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08茨城県

2016年8月20日 (土)

茨城/坂東 まさかどのまちかど

茨城県坂東市、茨城県の南西部、千葉県と接する形で位置し 人口は53,777人(2016.6.1現在)で、2005年に旧・岩井市と猿島町とが合併してできた新しい市です。坂の東、ということから、あるいは市内を流れる利根川が坂東太郎と呼ばれていたことから、この市名になったそうです。

鉄道の通っていない市であり、駅のない市はそこそこありますが、鉄道自体が通っていない市は全国でも数えるほどしかないそうです。

upしたと思っていたらしておらず、今気づいてあげる事にしました。

(2013年10月当時)

アプローチ

茨城県は鉄道のない市が何故か多く、ここもそのひとつです。他の市としては、行方(なめがた)市、稲敷市、かすみがうら市、神栖市と関東にありながら異様に多いです。小美玉市も中心駅が無くなった形で、明確な中心地ではない駅が存在するだけの形になっています。

冒頭で千葉県に接している、と書きましたが、同じ県内の神栖市では千葉県は銚子駅からアプローチしましたが、ここ坂東市では千葉県野田市駅 からの鉄道アプローチでした。

野田市駅を出てすぐのところにバス標識が立っているので、この2番線というところにいれぱやってきます。岩井車庫行きのバスに乗ります。今から約3年前の様子であり、今も変わっていなければですが…。

とりあえず、岩井市への公共交通機関でのアクセスはこれがメインです。バスの本数は1時間に1本で、のがしたら1時間待ちになるので、あまりなかったですが近くのお店で食べるか、キッコーマンの工場周りを散策するかです(笑)

この時は、近くの「樹林」さんというお店で味噌ラーメンを食べました。

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●岩井局前バス停

野田市から県境を越えてバスに乗ってきた訳ですが、坂東市でどこに降りようか?というのがありました。つまり、どこで降りればそれなりに中心地街を歩けるのか?という事で、選んだのがこの「岩井局前」。旧・岩井市の名のついた「岩井郵便局」の前です。

下側の写真のようなこんな感じで、色んなバス停標識が立っていました。

個人的にはここが、「関東地方で最後に訪ねた市」でした。ここ坂東市こそが記念すべき関東の市全制覇の地なのです。茨城県は関東の県庁所在地でも最後に訪ねたところ(2007年)であり、また鉄道駅のない市が多く、とりわけ難関であったので、感慨深いものがありました。

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●降り立った場所

の様子です。

完全な市街地、街の中で、とりあえずそこそこの賑わいがあってよかった、そんなところでした。間違って変な所で降りてしまって、なんにもない…なんてことは今でもよくあるので。

とりあえず、1時間に1本しかバスがないので、帰りの時刻は要チェックです。

野田市駅からの所要時間は約20分、料金は600円とありました(すみません、忘れたのでサイト見ました)

downwardleft改めて、アクセスまとめます。

train東武/野田市駅からbus「岩井車庫」行バスにて「岩井局前」下車
             (1時間に1本。約20分600円)

     ※岩井局前の前後のバス停でもそれなりに街の所で降りられます

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●岩井郵便局

バス停の前にあった坂東市の中心局です。

茶系のゴツッとした建物が印象的でした。

上層部が重い感じの建屋で、妙なバランス感?があります。

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●仲町十字路

という交差点ですが、上のまん丸いモニュメント?はかなり目を惹くし、カメラ持っていたら「撮るしかないだろう」という感じでした(^^

このグルッとした中に巧みに標識を取りつけていたりします。

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●マンホール

平将門をイメージしたとものと思われますが、郷土の英雄として語られ、「将門まつり」なるものも毎年11月に行なわれているといいます。将門は「新皇」を名乗り、ここ岩井の地に政庁を置いたという事で、当初は「朝敵」としてのイメージが色濃く、のちに朝廷の横暴さに立ち上がった英雄へと、時代によってかなり評価の変わっている人物のようです。我々教科書で勉強した身としては、やはり朝敵のイメージが強かったですね。

下の部分は「坂東太郎」との別名を持つ利根川ですね。

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●センターモール

降り立った道路はそのように名づけられていました。

それに関しては「へぇ」という感じでしだか、そこの標識にある住所表記が「岩井市岩井」となっており、旧自治体名で残ってるな…と思って撮りました。

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●本町バス停

国道354号線上を北西へと進んで行きます。

先の仲町十字路の辺りがこの市の中心的エリアのようで、これを外れていく形になってきています。それでも本町というだけあり、まだまた中心的な雰囲気の街並みではあります。

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●交番西交点

国道354号が県道20号と交差し、また国道が続いていくという地点です。

3年前の写真ですが、コナカもガストもまだあるようです。入力(街歩き)の多さに比べて出力(ブログup)が追いつかないので、どうしても鮮度の低い記事が多くなってしまい、それもあって一応現存しているか否かはそれなりに確認しているつもりです。最近量販店の淘汰が特に激しいので…

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●とある店先

国道354を北西へ更に進むと、かなり穏やかな雰囲気になってしまっていました。

そんな中で見かけたポスターです。

将門つりは先述のとおりですが、これがまたカッコよくつくられていました。

一方は畳のポスター、ここは畳屋さんですね。このポスターは「全国畳材料卸商組合連合会」というところの作成だそうです。女性が誰なのか?は…分かりませんでした。これは別にご当地のものではないですが。

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●マンホール2

更に歩いているうちにもうひとつのマンホールを見つけました。むしろこっちの方がメイン?かもしれないです。最初の柄のマンホールが検索してもなかなか出てこずで。

で、このマンホールはかなりゴチャゴチャした印象をうれましたが、市の鳥であるウグイスがまず載っていて、市の木ケヤキと市の花チャノハナが載っている形でしょうか。真ん中は坂東市の「ば」が据えられていて、これだけはハッキリ分かりました。

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●ホコテン規制

坂東では、月に一回「坂東ホコテン」というイベントがあり、7月と11月を除く毎月第4土曜日に行われています。2010年5月から始まったそうで歴史はまだ浅いですが、この辺りのエリア活性化の為にスペースを有効活用頂こうという趣旨のようです。

ということでサイトがでていました→コチラ 

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●秀録

「しゅうろく」という、この裏手の表示に引き込まれてやってきましたが、酒蔵!

独特の佇まい、酒蔵というのも街を旅していて、大変得した気になる貴重なところです。その年季の入った風景を目にするだけで「来て良かった!」となるので。

ところが…

このお酒の醸造元の「大塚酒造」なるところが、2011年5月をもって後継者難等あり廃業していた、というのです。この写真はその2年半後で、既に廃業していたとは知らず…眺めていたのでした。

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●とことん将門!

この時は生誕1111年記念事業なるものがあり、通常の将門まつり以外にもこうして盛り上げられてきたようです。英雄として、また反逆者として、様々な捉え方をされる将門ですが、こうして後世に名を残していってる事自体は素晴らしい、とただただ思います。

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坂東は将門の町、です。

2016年8月10日 (水)

茨城/常陸太田 坂を上れば鯨ヶ丘!




茨城県常陸太田市、JR常陸太田駅からの歩き旅です。

(2013年10月当時)

●駅からの道

新しい駅舎となっていた駅を一通り見た後は町へ出ました。左に覗いて見えるのは、駅前のバスのりばの庇です。

ここからどこをどう歩いたら、ご当地らしいものに出会えるのか?全くの手探り状態でのスタートでした。

まず最初はこの右側の道路を向こうに進み出しました。

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●マンホール

「やまぶき」という表記が見られます。別にここがかつて「やまぶき」という地名・自治体名であったとかは一切ないようです。「山吹運動公園」や日帰り温泉は「やまぶきの湯」というのはありますが、ここと山吹の関係性が今ひとつよく分かりません。市の花がやまぶきであるという事で、ここでも全面的にあしらわれていますが、まるで自治体名かの如く表記されているのは甚だ納得のし難い部分がありました。

「ひたちおおた」とか「おおた」とか表記されているマンホールはないか?とネットで探すも見受けられませんでした。カラー版は山吹色のようです。

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●古き良き日の…

建屋群に早速出会えました。

駅前の道からまっすぐ行って程なく、そのまま直進する道と右斜めに上っていく道との分岐点辺りのこの光景はありました。

コンクリート製のゴツゴツしたこじんまりとした建物、コンクリートの黒ずんだ感が年季を物語っていて、思わず足を止めたくなる光景でした。

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●福祉会館入口バス停

2つに分岐した駅前の道路の左側の平坦な方を進んでみました。

平坦な道でまっすぐ来た感じだったのですが、道路の連続性でいうと、それまで県道を通ってきていたのを、分岐点の部分でそれた格好になったのがこの道路の方で、上の写真での右に分岐して坂を上っていく道は県道として続いている形になっているのでした。

この時はまだ、こちらの方が本流の道路だと思いながら歩いている真っ最中でした。

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●かわねや前

というバス停に来ました。

上の写真から少しだけ進んだ地点です。

左向こうに「かわねや」というスーパーがあり、その前のバス停という事ですが、かわねやは明治の創業で、ここ常陸太田に本部機能を持ち、5店舗が運営されているといいます。売上高は96億円ということで、この店舗数にしてなかなかの規模かと感じます。

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●鯨ヶ丘トンネル

この訪問の前年にあたる2012年7月17日に開通した新しいトンネルです。

トンネルの上は中心地的な賑わいを見せるエリア(この丘自体が「鯨ヶ丘」 )ですが、この時はそれをつゆほども知らずに、ただただこの辺に何があるか?と思っていわば下道を歩いていた格好です。

トンネルの全長は128mと実に短いものですが、それまで通じていなかった部分を貫いたこのトンネルの重要性は今後増していくのかもしれません。

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●上りゆく…

駅方向へ戻って、駅前の道を右にそれて上っていきます。

結局、先程までの地点でこれといったものが見つけられず、中心市街的なものも分からず、ここを入って行くととどんな通りに出会うかsign02と思って進んでみました。

なかなか古風な建屋が続いていて、これだけで妙に惹かれるな…と思いながら、坂を上っていったのでした。

今どきはスマホの地図なりで調べれば分かるんですが、そこをあえて知りたくないというか、知らずにピュアな感覚で様々な景色に出くわす事を大事にしたい、と思う気持ちも結構強いので、明確にここを訪ねると決めている時は勿論調べますが、あえて知らぬが華で進める旅も大変楽しい、と感じる訳です。

街灯が続いているところに、商店街っぽい雰囲気を感じましたが、これで中心街に出るのか、はたまたこれが廃れきった姿なのか…?まだ分からずでした。

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●下井 水天宮

坂を上っていく途中で出くわしたものです。

初めてといっていいほど、地場の独特のものに出会えた、そんな感じでした。

鯨ヶ丘には七井(ななせい)と呼ばれる井戸があったといい、ここはそのひとつですが、昔の通りに残っているのはここだけです。

幕末の1857年に御神符を受け、水神様を祀っているという事ですが、現在のお宮は昭和9(1934)年に史跡保存会を結成して新築したといいます。しかし老朽化が目立ち、平成16(2004)年に再度、神宮奉賛会を結成して、「原形を極力保ち、50年以上保存できるように」という事で竣工したそうです。

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●更にのぼる…

坂が段々急になる感じで、この先行っても大したものには出くわせないのかな?このまま引返して近場だけ歩いて満足する事にしようか?とかなり思っていたところでしたこの時…。

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●旅は終わらず

坂を上り切って、これといったものが見つからなければ、このまま引き返そうと思っていました。しかし…

上り切るや否や、このような光景が広がっていて、ミニ公園のようなスペースにイベント用のステージもあり、「鯨ヶ丘」の碑も前面にあったり、この辺こそが旅して巡るべきエリアなのが、と痛切に感じられました。

もし、横道それてちょっと歩こうという気にならなかったら、適当に駅の前だけ歩いて帰っていたかもしれません。諦めようと思っていたところでちょっと頑張ってみると、こういう光景に出合える、本当にそんな感じでした。人生のシーンにも言えるような事を体現できました。

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●鯨ヶ丘散策図

このあたり、やはり町の中心地らしく、このような案内図が出ていました。

先述の太田七井に加えて、「七寺」「七坂」などというものも定められているようです。

見どころもこの辺りに集中しています。

それまで、ここに何があるのか?歩いてもなかなか見つけられない感があったので、俄然旅のモチベーションが上がったという訳です。何も知らないところから、こうして見つかるのがなんともいえない幸福感があり、個人的な知らない街の旅の大きな醍醐味でもあります。

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●石窯

これは東日本大震災で被災し処分された大谷石を再利用してつくられたものです。

待ちの元気を取り戻すためのモニュメントの役割を果たしている、と書かれています。震災を風化させない為に。

茨城県も少なからず被害を受けているので、この事を忘れない思いは強いのかと思わされます。「がんばってます常陸太田プロジェクト」なる団体の手によりここに設置されています。

ちなみに大谷石は「おおやいし」と読み、軽石凝灰石の一種という事で、いわゆる軽石ですね。主に栃木県宇都宮で採掘されるもので、外壁や土蔵の建材として使用されるものだそうです。耐火性に優れ、軽くて柔らかいという性質の為に使われているのですね。

前面だけ見ると、灯籠石の下半分のようにも見えますが、裏から見ればこの通り、釜であることが分かり、薪割りされた木材も用意されています。

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●鯨ヶ丘ふれあい広場説明板

最後になりますが、このような説明板がありました。

この辺りでは、今から約900年前の平安時代に藤原道延という人物がお城を築いたといわれています。この人物は藤原秀郷の子孫で、築いたお城は太田城といわれ、当初は太田大夫と称していたそうです。後には佐竹氏が入り、長らく城主の座を務めていたといい、平安末期から江戸初期(この時期に廃城)にまでおよぶ長期間であったといいます。

特段遺構らしきものはないようで、城址の碑があるくらい?それでも関東七名城のひとつというので、これまた驚きです。

この広場が整備されたのは2008年の事で、市民協働によるまちづくりの想いに支えられ、その結晶としてここに存在しているという事ですね。常陸太田きっての歴史あるエリアでありながら、ここが近年新設されたように新ランドマーク的な役割も果たしているのかな?と思ったりで、常陸太田の駅に来たら、ここへは一度寄るべきかな、と感じた次第です。

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2016年3月20日 (日)

茨城/結城 蔵の街と金仏さま

茨城県結城市、JR結城駅からの歩き旅です。

(2011年8月当時)

●マンホール

まずは結城市のマンホールから。

市の花であるユリが分かり易く描かれていて、緑のは市の木とされるクワでしょうか。それだけか?という感じもしなくもないですが…。

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●宿泊ホテル

この訪問時、ここに泊まりました。

「結城第一ホテル」です。

結城駅の南口から東へ歩いて約2分、割にひっそりした中でこんな風に建っているので、大変分かり易いです。

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●結城駅前にあるショッピングセンター「しるくろーど」。小都市の割にはなかなかなの規模の建屋が構えられていました。

1984(昭和59)年に結城市内の商業者で組織された協同組合と、後にイトーヨーカ堂となる量販店「ヨークマート」との共同事業という当時としては先進的な手法でオープンしました。

開業20周年を迎えたしるくろーどに転機が訪れたのは2004年、核となるヨーカ堂がかねてより撤退を表明していたのですが、遂にその時が来てしまい、代わって「コモデティ・イイダ」というスーパーチェーンが核店舗となり、なんとか存続、同年9月にリニューアルオープンされています。

これは今から4年半前の姿になりますが、こうやって振り返るにつけて、「今もまだあるのかな?」と気になって確認してしまいます。そうすると、「今は亡き」モノになっている事も少なくない現実に出くわします。小都市の駅前ショッピングセンターが時代の潮流に呑みこまれているという現実に。ここはまだ存在するようで、安心しました。

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●結城市民情報センター

結城駅北口のすぐ右側にある、なかなか壮大な建物です。

2004年開館とあり、図書館を主とした施設で、多目的ホールや天体ドームなどもあります。

天体ドームでは様々な望遠鏡が設置され、天体観望会も頻繁に実施されているようで、既設に応じた天体が選ばれているという事で、その時季に適した天体を気軽に観測できるように配慮されているようです。

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●駅前商店街

駅北口から伸びている県道302号(結城停車場)線が駅前の商店街として形成されていて、カーブを繰り返しながら続いています。県道自体は約600mのみとなります。

ここ何十年と変わっていなさそうな街並み、下側の写真の旅館「石崎」という所は、昭和2年上棟の老舗ですが、現在は旅館としては営業していないようで、ただイベントスペースなどで活用はされているようです。

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●結城の蔵

これも上の写真の延長上の県道302号上にあるものですが、黒い蔵の建物で「簗島邸居宅」とありました。明治13(1880)年築だそうです。

結城にはこのような蔵の建屋が多くあり、「結城の蔵」として札が立っています。

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●鋳銅阿弥陀如来像

やはり県道302号を横道逸れた所にある「常光寺」という時宗のお寺の入口(道路沿い)にあるインパクトあるこの仏様は「金仏(かなぶつ)さん」の名で親しまれているようです。

その背後には銘文が描かれているという事で、図示の形で載っていました。

造立に関する内容もあり、宝暦7年との文字があり西暦にして1710年にあたります。浅間山の噴火があった年で、翌年にも再び噴火しています。ちなみに富士山の現時点で最後の噴火もこの宝永年間で1707年の事で、同年には南海トラフ系で最大規模といわれる宝永大地震が発生し、甚大な被害が出ています。

また江戸幕府の将軍では徳川綱吉が没した翌年にあたり、前の元号が元禄で文化の花ひらいた時期で、次の元号が正徳という新井白石の政治が行われた時期、そんな間の激動期だったといえるかと思います。

この鋳造には相応の歳月を要したと思いますが、そんな時代の中で人々はこの金仏さんに少なからずすがったのではないか、と想像してしまいます。

ですが、他の説明板には、この金仏の修復が戦国時代に行なわれたなる記載があり、ではこの宝永年間の記載は何なのか??よく分かりませんでした。

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●定光寺

金明山天照院常光寺といい、時宗のお寺です。

時宗の祖として有名な一遍が、他阿という人物らと共に諸国を巡り念仏信仰を広め、1297年建立され、それから300年を経た1598年に現在地に移されたとありました。

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●結城の蔵2

右側の足利銀行手前にある茶色の建物、ここにもまた「結城の蔵」の立札がありました。「会津屋呉服店」とあり、昭和5(1930)年築だそうです。荒物商・紬問屋を経て、現在は呉服屋店舗兼住宅だそうです。

この一本の通りを少し歩くだけで、昭和初期にはすでにあった建物がいくつも残っているこの結城の街、なかなか観光資源に恵まれた場所、と感じました。

まだまだ「結城の蔵」は見つけられるので、これを目当てにこの街を旅されてみても良いのではないでしょうか?と思ったりもしました。

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2015年8月11日 (火)

茨城/鉾田 新鉾田・遺るもの興るもの

茨城県鉾田市、鹿島臨海鉄道/新鉾田駅からの歩き旅です。

(2011年8月当時)

●鉾田ガイドマップ

新鉾田駅にあった鉾田市の地図です。

太平洋に面して縦長に市域が形成されています。

鹿島臨海鉄道の路線はその真ん中を南北に縦断する形で通っていて、その中央あたりに新鉾田駅に位置しています。

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●鉾田市マンホール

市の花:ひまわり

市の木:桜

市の鳥:うぐいす

がそれぞれ散りばめられています。真ん中は市章ですね。オーソドックスなタイプといえると思います。逆に鉾田ならでは…という感じが薄かったのは否めませんが…。市の木・サクラっていう自治体が結構多いというのもあって。

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●駅前通り

ビックリするくらい駅前感がない幹線道でした。

鉾田市の場合は、この新鉾田ではなく、今はもう鉄道路線が通らなくなった鹿島鉄道の鉾田駅の辺りが中心的な色合いが濃く、今はバスのりばとなっている鉾田駅の周りの方が活気がありました。

鉾田市としては、この新鉾田を訪ねたのがいちばん最初だったので、そのイメージがとても強く、「市名を名乗る駅の前に何にもない」の感がすっかりついてしまいました。そのイメージは後に、電車の通っていない(2007年4月1日に廃駅になった)鉾田駅に行って払拭された訳です。

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●交差点まで

新鉾田の駅を左側へ出て、交差する駅前通りを左向きに歩いて行って、交差点まできたところです。

この向きから見て、前にも右にも何もありませんでした。左には少し郊外型の店舗はありましたが、この駅前、街を歩いてもこれというものには出くわさないのでは…?と思い始めていました。新たに市を訪ねて、そこならではのものを感じられない、というのはなかなか辛いものです。バスも通ってる感じがなく、歩いてそこらを見るしかないかな…という感じでした。(元々これを見よう、というのもなかったので)

時間の許す限り、見れるものを見るだけ、いつもそんなスタンスで旅してますdelicious

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●交差点・左

上の写真の交差点の左に隠れていた部分です。

こういう感じの店はいくつかあるものの、それ止まりという感じで、鉾田の街を感じられるものにはなかなか出会えずでした。朝早くでもあり、店もろくに開いていない状態でした…

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●永長橋

と漢字では表記する「ながおさばし」です。

別の説明板には、平成7年7月竣工とあり、多くの技能者により完成した旨が記され、その技能者名も列記されていました。

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●認定花壇

ふらふらと歩き回る中にありました

「花いっぱい運動定着化促進事業」とされていて、平成17年ということで、今から10年前に認定された花壇という事でしょうか。

ここ贈としてある「大好き いばらき 県民会議」とは、茨城県庁にあるようで、県民の手によって個人や団体、企業などと一体になって、よりより茨城をつくろうというコンセプトのもと運営されている団体のようです。

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●8・28 車両規制

交通規制の看板が出ていました。

肝心な部分が被せたビニールに隠れてしまっていますが、「鉾田復興祭」により渋滞となります、と記されています。この先は入れず、左折して鹿嶋方面へ回って下さい、というものでした。

この時は、東日本大震災の起こった2011年の夏であり、この辺りも大きな被害を受けていた事が新鉾田の駅内にパネル展示されていましたが、復興を願っての力強い動きだったのでしょう。

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●長茂川と境橋

長茂川は利根川水系の河川で、鉾田市内を流れていますが、新鉾田の駅が通る鹿島臨海鉄道の線路とX字を描くように流れています。

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●アブナイ

鉾田らしいものがあまり撮れないまま終わる、この新鉾田界隈の旅で、最後はこんな写真を。

どこにでもあるようなものですが、このいつ頃つくられたか分からない感がたまりません。子供の頃よく見たのですが、だいたい昭和40年代製が主流なんですかね…。この謎が色々調べてもなかなか解けません。

こういうものが残っていてくれるのは有難いですね。普段暮らしてる町ではめったと見なくなったもので。縫製会社の社員募集、なんてのも時代ですね…、この会社を検索しても全く出てこず、もう既にないのでしょうか。第2工場とあるので複数の工場操業していたのでしょうね、時代の移り変わりを痛切に感じさせられます。

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2015年5月13日 (水)

茨城/つくばみらい みらい平駅前ロード

茨城県つくばみらい市、つくばエクスプレス/みらい平駅前の風景です。

(2011年8月当時)

●駅前道路

みらい平駅の西口を出て駅前広場を出ると、普通にこういう幹線道に出てしまいます。駅前通り的な雰囲気はここには感じられませんでした。

周囲一帯、こんな感じの町並で、ここ独特の歴史を感じさせるようなものに出会えず、観光レポート的に伝えるのがなかなか難しい街、と感じました。観光する所もあるようで、むしろ歴史の街を謳っている、というのですが、この辺り歩く限りでは残念ながら感じられなかったですね。個人的感覚として、千葉県印西市や白井市なども市の中心駅の駅前が同様の印象があります。

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●吸い込まれそうな…

そんな観光した気分になれた、と言い難かったつくばみらい市ではありましたが、その市内で最も印象的な風景は自分の中ではこのカットでした。

でっかい本を開いたような形の高層マンションに向かって道路が伸びていて、曲線を描きながら、まるで本の折り畳み部分へ向かって吸い込まれていくような錯覚を覚える、そんなカットになりました。

つくばみらい市といえば、市内では初の相撲部屋として「立浪部屋」が出来たそうで、この近くと聞いた気がしましたが、結局よく分かりませんでした。後で調べたら、みらい平駅の西側を南へ200mと行かないほどの近くでした。

立浪部屋といえば、相撲界ではかつては関取が何人も同時に居た名門でしたが、今は関取が1人もいない状態で、幕下上位15枚目までに2人(共に8枚目)居ますが、関取の厚い壁に阻まれている状態で、早く待望の関取を誕生させたい、というところでしょう。

ちなみに現在の立浪親方は元小結・旭豊で、俳優の松平健さんによく似た顔で「角界の暴れん坊将軍」と呼ばれた、イケメンのお手本のような存在で人気を博しました。引退時は確か幕内に居ながら30歳の若さでこの名門を継承した、と記憶しています。部屋のHPで現在の親方の姿を見ましたが、現役当時と変わらぬイケメンぶりで、これが本当に相撲界の親方なのか?と疑う程でした。

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●マンホール

「谷和原(やわら)・伊奈(いな)下水道組合」章入りの汚水管マンホールだそうです。蓋には谷和原村の木「サクラ」と、伊奈町の花「菜の花」 がデザインされていますが、合併して現在のつくばみらい市になった為、今では「つくばみらい市都市建設部下水道課」に事業を引継いだといいます。

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●土地利用計画図

最後はこの写真ですが、みらい平地区の土地利用計画図、とありました。住宅とか公園とか、何に使われているか?というのを色分けしたものです。ちなみにみらい平駅は右下のピンクの部分の真ん中あたりになります。寺社の関係があればだいぶ印象も変わったのですが、幹線道と住宅街のみ、という印象しか持てなかったので、次来る時はもっと別な発見を是非ともしたいものです。

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2014年12月11日 (木)

茨城/北茨城 磯原のラーメン

茨城県北茨城市、JR磯原駅からの歩き旅です。

(2010年9月当時)

●セントラルホテル磯原

旅先で泊まったホテルはよくこうして撮ったりするのですが、ここには泊まっていません。

何故撮ったかというと、こういう小都市にもホテルがあるという忘備的な意味を込めています。どこかに行く時に「じゃらん」などのサイトを見ると、どうしても大都市のホテルがズラーッと見えるので、それ以外にもこういう小都市のここにもホテルがあるんだ、という事が分かると、ここに目をつけて宿を取ってみようか、という事にもなるので。

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●手作り木工品展示場

と大きな木の板看板に書かれたところの入口です。

当時すでに薄暮時でやってないだろうと思い、中には入りませんでしだか、木工品を見て見たかったというのはありました。

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●幹線道

暗くなりかけていたので、あまり写真自体撮っていませんが、駅の近くの一角の風景として撮った数少ないもののひとつです。

タイトルにある「ラーメン」は左側の看板の店ですが、ここへ晩御飯ついでに行きました。

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●ごちそうらーめん

ここで食べました。

北茨城市・磯原といえばこのラーメン屋さんの記憶しかないぐらいです。

写メ撮っても綺麗に写らなかった当時だったので撮っていませんが、食べ終わった頃にはすっかり真っ暗で、その日の旅も終わり、という感じでした。

ひとつの街にひとつの思い出があれば、と思い、悔いはありませんが、また行く機会に恵まれたなら、違った場所で違った楽しみ方をしたいものです。

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2014年11月10日 (月)

茨城/下妻 多賀谷城跡の栄枯

茨城県下妻市、関東鉄道/下妻駅からの歩き旅です。

(2011年8月当時)

●まちなか案内板

下妻駅にあった周辺地図です。

いちばん上の真ん中が当駅になりますが、駅の真ん前に小学校や高校があるとか、なかなかの立地ですね。

真ん中を中心にした赤い道は商店街で、十字に形成されている格好です。

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●マンホール

下妻市のマンホールです。

上にはサクラ、下には砂沼と右端に砂沼橋、真ん中やや上には筑波山が配されているといいます。カラー版を後で見つけました↓が、これよりだいぶ華やかな雰囲気でした。(だいぶ汚れてましたが…)

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●駅前通り

市の中心の駅前の通りで、それなりに整然とはしていますが、見通しはかなりいい感じです。のどかな市街地という感じで。

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●下妻市立総合体育館

体育館風な建屋だと思いましたが、すごくラフでいろんな色が用いられていて、個人的にいえば自分が子供時代につくったようなデザイン。こういう形の建物、絵に描いた事があります。

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●文化・厚生施設案内図

という事で、先述の体育館や中央公民館、文化会館といった施設が集合したエリアがここに形成されていました。左端には市役所もみえます。駅からでは200m圏内にあるといったところです。

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●多賀谷城跡公園

市内の城跡公園で、地元ではこのように多賀谷城と呼ばれていますが、一般には下妻城とされているようです。

旧下妻町時代の町域が収まるほどその規模は広大といわれ、1950年代までは曲輪や濠、土塁などが残っていたようですが、都市開発等を経て現在はこの一角にその面影を感じさせるのみ、となっています。

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●多賀谷城本丸跡

として説明板がありました。

多賀谷氏の初代・氏家が本丸を構え(1461or62年ごろ)、敵の来襲を退けながら以後7代147年にわたり、下妻城主として栄えていた、とあります。七代・重経が関ヶ原の戦いで石田三成にくみしたとして追放され、一族党関係者の多くはその際に命を自ら絶ったとありました。

多賀谷氏の後は、天領を経て徳川家康の息子・頼房が入るも再び天領になり、1610年に廃城と、ここには書いてませんでしたが、その後の調べで書かれてありました。

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●慰霊碑

上の写真にも一部写っていますが、階段を上るとこのような碑がありました。

説明板に書かれていましたが、多賀谷氏遺跡碑です。

追放の憂き目に遭い、関係者が多数命を絶つという哀しい最後を遂げた訳ですが、この碑は明治20年代にその家臣の子孫が旧主を悼んで建立したとありました。その最後の時期から270年は経っていようと思われ、そんな時代の中でも脈々と地元では語り継がれたのだろうか?と思いを馳せました。

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●戦後50周年記念碑

こちらは先ほどの哀しいポツンとしたものとは実に対照的に華々しく建てられている戦後50周年の節目の平和記念碑ともいえるものです。実際に平成7年建之とありました。

まず平和を記念しこれを風化させてはならない、と冒頭にあり、その後それまでの日本での戦争の状況を書き連ねてありました。台湾出兵に始まり、日清、日露戦争、そして2つの世界大戦と…この70年でこれだけの戦争があり、そして来年は第二次大戦終結から70年を迎えようとしています。平和を願う心が近年薄くなってきている感もありますが、これはやはり絶やしてはならないし、平和ボケしてもいけないなと思いました。

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●城跡らしさ

を感じさせる一帯です。

石垣があるとかではなく、こういう盛り土の所に木々があると、かつての城跡というイメージを個人的に持っているので、このように書きましたが、一般に天守閣があって豪華に建っていたお城というのは数が少なく、大半がちょっとした陣屋的なものか、あるいは柵だけのものも決して少なくなかった、という事で、そんな風に広い意味でお城というものを捉えると、楽しみ方も変わると思います。

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●PACHINKO

昭和の豪華めのパチンコ店という感じの店です。稼働してるのか分かりませんでした、というかそこまでよく見てませんでした。

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●夢工場

下妻駅前の商店街の一角です。

これまでは下妻駅の東側を中心にお届けしましたが、西側に転じてのこの通りです。

東側よりも商店街っぽい色合いの濃い通りでした。

白木屋とありますが、カバン屋さんです。

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●眺めやる

下妻駅の線路上の隅から。

壁のはがれた建屋が物悲しげですが、それでも残っているところに逞しさも感じたりします。

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これが下妻でのすべてのカットではありませんが、今回のところはこれにて。

2014年10月29日 (水)

茨城/桜川 岩瀬の桜川まで

茨城県桜川市、JR岩瀬駅からの歩き旅です。

(2011年8月当時)

●関東ふれあいの道

岩瀬駅前にあった看板で、「御嶽山から板東24番札所へのみち」が紹介されています。

9kmの道のりを自然を堪能しながら歩くコースなんですね。

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●桜川市Map

これも駅前にありましたが、桜川市は縦長の形になっています。

鉄道は割に北部を横断している格好になります。

神社やお寺が結構紹介されていて、なかなか素晴らしい建物が多い街ですね。

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●駅前道の角

駅前の通りを50mほど進んだ所の角で左を向いたカットです。

駅からまっすぐ伸びている通りよりも、この向こうに伸びる通りの方が商店街っぽい雰囲気でした。手前のようなお店は今ではだいぶなくなってしまい、量販店やコンビニに行きがちですが、たまにはこういう所へお金を落として行きたい、と思ったりもします。

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●県道307

岩瀬駅前の道路がそのまま県道307号線となり、「岩瀬停車場線」と名付けられています。

並木道の印象が強くて、駅前感があまりなかったですね、個人的には。幹線道の一角という感じのが強かったです。

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●岩瀬郵便局

旧町名である岩瀬の名前の本局です。

岩瀬駅から駅前通りを200mほど歩いた所で右折し程ない所にあります。

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●桜川市役所岩瀬庁舎

建屋の上に国旗掲揚台の立った素晴らしい役所です。

真ん中にこういうのがあるだけで随分立派に見えるものですね、2F建てと低層でありながら。金色の字というのも目の惹きどころです。

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●川

ちょっとした堤防に挟まれた川が流れていました。

市名にもなっている桜川と思われますが、世阿弥の謡曲にもずばり「桜川」として登場するそうです。

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●橋

「さくらがわおおはし」とありました。

昭和58年8月竣工という事で、この写真当時で言えば28年、今から見れば31年経つという事になります。

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●岩瀬町

という旧町名表記が見られたので撮ったものです。

旧町の名残が見られるものとか大好きです。まだせいぜい10年経つかどうかですが、もっと年が経っていくと、より貴重なものになっていくんですよね、こういうのが。

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という訳で桜川市の様子でした!

2014年9月26日 (金)

茨城/常陸大宮 渋さ立ち並ぶ

茨城県常陸大宮市、JR常陸大宮駅からの歩き旅です。

(2010年9月当時)

●時計塔と共に

常陸大宮駅前の時計塔と共にバックに駅前の通りです。

旧郡部の新しい市の中心の駅前ということもあってか、そんな高層の建屋が立ち並ぶような駅前ではなく、通りも途中で突き当りに行き着きます。

でもしかし時計塔は高くて立派です。

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●大宮町マンホール

旧・大宮町時代のマンホールがありました。

街の花であるバラがデザインされたものです。

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●駅前通りを行く

こんなのどかな通りを進んで行きます。県道318号線とありました。

独特の街灯で商店街の体はなしてはいますが、店舗と住居が混在しています。

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●廃屋

屋根にあたる部分がサビサビでどんだけ年季入ってんのかな、と思わされる建屋でした。

ホント昭和のいつ頃つくられた家屋なのでしょうか?という事を考えてしまいます。いつ頃から使われなくなったのか、も含めて。

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●左折

駅前通りを突き当りまで行った後、左折して出くわした風景です。

金融機関があったりして、そこそこの通りです。むしろ駅のすぐ前の通りより栄えているかなとも。

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●さらに進む

上の写真からほんの少しだけ進んだ所です。

幹線道にして商店街、といったところでしょうか。古めのゴツゴツした建物が目立ちます。

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●大宮十文字

この渋すぎる板張り建屋に視線が釘付けとなり、これは撮らずにいられませんでした。

てっぺん部分が曲線になっていて、また惹きつけられました。2F部分?は窓なのか扉なのか、不思議な感じでもありました。

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●つし二階建屋

いかにもの和風建築で、2F部分の高さが低く見える、いわゆる「つし二階」の建屋がありました。普通に二階建てにすると、大名行列?!だかで失礼に見えるとかでわざと低く見せてるのがこういう形になったといわれているものです。

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●複合

石造りの上にレンガが積み上げられているという塀に出くわしました。

石の部分の渋さが半端ない感じて、レンガも綺麗な色ではなく、これまたものすごく渋くて、ここ常陸大宮の印象はとにかく「渋い」の単語が真っ先に浮かびます。

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●和して未来を拓く

通りがかりにあった大きな碑です。

昭和60年に町村合併三十周年記念として造られ、題字は当時の茨城県知事によるものと思われます。また、当時の大宮町長によりタイトル通りの「決意を新たにしたい」と力強く宣言をしている旨が刻まれています。全町合併の初心にかえろう、という事で。

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●継ぎはぎ

最後はこの写真ですが、板張りにトタン屋根で所々に継ぎはぎがなされていて、改めて家って最初から完成したものじゃないし、どっかがおかしくなると補修したりしていくものだという事を思い知らされます。昔の家屋はそうやって何度も色んな所を治してきたんだろうな、という事を。

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2014年8月28日 (木)

JR水戸駅 (茨城県水戸市)

茨城県水戸市のJR水戸(みと)です。

水戸市は茨城県の中部に位置し、人口は270,840人(2014.7.1現在)で、茨城県の県庁所在地にして、「水戸黄門」の水戸(徳川)光圀の存在があまりにも有名な町です。

-JR・鹿島臨海鉄道/水戸駅
【路線】JR常磐線(上野-いわき間)
      水郡線(水戸-郡山間)
    鹿島臨海鉄道 鹿島大洗線(水戸-鹿島サッカースタジアム間)

【開業】1889年1月16
【訪問】2007年8
【1日あたり平均乗車人員】 JR-29,040人/日 (2013年)
                鹿島臨海鉄道-1,926人/日 (2012年)
【近隣の主要駅(上野方面)石岡駅→5駅
           (いわき方面)勝田駅→隣駅
           (郡山方面)上菅谷駅→6駅
           (鹿島サッカースタジアム方面)大洗駅→3駅

●黄門さま御一行

水戸駅前のシンボル的存在ともいえる、黄門様と助さん格さんの像です。

このように三人で諸国漫遊したというのは史実にはないようですが、助さん格さんのモデルは存在するといわれ、格さんのモデルとされる安積澹泊(=あさか・たんぱく)という人物は当時としては長寿の83歳まで生きたそうです。

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●凹み

2F出口が広いスペースとなった水戸駅前で、向かい側と互いの方向から下りている階段が交差して「凹」のような形になっていました。踊り場が盆地状態!?

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●らせん階段

が中に入った高い建物、がありました。

これもまたシンボル的存在といえるかと思います。

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●駅通路の下

はバスが多く停まってるエリアもありました。

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●道の字

駅前の道路、駅を出て右折してすぐの地点かと思いますが、広い車線の道路でした。

で、そこに「水戸」とか「城東」とか「大洗」の文字が見えました。曲線がなく直線だけで表現されていましたが、水戸が木戸のように見えます(笑

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●駅前通り

こちらは駅から伸びた通りになります。

高層ビルがそこそこ立ち並んだ、さすがは関東の都会という印象を受けました。

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●水戸駅 駅舎

こちらは北口です。

群馬県の高崎駅の雰囲気に似てるな、と個人的には思いました。

ちなみに本州の県庁所在地では最後に訪ねたという記念すべき町でもあります。

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●水戸駅 南口

2011年にできた「エクセルみなみ」という駅ビルになっています。

この上の写真までは、当地初訪問時の2007年夏のものですが、この写真に限り2013年10月当時のものです。

ちなみに北口の駅ビルは書いてある通り「EXCEL」です。

ガラス張りにダイヤ型の網目が入っているというなかなかインパクトのある駅舎で、前の通路と一緒に撮るとこんな感じで、なかなかダイナミックに見えました。

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