て、一旦野々市駅方面へ歩き出した時の様子です。

野々市駅の西をこの川がずっと流れています。

で、川沿いのこの柵の模様?!が妙に印象的でした。縦線が1本1本長さの
違うエンピツが並んでいるみたいなこの模様がインパクトあって、思わず
写真に撮ってしまいました。

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●あやめ

という名のバス停です。

まるで温泉旅館の部屋の名前のような(笑)しかし、このような名前ばかりでなく、
むしろこのような名前の停留所はここくらいです。ちなみに隣のバス停は「あやめ北」
です。元々は「あやめ団地前」という名前だったそうですが、団地を省略して
「あやめ」にしたとは、どういう意図だったのでしょうか。

コミュニティバスではありますが、便数は結構あります。45分に1本という
これは、この辺りではかなり多い部類になるのではないでしょうか。

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●御経塚西バス停

「あやめ」の隣のバス停で、「おきょうづかにし」と読みます。

野々市には不可欠な地名ともいうべき?御経塚は、バス停の名称として多数存在し、
「あやめ」「あやめ北」を経て、御経塚中央、御経塚史跡公園…と続いていきます。

ちなみに御経塚という地名の初出は1644年だそうです。

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●完工記念碑

当時の野々市町として、御経塚第二土地区画整理事業というものが行なわれ、
その完工記念としてつくられた碑が公園にありました。

この事業は1986(昭和61)年から2002(平成14)年という17年間の長きにわたって
行なわれ、対象地域600㎡に対して総事業費115億円を計上した大プロジェクトで
あったといいます。

そのまちづくりの努力が認められ1998(平成10)年には都市景観大賞というものを
受賞しています。

元々は安住の地として縄文時代~古墳時代の遺構が数多く発見され、田んぼで
あったこの一帯を市街地とするために組合が立ち上げられ、整備事業が進められて
きたといいます。

絶えず次の時代を模索し、変容に対応しつつ情報発信し続ける街、というコンセプト
のもとに進められてきた事業とありましたが、それが後の野々市市としての
「市制化」に繋がっていったのでしょうか??

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●公園の噴水

上の碑の近くにある噴水です。

噴水とか滝とか海とか、色々ありますが、水の流れというものに人は惹きつけられ
がち、と勝手に思っていますが、この噴水を暫し眺めていました。

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●御経塚中央バス停

御経塚西バス停のすぐ東にあるバス停です。

御経塚西は番号が21番に対して、ここは24番、位置的にはすぐ横という感じで、
御経塚西から北へ進路が伸びて、ました南へとグルッと回ったようなルートに
なっていて、ここは3番離れたバス停ながら同じような地に戻ってくる格好です。

ちなみにこのバス停は、イオン御経塚店の真ん前に停車します

バス停にベンチがあると、座るかどうかに関わらずなんか安心感があります。
疲れてたらたまに座りたい時もあり、座らなかったとしてもベンチがないと、
疲れがドッと出てくるときもあります。

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●御経塚史跡公園

ここ野々市の歩き旅で個人的にメインとなったのが、この史跡公園の観光?で、
ここには行っておきたい、というのがありました。(野々市駅より徒歩約10分)

先の土地整備事業記念碑の写真で、この辺りに遺構が数多くあったと書きました
が、その往時の姿を思わせるエリアが公園として残っています。

縄文終末期当時は30,000㎡を越える大集落を形成していたという事で、
これほどの規模の集落は全国各地見渡してもなかなかなかったそうです。

縄文時代後期から晩期の遺跡で、1954年に発見され、1977年に国史跡に指定
されています。約3,000年前後昔の史跡で打製の石斧が多く出土しているという
事です。人の一生が昔50年だとすると、わずか60代前はそんな暮らしをしていたのに、
人類の文化発展のスピードに驚かされるというものです。

もっとも縄文人の平均寿命は30歳そこそこであったといわれ、もっと早いサイクルで
世代交代を繰り返してきたようですが。

…ここから先は主にその史跡公園の写真です。

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●住居跡

第〇号炉住居跡、といった具合に号数が振られる形で、住居跡の区画がいくつも
残っています。

ここに竪穴式住居をつくって、何人もの人数で一つのスペースで暮らしていたの
でしょうか?今の人間の暮らしから考えると、1つのスペースに何人も…というのは
なかなか考えづらいですね。

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●復元 竪穴式住居

歴史で習う竪穴式住居が復元の形で1軒だけありました。

こういうものも、歴史で習って写真だけで見るより、こうして実際に訪ねて実物見た
方が遥かに勉強になものだ、という事が大人になって分かっても遅いのですが、
子供の時に習ったものが、大人になってこうして体感して「こういうものなのか…!」
と知る事ができるのも、また楽しからずや、というものです。

この史跡公園の象徴的な存在であり、ひいては町のシンボルといっても過言では
ないでしょう。野々市に来て駅から歩いて何かを見て帰りたい、という時には、
ここへの訪問はおススメです。

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町から市になった野々市市、昨秋8年ぶりに訪ねましたが、前回は駅前をちょっと
歩いただけで、今回はこの遺跡公園を訪ねる等、わずかでもよい旅ができました。

2017年1月 9日 (月)

JR能美根上駅 (石川県能美市)

石川県能美市のJR能美根上(のみ・ねあがり)です

能美市では、JR寺井駅を既にupしており、この時に『市内唯一の駅』と記したのですが…、、市内に新駅ができたsign03 …のではなく、駅名が改称されたのです。

寺井駅から「能美根上駅」に改称された事をつい先日知り、先ごろ北陸の数市を改めて訪問した事もあって、今回新駅名になった形での再訪として記事をupします。

●駅名標

かつて「寺井」であったものが、このように「能美根上」に変わっていました。ちなみにこの再訪問は2016年11月当時のものです。

ここが能美市になったのは2005年の事ですが、以後もずっと寺井駅で通してきたのが、2015年3月に「能美根上」へ駅名変更となりました。元の駅名である寺井という地区はここから1km程離れた所にあり、ここは旧能美郡根上町の近くにあるという事が起源のようで、能美市がJRに要望していたようです。根上の名がある方が親しまれやすい(森・元首相や松井秀喜氏の出身地のイメージも強く)という想いもあったのでしょうか。

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●ホーム1

1面2線のホームです。

駅名に能美の名を冠するようになり、それまでも自治体名と一致しなかった「寺井」という駅名であった状態から一転、市の中心駅として内外にアピールされた訳ですが、ホームを見る限りではその雰囲気はほぼ感じられませんでした。

沿線の、市の中心以外の駅のひとつとさして変わらない様子でした。屋根が広い事と時計がある事ぐらいでしょうか、その辺の駅と違うところといえば。

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●ホーム2

こちら側の眺めでは、両出口の様子が窺えます。

これまでは改札と地下通路で繋がる形となっており、ホームから階段を下りていましたが、今は階段を上がって改札へ向かう形となっています。

それまでは単一の出口であったものが、両サイドに分かれており、橋上駅舎化されたことが分かり、この面では確かに駅として進化した事を感じ取れます。

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●自由通路

改札を出たところですが、これまでなかった自由通路がこの駅改装時にできました。

駅名改称に先立っての橋上駅舎完成となっていますが、通路の真ん中にいくつものパネルが立てられていて、街の案内等々観光に一役買っています。

それまでは片側出口の駅舎内に待合スペースがありましたが、両サイドへの出口は階段のみとなってしまう為、このスペースが改札外での待合スペースとなります。

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●能美市観光マップ

寺井駅時代は市街地マップ程度のものはありましたが、ここまでのものはあった覚えがなく、松井秀喜ベースボールミュージアム等各名所への案内が明示されています。

前にも行きましたが、駅の周りにはほぼなんにもない状態で、松井秀喜ベースボールミュージアム(HPはコチラ)へも当駅からバス(1日4便のみ)で20分程度かかります。

他にも駅から離れた所へは点在していますが、駅の近くだけで何かを見ようと思っても少々厳しい感じです。

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●階段

これもまた今日橋上駅舎化の産物で、両方向への階段ができた訳です。

踊り場が2つあるくらい、階段は結構あります。

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●バスのりば

以前はただ広場スペースがあるだけの駅前であったのが、ロータリーが形成され、バスの位置等区画も整備されています。

この1月10日(つまり明日sign03)から「社会実験」として臨時バスが運行される旨の貼り紙がありました。

「高校生の通学支援の為」とありましたが、この臨時便の利用状況を見て今後の便の検討を進めるのでしょうね、沢山利用されて一定の便数が確保されれば良いなと思います。

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●能美根上駅 駅舎

以前の寺井駅の頃とは全く変わっていました。

駅前ロータリーが整備されているのは勿論、駅舎も平屋の平屋根であったものが、てっぺん部分の高さでいえば石川県の駅屈指ではないかというレベル?になりました。

階段とエレベータはありますが、エスカレータがなく、また出口を出る際は階段のみであり駅に何か施設が入っている訳ではなく、その辺りが少々寂しいかなという点ではありましたが、まずはハードはそれなりのものがつくられたかな、というところでした。

あとは駅前の通りは寺井駅当時とさほど変わりなく、この辺りが今後どうなっていくのかも気になるところです。

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2015年11月11日 (水)

石川/能美 寺井駅前の風景

石川県能美市、JR寺井駅周辺の様子です。

(2008年8月当時)

●マンホール

能美市の、というより、旧・根上(ねあがり)町のマンホールのようで、当時の町の木であったクロマツが前面に出ています。

「義経記」にも「根上の松」なるものが登場し、町の木になった事も頷けるというものですが、この根上町は森嘉朗元首相や松井秀喜選手を生んだ偉大な町でもあり、森氏の父親(森茂喜氏)は1953年から9期36年(しかも連続無投票当選)もの長きにわたってこの根上町の町長を務めました。更には祖父(森喜平氏)も1928年根上村⇒根上町となった1945年まで首長を務め、戦後の昭和期この町はほとんど森氏の治世にあったという事になります。

10年前の2005年に能美市になりましたが、20年前の1995年には町内に隕石が落ちたりしています。

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●太陽のこぼれている町

として歓迎挨拶のついた地図がありました。

下の標識部分は上から貼られた感じで「能美市立病院」などは市制化されたために変更となったと容易に推測できますが、根上の関連部分も上から貼り足されているようで、なんだろう?と思ってしまいます。

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●寺井駅バス停

寺井駅の駅舎真ん前にバス停がありました。

時々、「~~駅」というバス停の名でありながら、駅より少し離れた幹線道部分にあったりする場合もあるので心配になる事もあるのですが、ここの場合はちゃんと駅舎の前にあってよかった、という感じです。

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●駅前通り

寺井駅の駅前通り、その名も「ホームラン通り」です。ボール状の看板にその名がいくつも並べられ、柱ごとについているぐらいのイメージです。

いかにも松井秀喜氏の故郷に因んでのネーミングですね。

旧町の木クロマツと二段構成の灯籠?様の街灯がユニークすぎます。

直進の標識で「東街道 チューリップのみち」とありましたが、検索してもなかなか見当たらず、なんだかよく分かりませんでした。実際この辺りを歩いた時も、駅からさほど歩いておらず、下写真のような駅前通りを歩いただけだったので、本当に能美市に関しては「松井」「ホームラン」のフレーズが浮かんでくる能美(?!)というのが正直な印象ではあります。

駅前の「ホームラン通り」だけでも、この市ならではのものを感じる事は出来ましたが、もう少し踏み込んでまた旅したいものです。これが能美市の風景の一部、という程度で感じて頂ければ幸いです。

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2013年9月17日 (火)

石川/かほく 西田哲学の町

石川県かほく市、JR宇野気駅からの歩き旅です。

(2010年7月当時)

西田幾多郎像

郷土が生んだ世界的哲学者、と銘打たれて宇野気駅前に立っている、西田幾多郎(1870-1945)先生の像です。西田哲学、と言われる彼の思想体系ですが、日本の近代哲学者でその名前が冠される人物は他には居ないといってもいいレベルで、かほく市はこんな偉人を生み出した訳ですね。

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駅前の道

宇野気駅の駅前広場を出て右向いたところ、線路と平行に走る形の道路です。厳密には左へカーブを描いてるので離れていくんですが…

商店がまばらにある通りで、商店街というほどではない雰囲気でした。

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福祉巡回バスダイヤ

かほく市の福祉巡回バスのダイヤです。

宇野気駅東という停留所名で標識が立っていました。

平成20年から実験運行を始め、翌21年10月13日から運行開始となったそうで、この方面はその更に翌年7月、運行開始より9か月ほど経った頃、という事になります。

4路線で1日5本前後のダイヤですが、平日だけのようで、また各ルート週2日の運行という便数的にかなり少ないものです。土日などの休日によそから旅に来て利用しようとしても無理という事でしょうか。

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宇ノ気町宇野気区

という表記が看板にありました。「宇ノ気町」の部分は上から貼ってありました。

しかしなんで旧自治体名である「宇ノ気町」と貼ってあるのか不思議でした。現在の「かほく市」と貼ってあるなら分かるんですが…


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▼西田幾多郎 生い立ちの地

として記念碑が建っていました。

宇野気駅前から歩き始めてまだ程ない地点です。

生家は別の地にあったのですが、火災に遭い、この地に移転してきたそうです。3歳から13歳まで当地で育った西田幾多郎氏、何不自由なく「美しき子」として育った、と説明板には書かれていました。

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かほく四季まつり

の幟が出ていました。

駅前の道路は市の中心駅の駅前か、というほどひっそりとしたものでしたが、ここは幹線道へ出てきて、幾分活気が見られます。

四季まつりとあったものの、検索したら「サマーフェスタ」とか「花火大会」とか出てくるばかりでした。ちょうどこの時は花火大会を控えていた時期だったので、まぎれもなくその幟だったと思われますが…

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宇野気郵便局

旧宇ノ気町の中心的郵便局でしょうか、規模が中途半端でよく分かりませんが、〇〇駅前郵便局、のような小規模局ではない雰囲気でした。

前に台形部分のものが突き出ていたりして、建物のカタチ的にユニークなものでした。

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かほく市役所

旧・宇ノ気町役場です。

駅から来ると、坂道を上っていく格好となり、夏の暑い時期にしんどかった覚えがあります。2010年も今年のような猛暑で、しかも9月までだいぶ暑さを引っ張ってたような気がします。

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駅前に戻る

かほく市役所まで歩いてきて引き返した、かほく市の旅。

旅というか、、当市ならではのものといえば西田幾多郎記念碑くらいでしょうか。

それだけでも得られれば良かったかな、と。

駅に戻る頃にはすっかり夜の景色になりつつある状態で、この道を左に曲れば宇野気駅です。

そんなこんなのかほく市でした。

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2013年6月10日 (月)

石川/輪島 ふらっと訪夢

石川県輪島市、石川県の北端、能登半島に位置する小都市で人口は人口は28,227人(2013.5.1現在)で、輪島塗の漆器や朝市、そして御陣乗太鼓などが有名な町です。

元・輪島駅

輪島市には2002年8月に訪ねました。

で、市内でこの一枚しか写真を撮っていません。当時カメラ所持せず、「写るンです」を都度買って撮ってたんですが、この時に切れてしまい、新しいのも買わなかったから。当時は今みたいにあちこちバシバシ取らなかったので、足跡残した程度ぐらいですね、写真撮ったのって。特に写るンです、が切れかけの時は残り枚数気にしてたんで、必然的に内容も絞られる訳で…

タイトルにあるように「ふらっと訪夢」と表示されているこの建屋。

現在は「道の駅 輪島」ですが、今調べて驚いた事に2002年8月13日に登録されたといい、それはこの訪問の前日だったと記憶しています。全然知りませんでしたが…。

とにかく道の駅であり、バスターミナルのある所でもあり、輪島市の交通拠点です。

この1年半前までは鉄道駅として活躍しており、のと鉄道の輪島駅でした。が、2001年3月をもって廃止されてしまい、鉄道が通っている間に訪ねたかった、と当時思いました。同じ時期に訪ねた珠洲市はまだかろうじて鉄道駅として現役で、こちらは訪ねた後に廃駅となった格好で、来れてよかったなというところで、ある意味明暗分かれました。

金沢からバスでやって来て、この近くの輪島ステーションホテルという所に泊まったのも覚えてますし、当時買った輪島塗のコーヒーカップを今も時々使ってます。

さて…輪島市の風景写真をもっと増やしたいな、という気持ちも少なからずあります。この1枚だけじゃ寂しいので。でもいつになるやら…10年以上訪ねてませんが、何せ場所的にアクセスが辛く…、、でもいいところだし思い出もそれなりあるので、やっぱりまた行きたいです。
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2012年12月17日 (月)

JR粟津駅 (石川県小松市)

石川県小松市のJR粟津(あわづ)です。

小松市は石川県の南西部に位置し、人口は107,609人(2012.9.1現在)で、フォークリフトなどの重機・建設機械で有名なコマツの企業城下町で、製造品出荷額は県内1位を誇る工業都市です。

-JR粟津駅
【路線】JR北陸本線(米原-直江津間)
【開業】1907年11月16
【訪問】2008年8
【1日あたり平均乗車人員】 1,212人/日 (2010年)
【近隣の都市駅(米原方面)加賀温泉駅→2駅 
          (直江津方面)小松駅→隣駅
  

駅名標周辺

小松市自体は1999年3月に小松駅を訪ねてはいますが、写真がなく、中心駅ではない当駅を記事upする事としました。

2008年8月、盆の旅として福井駅から東へ1駅ずつ北陸本線の駅を訪ねるという事をやっていて、そのうちの一か所として寄りました。小松駅へは一度行った事があるとしてこの時すっ飛ばしているので、記録としては残っていないままです。

市の中心駅でないせいか、このように屋根のないゾーンが長く続いていたりします。

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ホーム

ホームは2面4線を持っています。

加賀温泉郷のひとつ、粟津温泉の粟津ですが、福井県にはあわら温泉というのがあり、発音的にややこしいものがあります。

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地下道へ

両ホームおよび改札はこの階段を下りての地下道でつながっています。

待合スペースはベンチの背の部分は壁があるものの、途中で開いていたりするなど中途半端な形となっています。天井すぐ下辺りに看板がいくつか並んでいて、市の中心ではないものの有人駅らしいそこそこの格を感じます。

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地下道

ホームから降りてつながっている地下道です。

コンクリ色が前面に出ていて荒涼とした雰囲気でした。

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案内図

駅でてすぐの所にある案内図です。

市の中心駅ではないもの、市内3駅中2番目格の駅で、市内の案内図が駅前に出ていました。結構大まかなマップで、なんとなくこんな感じ的なアバウト感に溢れた雰囲気?!でした。

市内唯一の、高校より上の学府である小松短期大学の最寄駅であり、矢印が右側に出ています。小松短大はマルチメディアに対応できる人材育成を目指し、1988年に開学された男女共学の短大で、今年で開学25年目の節目を迎えています。

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貨物屋根跡

この訪問の2年前になる2006年に貨物の駅が廃止になり、取り扱いを終了していますが、このように屋根と細い柱が残っていました。

ちなみに貨物廃止の翌年、つまりこの訪問の前年になる2007年に当駅は開業100周年の記念の年を迎え、その時には記念式典が行われたそうです。一足違いというか、開業101年の年に訪ねる事となりました。

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駅前通り

市内案内図の写真に北陸銀行の看板が見えていましたが、これが駅前の通りにあたります。

すぐ近くにローソンも見えます。

銘菓の店があったり金融機関も立ち並びコンビニもあったりと、そこそこ駅前らしい雰囲気をもっています。地方都市の場合、市の中心駅以外は寂れている事も少なくないのですが、ここの場合はそうでもないかな、という印象でした。

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粟津駅 駅舎

1907年の開業からの駅舎だそうで、様々な改修を経て現在に至っています。

なので、建屋そのものの木造と出入口や窓周りのアルミサッシと妙な雰囲気を醸し出しています。木造といっても白っぽい塗装なのでそれほど違和感はありませんが、これが板張り丸出しだったらやっぱり違和感あるでしょうね。

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開湯1300年

粟津温泉はそれほど有名な温泉ではないかもしれませんが、開湯1300年の歴史をもち、北陸でいちばん古い温泉とされており、その旨が刻まれた石碑がちょこんとおいてありました。あまりのかわいらしいサイズに逆に惹かれました。

奈良時代より前の養老年間に泰澄(たいちょう:682-787)大師が白山権現のお告げによって発見されたと伝わり、この付近にある「法師」という旅館は718年開業で、一時は「世界一古い宿泊施設」としてギネス認定もされていたそうです。

また、粟津温泉は恋人の聖地にも認定された地で、プロポーズする場所に相応しいとして日本津々浦々で選ばれた地点のひとつです。

それにしてもこの小松市は小松駅にはそれほど訪ねてないわ、他の駅周辺もそれほど深く歩いていないわで、また一度深く訪ねてみたいものだと、この記事をupしながら思うのでした…

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2012年6月 7日 (木)

JR松任駅 (旧) (石川県白山市)

石川県白山市のJR松任(まっとう)です。

白山市は石川県の南部に位置し、人口は109,894人(2012.4.1現在)で、2005年に旧・松任市と2町5村が合併してできた新しい市です。日本三名山の白山を有するところからこの名になったといいます。

-JR松任
【路線】JR北陸本線(米原-直江津間)
【開業】1898年4月1日
【訪問】初訪問-2006年10
【1日あたり平均乗車人員】 2,995人/日 (2010年)
【近隣の都市駅(米原方面)寺井駅→4駅
           (直江津方面)野々市駅→隣駅

駅名標周辺

旧・松任市の市名を名乗るこの駅は、松任市時代も今の白山市においても市の中心駅の座にあります。

足下には花壇が広がる美しいホーム端でした。

この当時から5年半を経過していますが、今も変わらず綺麗であればいいなと思いますが、どうなっている事でしょうか。

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改札周辺

車内からガラス越しに撮ったものです。

「ま"っ"とう」、と小さい「っ」の読みになります。

ちなみにうちの方言では、待っているという状態を「待っとう」といいます。

中川一政記念美術館とありますが、中川一政(1893-1991)氏の母の故郷がここ松任である事からつくられたそうです。97歳の長寿を全うし、晩年まで創作活動に励んだといい、なかでもバラを好んで描いたそうです。

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改札出て

出てすぐの駅舎内です。

右が待合室で、左がみどりの窓口、それぞれが仕切られた別室スペースになっていて、仕切りのない駅舎内より豪華な印象をうけます。

改札上の時計や看板にも市の中心駅っぽさを感じます。

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待合室

このように部屋で仕切られた待合室があります。

ひと部屋内に通路も待合室もすべて込みの駅より、立派な感じがします、やはり。

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駅前D51

駅出て左には、北陸本線で使われていたというD51の蒸気機関車が静態保存されていました。駅をそんなに数こなして訪問しなかった頃は珍しげに見ていましたが、色んな駅を訪ねるようになると、結構色んな所にあるので、何だか変に慣れてしまって若干感動も薄れたり、、しなくもあません…。

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松任駅 (旧)駅舎

この写真の訪問から5年を経た2011年8月に新しい橋上駅舎としての供用が開始され、この駅舎は今ではもう旧駅舎となってしまいましたが、北陸の市の中心駅に多いタイプの平屋建てのフラットな屋根の横に長い駅舎でした。

上に出ている看板には昭和の匂いを感じます。

今でこそ合併で10万都市となりましたが、合併前の旧・松任市は人口6万余の都市で、その当時の都市規模を駅舎に具現したという感じでしょうか。今の立派な新駅舎、写真では見ましたが、実際に見てみたいものです。この後2008年にも訪ねましたが、そんな前触れは感じられずで…

ちなみにこの旧駅舎はもう解体されてしまったそうです…。現在は新幹線工事も行われているそうで。

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旧駅舎 遠景

駅舎よりも前に停まっているタクシーの色の方がこの駅ではインパクトが強かったように思います。この色ばかりが脳裏に焼き付いてしまって…。

駅看板にのっている金城大学は白山市内の大学で、福祉や医療系に特化した大学のようで、最寄駅はこの隣の加賀笠間駅になります。

駅前はタクシーの手前のこの辺りはだだっ広くスペースが広がるのみという感じでした。

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2011年6月15日 (水)

JR大聖寺駅 (石川県加賀市)

石川県加賀市のJR大聖寺(だいしょうじ)です。

加賀市は石川県の南東部に位置し、人口は71,622人(2011.2.1現在)で、2005年に旧・江沼郡山中町(人口約10,000)と新設合併して現在に至ります。

また山代温泉や山中温泉、片山津温泉など有名な温泉どころに恵まれた市でもあります。

-JR大聖寺
【市内】市内3駅(いずれもJR)の1駅
【路線】
JR北陸本線(米原-直江津間)
【開業】1897年9月20日(訪問は2006年10月)
【1日あたり平均乗車人員】
 1,058人/日 (2007年)
【近隣の都市駅】(米原方面)芦原温泉駅→3駅 
          (直江津方面)加賀温泉駅→隣駅

▼市の中心部に近く、そういう意味では中心駅という事になりますが、現在特急は隣の加賀温泉駅に停まる事が多く、利用者も倍くらい多いのでそちらが実質的な中心駅という事になろうかと思います。

芦原温泉駅と加賀温泉駅という、○○温泉駅と銘打たれた2つの市の中心駅に挟まれる形で位置しています。

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▼ホームから、駅舎と反対側の様子です。

大同工業というところの本社工場で、いかにも工場といった形の建屋が並んでいます。

チェーンやコンベヤ関連に強みを持つ機械関係の会社のようで、日本国内初の階段昇降機というのを開発したのだそうです。

現在の大同大学大同高校(:名古屋市)もかつては大同工業高校を名乗っていました。
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▼大聖寺駅の駅舎です。

平たい(若干傾斜があるか…)屋根に一文字ずつ漢字の入った駅名表示が屋根上に出ています。駅舎そのものにも「大聖寺駅」と表示されている部分もあります。

ロータリーがあってタクシーも複数台停まっていますが、駅前に百貨店やバスターミナルがあるなどした隣の加賀温泉には賑わい度合いではかなり静かかな、という印象を受けます。
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2011年3月 6日 (日)

JR七尾駅 (石川県七尾市)

石川県七尾市のJR七尾(ななお)です。

七尾市は石川県の北部に位置し、人口は58,028人(2010.9.1現在)で、2004年に周辺3町と共に合併するまでは人口46,000人程度の市でしたが、古くより能登地方の中心的な町としての役割を果たしています。

和倉温泉などの温泉地を数多く持ち、また港湾も発達した町でもあり、また日本一といわれる曳山をもった山車も名物とひとつとなった町です。七尾の地の由来は七尾上の建っていた山にあった七つの尾根からきているといわれています。

-JR七尾
【市内】
市内6駅(JR2・のと鉄道4)中の中心駅
【路線】
JR七尾線(津幡-和倉温泉間)
    のと鉄道・七尾線(七尾ー穴水間)
【開業】
1898年4月24日(訪問は2002年8月)
【1日あたり平均乗車人員】
1,790人/日 (2007年)
【近隣の都市駅】
(津幡方面)羽咋駅→7駅         
          (和倉温泉方面)和倉温泉駅→隣駅  

▼JRで北陸本線の津幡駅から北へ分岐する七尾線の果て近くにあり、ラストの2駅(当駅とJR終着の和倉温泉駅)はJRと第3セクターの「のと鉄道」が共存する形となり、この先はのと鉄道が数駅、終着の穴水駅まで通っています。

個人的に七尾市の存在を知ったのは大相撲の当時の幕内力士だった舛田山関の出身地として取組前にアナウンスされていた事からでした。

写真は2002年夏当時で、まだデジカメも持っていなかった頃、写ルンですでの撮影、記事up写真もこれ一枚きりです。遠目の駅写真になってしまっていますが、バス待合スペースも含めた駅前広場込みで写ったものとなっています。

この時はここを基点にして、まだ鉄道が走っていた珠洲や、前年に鉄道が廃止されてバスで向かった輪島など能登の旅を満喫したのでした。

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