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27兵庫県

2019年1月15日 (火)

兵庫/三木 三木合戦とナメラ

兵庫県三木市、神戸電鉄/三木上の丸駅からの歩き旅です。

(2015年10月現在)

▼2枚写真を載せていますが、いずれも三木上の丸駅前すぐの様子です。

(上)2015年当時

(下)2007年当時

若干撮っているアングルが違いますが、いずれにしても駅前広場スペースが皆無で、いきなり道路です。強いて言えば道路幅が少しだけ広がっていますが、これはバスが停まるために広げられているだけのものです。

この8年間で基本変わっていませんが、「室山書店」という本屋さんの表看板のペイントが変わっていて、ピビッドな空色になっていました。

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▼これまた2枚写真を載せていましたが、駅を出てすぐの道を左へ進んですぐの所に、この「ナメラ商店街」の看板があります。

手前には「ようこそ三木合戦の地へ」の言葉と共に派手な武将のイラスト看板があり、インパクト大でした。

三木上の丸、という駅名が示す通り、城郭要素の強いエリアで、ここを越えるとすぐに三木城跡があります。

戦国時代での秀吉の壮絶な討伐のひとつに「三木合戦」がありますが、ここがまさにその場所という事です。そんな事を思いつつ、このゲートをくぐりました。

ちなみにナメラとは、ここのかつての町名が「滑原」であったことからきているそうです。今は本町の地名になっていますが、地名として消えてしまった名前が商店街名として残っているのは良い事ですね。

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▼ナメラ商店街とあったゲートをくぐったばかりの所です。

そこには「湯の山街道」の看板も出ていました。

三木には温泉はあれど、昔からの温泉地や温泉街的なものはないのでは…??と思っていましたが、ここでいう「湯の山」とは有馬温泉(神戸市)の事で、ここ三木から有馬温泉までの道をこのように呼ばれていたといいます。

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▼上の写真では、ゲートをくぐってすぐ右側の様子でしたが、こちらはその向かいで、ゲートをくぐってすぐ左側です。

くぐるとすぐ左側には三木城址への階段があり、こんな駅近くに城址があるのか!という感じでした。

兵庫県でも姫路城や明石城みたいに観光客で賑わう、という事は正直なく、割とひっそりしていますが、それだけに手つかずの歴史を感じられる場所ではないかと思います。

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▼平地(商店街)から見上げた三木城跡の様子です。

こんな高い所にあるのか、と

城壁がずっと続いているのがここからでも見えます。

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▼階段を上がっての、三木城址です。

ここから三木城址内の様子は2007年当時のものです。

2015年に再訪して街の方は歩いたのですが、この階段上にある城址は2007年に訪ねたきりなので。(階段上るのしんどかったんで、一度行ったしいいや、がホントの理由です…)

人っ気も皆無で、塀が続いたりはしていますが特定の建物がなく、丘の上に広場があり、あとはただ樹木が広がる感じでした。

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▼お堂はありましたが、お城のあった当時のものではないと思います。

稲荷神社もありました。

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▼説明板が複数ありました。

三木城跡についての説明と、復原図とです。

築城は1492年頃とされていますが、16世紀になると戦禍に巻き込まれる事多々で、そしてやはり「三木合戦」は秀吉による「三木の干殺し」はあまりに有名で、その舞台となってしまい、そして江戸初期に一国一城令で廃城となりました。

当時の廃材は、明石城に使われる事となったといいます。

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▼三木合戦の当時の三木城主・別所長春(べっしょ・ながはる=1558~80)公の像がありました。

別所長春は豊臣秀吉と対戦しましたが、元は秀吉と同じ織田軍の武将でした。

ただ中国地方の毛利軍平定の際に、信長軍として討伐に当たったのが成り上がりの秀吉である事に不満を覚え、反旗を翻したとありました。

秀吉に抵抗して一度は攻勢に転じた事もあったものの、2年にわたる兵糧攻めに遭い、遂には城兵たちとの命と引き換えに自害して果てたといいます、享年23。一族の責を負うにはあまりに若すぎた年齢ですが、これがやはり戦国時代の現実ですね。

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▼三木城跡から下の街を見下ろした様子です。

丁度神戸電鉄の線路が入っているのを真ん中に、その周辺の様子がよく見えました。

昔ながらのゴツゴツした屋根の家屋も目立ちますね。

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▼三木城跡をひとしきり見てきて、階段を下りてきたところです。

さて、ここから向こうへと街歩きをはじめます。

のっけからやってなさそうな店が並んでるなぁ、と思いつつ歩き始めました。

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▼商店街を進んで行って、アーケードのある所へ出くわしました。

シャッターの下りた店も多いですが、時々開いている店も見受けられました。

そんな状況で、屋根はしっかり維持されているようでした。商店街として機能しなくなると、アーケードまで取っ払われる街もありますが、ここはまだ持ちこたえていました。

商店街の道幅の狭さもまた、古き時代を思い起こさせるようで良かったです。これもまた一つの観光かなと。

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▼さらに続いていくアーケード商店街です。

看板がメンテされている感じで綺麗で、シャッターの下りている所はイラストが描かれていたりしていました。

土曜日の昼間でしたが、土曜休日のお店がなければ、開いている店がほぼそのまま現役のお店で、そうでないところがもうやっていないところかな、と思いますが、半分やっているかどうか(多分半分以上やっていない)…だった気がします。

日々どのくらいのお客さんがこの界隈でものを買い求めて、どのくらいのお金を落としていっているのか?気になります。残念ながらここを通った時にお金一円も落としていきませんでした。買いたいと思えるものもなかったのですが。

ここは明治の終わりころに馬車道がつけられ、沿道に家屋が建ちだして商店街が形成されるようになった、とありました。その後はかなりの賑わいであったといいますが、今は昔ですね。

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▼この近辺で石列遺構が出土したという事で、ここを本町滑原(ナメラ)遺跡とされています。

2002年に下水道工事をしていて見つかったとありますが、そんな最近でもこんな大きなものが見つかるのですね。羽柴秀吉池田輝政の時代のものとされ、1600年前後のものかと思われます。

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▼アーケードの切れ目の部分です。

向こうが続いていたエリアですが、ここで途切れて少し全くない部分がありますが、またこの手前の部分は骨組と軒先の庇だけが残っていました。

かつては屋根があったものが取り払われたのでしょうか。商店がまだ営業しているのになんだかかわいそうですね。もう少し先ならまだ屋根が残っているというのに。

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▼この辺りになると完全に屋根の面影も見られませんでしたが、まだ商店街ではありました。床地に商店街が続いている事が確認できます。

しかし、アーケード内の商店の方が逆にノスタルジックで、廃墟感すら感じる部分もあるというのがなんとも皮肉な感じがします。逆に屋根のないこういうところの方が、そんな寂しげな感じがしないというか。

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旧 玉置家住宅として残っている住居です。国登録有形文化財です。

ナメラ商店街を抜けて逸れて、傍の幹線道へ出てきたところにありました。

1826(文政9)年に上州館林藩の財政立て直しのために切手会所(今でいう銀行)として建てられたのが始まりといいます。

なんで館林?と思いました。館林といえば今は夏の暑さが有名な群馬県の都市です。何の関係があるのか??ですが、1747~1842年の間、この三木は館林藩の飛び地であったというのです。

市街の離れた部分を「飛び地」とはいいますが、いくらなんでも飛びすぎだろ?と思いますが、江戸時代には知行高合わせや縁故によるもの等々で、様々な遠隔飛び地が存在していたようです。

館林が財政難の中、三木では金物産業が隆盛し、これに目をつけた館林藩がこのような施設をつくった背景があるとの事でした。ここに記されている玉置家の住宅となったのは、1875(明治8)年のことだそうです。

入館無料で、開館は10時から16時、火曜日が定休となっています。

有形文化財として登録されていますが入る事も出来るので、旧家に興味ありの方には是非に寄ってほしいところです。

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三木合戦の舞台である三木城跡からナメラ商店街、旧玉置住宅まで、三木上の丸駅から歩いて行ったこの旅、三木の中心街も良いのですが、ちょっと外れた所で、こんな街並みを味わうのも良いかと思いました。金物にほとんど触れられていませんが…

三木はJRが通っておらず、アクセスが不便な部分もあるかもしれませんが、訪ねてみて旅市外のある街だと思います。

という事で三木市第一弾終了です。

2019年1月12日 (土)

神戸電鉄/三木上の丸駅 (兵庫県三木市)

兵庫県三木市の神戸電鉄/三木上の丸(みき・うえのまる)です。

三木市では神戸電鉄/三木駅などをupした事がありますが、この三木駅の隣駅がここ三木上の丸駅です。

-神戸電鉄/三木上の丸駅
【路線】神戸電鉄粟生線 (鈴蘭台-粟生間)
【開業】1937年12月28日
【訪問】初訪問-2007年4月
【1日あたり平均乗車人員】 178人/日 (2017年)
【近隣の都市駅】(鈴蘭台方面)鈴蘭台駅→12駅 
          (粟生方面)三木駅→隣駅

▼ホームの様子はこんな感じです。

これでも市の中心の三木駅の隣駅ですが、雰囲気はガラッと変わってローカル感満載です。

これは初訪問時の2007年4月の様子ですが、8年後2015年再訪時もさして変わりありませんでした。(今もさして変わっていないはずです)

ホームはこの1面1線のみで、やや幅が狭くなっている部分にのみ屋根がついていて、大半は屋根なしエリアです。特に優等列車が走る訳でもないので、その辺りの考慮は不要という事で。

1937年12月28日に開業していますが、12月28日といえば昭和が生んだ大スター、石原裕次郎さんの誕生日です。裕次郎さんは兵庫県で生まれていますが、その3歳の誕生日に当たる日に同じ兵庫県にてこの駅は開業しました。

しかしその年には北海道の小樽へ転居したので、おそらくこの開業日には既に小樽への転居後と思われます。

屋根のないエリアに広告つきのベンチが並べられていました。

屋根のある部分の木造の渋さはハンパありませんでした。

高架ホームではなく、盛り土の上にある感じで、少し階段を下りて更に坂を下りる形で出口へと至ります。

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▼ホームからの眺めです。

やや高い所にあるので、なかなか眺めが良いです。

古風な家屋が随所に見受けられ、かなり渋い眺めでもあります。

そんな中で「光証券」の看板は浮いているように見えますが、今も存在しているようで、神戸に本店を構え、ここ三木支店です。

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▼駅構内から出口へ向かってのカットです。

ここもまたホーム上の屋根あり部分と同じように渋すぎる木造建築物です。

少しの階段を借りて改札へ。

渋すぎる木造建築の中に自動改札機のあるこのギャップの大きさがすごいです

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▼改札を出て、駅舎内です。

出札はシャッターが下りたままになっていますが、自動券売機があり、駅舎内の構内スペースがしっかり残っていて、また自販機もありました。これは10年ほど前の様子につき今は不明ですが。

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▼こちらは上の写真と反対側で、駅舎内から出口へ向かってのカットです。

駅舎内にもベンチが設けられているのが見えます。ホームのベンチは陽ざらし雨ざらしですが、ここでは室内で座って待つ事ができます。ただし吹き抜けにつき完全なる室内ではありませんが。

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▼駅を出てすぐの所です。

この坂を下りて右へ折れた所が出口ですが、駅前広場スペースもなく、いきなり道路に行き当たります。

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▼逆に坂を下りて駅を振り返った様子です。

これこそが三木上の丸駅の駅舎です。

なんとも渋すぎる木造駅舎で、坂の上にポツンとあります。

なので駅舎の真ん前へ車が乗り入れる事は不可能な構造でもあります。

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▼坂を下りきって道路に出ようとするところで、駅の場所を示すゲートが立っています。

ここの真ん前にバス停があります。

ここに立ってるのはゲートだけで、その向こうの青い角ばった建屋は駅舎ではありません。

ちょっと特殊な構造の駅で、のどかな感じですが、古き良き商店街が続いていたり、三木城跡があったりして、この近くは実は見どころが沢山あります。個人的に三木市でいちばん好きなエリアです。後の記事でその辺りをお伝えできればと思っています。

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2018年12月12日 (水)

JR竜野駅 (兵庫県たつの市)

兵庫県たつの市のJR竜野(たつの)です。

たつの市では、JR本竜野駅JR播磨新宮駅をupした事がありますが、今回はその「たつの」の市名そのままの「竜野」駅の記事となります。

-JR竜野
【路線】JR山陽本線(神戸-門司港間)
【開業】1889年11月11日
【訪問】初訪問-1992年6月
【1日あたり平均乗車人員】 2,172人/日(2017年)
【近隣の都市駅】(神戸方面)姫路駅→4駅 
           (門司港方面)相生駅→隣駅

●駅名標とホーム

たつの市にして「竜野」駅なので、てっきり市の中心駅かと思いきや、たつの市の中心駅は本竜野駅の方であり、この竜野駅は平成の大合併までは旧・龍野市にもなく、旧・揖保郡揖保川町という郡部の町内唯一の駅でした。

龍野市になかったのに、竜野駅だった訳です。たつの市の中心部からは5km程離れており、昔は延伸計画もあったようですが、立ち消えたようです。ちなみに本竜野駅はJR姫新線の駅で、ここ竜野駅はJR山陽本線と路線自体も違います。龍野の中心部へ行こうと思って、本竜野駅ではなくここへ来てしまった、というのはよく聞く話です。

山陽本線で、姫路駅から西へ進んで行って、隣の網干駅までが姫路市で、ここからはたつの市となります。そしてこの隣が相生駅(相生市)となります。新幹線駅の隣駅であるという観点では、好アクセスの駅といえます。

乗車人員は最新では1日あたり2,172人/日で、2000年代後半には2,000人を割り込んだ時期もありましたが、やや回復してきています。

ちなみに今回記事の写真は2007年訪問当時のものです。ここを初めて訪ねたのは1992年の事で当時の写真があれば良いのですが、なかったので15年後再訪時のもの、という形で載せています。

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●ホーム

2面2線のホームで、両ホームは跨線橋で繋がっています。

橋は上部が吹き抜けになっているタイプのもので、渡る橋の部分は筋交いが施されていました。

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●跨線橋内

床面が板張りで、学校の教室の床面を思い出しました。

掲示物は突き当たりのみで、サイドの壁はいかにも塗った感じのツートンカラーになっていますが、なにかガラーンとした印象を受けました。上部は先述の通り吹き抜けになっていました。

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●駅前広場

名古屋駅の小型版みたいなモニュメントがありました(いや全然違う)

駅前通りが駅から続く形ではなく線路と平行に道が走っている形でした。

駅の真ん前は民家やこじんまりした商店が軒を連ねる形で、全体的にのどかな印象でした。

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●駅前広場2

角度を変えてのカットで、広場から駅舎の一部が見える形のものです。

駅外で線路を跨ぐ跨線橋の風景が画になるのでこれを絡めて撮りました。

タクシーはそこそこ停まっていました。

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●駅を跨ぐ

駅構内の跨線橋は先に挙げていますが、これは駅の外を跨ぐ橋で、出口が片方しかないので、もう片方(北側)へ行く時の橋が線路を跨いでいる様子です。

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●竜野駅 駅舎

平屋の駅舎です。

両隣の網干と相生の駅に挟まれる格好で地味な所ですが、平屋なりに立派な駅舎を有しています。山陽本線沿線だけにあまりにインパクトのあるような形ではなく、沿線の駅と同じようなタイプの建屋でした。例えば英賀保駅とか上郡駅のような。

今度ここに来たら、日帰り温泉へ行ってみたいものです。 「あかねの湯」という日帰り入浴施設があります。距離にして2.3km、歩いてでも行ける距離ですが、車で5分程度、タクシーで行ける金があればタクシーで行っても良いと思います。

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2018年11月23日 (金)

兵庫/たつの 新宮 素晴らしき紅葉の世界!

兵庫県たつの市、JR播磨新宮駅からの歩き旅です。

特に今どきの時期にピッタリな紅葉名所、東山公園を中心にお送りします。

(2011年11月当時)

●新宮新町あたり

播磨新宮駅から南東へ200~300m程の地点ですが、商店街になっていて、昔ながらの街並みを愉しむ事ができました。このあたり何十年も変わっていなさそうに感じます。昭和63年だってこのような状態だったのかもしれませんし。

今回は紅葉名所中心になりますが、このような街並みをバックに歩くのも風情あっていいなと思います。

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●東山公園へのアクセス

今回の目的地である紅葉名所・東山公園へのアクセスです。

播磨新宮駅から南東へ歩いて15分強、距離にして1.2km程になります。揖保川に架かる橋を渡ってすぐです。

その道の途中に上の写真の商店街の街並みが見える訳です。

東山公園に対して「西山公園」もあります(笑)

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●東山公園橋

ここを渡れば東山公園!というところですが、これがナント吊り橋!

ものすごく風情があります

吊り橋の向こうに紅葉名所がある訳ですから、もう風情の塊です!

恐怖症の人には拷問のようなものかもしれませんが、歩く時に橋がタワンタワンなるこの感覚がなんともいえません。

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●もみじまつり

という幟と、両サイドにぼんぼり?のある道を上って紅葉の咲き誇る公園内へといざなわれていきます。

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●志んぐ荘

新宮だから「しんぐ」荘?昔々行くはずだった所?ですがお流れになって1981年に行くはずだったここに30年の時を経て来る事ができました。

東山公園に入るところにある国民宿舎です。

たつの市でも新宮地区を代表する宿泊施設といっても過言ではないでしょう。鉄筋11F建て、333名収容、和室58・洋室5の合わせて63室あり、大浴場つきで、大浴場は日帰りでも300円で利用できるとありました。料金的には大人9,440円からという事でビジネスホテルなどに比べると少々高めではあります。

ランチのワンコインレストランも惹きつけられました。

国民宿舎 志んぐ荘

住所:〒679-4313 兵庫県たつの市新宮町新宮1093

電話:0791-75-0401

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●しんぐうガイドマップ

旧新宮町での単位のガイドマップです。

町内は東の方に都会的な部分が集中している感じで、西側と密集度合いが全く違う事が見て取れます。ただ電車の線路は真ん中を横切るように走っています。

境界外は宍粟市山崎町とか佐用町三日月とか、旧の自治体管轄を遺しつつ、現在の町名等で表現されています。

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●混在紅葉

緑も黄色も赤もあるモミジです。

真っ赤っかの紅葉よりこっちの方が風情があっていいというものです。

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●鮎つかみ

の看板が出ている川がありました。

夏には鮎のつかみどりができるそうです。

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●公園案内図

公園エリア中ほどにあった案内図です。

揖保川から分岐した小川を挟みつつ公園エリアが形成されています。

左下には「新宮町」と旧町時代の表記がなされていました。

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●鴨

が川で沢山泳いでいました。

足の部分がよく見えたのが印象的で、水が綺麗なのでしょうか。

普段あまり見ませんが、水面下で足を一生懸命動かしているのがよく見えました。悠然と泳いでいるように見えるのが実はそうではないというのが見て取れたという訳です。

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●真っ赤に色づく

紅葉を片っ端からあげますが、真っ赤なものも良いし、他の色とのコントラストがまた素晴らしいなと感じさせられます。まさに今この時期、3連休スタートしたこの時期がベストではないでしょうか。

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●紅葉の織りなす幻想風景

という事で、木々と紅葉の織りなすこの時期ならではの風景を片っ端からあげてみます。

とくとご覧下さい!

赤い部分もそうですが、その周りにがある事によって、更には上からの木漏れ日がある事によって、更に景色が幻想的になっていく事を、この公園に行って強く感じました。赤いきつねと緑のたぬきって、まさかこのような紅葉風景に因んで名づけられたとか(ウソです)

渋すぎる紅葉名所ですが、一度行ってみてほしい、そう思わせる場所でした。

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●そんなこんな東山公園

ここは全く赤のない、純然たる緑の部分ですが、それまで目が赤で慣れていたので、緑ばかりの所に来ると不自然な気さえしました、という訳です。

以上、東山公園を中心とした、たつの市新宮町の旅でした!

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2018年11月21日 (水)

JR播磨新宮駅 (兵庫県たつの市)

兵庫県たつの市のJR播磨新宮(はりま・しんぐう)です。

たつの市ではJR本竜野駅をupした事がありますが、今回は少し離れたこの駅の御紹介です。

-JR播磨新宮
【路線】JR姫新線 (姫路-新見間)
【開業】1932年7月11日
【訪問】初訪問-1991年8月
【1日あたり平均乗車人員】 1,225人/日 (2016年)
【近隣の都市駅】(姫路方面)本竜野駅→2駅 
           (新見方面)佐用駅→5駅

●駅名標周辺

この駅を初めて訪問したのは1991年夏の事ですが、それから20年経った2011年訪問時の写真を主にお届けしたいと思います。

本竜野駅は純然たる旧龍野市からの市の中心駅ですが、この播磨新宮駅は平成の大合併までは「揖保郡新宮町」という郡部の町の中心駅でした。現在ではたつの市の新宮地区の中心駅という位置づけです。

姫路から津山を経て新見まで結ぶ「姫新線」の駅で、姫路駅から22km離れたこの駅までが現在のICOCAの使用範囲といいます。

姫新線の中でも東側の姫路-津山間は当初「姫津線」と称していましたが、その姫津線が開業したのが1930年の事で、当時は姫路-余部間の2駅分(約6km)のみだったのですが、その2年後にはこの播磨新宮まで延伸され1932年に当駅は開業しました。

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●ホーム

ホームは2面3線あります。

姫新線内においては、本竜野と佐用をつなぐ役割を担う、沿線の主要駅のひとつです。

近年橋上駅舎化されましたが、この沿線内でこれほどの設備投資される駅は少なく、それだけこの駅に対する期待感があるという事かと思います。

ホーム上に自販機があるのも、この沿線上では珍しいと思います。

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●ブンセン本社

駅のすぐ前にはブンセンの工場があります。

佃煮でお馴染みの「アラ!」はこのブンセンの商品で、そのブンセンの本社はナント、ここ新宮にあるのです。

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●向いホーム

この辺りも近年新設された部分で、この当時が2011年の姿であり、2009年頃にできているので、まだまだピカピカしていました。

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●自由通路

2010年に橋上駅舎化されて、ガラッと雰囲気が変わりました。

沿線では市内の中心地・本竜野駅とここだけが目立って設備的に進歩しました。投資された訳ですね。たつの市のこの両駅だけが恩恵を受けた格好で、この投資に見合う発展も期待されているかと思いますが、これからどうなっていくのやら…という部分もありますね。

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●自由通路2

南口への通路の様子です。

右側の看板には「JR線」とありますが、JR以外の電車が乗り入れているのか!と思われそうですが、そんな事は全くありません。純然たるJRのみの駅です。

この辺りでJR以外にも路線が入っているところといえば、姫路から離れていく津山方面で「佐用」駅があり、この駅では智頭急行も走っています。

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●長い階段

播磨新宮駅に10年以上行っていない、という方々にとっては想像もつかない画だと思いますが、駅の中にこんなにも長い階段がありました。

とても姫新線の駅とは思えない?!設備が目の前にあってビックリしたものでした。この駅が旧・新宮町にあった頃からでは想像だにつかない光景がそこにありました。

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●時刻表

姫路方面は1時間に2本、反対側の津山方面は1時間に1本程度のダイヤとなっています。姫路から離れていくほどに列車の本数が少なくなっていきます。そしてその減り方が結構顕著です。

右側は佐用・津山方面となっていますが、津山まで行くのはかなり少ないです。大体は途中で終点になってしまうので。

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●播磨新宮駅 駅舎(北口)

ブンセンの工場がある側で、ブンセンへ電車で通勤している方がいたら非常に便利な出口となります。駅前広場としてはどちらかというとサブ側になると思います。

2011年春にロータリーができたといいますが、このように橋上駅舎化される前は、こちら側に出口はなく一方のみであったので、駅の設備が格上げされ、このように新しい出口も設けられ、と本当にこの駅は発展しました。そういのがはっきり分かるのっていいですよね。

この時はまだできたばっかりで全体的に綺麗でした。

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●南口に転じて

北口は出口がつくられた事自体が画期的?で、ロータリーと時計塔だけ作りましたよ的な感じでしたが、元々出口があってメイン側のこちら南口は色々とあります。

まずはこの駅バス停があり、石のゴツゴツした柱が印象的でしたが、のりばが複数あって、ただの駅前のバス停というよりは、拠点駅感がありました。

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●駅前(南口)

駅前広場とその向こうに続く駅前通りの様子です。

「駅前食堂」なんてあるのが、旧の郡部の町の駅前感があります。

駅前通りは川に阻まれ、突き当たりまでの距離が短い状態で終わってしまいます。

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●播磨新宮駅 駅舎(南口)

メインの南口駅舎です。

かつて新宮町であった頃からは想像のつかないほどの大きな駅舎となっています。

向かって右に隣接している喫茶店「マルマス」は昔からあります。

この規模でと小都市の中心駅より大きいぐらいですね・

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●播磨新宮駅 駅舎'07

2007年当時の駅舎の様子です。

まだ橋上のカケラもない、単なる地上駅舎でした。色は時々変わったりしていましたが。

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●播磨新宮駅 駅舎'91

そしてこれは初めて訪問した1991年夏当時の駅舎の様子です。

同じ建物ですが、随分と印象が違います。

電話ボックスがあったり、床が未整備で、広場の境目に柵がなかったりして、カナリア坊とな感じがそこかしこに漂っていました。

こういう写真を撮っておくと、こんなにも変遷が見て取れるんですね、実に素晴らしい、と勝手に思いつつ、播磨新宮駅の駅記事を終わりたいと思います。

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2018年11月18日 (日)

山電/荒井駅・伊保駅 (兵庫県高砂市)

兵庫県高砂市の山電/荒井(あらい)駅・伊保(いほ)駅を合わせて御紹介です。

高砂市では、同じ山電の高砂駅や、JRでは宝殿駅・曽根駅をupした事がありますが、これらに続いての駅紹介の形となります。

まずは荒井駅からです。

-山電/荒井
【路線】山陽電鉄本線 (西代-山陽姫路間)
【開業】1923年8月19日
【訪問】初訪問-1991年8月
【1日あたり平均乗車人員】 6,279人/日 (2016年)
【近隣の都市駅】(西代方面)高砂駅→隣駅 
           (山陽姫路方面)飾磨駅→8駅

●駅名標と時刻表

隣が市内中心の高砂駅ではありますが、あまり街の中心という感じでもないかな、という中途半端な印象です。高砂駅は特急停車駅でもありますが。

ダイヤ的には昼間が少なく、15分に1本程度ですが、朝晩は多めです。

ここに初めて来たのが1991年夏に通りかかった時ですが、その後しばらく行っておらず、これは一昨年2016年3月、今から2年半ほど前の姿になります。

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●ホーム1

出口への通路へと至るホーム周りですが、木製ベンチが距離を置きながら設置されています。

向こうの階段を下りて出口に向かいますが、出口の階段はイコールホーム幅で、ここへ出るしかという感じです。

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●ホーム2

向かいのホームと共に見えるカットですが、2面2線のホームというのが分かります。

隣の高砂駅が特急停車駅である事に対して、1.2km離れているだけの当駅は特急は停車しませんが、駅乗車人員としては高砂駅の倍程度あり、高砂市内の山電4駅(高砂、荒井、伊保、曽根)ではダントツで最多です。工場勤務者によるところも多いかと思いますが。

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●跨線橋周辺

エレベータが取りつけられていて、2011年にバリアフリー対応になっているとの事です。

それまで地下道で繋がっていて、今もその状態は保っていますが、そちらのバリアフリーはなく、このエレベータで対応している状態です。

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●地下道

ホームからの階段を下りて行ったところの地下道の様子です。

その降りていった通路の向こうに改札がある、という構造になっています。

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●地上改札

上の写真の改札は南側の工場通勤者向けが主になりますが、通常の街へ出る改札はこちら側の北の改札になります。

南側は工場の立ち並ぶエリアで、キッコーマンや三菱重工、神戸製鋼などの工場があり、またタクマという一部上場企業もあります。

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●駅前目線

駅を出るとこんな感じで、駅前広場にあたるスペースは殆どありません。

ちょっと通路があるだけで、すぐの所にコンビニがあります。

交差する道路が駅前通りという事になりますが、単なる市街地であまり駅前道的な性格のものではない感じです。

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●マップ

「あらい浜風公園周辺マッフ」という形で、駅のすぐ前に出ていました。

南側である海側が工場の立ち並ぶ地帯で、北側が街の方である事がはっきり分かる形で示されています。

そこにはあらい浜風公園という公園がある事がアビーされている感じですが、夕陽のきれいなスポットなのか、そこから見た夕陽の写真も載っていました。

また高砂市民プールも近くにあり、北口の街側では荒井神社や高砂市民病院等があります。

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●荒井駅 駅舎

街側である北口の様子ですが、小さな駅舎であるものの、モニタが設置されています。

駅前の通路がこんな感じで、ホントにスペースが皆無なのが分かると思います。左側はコンビニの建物で、右側は柵で覆われ、幅がこれだけしかなく、車の乗り入れなどできない状態です。

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さて、次はとなりの「伊保駅」です。

-山電/伊保
【路線】山陽電鉄本線 (西代-山陽姫路間)
【開業】1923年8月19日
【訪問】2003年
【1日あたり平均乗車人員】 1,437人/日 (2016年)
【近隣の都市駅】(西代方面)高砂駅→2駅 
           (山陽姫路方面)飾磨駅→7駅

●駅名標周辺

壁掛けタイプと地上から立っているタイプと両方撮れたので載せています。

ここへ初めて来たのは2003年の事と記憶していますが、この記事での写真は基本今から1年前の2017年11月当時の様子です。

曽根と前述の荒井が両隣駅で、これらはいずれも高砂市内の駅です。曽根はJRにも同名駅がありますが、JR曽根駅とは距離があり、連絡性はありません。

駅の開業日は高砂駅、荒井駅と同じで、1923年の神戸姫路電気鉄道の開業時に設置されています。1954年までは伊保村という自治体として存在し、この時に高砂市になって現在に至ります。ちなみに先の荒井駅も同様に、1954年までは荒井村という自治体として存在していました。

伊保は港町として栄え、高砂市内の山陽電車駅の中でも、最も港町の性格の強い駅というところです。

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●ホーム

下3枚のうち、上の2枚は改札方向(姫路方面)で、下の1枚は反対方向(高砂・明石・神戸方面)のものです。

やはり2面2線のホームで、特急停車でない沿線駅は大体このスタイルになっています。

木製ベンチが並んでいますが、荒井駅より密度が高く、数も多く置かれているようでした。

といっても駅の利用者数は、荒井の1/4程度で高砂市内の山電駅では最少です。

≪高砂市内の山電駅利用者数≫

  1. 荒井駅     …6,279人
  2. 高砂駅     …3,328人
  3. (山陽)曽根駅 …1,768人
  4. 伊保駅     …1,437人

   ※1日あたりの乗車人員数

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●構内踏切

荒井駅とは違い、構内踏切で両ホームが繋がっていて、遮断機が下りている時は行き来できない状態です。

面倒なのが、ここで踏切を渡って駅を出て、北へ向かって街なかに出る時に再度踏切を渡らなければならない点です。ここに限らず構内踏切がある駅はどこもそうかもしれませんが、とにかく陸橋などの交差設備が全くないのです。

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●駅前風景

駅前は非常に狭く、とても車など乗り入れられる状況ではありません。

そして狭い道を隔てて、この喫茶店があります。

ここ営業しているようですが、本当にやっているのかどうかわからず、結局入った事がありません(笑)人が出入りしているところを見た事がなく、人通りのある所でもないので入るのに勇気が要るなと…。

建物の雰囲気が独特すぎますが、いつできたのかすごく気になります。建物ができ時期もそうだし、喫茶店として開業した時期も。往時は栄えていたのかな?とか、そういう近現代的な歴史に何かと興味がいきます。建物の雰囲気からして、元々は何かの施設だったのかも…などと思いを馳せてしまいます。喫茶店の入り口とは思えない建物ですよね。

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●伊保駅 駅舎

初めてここに来た2003年も、この記事の2017年当時もこのアングルの姿は殆ど変わっていません。

駅を出ると、この狭い路地を通って、左側に商店が1軒あって、ここで右折するところの踏切を渡って街へ出ます。

駅舎は荒井駅のように横長ではなく、完全に小屋状というか小さな建物としてポツンと存在しています。スペースのせいか建物としてはこれが限界というところでしょうか。踏切渡ってすぐがこの撮影地点なので、車など乗り入れるスペースがありません。

荒井の駅前は店がコロコロ変わったりマイナーチェンジを繰り返していますが、この伊保駅前は変わらず、ある意味落ち着いた街並みが迎えてくれます。

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こんな感じで、荒井駅・伊保駅でした。

2018年10月21日 (日)

阪神/尼崎駅 (兵庫県尼崎市)

兵庫県尼崎市の阪神/尼崎(あまがさき)です。

尼崎市では前回JR尼崎駅をupしたばかりですが、今回は阪神電車の同名駅の御紹介です。

-阪神/尼崎駅
【路線】阪神本線(梅田-元町間)
       阪神なんば線(尼崎-大阪難波間)

【開業】1905年4月12
【訪問】初訪問-1995年9
【1日あたり平均乗降車人員】52,383人/日 (2016年)  
【近隣の主要駅(梅田方面) 梅田駅→8駅 
          
 (元町方面) 今津駅→7駅
           (大阪難波方面) 大阪難波駅→10駅

●駅名標

JR尼崎と同名の、市名を名乗る駅ですが、JR駅とは約2kmの距離があり、バス移動して10分以上かかります。

阪神では三宮以東ですべての列車が停車する唯一の駅であり、利用者数は阪神では4位という大規模駅です。ちなみに上3位は梅田、神戸三宮、甲子園の各駅で、甲子園は球場へは勿論利用者数大ですが、年平均でもこんなに多いとは思いませんでした。

特急は梅田→当駅→西宮と続きますが、梅田、西宮の両駅はこの尼崎から8駅あり、結構すっ飛ばします。

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●ホーム

4面6線の高架駅です。

JR尼崎ほどの規模ではありませんが、阪神ではかなり大規模を誇る駅であり、電車も頻繁にやって来ます。

阪神の本線だけでなく、大阪なんば線へも分岐しています。

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●ホームから見えるもの

この高架ホームからこのように眺めると、素晴らしいものが2つばかり見えてきます。

尼崎城と赤レンガの建物です。

尼崎は城下町でありながらその側面をあまり知られていない感があったのではないかと思いますが、JR尼崎駅からだと確かにその片鱗も窺えません。

しかし、この阪神尼崎駅付近には以前から尼崎城跡があり、尼崎城跡公園となっていてそれなりに城下町を感じさせる風貌となってはいました。でもここに見えているような天守閣があるものとは程遠く、この天守は現エディオンの創業者が私財を投じて市の為に貢献したいとの想いから建設着手され、来年春には一般公開されるという事です。

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●モンパルナス

阪神尼崎駅舎の代名詞的存在のお店として、この「モンパルナス」が構内にあります。

モンパルナス、とは今は亡き「パルナス」の意志を継承するロシア菓子を主力とするお店で、パルナスといえば現在40代後半以上の関西人なら大抵は知っている独特のCMで大変有名なお店です。日曜の朝から当時の子どもたちをなんとも言い知れぬ不安の底なし沼へ引きずり込んだそのCMは一度YouTubeで「パルナス」と検索して是非とも見てほしいものです。

残念ながらその本家「パルナス」には一度もお世話になる事なく、21世紀初頭に会社が事業清算してしまったので、この意志を継ぐ「モンパルナス」には是非一度行きたかったのですが、この時ようやく念願叶ったのでした。

パルナスといえばピロシキなんですが、個人的に食べれないので、ここではピラフを頂きました。オーダーを取りに来た方々を何人か見かけましたが、いずれもロシア人っぽかったです。そういう方々を採用しているのか連れてきているのか…?さすが本流がロシア菓子店!と思いましたが実際のとこどうなんでしょうか…??

かつてのパルナスの味は今、日本でここだけに継承されています。パルナスファンの方には是非とも足を運んで頂きたいですね。

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●阪神尼崎駅 駅舎

この駅舎写真以外、ここまでは2018年10月(つまり今月)の様子だったのですが、ここから下の写真だけは2006年11月当時のものにてお送りしています。

もう12年も前の姿で、今とは全然違うのでは??となりそうですが、駅舎としては正直あまり変わっていませんでした。ここだけ昔のものを載せている理由は、この時に駅前が「尼崎市民まつり」という事で、いろんなお店や人でいっぱいで駅舎が隠れてしまっていたので載せられず、この当時のものを載せた訳です。

当時のこの「アンスリー」というコンビニは現在は「アズナス」と名を変えて営業をしています。

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2018年10月13日 (土)

JR尼崎駅 (兵庫県尼崎市)

兵庫県尼崎市のJR尼崎(あまがさき)です。

尼崎市は、兵庫県の南東部に位置し、人口は450,721人(2018.4.1現在)です。兵庫県では神戸市、姫路市、西宮市に続いて第4の人口を誇る都市です。

大阪府以外の自治体で大阪市と接している唯一の自治体で、限りなく大阪に近い兵庫という感じで、阪神工業地帯の中核をなす「工都」の側面がつよく、また城下町の側面もあり、寺町としてズラリと寺社が並ぶ歴史的な部分も色濃く残っています。

-JR尼崎駅
【路線】JR東海道本線(東京-神戸間)
      福知山線(尼崎-福知山間)
      東西線(尼崎-京橋間)

【開業】1874年6月1
【訪問】初訪問-1998年6
【1日あたり平均乗車人員】45,110人/日 (2017年)  
【近隣の主要駅(東京方面) 大阪駅→2駅 
           
(神戸方面) 西宮駅→3駅
           (福知山方面) 伊丹駅→3駅
           (京橋方面) 北新地駅→5駅

●駅名標

JR東海道本線に属していますが、福知山線へも始発駅として分岐し、更には20世紀末1997年3月に京橋駅とを大阪環状線を横切る形で、こちらは終着駅として分岐しています。東西線では環状線を横切りつつ、大阪駅と長い通路で繋がる北新地駅も通ります。

大阪駅から西へ2駅、東から入ると東海道本線でここからが兵庫県、というまさに兵庫の東玄関駅にして3路線を持つキー駅で、東海道線では新快速が停車します。

この駅名標では、立花は東海道本線で西の駅、塚口は福知山線で北の駅、というここから見た位置づけです。

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●ホーム

端へ行けば青空のもとへも触れられますが、エスカレータの間は上がコンコースになっていて、このような暗いものが覆っているかのような感じです。このコンコースは単なる通路ではなく、店舗も入っているので、結構なスペースとなっていて、その分この暗い空間が広い訳です。

ホームは4面8線もの広大なものとなっていて、JR神戸線・京都線(ともに東海道本線)、東西線、福知山線(宝塚線)で東西線以外は複数その線路が使用されています。

東海道本線では新快速が停車する駅で、神戸、三宮、芦屋、尼崎、大阪、新大阪…へと続いていきます。芦屋に新快速が停車するようになるまでは、三宮からここ尼崎まで新快速がノンストップにつき、電車で立つ事を余儀なくされる時は辛かったものです。現在の芦屋~三宮間もあまり変わりませんが。

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●線路の上から

殆ど屋根に覆われたホームで、逆に青空にさらされた所が皆無でした。

真横にエディオンがあり、駅南すぐ直結状態です。

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●構内

駅構内は改札内でも店舗が複数あり、本屋さんに飲食店が並んでいたりと、さすが新快速停車駅にして複数路線に分岐しているキー駅というところです。

かつては姫路市より人口が多く、合併した姫路市には抜かれましたが、兵庫県きっての都会駅の雰囲気じゅうぶんです。

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●駅北

駅南はEDIONと直結していますが、北側は尼崎キューズモールなどと直結しています。

かつては駅の真北はKIRINビールの工場がありましたが、2009年にCOCOE(ココエ)という商業施設がオープンし、2013年に現在の尼崎キューズモールとなっています。Q's MALLは大阪にてあべのや森ノ宮にも存在していますが、これらは東急不動産が運営しているブランドであるとの事です。

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●バスのりば周辺

こちら側はマンションが立ち並んでいる駅前広場周辺です。

バスは阪神尼崎駅と繋がっていて、少し時間をかけながら走っていました。

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●ブリッジ

尼崎駅北口から向かいへと伸びている歩道橋の様子です。

この円形の柱?で覆われた通路はまるで未来都市の道路のようです、個人的な感覚ですが。

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●円盤

のようなこの踊り場部分が尼崎駅の特徴的部分のひとつかもしれません。

クラゲの本体から足が出ているようにも見えます。

ここから少し離れた阪神尼崎駅はどっしりとした建物ですが、こちらはいろんな形が存在する幾何学的空間を生み出しまくっているようにも見えました。

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●尼崎駅 駅舎

これが駅舎全体ではもちろんありませんが、この駅は全体像の捉えどころがないというか、どう撮れば全体が写るのかよく分からず、とりあえず駅名表示がはっきりある側を撮りました。

この右側に隠れた部分が、キューズモールなどへ繋がる道を有する辺りになります。

兵庫県内のJRで6位の利用者数を誇る駅だけに、駅デパートこそありませんが、大規模な駅舎となっています。

阪神の尼崎駅とは約2km離れていてバスで繋がるのみであり、また10分程度(料金は210円)かかります。ちなみにバスは前のりでした。

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2018年1月27日 (土)

兵庫/丹波 青垣・加古川源流を追いかけて

兵庫県丹波市、旧・青垣町の様子です。

(2004年7月当時)

●R427青垣交差点

唐突に青垣という地名を出してきましたが、その前に丹波市については、当ブログではJR柏原(かいばら)をupした事があります。「丹波」というぐらいで、兵庫県でも少なくとも北にはある事が窺えると思います。

今回はその柏原とは全然違う丹波市の風景の御紹介です。ここへは鉄道でなくバイクでアクセスしたため、関連がない形となっています。

この青垣という地区ですが、兵庫県にあり京都府福知山市と接している県境の町で、また「加古川」という山陽側まで流れている川の源流とされる町でもあります。その加古川の源流をたどるべく、ここに寄ったのでした。実に13年半も前の2004年夏の風景です。

アクセスとして、

自動車では「舞鶴若狭自動車道」の春日IC⇒「北近畿豊岡自動車道」の青垣ICを降りると、程なく「道の駅青垣」があり、市街地へはそこから北西へ少しといったところです。

交通機関を使用する場合は、最寄駅はJR柏原駅ですが、ここから約50分で着くものの、平日に1本、休日には無いようです。(神姫バス 柏原⇒佐治行き)

高速バスでは青垣ICにバス停があり、和田山駅まで30分、豊岡駅までは1時間30分、阪急三宮までは1時間50分程度の時間がかかりますが1日に6本程度あります。

ここは青垣地区内の主要道である国道427号線のあたり、山に挟まれた実にのどかな風景がありました。

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●加古川源流の里

先に書きましたが、ここ青垣は「加古川の源流」とされる地域で、地図で見ていても加古川の川のラインがこの地域内で途絶えています。ここにもその事をアピールする標柱が建っていましたが、この当時は丹波市ではなく、氷上郡青垣町という、この青垣自体が自治体名であった為に、このように売出し文句が表現されていたのだと思います。

また、そんな源流である事をウリに「丹波源流米」というお米も出ているそうです。

たまご直売の看板がありましたが「放し飼い」という表現が(笑)

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●道の駅駐車場

青垣IC降りてすぐの「道の駅あおがき」にやってきました。

ここは、道の駅としては1997年に開業し、この写真は2004年当時であったので、まだ開業10年に満たない頃でしたが、今Webで検索しても、あまり変わりはないようです。

ここは駐車場周辺の様子ですが広々とスペースが取られていて、地域柄というか広大な土地のある地域性が感じられました。

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●道の駅あおがき

こちらは本体です。営業時間は8:30~17:00です。

今も建物としてはこのまんまのようです。

そもそも道の駅というものは、鉄道駅のようにグレードアップ的なものはあるのかな??と思った事がありますが、きっと老朽化に伴っての改築というのは出てくるものと思っています。まだ発足して長い歴史を持つところがないので、先行きはよく分かりませんが。

軒先には手書き看板がズラズラと並んでいて、大変味のある雰囲気でした。

黄色い幟の出ている「まるちゃん」はこんにゃくです。「おいでな定食」というざるそば定食が人気のようです。

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●加古川の源流?

これを辿ってバイクで、川とされる部分を横目に走って行ったのですが…

これが源流なのか??

というような消化不良な感じに終わりました。

ここが始点、みたいなものがある訳ではないようで(いちいちどこの川にもそんなものはないかもしれませんが…)、「加古川源流のまち」と謳ったいるからには、そういうはっきりした地点の標識とかあるのかな?と期待してしまいました。

川の水が途切れる、まさにその部分を見つけられれば良かったのですが…、なかなかそんな風景を他のサイトでも見つけられないですね。どなたか加古川の源流で、ここで川の水が途切れる!という地点を、これを見て見に行く方があれば幸甚の極みです。

以上、丹波市からは青垣地区でした。

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2017年12月 6日 (水)

兵庫/加古川① 【悲報】宝湯 れんばい相次ぎ閉店

兵庫県加古川市、JR加古川駅近辺の一角で今、歴史の転換点を迎えつつあります。

それは

宝湯 閉店 2017/11/9

そして

れんばい 閉店 2017/12/20(予定)

の2つが同時期に、その長い歴史に幕を閉じます

まずは、宝湯!

●宝湯

加古川に唯一残る純然たる銭湯でしたが、おしまれつつこの11月9日に閉店となりました。

全然前触れを知らずに、いつかここへ入りに行きたいと思っていた矢先で、閉店に気づいたのは11月20日頃の事でした。

いかにも昔懐かしい雰囲気の銭湯で、ここにも掛かっている暖簾がそれをまた引き出していました。

JR加古川駅から南西へ歩いて10分程度の所にありますが、閉店となった今も建物はそのまま残っています。まだ先月の事ですけどね。

昭和初期からの建物という事だけで、詳細な歴史は不明ですが、80年からの歴史はあったと思います。

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●お好み焼き屋と旧銭湯

宝湯から西へ歩いて5分程度の所です。

元お好み焼き屋と右隣に銭湯だった所が建屋のみ残っています。4枚あるうちの2枚目の写真には今も残る煙突が見えています。

いちばん下の写真には間口に「xx湯」と湯の字は見えますが、それ以外が分からず、と思っていたら、標識がありました。 「友栄湯」です。1990年代はまだ営業していたのでは?という感じで、2000年代初頭も?という気もしますがいつ廃業か定かではありません。この辺りは旧・友栄町といっていたのでそこから取られたようです。

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●長屋群

友栄湯からまた東へ宝湯方面へ戻り、更に少し南へ進むと、ゴツゴツとした瓦屋根と独特の同じ塀が並ぶ、長屋のような家並みが続くエリアがあります。

建物が画一的で、集団住宅?ではありませんが、どこかの社宅的な使われ方をしていたのかな?とも思わされるような家並みでした。昼でも少々ゴーストっぽい雰囲気でしたが、夜はもっと怖そうな気がします。

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●れんばい

かこがわ廉売食材市場とあります。

「れんばい」は廉売、つまり廉価販売、安い価格で売るという事ですね。

1927年に加古川市の公認市場第一号として開業し、これまで90年にわたりこの地域の食を支えてきたこのスーパー、近代化の波に抗うような佇まいが大好きでしたが、ついにこの12月20日に閉店が決まり、現時点でもうあと半月しかなく、 あと半月で"れんばい"が閉店してしまう、この事だけはこのタイミングで是非ともお伝えしたいと思います。営業している廉売を見れるのは、あとこの半月限りです。

このスーパーの独特なところは、中に占いコーナーがあります。やっていない事も多いですが、何月うまれは何々…といった事を書いてあったり。

ただ、組合員が減り、高齢化し「これ以上は経営が成り立たない」旨新聞にありました。何ともさびしい…こういった如実に街を表わすものこそ残ってほしいのですが、どんどん消え去ってしまいます。

その歴史を終える前にれんばいの記録をこうしてupするのもまたいいものかとも思いました!

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