2024年12月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
無料ブログはココログ

08茨城県

2019年3月23日 (土)

茨城/龍ヶ崎 米町新町そして上町

茨城県龍ケ崎市、関東鉄道/竜ヶ崎駅からの歩き旅です。

(2012年5月当時)

▼まずはマンホールから。

龍ケ崎市の花・キキョウと市の木・マツを配し、そして市の鳥ハクチョウが牛久沼を優雅に泳ぐ姿、というのがコンセプトだそうです。

Img_9135

▼龍ケ崎駅の程近くに、このような「米薬師」というお寺がありました。

「薬師堂」とよばれる事が多いようで、米薬師とはあまり呼ばれないようです。

お堂の青銅色の屋根が横から見ると程よい曲線の三角で、正面から見ると末広がりな感じになっていて、なかなか印象的なものがありました。

広い敷地の割に色んなものが、ポツンポツンと置かれているだけの感じで、特に説明板も見受けられませんでした。なので歴史も由緒もよく分からずで…。

Img_9140
Img_9138
Img_9136

▼駅前広場過ぎた辺りで向こうの右側「竜ヶ崎通運」などが見えていた地点です。

限りなく日通に近いデザインですが、駅前にある日通がことごとく年季入っているのと同じように、ここもまたかなりの年季の入りようでした。

Img_9149

▼竜ヶ崎駅バス停の時刻表です。

行先として

・江戸崎
・戸張
・突合
・佐貫駅

とありました。

佐貫駅は、市名を名乗る当駅よりも利用者数が断然多く、実質的な龍ヶ崎市の交通の中心的存在となっていますが、2020年には「龍ケ崎駅」を名乗る事が決まったそうです。

電車でも両駅は1駅挟んで存在する形となっていますが、バス路線でも繋がっています。

戸張(とはり)は、竜ヶ崎駅より少し東に位置しており、地裁や警察署などが近くにあるエリアで、江戸崎は隣の稲敷市の地区となります。

Img_9151

▼竜ヶ崎駅から東へ200m程の地点で、終着駅からまっすぐ進んだ形で、このような幹線道と商店街があり、ここは龍ケ崎米町郵便局などがある辺りです。

Img_9155

▼同じ米町ですが、コミュニティバスのバス停です。

きれいに1時間に1本のダイヤとなっていました。この手のバスにしては本数が多い方かなと思います。

しかし17時台が終バスという早さでした…。

Img_9157

▼上の写真より少しだけ進んだ所ですが、左側の建物がまさに取り壊されようとしていた感じでした。

壁の表面がボロボロになっていて、どんだけ年季入ってるんだという感じでしたが、前面の覆いもこの時の取り壊しで組まれたものかも不明で、ずっとこんな状態ではないだろう、さすがに…とは思いましたが、実際のところどうなのでしょうか。壊されていたのだとすると、今ここは更地になっているか、別の建物が建っているかですね。

Img_9158

▼米町から更に東へ進んで次の「新町」というバス停です。

コミュニティバスだけでなく、関東鉄道のバス停標識もありましたが、3路線で各々1日数本の少ない便数でした。

Img_9161

▼という事で新町の周辺マップがありました。

方角は上が北で、竜ヶ崎駅から東へ歩いてきています。

現在地は、横に通っているオレンジの道路の真ん中より左の部分で、オレンジ部分の左側約1/4あたりです。

ここから進んでいくと、上町・にぎわい広場へと至る、というところです。

Img_9162

▼上の地図にも載っている「八坂神社」です。

始まりは平安末期、鎌倉時代に入ろうかという頃だそうで、当時は台地より下は沼地であったという龍ケ崎の開拓にあたった農民の心のよりどころであったそうです。

1577(天正5)年に現在地に移され、龍ケ崎の鎮守として住民の篤い信仰に支えられ続けているといいます。

Img_9164

▼更に東へ上町へと至り、商店街が活発になってきた気がしました。

駅から離れるほど活発化してくる気がするのもなんだか皮肉な感じでしたが、古き良き商店街の雰囲気に溢れていました。

Img_9167
Img_9168

▼最後は、この写真です。

登録有形文化財「小野瀬(おのせ)家住宅」です。

江戸時代の18世紀末には商いをはじめていたとされ、1830年代には巨万の富を築いたとされています。

この住宅は1923(大正12)年頃のものといわれ、当初は競売にかかって存続すら危ぶまれていたところを市内の方に買い取られて存続が決定、野外文化財登録にこぎつける事となった、という経緯があります。

消えてなくなるか文化財となるかは大違いですね。

Img_9172

2019年2月 8日 (金)

茨城/石岡 タヌキがウナギをつかまえて

茨城県石岡市、JR石岡駅周辺の様子です。

(2012年5月当時)

▼石岡駅前の様子ですが、右に隠れている部分が石岡駅になります。

駅記事では初訪問2007年当時の様子を載せていますが、今回記事は5年後の2012年再訪時のものが中心で、時折2007年当時のものも差し挟みます。

左側のビルのてっぺんにある「白鹿」の広告看板は変わらずにあって、石岡駅前の象徴的な存在と勝手に思っていますが、ただ地方の駅前や駅舎には何故か酒の名前がよくあったなと感じます。昭和期の名残りだったのか。

Img_9085

▼その隠れていた石岡駅を含めた駅前広場の様子です。

タクシーがそこそこ停まっていて、スペースも広めに取られていますが、賑やかさはあまり感じられなかったですね。

しかしこの姿は今となっては「旧駅舎」です。

この後2016年に橋上駅舎が完成し、今では大きな駅舎となっています。この当時見ていて市の中心の割に小さい駅だな、と思っていましたが、すぐ後に駅舎が大きくなるとは!

Img_9086

▼駅前の通りです。

中層の建物が続いていますが、昔からあまり変わっていなさそうです、昔の姿は知りませんが建物が年季入っていそうで。

右手前にある食堂ですが、昭和の雰囲気満載で営業しているのかどうかと気になって調べると、食べログにて2018年時点で営業している事が分かりました。こういう食堂は平成の世を越えてもやっていてほしいなと思います。

Img_9090

▼上の写真の駅前通りの手前側にある「石岡駅」バス停です。ただしこちらは降車専用です。

しかし「駅前広場まで乗り入れないの??」という感じでした。

Img_9091

▼記事タイトルにもある「タヌキがウナギをつかまえて」いる置物がポツンとありました。

個人的に石岡で最も印象的なものがこの置物ですが、ロープを張られた先の更地にポツンと置かれて孤独感満載でした。

この像にお目にかかったのは、実はこの時2回目で前回訪問の2007年当時にも写真を撮っていました。

Img_9092

▼という訳で、これが2007年当時、上の写真の5年前の姿です。

更地ではなく、店の軒先にマスコット的に置かれていました。

この弁天屋といううなぎ屋さんの軒先にあった訳ですが、これが閉店/解体され更地となった所に、置物だけが残された格好になっていました。捨てるには忍びない…と判断されたのでしょうか、しかしこれだけよく残ったものですね。

Himg0824
Himg0825

▼石岡市のマンホールです。

駅記事にもありましたが「石岡のおまつり」の獅子が前面に出た絵柄となっています。

カラーだとよりイメージが湧きやすいですね。何より絵柄が印象的でマンホールにも手抜きがない?感じがします。

Img_9098

▼最後ですが石岡駅を出て左側すぐにあるバスのりばです。

茨城空港へアクセスするバスもあり、この時ここへ来たのも茨城空港からのバスでやって来ました。

茨城空港からは概ね1時間に1本、所要時間33~40分程度、料金は620円です。

この訪問当時は駅西口の写真の所にあった訳ですが、その後変更になっており、今では反対の東口の「BRT専用バスターミナル」のところとなっているので要注意です。

この記事の写真は矢印で変更前の位置であり、いまでは矢印で変更後の所になっているので、今回記事の写真は色々なところで現在とは違った形になっていますが「在りし日の姿」という事で見て頂いたら良いかと思います。

石岡には2回も来ている割には大して深く訪ねていない事に改めて気づかされ、今度は何かもっと深く訪ねてみたいな、とどこの記事でもこんな事書いてしまいますが、素直にそう思いました。

Img_9084
Img_9097

案内略図

2019年1月 5日 (土)

茨城/笠間 日本三大稲荷への道!

茨城県笠間市、JR笠間駅からの歩き旅です。

(2011年8月当時)

▼笠間駅からの道はこんな感じからスタートです。

今から7年余り前の様子ですが、今もきっとあまり変わっていないだろうと(勝手に)思っています。

この時は、ただただ笠間稲荷神社を目指しての歩き旅でした。夏の暑い日でヘトヘトになりながら歩いていました。

日本三大稲荷のひとつとして有名なところだけに、初詣客も三が日だけで約80万人(年間では350万人)だそうで、茨城県で1位の参拝客数を誇る神社です。今年の場合は1/5・6と土日である為、まだ混雑は続くものとされています。

Himg0454

▼上の写真の駅前の道を歩いて程ない所に、この笠間駅前郵便局があります。

どことなくちょっと普通の郵便局とは違う雰囲気がする建物、という印象をうけました。建物構造そのものはまさに郵便局なのですが、色使いが他のスタンダードな郵便局と違うのか?何か違う感じがしたのでした。

左側の建物だけであれば、郵便局とは思い難い感じでした。というか幟以外何の表示もないなと。

Himg0455

▼笠間駅からどんどん離れていったある地点で、このような標識に出くわしました。

「やきもの通り」??

笠間は焼き物の街として栄え、江戸中期から「笠間焼」が造られたといいます。

関東では益子と並ぶ窯業の産地というこで、教科書で習った中に「益子焼」は確かにありましたが、笠間焼というのは記憶に薄く、焼き物の街という事はここへ来て初めて知りました。

春に行なわれる「陶炎祭」は実に50万人の人出があるそうで、笠間市の人口から考えると6倍以上にもなる訳で、初詣といいこの陶器のお祭りといい、結構な観光動員を誇る街だという事を改めて思い知らされました。

Himg0459

▼笠間市のマンホールです。

市の花である菊が前面に描かれていますが、市の木である桜や市の鳥うぐいすは一切現われていないようです。

Himg0463

▼変電所前というバス停がありました。

笠間駅から北へ進んで3つ目のバス停で、駅からの距離にして400m程度です。

古めかしくて錆びたまんまのバス停標識が渋くて暫く見入っていました。

Himg0469

▼笠間稲荷へ向かって更に進んで行きますが、廃屋の続く商店街という感じでした。

この建物は薬局だったのでしょうか、軒先の十字に赤十字的なものを連想したのですが…

そんなこんなで昭和遺産と思われる建物がそこかしこで見られました。

Himg0471

▼笠間稲荷神社への道中に案内図がありましたが、笠間稲荷周辺は右下に詳細地図が追加されていました。

この記事の行程がほぼこの通りですが、笠間駅から笠間稲荷までこんな感じで、距離にして1.7kmにつき、歩いて行く事は可能です。

この工程の赤矢印の真ん中部分に青で横線を入れていますが、これが現在地で、ほぼ中間地点にあたります。

ただしこの時はお盆時期で折からの猛暑により歩くのも辛く、時期によってはこの距離でも困難な場合もあります。

という事で、バスを利用する手段もありますが、御覧のように便数がかなり少ないようです。時刻表はコチラ

これは土日祝ダイヤで、平日はこれに+α程度です。びっくりでした、「これだけしかないの??」という感じで。ちなみにバスでは4分程度で着きます。(徒歩では約20分)

歩くのがしんどい場合はタクシー利用で十分です。距離的に料金は問題ないと思います。ただし初詣時期は歩いて行った方が早い、となるかもしれません。

Himg0473

Photo

▼行幸町というバス停がありました。

行幸(みゆき)というズバリそのものの名前で、天皇や皇族が訪問した地か?と思って調べてみたらその通りでした。

1900(明治33)年に明治天皇がこの地に宿泊したことで、そのままこの町名になったといいます。

Himg0478

▼いよいよお稲荷さんが近づいてきた、という事でお出迎えの灯籠が立っていました。

その後ろには胸像があり、「詩人 高野公男之像」とありました。

高野公男(1930-56)はここ笠間出身の作詞家で、春日八郎氏の「別れの一本杉」の作詞家で有名になった人物ですが、当時不治の病であったか肺結核により26歳の若さで夭折されたといいます。

今の世であれば治ったかもしれないし、まだ生きておられても88歳で不思議な年齢ではなく、もっとヒット作が飛ばせたかもしれず、残念ですね。

2017年に亡くなられた船村徹先生は「親友」としており、船村氏の逝去時にこの高野氏の名前がネットニュースに挙がっていました。

Himg0480
Himg0482

▼笠間稲荷に着きました。

ここは境内でお店が立ち並ぶエリアで、お稲荷さんでありつつ飲食のコーナーもありますといったところでしょうか。笠間焼の販売もありますが。

笠間はこのお稲荷さんの存在により古くから門前町として栄え、また笠間城の城下町としての側面を有しており、このような門前の店店は古くからあったようです。

Himg0491
Himg0504

▼神社の概要図がありました。単色で少々分かりにくかったですが。

御祈祷は午前8時から午後4時まで1時間ごとに行うともありました。

Himg0502

▼左は車祓い所で、交通安全祈願を斎行しているもので、右は楼門になります。

楼門は赤を基調とした実に立派な建物でした。笠間稲荷の実質的な入口として相応しい風格に溢れた建物、そんな感じでした。

Himg0485

▼楼門が立派なので単独で撮ったカットも載せます。

赤色が青空に映えて更に引き立っていました。

袖にあたる部分もかなり色々凝っていて、ミクロで見てもマクロで見ても見応えのある建物です。

Himg0493
Himg0498
Himg0499

▼手水舎

お水で清めるあの場所ですが、、この建物の屋根が亀の甲のようなゴツゴツした感じのもので、ものすごく重厚感に溢れてインパクトがありました。

手水舎でこんなすごい屋根のものってあんまり見た事がないように思いました。屋根と柱のバランスが見た感じ、危なげですらありました。かなり屋根重そうで。

Himg0489

▼境内に藤棚がありました。

この時は8月だったのでこんな感じでしたが、藤が咲き誇る5月頃などはとてもきれいな光景を見る事ができ、GWに行く事がおススメと思います。ただしその分だけ混むとは思いますが…。

Himg0501

▼この建物は絵馬殿です。

明治32年築のなかなか歴史のある建物で、絵馬などが奉納されている所です。

これもまた屋根の重厚さが目立つたてもので、柱とのバランスを見ると大丈夫かな、とついつい思ってしまいます。これだも柱は14本あるそうですが。

Himg0503

▼参拝時にお馴染みの拝殿です。

楼門と並んで、笠間稲荷の象徴的存在で、またここでお祈りをするところとして不可欠な存在です。

この建物は昭和35年竣工の建物で、ものすごい歴史があるわけではありませんが、この奥にある本殿は江戸末期のものだそうで、この神社で唯一の重要文化財となっています。

Himg0495

▼笠間稲荷を出ました。

門前町として栄えた様子を今に伝えているような、神社付近の商店街の様子がここにありました。

全国的な知名度がどの程度かよく分かりませんが、笠間稲荷がどれだけビッグな神社かという事がここに現われているかと思います。

Himg0509
Himg0510
Himg0512

▼ラストはおまけカットです。

街角の一角で見つけたベンチですが、ここに「スノーラック」とありました。だいぶ字が薄く褪せてしまっていますが。

今は亡き飲み物ですが、雪印が1957年に販売開始したビン型の子供用フルーツ飲料的なもの、といえばよいでしょうか(ここにも記されていますが乳酸菌飲料だそうです)

自分も個人的に幼少期に飲んでいた覚えがあり、愛着があります。親が家で牛乳を取っていたので、その延長上で自分もこれを取って飲んでいた格好です。いつ生産中止となったのか調べてもなかなか出てきませんが、まさかこんなところでスノーラックに出くわすとは!でした。

Himg0513

初詣で賑わう笠間大社がこの笠間の最大のウリですが、他にも神社仏閣が目立つようです。これら以外のものとしては「笠間つつじ園」などもあるようです。

2018年11月29日 (木)

JR牛久駅 (茨城県牛久市)

茨城県牛久市のJR牛久(うしく)です

牛久市は、茨城県の南部に位置し、人口は84,785人(2018.10.1現在)です。牛久といえば横綱・稀勢の里の出身地として有名で、またブロンズ立像としては世界最大の120mを誇る「牛久大仏」もあまりに有名な街です。

-JR牛久駅-
【路線】
JR常磐線(日暮里-いわき間)
【開業】1896年12月25日
【訪問】初訪問-2000年1月
【1日あたり平均乗車人員】 12,895人/日 (2017年)
【近隣の主要駅 (日暮里方面)取手駅→3駅  
            (いわき方面)土浦駅→3駅


●駅名標

ここへ初めて訪ねたのが2000年のお正月の事でしたが、今回記事でお届けするのは2016年に15年ぶり再訪した時のものです。なぜ再訪分をupしたかというと、2001年当時は殆ど写真を撮っていなかったからです

隣の駅は「ひたち野うしく」で、これまた「うしく」の文字が入っています。利用者数レベルでいえば、ひたち野うしく駅はこの牛久駅の約半分で、メインはこの牛久駅になります。更に利用者数でいえば、茨城県内の常磐線の駅で6位を記録しています。

牛久の語源は、怠け者の小僧が牛になってしまい、沼に身投げをしたといい「牛食う沼」から「うしく」になったといわれています。

Dscn5726

●ホーム1

跨線橋のない側です。

長く屋根がつけられているのが分かります。

常磐線にのみ属していてどこにも分岐はしておらず、特急「ときわ」の一部列車が停車します。

2面2線のホームで内側に線路がある格好になっています。市の中心駅ではありますが、分岐していないので途中駅のひとつ感がもろに出ていて、特段「ようこそ牛久へ」みたいな感じもあまりなかったです。

Dscn5724

●ホーム2

跨線橋のある側です。

跨線橋というより、改札にもなっている橋上駅舎です。

やはり屋根が長くつづいているのが分かります。

Dscn5723
Dscn5727

●自販機の並び

自販機が5つも並んでいたのが印象的でした。

なかなかこんな沢山の自販機が並んでいる駅のホームはないのではないでしょうか?

少なくとも自分の記憶の中にはなく、思わず撮ってしまいました。個人的に牛久駅といえばこれです!

Dscn5725

●橋の上から

線路を見下ろした様子です。

ガラスにピントが合っていて、向こうの風景がボケてしまっています。

Dscn5729

●ようこそ

駅ホームでなかなか「ようこそ牛久へ」的なものが見れなかったのですが、ホームから上がってようやく見れました。

やはり牛久大仏が前面に出ていました。顔抜き看板式でお出迎えとは!右側のカッパは牛久沼に棲むといわれるカッパです。しかしカッパって実在しないものなのに、皆のイメージが容易につくものであり、その浸透力たるや凄まじいものがあると感じさせられます。なんで居もしない動物?生命体??を皆いとも簡単に想像できるんだよ??と思ってしまいます。

Dscn5728

●駅出て目線

駅西口の建屋2Fから出てペデストリアンデッキ周辺の様子ですが、真ん前にESCADO(エスカード)牛久という複合商業施設がでっかく建っていました。

イズミヤが入っていたのですが、この後2017年2月1日に閉店となっています。これでもちょっと前の写真ですが、刻々状況は変わるのですね。

Dscn5730

●駅前広場

同じく西口ペデストリアンデッキから駅前を見下ろした様子です。

ロータリーが整備されたいかにも関東の都市の駅前という感じです。

デッキの1階段から降りてバス停に至るというルート取りも関東の都市の駅前に多い構造のように思います。

Dscn5732

●牛久駅 駅舎(西口)

メインの西口駅舎です。

2Fから撮ると全体像が掴めないため、下に降りてペデストリアンデッキ含めた状態でも撮りました。

デッキの上はただの通路で、県都の水戸駅のような、そこに色んなものがあるという感じではありませんでした。2000年に初めて来た時と基本変わっていないと思います。

Dscn5733
Dscn5737
Dscn5738
Dscn5745

●牛久駅東口

反対側へ回って、どちらかというとサブ側になる東口です。

出口もやや簡素で、半円くり抜いたみたいなコンパクトな建物に階段が入った形のものでした。

Dscn5747

2018年4月12日 (木)

茨城/鹿嶋 鹿のいる神社

茨城県鹿嶋市、JR鹿島神宮駅からの歩き旅です。

(2011年8月当時)

●駅から…

鹿島神宮駅を背にした形で、鹿島神宮へ向おうという駅前広場の様子です。

この時は2011年夏…、春に東日本大震災が発生し、この鹿嶋市でも多数の被害が発生しており、この駅前広場の床面もブロックがガタガタになってしまっていて、工事用の柵が置いてありました。

この震災ではどうしても東北の被害がクローズアップされますが、関東でもこの茨城では少なからずあり、千葉県にも波及していたという事で、その範囲の広さと爪痕の深さを改めてここで思い知ります。

Himg0072

●神宮への道

って野球の話ではありません。

鹿島神宮への道です。

ここはとにかく鹿島神宮の門前町の要素が濃い所です。

鹿嶋市ですが、鹿「島」神宮なのです。これは鹿嶋市という表記が佐賀県の鹿島市との混同を避けた意味合いがあり、それまで鹿島町であったここの自治体名が市制化されるにあたり鹿「市」となったのは1995年の事でした。

そしてこれは駅前広場から離れて上り坂になっているのですが、夏の暑い盛りに通ると、とてつもなく体力を消耗しました、それが当時の感想です。そんな感じで駅からほぼ400mで鹿島さんです。

道路が整備されているようないないような、という雰囲気ではありましたがね震災直後という背景があったのかもしれません。

Himg0075

●塚原卜伝生誕の地

鹿島さんへの上り坂を歩く途中でちょっとした階段状のスペースがあって、そこには「剣聖」と謳われた塚原卜伝(=ぼくでん<1489-1571>)の像がありました。

この地、当時の常陸の国の鹿島で生誕したといいいます。生没年がこの通りであるとすれば、82歳没な訳で当時としてはかなりの長寿であったのではと思います。それも幾多もの真剣勝負を経験しながら、刃傷が全くなかったという伝説もあり、生死の背中合わせの剣豪として長寿を全うしたのは特筆に値すると思います。

そんなものを横目に見つつ、神宮への道を進みます。

Himg0079
Himg0080

●鹿嶋マンホール

市の鳥キジ、市の花ハマナス、市の木マツというよくある市の〇〇の組み合わせでつくられたマンホールで、色がついてないとキジかハトかよく分かりませんでした。おそらく縞々のところでキジを表現したものと思われます。

Himg0085

●レンガを抜ける

ひたすらレンガ色の床の坂をのぼってきましたが、街らしい?アスファルトの道路へ出てきて、ここには信号もありました。

先の塚原卜伝の幟が並んでいました。当時はNHKでBS時代劇としてまさにそのまま「塚原卜伝」が堺雅人さんの主演で放送されていました。津本陽さんの「塚原卜伝十二番勝負」をドラマ化したものでした。

ご当地にスポットが当たったという事で、観光地に華を添える形でこの幟も立ち並んでいたのでしょう。

Himg0087

●ボール

鹿嶋といえば神宮も勿論ありますが、やはりこれ「鹿島アントラーズ」です!住友金属のサッカーチームが前身で、Jリーグ発足時はジーコなどもいましたし、アルシンドも一時非常に有名になりましたね。

Himg0089

●鹿嶋神宮 看板

さてようやく鹿島神宮です。

まではこの看板から。

主な祭典の時期を写真付きで紹介されていますが、時刻まで記載されているのが何だか新鮮でした。大抵は「何月何日」の表記でとどまっているところですが、全て時刻つきという案内の親切さです。

真ん前に腹のでっぷり出た「布袋さん」が座ってるのも、なんともインパクト大でした。

Himg0090
Himg0091

●門前町の街並み

鹿島神宮前の門前町の街並みです。

鹿島そばなどのお店が出ていました。

この石に埋め込まれた時計も何気にインパクトがありました。

Himg0097
Himg0096

●神宮入口

大きな「鹿島神宮」の石碑を真ん中にしたカットですが、左端が入口になります。

ここにも先程の大看板と同様に主な祭典・行事の紹介があり、ここにも時刻が載っていました。こだわりの時刻載せという感じです。しかし祭典の数もただならぬ多さですね。

Himg0102

●鹿島神宮説明&案内図

広大に敷地に600種もの植物が生育しているとありました。

緑の占める割合が高く、建物はその中の一部という感じがしました。

メインは楼門をくぐっての周辺エリアでしょうか、本殿拝殿宝物館といったものが囲むように存在していました。

Himg0107
Himg0108

●楼門

このすぐ奥がメインゾーンというところですが、この赤を主体としたカラーリングは建物の大きさも相まって壮大な雰囲気満点でした。

この楼門は国指定重要文化財で、本殿拝殿仮殿など多くの建造物が同様に国指定重文という宝の山というか、文化財の宝庫という感じです。

この3年後に「御船祭」という式年大祭があり、その事が看板にも表されていました。1870年に復活したという事ですが、12年に一度の開催という事で現時点では2014年が最新という事です。

Himg0112

●境内

震災発生当年でもあり、被害も少なからずで、復興義援金のお願いという事で呼びかけられていました。

あとは塚原卜伝の看板も。やはりTVの力ですね。

Himg0115

●拝殿

これも重要文化財ですが拝殿です。

祭神は武甕槌大神(たけみかつちのおおかみ)とされ、雷神かつ剣の神とされ、また相撲の元祖ともされるという多くの顔を持つ神様です。当地に因んで鹿島神とも。

ここ鹿島大社や春日大社、そして全国の同名大社にも祀られているといいます。

Himg0118

●国宝 直刀

Himg0122

●拝殿を奥へ

楼門を入って拝殿や本殿等メインの最も賑わったエリアから更に奥へ並木道を進んで行きます。

そこに、この神宮の文字通り奥深い部分が現われるのでした。単なる神社仏閣にとどまらないものがそこにはあったのでした。それがこの次。

Himg0125
Himg0128

●神鹿について

説明板がありましたが、このバックに鹿園がありました。

ビックリしました、単なる大きな神社と思ったら鹿が居るちょっとした動物園の要素も中にあったとは!というところで。単に動物園というのではなく、この神宮の使いが鹿であるという事で「神鹿」とされていますが。

この地は元々香島とされていたのが今の鹿島となったのも、鹿との縁によるものとされており、確かに鹿島って「鹿」の字だよなと初めてここで意識したのでしたって何回「鹿」って書いたのでしょうか?(笑)

Himg0130

●鹿!

奈良でも宮島でもなく、鹿が沢山居ました。

立派なツノが生えたものもいれば、ツノなしもいて、皆それぞれでした。

こんな所で鹿を見れるなんて思ってもみませんでした。

この時拝殿でお参りしたら帰ろうかと思っていたのですが、その先の何もなさそうな並木道をよく歩いて行ったもんだな、と我ながら感心しました。これを見るのと見ないのとでは鹿島神宮に対する印象は全く違ったものになっている訳で。

Himg0141
Himg0140
Himg0134

●さざれ石

最後の写真は…右とか左とかあんまりそういうのはないのでアレなんですが、これは日本国家の「君が代」に出てくる「さざれ石」というものです。この時、それとして初めて意識して見たような気がします。

そもそもさざれ石とは、「小さな石」を意味するといいますが、小石の欠片の隙間を炭酸カルシウムなどが埋める事で一つの大きな岩の塊に変化したものを指すともいいます。これもその姿なのでしょう。でも君が代で歌われているのは本来の「小さな石」という意味だそうです。

Himg0142

2017年12月23日 (土)

茨城/常総 薄暮の水海道商店街

茨城県常総市、関東鉄道/水海道駅からの歩き旅です。

(2011年8月当時)

●水海道案内図

「みつかいどう」と読み、かつてはこの水海道市でしたが現在は合併して常総市となっています。

左側に表示が出ているものは殆どが神社仏閣系です。

ちなみに駅は真ん中下の自転車の絵がある部分のすぐ上あたりなので、これらの神社仏閣へは距離があります。各々駅からの距離を㌔数で書いておりますが、4km、5kmとあり、歩きでは時間がないと困難です。

そんな事もあり、またここにに着いた時間も遅くて既に暗くなりかけていた為、今回記事では駅前の商店街がメインになります。

Himg0103

●駅前バス停

駅前広場にあるバス停です。

他の都市への便も出ていて、土浦駅西口行きもありました。これは6年前の夏のものですが、現在も便があります。ただ、1日2便のみでした。土浦駅までは68分となっています。

あとは岩井ターミナル行きがあるのが個人的に特筆?もので、鉄道駅のない岩井(旧・岩井市⇒現・坂東市)へのアクセスがここからできるのですね。

実は坂東市へ行った時にアクセス方法を調べていましたが、千葉県の野田市駅からバスに乗るというものがあり、それしか頭になかったのですが、ここからも行けるのか、と。1日5便しかなく、時間的にも100分かかるようで、あまりお勧めはできませんが。

Himg0111

●駅前広場と通り

右側が駅になりますが、駅前は線路と平行にこの道路が通っています。

駅前の商店街は、左側の茶色の建物の向こうを左へ入って進む事となります。

薄暗くなってかなり画質悪いです、すみません。

Himg0112

●水海道マンホール

旧水海道市の表記でマンホールがありました。

「I LOVE MITSUKAIDO」の文字が単なる平板なマンホールでなくてよかったです。

市の木カシに停まっている市の鳥ウグイスが配され、そのバックに市の花サクラがある、という構成です。メッセージは他とは違うオリジナリティーのあるものですが、載っているものは割に平板ですね、絵はなかなかインパクトあるものですが。

Himg0114

●ここからが商店街

駅前広場からまっすぐ入って行きましたが、線路と走る道路の方が幹線道っぼくて、駅から伸びるこの道は逆に裏道っぽい様相を呈しています。

そんな中でも色々味のある建物が散見され、そういう意味での見応えはあると思います。

Himg0116

●野村屋

商店街を進んでゆきます。

右側に野村屋というホテルがあります。ホテル野村屋、って表記が不思議な感じでした。××屋、とくると「旅館」がつくイメージがありますが、ここはホテルなんですね。

そしてこういうのを見る度に現在稼働しているかを確認するのですが、現役のようです。サイトもありましたが、2食付6,000円ってリーズナブルですよね、しかも駅近で。クレジットカードが使えないのが難点ですが。

この辺りは駅前にドカンとビジネスホテルが建っているというよりはこういう旅館的な宿泊施設が点在している感じです。

Himg0117

●振り返って

先のホテル野村屋の所まで来て、駅側へと振り返ったカットです。

看板は裏側は野村屋旅館になっていました。なんや「旅館」やん、と思いましたが、それは別にどっちでもよい事ですね。

商店街の街灯が青緑っぽく多数光っていました。

街の様子を鮮明に撮りたかったのですが、それとはまったく縁遠く、辛うじて様子が分かる限界点にまで、時間的には来ていました。これ以上はほぼ撮れないかなと。

Himg0119

●不思議な空間

上の写真から更に進んだ所です。

稲荷神社?的なスペースが未知の両サイドに現われました。

正直、常総市で見た個人的に最もインパクのある所でした。写真がぼやけてるんで何も伝わりませんが。

Himg0122
Himg0123

●看板

珠算教室の看板がありましたが、おそらく昭和の頃に描かれたものでしょう

こういう歴史遺産は残しておいてほしいですね。

Himg0125

●昭和感満載

最もこれを感じたのがこの辺りです。

いくつかは確実に現役ではないだろう、と思って見ていましたが、これを昼間の鮮明な写真として残したかったですが、こんな具合なので余計に古めかしく見えるかもしれません。

ボロボロの飯屋の看板に「定食」の幟、それにコカコーラのロゴにと…。

Himg0129

●駅通り商店街

の店店がゲートに記されている部分です。

人通り僅かのゴーストな感じの通りにシャッターで閉まった店の面々…。

建物の威圧感もものすごかったです。

Himg0130

●江戸屋薬舗

最後はこの写真です。

右側に写っている立派な建物についての解説がありました。

「江戸屋薬舗」という事で、1700年創業し、江戸表へ米穀類を送ってその帰りの船で、薬草類を持ち帰ったそうです。江戸の薬を売っていたという訳ですか。今のこの建屋も江戸末期安政年間のものというので貴重な文化遺産です。

薄暮どころかかなり暗くなってきている中でも写真を撮って、更にはこのように記事として晒しているのは他ならぬこの街の風景が懐かしさに溢れていて、それを伝えたいからです。

歴史に思いを馳せながらこの水海道の街を歩けば、きっと目に見えるい゛鐘に深い旅が味わえるのではないでしょうか、という事でこの記事の結びとしたいと思います。

Himg0134
Himg0135

2017年8月 6日 (日)

茨城/那珂 茨城県植物園ここにあり!

茨城県那珂市の旅の様子です。

(2017年7月当時)

●茨城県植物園へ

いつもは駅からの歩き旅がメインですが、那珂市ではそれまで上菅谷駅の前までちょっと出ただけで悪天候もあり帰ってしまい、街の様子をまともにお送りできる要素がなかったので、先月ピンポイントに行ってきました。

8:00に神戸空港を発って飛行機で1時間ほど飛び、9:00過ぎには茨城空港に着き、10:00前に水戸駅行きのバスに乗って約40分、11:15頃の水戸駅発の水郡線に乗って11:40頃に上菅谷駅までやってきました。

上菅谷に着いたものの、やはり駅前に目ぼしいものがなく、12:00前に上菅谷駅に停まっていたタクシーに乗って、この茨城県植物園までやってきました。上菅谷駅はタクシーが常時停まっている訳ではなさそうなので、その辺は要注意です。また、この植物園の最寄駅としては同じ市内の瓜連(うりづら)駅の方が近いのですが、そこからでもタクシーで約10分だとかで、電車だと水戸から上菅谷までは本数もあるのですが、ここから先があまりアテにならなかったので確実を取って上菅谷に来てタクシーに乗りました。

タクシーで15分強かかってこの値段でここまで来ました、帰りはタクシーを電話で呼びましたが、タクシー代だけで5,000円くらいかかりました。

Dscn9831_2

●案内地図

茨城県植物園に着き、駐車場付近の地図群に植物園の案内図と茨城県の観光案内地図がありました。

上側は植物園の見取り図です。1981(昭和56)年に開園された県営の植物園で広さは約81ha(=約810,000㎡)という事で、これは長方形ですが、正方形でいうと900m四方と同じ広さになります。この形通りだとすると1.2kmあまり×0.6kmあまりというところでしょうか。

下側の写真は茨城県の中でも那珂市にスポットを当ててのカットです。線路がY字状になっていますが、この交点にあるのが上菅谷駅です。瓜連駅の方が近いのが分かりますが、便が減ると共にタクシーが停まっている確率もグンと落ちると思われ、上菅谷から行っても不正解ではないと思いました。

ちなみにバス便では、ここから徒歩20分くらいかかる地点が最寄り停留所であり、便も殆どない為、バスでのアクセスはかなり望み薄と思った方が良いと思います。少なくとも夏はバスに乗れても、そこから20分も歩こうという気になれませんでした。公共交通機関頼みならばタクシー一択と思います。

アクセスについては下の3枚目の写真にもあります。那珂市の施設見学を中心とした観光をしたいならこのエリアがおススメというところです。

Dscn9832
Dscn9834
Dscn9979

●植物園前

下に二枚ある写真の上側の方は駐車場の出入口で、この向こうから入る形となります。

下側は園の入口で、向こうに写っている建物の所で入場料(大人1枚300円)を支払います。人の気配はというと…本当にこんな感じで、少なくとも人で賑わって入場を待つという事は皆無でした。むしろタクシーを降りた瞬間「閑散」の2文字が真っ先に思い浮かぶほど、ちょっととんでもない所に来てしまった感がありました。

Dscn9836
Dscn9837

●入場

\300払って入ってみました。

辺りに人の気配がまるでなし。そんな中を沢山の花壇が並ぶ景色が続いていました。

ただの花の咲く公園なのか…??と思いつつ歩を進めていました。

Dscn9839

●沈床園

約600種、5万本を数える大量の植物が管理されているという、この園の入口を飾るというべき序章的な部分です。きちっとした型枠内に植えられて咲いている植物群と、向こうには大きな噴水があります。

Dscn9843
Dscn9851
Dscn9847
Dscn9850

●レストハウス

沈床園をまっすぐ進んでから右に折れて行き着いたレストハウスです。

歩いているうちにトイレに行かなければ!という事態になり、そのトイレを探していて行き着いた場所です。クーラーが効いていて夏は避暑にも良い場所です。しかし中には誰も居ませんでした。

居たのは、このトイレのある部屋の廊下を隔てて向こうにある「緑の相談室」という部屋に職員らしき方ぐらいです。この相談室は庭木の管理や、病虫害の防除などの相談を受けているところといい、全国にそのような団体があるそうですが。

小学校の校外学習の場としても使われており、その写真が展示されていました。

Dscn9854
Dscn9853
Dscn9856

●外周

をグルッと回ってみましたが、ここは両サイドを何がしかの植物が覆っている状態でした。木についての説明板もしっかりありました。広すぎてどこまで進んで行けばいいのか分からないほどです。

Dscn9860
Dscn9862

●横を見れば

外周を歩いていて、内側にこのような芝生の広がりも見えました。

こういうの見ると個人的には「ゴルフできるじゃん」と思ってしまいます(笑)

Dscn9865

●展望塔

歩いているうちに出くわした「展望塔」です。

昭和感丸出しのコンクリート色そのままの建物にバラのような花の絵がドット状に描き込まれています。 

階段を上るごとに各階層に展望スペースがありますが、ただそれだけの施設です。エレベーターは付いていないので自力で上るのみです。

Dscn9876
Dscn9882
Dscn9886
Dscn9893

●展望塔からの眺め

近くに熱帯植物園があるのが見えます。

あとは松かさの若いのも見えました。

ある程度の高さはあって眺める事は出来ますが、周囲を一望というまではいかずで、緑に覆われている印象ばかりが強かったです。

Dscn9888
Dscn9885
Dscn9889

●茨城県熱帯植物園

植物園の敷地内にあります。敷地内で最も立派な建物でもあります。

熱い中歩き続けて来てやっと避暑できる、と思い入って行きました。

入口にいろんな掲示物があり、また自販機もここにはあります。

それまでの道のりでほぼ人の気配なしの所を歩いてきて、ここも入ったところに人がいた訳ではなく、無料でそのまま入って行けました。ただここでは何人かの人にはすれ違いました(笑)

「猛禽ふれあいタイム」なんてあるんですね。フクロウや鷹などを手に載せて写真が撮れるとありました。

Dscn9896
Dscn9899
Dscn9898
Dscn9902

●シアタールーム

30分ほどの映像を2テーマ、1日に2回ほど上映されていました。

つまり稼働時間は2時間ほどです。

テーマは「四季が育む命の山々」と「森に生きる」というものでした。

偶々入った時は上映中でしたが、見ていたのは2人だけでした。

Dscn9904
Dscn9905

●胡蝶蘭など

シアタールームを出たところがこのような展示スペースになっていて、熱帯植物の鉢植えが並んでいました。

中でもひと際目を惹くのが、この胡蝶蘭でした。

Dscn9906
Dscn9907

●カブトクワガタ展示

主に熱帯のカブトムシ・クワガタムシの展示が、植物の展示の隣にありました。

なんといってもやはり最大のカブトムシ「ヘラクレスオオカブト」に目を惹かれます。

身体も大きいですが、凶暴という印象が個人的には強くて、初めてこのような外国産のカブトムシを飼った時にオスを掴もうとしたら胸と腹の間の継ぎ目(色の変わっている境目の部分)で挟んできたのは大変驚きました。日本のカブトムシのオスはちょうど掴みやすい突起があって扱いやすい訳ですが。

Dscn9909
Dscn9911

●熱帯植物館ゾーン

本施設のメインの場所ともいうべきゾーンです。ジャングルゾーンなど、そこに迷い込んだかのような気分を味わえます、通路を除けば(笑)

でもやはり両サイドに、所狭しと生い茂る植物群には圧倒されます。

Dscn9914
Dscn9916

●コーヒーの実

アラビアコーヒーつってどっかの商品名かと思うくらいですが、コーヒーの実もありました。

「ただいま開花中」つて事で実を見る事も出来ました。こんな赤い実があのコーヒーになるなんて…という感じですね。

Dscn9921
Dscn9922

●更に進む

ぐるぐる回っていくうちにいろんな景色・植物に出くわします。

滝状になっているところもあり、複数階層にわたって楽しむ事ができ、なかなか侮れない施設です。これだけの維持をしようと思うと相当な費用がかかると思いますが、1人300円で観光客もあまりいなさそうで大丈夫かな??と勝手な心配をしてしまいます。

入場者数は年間約6万人だそうで、1日平均160人くらいになります。そう考えたらあんまり多くないのかな、と感じますが。

Dscn9924
Dscn9934
Dscn9938
Dscn9941
Dscn9943

●カメ

歩いているうちにこんな大きなリクガメにも出くわしました。と思ったら小さなカメも居ました。

ギリシャリクガメ「リクくん」(小さい方)とケヅメリクガメ「メリーちゃん」(大きい方)だそうです。これでも同い年だそうで。とりあえず大小比が分かるように両者のカットも撮りました。

小さなカメを飼ってた時はかわいい餌をやってたんですが、大きなカメになると食うもんが違うな、と思い知りました(笑)

Dscn9945
Dscn9949
Dscn9947

●マンゴーの樹

大好きなマンゴーがあったのでこれも撮りました。

10℃以上確保できれば一般的な鉢植えと同環境で栽培可能とありました。

Dscn9952
Dscn9953

…植物園といいながら動物も少なからずいて楽しめる要素が意外とあったなと感じました。

那珂市で楽しめる施設…??(ってあるのかな??)と行く前は疑問符ばかりが頭にありましたが、タクシーを要するものの行ってよかったと思いました。これはなかなかの施設です。

2017年7月31日 (月)

JR上菅谷駅【新】 (茨城県那珂市)

茨城県那珂(なか)市のJR上菅谷(かみすがや)です。

この駅は以前にupした事があります(⇒コチラ)が、今月の連休を利用して2010年以来7年ぶりに再訪問して、新駅舎になっていたので、最新版としてup致します。

●駅名標

前回との違いは上端に「奥久慈清流ライン」と冠されている部分です。2010年当時はこれはありませんでした。これは2011年に付けられた愛称だそうで、前回訪問以後の間に変わった事のひとつです。

Dscn9816

●ホーム

この辺りは前回とさして変わりないかもしれません。

両サイドの屋根とプラスチックの折り畳みベンチと、横には自販機と…といった具合で。

水戸からここへ行く際に、手前に下菅谷、中菅谷、そしてここ上菅谷と繋がっていくのですが、これらの駅間はいずれも1kmそこそこで、下菅谷から電車が出たと思ったらすぐに中菅谷へ停まり、中菅谷を出たと思ったら加速もままならないうちに上菅谷へ停まる、といった具合です。歩いてでもいけるのかな、という感じです。あまり便数がないので、いざという時はその事も可能性として考えつつ、ここを訪ねました。

Dscn9817

●向いホーム

これは島式ホームの向かいにあるホームで、駅舎から一番遠い所にあります。前回2010年当時もあったと思いますが、雨天であったり、電車が停まっていたりで撮れる状況になかった(今思えば)と思います。

大抵は、駅舎側にこのような1面1線ホームがあって、向かいに島式ホームがある構造ですが、この駅の場合は駅舎から構内踏切を渡って、島式ホーム、1面ホームの順に並んでいます。

Dscn0023

●入口からホーム

これも変わった訳ではないと思いますが、前回撮れてなかったので。

これが構内踏切で、これを渡って島式の1・2番ホームへ行くか、さらに奥の3番ホームへ行くか、になり、ホームへはスロープ状になっています。

踏切は交互に短い柵がされていて、バリアフリーからいえばかなり厳しい仕様です。駅舎は建替えたものの、内部は殆ど手がついてない(変わってない)のかな、という感じでした。

Dscn0016
Dscn0017

●駅前道

前回記事でもほぼ同じ視点のカットがありましたが、区画はキッチリ整備される形となっています。前回は結構ラフな感じで、駅前に何かある気もしなかったので。

今も特に何があるとは言い難い状況ですが、2010年当時は過渡期だったのか柵がされていたり、「これから変わるのかな??」という感じであり、だいぶ綺麗にはなりました。何か商業施設とかできたりしないのでしょうか?全く気配なさそうですが…この那珂市というのはどの辺りが栄えているのか??ようとして知れませんでしたが、駅前はどこも住宅街みたいな印象ばかりでした。少なくとも中菅谷、下菅谷辺りは…。

Dscn9823

●上菅谷駅 新駅舎

2014年1月に供用開始となった新駅舎です。

前回訪問が2010年で、これが2017年の姿につき、ちょうどその間に新駅舎になっていました。旧駅舎は今の建物のすぐ手前に建っていた昔ながらのものでしたが、これが残っていないのは残念です。

しかしおよそ市の中心駅の駅舎とは思い難い規模であったので、このリニューアルは良かったと思います。ただの駅舎から幾分大きくなって2F建てにもなり、市の中心駅アピールし出したのかな??という感じですが。茶色い部分が駅事務室だそうです。

床も綺麗に舗装され、ロータリーもしっかりできて、実に見事に生まれ変わっていましたが、相変わらず駅前には何も印象でした。が、少し歩けばコンビニがありました(駅出て最初の交差点に)

前回訪問時は雨天および駅前の何もなさに失望し、ほとんど歩きもせずに立ち去ったので今回はリベンジ機会でした。ここだけでなく那珂市の旅もようやくできたので何よりでした。

Dscn9826
Dscn9824
Dscn9822

2016年8月20日 (土)

茨城/坂東 まさかどのまちかど

茨城県坂東市、茨城県の南西部、千葉県と接する形で位置し 人口は53,777人(2016.6.1現在)で、2005年に旧・岩井市と猿島町とが合併してできた新しい市です。坂の東、ということから、あるいは市内を流れる利根川が坂東太郎と呼ばれていたことから、この市名になったそうです。

鉄道の通っていない市であり、駅のない市はそこそこありますが、鉄道自体が通っていない市は全国でも数えるほどしかないそうです。

upしたと思っていたらしておらず、今気づいてあげる事にしました。

(2013年10月当時)

アプローチ

茨城県は鉄道のない市が何故か多く、ここもそのひとつです。他の市としては、行方(なめがた)市、稲敷市、かすみがうら市、神栖市と関東にありながら異様に多いです。小美玉市も中心駅が無くなった形で、明確な中心地ではない駅が存在するだけの形になっています。

冒頭で千葉県に接している、と書きましたが、同じ県内の神栖市では千葉県は銚子駅からアプローチしましたが、ここ坂東市では千葉県野田市駅 からの鉄道アプローチでした。

野田市駅を出てすぐのところにバス標識が立っているので、この2番線というところにいれぱやってきます。岩井車庫行きのバスに乗ります。今から約3年前の様子であり、今も変わっていなければですが…。

とりあえず、岩井市への公共交通機関でのアクセスはこれがメインです。バスの本数は1時間に1本で、のがしたら1時間待ちになるので、あまりなかったですが近くのお店で食べるか、キッコーマンの工場周りを散策するかです(笑)

この時は、近くの「樹林」さんというお店で味噌ラーメンを食べました。

Img_9282

●岩井局前バス停

野田市から県境を越えてバスに乗ってきた訳ですが、坂東市でどこに降りようか?というのがありました。つまり、どこで降りればそれなりに中心地街を歩けるのか?という事で、選んだのがこの「岩井局前」。旧・岩井市の名のついた「岩井郵便局」の前です。

下側の写真のようなこんな感じで、色んなバス停標識が立っていました。

個人的にはここが、「関東地方で最後に訪ねた市」でした。ここ坂東市こそが記念すべき関東の市全制覇の地なのです。茨城県は関東の県庁所在地でも最後に訪ねたところ(2007年)であり、また鉄道駅のない市が多く、とりわけ難関であったので、感慨深いものがありました。

Dsc08205
Dsc08207

●降り立った場所

の様子です。

完全な市街地、街の中で、とりあえずそこそこの賑わいがあってよかった、そんなところでした。間違って変な所で降りてしまって、なんにもない…なんてことは今でもよくあるので。

とりあえず、1時間に1本しかバスがないので、帰りの時刻は要チェックです。

野田市駅からの所要時間は約20分、料金は600円とありました(すみません、忘れたのでサイト見ました)

改めて、アクセスまとめます。

東武/野田市駅から「岩井車庫」行バスにて「岩井局前」下車
             (1時間に1本。約20分600円)

     ※岩井局前の前後のバス停でもそれなりに街の所で降りられます

Dsc08204

●岩井郵便局

バス停の前にあった坂東市の中心局です。

茶系のゴツッとした建物が印象的でした。

上層部が重い感じの建屋で、妙なバランス感?があります。

Dsc08209

●仲町十字路

という交差点ですが、上のまん丸いモニュメント?はかなり目を惹くし、カメラ持っていたら「撮るしかないだろう」という感じでした(^^

このグルッとした中に巧みに標識を取りつけていたりします。

Dsc08212

●マンホール

平将門をイメージしたとものと思われますが、郷土の英雄として語られ、「将門まつり」なるものも毎年11月に行なわれているといいます。将門は「新皇」を名乗り、ここ岩井の地に政庁を置いたという事で、当初は「朝敵」としてのイメージが色濃く、のちに朝廷の横暴さに立ち上がった英雄へと、時代によってかなり評価の変わっている人物のようです。我々教科書で勉強した身としては、やはり朝敵のイメージが強かったですね。

下の部分は「坂東太郎」との別名を持つ利根川ですね。

Dsc08213

●センターモール

降り立った道路はそのように名づけられていました。

それに関しては「へぇ」という感じでしだか、そこの標識にある住所表記が「岩井市岩井」となっており、旧自治体名で残ってるな…と思って撮りました。

Dsc08216

●本町バス停

国道354号線上を北西へと進んで行きます。

先の仲町十字路の辺りがこの市の中心的エリアのようで、これを外れていく形になってきています。それでも本町というだけあり、まだまた中心的な雰囲気の街並みではあります。

Dsc08219

●交番西交点

国道354号が県道20号と交差し、また国道が続いていくという地点です。

3年前の写真ですが、コナカもガストもまだあるようです。入力(街歩き)の多さに比べて出力(ブログup)が追いつかないので、どうしても鮮度の低い記事が多くなってしまい、それもあって一応現存しているか否かはそれなりに確認しているつもりです。最近量販店の淘汰が特に激しいので…

Dsc08225

●とある店先

国道354を北西へ更に進むと、かなり穏やかな雰囲気になってしまっていました。

そんな中で見かけたポスターです。

将門つりは先述のとおりですが、これがまたカッコよくつくられていました。

一方は畳のポスター、ここは畳屋さんですね。このポスターは「全国畳材料卸商組合連合会」というところの作成だそうです。女性が誰なのか?は…分かりませんでした。これは別にご当地のものではないですが。

Dsc08229

●マンホール2

更に歩いているうちにもうひとつのマンホールを見つけました。むしろこっちの方がメイン?かもしれないです。最初の柄のマンホールが検索してもなかなか出てこずで。

で、このマンホールはかなりゴチャゴチャした印象をうれましたが、市の鳥であるウグイスがまず載っていて、市の木ケヤキと市の花チャノハナが載っている形でしょうか。真ん中は坂東市の「ば」が据えられていて、これだけはハッキリ分かりました。

Dsc08233

●ホコテン規制

坂東では、月に一回「坂東ホコテン」というイベントがあり、7月と11月を除く毎月第4土曜日に行われています。2010年5月から始まったそうで歴史はまだ浅いですが、この辺りのエリア活性化の為にスペースを有効活用頂こうという趣旨のようです。

ということでサイトがでていました→コチラ 

Dsc08241

●秀録

「しゅうろく」という、この裏手の表示に引き込まれてやってきましたが、酒蔵!

独特の佇まい、酒蔵というのも街を旅していて、大変得した気になる貴重なところです。その年季の入った風景を目にするだけで「来て良かった!」となるので。

ところが…

このお酒の醸造元の「大塚酒造」なるところが、2011年5月をもって後継者難等あり廃業していた、というのです。この写真はその2年半後で、既に廃業していたとは知らず…眺めていたのでした。

Dsc08245

●とことん将門!

この時は生誕1111年記念事業なるものがあり、通常の将門まつり以外にもこうして盛り上げられてきたようです。英雄として、また反逆者として、様々な捉え方をされる将門ですが、こうして後世に名を残していってる事自体は素晴らしい、とただただ思います。

Dsc08251
Dsc08269

坂東は将門の町、です。

2016年8月10日 (水)

茨城/常陸太田 坂を上れば鯨ヶ丘!




茨城県常陸太田市、JR常陸太田駅からの歩き旅です。

(2013年10月当時)

●駅からの道

新しい駅舎となっていた駅を一通り見た後は町へ出ました。左に覗いて見えるのは、駅前のバスのりばの庇です。

ここからどこをどう歩いたら、ご当地らしいものに出会えるのか?全くの手探り状態でのスタートでした。

まず最初はこの右側の道路を向こうに進み出しました。

Dsc07817

●マンホール

「やまぶき」という表記が見られます。別にここがかつて「やまぶき」という地名・自治体名であったとかは一切ないようです。「山吹運動公園」や日帰り温泉は「やまぶきの湯」というのはありますが、ここと山吹の関係性が今ひとつよく分かりません。市の花がやまぶきであるという事で、ここでも全面的にあしらわれていますが、まるで自治体名かの如く表記されているのは甚だ納得のし難い部分がありました。

「ひたちおおた」とか「おおた」とか表記されているマンホールはないか?とネットで探すも見受けられませんでした。カラー版は山吹色のようです。

Dsc07819

●古き良き日の…

建屋群に早速出会えました。

駅前の道からまっすぐ行って程なく、そのまま直進する道と右斜めに上っていく道との分岐点辺りのこの光景はありました。

コンクリート製のゴツゴツしたこじんまりとした建物、コンクリートの黒ずんだ感が年季を物語っていて、思わず足を止めたくなる光景でした。

Dsc07823
Dsc07822

●福祉会館入口バス停

2つに分岐した駅前の道路の左側の平坦な方を進んでみました。

平坦な道でまっすぐ来た感じだったのですが、道路の連続性でいうと、それまで県道を通ってきていたのを、分岐点の部分でそれた格好になったのがこの道路の方で、上の写真での右に分岐して坂を上っていく道は県道として続いている形になっているのでした。

この時はまだ、こちらの方が本流の道路だと思いながら歩いている真っ最中でした。

Dsc07828

●かわねや前

というバス停に来ました。

上の写真から少しだけ進んだ地点です。

左向こうに「かわねや」というスーパーがあり、その前のバス停という事ですが、かわねやは明治の創業で、ここ常陸太田に本部機能を持ち、5店舗が運営されているといいます。売上高は96億円ということで、この店舗数にしてなかなかの規模かと感じます。

Dsc07834

●鯨ヶ丘トンネル

この訪問の前年にあたる2012年7月17日に開通した新しいトンネルです。

トンネルの上は中心地的な賑わいを見せるエリア(この丘自体が「鯨ヶ丘」 )ですが、この時はそれをつゆほども知らずに、ただただこの辺に何があるか?と思っていわば下道を歩いていた格好です。

トンネルの全長は128mと実に短いものですが、それまで通じていなかった部分を貫いたこのトンネルの重要性は今後増していくのかもしれません。

Dsc07838

●上りゆく…

駅方向へ戻って、駅前の道を右にそれて上っていきます。

結局、先程までの地点でこれといったものが見つけられず、中心市街的なものも分からず、ここを入って行くととどんな通りに出会うかと思って進んでみました。

なかなか古風な建屋が続いていて、これだけで妙に惹かれるな…と思いながら、坂を上っていったのでした。

今どきはスマホの地図なりで調べれば分かるんですが、そこをあえて知りたくないというか、知らずにピュアな感覚で様々な景色に出くわす事を大事にしたい、と思う気持ちも結構強いので、明確にここを訪ねると決めている時は勿論調べますが、あえて知らぬが華で進める旅も大変楽しい、と感じる訳です。

街灯が続いているところに、商店街っぽい雰囲気を感じましたが、これで中心街に出るのか、はたまたこれが廃れきった姿なのか…?まだ分からずでした。

Dsc07841
Dsc07842
Dsc07845

●下井 水天宮

坂を上っていく途中で出くわしたものです。

初めてといっていいほど、地場の独特のものに出会えた、そんな感じでした。

鯨ヶ丘には七井(ななせい)と呼ばれる井戸があったといい、ここはそのひとつですが、昔の通りに残っているのはここだけです。

幕末の1857年に御神符を受け、水神様を祀っているという事ですが、現在のお宮は昭和9(1934)年に史跡保存会を結成して新築したといいます。しかし老朽化が目立ち、平成16(2004)年に再度、神宮奉賛会を結成して、「原形を極力保ち、50年以上保存できるように」という事で竣工したそうです。

Dsc07848

●更にのぼる…

坂が段々急になる感じで、この先行っても大したものには出くわせないのかな?このまま引返して近場だけ歩いて満足する事にしようか?とかなり思っていたところでしたこの時…。

Dsc07852

●旅は終わらず

坂を上り切って、これといったものが見つからなければ、このまま引き返そうと思っていました。しかし…

上り切るや否や、このような光景が広がっていて、ミニ公園のようなスペースにイベント用のステージもあり、「鯨ヶ丘」の碑も前面にあったり、この辺こそが旅して巡るべきエリアなのが、と痛切に感じられました。

もし、横道それてちょっと歩こうという気にならなかったら、適当に駅の前だけ歩いて帰っていたかもしれません。諦めようと思っていたところでちょっと頑張ってみると、こういう光景に出合える、本当にそんな感じでした。人生のシーンにも言えるような事を体現できました。

Dsc07853

Dsc07854
Dsc07858

●鯨ヶ丘散策図

このあたり、やはり町の中心地らしく、このような案内図が出ていました。

先述の太田七井に加えて、「七寺」「七坂」などというものも定められているようです。

見どころもこの辺りに集中しています。

それまで、ここに何があるのか?歩いてもなかなか見つけられない感があったので、俄然旅のモチベーションが上がったという訳です。何も知らないところから、こうして見つかるのがなんともいえない幸福感があり、個人的な知らない街の旅の大きな醍醐味でもあります。

Dsc07856

●石窯

これは東日本大震災で被災し処分された大谷石を再利用してつくられたものです。

待ちの元気を取り戻すためのモニュメントの役割を果たしている、と書かれています。震災を風化させない為に。

茨城県も少なからず被害を受けているので、この事を忘れない思いは強いのかと思わされます。「がんばってます常陸太田プロジェクト」なる団体の手によりここに設置されています。

ちなみに大谷石は「おおやいし」と読み、軽石凝灰石の一種という事で、いわゆる軽石ですね。主に栃木県宇都宮で採掘されるもので、外壁や土蔵の建材として使用されるものだそうです。耐火性に優れ、軽くて柔らかいという性質の為に使われているのですね。

前面だけ見ると、灯籠石の下半分のようにも見えますが、裏から見ればこの通り、釜であることが分かり、薪割りされた木材も用意されています。

Dsc07860
Dsc07862

●鯨ヶ丘ふれあい広場説明板

最後になりますが、このような説明板がありました。

この辺りでは、今から約900年前の平安時代に藤原道延という人物がお城を築いたといわれています。この人物は藤原秀郷の子孫で、築いたお城は太田城といわれ、当初は太田大夫と称していたそうです。後には佐竹氏が入り、長らく城主の座を務めていたといい、平安末期から江戸初期(この時期に廃城)にまでおよぶ長期間であったといいます。

特段遺構らしきものはないようで、城址の碑があるくらい?それでも関東七名城のひとつというので、これまた驚きです。

この広場が整備されたのは2008年の事で、市民協働によるまちづくりの想いに支えられ、その結晶としてここに存在しているという事ですね。常陸太田きっての歴史あるエリアでありながら、ここが近年新設されたように新ランドマーク的な役割も果たしているのかな?と思ったりで、常陸太田の駅に来たら、ここへは一度寄るべきかな、と感じた次第です。

Dsc07863

より以前の記事一覧