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46鹿児島県

2019年9月 1日 (日)

JR吉松駅 (鹿児島県姶良郡湧水町)

鹿児島県姶良郡湧水町のJR吉松(よしまつ)です。

湧水町は鹿児島県の北部内陸地域に位置し、人口は9,552人(2019.6.1現在)です。

2005年に旧・吉松町と栗野町が合併してできた町で、池から湧き出る湧水に因んでの命名といいますが、湧水というのは「水が湧く」という事で、このような名詞に動詞をくっつけたような自治体名はなかなか珍しいのでは?という気がします。

-JR吉松駅-
【路線】
JR肥薩線(八代-隼人間)
      吉都線(吉松-都城間)

【開業】1903年9月5日
【訪問】2019年1
【1日あたり平均乗車人員】 116人/日 (2013年) 
【近隣の主要駅】 (八代方面) 人吉駅→4駅 
           (隼人方面) 霧島温泉駅→4
駅 
           (都城方面) えびの駅→3駅

▼駅の名前はよく聞いていましたが、こうして訪ねたのは今年の初めの事で「ようやく来れた」という感じでした。

JR肥薩線と吉都線を結ぶ駅であり、南九州にあって郡部の珍しいキー駅の役割を担っています。なので、隣駅表示も片方は2つ書かれてありました。

JR吉都(きっと)線の「吉」はこの吉松の事で、「都」の都城駅と結んだ路線という事です。

隣駅の「くりの」 (栗野)駅は湧水町になる前、合併相手の町名駅で、吉松もこの旧町を名乗った駅となります。

もう片方の「まさき」 (真幸。これで「まさき」と読みます)駅は肥薩線で、宮崎県の駅となります。吉都線ではここにある「つるまる」 (鶴丸)駅を経て次からが宮崎県の駅となります。

鹿児島の駅記事が続きますが、これは今年の初めに霧島温泉郷を訪ねた事に始まる一連の旅で訪問した駅を順次upしていってるためです。

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▼時刻表です。

左から 「隼人・鹿児島方面」(肥薩線)  「人吉・熊本方面」(肥薩線)  「都城・宮崎方面」(吉都線)

となっています。

最も本数が多いのが肥薩線の「隼人・鹿児島方面」で、1時間に1本近くありますが、これが最多です。この駅が複数路線にまたがるキー駅であっても、全体的な本数は多いといえない状況です。

全体を通して終電時刻が20時台とはすごいですね、早すぎる…ヒトの生活としては、そうしたものであるべきかもしれませんが…。

肥薩線の反対方面(人吉・熊本方面)は1日に3本しかなく、吉都線の都城方面は概ね2時間に1本という形です。

この時は吉都線の駅をいくつか降り立った訳ですが、常に時刻表とのチェックをしながら巡っていました。

九州の内陸部を走るレアな路線で、存続していてほしいなと個人的には望みますが、この先どうなるのかな?とも感じました。

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▼ホームは2面4線で、実際に使用されているのは2面3線で、残り1線は留置線です。

ホーム上にはドカッと売店がありました。

この時は見かけませんでしたが、昭和の頃によくあった駅弁の立ち売りを今もやっているそうです。

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▼南九州の内陸部では屈指のキー駅であるためか、豪華な雰囲気が感じられ、ホーム上の屋根が広く大きく取られているだけでなく、骨組みにも着色されていたりしました。

1日あたりの乗車数は100人そこそこですが、そう思わせない立派なホームで、この時は両側ホームに電車が停まっていました。

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▼そのホームに停まっていた電車たちの様子です。

上の写真では両側ホームに列車が停車していましたが、この時3つ稼働しているホーム全部に列車が停まっていたのでした。

上側の単独で写っている電車は「キットカット電車」で、前面には縁起良く「吉」の字が並んでいます。

このあたりは縁起の良い駅名三部作?で、丸、吉、真と縁起良い漢字が並んでいるのです。

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▼両面あるホームを繋いでいるのはこの跨線橋です。

改札側のホームと、島式ホーム2つがあり、階段は橋から3つ下りている格好になります。

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▼その跨線橋の内部です。

とりあえず階段部分は掲示物はなく、手すりの上と下で色が分かれるツートンになっていて、デザインにアクセントがついたものとなっていました。。

橋の部分は掲示物がありました。手すりを境にしたツートンはここでも続いていて、また屋根部分は骨組み部分が丸みを帯びてちょっと凝った形となっていました。

この階段は、階段が3つ下りている跨線橋の真ん中のもので、上りきった後は両サイドに通路がある形です。

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▼島式ホームから跨線橋を渡って来て、改札側のホームへ。

ここは列車が停車しないホームです。

当日日付つきの顔抜き看板があったり、チェンソーアートの木彫物があったり、ただの通過点の一駅では無いようなものが色々と置かれていました。という事で、今年の1月3日の事でした。貴重な「平成31年」です。

この湧水町では「チェンソーアート全国大会」というのが近年になり毎年行われている事から、このようなものが置いてあるようです。

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▼改札を出るところです。

切符入れがポツンとあって、ただ縦にまっすぐなゲートがあるだけの構造でした。

ただ出口までには少し距離を感じさせる奥行きがありました。

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▼駅前広場には動輪が静態保存されていました。

そしてその両サイドには肥薩線の開通記念碑や、吉松駅の開業100周年記念碑なども並べられていました。

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▼駅前広場の延長上ともいうべきスペースには、このような蒸気機関車も静態保存されていました。

C5552号というものでした。

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▼この駅前には色々ありすぎて嬉しい誤算でした。

こんな郡部のひっそりした感じの駅にこんなに色んなものがあるとは…往時は栄えていたのかな??などと思いを馳せてしまいます。

ということでこれは「石倉」という"近代化産業遺産"として保存されているもので、燃料庫だそうです。1903年の開業当時に造られ、鉄道関連施設としての石造物では現存最古級ともいわれています。

また、案内板にありましたが、この駅は鉄道の街として大いに栄え、最盛期には600人を越える職員が働いていたそうです。

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▼吉松駅の駅舎です。

郡部とはいえ交通の要衝の役目を果たし続けている駅だけあってか、2階建てのそこそこの規模の駅舎となっています。

それぞれの階の屋根縁に当たる部分がオレンジになっていて、白を基調とした建物において、良いアクセントになっています。

当初は、肥薩線と吉都線の分岐駅で、どの道待ち時間が発生するので、どんな所かな?位な感じでやって来ましたが、あれこれ見る分に関しては時間つぶしができる所、というのが訪ねての感想でした。

ただ、駅前が賑わっているとか栄えているとか、そういう感じはありませんでした。なので食べる所を探すなどは困難でした。しかし真ん前に銭湯があります。

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▼最後はこのカットで。

キットカットです(笑)

ホームにキットカット電車が停まっていましたが、「吉都」線に因んでのもので、駅で切符を買った時に駅員さんがくれました。

切符購入者には全員くれたのでしょう、正月期間でキャンペーン的なものであったのかもしれません。

という訳で、この切符にあるように次に向かったのは「京町温泉」駅でした。

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2019年8月26日 (月)

JR霧島温泉駅 (鹿児島県霧島市)

鹿児島県霧島市のJR霧島温泉(きりしま・おんせん)です

霧島市では、JR隼人駅と前回記事でJR霧島神宮駅をupしましたが、今回はこの駅です。

-JR霧島温泉
【路線】JR肥薩線(八代-隼人間)
【開業】1908年7月11日
【訪問】2019年1月
【1日あたり平均乗車人員】 241人/日 (2016年)
【近隣の都市駅】(八代方面)人吉駅→8駅
           (隼人方面)隼人駅→5駅

▼前回記事の霧島「神宮」駅はJR日豊本線という本線上にありましたが、この駅は別路線の「肥薩線」に属しています。ちなみに霧島神宮駅は旧・霧島町、この霧島温泉駅は旧・牧園町に属していて、その町名である「牧園駅」を長らく名乗っておりましたが、1962年に「霧島西口」駅と改称し、更に2003年に現駅名となり、それからまだ16年しか経っていない状態です。

そんな訳で、同じ霧島市内でも霧島神宮から霧島温泉へJRで移動するのは結構時間がかかり、隼人駅を経由して7駅を要します。この辺の7駅というのは相当なもの(時間・距離とも)であり、ダイヤを要確認ではありますがバスで移動した方が早い事もあります。

この時は、霧島温泉郷のホテルから少し歩いてからバスに乗ってこの駅へやって来ました。

この駅は普段は普通列車しか通っていない状態で、土日などの休日のみ1日2往復だけ特急「はやとの風」が通っていて、その停車駅となっています。週末だけの特急停車駅という事ですね。

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▼名所案内です。

辺りは「霧島国立公園」です。

霧島温泉郷、霧島神宮はもちろんですが、山々が豊富??で、新燃岳、韓国岳、高千穂峰、えびの高原ete…が列挙されていました。

徒歩で行けるところもあるにはありますが、というレベルでほとんどがバスを要する距離につき、いっぺんに色んな所は行きづらいかなと。というか殆どんが山なので遊ぶジャンルが限られてしまいますが…。

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▼ホームは1面2線で、隼人方面と吉松方面へ別れています。

隼人の方が都会に出る形となり、吉松方面は内陸に入っていくような感じです。

霧島神宮駅の方は隼人まで2駅ですが、ここからだと隼人まで5駅を要します。

しかし、かの有名な「嘉例川駅」が隣駅として存在しています。古くからの姿を遺す駅として有名な駅です。

それと長いホーム幅が取られている中で、屋根のあるスペースはごくわずかです。

ホーム上はそのわずかな屋根こそありますが、待合室はなく、座って待つなら駅舎でという感じです。

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▼1面2線のホームと駅改札とは構内踏切で繋がっていて、そこから坂を上ってホームに至る形で、跨線橋はありません。

構内踏切も遮断はなく、そのまま渡れてしまう形です。

改札へ入る時は「いってらっしゃい」の表示が、観光的な要素を醸し出しています、ここにも霧島温泉郷というかなり遠いですが観光地を擁している側面があります。ちなみに利用者数では霧島神宮駅よりもやや多く、1.3倍程度あります。

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▼ホームの最も駅舎から遠い側からのカットですが、左端にはかつての線路の残骸?も見えました。

車止めであったのか?今は線路もなく分かりませんが、この部分が切欠きになっていて、何だったのだろう?と思いめぐらせてしまいます。

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▼改札を入ってすぐの所に、龍馬とお龍の顔抜き看板がありました。

立派に観光の要素が感じられるものとして、駅を象徴するものとしてこれはなかなか重要なものではないかと思います。

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▼またまた写真が横転できずスミマセン。

縦長につき横向きになってしまったのですが時刻表です。

肥薩線の時刻表で左側が隼人方面で、右側が吉松(都城)方面です。

赤字は特急「はやとの風」号の停車で休日のみですが、それ以外が通常の普通列車の停車で、1時間に1本もない時間帯もあり、左側の隼人方面は14時台の次は17時までの2時間半電車が来ない(赤字の15時台特急は休日のみ)という状況もあり、時刻表を見ながらの旅程組みが必須です。

とりあえず平日ベース(黒字のもの)では、1時間に2本ある時間帯は皆無です。

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▼ここからは駅舎内です。

ホームの様子からすると、そんなに大きな規模の駅という感じではなく、田舎の小さな駅という感じですが、駅舎内は意外にも?なかなかの規模でした。

ガッツリ重厚感に溢れた木製の机と椅子が沢山待合室に並んでいる様はなかなか荘厳でした。

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▼上の写真の向こう側に見えていますが、パネル展示がなされていました。

この牧園でも西南戦争があった、という事でその説明です。西南戦争といえば薩摩でありこの鹿児島ですが、ここでも展開されていたのですね。

戦った人たちとしてもちろん西郷隆盛の写真もありました。

他に肖像のある辺見十郎太、桂久武なども西郷と同じ1877年に自決、戦死などで亡くなっています。

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▼駅舎入口から改札を見た目線のカットです。

こちら側にも色々ぺたぺたと貼ってありました。

感謝状も飾られていました。この霧島駅宛ではなく「花のある駅づくり実行委員会」宛のもので、2011年に国土交通大臣からの感謝状でした。

一方で「猫に餌をあげないでください」という注意の貼り紙も、その下にはありました。

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▼駅前広場です。

霧島国立公園としての側面が最大のウリで歓迎看板が真ん中に、適度に目立ち適度にひっそりと置かれていました。

この駅前で、目だった歓迎を示すものはこれぐらいだったように思います。

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▼駅舎内で猫に餌をあげないように、とありましたが、ネコが駅前にいました。

普段から居るんでしょうか?それで悩まされているのか??しかもかなり慣れた感じで近づいても全然逃げないどころか、カメラを向けてさえこんな寛ぎようでした。

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▼これも横になりすみません。

駅前広場には複数路線のバスのりばがありました。

鹿児島交通と横川ふれあいバスというものの標識が立っていました。

(この写真を縦にできないのが辛いです…)

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▼霧島温泉駅の駅舎です。

霧島「神宮」駅のような階段の上にあるような厳かな感じはなく、真っ平の平屋駅舎ですが、そこそこ横に長い駅舎になっています。

そして広めの広場スペースでロータリーが形成されていますが、バスやタクシーが活発に行き来している感じではありませんでした。

それでも鹿児島屈指の温泉街である「霧島温泉郷」へアブローチできるところなので(そういう目論みで駅名が「霧島温泉」になったのかと思ていますが…)、温泉大好きな方には是非とも寄ってほしい所ですね。

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2019年8月25日 (日)

JR霧島神宮駅 (鹿児島県霧島市)

鹿島県霧島市のJR霧島神宮(きりしま・じんぐう)です

霧島市では、JR隼人駅をupした事がありますが、今年の初めに霧島温泉郷へ行ってきた時にアプローチしたこの駅をお送りします。

-JR霧島神宮
【路線】JR日豊本線(小倉-鹿児島間)
【開業】1930年7月10日
【訪問】2019年1月
【1日あたり平均乗車人員】 203人/日 (2016年)
【近隣の都市駅】(小倉方面)財部駅→4駅
           (鹿児島方面)国分駅→隣駅、隼人駅→2駅

▼JR日豊本線で、隼人駅、国分駅に続いて位置している駅で、平成の大合併以前は旧・姶良郡の霧島町に属していて、その町内2駅のうちの中心駅的な役割を果たしていた駅です。

特急「きりしま」の停車駅であり、霧島神宮の最寄り駅として存在感のある駅です。ただし霧島神宮へはバスで10分ほどかかり、徒歩では少々厳しいです。

隣の国分駅とは12.7kmもの距離があり、JR九州管内の在来線では最長の駅間距離だといいます。

このあたりでは、隼人駅(旧・隼人町)→国分駅(旧・国分市)→当駅(旧・霧島町)と、旧自治体では中心駅が続いている所であったので、そんなに駅間距離が長いとは気づきませんでした。

屋根の骨組部分が朱塗りになっているところに霧島神宮の最寄りっぽさを感じさせます。

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▼ホームには霧島神宮の看板も出ていました。

「天孫降臨」の文字がありました。

天孫 瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が降り立った地として伝えられた由緒ある神社という訳で、この時1月2日でしたが、初詣参拝客で周辺がかなり渋滞していました。

当駅から霧島温泉郷へ向かう場合は、霧島神宮より更に向こうに位置しているので、もろに霧島神宮の渋滞の影響を受け、この時かなり長くバスに乗っていたのを覚えています。霧島神宮まで車10分とありますが、この時は何十分かかったやら…というところでした。

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▼ホームは1面2線です。

日豊本線のみという事でシンプルなホームですが、特急停車駅につきやはり立派な雰囲気があります。

柱の方も朱塗りなのですね。

新幹線の通らない日豊本線において特急停車駅というのはかなり大きいものがあり、九州新幹線終点である鹿児島中央駅からのアプローチでいけるので、そんなに時間がかかる感は少なく、鹿児島中央へ行く延長上的な感覚で行ける、といえます。これも新幹線が通っていなければ何時間かかるんだろう?と想像もつかなかったように思います。

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▼画像が横になってしまいすみません。

これもup時に修正がきかず、ココログの改定以降の弊害ともいうべき現象ですが、時刻表です。

日豊本線で、鹿児島中央方面と宮崎方面というかたちで載っています。

特急が停車するのでまだ1時間に1本、たまに2本ある時間帯もありますが、特急停車しない駅だと半分くらいに減り、とても「本線」などと呼べる本数のダイヤではないと思います。

特急停車するこの駅でさえも、1時間に1本も停まらない時間帯があり、ここで移動を考えるにはやはり時刻表のチェックは要です。新幹線で鹿児島中央まで行き着いてからの連絡時間等、このチェックは重要です。

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▼駅を出て目線の風景です。

駅前広場を出るとすぐに橋があります。

この駅前自体は多少お店はあるものの、霧島神宮のような賑わいは感じられず、距離がある事を感じます。

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▼駅前の橋の手前左側に、霧島神宮等へのバスのりばとこの地図があります。

近隣の地図がありますが、当駅と霧島神宮、霧島温泉郷との位置関係はこんな感じです。

バスルートもこの順に通っていきます。

初詣時期であったこの時は、霧島温泉郷へ行き着くのに2時間かかりました。(本来約30分)

順調ならば当駅からは以下のような感じです。

 霧島神宮へ ⇒約13分。250円

 霧島温泉郷(丸尾バス停)へ ⇒約28分。480円。

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▼駅のトイレは外にありましたが、暖簾が架かっていて、また建物もやはり朱塗りでキマっていました。

トイレの中は、ひねる蛇口でしかもこの三角形っぽい金属むき出しのタイプで、かなり懐かしい気がしました。

トイレ(小)もボタンで押して流すたいぷのものでした。

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▼駅舎の足元部分に当たるところに、駅の改築記念碑がありました。

今から50年以上前の1966(昭和41)年に建てられたものが、まだ遺されています。

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 「四季折々の霧島へようこそ」という事で、

春夏秋冬の霧島の魅力が写真で紹介されていました。

藤棚や紅葉や海岸などがありましたが、坂本龍馬とおりょうが新婚旅行で来た地、とありました。

彼らが日本初の新婚旅行をした、というのはよく聞く話ですが、その訪問地がここであったとは!

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▼そして駅前に足湯があります。

霧島神宮行きのバスに何人か待っていて、その方々が利用していたので浸かりませんでしたが、さすが霧島温泉郷の近くでもあるところ、といった感じでした。この写真で無人のように写っていますが、確かに無人でした。ただこの時はバス出発直前だったので無人であっただけで、慌てて撮って慌ててバスに乗り込みました。

「霧島温泉」駅という駅がJRの別路線で別に存在していますが、ここもまた霧島温泉郷から徒歩では少々辛いかな、というところで、霧島温泉駅から霧島温泉郷、霧島神宮駅らから霧島神宮、それぞれがバスで10分程度要するので、遠方から訪問の際はその辺りの時刻確認も必要です。バス便がそんなに沢山ある訳ではないので。

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▼霧島神宮駅の駅舎と、駅舎内の様子です。

利用者数は1日わずか200人ほどの駅ですが、霧島神宮という観光名所を有する点が特急を停車させ、また駅規模も大きくさせたのだなと感じます。

駅舎内も厳かな雰囲気で神社の近くを思わせる暖簾が架かっていて、待合スペースも仕切られた中にあります。

鹿児島中央以東の南九州の駅で隼人駅くらいしかそこそこの規模の駅を見た事がなかったので、この駅に対して小さな駅しかイメージになかったのですが、ここはそこそこの規模があって嬉しい誤算でした。

霧島神宮へ行きたい時に最寄り駅ではありますが、参拝客で溢れる時期は渋滞も想定して訪ねたい所ですね。

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2019年2月13日 (水)

鹿児島/姶良③ 加治木龍門滝 熱い水・冷たい水 

鹿児島県姶良市、加治木地区3本目です。

これまでの記事は

鹿児島/姶良① 加治木駅からかじき港町へ

鹿児島/姶良② 加治木島津の殿様

同じ2016年10月当時の様子ですが、ここまでは加治木駅からの歩き旅をお届けの形で、今回記事はピンポイントでタクシーに頼りました。

▼そうしてやってきたのはここ「龍門滝温泉」 です

ここへ来たくて加治木に来たといっても過言ではありませんでした。

加治木駅からタクシーで10分弱くらいでしょうか。ちなみに帰りも呼んだら同じ運転手さんにお世話になって、うまいものとか教えて頂きました。それはまたこの記事に出てきます。新川タクシーさん、ありがとうございました!

さて、この温泉のプロフィールを。

【龍門滝温泉】

住所:鹿児島県姶良市加治木町木田5271-1

電話番号:0995-62-2488

利用時間:6:0022:00

休業日:毎週水曜日

アクセス:JR加治木駅より車約8

料金:大人250 小人110

なんといっても、料金250円が魅力です

250円といっても浴槽があるだけの銭湯然とした施設ではなく、食事処もあり(もちろん別料金ですが)、縁石サウナや電気風呂灯複数種のお風呂があってのこの料金なので、すごくお得感がありました。

スーパー銭湯並みの施設があっての250円、というとお得感が伝わるでしょうか?

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▼温泉施設全貌はこんな感じです。独特の真ん丸の建屋で派手さはありませんが形がとてもユニークなものでした。

龍門「滝」温泉というぐらいなので、滝があります。

龍門滝は日本百名滝にも選ばれている素晴らしい滝であり、この施設の右横を通って向こうの方にあります。

そしてこの温泉からは。滝を見る事ができます。滝を見ながら温泉に浸かる…250円でできるこの贅沢…という感じです。

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加治木町史跡めぐり1万歩コース、として看板が出でていました。

この1万歩を歩く事によって、加治木の様々な史跡巡りができる、という訳ですね。

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▼ 「翔ぶが如く」の文字を久々に見ました。

この700m先にロケ地として使われた龍門司坂というのがあるとの看板が出ていました。

「翔ぶが如く」は1990年に放送されたNHK大河ドラマで、西郷隆盛を西田敏行さんが、大久保利通を鹿賀丈史さんが演じていました。昨年の「西郷どん」もそうでしたが鹿児島がメイン舞台の大河ドラマだった訳です。

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▼観光タクシー案内板 としてバス停の標識の如く立っていました。

コース案内としてABCとありましたが、4,000円台とか5,000円台とかそんな感じでありました。

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▼滝の手前の部分からのカットですが、左側に写っているのが龍門滝温泉施設の建物で、滝はこの川の向こうにあります。しかしまだここからではまだよく見えていません。

流れている川は加治木の街なかを流れていたのと同じ「網掛川」です。

また、こうして見ると周囲を山で囲まれている様子がよく分かると思います。

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▼川にはこんな鳥がいました。

所により少々激し目に流れているこの川にあって、優雅な雰囲気を醸し出しておりました。

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▼是枝快春(=これえだ・よしはる1924-90)の歌碑として置かれていた石です。

戦後の暗い時期に、この加治木の町において文化の灯りを点した先駆者として讃えるべき人物、として有志一同にてこれをつくったのだそうです。

ちなみにここからもう既に龍門滝は見えています。

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▼流しそうめん、流れてくるやつではありませんが、ぐるぐる回転するやつからそうめんを拾って食べるタイプのでした。これが滝の手前にありました。

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▼滝へはこんな感じの階段や通路を進んでいけば。より近くで見る事ができます。

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▼長く引っ張ってきましたが…

最後はもう、滝 滝 滝 です。

とにかく色んな滝の姿を。

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▼最後ですが、龍門滝へやってくる時に加治木駅から乗ったタクシーで運転手さんが進めてくれたお菓子です。

加治木駅の真ん前にある「岡田商店」というところのお饅頭です。軒先には「加治木まんじゅう」して売り出されています。

包装紙にあった住所表記が、旧加治木町時代のものというのも良かったです。

加治木駅に来たらまずここで饅頭を買いましょう。

以上、3記事にわたって加治木についてお送りしてきましたが、今回で終了です。色んな所を巡れてよかった、とつくづく思い、姶良市の良さも伝えられたのでは、と思います。

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2019年2月11日 (月)

鹿児島/姶良② 加治木島津の殿様

鹿児島県姶良(あいら)市、鹿児島/姶良① 加治木駅からかじき港町へに続く姶良市加治木地区の旅です。

山形屋ショッピングプラザです。加治木駅から南西徒歩7分程度と少し距離があります。

山形屋といえば鹿児島県を本拠とし、南九州で展開されている老舗百貨店チェーンで、地方の百貨店の先駆け的存在といわれています。

鹿児島市では、バスセンターがあった所で、必ず山形屋に停まる形となっている要衝でしたが、2015年にバスセンターが閉鎖されたようです。

ここはそんな山形屋の加治木店で、老舗百貨店の中で歴史は浅く、2002年開店だそうです。

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▼この上の写真までは、駅より南側の街の姿を数々お伝えしてきましたが、ここからは線路を越えて駅北へ。

加治木駅から北西へ200~300mの辺りへやって来ました。この辺りは結構歴史を感じられるエリアでもあります。

そしてこれは「曽木家の門」として遺っているものでした。加治木島津家の上級武士の屋敷門で、ブルーシートが屋根に掛かってボロボロになっているような地味ないでたちでありますが、鹿児島県でも有数の茅葺の武家門で、現存するものは本当に少ない貴重な文化財といわれています。

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▼旧加治木町の有志にて1978(昭和53)年に建てられた曽木隆輝という人物の像がありました。

旧加治木町の町長を1947(昭和22)-1954(昭和29)年と1958(昭和33)-1974(昭和49)年と実に23年も務めてきた人物です。途中1期だけ別の人物が務めていますが、これを除けば1947-74年の間、加治木町の町長を務め、戦後の復興期から高度経済成長期まで町政の第一線にいた人物だった訳ですね。そりゃ銅像も建てられるわな、と勝手に納得していました。

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▼この交差点、十字ではなく少し鈎型になっていますが、右に見えているのは「加治木護国神社」です。

加治木の歴史がギュッと詰まったエリアといっても過言ではない所で、ここに見える石垣からもその歴史に思いを馳せる事も出来るのではと思いました。

前回の1回目の記事では、どちらかというと街の様子が主でしたが、今回記事は歴史的な部分が主になると思います。

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▼上の写真の交差点の左手前に隠れていた部分はこの建屋です。

FANTAとCoca-Colaの看板が昭和丸出しでよかったです。よくこれを遺してくれたなと。

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▼2枚上の写真の左側に写っていますが、加治木護国神社と並んでいる姶良市立柁城(だじょう)小学校です。

歴史あるエリアに溶け込むように和風の塀と立派な校門で覆われています。

江戸時代の1784年に加治木島津6代目の島津久微によって郷校「毓英館(いくえいかん)」がそのルーツとされる非常に歴史のある学校です。

小学校となったのは1876年の事で、その時には現在の校名になっていたといいます。ちなみに公立の小学校ですが、制服があるそうです。

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▼加治木護国神社にて、周辺の地図がありました。幕末当時の周辺図という事で。

島津義弘公が同じ姶良市の帖佐(ちょうさ)から1607年に当地に移り、天守閣を持たない屋形群で構成した居館とし、北隣の加治木高校の敷地がこれにあたり、義弘の没後に柁城小学校の敷地にあたる部分を別館にしたといいます。

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▼護国神社の鳥居と拝殿です。

たいそうないでたちで、すごい神社ではないかと思いましたが、普段は人のいない神社でした。それこそ、おみくじが売っていたり巫女さんが要るような所では全然なくて、敷地は広いけど閑散とした所でした。なので拝殿も大層な建物ではなく、実にひっそりとしたものでした。

元々神社としての江戸時代からの歴史があった訳ではないのもありますが、起源は明治初期で戊辰戦争や西南戦争の加治木町内の殉死者を英霊を祀るものだったといいます。

今の場所に移ったのは昭和34年という事で今年でちょうど60年になります。

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▼護国神社の敷地内です。

他にこれといった建物が特に見受けられない、本当にひっそりしたところです。

逆にこれで当時の歴史に思いを馳せられるのかも。

江戸時代はここが加治木の中心地であり、殿様もいた所だったんですよね。

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▼護国神社のすぐ北にある加治木高校です。

小学校は神社の西隣にあり、この高校は神社の北隣にあります。

殿の居館もあった訳で、ここも小学校ほどの大層な塀ではないものの、少々雰囲気のある門になってはいます。

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▼最後は、加治木商工会館です。

通りかかりに撮ったんですが、なんといってもこの2F部分の窓のブルーの縦線がインパクトすごかったです。これがあるのとないのとでは建物として全然違う感じがします。

柱の下まで通っている所は、そのブルーラインが地面まで続いてしました。

姶良市内はJR姶良駅前をフラフラしていたのですが、いまひとつ記事にし辛いかな、という感じであったので、中心地の加治木を訪ねて、その街なかを歩いてみて、それなりの風景が撮れたかなと思いました。

歴史に触れたいならば、加治木駅の北西300mほどの加治木護国神社周辺を歩き回ってみては?と思います。

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鹿児島/姶良① 加治木駅からかじき港町へ

鹿児島県姶良市、JR加治木駅前の歩き旅です。

(2016年10月当時)

▼加治木駅前の通りはこんな感じで、見たところ高い建物は殆ど見受けられず、道が続いていくだけな感じでした。

右手前に写っている「旅館 風月」は現在営業しているか確認できませんでした。

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▼上の写真の駅前通りを見て、この先に何か目を惹くものがありそうな気がしませんでしたが、とにかく歩いてみる事にして撮ったカットです。

三州自動車というところのスクールバスのりばの標識が立っていました。

これは2016年、まだ2年半も経っていないのですが、この後三州自動車はバス事業を鹿児島交通に譲渡して2018年3月に解散し消滅してしまっています。この写真のわずか1年半後です。このような地方にも時の流れが時として激しくなる事もあるのだな、とつくづく感じさせられました。

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▼ろうきんがあったであろう建物です。

2013年7月に移転した旨が貼ってありましたが、この写真の3年以上前に移転したようです。この告知イラストでカエルが後ろから女性のお尻にタッチしているようにしか見えませんでした(笑)

しかし移転先はここより7、8kmも東へ離れた霧島市国分で、名前も加治木支店から「霧島」支店となっています。JRで2駅離れた先でもあり、ここ加治木では実質上の廃止ではないかなと思いました。

ちなみに「ろうきん」は銀行のような営利目的のものではなく、また融資先も殆どが個人なのだそうで、「労働金庫」の名前から企業が殆どで、逆に個人には縁が薄いのかと思っていたら真逆でした。

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加治木町循環バスのバス停がありました。

ここは現在は姶良市ですが、旧は加治木町であり、今となっては姶良市加治木町としてのコミュニティバスという位置づけで運営されているようです。

便は日曜が最少で1日3便で、土曜は4便、平日は6便ありますが、曜日により若干の時刻違いがあるようです。

しかしこの標識の絵柄を見てギョッとなりました。これを載せるか??という感じでしたが…。

その絵柄とは「クモ」です。個人的に一番苦手なもので、出来る事なら見たくもなかったのですが、絵柄と割り切って撮りました(笑)

何故クモかというと、加治木では「加治木クモ合戦」という400年の歴史があるとされるコガネグモを闘わせる競技があるそうで選択無形民俗文化財というものにも登録されているそうです。

島津義弘公が1592年に兵の士気を高める為に始めたとされますが、文献となって残っているのは1925年が最初との事で、その歴史の実際の深さはよく分からないようです。

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▼天神公園という所へ来ました。

色んな遊具のある広い公園でした。

かたつむりのやつがなんだかおもしろい形でした。

ステージもあったりしてイベントが開催される事もあるのでしょうか?

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▼菅原神社とその傍の大楠のカットです。

菅原神社は名前そのもので、菅原道真公を祀っている神社です。

文献上の歴史は1552年に始まるとされ、当時は海岸砂浜の大洲の上にあったとも記されています。

そしてこの大きなクスノキは菅原神社の御神木で、この加治木ではもっとも大きくて古い木とされています。根の周りが12mあり高さは25.5mあります。神社造営の1552年に神木として植えられたとの記載があるそうで、460年以上の樹齢があるとされています。

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▼タイヨーというスーパー・チェーンがありました。イズミヤと勘違いするようなマークでしたが、イズミヤと見比べると全然違う事に気づきます。

鹿児島市に本社を置き、鹿児島県及び宮崎県にも展開され、1960年創業という事で間もなく還暦を迎えますが、九州沖縄のスーパー業界において第4位の売上を誇っているといいます。

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▼通りの一角に「龍門司焼(りゅうもんじやき) 三彩大花瓶(さんさいだいかびん)」とあるものが飾られていました。

1688年からの歴史がある龍門司焼の作品のひとつとして飾られており、現在もその作風が引き継がれているといいます。

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▼タイヨーの辺りは、賑やかな商店街になっていて、この加治木地区の商業の中心地のようでした。駅のすぐ前より、少し離れたこの辺りの方が人通りもありました。

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▼水辺へやって来ました。

網掛川という二級河川に架かる網掛橋というところです。欄干の端にはここにもまたクモが…。

この辺りは加治木港町といわれるエリア内で、ここはまだ港より引っ込んだ川の部分です。加治木港は旧薩摩国と大隅国の境に位置し、交通の要衝として栄えていたといいます。

この網掛橋は江戸時代にいち早く架けられた橋で、当時の絵図にも2連式の板橋が描かれていたといい、鉄筋コンクリート化は昭和元年とかなり早期ではないかと思います。

この橋から眺めた川の様子が、サイドの高木と相まって実に素晴らして景色でした。高知市の高知橋から見た風景にちょっと似ていました。

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▼港町の飲食店街という通りに出くわしました。

加治木駅からだと南西に約0.8kmの地点になりますが、この旅館江戸川というのも営業が確認できませんでした。ちょっと看板が年季入っていて、やっているかどうか…という部分はありましたが。

向こうへ進むにつれ飲み屋街的な雰囲気になっていきました。

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中浜の恵比須神詞との説明板がありました。

先の網掛橋の所で「かじき港町の名所案内」の説明板がありましたが、その中に載っていたひとつです。

1890(明治23)年にここ加治木の商工業者が建てたもので、世は第1回帝国議会が開催され、その趨勢を受けて経済発展を祈念して建てたもの、とありました。

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▼加治木港へ向かって南へ下っていくと、石灰やセメントなどの工場がありました。

海へと間近に迫ったところ、立ち入れそうになかった感じだったので引き返しましたが、向こうには桜島が見えました。そう、ここ加治木港は正面対岸に桜島が見えます。

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▼港から加治木駅方面へ引き返すところですが、「しばらく」という名のお店があったり、「宝」という字に濁点をつけた「宝゛」「だから」と読むお店があったり、ユニークな名前にいっぺんに出くわしました。

この姶良はなんだかんだめぐってきたのですが、港まで来た時点のここまでで第1編とします。

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2018年7月 8日 (日)

鹿児島/霧島② 姫城温泉の湯めぐり


鹿児島県霧島市、鹿児島/霧島 西郷どん湯~湯のリレーの続編です。

●泉帯橋

「せんたいばし」と読みます。

前回の日当山温泉センターでお湯につかってから県道472号線を東へ、この橋を渡って別のお湯を目指します。

単なる大き目の橋かと渡っていくと、西郷どんに関する説明板がいくつか掛けられていました。

明治初年に坊主頭になって、おばあさんに「お寺を持っとるか?」と聞かれて西郷どんが答えたのが「桜島を持っとる」と答えた、と書かれてありました。

どこの郷村にも一定数いるような凶漢が襲ってきても、実に悠然とした態度で、その器量の大きさを語られるものもありました。

西郷どんエピソードに興味のある方には楽しい橋だと思います。

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●天降川

泉帯橋が架かる川がこの天降川です。

天降川は「あもりがわ」と読みます。「あもりがわ」と打ったら「天降川」が出てくるのでビックリです。

二級河川で約42kmの川ですが、アユの稚魚の漁獲高は日本一とありました。

左側が前回記事の日当山温泉にあたる部分で、右側がこれから目指す姫城(ひめぎ)温泉側です。姫城温泉は広義の日当山温泉郷の括りには入りますが、狭義では別物という扱いのようです。

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●姫城温泉バス停

泉帯橋を渡った直後にあるのがこのバス停です。

この向こうへ、国分駅へ行く便が1~2時間に1本程度の間隔で出ています。あまり便数が多くないので、利用する時はチェックが必要です。

このバス停ではありませんでしたが、この辺りのバス停で時刻表をチェックして結果的に国分駅へ行く事となりました。その際に「乗換案内」が大いに役立ちました。最近の乗換案内はバス路線にも対応していて実に有り難いですね。これが分かるようになってからバス利用する事が増えて、うまく利用できるようになったと思います。

しかし、温泉と書かれたバス停の割にパッと見渡してそれらして雰囲気が感じられず、ホントに温泉あるのかな??と半信半疑で歩を進めました。一応Googleマップに従って歩いてはいましたが。

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●日本湯小屋物語

上の写真のバス停から向こうへ(東へ)歩いて程なく、左手にこの建物が見えました。

「日本湯小屋物語」

よく「〇〇温泉 ○○の湯」的なタイトルのものを見かけますが、そういうのとは全然違っていて、また最近できた新興のものとは違って、昭和46(1971)年に創業されたという歴史のある日帰り温泉でもあります。何度か改名している為、今の名前になったのは2011年、創業40周年を記念してとの事でした。

営業時間は10:00~24:00です。

単なる共同のスーパー銭湯というより、時間制の貸切風呂いう感じで「家族温泉施設」と謳われています。その為料金も割高で、この時入るかどうか迷いましたが、まず待ち時間ありの状態でもあったので、自販機コーナーでゆっくりアイスだけ食べてここを後にましした。予約を入れておいた方が良いですね。

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●次の場所へ

日本湯小屋物語を出てすぐの所ですが、もう次に行く場所が左端に見えてきています。

前回の日当山温泉の方からだと、徒歩でいくつも温泉に行けるという意味で廃れたとはいえ温泉郷であり、贅沢なエリアかもしれません。

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●花の湯

先程の日本湯小屋物語のお風呂は断念して、ここ「花の湯」へは浸かりにやって来ました。

すぐ先にあるので、どっちかに入れればいいかなというところですが、この日二度目の入浴となりました。ここは普通にスーパー銭湯のスタイルです。

こちらは9:00~22:00の営業で、料金は500円です。スーパー銭湯スタイルでは安めではないでしょうか。

この日二度目の入浴とはいえ、最初の日当山温泉センターでは髪も身体も洗えなかったし、入浴以外の施設が何もなかったので、ようやくまともな入浴ができたかな、というところです。個人的に単に入浴だけでなく、マッサージ機や食事を楽しむのも温泉に入った時の楽しみにしているので。

とにかくここで少々長居して、ここからバス停に出て、元来た隼人駅ではなく、霧島市のもう一つの中心駅的存在の国分駅へ行く事となりました。(どちらでもよかったのですが、駅へ行く便が国分行きの方が早かった為です)

この辺だけでもそれなりの温泉施設があるこの霧島市、もっと北の霧島温泉郷まで足を延ばせばもっと楽しむ事ができます、今度はこの辺りにも行きたいものです。

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2018年7月 7日 (土)

鹿児島/霧島 西郷どん湯~湯のリレー

鹿児島県霧島市、鹿児島県で第2位の人口を誇るこの街で霧島温泉郷周りを旅したのは今年初めの事でした。

(2018年1月当時)

●隼人駅前

元々の目的は、今年1発目の旅として、霧島温泉郷をまず巡って後は成り行き…という感じでJR隼人駅までアクセスしてきました。

着くや、歓迎看板に「西郷どん ゆかりの地 隼人へ」とありました。

そういえば今年の大河ドラマは「西郷どん」じゃないか!とここへ来て初めて思ったもので、全然意識していませんでした。単に、今年初の旅どこへ行こうか??今年初の温泉浸かりとして霧島温泉郷あたりを巡って、後は成り行き任せ…くらいにしか考えていませんでした。そして結果的に霧島温泉までは行きませんでしたが…。

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●ひなたやおま温泉

「日当山」温泉と表記します。

隼人駅の隣駅もまた日当山駅といいますが、まるまる1駅分歩いてきた格好になります、距離にして約3km。バスで行こうとしていましたが、待ちきれずに何度もバス停を横目に見つつ歩いてきてしまいました。

この間、霧島神宮への道がありましたが、1月2日初詣真っ盛りで、混みまくっていました。そういう意味でもバスを選択しなかったのは良かったですが、歩きは正直疲れました。

ここは霧島温泉郷の中に入るのかと思っていましたが、そうではないようで、霧島温泉郷はもっと北側の奥まった所のようです。

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●県下最古の温泉地へ

霧島温泉郷までは至らずも、この日当山温泉郷を愉しむ事としました。ここは鹿児島最古の温泉地であり、西郷どんが愛した温泉地であるという事で、そういう面での楽しみができるかなという事で。

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●日当山商店街

上の写真での幹線道からそれて、少しひっそりとした感じの商店街と思われる通りへ。

ここを日当山商店街というかは分かりません。一応道路標識に沿って出てきて、街灯に店名看板が並ぶ格好の通りになっていたので、そうではないかと思いますが…。

往時はもっと商店街として栄えていたのでは…??と思わせられる雰囲気も確かにそこかしこに感じたりはしましたが…。

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●西郷どん愛用の宿

という文字と、あの豪快な肖像画と共に建物が見えてきました。上の写真の商店街からまた少しだけ逸れる格好になりますが「日当山西郷どん湯」とありました。この2018年幕開けの時期になんとトレンディーな?!所に行き着いたのか!!西郷隆盛は温泉がかなり好きであったようです。

この旅館は素泊まりナント¥1,800で泊まれるのです。

普通の和室のようでエアコン等もあるしという事です。ただ、近くに食べに行くような所がないので、上の写真の幹線道まで出れば何かあるかな?という感じかと思い、もし泊まるなら予め食べておくか、コンビニで買い物しておくか、だと思います。

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●共同湯

上の写真の「西郷どん湯」の旅館の道を挟んで真向いにある共同浴場で、こちらは日帰りでも利用できます。向かいの旅館の利用者もお風呂は、道向かいにあるここを利用する事となります。

右が女湯、東が男湯で、利用料は250円です。

実はここには中へ入っていませんが、かなりこじんまりした感じで普通に銭湯という感じの写真が載っていました。湯船は2つあるようです。

温泉の紹介として日当山唯一最古の天然温泉である事が記されています。そして征韓論に敗れて下野した西郷隆盛が度々寄った事も。釣り糸を垂れ、狩猟に汗して、と自然児らしい生き方をして、この温泉にも立ち寄っていたようです。

ちなみに「西郷(せご)どん」とルビが振ってあります。今年大河ドラマが放送されるまで普通に「さいごうどん」しか読み方がないと思っていましたが、地元では「せごどん」というんですね。全然知りませんでした。

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●次の場所へ

西郷どん湯を離れて、次に行こうとしたのはこの看板に出ている所です。

「日当山温泉センター」

西郷どん湯からは直線距離では100mもない所にあり、ちょっと回り道しながらで100m余りでしょうか。

一応、温泉宿がこの辺りに2つある事になり、この辺りは温泉街という事になりますかね。

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●日向山温泉センター

上の写真から横道それて程無く着きました。

ここも西郷どん湯ほどではないにしても宿泊料自体は安価です。素泊まりだと¥3,500で食事がつくごとに増える形ですが、ここだと食事は確保できるのが良いですね。

ちなみに日帰り入浴は、西郷どん湯と同じ250円です。朝8時~夜10時とありました。

ここには入りました!

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●脱衣所

入口玄関入った所が旅館フロントであり、日帰り入浴の受付でもありますが、常駐している感じではなさそうでした。宿の案内の方もされているようでしょっちゅう無人になるようです。

受付で支払済ませるとフロントから案内されてここまで来る事となります。

鍵のかかるロッカーがないので、そこのところは要注意です。フロントに貴重品預けるかぐらいと思いますが、常駐していないのもちょっと怖いと感じました。

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●脱衣所2

右側に隠れている部分にトイレがあります。

ぶら下がり健康器!には、たまげました。現物を見たの実に久々でした。

脱衣籠の数もあんまりなく(利用者が多くないのか…)、広々としたスペースになっています。

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●浴槽部

誰も居なかったので撮りました…

下の写真の2枚目の右側の高い岩肌と、いくつもの大きめの石のところの細長い部分、これのみが浴槽スペースです。

左側の部分は身体洗いのスペースとでもいうか、という感じですが、シャンプー・ソープの類は置いていないし、蛇口が左向こうに2つあるのみです。シャワーもありません。

下の写真の一枚目の左奥に石で仕切られた部分がありますが、ここには水もお湯も何も入っていませんでした。

3枚目の写真にちょっとして説明板がありましたが「熊襲風呂」と書いてありました。熊襲とは神話記紀(古事記や日本書紀など)でヤマト王権に抵抗する(九州南西部の)人々とありました。

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●西郷さんの崖

日当山温泉センターの敷地内にある崖です。

これも西郷さんがらみという事で、この崖で草鞋を作っていたとありました。

当時は宿などなく、家人同様の扱いであったとか。

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以上、日当山温泉として西郷どんの湯から、温泉センターまでのところでした。

2017年2月28日 (火)

JR嘉例川駅 (鹿児島県霧島市)

鹿児島県霧島市のJR嘉例川駅です。

霧島市ではJR隼人駅をupした事がありますが、今回は昔ながらの駅舎で有名なこの嘉例川駅の御紹介です。

-JR嘉例川駅-
【路線】
JR肥薩線(八代-隼人間)
【開業】1903年1月15日
【訪問】2016年10
【1日あたり平均乗車人員】 35人/日 (2013年)
【近隣の主要駅】 (八代方面)人吉駅→9駅
            (隼人方面)隼人駅→4駅


●駅名標周辺

霧島市内の中心でも何でもない1駅で無人駅でもありますが特急が停車するという珍しい駅です。

それもこれも開業した1903年築という鹿児島県内最古の駅舎を有し、登録有形文化財であるという点が注目され、駅舎自体が観光名所化している側面がかなり強い駅です。

忌野清志郎のシングル「Oh!RADIO」のプロモーションビデオに使われた場所であり、このシングル曲は彼の死後に発売された遺作で、最後の吹き込みおよび演奏作品とされています。

駅名標はきれいな字体のものになっていますが、ひらがな表記に昔を感じさせます。ちょっと整いすぎて違和感ありますが、周りの壁面や柱や梁などに往時を存分に感じ取る事ができるかと思います。

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●ホーム

1面1線だけのホームで、対面にはただただ緑が広がるだけで何にもありません。

県内最古の駅舎があるというだけで何もないところなのか…

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●ホーム色々

といってもホームに下りて左端側のものが殆どです。上の写真でいうと手前側になります。

ホーム上はここに見どころが一点集中している感じで、昔ながらの駅名標と名所案内がありました。駅名が有名ではありますが、名所としては「新川渓谷温泉郷」というのがあるようです。いくつかの温泉が合わさった温泉郷という事で、坂本龍馬は日本で初めて新婚旅行をした人物と言われていますが、その旅行先として利用された塩浸温泉や西郷隆盛が度々利用していたという日当山温泉等も含まれるという事です。空港から15分の所にいくらでも温泉があるという、温泉銀座ともいうべき場所でしょうか。

駅の話に戻って、ホームでもこの辺りはちょっとしたコスモス園状態でした。

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●ホームから

改札とは別の入口がありますが、こちらは展示室になっています。

最古の駅らしい汚れ感?でもいうものがよく出ていると思います。

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●展示室内

上の写真の入口を入ると、このようないろんなものが展示されていました。

昔の記事であったり、在りし日の様子であったりと。

1984(昭和59)年1月31日時点では無人駅前であったといい、この部屋が駅務室そのものだったのか、と思いながらこの写真を見ていました。

新人記事には、この嘉例川駅をバックに人力車に乗った昭和天皇のカットなどがありました。

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●路線図

近隣の場所のみですが駅舎内にありました。

上の写真の部屋とは駅舎内でも部屋違いで、下りたホームから右側が上の写真の展示室で、左側は普通に改札があり、これを出た後の駅舎内の一角にこの路線図があります。

鹿児島県の中心となる鹿児島中央駅までは840円、ここ霧島市内の中心的存在の隼人駅までは280円となっています。反対側だと熊本県の人吉駅まで1290円です。

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●ロケ地

見た事あるなこれ、と思ってみていたこれは桃井かおり&竹下景子というバリバリの女優コンビで1990(平成2)年に撮影された「JRナイスミディパス」のCMのものです。

ここ嘉例川駅でロケにて撮影されたという事で飾られているのですが、当時は国鉄から民営化されて数年という状況でしたが、ナイスミディパスは2009年以降発売されていないそうです、というかそんな近年まで発売されていた事に逆に驚きましたが。

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●百年の木造駅舎

という事で、この駅のウリともいうべき部分が紹介されています。

紹介文自体は短いのですが、日本語のみならず、英語・韓国語・中国語でも紹介されています。

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●駅舎内

オール木造という感じでベンチまで完全に「木」です。

駅利用者数は1日2ケタの少なさですが、駅自体に来る人は少なくなく、端にこれぐらいの壁付ベンチがあっても足りなくはないかな、と感じます。

隣の展示室でも結構何人となく人がいて、展示物を見ていました。

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●にゃん太郎

この駅の特徴は何といっても、県内最古の木造駅舎として115年になろうかというその歴史な訳ですが、もうひとつありました。

それがこの「にゃん太郎」です。

和歌山電鉄のたま駅長の存在はあまりに有名ですが、この猫は2015年頃にこの駅に居つくようになったそうですが、駅長という訳ではなく、ただ「嘉例川観光大使」という肩書きをもっています。

そしてこのにゃん太郎は「たぬき猫」であり「さくら猫」でもあるという事です。たぬき猫は顔がたぬきの模様に似ているからだと思いますが、さくら猫というのは不妊手術済のしるしとして、耳の先端が少しカットされている野良猫のことです。不妊手術される事により今後生まれてくる猫が不幸にならないように(悲しい運命をたどる猫ができないように)、殺処分ゼロを目指してものだという事です。

行った時は寝ていましたが、さわらないで、餌をやらないで、という事で、写真だけ撮らせてもらいました。

タヌキ顔で目が青いのも変な感じですが個性的な猫ですね。まだ5歳くらいらしいので、元気に動いてる時に会いたいものです。にしても、この小屋の中を自分でホームポジションのように捉えているのでしょうか??

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●登録有形文化財

と最初に書きましたが、その証がここにありました。

記念碑として造られていますが、ここの文によると現在は肥薩線ですが、当初は鹿児島本線であったといいます。明治期の遺構として貴重という事で2006年に有形文化財に登録された、あります。

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●記念碑

駅外に立っていた開業百周年の記念碑です。

開業が1903(明治36)年で、この碑は2003年につくられています、という至極当たり前のことを書きましたが、それとてもう14年前の事であり、来年は開業115年、未だその当時の姿を残している、という事が本当に素晴らしいですね。日露戦争が起こっていた時もこの木造の建物はあった訳ですよね。

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●駅前広場

見えていませんが左に隠れている部分にちょっとした公園がひっそりとあって、後はこの左に見えている自転車置場と右にはひっそりとバス停があります。

このバス停は鹿児島空港行きで、実際この時は鹿児島空港から発ったのですが、空港まではここからバスに乗って行きました。わずか10分くらいで空港には行き着きますが、1日5便しかないので要注意です。

というかその前にまず、駅前広場が砂利道であり、これが驚きです。

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●バス停

上の写真にも写り込んでいた駅前広場にある「嘉例川駅」バス停です。

ご丁寧に喫煙所までつくってありますが、こんな草むらの中で一歩間違えば大火事ものだと思いたくなりました。

時刻表は下の写真の通りで、左側が鹿児島空港行きの便です。

「嘉例川」バス停というのが別に存在するので要注意です。このバス停は嘉例川駅から東へ500m程離れた所にあるので、嘉例川バス停に着くバスを、この嘉例川駅バス停で待っていても一向に来ないので。

実際管理人もこの罠にはまりそうになって、嘉例川バス停で検索して定刻過ぎても空港行きの便が来ず焦りました。程なく、この嘉例川駅に着く便があったので良かったものの、空港に遅刻でキャンセル?明日仕事なのに帰れない??とか頭をよぎりました。日曜の16時ともなっていたので。そんな事もここでの想い出です。

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●公園

駅を出て駅前広場のすぐ左側にある公園です。

ちょっとした憩いの広場的なスペースで特に何があるという感じではありませんでしたが。

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●嘉例川駅 駅舎

さんざん引っ張ってきましたが、これが嘉例川駅の駅舎です。

開業から今年で115年目、明治時代から世の中の動きをずっと見守ってひっそりと立ち続けていたその駅舎の姿がここにあります。一般にはそれほど有名でもないかもですが、鉄ヲタにはかなりの有名駅、どんなとこか?と思い、今回鹿児島空港利用があったので来てみましたが、これはすごかったですね。

人で賑わう程でもなかったですが、こんなヒッソリとした駅でも常に10何人かぐらいは居るレベルでした。

歴史を感じる嘉例川駅、上手くすれば猫が起きているかもしれず、行ってみる価値ありだと思います。

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2017年2月19日 (日)

JR加治木駅 (鹿児島県姶良市)

鹿児島県姶良市のJR加治木(かじき)です

姶良市ではJR姶良駅をupしていますが、姶良駅は合併して姶良市になる前の「姶良町」時代でも中心駅ではなく(実質的な中心駅は隣の帖佐駅)、今回の加治木駅は、同じく「加治木町」時代の中心駅です。

前回、姶良駅に行ってあまりこれというものに出くわせなかったので、昨秋鹿児島へ行く機会を得た際に、姶良市内の別の駅を訪ねてみようとなり、旧自治体時に中心駅であったこの駅に行く事にした、という訳です。

-JR加治木駅-
【路線】
JR日豊本線(小倉-鹿児島間)
【開業】1901年6月10日
【訪問】2016年10
【1日あたり平均乗車人員】 1,801人/日 (2013年)
【近隣の主要駅】 (小倉方面)隼人駅→隣駅
            (鹿児島方面)帖佐駅→2駅


●駅名標

旧加治木町の中心駅としてはその町名を名のる駅でしたが、合併により姶良市となってからは、市の中心ということではなく、一地区である加治木地区の中心的存在へとシフトしています。

隣駅の「きんこう」は錦江と表記し、「にしきえ」と読みそうですが音読みです。反対側隣駅の隼人から霧島市となり、同駅は霧島市の中心駅となります。

加治木は大相撲の逆鉾・寺尾兄弟の出身地として有名で、彼らが土俵に上がる際は「鹿児島県姶良郡加治木町出身…」などとアナウンスが流れていました。この2人は兄弟で関脇まで上りつめたなど、さまざまな兄弟記録を持っています。

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●ホーム1

加治木町中心駅当時の面影か、沢山の広告看板が並び立っていました。

更に向こうには大きな枠の看板の跡が見えますが、上部以外は既に枠になく、上部に「豊かな心木の住い」と「日本の緑 国〇林(国有林?)」とあるのみです。それもすっかり色褪せてしまって…、林業華やかなりし頃に現役だったのでしょうかこの看板。

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●ホーム2

島式ホームからの様子ですが、このホームと跨線橋で渡った先のもうひとつのホームとの2面2線形式で、この撮っているホームも列車が停車するのは片側のみで、もう片側は進入できないよう柵がされています。

特急「きりしま」の停車駅で、すべての便が停車する訳ではありませんが、9割方はこの駅に停車しています。同じ姶良市内の帖佐駅・姶良駅にも停車しますが、これらの駅は停車する便が多くなく、実質的に姶良市内で最も特急停車の多い駅となります。

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●ホーム3

跨線橋へ進む際のカットです。

こちらのホームは3番のりばとして右側にあり、左側は先述の通り柵があります。跨線橋で渡った先は1番のりばとなっていますが、2番のりばがかつてあったものが消滅したのでしょうか。おそらくこのホームの左側が2番ホームであったと思われますが。

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●跨線橋

手すりのついた跨線橋でした。

通路幅はやや狭めで、床面はアスファルト?に点字ブロックがついていました。

掲示物に貼られている場所はまばらで、真ん中と両端にパラパラという感じで、この辺りの活発さはあまり感じられませんでした。ただ内壁面がきれいだったなという印象だけはありました。

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●駅前風景

駅前広場からの駅前通りの様子ですが、やや広めの道路が通っていました。右側に隠れた形で写り込んでいるのは旅館です。旅館「風月」といいますが、予約サイトに載っていたのでまだ現役のようです。

左側のビルの1Fにあるのは「加治木まんじゅう」のお店で、岡田商店といいますが、加治木まんじゅうは江戸中期からつくられていた地元のお菓子という事で、何店舗もこのようなまんじゅう屋さんがあるという事です。なかでもここは駅前に立地していて旅人には分かりやすくて助かります。ここからタクシーである所へ行った際も、このまんじゅう屋さんを勧められました。割とあんまんに近いお菓子ですかね、蒸しまんじゅうです。

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●駅バス停

駅を出てすぐの所に、バス停の標識が2本立っていました。

ここでは1本に見えますが、死角になっていて、もう1本背の低い標識が隠れる形で立っています。

ひとつは「南国交通」というところの路線です。

その時刻表が下3枚中2枚目の写真のものですが、上下に2路線の時刻表が平日と土日祝とに分かれて掲載されています。こうして見ると思ったより多くの便が出ているな、と感じました。ただし休日になるとぐっと減る点は要注意です。

で、この行先は主に、姶良イオン方面と鹿児島空港方面となり、鹿児島空港へは約20分で着く事ができます。空港へのアクセスが良いという意味でGOODな立地だと思います。

もうひとつのバスは「加治木地区循環バス」です。標識は「加治木町循環バス」と旧自治体名のままになっていましたが…。

このバスの路線および時刻表はいちばん下の写真になります。いくつかの路線が出ていますが、だいたいが1日3便程度です。なので目当ての所に行きたい等あれば、時刻表と所要時間の把握は必須ですね。

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●加治木駅 駅舎

郡部の町の中心駅の姿をそのまま引きずってる感の駅舎でした。

庇のフチの赤い部分が印象的でした。

自販機が複数台あって、タクシーも数台停まっていて、そこそこの規模かな?というところでした。郡部の中心駅でない所には絶対この程度の設備はないだろうというところで。タクシーが停まっていてくれたのは後に大変役に立ちました。

姶良駅周辺では、これといったものがなく街歩きの程度でしたが、ここでは良いものを観る事ができました。それはまたいずれ書きたいのですが、他にも書きたい所があり過ぎてなかなか追いつかないのがかねてよりの悩みです。

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