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46鹿児島県

2017年2月28日 (火)

JR嘉例川駅 (鹿児島県霧島市)

鹿児島県霧島市のJR嘉例川駅です。

霧島市ではJR隼人駅をupした事がありますが、今回は昔ながらの駅舎で有名なこの嘉例川駅の御紹介です。

-JR嘉例川駅-
【路線】
JR肥薩線(八代-隼人間)
【開業】1903年1月15日
【訪問】2016年10
【1日あたり平均乗車人員】 35人/日 (2013年)
【近隣の主要駅】 (八代方面)人吉駅→9駅
            (隼人方面)隼人駅→4駅


●駅名標周辺

霧島市内の中心でも何でもない1駅で無人駅でもありますが特急が停車するという珍しい駅です。

それもこれも開業した1903年築という鹿児島県内最古の駅舎を有し、登録有形文化財であるという点が注目され、駅舎自体が観光名所化している側面がかなり強い駅です。

忌野清志郎のシングル「Oh!RADIO」のプロモーションビデオに使われた場所であり、このシングル曲は彼の死後に発売された遺作で、最後の吹き込みおよび演奏作品とされています。

駅名標はきれいな字体のものになっていますが、ひらがな表記に昔を感じさせます。ちょっと整いすぎて違和感ありますが、周りの壁面や柱や梁などに往時を存分に感じ取る事ができるかと思います。

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●ホーム

1面1線だけのホームで、対面にはただただ緑が広がるだけで何にもありません。

県内最古の駅舎があるというだけで何もないところなのか…

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●ホーム色々

といってもホームに下りて左端側のものが殆どです。上の写真でいうと手前側になります。

ホーム上はここに見どころが一点集中している感じで、昔ながらの駅名標と名所案内がありました。駅名が有名ではありますが、名所としては「新川渓谷温泉郷」というのがあるようです。いくつかの温泉が合わさった温泉郷という事で、坂本龍馬は日本で初めて新婚旅行をした人物と言われていますが、その旅行先として利用された塩浸温泉や西郷隆盛が度々利用していたという日当山温泉等も含まれるという事です。空港から15分の所にいくらでも温泉があるという、温泉銀座ともいうべき場所でしょうか。

駅の話に戻って、ホームでもこの辺りはちょっとしたコスモス園状態でした。

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●ホームから

改札とは別の入口がありますが、こちらは展示室になっています。

最古の駅らしい汚れ感?でもいうものがよく出ていると思います。

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●展示室内

上の写真の入口を入ると、このようないろんなものが展示されていました。

昔の記事であったり、在りし日の様子であったりと。

1984(昭和59)年1月31日時点では無人駅前であったといい、この部屋が駅務室そのものだったのか、と思いながらこの写真を見ていました。

新人記事には、この嘉例川駅をバックに人力車に乗った昭和天皇のカットなどがありました。

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●路線図

近隣の場所のみですが駅舎内にありました。

上の写真の部屋とは駅舎内でも部屋違いで、下りたホームから右側が上の写真の展示室で、左側は普通に改札があり、これを出た後の駅舎内の一角にこの路線図があります。

鹿児島県の中心となる鹿児島中央駅までは840円、ここ霧島市内の中心的存在の隼人駅までは280円となっています。反対側だと熊本県の人吉駅まで1290円です。

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●ロケ地

見た事あるなこれ、と思ってみていたこれは桃井かおり&竹下景子というバリバリの女優コンビで1990(平成2)年に撮影された「JRナイスミディパス」のCMのものです。

ここ嘉例川駅でロケにて撮影されたという事で飾られているのですが、当時は国鉄から民営化されて数年という状況でしたが、ナイスミディパスは2009年以降発売されていないそうです、というかそんな近年まで発売されていた事に逆に驚きましたが。

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●百年の木造駅舎

という事で、この駅のウリともいうべき部分が紹介されています。

紹介文自体は短いのですが、日本語のみならず、英語・韓国語・中国語でも紹介されています。

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●駅舎内

オール木造という感じでベンチまで完全に「木」です。

駅利用者数は1日2ケタの少なさですが、駅自体に来る人は少なくなく、端にこれぐらいの壁付ベンチがあっても足りなくはないかな、と感じます。

隣の展示室でも結構何人となく人がいて、展示物を見ていました。

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●にゃん太郎

この駅の特徴は何といっても、県内最古の木造駅舎として115年になろうかというその歴史な訳ですが、もうひとつありました。

それがこの「にゃん太郎」catです。

和歌山電鉄のたま駅長の存在はあまりに有名ですが、この猫は2015年頃にこの駅に居つくようになったそうですが、駅長という訳ではなく、ただ「嘉例川観光大使」という肩書きをもっています。

そしてこのにゃん太郎は「たぬき猫」であり「さくら猫」でもあるという事です。たぬき猫は顔がたぬきの模様に似ているからだと思いますが、さくら猫というのは不妊手術済のしるしとして、耳の先端が少しカットされている野良猫のことです。不妊手術される事により今後生まれてくる猫が不幸にならないように(悲しい運命をたどる猫ができないように)、殺処分ゼロを目指してものだという事です。

行った時は寝ていましたが、さわらないで、餌をやらないで、という事で、写真だけ撮らせてもらいました。

タヌキ顔で目が青いのも変な感じですが個性的な猫ですね。まだ5歳くらいらしいので、元気に動いてる時に会いたいものです。にしても、この小屋の中を自分でホームポジションのように捉えているのでしょうか??

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●登録有形文化財

と最初に書きましたが、その証がここにありました。

記念碑として造られていますが、ここの文によると現在は肥薩線ですが、当初は鹿児島本線であったといいます。明治期の遺構として貴重という事で2006年に有形文化財に登録された、あります。

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●記念碑

駅外に立っていた開業百周年の記念碑です。

開業が1903(明治36)年で、この碑は2003年につくられています、という至極当たり前のことを書きましたが、それとてもう14年前の事であり、来年は開業115年、未だその当時の姿を残している、という事が本当に素晴らしいですね。日露戦争が起こっていた時もこの木造の建物はあった訳ですよね。

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●駅前広場

見えていませんが左に隠れている部分にちょっとした公園がひっそりとあって、後はこの左に見えている自転車置場と右にはひっそりとバス停があります。

このバス停は鹿児島空港行きで、実際この時は鹿児島空港から発ったのですが、空港まではここからバスに乗って行きました。わずか10分くらいで空港には行き着きますが、1日5便しかないので要注意です。

というかその前にまず、駅前広場が砂利道であり、これが驚きです。

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●バス停

上の写真にも写り込んでいた駅前広場にある「嘉例川駅」バス停です。

ご丁寧に喫煙所までつくってありますが、こんな草むらの中で一歩間違えば大火事ものだと思いたくなりました。

時刻表は下の写真の通りで、左側が鹿児島空港行きの便です。

「嘉例川」バス停というのが別に存在するので要注意です。このバス停は嘉例川駅から東へ500m程離れた所にあるので、嘉例川バス停に着くバスを、この嘉例川駅バス停で待っていても一向に来ないので。

実際管理人もこの罠にはまりそうになって、嘉例川バス停で検索して定刻過ぎても空港行きの便が来ず焦りました。程なく、この嘉例川駅に着く便があったので良かったものの、空港に遅刻でキャンセル?明日仕事なのに帰れない??とか頭をよぎりました。日曜の16時ともなっていたので。そんな事もここでの想い出です。

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●公園

駅を出て駅前広場のすぐ左側にある公園です。

ちょっとした憩いの広場的なスペースで特に何があるという感じではありませんでしたが。

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●嘉例川駅 駅舎

さんざん引っ張ってきましたが、これが嘉例川駅の駅舎です。

開業から今年で115年目、明治時代から世の中の動きをずっと見守ってひっそりと立ち続けていたその駅舎の姿がここにあります。一般にはそれほど有名でもないかもですが、鉄ヲタにはかなりの有名駅、どんなとこか?と思い、今回鹿児島空港利用があったので来てみましたが、これはすごかったですね。

人で賑わう程でもなかったですが、こんなヒッソリとした駅でも常に10何人かぐらいは居るレベルでした。

歴史を感じる嘉例川駅、上手くすれば猫が起きているかもしれず、行ってみる価値ありだと思います。

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2017年2月19日 (日)

JR加治木駅 (鹿児島県姶良市)

鹿児島県姶良市のJR加治木(かじき)です

姶良市ではJR姶良駅をupしていますが、姶良駅は合併して姶良市になる前の「姶良町」時代でも中心駅ではなく(実質的な中心駅は隣の帖佐駅)、今回の加治木駅は、同じく「加治木町」時代の中心駅です。

前回、姶良駅に行ってあまりこれというものに出くわせなかったので、昨秋鹿児島へ行く機会を得た際に、姶良市内の別の駅を訪ねてみようとなり、旧自治体時に中心駅であったこの駅に行く事にした、という訳です。

-JR加治木駅-
【路線】
JR日豊本線(小倉-鹿児島間)
【開業】1901年6月10日
【訪問】2016年10
【1日あたり平均乗車人員】 1,801人/日 (2013年)
【近隣の主要駅】 (小倉方面)隼人駅→隣駅
            (鹿児島方面)帖佐駅→2駅


●駅名標

旧加治木町の中心駅としてはその町名を名のる駅でしたが、合併により姶良市となってからは、市の中心ということではなく、一地区である加治木地区の中心的存在へとシフトしています。

隣駅の「きんこう」は錦江と表記し、「にしきえ」と読みそうですが音読みです。反対側隣駅の隼人から霧島市となり、同駅は霧島市の中心駅となります。

加治木は大相撲の逆鉾・寺尾兄弟の出身地として有名で、彼らが土俵に上がる際は「鹿児島県姶良郡加治木町出身…」などとアナウンスが流れていました。この2人は兄弟で関脇まで上りつめたなど、さまざまな兄弟記録を持っています。

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●ホーム1

加治木町中心駅当時の面影か、沢山の広告看板が並び立っていました。

更に向こうには大きな枠の看板の跡が見えますが、上部以外は既に枠になく、上部に「豊かな心木の住い」と「日本の緑 国〇林(国有林?)」とあるのみです。それもすっかり色褪せてしまって…、林業華やかなりし頃に現役だったのでしょうかこの看板。

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●ホーム2

島式ホームからの様子ですが、このホームと跨線橋で渡った先のもうひとつのホームとの2面2線形式で、この撮っているホームも列車が停車するのは片側のみで、もう片側は進入できないよう柵がされています。

特急「きりしま」の停車駅で、すべての便が停車する訳ではありませんが、9割方はこの駅に停車しています。同じ姶良市内の帖佐駅・姶良駅にも停車しますが、これらの駅は停車する便が多くなく、実質的に姶良市内で最も特急停車の多い駅となります。

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●ホーム3

跨線橋へ進む際のカットです。

こちらのホームは3番のりばとして右側にあり、左側は先述の通り柵があります。跨線橋で渡った先は1番のりばとなっていますが、2番のりばがかつてあったものが消滅したのでしょうか。おそらくこのホームの左側が2番ホームであったと思われますが。

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●跨線橋

手すりのついた跨線橋でした。

通路幅はやや狭めで、床面はアスファルト?に点字ブロックがついていました。

掲示物に貼られている場所はまばらで、真ん中と両端にパラパラという感じで、この辺りの活発さはあまり感じられませんでした。ただ内壁面がきれいだったなという印象だけはありました。

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●駅前風景

駅前広場からの駅前通りの様子ですが、やや広めの道路が通っていました。右側に隠れた形で写り込んでいるのは旅館です。旅館「風月」といいますが、予約サイトに載っていたのでまだ現役のようです。

左側のビルの1Fにあるのは「加治木まんじゅう」のお店で、岡田商店といいますが、加治木まんじゅうは江戸中期からつくられていた地元のお菓子という事で、何店舗もこのようなまんじゅう屋さんがあるという事です。なかでもここは駅前に立地していて旅人には分かりやすくて助かります。ここからタクシーである所へ行った際も、このまんじゅう屋さんを勧められました。割とあんまんに近いお菓子ですかね、蒸しまんじゅうです。

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●駅バス停

駅を出てすぐの所に、バス停の標識が2本立っていました。

ここでは1本に見えますが、死角になっていて、もう1本背の低い標識が隠れる形で立っています。

ひとつは「南国交通」というところの路線です。

その時刻表が下3枚中2枚目の写真のものですが、上下に2路線の時刻表が平日と土日祝とに分かれて掲載されています。こうして見ると思ったより多くの便が出ているな、と感じました。ただし休日になるとぐっと減る点は要注意です。

で、この行先は主に、姶良イオン方面と鹿児島空港方面となり、鹿児島空港へは約20分で着く事ができます。空港へのアクセスが良いという意味でGOODな立地だと思います。

もうひとつのバスは「加治木地区循環バス」です。標識は「加治木町循環バス」と旧自治体名のままになっていましたが…。

このバスの路線および時刻表はいちばん下の写真になります。いくつかの路線が出ていますが、だいたいが1日3便程度です。なので目当ての所に行きたい等あれば、時刻表と所要時間の把握は必須ですね。

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●加治木駅 駅舎

郡部の町の中心駅の姿をそのまま引きずってる感の駅舎でした。

庇のフチの赤い部分が印象的でした。

自販機が複数台あって、タクシーも数台停まっていて、そこそこの規模かな?というところでした。郡部の中心駅でない所には絶対この程度の設備はないだろうというところで。タクシーが停まっていてくれたのは後に大変役に立ちました。

姶良駅周辺では、これといったものがなく街歩きの程度でしたが、ここでは良いものを観る事ができました。それはまたいずれ書きたいのですが、他にも書きたい所があり過ぎてなかなか追いつかないのがかねてよりの悩みです。

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2016年9月23日 (金)

鹿児島/出水 いわし雲とe顔

鹿児島県出水市、JR出水駅からの歩き旅です。

(2012年8月当時)

●マンホール

冒頭のリンク先とした駅記事ですが、旧駅舎の時のもの(1997年訪問)を載せており、15年後の2012年再訪時のものを載せていなかったので、まずはそちらから載せようと思っていたのですが、この記事を先に書いてしまいました。

今は出水駅は在来線がJRから肥薩おれんじ鉄道へと転換され、新幹線が通るようになって新幹線のみがJRに属する格好となっています。

そして冒頭にこのマンホールの写真を持ってきましたが、とにかくここ出水は「ツルの里」、ツルの飛来地として有名な街です。仲睦まじそうな二羽のツルが向き合った、ご当地らしいマンホールです。

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●ホテルウイングインターナショナル

鹿児島の未訪市訪問として巡る際に前泊として利用させて頂いたホテルです。

駅に着いたのが夜8時台、でもひっそり感満載で、駅近のこのホテルがなかなか見つけられませんでした。駅周りも驚くほど寄る所がなくて。新幹線のある駅でもこんなに荒涼としているのか…と感じざるを得ませんでした。ちょっと幹線道へ出れば別ですが。

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●駅前道

各方面の標識がズラッと並んでいました。

南九州の方になると、どこへ何kmの標識の距離がえらいことになる事が多く、一見してそれらは行く事をまず諦めますが、武家屋敷群は遠くないし魅力あり、と感じさせられました。南九州市知覧の武家屋敷群も非常に良かったですが…。

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●昔ながらの酒屋さん

看板の色褪せきった感じが実にすばらしかったです。それと屋根下から出ているちょこっとした庇、こういう模様のものを見ると「昭和」を感じます。

しかしここの店名は笹原酒店か、やまぐち商店か?二世帯同居?(笑)

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●春日町バス停

南国バスというバス会社が運営しているバスの停留所です。

ダイヤ的には意外と?本数があり、1時間と開いていない感じで、こういう地方のバス停としてはなかなかのもの、と感じました。コミュニティバスよりは本数がかなりある感じで。ただ夜の終わりが早いのと、また土日祝になると本数が減ってしまいます。

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●コンクリート

のゴツゴツ感丸出しの建屋にも引き込まれます。

この年季からは考えられないほどの現役バリバリの会社です。→コチラ

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●巻積雲

「けんせきうん」と読みます。いわし雲とかうろこ雲とかともいいますね。

この一連の鹿児島の旅では、とにかく見事な雲に恵まれていい写真がかなり撮れた感がありました。この雲だけで絵になってる、まさにそんな感じでした。

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●春日橋

出水駅から駅前の道路を500m程行った所にあり、流れる川は米之津川というもので、出水市の海の部分から内陸へと約25kmを流れている川です。

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●出水税務署

あまり税務署の写真というのは撮らないのですが、ここではあるものが目について撮りに行きました。

それは「イータくん参号」という、ここの玄関脇に居た「e」の顔をしたものです。アゴのしゃくれ方!顔が「e」だからしょうがないですね。イータ君のプロフはコチラ 

e-Taxという自宅から納税や申告の申請ができるシステムがこの名のもとですが、そのイメージ定着のため2004年に誕生したという事です。

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●金龍

前夜に寄ったラーメン屋さんです。

朝が来てからもう一度散歩がてら訪ねてみました。

夜見た景色とこうして明るい時に見る景色とではまた違う、そんな当たり前のことに改めて気づかされました。

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●春日町へ戻る

向こうが出水駅ですが、橋の方まで行ってまた駅へ戻るというところです。

行きがけはバス停の写真だけ撮っていましたが、帰りはこのような周りの風景も。

新聞屋さんの建物が『毎日新聞』と2つも並べていました。

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●観光案内図

最後は駅に戻ってきてのこの写真です。

武家屋敷群行っておけば…と後悔しています。

遠くてなかなか行ける場所ではないので結構悔やんでいます。駅からそう遠くないので、出水駅から歩かれる時は是非に行ってみられて、感想をお聞きしたいものです。

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2016年2月12日 (金)

鹿児島/日置 伊集院の街を眺め行く

鹿児島県日置市、JR伊集院駅からの歩き旅です。

(2012年8月当時)

●駅前通り

伊集院駅には、片側(南側)のみ出口がありますが、その駅前広場からまっすぐに伸びた通りです。

市街地の両サイドといった感じで、特別に駅前感がある訳ではないと感じましたが、中層のビルがいくつか並ぶ形で、駅前通りが形成されています。

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●駅前の街灯

上の写真の通りを少しだけ進んだものですが、独特の灯籠風の街灯がついていました。

伊集院の駅前に堂々と建っていた島津義弘公ゆかりの地という事で、歴史ある街である事の表れでしょうか。

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●徳重橋

更に進んで、伊集院の駅からだと100m程直進した地点でしょうか、「徳重橋」なる橋に差し掛かります。

端にのでっかい石造りの燈籠の置かれた、なかなかの橋でした。

これを渡り終えると南日本銀行があり、また小学校や図書館などの主要施設も更に進めばあります。逆に日置市役所などの施設は、駅から見てこちらと反対側(北側)になります。

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●三文字

と書かれたバス停です。

伊集院駅から徳重橋を渡り切った地点にあります。

鹿児島交通のバス停としては「三文字」、日置市のコミュニティバスとしては「伊集院三文字」の名前で同じ場所に標識が建っています。また、この辺りは「〇〇三文字」なる停留所名のバス停がちょこちょこあるようです。それだけ聞くとちょっと怪しいですね、色々といわれがあると思いますが。

向こうには「銀天街」なる看板が見えていますが、駅前の商店街の名称のようで、駅前の通りの始点からになるのか詳細は不明でしたが…

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●ザビエル歴史街道

上の写真の「三文字」バス停の道を進み、差し掛かった交差点を右折して程ない地点です。伊集院駅からでは200mほどになるでしょうか。「ザビエル歴史街道」なる標識が出てきますが、かなり街らしい景色になってきました。

向こうには「一宇治城跡」の城山公園があります。

一宇治(いちうじ)城は、元々この地名にあたる伊集院氏が築城したとされ、強大な権力を誇っていたものの、15世紀半ばには島津氏に取って代わられ、島津氏はこの地を拠点に家中統一を果たし、当時の当主・島津貴久はフランシスコ・ザビエルと対面し、ここで日本初のキリスト教布教の許可が下りたといわれています。

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●ある肖像画

街を歩いていて目に止まったものです。

ここ日置市出身の長渕剛肖像画、バックには桜島と思われる山が。全国各市を訪ねていて、「その市らしい」何かを得られれば、といつも思っていましたが、こんな形でその市ならではのものに出くわせるとは!

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●きばれ商店街?

別に「きばれ商店街」というものがある訳ではないようです。きばれ!商店街、なのでしょうか(笑)

「笑」品券とされていますが、市内の特定のお店で使用できる商品券に関する幟であったと思われ、今は有効ではないかもしれません。こういうのも時代を切り取るカットとして基調になっていくのかも、と思います。

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●妙円寺詣り

のポスターがありました。

妙円寺とは、この地に縁のある(伊集院駅前の像にもあった)島津義弘公の菩提寺として知られ、そしてこの「妙円寺詣り」は鹿児島三大行事のひとつ、といわれるほどの伝統行事です。

ここ日置市内と鹿児島市内とに跨る形で、約20kmの道のりを歩いて参拝するというもので、毎年10月第4日曜日を軸にして開催され、甲冑をまとった武者たちの行列も見られるとか。「薩摩の歴史、ここに現る」というほど、薩摩の歴史が凝縮されたものでしょうか。

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●日置市商工会館

石とコンクリートでゴツゴツ感丸出しの渋い建物でした。

バックの青空が実によく映えていました。この時の鹿児島の未訪市を巡る旅では、空や雲に大変恵まれていて、これらが違うだけでこんなに写真うつりが違うのか!という事を強く感じさせられました。

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●図書館・武道館前

のバス停ですが、この通学小学生?と思われる銅像に衝撃を覚えました!この時代にこんなものがあるのか!!という感じで。

この辺りで伊集院駅から400mほどになるでしょうか。武道館は「日置市伊集院武道館」という名称で、市内の他地区にも旧町名称の武道館が存在します。

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●有馬新七の墓

通りから少し外れて小高い丘を上っていった所にありました。

有馬新七(1825-62)とは幕末の薩摩藩士で、寺田屋事件で死亡した志士でもあります。元は坂木四郎兵衛という人物の子として、ここ伊集院に生まれ、後に有馬家の養子に入ったとされます。

山崎闇斎派の儒学者に師事し、文武両道の俊傑の誉れ高い人物ともされており、尊皇攘夷の過激な行動を続けながらも、郷土の英雄として讃えられている人物のひとりなのでしょうか。

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●南方(諏訪)神社

「みなかた」ではなく、 「みなみかた」神社と読みます。

室町時代の後期に中島少輔という人物が神体を奉守し、以前、諏訪の地頭で諏訪神社を崇敬していた、島津の藩主を慕って薩摩に下ったとあります。

当時の領主は島津忠国という人物で、一宇治城の向かい側にあたるこの地に諏訪神社を建立し、その約100年後島津貴久の時には貴久が一宇治城を拠点とし、中島氏に次いで小田原氏が宮司を務めた、とあります。

鹿児島には、諏訪神社から南方神社へ改称させられた例が多いそうで、ここもその一つのようです。

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●伊集院の街並み

をそれなりに見下ろせる、この南方神社一帯。一宇治城の現役時はどんな街並みがここに見えたのでしょうか?そういうのにな思いを馳せて想像できる人、というのが羨ましいものです。そういうのが想像できずに歴史の深さを味わえずにいるのかな、と感じる事が多々あるもので。

それでも歴史あるここ日置市伊集院です。

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2015年12月10日 (木)

鹿児島/西之表 種子島の顔~西之表港~

鹿児島県西之表(にしのおもて)市、種子島の訪問記です。

(2015年9月当時)

西之表市は種子島の北部に位置し、人口は16,048人(2015.5.1現在)で、人口1万人台とはいえ種子島に唯一存在する市で、島の中心的な施設の多い所でもあります。

以前の記事鹿児島/中種子 コスモポートへようこそ!にて、種子島の空の玄関に到着して、島に入った訳ですが、今回はそこからバスでアクセスして、海の玄関および島の中心にやってきました。

●西之表港バス停

種子島空港からバスに乗ること30分、島の顔ともいうべきこの「西之表港」に着きました。今回の種子島旅行2泊3日でしたが、あらゆる行動の基準点はここだったといっても過言ではありません。

それにしても西之表が種子島だとはつい最近まで知りませんでした。西表(いりおもて)と勘違いしてたぐらいで。ともかくここを訪ねた事で、個人的には日本で未訪の市はついに「1つ」となりました(沖縄県宮古島市)。

つまり宮古島を訪問すれば、約790あるという日本の全市訪問が達成となる訳ですが、今はいつ行こうかというところです。何せお金が軽く10万~かかりそうで。早く行って達成したい気持ちもあれば、まだまだ楽しみを取っておきたいような気持ちもあります。

実際に降り立った地点(おりば)は、この右に隠れている50mほど離れた所で、ここは「のりば」になります。

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●降車地点

特に目印もなかったので、最初のバス停標識の写真をトップにもってきましたが、ここでバスをおり、この向こうに見える道路のカーブしようとしている地点が、上の写真で標識のあったのりばになります。

左向こうと左に隠れた真横にフェリーのりばがあり、鹿児島港とは航路で結ばれています。バスは空港の発着に合わせて来るものと、市内や島内を回っているものがありますが、それほど本数は多くないので、よく予定を立てて行動しないと、という事になります。寄る場所の数が限られてしまうので。

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●種子島マップ

沖縄本島のような、南北に長い島です。

現在地である西之表港は地図の北西側、左上の赤い部分にあたります。

空の玄関である種子島空港は、中種子町にあり、島のほぼ真ん中に位置します。

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●おじゃり申せ 種子島

この辺りでは「おじゃり申せ」という言葉をよく目にしました。

こういう場で書いてある内容といえば、意味は想像に難くないところですが、種子島の方言で「いらっしゃいませ」というものです。

このカットを見て、種子島ってつくづく「鉄砲とロケットの島」だという事を思い知らされますが、案内図のてっぺんの部分は、鉄砲が向かい合う形となっています。

下の写真の幟はフェリーのりばの待合室にあったものです。

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●トッピーターミナル

高速船「トッピー」ののりば兼待合所です。

2枚目の写真に見えていますが、バスを降車した地点の向こうに写り込んでいるものです。

「トッピー」は鹿児島港とここ西之表港を約1時間半で結び、料金は片道7,700円ということです。時刻表はコチラ 、現在は冬ダイヤで運航中との事です。

ここでフェリーに乗る事はありませんでしたが、この中には入ってちょっと休憩したりしてました。

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●西之表港待合所

こちらはバス降り場のほぼ真横にある「西之表港待合所」です。

右側の看板の「うXXXば」と隠されているのが気になりました。「うどん・そば」なのか…

上のトッピーターミナルよりもここで一服してた事の方が多かったです。種子島の宣伝動画みたいなものもここで流していました。

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●港にフェリー

「プリンセスわかさ」号という大きなフェリーが停泊していました。

鹿児島と種子島を1日1便結ぶこの客船は定員222名で、この船体1隻のみにつき、ドック入りする際は運休となるそうです。

先述の「トッピー」は鹿児島-西之表を1時間半で結ぶ高速艇ですが、このプリンセスわかさは3時間半かけて航行するフェリーで、料金は実にピンキリで、上のデラックスは片道\12,000以上で、2等では\3,900程と実に差の激しいものとなっています。

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●港周辺図

ここにもありました「おじゃりもうせ」(笑)

現在地である港は左に突き出た部分の斜めに線が走っているところの真ん中辺になります。

この図の真ん中部分で赤と緑の道路が縦に通っていますが、この辺りが西之表の中心街的な役目を果たし、色々なお店や施設が集中しています。

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●西之表港

港の事を記事にするならやはり、こういった海の景色を挙げないと始まらない、そう思ってのカットです。

プリンセスわかさをこのアングルで撮ると、更に格好よく感じますね。

思えばこの時の旅は雨がちで、終始天気の心配をしながら旅していた記憶が強く、雨が強くなったこともありました。

島内でも遠方へ行く時は便数が少ないながらもバスを使っていましたが、ホテルから飲食街へ出る時はほぼ徒歩で、また中途半端に距離があったので、雨が降ると特に大変でした。この時ほど飲食街の近くに泊まっておけばよかった、と思った事も珍しいほどでした。

この時は完全に飛行機と宿のパック予約だったので、フェリーで鹿児島へ渡るなどあり得ない状態でしたが、今度来る事があれば、フェリーで航行したいものです。豪華な船で3時間半のクルーズなんて贅沢なひと時を過ごしたいと思いますし。

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2015年11月23日 (月)

鹿児島/中種子 コスモポートへようこそ!

鹿児島県熊毛郡中種子(なかたね)町、種子島の中央部にある町で、人口は8,199人(2015.5.1現在)です。

種子島空港のある町で、大関・若嶋津はこの町の出身で、大成しないといわれた高卒力士として大関にまで登りつめ、1984年には年間最多勝を獲得し、横綱は間近とまで言われましたが…高田みづえさんとの結婚も当時大きく報じられたものでした。

今年9月、長年訪問を検討していた種子島にようやく行く事が叶い、最初に着いたのがこの種子島空港でした。

●空の玄関

種子島空港で飛行機から降り立ったところです。

こちらからでも「コスモポート種子島」の表示があります。種子島といえばロケットの打ち上げで有名ですが、種子島宇宙センターがある事からこの愛称になったといわれています。

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●搭乗機

このプロペラ機に乗ってやって来ました。

直行便がなく、鹿児島空港で乗継の形にてやってきたのですが、行程はこんな感じでした。

伊丹7:45 ⇒ 鹿児島8:55

鹿児島10:40 ⇒ 種子島11:15

 注)現ダイヤは違っています!

当日7:45伊丹発だったのですが、あろうことか寝坊をしてしまい、取るものも取りあえずの状態で、目安となる30分前の7:15に伊丹に着くか?半ば絶望もしながら三宮駅からバスに乗って、ナントカ間に合う事ができました…

鹿児島空港からは30分そこそこなので寝る暇もない感じでした。

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●空港を出て

向かいの駐車場周りです。

やはりロケットが前面に出ているのか…そんな感じでした。

種子島では最初はとにかく、鉄砲とロケットでしたね目についたのは。

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●空港前

現状は伊丹と鹿児島空港のみの就航で、伊丹もほとんどないような状態です。

年間利用者数は2013年で約73,000人という事で、ほぼ1日あたり200人の勘定になります。そんなに観光客で賑わうという雰囲気は感じませんでした。この時が平日だったからかな?とも思いましたが、その後土・日と過ごしてもさほど変わりがなく、混みあう場面にはほぼ出くわしませんでした、意外と穏やかです。

前にバスが停まっているのが見えますが、空港の便数が少ない事もあり、その発着に合わせて出たり着いたりするダイヤ形態になっており、これを逃すと当分ない、なんて事もあるので要注意です。

島の中心部である「西之表港」へはバスで約30分、730円です。

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2014年9月23日 (火)

鹿児島/指宿 いぶすきの街歩き

鹿児島県指宿市、JR指宿駅からの歩き旅です。

(2009年7月当時)

指宿駅の記事の最後に「指宿の街歩きはまたの機会に!」などと書いていましたが、駅記事のup以来約4年近くの歳月が流れ、今頃の旅記事御紹介となりました。本人レベルではそんなに時が経ったという感覚がまるきりないのですが…

●指宿マップ

鹿児島の南端で二股に分かれている部分の西側の方・薩摩半島の南端に位置します。

この右側の地図の右下端の部分です。

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●中央名店街

駅前の通りの入口にはこのようなゲートがありました。

「元気を実現する街 新・指宿市!」とありました。

新・指宿市というのは、2006年に旧・指宿市と旧・山川町と開聞町との合併によりできた現・指宿市の体制を指します。

両サイドの歩道に屋根がついた昔の商店街らしい雰囲気が向こうに見えます。

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●商店街

朝早かったせいもあるのかもしれませんが、殆ど開いていませんでした。

稼働している店舗がどの程度だったかも分かりませんでしたが。

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●マンホール

指宿市のマンホールです。

市の花であるハイビスカスが中心にも外周にも配されているようです。

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●迫北バス停

全般的に南国ムードの街並みがいかにも旅してる感をもたらしてくれます。

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●そして海へ

指宿駅から300mも行けば、この海から流れる河口に行き着き、その向こうが海(鹿児島湾)です。

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●鹿児島湾

海から流れ入る部分の砂浜の形が妙に惹かれました。

対岸も南国ムードでいい感じでした。

指宿といえば「砂蒸し風呂」が非常に有名ですが、ちょっと立ち寄り程度に次々歩いて行くこの旅では、そこまで時間は取れませんでした。駅から海までは近いのは確かです。

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●渡瀬通り

駅の近くまで戻ってきた所です。

銀行があったり、そこそこの層の建屋が並んでいて、市街地での多少栄えている部分かな、という印象を受けました。

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結局、指宿らしさがあまり感じられなかったかもしれませんでしたが以上です。

2014年4月 8日 (火)

鹿児島/奄美 たどり着いた奄美空港

鹿児島県奄美市、奄美大島の中部から北部にかけて存在し、人口は44,402人(2014.3.1現在)で、旧・名瀬市と住用村、笠利町の1市1町1村が合併して、2006年に誕生した市です。

という訳で、長年訪ねたいとは思っていた「奄美大島」、やっと今年初めに訪ねる事ができたのでした。(2014年1月当時)

Dsc01104●イモーレ奄美

奄美大島での最初の写真です。伊丹空港から空路やって来ました。

空港でなかなか撮れず、周りの空気を読みながら普通に歩いてたんで、写真撮れる態勢になったのは空港出てからでした。

これは空港の出入口の上にかかっていた横断幕です。奄美観光桜マラソンとは…。そのマラソンは2月2日ですが、ここを訪ねたのは1月、でもあったかかった事!

Dsc01115 ●60周年

奄美群島の日本復帰60周年を祝しての横断幕です。ちょうど先ほどの桜マラソンの真裏になりますが、奄美も沖縄のようにかつては日本の領土ではなかった訳です。

太平洋戦争後、本土から分割され、米国民政府の統治下に置かれるという時期があり、強い祖国復帰運動を経て、 1953年12月25日に遂にアメリカから返還され、「クリスマスプレゼント」などと言われたりしています。

Dsc01111●文化財マップ

空港前にあった奄美大島北部の文化財マップです。

空港から車利用で1時間以内に帰ってこれる範囲内だそうです。ただし公共交通機関が発達している島とは言い難い状態で、利用する場合はよくダイヤを確認する必要があります。

見てみると「グスク」が多いなという印象で、沖縄と似たような文化なのかな…と感じさせられました。

Dsc01112●奄美空港 表示看板

空港の玄関出たところで、歩道の上とでもいうか、車道までの庇の下にあたる部分です。

「奄美」の文字を見る度に、ホントに奄美の地を踏んだんだなという事を実感させられたものでした。

それよりも冬にもかかわらずの暖かさが、その事をハッキリ教えてくれるんですが。

Dsc01107●奄美空港

の建屋の様子です。

標識は直線が貨物ビル、右が駐車場、出口という空港内のみの標識という感じで、どこそこ行きというものではありませんでした。

ここへ行く前、前年末に五島へ行きましたが、ここもバス路線が充実してるとはいえない状態で、それ基準に訪ねてみましたが、あまり変わらずでした。それと街に出るにはバスで結構かかります。五島の場合は10分くらいで着きますが、ここ奄美の中心地的な「名瀬」へは距離があるのでダイヤ確認はマストです。

Dsc01105●奄美空港・2

それほど大きな空港ではありません。路線が限られているので、 それも当然の事ですが。

ちなみにこの時は、ここに停まってるバスに乗って街へ出ました。

名瀬行きのバスに乗って何十分か揺られる事となります。「名瀬(なぜ」)というこの地には行きたかった、その理由があります。約30年前、中学生になった頃、毎日ラジオを聴いていたのですが、NHKラジオの「気象通報」で天気をお知らせする地名のひとつにこの「名瀬」があったのです。不思議な響きであった事もあり、「どんなとこかな?」と何かの拍子でよく思ったものでした。それから30年、ようやく訪ねる事となったのでした。この記事は奄美空港のみで一旦終わります。

2014年2月26日 (水)

鹿児島/曽於 たからべ・まちあるき

鹿児島県曽於(そお)市、JR財部(たからべ)からの歩き旅です。

(2012年8月当時)

Img_4322●財部駅バス停

「曽於市思いやりバス」と銘打たれています。市のコミュニティバスで、ここ財部駅から医師会立病院までの約50分の路線、1日に4便が出ています。

もうひとつ、左側に背の低いバス停標識が立っていて、こちらは「曽於市思いやりタクシー」とありました。何コースかありますが、こちらは週に3日の運行で、月水金、火木土のような形で1日2便といった感じでした。一応市の中心駅のバス停にあたるんですが、ほとんどなかったですね。

ちなみにこのバス停は「駅」となっていますが、停留所の場所的には駅前広場の向こう側、広場を越えて、駅前通りの始点の角に位置する形でした。

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●曽於市MAP

財部駅前にある曽於市の観光案内図です。

形からすると東北地方のある県のようにも見えますが、この地図では下が北のようで、市の北端を東西にかすめるようにして線路が走っています。

財部駅はこの地図の左下部分にあるので、市の北東部に位置する事になります。

市内の名所につき番号を振って説明がなされていますが、この駅の近くには残念ながらありません…、そんな中を歩き旅しつつ何かを見つけようという訳ですが、さてさて何か見つかったのやら…

Img_4325●歩き出す

財部駅前の通りを歩き始めたところ。

ビタワンの、この犬の看板が懐かしいですね。昔はもっといろんな所でこの看板を見かけたもので親近感を覚えたものですが、さすがに少なくなりました。

駅前通りというものの、建物はまばらで商店街っぽい街灯はついてはいるものの、商店が連なる通りでもない感じで、寂しげな印象は否めないところです。

Img_4329●思いやりの曽於市へ

ようこそ

って事で、コミュニティバスにも「思いやり」とあったように、思いやりの街なのでしょうか。曽於市思いやりふるさと寄附というのもあり、曽於市を応援したいと思う人々からの寄付金を募っていたりします。

ちなみにこれは道路上の大きな看板ですが、弥五郎どん祭りって豪快そうだし、流鏑馬なんかもあるんですね。ここの付近じゃないんでしょうが…

Img_4333●財部町

旧自治体名である「財部町」の残る部分、向こうは児童公園となっています。

Img_4338●財部支所

曽於市役所の財部支所です。

財部駅から200mも歩けば、すぐ前まで来れます。

縦線の印象的なすばらしい建屋でした。旧郡部とは思えないような。

Img_4340●閉町記念碑

市支所前にある旧・財部町の「閉町」記念碑です。

開町の記念碑はよくあると思いますが、町という自治体の終わりを記念しての碑は初めて見たように思います。

という事で、平成17年6月30日に町を閉じた旨の宣言がなされています。明治22(1889)年に財部村としてスタートし、大正15(1926)年に財部「町」となって以来、80年を迎えようとする時、財部町単独で生き残るのは大変厳しい状況につき、という事で「曽於市」としてスタートするに至った、とあります。閉町する月での人口は10,687人とありました。

そんなこんなで、財部駅から財部支所までの様子in曽於市でした。

2013年10月27日 (日)

鹿児島/伊佐 大口開けて待っている…

鹿児島県伊佐市、鹿児島県の南西部、薩摩半島の西端に位置し、人口は36,767人(2013.8.1現在)で、2008年にこのターミナルのある旧・大口市と旧・伊佐郡菱刈町との1市1町が合併して、「伊佐」市としてスタートして間もなく5年を迎えようという新しい市です。

伊佐米として知られる屈指の米どころであり、また金の産出において世界屈指の高品位を誇る菱刈鉱山を持つという資源に恵まれた市です。

(訪問・2013年8月)

大口バス停留所

この伊佐市へのアクセスは鹿児島空港(霧島市)から、ここ大口バス停留所でした。

この時は、鹿児島県の未訪市めぐりで、朝に南さつま市に入って加世田の街を歩き、その後鹿児島中央駅→鹿児島空港を経てやって来ましたが、この訪問をもって鹿児島県の本土にある市を全制覇達成しました!(残るは西之表市や奄美市などの離島です)

九州全体で見ても、本土で未訪の市は長崎県西海市ただひとつとなりました。(今現在もそうです)

鹿児島空港からでも1時間はかかるので大変でした、訪問もそうですが、鹿児島中央へ戻るのも。

ここがいちおう旧・大口市の中心で伊佐市の中心かなと思いやって来ましたが、バスターミナルというよりは、屋内型の待合室のついた小マシな停留所、という感じでした。

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時刻表

バス停標識の時刻表で、上の写真で2本標識が立っていましたが、ここにあるのは距離の長い「南国交通バス」のものです。

主要な所では、鹿児島空港や水俣駅からのアクセスとなりますが、左半分が平日、右が土日祝のダイヤで、休日は減便となるので行き来も辛くなります。

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待合室内

こじんまりとした待合室に、外周ぐるっと木製ベンチが設置された格好で、壁面には何路線もの時刻表が貼ってありました。

お盆休みはこの中のいくつもの路線が運休になる旨が掲示されてもいました。訪問時が8月16日ですが、そのお盆の対象は8月14・15日でした。

アップで写しているのはこの近くの旧・菱刈町方面主体のものです。

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バス停前

のようすです。

広めの道という感じで、それ以外特別なスペースはとっておらず、券の販売とかもやっておらず、ホントに停留所です。

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旧・薩摩大口駅跡

バス停のすぐ裏手にあたる場所にある旧・薩摩大口の駅舎跡です。とりあえず写真はまとめて載せます。

大正10(1921)年に開業し、昭和63(1988)年に廃駅となるまで67年間存在し、山野線、宮之城線の駅として、また旧・大口市の中心駅でした。JRへと民営化されて1年に満たない1988年2月1日をもってその役目を終えました。

その存在を後世に伝えるため平成3年にこのスペースが造られたとあり、レールと車両(車掌車)と信号が保存されています。周辺は花畑にもなっていて、単なる跡地にならずに文字通り「華が添えられて」いました。

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