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46鹿児島県

2019年2月13日 (水)

鹿児島/姶良③ 加治木龍門滝 熱い水・冷たい水 

鹿児島県姶良市、加治木地区3本目です。

これまでの記事は

鹿児島/姶良① 加治木駅からかじき港町へ

鹿児島/姶良② 加治木島津の殿様

同じ2016年10月当時の様子ですが、ここまでは加治木駅からの歩き旅をお届けの形で、今回記事はピンポイントでタクシーに頼りました。

▼そうしてやってきたのはここ「龍門滝温泉」 です

ここへ来たくて加治木に来たといっても過言ではありませんでした。

加治木駅からタクシーで10分弱くらいでしょうか。ちなみに帰りも呼んだら同じ運転手さんにお世話になって、うまいものとか教えて頂きました。それはまたこの記事に出てきます。新川タクシーさん、ありがとうございました!

さて、この温泉のプロフィールを。

【龍門滝温泉】

住所:鹿児島県姶良市加治木町木田5271-1

電話番号:0995-62-2488

利用時間:6:0022:00

休業日:毎週水曜日

アクセス:JR加治木駅より車約8

料金:大人250 小人110

なんといっても、料金250円が魅力です

250円といっても浴槽があるだけの銭湯然とした施設ではなく、食事処もあり(もちろん別料金ですが)、縁石サウナや電気風呂灯複数種のお風呂があってのこの料金なので、すごくお得感がありました。

スーパー銭湯並みの施設があっての250円、というとお得感が伝わるでしょうか?

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▼温泉施設全貌はこんな感じです。独特の真ん丸の建屋で派手さはありませんが形がとてもユニークなものでした。

龍門「滝」温泉というぐらいなので、滝があります。

龍門滝は日本百名滝にも選ばれている素晴らしい滝であり、この施設の右横を通って向こうの方にあります。

そしてこの温泉からは。滝を見る事ができます。滝を見ながら温泉に浸かる…250円でできるこの贅沢…という感じです。

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加治木町史跡めぐり1万歩コース、として看板が出でていました。

この1万歩を歩く事によって、加治木の様々な史跡巡りができる、という訳ですね。

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▼ 「翔ぶが如く」の文字を久々に見ました。

この700m先にロケ地として使われた龍門司坂というのがあるとの看板が出ていました。

「翔ぶが如く」は1990年に放送されたNHK大河ドラマで、西郷隆盛を西田敏行さんが、大久保利通を鹿賀丈史さんが演じていました。昨年の「西郷どん」もそうでしたが鹿児島がメイン舞台の大河ドラマだった訳です。

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▼観光タクシー案内板 としてバス停の標識の如く立っていました。

コース案内としてABCとありましたが、4,000円台とか5,000円台とかそんな感じでありました。

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▼滝の手前の部分からのカットですが、左側に写っているのが龍門滝温泉施設の建物で、滝はこの川の向こうにあります。しかしまだここからではまだよく見えていません。

流れている川は加治木の街なかを流れていたのと同じ「網掛川」です。

また、こうして見ると周囲を山で囲まれている様子がよく分かると思います。

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▼川にはこんな鳥がいました。

所により少々激し目に流れているこの川にあって、優雅な雰囲気を醸し出しておりました。

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▼是枝快春(=これえだ・よしはる1924-90)の歌碑として置かれていた石です。

戦後の暗い時期に、この加治木の町において文化の灯りを点した先駆者として讃えるべき人物、として有志一同にてこれをつくったのだそうです。

ちなみにここからもう既に龍門滝は見えています。

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▼流しそうめん、流れてくるやつではありませんが、ぐるぐる回転するやつからそうめんを拾って食べるタイプのでした。これが滝の手前にありました。

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▼滝へはこんな感じの階段や通路を進んでいけば。より近くで見る事ができます。

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▼長く引っ張ってきましたが…

最後はもう、滝 滝 滝 です。

とにかく色んな滝の姿を。

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▼最後ですが、龍門滝へやってくる時に加治木駅から乗ったタクシーで運転手さんが進めてくれたお菓子です。

加治木駅の真ん前にある「岡田商店」というところのお饅頭です。軒先には「加治木まんじゅう」して売り出されています。

包装紙にあった住所表記が、旧加治木町時代のものというのも良かったです。

加治木駅に来たらまずここで饅頭を買いましょう。

以上、3記事にわたって加治木についてお送りしてきましたが、今回で終了です。色んな所を巡れてよかった、とつくづく思い、姶良市の良さも伝えられたのでは、と思います。

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2019年2月11日 (月)

鹿児島/姶良② 加治木島津の殿様

鹿児島県姶良(あいら)市、鹿児島/姶良① 加治木駅からかじき港町へに続く姶良市加治木地区の旅です。

山形屋ショッピングプラザです。加治木駅から南西徒歩7分程度と少し距離があります。

山形屋といえば鹿児島県を本拠とし、南九州で展開されている老舗百貨店チェーンで、地方の百貨店の先駆け的存在といわれています。

鹿児島市では、バスセンターがあった所で、必ず山形屋に停まる形となっている要衝でしたが、2015年にバスセンターが閉鎖されたようです。

ここはそんな山形屋の加治木店で、老舗百貨店の中で歴史は浅く、2002年開店だそうです。

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▼この上の写真までは、駅より南側の街の姿を数々お伝えしてきましたが、ここからは線路を越えて駅北へ。

加治木駅から北西へ200~300mの辺りへやって来ました。この辺りは結構歴史を感じられるエリアでもあります。

そしてこれは「曽木家の門」として遺っているものでした。加治木島津家の上級武士の屋敷門で、ブルーシートが屋根に掛かってボロボロになっているような地味ないでたちでありますが、鹿児島県でも有数の茅葺の武家門で、現存するものは本当に少ない貴重な文化財といわれています。

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▼旧加治木町の有志にて1978(昭和53)年に建てられた曽木隆輝という人物の像がありました。

旧加治木町の町長を1947(昭和22)-1954(昭和29)年と1958(昭和33)-1974(昭和49)年と実に23年も務めてきた人物です。途中1期だけ別の人物が務めていますが、これを除けば1947-74年の間、加治木町の町長を務め、戦後の復興期から高度経済成長期まで町政の第一線にいた人物だった訳ですね。そりゃ銅像も建てられるわな、と勝手に納得していました。

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▼この交差点、十字ではなく少し鈎型になっていますが、右に見えているのは「加治木護国神社」です。

加治木の歴史がギュッと詰まったエリアといっても過言ではない所で、ここに見える石垣からもその歴史に思いを馳せる事も出来るのではと思いました。

前回の1回目の記事では、どちらかというと街の様子が主でしたが、今回記事は歴史的な部分が主になると思います。

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▼上の写真の交差点の左手前に隠れていた部分はこの建屋です。

FANTAとCoca-Colaの看板が昭和丸出しでよかったです。よくこれを遺してくれたなと。

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▼2枚上の写真の左側に写っていますが、加治木護国神社と並んでいる姶良市立柁城(だじょう)小学校です。

歴史あるエリアに溶け込むように和風の塀と立派な校門で覆われています。

江戸時代の1784年に加治木島津6代目の島津久微によって郷校「毓英館(いくえいかん)」がそのルーツとされる非常に歴史のある学校です。

小学校となったのは1876年の事で、その時には現在の校名になっていたといいます。ちなみに公立の小学校ですが、制服があるそうです。

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▼加治木護国神社にて、周辺の地図がありました。幕末当時の周辺図という事で。

島津義弘公が同じ姶良市の帖佐(ちょうさ)から1607年に当地に移り、天守閣を持たない屋形群で構成した居館とし、北隣の加治木高校の敷地がこれにあたり、義弘の没後に柁城小学校の敷地にあたる部分を別館にしたといいます。

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▼護国神社の鳥居と拝殿です。

たいそうないでたちで、すごい神社ではないかと思いましたが、普段は人のいない神社でした。それこそ、おみくじが売っていたり巫女さんが要るような所では全然なくて、敷地は広いけど閑散とした所でした。なので拝殿も大層な建物ではなく、実にひっそりとしたものでした。

元々神社としての江戸時代からの歴史があった訳ではないのもありますが、起源は明治初期で戊辰戦争や西南戦争の加治木町内の殉死者を英霊を祀るものだったといいます。

今の場所に移ったのは昭和34年という事で今年でちょうど60年になります。

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▼護国神社の敷地内です。

他にこれといった建物が特に見受けられない、本当にひっそりしたところです。

逆にこれで当時の歴史に思いを馳せられるのかも。

江戸時代はここが加治木の中心地であり、殿様もいた所だったんですよね。

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▼護国神社のすぐ北にある加治木高校です。

小学校は神社の西隣にあり、この高校は神社の北隣にあります。

殿の居館もあった訳で、ここも小学校ほどの大層な塀ではないものの、少々雰囲気のある門になってはいます。

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▼最後は、加治木商工会館です。

通りかかりに撮ったんですが、なんといってもこの2F部分の窓のブルーの縦線がインパクトすごかったです。これがあるのとないのとでは建物として全然違う感じがします。

柱の下まで通っている所は、そのブルーラインが地面まで続いてしました。

姶良市内はJR姶良駅前をフラフラしていたのですが、いまひとつ記事にし辛いかな、という感じであったので、中心地の加治木を訪ねて、その街なかを歩いてみて、それなりの風景が撮れたかなと思いました。

歴史に触れたいならば、加治木駅の北西300mほどの加治木護国神社周辺を歩き回ってみては?と思います。

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鹿児島/姶良① 加治木駅からかじき港町へ

鹿児島県姶良市、JR加治木駅前の歩き旅です。

(2016年10月当時)

▼加治木駅前の通りはこんな感じで、見たところ高い建物は殆ど見受けられず、道が続いていくだけな感じでした。

右手前に写っている「旅館 風月」は現在営業しているか確認できませんでした。

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▼上の写真の駅前通りを見て、この先に何か目を惹くものがありそうな気がしませんでしたが、とにかく歩いてみる事にして撮ったカットです。

三州自動車というところのスクールバスのりばの標識が立っていました。

これは2016年、まだ2年半も経っていないのですが、この後三州自動車はバス事業を鹿児島交通に譲渡して2018年3月に解散し消滅してしまっています。この写真のわずか1年半後です。このような地方にも時の流れが時として激しくなる事もあるのだな、とつくづく感じさせられました。

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▼ろうきんがあったであろう建物です。

2013年7月に移転した旨が貼ってありましたが、この写真の3年以上前に移転したようです。この告知イラストでカエルが後ろから女性のお尻にタッチしているようにしか見えませんでした(笑)

しかし移転先はここより7、8kmも東へ離れた霧島市国分で、名前も加治木支店から「霧島」支店となっています。JRで2駅離れた先でもあり、ここ加治木では実質上の廃止ではないかなと思いました。

ちなみに「ろうきん」は銀行のような営利目的のものではなく、また融資先も殆どが個人なのだそうで、「労働金庫」の名前から企業が殆どで、逆に個人には縁が薄いのかと思っていたら真逆でした。

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加治木町循環バスのバス停がありました。

ここは現在は姶良市ですが、旧は加治木町であり、今となっては姶良市加治木町としてのコミュニティバスという位置づけで運営されているようです。

便は日曜が最少で1日3便で、土曜は4便、平日は6便ありますが、曜日により若干の時刻違いがあるようです。

しかしこの標識の絵柄を見てギョッとなりました。これを載せるか??という感じでしたが…。

その絵柄とは「クモ」です。個人的に一番苦手なもので、出来る事なら見たくもなかったのですが、絵柄と割り切って撮りました(笑)

何故クモかというと、加治木では「加治木クモ合戦」という400年の歴史があるとされるコガネグモを闘わせる競技があるそうで選択無形民俗文化財というものにも登録されているそうです。

島津義弘公が1592年に兵の士気を高める為に始めたとされますが、文献となって残っているのは1925年が最初との事で、その歴史の実際の深さはよく分からないようです。

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▼天神公園という所へ来ました。

色んな遊具のある広い公園でした。

かたつむりのやつがなんだかおもしろい形でした。

ステージもあったりしてイベントが開催される事もあるのでしょうか?

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▼菅原神社とその傍の大楠のカットです。

菅原神社は名前そのもので、菅原道真公を祀っている神社です。

文献上の歴史は1552年に始まるとされ、当時は海岸砂浜の大洲の上にあったとも記されています。

そしてこの大きなクスノキは菅原神社の御神木で、この加治木ではもっとも大きくて古い木とされています。根の周りが12mあり高さは25.5mあります。神社造営の1552年に神木として植えられたとの記載があるそうで、460年以上の樹齢があるとされています。

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▼タイヨーというスーパー・チェーンがありました。イズミヤと勘違いするようなマークでしたが、イズミヤと見比べると全然違う事に気づきます。

鹿児島市に本社を置き、鹿児島県及び宮崎県にも展開され、1960年創業という事で間もなく還暦を迎えますが、九州沖縄のスーパー業界において第4位の売上を誇っているといいます。

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▼通りの一角に「龍門司焼(りゅうもんじやき) 三彩大花瓶(さんさいだいかびん)」とあるものが飾られていました。

1688年からの歴史がある龍門司焼の作品のひとつとして飾られており、現在もその作風が引き継がれているといいます。

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▼タイヨーの辺りは、賑やかな商店街になっていて、この加治木地区の商業の中心地のようでした。駅のすぐ前より、少し離れたこの辺りの方が人通りもありました。

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▼水辺へやって来ました。

網掛川という二級河川に架かる網掛橋というところです。欄干の端にはここにもまたクモが…。

この辺りは加治木港町といわれるエリア内で、ここはまだ港より引っ込んだ川の部分です。加治木港は旧薩摩国と大隅国の境に位置し、交通の要衝として栄えていたといいます。

この網掛橋は江戸時代にいち早く架けられた橋で、当時の絵図にも2連式の板橋が描かれていたといい、鉄筋コンクリート化は昭和元年とかなり早期ではないかと思います。

この橋から眺めた川の様子が、サイドの高木と相まって実に素晴らして景色でした。高知市の高知橋から見た風景にちょっと似ていました。

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▼港町の飲食店街という通りに出くわしました。

加治木駅からだと南西に約0.8kmの地点になりますが、この旅館江戸川というのも営業が確認できませんでした。ちょっと看板が年季入っていて、やっているかどうか…という部分はありましたが。

向こうへ進むにつれ飲み屋街的な雰囲気になっていきました。

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中浜の恵比須神詞との説明板がありました。

先の網掛橋の所で「かじき港町の名所案内」の説明板がありましたが、その中に載っていたひとつです。

1890(明治23)年にここ加治木の商工業者が建てたもので、世は第1回帝国議会が開催され、その趨勢を受けて経済発展を祈念して建てたもの、とありました。

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▼加治木港へ向かって南へ下っていくと、石灰やセメントなどの工場がありました。

海へと間近に迫ったところ、立ち入れそうになかった感じだったので引き返しましたが、向こうには桜島が見えました。そう、ここ加治木港は正面対岸に桜島が見えます。

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▼港から加治木駅方面へ引き返すところですが、「しばらく」という名のお店があったり、「宝」という字に濁点をつけた「宝゛」「だから」と読むお店があったり、ユニークな名前にいっぺんに出くわしました。

この姶良はなんだかんだめぐってきたのですが、港まで来た時点のここまでで第1編とします。

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2018年7月 8日 (日)

鹿児島/霧島② 姫城温泉の湯めぐり


鹿児島県霧島市、鹿児島/霧島 西郷どん湯~湯のリレーの続編です。

●泉帯橋

「せんたいばし」と読みます。

前回の日当山温泉センターでお湯につかってから県道472号線を東へ、この橋を渡って別のお湯を目指します。

単なる大き目の橋かと渡っていくと、西郷どんに関する説明板がいくつか掛けられていました。

明治初年に坊主頭になって、おばあさんに「お寺を持っとるか?」と聞かれて西郷どんが答えたのが「桜島を持っとる」と答えた、と書かれてありました。

どこの郷村にも一定数いるような凶漢が襲ってきても、実に悠然とした態度で、その器量の大きさを語られるものもありました。

西郷どんエピソードに興味のある方には楽しい橋だと思います。

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●天降川

泉帯橋が架かる川がこの天降川です。

天降川は「あもりがわ」と読みます。「あもりがわ」と打ったら「天降川」が出てくるのでビックリです。

二級河川で約42kmの川ですが、アユの稚魚の漁獲高は日本一とありました。

左側が前回記事の日当山温泉にあたる部分で、右側がこれから目指す姫城(ひめぎ)温泉側です。姫城温泉は広義の日当山温泉郷の括りには入りますが、狭義では別物という扱いのようです。

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●姫城温泉バス停

泉帯橋を渡った直後にあるのがこのバス停です。

この向こうへ、国分駅へ行く便が1~2時間に1本程度の間隔で出ています。あまり便数が多くないので、利用する時はチェックが必要です。

このバス停ではありませんでしたが、この辺りのバス停で時刻表をチェックして結果的に国分駅へ行く事となりました。その際に「乗換案内」が大いに役立ちました。最近の乗換案内はバス路線にも対応していて実に有り難いですね。これが分かるようになってからバス利用する事が増えて、うまく利用できるようになったと思います。

しかし、温泉と書かれたバス停の割にパッと見渡してそれらして雰囲気が感じられず、ホントに温泉あるのかな??と半信半疑で歩を進めました。一応Googleマップに従って歩いてはいましたが。

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●日本湯小屋物語

上の写真のバス停から向こうへ(東へ)歩いて程なく、左手にこの建物が見えました。

「日本湯小屋物語」

よく「〇〇温泉 ○○の湯」的なタイトルのものを見かけますが、そういうのとは全然違っていて、また最近できた新興のものとは違って、昭和46(1971)年に創業されたという歴史のある日帰り温泉でもあります。何度か改名している為、今の名前になったのは2011年、創業40周年を記念してとの事でした。

営業時間は10:00~24:00です。

単なる共同のスーパー銭湯というより、時間制の貸切風呂いう感じで「家族温泉施設」と謳われています。その為料金も割高で、この時入るかどうか迷いましたが、まず待ち時間ありの状態でもあったので、自販機コーナーでゆっくりアイスだけ食べてここを後にましした。予約を入れておいた方が良いですね。

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●次の場所へ

日本湯小屋物語を出てすぐの所ですが、もう次に行く場所が左端に見えてきています。

前回の日当山温泉の方からだと、徒歩でいくつも温泉に行けるという意味で廃れたとはいえ温泉郷であり、贅沢なエリアかもしれません。

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●花の湯

先程の日本湯小屋物語のお風呂は断念して、ここ「花の湯」へは浸かりにやって来ました。

すぐ先にあるので、どっちかに入れればいいかなというところですが、この日二度目の入浴となりました。ここは普通にスーパー銭湯のスタイルです。

こちらは9:00~22:00の営業で、料金は500円です。スーパー銭湯スタイルでは安めではないでしょうか。

この日二度目の入浴とはいえ、最初の日当山温泉センターでは髪も身体も洗えなかったし、入浴以外の施設が何もなかったので、ようやくまともな入浴ができたかな、というところです。個人的に単に入浴だけでなく、マッサージ機や食事を楽しむのも温泉に入った時の楽しみにしているので。

とにかくここで少々長居して、ここからバス停に出て、元来た隼人駅ではなく、霧島市のもう一つの中心駅的存在の国分駅へ行く事となりました。(どちらでもよかったのですが、駅へ行く便が国分行きの方が早かった為です)

この辺だけでもそれなりの温泉施設があるこの霧島市、もっと北の霧島温泉郷まで足を延ばせばもっと楽しむ事ができます、今度はこの辺りにも行きたいものです。

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2018年7月 7日 (土)

鹿児島/霧島 西郷どん湯~湯のリレー

鹿児島県霧島市、鹿児島県で第2位の人口を誇るこの街で霧島温泉郷周りを旅したのは今年初めの事でした。

(2018年1月当時)

●隼人駅前

元々の目的は、今年1発目の旅として、霧島温泉郷をまず巡って後は成り行き…という感じでJR隼人駅までアクセスしてきました。

着くや、歓迎看板に「西郷どん ゆかりの地 隼人へ」とありました。

そういえば今年の大河ドラマは「西郷どん」じゃないか!とここへ来て初めて思ったもので、全然意識していませんでした。単に、今年初の旅どこへ行こうか??今年初の温泉浸かりとして霧島温泉郷あたりを巡って、後は成り行き任せ…くらいにしか考えていませんでした。そして結果的に霧島温泉までは行きませんでしたが…。

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●ひなたやおま温泉

「日当山」温泉と表記します。

隼人駅の隣駅もまた日当山駅といいますが、まるまる1駅分歩いてきた格好になります、距離にして約3km。バスで行こうとしていましたが、待ちきれずに何度もバス停を横目に見つつ歩いてきてしまいました。

この間、霧島神宮への道がありましたが、1月2日初詣真っ盛りで、混みまくっていました。そういう意味でもバスを選択しなかったのは良かったですが、歩きは正直疲れました。

ここは霧島温泉郷の中に入るのかと思っていましたが、そうではないようで、霧島温泉郷はもっと北側の奥まった所のようです。

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●県下最古の温泉地へ

霧島温泉郷までは至らずも、この日当山温泉郷を愉しむ事としました。ここは鹿児島最古の温泉地であり、西郷どんが愛した温泉地であるという事で、そういう面での楽しみができるかなという事で。

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●日当山商店街

上の写真での幹線道からそれて、少しひっそりとした感じの商店街と思われる通りへ。

ここを日当山商店街というかは分かりません。一応道路標識に沿って出てきて、街灯に店名看板が並ぶ格好の通りになっていたので、そうではないかと思いますが…。

往時はもっと商店街として栄えていたのでは…??と思わせられる雰囲気も確かにそこかしこに感じたりはしましたが…。

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●西郷どん愛用の宿

という文字と、あの豪快な肖像画と共に建物が見えてきました。上の写真の商店街からまた少しだけ逸れる格好になりますが「日当山西郷どん湯」とありました。この2018年幕開けの時期になんとトレンディーな?!所に行き着いたのか!!西郷隆盛は温泉がかなり好きであったようです。

この旅館は素泊まりナント¥1,800で泊まれるのです。

普通の和室のようでエアコン等もあるしという事です。ただ、近くに食べに行くような所がないので、上の写真の幹線道まで出れば何かあるかな?という感じかと思い、もし泊まるなら予め食べておくか、コンビニで買い物しておくか、だと思います。

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●共同湯

上の写真の「西郷どん湯」の旅館の道を挟んで真向いにある共同浴場で、こちらは日帰りでも利用できます。向かいの旅館の利用者もお風呂は、道向かいにあるここを利用する事となります。

右が女湯、東が男湯で、利用料は250円です。

実はここには中へ入っていませんが、かなりこじんまりした感じで普通に銭湯という感じの写真が載っていました。湯船は2つあるようです。

温泉の紹介として日当山唯一最古の天然温泉である事が記されています。そして征韓論に敗れて下野した西郷隆盛が度々寄った事も。釣り糸を垂れ、狩猟に汗して、と自然児らしい生き方をして、この温泉にも立ち寄っていたようです。

ちなみに「西郷(せご)どん」とルビが振ってあります。今年大河ドラマが放送されるまで普通に「さいごうどん」しか読み方がないと思っていましたが、地元では「せごどん」というんですね。全然知りませんでした。

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●次の場所へ

西郷どん湯を離れて、次に行こうとしたのはこの看板に出ている所です。

「日当山温泉センター」

西郷どん湯からは直線距離では100mもない所にあり、ちょっと回り道しながらで100m余りでしょうか。

一応、温泉宿がこの辺りに2つある事になり、この辺りは温泉街という事になりますかね。

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●日向山温泉センター

上の写真から横道それて程無く着きました。

ここも西郷どん湯ほどではないにしても宿泊料自体は安価です。素泊まりだと¥3,500で食事がつくごとに増える形ですが、ここだと食事は確保できるのが良いですね。

ちなみに日帰り入浴は、西郷どん湯と同じ250円です。朝8時~夜10時とありました。

ここには入りました!

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●脱衣所

入口玄関入った所が旅館フロントであり、日帰り入浴の受付でもありますが、常駐している感じではなさそうでした。宿の案内の方もされているようでしょっちゅう無人になるようです。

受付で支払済ませるとフロントから案内されてここまで来る事となります。

鍵のかかるロッカーがないので、そこのところは要注意です。フロントに貴重品預けるかぐらいと思いますが、常駐していないのもちょっと怖いと感じました。

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●脱衣所2

右側に隠れている部分にトイレがあります。

ぶら下がり健康器!には、たまげました。現物を見たの実に久々でした。

脱衣籠の数もあんまりなく(利用者が多くないのか…)、広々としたスペースになっています。

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●浴槽部

誰も居なかったので撮りました…

下の写真の2枚目の右側の高い岩肌と、いくつもの大きめの石のところの細長い部分、これのみが浴槽スペースです。

左側の部分は身体洗いのスペースとでもいうか、という感じですが、シャンプー・ソープの類は置いていないし、蛇口が左向こうに2つあるのみです。シャワーもありません。

下の写真の一枚目の左奥に石で仕切られた部分がありますが、ここには水もお湯も何も入っていませんでした。

3枚目の写真にちょっとして説明板がありましたが「熊襲風呂」と書いてありました。熊襲とは神話記紀(古事記や日本書紀など)でヤマト王権に抵抗する(九州南西部の)人々とありました。

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●西郷さんの崖

日当山温泉センターの敷地内にある崖です。

これも西郷さんがらみという事で、この崖で草鞋を作っていたとありました。

当時は宿などなく、家人同様の扱いであったとか。

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以上、日当山温泉として西郷どんの湯から、温泉センターまでのところでした。

2017年2月28日 (火)

JR嘉例川駅 (鹿児島県霧島市)

鹿児島県霧島市のJR嘉例川駅です。

霧島市ではJR隼人駅をupした事がありますが、今回は昔ながらの駅舎で有名なこの嘉例川駅の御紹介です。

-JR嘉例川駅-
【路線】
JR肥薩線(八代-隼人間)
【開業】1903年1月15日
【訪問】2016年10
【1日あたり平均乗車人員】 35人/日 (2013年)
【近隣の主要駅】 (八代方面)人吉駅→9駅
            (隼人方面)隼人駅→4駅


●駅名標周辺

霧島市内の中心でも何でもない1駅で無人駅でもありますが特急が停車するという珍しい駅です。

それもこれも開業した1903年築という鹿児島県内最古の駅舎を有し、登録有形文化財であるという点が注目され、駅舎自体が観光名所化している側面がかなり強い駅です。

忌野清志郎のシングル「Oh!RADIO」のプロモーションビデオに使われた場所であり、このシングル曲は彼の死後に発売された遺作で、最後の吹き込みおよび演奏作品とされています。

駅名標はきれいな字体のものになっていますが、ひらがな表記に昔を感じさせます。ちょっと整いすぎて違和感ありますが、周りの壁面や柱や梁などに往時を存分に感じ取る事ができるかと思います。

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●ホーム

1面1線だけのホームで、対面にはただただ緑が広がるだけで何にもありません。

県内最古の駅舎があるというだけで何もないところなのか…

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●ホーム色々

といってもホームに下りて左端側のものが殆どです。上の写真でいうと手前側になります。

ホーム上はここに見どころが一点集中している感じで、昔ながらの駅名標と名所案内がありました。駅名が有名ではありますが、名所としては「新川渓谷温泉郷」というのがあるようです。いくつかの温泉が合わさった温泉郷という事で、坂本龍馬は日本で初めて新婚旅行をした人物と言われていますが、その旅行先として利用された塩浸温泉や西郷隆盛が度々利用していたという日当山温泉等も含まれるという事です。空港から15分の所にいくらでも温泉があるという、温泉銀座ともいうべき場所でしょうか。

駅の話に戻って、ホームでもこの辺りはちょっとしたコスモス園状態でした。

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●ホームから

改札とは別の入口がありますが、こちらは展示室になっています。

最古の駅らしい汚れ感?でもいうものがよく出ていると思います。

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●展示室内

上の写真の入口を入ると、このようないろんなものが展示されていました。

昔の記事であったり、在りし日の様子であったりと。

1984(昭和59)年1月31日時点では無人駅前であったといい、この部屋が駅務室そのものだったのか、と思いながらこの写真を見ていました。

新人記事には、この嘉例川駅をバックに人力車に乗った昭和天皇のカットなどがありました。

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●路線図

近隣の場所のみですが駅舎内にありました。

上の写真の部屋とは駅舎内でも部屋違いで、下りたホームから右側が上の写真の展示室で、左側は普通に改札があり、これを出た後の駅舎内の一角にこの路線図があります。

鹿児島県の中心となる鹿児島中央駅までは840円、ここ霧島市内の中心的存在の隼人駅までは280円となっています。反対側だと熊本県の人吉駅まで1290円です。

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●ロケ地

見た事あるなこれ、と思ってみていたこれは桃井かおり&竹下景子というバリバリの女優コンビで1990(平成2)年に撮影された「JRナイスミディパス」のCMのものです。

ここ嘉例川駅でロケにて撮影されたという事で飾られているのですが、当時は国鉄から民営化されて数年という状況でしたが、ナイスミディパスは2009年以降発売されていないそうです、というかそんな近年まで発売されていた事に逆に驚きましたが。

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●百年の木造駅舎

という事で、この駅のウリともいうべき部分が紹介されています。

紹介文自体は短いのですが、日本語のみならず、英語・韓国語・中国語でも紹介されています。

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●駅舎内

オール木造という感じでベンチまで完全に「木」です。

駅利用者数は1日2ケタの少なさですが、駅自体に来る人は少なくなく、端にこれぐらいの壁付ベンチがあっても足りなくはないかな、と感じます。

隣の展示室でも結構何人となく人がいて、展示物を見ていました。

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●にゃん太郎

この駅の特徴は何といっても、県内最古の木造駅舎として115年になろうかというその歴史な訳ですが、もうひとつありました。

それがこの「にゃん太郎」です。

和歌山電鉄のたま駅長の存在はあまりに有名ですが、この猫は2015年頃にこの駅に居つくようになったそうですが、駅長という訳ではなく、ただ「嘉例川観光大使」という肩書きをもっています。

そしてこのにゃん太郎は「たぬき猫」であり「さくら猫」でもあるという事です。たぬき猫は顔がたぬきの模様に似ているからだと思いますが、さくら猫というのは不妊手術済のしるしとして、耳の先端が少しカットされている野良猫のことです。不妊手術される事により今後生まれてくる猫が不幸にならないように(悲しい運命をたどる猫ができないように)、殺処分ゼロを目指してものだという事です。

行った時は寝ていましたが、さわらないで、餌をやらないで、という事で、写真だけ撮らせてもらいました。

タヌキ顔で目が青いのも変な感じですが個性的な猫ですね。まだ5歳くらいらしいので、元気に動いてる時に会いたいものです。にしても、この小屋の中を自分でホームポジションのように捉えているのでしょうか??

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●登録有形文化財

と最初に書きましたが、その証がここにありました。

記念碑として造られていますが、ここの文によると現在は肥薩線ですが、当初は鹿児島本線であったといいます。明治期の遺構として貴重という事で2006年に有形文化財に登録された、あります。

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●記念碑

駅外に立っていた開業百周年の記念碑です。

開業が1903(明治36)年で、この碑は2003年につくられています、という至極当たり前のことを書きましたが、それとてもう14年前の事であり、来年は開業115年、未だその当時の姿を残している、という事が本当に素晴らしいですね。日露戦争が起こっていた時もこの木造の建物はあった訳ですよね。

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●駅前広場

見えていませんが左に隠れている部分にちょっとした公園がひっそりとあって、後はこの左に見えている自転車置場と右にはひっそりとバス停があります。

このバス停は鹿児島空港行きで、実際この時は鹿児島空港から発ったのですが、空港まではここからバスに乗って行きました。わずか10分くらいで空港には行き着きますが、1日5便しかないので要注意です。

というかその前にまず、駅前広場が砂利道であり、これが驚きです。

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●バス停

上の写真にも写り込んでいた駅前広場にある「嘉例川駅」バス停です。

ご丁寧に喫煙所までつくってありますが、こんな草むらの中で一歩間違えば大火事ものだと思いたくなりました。

時刻表は下の写真の通りで、左側が鹿児島空港行きの便です。

「嘉例川」バス停というのが別に存在するので要注意です。このバス停は嘉例川駅から東へ500m程離れた所にあるので、嘉例川バス停に着くバスを、この嘉例川駅バス停で待っていても一向に来ないので。

実際管理人もこの罠にはまりそうになって、嘉例川バス停で検索して定刻過ぎても空港行きの便が来ず焦りました。程なく、この嘉例川駅に着く便があったので良かったものの、空港に遅刻でキャンセル?明日仕事なのに帰れない??とか頭をよぎりました。日曜の16時ともなっていたので。そんな事もここでの想い出です。

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●公園

駅を出て駅前広場のすぐ左側にある公園です。

ちょっとした憩いの広場的なスペースで特に何があるという感じではありませんでしたが。

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●嘉例川駅 駅舎

さんざん引っ張ってきましたが、これが嘉例川駅の駅舎です。

開業から今年で115年目、明治時代から世の中の動きをずっと見守ってひっそりと立ち続けていたその駅舎の姿がここにあります。一般にはそれほど有名でもないかもですが、鉄ヲタにはかなりの有名駅、どんなとこか?と思い、今回鹿児島空港利用があったので来てみましたが、これはすごかったですね。

人で賑わう程でもなかったですが、こんなヒッソリとした駅でも常に10何人かぐらいは居るレベルでした。

歴史を感じる嘉例川駅、上手くすれば猫が起きているかもしれず、行ってみる価値ありだと思います。

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2017年2月19日 (日)

JR加治木駅 (鹿児島県姶良市)

鹿児島県姶良市のJR加治木(かじき)です

姶良市ではJR姶良駅をupしていますが、姶良駅は合併して姶良市になる前の「姶良町」時代でも中心駅ではなく(実質的な中心駅は隣の帖佐駅)、今回の加治木駅は、同じく「加治木町」時代の中心駅です。

前回、姶良駅に行ってあまりこれというものに出くわせなかったので、昨秋鹿児島へ行く機会を得た際に、姶良市内の別の駅を訪ねてみようとなり、旧自治体時に中心駅であったこの駅に行く事にした、という訳です。

-JR加治木駅-
【路線】
JR日豊本線(小倉-鹿児島間)
【開業】1901年6月10日
【訪問】2016年10
【1日あたり平均乗車人員】 1,801人/日 (2013年)
【近隣の主要駅】 (小倉方面)隼人駅→隣駅
            (鹿児島方面)帖佐駅→2駅


●駅名標

旧加治木町の中心駅としてはその町名を名のる駅でしたが、合併により姶良市となってからは、市の中心ということではなく、一地区である加治木地区の中心的存在へとシフトしています。

隣駅の「きんこう」は錦江と表記し、「にしきえ」と読みそうですが音読みです。反対側隣駅の隼人から霧島市となり、同駅は霧島市の中心駅となります。

加治木は大相撲の逆鉾・寺尾兄弟の出身地として有名で、彼らが土俵に上がる際は「鹿児島県姶良郡加治木町出身…」などとアナウンスが流れていました。この2人は兄弟で関脇まで上りつめたなど、さまざまな兄弟記録を持っています。

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●ホーム1

加治木町中心駅当時の面影か、沢山の広告看板が並び立っていました。

更に向こうには大きな枠の看板の跡が見えますが、上部以外は既に枠になく、上部に「豊かな心木の住い」と「日本の緑 国〇林(国有林?)」とあるのみです。それもすっかり色褪せてしまって…、林業華やかなりし頃に現役だったのでしょうかこの看板。

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●ホーム2

島式ホームからの様子ですが、このホームと跨線橋で渡った先のもうひとつのホームとの2面2線形式で、この撮っているホームも列車が停車するのは片側のみで、もう片側は進入できないよう柵がされています。

特急「きりしま」の停車駅で、すべての便が停車する訳ではありませんが、9割方はこの駅に停車しています。同じ姶良市内の帖佐駅・姶良駅にも停車しますが、これらの駅は停車する便が多くなく、実質的に姶良市内で最も特急停車の多い駅となります。

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●ホーム3

跨線橋へ進む際のカットです。

こちらのホームは3番のりばとして右側にあり、左側は先述の通り柵があります。跨線橋で渡った先は1番のりばとなっていますが、2番のりばがかつてあったものが消滅したのでしょうか。おそらくこのホームの左側が2番ホームであったと思われますが。

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●跨線橋

手すりのついた跨線橋でした。

通路幅はやや狭めで、床面はアスファルト?に点字ブロックがついていました。

掲示物に貼られている場所はまばらで、真ん中と両端にパラパラという感じで、この辺りの活発さはあまり感じられませんでした。ただ内壁面がきれいだったなという印象だけはありました。

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●駅前風景

駅前広場からの駅前通りの様子ですが、やや広めの道路が通っていました。右側に隠れた形で写り込んでいるのは旅館です。旅館「風月」といいますが、予約サイトに載っていたのでまだ現役のようです。

左側のビルの1Fにあるのは「加治木まんじゅう」のお店で、岡田商店といいますが、加治木まんじゅうは江戸中期からつくられていた地元のお菓子という事で、何店舗もこのようなまんじゅう屋さんがあるという事です。なかでもここは駅前に立地していて旅人には分かりやすくて助かります。ここからタクシーである所へ行った際も、このまんじゅう屋さんを勧められました。割とあんまんに近いお菓子ですかね、蒸しまんじゅうです。

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●駅バス停

駅を出てすぐの所に、バス停の標識が2本立っていました。

ここでは1本に見えますが、死角になっていて、もう1本背の低い標識が隠れる形で立っています。

ひとつは「南国交通」というところの路線です。

その時刻表が下3枚中2枚目の写真のものですが、上下に2路線の時刻表が平日と土日祝とに分かれて掲載されています。こうして見ると思ったより多くの便が出ているな、と感じました。ただし休日になるとぐっと減る点は要注意です。

で、この行先は主に、姶良イオン方面と鹿児島空港方面となり、鹿児島空港へは約20分で着く事ができます。空港へのアクセスが良いという意味でGOODな立地だと思います。

もうひとつのバスは「加治木地区循環バス」です。標識は「加治木町循環バス」と旧自治体名のままになっていましたが…。

このバスの路線および時刻表はいちばん下の写真になります。いくつかの路線が出ていますが、だいたいが1日3便程度です。なので目当ての所に行きたい等あれば、時刻表と所要時間の把握は必須ですね。

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●加治木駅 駅舎

郡部の町の中心駅の姿をそのまま引きずってる感の駅舎でした。

庇のフチの赤い部分が印象的でした。

自販機が複数台あって、タクシーも数台停まっていて、そこそこの規模かな?というところでした。郡部の中心駅でない所には絶対この程度の設備はないだろうというところで。タクシーが停まっていてくれたのは後に大変役に立ちました。

姶良駅周辺では、これといったものがなく街歩きの程度でしたが、ここでは良いものを観る事ができました。それはまたいずれ書きたいのですが、他にも書きたい所があり過ぎてなかなか追いつかないのがかねてよりの悩みです。

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2016年9月23日 (金)

鹿児島/出水 いわし雲とe顔

鹿児島県出水市、JR出水駅からの歩き旅です。

(2012年8月当時)

●マンホール

冒頭のリンク先とした駅記事ですが、旧駅舎の時のもの(1997年訪問)を載せており、15年後の2012年再訪時のものを載せていなかったので、まずはそちらから載せようと思っていたのですが、この記事を先に書いてしまいました。

今は出水駅は在来線がJRから肥薩おれんじ鉄道へと転換され、新幹線が通るようになって新幹線のみがJRに属する格好となっています。

そして冒頭にこのマンホールの写真を持ってきましたが、とにかくここ出水は「ツルの里」、ツルの飛来地として有名な街です。仲睦まじそうな二羽のツルが向き合った、ご当地らしいマンホールです。

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●ホテルウイングインターナショナル

鹿児島の未訪市訪問として巡る際に前泊として利用させて頂いたホテルです。

駅に着いたのが夜8時台、でもひっそり感満載で、駅近のこのホテルがなかなか見つけられませんでした。駅周りも驚くほど寄る所がなくて。新幹線のある駅でもこんなに荒涼としているのか…と感じざるを得ませんでした。ちょっと幹線道へ出れば別ですが。

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●駅前道

各方面の標識がズラッと並んでいました。

南九州の方になると、どこへ何kmの標識の距離がえらいことになる事が多く、一見してそれらは行く事をまず諦めますが、武家屋敷群は遠くないし魅力あり、と感じさせられました。南九州市知覧の武家屋敷群も非常に良かったですが…。

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●昔ながらの酒屋さん

看板の色褪せきった感じが実にすばらしかったです。それと屋根下から出ているちょこっとした庇、こういう模様のものを見ると「昭和」を感じます。

しかしここの店名は笹原酒店か、やまぐち商店か?二世帯同居?(笑)

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●春日町バス停

南国バスというバス会社が運営しているバスの停留所です。

ダイヤ的には意外と?本数があり、1時間と開いていない感じで、こういう地方のバス停としてはなかなかのもの、と感じました。コミュニティバスよりは本数がかなりある感じで。ただ夜の終わりが早いのと、また土日祝になると本数が減ってしまいます。

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●コンクリート

のゴツゴツ感丸出しの建屋にも引き込まれます。

この年季からは考えられないほどの現役バリバリの会社です。→コチラ

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●巻積雲

「けんせきうん」と読みます。いわし雲とかうろこ雲とかともいいますね。

この一連の鹿児島の旅では、とにかく見事な雲に恵まれていい写真がかなり撮れた感がありました。この雲だけで絵になってる、まさにそんな感じでした。

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●春日橋

出水駅から駅前の道路を500m程行った所にあり、流れる川は米之津川というもので、出水市の海の部分から内陸へと約25kmを流れている川です。

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●出水税務署

あまり税務署の写真というのは撮らないのですが、ここではあるものが目について撮りに行きました。

それは「イータくん参号」という、ここの玄関脇に居た「e」の顔をしたものです。アゴのしゃくれ方!顔が「e」だからしょうがないですね。イータ君のプロフはコチラ 

e-Taxという自宅から納税や申告の申請ができるシステムがこの名のもとですが、そのイメージ定着のため2004年に誕生したという事です。

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●金龍

前夜に寄ったラーメン屋さんです。

朝が来てからもう一度散歩がてら訪ねてみました。

夜見た景色とこうして明るい時に見る景色とではまた違う、そんな当たり前のことに改めて気づかされました。

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●春日町へ戻る

向こうが出水駅ですが、橋の方まで行ってまた駅へ戻るというところです。

行きがけはバス停の写真だけ撮っていましたが、帰りはこのような周りの風景も。

新聞屋さんの建物が『毎日新聞』と2つも並べていました。

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●観光案内図

最後は駅に戻ってきてのこの写真です。

武家屋敷群行っておけば…と後悔しています。

遠くてなかなか行ける場所ではないので結構悔やんでいます。駅からそう遠くないので、出水駅から歩かれる時は是非に行ってみられて、感想をお聞きしたいものです。

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2016年2月12日 (金)

鹿児島/日置 伊集院の街を眺め行く

鹿児島県日置市、JR伊集院駅からの歩き旅です。

(2012年8月当時)

●駅前通り

伊集院駅には、片側(南側)のみ出口がありますが、その駅前広場からまっすぐに伸びた通りです。

市街地の両サイドといった感じで、特別に駅前感がある訳ではないと感じましたが、中層のビルがいくつか並ぶ形で、駅前通りが形成されています。

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●駅前の街灯

上の写真の通りを少しだけ進んだものですが、独特の灯籠風の街灯がついていました。

伊集院の駅前に堂々と建っていた島津義弘公ゆかりの地という事で、歴史ある街である事の表れでしょうか。

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●徳重橋

更に進んで、伊集院の駅からだと100m程直進した地点でしょうか、「徳重橋」なる橋に差し掛かります。

端にのでっかい石造りの燈籠の置かれた、なかなかの橋でした。

これを渡り終えると南日本銀行があり、また小学校や図書館などの主要施設も更に進めばあります。逆に日置市役所などの施設は、駅から見てこちらと反対側(北側)になります。

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●三文字

と書かれたバス停です。

伊集院駅から徳重橋を渡り切った地点にあります。

鹿児島交通のバス停としては「三文字」、日置市のコミュニティバスとしては「伊集院三文字」の名前で同じ場所に標識が建っています。また、この辺りは「〇〇三文字」なる停留所名のバス停がちょこちょこあるようです。それだけ聞くとちょっと怪しいですね、色々といわれがあると思いますが。

向こうには「銀天街」なる看板が見えていますが、駅前の商店街の名称のようで、駅前の通りの始点からになるのか詳細は不明でしたが…

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●ザビエル歴史街道

上の写真の「三文字」バス停の道を進み、差し掛かった交差点を右折して程ない地点です。伊集院駅からでは200mほどになるでしょうか。「ザビエル歴史街道」なる標識が出てきますが、かなり街らしい景色になってきました。

向こうには「一宇治城跡」の城山公園があります。

一宇治(いちうじ)城は、元々この地名にあたる伊集院氏が築城したとされ、強大な権力を誇っていたものの、15世紀半ばには島津氏に取って代わられ、島津氏はこの地を拠点に家中統一を果たし、当時の当主・島津貴久はフランシスコ・ザビエルと対面し、ここで日本初のキリスト教布教の許可が下りたといわれています。

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●ある肖像画

街を歩いていて目に止まったものです。

ここ日置市出身の長渕剛肖像画、バックには桜島と思われる山が。全国各市を訪ねていて、「その市らしい」何かを得られれば、といつも思っていましたが、こんな形でその市ならではのものに出くわせるとは!

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●きばれ商店街?

別に「きばれ商店街」というものがある訳ではないようです。きばれ!商店街、なのでしょうか(笑)

「笑」品券とされていますが、市内の特定のお店で使用できる商品券に関する幟であったと思われ、今は有効ではないかもしれません。こういうのも時代を切り取るカットとして基調になっていくのかも、と思います。

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●妙円寺詣り

のポスターがありました。

妙円寺とは、この地に縁のある(伊集院駅前の像にもあった)島津義弘公の菩提寺として知られ、そしてこの「妙円寺詣り」は鹿児島三大行事のひとつ、といわれるほどの伝統行事です。

ここ日置市内と鹿児島市内とに跨る形で、約20kmの道のりを歩いて参拝するというもので、毎年10月第4日曜日を軸にして開催され、甲冑をまとった武者たちの行列も見られるとか。「薩摩の歴史、ここに現る」というほど、薩摩の歴史が凝縮されたものでしょうか。

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●日置市商工会館

石とコンクリートでゴツゴツ感丸出しの渋い建物でした。

バックの青空が実によく映えていました。この時の鹿児島の未訪市を巡る旅では、空や雲に大変恵まれていて、これらが違うだけでこんなに写真うつりが違うのか!という事を強く感じさせられました。

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●図書館・武道館前

のバス停ですが、この通学小学生?と思われる銅像に衝撃を覚えました!この時代にこんなものがあるのか!!という感じで。

この辺りで伊集院駅から400mほどになるでしょうか。武道館は「日置市伊集院武道館」という名称で、市内の他地区にも旧町名称の武道館が存在します。

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●有馬新七の墓

通りから少し外れて小高い丘を上っていった所にありました。

有馬新七(1825-62)とは幕末の薩摩藩士で、寺田屋事件で死亡した志士でもあります。元は坂木四郎兵衛という人物の子として、ここ伊集院に生まれ、後に有馬家の養子に入ったとされます。

山崎闇斎派の儒学者に師事し、文武両道の俊傑の誉れ高い人物ともされており、尊皇攘夷の過激な行動を続けながらも、郷土の英雄として讃えられている人物のひとりなのでしょうか。

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●南方(諏訪)神社

「みなかた」ではなく、 「みなみかた」神社と読みます。

室町時代の後期に中島少輔という人物が神体を奉守し、以前、諏訪の地頭で諏訪神社を崇敬していた、島津の藩主を慕って薩摩に下ったとあります。

当時の領主は島津忠国という人物で、一宇治城の向かい側にあたるこの地に諏訪神社を建立し、その約100年後島津貴久の時には貴久が一宇治城を拠点とし、中島氏に次いで小田原氏が宮司を務めた、とあります。

鹿児島には、諏訪神社から南方神社へ改称させられた例が多いそうで、ここもその一つのようです。

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●伊集院の街並み

をそれなりに見下ろせる、この南方神社一帯。一宇治城の現役時はどんな街並みがここに見えたのでしょうか?そういうのにな思いを馳せて想像できる人、というのが羨ましいものです。そういうのが想像できずに歴史の深さを味わえずにいるのかな、と感じる事が多々あるもので。

それでも歴史あるここ日置市伊集院です。

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2015年12月10日 (木)

鹿児島/西之表 種子島の顔~西之表港~

鹿児島県西之表(にしのおもて)市、種子島の訪問記です。

(2015年9月当時)

西之表市は種子島の北部に位置し、人口は16,048人(2015.5.1現在)で、人口1万人台とはいえ種子島に唯一存在する市で、島の中心的な施設の多い所でもあります。

以前の記事鹿児島/中種子 コスモポートへようこそ!にて、種子島の空の玄関に到着して、島に入った訳ですが、今回はそこからバスでアクセスして、海の玄関および島の中心にやってきました。

●西之表港バス停

種子島空港からバスに乗ること30分、島の顔ともいうべきこの「西之表港」に着きました。今回の種子島旅行2泊3日でしたが、あらゆる行動の基準点はここだったといっても過言ではありません。

それにしても西之表が種子島だとはつい最近まで知りませんでした。西表(いりおもて)と勘違いしてたぐらいで。ともかくここを訪ねた事で、個人的には日本で未訪の市はついに「1つ」となりました(沖縄県宮古島市)。

つまり宮古島を訪問すれば、約790あるという日本の全市訪問が達成となる訳ですが、今はいつ行こうかというところです。何せお金が軽く10万~かかりそうで。早く行って達成したい気持ちもあれば、まだまだ楽しみを取っておきたいような気持ちもあります。

実際に降り立った地点(おりば)は、この右に隠れている50mほど離れた所で、ここは「のりば」になります。

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●降車地点

特に目印もなかったので、最初のバス停標識の写真をトップにもってきましたが、ここでバスをおり、この向こうに見える道路のカーブしようとしている地点が、上の写真で標識のあったのりばになります。

左向こうと左に隠れた真横にフェリーのりばがあり、鹿児島港とは航路で結ばれています。バスは空港の発着に合わせて来るものと、市内や島内を回っているものがありますが、それほど本数は多くないので、よく予定を立てて行動しないと、という事になります。寄る場所の数が限られてしまうので。

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●種子島マップ

沖縄本島のような、南北に長い島です。

現在地である西之表港は地図の北西側、左上の赤い部分にあたります。

空の玄関である種子島空港は、中種子町にあり、島のほぼ真ん中に位置します。

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●おじゃり申せ 種子島

この辺りでは「おじゃり申せ」という言葉をよく目にしました。

こういう場で書いてある内容といえば、意味は想像に難くないところですが、種子島の方言で「いらっしゃいませ」というものです。

このカットを見て、種子島ってつくづく「鉄砲とロケットの島」だという事を思い知らされますが、案内図のてっぺんの部分は、鉄砲が向かい合う形となっています。

下の写真の幟はフェリーのりばの待合室にあったものです。

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●トッピーターミナル

高速船「トッピー」ののりば兼待合所です。

2枚目の写真に見えていますが、バスを降車した地点の向こうに写り込んでいるものです。

「トッピー」は鹿児島港とここ西之表港を約1時間半で結び、料金は片道7,700円ということです。時刻表はコチラ 、現在は冬ダイヤで運航中との事です。

ここでフェリーに乗る事はありませんでしたが、この中には入ってちょっと休憩したりしてました。

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●西之表港待合所

こちらはバス降り場のほぼ真横にある「西之表港待合所」です。

右側の看板の「うXXXば」と隠されているのが気になりました。「うどん・そば」なのか…

上のトッピーターミナルよりもここで一服してた事の方が多かったです。種子島の宣伝動画みたいなものもここで流していました。

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●港にフェリー

「プリンセスわかさ」号という大きなフェリーが停泊していました。

鹿児島と種子島を1日1便結ぶこの客船は定員222名で、この船体1隻のみにつき、ドック入りする際は運休となるそうです。

先述の「トッピー」は鹿児島-西之表を1時間半で結ぶ高速艇ですが、このプリンセスわかさは3時間半かけて航行するフェリーで、料金は実にピンキリで、上のデラックスは片道\12,000以上で、2等では\3,900程と実に差の激しいものとなっています。

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●港周辺図

ここにもありました「おじゃりもうせ」(笑)

現在地である港は左に突き出た部分の斜めに線が走っているところの真ん中辺になります。

この図の真ん中部分で赤と緑の道路が縦に通っていますが、この辺りが西之表の中心街的な役目を果たし、色々なお店や施設が集中しています。

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●西之表港

港の事を記事にするならやはり、こういった海の景色を挙げないと始まらない、そう思ってのカットです。

プリンセスわかさをこのアングルで撮ると、更に格好よく感じますね。

思えばこの時の旅は雨がちで、終始天気の心配をしながら旅していた記憶が強く、雨が強くなったこともありました。

島内でも遠方へ行く時は便数が少ないながらもバスを使っていましたが、ホテルから飲食街へ出る時はほぼ徒歩で、また中途半端に距離があったので、雨が降ると特に大変でした。この時ほど飲食街の近くに泊まっておけばよかった、と思った事も珍しいほどでした。

この時は完全に飛行機と宿のパック予約だったので、フェリーで鹿児島へ渡るなどあり得ない状態でしたが、今度来る事があれば、フェリーで航行したいものです。豪華な船で3時間半のクルーズなんて贅沢なひと時を過ごしたいと思いますし。

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