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16富山県

2018年6月 4日 (月)

万葉線/越ノ潟駅 (富山県射水市)

富山県射水市の万葉線/越ノ潟(こしのかた)です

射水市では、JR小杉駅をupした事がありますが、今回は前回の中新湊駅に続く、万葉線の駅の御紹介です。

-万葉線/越ノ潟駅-
【路線】
万葉線新湊港線(越ノ潟-六渡寺間)
【開業】1930年10月12日
【訪問】2017年8月
【1日あたり平均乗車人員】 748人/日 (2015年)
【近隣の主要駅 (六渡寺方面)中新湊駅→3駅、六渡寺駅→7駅、高岡駅→24駅

●駅名標

昨年8月当持の様子です。「こしのた」と発音し、「た」と濁らない形です。

前回の中新湊駅は実質射水市ながら、駅が高岡市との境界にあり駅の住所としては高岡市にあたりますが、今回の越ノ潟駅は純粋に射水市であり、また新湊港線の起点にして、先のない「終着駅」でもあります。

なので、ここから出ているのは高岡駅方面オンリーです。隣駅を示すものも上側にある「海王丸」という文字に矢印が入るのみです。

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●越中万葉歌

ホームにあった万葉歌です。

「あゆをいたみ 奈呉の浦みに 寄する波 いや千重しきに 恋ひわたるかも」

という歌でした。最後の部分で恋の歌と一目で分かります。ラブソングです(笑)

冒頭の「あゆ」は東風(こち)と同じで東の風を意味します。

奈呉ノ浦というのが近辺の沿海の古称としてあり、かの大伴家持が越中国の在任中に詠んだものです。前回記事の中新湊駅にもこのような歌はあり(載せられませんでしたが…)、ここでも「奈呉の海に…」の詠み出しで歌われたものが掲載されています。

ホームには重厚な気のベンチがありました。それと意外と見逃せないのが自販機のあるところです。この沿線で自販機のある駅は珍しいかと思います。

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●ホーム壁面

壁面には色んなものが貼ってありました。

時刻表もあり、乗り方や定期券についての注意など、中新湊駅の待合室内と同じようなものが貼ってありました。

時刻表は中新湊と本数などほぼ同じですが、違うのはこちらは終着駅なので、片方のみしかないという事です。

駅名標の左側は壁がくり抜かれているのか、板で埋められていますが、かつてはここがドアになって出入りできるようになっていたのでしょうか?見る限り出入りできる感じではなかったですが…。トタン板で無理矢理埋めたけど隙間見えてるよ、というところでしょうか。

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●車止め

最後の駅らしく、1線だけのホームに車止めがありました。

ホームの床面はこのような何の変哲もないコンクリート状のものです。

そして全くのフラットにつき、階段も何も無くそのまま出る事ができます。

向こうには「富山県営渡船 越の潟発着所」というのが見えます。「越ノ潟フェリー」と通称される渡船場で、向かいの堀岡発着場との間770mを5分で結ぶ渡船が無料で運航されています。

ただし原付以外の自動2輪は乗船できず、30人以上の団体は事前予約が必要等の条件があります。

富山新港の造成により、港口が切断されて鉄道が廃止されたことにより代替交通手段としてできたもので1日69便も運航されているといいます。なのでこの先の対岸にも電車が入っていましたが、そこは鉄道としては廃止されてしまっています。

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●駅前バス停

富山県営渡船代行車両とか、複数ののりば標識が立っていました。船で対岸まで行っているものをバスで代行している路線もあるという事でしょうか。

調べてみたら対岸まで陸路を使って運行するものでしたが、定時運行のほかに深夜でも「申込み運行」という形で電話予約があれば運行するそうです。

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●駅前道

線路に沿ったこの道がそのまま駅前道となります。

駅を降りて歩く道が、先ほどの船の発着場かこの道しかないのです!

踏切越えると街に入りますが、ここでは道のみです。

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●踏切

上の道路を線路に沿って歩くと程なく踏切が見え、ここを過ぎると街に入っていきます。

しかし目の前に広がる大きな橋に目を奪われるばかりでした。

この橋は「新湊大橋」で、去年夏の訪問当時、旧新湊市にやって来たかったというのもありますが、この橋を見に来たというのもあります。ここからでもこのような眺めですが、近づくとその壮観ぶりに感動します。

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●越ノ潟駅 駅舎

駅舎というか電車に隠れたホームの写真、というのが正確なところだと思います。

赤いカラーの路面電車がなんとも目を惹きます。

県庁所在地でない街(高岡市)を基点にした路面電車というのは日本ではなかなかお目にかかれないと思うので、それだけでもたいへん貴重だと思います。

そして終着駅(運行上は起点駅扱いですが…)においても駅舎もない、ただの停留所の延長というのもこういう地方らしいところと思います。路面電車の終点はこういうケースはよくありますが。

遠くから見て「越ノ潟駅」という表記が見られず、淡々と路線が途切れてしまう感じです。

ここに停まって電車は引続き折返しで高岡駅へと向かいます。

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2018年6月 3日 (日)

万葉線/中新湊駅 (富山県高岡市)

富山県高岡市の万葉線/中新湊(なか・しんみなと)です

高岡市では、JR高岡駅をupした事がありますが、今回は一部路面電車となっている「万葉線」の駅紹介です。

-万葉線/中新湊駅-
【路線】
万葉線新湊港線(越ノ潟-六渡寺間)
【開業】1932年11月9日
【訪問】2017年8月
【1日あたり平均乗車人員】 255人/日 (2015年)
【近隣の主要駅 (越ノ潟方面)越ノ潟駅→3駅  
            (六渡寺方面)六渡寺駅→4駅、高岡駅→21駅


●駅名標

昨年8月当持の様子です。

住所的には富山県高岡市となっていますが、現・射水市との境界にあり、実質的な射水市の代表駅的な存在です。また射水市になる前は「新湊市」という人口35,000程度の市であり、かつて高校野球で「新湊旋風」というのが吹き荒れた事がありました。そんな新湊市当時の中心駅がここでした。

「万葉線」と冠しているのは?? ○○電車とか○○鉄道との万葉線という事じゃないの??となりましたが、第三セクターである「万葉線株式会社」というところが運営しているので、いきなり「万葉線」であり、この前に冠するものは何もないのです。2002年までは「加越能鉄道」万葉線として運行されていました。

また、万葉線の中でも新湊港線として属していますが、この路線としては越ノ潟(こしのかた)駅から六渡寺(ろくどうじ)駅までの8駅のみですが、六渡寺方面は六渡寺駅を越えてもそのまま高岡駅まで直通します。それでいくと高岡駅までは21駅を要する事となります。

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●時刻表

割に本数があり、コンスタントに運行されています。

1時間に4本程度ありますが、かなりの利用者数があるようなものすごい駅が特にない中で非常に便利なダイヤとなっています。

越ノ潟まではわずか3駅で、ここは本当に終着駅で、その先はなく港に行き当たるような所です。反対側は高岡駅行きとなっていますが先述の通り、新湊港線としては途中の六渡寺駅までで、そこから路線は変わるものの、そのまま跨ぐ格好で高岡駅まで直通運行されています。

高岡駅までは46分、350円です。JRのない旧新湊市のこのエリアでは、JRからのアクセスはこの高岡駅頼みとなり、また結構な時間がかかるのが現状です。本数がある程度確保されているのは幸いではありますが。

ちなみに終電は22時台と早いです。

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●待合室内

意外に広いホーム上の待合室は、サイドが吹き抜け形になっていて、完全にドアが閉まる室内型ではありませんでした。

しかし細長くて結構広めのスペースで、小奇麗な感じでした。駅入口に改札も何もない状態なので、これが駅の全設備となります。

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●駅入口

線路にぴったりと沿った形の小道が駅への入口通路となっていて、線路を渡る道が駅前道路という構造になっています。

駅への入口は自転車置場が両サイドにある本当に細い小道です。そのまま踏切を渡ると見過ごしてしまいそうなくらいのこじんまりとした駅です。

一応中心駅的な役割の駅という事の表れなのか、入口看板横に周辺地図があります。

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●中新湊駅 駅舎と駅前

駅への道のりの写真で既に待合室が見えていますが、この細い小道を進んでそのまま左折して構内踏切を渡って緩い坂をのぼるとホームに至ります。

待合室イコールそのまま駅舎の状態で、待合室の屋根の妻の部分に駅名も表示されています。

新湊市時代から今の射水市まで、この辺りの中心駅的な座にありますが、これ以上駅が大きくなりそうな気はしないですね。この駅の利用者が爆発的に増えてこの箱では収まらない、となれば再開発が促進され大きくなるかもしれませんが。

実はこの駅へは越ノ潟駅から歩いて探したんですが、ホントに踏切から横をしっかり確認しないと見過ごしそうでした。この先少し目立つ存在になればいいなと思います。

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2017年10月16日 (月)

富山地方鉄道/南富山駅 (富山県富山市)

富山県富山市の富山地方鉄道/南富山(みなみ・とやま)です。

富山市ではJR富山駅をupしましたが、今回はJRではない富山地鉄の駅をお送りします。

-富山地方鉄道/南富山駅-
【路線】
富山地方鉄道不二越・上滝線(稲荷町-岩峅寺間)
【開業】1914年12月6日
【訪問】2006年10月
【1日あたり平均乗車人員】 673人/日 (2015年) 
【近隣の主要駅 (稲荷町方面)稲荷町駅→3駅   
           (岩峅寺方面)岩峅寺駅→10駅  


●ホーム

富山地鉄内での所属路線が、「不二越・上滝線」となっていますが、これは

稲荷町~南富山 間  ⇒不二越線

南富山~岩峅寺 間  ⇒上滝線
       (いわくらじ)

という事で、ここ南富山を境に路線が分かれますが、ひとつながりという状態になっています。

南富山駅ということですが、駅名標?が「南富山」ではなく、「南富山駅前」の表示となっています。しかし掛かってる看板病院ばっかりですね…。

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●ほっとコーナー

この駅を訪ねたのが2006年ともう11年も前の事ですが、このコーナーは今もあるのでしょうか?待合室の一角に自販機があって、文字通りホッとするスペースで、大きな駅ではないのですが、これくらいのスペースはあります。

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●駅前商店街

駅前にはいかにも昔ながらな感じの商店街が歩道アーケード付きで軒を連ねていました。今もこの姿なのでしょうか?

街灯ごとに「南富山商盛会」とありますが、これは駅前に商店や会社などで構成された連合会です。七夕まつりなどの企画をしているとありました。

屋根の縁にかわいらしい動物たちの絵が描かれているのが大変印象的でした。

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●駅前広場

これまたレトロ感に満ち溢れた風景でした。

向こうの月ヶ瀬というお店のCoca-Colaのでっかい看板は昭和ですね。全然現役のお店でした。近年でも食レポが出ているので、おそらくまだ現役ではないかと思いますが、この辺りの風景は懐かしげでありつつ、未だそのまま今も変わっていないようで、10年以上の時を経ても変わらないのは逆に素晴らしいなと感じさせられました。

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●電停っぽさ

電車の駅というより路面電車っぽい感じです。

線路と道の高さがほぼ同じ位置にあるのが電停っぽさの感じられるところです。

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●南富山駅 駅舎

こじんまりした建物に3階建てのコンクリートゴツゴツの建物で、とにかく渋い駅舎です。

富山地方鉄道の研修センターもこの駅舎に入っています。一文字ずつ離れた形での駅名表示も昔ながら感が強くて、素晴らしいです。この年季の入った感じは今はどうなのか?と調べてみましたが、変わっていないようです。現存する渋い駅舎としてもっと有名になってほしいですね。

遠くからのカットも載せましたが、商店街との位置関係はこんな感じです。商店街を駅前にもつほどの街の規模といいますか、富山駅以外の駅前でも多少は街の雰囲気あるぞ、というそんな感じです。

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2017年10月 3日 (火)

JR富山駅 (富山県富山市)

富山県富山市のJR富山(とやま)です

富山市は、富山県の中央部に位置し、人口は417,760人(2017.5.1現在)で、富山県の県庁所在地で、2005年に周辺の6町村と共に新制・富山市となり、全国県庁所在地で2番目(1位は静岡市)に面積の広い街となりました。越中富山の薬売りは実に有名で「薬都」と称される事もあります。

-JR富山駅-
【路線】
JR北陸新幹線(高崎-金沢間)
      高山本線(岐阜-富山間)
    あいの風富山鉄道あいの風富山鉄道線(倶利伽羅-市振間)

【開業】1899年3月20日
【訪問】初訪問-1995年6月
【1日あたり平均乗車人員】 7,843人/日 (2016年) 
【近隣の主要駅 (高崎方面)黒部宇奈月温泉駅→隣駅  ※新幹線 
           (金沢方面)金沢駅→2駅  ※新幹線
           (岐阜方面)越中八尾駅→5駅
           (倶利伽羅方面)小杉駅→2駅
           (市振方面)滑川駅→3駅


●駅ホーム

ここへ初めて訪ねたのが1995年の事でありますが、その後2006年に訪問時の写真を載せていきます。考えてみればこれ以降立ち寄った事はあるものの、あまりちゃんと行っていない事もあり、ひと時代前の古い写真となりますが御容赦下さい。

今ではもう新幹線も通っていてグレードアップしていますが、この写真の頃はまだまだ開通していなかった状態で、これを踏まえて今後の駅の様子も見て頂ければと思います。

ちなみに在来線では現在、高山本線としてはそのまま残っていますが、北陸本線ではなくなり、新幹線駅開通と共に「あいの風富山鉄道」へ転換されています。この写真の頃は当然のように北陸本線の駅でした。それくらい時代は変わっているのですね。

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●列車

高山本線の列車です。

ヘッドの部分に「もっと高山本線」とありました。

この当時の高山本線は途中の駅で路線が途切れていて、高山からここへ来た時に途中の駅でバスに乗り換えて、別の駅までバス移動後にまた駅で降りて電車に乗る、ということをやっていました。2004年の台風による大雨で、線路や鉄橋が流失し、その影響が2006年になってもまだ続いていたのでした。

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●改札周辺

まったくの手動の改札でした。(当時です)

今はもう新幹線の駅ともなったので、自動改札になっているのでしょうか?

富山県って富山と高岡の2大巨頭都市が君臨していて、あとは小都市(失礼!)という感じで、そういう意味で県内に何ヶ所とない大規模駅の風景というのがこの写真から感じる事です。

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●薬売りポスト

駅出てすぐの駅前ポストでずが、上にちっちゃく薬売りの像が乗っかっています。このプチサイズのかわいさがなんとも。

富山で薬売りが始まったのは16世紀中頃とされ、越中に唐人の座ができた事が発端といわれています。以来今に至るまで継がれているのが素晴らしいところです。

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●駅前道

北陸屈指の都市の駅前という雰囲気の都会感に溢れた駅前です。

北陸で人口40万超の都市は新潟、富山、金沢と3県のいずれも県庁所在地のみです。

富山は路面電車などの交通網も発達している町で、県内の高岡でも路面電車が入っているなど、県レベルでもそのような交通の発達した所、という印象です。ライトレールとかいち早く取り入れたのも富山であり、このへんはまだ乗ってないから、いつか寄ってきっと乗りたいなというところです。まぁとにかく富山に来たら、様々な交通機関を積極的に使ってみよう、というところですね。

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●駅周辺

駅前広場含めた駅周辺の様子です。

やはり高い建物が目立ちます。

真ん中のひときわ高い建物は、電鉄富山ビルの「エスタ」という複合商業施設です。11F建て?で、5~10Fは富山地鉄ホテルになっています。

「富山駅から雨に濡れずに行ける」がウリのようです。

右側の建物は、国鉄が分割民営化された1987年に開業した「マリエとやま」です。これもまた複合商業施設で7F建てになっています。隣のエスタとは4階部分で連結されています。なのでここも「富山駅から雨に濡れずに行ける」という事になります。

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●富山駅 駅舎

現在は立派な大きな駅舎になっていますが、この当時は前駅舎で、まだ大きさ的に中途半端です。

今や新潟だけでなく、金沢もこの富山も、北陸3県いずれも新幹線が停車するようになった時代につき、新幹線停車するようになってからの富山の様子もじっくり見なければ!と思います。(でも遠い…)

新幹線が通るようになったといっても、関西から行く限りでは、金沢-富山間が多少スピードアップしたくらいで、そんなに時間短縮の恩恵を受けるとも思えず、相変わらず遠い感は否めないままかと感じます。金沢から東海道線なりに新幹線ルートが繋がってくれればよいのですが…。

富山市は一度それなりに観光はした事がありますが、浅かったので、今度はもう少しディープに訪ね歩きたいなと思います。路面電車で色々巡るという事まではしていなかったので、まだまだ魅力のどれ程が分かったのかという感じです。

何より、新駅舎になってから一度まともに訪ねなくては…ですね。

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2016年5月 7日 (土)

富山/南砺 福野の街に重文ありて

富山県南砺市、JR福野駅からの歩き旅です。

(2012年6月当時)

●ようこそ南砺市福野へ

という事で、福野駅前の周辺図がありました。

~芸能・文化の市の里~と副題的につけられていました。

福野駅は地図中のど真ん中よりやや左下にあり、方角はここでは右が北になります。

なので駅西側のほんのわずかなエリアのみ、碁盤の目のような区画になっており、だいたいのものがこのエリアに集中しているのも窺えます。

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●曳山蔵

当地では福野夜高祭という曳山祭が毎年5/1~2に行なわれ(残念ながら今年はつい先日過ぎてしまいましたが…)、福野地区では4基の曳山があり、ここでは「新町」という所の曳山が保管されています。

この祭は350年もの歴史を有し、富山県の無形民俗文化財に指定されています。

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●続く家並み

商店街というより住宅街の要素の強い駅前の通りで、歩道もろくにないようなところに家々が並んでいました。玄関出たらすぐ道路、という家が軒を連ねていて、それも空き家と思われるものも少なからずで、外壁前面が取れたままの家もありました。

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●福野高校前

福野駅を出てから、線路沿いに近い形で東へ進み、突き当りを右に折れる形で、福野駅のすぐ東の踏切を横切ったのですが、その直後にこの光景に出くわします。

高校前のバス停だからかどうか分かりませんが、屋根と壁のついたしっかりとした待合室が設けられていました。標識が若干離れた所に置いてあるのが少々謎でしたが…

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●バス停時刻表

その福野高校前のバス停時刻表です。

福野高校自体はこの真ん前のビニールハウスの手前に門があります。

で、ダイヤ的には、平日が1日8便で土日祝が6便といった状態で、コミュニティバスのような本数でした。午前中は4時間なかったりなどもしていました。完全に学校に合わせたダイヤでしょうか。

とはいっても、庄川町という所までの道のりを行くため、完全に学校向けという訳ではないのでしょうが、ただ利用者が学生に限られてくるのかな、という感じでした。

ちなみにここから終点の庄川町というバス停までは15分ほどで着きます。庄川というところは郊外ながら、道の駅や水記念公園等いくつかの施設のある地点のようです。

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●福野高校校門

先程のビニールハウス群の手前にある福野高校の門です。

なんといってもこの字体の校名表記がまず素晴らしいです。正確には「富山県立南砺福野高等学校」という校名になります。といっても元の校名は「南砺」のつかない形で、2005年に「南砺」が冠されており、南砺市への市制化に伴ってのものと思われます。

もっとも当時は周辺2校との提携が結ばれていて、「南砺総合高等学校福野高等学校」という長い名前だったようです。しかしなんともフリーな門だ事でちょっとビックリしてしまいました。セキュリティ面で。

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●別入口

上の写真の門とは90度角度が違うところの入口からのカットです。

この長ったらしい校名が2005年の南砺市市制化から提携完了までの暫定校名ですね。

ところで、こんな校内の敷地に入って写真を撮ってるのかという話ですが、ここは半ば観光地なのです(勝手にそう思ってるだけかもですが…)。それは次の写真に登場するのですが、何せ全くのフリーバスでここまで入って来れます。

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●旧富山県立農学校 本館

観光地と書いたのは、この建物によるものです。

標題のように「旧・富山県立農学校」の本館という事で「厳浄閣」といわれています。

1903(明治36年)築で、国指定の重要文化財です。そんなものがこの高校の敷地内にあるという訳です。

南砺市の少なくともこの福野地区においては、今回の旅の中でここがベストPLACEでした。南砺市では城端(じょうはな)地区も行きまして、ここもなかなかの渋いスポットがあるのですが…

とにかく実際に肉眼で見たら、この写り以上にもっともっと素晴らしい建物だという事を実感させられると思います。ちなみに建築面積は狙ったのかどうかですが、333.3㎡との事で、この当時メートル法がどの程度普及していたのか分かりませんが、それにしてもすごいと思います。

福野駅から余裕で歩いてこれるので、福野駅から徒歩で観光成果を手っ取り早く得たいなら、まずはここですね。駅出口からいうと裏手の位置になりますが。

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2015年11月17日 (火)

富山/砺波 チューリップと圧巻の5連水車

(富山県砺波市、JR砺波駅からの歩き旅です。

(2006年10月当時)

●駅前通り

街灯ごとに「あいれふ砺波」とありますが、この駅前商店街の通りの名称です。

商店街のHPがありました →コチラ

砺波駅前に100を越えるお店が軒を連ね、小都市の割に賑やかに感じます。

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●砺波郷土資料館

街なかから外れてここからは「チューリップ公園」でのカットです。

1909(明治42)年に「中越銀行」として建てられた建物が、1982(昭和57)年にこのチューリップ公園に移設され、翌年に現在の郷土資料館となった訳ですが、明治洋風の代表的な建物として砺波市の文化財に指定されているという事です。

ちなみにこの中越銀行は1894(明治27)年にここ砺波市を拠点として発足し、1943(昭和18)年に他の3行と共に合併して、現在の「北陸銀行」となっていますが、当時は戦争遂行の国策として「一県一行」の方針がとられていた為に合併となったそうです。

この資料館は入場無料との事です。朝早くに訪ねたもので開いていませんでしたが…。

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●砺波チューリップ公園

と表記されたゲートにあたる部分です。

個人的には砺波市では、街なかよりもここで過ごした記憶しかないぐらいで、朝早くでも色々見るものがあって飽きませんでした。

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●オブジェ

真ん中にチューリップが空に向かって咲いているような、公園を象徴する建造物です。

富山といえはチューリップの印象を個人的には多少持っていますが、とりわけここ砺波はチューリップの街といってもいいぐらいで、「富山 チューリップ」で検索しても、砺波の地名が沢山出てきます。

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●チューリップ遊具

公園の一角には、このような遊具がありました。

いたるところにチューリップが配されてる感じで、すべり台の屋根の上がチューリップみたい?だったり、向こうの遊具もチューリップの花びらがついていたり。そして何よりもこのカラフルさが目を惹きます。特にこれ見てて思うのは、青い空には本当によく映えます。

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●5連水車!

砺波に来て、最も印象的だったのがこの5連水車でした。(真ん中の写真の1個だけのものは別です)

日本最大そして唯一といわれるこの5連水車はかなりインパクトがあります。高低差がない富山では、かつてはこうしたものが多かったといいます。正直それほど有名ではないかな、と感じますが、まさに「隠れた名所」ではないでしょうか。

これから砺波に来られる方々には是非見てほしいと思います。

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●チューリップ四季彩館

チューリップの歴史や文化が学べるホールという事で、このチューリップ公園の中でも核となる施設です。早朝につき開いておらず、外からこうやって中の様子を撮るにとどまりましたが、いかにも温室的な外装でした、ビニールハウスのような…。

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●道の駅

これもほど近い所にある、というより隣接している「道の駅フラワーランドとなみ」です。

チューリップの球根をはじめ、様々なチューリップな関する商品もあるという事で、やはり砺波においてチューリップの存在の大きさが窺えます。

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●中越弁慶号のひりごと

最後ですが、チューリップ公園に蒸気機関車がガラス張りの保管庫の中で静態保存されていました。

「ひとりごと」として手書きで味のある説明看板もありました。

それによると、この機関車は明治30(1897)年に中越鉄道(現在の城端線(=砺波駅のある路線))を走っていたもので、当時まだ19世紀、石川県にも新潟県にも汽車がなかった頃で、この機関車を見に沢山の人が詰めかけたといいます。

日本に残っている汽車の中で4番目に古い、とあり、70年務めあげてここ砺波に戻ってきたとありました。1960年代にその役目を終えたという事でしょうか。

機関車の静態保存は結構あちこちの街で見かけますが、1800年代のものというのは結構希少で、この車体が日本で4番目に古いとなると、本当に貴重なものがこの砺波の地に残ってるのだな…という事を改めて思い知ります。

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2015年3月31日 (火)

富山/黒部 黒部駅前の光景

富山県黒部市、JR黒部駅前の様子です。

(2008年8月当時)

●駅前広場を眺む

黒部駅から見た、駅前広場周辺の様子です。こうして見ると様子が分かりやすいですね。

なかなか緑の多い駅周りでした。

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●黒部マップ

駅前の地図です。

反射しまくってて見にくいですが、右が北になります。

西側が海(富山湾)になる訳ですね。

で、黒部駅はこの地図の真ん中よりやや左上の部分で、海は割と近く、また南側は魚津市にあたり、こことも距離が近そうです。ただ、中心街は海とは反対側にあたります。

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●黒部市マンホール

黒部川の清流を力強く泳ぐ「アユ」がデザインされているとの事です。

黒部といえば黒部峡谷、黒部ダム、そして映画「黒部の太陽」でしょうか。

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●プランターロード

左側が駅前広場となるロケーションですが、広場と道路を隔ててある歩道です。

両サイドが多数のプランターに入った花々で埋め尽くされ、またカーブを描いてなんとも素敵な光景でした。驚くような派手な光景ではないものの、ここまでしようと思ったらマメに世話も必要だし、よくよく見ると見事な光景だな、とも思えました。

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●駅前通り

ここ黒部の駅前はほとんど歩いてなくて、駅前広場から離れて街の風景を撮ったものがほとんどないままここを発ったので貴重なカットです(笑)

この時、富山県の北陸本線の駅をひとつひとつ訪ねて行ったのですが、このころは体力の消耗が激しかったのか、正直適当にしか行ってない街も所々ありました。とにかく暑かった事だけはよく覚えています。

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●昭和の商店

これも駅前のある一角ですが、こういう軒先がとにかく懐かしくて撮ったもので、数少ない街のカットのひとつです。

やっぱり「Coca-Cola」の看板が昭和でいいですね、幼い頃の心の琴線に触れる、とでもいうか。

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●消火栓マンホール

最後の写真ですが、「消火栓 黒部市」とありました。

「纏(まとい)」がでっかく描かれていました。

ちなみに右側のマークは市章ですが、旧黒部市の市章のようです。

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黒部市でいうと宇奈月温泉の方にも行ってるのですが、夜だった為、マトモに載せられるものが皆無という状態で、景色が綺麗なこの黒部で載せられるネタもないので、今度は素晴らしい光景をおさめて、ここにupできれば、と思います。

2014年11月22日 (土)

富山/魚津 魚津の漁協あたり

ょ富山県魚津市、JR魚津駅からの歩き旅です。

(2005年11月当時)

●魚津漁協前

この時デジカメ持参しないまま旅に突入してしまったため、「写ルンです」を急遽購入しての街並み撮りでした。あと当時のとっても画素数の低い携帯も一緒に!

なので独特の写りになってます。

漁協の字体が絵に描いたような明朝体と思えました。「レタリング」というのものを初めて覚えた時に見た字体、個人的にそんな印象でした。「魚津」で「漁協」って、これでもかってくらい水や魚を思わせてくれます。

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●魚津港

魚津港、突堤や置かれている多数の船やらで雰囲気出ています。

写り具合のせいですが、空と海の色が同じように見えて不思議な感じです。

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●テトラポット

これも魚津港です。

こちらは水平線のまっすぐぶりが強調されたカットになりました。

「蜃気楼の街」として有名な魚津の片鱗もどこかに感じられる気がします。

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●魚津おさかなランド

魚津漁協の水産物荷捌き施設として、このような愛称がつけられています。

本格的な食品衛生管理システム対応を意識して2004年に完成したそうで、この写真当時はまだ1年そこらの出来たてのホヤホヤだったという事ですね。

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●海の駅 蜃気楼

魚津駅から車で5分の所にある海沿いの「海の駅」ですが、歩いて行くと結構遠いです。

上の写真は入口が写っていますが、これは下の写真の長い建屋とは垂直な位置にある建物です。

海産物を頂く事も持ち帰る事も出来る、魚津きってのスポットのひとつといえると思います。

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●魚津の蜃気楼

魚津は蜃気楼の街として有名、と先に触れましたが、その説明書きがありました。

3月下旬から6月上旬の晴天で気温が高く、北寄りの微風が吹く日に現れやすい、とされています。対岸の風景や沖ゆく船などが上に伸びたり見えるという事で、一度見てみたいなとは思いましたが、この時は写真やらで随分と見たのでそれで満足していました。この時は秋でもあり、この目で見るには縁遠いものでしたし。

そんな訳で?!魚津には、蜃気楼を堪能できる施設として「魚津埋没林博物館」があります。魚津に来たら、ここは個人的にイチ推ししたいと思います。国の天然記念物である「埋没林」の名が前面に出てしまっていますが、蜃気楼の魅力もたっぷりと感じられる施設となっていますので宣伝する訳でありませんが、立ち寄れば魚津の魅力も感じられるかと思います。

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2014年11月13日 (木)

富山地方鉄道/新魚津駅 (富山県魚津市)

富山県魚津市の富山地方鉄道/新魚津駅です。

魚津市では、以前にJR魚津駅の記事をupした事がありましたが、今回はその傍にある富山地鉄の駅です。

-富山地方鉄道/新魚津駅
【路線】富山地方鉄道本線(電鉄富山-宇奈月温泉間)
【開業】1936年8月21
【訪問】2005年11
【1日あたり平均乗車人員】 1,404人/日 (2012年)
【近隣の主要駅(電鉄富山方面)電鉄魚津駅→隣駅
           (宇奈月温泉方面)電鉄黒部駅→3駅

●駅名標とホーム

なんとも情感のこもった字体、というか、これぞ古き良き時代の駅名標の雰囲気!と思わされるスタイルでした。この写真はもう9年も前のものとなってしまいましたが、今でもこのスタイルど残っていてくれると嬉しいです。

ちなみにJR魚津駅に連接しているのが、この「新」魚津駅で、隣の電鉄魚津駅の方はJRとは隣接せず、電鉄としては中心駅的な役どころとなっています。利用者数はこの新魚津の方が多いですが、やはりJR魚津と隣接という地の利が大きいのでしょうか。

駅名標の下の「ますのすし」の広告がまたほのぼのとした雰囲気でいいですね。

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●ホームと駅舎

ホームは築堤上にあります。

駅舎というよりホーム上の建物という感じですが、外から見ると「新魚津」と表示されていて、かぎりなく駅舎に近いというか実質駅舎ですね。ここ以外に建屋部分がなく、ホーム上はこうして見ると屋根がなく、のどかな雰囲気です。

電鉄としては魚津市の中心的存在となる電鉄魚津駅の方を今度は見に行きたいものです。

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2013年8月15日 (木)

富山/滑川 滑川駅周辺のようす

富山県滑川市、JR滑川駅からの街の様子です。

(2008年8月当時)

駅から目線

駅記事の写真が少なく、こんな写真も載せていませんでしたが、駅から見た駅前広場とその向こうの通りの様子です。

ロータリーの真ん中は大きな石が置いてあるものの、公園的なエリアではなく、植込みを作っている程度でした。

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滑川宿みちしるべ

駅前にあった説明板です。

滑川は北国街道の宿場町として栄え、滑川の地名が初めて見られたのは鎌倉幕府開府直前の1186年とありました。

「滑」は低湿地や沢沼地を意味し、これに「川」なので、筋金入りの?!水辺地名なんですね。

写真は明治41(1908)年の駅開通時のもの、昭和49(1974)年当時の駅前の様子などが紹介されています。昭和49年でも駅前は木造の建屋ばかりだったようで、その頃に訪ねたかったと思いました。

自分が大人といわれる年齢に到達したのが平成に入ってからなので、こういった景色になんとなく覚えはあったとしても、色んな街を巡って、こういう姿をあちこちで見るという事はできないんですよね、その頃になるとだいぶ現代に近い姿になってしまってるんで…

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駅前通り

駅からのびている道路、県道139号となっています。

市の中心駅ですが、サイドは建屋よりも街灯が立ち並び、それ以外はひっそりとした印象でした。

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遺構

昭和時代の往時をどこか思わせ、今はもう廃墟になったと思われる建屋…

滑川に居たのはそんな長くないし、写真も数えるほどしか撮ってませんが、個人的に滑川で最も印象的な写真です。昔はこんなとこで飯食ったりとかしてたような…幼少時のおぼろげな記憶中枢?!をかすかに刺激してくれる、そんな建屋でした。

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バス停

厚生連 滑川病院口というバス停で、複数の標識が立っていました。

片方は富山地鉄バス、もう片方は「のるMy Car」とありました。滑川市のコミュニティバスですが、富山弁の「乗るまいか」と、マイカーのように使ってほしいという願いとを掛けてこの名前になったとありました。

今からちょうど5年前であるこの当時は、7ルートで1日5便ずつほどありましたが、今はどうなっているでしょうか。と思ってサイトを見ると7ルートは若干の変更がありながらも維持されていました。

ちなみにこの地点は、市民交流プラザ「YELL」前であり、コミュニティバスの中心拠点でもあります。

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滑川市マンホール

あまり歩き回っていないので早くも最後の写真となりますが、このマンホール、北アルプスを背景にし、ホタルイカ漁の様子を描いたものとなっていました。

ホタルイカは体に1000個もの発光体を持つとされ、普段は深海部に暮らしていますが、春になると産卵のため海面近くに来るそうで、滑川の海面にはホタルイカの群れが青白い光を放ち、その神秘的な光景を見せる滑川の海面は天然記念物にも指定されているとありました。

4月~5月にかけて、観光船からホタルイカの定置網漁が鑑賞できるそうで、これは一度は見てみたいものですね。

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