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08茨城県

2018年4月12日 (木)

茨城/鹿嶋 鹿のいる神社

茨城県鹿嶋市、JR鹿島神宮駅からの歩き旅です。

(2011年8月当時)

●駅から…

鹿島神宮駅を背にした形で、鹿島神宮へ向おうという駅前広場の様子です。

この時は2011年夏…、春に東日本大震災が発生し、この鹿嶋市でも多数の被害が発生しており、この駅前広場の床面もブロックがガタガタになってしまっていて、工事用の柵が置いてありました。

この震災ではどうしても東北の被害がクローズアップされますが、関東でもこの茨城では少なからずあり、千葉県にも波及していたという事で、その範囲の広さと爪痕の深さを改めてここで思い知ります。

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●神宮への道

って野球の話ではありません。

鹿島神宮への道です。

ここはとにかく鹿島神宮の門前町の要素が濃い所です。

鹿嶋市ですが、鹿「島」神宮なのです。これは鹿嶋市という表記が佐賀県の鹿島市との混同を避けた意味合いがあり、それまで鹿島町であったここの自治体名が市制化されるにあたり鹿「市」となったのは1995年の事でした。

そしてこれは駅前広場から離れて上り坂になっているのですが、夏の暑い盛りに通ると、とてつもなく体力を消耗しました、それが当時の感想です。そんな感じで駅からほぼ400mで鹿島さんです。

道路が整備されているようないないような、という雰囲気ではありましたがね震災直後という背景があったのかもしれません。

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●塚原卜伝生誕の地

鹿島さんへの上り坂を歩く途中でちょっとした階段状のスペースがあって、そこには「剣聖」と謳われた塚原卜伝(=ぼくでん<1489-1571>)の像がありました。

この地、当時の常陸の国の鹿島で生誕したといいいます。生没年がこの通りであるとすれば、82歳没な訳で当時としてはかなりの長寿であったのではと思います。それも幾多もの真剣勝負を経験しながら、刃傷が全くなかったという伝説もあり、生死の背中合わせの剣豪として長寿を全うしたのは特筆に値すると思います。

そんなものを横目に見つつ、神宮への道を進みます。

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●鹿嶋マンホール

市の鳥キジ、市の花ハマナス、市の木マツというよくある市の〇〇の組み合わせでつくられたマンホールで、色がついてないとキジかハトかよく分かりませんでした。おそらく縞々のところでキジを表現したものと思われます。

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●レンガを抜ける

ひたすらレンガ色の床の坂をのぼってきましたが、街らしい?アスファルトの道路へ出てきて、ここには信号もありました。

先の塚原卜伝の幟が並んでいました。当時はNHKでBS時代劇としてまさにそのまま「塚原卜伝」が堺雅人さんの主演で放送されていました。津本陽さんの「塚原卜伝十二番勝負」をドラマ化したものでした。

ご当地にスポットが当たったという事で、観光地に華を添える形でこの幟も立ち並んでいたのでしょう。

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●ボール

鹿嶋といえば神宮も勿論ありますが、やはりこれ「鹿島アントラーズ」です!住友金属のサッカーチームが前身で、Jリーグ発足時はジーコなどもいましたし、アルシンドも一時非常に有名になりましたね。

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●鹿嶋神宮 看板

さてようやく鹿島神宮です。

まではこの看板から。

主な祭典の時期を写真付きで紹介されていますが、時刻まで記載されているのが何だか新鮮でした。大抵は「何月何日」の表記でとどまっているところですが、全て時刻つきという案内の親切さです。

真ん前に腹のでっぷり出た「布袋さん」が座ってるのも、なんともインパクト大でした。

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●門前町の街並み

鹿島神宮前の門前町の街並みです。

鹿島そばなどのお店が出ていました。

この石に埋め込まれた時計も何気にインパクトがありました。

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●神宮入口

大きな「鹿島神宮」の石碑を真ん中にしたカットですが、左端が入口になります。

ここにも先程の大看板と同様に主な祭典・行事の紹介があり、ここにも時刻が載っていました。こだわりの時刻載せという感じです。しかし祭典の数もただならぬ多さですね。

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●鹿島神宮説明&案内図

広大に敷地に600種もの植物が生育しているとありました。

緑の占める割合が高く、建物はその中の一部という感じがしました。

メインは楼門をくぐっての周辺エリアでしょうか、本殿拝殿宝物館といったものが囲むように存在していました。

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●楼門

このすぐ奥がメインゾーンというところですが、この赤を主体としたカラーリングは建物の大きさも相まって壮大な雰囲気満点でした。

この楼門は国指定重要文化財で、本殿拝殿仮殿など多くの建造物が同様に国指定重文という宝の山というか、文化財の宝庫という感じです。

この3年後に「御船祭」という式年大祭があり、その事が看板にも表されていました。1870年に復活したという事ですが、12年に一度の開催という事で現時点では2014年が最新という事です。

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●境内

震災発生当年でもあり、被害も少なからずで、復興義援金のお願いという事で呼びかけられていました。

あとは塚原卜伝の看板も。やはりTVの力ですね。

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●拝殿

これも重要文化財ですが拝殿です。

祭神は武甕槌大神(たけみかつちのおおかみ)とされ、雷神かつ剣の神とされ、また相撲の元祖ともされるという多くの顔を持つ神様です。当地に因んで鹿島神とも。

ここ鹿島大社や春日大社、そして全国の同名大社にも祀られているといいます。

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●国宝 直刀

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●拝殿を奥へ

楼門を入って拝殿や本殿等メインの最も賑わったエリアから更に奥へ並木道を進んで行きます。

そこに、この神宮の文字通り奥深い部分が現われるのでした。単なる神社仏閣にとどまらないものがそこにはあったのでした。それがこの次。

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●神鹿について

説明板がありましたが、このバックに鹿園がありました。

ビックリしました、単なる大きな神社と思ったら鹿が居るちょっとした動物園の要素も中にあったとは!というところで。単に動物園というのではなく、この神宮の使いが鹿であるという事で「神鹿」とされていますが。

この地は元々香島とされていたのが今の鹿島となったのも、鹿との縁によるものとされており、確かに鹿島って「鹿」の字だよなと初めてここで意識したのでしたwinkって何回「鹿」って書いたのでしょうか?(笑)

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●鹿!

奈良でも宮島でもなく、鹿が沢山居ました。

立派なツノが生えたものもいれば、ツノなしもいて、皆それぞれでした。

こんな所で鹿を見れるなんて思ってもみませんでした。

この時拝殿でお参りしたら帰ろうかと思っていたのですが、その先の何もなさそうな並木道をよく歩いて行ったもんだな、と我ながら感心しました。これを見るのと見ないのとでは鹿島神宮に対する印象は全く違ったものになっている訳で。

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●さざれ石

最後の写真は…右とか左とかあんまりそういうのはないのでアレなんですが、これは日本国家の「君が代」に出てくる「さざれ石」というものです。この時、それとして初めて意識して見たような気がします。

そもそもさざれ石とは、「小さな石」を意味するといいますが、小石の欠片の隙間を炭酸カルシウムなどが埋める事で一つの大きな岩の塊に変化したものを指すともいいます。これもその姿なのでしょう。でも君が代で歌われているのは本来の「小さな石」という意味だそうです。

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2017年12月23日 (土)

茨城/常総 薄暮の水海道商店街

茨城県常総市、関東鉄道/水海道駅からの歩き旅です。

(2011年8月当時)

●水海道案内図

「みつかいどう」と読み、かつてはこの水海道市でしたが現在は合併して常総市となっています。

左側に表示が出ているものは殆どが神社仏閣系です。

ちなみに駅は真ん中下の自転車の絵がある部分のすぐ上あたりなので、これらの神社仏閣へは距離があります。各々駅からの距離を㌔数で書いておりますが、4km、5kmとあり、歩きでは時間がないと困難です。

そんな事もあり、またここにに着いた時間も遅くて既に暗くなりかけていた為、今回記事では駅前の商店街がメインになります。

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●駅前バス停

駅前広場にあるバス停です。

他の都市への便も出ていて、土浦駅西口行きもありました。これは6年前の夏のものですが、現在も便があります。ただ、1日2便のみでした。土浦駅までは68分となっています。

あとは岩井ターミナル行きがあるのが個人的に特筆?もので、鉄道駅のない岩井(旧・岩井市⇒現・坂東市)へのアクセスがここからできるのですね。

実は坂東市へ行った時にアクセス方法を調べていましたが、千葉県の野田市駅からバスに乗るというものがあり、それしか頭になかったのですが、ここからも行けるのか、と。1日5便しかなく、時間的にも100分かかるようで、あまりお勧めはできませんが。

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●駅前広場と通り

右側が駅になりますが、駅前は線路と平行にこの道路が通っています。

駅前の商店街は、左側の茶色の建物の向こうを左へ入って進む事となります。

薄暗くなってかなり画質悪いです、すみません。

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●水海道マンホール

旧水海道市の表記でマンホールがありました。

「I LOVE MITSUKAIDO」の文字が単なる平板なマンホールでなくてよかったです。

市の木カシに停まっている市の鳥ウグイスが配され、そのバックに市の花サクラがある、という構成です。メッセージは他とは違うオリジナリティーのあるものですが、載っているものは割に平板ですね、絵はなかなかインパクトあるものですが。

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●ここからが商店街

駅前広場からまっすぐ入って行きましたが、線路と走る道路の方が幹線道っぼくて、駅から伸びるこの道は逆に裏道っぽい様相を呈しています。

そんな中でも色々味のある建物が散見され、そういう意味での見応えはあると思います。

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●野村屋

商店街を進んでゆきます。

右側に野村屋というホテルがあります。ホテル野村屋、って表記が不思議な感じでした。××屋、とくると「旅館」がつくイメージがありますが、ここはホテルなんですね。

そしてこういうのを見る度に現在稼働しているかを確認するのですが、現役のようです。サイトもありましたが、2食付6,000円ってリーズナブルですよね、しかも駅近で。クレジットカードが使えないのが難点ですが。

この辺りは駅前にドカンとビジネスホテルが建っているというよりはこういう旅館的な宿泊施設が点在している感じです。

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●振り返って

先のホテル野村屋の所まで来て、駅側へと振り返ったカットです。

看板は裏側は野村屋旅館になっていました。なんや「旅館」やん、と思いましたが、それは別にどっちでもよい事ですね。

商店街の街灯が青緑っぽく多数光っていました。

街の様子を鮮明に撮りたかったのですが、それとはまったく縁遠く、辛うじて様子が分かる限界点にまで、時間的には来ていました。これ以上はほぼ撮れないかなと。

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●不思議な空間

上の写真から更に進んだ所です。

稲荷神社?的なスペースが未知の両サイドに現われました。

正直、常総市で見た個人的に最もインパクのある所でした。写真がぼやけてるんで何も伝わりませんが。

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●看板

珠算教室の看板がありましたが、おそらく昭和の頃に描かれたものでしょう

こういう歴史遺産は残しておいてほしいですね。

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●昭和感満載

最もこれを感じたのがこの辺りです。

いくつかは確実に現役ではないだろう、と思って見ていましたが、これを昼間の鮮明な写真として残したかったですが、こんな具合なので余計に古めかしく見えるかもしれません。

ボロボロの飯屋の看板に「定食」の幟、それにコカコーラのロゴにと…。

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●駅通り商店街

の店店がゲートに記されている部分です。

人通り僅かのゴーストな感じの通りにシャッターで閉まった店の面々…。

建物の威圧感もものすごかったです。

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●江戸屋薬舗

最後はこの写真です。

右側に写っている立派な建物についての解説がありました。

「江戸屋薬舗」という事で、1700年創業し、江戸表へ米穀類を送ってその帰りの船で、薬草類を持ち帰ったそうです。江戸の薬を売っていたという訳ですか。今のこの建屋も江戸末期安政年間のものというので貴重な文化遺産です。

薄暮どころかかなり暗くなってきている中でも写真を撮って、更にはこのように記事として晒しているのは他ならぬこの街の風景が懐かしさに溢れていて、それを伝えたいからです。

歴史に思いを馳せながらこの水海道の街を歩けば、きっと目に見えるい゛鐘に深い旅が味わえるのではないでしょうか、という事でこの記事の結びとしたいと思います。

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2017年8月 6日 (日)

茨城/那珂 茨城県植物園ここにあり!

茨城県那珂市の旅の様子です。

(2017年7月当時)

●茨城県植物園へ

いつもは駅からの歩き旅がメインですが、那珂市ではそれまで上菅谷駅の前までちょっと出ただけで悪天候もあり帰ってしまい、街の様子をまともにお送りできる要素がなかったので、先月ピンポイントに行ってきました。

8:00に神戸空港を発って飛行機で1時間ほど飛び、9:00過ぎには茨城空港に着き、10:00前に水戸駅行きのバスに乗って約40分、11:15頃の水戸駅発の水郡線に乗って11:40頃に上菅谷駅までやってきました。

上菅谷に着いたものの、やはり駅前に目ぼしいものがなく、12:00前に上菅谷駅に停まっていたタクシーに乗って、この茨城県植物園までやってきました。上菅谷駅はタクシーが常時停まっている訳ではなさそうなので、その辺は要注意です。また、この植物園の最寄駅としては同じ市内の瓜連(うりづら)駅の方が近いのですが、そこからでもタクシーで約10分だとかで、電車だと水戸から上菅谷までは本数もあるのですが、ここから先があまりアテにならなかったので確実を取って上菅谷に来てタクシーに乗りました。

タクシーで15分強かかってこの値段でここまで来ました、帰りはタクシーを電話で呼びましたが、タクシー代だけで5,000円くらいかかりました。

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●案内地図

茨城県植物園に着き、駐車場付近の地図群に植物園の案内図と茨城県の観光案内地図がありました。

上側は植物園の見取り図です。1981(昭和56)年に開園された県営の植物園で広さは約81ha(=約810,000㎡)という事で、これは長方形ですが、正方形でいうと900m四方と同じ広さになります。この形通りだとすると1.2kmあまり×0.6kmあまりというところでしょうか。

下側の写真は茨城県の中でも那珂市にスポットを当ててのカットです。線路がY字状になっていますが、この交点にあるのが上菅谷駅です。瓜連駅の方が近いのが分かりますが、便が減ると共にタクシーが停まっている確率もグンと落ちると思われ、上菅谷から行っても不正解ではないと思いました。

ちなみにバス便では、ここから徒歩20分くらいかかる地点が最寄り停留所であり、便も殆どない為、バスでのアクセスはかなり望み薄と思った方が良いと思います。少なくとも夏はバスに乗れても、そこから20分も歩こうという気になれませんでした。公共交通機関頼みならばタクシー一択と思います。

アクセスについては下の3枚目の写真にもあります。那珂市の施設見学を中心とした観光をしたいならこのエリアがおススメというところです。

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●植物園前

下に二枚ある写真の上側の方は駐車場の出入口で、この向こうから入る形となります。

下側は園の入口で、向こうに写っている建物の所で入場料(大人1枚300円)を支払います。人の気配はというと…本当にこんな感じで、少なくとも人で賑わって入場を待つという事は皆無でした。むしろタクシーを降りた瞬間「閑散」の2文字が真っ先に思い浮かぶほど、ちょっととんでもない所に来てしまった感がありました。

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●入場

\300払って入ってみました。

辺りに人の気配がまるでなし。そんな中を沢山の花壇が並ぶ景色が続いていました。

ただの花の咲く公園なのか…??と思いつつ歩を進めていました。

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●沈床園

約600種、5万本を数える大量の植物が管理されているという、この園の入口を飾るというべき序章的な部分です。きちっとした型枠内に植えられて咲いている植物群と、向こうには大きな噴水があります。

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●レストハウス

沈床園をまっすぐ進んでから右に折れて行き着いたレストハウスです。

歩いているうちにトイレに行かなければ!という事態になり、そのトイレを探していて行き着いた場所です。クーラーが効いていて夏は避暑にも良い場所です。しかし中には誰も居ませんでした。

居たのは、このトイレのある部屋の廊下を隔てて向こうにある「緑の相談室」という部屋に職員らしき方ぐらいです。この相談室は庭木の管理や、病虫害の防除などの相談を受けているところといい、全国にそのような団体があるそうですが。

小学校の校外学習の場としても使われており、その写真が展示されていました。

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●外周

をグルッと回ってみましたが、ここは両サイドを何がしかの植物が覆っている状態でした。木についての説明板もしっかりありました。広すぎてどこまで進んで行けばいいのか分からないほどです。

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●横を見れば

外周を歩いていて、内側にこのような芝生の広がりも見えました。

こういうの見ると個人的には「ゴルフできるじゃん」と思ってしまいます(笑)

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●展望塔

歩いているうちに出くわした「展望塔」です。

昭和感丸出しのコンクリート色そのままの建物にバラのような花の絵がドット状に描き込まれています。 

階段を上るごとに各階層に展望スペースがありますが、ただそれだけの施設です。エレベーターは付いていないので自力で上るのみです。

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●展望塔からの眺め

近くに熱帯植物園があるのが見えます。

あとは松かさの若いのも見えました。

ある程度の高さはあって眺める事は出来ますが、周囲を一望というまではいかずで、緑に覆われている印象ばかりが強かったです。

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●茨城県熱帯植物園

植物園の敷地内にあります。敷地内で最も立派な建物でもあります。

熱い中歩き続けて来てやっと避暑できる、と思い入って行きました。

入口にいろんな掲示物があり、また自販機もここにはあります。

それまでの道のりでほぼ人の気配なしの所を歩いてきて、ここも入ったところに人がいた訳ではなく、無料でそのまま入って行けました。ただここでは何人かの人にはすれ違いました(笑)

「猛禽ふれあいタイム」なんてあるんですね。フクロウや鷹などを手に載せて写真が撮れるとありました。

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●シアタールーム

30分ほどの映像を2テーマ、1日に2回ほど上映されていました。

つまり稼働時間は2時間ほどです。

テーマは「四季が育む命の山々」と「森に生きる」というものでした。

偶々入った時は上映中でしたが、見ていたのは2人だけでした。

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●胡蝶蘭など

シアタールームを出たところがこのような展示スペースになっていて、熱帯植物の鉢植えが並んでいました。

中でもひと際目を惹くのが、この胡蝶蘭でした。

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●カブトクワガタ展示

主に熱帯のカブトムシ・クワガタムシの展示が、植物の展示の隣にありました。

なんといってもやはり最大のカブトムシ「ヘラクレスオオカブト」に目を惹かれます。

身体も大きいですが、凶暴という印象が個人的には強くて、初めてこのような外国産のカブトムシを飼った時にオスを掴もうとしたら胸と腹の間の継ぎ目(色の変わっている境目の部分)で挟んできたのは大変驚きました。日本のカブトムシのオスはちょうど掴みやすい突起があって扱いやすい訳ですが。

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●熱帯植物館ゾーン

本施設のメインの場所ともいうべきゾーンです。ジャングルゾーンなど、そこに迷い込んだかのような気分を味わえます、通路を除けば(笑)

でもやはり両サイドに、所狭しと生い茂る植物群には圧倒されます。

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●コーヒーの実

アラビアコーヒーつってどっかの商品名かと思うくらいですが、コーヒーの実もありました。

「ただいま開花中」つて事で実を見る事も出来ました。こんな赤い実があのコーヒーになるなんて…という感じですね。

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●更に進む

ぐるぐる回っていくうちにいろんな景色・植物に出くわします。

滝状になっているところもあり、複数階層にわたって楽しむ事ができ、なかなか侮れない施設です。これだけの維持をしようと思うと相当な費用がかかると思いますが、1人300円で観光客もあまりいなさそうで大丈夫かな??と勝手な心配をしてしまいます。

入場者数は年間約6万人だそうで、1日平均160人くらいになります。そう考えたらあんまり多くないのかな、と感じますが。

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●カメ

歩いているうちにこんな大きなリクガメにも出くわしました。と思ったら小さなカメも居ました。

ギリシャリクガメ「リクくん」(小さい方)とケヅメリクガメ「メリーちゃん」(大きい方)だそうです。これでも同い年だそうで。とりあえず大小比が分かるように両者のカットも撮りました。

小さなカメを飼ってた時はかわいい餌をやってたんですが、大きなカメになると食うもんが違うな、と思い知りました(笑)

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●マンゴーの樹

大好きなマンゴーがあったのでこれも撮りました。

10℃以上確保できれば一般的な鉢植えと同環境で栽培可能とありました。

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…植物園といいながら動物も少なからずいて楽しめる要素が意外とあったなと感じました。

那珂市で楽しめる施設…??(ってあるのかな??)と行く前は疑問符ばかりが頭にありましたが、タクシーを要するものの行ってよかったと思いました。これはなかなかの施設です。

2017年7月31日 (月)

JR上菅谷駅【新】 (茨城県那珂市)

茨城県那珂(なか)市のJR上菅谷(かみすがや)です。

この駅は以前にupした事があります(⇒コチラ)が、今月の連休を利用して2010年以来7年ぶりに再訪問して、新駅舎になっていたので、最新版としてup致します。

●駅名標

前回との違いは上端に「奥久慈清流ライン」と冠されている部分です。2010年当時はこれはありませんでした。これは2011年に付けられた愛称だそうで、前回訪問以後の間に変わった事のひとつです。

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●ホーム

この辺りは前回とさして変わりないかもしれません。

両サイドの屋根とプラスチックの折り畳みベンチと、横には自販機と…といった具合で。

水戸からここへ行く際に、手前に下菅谷、中菅谷、そしてここ上菅谷と繋がっていくのですが、これらの駅間はいずれも1kmそこそこで、下菅谷から電車が出たと思ったらすぐに中菅谷へ停まり、中菅谷を出たと思ったら加速もままならないうちに上菅谷へ停まる、といった具合です。歩いてでもいけるのかな、という感じです。あまり便数がないので、いざという時はその事も可能性として考えつつ、ここを訪ねました。

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●向いホーム

これは島式ホームの向かいにあるホームで、駅舎から一番遠い所にあります。前回2010年当時もあったと思いますが、雨天であったり、電車が停まっていたりで撮れる状況になかった(今思えば)と思います。

大抵は、駅舎側にこのような1面1線ホームがあって、向かいに島式ホームがある構造ですが、この駅の場合は駅舎から構内踏切を渡って、島式ホーム、1面ホームの順に並んでいます。

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●入口からホーム

これも変わった訳ではないと思いますが、前回撮れてなかったので。

これが構内踏切で、これを渡って島式の1・2番ホームへ行くか、さらに奥の3番ホームへ行くか、になり、ホームへはスロープ状になっています。

踏切は交互に短い柵がされていて、バリアフリーからいえばかなり厳しい仕様です。駅舎は建替えたものの、内部は殆ど手がついてない(変わってない)のかな、という感じでした。

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●駅前道

前回記事でもほぼ同じ視点のカットがありましたが、区画はキッチリ整備される形となっています。前回は結構ラフな感じで、駅前に何かある気もしなかったので。

今も特に何があるとは言い難い状況ですが、2010年当時は過渡期だったのか柵がされていたり、「これから変わるのかな??」という感じであり、だいぶ綺麗にはなりました。何か商業施設とかできたりしないのでしょうか?全く気配なさそうですが…この那珂市というのはどの辺りが栄えているのか??ようとして知れませんでしたが、駅前はどこも住宅街みたいな印象ばかりでした。少なくとも中菅谷、下菅谷辺りは…。

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●上菅谷駅 新駅舎

2014年1月に供用開始となった新駅舎です。

前回訪問が2010年で、これが2017年の姿につき、ちょうどその間に新駅舎になっていました。旧駅舎は今の建物のすぐ手前に建っていた昔ながらのものでしたが、これが残っていないのは残念です。

しかしおよそ市の中心駅の駅舎とは思い難い規模であったので、このリニューアルは良かったと思います。ただの駅舎から幾分大きくなって2F建てにもなり、市の中心駅アピールし出したのかな??という感じですが。茶色い部分が駅事務室だそうです。

床も綺麗に舗装され、ロータリーもしっかりできて、実に見事に生まれ変わっていましたが、相変わらず駅前には何も印象でした。が、少し歩けばコンビニがありました(駅出て最初の交差点に)

前回訪問時は雨天および駅前の何もなさに失望し、ほとんど歩きもせずに立ち去ったので今回はリベンジ機会でした。ここだけでなく那珂市の旅もようやくできたので何よりでした。

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2016年8月20日 (土)

茨城/坂東 まさかどのまちかど

茨城県坂東市、茨城県の南西部、千葉県と接する形で位置し 人口は53,777人(2016.6.1現在)で、2005年に旧・岩井市と猿島町とが合併してできた新しい市です。坂の東、ということから、あるいは市内を流れる利根川が坂東太郎と呼ばれていたことから、この市名になったそうです。

鉄道の通っていない市であり、駅のない市はそこそこありますが、鉄道自体が通っていない市は全国でも数えるほどしかないそうです。

upしたと思っていたらしておらず、今気づいてあげる事にしました。

(2013年10月当時)

アプローチ

茨城県は鉄道のない市が何故か多く、ここもそのひとつです。他の市としては、行方(なめがた)市、稲敷市、かすみがうら市、神栖市と関東にありながら異様に多いです。小美玉市も中心駅が無くなった形で、明確な中心地ではない駅が存在するだけの形になっています。

冒頭で千葉県に接している、と書きましたが、同じ県内の神栖市では千葉県は銚子駅からアプローチしましたが、ここ坂東市では千葉県野田市駅 からの鉄道アプローチでした。

野田市駅を出てすぐのところにバス標識が立っているので、この2番線というところにいれぱやってきます。岩井車庫行きのバスに乗ります。今から約3年前の様子であり、今も変わっていなければですが…。

とりあえず、岩井市への公共交通機関でのアクセスはこれがメインです。バスの本数は1時間に1本で、のがしたら1時間待ちになるので、あまりなかったですが近くのお店で食べるか、キッコーマンの工場周りを散策するかです(笑)

この時は、近くの「樹林」さんというお店で味噌ラーメンを食べました。

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●岩井局前バス停

野田市から県境を越えてバスに乗ってきた訳ですが、坂東市でどこに降りようか?というのがありました。つまり、どこで降りればそれなりに中心地街を歩けるのか?という事で、選んだのがこの「岩井局前」。旧・岩井市の名のついた「岩井郵便局」の前です。

下側の写真のようなこんな感じで、色んなバス停標識が立っていました。

個人的にはここが、「関東地方で最後に訪ねた市」でした。ここ坂東市こそが記念すべき関東の市全制覇の地なのです。茨城県は関東の県庁所在地でも最後に訪ねたところ(2007年)であり、また鉄道駅のない市が多く、とりわけ難関であったので、感慨深いものがありました。

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●降り立った場所

の様子です。

完全な市街地、街の中で、とりあえずそこそこの賑わいがあってよかった、そんなところでした。間違って変な所で降りてしまって、なんにもない…なんてことは今でもよくあるので。

とりあえず、1時間に1本しかバスがないので、帰りの時刻は要チェックです。

野田市駅からの所要時間は約20分、料金は600円とありました(すみません、忘れたのでサイト見ました)

downwardleft改めて、アクセスまとめます。

train東武/野田市駅からbus「岩井車庫」行バスにて「岩井局前」下車
             (1時間に1本。約20分600円)

     ※岩井局前の前後のバス停でもそれなりに街の所で降りられます

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●岩井郵便局

バス停の前にあった坂東市の中心局です。

茶系のゴツッとした建物が印象的でした。

上層部が重い感じの建屋で、妙なバランス感?があります。

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●仲町十字路

という交差点ですが、上のまん丸いモニュメント?はかなり目を惹くし、カメラ持っていたら「撮るしかないだろう」という感じでした(^^

このグルッとした中に巧みに標識を取りつけていたりします。

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●マンホール

平将門をイメージしたとものと思われますが、郷土の英雄として語られ、「将門まつり」なるものも毎年11月に行なわれているといいます。将門は「新皇」を名乗り、ここ岩井の地に政庁を置いたという事で、当初は「朝敵」としてのイメージが色濃く、のちに朝廷の横暴さに立ち上がった英雄へと、時代によってかなり評価の変わっている人物のようです。我々教科書で勉強した身としては、やはり朝敵のイメージが強かったですね。

下の部分は「坂東太郎」との別名を持つ利根川ですね。

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●センターモール

降り立った道路はそのように名づけられていました。

それに関しては「へぇ」という感じでしだか、そこの標識にある住所表記が「岩井市岩井」となっており、旧自治体名で残ってるな…と思って撮りました。

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●本町バス停

国道354号線上を北西へと進んで行きます。

先の仲町十字路の辺りがこの市の中心的エリアのようで、これを外れていく形になってきています。それでも本町というだけあり、まだまた中心的な雰囲気の街並みではあります。

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●交番西交点

国道354号が県道20号と交差し、また国道が続いていくという地点です。

3年前の写真ですが、コナカもガストもまだあるようです。入力(街歩き)の多さに比べて出力(ブログup)が追いつかないので、どうしても鮮度の低い記事が多くなってしまい、それもあって一応現存しているか否かはそれなりに確認しているつもりです。最近量販店の淘汰が特に激しいので…

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●とある店先

国道354を北西へ更に進むと、かなり穏やかな雰囲気になってしまっていました。

そんな中で見かけたポスターです。

将門つりは先述のとおりですが、これがまたカッコよくつくられていました。

一方は畳のポスター、ここは畳屋さんですね。このポスターは「全国畳材料卸商組合連合会」というところの作成だそうです。女性が誰なのか?は…分かりませんでした。これは別にご当地のものではないですが。

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●マンホール2

更に歩いているうちにもうひとつのマンホールを見つけました。むしろこっちの方がメイン?かもしれないです。最初の柄のマンホールが検索してもなかなか出てこずで。

で、このマンホールはかなりゴチャゴチャした印象をうれましたが、市の鳥であるウグイスがまず載っていて、市の木ケヤキと市の花チャノハナが載っている形でしょうか。真ん中は坂東市の「ば」が据えられていて、これだけはハッキリ分かりました。

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●ホコテン規制

坂東では、月に一回「坂東ホコテン」というイベントがあり、7月と11月を除く毎月第4土曜日に行われています。2010年5月から始まったそうで歴史はまだ浅いですが、この辺りのエリア活性化の為にスペースを有効活用頂こうという趣旨のようです。

ということでサイトがでていました→コチラ 

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●秀録

「しゅうろく」という、この裏手の表示に引き込まれてやってきましたが、酒蔵!

独特の佇まい、酒蔵というのも街を旅していて、大変得した気になる貴重なところです。その年季の入った風景を目にするだけで「来て良かった!」となるので。

ところが…

このお酒の醸造元の「大塚酒造」なるところが、2011年5月をもって後継者難等あり廃業していた、というのです。この写真はその2年半後で、既に廃業していたとは知らず…眺めていたのでした。

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●とことん将門!

この時は生誕1111年記念事業なるものがあり、通常の将門まつり以外にもこうして盛り上げられてきたようです。英雄として、また反逆者として、様々な捉え方をされる将門ですが、こうして後世に名を残していってる事自体は素晴らしい、とただただ思います。

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坂東は将門の町、です。

2016年8月10日 (水)

茨城/常陸太田 坂を上れば鯨ヶ丘!




茨城県常陸太田市、JR常陸太田駅からの歩き旅です。

(2013年10月当時)

●駅からの道

新しい駅舎となっていた駅を一通り見た後は町へ出ました。左に覗いて見えるのは、駅前のバスのりばの庇です。

ここからどこをどう歩いたら、ご当地らしいものに出会えるのか?全くの手探り状態でのスタートでした。

まず最初はこの右側の道路を向こうに進み出しました。

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●マンホール

「やまぶき」という表記が見られます。別にここがかつて「やまぶき」という地名・自治体名であったとかは一切ないようです。「山吹運動公園」や日帰り温泉は「やまぶきの湯」というのはありますが、ここと山吹の関係性が今ひとつよく分かりません。市の花がやまぶきであるという事で、ここでも全面的にあしらわれていますが、まるで自治体名かの如く表記されているのは甚だ納得のし難い部分がありました。

「ひたちおおた」とか「おおた」とか表記されているマンホールはないか?とネットで探すも見受けられませんでした。カラー版は山吹色のようです。

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●古き良き日の…

建屋群に早速出会えました。

駅前の道からまっすぐ行って程なく、そのまま直進する道と右斜めに上っていく道との分岐点辺りのこの光景はありました。

コンクリート製のゴツゴツしたこじんまりとした建物、コンクリートの黒ずんだ感が年季を物語っていて、思わず足を止めたくなる光景でした。

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●福祉会館入口バス停

2つに分岐した駅前の道路の左側の平坦な方を進んでみました。

平坦な道でまっすぐ来た感じだったのですが、道路の連続性でいうと、それまで県道を通ってきていたのを、分岐点の部分でそれた格好になったのがこの道路の方で、上の写真での右に分岐して坂を上っていく道は県道として続いている形になっているのでした。

この時はまだ、こちらの方が本流の道路だと思いながら歩いている真っ最中でした。

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●かわねや前

というバス停に来ました。

上の写真から少しだけ進んだ地点です。

左向こうに「かわねや」というスーパーがあり、その前のバス停という事ですが、かわねやは明治の創業で、ここ常陸太田に本部機能を持ち、5店舗が運営されているといいます。売上高は96億円ということで、この店舗数にしてなかなかの規模かと感じます。

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●鯨ヶ丘トンネル

この訪問の前年にあたる2012年7月17日に開通した新しいトンネルです。

トンネルの上は中心地的な賑わいを見せるエリア(この丘自体が「鯨ヶ丘」 )ですが、この時はそれをつゆほども知らずに、ただただこの辺に何があるか?と思っていわば下道を歩いていた格好です。

トンネルの全長は128mと実に短いものですが、それまで通じていなかった部分を貫いたこのトンネルの重要性は今後増していくのかもしれません。

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●上りゆく…

駅方向へ戻って、駅前の道を右にそれて上っていきます。

結局、先程までの地点でこれといったものが見つけられず、中心市街的なものも分からず、ここを入って行くととどんな通りに出会うかsign02と思って進んでみました。

なかなか古風な建屋が続いていて、これだけで妙に惹かれるな…と思いながら、坂を上っていったのでした。

今どきはスマホの地図なりで調べれば分かるんですが、そこをあえて知りたくないというか、知らずにピュアな感覚で様々な景色に出くわす事を大事にしたい、と思う気持ちも結構強いので、明確にここを訪ねると決めている時は勿論調べますが、あえて知らぬが華で進める旅も大変楽しい、と感じる訳です。

街灯が続いているところに、商店街っぽい雰囲気を感じましたが、これで中心街に出るのか、はたまたこれが廃れきった姿なのか…?まだ分からずでした。

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●下井 水天宮

坂を上っていく途中で出くわしたものです。

初めてといっていいほど、地場の独特のものに出会えた、そんな感じでした。

鯨ヶ丘には七井(ななせい)と呼ばれる井戸があったといい、ここはそのひとつですが、昔の通りに残っているのはここだけです。

幕末の1857年に御神符を受け、水神様を祀っているという事ですが、現在のお宮は昭和9(1934)年に史跡保存会を結成して新築したといいます。しかし老朽化が目立ち、平成16(2004)年に再度、神宮奉賛会を結成して、「原形を極力保ち、50年以上保存できるように」という事で竣工したそうです。

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●更にのぼる…

坂が段々急になる感じで、この先行っても大したものには出くわせないのかな?このまま引返して近場だけ歩いて満足する事にしようか?とかなり思っていたところでしたこの時…。

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●旅は終わらず

坂を上り切って、これといったものが見つからなければ、このまま引き返そうと思っていました。しかし…

上り切るや否や、このような光景が広がっていて、ミニ公園のようなスペースにイベント用のステージもあり、「鯨ヶ丘」の碑も前面にあったり、この辺こそが旅して巡るべきエリアなのが、と痛切に感じられました。

もし、横道それてちょっと歩こうという気にならなかったら、適当に駅の前だけ歩いて帰っていたかもしれません。諦めようと思っていたところでちょっと頑張ってみると、こういう光景に出合える、本当にそんな感じでした。人生のシーンにも言えるような事を体現できました。

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●鯨ヶ丘散策図

このあたり、やはり町の中心地らしく、このような案内図が出ていました。

先述の太田七井に加えて、「七寺」「七坂」などというものも定められているようです。

見どころもこの辺りに集中しています。

それまで、ここに何があるのか?歩いてもなかなか見つけられない感があったので、俄然旅のモチベーションが上がったという訳です。何も知らないところから、こうして見つかるのがなんともいえない幸福感があり、個人的な知らない街の旅の大きな醍醐味でもあります。

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●石窯

これは東日本大震災で被災し処分された大谷石を再利用してつくられたものです。

待ちの元気を取り戻すためのモニュメントの役割を果たしている、と書かれています。震災を風化させない為に。

茨城県も少なからず被害を受けているので、この事を忘れない思いは強いのかと思わされます。「がんばってます常陸太田プロジェクト」なる団体の手によりここに設置されています。

ちなみに大谷石は「おおやいし」と読み、軽石凝灰石の一種という事で、いわゆる軽石ですね。主に栃木県宇都宮で採掘されるもので、外壁や土蔵の建材として使用されるものだそうです。耐火性に優れ、軽くて柔らかいという性質の為に使われているのですね。

前面だけ見ると、灯籠石の下半分のようにも見えますが、裏から見ればこの通り、釜であることが分かり、薪割りされた木材も用意されています。

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●鯨ヶ丘ふれあい広場説明板

最後になりますが、このような説明板がありました。

この辺りでは、今から約900年前の平安時代に藤原道延という人物がお城を築いたといわれています。この人物は藤原秀郷の子孫で、築いたお城は太田城といわれ、当初は太田大夫と称していたそうです。後には佐竹氏が入り、長らく城主の座を務めていたといい、平安末期から江戸初期(この時期に廃城)にまでおよぶ長期間であったといいます。

特段遺構らしきものはないようで、城址の碑があるくらい?それでも関東七名城のひとつというので、これまた驚きです。

この広場が整備されたのは2008年の事で、市民協働によるまちづくりの想いに支えられ、その結晶としてここに存在しているという事ですね。常陸太田きっての歴史あるエリアでありながら、ここが近年新設されたように新ランドマーク的な役割も果たしているのかな?と思ったりで、常陸太田の駅に来たら、ここへは一度寄るべきかな、と感じた次第です。

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2016年3月20日 (日)

茨城/結城 蔵の街と金仏さま

茨城県結城市、JR結城駅からの歩き旅です。

(2011年8月当時)

●マンホール

まずは結城市のマンホールから。

市の花であるユリが分かり易く描かれていて、緑のは市の木とされるクワでしょうか。それだけか?という感じもしなくもないですが…。

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●宿泊ホテル

この訪問時、ここに泊まりました。

「結城第一ホテル」です。

結城駅の南口から東へ歩いて約2分、割にひっそりした中でこんな風に建っているので、大変分かり易いです。

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●結城駅前にあるショッピングセンター「しるくろーど」。小都市の割にはなかなかなの規模の建屋が構えられていました。

1984(昭和59)年に結城市内の商業者で組織された協同組合と、後にイトーヨーカ堂となる量販店「ヨークマート」との共同事業という当時としては先進的な手法でオープンしました。

開業20周年を迎えたしるくろーどに転機が訪れたのは2004年、核となるヨーカ堂がかねてより撤退を表明していたのですが、遂にその時が来てしまい、代わって「コモデティ・イイダ」というスーパーチェーンが核店舗となり、なんとか存続、同年9月にリニューアルオープンされています。

これは今から4年半前の姿になりますが、こうやって振り返るにつけて、「今もまだあるのかな?」と気になって確認してしまいます。そうすると、「今は亡き」モノになっている事も少なくない現実に出くわします。小都市の駅前ショッピングセンターが時代の潮流に呑みこまれているという現実に。ここはまだ存在するようで、安心しました。

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●結城市民情報センター

結城駅北口のすぐ右側にある、なかなか壮大な建物です。

2004年開館とあり、図書館を主とした施設で、多目的ホールや天体ドームなどもあります。

天体ドームでは様々な望遠鏡が設置され、天体観望会も頻繁に実施されているようで、既設に応じた天体が選ばれているという事で、その時季に適した天体を気軽に観測できるように配慮されているようです。

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●駅前商店街

駅北口から伸びている県道302号(結城停車場)線が駅前の商店街として形成されていて、カーブを繰り返しながら続いています。県道自体は約600mのみとなります。

ここ何十年と変わっていなさそうな街並み、下側の写真の旅館「石崎」という所は、昭和2年上棟の老舗ですが、現在は旅館としては営業していないようで、ただイベントスペースなどで活用はされているようです。

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●結城の蔵

これも上の写真の延長上の県道302号上にあるものですが、黒い蔵の建物で「簗島邸居宅」とありました。明治13(1880)年築だそうです。

結城にはこのような蔵の建屋が多くあり、「結城の蔵」として札が立っています。

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●鋳銅阿弥陀如来像

やはり県道302号を横道逸れた所にある「常光寺」という時宗のお寺の入口(道路沿い)にあるインパクトあるこの仏様は「金仏(かなぶつ)さん」の名で親しまれているようです。

その背後には銘文が描かれているという事で、図示の形で載っていました。

造立に関する内容もあり、宝暦7年との文字があり西暦にして1710年にあたります。浅間山の噴火があった年で、翌年にも再び噴火しています。ちなみに富士山の現時点で最後の噴火もこの宝永年間で1707年の事で、同年には南海トラフ系で最大規模といわれる宝永大地震が発生し、甚大な被害が出ています。

また江戸幕府の将軍では徳川綱吉が没した翌年にあたり、前の元号が元禄で文化の花ひらいた時期で、次の元号が正徳という新井白石の政治が行われた時期、そんな間の激動期だったといえるかと思います。

この鋳造には相応の歳月を要したと思いますが、そんな時代の中で人々はこの金仏さんに少なからずすがったのではないか、と想像してしまいます。

ですが、他の説明板には、この金仏の修復が戦国時代に行なわれたなる記載があり、ではこの宝永年間の記載は何なのか??よく分かりませんでした。

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●定光寺

金明山天照院常光寺といい、時宗のお寺です。

時宗の祖として有名な一遍が、他阿という人物らと共に諸国を巡り念仏信仰を広め、1297年建立され、それから300年を経た1598年に現在地に移されたとありました。

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●結城の蔵2

右側の足利銀行手前にある茶色の建物、ここにもまた「結城の蔵」の立札がありました。「会津屋呉服店」とあり、昭和5(1930)年築だそうです。荒物商・紬問屋を経て、現在は呉服屋店舗兼住宅だそうです。

この一本の通りを少し歩くだけで、昭和初期にはすでにあった建物がいくつも残っているこの結城の街、なかなか観光資源に恵まれた場所、と感じました。

まだまだ「結城の蔵」は見つけられるので、これを目当てにこの街を旅されてみても良いのではないでしょうか?と思ったりもしました。

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2015年8月11日 (火)

茨城/鉾田 新鉾田・遺るもの興るもの

茨城県鉾田市、鹿島臨海鉄道/新鉾田駅からの歩き旅です。

(2011年8月当時)

●鉾田ガイドマップ

新鉾田駅にあった鉾田市の地図です。

太平洋に面して縦長に市域が形成されています。

鹿島臨海鉄道の路線はその真ん中を南北に縦断する形で通っていて、その中央あたりに新鉾田駅に位置しています。

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●鉾田市マンホール

市の花:ひまわり

市の木:桜

市の鳥:うぐいす

がそれぞれ散りばめられています。真ん中は市章ですね。オーソドックスなタイプといえると思います。逆に鉾田ならでは…という感じが薄かったのは否めませんが…。市の木・サクラっていう自治体が結構多いというのもあって。

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●駅前通り

ビックリするくらい駅前感がない幹線道でした。

鉾田市の場合は、この新鉾田ではなく、今はもう鉄道路線が通らなくなった鹿島鉄道の鉾田駅の辺りが中心的な色合いが濃く、今はバスのりばとなっている鉾田駅の周りの方が活気がありました。

鉾田市としては、この新鉾田を訪ねたのがいちばん最初だったので、そのイメージがとても強く、「市名を名乗る駅の前に何にもない」の感がすっかりついてしまいました。そのイメージは後に、電車の通っていない(2007年4月1日に廃駅になった)鉾田駅に行って払拭された訳です。

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●交差点まで

新鉾田の駅を左側へ出て、交差する駅前通りを左向きに歩いて行って、交差点まできたところです。

この向きから見て、前にも右にも何もありませんでした。左には少し郊外型の店舗はありましたが、この駅前、街を歩いてもこれというものには出くわさないのでは…?と思い始めていました。新たに市を訪ねて、そこならではのものを感じられない、というのはなかなか辛いものです。バスも通ってる感じがなく、歩いてそこらを見るしかないかな…という感じでした。(元々これを見よう、というのもなかったので)

時間の許す限り、見れるものを見るだけ、いつもそんなスタンスで旅してますdelicious

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●交差点・左

上の写真の交差点の左に隠れていた部分です。

こういう感じの店はいくつかあるものの、それ止まりという感じで、鉾田の街を感じられるものにはなかなか出会えずでした。朝早くでもあり、店もろくに開いていない状態でした…

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●永長橋

と漢字では表記する「ながおさばし」です。

別の説明板には、平成7年7月竣工とあり、多くの技能者により完成した旨が記され、その技能者名も列記されていました。

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●認定花壇

ふらふらと歩き回る中にありました

「花いっぱい運動定着化促進事業」とされていて、平成17年ということで、今から10年前に認定された花壇という事でしょうか。

ここ贈としてある「大好き いばらき 県民会議」とは、茨城県庁にあるようで、県民の手によって個人や団体、企業などと一体になって、よりより茨城をつくろうというコンセプトのもと運営されている団体のようです。

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●8・28 車両規制

交通規制の看板が出ていました。

肝心な部分が被せたビニールに隠れてしまっていますが、「鉾田復興祭」により渋滞となります、と記されています。この先は入れず、左折して鹿嶋方面へ回って下さい、というものでした。

この時は、東日本大震災の起こった2011年の夏であり、この辺りも大きな被害を受けていた事が新鉾田の駅内にパネル展示されていましたが、復興を願っての力強い動きだったのでしょう。

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●長茂川と境橋

長茂川は利根川水系の河川で、鉾田市内を流れていますが、新鉾田の駅が通る鹿島臨海鉄道の線路とX字を描くように流れています。

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●アブナイ

鉾田らしいものがあまり撮れないまま終わる、この新鉾田界隈の旅で、最後はこんな写真を。

どこにでもあるようなものですが、このいつ頃つくられたか分からない感がたまりません。子供の頃よく見たのですが、だいたい昭和40年代製が主流なんですかね…。この謎が色々調べてもなかなか解けません。

こういうものが残っていてくれるのは有難いですね。普段暮らしてる町ではめったと見なくなったもので。縫製会社の社員募集、なんてのも時代ですね…、この会社を検索しても全く出てこず、もう既にないのでしょうか。第2工場とあるので複数の工場操業していたのでしょうね、時代の移り変わりを痛切に感じさせられます。

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2015年5月13日 (水)

茨城/つくばみらい みらい平駅前ロード

茨城県つくばみらい市、つくばエクスプレス/みらい平駅前の風景です。

(2011年8月当時)

●駅前道路

みらい平駅の西口を出て駅前広場を出ると、普通にこういう幹線道に出てしまいます。駅前通り的な雰囲気はここには感じられませんでした。

周囲一帯、こんな感じの町並で、ここ独特の歴史を感じさせるようなものに出会えず、観光レポート的に伝えるのがなかなか難しい街、と感じました。観光する所もあるようで、むしろ歴史の街を謳っている、というのですが、この辺り歩く限りでは残念ながら感じられなかったですね。個人的感覚として、千葉県印西市や白井市なども市の中心駅の駅前が同様の印象があります。

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●吸い込まれそうな…

そんな観光した気分になれた、と言い難かったつくばみらい市ではありましたが、その市内で最も印象的な風景は自分の中ではこのカットでした。

でっかい本を開いたような形の高層マンションに向かって道路が伸びていて、曲線を描きながら、まるで本の折り畳み部分へ向かって吸い込まれていくような錯覚を覚える、そんなカットになりました。

つくばみらい市といえば、市内では初の相撲部屋として「立浪部屋」が出来たそうで、この近くと聞いた気がしましたが、結局よく分かりませんでした。後で調べたら、みらい平駅の西側を南へ200mと行かないほどの近くでした。

立浪部屋といえば、相撲界ではかつては関取が何人も同時に居た名門でしたが、今は関取が1人もいない状態で、幕下上位15枚目までに2人(共に8枚目)居ますが、関取の厚い壁に阻まれている状態で、早く待望の関取を誕生させたい、というところでしょう。

ちなみに現在の立浪親方は元小結・旭豊で、俳優の松平健さんによく似た顔で「角界の暴れん坊将軍」と呼ばれた、イケメンのお手本のような存在で人気を博しました。引退時は確か幕内に居ながら30歳の若さでこの名門を継承した、と記憶しています。部屋のHPで現在の親方の姿を見ましたが、現役当時と変わらぬイケメンぶりで、これが本当に相撲界の親方なのか?と疑う程でした。

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●マンホール

「谷和原(やわら)・伊奈(いな)下水道組合」章入りの汚水管マンホールだそうです。蓋には谷和原村の木「サクラ」と、伊奈町の花「菜の花」 がデザインされていますが、合併して現在のつくばみらい市になった為、今では「つくばみらい市都市建設部下水道課」に事業を引継いだといいます。

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●土地利用計画図

最後はこの写真ですが、みらい平地区の土地利用計画図、とありました。住宅とか公園とか、何に使われているか?というのを色分けしたものです。ちなみにみらい平駅は右下のピンクの部分の真ん中あたりになります。寺社の関係があればだいぶ印象も変わったのですが、幹線道と住宅街のみ、という印象しか持てなかったので、次来る時はもっと別な発見を是非ともしたいものです。

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2014年12月11日 (木)

茨城/北茨城 磯原のラーメン

茨城県北茨城市、JR磯原駅からの歩き旅です。

(2010年9月当時)

●セントラルホテル磯原

旅先で泊まったホテルはよくこうして撮ったりするのですが、ここには泊まっていません。

何故撮ったかというと、こういう小都市にもホテルがあるという忘備的な意味を込めています。どこかに行く時に「じゃらん」などのサイトを見ると、どうしても大都市のホテルがズラーッと見えるので、それ以外にもこういう小都市のここにもホテルがあるんだ、という事が分かると、ここに目をつけて宿を取ってみようか、という事にもなるので。

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●手作り木工品展示場

と大きな木の板看板に書かれたところの入口です。

当時すでに薄暮時でやってないだろうと思い、中には入りませんでしだか、木工品を見て見たかったというのはありました。

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●幹線道

暗くなりかけていたので、あまり写真自体撮っていませんが、駅の近くの一角の風景として撮った数少ないもののひとつです。

タイトルにある「ラーメン」は左側の看板の店ですが、ここへ晩御飯ついでに行きました。

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●ごちそうらーめん

ここで食べました。

北茨城市・磯原といえばこのラーメン屋さんの記憶しかないぐらいです。

写メ撮っても綺麗に写らなかった当時だったので撮っていませんが、食べ終わった頃にはすっかり真っ暗で、その日の旅も終わり、という感じでした。

ひとつの街にひとつの思い出があれば、と思い、悔いはありませんが、また行く機会に恵まれたなら、違った場所で違った楽しみ方をしたいものです。

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