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46大分県

2019年8月18日 (日)

JR大分駅 (大分県大分市)

大分県大分市のJR大分(おおいた)です

大分市は、大分県の中央部のやや南に位置し、人口は477,715人(2019.6.1現在)で、大分県の県庁所在地であり、九州では(福岡市、北九州市、熊本市、鹿児島市につづいて) 5番目に人口の多い市で、九州新幹線の通っていない東九州では最大人口の市です。

かつては豊後の国府として栄え、大分城は「府内城」などとも呼ばれています。

-JR大分駅-
【路線】
JR日豊本線(小倉-鹿児島間)
      九大本線(久留米-大分間)
      豊肥本線(熊本-大分間)

【開業】1911年11月1日
【訪問】初訪問-2010年8
【1日あたり平均乗車人員】 19,067人/日 (2018年) 
【近隣の主要駅】 (小倉方面) 別府駅→3駅 
           (鹿児島方面) 臼杵駅
→11駅 
           (久留米方面) 由布院駅→12駅
           (熊本方面) 三重町駅→8駅


▼駅名標周辺の様子です。

 

この写真は2015年3月当時のもので、本記事では特に断りのないものはこの2015年当時の写真を使用します。

2012年に全面高架化が完了し、これはその後の姿となります。

JR日豊本線に属しており、久留米と繋ぐ久大本線と、熊本と繋ぐ豊肥本線へも分岐する東九州随一のターミナル駅で、九州新幹線が通らない東九州にあって大変重要な役割を果たしています。利用者数は九州では第4位で、博多、小倉、鹿児島中央といずれも新幹線の重要なターミナル駅に続く多数の利用者数(九州新幹線の通っていない駅では九州最多)を誇っている活況の駅といえます。

ただ、そんな中で豊肥本線の「肥後大津-阿蘇」間では、熊本地震の影響でいまだに不通となっています。

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▼他のホームを含めたカットですが、ホームは実に4面8線もあります。

なので、向こうにいくつもホームが見えてます。

そして、どのホームも普通と特急の混在している形です。

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▼特急ソニックが乗り入れる形でのホームの様子です。

九州は列車がそれぞれ特徴的なのが魅力で、身近にそれらを見る事ができるのが楽しいですね。

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▼両サイドが見える形でのホームの様子です。

かなり屋根に覆われている印象が強かったです。

高架化されて豪華感が増したと思います。高架につきこのホームから降りて改札へ向かいます。

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▼改札を出て、駅構内の食堂街を歩き回っていた時に出くわした写真です。

大分県の方言が数々載っていました。

写真に写っているのは大分出身の指原莉乃さんでしょうか?

「はげらしい」が「悔しい」とか、全然原形留めてないような言葉も結構あるのですね。

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▼これはその食堂街で頂いたたしか「だんご汁定食」です。

大分といえば「だんご汁」

「だごじる」などともいいますが、来たからには名物を食べたいと思いまして。

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▼写真横になってすみません。

これは2017年再訪時のカットですがラグビーワールドカップまでの日数が表示されていました。

この時はまだ何百日というレベルでしたが、この開催は2019年9月20日~ということで、今からみるともう来月!の開催となるので載せてみました。

大分は全国で行われるワールドカップの12会場のうちのひとつであり「大分スポーツ公園総合競技場」で試合が行われます。もう来月に控える状況につき、かなり盛り上がっているのではないかと思います。

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▼これは構内のフロアで、改札を出て出口までのコンコース内ですが、大分駅内を普通に闊歩する「ぶんぶん号というミニトレインです。

定期的に人を乗せて走ったりもしていて、子供には人気のある大分駅名物です。

動いているのは土日祝の11~17時で、15分おきに運行していますが、動いていない時も駅構内に停まっていて、ひときわ目を惹く存在です。

距離をそんなに動くわけではないのですが、子どもにしたらこういう乗り物に乗ってそれが動くというだけで特別なものですよね、それも大人に乗せられて走る車と違ってゆったり乗れるものでもあるので。

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▼駅コインロッカーのひとつです。

駅構内ではなく、駅を出てすぐの所にあるものですが、

コミカルな絵柄と番号ごとにすべて絵が違うという、この凝りようが素晴らしいです。

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▼南口の駅前広場の様子です。

グルッと周囲を囲んだひさしが大変印象的で、色んな角度から撮りたくなり、また見せたくなります。

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▼大分駅南口の駅舎です。

南口は「上野の森口」という別称がつけられています。

ロータリーの真ん中は特に何もない状態で、単純に丸のスペースがとられています。

ロータリーのスペース周辺は歩行者スペースで、このエリアが広くとられています。

道路を挟んで広場スペースがありますが、そこではイベントが活発に行われたりしていました。

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▼北口へ転じて、駅前広場ですが、こちらもグルッと囲まれた広場スペースは同様の構造でした。

バスのりばには色んな行先の表示が看板に書かれる形で置いてありました。

一体型ではなく、それぞれ看板が別々につくられているのがなんとも…ですが。

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▼北口の駅前ロータリーの様子です。

どちらかというと、こちらの方がメインという感じでした。

北口は「府内中央口」という呼び名があり、まさに中央でメインな訳ですね。

府内城(大分城)はこちらからのアクセスとなります。

また商店街も近くにあるのですが、エリアによってか?かなり古い曲(40~50年くらい前の)ばかり流れている印象がありました。

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▼大分駅北口の駅舎です。

南口とはかなり違うデザインで、より豪華な雰囲気が感じられました。

庇が大きいところが、豪華さを感じさせる要因のひとつかもしれません。

ちなみにここへ初めて来たのが2010年夏の事でしたが、2015年春に5年ぶりに来てみたら、このように全然違っていたのでビックリしたものでした。

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▼これは翌年の2016年当時のものですが、この時は夜泊まっていたので、駅の夜景を見る事ができました。

という訳で載せますが、大分駅でこんな素晴らしい夜景を見れるとは正直思っていませんでした。

庇の部分など、昼の景色とほぼ同じ角度で撮れていると思いますが、写っているものは全然違う感じですね、

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▼最後は2010年当時の大分駅の旧駅舎と駅前の様子です。

今はもう見る事の出来ない姿につき、貴重なカットとなってしまいました。

いかにも昭和の地方都市の駅舎という感じを受けました。

向こうにクレーンが見えていて、工事をやっていたのも窺えるのですが、この当時はこんなに駅舎が変わってしまう程の改装をしているなど、考えもしなかったので5年後再訪してビックリした訳です。

少し行かないと、駅舎ごと変わってしまう事って結構あるので、前の姿を撮っておいて良かったとつくづく思うものです。

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2018年8月17日 (金)

大分/佐伯 B-1グランプリの頃

大分県佐伯(さいき)市、JR佐伯駅からの歩き旅です。

(2016年11月当時)

●佐伯駅 駅舎2016

本記事冒頭の佐伯駅リンクは、初訪問した1997年当時の駅舎を載せていますが、2016年に実に19年ぶりに再訪したのが今回記事のものとなります。

19年ぶり訪問となった訳ですが、その訪問のほとんどがこの時に開催されていた「西日本B-1グランプリ」に費やされたものでした。

この時、別の用で大分に行っていましたが、佐伯に長いこと訪ねていなかった事と、その当時も駅前をちょろっと歩いただけで、まともに街探訪していなかったという事で訪問を決めたところ、偶々その日が「B-1」の開催日と被った訳です。

そんな訳で、普段の佐伯とは全く違ったであろう賑わいを見せていました。駅前にもイベント用のテントが設営されていたりなどして。

ちなみに駅は1997年当時とほとんど変わっていませんでした。屋根の色が茶色から青に変わってはいましたが。

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●さいきマンホール

佐伯は城下町である、という事を19年ぶりに訪ねて初めて知りました。

それくらい当初は無知で、とにかく佐伯という地に足を下ろして「行った事がある」地を増やしたかっただけだったのかなと。

しかしこのマンホール、情緒あって美しいですね。 

「佐伯の春 先ず 城門に 来り」という独歩の文が綴られていました。

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●平野入口 バス停

佐伯駅から一つ目のバス停、というところでこの右に隠れている部分の駐車場的なスペースから、B-1グランプリ会場行きの臨時バスが出ていました。その臨時バスも乗るやたちまち定員に達して、えらい賑わいでした。

なんとか歩いてでも行ける所にあるというので、この道を向こうへまずは歩いてみる事としました。バスの混雑と、歩く苦労と、どちらを取るか??と言われたら個人的には後者を取りますね。

時刻表的には、色んな行先のものが出ていますが、それぞれそんなに本数が多くないながら、このバス停自体には毎時間帯2~5本のバスが停まる形となっており、地方都市の割には頻繁に行き来するかな、という印象でした。

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●B-1グランプリ看板

まさにこの日曜日11月20日(日)の方にここを訪ねました。

「西日本」B-1グランプリとして、2016年はここ佐伯が開催地で、翌2017年は兵庫県明石市へとバトンが渡されました。

このB-1もそんなに歴史のあるものではないでしょうが、すっかり定着しましたね、開催されるとそにこは人がどっと押し寄せてきて。よくここまでのイベントになったな、と思います。

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●佐伯市役所会場

佐伯駅から南西へ約1.5km歩いてようやく、市役所前のB-1グランプリ会場のひとつに着きました。

特設ステージが設けられてイベントが行われていましたが、もちろん屋台のお店も多数出ていました。それでも城門の所の会場に比べたら小規模だったかな、という感じでした。

建物にある横断幕には、このイベントが開催される事が記されていました。

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●市役所会場のようす

「市役所会場」として9:30~15:30となっていました。

チケットを購入して、そのチケットでもって各店で買う方式につき、まずチケットを1,000円(10枚)分買う必要があり、このうち300円とか400円分(3、4枚分)を各店で渡す形です。だから1店しか行かないと損してしまい、複数のお店で買わなければ…となってしまうのです。

色んな店が出ていて盛り上がっていましたが、ここはその会場のひとつで、別の場所でも盛り上がっていた訳です。どこもえらく並んでいて、なかなか買いに行けず、ここではチケットを買う事すら断念しました。

お店は勿論色んな街から出ていて、田川(福岡)、明石(兵庫)、出雲(島根)、徳島、今治(愛媛)、佐賀etc…の実に多数の幟が立ち並んでいました。

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●新町通り

市役所会場を抜け出て、次の会場への移動中に出くわした通りです。

地方の駅前にありがちな空洞化に対して、この辺りでもクローズアップされ、周辺の整備に乗り出したという事で、2007年にリニューアルされ、テープカットを伴う通り初めが行なわれたといいます。

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●新町通りを進む

ゲートのある入口は穏やかな雰囲気でしたが、少し進めば夜は結構賑わっているであろう雰囲気が如実に見て取れる雰囲気を醸し出していました。

この街にこんな華やかな通りがあるとは…、駅前をちょっと歩いただけでは知るはずもないというものでした。

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●なかまち

佐伯市内で唯一、アーケードのある商店街としてあるのがこの「仲町商店街」です。

ここもまた空洞化が目立ち、七夕まつりのイベントを積極的に行うなどして再生が図られている所といいます。

で、このB-1の時は、軒を並ぶ店々がB-1仕様になっている所も少なくなく、この商店街が普段どの程度賑わっているのか分かりませんが、この時はおそらく普段よりかなり賑わっていたのではないか、と感じました。

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●お祭り広場会場

佐伯駅からは最も遠い、この時のB-1でメインの会場がこの広場でした。

佐伯城門に向かっての通りでズラーッとお店が並んでいました。

とにかく何か食べたかったので、ここではチケットを買いましたが、どこも結構並んでいて、極力並んでいないところを探していました。

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●佐伯城門

佐伯は城下町である事を19年ぶり2度目の訪問でようやく知り、この事をB-1会場で体感する事となりました。それにしてもこんな立派な城門があるとは…嬉しい誤算でした。

ここは佐伯城の三の丸櫓門という事で、坂道を上った後に築かれていますが周辺には石垣が高くそびえていました。江戸時代に入ってからの1606年築城とありました。

この下一帯の広場がB-1のメイン会場であった訳です。

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●佐伯のグルメ

佐伯「ごまだしうどん大作戦」と銘打たれて大々的アピールの下で展開されていました。全国に広めることがこの時のミッションとして記されています。

佐伯の名物として飲食店で「ごまだしうどん」の文字が暖簾に見られたところもあったぐらい、地元にも浸透しているようです。

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●佐伯ごまだしうどん

ご当地佐伯のうどんを頂きました。

真ん中部分がごまだしという訳ですね。

味噌みたいな見た目になっていますが、同じように汁に溶かす形で味をしみこませて食べるようです。

あれこれ見て回っているうちに時間が来てしまい、日曜日に大分南部から帰らなければという事で、結局チケット1,000円分買って、利用したのはここだけに終わってしまいました。

B-1グランプリ開催というのは、各都市をアピールする場である事は勿論ですが、その開催した土地の観光面を潤すという非常に良い機会でもあると思いました。偶々B-1に出くわしたからこういう賑わいの佐伯に出会えたわけで、普段の佐伯の姿ももう一度見てみたい気もしました。

お城周りは城門しかここでは触れていませんがもっと広く風情ある部分がありますので、この点に絞っても佐伯という街の観光のし甲斐はあると思います。という事で一昨年の佐伯のB-1めぐりでした。

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2018年2月17日 (土)

大分/日田 旅に外せぬ豆田町

大分県日田市、JR日田駅からの歩き旅です。

(2012年12月当時)

●駅前交差点

いまから約5年前の姿です。左側に隠れている部分が駅および駅前広場で、これと向かい合う形で日田バスセンターがあります。

福岡行きのバスなどが出ていて、博多駅前の博多バスセンターまで約1時間半、片道1,800円で、1日48往復もの多数の便が出ています。電車で行くと遠回りな感じもして、このバスはかなり貴重かと思いました。

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●Sun Live

サンリブという広島以西に店舗を持つスーパーチェーンが駅前斜めにあります。県内には多くの「マルショク」という名の系列チェーンがあり、このサンリブ名義の店舗はかなり少ないようです、少なくとも大分県では。

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●観光案内所

駅の横(この右に隠れている部分が日田駅)にある観光案内所です。

日田は「豊後の小京都」といわれる美しい街ですが、この和風建築を前面に押し出した重厚な感じの建屋がインパクト大でした。

大きな窓に縦の連子、そして縦横に通った「なまこ壁」、和風建築の要素を多数満たした素晴らしい建屋です。

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●観光マップ

「天領日田観光案内マップ」という名前で出ている観光案内図です。「日田天領水」はすっかり有名になりましたが、日田は幕府直轄の「天領」として江戸時代栄えていた街です。

日田駅はこのど真ん中にあたる部分ですが、その上に赤丸の部分がいわゆる小京都の街並みが広がるエリアで、駅を出てから一旦駅裏に回る形で、これらのエリアに入る格好となります。

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●日田市マンホール

鵜飼いが前面に描かれたマンホールです。1966(昭和41)年に大分県の無形民俗文化財に指定されたといいます。

200年の伝統を誇る屋形船は風情満点で鵜飼いも見物できるといい、鵜飼いといえば真っ先には岐阜県長良川を連想しますが、ここにもそういうものがあるのですね。マンホールの絵柄から学ぶ事ができました。

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●高架をくぐって

小京都の街並みを探訪しない手はない、と駅から少し歩いて、この高架をくぐって駅出口と反対側へ、ちょうど電車が通り掛かったところを撮れました。

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●日田駅北公園のデゴイチ

高架をくぐり北側へ転じて程無く、このような公園に出くわし、そこにはD51蒸気機関車が静態保存してありました。

昭和14年に製造され、鹿児島本線、日豊本線で活躍し48年に引退とありました。大体の蒸気機関車はこのくらいの昭和40年代末期に引退してるんですかね?いろんな場所でこのように保存されている機体を見ますが、大抵そのような経歴を辿っています。

この地には2005年に移設されてきて現在に至っています。

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●デゴイチ更に

色んな角度からのデゴイチです。

綺麗に保存されているものですね、引退してこの時で40近く経っていますが、よく手入れされているのでしょうか。

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●小学校にて

何故これを撮ったのか??とこの写真をupする時にふと考えていましたが、この和風っぷりに惹かれたのだと思います。

塀が純和風なのです。そして校舎も実に和風でした。小京都ぶりをこんな所でも具現化しているのかなと。

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●妙栄寺

という日蓮宗のお寺で、日田駅から約400m程の所にあります。

歴史についてはよく分かりませんが、明治からの歴史はあるようです。

で、この山門がカッコ良いです。屋根のへりがせり上がっていて、下から撮ると尚カッコよかったです。

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●この辺りから

小京都の街並みっぽくなってきます。

日田駅から十分歩いて行ける距離であり、日田駅に来たならこの辺りは歩いておきたいものです。

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●豆田町

「まめだまち」と読みます。

江戸時代以降に建てられた建築群が現存し、国の重要伝統的建造物保存地区に選定されている、日田市で小京都の雰囲気を味わえるエリアで、日田市観光の代名詞的存在ともいえます。

和風建築が両サイドに広がって風情溢れる雰囲気となっています。

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●さらに豆田町

白壁の和風建築が続きます。

下の2枚目、3枚目の写真は大分銀行です。超和風建築の銀行って素晴らしいですね。

そしてその3枚目の写真は銀行のシャッターですが、「ひたの三大祭」として絵が描かれていました。「日田天領まつり」がいちばん左ですが、この豆田町を中心に行なわれるそうです。

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●天領まちの駅

道の駅さながらの雰囲気でしたが、正式な道の駅ではないようで、道の駅とスーパーを合わせたような施設でした。売店は無休で、食事どころは火~木休みなる記載を見かけました。

小京都の街並みが広がっていて、基本歩き回るようなエリアですが、そんな中でここは駐車場として重宝する場所でもあるかなと。ただ週末は有料等色々条件があるようです。ここで買い物をすれば30分以内は無料だとか色々と。

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●日田の湧水

天領まちの駅の一角ですが、日田の水を汲めるようで「どうぞお汲み帰り下さい」との表示がありました。

日田天領水というちょっと高い水のペットボトルがあまりに有名ですが、この日田天領水は企業名でもあり、「株式会社 日田天領水」として存在しています。

元々はウナギの養殖用に掘られた深井戸が発端で、この水で育てたウナギが大きく成長した事もあり、遂には商品になったとか。

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●お菓子

まちの駅すぐ隣の「お菓子の花月」というお店でこのお菓子を買いました。

「そば饅頭」「天領黒べえ」です。

天領黒べえは昨年末のYahoo口コミにあったので、まだまだ売っていると思います。

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●酒蔵資料館

クンチョウ(薫長)酒造というところの酒蔵資料館で、これまた素晴らしい和風の建物の中に沢山のお酒が置かれています。

資料館というと見物するところ、という印象を受けますが、試飲もできるし販売もされているのでお酒を買って帰ることもできます。

江戸時代からの酒蔵が今も生きているという事で、そんな伝統を感じながら訪ねると尚味わい深いものになると思います。最も古い蔵で1702(元禄15)年築のものがあるという事で、300年以上にわたる歴史の重みを感じます。

間口は狭いのですが敷地は2,000坪もあるそうです、これはビックリですね。

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●構内1

単なる資料館ではなく様々なコーナーがあり、間口だけでは計り知れない奥深さがあり、単に観光としても、かなり活用されているようです。

これが2012年末時点の姿ですが、この後2016年2月にも偶々ですがここに再訪する事となり個人的にビックリでした。

そして色んなものが飾られている一角があるのですが、そこには真屋順子さん のサインが!

真屋さんといえば本業は女優ですが、欽ちゃんこと萩本欽一さんの全盛期に「欽どこ」でお母さん役にて一躍国民的タレントとなった方です。つまり「わらぺ」や見栄晴のお母さんです。

個人的に女優としては「コメットさん」 (大場久美子版)でのコメットさんの居候先のお母さん役や「人形佐七捕物帳」の主人公・松方弘樹さんの奥さん役などが大変印象的でした。

晩年は病に倒れ夫の故・高津住男さんの献身的な介護が話題になりましたが、その高津さんに先立たれ、真野さんご自身も昨年末に惜しまれつつ75歳で亡くなられました。そんな真屋さんはここ日田の出身で郷土が生んだTVスターな訳です。サインはS63.3.9とあり今から30年前ですね。このポスターの頃はもっと前の時期だと思いますが、今も大切に飾られているのか気になりました。

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●構内2

「お酒の学習室」など、広い敷地を生かした様々なスペースが見られました。

そしてどこの蔵がいつ築なのか?そんな情報も貼り出されていました。こういう分かり易いものがあると歴史の重みが感じられていいなと思います。

この時は試飲できませんでしたが、一昨年の再訪時はガッツリ試飲できて満足しました。

日田へ来たなら小京都の雰囲気前回の「豆田町」へ、そして特にこの歴史ある「酒蔵資料館」は個人的におススメです。

日田の豆田町でもまだまだ魅力あるエリアは沢山ありますが、今回記事はここまでとします。ありがとうございました。

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2016年12月16日 (金)

大分/宇佐 廃線間近のバスルート!

大分県宇佐市、JR宇佐駅の駅前の様子です。

(2012年12月当時)

●宇佐 国東半島案内地図

宇佐駅ホームにあったのも国東半島の地図ですが、これとはちょっと違った形で表現されているもので、宇佐駅を出てすぐの、駅舎前にあるものです。

宇佐市はまだ半島部分にはないかな、というところですが他の市は半島にかかっています。杵築市、豊後高田市、国東市…などなど。

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●駅前通り

宇佐市の中心駅前の通りですが、そんな雰囲気がほぼなかったです。強いて言うなら飲食店が多少なりあったところでしょうか。「ようこそ〇〇へ!!」的なものは皆無でした。

右側のお店は飲食店で、時間があれば入りたかったのですが、中途半端に時間がなくて断念しました。幟には「だんご汁」と出ていました、大分の名物ですね。

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●タクシー会社

宇佐太陽交通というタクシー会社の北馬城営業所というのがありました。

上の写真の駅前通りの突き当たりすぐ手前の左側にあります。

この先はT字路で、幹線道に入って行きます。

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●宇佐駅前交差点(右)

駅前通りを突き当りまで行くと、この「宇佐駅前」交差点のT字路に行き当たり、右側を向いたのがこのカットです。

特に何がありそうな感じもしなかった、幹線道がただひたすら続く、そんな感じでした。

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●宇佐駅前交差点(左)

上の写真と反対側で宇佐駅前交差点を左を向いた側のカットです。

見えにくいですが、右側には「宇佐駅入口」バス停があります。

右側に比べたらまだ、向こうに何かありそうではありますが、やはりやや閑散とした感じが拭えない、そんな通りでした。

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●宇佐駅入口バス停

先に触れましたが、バス停のアップの様子です。大分交通のバスが通っています。

裏を見ると、 「別府ゆけむり号」13:11となっていました。広島バスセンターを起点に徳山港からはバスごとフェリーに入って航行となり、九州では竹田津港に入り、ここ宇佐駅入口を経て別府→大分市内に至るというルート取りをするバスで、1日1便運行されているのですが…

来年、というか来月、2017年1月9日をもって、運行廃止が決定となってしまいました。これは今からちょうど4年前の姿(2005年運行開始)ですが、もうあと1ヶ月もないうちに走らなくなってしまうのです。そしてこのバスの名も幻となってしまい、こうして記録に残しておいて良かったな、とつくづく思うばかりです。

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●宇佐温泉

宇佐駅前交差点を左へずーっと進んでみたカットです。

「宇佐温泉」の文字が見えてきて、惹かれました。 「宇佐温泉 あずみの湯」との看板が!

建物がすごく穏やか目?で、賑わいなど微塵も感じられませんでしたが、大きな水車が印象的でした。

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●岩崎橋

最後はこの朱塗りの橋です。

宇佐駅から北西へ少し、国道10号線に乗って向野川に架かるこの橋は岩崎橋といいます。

向野川は寄藻(よりも)川という二級河川の支流の川です。

向こうにはレストラン「Joyful」があります。

宇佐市役所はここから遠いし、どの辺りが栄えているのかよく分からない市でもありました。

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2014年1月26日 (日)

大分/豊後大野 三重町の懐かしげな風景

大分県豊後大野市、JR三重町駅からの歩き旅です。

(2013年1月当時)

駅前マップ

JR三重町駅を現在地とするマップです。

駅前通りは両サイドに青丸がついていて、なにがしかの店が必ずあるという状態、さすがは駅前通りといったところでしょうか。

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商店街

駅前商店街のスタート地点ともいうべき初っ端の部分ですが、なんといってもこの「大五郎」の名には惹かれました。豊後大野=大五郎が自分の中で形成されてしばらく離れませんでした。

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つづく商店街

駅前通りを少し進んだ所、やはり商店街の街並みが続きます。

2F建てまでの建屋が続く通りで、これ以上高い建屋は見えませんでした。郡部の延長上で市になった町、というのが如実に表れてる感じですね。

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三重町駅前バス停

と、そのバス停の待合室です。

「三重町駅」バス停ではなく、駅「前」バス停という事で、駅から少し距離があります。

そのバス停にこんな屋内型の待合室があるとは!バス停に待合室があるって、鉄道駅に待合室がある事よりも貴重に思え、グレードが高い気さえもします。ここは室内型といってもドアとかある訳じゃないですが、それでも前面以外の3面に壁と屋根があるというのは、バス停としては素晴らしい部類だと勝手に思っています。

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三重郵便局

といっても、三重県の郵便局ではありません。

旧・大野郡三重町の中心郵便局が、当時の町名をとった「三重」郵便局な訳です。

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アップダウンの路地

石垣風の建屋が立ち並び、道路は上り坂と思いきや下り坂になっていく、そんな通りでした。

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三重町市場発祥の地

としてお札が立っていました。

この正龍寺(しょうりゅうじ)の古文書に「永正4年三重郷市庭」という記述があり、永正4年は1507年なので、500年前には市場が開かれていたという事です。現在もその名残か市場という地名が当地に残っています。

歴史でいうと、室町時代後期で細川氏が隆盛を極めていたという頃で、この1507年には細川政元が暗殺され、この事件は「永正の錯乱」と呼ばれています。

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正龍寺

という訳で、上の写真の古文書があるお寺、正龍寺です。

浄土真宗本願寺派に属するお寺で、三重町の駅からは約300mほどの所にあります。

白壁にグレーの渋い色合いの屋根が多く、印象的な光景でした。

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旧・長田医院

1927(昭和2)年に長田松三郎氏によって建設された豊後大野初の洋風病院建築だそうで国登録有形文化財です。当時としては画期的なモダン建屋という事で見物人が絶えなかった、書いてありました。今は病院ではなく、居酒屋その名も「れと絽」として活用されています。

木に隠れていたため建屋の素晴らしさがかなり伝わりにくくなっていますが、立派な大正モダン建築の建物です。

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2013年6月 4日 (火)

大分/津久見 昭和の香りの商店街群

大分県津久見市、JR津久見駅からの歩き旅です。(2010年8月当時)

大友宗麟公像

津久見駅前にあったこの像、一見して明治大正期の偉人像だと思いましたが、まさか戦国武将の像だったとは!

冑もちょんまげも見受けられないしで。やっぱりそこはキリシタン大名だからでしょうか。

大友宗麟(1530-87)は豊後国の戦国大名で、勢力の拡大や縮小を経て、秀吉の天下統一目前の頃に病没しましたが、その地がここ津久見だといいます。

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駅前通りを眺めやる

先ほどの宗麟像を遠目に、駅から駅前通りを眺めた様子です。

右手前に白い3F程度のビルがあり、その向こうもこの程度の建屋が軒を連ねていました。

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昭和通り商店街

駅にほど近いところにあったこの昭和通り商店街、今や昭和も遠くなり昔チックな名前に響いてくる、年を経るごとにそのように感じます。昭和っぽい建屋の店が多く見られました。

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sense of the dance

津久見には「扇子踊り」というのがあるそうで、ポスターが貼ってありました。

この10日ほど後が当日でした。

元々は約450年前、大友宗麟の治世だった頃、戦没した勇士や農民の供養のために踊られたのが始まりといわれています。

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威厳あるもの

駅近くの商店街の一角、そんなに人で賑わう通りとは思えませんでしたが、ポツリとありながらよく見るとすごく威厳ある佇まい、素晴らしい建屋ですね。

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昭和の残り香

昭和時代はれっきとした現役の店として軒を連ねていたと思われる通りに出くわしました。今ではすっかりシャッター商店街となっているっぽい雰囲気で、いくつかは営業してるとは思いますが…

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商店街

こちらはある程度空いてる店も見られた商店街、金融機関などもあったりします。

それでも並んでいる店たちには昭和の香りが色濃く漂う、そんな雰囲気を持ち合わせていました。

津久見市の歩き旅では、商店街に見惚れたというのがまずあったので、ここにお見せしました。港町でもありますが、陸地はこうして楽しむのがひとつかと…

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2013年2月16日 (土)

大分/国東 大分空港・雨模様…

大分県国東(くにさき)市、大分県の北東部・国東半島に位置し人口は30,718人(2012.12.1現在)で、2006年に旧・東国東郡4町が合併してできた新しい市です。大分県の空の玄関・大分空港は他ならぬ当地にあります。

が、この市ではこの空港敷地近辺しか歩き回れませんでした。そんな国東市の景色の一部を!(2013年1月)

大分空港着

大分県の市では豊後高田市と共に鉄道駅のない当市へは、別府駅からバスで訪ねました。別府駅から40分余で1,450円でした。あまり便数がなかった印象だったので要注意です。

個人的に大分県で最後に訪ねた記念すべき市であり、ここへの到着をもって大分県の市を全制覇でした、そんな2013年1月の出来事でした。ここから発って1月連休の旅を終わらせる、一連の旅で最後に訪ねた地でもあります。

実際にバスで降りたのはもっと空港入り口寄りで、タクシーの停まってる辺りです。

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高くそびえるもの

空港前の高く建つものたちです。

それぞれ役目は全然違えど、その壮観さに目を惹かれるところはおんなじです。

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「里の駅 むさし」

空港横にあった産地直売所兼軽食コーナーのある「里の駅」です。

到着からフライトまで2時間半程あったのですが、ここから国東の中心に行きたいと思えど、それらしいバスもなく、おまけにそこそこの雨で、だいぶ歩き疲れもあり、かなり諦めモードで、空港中心に国東らしい何かを探す旅、という趣向に切り替えました。

空港外で近辺で寄れそうな所といえばここぐらいかな、という感じで寄ってみました。新鮮な野菜が売っていて、反対側は軽食コーナーでしたがだいぶオーダーストップになっていたのかお茶程度しかできない状態でした。

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里の駅前

里の駅が手前である事を示す標識が出ていますが、このすぐ手前右にあり、この手前方向というのは空港への入口方向とイコールです。

つまりここを進むと空港から離れていくのです。

そんな所に里の駅の軽食コーナーで売っている食べ物等々幟が立ち並んでいました。数や時間に限りがあったりするので、このあたりは要注意です。

ともあれ空港前の町の様子を見に、ここから少し離れていきます。

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大分空港 遠景

空港からこれだけ離れて、空港建屋と平行に通る道路から建屋全体を眺めました。

地方空港だからと侮るなかれ、結構車が停まっていました。

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こちら国道213号

空港建屋と平行に走るその道路とは、、この国道213号線です。

別府市から国東半島の海岸線を経由して中津市へ至るという全長125kmほどの国道です。

ここに出ている標識の地名は「安岐町」となっていますが、かつてはこの安岐(あき)町自体が自治体名でしたが、現在は国東市安岐町…という形になっています。

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大分空港 アップ

特に出入口周辺をアップで撮ったものです。

大分空港の文字がハッキリ見え、屋根にその影も微妙に映っているのが見えます。

ちなみに今まで行った空港で直近はこの大分空港ですが、訪問順に列挙すると、

庄内(1995年)をはじめとし、

伊丹(同)

那覇、関西(共に1997年)

石垣、与那国(共に2000年)

女満別、新千歳(共に2005年)

神戸(2009年)

茨城、秋田(共に2012年)

宮崎(2013年)

と、フライトした事のある空港が13にもなりました。
成田や羽田は行った事もないんですよね~。

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空港へのアクセス

という事で特急バスの案内がありました。

空港外は歩いたものの雨だし、特に見るものもなく寒くという事で、ここからは空港施設内でのんびりする事としました。チケットは飛び込みながら着いてすぐにゲットできたのでフライトまで安心という訳でした。

別府駅前は1,450円、大分も中津も宇佐も1,500円とほぼ同等なのがスゴイですね。

ちなみに下に並んでいるのはバスチケットの券売機です。

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大相撲宇佐場所

この訪問の前月にあたる2012年12月に宇佐で行われた大相撲の巡業のものです。

双葉山生誕100年記念とありますが、双葉山は郷土の英雄で、1912年宇佐市で生まれたのでした。不滅の69連勝など輝かしい実績を誇り、相撲の神様のような存在ですね。

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これも双葉山

先ほどとは全然違う場所で空港施設内2Fの天井付近にいろんな看板が立ち並んでいた中の1枚です。

まさに「昭和の大横綱」で、その初代にあたる人物だと思います。大鵬さんが死後に、千代の富士は現役中に国民栄誉賞を受賞しましたが、双葉山なんてもっと国民に対する影響力が強かったのではないかな、と思いますが…

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イベントコーナー

空港施設内の一角にあった、県内の臼杵や津久見の紹介コーナーのようなところにて。

写真は「うすき雛」です。

江戸時代、臼杵藩では質素倹約のもと、このような紙のお雛様をつくる事しか許されなかったといわれ、それが名物化した形で、当地ではシーズンになると何千体ものこの「紙雛」がお出迎えするのだとか。

ちょうど今時期はその「シーズン」であり、3千体が出迎え あすから、うすき雛めぐり ←このような記事がありました。

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かぼすジュース

大分の特産品「かぼす」がジュースになっていたので、空港の一角のお店で外を見ながら頂きました。

ビタミンCやクエン酸が豊富って感じで、なかなか酸っぱいですが旅の疲れも取れそうでした。

実際、ビタミンC量はレモンと遜色なく、クエン酸量については、すだち、ゆず、レモンなどの柑橘類系では群を抜いて多いそうです。

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だんご汁

これも空港内の和風レストラン「なゝ瀬」さんにて頂きました、大分の郷土料理「だんご汁」です。

オーダーとしては、炊き込みご飯のついた「だんご汁定食」ですが、とにかく具が豊富!です。中でも印象的なのは、小麦粉を固めて作られた平たくて太い一本ものの麺で、これが何本も入っていて、独特の食感があります。

他にごぼう、にんじん、しめじ等々あり味噌煮込みでしょうか、独特の味わいがありました。この時の旅ではあまり郷土料理にありつけた記憶がないので、最後にこのようなご当地モノを食べる事が出来たのは本当に良かったです。

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その後、別のレストランでコーヒータイムを取って、フライトを待っていました。

願わくば次来る時は、この国東の中心街や名所を回りたいですね…

2013年2月 5日 (火)

JR三重町駅 (大分県豊後大野市)

大分県豊後大野市のJR三重町(みえまち)です。

豊後大野市は大分県の南部に位置し、人口は38,434人(2012.12.1現在)で、2005年に旧・大野郡の5町2村が合併してできた新しい市で、

-JR三重町駅
【路線】JR豊肥本線(大分-熊本間)
【開業】1921年3月27
【訪問】2013年1
【1日あたり平均乗車人員】 887人/日 (2010年)
【近隣の主要駅(大分方面)大分駅→8駅 
          (熊本方面)豊後竹田駅→4駅


駅名標

先月訪ねました。2010年夏には行ける可能性もありましたが、すっ飛ばして隣の市である豊後竹田へ行った事もあり断念し、2年半越しのリベンジといったところです。

というのも、当時は朝に大分を発ち、まずは久大本線で由布院へ行って、また大分に引き返し、豊肥本線に乗って…、としていたので、一度にいくつも行けず、竹田かここかの選択となり、竹田を選んだというのがあります。

現在の豊後大野市となる前の当地の自治体名は三重町であり、当駅も「三重」駅となる事なく、そのまんま駅名になっています。三重県と混同される事を避けたのでしょうか。ちなみに今の豊後大野市の名も福井県に既に大野市がある事から、豊後という旧国名が冠されています。

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奥豊後の旅 みえまち

ホームの一角にかかっていた大きな看板です。

ことごとく駅から車〇分、といった表示で、歩き旅ではなかなか難しいなといったところです。

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跨線橋あたり

ホームは跨線橋で結ばれていますが、その階段のサイド部分は鮮やかなスカイブルーで、階段の縁の部分が黄色なので、かなりコントラストが出ています。

駅規模はあまり大きいとはいえず、市の中心駅かというと少々??な感じですが、跨線橋にはかなり特徴を感じます。

階段部分は上が吹抜けになっている構造で、橋部分は上が窓によって調整可能ですが締め切る事も可能です。なので冬寒い時に跨線橋の橋の部分にいれば、ある程度の風はしのげます。

橋の部分は天井骨組みがブルーにペイントされていて、両サイドの内壁は鮮やかな木目、床面はコンクリ色、ということでなんだかバラバラな感じです。

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跨線橋 外装1

跨線橋の橋の部分の外装は、こちら向きの階段の下りている側と反対側ではまた違った顔をしています。

こちらは白のボディに青い枠と筋交いが入っていて、コントラストが効いています。

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跨線橋 外装2

こちらは階段の下りていない側ですが、橋部分の外装も筋交いも共にライトブルーです。

片側は白にライトブルー、もう片側はライトブルー一色という、西武ライオンズのユニフォームを連想します、ホーム用とロード用の(笑

この見た目にも市の中心らしい規模の駅とは思えませんが、見栄えはなかなかのもので、跨線橋のカラーリングなどをとっても、そこそこ金がかかっている感じで、市の中心(というより、旧・三重町の中心というべきでしょうか)らしい雰囲気は垣間見えるといったところです。

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円にベンチ?!

駅舎ヨコ、トイレとの間にあったものです。

ベンチのようにも見えますが、下の円かきれいすぎて、足を踏み入れるのにも恐縮してしまうような、これはモニュメントなのでしょうか。

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女人禁制?!

おおいた遺産、という事で仏さんの絵がコミカルに描かれていました。

豊後大野市 竹田市のお不動さんにあいに来ちょくれ!と呼び掛けています。

あ、別にこれ自体が女人禁制ではないんです。これが貼ってあった場所が駅の男子トイレの中だったというだけです。

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駅ヨコ

先ほどの謎の円形のものが駅横にあるのが分かると思いますが、こういう位置関係です。

この手前がトイレです。

←この形の部分が多い、この駅の個人的な印象はまずコレです!

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駅前風景

駅からの目線です。駅前の通りを正面から撮り損なってこんなアングルですが、高い建物はなく、昔ながらの雰囲気の強い駅前の様子です。

左の角の部分にちょっとしたスペースがあって、地図やオブジェが設置されています。

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三重町駅 駅舎

やはり逆U字のよく目立つ駅舎です。

豊後大野市という町村だけの合併でできた所の駅で、旧町の中心駅といえどさして特徴のない平凡の建屋の駅舎と思いきや、意外と横長で駅舎の建屋規模はなかなかのもので、思ったよりは大きかったです。

てっぺんに突き出た三角屋根もインパクトがあって、建物が平凡化しない事に大きく貢献しているといえます。

駅横に自転車が所狭しと停めてあるのは、えびの駅で見たのと同じ風景でした。。

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2013年1月21日 (月)

大分/豊後高田 大交北部バスターミナル

大分県豊後高田(ぶんご・たかだ)市、大分県の北東部・国東半島北西に位置し、人口は23,474人(2012年12月1日現在)で2005年に旧・豊後高田市と旧・西国東(にしくにさき)郡真玉(またま)町、香々地(かかぢ)町の1市2町で対等合併しています。

って、地名的に難しいものばかり冒頭から出てきました

豊後高田市は「たかだ」と濁ります。竹田市の中心駅「豊後竹田」は「ぶんご・たけた」と濁らず、実に紛らわしいものがあります。おまけにここと合併した2町の読み方も難しいときて…

高田という市名は多く、今は上越市となった旧・高田市(新潟県)や大和高田市(奈良県)などもあり、ここも大和と同様に旧国名「豊後」を冠する形で名乗っています。

昭和の町、を前面に出し、昭和の雰囲気そのままにキープしたような商店街が続くところです。

豊後高田バスターミナル

豊後高田市は鉄道が通っていないので、バスでやって来ました。

JR宇佐駅前のバス待合所から乗って約10分、240円だったでしょうか。

下側の写真の向こう側がバス待合室で、その待合室の脇の通路を過ぎると、バスセンターの建屋出口に至ります。

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時刻表

宇佐駅へのバスは1時間に1,2本というところですが、土日祝は午前中は2本、午後は1本が主となっており、宇佐駅からも同様の本数ではないかと思い、それほど多いわけではありません。

また、終バスの時間帯が結構早く、土日祝は16時台が最終という、これ知らずに訪ねたら、帰ろうと思った時にタクシーしかないという事に…。車で10分くらいなので、そんなに困る事ではありませんが。8時台から16時台までしかなく、12時台は1本もない土日祝ダイヤ、限られた時間の中で旅するので、こういうのだけは押さえとかないと、、という事になります。

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バス待合室

3枚載せました。

一番上は待合所外から。

真ん中は室内の様子、一番下は室内から外をまっすぐ見た様子で、ターミナルの光景がよく分かると思います。

室内にある椅子やベンチには渋いのもありました。床の自然な感じ?!も年季入ってて個人的には好きです。

外にもベンチがありますが、今の季節はやはり中に入って待っていたいものです。

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待合スペース

右に隠れている部分が上の写真の待合室との間の通路にあたります。通路を隔ててのこのスペースという事になります。

昭和の町を前面に謳う豊後高田ですが、こんなスペースでも昭和丸出しの雰囲気です。ど真ん中の2本の柱も経年を感じさせ、goodです。

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大交北部バスターミナル

ということで、この記事最後は(バスターミナルだけで記事にしてしまいましたが…)、バスターミナルの建物です。

これが豊後高田の交通の中心地、鉄道でいうと中心駅のようなものでしょうか。「大交北部バスターミナル」というだけで、豊後高田の文字は入っていません。

「空港連絡バスのりば」の表示もあり、空港へバスでここからアクセスできるようです。大分空港は同じ国東半島で、隣接する国東市にあるので、割に近くであり、ここでの時間表示も45分となっています。無料駐車場有、との事で、パーク&ライド的な利用もできるのでしょう。

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バスターミナルだけで1記事にしてしまいましたが、自分の中ではこういうのも含めて「旅行」かな、というてところです。勿論ここを下りてから旅をして、昭和の町も堪能できました。

残念なのは、この様子からも窺えると思いますが、悪天候なのでした…

2013年1月15日 (火)

大分/竹田② 壮観!岡城址(後編)

大分県竹田市、の大分/竹田① 壮観!岡城祉(前編)の続編です。

二ノ丸祉と滝廉太郎像

本丸の北に位置する二ノ丸の跡です。

二ノ丸跡を示す石碑から少し置いて、滝廉太郎坐像があります。幼少時代をここ竹田で過ごしたという滝は、ここからの眺めをモデルにあの「荒城の月」のメロディーを産んだといわれています。ちなみにこの曲は土井晩翠作詞・滝廉太郎作曲からなりますが、作詞者の土井も東北の城をイメージして作ったといわれ、作詞・作曲の両者が別々の城をイメージして作っている、という話は偶然か必然か分かりませんが、すごいですね。

それにしてもここからの眺めは素晴らしく、これが月の見える時間帯ならば、更に情緒溢れるものになるであろう事は想像に難くないというものです。

滝は23歳の若さで夭折していますが、当時本当に結核という病は恐ろしいものだったんですね。もっと長く生きていればどれだけ多くの名曲を産んでいたか…ですが、短くともしっかりと名曲を遺し、歴史に名を刻んだ竹田の偉人ですね。

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二ノ丸からの階段

二ノ丸から階段と石垣が。

ここに見えるだけでもそれぞれ石の積み方が全く違っているところが面白いです。

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本丸祉

本丸までやって来ました。

大手門から350mです。

岡城はこの本丸と二の丸、三の丸は平山城的な構造で、他に山城的構造、平城的構造をすべてもつという大変珍しいお城であるとの事です。

本丸と三重櫓や御金蔵があるといわれ、実質藩主の居住地であったといわれています。

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岡城天満神社

その本丸にある「岡城天満神社」です。

これが山のてっぺんにあり、岡城は全体として東京ドーム22個分ものスペースがあるといわれています。

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またまた素晴らしき石垣

岡城を象徴するような石垣たち。

九州の城にはこういう急な石垣の多いイメージがあります。熊本城とか延岡城とか…

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石垣沿いに歩く

塀のように続く石垣の傍を歩いて戻っていきます。

前回の①の記事から一切白壁の建屋が出てこない、子供から見ると「城」とイメージできないかもしれない建造物ながら、息をのむような景色が続くのは、石垣が素晴らしいからに他ならない訳です。

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帰ってきた大手門跡

①の記事で大手門に入ろうとする所を載せましたが、今度は逆に出ていかんとするところです。

どこから見ても壮観そのものです。
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下山

山道と平坦な道の分岐する入口まで戻ってきました。

カーブを描いた先が展望レストラン&駐車場です。

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ムク

カーブを曲がってレストランに向かわんとする所で出くわした犬です。

見たところ相当お年寄りで、足取りもままならない感じでした。

ノラちゃんのようで、よたよたとどこかへ消えて行ったのですが、この時から約2年半今も御存命だろうか、ふとそんな事を考えてしまいます。

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ラストは麓

展望レストランで昼食後、満を持して下り切り、平地の街並みへ。

ここが市街地と岡城祉への純然たる境目で、上り坂の端には「↑岡城」と道路に記されています。

この先の通りも実に情緒豊かで、目を惹くところ数多の竹田の街、これを見て行ってみたくなる方が居れば、この上ない幸せです。

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