埼玉県本庄市内の旅の様子です。
(2018年10月当時)
▼前にJR本庄早稲田駅の記事にて、この駅付近の宿に泊まった事を書きましたが、これがその宿です。 「いやし処ホテル 寛楽」というホテルでHPはコチラ
熊谷で用事があったので本当は熊谷で泊まりたかったのですが、いつものように?!ギリギリまで宿が決められなかったが為に、日が迫ってしまい選択肢がなくなり、近郊のこの本庄に予約できる宿があったので泊まった次第です。
ちなみに熊谷と本庄では新幹線1駅分の距離があり、新幹線で移動するならば9分で着きます(本数が多い訳ではないので、ダイヤは要確認です)
この宿は左側の建物と右側の向き互いの建屋の両方が繋がっており、2F建ての低層ながら横長になっている形です。
このホテルが一号店で、現在二号店を準備中だそうですが、かなり新しいホテルのようでした。
大浴場があるという点が宿泊にあたっての決め手のひとつとなりました。この時の宿泊費は8,300円でした。早めに予約するとか、食事なしとかすればもう少し安くで泊まれるようです。
【いやし処ホテル 寛楽】 |
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住所: |
埼玉県本庄市早稲田の杜2-1-12 |
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電話番号: |
0495-25-8088 |
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アクセス: |
JR本庄早稲田駅より徒歩5分 |
▼これは泊まったホテルの館内案内図です。
建物が分かれていましたが、1号棟と2号棟になっていました。
大浴場が15:00~24:00と翌朝5:00~9:00まで利用できます。
それぞれ2F建てですが、低層ホテルのメリットはなんといっても「エレベーターで困る事がない」点です!
▼ホテルの室内はこんな感じでした。
全体的に暗いカットになっていますが、雰囲気的にこういう感じという事で。
▼複合店舗エリア
本庄早稲田の駅から道を隔てたすぐ向こうに、このような飲食等の店舗が固まったエリアがあります。上の写真のホテルは駅からこれらの施設を経て向こうに位置しています。
飲食店ばかり写っていますが、スポーツ関係のお店もありました。
▼飯玉神社という、ホテルの程近くにあった神社です。
この神社のある久下塚という地区名は当時治めていたとされる久下塚氏からきているそうで、また「久下」は古代の役所である「郡家」が転じたものともされています。
創建年代は不明との事ですが、地場の古い神社ではあるようです。
▼本庄早稲田駅前の風景はこんな感じです。
向こうに見えるのが本庄早稲田駅で、先ほどの店舗群は左向こうに隠れている部分に位置しています。
LAWSONが右向こうに見えていますが、Family Martもこの近くにあります。
駅の立地としては既にあった在来線の本庄駅から南へ約2kmの所にあり、在来線(JR高崎線)と平行に走っている所にはあります。
▼いきなり景色ガラッと変わりますが、これは在来線であるJR高崎線本庄駅前の広場のカットです。
本庄早稲田の駅前を徒歩探索していましたが、これ以上歩いても…と思い、バスに乗ってここ本庄の駅までやって来ました。所要時間は約15分、料金170円でした。
直線距離であればこんなにはかかりませんが、あちこち回る事もあってそれなりの時間がかかってしまいます。
この時は10月末でしたが、11/2~3の「本庄まつり」に備えて駅前広場の真ん中にこのような提灯群が出ていました。
▼本庄駅の駅舎は絶賛工事中でした。
自由通路やエレベーターの改修をやっているとの事でした。
それぞれ既に設置から20~30年経過しており、経年劣化は否めないという事で工事着手しているようで、駅入口周辺自体は何も囲われていませんでしたが、これ以外の半分くらいは工事資材で覆われていました。
駅が大きくなるのかと思いきや、改修のようでその期待は外れました。
▼本庄駅北口の駅前の様子です。
先程の駅舎や駅前広場の北口のものです。
駅前広場の様子から見ると、どちらかというと南口の方がメインで、こちら側はサブという印象でした。
しかしこちら側は「本庄七福神」巡りを楽しむ事ができ、七福神がそれぞれ点在しています。
▼前回2011年に一度本庄駅前の街歩きをしていますが、これというものが得られなかった事もあり、昨年再度ここを訪ね歩きました。
これにあたり、何を見るか?を考えて、新幹線の本庄早稲田駅前では飯玉神社くらいしか地場のものがなく、本庄駅前の方に来てみたら何かあるか??と思ってきましたが、ちょうど七福神めぐりの看板があったので「これだ」と思い、全部でなくてもよいので探してみよう、となりました。
北口の駅前を歩いて早速、ひとつ出会えそうだったので、看板の案内に沿って進む事にしました。
▼城立寺(じょうりゅうじ)にやってきました。
本庄駅前の通りから路地を入るとそこはスナック街で、そこからしばらく(角を曲がって90m)歩いた所にあるのがこのお寺です。
あまり出くわす事のない(と個人的に思っている)日蓮宗のお寺でした。
安土桃山時代の天正年間が創建とされ、1898(明治31)年に当地に移転したとあります。
そしてここには七福神のうち「大黒尊天」が居ました。さっき角を曲がる際に既に予告ありでしたが。
インドの神と日本の大国主命を合体させた神で五穀豊穣、財福の神との事。神は合体もするのですね。というか純然たる日本の神でなかった事に今更驚きました。
という事でまずは一体目!コレクション的な趣向で観光客に制覇させる向きがあるのか、「七福神めぐり」として幟も多く立ち並んでいました。鎌倉など他の都市でもあるようですね。
そしてそして、より本庄らしさを感じられるものがこのお寺の境内にありました。
それは…
「本庄かるた」 です
ここのかるたの最初の文字はナント「ゑ」でした!
「縁日に うちわ太鼓が 鳴り響く 祖師と薬師の 城立寺」というものでした。
この本庄かるたは街の中で随所に見られました。これこそ「本庄の街を旅してる」事を明確に実感できるものでした。
ちなみに「うちわ太鼓」とは柄の付いたうちわのような形の太鼓で、手に持ってもう片方の手で叩くやつです。個人的にはコントでよく見るタイプの太鼓です(笑)縁日の時はここでそんな風に太鼓が鳴らされて、盛り上がったのでしょうか?かつては。
▼本庄市のマンホール、カラー版で出くわしました。
この魚は…??と思い調べてみると…
埼玉県の指定天然記念物「ムサシトミヨ」が描かれているとの事で、かつては本庄でも見られたそうですが、今では熊谷の保護センターを中心に保護下に置かれている絶滅危惧種だそうです。
トミヨという魚の一種で、関東に生息する為この名になったと思いますが、定まった学名がないそうです。
このようなトミヨの一種はいくつかありますが、純然たるトミヨ以外は絶滅危惧種または既に絶滅してしまったもの(ミナミトミヨ)もいるそうです。
▼はにぽん自販機
本庄市のゆるキャラ「はにぽん」の自販機に出くわしました。
最近は個人のお店でもこういうラッピング型の自販機が出てきていますね。
▼本庄駅北口の駅前通りを突き当りまで400m程歩いた辺りですが、昭和な雰囲気の店が並んでいました。
今も営業しているものもあれば、そうでないものもありますが、昭和な雰囲気を残しつつ営業しているならばそれは素敵だと思います。
▼これまた印象的な風貌であった戸谷八商店というガラス・セトモノを扱う商店がありました。
ここは本庄駅から北へ進んだところを左折して県道392号線へ入った所です。
軒先に「創業 永禄三年」とありました。
永禄??
西暦でいうと1560年です。 「桶狭間の戦い」で織田信長がその名を上げた年です。といっても歴史の授業で習ったレベルの事ですが。
江戸時代よりも前の創業で「埼玉県最古の企業」ともされているようですが、戸谷氏というのは江戸時代の豪商として知られ、代々戸谷半兵衛を襲名していたといます。昭和風景どころではない深い歴史を持った店をここで見る事ができ、驚きでした。
その周辺はやはりシャッター商店街が多く、明らかに稼働しておらず、老朽化の激しい建物もありました。
▼上の写真にもチラッと見えていましたが、本庄まつりの提灯群が郊外にもありました。
祭の2週間前くらいの時期であったので、このくらい盛り上がっていたのかな?というところですが、山車が10台ほど集結する壮大なお祭りだそうです。
▼中山道 本庄宿の標柱が立っていました。
場所は本庄仲町郵便局の前です。
本庄は中山道の宿場町で、江戸から数えて10番目にあたり、武蔵国では最後の宿場で、中山道では人口・建物とも最大規模であったそうです。
お城が早い時期に廃業になった事が、逆にこの町を宿場町として充実させていった原因と記されていましたが、それだけ栄えた町であったという事実を今まで知りませんでした。もっと宿場町として掘り下げて訪ねても良かったかな、とも感じました。
ただ当時の歴史的な遺産があまりなかった印象もあり、それは宿場町として栄えすぎた故火災が多く発生し、焼失したものも多かったともありました。
▼ほんじょうかるたが郊外にもありました。
ここでは「ね」です。
「練り歩く 神輿で街は 人の波」というものでした。
これは今でも本庄まつりで、その雰囲気が引き継がれているのでしょうね。祭りとしては江戸時代から記録が残っているといいます。
11/2・3頃は祭りで賑わうこの街、この時期は混むから避けるか、祭りが好きなら見てみるか、ですが、毎年曜日に関わらず、11/2・3の2日間にて祭りは開催されるとの事です。
本庄かるたと七福神めぐり、また古代史に興味のある方なら古墳訪問という、本庄訪問の選択肢は色々あるな、と訪ねてみて知りました。
という事で、旅のし甲斐のある本庄の街でした。
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