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27兵庫県

2017年9月26日 (火)

山陽電車/東二見駅・西二見駅 (兵庫県明石市)




兵庫県明石市の山陽電車/東二見(ひがしふたみ)駅です。

明石市では、JR明石駅などをupしていますが、山陽電車の駅も多数あり、今回は初めて山陽電車の駅をupします。

今回は2駅紹介しますが、まずは東二見駅から。

-山陽電車/東二見駅-
【路線】
山陽電車本線(西代-山陽姫路間)
【開業】1923年8月19日
【訪問】初訪問-2003年2
【1日あたり平均乗車人員】 4,232人/日 (2015年)
【近隣の主要駅 (西代方面)明石駅→8駅
           
(山陽姫路方面) 高砂駅→6駅

●改札周辺

これは2003年か2004年ごろのものと思われます。日付が定かではなくすみません。

中にあるものは今と違っている部分もあるかもしれませんが、基本この形ではあると思われます。

と思って調べてみたら、コンコースや出口辺りが改修されていて、割ときれいになっていました。改修後のこの駅には寄った事がないので、この記事では改修前の姿をお送りします。これは改修後の姿を見に行かねば…というところです。

山陽電車で特急の停車する駅であり、やや格上感はあります。この橋上駅舎スタイルにもその事が見て取れます。沿線の駅は大抵改札出たらすぐ出口という感じなので。

同じ明石市内の山陽電車駅には中心駅である明石駅がありますが、この明石駅と当駅のみが市内での特急停車駅であり、山陽電車の明石市内では№2の駅という言い方もできるかと思います。

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●駅南出口

これも旧駅の構造で、改築はされたようですがあまり大きくは変わっていないようです。外観は結構変わっていますけど。

南口を出て、まず階段を下りるのですが、右へ曲がるとそのまま出口へと出て、直進すると駅前の幹線道を横切る歩道橋へと繋がります。面白いのはこの踊り場に一旦降りて、また階段を上がって歩道橋に至り、となっていて、この踊り場が山であり谷であるというところです。

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●南口道路

駅から繋がる歩道橋から見下ろした様子です。

駅前広場スペースが皆無で、駅を出るとすぐにこのような幹線道です。

駅前スペースに相当する部分は、当時は殆どが自転車置場でしたが、今はどうなのでしょうか…??10年ちょっと前の様子ですが、この古めかしい店たちはどれほど残っているのか??これは近いうちに再訪して確認しなければ!というところです。

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●東二見駅 駅舎

南口の駅舎です(当時)

今は構造はあまり変わっていないようですが、かなりきれいになっているようです。

このコンクリート丸出し色のような色が渋くて良かったんですが、時の流れはなかなか何もかもそのままにはしてくれないんですよね…在りし日の記録という事で。

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●駅北口

当時の駅北口の様子です。

南口は幹線道沿いにありますが、北口は少し裏道感があります。

賑わい度合いも違いますが、といって南口が人がワンサカ歩いて賑やかそのものという訳ではありません。

とにかく最新情報を記録と記憶に残してこなければ、と強く思った東二見駅でした。

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-続いて、隣の西二見駅です-

-山陽電車/西二見駅-
【路線】
山陽電車本線(西代-山陽姫路間)
【開業】2004年8月21日
【訪問】初訪問-2004年8月?
【1日あたり平均乗車人員】 2,672人/日 (2015年)
【近隣の主要駅 (西代方面)東二見駅→隣駅
           
(山陽姫路方面) 高砂駅→5駅

●駅名標周辺

何を隠そう「山陽電車で最も新しい駅」で、2004年8月に開業しています。これは山陽電車にとって実に46年ぶりの新駅開業だったそうです。

それまで播磨町-東二見間で2.6km程度あった駅間の真ん中にこの駅ができたのですが、真ん前に「イトーヨーカドー明石店」が開業翌月の2004年9月にでっかくオープンし、これに伴ってこの駅ができた感が強いです。

山陽電車の明石市の駅で最西端がそれまで東二見駅でしたが、当駅の開業に伴い、この座もとって代わる事となりました。

ちなみにこの駅に初めて来たのは開業前後の2004年ですが、ここでの写真は2016年再訪時のものです。

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●ホーム

2面2線ホームです。きわめてスタンダードな山陽電車仕様のホーム規模といった感じです。新駅だからと特別な事も無く。一応3,500人/日ほどの乗降人員を見込んでいたようですが実際は現在5,000人強/日の乗降人員を記録しています。

それにしてもこの駅で一つ目につくのが、所々に彩られているこの「オレンジ」色です。駅の外も結構なもんですが、まずはこの駅内を見てほしいものです。まだまだ若い駅で綺麗さも十分感じられます。

JRでは姫路市を中心に新駅がよく誕生していますが、山陽電車ではここだけで、当時の盛り上がりもいまひとつだった気がします。

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●階段

ここは地区通路で繋がっている形で、開業後10年少し経っていますが、壁面のきれいな事。ピカピカ感がそこかしこにあって、他の駅のもつ渋さはここにはありません。

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●地下道と近郊案内

ホームから降りた地下改札の辺りには、近郊案内の地図と南北両出口の付近の主要施設を載せてありました。北出口があるのをこうして撮った写真を見て初めて認識しました。南側しか出口ないのかと思っていたので、北口がどんな姿なのか想像がつきませんいまだに(笑)

学校を中心に書かれていますが、南口はなんといってもイトーヨーカドーがあります。

で、タクシーのりばは南口にという事で矢印が入っています。バスも通っていて、JR土山駅への便があって、これでJR駅とを結んでいます。

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●駅前道

南口にしか出てきていないので、ここからは全て南口に関する写真になりますが、これは駅から出て南へまっすぐに伸びる道路の様子です。イトーヨーカドーはこの左に隠れた部分にあたります。

この道の向こうは県道に出くわすだけで途中で途絶えてしまいますが、海沿いの公園の手前まで行く格好になります。このまっすぐ伸びている道よりひとつ東の道は、南へ直進すると二見人工島と呼ばれる工業地帯に出くわします。

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●駅前広場

イトーヨーカ堂も覗いて見える駅前広場です。ヨーカ堂との距離感はこんな感じ、ちょっと遠く見えるかも入れませんが、本当に歩いてすぐです。

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●西二見駅 駅舎

内装もそうでしたが、それ以上にこの外観がオレンジ色の目立つ駅舎です。

沿線の他の駅が改札出るとすぐ外なのに対して、ここは改札外は地下道なので、改札を出ても外へ出ずに滞留する事も出来ます。何かお店とかある訳ではないので、滞留しても仕方ありませんが。

そんなこんなでこの新しい駅に括目せよ!とうところです。

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2017年9月16日 (土)

山陽電車/別府駅 (兵庫県加古川市)

兵庫県加古川市の山陽電車/別府(べふ)駅です。

加古川市では、JR加古川駅はじめupしており、山陽電車でも最近、尾上の松・浜の宮という駅を御紹介しましたが、これらと共に加古川市内の山陽電車3駅を構成している残りが当駅です。

-山陽電車/別府駅-
【路線】
山陽電車本線(西代-山陽姫路間)
【開業】1923年8月19日
【訪問】初訪問-2003年2
【1日あたり平均乗車人員】 4,759人/日 (2015年)
【近隣の主要駅 (西代方面)東二見駅→3駅
           
(山陽姫路方面) 高砂駅→3駅

●駅名標周辺

大分県の温泉で有名な「べっぷ」と同じ漢字を書きますが、ここでは「べふ」と読みます。

神戸市西区にも「北別府」という地名があり、こちらも「きたべふ」と読みます。

隣駅は片側は浜の宮であり、加古川市内の山陽電車3駅では最東端となり、もう片側の隣駅「はりまちょう」は現在の播磨町というそっくりそのまま自治体名となっています。かつては「本荘」という駅名でしたが。

加古川市内の山陽電車3駅中では、唯一の高架駅舎となっていて、また利用者数も尾上の松、浜の宮に比べて倍程度あります。明確な中心駅ではありませんが、3駅中では最も栄えている駅といえるでしょう。

ちなみにこの記事での写真は2016年訪問時のものが中心ですが、たまに初訪問時の2003年当時のものを断りを入れて載せていきます。

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●ホーム

高架で2面2線のホームです。

加古川市内の3駅はすべて特急停車がなく、そういう意味では同列の扱いとなりますが、駅前にヨーカドーのようなショッピングセンターをもつ駅は当駅のみです。

加古川市内の乗客はもちろん、隣の播磨町からの乗客もあります。また、1984年までは別府鉄道という鉄道が交差していました。

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●新幹線と並走

右側が山陽新幹線で、このように並走している状態です。

加古川市には残念ながら新幹線の駅がありませんが、新幹線は通っているという状態ではあります。

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●北口俯瞰

ホーム北側から見下ろした様子、新幹線との間の通路が北出口として1本道が短く通っています。

街は反対の南口に広がっています。

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●ホーム階段

高架ホームから下りる階段です。

尾上の松も浜の宮もホーム階段を下りる形となっていますが、これらは地下道を通って改札に出る構造になっていて、当駅はそのまま階段を下りて地上改札に至る構造です。

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●駅構内

高架ホームから降りてきて、1F部分の改札を出ると、駅スペースは高架下のこの1本道のみです。

3段の階段が元々あったものにスロープを追加してバリアフリー対応にしたのかな、という感じが見て取れます。

駅構内にコンビニがあるとかそういったものは特にありませんが、他の駅が改札出るとすぐ出口である事が多いのに対して、ここはこの通路があり、たまにこの通路で滞留している人も居たりします。

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●北出口(駅舎北口)

ホームから眺めた様子は先ほどの写真にありましたが、ここでは降り立っての様子です。

北口は基本的に通路だけで、この通路を過ぎて新幹線沿いの道に出てから街へと繋がります。

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●北出口2003

初めて訪ねた2003年当時の同地点です。

基本変わりませんが、上の2016年の写真には駅舎にエレベーターが取りつけられているのが最大の違いであり、この2003年版はそれがなく、駅名の表示もありません。

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●南口 駅前広場

北口は通路だけでしたが、南口はこのように駅前広場のスペースが取られています。

下2枚中、上側の写真は全くの出たところで、下側は出た後に駅前広場を横から(左から)撮った形のものです。

真ん前にはパチンコ屋やコンビニがあり、広場はタクシーが停まっています。尾上の松や浜の宮ではタクシーのりばはありますが、停まっていない事もあり、ここでは大抵タクシーが停まっている印象があります。

また駅前広場を出て右にそれると、幹線道沿いにカフェやミスタードーナツなどがあります。その向こうにはイトーヨーカドーがでっかく建っていて、駅前を象徴する、また核となる大規模ショッピングセンターです。

バスは加古川駅方面へ、小型車体の「かこバス」が出ています。

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●別府駅 駅舎

南口の駅舎です。

高架駅だけあって規模の大きさを感じます。ですが、駅内に特別な設備がなく、ただひたすら駅の設備のみで構成されています。

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●別府駅 駅舎2003

2003年当時の駅舎です。

現在に比べて駅名表示がかなり大きくて、違う建物のようにも思えます。基本的にエレベーター設置による違いが大きいのですが、駅の面の部分もここではだいぶ変わったようです。味のある駅名表示が消えたのは少々残念ではありますね。

この時は自販機群もこのようにありましたが、現在は撤去されています。

そんなこんなで別府駅をお伝えしてきましたが、当ブログで加古川市の駅はこれにて全駅up完了と相成りました。街の様子もいつかはupしなければですね、ネタはあるので…

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2017年8月 5日 (土)

山陽電車/尾上の松駅・浜の宮駅 (兵庫県加古川市)

兵庫県加古川市のJR尾上の松(おのえのまつ)駅と浜の宮(はまのみや)駅の2駅につきお送りします。

加古川市では、JR加古川駅東加古川日岡駅・神野駅 などをupしていますが、今回は山陽電車の駅の御紹介です。

-山陽電車/尾上の松駅-
【路線】
山陽電車本線(西代-山陽姫路間)
【開業】1923年8月19日
【訪問】初訪問-1997年6
【1日あたり平均乗車人員】 2,027人/日 (2015年)
【近隣の主要駅 (西代方面)東二見駅→5駅
           
(山陽姫路方面) 高砂駅→隣駅

●駅名標周辺

初訪問は今から20年も前ですが当時の写真はなく、最新の2016年訪問時のものをあげていきます。

山陽電車では、加古川市の駅として別府(べっぷではなく「べふ」 )、浜の宮、そしてここ尾上の松とありますが、そのもっとも西端の駅で、隣は高砂市の高砂駅となります。

また、この加古川市の3駅はいずれも特急停車がなく、この駅の隣の高砂駅は停車しますが、これより東で次に特急停車するのは、加古川市を越えて明石市の東二見駅となります。

近くの尾上神社の松は「高砂」にも詠まれている伝統あるもので、ここから「尾上の松」の名がきています。

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●イラスト駅名標

がありました。

聖徳太子ゆかりの寺院にして加古川市の目立った観光地である「鶴林寺(かくりんじ)のイラストが前面に出されています。

ここから鶴林寺へは約1.5kmあり、隣の浜の宮との中間地点というかこの3つが三角形を描くような位置関係にあります。また、JR線路とこの山陽電車線路はほぼ平行に走っており、ここから真北にJRの加古川駅があり、距離にして3km余りといったところです。加古川駅へはバスがおよそ30分に1本の割合で出ています。

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●ホーム

2面2線のホームです。

この沿線の特急停車しない駅は大体がこの形で、高砂駅などは特急待ちで停車している普通電車があったりするので、2面4線あります。

跨線橋はなく、両ホームを繋ぐ地下道で出口へ向かう事となります。

屋根のあるエリアはほんのわずかです。

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●ホームから地下階段

出口への地下階段のすぐ上にベンチがありましたが、階段を下りていくと何やらカラフルな点のようなものが。

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●地下通路

階段を下りて地下の通路には全面的にイラストが描かれていました。

沿線の駅のいくつかはこんな形でイラストがあり、このブログで他の駅についても紹介できれば、と思います。

このイラストは地元の加古川西高美術部の手によるものだそうです。

ブタに風船を括り付けて飛ばそうという発想が、なんだか夢があって?いいなと思いました。なんとか浮き上がっている感もなかなか(笑)

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●駅出てすぐ

地下通路を上がってくるとすぐに改札に行き着きます、基本的に無人駅です。

そしてその改札を出てすぐの目線がこのような形です。

駅前広場はこれを左に進んですぐの所にあります。

昔ながらの雰囲気のお店が真ん前にありますが、駅前売店のような位置づけでしょうか、おそらく昔はもっと栄えていたと思いますが、かなり中身は縮小されてきている感じがします。

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●駅前広場

改札出てすぐ左の道路を通っていくと駅前広場が見えてきます。

更に左へ曲がれば下側の写真のような景色になりますが、ここにはバス停があり、加古川駅行きのバスが出ています。そのバス停のバックに建物が写っていますが、かつての駅前スナック街の雰囲気溢れるものでした。見えているのはお好み焼き屋のみで、この建屋の中に入った事がないですが、スナック街のような雰囲気でした。

ここではタクシーが停まっていませんが、停まっている時は真ん中のロータリーの時計塔付近に停まっています。

広場向かいには「尾上の松駅前綜合市場」がありますが、営業しているお店はわずかで、昭和の佇まいが色濃く残っています。

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●尾上の松駅 駅舎

入ってすぐの所に改札機が並ぶ無人駅舎です。

沿線の他の駅も同様のスタイルであり、画一的で個性はあまり感じられないです。改札入るや地下通路通ってホームへ行くだけで、滞留スペースも皆無です。

横に自販機が多数ありますが、こういうのも真ん前の店が縮小する要因のひとつかなと思ったりもしました。

直角に道路が曲がるその部分にこのように駅舎がある形となっています。

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以上、尾上の松駅でした。

 

続きまして、浜の宮駅です。

-山陽電車/浜の宮駅-
【路線】山陽電車本線(西代-山陽姫路間)
【開業】1923年8月19日
【訪問】初訪問-2003年
【1日あたり平均乗車人員】 2,464人/日 (2015年)
【近隣の主要駅 (西代方面)東二見駅→4駅
           
(山陽姫路方面) 高砂駅→2駅

●駅名標と時刻表

山陽電車加古川市3駅の真ん中に位置し、両隣はいずれも加古川市の駅です。

ダイヤ的にはほぼ15分に1本、通勤時間帯はやや増えて、終電は24時台という形ですが、このあたりは先の尾上の松駅も同様です。

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●ホーム

この駅の初訪問は2003年で、かなり以前より時々利用機会があったのですが、去年行ったら黒い建物が取って付けられたようにありました。

この駅記事の写真も2016年Verですが、バリアフリー化がなされていて、渡線橋とエレベーターが設置されていたのでした。2015年には完了したとあり、この時は割とその後の日の浅い時期と思われます。(去年の話ですが…)

山陽電車の加古川3駅では特急は停車しないし、高架なのは別府駅だけで、という状態でしたが、この駅はバリアフリーで進歩し、尾上の松駅だけが今のところ設備的なウリのない状態?というところでしょうか。

しかしあまりにも取って付けた感満載のカラーリング、が第一印象でした。

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●階段付近

エレベータ用渡線橋がありつつ、従来の地下階段もある形で、基本はこの地下通路で繋がっている構造です。

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●地下通路

この駅の地下通路も尾上の松駅同様、壁画となっています。

尾上の松駅の壁画は加古川西高校の、この駅の壁画は加古川南高校の美術部の手によるものであるとの事です。下半分が街や建物を中心とした絵で、上半分はプレゼントのような箱を持った子が相手に手渡そうとている感じのものでした。

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●駅前広場

右側に隠れている部分が浜の宮駅になりますが、向かいに「ビジネスイン松葉」というビジネスホテルがあるという、駅前にホテルがある点ではなかなかポイント高いなと感じます。

これと別に「ビジネスホテル松葉」というホテルがありますが、これは隣の尾上の松駅の近く(駅前ではありませんが…)にあるホテルで、この系列がここにあるビジネスイン松葉だという事です。

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●バス停

駅を出て、駅前広場の左側にこのようなバス停標識が2本立っています。いずれも「かこバス」という加古川市のコミュニティバスのものです。

真ん前には自転車置場があります。最近はこういう形の地上集中型の置場が少なくなってきたな、と感じますが。

バスはJR加古川駅行きと、別府・海洋文化センター前行きの2系統があります。JR加古川駅へは約20分かかります。

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●浜の宮駅 駅舎

尾上の松と同じような、入るなりすぐ券売機があって、すぐに改札機があるような、滞留性の低い?構造の駅舎です。やはり電車を待つだけの施設という感じです。

それにしてもバリアフリー対応の渡線橋が異常に目立ちます。ここで見てもいかにも、取って付けた感満載でした。小さな駅舎に大きな渡線橋というアンバランスさが新たなウリになるのかも? 画としてとても面白いと感じました。

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●駅前2003

ここからは初めて訪ねた2003年当時の様子です。

まずは駅前広場ですが、今と違うのはビジネスホテルの下の階にトーホーというスーパーが入っていた事で、今はFamily Martとエディックという学習塾が入っています。

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●駅舎2003

駅舎の2003年当時の様子です。

基本的に同じ建物ですが、綺麗に改装されています。

屋根がゴツゴツしていたものがきれいになっていたり、この当時は窓があったものが無くなっていたり、建物が全体的に明るい色に変わっていました。駅名看板が変わっていたのはすぐに分かったのですが、建物がこんなに変わっている事は、ここでこうして見比べるまで気がつきませんでした。

今のように渡線橋などないので、何の変哲もない普通の駅という感じでした。でもこういうのを記録として残しておいて見比べるというのは面白いものですね。今の駅も10年経ったらどこかしかは変わってるだろうな、と感じます。

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2017年4月 7日 (金)

JR朝霧駅 (兵庫県明石市)

兵庫県明石市のJR朝霧(あさぎり)です

明石市では、JR明石駅JR西明石駅JR魚住駅、JR大久保駅、そして山陽電車/西新町駅をupした事がありますが、これらに続いての駅記事です。

-JR朝霧駅-
【路線】
JR山陽本線(神戸-門司間)
【開業】1968年6月20日
【訪問】初訪問-2003年2月
【1日あたり平均乗車人員】 17,098人/日 (2015年) 
【近隣の主要駅 (神戸方面)神戸駅→9駅 
           (門司方面)明石駅→隣駅
 

●ホーム

JRではこれまで明石、西明石、魚住、大久保といった駅の記事をupしてきましたが、唯一の未upであった明石市のJR駅がここでした。今回をもって、明石市のJR駅を全部記事にした事になります。

明石市のJR駅では最東端にあり、市名を名のる明石駅が西隣、これより東が神戸市になる舞子駅が東隣になります。2001年の花火大会での歩道橋事故のイメージがどうしても付きまとうところで、この事件の影響で結果的に花火大会はなくなっています。

隣の明石駅、その隣の西明石駅は新快速が停車し、東隣の舞子駅は快速が停車しますが、これらに挟まれる当駅は普通列車のみの停車となっています。

この駅の初訪問は2003年2月頃ですが、その後何度か訪ねてはいるものの、画像のきれいなものがなかった為、2017年1月に訪問した分を今回記事用に載せています。

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●ホーム

海辺はすぐそこにある駅で、その海側を眺めてのカットになりますが、ここに走っている電車はJRのものではなく、平行に走っている「山陽電車」の車両です。

JRの線路、その南に山陽電車の線路、さらに南は国道2号線、さらにさらに南は大蔵海岸ときて、海というロケーションです。

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●歩道橋

朝霧駅を出て海側へ続く歩道橋です。

これがその事故のあった歩道橋で、海側へ行く人と反対側へ戻る人とがぶつかり合う格好で滞留状態になったといいます。この向こうの海岸にはバーベキューサイトがあります。

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●ホーム2

西側に向かっての視線です、向こうが明石駅という形です。

ホームは1面2線です。普通列車しか停車せず、この辺りでは比較的本数が少なくなります。

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●ホーム3

ここに見える歩道橋は、ホームから上がって改札へ至るまでの通路で、右側の建物が駅舎になりますが、その中に改札があります。

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●階段&エスカレータ

ホームからこれを上がって、その先から線路を跨ぐ通路を渡って改札、の流れとなります。

1面2線で普通列車とか停車しないというスペックの低さでもエスカレータがついているのは、さすがはこの沿線だな、というところでした。

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●明石海峡大橋

が駅のホームから見えます。

ちょっとうっすらな感じですが。

東隣の舞子駅は大橋を渡るバスが出ていて、ほぼ橋と直結状態ですが、この駅はそこから1駅分離れた格好です。それでもこのくらいにはよく橋が見える訳です。

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●駅出て目線

短い橋を通って駅舎を出るとこんな感じです。

向こうは山側(海とは反対側)で、坂道が続いていく事となります。昔この先の病院へ同僚の見舞いに行った事があるなとか思い出しました。

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●朝霧駅 駅舎

結構広めの駅前広場スペースで、あまり車が停まっていないのどかな感じでした。

駅舎は独特の建物の骨組みが目立つ形の建屋となっています。ものすごく密度の低い建物といいますか。

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●朝霧駅2003

これは初訪問時期あたりの2003年頃の駅舎です。今と一緒です。

今回の駅舎カットでアップのものがなかったのですが、この分はアップで撮れたもので、やはり建物の骨組みが目立った感じがよく分かると思います。

この駅の開業は1968年という、珍しい昭和40年代開業の駅で、この当時で35年ほどで、来年でようやく開業50周年を迎えるという新し目の駅でした。

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2017年1月 2日 (月)

JR大久保駅 (兵庫県明石市)

兵庫県明石市のJR大久保(おおくぼ)です

明石市では、JR明石駅JR西明石駅、更には山陽電車では西新町駅などをupしていますが、これらにつづく明石市の駅の御紹介です。

-JR大久保駅-
【路線】
JR山陽本線(神戸-門司間)
【開業】1888年12月23
【訪問】初訪問-1998年11月
【1日あたり平均乗降車人員】 18,739人/日 (2014年) 
【近隣の主要駅 (神戸方面) 西明石駅→隣駅、明石駅→2駅
           
(門司方面) 加古川駅→4駅 

●駅名標

大久保駅、といえば、東京でも有名な場所にもありますし、京都府城陽市にも近鉄の駅として同名の駅があります。

JR山陽本線として、西は魚住駅から東は朝霧駅まであり、今回本駅の紹介によってすべてこのブログでは明石市のJR駅は朝霧駅を除く4駅がupされたことになります。

西明石駅が隣にあり、新幹線駅まで1駅と便利な立地ではあります。ただし、新快速は停車せず、東(大阪や神戸)からやってくると各駅停車では西明石駅までの便が多く、残念ながらすぐ手前で止まる事となります。快速電車で東から来る場合は、西明石までを数駅飛ばしながら来て、この駅から西へは各駅停車となります。

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●時刻表

新快速、快速、普通とあるとすれば、快速しか停車せず、その快速が本駅以西が各駅停車で運行している状態で、その分がここに停車するという格好です。という事で、ほぼ15分に1本、1時間に4本停車するというのが基本線となっています。

こちらに出ているのは東行きの時刻表で、神戸大阪方面のものですが、逆に西行きの方が終電は遅い形となっています。

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大正二年 横河橋梁製作所と銘打たれています。ホームの柱ではなく、ホーム内の時刻表にある柱として活用されています。かつてはホームの跨線橋に使われていた橋梁だそうで、構内ではここで使われていますが、駅前でも使われています。

ちなみにここにある社名は現在は横河ブリッジとなっていますが、東証一部上場企業として存続しています。

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●ホーム

2面4線ホームで、下の2枚のうち、上が東側(神戸大阪方面)、下が西側(加古川姫路岡山方面)です。

新快速のの停車する加古川-西明石の間にある、各駅停車する4駅(東加古川、土山、魚住、大久保)で、最も早く橋上駅舎化された駅で、1996年に橋上化されて両側に出口のある形になっています。以後、土山(2003年)、東加古川(2006年)、魚住(2008年)の順に橋上駅舎化となり、今ではこの間の全駅が橋上駅舎となっています。

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●南側

ホームから見た駅南側の様子です。

「VIVRE」の看板が見えていますが、駅南口がイオン明石ショッピングセンターと直結されています。

1997年10月に「マイカル明石」として開業し、ここに写っているVIVREやSATYなどの複合のショッピングセンターとして建物ごとに、1番街から3番街まで、現在では5番街も追加され、イオンのもとで運営されていますが、かつての隆盛時は店の外壁部分に巨大な広告スペースがありました。これが無くなった頃から経営がどうなのか??と心配してしまいましたが…。

なににせよこの大久保駅が新快速非停車でありながら、いち早く橋上駅舎となったのは、この巨大ショッピングセンターの誕生を控えてにほかならず、その効果によるものかと。

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●ホーム階段まわり

手前に時刻表がありますが、15分に1本間隔は少々長いと感じる時があります。新快速停車駅であっても、新快速しか乗らないという選択肢になる場合は同じく15分に1本という事も少なくないのですが、今のような冬の寒い時は結構こたえるものですね。

ここの電光板に出ている「PASS」は新快速等の追加です。特急や貨物列車の通過等の場合もあります。

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●記念スタンプ

明石原人発祥の地、との事です。

明石市大久保町八木という所で、古代人の腰骨が発見され、しかし当初は真剣に取り合ってもらえず、またいまだに年代が特定し切れない、等色々な難点があるのですが、昔の人の骨が発見された地が近くにある、とされています。

駅でいえば当駅の真南の山陽電車・中八木駅のかなり近くとなり、ここJR大久保駅はその発見された地の「JRでは」最寄駅という事になり、2km近くの距離があります。

ただ、この大久保の地でこれ以外になかなかウリがないせいか、スタンプには原人が使われている格好です。この人骨が原人の頃の物かすら不明な状態でありますが…。

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●南口駅前広場

南口にはマイカル明石と高層マンションが複数建っています。

マイカルへは店舗直通の通路が2F部分で繋がっていて、下の部分はこんな感じですが、ロータリーのスペースがあるのみという感じで、駅出口としては北口の方がメインになります。花壇がきれいですね。

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●南口出口

駅舎というより階段が下りているだけの「通路」という表現の方が合うと思います。

右側が駅ホームや改札などの駅スペースで、通路が続いていますが、左折するとこのように出口へと降りる階段があり、直進すると(この写真でいうと、左へ進むと)マイカルへの直通通路として更に繋がっています。

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●さらに南口

下2枚中の上側は南口の出口からかなり引いたカットで、ロータリーの外周が見える形のものです。と共に、橋上駅舎の構造も垣間見えると思います。下側の写真は駅舎のようですが、南口の階段を降りてすぐの地点からホーム側を撮った様子です。「大久保駅」と表示されているのは、南口駅舎ではなく、ホームからの階段上の(改札周辺の)建物の外壁部分にあたるもので、そこに駅名表示される事で駅名が分かる形となっています。

南口出口階段の横に表示しようとしても、その上に通路があったりして、なかなか目立つ事がないと思われてか、通路より内側の建物の横っ面に駅名表示させている訳ですね。

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●3面時計

北口へ回ってきました。

こちらがメイン側になりますが、駅前広場も広く取られていて、その一角にはこのような時計塔もありました。

さて、この柱、どっかで見たと思ったら…

駅ホーム内の時刻表に使われていた柱とおんなじものです。

やはり大正2(1913)年製ということで、もう100年を越える歴史をもつものですが、今もこうして受け継がれているのはとても素晴らしい事ですね。この時計塔は、その重い歴史によって支えられているのですね。

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●北口駅前通り

大久保駅前のメインとなる駅前の通りで、ちょうど駅前広場を抜けてすぐの辺りです。

明石市は港町そのものというか、南の海側は色々と見どころがあるのですが、北側へ向かっても正直これというものが浮かばず、神戸市北区や加古郡播磨町の主要道へつながるのみ、あるいは第二神明の大久保ICへつながるくらいで、本当に明石市北部って何があるのか?と思わされます。とりあえずこの辺りのような駅前すぐだとこうしていろんな店やマンションがある訳ですが。

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●大久保駅(北口)駅舎

南口が階段だけであるのに対して、この北口は出口階段横に駅名表示があり、正面から見ても外側の建屋に駅名表示があったりして、駅舎然としていてやはりメイン側だなと感じさせます。

初めて訪ねたのが1998年11月の事と記憶していますが、今のこの姿とほぼ同じでした。もう少し早く訪ねて写真に収めていれば、全く違う平屋駅の姿を記録に残す事ができたのに…と思うと少し残念ではあります。

この駅舎の特徴としては何といっても、真ん中部分のルービックキューブのようなクリスタルな部分ですね。こういう形のものを見る度にこの駅を思い出します。

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2016年3月29日 (火)

兵庫/養父② 遥かなる明延鉱山…

兵庫県養父市、「さくら祭の頃」に続く養父市の旅第2弾をお送りします。

(2015年12月現在)

前回記事は市の中心地であるJR八鹿駅からの歩き旅の形でお送りしていましたが、今回は八鹿駅からバス移動にてやってきた「明延」地区の様子です。

●今回の旅先

まずはJR山陰本線八鹿駅までやってきました。

この地図のほぼ最上部が八鹿駅で、今回の目的地はここからずっと右下の旧大屋町の「明延」(あけのべ)地区です。

この明延は、かねてよりずっと行きたい!と思っていた場所でした。まだ小学校低学年の時にこの地名を初めて見たのですが、社会科の副読本的な郷土資料にこの名がありました。

その時は「変わった名前…」ぐらいな意識しかなかったのですが、いつしか大人になってその事を思い出して、「そういえば、あの時本で見た明延ってどんな所なのか?」と思うようになり、それが「行きたい」に変わっていきました。

改めて調べると「すず鉱山で栄えた街」とあり、今はもう操業も停止(1987年)している、と…。幼少時見た資料は1970年代後半当時でしたが、まだ現役のすず鉱山として操業していた頃だったんですね…。

同じ県でありながら、なかなか容易に行けない場所でもあり、昨年末に実現するまでかなりの時を要してしまいました。ようやく行く計画も立てて(何しろ経路の本数が少ないので…)、満を持して向かう事となりました。

まず八鹿駅に出てくる自体に時間を要し、姫路⇒寺前⇒和田山…とJRを3度も乗り換えた挙句にようやく着いたのでした、県内でありながら…。

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●全但バス

八鹿駅からはここに泊まっている「全但バス」で明延に向かいます。

右に隠れている部分にバスセンターがあり、待合室もあるのですが、バスが来たとかアナウンスはないし、待合室から見える所までバスも来なくて、定刻前になっても一切そんな気配がなく少々焦りました。

要はこの停まってる所へ随時乗りに来なさい方式だった訳です。そんな事も知らず、危うく黙って見過ごすところでした。アナウンスぐらいあってもいいと思いますが…本数少ないのに。

ちなみに明延方面へのダイヤ的には、1日に8本くらいしかなかったので、事前調査は不可欠でした。朝の5時台前半から地元を発って、ここの8:30発のバスに乗れるようにやってきました。

「明延」行のバスで終点まで、所要1時間強で運賃は¥1,090でした。

山道にも結構入ってなかなかの車窓風景でした…

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●明延着

終点明延です。

こののりばは実は帰りの時のものですが、着いたのは下側の写真の建物のすぐ左側方になります。この広場隔てて向こうにも同様ののりばがあり、やはり八鹿駅方面のもので、時期により微妙にのりば位置が違う不思議な事になっていました。

鉱山の街だけあって、周囲ビッシリ山なのですが、それにしても閑散としていました。かつては鉱夫立ちで賑わい、4,000人余りの人々が暮らしていたといいますが、今や見る影もなく、街を歩いている人などほとんど見かけませんでした。それもそのはずで、今は最盛時の3%ほど、人口わずか120人ほどの集落になってしまっているといいます。

人で賑わっていた様子が、廃墟群を来ると分からなくもないですが、なんとなくの想像しかつかず、この旅を通してゴーストタウンを徘徊してるようにしか思えませんでした。

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●あけのべ憩いの家

明延バス停に停車する隣の建屋ですが「あけのべ憩いの家」という施設で、地区のシンボル的な存在です。10:00~16:00に開いているとの事ですが、この時は年末も押し迫った12/30だったせいか、10時を過ぎても開いてませんでした。

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●しろがね

上の写真にも写っていますが、あけのべ憩いの家の真ん前にある「明延の一円電車」です。

この明延鉱山で走っていた「鉱山電車」であり、乗車料金が一円であった事から、このように呼ばれています。

1945(昭和20)年に鉱山従業員の通勤用として走っていたもので、1987(昭和62)年の閉山時に廃止(運行自体は昭和60年11月まで)されたといいますが、ここ明延鉱山から神子畑(みこばた)選鉱場まで約6kmの区間をガタンゴトンと運行されていたそうです。明延は錫鉱脈が発見され、錫の採掘、神子畑は選鉱場としての分業体制が取られていました。

この電車は「しろがね」という名前がついていますが、他にも黒金とか赤金という名の電車がありました。

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●くろがね

しろがねに続いてのくろがねです。あけのべ憩いの家の斜め向かいに位置する小高い丘の上にある一円電車で、こちらは建物と屋根に収まった形で保存されています。

この全体的に淡くてカラフルな配色とまん丸いフォルムがなんとも印象的な車体、そしてこれに続くレールが延々と。このレールがつくられる風景はドキュメント形式で、建屋の外側に写真パネルとして出ていました。

車内の様子もなんとか撮れました。なんともシンプル、でもこんなのに乗って通勤してたんですね。

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●復活した一円電車

2010年に長さ70mの路線として見事な復活を遂げた「一円電車明延線」。

鉱山で最後まで使われていたのがこの車両「くろがね号」だそうです。昭和24年頃の製造という事で、36年間活躍していた事になります。

4~11月の第1日曜日の10:00~15:00にて体験乗車会が行われ、70mの線路をゆっくりと走っていくそうです。

通勤や旅行だとこんなタイプの電車はとてつもなく疲れそうで敬遠してしまいますが、ゆっくり走る中をこんなシンプルな電車に乗ると、とても気分良く感じるのは不思議なものです。子供が乗り物に乗るような気分なのかな、と。

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●元協和会館

鉱山従業員の娯楽・集会施設であったという建物です。

昭和6年に初代の建物が建てられ、現在残っているこの建物は昭和32年築だそうです。

延べ面積1122㎡、収容人員は1,150人にのぼり、往時は有名芸能人や一流歌手等が来演した、とありました。

駆け出し時代の故・島倉千代子さんも昭和33年にここに来た事があり、その時の縁で、その後すっかり閑散となってしまった2009年、「一円電車復活を応援したい」という想いで実に51年ぶりに無料コンサートの形で再演に駆けつけた(1991年にも撮影で訪ねた事はあるそうですが…)そうで、その時の映像がありました→コチラ

電車の復活はその翌年になりますが、その3年後に島倉さん自身が亡くなってしまいますが、その時にはこの地域の方が哀悼の意を表するメッセージの記事がありました。

また毎日のように最新の映画も上演されていたとの事で、この地区には往時映画館があったといいますが、ここの事だったのでしょうか。

今はコンビニも食べる所もまともにないような集落ですが、往時の雰囲気を体感したいものです。

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●MMCリョウテック

あけのべ憩いの家の広場を隔てて向かいにある、この写真の向こうの建物、「MMCリョウテック」という会社の建物です。

超硬合金を使っての耐摩耗工具の製作を主としている会社のようですが、かつては「明延精工」という名前だったのが、現在の会社に2007年に吸収合併されています。この明延地区で唯一といっていいほどの会社然とした所です。

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●南谷郵便局

これまた明延で唯一といっていいほどの金融機関です。

この辺りでは銀行は全く見られず、郵便局もここにあったのが確認できたのみでした。まだこの辺りは明延バス停より歩いて程ない距離で、人とすれ違う事がは皆無ながら、まだ人の気配も多少感じるような場所でした。

もう少し観光客が居るのかな、と思いもしましたが、バスから降りたのは自分一人だけだったし、ホントに人とすれ違う事がなく、集落の家周りを手入れしている方数人を見かけたぐらいです。

鉱山で栄えた街はいま、往時とケタ違いの人口になる事を余儀なくされましたが、ここまで割合の落ちた所もそうそうないのでは?と思います。それだけに訪ねた事自体が愛おしがった、というのもありました。

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2016年2月21日 (日)

JR宝殿駅・曽根駅 (兵庫県高砂市)

兵庫県高砂市のJR宝殿(ほうでん)駅/曽根(そね)の2駅をまとめてお送りします。

高砂市では山陽電車/高砂駅をupした事がありますが、JR駅は今回が初めてです。

市名を名乗る高砂駅は山陽電車にありますが、JRではこの宝殿、曽根駅のみで、どちらが中心という訳でもない中途半端な位置づけと感じます。

まずは宝殿駅から…

-JR宝殿駅
【路線】JR山陽本線(神戸-門司間)
【開業】1900年5月14
【訪問】初訪問-1994年8
【1日あたり平均乗車人員】 10,122人/日 (2012年)
【近隣の主要駅(神戸方面)加古川駅→隣駅
           (門司方面)姫路駅→4駅

●駅名標

ここに初めて来たのは1994年9月の事ですが、写真はつい先日(今月)の様子で、今月の最新版の形にてお届け致します。(特に断りのあるもの以外は今月の様子です)

大きな石の塊であり日本三大奇岩とされる「石の宝殿」からその名がきていますが、その神社(生石(=おおしこ)神社)へはここから徒歩で20分はかかります。

加古川駅が隣にありますが、姫路駅へ向かう場合に、ここよりもひと駅遠い加古川駅からだと新快速で1区間で着きますが、ここ宝殿駅は新快速電車が停車しない為、これ以上に時間がかかるという状態です。

駅の開業は1900年ちょうどで、19世紀最後の年になります。

所在地としては高砂市ですが、駅自体は高砂市と加古川市に跨っている状態です。

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●ホーム

向こうが姫路方面、手前が加古川方面です。

2面3線ありますが、普通列車のみの停車で、ここから見て各ホームの右側の線のみが使用され、真ん中(右側ホームの左の線)は予備の線となっています。

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●ホーム2

反対に加古川向きのカットです。

ホーム階段を上がって両出口へ抜ける橋上駅舎であり、この写真でもその橋上部が見えますが、1981年にこの構造になったといいます。

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●駅スタンプ

駅名になっている「石の宝殿」が神社の建物と共に載せられています。

こんな大きな石が立っていて、しかもなぜこうなったのかも分からないという奇岩ぶりは一見の価値ありと思います。

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●橋上部

ホームから階段を上がって、改札を出た先の自由通路です。

等間隔に貼ってあるポスターは「石の宝殿」のものです。

このような両出口へつながる橋上駅舎はここより西では姫路駅までなく、姫路までの間の3駅(曽根、ひめじ別所、御着)はすべて片側出口の地上駅となっています。

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●南口駅前

南側へ出ての駅前の様子です。

右に隠れている部分が駅前広場でタクシーが停まっている部分です。

駅前通りの始点の部分にちょっとしたゲート的なものがあり、ここから数10m直進すると国道2号線と交差しますが、この辺りが宝殿駅周辺では最も賑やかかなという感じです。

駅は高砂市にありますが、この辺りは加古川市になります。

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●宝殿駅 駅舎(南口)

元々あった南口の駅舎の様子です。

2枚中、上側は今月の様子ですが、下側は2007年9月当時です。

写りがかなり違っていますが、建物自体は同じです。

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●尉と姥

「"じょう"と"うば"」と読みます。

「高砂や~」でお馴染みの謡曲「高砂」は、これらをモチーフにして世阿弥がつくったといわれています。

夫婦和合の象徴として婚礼の飾りに使われる事も多く、ブライダル都市である高砂を象徴するシンボルとして、ここだけでなく市内各所にもあるといいます。

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●北口へ

転じて、駅から見た駅前広場の様子です。

こちらは元々なかった方で1981年に橋上駅舎化されてから、こちらにも出口がつくられるようになった、という事です。

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●北口駅前

向こうの通りが駅前のメイン通りという事になるでしょうか。中途半端な感じではありますが。南口の通りの方がお店が並んでいる印象があります。

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●宝殿駅 駅舎 (北口)

北口の駅舎です。

こちらも上側が今月の様子で、下側の写真が2006年当時のものです。

大きさがかなり違うので単純比較は難しいですが、同じ建物であっても少し変わっていて、上の写真の駅舎(2016年)の方はエレベータが取り付けられているのが窺い知れます。

下の写真が2006年で、その間の2009年に自由通路にエレベータが設置されたという訳です。

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…続いて、曽根駅です。

-JR曽根駅
【路線】JR山陽本線(神戸-門司間)
【開業】1888年12月23
【訪問】初訪問-1997年3
【1日あたり平均乗車人員】 4,077人/日 (2010年)
【近隣の主要駅(神戸方面)加古川駅→2駅
           (門司方面)姫路駅→3駅

●駅名標

宝殿駅の隣駅で、反対側の西隣駅(ひめじ別所)からは姫路市へ入ります。

市内には山陽電車のーにも同名の駅がありますが、約2km離れた所にあり、全くの別ものです。

開業は1888年と古く、当時は所在地住所から「阿弥陀駅」を名乗っていましたが、隣の宝殿駅が1900年に開業した後、1902年に現在の駅名となっています。ちなみに大阪府豊中市の阪急電車にも同名の駅が存在します。

利用者数としては、後からできた宝殿駅の半数程度ですが、進学校である私立の白陵中学・高校の最寄駅として、学生に利用されている面が色濃いように思います。

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●ホーム

姫路方面へ向かってのホームの様子です。

ここもまた宝殿駅同様、新快速が停車しない普通電車のみの停車駅で、2面2線の形となっています。

こちらは南側の麺ですが、北側の面と共にいずれも左側の面に電車が停車し、特にこの面では右側の面に安全柵がしてあります。

駅のすぐ左(南)側は自動車教習所になっています。

そしてこの駅といえばなんといっても、ホームで停車中の電車の傾きがハンパない、そのイメージが大変強いです。このホームの左側の線がそうなのですが、ホントに大変傾きます。停車してて傾きを体感する駅なんて、他になかなかないなと感じます。

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●ホーム2

こちらは反対に加古川方面へ向かってのホームの様子です。

宝殿駅と違って、向こうに見える跨線橋は単にホーム同士をつなぐだけのもので、出口への自由通路ではありません。出口は片側だけで、この橋を左に渡って降りて、改札を出る事となります。

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●跨線橋

両ホームをつなぐ歩道橋ですが、通路はやや狭めで、掲示物は全然ない状態でした。

エレベータの導入がかなり遅かったようですが、2011年にようやく供用開始となったようです。

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●跨線橋より

線路周辺の様子です。

ど真ん中辺りはゴツゴツした山肌の一部が覗いて見えます。採石場もあったりするので、ハゲ山になっている箇所が少なからずあります。

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●駅スタンプ

駅名にもなっている曽根天満宮が出ています。

ただし、ここは山陽電車の曽根駅からはすぐですが、このJR曽根駅からでは、2kmほど離れた先になります。

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●オープン

駅舎内に「高砂市立図書館オープン」のポスターがありました。

それまでの図書館は山陽電車側の曽根駅付近にあり、老朽化により昨年9月に閉館になったといい、この2/14に移転オープンとなったという事で、まだオープンしてわずか1週間という状態ですね。

移転後は、隣の宝殿駅から南へ徒歩15分という鉄道アクセスでは少々しんどい場所となりました。それもあってなのか、じょうとんバス(高砂市コミュニティバス)も出ている、というフォロー的な内容も記載されていました。

山陽電車の高砂駅や隣のJR宝殿駅からだと、ほぼ1時間に1本のペースで出ていますが、ここJR曽根からでは1日に3便しか設定がなく、また図書館までは30分以上かけて辿り着く事となるようです。

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●駅前風景

駅前のみ多少幅が広がってる感じですが、ほぼ線路に沿った道路が通っているだけで、明確な駅前広場はない状態で、普段は数台のタクシーがここに停まっています。

また出口もこちら側だけで、線路向こうへ出ようと思ったら、この道の手前を200m程進んでから、階段を上がってたいそうな橋を渡る必要があり、以前から懸案事項とされているようですが大変不便です。駅のすぐ南側が自動車学校であったり、立地的な面がネックになっていて、現時点では橋上化(双方向への出口設定)は困難とされているようです。

デイリーヤマザキが駅前にできていて驚きました。ここは近くにコンビニやその手の店などなかなかなかったので。

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●曽根駅 駅舎

下の3枚中、一番下だけ2006年当時、その他は今月の写真です。

1927(昭和2)年建築の木造駅舎が残っています。

こういうタイプの駅舎が沿線でも姿を消していく中で、橋上化困難という理由かどうかは不明ですが、貴重なものが残っている事自体は素晴らしいと思います。

2006年当時と違っているのはバリアフリー化がなされている為のもので、手すりやスロープが増設されています。これに伴ってか郵便ポストの位置も出入口反対側に変更されています。

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2016年2月 6日 (土)

JR日岡駅/神野駅/厄神駅 (兵庫県加古川市)

兵庫県加古川市のJR日岡(ひおか)駅/神野(かんの)駅/厄神(やくじん)をまとめてお送りします。

加古川市ではJR加古川駅東加古川駅といった山陽本線の駅を個別にupしていますが、今回は加古川線の駅をまとめてのupです。

市の中心駅は個別にupしているものの、これ以外の駅をなかなかupできず、また1記事に1駅ずつupしたのでは、いつまで経っても陽の目を見ないのではないかsign02と思うようになり、単一自治体所属の駅に限り、今後はこのように複数の駅をupして、多くの駅が登場するようにしたいと思います。

そんな訳で、まずは日岡駅から…

-JR日岡駅
【路線】JR加古川線(加古川-谷川間)
【開業】1913年4月1
【訪問】初訪問-1996年4
【1日あたり平均乗車人員】 568人/日 (2012年)
【近隣の主要駅(加古川方面)加古川駅→隣駅
           (谷川方面)粟生駅→5駅

●ホーム

先にお断りですが、今回upの駅は訪問時期が古く、だいたい2003年頃ですが、デジカメで撮った後に圧縮をし過ぎたため、著しく画質が落ちてしまっております。よって、こういう雰囲気、といった程度で見て頂ければと思います。

ホームは2面2線で、加古川駅の隣駅です。とはいえ、山陽本線ではなく、北へ分岐した加古川線というワンマン運転の路線であり、このような穏やかな駅が続きます。ICOCAなどのICカードも非対象であり、降車時に現金払いが必要となります。

向こうのホーム上で雨よけができるのは御覧のようなごく限られたエリアとなります。乗る人もそんなに多くないので不要ではありますが、加古川駅からこの方面へ向かう人の数はそれなりにいて、わずか2両のみとはいえ、電車に乗っていて座れる事はなかなかないです。

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●駅待合室

駅舎内の待合室です。

長い木製ベンチがあり閑散としています。

加古川駅から、少し頑張れば歩いてでも行ける地点ですが、ガラリと雰囲気が変わります。

ダイヤ的には1時間に2本程度ありますが、2駅先の厄神停まりが多く、先へ行くほど本数が減ってきます。

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●日岡駅 出入口

出入口からホームへ向かってのカットです。2003年11月当時ですが、現在も大きくは変わっていないです。

券売機が向こうにあり、出札跡も窺えます。かつてはここも有人であり、無人駅となったのは1990年の事であったといいます。

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●日岡駅 駅舎

日岡駅のほぼ全体像です。

駅舎は1948年築という事で、なかなかの歴史ある建物です。戦後とはいえ約70年にもなる訳で。加古川線沿線の駅は順次リニューアルしていった時期があり、特に小野市の駅などはほとんど総入れ替えに近い形となり、加古川市内も他の駅は色々手が加えられましたが、ここは殆ど変更なしで、そういう意味では貴重な駅舎だと思います。

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●日岡駅前

駅前はこんな閑散とした雰囲気です。

裏手の県道側は、それなりの交通量がありますが、沿道は住宅が多い印象です。

日岡という駅名どおり、日岡山公園が付近にあり、また「日岡神社」の最寄駅でもあり、徒歩5分程度要しますが、初詣時期は非常に賑わっています。8世紀の文献にはここ日岡に鎮座する神についての言及があるとの事で、相当歴史がある地のようです。

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…つづきまして、神野駅です。

-JR神野駅
【路線】JR加古川線(加古川-谷川間)
【開業】1913年4月1
【訪問】初訪問-1996年4
【1日あたり平均乗車人員】 1,139人/日 (2012年)
【近隣の主要駅(加古川方面)加古川駅→2駅
           (谷川方面)粟生駅→4駅

●ホーム

初訪問が1996年でしたが、こちらは2009年春再訪時の様子です。

上側の写真は加古川市から小野市・西脇市方面への向きとなります。

新神野という加古川の住宅地にある駅で、加古川駅からは約5kmの距離となりますが、利用者自体は加古川駅に近い日岡駅の倍程度あります。

日岡駅と違い有人駅で、加古川市内の加古川線4駅では加古川駅に次ぐ利用者数を誇っています。

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●跨線橋内

日岡駅との大きな違いは、この跨線橋ががあるところです。

掲示物も片側だけではありますが貼られています。

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●ホーム 反対側

上の写真が小野市・西脇市など北方面のものであるのに対して、こちらは加古川駅方面のカットです。こちらは2012年のカットです。

向こうには踏切がありますが、左側の踏切傍には牛舎があり、それと分かる独特の匂いがします。駅前にしてなんとのどかな…というところですね。

また、右側の踏切傍は春になると桜が一面に咲き誇る並木道で、これを進んで線路と平行に歩けば、桜並木が続くとても素晴らしい景色に出会えます。道路のみにつき花見をする等は難しいですが、桜の開花時期にこの駅に来る事はおススメですgood

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●神野駅 旧駅舎(南口)

2009年当時の南口の旧駅舎です。現在は小ぎれいなこじんまりしたものとなっているようですが、2012年の再訪時にここへ寄るのを忘れてしまったので、今の姿は記録にも残っていない状態で、このように旧駅舎のカットのみです。

この当時はまだこちら側にしか出口がなく、反対側へ行くには、先の写真に見えた踏切を渡るしかない状態でした。

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●南口からの道

駅前広場などほぼ皆無の状態で、ここから出る道路もこのように実に幅が狭く、車の乗り入れなど困難で、道路を走っていてもどの道からこの駅へ入るのかが分かりにくい駅でもあめな、と感じます。

この道路の向こうに幹線道ではないですが、車の通る道があって、そこから地味に標識は出ているものの、実に小さくて、ともすれば見落としてしまうレベルで、初めて外からかここへ行った時も、近くまで来ていながら、なかなか駅にたどり着けませんでした。

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●牛舎

先に触れた駅踏切付近の牛舎です。

匂いもそうですが、モーモーいうのも時々聴こえて、本当に駅前か?を疑うほど実にのどかです。

この光景が踏切を渡るだけで桜並木になるので、不思議な場所でもあります。

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●神野駅 駅舎(北口)

上が2012年、下が2004年の駅北口の様子です。

2010年に北口の駅舎が開設され、それまでは南口しかありませんでした。

両出口ができた、というのは神野駅の歴史において大きな節目になると思います。

下側はちょっと角度が違いますが、より駅線路と平行に見た形のものですが、まだまだ駅出口ができるなど想像もつかなかった頃です。

駅前の道幅でいえば、南口より断然広く取れるので、地の利?はあると思います。

バスはここから外れてすぐのちょっとしたスペースの部分に方転場らしきものがありましたが、この真ん前までは来ていないです。(たぶん今も)

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…最後は、厄神駅です。

-JR厄神駅
【路線】JR加古川線(加古川-谷川間)
【開業】1913年4月1
【訪問】初訪問-1997年7月
【1日あたり平均乗車人員】 916人/日 (2012年)
【近隣の主要駅(加古川方面)加古川駅→3駅
           (谷川方面)粟生駅→3駅

●ホーム

といっても中からの写真を撮った事がないので、こんなカットぐらいしかありませんが…、この駅も2003年頃のカットです。今回の3駅はほとんど同時期のもので、同様にファイルが劣化してしまってるのが残念なところです。

加古川線で、加古川駅から発つと、加古川市内最後の駅となり、これ以降は小野市へと入ります。

今回お届けの駅の開業日がすべて1913年4月1日となっていますが、決してコピペではなく、本当に同日開業です。

この駅を境に、加古川方面は1時間に2本、反対方向は1時間に1本、更に西脇市駅より先は2時間に1本と変わっていく、沿線のキー駅のひとつでもあります。

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●駅踊り場

今回お届けの3駅の中では唯一の橋上駅舎で、2Fに改札のある構造となっており、このように下の出口への階段があります。

また、かつては「三木鉄道」への分岐駅でもあり、ここから三木鉄道へ乗り換えていましたが、2008年に廃止になってから、JR加古川線単独の路線となりました。

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●厄神駅前道

厄神駅からの通りですが、駅前通りというより普通の街並みの中に駅がある感の方が強いです。

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●駅前バスロータリー

駅前というより、駅横という感じでしょうか。

神野駅南口同様、駅前広場があまりなく、バスが方転できるようなスペースはなく、別にこのようなスペースが設けられています。

路線としては三木営業所(バス営業所?)や恵比須駅(三木市内の駅)など、三木方面のみのようで、廃止された三木鉄道の路線をカバーするような形と思われます。また、加古川駅方面は残念ながら内容です。電車で行ってください、という感じでしょうか。

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●厄神駅 駅舎

加古川線で橋上駅舎となっている珍しい駅です。たぶんここだけだと思います。1999年に橋上駅舎化されましたが、それまでは周辺の他の駅と同様に普通の地上駅でした。

ここも"駅名にある通り"となりますが、「厄神さん」といわれる宗佐厄神八幡神社の最寄駅となります。かなり距離はありますが…。

駅前が狭い中で、このような大きな駅なので、全体像がなかなか撮りづらかったです。というか撮れていないのですが、他のサイトでこの駅を撮られた方の写真を見ていると、ちゃんと全体像が撮られているので感心しました。

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●厄神駅 旧駅舎

1999年まで存在していた旧駅舎です。

加古川線の沿線各駅が後になって色々と改装、拡大等されましたが、ここはその先駆けであり、橋上化までされてしまったというある意味大出世の駅です。今やエレベーターもついている訳ですし。

旧駅舎が20世紀中にはなくなっているという事のせいか、「厄神駅 旧駅舎」として画像検索してもなかなか出てこなかったです。かなり貴重なカットになってきているのか…、そういう意味でも本記事にてしっかりここに刻んでおきたいと思います。

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という訳で、日岡→神野→厄神駅、と続けてお送りいたしました。

今後もこのような形で、まとめてお送りするケースもあるかと思います。

2016年1月30日 (土)

JR魚住駅 (兵庫県明石市)

兵庫県明石市のJR魚住(うおずみ)です

明石市では、JR明石駅や同じくJR西明石駅、そして山陽電車/西新町駅をupした事がありますが、これらに続いての駅記事です。

-JR魚住駅-
【路線】
JR山陽本線(神戸-門司間)
【開業】1961年10月10日
【訪問】1998年11月
【1日あたり平均乗車人員】 10,950人/日 (2010年) 
【近隣の主要駅 (神戸方面)西明石駅→2駅 
           (門司方面)加古川駅→3駅
 

●ホーム

旧の地上駅舎の頃のホームの様子です。(2005年当時)

今では橋上駅となり、この辺りの様子は大きくは変わりませんが、片側だった出口は両側になったりなど変化が見られます。

ちなみにこの駅が橋上駅となった事で、宝殿~西明石間の7駅すぺてが橋上もしくは高架化となった、との事です。

明石市にあって、JRでは最西端の駅で、西隣の土山駅は加古郡播磨町の駅となりますが、明石市にも加古川市にも接するという微妙な位置にある駅です。主要駅は西明石でも加古川でも2,3駅を要し、両者のほぼ真ん中に位置しています。山陽電車でも同じ名の「山陽魚住」駅がありますがねここからも南へ約750mほどあり、当駅とは接続もなく、両者別個のものとなっています。共通しているのは両者とも「明石市魚住町」にあるという事ぐらいでしょうか。

この辺りの駅は、古い駅と比較的新しい駅が交互に存在しており、当駅の2駅西の東加古川駅も同じく1960年代と歴史のやや浅めの駅となっています。

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●魚住駅 旧駅舎

平屋駅舎時代の魚住駅です。(2006年当時)

この駅舎で長らく馴染みがあり、また近年の橋上駅舎になってからは逆にあまり行かなくなったこともあり、いまだにこの駅舎の方が自分の中ではしっくりきます。ちょうど「ドラえもん」で最近のを全然見てないので、未だに旧声優陣のイメージしかない、というのに似ていますsmile

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●魚住駅 旧駅舎2

ほぼ真正面からのカットです。

こんな小さい駅になじみがあるものの、今こうして見ると、こんなに小さい駅だった事に改めて驚かされます。しかも出口はこの北側のみで、反対側へ出ようと思ったら駅出て左を少し歩いてから踏切を渡る、という形でした。当時から遠回り感を抱きながら渡っていたのを思い出します。

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●魚住駅 現駅舎 (北口)

旧駅舎があった北側の現駅舎の姿です。 (2010年当時)

2009年3月にこの橋上駅舎化になったとの事で、これがそのちょうど1年後くらいになります。周りは未整備なのか、まだカラーコーンとかで柵がつくられていた状態でした。

中心駅でもないですが、あの小さい駅が…と新駅舎になって初めて来た時は思いました。この程度の駅舎なら、地方へ行ったらちょっとした市の中心駅だったりもします。滋賀県の近江八幡駅とか彦根駅あたりをものすごく思い出してしまいます。

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●北口駅前通り

これは旧駅舎当時の北口の駅前通りです。

最近行ってもあまり意識していませんが、この辺りはおそらくそれほど変わってはおらず、駅前広場を抜けると、上り坂になっていくのがこの駅前の大きな特徴のひとつです。

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●魚住駅 現駅舎(南口)

それまでなかった「南口」ができたのが、この魚住駅橋上化の大きな目玉の一つといえます。

踏切を渡らないとやって来れなかった南口が、駅の歩道を渡るだけで行けるというのが、この時画期的に感じたものでした。

下側の写真にあるように、階段を下りた傍にはヤマザキデイリーストアのお店がありました。

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●南へ

南口から南へ向かっての通りで、南側は駅から見るとこの通りがほぼメインになるかと思います。

ここから明姫幹線を抜けて山電の同名である魚住駅へと至りますが、県下屈指の偏差値を誇る「明石高専」なども付近にはあります。

なじみがあり過ぎて逆にあまり撮れてなかった魚住駅ですが、また寄る機会を見つけて街並みにつき、これまであった記憶ばかりてなく、「記録」にも残るようにしたいと思います。

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2015年12月 6日 (日)

兵庫/赤穂 並び立つ、赤穂城跡と大石神社

ひ兵庫県赤穂市、赤穂城跡あたりのようすです。

(2006年12月当時)

●赤穂城跡 大手隅櫓

この当時撮った写真が駅からの行程のものがなく、いきなりこのようなお城周辺のものだったので街の様子はここでは端折りの形となりますが、JR播州赤穂駅からは徒歩約10分、駅前の道路を直進し続けるとこのような景色が見えてきます。

播州赤穂駅は山陽本線から外れた「赤穂線」の駅につき要注意ですが、最近の新快速列車では西行き(下り)は当駅までのものもあります。姫路駅や相生駅で乗換える時に岡山行に乗らないように注意です。新幹線でのアクセスでも最寄は相生駅となり、姫路駅からのアクセスでも可能です。(岡山駅からでは在来線で時間がかかります)

1648年に築城が開始され、1661年に完成していますが、その間、山鹿素行のアドバイスによる手直しも行われているとの事です。

しかしあの有名な事件が起こるまでにはわずか40年…、1701年に浅野内匠守長矩の吉良刃傷事件が江戸で起こり、四十七浪士による討入りは翌1702年に起こっています。12月14日…、今年もその時期が近づいてきていますが、今も「赤穂義士祭」として根づいています。

赤穂城跡、と検索するとよくこの写真で出てくると思いますが、この角度が最もそれを表わしているものかもしれません。赤穂城は1873年に廃城となり、この櫓は昭和30(1955)年に再建されたものですが、再建された櫓もこれのみという事で、赤穂城の顔ともいうべき存在かと思います。

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●お堀

上の隅櫓の手前(播州赤穂駅側)にこのようなお堀があります。

赤穂城は明治の初めに廃城令の対象になっていますが、このお堀と石垣は遺構となっています。

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●門周辺

大手門へ向かうところです。

右側に写っている通路でここまでやって来て、左側に隠れている大手門へと入っていきます。

櫓が別角度ではまた違って見えるのも良いのですが、白壁が青空に本当によく映えていました。

ここから先の様子はないのですが、こうして外から見るだけでも充分楽しめます。

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●門の向かい

大手門とお堀を隔てる形で向かい合う部分です。

この建物は「巴屋 大手門前店」です。

この時は開いていませんでしたが、通常は土産物店および茶屋の役目も果たしています。

HPが出ているので詳しくはコチラ 

赤穂の観光地の重要なひとつでもあり、この辺りは通常はそこそこの人通りもあり、茶屋でひと休みしている方々も見受けられます。「討入そば」というのもあるようなので、一度食べてみてはとも思います。

ちなみに播州赤穂駅にはかつて「ペーロンそば」という中華風の麺をつかったそばがありました。ちょうど姫路駅にある「駅そば」のような感じのもので、赤穂に来るたび食べていた大のお気に入りでしたが、いつの間にか無くなっていたのが大変残念です。

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●大手門

赤穂城跡の正面入口ともいうべき存在です。

姫路城のように立派な天守閣がある訳ではない(天守台のみで天守が建てられる事がなかったとの事)のですが、この立派な入口の門構えは風格充分です。

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●大石神社

赤穂城跡と併存するのがこの大石神社です。

その名の通り大石内蔵助をはじめとする赤穂浪士の四十七士を祀っている神社で、下の2枚中上側の写真の手前に一対のみ写っていますが、これが四十七士像の一部で、これらがこの手前の両サイドにズラーッと並んでいる訳です。

この時訪ねたのが2006年の大晦日であった為、「謹賀新年」の文字が出ていて、完全に迎春モードになっていました。

下側の写真は拝殿の様子です。この神社は昔から個人的によく行っており、厄年のお払いもして頂いたので思い入れはかなりあります。

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●絵馬と大石さま

当時は2007年を迎えようという時期で、猪年。平成十九年とありますが、だいぶ前の事のように思えます。たしかに9年も経つわけですが…

大石内蔵助がいつもこの地を見守っている、そんな気がしてならない、この佇まい。四十七士は自決という哀しい最期を迎えましたが、300年以上経つ今でも義士祭は続き、内蔵助ら志士たちの事も語り継がれるこの国の素晴らしさを、この像を見て感じたものでした。

赤穂城やこの大石神社は赤穂の重要観光地ではありますが、街なかを歩いていても四十七士ゆかりの地などが点在していて、忠臣蔵ファンにはとりわけ人気の高い地でありますし、歴史に興味のある方々も存分に楽しめる地かと思います。

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