2017年8月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
無料ブログはココログ

04宮城県

2017年5月 4日 (木)

仙台空港鉄道/仙台空港駅 (宮城県名取市)

宮城県名取市の仙台空港鉄道/仙台空港(せんだい・くうこう)です

名取市では、JR名取駅 をupした事がありますが、これ以来の名取市の駅記事です。

-仙台空港鉄道/仙台空港駅-
【路線】
仙台空港鉄道 仙台空港線(名取-仙台空港間)
【開業】2007年3月18日
【訪問】初訪問-2014年11月
【1日あたり平均乗降車人員】 4,535人/日 (2015年)
【近隣の主要駅 (名取経由仙台方面)名取駅 →3駅、仙台駅→7駅
           (名取経由福島方面)岩沼駅→5駅



●駅名標周辺

とかくアクセスが問題になりがちな空港ですが、鉄道駅としてあると非常に便利であり、そんな空港駅のひとつです。他に空港駅で思いつく所といえば、成田、羽田は実は行った事ありませんが、存在するでしょうし、関西空港、新千歳空港、神戸空港、セントレア、米子空港、宮崎空港、那覇空港…etcでしょうか。機能している空港の数からするとまだまだ少ないです。

「仙台空港アクセス線」の愛称をもつこの路線の駅は2007年開業と比較的新しく、仙台空港駅と名乗っていますが、所在地は宮城県名取市であり、当駅と名取駅までの7km程度が仙台空港鉄道線に属しています。ここから名取駅を経てJRに入り仙台駅まではトータル7駅となります。といっても仙台駅までは直通乗入れするので乗換は不要です。また、名取駅と仙台駅しか停車しない「快速」もあります。

その仙台駅までは各駅で30分程度、快速だと17分ほどで着きますが、快速は1日全80本程度のうちわずか4本しかなく、先日偶々快速に乗る事ができましたが、やはり速い感じはしましたね。普通に考えたら仙台までの所要時間は30分と認識しておいた方が良いと思います。また、ダイヤ的にもそんなに頻度がなく、1時間に2、3本ほどです、待っているそばから次々に来るという感じではありませんsmile

開業してまだ10年という事ですが、その間に東日本大震災があり、本路線も被害を受け、全線復帰するのに約半年を要したといいます。かかった費用は30億円とも。当時まだ開業4年ほどだったと思いますが、最初から厳しい局面を迎えた訳ですね。

写真は初訪問時の2014年11月当時のものです。実は数日前にも行ってきたばかりですが、この辺りの風景は殆ど変わってなかったです。ただ開業10年の歩みの展示をしていましたので、今行かれたらそのパネルは見られると思います。

Dsc05781

●ホーム

1面2線のみの半円状の屋根が印象的なホームです。

骨組みがずーっと続いていって、真ん中の柱がまたいい味出しています。

手前が改札側ですが、階段も何も無く、そのまま右に曲がる形で改札へ至り、更に右に曲がって、つまりこのホームと平行に通路があり、これが空港へと繋がっていきます。

Dsc05780

●改札内

改札を入ってすぐの地点です。

左側がホームで、1番線2番線とそれぞれ矢印表示されていますが、そのまま進めば右側に1番線があり、左側に2番線があるのみで、階段もエスカレータも何もなく行く事ができます。また終着駅につき、仙台への電車がただ出ているのみで、本数的に発車が何十分間隔につき乗り間違う事もありません。

右側はトイレがあり、またこの写真右端に覗いて見えるのは待合室です。

先日訪問時は手すり?の辺りに沢山看板がありました。

Dsc05774

●改札外

こちらは改札を出た直後の周辺の様子です。

大きな窓とステンドグラス調?ジャンル的によく分かりませんがアートが印象的でした。

左下の電車のセットは今もまだありますが、ここより少し10mほど?出口寄りに移転されていました。日付が入っているので来場記念写真用と思われます。

電車の右側の女性は「鉄道むすめ」として、「社みなせ」というキャラクターだそうです。この名前にはこの仙台空港鉄道線の駅名が詰め込まれていて、社せきのした、美田園、名取、仙台空港のそれぞれ頭文字をいくつか取って、という感じですね。

色んな所にこのようなキャラクターがあるようですがトミーテックが中心となって展開しているのだとか。東日本に行くと、そこかしこで見かける印象がありますが、関西ではあまり見ないですね。鉄道ヲタの中ではたとえば、「〇〇ちゃんに会った」とかコンプリートしたとかそんな感じで楽しむもんなのでしょうか。

Dsc05772

●エスカレータ

駅は2F部分にあり、地平からはエスカレータが出ています。駅と空港も通路で繋がっていますが、地平に下りる時はこれを利用します。

ちょっと分かりにくいのですが、「東日本大震災」として左側に貼ってあります。当時この地にやって来た津波の浸水した高さです。これでもエスカレータの途中ですが、真ん中とまで行かずとも結構な高さのところにありました。勿論当初はこのようなものがなかった訳ですが、これをつけざるを得ない状況になってしまったのが悲しいですし、やはりこれがただの伝えで終わらずに、風化させることなく教訓として存在を放っていてほしいところです。

Dsc05768

●空港とジョイント

右側が当駅で、空港と繋がっているのが窺えます。2007年にできたばかりの駅なので、いかにも後付け感が見て取れますが、駅ホームから空港までほとんど段差なくアクセスできるのは素晴らしいところです。

国内線がこの位置にあり、向こうに国際線があります。東北地方を代表する国際空港として、国際線では上海やソウル、台北などアジアを中心に、他にグアムへの便も出ています。ただ各路線で毎日便が出ている訳ではなく、上海は週2日、台北は週4日といった具合で、その辺りは発着日を考えなければならないのが現状です。

Dsc05760

●仙台空港駅 駅舎

外観はちょっとごつい感じですが、ここから左側へシュッと細くなって通路部分が続いていき、空港へのジョイント部分と、地平へ降りていく部分と分かれていきます。多少の待合スペースと後は通路のみの駅という感じですが、大半は仙台空港へ行ってしまう訳で、ここ自体でそれほどスペースを取る事はないかな、というところでしょうか。

このような立方体に近い形の駅って逆にあまりなくて新鮮な印象も受けました。震災を乗り越えて東北地方のメインの玄関としてさらなる発展を遂げていってほしいものです。

Dsc05762

google-site-verification: google22aeabd635af50a1.html

2016年9月 8日 (木)

宮城/塩釜 塩釜から西塩釜への道

宮城県塩釜市、JR塩釜駅周辺の様子です。

(2009年8月当時)

●マンホール

塩釜市のマンホールです。

ここ塩釜で巡った場所が実は殆どなくて、JR塩釜駅と、別の線で近くを走っている西塩釜駅への移動のみです。それも結構短距離で。塩釜は港町なのは前々から知っていましたが、ここが実際どんな暮らし向きか、知ってみたいてす。行っておいてこう書くのは何ですが、ホントに殆ど滞在していませんでした。

マンホールは市の花であるシラギクを全面にあしらったものです。デザイン自体は何の変哲もない…と思ってしまいますが、よく見ると真ん中下に「東玉川」なる文字があります。ここが他の自治体と違う点で、この枠内に、設置されている地区名が入っています。「多摩川」というのもあるそうで、これはなかなか…後から知った事ですが、オドロキでした。

Himg0179

●塩釜駅前

幅の広い道が通っていたりして、そこそこの駅前通りの雰囲気はありますが、高い建物で並ぶといった感じではありませんでした。宮城県で人口10万超といえば、仙台をはじめ大崎、石巻といったところで、他は中小都市という感じで無理からぬ部分があるかな、というところです。

Himg0175

●さらに駅前

マンションなどピンポイントには高い建物がありますが、それ以外は歯抜け状態が結構ある印象でした。

Himg0180

●公民館入口バス停

という名前の下に「白百合学園のりば」とありました。白百合学園とはまたドラマに出てくるような名前!と思いましたが、学校は仙台市にあるそうです。で、ここには各方面に出ているスクールバスの停留所があるという訳です。ここから1時間強かかって学園へ辿り着くのだとか。

Himg0181

●駅前道路突き当たり

塩釜駅からまっすぐ東へ伸びる道路をそのまま歩いて突き当りの所です。かなり西塩釜駅に近い場所で、これを左折して歩いて程なく右折すると西塩釜駅です。距離にして600m程でしょうか、駅出て直進して左折して歩くと見えてくる、という感じです。

塩釜駅はJR東北本線で、西塩釜駅はJR仙石線という線に所属する別路線です。幅が広がったり狭まったりしながらも、この辺りでは両者は平行に通っています。

Himg0185

●西塩釜駅前

まで来ました。

この手前のだいぶ色褪せた横断歩道のすぐ向こうを右に曲がると、西塩釜駅が目の前です。

西塩釜駅は歩道橋を降りると、狭い路地になっていて、そこから真正面を見ると、この左側にある「福助や」というお店の建屋が見えます。つまりここの駅前は、さして駅前広場もなく、唐突にこのような商店街に入っていく格好になります。

Himg0187

という訳で、次はもっとちゃんと訪ねたいと思った塩釜市でした!

2015年4月 5日 (日)

宮城/角田 長泉寺と心に響く石

宮城県角田市、阿武隈急行/角田駅からの歩き旅です。

(2015年1月当時)

●角田市マンホール

まずはマンホールから、という事で、市の花であるリンドウが外周を覆い、真ん中にはロケットが配されています。これは市内の台山公園に展示されている宇宙展示館のロケットを模しており、宇宙研究所のあるこの角田市内を大きく象徴するものです。

Dsc06618

●駅前通り

駅記事にも雰囲気として載せましたが、もう少し駅から離れての駅前通りのカットです。

やはりかなり見晴らしよい感じで、高い建物はさして見当たりません。

Dsc06612

●通りを往く

実際に歩いてみて、商店や住居が点在した通りである事を実感しました。

なかなかにのどかな雰囲気でした。

Dsc06622

●第三十一番

伊具三十三観音第三十一番として長泉寺十一面観音とありました。

歩くうちにたどり着いた「長泉寺」です。

その歴史は古く1436年に福島県石川町で建てられたことに始まり、1598年に時の領主の移封に伴い、この角田の地に移された事で、角田での歴史が始まる事となります。

ちなみに冒頭の「伊具」とは、県南東部に伊具郡という郡が存在し、現在は丸森町のみが属していますが、角田市も1958(昭和33)年までは伊具郡に属していました。

Dsc06628

●長泉寺

の山門です。薬医門と言われる形式の門です。

「高源山」とあり、曹洞宗のお寺です。

Dsc06630

●境内

に入ってのカットです。

左側に藤棚、その向こうに鐘楼がありました。

Dsc06631

●鐘楼

見事なフォルムの木造の鐘楼です。

ここに釣られている鐘は、1661年に角田の4代目当主・石川宗弘が奉納したという歴史あるもので、明治の初年である1868年には盛岡からここ角田に移る事となった南部藩兵の目を逃れる為に濠に沈められた事もあった(結局、藩兵の移封はなくなったそうですが…)といい、そんな事を経て今に至ると知ると、益々この鐘の貴重さが分かるというものですね。

Dsc06634

●本堂

真新しい感じで、立派な本堂がデンと構えています。

Dsc06636

●佛足石

境内にはいくつかの大きな石があるのですが、まずはこの「佛足石」

佛の特徴を示す32相の七瑞祥紋の全てを佛足文様として石刻し信仰の対象としたもので、インドでは2000年前よりこのような信仰があるそうです。

奈良の薬師寺にある日本最古の佛足石(国宝)のものを写刻したという事で、下の写真にその仏さまの足跡として描かれている様子が分かります。

Dsc06637

Dsc06640

●磬石(けいせき)

境内にあるもう一つの大きな石として、鐘楼の足下にこの「磬石」があります。

「音が鳴る不思議な霊石」とあります。

心の音色が浄土の世界に響くように、という事で、傍に置いている石で、この大きな石を叩いてみてください、とありました。

Dsc06642

Dsc06645

という事で、この石で叩いてみます。

石が石を叩く音しかしないんだろう?それを心の中で響かせないといけなかいのかな??とか思っていましたが、本当に音がしました。

中が空洞になっているのか?分かりませんが、鐘のように音が響いていました。

角田で出会った印象的なものとして2つあるのですが、これは自分の中ではその大きな1つとして挙げます。その訪ねた町々にひとつの思い出があればいいと思うのですが、そういうものを得て帰れて幸せと思うし、これがまた旅して良かったと思える事ですね。

Dsc06646

2015年2月 6日 (金)

阿武隈急行/角田駅 (宮城県角田市)

宮城県角田市の阿武隈急行/角田(かくだ)です。

角田市は宮城県の南東部に位置し、人口は30,107人(2014.12.1現在)で、古くは養蚕が盛んで、その後は電機や自動車部品メーカーなどが進出しています。また宇宙開発機構の実験・開発施設である「角田宇宙センター」があり、高さ約40mの大きなロケットの模型が立っています。

-阿武隈急行/角田駅
【路線】阿武隈急行線(福島-槻木間)
【開業】1968年4月1
【訪問】2015年1
【1日あたり平均乗車人員】 1,724人/日(2001年)
【近隣の主要駅(福島方面)岩沼駅→隣駅
           (槻木方面)槻木駅→4駅

●駅名標

今年の1月3日、2015年初の未訪市訪問を登米市にて行なったのですが、そこからJRで槻木駅まで出て、ここで阿武隈急行に乗り換えて辿り着きました。

宮城県で最後に訪ねた市であり、この到着を以って宮城県全市訪問達成となりました。東北地方で残る未訪市は、青森県十和田市と岩手県陸前高田市の2つを残すのみです。

角田市の中心駅であり、角田市は近隣の槻木駅がある柴田町より人口が少ないながらも駅利用者数は、この角田駅が阿武隈急行線内では最多となっています。

Dsc06596

●名所案内

とは書いておらず、唐突に「梅花の里」とありました。

で、その下に色々と…。

徒歩圏内で行けるのが上の2つぐらいですね。スペースタワー・コスモハウスって事で、JAXAの角田宇宙センターがある事もあり、ここに大きなロケットの模型が立っています。高さ40mにもおよび、この時、角田で行く所はここ!と決めたのが駅を出て、大きなロケットが見えた時からでした。その時まではどこへ行くか全く決めてませんでした、自分の旅ではよくある事ですが…

Dsc06595

●ホーム

細い柱で支えられた屋根のある部分が結構長く続いています。

余分なものがない閑散とした雰囲気でした。

Dsc06597

●跨線橋内部

階段部分と橋の部分です。

いずれも通路幅としてはやや狭めで窮屈な雰囲気で、掲示物は全く無しでした。

Dsc06600
Dsc06601

●俯瞰

跨線橋からホームを眺めた様子です。

こうして見ると屋根のあるエリアは結構広く取られているなと感じます。

Dsc06602

●絵つき駅名標

絵のついた吊下げ式の駅名標が別にありました。

ロケットの町、という事をアピールしたものとなっており、その事がこれを見て完全にこの町のイメージとして結びつきました。

Dsc06608
●駅から目線

駅出ての景色です。

駅前の通りは実に見晴らしがよく、道路のサイドに建物がない感じでした。市の中心駅の駅前らしからぬ光景でした。

Dsc06610

●オーク・プラザ

と銘打たれたこの駅舎には角田市観光物産協会が入っています。

Dsc06614

●オーク・プラザ2

同じくですが、「宇宙」が独特でした。

自然や歴史ってフレーズはどこの町でも語られる事ですが、宇宙という部分は角田ならではのものです。

来る前は全く意識しておらず、ロケット模型の存在すら知りませんでしたが、来た時にこの関連のものを見たいという想いが湧きあがり、またこれが駅の割と近くで見れるというので、ホントこれは宮城県で最後に訪ねた市の旅として収穫でした。

Dsc06613

●角田駅 駅舎

前回記事の槻木駅と見まがうほどに似た規模/形状の駅舎です。

真ん中が直方体の上に半円状の形で両サイドが角ばった感じの建屋で。こちらの方が規模としては大きいかなというところです。

Dsc06615
Dsc06617
Dsc06619

2015年1月30日 (金)

JR槻木駅 (宮城県柴田郡柴田町)

宮城県柴田郡柴田町のJR・阿武隈急行/槻木(つきのき)です。

柴田町は宮城県の南東部に位置し、人口は39,160人(2014.12.1現在)で、郡部でありながら4万近い人口を誇り、山本周五郎作「樅の木は残った」のモデルになった樅の木がある所として知られています。

-JR・阿武隈急行/槻木駅
【路線】JR東北本線(東京-盛岡間)
    阿武隈急行線(福島-槻木間)
【開業】1891年1月12
【訪問】2015年1
【1日あたり平均乗車人員】 JR-2,788人/日 (2013年)
                 阿武隈-1,134人/日(2012年)
【近隣の主要駅(東京方面)白石駅→5駅
           (盛岡方面)岩沼駅→隣駅
           (福島方面)角田駅→4駅 
※阿武隈急行

●駅名標

「つきのき」と読みます。この日、今年の1月3日ですが、宮城県であと2つ未訪であった市があり、それが登米市と角田市でした。登米市の新田駅を訪ねてから、ただ一つ残った未訪の角田市へ向うにあたりJRから阿武隈急行へ乗り換えたのが、ここ槻木駅でした。

この駅名標はJRも阿武隈急行も含まれていて、緑のラインがJRで、左下の黒のラインで東船岡と結んでいるのが阿武隈急行の側です。

Dsc06592

●駅名標・2

阿武隈急行と銘打った、ひらがながメインの駅名標です。こっちのがJR、というか旧国鉄っぽい駅名標ですが…。

本来阿武隈急行だと終着駅になり、片側表示になるところですが、もう片側にJR東北本線の岩沼駅の名が記されています。

Dsc06590

●名所案内

歩いて行けるような所は…、、キロ単位の所ばかりで、磨崖仏群とか貝塚とか歴史に触れる事の出来るものもありました。

3km歩き、また帰れれば安くていい旅ができますが、時間も要るしで…。タクシーをそこそこに使えばそんなに高くなく行けるくらいのレベルかな、という感じですね。

Dsc06591

●ホーム

平たい屋根がホーム上に続いていました。

下2枚中上側の写真の右に写ってるのは、ここを発つ時に乗った電車です。

当地の属している「柴田町」と書かれてあるのが印象的でした。

下側の電車の写真は着いた時のものです。

Dsc06593
Dsc06570

●待合室周辺

室内型の待合室がありました。

郡部ではありますが、JRと阿武隈急行を結ぶ拠点駅の雰囲気が滲み出ています。

Dsc06588

●跨線橋

緑の階段が印象的な跨線橋です。

左側に出ているのは駅の敷地そのものをまたぐ自由通路です。

Dsc06585

●跨線橋内

跨線橋の階段もそうですが、天井も内壁も同様に緑のカラーで埋め尽くされていました。

通路はやや広め、掲示物は張られていました。

突き当りの「槻木駅で」「槻木駅で」ってのが一昔前を思わせます。

Dsc06584

●跨線橋と柱

跨線橋のアップの姿とこの階段部分を支える柱とのカットです。

筋交いの通った細い柱でこの階段は支えられていて、その織りなす模様が美しく感じられました。一番下の足の部分の黄色いペイントも印象的でした。

Dsc06567

●ホーム(駅舎側)

待合室のある島式ホームから跨線橋を渡って来た、駅舎側のホームです。

椅子が割に多く並べられていました。

Dsc06569

●槻木駅 駅舎

予想に反して?の大きな駅舎です。

真ん中の半円の高い部分は中空のような感じになっていて、空も垣間見えます。

青空にこの真ん中上の半円部が、天空のように浮かんでる感じにも見えます。

この次に訪ねる阿武隈急行の角田駅も実に似た形で、最初混同してしまう程でした。

郡部の駅ながらこれだけきれいな頃で、見る価値ありと思います。当初行く予定はなかったのですが、待ち時間がそれなりにあったので寄れました。そんな事で出会う旅もあるのだな、といったところでした。

Dsc06575
Dsc06583

2015年1月25日 (日)

JR新田駅 (宮城県登米市)

宮城県登米市のJR新田(にった)です。

登米市は宮城県の北部に位置し、人口は81,429人(2014.12.1現在)で、旧登米郡の8町と本吉郡津山町の実に9町もの合併により2005年にできた市です。

-JR新田駅
【路線】JR東北本線(東京-盛岡間)
【開業】1894年1月4
【訪問】2015年1
【1日あたり平均乗車人員】 386人/日 (2013年)
【近隣の主要駅(東京方面)小牛田駅→4駅
           (盛岡方面)一ノ関駅→6駅

●駅名標周辺

普通に「にった」と読みます。京都と奈良を結ぶJR奈良線に同じ新田駅がありますが、こちらは「しんでん」と読みます。(その他JR以外にも「にった」駅が複数存在します)

2015年に初めて訪ねた未訪自治体がこの登米市であり、ここはその代表駅になりますが、市内には登米駅というのがないばかりか、ここの前所属自治体である「迫(はさま)」(町)を名乗る駅すらありません。その更に前身の新田村からとられていると思われます。

駅の開業は古く1894年で、19世紀から存在します。また1月4日開業ですが、訪ねたのは1月3日で、次の日が開業ちょうど121年という状態でした。一関で前夜より宿泊して、朝の電車に乗って6駅でここへ辿り着きました。

東北地方への正月時の訪問という事で、このようにしっかり雪に埋まっていました。

Dsc06425

●ホーム

上の駅名標でいうと、梅ヶ沢方面になります。

何にもない…市の中心駅なのかホントに?という感じです。

Dsc06563

●ホーム2

上の写真と反対側になります。

こちらは室内型の待合室と、両ホームをつなぐ跨線橋があります。

跨線橋の階段下には庇と柱が取り付けられ、待合室までの屋根のない区間を極力なくそうといわんばかりに伸びていました。

下の待合室のアップのカットは帰りに撮ったもので、白鳥の町という事を再認識しました。

Dsc06561
Dsc06556

●ホーム3

上の写真と同じ方向ですが、右側に駅舎があるのが分かります。

ホーム上での屋根のない区間は殆どなく、跨線橋下待合室の間の部分のみといってよいくらいです。今では人口8万以上の市の中心駅にしては随分と寂しいものがあります。ただ、9町もの合併による市という事で、その辺りもこの寂しい様子の背景のひとつとなるのでしょう。登米市を訪ねるにあたり、何処へ行けばいいのか当初全く分かりませんでした。

Dsc06426

●跨線橋

かなりインパクトありました。

縁がこげ茶で、それ以外の外壁が薄めの茶色など配色がビビッドでした。窓はゴツい感じで段々に連なっていて、またその上縁がこげ茶で、下は筋交いの入った細い柱で支えられて…という、個人的に惹かれる要素の多いものでした。

Dsc06427

●駅を出て

すぐのカットです。

やや右向き気味のアングルです。

駅から伸びる駅前通りはなく、線路と平行に走るこのガードレールのある道が駅前通りにあたります。といっても、雪でだいぶ隠れてしまっていますね。

駅前広場はロータリー状ではないただのスペースでポツン電話BOXが置いてあるのみです。

Dsc06431

●地図

駅前にあった地図です。

旧自治体の迫町の時のものではないかと思いますが、当駅はど真ん中からやや左、周辺は沼が非常に多く、また白鳥の町としてアピールされているようだ、とここに来て初めて知りました。

来る前は、ここは観光に関しては中心地される左沼地区へバスで行かないと厳しいようだ、いう感覚でした。そこまで居られる時間もないし駅周辺だけ歩いて、次の地へ行く電車を待とう!思っていましたが、結果的にはだいぶ嬉しい誤算なりました。

来てみて初めて見つけるものかもある思うので事前情報はあまり念入りには調べません。何かある所か、なんにもないのか、それくらいは仕入れておきますが、基本同じ場所に長く居ないので1時間くらいで(時には20~30分とかも)巡れる所はあるか?なければ近辺歩いて終わり、のような…そんな旅ばかりで全国790近くの日本全市を訪ね歩いて、この時は未訪市はあと11というところまでこぎつけました(現在はあと「8」まできました)

Dsc06430

●バス停標識

が複数本立っていました。

左沼地区行きのバスも出ていましたが、やはり少し待ちが必要で、その頃にはもうここを出ていなければならない、という状況だったので左沼へ行くのはこの時点で断念しました。この時はまだ本当に駅前何にもなさそうだけど、とりあえず景色だけ見て帰ろう、という心境でした。

Dsc06434

●駅前(左側)

駅前広場から左を向いた形のカットです。

右側よりもこっちの方が駅前通りっぽい雰囲気が若干強い感じでした、店も並んでいるしで。なので散策はこちら側にて行いました。

真ん中に見えている店の前に置いてあるベンチが謎でした(笑)

Dsc06433

●新田駅 駅舎

三角の屋根はなかなか立派ですが、平屋のこじんまりとした駅舎です。

建屋は年季入ってそうですが、看板は取ってつけた感じになっていました。

登米市の代表駅として今後の発展はあるのかどうか…、見守っていきたいものです。

Dsc06436

2014年10月23日 (木)

宮城/岩沼 世の移ろいを目に…

宮城県岩沼市、JR岩沼駅からの歩き旅です。

(2009年8月当時)

●ようこそ岩沼へ

という事で、岩沼駅前にあった地図です。

駅の東側に出てきてますが、反対側は公園があったりのどかな雰囲気です。

Himg0290

●駅前通り

高層マンションはちょこちょこと建っていますが、それ以外は割と低層の建屋が続き昭和時代の雰囲気も結構残っている感じでした。

Himg0291

Himg0293

●岩沼市マンホール

真ん中が市章で、その外を市の花であるつつじ、外周は市の木であるクロマツが覆っている柄となっていて、外周には飛行機がありますが仙台空港がある事を表しているのでしょう。

Himg0292

●飛行機

が飛んでいるのを撮る事ができました。

なかなかこんなにハッキリ撮れないんですが、飛行機の街でいいカットが撮れました。

Himg0294

●民主党総支部

駅前にあった建屋には、この民主党宮城県第3区総支部がありました。時の代表である小沢一郎氏のポスターがズラーッと並んでて、「時代」を感じました。この時は民主党への政権交代直前でしたが、今や政権を手放して久しい状態にあり、時代の移ろいやすさを感じずにはいられないカットであり、個人的に岩沼といえばこのカットが真っ先に浮かびます。

Himg0297

●旧家でランチ

ごつい感じの昔風家屋に「ランチ」の幟が!

旧家が商店に転用される事とかたまにありますが、これが飲食店に使われた例でしょうか?それともお店がこの建屋を意識してつくったのか…??

Himg0304

●たてしたばし

と書いてある橋から。漢字では「館下橋」と表記するようです。

川というか広めの溝という感じですが、その横に住宅街の道路と緑道とがあります。

Himg0307

●丸沼緑道

という事で、リバーサイドの?!緑道です。

住宅とを横目に自然の恵みも感じられるというなかなかよいシチュエーションでは?と思ったり。

Himg0309_2

●あぶない!

最後はこの写真です。

かなり笑ってしまいましたが、どうやったらこんな落ち方するんだよ?と突っ込んでしまいました。災害という貴重な教訓の下に柵が張られ、注意喚起の看板がある訳なので、この手の不幸は起きてほしくないものですね!

Himg0310

2014年7月20日 (日)

宮城/東松島 矢本町・花と蝶

宮城県東松島市、JR矢本駅からの歩き旅です。

(2012年10月当時)

●駅前通り

矢本駅から伸びている通りです。

右側に見えている建屋は「人まち交流ゾーン「ゆぷと」」とありました。

矢本温泉として日帰り温泉が入っていたり、接骨院その他いくつかの施設が入っているようでした。市としては、中核的に複合施設として活性化を狙っているものなのでしょうか。

Dsc01788

●やもとマンホール

旧・矢本町時代のマンホールです。

カエルが4匹描かれていますが、カエルに因んだ街なのかな…と調べていたら、どうやらそうではないらしく、下水が「きれいな水によみガエル」とシャレでひっかけただけのようです。

Dsc01793

●東松島市商工会

矢本駅から駅前通りに入って歩き、最初の交差点を過ぎた直後に現れるこの濃いレンガ色の建屋は東松島市の商工会館です。

かなり濃い色の建屋で、目にダイレクトに飛び込んできました。カクカクッとした硬質な印象もかなり強く、いろんな面でヴィヴィットな建屋といえます。

Dsc01799

●メモリータウン

と表記された街灯の立ち並ぶ商店街です。

昔ながらといった雰囲気のこじんまりとした商店が立ち並んでいました。旅館の姿も見えますが営業しているのか、とか気になってしまいます。この時はそこまで気にしてませんでしたが、こうしてupしてみると気になる、というのもありますね。

Dsc01804

●花と蝶

東松島、矢本の街を歩いていて、矢本ならではといったものにあまり出くわさぬままという感じだったんですが、駅前通りを歩いて程ないうちに見えてきた田園風景がこの街の旅の思い出として強かったかもしれません。

一面に咲き渡る色んな草花、それだけなら流して通り過ぎたところですが、これらに大量に群がるモンシロチョウの姿が重なり、写真ではなかなか伝わりにくいのですが、素晴らしい景色が見えました。

コスモスの蜜を吸わんとして飛ぶ蝶や、下側の写真は実際に花の真ん中に止まっている蝶です。あちこち蝶が飛び回っている景色は圧巻でしたね、モンシロチョウばかりでなかなか見えにくいんですが。

Dsc01805

Dsc01810

●田園と道路

上の写真のような蝶の飛び交う田園風景の一部と、そこを通っている道路、そして「核兵器廃絶・平和都市」を標榜する東松島市の看板がでっかく立っています。

ちなみにこの道路は、標識の向こうへ直進すると仙台、気仙沼方面、右折すると古川(大崎市)方面へと行き着きます。

Dsc01815

●田園と金網

これもまた同じエリアの田園風景で、別の面になるんですが、周囲を囲っている金網がぐにゃぐにゃに変形されたままとなっていました。

この時は2012年10月、ここ東松島は前年の東日本大震災で大きな被害を受けた地としてその名がニュースによく出るようになってしまったのですが、それから1年半、この辺りまで復興は及んでいなかったのでしょうか。

ここへ訪ねる前に石巻を訪ねて、震災の爪痕をまざまざと見せつけられたのですが、ここではあまりそれが感じられず、不思議な印象を持っていたのですが、この金網を見るとやはりここも被害があったんだという事を改めて思い知る事となりました。

Dsc01819

●がんばっちゃ"東松島"

と書かれた大きな看板と共に、イントレで組まれた一角が!

改装でしょうか。更地もあったり、やはりこの辺りは震災の被害が少なからずあったのか、とここでも思い知りました。

Dsc01824

●須賀神社

矢本町駅前交差点から西へ歩いて、次の交差点へ差し掛かろうとする所にあった神社です。

1189年よりの歴史を有するようで当時は京都祇園社より御神体を遷祀し、祇園社と称したそうで、1872(明治5)年の神仏分離令の際に現在の名に改められたそうです。

建っている銅像は耕地整理の竣工記念とされており、その向こうにあるやや高めの建物は鐘楼で1832年奉納という歴史あるものだそうです。ただこの銅像、特定の人物像である割にタイトルは竣工記念だし、説明書きもよく分かりませんでした。

Dsc01840

●須賀神社 鐘楼

これがその鐘楼ですが、鐘はありません。

太平洋戦争の際に供出されたきりだそうで、今ではこのような扉のない倉庫と化し、立入禁止の柵や看板などが置かれていました。

板張りのまばら具合がどこか物寂しい雰囲気を放っていました…。

Dsc01846

●須賀神社 拝殿

有人ではない状態の寂しい雰囲気ですが、しっかりした屋根を持つ立派な建屋です。両サイドの狛犬はやや新しめな感じで、片方は鞠を、もう片方は子を踏んづけてるタイプのやつです。

Dsc01849

●愛染院跡

本山愛染院と称し、修験道場で山伏法印の祈祷所であった、とありました。

また矢本町安永風土記には天正年間に開院とあり、安土桃山時代にあたります。

Dsc01854

●建治二年板碑

町指定の文化財とされるこの板碑(いたび)は、建治2(1276)年、「宮生」の3年忌の供養のために建てられたもので、歴史上でいえば「元寇」の頃ですね。その後、安永5(1776)年の風土記には「一本石」と表されていたそうです。

ただの石と化し何を書いてあるのかもよく分かりませんでしたが、町の文化財でもあり、愛染院跡と共に東松島、矢本の街を訪ね、そこ独自のものに出会えたことには変わりない訳で、ご当地ならではの旅ができた感は多少なりありました。

Dsc01857
Dsc01858

●歴史の道

最後はこの写真にて。

上の写真と同位置にありますが、松尾芭蕉と弟子の曽良が旅した街道のひとつで、1662年に街道がつくられ、矢本宿の誕生はその翌年1663年にあたるといい、芭蕉たちが旅したのは1689年だそうです。

道行く先でのどの渇きを覚え、湯をもらおうとしてもことごとく断られたとありますが、その彼が後世歴史に名を残す人物になろうとは誰も知る由がなかったでしょう。水や湯の類を得るのもままならなかったご時世である事を考えると、こうして旅していて腹が減ったのどが渇いたと言っては、コンビニや自販機に駆け込めば事足りる今の世の中との隔世の感たるや…というものですね。

Dsc01855

2014年6月22日 (日)

宮城/白石 釣鐘と専念寺 in 2000

宮城県白石市、JR白石駅前の風景です。

(2000年1月当時)

006_3●鐘響都

と書かれている釣鐘を模したモニュメントがでっかく立っていました。白石駅前広場から駅前通りを眺めた様子です。

白石市内で撮った数少ない写真のひとつですが、今から14年前のちょうど2000年冬の様子で、写真が黒ずんでいるのは、この写真が写ルンです!で撮った事と、スキャナの型が古い事などによると思われます。

白石は釣鐘の街、とこれにより覚えた訳ですが、これはこの地を治めていた伊達市の家臣の片倉氏の軍旗の模様が「丸に釣鐘」であった事からきているといわれています。

006_4●専念寺

白石市で撮った、たった3枚の写真のうちの最後がこれです。

白石駅から徒歩3分くらいの所にある、白石市で駅以外で唯一訪ねたといってよい場所でした。

浄土真宗本願寺派のお寺で、国宝聖徳太子像の御分身を祀っているそうです。

この写真もまた夜撮ったように暗く見え、実際確かに冬の夕方時に撮ったものではありますが、実際はもう少し明るいし、この本堂の本体色も茶色です。

宮城県の市では、仙台市に続き2番目に訪ねたのがここ白石だった訳ですが、あまりにもとりあえず足を降ろしました感が強いと感じるため、機会があれば今度はちゃんと訪ねて深く掘り下げた、それこそ「旅」としてまた記事にしたいな、と思う次第です。

2013年3月11日 (月)

宮城/石巻 2年前のあの日…

宮城県石巻市、JR石巻駅から歩いてみた様子を。

今日は東日本大震災からちょうど2年。職場でも昼に黙祷が行われました。

石巻は2009年に行きたかったのですが、時間の都合でスルーしてしまい、その後1年半ほど経った頃に震災が起こり、なかなか行けずにいました。2012年10月にようやく行く事ができ、震災の爪痕が色濃く残る町の様子を実際に見て衝撃を受けたので、この3月11日にアップしたいと思い立ちました。

駅前通りにも…

これはホントに石巻駅からすぐの通りですが、右向こうには建屋の骨組みが。

前の姿はどうだったのか分からないですが、消失したのか損壊したのか、色々想像してしまいます。で、駅の近くでもまだ復旧せずに爪痕が残っていたり、こんな都市でもそのような状態である事に驚きを覚えたのでした。

Dsc01558

めくれたアーケード

石巻駅からは500mほど歩いたところでしょうか、石ノ森章太郎先生に因んだマンガロードを過ぎて、石ノ森萬画館に差し掛かろうとする橋の手前の商店街のようですが、向こうの建屋がなくなっていて(元からなかったのか不明ですが…)、そして歩道の上のアーケードは裂けてめくれたまま。

この時で震災後1年半ですが、この辺りになるとかなり爪痕が色濃くなっています。

Dsc01587

欠けた柵

旧北上川に架かる内海橋周辺の様子ですが、この辺りになると本当に我が目を疑わんばかりの景色が次々と目に飛び込んできました。

橋の横のリバーサイドの道の柵は一部外れたままであったり、下の土手の柵などは恐るべき力でなぎ倒されたまま残っています。消失してしまっていたら、その力は想像もつかないかもしれませんが、こうして残っている事で逆に自然の驚異をまざまざと見せつけられた思いがします。

Dsc01588
Dsc01590

歪んだ欄干

先に見えていた西内海橋の車道のガードレールにあたるブルーの部分はきっちりとした形を保っていますが、その外側の歩道側の白い欄干は外へ内へと様々な方向へと折れ曲がっていました。

河原の柵といい、そのまま渡ると危険な場所なんですが、まだ手がつけられないという事でしょうか。普通の場所では何でもない事が、被災地にはなかなかままならない、神戸の時もそうだったな、と思いました。

Dsc01600

へしゃげたガードレール

橋を渡って中洲の方を右折し、石ノ森萬画館を越えて程ない地点ですが、ここもまた凄まじく、鉄がこんなに曲がってしまう力って…。いろんなものが流される拍子にぶつかって…と想像してしまうのですが、それにしても恐ろしいですね。でもこういった爪痕はTVや写真だけで見るものではなく、実際にこの目に焼き付けておくべきものだと思いました。
Dsc01615

ひび割れたコンクリート

川沿いの陸地でひび割れていた、というより砕けたともいえるほどのコンクリート塊が。

これにも衝撃を受けました。それまでは割に柵とか上に取り付けられたものでしたが、これは地面そのものといったところで、そんなものまでこんな風になってしまうものかと驚きを通り越していました。

Dsc01620

どうしても3.11中にupしたいと思っていたので、今回の石巻の記事はこれにて終了します。

思えばこの町に来て初めて東日本震災の爪痕を身体で感じました。この事は忘れてはいけない、それを念じつつ、この記事の〆にしたいと思います。