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17石川県

2019年4月21日 (日)

JR金沢駅 (石川県金沢市)

石川県金沢市のJR金沢(かなざわ)です

金沢市は、石川県の中央部のやや南に位置し、人口は465,325人(2018.10.1現在)で、石川県の県庁所在地であり、北陸3県では最も人口の多い市です。

かつては加賀百万石の中心地として栄え、日本有数の美しい庭園「兼六園」があり、また海産物を中心に賑わう「近江町市場」の存在も有名です。

-JR・北鉄・IR石川鉄道/金沢駅-
【路線】
JR北陸本線(米原-金沢間)
      北陸新幹線(高崎-金沢間)
     IRいしかわ鉄道線(金沢-倶利伽羅間)
     北陸鉄道浅野川線(金沢-内灘間)

【開業】JR-1898年4月1日
    北鉄-1926年5月18日

【訪問】初訪問-1995年6
【1日あたり平均乗車人員】 JR-22,895人/日 (2017年) 
                  IR-10,619人/日 (2017年) 
                  北鉄-3603人/日 (2006年)  ※北鉄のみ乗人員

【近隣の主要駅】 (米原方面) 野々市駅→2駅 
           (高崎方面) 
富山駅→2駅  ※新幹線
           (倶利伽羅方面) 津幡駅→3駅、石動駅→5駅
           (内灘方面) 内灘駅→11駅
           (七尾方面) 
宇野気駅→7駅

●駅名標

ここへの初訪問は1995年6月で、もう20年以上も前ですが、その後1999年、2002年に寄ったりしていましたが、この記事ではまずホーム内は2009年訪問時の姿にてお送りします。

元々JR北陸本線の駅でしたが、2015年3月に北陸新幹線が開通して、当駅まで延伸されました。ここから西へは計画はありますが未開通の状態で、そしてこの写真の当時はまだ新幹線の未開通時でした。

今は北陸新幹線は金沢まである状態なのですね、敦賀まで延伸すると関西人から見て北陸に対しての新幹線メリットも感じられるのでは?と思いますが、現時点では北陸へはやはりサンダーバード頼りの感は否めないところです。

新幹線の開通によって当駅より西の新幹線未開通区間はそのまま北陸本線の駅となっていますが、新幹線の開通された当駅より東の石川県の駅は「IRいしかわ鉄道」の駅となり、更には富山県の駅は「あいの風とやま鉄道」の駅となっています。複数の路線に属していますが、どれかしら全て起点終点となっている節目の駅でもあります。

所属はしていませんが、北の能登半島へ向かうJR七尾線への乗入れもなされています。

JRと、以前JRであったIRはここで共同ホームとして使用され、北鉄金沢駅は改札を出て少し進んだ所に別にホームを有しています。

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▼これも2009年当時のものです。

今はもうないと思いますが、当時の金沢駅は「ホームにタコ焼き屋のある駅」として話題になった事がありました。

黄色と黒の縦じまでどこかの雰囲気満載でしたが…

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▼ここからは改札を出てからの様子ですが、以後は2016年訪問時の写真でお送りします。

これは金沢駅西口広場にある金沢市制100周年の記念モニュメントです。金沢市は1889年に市制化された為、1989年つまり平成元年につくられたということでしょうか。

このモニュメント、斜めになっているものは60°の角度との事で30°傾いており、高さは約20mもあります。未来へ向かって伸びゆく姿、を表現したものだそうです。

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▼西口である「金沢港口」の駅前の様子です。

どちらかというとサブ側で、後発で開拓された側という感じです。

それもあってか賑やか度合いは東口とはかなり違った感じでした。

ビルは大きいのが建っていましたが、何か取って付けた感がありました。すみません全てこれ感想ですが…

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▼金沢駅西口駅舎です。

駅ビルがホテルになっていて「ヴィアイン金沢」が入っています。

サブ側といえど、庇の部分は実に重厚でお金かかってそうな感じがしました。

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▼転じてメインの東口(兼六園口)の駅舎建物を出たばかりのところです。

この全体を覆っているものは「もてなしドーム」とよばれる巨大な総ガラス製の建物で、2005年に完成したものです。この2016年当時、2002年以来14年ぶりの金沢訪問(2009年はホーム内立ち寄りのみ)で、いつの間にこんなすごいものができたんだ?とただただビックリしました。

真ん中向こうにあるゲートは「鼓門(つづみもん)とよばれるこれまた立派な建物で、もてなしドームと同時にできましたが、これら含めて総工費は実に172億円!という莫大な費用が投じられたものです。鼓門だけでも3.5億円という巨費です。

ものすごい費用がかかってる訳ですが、さすがにこれだけのものが造られると、旅行者は写真撮る人が結構いました。

下の方には地下の様子も写り込んでいましたが、地下広場があり、北鉄の金沢駅へはここを下っていく事となります。

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▼駅を出てドーム内で、駅側に見た様子です。

この地点はまだ鼓門内なので門は写り込んでいません。

ドームの荘厳さがよく分かると思います。

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▼更に引いて、鼓門を含めた金沢駅東口駅舎の様子です。

もてなしドームと鼓門は立派すぎるぐらい立派で、金沢駅といえば…という存在ですが、逆に金沢駅の駅舎建物そのものがよく分からなくなってしまっています。これらすべて含めて金沢駅の駅舎と捉える、が正解なのでしょうか。

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▼先の写真にもありましたが、JR金沢駅の改札を出て地下へ階段とエスカレータが出ていました。

基本的に休憩や広場的なスペースで、地上の賑わいとは随分と違ったのどかな雰囲気でした。

普段はどうか分かりませんが、実はこの時団体行動をしていて、時間を切って個人行動になったのですが、この地下へ行き着くとそれまでの喧騒がうそのように静かで穏やかでした。

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▼地下へ下りて少し歩いて左側にこの「北鉄」(北陸鉄道)の金沢駅があります。

表記上は「北鉄金沢駅」となっています。

この隠れている右側に券売機があります。

ここは北鉄の浅野川線という路線ですが、この金沢駅から内灘駅までの6.8kmを結ぶ路線で、沿線全12駅のうち当駅を含む10駅が金沢市内で、のこり2駅は内灘町の駅という構成です。

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▼北鉄の切符です。

あまり時間もなかったので、とりあえず一区間だけ!ってことで、隣の七ツ屋駅までの切符を買って乗ってきました。

自動改札ではなくて、改札を通って駅員さんが押してくれる方式です。

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▼北鉄金沢駅のホームです。

駅舎はJRなどと共通で、改札は北鉄だけ地下にある形です。

北鉄の他の駅は基本的にホームだけの所が多く、地下でこれだけの立派なホームは始点であるここぐらいです。

北鉄の電車は1時間に2~3本で、日中は30分に1本出ている感じでした。

石川県の鉄道では、JR以外では「のと鉄道」とこの北陸鉄道くらいが目立ったところなので、これからも発展していってほしいものです。

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▼最後はおまけですが、1999年当時の金沢駅の駅舎です。

もう20年も前かと思うと感慨深いものがあります。

Jr

2018年5月15日 (火)

石川/加賀 大聖寺はお寺ばかり

石川県加賀市、JR大聖寺駅からの歩き旅です。

(2006年10月当時)

●全昌寺 山門

突然お寺から始まりますが、大聖寺駅前はお寺が密集したエリアがあり、大聖寺駅から約7分程度北西方面に歩いた所になります。この辺りはこういうエリアによくつけられる「寺町」ではなく「神明町」という住所表記になっています。

で、ここは最初に訪ねた全昌寺(ぜんしょうじ)という曹洞宗のお寺です。松尾芭蕉が立ち寄ったところとして知られ、その句碑が境内にあります。

全昌寺は1867年完成という事で、まさに日本の夜明けの時期にできたお寺です。先述の通り芭蕉ゆかりの地で芭蕉が泊まった所とされていますが、その頃はお寺としての建物ではなかったのでしょうか。

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●全昌寺境内

隠し撮りみたいになっていますが、中の様子です。

屋根の前面にちょこっと妻の部分が出っ張っているのが印象的でした。屋根の色がどこか石州瓦っぽかったのも記憶に強く残っています。

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●久昌山宗寿寺

次は全昌寺のお隣にあるこの久昌山宗寿寺(そうじゅじ)という日蓮宗のお寺です。

入口からコスモスのきれいなところが印象的でした。ちょうど訪ねたのが秋口というのもありましたが。

ここでは毎年2月11日に鬼子母神まつりという祭りが催され、水被りの荒行が行なわれている写真がサイトにありました。

ここの山門は大聖寺藩の関所門を移築したという由緒あるものだという事で、1610年頃のものだとか。お寺の開基時期は不詳とありました。

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●鳳栄山本光寺

全昌寺→宗寿寺ときて、同じ方向でそのまま巡ると、今度はこの本光寺(ほんこうじ)です。

壮大な階段を上った末に山門がそびえる構造のお寺ですが、ここは法華宗のお寺で、3つ連続で全部違う宗派となっています。

このお寺の特徴はやはり、一連の寺院群で最も高い所にあるという事です。山門からの眺めも御覧の通りでちょっとした街の一望もできるという具合です。

このお寺は1642年に金沢の本光寺と同時期に開創したといわれており、姉妹寺的?なものでしょうか。

本堂の屋根がシャキーンと尖っていたり、法華宗独特の鐘楼があったり、建物も色々と独特です。

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●加賀神明宮

ここまで寺・寺・寺ときましたが、ここは神社です。

今はこの名前ですが昭和34年までは「山下神社」という名前であったそうです。

加州福田の里に三光院大聖寺として壮大な伽藍が造営され…とあり、大聖寺の発祥ともとれる記載が見受けられました。創建は養老年間ともいわれ、だとすれば奈良時代初期で由緒ある歴史あるところ、と感じさせられます。

本殿はもとは慶安年間というので江戸初期のものであったようですが、昭和40年に倒壊し、再建されています。

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●時鐘堂

これまでの延長上のように見えますが、寺社仏閣を離れ、れっきとした街なかへ出てのカットです。

元は2代目藩主前田利明によって1667年に3.6m四方で高さが5.7mであったとされ、その後度々火災に遭いながら、1934(昭和9)年の大火災により再建されなくなり、その後2003年に別の場所に再建されたのがこの建物です。この当時が2006年であった為、この時はまだできてから3年ほどしか経っていなかった事になります実は。

街なかにあって、(寺の多い)街をよく表した象徴的な建物として分かり易くて良いですね。

この大聖寺、お寺が続く御利益有りそうなそんな街並みでした。

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2018年3月22日 (木)

JR加賀温泉駅 (石川県加賀市)

石川県加賀市のJR加賀温泉(かが・おんせん)です

加賀市では以前にJR大聖寺駅をupした事がありますが、これに続いて今回は「加賀」の市名のついた駅をupします。

 -JR加賀温泉駅-
【路線】
JR北陸本線(米原-金沢間)
【開業】1944年10月11日
【訪問】2016年11月
【1日あたり平均乗車人員】 2,229人/日 (2015年) 
【近隣の主要駅 (米原方面)芦原温泉駅→4駅
           (金沢方面)小松駅→3駅


●駅名標

加賀市にある『加賀温泉』駅です。

1944年という戦時中の中途半端な時期の開業で、当初は「作見(さくみ)駅という名称で、これはここの地名(町名)を表したものでした。1970年になって現在の「加賀温泉」駅と名称変更されました。

この背景として両サイドのだいしょうじ(大聖寺)といぶりばし(動橋)の両駅が特急停車を巡って激しい争奪戦を展開する中、この間を取ってこの駅に特急停車させる事で、沈静化を図ろうとした、とありました。

また「加賀温泉」なる温泉地は存在しません。この周辺に存在するのは山代温泉や山中温泉、片山津温泉などで、これらを総称して「加賀温泉という表現はします。

JR北陸本線にのみ属していますが、北陸新幹線の未開業区間に含まれており、新幹線駅としても稼働する事が予定されています。

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●ホーム

地下へ下りる階段を含めたホームの様子です。

その両サイドはかなり幅が狭くなっています。黄色ラインぎりぎりですね。

上部には観光に関するパネルがあったりしました。

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●ホーム2

両側にホームがあるのが分かるカットとして載せます。

2面4線のホームを持っています。

エレベータも設置されています。こう書いていますが沿線のどこの駅にでもついているものではないので、特に書いている訳です。吊り下がっている看板などからも市の中心駅っぽい片鱗が感じられますが、ようこそ加賀市へ的な派手な感じのものは見受けられませんでした。

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●地下階段

上のホーム写真でこれの裏側が写っていましたが、表側?はこんな感じです。

階段を下りていく部分がこのように壁で覆われているのは寒冷地の駅でよく見かけるな、という気がします。北海道の駅にはこんな感じが多いなと。

この階段を下りて地下道を通って、そしてまた階段を上がる形で改札へ行き着きます。

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●駅舎内

歓迎の意が込められた(と思われる)ものがありました。

赤と青の台の上に載せられた車両がなんともかわいらしいですね!

でもしかし「JR加」「賀温泉駅」という区切り方が笑えました。右側の車両の前面はしっかり温泉マークになっています。

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●駅出て目線

駅舎を出てみると…結構荘厳な風景!屋根周りがとにかく立派でした!!

長い距離にわたって重厚な屋根、その向こうには扉状のものが。

どこか県都・金沢駅を思わせる雰囲気を放っていました。

が、しかし…

これはもう旧駅舎なのです!

今からまだ1年半も経っていない2016年11月の様子ですが、それでも旧駅舎です。そして2017年5月には新駅舎供用開始になったとのニュースがありました。この記事を書くにあたり、あらためて加賀温泉駅を調べて分かった事でした。新幹線開業を控えての事もあるのでしょうね。

こうして見るとかなり立派な駅舎を想像するのですが、駅舎自体はそうでもない感じでした。そこんとこは後に出てくる駅舎の写真にて。

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●加賀温泉駅 駅舎(本体)

先程書きましたが、駅舎自体はこんな感じの建屋で横長の平屋でこじんまりとした感じです。もはや旧駅舎なので、「でした」と書くべきでしょうか。北陸の小都市によくある感じの駅舎「でした」。

加賀カニごはん、というのはご当地グルメだそうです。

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●駅前広場

駅出て目線の写真にもありましたが、これを更にまっすぐ進んだ様子です。

この通りに分断される形で両サイドに広場スペースが取られています。

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●AL PLAZA

この加賀温泉駅前というと個人的にはこれの印象が強いです。

駅を出て左側にあります。

AL PLAZAって滋賀県版のマルイ(0101)という勝手な印象を持っていて、滋賀県の主要都市の駅前には必ずあると思っているのですが、福井県を越えて石川県の駅前にあるとは!と思って、初めて見た時は驚いたものでした。

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●駅前道路

割と長めにとられている広場の真ん中を抜けて、ようやくこんな通りが見えるという感じです。

両サイドに建物が立ち並ぶという感じでなく、市の中心の駅前感も希薄でした。

温泉地もバスで何十分とかかる距離にありますし、駅前だから栄えているかというのはここにはあまり当てはまらないと思います、AL PLAZAこそありますが。

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●加賀温泉駅 駅舎(全体)

駅舎自体はこじんまりしたものですが、その前にドカッとそびえるこの門扉?的なものも含めると実に立派な駅のように見えます。

この構造物と駅舎そのものは繋がっていないので、駅舎というのは苦しいかもしれませんが、駅の名を前面に表示しているのでこれも駅舎とみなしてよいかなと思います。

前から見れば金沢駅にそっくり??

そして、同じ駅舎のカットでありながら片方には観音様のカットが見えます。

これは上側の写真は割と近めで下から撮っていて観音様が隠れて見えない状態です。対して下側の写真は、遠くからのズームで撮ったもので、角度的に観音様が見える形になっています。加賀温泉駅といえば、この観音様の印象もかなり強いですし、行ったら必ず見えるので、遠くからでもこれは見る価値ありと思います。

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2018年1月 2日 (火)

JR小松駅 (石川県小松市)

石川県小松市のJR小松(こまつ)です

小松市では以前にJR粟津駅をupした事がありますが、これは市の代表駅である小松駅をちゃんと撮っていなかった為で、今回はその代表駅についてお送りします。

-JR小松駅-
【路線】
JR北陸本線(米原-金沢間)
【開業】1897年9月20日
【訪問】初訪問-1999年3月
【1日あたり平均乗車人員】 4,002人/日 (2015年) 
【近隣の主要駅 (米原方面)加賀温泉駅→3駅
           (金沢方面)能美根上駅→2駅 


●駅名標

小松のつく駅名は滋賀県の湖西線で「北小松」や、徳島県小松島市の「南小松島」などがありますが、ここは純粋に「小松」です。

石川県有数の都市・小松市の中心駅で、ここへは1999年3月、先代駅舎の時に来ましたが、ちゃんと撮ったのは昨年この写真を撮った時が実質初めてで、17年ぶりに訪ねてきた形です。

隣駅に「めいほう」(明峰)とありますが、甲子園にも出た事のある小松名峰高校というのがあります。

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●ホーム

2面3線ホームの高架駅舎です。高架化されたのは2002年です。

1番線は片方のみで、2・3番線は1面の両サイドにあります。

北陸本線のみの所属ですが、北陸新幹線が金沢より西へ延伸すれば、その金沢の隣駅になるであろうとされています。現在の在来線では、ここから金沢駅まで9駅あります。

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●時刻表

結構本数が多く見えますが、しらさぎやサンダーバードなどの特急が停まるからで、普通だけなら、1時間に1~2本ほどしかない状態です。

福井や京阪神方面で、1日60本あってうち特急を除く普通だけだと26本、半分以下になります。夕刻から夜につれて普通電車のウエートが上がってきます。

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●日本遺産

高架ホームから降りて構内にスペースに「珠玉と歩む物語」小松、とありました。

古代より、小松にしかない石の物語がある、と記されていました。

それは今から2000万年前に日本海側で起こった活発な火山活動により「白山」が生み出され、そこからさまざまな鉱石が生み出され、その鉱石を独特の加工技術をもって作り出されたものがあります。

そういった小物もそうですし、石垣や石造建築物という形でも独特のものがつくられているという事がここで紹介されています。いわば「石の都」という事もいえるかなと。

ちなみに「日本遺産」とは、文化庁が認定する「地域の歴史的魅力や特色を通じて日本の文化・伝統を語るストーリー」とありました。世界遺産を目指す地域や文化財などに、世界遺産に対応する新制度とすると発表されているようです。世界遺産に申請したが取り下げられたものも入っているようですが、認知度はあまり高いとは現時点では感じてないですが、どんなもんでしょうかね?

ただその事とは無関係に注目すべき文化財ではあると思います。

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●曳山華舞台

250年以上の歴史を持つという子供歌舞伎が演じられる曳山を1/2のスケールで模してつくられているとの事でした。

「勧進帳」舞台となった安宅関もあり、歌舞伎の町としての側面がアピールされています。

街を歩いていても歌舞伎の町である事がよくアピールされており、随所にそれを思わせるものに出くわす事になります。

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●北国新聞

改札入った先の突き当たりにあった看板です。ここから1年余り経っているのであるいは今は別のものに差し替えられているかもしれませんが。

ご当地・金沢出身の「あぐり」でお馴染みの女優・田中美里さんが載っていました。「あぐり」もう20年も前になるのですね、個人的に好きな女優さんのひとりです(笑)

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●丸いバスロータリー

ロータリーが丸いのは普通ですが、てっぺんに丸い線が幾重にも織りなされているのが特徴的な駅前です。

てっぺんは幾何学模様のようであり、外枠の丸いのはどこかシェルターのようでした。設計にアーティストの意向がかなり入ったものなのでしょうか??

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●駅前広場

年末のイルミネーションの関係なのか、色々と張り巡らされていましたが、屋根つきの通路と共に広い駅前ロータリースペースが取られています。

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●小松駅 駅舎

2002年にできた駅舎という事で、初めて訪ねた1999年とは違っていました。

石川県の駅でこれほどの大規模なのは県都・金沢駅に次ぐレベルではないかと思います。人口的に同等の他の都市では加賀温泉(加賀市)、松任駅(白山市)くらいかと思いますが、それらよりは大きいですね。

金沢より西の駅が新幹線延伸されるのは現時点では2023年の予定で、もうあと5年後になりますが、その時にはここに新幹線も入る事になります。その想定があるかは分かりませんが、それにも相応しい規模の駅舎になっているなという事を感じます。

新幹線が開業したらまた行ってみたいところです。

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2017年8月 7日 (月)

石川/七尾 色褪せた2002

石川県七尾市、JR七尾駅周辺の様子です。

(2002年8月当時)

●七尾駅前

昔の写ルンですで撮った写真を携帯で撮ってダウンロードしているので、基本的に画質が悪くて申し訳ありません。

今から15年前、2002年8月の姿です。

まず最初はこの七尾駅前、なんといっても「歓迎」の灯籠?群が目を惹きました。しかしこの15年の間に、駅前もだいぶ様子が変わったようで、このモニュメントもすっかりなくなってしまったようでGoogle Mapで覗いても確認できませんでした。祭りが大変多い街で、それも派手なやつが多いので、祭り好きな方にはうってつけの街だと思います。

もう15年もここには行っていないので久々に訪ねたいのですが、何せここへ行くのには時間がかかります。うちの地元からだと片道5時間は必要で、金沢から約1時間かかります。それにここへ行くのなら、同様に滅多に行けない輪島へも行きたいので、ちょっとまとまった時間が必要になります。輪島へはこの当時ですら、前年に鉄道が廃止されてしまい、金沢からバスで行くしか…という状態につき、本当にまとまった時間が必要です。でも輪島は15年経っても変わってなさそう…(知りませんが)

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●七尾北鉄前

交差点名称が見えにくくなっていますが「七尾北鉄前」とあります。七尾駅前すぐ右の北鉄(北陸鉄道)の七尾バスセンターの前につき、このような名称なっていますが、現在この位置に信号はない模様です。

右側にある鉄塔を頼りにGoogle Mapで確認しましたがやはり信号はなく、建物もだいぶ変わっているようです。鉄塔はまだ同じ位置にあるようですが。

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●七尾サンハーバー

という看板が右端に見えます。確かこの時泊まったホテルだったような…正直もう記憶になくて、別のホテルに泊まったのかもしれませんが。何せホテルへ行くのに、駅前のちょっと外れたこんな小路を通った覚えはあります。今でも残っているのかどうか…

七尾サンハーバーで検索してもほとんど出てこず、廃業したとしてもかなり前の事なのかもしれません。まだデジカメを持っていなくて、たくさん写真が撮れる状況になかったとはいえ、こんな写真しか撮れなかったのか、と後悔しています。

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●リボン通り

いかにも商店街、という感じの通りがありました。

鮮明でなくて全体的に黒っぽくてすみません。

かつては七尾市のメインストリートとして賑わったといいますが、時の流れがこういう街の位置づけを変えてしまうのかな、と。

…この写真から15年経った今、これらと同じ場所に立って撮ってみたいなと思います。なかなか寄れる場所ではありませんが。

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●七尾郵便局

建物の脇の部分に「日本一のでか山 山車」のフレーズと共にインパクトのある絵が描き込まれていました。これもまたGoogle Map先生に頼ってみると、郵便局はこの姿で今もあるのですが、この手前のイラストは完全になくなってて、ただの壁面になっていました。

ココにあるとおり、とにかく祭りの多い街です。

このイラストはホントによく覚えています。夜にホテル出て散歩してた時にもこの横を通った覚えがあって。今やなくなってしまったのが残念です。小都市の割に15年も経つとかなり変わってしまうものなのか、、と思わされました。

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2017年7月 1日 (土)

石川/野々市 御経塚遺跡・先人の営み

石川県野々市市、JR野々市駅からの旅の様子です。

(2016年11月当時)

●野々市駅出口

今回記事は野々市駅を起点とした旅の様子、ではあるのですが、まずこの写真は
野々市駅の中から外を見た様子で、冒頭リンクつけている駅記事にも同じ写真が
あるのに、改めてここで載せています。それは何故か…??

駅記事は2008年8月訪問時のもので、今回記事のこの下にある写真は2016年11月
訪問、8年ぶりの野々市訪問となった訳ですが、この間に野々市は「町」から
「市」に昇格になりました
!!2011年11月11日という 「11.11.11」
の記念すべき日に市になった訳です。

そんな訳で、この出口への看板も「野々市へようこそ」と何気なく変わっています。
駅記事では「野々市へようこそ」となっており、英訳もTOWNからCITYに変更されて
います。

よって駅記事は町の時代、今回記事は市の時代なので、駅の様子と今回記事の
街の様子は連動はしていない状態です。

それにしても「野々市市」と、市の字が続く市は三重県の四日市市や現在は東近江市
となった『八日市市」、あとは広島県の廿日市市くらいしか思いつかず、〇日市市以外
では、ここが唯一ではないでしょうか?

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●駅前バス停

野々市駅を出てすぐの所にあるバス停ですが、標識が2本立っていました。

右側は白山市のコミュニティバスで、左側は「のっティ」というこの野々市市の
コミュニティバスです。2つの市のコミュニティバスが並び立っている状態でした。

白山市コミュニティバスは「東ルート」なるものが入っていて、ここ野々市駅から
白山市の中心地である松任駅までを約40分で結ぶコースが運行されています。

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●駅前ロータリー

左側が野々市駅という形でのカットで、駅前広場を横から撮っている格好に
なります。

町から市へと自治体的には昇格しましたが、特にこの駅前の目立った変化は
ないようで、とりあえず駅舎規模は変わっていませんでした。

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●野々市市交遊舎

野々市駅北口すぐにある多目的ホールとでもいうべき施設でしょうか。

会議室やホールなどを借りる事ができ、7,000円で会議室1室を9時から
22時まで借りる事ができます。(1時間ごとであれば600円!)

ホールは200名程のキャパシティなので、あまりこれというイベントが行われて
いる訳ではないようです。

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●装通り

野々市駅から北へ300m程の地点で、向こうにはニトリが見えています。

そんな所で、このようなコンクリートの千本鳥居のような?地下道がありました。

地下道って個人的には都会の象徴のように思っているので、あってビックリしました。

ゲートの入口部分には「装通り」とあるのですが、検索しても皆目出てこなくて、
ここの通りの事をそう呼んでいるのか何なのかサッパリ分かりませんでした。

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●川沿い公園

野々市駅から北へ、駅のすぐ西を流れる川に沿って進んだところにある公園です。

野々市市での見どころを探しながら歩いていたのですが、そこで出てきたキーワードは
「御経塚」でした。この名のついた遺跡があるという事で探していたところ、この地名に
出くわして、この公園が遺跡??と思って見ていましたが、違いました。本当に
単なる公園でした。遺跡の方はこの後、別の地で見つける事となりました。

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●リバーサイド

公園を出て、一旦野々市駅方面へ歩き出した時の様子です。

野々市駅の西をこの川がずっと流れています。

で、川沿いのこの柵の模様?!が妙に印象的でした。縦線が1本1本長さの
違うエンピツが並んでいるみたいなこの模様がインパクトあって、思わず
写真に撮ってしまいました。

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●あやめ

という名のバス停です。

まるで温泉旅館の部屋の名前のような(笑)しかし、このような名前ばかりでなく、
むしろこのような名前の停留所はここくらいです。ちなみに隣のバス停は「あやめ北」
です。元々は「あやめ団地前」という名前だったそうですが、団地を省略して
「あやめ」にしたとは、どういう意図だったのでしょうか。

コミュニティバスではありますが、便数は結構あります。45分に1本という
これは、この辺りではかなり多い部類になるのではないでしょうか。

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●御経塚西バス停

「あやめ」の隣のバス停で、「おきょうづかにし」と読みます。

野々市には不可欠な地名ともいうべき?御経塚は、バス停の名称として多数存在し、
「あやめ」「あやめ北」を経て、御経塚中央、御経塚史跡公園…と続いていきます。

ちなみに御経塚という地名の初出は1644年だそうです。

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●完工記念碑

当時の野々市町として、御経塚第二土地区画整理事業というものが行なわれ、
その完工記念としてつくられた碑が公園にありました。

この事業は1986(昭和61)年から2002(平成14)年という17年間の長きにわたって
行なわれ、対象地域600㎡に対して総事業費115億円を計上した大プロジェクトで
あったといいます。

そのまちづくりの努力が認められ1998(平成10)年には都市景観大賞というものを
受賞しています。

元々は安住の地として縄文時代~古墳時代の遺構が数多く発見され、田んぼで
あったこの一帯を市街地とするために組合が立ち上げられ、整備事業が進められて
きたといいます。

絶えず次の時代を模索し、変容に対応しつつ情報発信し続ける街、というコンセプト
のもとに進められてきた事業とありましたが、それが後の野々市市としての
「市制化」に繋がっていったのでしょうか??

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●公園の噴水

上の碑の近くにある噴水です。

噴水とか滝とか海とか、色々ありますが、水の流れというものに人は惹きつけられ
がち、と勝手に思っていますが、この噴水を暫し眺めていました。

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●御経塚中央バス停

御経塚西バス停のすぐ東にあるバス停です。

御経塚西は番号が21番に対して、ここは24番、位置的にはすぐ横という感じで、
御経塚西から北へ進路が伸びて、ました南へとグルッと回ったようなルートに
なっていて、ここは3番離れたバス停ながら同じような地に戻ってくる格好です。

ちなみにこのバス停は、イオン御経塚店の真ん前に停車します

バス停にベンチがあると、座るかどうかに関わらずなんか安心感があります。
疲れてたらたまに座りたい時もあり、座らなかったとしてもベンチがないと、
疲れがドッと出てくるときもあります。

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●御経塚史跡公園

ここ野々市の歩き旅で個人的にメインとなったのが、この史跡公園の観光?で、
ここには行っておきたい、というのがありました。(野々市駅より徒歩約10分)

先の土地整備事業記念碑の写真で、この辺りに遺構が数多くあったと書きました
が、その往時の姿を思わせるエリアが公園として残っています。

縄文終末期当時は30,000㎡を越える大集落を形成していたという事で、
これほどの規模の集落は全国各地見渡してもなかなかなかったそうです。

縄文時代後期から晩期の遺跡で、1954年に発見され、1977年に国史跡に指定
されています。約3,000年前後昔の史跡で打製の石斧が多く出土しているという
事です。人の一生が昔50年だとすると、わずか60代前はそんな暮らしをしていたのに、
人類の文化発展のスピードに驚かされるというものです。

もっとも縄文人の平均寿命は30歳そこそこであったといわれ、もっと早いサイクルで
世代交代を繰り返してきたようですが。

…ここから先は主にその史跡公園の写真です。

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●住居跡

第〇号炉住居跡、といった具合に号数が振られる形で、住居跡の区画がいくつも
残っています。

ここに竪穴式住居をつくって、何人もの人数で一つのスペースで暮らしていたの
でしょうか?今の人間の暮らしから考えると、1つのスペースに何人も…というのは
なかなか考えづらいですね。

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●復元 竪穴式住居

歴史で習う竪穴式住居が復元の形で1軒だけありました。

こういうものも、歴史で習って写真だけで見るより、こうして実際に訪ねて実物見た
方が遥かに勉強になものだ、という事が大人になって分かっても遅いのですが、
子供の時に習ったものが、大人になってこうして体感して「こういうものなのか…!」
と知る事ができるのも、また楽しからずや、というものです。

この史跡公園の象徴的な存在であり、ひいては町のシンボルといっても過言では
ないでしょう。野々市に来て駅から歩いて何かを見て帰りたい、という時には、
ここへの訪問はおススメです。

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町から市になった野々市市、昨秋8年ぶりに訪ねましたが、前回は駅前をちょっと
歩いただけで、今回はこの遺跡公園を訪ねる等、わずかでもよい旅ができました。

2017年1月 9日 (月)

JR能美根上駅 (石川県能美市)

石川県能美市のJR能美根上(のみ・ねあがり)です

能美市では、JR寺井駅を既にupしており、この時に『市内唯一の駅』と記したのですが…、、市内に新駅ができた …のではなく、駅名が改称されたのです。

寺井駅から「能美根上駅」に改称された事をつい先日知り、先ごろ北陸の数市を改めて訪問した事もあって、今回新駅名になった形での再訪として記事をupします。

●駅名標

かつて「寺井」であったものが、このように「能美根上」に変わっていました。ちなみにこの再訪問は2016年11月当時のものです。

ここが能美市になったのは2005年の事ですが、以後もずっと寺井駅で通してきたのが、2015年3月に「能美根上」へ駅名変更となりました。元の駅名である寺井という地区はここから1km程離れた所にあり、ここは旧能美郡根上町の近くにあるという事が起源のようで、能美市がJRに要望していたようです。根上の名がある方が親しまれやすい(森・元首相や松井秀喜氏の出身地のイメージも強く)という想いもあったのでしょうか。

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●ホーム1

1面2線のホームです。

駅名に能美の名を冠するようになり、それまでも自治体名と一致しなかった「寺井」という駅名であった状態から一転、市の中心駅として内外にアピールされた訳ですが、ホームを見る限りではその雰囲気はほぼ感じられませんでした。

沿線の、市の中心以外の駅のひとつとさして変わらない様子でした。屋根が広い事と時計がある事ぐらいでしょうか、その辺の駅と違うところといえば。

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●ホーム2

こちら側の眺めでは、両出口の様子が窺えます。

これまでは改札と地下通路で繋がる形となっており、ホームから階段を下りていましたが、今は階段を上がって改札へ向かう形となっています。

それまでは単一の出口であったものが、両サイドに分かれており、橋上駅舎化されたことが分かり、この面では確かに駅として進化した事を感じ取れます。

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●自由通路

改札を出たところですが、これまでなかった自由通路がこの駅改装時にできました。

駅名改称に先立っての橋上駅舎完成となっていますが、通路の真ん中にいくつものパネルが立てられていて、街の案内等々観光に一役買っています。

それまでは片側出口の駅舎内に待合スペースがありましたが、両サイドへの出口は階段のみとなってしまう為、このスペースが改札外での待合スペースとなります。

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●能美市観光マップ

寺井駅時代は市街地マップ程度のものはありましたが、ここまでのものはあった覚えがなく、松井秀喜ベースボールミュージアム等各名所への案内が明示されています。

前にも行きましたが、駅の周りにはほぼなんにもない状態で、松井秀喜ベースボールミュージアム(HPはコチラ)へも当駅からバス(1日4便のみ)で20分程度かかります。

他にも駅から離れた所へは点在していますが、駅の近くだけで何かを見ようと思っても少々厳しい感じです。

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●階段

これもまた今日橋上駅舎化の産物で、両方向への階段ができた訳です。

踊り場が2つあるくらい、階段は結構あります。

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●バスのりば

以前はただ広場スペースがあるだけの駅前であったのが、ロータリーが形成され、バスの位置等区画も整備されています。

この1月10日(つまり明日)から「社会実験」として臨時バスが運行される旨の貼り紙がありました。

「高校生の通学支援の為」とありましたが、この臨時便の利用状況を見て今後の便の検討を進めるのでしょうね、沢山利用されて一定の便数が確保されれば良いなと思います。

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●能美根上駅 駅舎

以前の寺井駅の頃とは全く変わっていました。

駅前ロータリーが整備されているのは勿論、駅舎も平屋の平屋根であったものが、てっぺん部分の高さでいえば石川県の駅屈指ではないかというレベル?になりました。

階段とエレベータはありますが、エスカレータがなく、また出口を出る際は階段のみであり駅に何か施設が入っている訳ではなく、その辺りが少々寂しいかなという点ではありましたが、まずはハードはそれなりのものがつくられたかな、というところでした。

あとは駅前の通りは寺井駅当時とさほど変わりなく、この辺りが今後どうなっていくのかも気になるところです。

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2015年11月11日 (水)

石川/能美 寺井駅前の風景

石川県能美市、JR寺井駅周辺の様子です。

(2008年8月当時)

●マンホール

能美市の、というより、旧・根上(ねあがり)町のマンホールのようで、当時の町の木であったクロマツが前面に出ています。

「義経記」にも「根上の松」なるものが登場し、町の木になった事も頷けるというものですが、この根上町は森嘉朗元首相や松井秀喜選手を生んだ偉大な町でもあり、森氏の父親(森茂喜氏)は1953年から9期36年(しかも連続無投票当選)もの長きにわたってこの根上町の町長を務めました。更には祖父(森喜平氏)も1928年根上村⇒根上町となった1945年まで首長を務め、戦後の昭和期この町はほとんど森氏の治世にあったという事になります。

10年前の2005年に能美市になりましたが、20年前の1995年には町内に隕石が落ちたりしています。

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●太陽のこぼれている町

として歓迎挨拶のついた地図がありました。

下の標識部分は上から貼られた感じで「能美市立病院」などは市制化されたために変更となったと容易に推測できますが、根上の関連部分も上から貼り足されているようで、なんだろう?と思ってしまいます。

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●寺井駅バス停

寺井駅の駅舎真ん前にバス停がありました。

時々、「~~駅」というバス停の名でありながら、駅より少し離れた幹線道部分にあったりする場合もあるので心配になる事もあるのですが、ここの場合はちゃんと駅舎の前にあってよかった、という感じです。

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●駅前通り

寺井駅の駅前通り、その名も「ホームラン通り」です。ボール状の看板にその名がいくつも並べられ、柱ごとについているぐらいのイメージです。

いかにも松井秀喜氏の故郷に因んでのネーミングですね。

旧町の木クロマツと二段構成の灯籠?様の街灯がユニークすぎます。

直進の標識で「東街道 チューリップのみち」とありましたが、検索してもなかなか見当たらず、なんだかよく分かりませんでした。実際この辺りを歩いた時も、駅からさほど歩いておらず、下写真のような駅前通りを歩いただけだったので、本当に能美市に関しては「松井」「ホームラン」のフレーズが浮かんでくる能美(?!)というのが正直な印象ではあります。

駅前の「ホームラン通り」だけでも、この市ならではのものを感じる事は出来ましたが、もう少し踏み込んでまた旅したいものです。これが能美市の風景の一部、という程度で感じて頂ければ幸いです。

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2013年9月17日 (火)

石川/かほく 西田哲学の町

石川県かほく市、JR宇野気駅からの歩き旅です。

(2010年7月当時)

西田幾多郎像

郷土が生んだ世界的哲学者、と銘打たれて宇野気駅前に立っている、西田幾多郎(1870-1945)先生の像です。西田哲学、と言われる彼の思想体系ですが、日本の近代哲学者でその名前が冠される人物は他には居ないといってもいいレベルで、かほく市はこんな偉人を生み出した訳ですね。

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駅前の道

宇野気駅の駅前広場を出て右向いたところ、線路と平行に走る形の道路です。厳密には左へカーブを描いてるので離れていくんですが…

商店がまばらにある通りで、商店街というほどではない雰囲気でした。

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福祉巡回バスダイヤ

かほく市の福祉巡回バスのダイヤです。

宇野気駅東という停留所名で標識が立っていました。

平成20年から実験運行を始め、翌21年10月13日から運行開始となったそうで、この方面はその更に翌年7月、運行開始より9か月ほど経った頃、という事になります。

4路線で1日5本前後のダイヤですが、平日だけのようで、また各ルート週2日の運行という便数的にかなり少ないものです。土日などの休日によそから旅に来て利用しようとしても無理という事でしょうか。

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宇ノ気町宇野気区

という表記が看板にありました。「宇ノ気町」の部分は上から貼ってありました。

しかしなんで旧自治体名である「宇ノ気町」と貼ってあるのか不思議でした。現在の「かほく市」と貼ってあるなら分かるんですが…


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▼西田幾多郎 生い立ちの地

として記念碑が建っていました。

宇野気駅前から歩き始めてまだ程ない地点です。

生家は別の地にあったのですが、火災に遭い、この地に移転してきたそうです。3歳から13歳まで当地で育った西田幾多郎氏、何不自由なく「美しき子」として育った、と説明板には書かれていました。

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かほく四季まつり

の幟が出ていました。

駅前の道路は市の中心駅の駅前か、というほどひっそりとしたものでしたが、ここは幹線道へ出てきて、幾分活気が見られます。

四季まつりとあったものの、検索したら「サマーフェスタ」とか「花火大会」とか出てくるばかりでした。ちょうどこの時は花火大会を控えていた時期だったので、まぎれもなくその幟だったと思われますが…

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宇野気郵便局

旧宇ノ気町の中心的郵便局でしょうか、規模が中途半端でよく分かりませんが、〇〇駅前郵便局、のような小規模局ではない雰囲気でした。

前に台形部分のものが突き出ていたりして、建物のカタチ的にユニークなものでした。

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かほく市役所

旧・宇ノ気町役場です。

駅から来ると、坂道を上っていく格好となり、夏の暑い時期にしんどかった覚えがあります。2010年も今年のような猛暑で、しかも9月までだいぶ暑さを引っ張ってたような気がします。

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駅前に戻る

かほく市役所まで歩いてきて引き返した、かほく市の旅。

旅というか、、当市ならではのものといえば西田幾多郎記念碑くらいでしょうか。

それだけでも得られれば良かったかな、と。

駅に戻る頃にはすっかり夜の景色になりつつある状態で、この道を左に曲れば宇野気駅です。

そんなこんなのかほく市でした。

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2013年6月10日 (月)

石川/輪島 ふらっと訪夢

石川県輪島市、石川県の北端、能登半島に位置する小都市で人口は人口は28,227人(2013.5.1現在)で、輪島塗の漆器や朝市、そして御陣乗太鼓などが有名な町です。

元・輪島駅

輪島市には2002年8月に訪ねました。

で、市内でこの一枚しか写真を撮っていません。当時カメラ所持せず、「写るンです」を都度買って撮ってたんですが、この時に切れてしまい、新しいのも買わなかったから。当時は今みたいにあちこちバシバシ取らなかったので、足跡残した程度ぐらいですね、写真撮ったのって。特に写るンです、が切れかけの時は残り枚数気にしてたんで、必然的に内容も絞られる訳で…

タイトルにあるように「ふらっと訪夢」と表示されているこの建屋。

現在は「道の駅 輪島」ですが、今調べて驚いた事に2002年8月13日に登録されたといい、それはこの訪問の前日だったと記憶しています。全然知りませんでしたが…。

とにかく道の駅であり、バスターミナルのある所でもあり、輪島市の交通拠点です。

この1年半前までは鉄道駅として活躍しており、のと鉄道の輪島駅でした。が、2001年3月をもって廃止されてしまい、鉄道が通っている間に訪ねたかった、と当時思いました。同じ時期に訪ねた珠洲市はまだかろうじて鉄道駅として現役で、こちらは訪ねた後に廃駅となった格好で、来れてよかったなというところで、ある意味明暗分かれました。

金沢からバスでやって来て、この近くの輪島ステーションホテルという所に泊まったのも覚えてますし、当時買った輪島塗のコーヒーカップを今も時々使ってます。

さて…輪島市の風景写真をもっと増やしたいな、という気持ちも少なからずあります。この1枚だけじゃ寂しいので。でもいつになるやら…10年以上訪ねてませんが、何せ場所的にアクセスが辛く…、、でもいいところだし思い出もそれなりあるので、やっぱりまた行きたいです。
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