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40福岡県

2017年3月17日 (金)

福岡/直方 陣屋と遺跡と昭和と

福岡県直方市、JR直方駅からの歩き旅です。

(2010年4月当時)

●駅前通り

今から約7年も前の姿になりますが、直方駅の駅前広場から駅前の道路へと進んで行く様子です。

左側に見えている「Sun Live(サンリブ)直方」という、中国地方西部から九州に多数店舗を持つスーパーマーケットチェーンが写っていますが、昨年2016年8月に閉店してしまい、1.5kmほど北の郊外に移転してしまったそうです。ドーナツ化現象なのか、小都市の駅前って寂れていくなぁ、という事を先日別の町で体感しましたが、ここもそうなったか…という感じでした。

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●直方陣屋城下町

という看板が駅前にありました。

江戸初期の1623年に黒田長政の遺言により、福岡藩の支藩として開かれたのがこの直方藩であったといわれ、当初は東蓮寺藩という名称であったそうです。

この絵にあるのは1700年ごろの城下町の様子です。

藩ができた頃は数百人の下級武士がいたとされ、市街地が形成されていったそうですが、当時は一国一城令のもとで、藩主は城ではなく、陣屋に住んでいたといい、陣屋城下町といわれるゆえんでもあります。藩が開かれて50年ほど経った1675年東蓮寺の地名を直方に改められ、「直方藩」という名称になったそうです。その後1720年に藩主の黒田長清が没し後継がなかった為、直方藩も廃藩を迎え、この藩は約100年でその役目を終える事となり、本藩の福岡藩へ還付されたといいます。

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●圓徳寺

直方駅よりほど近い位置にあるこのお寺、先述の直方藩の創設に伴って、この地に移設されたといわれています。城下町を守る要塞としての役割を果たしていたといいます。

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●直方マンホール

市の木「たいさんぽく」と明確に銘打って表示されています。この潔さがなんとも素晴らしいですね。あんまり「市の木」と律儀に書いてるマンホールは見た事がないので。

たいさんぼくは、「泰山木」あるいは「大山木」と表記し、モクレン科の常緑高木という事ですが、花径が50~60㌢にもなるといわれ、日本の樹木としては最大の花径を誇るといいます。

また直方市では、このたいさんぼくの他にもヤマボウシというミズキ科の植物も市の木として指定され、市の木が複数存在しています。

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●懐かしげな一角

これまた直方駅前よりほど近い地点のカットですが、この昭和感はたまりませんでした。建物の出来合い感というか、看板も何十年となく変わってなさそうな印象も受けるし、この前に立ってしげしげと見続けていたいとさえ感じました。

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●林芙美子 碑

直方駅前にある公園の一角です。先ほどの昭和感満載の一角の道隔てて向かいにあります。

「私は古里を持たない 旅が古里であった」と刻まれていました。

舞台上演回数が実に2,000回を越えた「放浪記」の作者として名高い林芙美子(1903-51)は幼少時にここ直方の木賃宿に滞在し、両親と行商生活を送っていたといいます。母親がバナナの叩き売りをして、近くで芙美子自身もアンパンを売っていたと。親が旅から旅の行商生活というところから出てきたフレーズでしょうか。代表作が「放浪記」というのも実に「らしい」と思います。

彼女の命日辺りにはこの石碑が少し飾られて、献花もされてということで「芙美子忌」としてちょっとした盛り上がりを見せるようです。

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●須崎町公園遺跡

その林芙美子碑が端にあるのは、この須崎町公園で、ここはまた遺跡としても存在し、江戸時代の直方陣屋城下町下で、江戸期の陶磁器などが出土した事が発掘調査で分かったといいます。

他にも江戸後期の墓地や多量の瓦を廃棄した後なども見つかったといい、江戸期の生活を色濃く伝える遺跡として貴重な存在といえます。

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●公園とステージ

最後はこの写真、公園の全体像とそこにはステージが設置され、時にここでライブや市のイベントなどもあったりするそうです。

床面が曲線で盛り上がってるのがなんとも、ですが、こういう加工って結構難しいのでは?と思ってしまいます。隙間なく、タイルの四角形の形も崩さずして、実に見事でした。

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2017年1月13日 (金)

福岡/福津 またまた又ぜー

福岡県福津市、JR福間駅からの歩き旅です。

(2011年3月当時)

●赤いバス

福間駅から眺めた駅前の様子です。

「OMNIBUS」と書かれた赤いバスがありましたが、JR九州の路線バスとありました。

JR九州といえば鉄道車両もこのような色の列車も見られますが、このバスの車体には「RED LINER」とあり、どこか鉄道車両を思わせる雰囲気に満ちていました。

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●駅前を見下ろす

これも福間駅からの様子です。

あいにくの天気で余りで歩きづらそうであった事もあり、まず駅から見下ろしたカットをいくつか撮っていたものです。

駅前の通り様子が俯瞰できて分かりやすいと思いますが、商店街的な通りが続いている事が窺えます。

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●駅前通り

上の写真で見下ろしていた向こうへ続いていく道を実際に下りてきて通ったものです。

「平和タクシー」という看板など、どこか昭和あるいは20世紀を思わせる雰囲気ですが、2011年当時の様子です。

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●又ぜーが里

これも上の写真で右向こうに少し見えている靴屋さんの店先のカットです。

福間駅の記事でもありましたが、ここ福間は「又ぜー」の里という事で、福間駅の駅名標にもこの絵が描いてありますし、何せ「又ぜー」です(笑)

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●小烏神社

「こがらすじんじゃ」というそうで、1854年築の神明造の社殿があったそうですが、約140年にもわたる星霜を経て老朽荒廃化し…とありました。1995年に再建記念碑が立てられています。

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●福間マンホール

旧・福間町時代のマンホールです。

当時の町の花スイセンと「九州の湘南」とよばれる福間海岸とが描かれているそうです。

「九州の湘南」たるゆえんは、ウインドサーフィン等のマリンスポーツが盛んで、その手のものでは屈指のスポットだという事です。更には青い松林や、夕陽も綺麗だとか。

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●福間郵便局

福津市は福間町と津屋崎町との合名による「福津」で、その福間の中心たる所がこの辺りで、同時に福津の中心にもなりますが、やはり平成の大合併で新たにできた市名に合わせるというのは合併から10年ほど経とうとしている今でもなかなか少ないものですね。

やはり改名による計り知れない費用計上を考えると、なかなか変えられない…という事になるのでしょうか?昔から慣れ親しんだ地名をなくさないでほしい!などもあるのでしょうね。

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●又ぜー広告

これは福間駅のほぼ向かいのバスのりばのベンチが並んでいる所で、「お買物は 又ぜー通り商店街へ」とありました。

その下の写真では商店街の駐車場の地図もありました。ある店では、ここで買い物をすると、これら駐車場が20分フリーで利用できます、等あるようですが、「20分」とは…という感じもします。商店街といえど、構成する店の数はさほど多くないようです。

ベンチの真上に並ぶ広告群がレトロ感溢れていました。

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2016年8月23日 (火)

福岡/朝倉 卑弥呼ロマン

福岡県朝倉市、甘木鉄道/甘木駅からの歩き旅です。

(2011年11月当時)

●日本発祥の地!

と、なんとも大きく出たな、という感じですが、甘木駅前の一角に建てられていた碑です。

「卑弥呼の里」とされています。邪馬台国の場所については諸説あり、いまだに特定できない「永遠の謎」といってもよいテーマかもしれませんが、この辺りは遺跡の宝庫で、邪馬台国の条件に当たる要素が多数ある、との内容が傍の案内板には記されていました。

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●甘木駅前通り

時計の前に出ている2つの顔がユーモラスですが、駅前通りの様子です。

高層マンションが複数建ってはいますが、これ以外は比較的低層の建物で続いており、広く続く道には市の中心駅前感はありましたが、中心的エリアは少し先かな?という感じでした。

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●足湯

駅前を歩いていて、ホテルの前だったかにあった足湯です。

「どうぞご自由にご利用ください」などとありましたが、お湯は入っていませんでした…

遠くから見ると「足湯だ!」と分かりながら、いざ行ってみるとお湯が入っていない事に気づくと、本当にガックリくるものですcoldsweats02

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●ホテル

甘木駅前に結構あって、こうして見ただけで複数ありました。

ネットの宿泊サイトで、大都市はいくらでも出てくるんですが、人口のあまり多くない町で、なおかつ駅前ってあまり出てこずに宿泊に難儀した事が少なからずあったので、こういう都市を訪ねた際は「ちゃんと駅前にホテルがある」という、忘備の意味も込めて撮っています。これだ参考になった方がもし居れば幸いです。

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●筑後信用金庫 甘木支店

金融機関の建物って意外と個性的で見てて飽きないので、これと思ったものは撮っています。

ここは、内側にあたる部分がガラス張りになっているのが、なかなか面白いですね。門構えのように非ガラスの外壁部分が構成されていて。

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●甘木駅前郵便局

本局ではなく、駅前郵便局なので規模は小さめです。

しかし、白壁のきれいな建屋で、屋根の具合といい城下町を意識している部分があるのでしょうか?どこにでもこういう感じの郵便局があると言ってしまえばそれまでですが。

甘木というより、朝倉市域という方が正確かもしれませんが、「秋月城跡」が有名でもあるので。この辺りは秋月とは少し距離があるので、この時も行けませんでしたが、今度この辺りに行くのであれば、是非に秋月には行きたいところです。

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●ピーポート甘木

朝倉市総合市民センターであるこの建物、こういったネーミングがなされています。

大ホールは1,000人あまり収容でき、コンサートなども行われ、クロマニヨンズが去年公演を行ったりしています。

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●三面時計塔

上の写真で写っていた建物の向かい側の建物は和風のなかなかのものでした。これは「卑弥呼ロマンの湯」という温泉施設の建物で、ここには入ってきました。

そしてその前には、このような三面の時計塔があったのですが、写真を撮ると、この柱?の部分が必ずどこかしら、このようにキラッと光っていました。

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●あまぎあさくら歴史回廊

と銘打たれた案内地図がありました。

真ん中部分は「甘木市」と旧市名で表記されていたのがまたgoodでした。

邪馬台国候補に挙がるだけあって遺跡が多いのですね。

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●卑弥呼ロマンの湯

の素晴らしい建屋をいろんな角度から。

2004年に朝倉市健康福祉館としてオープンし、入浴料は420円、ととても安いです。大浴場だけだったか、あれこれ何湯というのが沢山あった訳ではなかったと記憶していますが、大きな建物に見合った広々とした浴場の雰囲気は感じられました。

プールやトレーニングルームもあるというなかなかの施設でした。

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2016年1月 4日 (月)

福岡/筑後 羽犬塚のルーツ

福岡県筑後市、JR羽犬塚駅からの歩き旅です。

(2011年3月当時)

●ホテル・エルモント

羽犬塚駅のほぼ真ん前にある好立地のホテルで、ここを訪ねた時に泊まらせて頂きました。料金も5,000円程度でリーズナブルでした。

この出で立ちから一瞬、マンションのように見えましたが、何より駅からすぐなので、ほぼ迷いようのないところです。

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●筑後市マンホール

「chikugoshi」のローマ字を渋い字体で書かれています。時計などで時々見かけますが、「フラクトゥール」という古いドイツ文字ですね。

市の花であるサザンカを中央部に散りばめ、周りに市の木であるクスノキの葉を並べている、という事です。

市の木クスノキなのは、市内に古くて大きなクスノキが沢山あるという事で、緑豊かで鳥の多く集まるクスノキに、筑後市が今後益々の繁栄の想いが込められていという事で、市の花サザンカは、他の花に比べて咲いている時間が長く、長く繁栄するよう願いを込めて選ばれたようです。

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●ある通り

駅からさほど離れていない地点の通りの一角ですが、時が止まった感満載でした。

まだまだこういう雰囲気のところは少なくない訳で、歩いているだけで非日常の気分になれて、気分転換にもなるな、と個人的には思いました。

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●スナック街

スナック街というか、1つのビルに集中して存在している格好でした。

通りかかったのが早朝だったので想像がつきませんでしたが、夜になるとこの辺りが本当に盛り上がるんだろうか?という疑問?は湧かずにいられませんでした。

こんな静かな所でも、どこからともなく人が集まってきて、盛り上がって、お金が落とされて行って、街の人々の生活が回っている…そのサイクルがなされているのか、不思議な感じでした。

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●国道209号

更に駅から離れて、線路とほぼ平行に走る国道に出てきました。

国道209号線は福岡県の大牟田市から久留米市を通る約35kmの道路で、途中にみやま市やここ筑後市などを通っており、この辺りだけでなく、全線通じて線路(JR鹿児島本線)と平行に走っているといいます。

また、大牟田市からみやま市の途中までは同じ国道208号と重複する事もあり、実質的な長さは28km程度になります。

この地点は羽犬塚駅から歩くと300~400m程度でしょうか、すっかり市街地で店や施設が並ぶ通りとなっていて、駅前感は希薄でした。ただ、ここをもう少し進むと筑後市役所があります。

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●筑後市役所

標識と建屋の写真です。

標識は左側に見えていますが、駅から進むと市役所は右に見えてくるので、これは駅方面へ振り返った形でのカットとなります。国道209号を駅から歩いて少し右に入り組んだ形で広場が設けられています。傍の花壇が大変きれいで癒されます。

市役所の建屋てっぺんには、新幹線開業が「決定」として看板に掲げられていました。

この時は2011年3月20日、九州新幹線の延伸開業がなされてわずか8日という状態でしたが、何せ東日本大震災の報道に連日衝撃を受け続けていた時期でもあり、新幹線開業のお祝いムードもなかなか響かなかった感もありました。

市役所自体は2階建てという低層で、その分横に広い建屋でした。

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●御茶屋跡

国道209号を更に駅から離れて、北方向へ進んでいった「羽犬塚小学校」の前にあたり、駅からの徒歩距離(駅前通り直進→国道209号の交差点で左折した場合)でいうと1km程度になります。ここは「薩摩街道」とされ、(坊津街道)と表記されています。

坊津街道は、筑後市内を南北に貫通し、ここ羽犬塚は松崎、府中と共に「筑後三宿」に称され、整備された宿泊施設としての「御茶屋」がこの地にあったといわれています。

ここでの御茶屋は、街行く人が休憩を取る「茶屋」というものではなく、大名が休泊する「本陣」的な意味合いで、ここは久留米藩直営の施設であったといわれています。

建物は17間×28間で、その他付属地を合わせ約1,200坪、4,000㎡にもなる広大な施設であったようですが、その面影は植えられていたツバキやソテツなどに残るのみで、施設は小学校になり変わってしまっているようで。もしそれらの建物が残っていたら、完全にこの辺りは観光コースから外せないエリアになっていたのでは…と思わされました。ここでもこうして跡地として残す形にはなっていますが。

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●羽犬

この「羽犬塚」のルーツであり象徴的な存在である「羽犬」が、同じく羽犬塚小学校前に像として設置されていました。羽犬塚の駅にもあったものです。

後ろ足を上げて羽を広げているのがなんとも不思議な印象でしたが…

駅記事にも書きましたが、この犬の伝説は諸説あるものの、豊臣秀吉の九州討伐に関係して生まれたものとされており、犬を弔う塚はこの北の宗岳寺というところにある、と説明書きにありました。

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●宗岳寺

そして、この塚のあるという宗岳寺(そうがくじ)へ。小学校とは目と鼻の先で、国道209号とクロスする国道442号との交差点の角にあります。

犬の塚と共に、六地蔵も祀られていますが、これは秀吉がこの寺に来た時に寄進したものと言われています。

このような福岡県の小都市において、天下統一を成し遂げた人物にまつわる場所であるものの、有名な観光地でもなく、人が絶え間なく出入りするような賑わいもなく、あくまでひっそりとしていましたが、そういう所だからこそ余計に訪ねたくもなり、このように取り上げてみたくもなりました。

羽犬塚という地のもとになるこの場所を訪ねた事で、筑後市の旅が潤いあるものとなり、ここへ行った、という明確な証しもつくれて良かったと思いました。

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2015年12月21日 (月)

福岡/田川 後藤寺の商店街いろいろ

福岡県田川市、JR田川後藤寺駅からの歩き旅です。

(2011年3月当時)

●たがわマップ

駅前の周辺図です。

右上から左下まで、対角線ではないものの斜めに線路が通っていて、当駅は地図の真ん中よりやや左下の、線路が三つ又になっている部分です。

対して、ほぼ真ん中あたりにあるのは、田川市内のもう一つの中心駅である「田川伊田駅です。地図右側に各施設が番号つきで紹介されていますが、殆どのものは田川伊田駅を囲むように点在しています。

伊田駅の方はこの時行かなかったのですが、行っておけば…と少々後悔もしました。ただ、この後藤寺-伊田間にも結構点在しているので、伊田方面へ向かってのアプローチもありかな、というところですね。

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●駅前の路

駅を出て右側を向いたところは、このような道路になっていました。

手前から右折して、更に左折するのですが、この部分が駅の線路を跨ぐ形となっていて、出口の反対側へ向かう時もこの道路を通る事となります。

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●駅前の路・2

こっちがメインの駅前道になるかと思いますが、上の写真の道路と繋がっています。

こちらは駅を出て左前に位置する感じです。

福岡の名物として名高い「ひよ子」でお馴染みの「ひよ子本舗 吉野堂」の店舗がありました。

「ひよ子」は1912年に、同じ筑豊の都市である飯塚で誕生して以来、既に100年を過ぎた伝統ある銘菓ですが、この当時は2011年で、99年というまさに節目を迎えんとする状態でした。

ただ、このお菓子が博多に進出したのは昭和30年代になってからで、その後福岡を代表するお菓子になっていったという訳です。

当日は雨ふりで、こんな風に景色を撮るのもなかなか大変でした。

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●田川ごとうじ銀天街

上の写真の駅前商店街を進んで程なく、横を見るとこのようなアーケード商店街がありました。

これはもう入るしかない!ですね。

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●銀天街を往く!

アーケードに入って、この「後藤寺」という大きな赤い提灯はインパクトがありました。

内装はかなりきれいで、華やかに装飾されていて、活気ある雰囲気なのですが…、肝心の店が軒並みシャッターが下りてしまっていて、ゴーストタウンを歩いているようでした。

この田川は、かつては炭鉱で栄えたいかにも筑豊地方らしい街で、ここも炭鉱操業時は大いに栄えたようですが、1969(昭和44)年をもってすべての鉱山が閉山となり、人口も昭和33年当時は10万人いたものが、今では半減してしまっているという現状です。

当時の栄華はこの商店街の華やかさな内装に表われ、その後廃れていった街の様子はこのシャッターのおりた店の並びに表われている、そんな気がしてならないです。

これらの店たちは一体いつまで「現役」だったのか、と思いを馳せずにはいられませんでした。ここの限らず、北海道でも同様にかつて炭鉱で栄えた街を見ると、いつもその事を感じさせられます。

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●後藤寺の歴史を限りないものに!

という大きな絵も商店街にありました。

おじいさんから若者へ、後藤寺の歴史を後世に継いでいこう、という表われでしょうか。

また伝統とふれあいの街 田川ごとうじ銀天街 藤薫る、出会いのみちとして、写真が数枚大きく載せられていました。

廃れゆく街への危機感がありありと見えた気がしました。

こんなに天井部分が華やかに飾りつけてあるのに、開いていない店舗が多いのは大変勿体ないですね。

どこの町でもこういう商店街の活性化は難題として突きつけられているとは思いますが…。

ちなみに田川市の中でも、伊田よりもこの後藤寺の方が衰退が顕著といわれ、2004年の福岡県の計画では田川では伊田が拠点、後藤寺が復拠点、という位置づけだそうです。

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●サンシャイン通り

ここは文字通りアーケードのない、「太陽の昇る」通りという事でしょうか。

これまたシャッター、シャッター…という感じの商店街ですが…。

それでもこの通りは冬に市が開催されたり、夏にも納涼夜市が行なわれたり、スポット的には賑わうようです。

昭和30年代には、この通りは「朝映通り」とよばれ、実際その名前でゲートがつくられていましたが、今の名もほぼこれを受け継いでいる形ではありますね。

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●上本町商店街

「プロムナード 上本町商店街」と銘打たれた入口から来ましたが、ここもまた内装は結構豪華。

シャンデリア様の電灯とか、両サイドの飾りつけとか、天井なども寂れた感はなく、暗い通りでもない…でもシャッターの下りている店が実に多かったです。

八女茶のお店があるところに筑豊らしさが感じられます。

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●再度駅まで戻って

上本町から駅の方へ戻り、銀天街の入口方向へ再度。

右手前の家具店は現役じゃないだろう、と勝手に思って探していたら、この店が開いた格好の写真がありました。しかも「モバイルたがわ」なる地元関係のページに。ただしそれがいつのものかは分かりませんが、そんなに遠い過去の事ではないと思います。

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以上、いろんな商店街を見てきましたが、その外にも目を転じれば、更にかつては炭鉱で栄えたのに…感が強くなるのではないかと思います。

次は伊田の方にも行ってみたいものです。

2015年11月18日 (水)

JR羽犬塚駅 (福岡県筑後市)

福岡県筑後市のJR羽犬塚(はいぬづか)です。

筑後市では以前にJR筑後船小屋駅をupした事がありますが、今回の羽犬塚駅の方が市の中心駅となります。

筑後市は少し変わった状態で、

筑後船小屋駅 新幹線停車駅 中心駅でない

  羽犬塚駅  在来線のみ   中心駅

という「ねじれ構造」ともいうべき形となっています。

九州新幹線で見られるパターンとしては、

 〇×駅 在来線のみ 中心駅

新〇×駅 新幹線停車 中心駅でない

のようなのはありますが、全く違う駅名でこの状態というのは稀かと思います。

-JR羽犬塚駅
【路線】JR鹿児島本線(門司港-八代間)
【開業】1891年4月1
【訪問】2011年3
【1日あたり平均乗車人員】 3,065人/日 (2010年)
【近隣の主要駅(門司港方面)久留米駅→3
           (八代方面)筑後船小屋駅→隣駅、瀬高駅→2駅

●駅名標

九州の駅らしくその駅に因んでのイラストがあり、ここには羽の生えた犬が載っており、諸説ありますが豊臣秀吉に因んだ犬です。秀吉の行く手を阻んだ犬、秀吉の愛犬等々全く逆の解釈が説として流れていますが…

新幹線のある筑後船小屋駅は隣駅になります。

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●ホーム

2面3線で両ホームは跨線橋で繋がっているというスタンダードな構造です。

市の中心らしさが長く続くホーム屋根に窺い知れます。

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●恋むすび

駅舎側のホームにありました。

市内ににある「恋木(こいのき)神社」に因んで置かれているようで、個人的にこの駅で最も記憶に残ったものでした。

全国で唯一、といわれる「恋の神様」だそうで、ここから徒歩約20分の所にあるといいますが、現地へ行けない方はここで触ってくるのも良しかな、と(笑)

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●自由通路

駅の外で跨っている自由通路です。

当駅は橋上駅舎ではなく地上駅で、ひとつの出口から入っていく形であり、これは駅ホームの跨線橋のように駅の内側で跨っているものとは別に、出口から線路を跨いだ向こう側へ出るための通路です。

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●駅前広場周辺

2つあるうちの上側の写真は駅側からの広場周辺の様子です。

小さいながらカラフルなお店が軒を並べていました。

下側の写真では新幹線の高架が長く続いている様子が見えますが、この景色がなんとも素晴らしかったです。当時は2011年3月、あの東日本大震災があったのと時期を同じくして、というかその翌日に九州新幹線が開業し、その僅か1週間後がこの写真の時期なのです。

開業から4年半以上が経過し、九州新幹線もすっかり定着しましたが、この時は「ついにこんな所にも新幹線が通る時代になったか」と思ったものでした。

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●羽犬の像

羽犬塚駅前の最も象徴的なものとして、この羽犬の像があります。

この羽犬には複数の説がありますが、先述の通り秀吉にまつわる犬とされており、このようなモニュメントもこの駅前だけでなく、他にも何ヶ所か設置されているようで(下側の写真の右側に例示されています)、実際1ヵ所は街なかで見かけました(羽犬塚小前のもの)。

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●羽犬塚駅 駅舎

2009年にできた新駅舎です。九州新幹線の高架工事に伴って駅舎を移転した末にできたといいます。

規模が大きくなったとかそういった事はないようで、橋上駅舎化された訳でもなく、ただスタイリッシュになったというか、そんな感じを旧駅舎写真と見比べてみると抱きます。

筑後市内で中心駅ではない筑後船小屋駅の方が新幹線が停まるためか、駅舎規模としては遥かに大きいのですが、それでもこの羽犬塚の方が中心駅なのです。

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2015年6月 9日 (火)

JR久留米駅 (福岡県久留米市)

福岡県久留米市のJR久留米(くるめ)です。

久留米市は福岡県の南東部に位置し、人口は302,413人(2015.2.1現在)で、福岡県では第3位、九州でも8位の人口を誇り、九州の県庁所在地でもなく、政令指定都市でもない市としては最多の人口となります。

'80年代を一斉風靡し、今もなおアイドルとして君臨し続ける松田聖子さんの出身地であり、また同時期にアイドル的バンドとしてやはり大活躍したチェッカーズの多くのメンバーの出身地として、非常に有名です。

-JR久留米駅
【路線】JR九州新幹線(博多-鹿児島中央間)
      鹿児島本線(門司港-鹿児島間)
      久大本線(久留米-大分間)

【開業】1933年12月15
【訪問】初訪問-2009年7
【1日あたり平均乗車人員】75人/日 (2013年) 
【近隣の主要駅(博多方面) 博多駅→2駅 ※新幹線 
           
(鹿児島中央方面) 熊本駅→4駅 ※新幹線 
 (門司港方面) 鳥栖駅→2駅
 (鹿児島方面) 羽犬塚駅→3駅
 (大分方面) 築後吉井駅→8駅

駅名標まわり

久留米駅はJRと西鉄とがありますが、両者は少し距離があり、全くの別もので、今回はJR駅の記事となります。

この駅に初めて来たのは2009年になりますが、その後2011、12年にも訪ね、その度に違う所を撮ってますので、色んな時期のものが出てきてしまいます。

この間に特段の変化がなければいちいち断らずに載せるつもりでしたが、新幹線の開業や駅舎の改築など大きな変化が出てしまったので、写真毎に時期を明記します。この写真は2009年初訪問時のものです。九州らしい駅名標ですね。

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●ホーム

2009年当時のホームの様子です。

当時はまだ在来線のみで、翌々年新幹線の開業を迎える事となります。

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●次発列車表示

これも2009年当時のもので在来線のみです。

3つありますが、

左:久大本線という九州を横断する形で大分までの路線

中:外周をまわる鹿児島本線の大牟田・熊本方面(鹿児島方面)

右:同じ鹿児島本線で反対の鳥栖・博多方面

のものです。

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●新幹線駅名標

こちらは2012年に再訪して、新幹線を利用した時のものです。

久留米は、博多からだと一度佐賀県の新鳥栖を通って、そしてまた福岡県に戻るという事になります。

博多 (福岡県)
 ↓
新鳥栖(佐賀県)
 ↓
久留米(福岡県)

といった具合です。

ちなみに新幹線の開業は2011年3月12日、あの東日本大震災の翌日で、当時は震災の凄惨さを伝えるニュースばかりで、この開業の話がすっかり影に隠れた感がありました。

時刻表が載っていますが、1時間だいたい3本ですね。

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●新幹線ホーム

こちらは博多方面です。

しかし九州新幹線が開業して、関西圏からも気軽に訪ねられるようになったな、と実感します。

以前は熊本なんて、博多よりずっと向こうと思っていましたが、今やすぐそこという感覚ですし、鹿児島も近くなったな、というのは本当に実感します。

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●顔抜き看板

これも2012年当時のもので久留米駅構内にあった「筑後の酒」の顔抜き看板で、"くるめの中心で愛をSAKEぶ"などと書かれています。

抜きの位置がなんかよく分からない所にあり、右の酒の分はいいとして、左の枡とおちょこの間に女の子?が居て、そこが顔の部分になっていました。

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●自由通路

丸屋根で、てっぺん部分がステンドグラス風の凝った建屋になっていました。

「ほとめき広場」というそうです。

「ほとめき」というのは、筑後地方の方言で「おもてなし」を意味する言葉だそうです。

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●からくり太鼓時計

こちらはまたまた2009年当時のものですが、このからくり時計はまだ現存しています。

この時計は8-19時の間で毎時00分に5分間、音楽が流れている訳ですが、その曲目は久留米出身者やそのゆかりの方々が関係しているものとなっています。

松田聖子とかチェッカーズとか全盛期といっていい時期にTVで見ていたような存在なので非常に親しみある訳です。若い世代からみると少しズレてくるでしょうが、それでも松田聖子さんはまだまだアイドルと呼ばれ、若年層にも影響を及ぼしているのだから素晴らしいの一言です。「赤いスイートピー」か「赤いスウィートピー」か微妙なとこですがsmile

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●世界最大級タイヤ

久留米駅前にある大きなタイヤです。

この中の説明書き?!にも「直径約4m、重さ約5t 世界最大級タイヤ」とあります。建設・鉱山車両用とも。

久留米は「ゴム産業発祥の地」とされており、大正末期の底にゴムを貼った地下足袋から昭和初期には自動車用タイヤへと発展し、市の中心産業へと成長していったのですが、その会社は「ブリストン」。よく「ブリジストン」と間違われますが、「ヂ」が正解です。

アサヒシューズで有名な「アサヒコーポレーション」はブリヂストンの源流であり、月星シューズで有名な「ムーンスター」と共に本社はこの久留米に存在し、日本のゴム産業を代表するようなビッグメーカーがここ久留米を中心として機能している訳です。

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●JR久留米駅 駅舎

西鉄久留米駅とは距離のある全くの別ものにつき、このように表記しましたが、現在の駅舎です。新幹線が開通してから立派な駅舎になりました。

真ん中がスケルトン調で半円に近い形といえば宮城県の方ですが、槻木(つきのき)駅とか角田駅などを連想します。

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●JR久留米駅 旧駅舎

2009年初訪問時の旧駅舎です。

人口30万を超える都市の中心駅にしては少々寂しい感じでしたが、新幹線開業の恩恵を受けてか、この駅が上の写真のようになった訳で、発展具合が窺えるというものではないでしょうか。

という想いもあり、またこの旧駅舎時代にこうして訪ねて記録に残せてよかったという想いもあります。

新幹線開通で近くなった九州、近くなった久留米、気になったら行かれて見ては…と別に宣伝する訳でもないですが…。

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2014年9月23日 (火)

福岡/中間 中鶴の栄光

福岡県中間市、JR中間駅 からの歩き旅です。

(2011年3月当時)

●駅前道

三叉路になっている駅前の道は、向こうが駅から伸びる道で、他の二方(左右)は線路に沿う形です。

向こうの通りは歩いて程ない所に川があって、橋が架かっています。ビルやら建物がほとんどなくて、駅前か?と思うようなのどかな風景です。

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●中間市マンホール

花はコスモスのようで、遠賀川とこれに架かる鉄橋が描かれているようです。

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●中間市マップ

中間というだけあってか、市の中間を川が通っていたり、市の中間部を鉄道が通っていたりしてます。

現在地である中間駅は、真ん中の線路が通っている部分の川を渡っている部分のすぐ北になります。

マンホールに描かれている鉄橋は、おそらくこの川に架かっているものと思われます。

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●橋へ

駅前の道路を進んで程なくの地点です。

マンホールのところで遠賀川の名を出しましたが、その遠賀川水系の曲川(まがりがわ)というのが、ここを流れている川です。

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●曲川

を橋から眺めた様子ですが、、

名前とは正反対に、一直線でした(笑

でも雲や空が川面に映えていたりして、きれいな川なのかな?とも感じました。

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●ふれあい大通り

駅から橋を渡った向こうの通りです。

駅前は寂しげな雰囲気もありましたが、橋を渡ってからが賑わっている、そんな市は時々ありますが、ここもそのひとつ、という事でしょうか。

ちなみに方向としては、中間駅から遠賀川に架かる鉄橋は西になりますが、こちらは逆に東方向になります。

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●やっちゃれ祭

と歩道のレンガに埋め込まれるように描かれたイラストがありました。

「筑前中間 やっちゃれ祭」

10月に行なわれる秋祭りだそうで、幼稚園の子供みこしや小学生の子ども山笠などが多数練り歩き、ステージでは様々なイベントが行われるようです。「やっちゃれ」」とは、「やっちゃるぞ」(やってやるぞ)という意気込みのこもった言葉からきているようです。

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●中間市各施設

が集中しているエリア、という事になりますが、ここが市の中心地になるでしょうか。駅から東へ600m程度の地点です。

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●中間ハーモニーホール周辺

上の写真とほぼ同じ位置で、道路寄りのカットです。

中間でのイベント・コンサート・発表会等様々に活用され、先述のやっちゃれ祭りは10/19に予定が入っています。

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●中鶴炭砿偲郷碑

とありました。

これも各施設が集中するエリア内のもので、中間市立図書館の前に建っています。

筑豊炭田として栄えた中間ですが、中嶋と呼ばれた鶴の越冬するこの地に、1906年に炭鉱が開かれ、中鶴と名付けられたといいます。

以来、市街地が形成され、日本の近代化、産業の高度化に貢献してきた訳ですが、石油へのエネルギー転換等時代の波に押し寄せられ、1964年に閉山となっています。この碑は、かつての栄光を偲ぶものとして、また石炭産業が中間の発展の基盤を築いたものとして市民の記憶にとどめたい、そんな想いが込められた形で1981年につくられています。

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●支援自販機

最後はこの写真、中間まちづくり支援自販機です。

こういった自治体支援の自販機は近年よく見られるようになり、新たに市を訪問する時の個人的な楽しみのひとつになりつつあります。市独自のデザインが入ってるなどあれば尚良しですね。右上のイラストが素敵でした。

ジュースを買う事で、市のまちづくりに貢献していると思うとそれも嬉しいものがあります。そこにお金を落としていく、というそんな気持ちもあります。特に過疎にあえぐ街などであれば余計に。

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以上、中間市からでした!

2014年6月22日 (日)

福岡/みやま 瀬高一番街まで

福岡県みやま市、JR瀬高駅からの歩き旅です。

(2011年3月当時)

Himg0427●駅前左

瀬高(せたか)駅を出て、駅前広場を見渡し左側の様子です。

手荷物・自転車預かり所がありますが、渋い木造の建屋にまず目が惹きつけられました。

また広場左端、つまりこの預かり所の真ん前はバス停があります。

Himg0429●駅前モニュメント

駅前広場のど真ん中にあたる部分はちょっとした公園を形成しています。そしてその中にこのモニュメントがあります。

この公園について旧・瀬高町として説明書きがなされていましたが、このモニュメントを中心として各方向へ向かっている白い線は、1889年の市町村制施行時に瀬高町を形成する当時の8町村を表しているそうです。

そしてこのモニュメントは卑弥呼を表したものだそうで、風をはらんだ衣が今にも飛び立ちそうですが、瀬高は邪馬台国の存在した地とされる場所のひとつであります。

Himg0435●駅前通り

瀬高駅から駅前広場を越えて直進した通りです。

県道725号ともなっている幹線道でもありますが、商店街の雰囲気は残しながらもマンションが建っていたり、建屋がまばらだったり、かつて栄えたであろう商店街、という印象を持ちました。

ランプ型の2段構え街灯が並ぶところにかつて商店街として栄えた面影を感じます。今でも商店街なんでしょうが…

Himg0439●路地裏

駅前通りから横道それると、このようなスナック街が形成されていました。

ここの場合は突き当りが行き止まりになっていて、その店目的でないとここを通らない、という構造になっていたので昼間ここから足を踏み入れがたい雰囲気でした。

Himg0440●木々と街並み

再度駅前通りに戻って、葉のない木々が歩道に植えられて立ち並んでいました。葉がないのは季節的なものかもしれませんが、この光景はよく覚えています。

立ち並ぶ建屋は個人商店、会社、一般家庭多種多様です。

Himg0442●講演会ポスター

市内の公立高校である「山門(やまと)高校」の同窓会総会にて設けられた講演会に、元B&Bとしてかつて漫才ブームを牽引した島田洋七氏が迎えられており、そのポスターに出くわしました。

2011年5月3日に行なわれたもので、「洋七流 縁(えにし)から絆へ」と銘打たれていました。

洋七氏は漫才師として注目を浴びた期間はそんな長くなかったけれど、その後も色々な活動で世間の注目を浴び今に至るというところで、少し漫才を引きずった時期もあったように思いましたが、その後は必ずしも漫才に頼らず人生を切り拓いていった人、という印象を受けます。

ちなみに山門高校のOBには自民党の古賀誠元幹事長が居るとの事です。

Himg0443●みやま市商工会館

瀬高駅から直進して200mほどの地点、交差点の角にあります。

こじんまりとした3F建ての建屋でありますが、建物手前についてるらせんっぽい階段が印象深いものがありました。

邪馬台国の場所として一説ある地ということもあり、「卑弥呼の里」と看板には書かれています。

Himg0445●野田義勝氏 像

上の商工会館の玄関前にあった胸像です。

野田義勝氏とは、昭和26年、この瀬高町商工会館創立時に会長となり、昭和33年法的にも認められた瀬高町商工会の会長を務めた人物で、町内の商工業の指導/育成に貢献した人物です。

創立以来30余年尽力され、数々の表彰を受けたとあり、昭和末期まで御活躍されたのでしょうか。

Himg0444●一番街通り

瀬高駅から直進して商工会館の所で角を左折した先の通りです。

こちらの方が駅前通りよりハッキリと商店街らしい佇まいとなっています。

昨年夏には初めて「瀬高一番街よかとこ祭り」というお祭りまで開催され、通りとしての気運の高まりに期待したいところです。

といったところで瀬高駅前でした。

2013年7月30日 (火)

福岡/うきは 小雨の中の旅

福岡県うきは市、JRうきは駅からの歩き旅です。

(2011年3月当時)

マンホール

うきは市というより前・自治体の浮羽町のマンホールのようですが(どちらもマンホールでは「うきは」とひらがな表記になるので分からない)、カワセミと滝がメインという事で、カワセミは市のいたる所で見る事ができるのだとか。滝は巨瀬の三滝のうちのひとつであろうといわれています。

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駅前のタバコ屋

昭和の雰囲気満載のタバコ屋さんです。

コカコーラのこのロゴと一緒になった看板、これが「商店」に対して自分の持ってるイメージですね。コンビニでタバコが買えるようになって、どんどんタバコ屋さんがなくなってきてますね、タバコ代の値上がりや禁煙の進む風潮なども加速して。

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キラキラうきは付近

うきは駅から直進して程なく交差点があり、これを左折した所です。

キラキラうきは交流サロンということでこのレンガの建屋、市民やあるいは旅行者との交流も図れるスペースで、喫茶コーナーもあるようで看板が出ていました。

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ひな壇とお雛様!

これもそのキラキラうきはにあったと記憶していますが、福岡県では八女でズラーッと並ぶひな人形を見たし、柳川でもひな人形を見たような覚えがあり、ここでもか…!と思いました。すっかりひな人形=福岡県の図式が自分の中ですっかりできあがってしまいました。

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磯乃澤

明治26(1893)年創業といわれる、うきはの地酒の蔵元です。

こういう絵を見ていつも思いますが、昔は多くの職人や人手をかけて物を作っていたんだな、という事。今みたいに採算だとか人時生産性だとか世知辛い事気にしてないな、という感じでなんだか羨ましい気さえします。多くで働くとテンションも上がる気がするしで。

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浮羽郵便局

旧浮羽町の自治体名から、そのまま漢字表記となっています。

思っていたより大きな本局でした。

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うきは市民センター

半円型のひさしが突き出て印象的なホールで、3F建ての構造で、図書館も入っているそうです。

脇に看板が出ていましたが、「田篭ヤマメの里まつり」中止、とありました。

ここ「うきは」の田篭という地区で毎年3月に行なわれるヤマメ釣り等のイベントだそうですが、この訪問時は2011年3月、東日本大震災が発生してまだ間もない頃で、その悲痛な思いが癒えない中で、このイベントも中止となったそうです。

翌年、2012年は無事開催されたようで、これを聞き一安心しました…

この、うきは市めぐりの時はとにかく雨の中で、風景を撮るのはちょっと困りものでしたが、やはり雨の中撮った町の事は、他所よりよく覚えてる気がします。

自分的にはこれだけ見れただけでも、それなりに満足ですが、記事的にはいまひとつな感じですね。うきは市へ行くなら、うきは駅よりも隣の筑後吉井駅の方が白壁の街並みを楽しめたり、旅を満喫できそうです。予備知識なしで行ったので、市名になっている「うきは」駅に飛び込んだ次第ですが、それはそれでいいのかな、と。今度うきは市に行けるなら、吉井の方にに行きたいものです。

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