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34広島県

2019年3月23日 (土)

JR福山駅 (広島県福山市)

広島県福山市の福山(ふくやま)です。

福山市は、広島県の南東部に位置し、人口は463,020人(2018.10.1現在)です。広島県では県都・広島市に続く第2の人口を誇る都市です。

岡山県と接しており、備後都市圏の中心的な位置づけにあり、福山城や鞆の浦などの観光資源の豊富な街でもあります。

-JR福山駅
【路線】JR山陽本線(神戸-門司間)
      福塩線(福山-塩町間) 
      山陽新幹線(新大阪-博多間)

【開業】1891年9月11
【訪問】初訪問-2001年12
【1日あたり平均乗降車人員】20,904人/日 (2016年)  
【近隣の主要駅(神戸方面) 笠岡駅→3駅 
          
 (門司方面) 尾道駅→7駅
           (塩町方面) 府中駅→14駅
           (新大阪方面) 岡山駅→2駅  ※新幹線
           (博多方面) 三原駅→2駅  ※新幹線

▼新幹線の駅名標です。

福山は山陽新幹線では、広島県で最東端の駅で、「のぞみ」が停車する便もあり、近隣では割に格上の新幹線停車駅です。

隣駅は共に「新」のつく、新倉敷駅と新尾道駅で、どちらも市の中心駅ではないのに対して、福山は市の中心駅に新幹線も停車します。

在来線では、山陽本線に属するほか、福塩(ふくえん)線の始発駅でもあり、北上して塩町駅まで至りますが、途中で府中駅などを経由します。

ここへ初めて来たのは2001年の事ですが、この記事では2012年8月訪問時の写真を載せていきます。

ホームからお城(福山城)が見えているのが、ここの大きなウリのひとつです。姫路駅でも新幹線ホームから姫路城を見る事ができますが、少し先に小さく見える形で、ここ福山の場合はこんな感じ、もうすぐそこに見えるところが全然違います。

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▼新幹線のホームです。

のぞみなど優等列車も停車しますが、大抵の新幹線駅と同様に、両方面1線ずつで2面2線のホーム構造となっています。

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▼ホームからこんな感じで福山城が見えるというとても贅沢な駅です。

本当に駅を出てすぐにこのような立派なお城があるので、最低限の距離観光ができてしまうという訳です。

福山城は戦災により天守は焼失し、戦後20年経った1966年に復興された「復興天守」のお城ですが、その出でたちは壮観で、来る者には大きな印象を与えてくれます。石垣のかなり広くに使われているので荘厳感が高いです。

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▼ホームから降りてきて、新幹線改札までのスペースにて色々ありましたが、これは「鯛網」 (たいあみ)というものです。

福山きっての観光名所「鞆(とも)の浦」の夏の風物詩として観光鯛網として定着しており、その歴史は実に380年におよぶといいます。初夏に産卵のために瀬戸内にやってくる鯛を網で捕える漁法で、今では観光で観覧できるものとなっており、4月末から1ヶ月程度が対象となるようです。

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▼駅構内にあった福山夏祭りのPRとしての浴衣とマネキンです。

この時は訪ねたのが夏だったので、こういう形になっていますが、時期に応じて変わっていくコーナーだと思います。

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▼福山は「ばらのまち」だそうだす。
イコちゃんと共に駅職員さんの顔抜き看板がありました。JR西日本感満載です。
これが約7年前の姿につき、この看板も今はもうないと思います。
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▼駅から出てきてすぐの所で、こんな風に福山城を見上げる突このような感じでした。
新幹線ホームからだと見下ろす形になり、ここからでは見上げる形となり、また違った福山城の表情を見る事ができます。
空が青ければ青いほどお城が映えて、景色としては素晴らしくなるように感じられました。
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▼駅から出ての目線です。
さすが広島第二の都市という感じで、都会感はすごかったです。
中国地方全体でも人口で4位(上位は広島、岡山、倉敷)という都市なので、その重要拠点としての度合いは高く、駅前にはタクシーがズラリと並んでいます。
左向こうの天満屋福山店はまだ営業しており、三原店は閉店してしまいましたが、こちらはまだ健在のようです。
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▼福山駅の駅舎です。
中国地方有数の都市で、新幹線も停車する拠点駅だけあり、実に立派なものでした。ただ駅ビル形式ではない為、中国地方の他の人口上位の中心3駅のような高層の大規模な駅舎ではありませんでした。
熊本へは2時間と少しで、鹿児島へは3時間以内に着くと謳われていました。東京へも3時間半という事で、結構西にありつつもそんなもんで行けるのか…と驚きでした。のぞみの停まる駅は強いですね。
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2019年2月16日 (土)

JR新尾道駅 (広島県尾道市)

広島県尾道市のJR新尾道(しん・おのみち)です。

都城市ではJR尾道駅をupした事がありますが、今回は新幹線単独駅であるこの駅をupします。

-JR新尾道
【路線】JR山陽新幹線 (新大阪-博多間)
【開業】1988年3月13日
【訪問】2018年11月
【1日あたり平均乗車人員】 1,046人/日 (2017年)
【近隣の都市駅】(新大阪方面)福山駅→隣駅 
          (博多方面)三原駅→隣駅 ※駅数はいずれも新幹線駅ベース

▼昨年11月、やっとの事で訪ねました。

東海道・山陽新幹線で最後に訪ねた駅です

冒頭も触れましたが、新幹線のみの駅で在来線はありません。しかも在来線の中心である尾道駅へはバスで15~20分もかかり、利便性は良いとは思えないです。

でありながら、尾道市や縦に繋がる自治体を中心とした寄付金で工事費62億円を賄ったといい、いわゆる「請願駅」で、昭和最末期の1988年3月13日に開業していますが、2つ隣の東広島駅(やはり同じ新幹線専用駅)も同日に開業し、1日に広島県で2つも新しい新幹線駅ができた形になります。これは路線の初期開業ではなく、既設路線に新規開業された場合では非常にレアなケースではないでしょうか。

山陽新幹線では、新岩国駅に次いで利用者数が少ない駅で、利便性を考えると必然的にそうなるかと思いました。旅するという観点でも、わざわざ寄らないと行く機会のない所、と感じた事もありましたので。

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▼駅ホームから窓越しに眺めるとこんな感じでした。

これを見る限りでは、普通の都市駅という感じで、新幹線駅として不便な部分は感じられませんでしたが、下りてみての様子とはまた違う事も後で感じる事となりました。

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▼新幹線駅らしく尾道市のPRがありました。

尾道といえば港町としての側面が大きく、ここでは村上水軍に因んだ内容が取り上げられていました。大林宣彦監督の「尾道三部作」とされた一連の映画もありましたね。

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▼ホームの様子はこんな感じです。

基本的に「こだま」しか停車しない駅で、朝方に上り方面で2本ほど「ひかり」が停車するのみで、あとはすべて「こだま」のみのようです。

基本的に1時間1本のダイヤであり、尾道中心部から離れている事もあり、近隣の三原や福山からも尾道駅の方へは行っても、わざわざここまで来る人はあまりいない、というのが現状のようです。

ちなみに同日開業した、やはり新幹線のみの駅である「東広島駅」の方は、昨夏の西日本豪雨の際に山陽本線が機能しない状態に陥った際に、バスの代替輸送等でかなりの稼働をしていました。実際行った時にバス待ちの客で行列ができていたので。このような有事の際に機能するだけでも、立派な存在意義を証明できたのかもしれない、と感じたものでした。

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▼一部かなりブレていますが、新尾道駅の構内カットです。

新幹線駅という事もあり、それなりの設備は整っているかな、というところでした。

観光物産館があり、尾道ラーメンなどが売り出されていました。

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▼新幹線の駅を出てすぐに立っていた広告塔です。

てっぺんに見えるのは尾道にある国宝の寺「浄土寺」と思われます。

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▼新尾道駅の北口駅舎です。

どちらかというと、サブ側になります。山側

2F部分から階段を下りて行く形で、真ん前は駐車場です。

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▼北口の駅前です。

一応広場的なスペースはありますが、駐車場メインという感じで、タクシーは見受けられず、バス停も見当たりませんでした。

いわゆる山側ゆえ、こういう形になるのも致し方ないかな、という感じでした。

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▼南口へ転じて駅前の様子です。

ここから少し街を歩いてみましたが、ただ街が続くだけの感じで、特に目を惹くものや地元ならではのものには出くわしませんでした。

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▼南口のバスのりば案内です。

1番から3番まで30mおきに設置されています。

尾道駅への移動は1番のりばで、実際この時ここから尾道駅までバスで行きました。

2番は高速バスが通っていて、松山や今治広島空港などへの便がありました。

ちなみに尾道駅へは、バスで約15分、190円となります。便数的には日中は1時間に3~5本程度ありますが、19時を過ぎると1本になる感じで、ところどころ1時間に1本の時間帯もあります。

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▼バスのりば周辺(南口)です。

バスは南口のみにあって、北口とはかなり雰囲気が違い、尾道駅側にあたる南口はいかにもメイン側という感じでした。

のりばの屋根もぐるっと長く設けられていて、床地も整備されていて、とお金かかってる感がありました。

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▼南口の駅舎を色んな所から撮りました。

こちらから見ると新幹線駅らしい駅舎と感じます。

しかし周辺は普通の街で、ド田舎に建った駅では決してありませんが、よくある新幹線駅前のような賑わいがある訳でもありませんでした。

ちょっとこの周辺で時間つぶすのは厳しい、と感じたのが率直なところでした。

なかなか寄ろうと思って行かないと寄れないところだと思うので、敢えて、そしてようやく行く事ができましたが、こんな新幹線駅もあるよ、という事で訪ねる事ができて良かったです。

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2018年7月17日 (火)

JR新広駅 (広島県呉市)

広島県呉市のJR新広(しん・ひろ)です。

呉市ではJR呉駅JR広駅をupした事がありますが、前回記事に続く呉市の駅のご紹介です。

-JR新広駅
【路線】JR呉線(三原-海田市間)
【開業】2002年3月23
【訪問】2016年8月
【1日あたり平均乗車人員】 3,781人/日 (2016年)
【近隣の都市駅(三原方面)竹原駅→9駅
           (海田市方面)呉駅→2駅

●駅名標

広駅に「新」がついての「新」広駅です。

2002年にできた新しい駅ですが、利用者数は広駅とほぼ同数になっています。

呉駅までは2駅で、広駅から見て呉駅寄りの隣に位置しています。

2016年、広駅に寄った際と同じ日に寄ったのですが、ここには目的があって寄りました。

下蒲刈島へのアクセスとして、バス便が出ていたのでここへ寄ったのですが、それまで広駅と安芸阿賀駅間の約2.7kmのほぼ真ん中につくられた駅で、利用者数も広駅とほぼ同数という事で、この駅の出来た事で取り込みができているのでは、と思います。

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●ホーム

1面1線のみのこじんまりとしたホームでした。

すごく狭苦しい感じですね。この訪ねた時に21世紀にできた駅とも知らず、広駅に「新」がついたので、そこそこの規模の駅だろうと思って来てみたら、こんなこじんまりとしたものでした。

開業当初の想定では、1日2,400人程度の乗車人員を見込んでおり、最初の2年間ほどは1,000人そこそこでしたが、2004年度には2,500人となり、更にその後も伸び続けて、現在はこの想定の1.5倍程度の利用者数となっいます。

この為、みどりの窓口を設けたり、駅事務室を広げたり、設備の格上げ的なものがなされたといいます。ここへは2016年夏に訪ねましたが、みどりの窓口設置はその半年後の2017年2月だそうで、ちょっと訪ねないだけでも所々変わってしまう事をまたもや実感させられました。

広駅と同等の利用者数になるとは想定外の嬉しい誤算という訳で、再開発の関連文書にも「想定を越える」利用者数の事が記されていました。この再開発で、上の写真にあった狭いホーム幅も3mに拡幅するとありました。

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●駅前広場

ロータリーのついた駅前広場になっていて、タクシーも停まっていました。

ロータリーは最低限の形という感じで、そこに足を踏み入れて公園状になっているとかはありませんが、時計塔がつけられている分だけはお金かかってるかな、というところです。広駅ほどお金がかかっている感じではありませんでした。

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●新広駅 バス停

冒頭で、目的があった為ここを訪ねたと書きましたが、ここが下蒲刈島へ行くためのバス停、といいたいところですが、実はこのバス停ではありません。

この近くの「中国労災病院」バス停からのアクセスとなり、ここに来た時にその事を知らずにずっとこのバス停で待っていたら「来ないな…」と思い、中国労災病院前バス停である事が分かりました。難しいものです。

この時ちょっとした島巡りもしていたもので、瀬戸内の行ける島に行くという事もしていました、2つ3つ程度でしたが…。

ではこのバス停は…?というと、内陸部の北側や、海に沿っての南側ルートなどへの便で、ここからは島へ行けるものではありませんでした。

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●中国労災病院の位置

実は新広駅から離れた所にある、このバス停が下蒲刈へのアクセスか…、と訪ねてから知り右往左往しました。その病院が地図ではこの位置になります。

新広駅から真南に位置します。この病院の北側にバス停のアイコンがありますが、ここが正確なバス停です。

新広駅からでないと行けないなら、ここへ行くしかないのですが、広駅からでも反対方向の仁方駅前からでも行ける事が後から分かり、少々損した気分でありました。

とりあえず新広駅から下蒲刈島へのアクセスを…

(発)中国労災病院  ⇒  (着)三之瀬

所要時間 約30分

料金 460円

本数 1日約20便  日祝は16便

この時行ったのは三之瀬ではありませんでしたが、スタンダードなところとして三之瀬としました。実際に行ったバス停は「蒲刈支所」で、40分強かかり650円でした。

7時台から21時台に20便(日曜は16便)につき、30~60分に1本というところでしょうか。そこそこの本数があるので気軽には行けます。ただ目的地をどことハッキリ決めて行った方が効率良いですね、どこへ行く時もそうですが…。

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●新広駅 駅舎

駅舎の大きさだけなら広駅よりも大きいぐらいでした。

広駅のようにコンビニは入っていませんでしたが、キャッシュコーナーがありました。

まだ開業して16年という中で発展して設備の格上げもなされた駅に着き、今後の発展にも期待がかかるというものです。

今は、呉線時代が豪雨災害により列車が運行されず、駅として機能していない状態ですが、一刻も早い復旧を願うばかりです。

以上、新・広駅でした。

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2018年7月16日 (月)

JR広駅 (広島県呉市)

広島県呉市のJR広(ひろ)です。

呉市ではJR呉駅をupした事がありますが、これに続く呉市の駅のご紹介です。

-JR広駅
【路線】JR呉線(三原-海田市間)
【開業】1935年3月24
【訪問】2016年8月
【1日あたり平均乗車人員】 3,929人/日 (2016年)
【近隣の都市駅(三原方面)竹原駅→8駅
           (海田市方面)呉駅→3駅

●駅名標

「広」だけです。

名古屋では、名古屋駅の事を「名駅(めいえき)」といいますが、広島の場合は広島駅とは別にこの「広駅」が存在します。隣駅のしんひろは新・広駅で、2002年に開業した新しい駅です。

昔、JR時刻表で「広1710」のような記載を目にした時に、「広島駅に17:10に着くのか…」と思っていたのですが、広島駅の事ではなかった、と知ったのがこれより何年も後の事で、それも広島市内になく、この呉市にあるとは…で二重の驚きでした。

この駅名「広」は、この地が広中町という地名からきており、広島とは無関係のようです。

そして今、この駅のあるJR呉線は先日の豪雨災害で全線不通となっており、電車が走っていない状態です。代替バスすら困難な状況でしたが、明日7/17(火)から代替バスが運行されるとJRから発表がありました。 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180715-00000062-jij-soci

2010年にも豪雨災害で土砂崩れが発生し、運休となった呉線ですが、この時は1週間程度で再開されたものの、今回は少し長引きそうですね。一刻も早い復興を祈るばかりですが、周辺の皆さんの暮らしが早く元に戻ってほしいものです。

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●もひとつ駅名標

これはJRの正規の駅名標以外にあったイラスト付きのものです。

この絵は朝鮮通信使を表したもので、この呉で陸続きになっている「下蒲刈島」がその通信使の寄港地であったといいます。もっともこれは広駅が最寄りではなく、2駅東の仁方(にがた)駅の方が近いですが…。

下の地図で本州の南端に沿っているように走っているのが呉線なのですが、今はこの全線が運休されており、豪雨災害による影響の大きさを改めて感じさせられます。

しかしこうして見ると本当に瀬戸内は島が多いですね。

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●ホーム

端っこしか撮っていませんが、2面3線の構造となっています。

向こう側に黄色い電車が停まっていたりして、多くの留置線を持っています。

呉線でも当駅発着の便が多くあり、呉線の交通上の拠点駅の役割を担っています。

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●駅前ロータリー

市の中心駅ではありませんが、立派なロータリーを構えた駅前になっています。

石積みでちょっとずれながら建っている時計塔が印象的です。

向こうに見えている「洋服の青山」呉市広店は、当時全面改装中で建物全体が覆われていましたが、それでも店名の下にありますが「営業中」でした。その後どうなったか見てみるとこの翌月2016年9月にはリニューアルとして外装の柄も変わっていました。

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●駅前

普通に幹線道路が見えて車が活発に行き来している駅前です。

前述の紳士服店が入口だけ開けて営業していたのが…。

沿線駅でも駅前の表情がかなり違っていて、ここはそういう意味ではかなり都会的な部類に入ると思います。

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●広駅 駅舎

隣にセブンイレブンを併設する形の駅舎となっています。

当時は2016年で既に開業済のセブンイレブンでしたが、2014年には未開業であったといいます。結構最近にできたのですね。昔はハートインだったようですが。

コンビニを含めれば横長のやや大きな駅となるかもしれませんが、コンビニスペースを除いた純粋な駅スペースでいえば、かなりこじんまりした駅になります。

広島のアーバンネットワーク的なエリアの東端にあたるこの駅、今は災害により機能していませんが、一刻も早い復旧を改めて祈念するところです。

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2017年4月29日 (土)

JR東広島駅 (広島県東広島市)

広島県東広島市のJR東広島(ひがしひろしま)です

東広島市では、JR西条駅 JR寺家駅をupした事がありますが、前回寺家駅に続いての東広島市の駅記事です。

-JR東広島駅-
【路線】
JR山陽新幹線(新大阪-博多間)
【開業】1988年3月13日
【訪問】初訪問-2012年11月
【1日あたり平均乗車人員】 1,226人/日 (2015年)
【近隣の主要駅 (新大阪方面)三原駅→隣駅 
           (博多方面)広島駅→隣駅
 

●駅名標周辺

初訪問は2012年11月でしたが、先月2017年3月に再訪した時のものをupします。

新幹線のみ停車する駅で在来線はありません、広島県だと新尾道駅も同様に新幹線のみの駅です。

東広島市は西条駅が中心駅となりますが、ずっとその名を変えずに、市名である東広島の名が、昭和最後の年である1988年に新幹線のみで開業したこの駅につけられました。新尾道駅同様に、費用は全額地元負担にて賄われたといいます。

隣駅は政令指定都市の広島駅です。広島駅の隣が東広島駅というまるで在来線のような名前の並びですが、これは紛れもなく新幹線の駅名標です。ちなみに西広島駅というのが在来線で、広島駅の西2駅の所にあります。駅数でいうと、在来線の西広島駅の方が遠い事になるというなんとも不思議な感じです。

不思議といえば、この窓越しの風景ですね。普通に住宅地で、新幹線駅の窓越しとは到底思えませんでした。

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●駅裏

駅出口が片側しかないこの駅では、大阪方面のホーム窓から見えるこちら側は駅裏という事になります。この辺りは新幹線のみの駅が多く、新尾道やここ東広島、山口県の新岩国など、正直なんでつくったのかと、??がつくような所が多いと思ってしまいます。

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●醸華町

「じょうかまち」と読ませているのかと思いますが、西条という都市名の前にこのように冠していて、地酒が沢山展示されていました。

西条駅とは5km程度距離がありますが、この東広島駅周辺に特に何もないせいか?中心地である西条の地酒が展示されているというところでしょうか。西条の酒蔵はこの市にとって大きなウリのひとつでもあるので。

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●駅周辺図

この地図の左上部分が現地である東広島駅になりますが、ほとんど何もありません。

駅近くにゴルフ場があるくらいで(笑)

ずっと下端の方まで行くと西条駅になりますが、さすがにこの辺りは色々とあります。新幹線のルートが元々決まっている後から駅ができたので、駅設置の要求があっても山陽本線からそれたどこかに置かざるを得なかったのでしょうが、このエリア自体が開業後それほどの発展を遂げていないのもあるかなと思います。

新幹線単独駅というのはどこも同じような、周辺の発展が伸び悩んでいる感じが実際訪ねてみて見受けられます。

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●駅前広場

市内の中心部西条駅方面は勿論、市外では竹原駅行きのバスも出ています。

線路としては西条駅などの山陽本線が北にあり、竹原駅などの呉線が南にありますが、この東広島駅の通っている新幹線の線路はこれらの間に位置しています。

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●駅前広場2

上の写真よりやや右側に目線を移したカットです。

東横インがでっかく建っていますが、それだけという感じで、駅前に他に目ぼしいものは見受けられませんでした。

西条駅からバスに乗ってここまでやってきましたが、途中駅前で寄れそうなところがあれば降りて寄ろうと思ったものの、そう思える場所がなくて結局駅まで来てしまいました。

ちなみに西条駅から東広島駅までバスで行くと所要時間約20分、340円で行けます。頻度的には1時間に1~2本というところでしょうか。

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●東広島駅 駅舎

おどろいた事に?!平屋駅舎です。

新幹線停車駅でありながら、普通の在来線の駅舎のようなこの佇まいがなんともいえませんでした。

駅舎内は土産物店等ありますが、設備的には最小限といった感じで飲食店はなかったと思います。とてもこじんまりした雰囲気でした。

新幹線では広島の隣ですが、全然雰囲気が違っていて、興味のある方は広島まで寄ったついでに行ってみても良いのでは?というところです、興味本位で?!とにかくおよそ新幹線駅とは思えない駅でした。行った事はありませんが新尾道駅もこんな感じなのだろうか?とつい思わされてしまいます。

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2017年4月26日 (水)

JR寺家駅 (広島県東広島市)

広島県東広島市のJR寺家(じけ)です

東広島市では、JR西条駅 をupした事がありますが、これに続いての駅記事です。

-JR寺家駅-
【路線】
JR山陽本線(神戸-門司間)
【開業】2017年3月4日
【訪問】2017年3月
【1日あたり平均乗車人員】 記録なし (新駅のため)
【近隣の主要駅 (神戸方面)西条駅→隣駅 
           (門司方面)広島駅→8駅
 

●ホーム

先月、この3月4日に開業したばかりの新駅です。

訪ねたのは開業日でこそないものの、開業して2週間後の事でした。在来線で関西から広島へ移動していた際に、見た事のないこの駅名のホームを見かけ、「こんな駅あったっけ??」と思い調べていたら、この前出来たばかりの新駅だというので、広島からの帰りに寄ってみたものです。

東広島市の中心地区である西条から2、3km離れていて、国鉄が分割民営化してJRになった30年前から、この地区への駅設置が要望されてきたといいます。2009年になって事業案が公開され、2010年に周辺の工事着手となったようです。

新駅につき駅利用者数の記録はありませんが、計画では1,400人/日の利用が見込まれているといいます。ちなみにこの数字は1日約10,000人の乗車利用のある西条駅の約15%にあたります。西条とは全く違う地区として少な目に設定されているという事でしょうか。

ダイヤ的にはこのように(これは三原等東方面ですが)1時間あたり4、5本というところです。

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●ホーム1

今やすっかりおなじみとなりましたが、線路と平行に並んでいるベンチがここにも設置されていました。待っているそばから次々と電車がやってくる訳ではないので、やはりこのような座れるスペースというのは貴重なものです。

線路に向かう形のベンチだとそのまま立ち上がって、泥酔者の場合はホームへ転落する可能性が高くなるので、このような向きになったといいますが、その効果は表れてきているのでしょうか?

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●ホーム2

2面2線の橋上駅舎です。

この階段を上がると、改札口になっていて両サイドの出口へとつながっていきます。

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●ホームを見下ろし

上の写真で橋の部分が見えていますが、そこから見下ろした様子です。

向こうの方を見ると新駅らしく更地が広がっていました。

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●自由通路内

ガードレールのようなもので区切られた通路内となっていました。エレベータが設置されていました。

出来たてホヤホヤの新駅、全てが新しいですね。

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●寺家駅周辺案内図

ちょっとわかりにくいですが、駅はこの地図のど真ん中にあって、周りにはこれといったものが特にない状況です。今後再開発とかあるのでしょうか??

左側の広告?を見ていると病院の案内がやたらと多いのですが…

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●自由通路2

通路が仕切られているのがとても印象的な自由通路なのですが、その仕切り面には看板も少なからず立っていて、今はそこに駅ができるまでの様子をスナップショット的に展示されています。時期が経ってくると一般的な広告になっていくのでしょうか?

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●南口駅前

まずは南口へと出てきました。

なかなか新駅らしい風景で、そこそこのハコモノは駅前にあるけれど、それらだけという感じで、まだまだこれから感がそこかしこに感じられました。

そのハコモノのひとつである「広島県信用組合 東広島支店」が見えていますが、これは先日4月17日オープンという事で、つい先週オープンしたばかりです。この訪問時は3月であったので、まだ開業していない状態でした。ちなみにYahooの地図で検索してみましたが、まだ出てきませんでした。

南口のバス停には隣の西条駅行きのバスが出ていました。JRバスで平日は1時間に1本程度ありますが、休日になると半減します。単に西条駅に向かうのであれば、JRの方が全然便数が多い形です。もうひとつ芸陽バスというところからも出ていますがこちらは1日3便のみです。

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●寺家駅駅舎(南口)

典型的な橋上駅舎の形です。

前の面で両サイドに階段が下りているというTHE橋上駅舎、という感じです。

新駅というと、形的に幾何学模様的なものが多いと感じるのが個人的なところですが、そういう意味では「らしからぬ」感じもします。結構オーソドックスな形といいますか。

1日1500人程度の乗車を見込んで、この駅舎というのはなんかすごいと思います。その程度でこんな大きな駅にしたのか、という感じで。総事業費は20億円といわれ、東広島市が全額負担とありました。かくして東広島市で10番目のこの駅は、このような立派な形でできあがった訳ですね。

ロータリーも整備され、タクシーが一定エリア内に複数台停まっていました。

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●再度、駅周辺案内図

駅の自由通路にあったものとは違ったタイプでの周辺案内図がありました。

こっちの方が周りの様子がより分かり易いでしょうか。でもやはりこれといったものは特にない感じでした。

この地図は左上が北ですが、国道486号が線路とほぼ平行に通っており、また周辺には池が多いなと感じさせられます。

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●寺家駅 完成記念碑

駅前にあった碑です。日分は開業日の日付にて刻まれています。

文面には、この寺家地区だけでなく東広島市の発展の核として期待されている旨が記載されています。そこまで期待されてるの??と正直思いましたが、そうであってほしいとは思います。折角このような立派な駅が造られた訳ですから。

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●南口駅前2

駅すぐ傍から、駅前広場を含めた駅前の目線はこんな具合です。下にテナントのついた高層マンションがありますが、これも散発的に大きなハコモノがあるだけで、この先コレラマンションが増えていくのかどうか…というところでしょうか。しかしここに駅ができなかったら、これらのハコモノもできなかったのかも…とも思いますね。

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●北口駅前

北口に転じてのカットです。

どちらかというと南口の方がメインかなといった印象です。

こちら側はとにかく更地が多かったです。一方でコンビニがあったりしましたが。

でも駅ができる前はどんなだったのでしょうか?

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●寺家駅駅舎(北口)

橋上駅舎では両側同じデザインである事も少なくないのですが、この駅はちょっと違う形でした。色づかいや基本デザインは大体同じですが、この北口の方がやや簡素で、横に伸びている階段部分も建物の芯の部分とは色が違っていて、階段横の壁に大きな屋根が覆いかぶさっているだけの形となっています。これを見るだけでも南口の方がメインかなと感じさせられます。

この北口の方が余計に更地が多く感じたので、発展という伸びしろもあるのかなという気がします。碑文にあったように、この地区だけでなく、東広島市の発展に大きく寄与するような、そんな駅になってほしいなと、ここに行ってみて思いました。

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2016年10月19日 (水)

広島/三次 巴橋までのんびり行こう

広島県三次市、JR三次駅からの歩き旅です。

(2016年8月当時)

●三次駅案内図

駅前の様子がMAPでありましたが、やや左上の橋を渡ってからの方が通りとしては面白いようです。前回訪問時は駅とバスセンターの短距離の往復に終始し、初めて来た西暦2000年の時も殆どまともにめぐっていなかったので、2016年にしてようやくちゃんとした旅をする事に。

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●三次駅 新駅舎

駅記事は2011年訪問時の様子を載せていて、ここでは今年8月の様子をお届けの形になっていますが、ナント駅舎が変わっていました。去年2015年春にこの新駅舎供用がスタートしたそうで、そんなこと何も知らずに普通にやってきてビックリしました。再訪の理由は、先述の通りここの駅前をまともに歩いていなかったので、街歩きをしようと思って、の事でした。

以前の大型駅舎からだいぶコンパクトになっていました。駅記事と見比べて頂ければ大体分かるかと思います。JR三次駅、と表示のある下にコンビニが入っています。

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●バスロータリー

前の駅周りに比べて、かなりこのバスロータリーのエリアが広大になったと思います。

駅舎はこの左手前に隠れている格好になります。

なんでこんなに広大になったのか?と思っていて、駅前の通りを歩いて程なくその答えが分かりました。

駅からまっすぐ歩いて5分もしないくらいの地点に「三次バスタセンター」があったのですが、今回行ってみるとなくなってしまっていたのです。その機能が全部この三次駅前に集約された訳です。

写真の向こうに見える建物は物産店うりばとバスの待合室を兼ねたスペースで、2Fのお好み焼き屋さんは(最近二度訪ねましたが)しょっちゅう人が並んでいました。そんな事もあってか前に着た頃よりも、この三次駅に人がいる率がたいへん上がったように思います。

近場のバスもあれば、島根県の郡部へのアクセスバスもあり、また広島駅への高速バスも発着します。

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●三次市観光協会

上の写真の向こう側に写っている建物の左半分が、この観光協会です。

玄関の真ん前にはかつての人気長寿番組「お笑いマンガ道場」の名司会者・柏村武昭氏の写真が立っていました。

彼はこの三次市出身であり、広島の中国放送のアナウンサーがキャリアの最初でもあり、広島を中心に活動している広島の顔的存在の1人で、途中参議院議員など政治の世界へ転身しましたが、現在は再び放送業界にカムバックしており、70歳を過ぎた今もご活躍中です。

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●駅前通りへ

三次駅からまっすぐの目線で、向こうが駅前のメイン通りとなりますが、建物がまばらで高いものも少なく、盛り上がりに欠ける雰囲気でした。

そんな中、駅前の左半分から出てきたバスが颯爽と三次駅を離れていくところでした。

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●駅前通りへ 2011

2011年当時の三次駅前の様子で、同じように駅前の通りの様子です。

この時の方が建屋も続いていて、駅前感があったように思います。駅も前の方が大きったしで。

再開発されて、当時あった建物の多くが現在は無くなってしまっているようで、駅舎共々縮小されたような気がしてならずでした。

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●三次バスセンターありし頃

これも2011年当時の様子ですが、三次駅からまっすぐ伸びた道(すぐ上の写真)を進んで程ない地点です。右側に「三次バスセンター」の表示が見えます。今はもうなく、三次駅前広場にその機能を移しています。

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●きんさい通りを往く!

三次駅から伸びた駅前通りを100mあまり歩いた後、交差点を左折して西へ進んで行こうというところです。このNTTの鉄塔の方向へ向かって歩きます。

「きんさい通り」という幟が並んでいます。「来んさい」とは地元の方言で「おいでなさい」を意味し、広島の方はよく遣われますが、ここ三次では「きんさい祭り」というお祭りまであります。

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●中国銀行

の三次支店です。

中国銀行に出くわす度にこのような素晴らしい建物かどうか、を確認してしまいます。全店舗統一の仕様なのか…。

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●進んでいく

幹線道であり、商店街的性格も強く、という事で、こんな感じの店も続いていました。

とりあえず右側のお店は全て現役ではないか、と思われますが、昭和テイストのゴツゴツした建屋が目を惹きます。

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●三次市役所

上の写真のような道路を歩いていたら、左側に目に飛び込んできたのがこの三次市役所です。2014年10月に完成したばかりで、この時でも完成後2年足らずという状況でした。

その後2015年2月に三次駅がリニューアルされ、三次市は市役所、そして中心駅を同じ時期に一新させた訳です。

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●三次市役所前

のバス停です。

市役所は幹線道の歩道からはかなり奥に入って行く格好となりますが、このバス停は道路沿いにあります。

「23」と大きくあるのは、「くるるん」というコミュニティバスの停留所番号で、その下にはダイヤがあります。一番下のダイヤは備北交通という別路線のダイヤで、複数路線がここを通って行きます。

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●なつかしや

幹線道を更に西進します。こんな懐かしモノ満載のお店も通り掛かりに出くわしました。

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●巴橋 バス停

三次市内で、川向うと川手前でガラリと表情が変わりますが、これを分かつ川に架かる橋の名が、この巴橋です。このバス停は三次駅からでは橋を渡る手前に位置しています。

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●本通り商店街

三次駅から西へ進んで巴橋を渡る直前で右折しての通りです。

巴橋東詰以東は「十日市地区」といい、この通りは「本通り商店街」とありますが、対岸の「三次地区」にも「みよし本通り商店街」というものがあります。別個なのか一続きなのか不明ですが…

とにかく渋いことこの上ないです。ゆっくりできるような店がある訳ではありませんが、ゆっくり流して歩いているだけで、非日常の空間に居られて、それだけでいい、と思えます。

下の3枚中、一番上の左側の渋すぎる和風建築の建屋の2階部分は、丸い窓のようなものがついており、これを「虫籠窓(むしこまど)というのですが、この虫かご窓は通常は中の格子が縦に入っているところを、ここでは横に格子が通っていて、変形タイプなのか、、よくありそうですが検索してもなかなか出てきませんでした。

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●東岸

巴橋のすぐ手前(東詰)まで来て、河原を北へ眺めた様子です。

リバーサイドに灯籠が並んでいるのが印象的でした。

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●巴橋

最後は、この巴橋の勇姿を。

馬洗川に架かって、三次地区と十日市地区を結ぶこの赤い橋は、三次のシンボルのひとつです。

全長は170m、幅は19mあり、江戸末期は「岩神橋」とかこんにゃく橋などとも呼ばれていそうで、現在の名称になったのは明治期からで、現在のアーチ橋になったのは1983年からといいます。その後1992年と2010年に塗り直しがされているそうですが、やはり定期的に塗り直ししないと、色褪せ等があるからでしょうか。

江戸時代でも末期以前は、防衛上の理由で架橋されなかったといいます。

これを西へ渡った先は、より三次の街並みを楽しめるエリアになり、ここからが三次の旅の醍醐味が感じられるところではあります。

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2016年7月31日 (日)

広島/熊野 とにもかくにも筆の街

広島県安芸郡熊野町、広島県の南西部に位置し人口は25,620人(2016.6.1現在)で、広島市に接していて、そのベッドタウン的な役割を果たし、広島県の町では府中町、海田町に次ぐ3位の人口です。いずれも広島市のベッドタウンです。府中町はここ30年くらい人口50,000の水準にありますが、市制化の話を聞かず、やはり県内に府中市が既に存在するからなのか、と思わされてしまいます。

熊野町は『筆』の生産量が全国一であり、熊野筆として化粧筆などで有名な町でもあります。タレントとしてピンで有名になった有吉弘行さんも実家がこの町の筆屋だといいます。猿岩石両名ともこの町の出身という事で、猿岩石を生んだ町ともいえます。

●広電バス熊野営業所

※この町の訪問は今から5年前の2011年4月で、写真もすべてその当時の様子です

熊野町には鉄道駅がなく、バスにてアクセスしました。熊野町の交通の中心地ともいえるところで、左は待合スペースで右にはバスがズラリと並んでいるのが見て取れます。

広島市のJR矢野駅から20分くらいでしょうか。団地街などを抜けてきてやってきました。

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●道向かい

熊野営業所と大きな道路(県道34号)を挟んで向かいの様子です。

先にも書きましたがこれが5年前の様子、という事で、ここに「Fデポ」というお店が写っていますが、ナントこの年の8月には閉店してしまったようで、今はドラッグストアの「ウォンツ」という店になっているそうです。ちょっと行かないとすぐこんな風に目まぐるしく変わってしまうのですね。

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●街歩き始め

バスの営業所から東へと、この主要道を進んで行きましたが、いきなり筆の標識が!

左の丘の上に見えているのは筆の工房なのですが、こういったものがこの通りだけでも多数あります。

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●熊野町マンホール

徹底して「筆」でした。

全面的にいくつもの筆が外へ向かって張り出しているような、とにかく筆筆筆でした。

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●広銀と標識

歩いて行ってしばらくすると、広島銀行に差し掛かりました。

その横には「筆の里工房」や「筆の街交流館」など、ここでもやはり筆でした。いずれも1kmほど進めば行き着きます。

右向こうにマツヤデンキが写っていますが、この当時でも既に閉店になってから何年も経っていたそうです。でありながら看板が残っているとは…。

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●選挙ポスター

これは平成23年当時のものですが、訪ねた時がたまたまこの選挙戦をやっていた時で、演説カーも結構な頻度で行き来していました。

こんな記録を写真で残しておくのも、後から振り返ってみれば結構貴重なものだと思えます。

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●出来庭

熊野町出来庭という地名です。

ここに出来庭二丁目とありますが、2007年ごろに住居表示が変わってこのようになったようで、以前は単に「出来庭」という字名の後にそのまま番地がついていたようです。

この地名表示の下にもちゃっかり筆の絵がついている徹底ぶりです(笑)

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●一休園

筆関係の建物の多い中で象徴的ともいえるエリアで、左側の筆の立っているのが「一休園筆センター」というもので、ここでは筆工房の見学も実施されています。基本的に土日祝の9:00~17:00という事で、詳細はコチラ

右側に見えているのは、「全日本書作家練成道場」という厳かな?名前の施設ですが、芸術としての「書」に励む方々を対象にした道場で、やはり筆の町ならではの施設課と思いました。

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●JA

安芸郡農業協同組合…とありますが、右横にJAの看板が掛かっています。

全くJAらしからぬ建物で、またここまでもが「筆」が掛かっており、どこまでも筆の徹底ぶりをまたまた感じたのでした。

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●城本勝司氏 頌徳碑

最期になりますが。昭和54年につくられたという、熊野町発展に尽力した故・城本勝司氏の頌徳碑です。

昭和22年に26歳で熊野町議会議員に選出されてから熊野町長、広島県議会議員も務め、また全国書道用品生産連盟の会長も務めて書の普及にも尽力されたとして、政治・文化共に貢献した人物という事です。

ちなみにこの碑の書の主は、当時の内閣総理大臣・大平正芳氏の手によるものだそうです。

筆の町らしく、やはり筆に関しての功労者の碑がある訳ですね。

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2014年8月 9日 (土)

広島/府中 さまざまな通り

広島県府中市、JR府中駅周辺の様子です。

(2009年3月当時)

●府中駅から

府中駅を出ての様子です。

「ようこそ府中市へ」の広告塔が立派に立っていました。

その左には「ふちゅうのイベント」としてパネル形式で紹介され、両サイドには府中市の花・アジサイと府中市の木・サクラのイラストが並んでいました。

ロータリーは真ん中の植え込みが整備され、手前には花壇が置かれたりとなかなか行き届いたものとなっていました。

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●駅前広場の向こう

上の写真の「ようこそ府中市へ」の広告塔の向こうの駅前通りの様子です。

人口4万そこそこの町ですが、駅前に金融機関あり、高い建物が並びとなかなかの雰囲気を感じさせ、昔からの市はちょっと違うなと思いました。

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●駅前通り

府中駅の駅前はまっすぐ伸びている道路などがなく、V字に分かれているような感じで、上の写真がV字の右側の通りで、このすぐ下の写真が左側の通りになります。

個人的に妙に「松岡タンス店」に惹かれました(笑

この街並み見てると、個人的には愛媛県八幡浜市のJR八幡浜駅前の通りに似てると感じました。昭和の香りを残した中層の建屋が続いている感じが。

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●電器店の店頭

結構懐かしい感じの店頭でした。昭和の電器店的な。マスタックスとかホント懐かしいですね、日立のビデオデッキだったかな。

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●その向かい

上の写真の真向いですが、殆どが廃業したままのシャッター商店街と化していました。

こういうのを見ると、この店はいつごろまでやっていたんだろうか?といった事をよく考えてしまいます。1980年代までは営業してたのかな?それ以前に廃業?いや80年代以後も残ってた??のような、そんな妄想です。

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●晃永寺

という日蓮宗のお寺がありました。

階段あがって、建屋2Fへつながるタイプのものでした。

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●銀座通り

と名のついた商店街に出くわしました。

3連の丸街灯がいくつも続き、なかなか前面に出てる感じでした(笑

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●多い更地

この商店街の辺りは、すごく更地が多かったです。

再開発の一環だったのか分かりませんが、そこらじゅう更地で、それがまた増えていってる状況でもありました。5年経った今はどうなっているやら。

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●一番街

いかにも昔のアーケード商店街、という雰囲気の通りに出くわしました。

この狭い通路、若干暗そうな内部、たいへん惹きつけられました。

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●一番街をゆく

上の写真から中を通ってみましたが、期待通り?!昭和色の濃い中身でした。

店がなくなり駐車場となっている部分もあったり、結局このうちのどの程度が現在も店舗として機能しているのか?を考えさせられる状態でした。

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●ほんどーり

一番街を抜けると、「マイTOWN ほんどーり」という小さな幕?!の立ち並ぶ通りでした。

ここは結構長く通りが続いているようで、営業している店の割合もアーケードのある部分よりも高いのかもしれません。といっても建屋が無くなり歯抜けになっている部分もちょこちょこありました。

それでもこの通りの傍で今年はB-1グランプリが開かれたといい、賑わっている様子もみられました。

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●より庶民的な

雰囲気の商店街、といいましょうか。上の写真から路地を外れた所です。

毎日の食料をこういう食料品店で買う生活って憧れます。人は本来、こういう所で買い物して喋りながら日々を過ごしていくものかな…と思ったりするのですが、最近は皆全国展開のスーパーとか画一感丸出しで、便利だけど味気ないなと思います。ここにはそんな雰囲気がまだ残っていて、消えないでほしいなと思うばかりです。

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●なまこ壁

最後はこの写真で。

なまこ壁が立派で撮らずにいられませんでした。

色んな通りにいろんな顔があり、表情があるなと感じさせられました。この訪問以来数年ぶりに府中での写真を通しで見ましたが、駅前ちょこっとしか回ってない印象でしたが、意外と色々回ってたんだなとも気づかされました。そういうのも面白いものですね。

以上、府中市(広島県の)でした。

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2014年5月 9日 (金)

広島/安芸高田 吉田口駅前風景

広島県安芸高田市、JR吉田口駅前の様子です。

(2010年8月当時)

Himg0119 ●地図

吉田口駅前にありました。

この街では、この駅前をチラッと歩いただけで旅と呼べるものではとてもありませんでしたが、安芸高田市にはこんな風景があるんだ、という事をお伝えできれば、というところです。

で、この地図ですが、甲田町文化財と史蹟名所案内、ということで、旧・甲田町が中心になっているようです。

で、結構ここに載っているものはばらけているのですが、ここ吉田口の駅前には殆どなく、見るところも特に探せないまま帰って来た感じでした。ひとつ北の甲立(こうたち)駅の前には少々あったようです。その事を知らずに来てしまったので残念でした…

Himg0121 ●駅前広場

向こうが駅ホームですが、ここの広場の真ん中は花壇になっていて、「吉田口ふれあい通り」なる標識が立っていました。

Himg0122 ●駅からの道

駅前広場を越えて駅から直進に近い形の通りです。

出入口の真ん前、という訳ではなく少しずれていますが…。

それでもその駅前の道路がこのようなのどかなものでした。どちらかというと、この左にあたる道路の方が商店街っぽいかな、という気がしました。

Himg0123 ●商店街?!

駅出て真ん前左側の通りです。

駅からまっすぐの通りは上の写真のような何もない風景(その向こうが幹線道ではありますが…)ですが、この道の向こうは、商店が何軒か立ち並ぶ通りにはなっています。

商店ばかりではないようだったので商店街というのが適していないかもしれませんが、往時は商店街としてそれなりのエリアを形成していたのでは…と勝手に想像していました。

Himg0125 ●ハイキング・コース

吉田口の駅前に貼ってあったハイキングのマップです。

その名は大土山憩の森。駅から高地峠という所まで4kmにつき、往復8kmになります。山頂までだと9kmで往復18km、山地を含んでのこの距離はちょっとハードですね…

大土山は標高800mの山で、キャンプなども楽しめます。山頂付近には千畳敷という巨岩があり、天照が隠れた天の岩戸ともいわれます。

Himg0126 ●マンホール

外周に「果実の香」「花の色」「緑の風」などと書かれています。

これは安芸高田市ではなく、旧・甲田町のマンホールで、新制の市というよりも全般的に旧の町の色が濃く残っている印象が強かったです。

当時の甲田町の町の花がナシで町の木が楓ということでそれぞれ配されているようです。

Himg0129 ●住宅地

3つ上の写真の通りを進むうち、商店街を過ぎてこのような景色になっておりました。

これは進んできて振り返ったカットなので、向こう側が駅になります。

Himg0131 ●小原大橋

と書かれたこの橋。

検索してもなかなかヒットせず、意外でした…

そんな小橋じゃないので、どっかに載っていそうだと思ったんですが…

そんなこんな、ホントに安芸高田市内の風景をお伝えしただけのものとなりましたが、今回はこれにて。