青森/むつ 大きな湊のストーリー
青森県むつ市、JR大湊駅からの歩き旅です。
(2009年8月当時)
●駅前風景
これもまた実に8年も前の風景を記事として紹介していく事になります。
駅記事をupしたのさえ6年も前で、街の風景のupがこんなに遅れてしまいました。
駅を出て、駅前広場からの目線ですが、この旅館はまだ現役のようで、HPもありました。素泊まりだと4,000円というリーズナブルぶりです。
下北半島の中心都市としての役割を担っているのかと思いますが、場所的にアクセスが難しい位置になってしまうので、少々取り残された感を受けました。真ん中の建物は色々更新されてそうですが、両サイドは昭和から止まったまんまっぽかったです。
この大湊駅前は駅前広場からまっすぐ伸びている道路がなく(上の写真で土産物屋や旅館があったように)、駅前がT字路になっていて、線路と平行に商店街が連なっています。
商店街らしい2連の真ん丸街灯が並んでいますが、建屋は昭和感満載のコンクリート色丸出しのものがズラリと並んでいました。
幟も連なっていて「結集!!青森力」というものでした。これは当時の東北新幹線の新青森までの延伸開業に伴うキャンペーンのキャッチコピーでした。当時は八戸までの新幹線運行で、この1年4ヶ月後に新青森までの80km余りが延伸開業される事となり、開業を控えて気運が高まっていた頃ですね。この大湊駅からだと新幹線の最寄りは、この時延伸された七戸十和田駅になりますが、直接つながっていないので正直殆ど影響はないという感じですが…。
右手前は昭和のパチンコ店でしょうか?いかにも廃墟という感じですが、「OOMINATO CENTER」とありました。今はこんな雰囲気で、車が通り過ぎるだけのような感じでしたが、かつてはここにこぞって買い物客が押し寄せたりしていたのでしょうか??
下側の写真のネブタ館という建物のシャッター画がかなりのインパクトがありました。「むつ専門店会催事場」と銘打たれていますが、催事スペースだったのでしょうか?
大湊駅からT字路を左折して程ない地点にあった湧水です。
この辺りには「大湊湧水群」とよばれる名水の湧き出るエリアが形成されていて、ここはその1つであるという訳です。美味しい水ではあるそうですが、管の部分のサビのようなものが少々気にかかり、見るに留めました。この時は湧水群とは知らず、単に水の出ていた場所という認識しかなかったので、湧水群と知っていればこれを巡るのも面白いかと思います。
大湊駅前十字路を左折して国道に入り、西へと歩いて行くと今度はY字路に出くわし、そこを左折し、更にまたすぐ左折したのがこの道路です。
距離的に大湊駅から200mもない距離で、まだまだ駅近です。これをずっと向こうに進んでいくと、海へと至ります。まだまだ商店街の雰囲気でした。
海へ向かうところで、ネブタらしきものとその蔵と、遠目に出くわしました。
人がそこそこ集まっていたようで近づくのは避けましたが、練習をしていたのか?分かりませんでした…。蔵といっても専用の蔵という感じではなく、町工場の空きスペースが蔵のように使われていた感じでした。
青森(市?)のねぶたは企業ねぶたである事に対して、ここの大湊ねぶたは主に地域住民の手によって創られるもの、という事で、この分も見ていて手づくり感というか、地域ならではの自由さというか、そんなものを勝手に感じていました。ちょうどこの時期(8月第一週末)が祭りの時期で、この訪問が8/9であったので、終わった後の片づけか何かだったのかもしれません。
ようやく海へ出ました!歩いて500mほどで海辺に辿り着けるので、気軽に行けます。
駅の裏から行くのが距離的には短い訳ですが、駅の構造上難しい状態です。
海というより正確には「陸奥湾」になります。青森県の東北部で斧みたいな形になっている部分を下北半島といいますが、その斧の下部分で囲まれている辺りが陸奥湾です。(下写真地図参照)
半島南部のぐるっと囲まれている中にあるので、ここでの対岸は北海道ではなく、青森県の野辺地辺りになります。この大湊駅からのJR路線が野辺地まで繋がっているので、陸伝いに対岸まで電車路線で通行している事になります。
1枚目の写真の木造の小屋は今は使われているのかな?とか撮っててふと考えます。もし使われていたらすごいなと思いますが…
陸奥湾から内陸へ向けて、ちょうど大湊駅の裏手にあたり、先ほど書いた大湊駅の裏から行けば海へは短距離、とはこういう事です。この草地を行けば近いのですが、駅出口はこの反対方向にしかないし、ここからでとまともな道がないので、まっとうに行こうと思ったら、この記事でのルート取りになります。
駅の左手にでっかく見えている建物は「ホテルフォルクローロ大湊」です。じゃらんで見てみたら、\6,000で泊まれるという事で、建物が立派な割にはリーズナブルな感じです。
いかにも海と感じられる施設はテトラポット、海水浴場…とありますが、この漁協の建物も「海」を感じさせてくれる施設です。その建物と、対岸からの様子とを載せました。
ホタテ養殖、定置網が中心との事で、この辺りはホタテ養殖が盛んだそうですが、ここではそのホタテの加工などもしているそうで、県内の八戸や弘前など主要都市に直売所を設け、ホタテの販売拡大に努めている、とありました。ホタテの販売といえば、昔々故安岡力也さんが「ホタテマン」として「俺たちひょうきん族」で活躍して、ホタテの売上に貢献したという話を思い出します。
という訳で、これはまさにホタテの加工/直売所です。
インターネットでの販売(⇒HP)もやっていて、遠方からの注文も可能な状態です。
むつ市立大平中学校や青森県立むつ工業高等学校などの名前が並んでいてこの一帯が学校が密集しているエリアである事が分かります。文教地区とでもいうか。偶々でしょうか、この辺りの地名は「文京町」といいます。京の字ですが。
看板には書かれていませんが、大平小学校というのも付近にあります。
看板にある真ん中のものがよく読めませんが「青森県立 むつ高等技術専門校」です。これはいわゆる職業能力開発校というものです。
当初、大湊駅前T字路を西へそれて、南へ海側へ回って行きましたが、海側を東に進み、さらに北上し、とちょうど一回転するような形で戻ってきています。
これはその一回転しようかという、大湊駅前道の東側にあたります。西側が昔ながらの商店街であるのに対して、こちら側はコンビニがあったりある程度イマドキ?といえるかもしれません。この写真は約8年前のものですが、大湊駅のすぐ前では今でもコンビニはここだけのようで、駅から徒歩3分とされています。他には駅から15分の所にローソンがある、とされており、これだけのようですね。
上の写真の道路を大湊駅へ向かって西へ進む中にあったお宮です。
大平村 新高観音堂という名をもち、1560年に当時の城主であった竹花因幡という人物が兜の前立ちに頂いた黄金の観音像を御神体として祀ったのが最初といわれています。
田名部海辺三十三観音巡礼地のひとつで、その十六番札所とされています。下北半島を中心とした巡礼ルートですが、約270kmにも及ぶ長さになるといいます。
上側の写真は「神楽殿」として拝殿のサイドにある形ですが、ここで神楽が今でも奉納されているといい、例祭として毎年9月8日に山車が町内を練り歩き、それとともに神楽もあるという事で、このような木造建物が未だ活用されているのも素晴らしいものですね。
いちばん下の写真に手水舎らしきものがありますが、明治十四年と刻まれています。1881年のものがそのまま残っているという事でしょうか。「大平村」の記載がありますが、この8年後の1889年には合併で大湊村となっています。
これを進めば、左手に大湊駅へ分岐する交差点に差し掛かります。
青森銀行や郵便局など金融機関が見られたり、建物の密集具合も密になってきており、ピンポイントではありますが、市の中心駅の駅前感が濃い街並みとなっています。
向こうに提灯が並んでいるのが見えるのは、ねぶた祭りの名残?と思われ、時期的なものだと思います。今年ももうすぐ、このような風景になるのだと思いますが。
最後はこの写真です。
大湊駅へ戻ってきました。そこにあった看板です。
下北の郷土料理として「みそ貝焼き」というものが挙げられていました。
ちなみに読みは「みそかやき」と読み、「みそかいやき」「みそがいやき」と読むものではありません。凝った料理ではなく、「なまぐさな料理」として紹介されており、「おかず考えたくない」「買い物に行きたくない」の考えのもと、冷蔵庫の有り合わせでつくるもの、とされています。
江戸時代に陸奥湾の漁師がホタテ貝を鍋代わりに味噌を溶き、稗や粟の飯と共に食べていたのが起源とされています。後に卵を溶いて食べる形になったようです。
この店で食べる事ができるようです。隣の下北駅を最寄に3km程度離れた所のようです。ちなみにこの大湊駅では食べられる店がよく確認できず、コンビニかあるいはホテルなどの方が食べるものがあるのかもしれません。
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