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11埼玉県

2019年7月25日 (木)

秩父鉄道/行田市駅 (埼玉県行田市)

埼玉県行田市の秩父鉄道/行田市(ぎょうだ・し)です。

行田市ではJR行田駅をupした事がありますが、今回は「市」のついた秩父鉄道の駅をお届けします。

-秩父鉄道/行田市
【路線】秩父鉄道秩父本線 (羽生-三峰口間)
【開業】1921年4月1日
【訪問】2012年9月
【1日あたり平均乗車人員】 865人/日 (2017年)
【近隣の都市駅】(羽生方面)羽生駅→5駅 
          (三峰口方面)熊谷駅→3駅

▼ 行田市駅の駅名標として、床付けタイプと吊下げタイプの両方がありました。

JRの行田駅の方は1966年に開業したのに対して、こちらの行田市駅は1921年と45年も前に開業しており、元々この行田市駅の方が「行田」駅を名乗っていました。

されがJR行田駅が開業した事に伴って、後ろに「市」がつき、現在の行田駅となっています。

駅名標が古き昭和の国鉄チックでちょっと惹きつけられました。

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▼ホームに停まっていた秩父鉄道のこの独特の黄色い電車、味がありすぎですね。

前面が食パンそのものという感じで大変ユーモラスな雰囲気でした。

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▼ホームは1面2線で、両側の出口へ出られる橋上駅舎の構造になっています。

細い柱でゴツイ建物を支えてるな、という感じです(笑)

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▼ホームの屋根下はこんな感じですが、結構広い屋根が取られている感じでした。

そして時刻表が吊り下がっていました。

左の黒い分が平日で、右の赤い分は休日のものです。概ね1時間に2、3本で、朝夕で最大4本ある時間帯もある、というところです。

待合室は室内型になっていて、前には自販機があり、室内には木製の長椅子が入っていました。なかなか渋い感じでした。

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▼JR行田駅の記事でも触れましたが、ここは「埼玉県名発祥の地」で、その事が書かれたポスターが貼られていました。

そしてお城の写真も。

ここ行田は「忍(おし)城」が有名な城下町です。

前回、JR行田駅に行った際は忍城まで3.5km以上離れており、歩いて行くには時間的に厳しく、バス路線等もあるようですが、そこまでの時間が取れず訪ねるのを断念した事もあり、忍城跡まで歩いて行けるこの駅までやってきたという訳です。

なので改めて書いておくと、忍城跡の最寄り駅はJR行田駅ではなく、秩父鉄道の行田「市」駅の方です!

この駅からだと歩いて行けますので。

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▼更にまたまたポスターですが「日本最大 田んぼアートが出現」とありました。

「古代蓮の里」というところの展望タワーから見られるという事で10月中旬まで見ごろ、とここには書いてありました。

毎年様々なデザインがなされているようですが、今年のを見ると「令和」と書かれたアートになっているようです。

行田に来たら、このような田んぼアートを見るのも良いですね。

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▼駅内の自由通路周辺です。

特に構内にお店が入っているとかはなく単純に通路でした。

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▼行田市駅の駅前広場です。

真ん中に建っているものは「埼玉県名発祥の地 行田」と刻まれています。

行田市役所などの公共機関もJR行田駅よりもこちらの駅の方が近いようで、行田駅よりこちらの方が行田の中心的な側面がやや強いかな、と感じました。

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▼行田市駅の駅舎です。

駅名の表示が遠くからだと見えにくい所にあります。横に近い角度からだと見えますが、正面からだと木の陰に隠れたり見づらいです。

建物の正面ではなくて、横へ降りる階段のサイドに表示されていますが、その位置が駅前広場から見ると端の方なので少々見づらいですね。

ただの四角い箱の建屋ではなく、その周りを縦に横にうねっているようで、何やらせわしげな印象を持たせる、そんな建屋でした。

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2019年6月15日 (土)

埼玉/鶴ヶ島 三度目の正直で旅をした

埼玉県鶴ヶ島市、鶴ヶ島市内の旅の様子です。

(2019年5月当時)

▼まず最初にこれは坂戸市の坂戸駅前です。

鶴ヶ島の旅なのに坂戸駅?なのですが、これには訳があります。

今回記事の写真は、鶴ヶ島を訪ねて3度目でやっと記事にあげるに値する内容になったかな、というところで今こうしてupをしています。

というのも、1度目は2011年に鶴ヶ島駅を訪ねたものの、駅前ほんのちょっと訪ねただけでとても旅とよべるものではなく、鶴ヶ島ならではというものも当然発見できずに終わりました。それで昨年2018年に7年ぶりに訪問し、今度事もう少し深く旅をして記事にできる形にするくらいの時間を取って巡ろう、と思い実際に再度鶴ヶ島駅に降り立ちました。そして何十分かかけて歩き回りました。

これで鶴ヶ島の旅の様子をupできるだろうと思いました。しかし…

鶴ヶ島駅から歩いて行ったそのコースは、ほとんどが川越市内のものでした。せっかく池を見つけて、これは絵になるなぁなどと思っていたのが川越市内であったことが判明、結局鶴ヶ島の風景は皆無で、またも鶴ヶ島の旅ならず、の結果に終わってしまいました。

これは鶴ヶ島市の境界区域の関係で、鶴ヶ島駅がまず鶴ヶ島市と川越市の境界にあり、そして南側の駅前道は完全に川越市内になっており、これと右側に平行に鶴ヶ島市との境界線が通っている格好になっている等地形によるものです。

そんな訳で「鶴ヶ島駅発での」鶴ヶ島市の旅はもうやめよう、という事でどこに降り立つかを考えました。市内の名所とも勘案した結果、この坂戸市の坂戸駅に降り立つ事とした訳です。ここから少し歩かないと坂戸市を抜けられませんが、がんばります!

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▼坂戸駅南口から南へ歩く事約5分、坂戸市を出て鶴ヶ島市へ突入したばかりの地点に、この「脚折北部自治会館前」バス停がありました。

ちなみに脚折は「あしおり」ではなくすねおり」と読みます。

バスは鶴ヶ島市コミュニティバス「つるワゴン」という名称で、鶴ヶ島市の「つるごん」が真ん中に描かれていました。

このバス停でいえば1日5便のみで、本来はバス移動しようかと思っていましたが、結局は全行程歩いて行く事となり、しんどかったです。

ともあれ、ここからがやっと実現なった「鶴ヶ島市の旅」の始まりです。

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▼更に坂戸駅から南へ。飯森川という川の上に架かる一天狗橋というユニークな名前の橋が架かっていました。

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▼一天狗橋から6~7分くらい南へ歩いてすっかり鶴ヶ島市内ですが、長久保小学校入口というバス停に差し掛かりました。

長久保小学校は1980(昭和55)年開校の比較的新しい小学校ですが、当時は鶴ヶ島市ではなく、入間郡鶴ヶ島町という郡部でした。

幹線道の木々がいずれも天に向かって伸びていて、葉の付き方がちょこんとしていて独特の雰囲気を放っていました。

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▼さらに南へ、日蓮正宗(にちれんしょうしゅう)の啓信寺というお寺がありました。

歴史由緒あるお寺、という雰囲気は希薄でしたが、「日蓮正宗」の文字が引っ掛かりました。

日蓮宗の分派として派生した多様なもののうちのひとつのようですが、日蓮上人を崇拝の対象としているのが日蓮正宗で、これが日蓮宗との大きな違いだそうです。なんだか不思議ですね。ちなみに日蓮正宗の門徒は約70万人いるそうです。

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▼コンビニのMINI STOPがありました。

駐車場には「令和」の幟が立っていましたが、この時は令和になってわずか4日目だったのでした。令和記念で色んなところで色んなことをやっていたものでした。

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▼バス停にあったルート変更のお知らせです。

こういう案内はこの時期にしか張っていないものなので、とても貴重なカットといえると思います。

しかも「令和元年」とか書いてあるものは本当に貴重と思います。記録としてここに残せてよかったなと。

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▼だいぶ歩いてきましたが、このラーメン屋さんでつけ麺頂きました。その名も「優勝軒」 !

個人的にはあまり好みのタイプではなかったけど、好きな方には好きなタイプ?だと思います。

東北地方に多く店舗が存在し、埼玉にも数店舗見受けられました。関西にはないようで、道理で聞いた事がないと思いましたが。

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▼やっと鶴ヶ島で見つけられた名所らしい名所、といえる「雷電池公園」です。

この「雷電池」も先述の脚折(すねおり)同様に難読で、「らいでんいけ」ではなく「かんだちがいけ」なのです。どっからどう読んでこうなるんだ、という感じですが…。

真ん丸の池と、これを含む緑の公園スペースで構成されています。

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▼池は葉っぱが落ちまくっていて、あまりきれいなものではありませんでしたが、鯉が泳いでいました。

そして亀も。

この亀に近寄っていったら、ものすごい勢いで水面へ逃げていきました。この時、亀の俊敏さを初めて目にしました。しかも結構距離のある(詰まっていない)ところで逃げていきましたが、外敵を認識するのが意外と敏感なんだなと感じたものでした。のろまな亀はどこへやら、という感じで。

ちなみに「餌をあげないで」と表示がありました。

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▼雷電池公園を抜けて、歩いて行ったところですが、鶴ヶ島の街なかではこのような茶畑が散見されました。

鶴ヶ島には10軒の茶農家があり、それぞれがこのように茶畑を持ち、狭山茶を栽培しています。

狭山茶は茶の木にとって寒い気候により、葉肉が厚くなり濃い味わいを引き出すといわれています。

このような茶畑が見られるというのは、実際に街なかを歩いてみないと分からないものだな、とつくづく思わされました。

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▼高倉通りという通りに行き着きました。

これを進んで行きます。

これは鶴ヶ島市内の日帰り温泉を目指すための道のりです。

「〇〇通り」というと、結構都会っぽい所をイメージしましたが、ここはかなりのカントリーな所でした。鶴ヶ島はこんな農業側面が強かったのか、と茶畑に続き思わされました。元々は農業主体の街に宅地造成が進んで現在の形になったといいます。

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▼その高倉通りを歩いていたら、この「日枝神社」がありました。

この神社は滋賀県大津市の日吉大社を総本山とするもので、近江国の高倉朝臣が日吉の神を信仰していたが、当村に勧請したとありました。

創建年代は不明ですが、毎年11/2,3には高倉の獅子舞として、江戸中期から始まるとされる獅子舞が奉納されます。

この高倉の獅子舞は1974(昭和49)年に現在の鶴ヶ島市(当時・鶴ヶ島町)で最初に市指定無形文化財となり、かつては市内に数か所あった獅子舞が今はこの高倉の獅子舞1ヶ所になってしまい、大変貴重な伝承芸能である、との記載も見られました。

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▼高倉通りから少しそれた所に、このようないちご畑がありました。

いちご畑なんて久しぶりに見ましたが、この葉っぱを見て分かるのは、幼少時に見る機会があったからで、これがなければ初めて見る事になる訳で、幼少時の経験も、見ただけとはいえ有り難いものだと感じました。

お茶があり、いちごがあり、やはり農業側面の強い街だな、という感じでした。これまで2度訪ねた鶴ヶ島で見られなかった側面でした。

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▼これも歩いていたら遠くから見えたものですが、なんだろうと思って道路を逸れて見に行きました。

単に草むらの上にでっかい鯉のぼりが連なっていました。

時期がGW真っ最中であったので限定ものとは思いますが、大きな鯉のぼりが掛かっていたらついつい見入ってしまうというものです。

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▼鯉のぼりを見て、別なルートから高倉通りへ戻ろうとすると、独特の匂いが鼻に入って来て、もしやと思ったら…

牛舎があり、また別の離れのような所で牛たちが寝そべっていました

またまた鶴ヶ島のカントリーな面を見る事ができました。

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▼最後は、鶴ヶ島の旅で最終的に訪問目標としていた「蔵の湯」というこの日帰り温泉です。

同じ蔵の湯が東松山市にもありますが、これと同一のHPに載っているので、鶴ヶ島独自のものではありませんが、この街を代表する施設のひとつではあるかなと思います。野天岩風呂という丸い露天風呂や、炭酸泉、白湯、内と外の両方にサウナがあったかと思います。

【蔵の湯】

住所:埼玉県鶴ヶ島市新町3-5-4

電話番号:049-271-2614

利用時間:8:00~25:00 (最終受付は24:30)

入館料:大人平日600円(休日700円)、小人360円

HP:http://www.kuranoyu.net/tsurugashima/

アクセス:東武越生線/一本松駅より徒歩約10分

     または鶴ヶ島市市民バス「蔵の湯」バス停徒歩すぐ

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やっとのやっとで鶴ヶ島らしさを存分に感じられた、良い旅でありました。

2019年1月 6日 (日)

埼玉/本庄 かるたと七福神で巡る街

埼玉県本庄市内の旅の様子です。

(2018年10月当時)

▼前にJR本庄早稲田駅の記事にて、この駅付近の宿に泊まった事を書きましたが、これがその宿です。 「いやし処ホテル 寛楽」というホテルでHPはコチラ 

熊谷で用事があったので本当は熊谷で泊まりたかったのですが、いつものように?!ギリギリまで宿が決められなかったが為に、日が迫ってしまい選択肢がなくなり、近郊のこの本庄に予約できる宿があったので泊まった次第です。

ちなみに熊谷と本庄では新幹線1駅分の距離があり、新幹線で移動するならば9分で着きます(本数が多い訳ではないので、ダイヤは要確認です)

この宿は左側の建物と右側の向き互いの建屋の両方が繋がっており、2F建ての低層ながら横長になっている形です。

このホテルが一号店で、現在二号店を準備中だそうですが、かなり新しいホテルのようでした。

大浴場があるという点が宿泊にあたっての決め手のひとつとなりました。この時の宿泊費は8,300円でした。早めに予約するとか、食事なしとかすればもう少し安くで泊まれるようです。

                         
【いやし処ホテル 寛楽】
住所:  
埼玉県本庄市早稲田の杜2-1-12
 
電話番号:  
0495-25-8088
 
アクセス: JR本庄早稲田駅より徒歩5分

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▼これは泊まったホテルの館内案内図です。

建物が分かれていましたが、1号棟と2号棟になっていました。

大浴場が15:00~24:00と翌朝5:00~9:00まで利用できます。

それぞれ2F建てですが、低層ホテルのメリットはなんといっても「エレベーターで困る事がない」点です!

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▼ホテルの室内はこんな感じでした。

全体的に暗いカットになっていますが、雰囲気的にこういう感じという事で。

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▼複合店舗エリア

本庄早稲田の駅から道を隔てたすぐ向こうに、このような飲食等の店舗が固まったエリアがあります。上の写真のホテルは駅からこれらの施設を経て向こうに位置しています。

飲食店ばかり写っていますが、スポーツ関係のお店もありました。

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▼飯玉神社という、ホテルの程近くにあった神社です。

この神社のある久下塚という地区名は当時治めていたとされる久下塚氏からきているそうで、また「久下」は古代の役所である「郡家」が転じたものともされています。

創建年代は不明との事ですが、地場の古い神社ではあるようです。

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▼本庄早稲田駅前の風景はこんな感じです。

向こうに見えるのが本庄早稲田駅で、先ほどの店舗群は左向こうに隠れている部分に位置しています。

LAWSONが右向こうに見えていますが、Family Martもこの近くにあります。

駅の立地としては既にあった在来線の本庄駅から南へ約2kmの所にあり、在来線(JR高崎線)と平行に走っている所にはあります。

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▼いきなり景色ガラッと変わりますが、これは在来線であるJR高崎線本庄駅前の広場のカットです。

本庄早稲田の駅前を徒歩探索していましたが、これ以上歩いても…と思い、バスに乗ってここ本庄の駅までやって来ました。所要時間は約15分、料金170円でした。

直線距離であればこんなにはかかりませんが、あちこち回る事もあってそれなりの時間がかかってしまいます。

この時は10月末でしたが、11/2~3の「本庄まつり」に備えて駅前広場の真ん中にこのような提灯群が出ていました。

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▼本庄駅の駅舎は絶賛工事中でした。

自由通路やエレベーターの改修をやっているとの事でした。

それぞれ既に設置から20~30年経過しており、経年劣化は否めないという事で工事着手しているようで、駅入口周辺自体は何も囲われていませんでしたが、これ以外の半分くらいは工事資材で覆われていました。

駅が大きくなるのかと思いきや、改修のようでその期待は外れました。

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▼本庄駅北口の駅前の様子です。

先程の駅舎や駅前広場の北口のものです。

駅前広場の様子から見ると、どちらかというと南口の方がメインで、こちら側はサブという印象でした。

しかしこちら側は「本庄七福神」巡りを楽しむ事ができ、七福神がそれぞれ点在しています。

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▼前回2011年に一度本庄駅前の街歩きをしていますが、これというものが得られなかった事もあり、昨年再度ここを訪ね歩きました。

これにあたり、何を見るか?を考えて、新幹線の本庄早稲田駅前では飯玉神社くらいしか地場のものがなく、本庄駅前の方に来てみたら何かあるか??と思ってきましたが、ちょうど七福神めぐりの看板があったので「これだ」と思い、全部でなくてもよいので探してみよう、となりました。

北口の駅前を歩いて早速、ひとつ出会えそうだったので、看板の案内に沿って進む事にしました。

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城立寺(じょうりゅうじ)にやってきました。

本庄駅前の通りから路地を入るとそこはスナック街で、そこからしばらく(角を曲がって90m)歩いた所にあるのがこのお寺です。

あまり出くわす事のない(と個人的に思っている)日蓮宗のお寺でした。

安土桃山時代の天正年間が創建とされ、1898(明治31)年に当地に移転したとあります。

そしてここには七福神のうち「大黒尊天」が居ました。さっき角を曲がる際に既に予告ありでしたが。

インドの神と日本の大国主命を合体させた神で五穀豊穣、財福の神との事。神は合体もするのですね。というか純然たる日本の神でなかった事に今更驚きました。

という事でまずは一体目!コレクション的な趣向で観光客に制覇させる向きがあるのか、「七福神めぐり」として幟も多く立ち並んでいました。鎌倉など他の都市でもあるようですね。

そしてそして、より本庄らしさを感じられるものがこのお寺の境内にありました。

それは…

「本庄かるた」 です

ここのかるたの最初の文字はナント「ゑ」でした!

「縁日に うちわ太鼓が 鳴り響く 祖師と薬師の 城立寺」というものでした。

この本庄かるたは街の中で随所に見られました。これこそ「本庄の街を旅してる」事を明確に実感できるものでした。

ちなみに「うちわ太鼓」とは柄の付いたうちわのような形の太鼓で、手に持ってもう片方の手で叩くやつです。個人的にはコントでよく見るタイプの太鼓です(笑)縁日の時はここでそんな風に太鼓が鳴らされて、盛り上がったのでしょうか?かつては。

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▼本庄市のマンホール、カラー版で出くわしました。

この魚は…??と思い調べてみると…

埼玉県の指定天然記念物「ムサシトミヨ」が描かれているとの事で、かつては本庄でも見られたそうですが、今では熊谷の保護センターを中心に保護下に置かれている絶滅危惧種だそうです。

トミヨという魚の一種で、関東に生息する為この名になったと思いますが、定まった学名がないそうです。

このようなトミヨの一種はいくつかありますが、純然たるトミヨ以外は絶滅危惧種または既に絶滅してしまったもの(ミナミトミヨ)もいるそうです。

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▼はにぽん自販機

本庄市のゆるキャラ「はにぽん」の自販機に出くわしました。

最近は個人のお店でもこういうラッピング型の自販機が出てきていますね。

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▼本庄駅北口の駅前通りを突き当りまで400m程歩いた辺りですが、昭和な雰囲気の店が並んでいました。

今も営業しているものもあれば、そうでないものもありますが、昭和な雰囲気を残しつつ営業しているならばそれは素敵だと思います。

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▼これまた印象的な風貌であった戸谷八商店というガラス・セトモノを扱う商店がありました。

ここは本庄駅から北へ進んだところを左折して県道392号線へ入った所です。

軒先に「創業 永禄三年」とありました。

永禄??

西暦でいうと1560年です。 「桶狭間の戦い」で織田信長がその名を上げた年です。といっても歴史の授業で習ったレベルの事ですが。

江戸時代よりも前の創業で「埼玉県最古の企業」ともされているようですが、戸谷氏というのは江戸時代の豪商として知られ、代々戸谷半兵衛を襲名していたといます。昭和風景どころではない深い歴史を持った店をここで見る事ができ、驚きでした。

その周辺はやはりシャッター商店街が多く、明らかに稼働しておらず、老朽化の激しい建物もありました。

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▼上の写真にもチラッと見えていましたが、本庄まつりの提灯群が郊外にもありました。

祭の2週間前くらいの時期であったので、このくらい盛り上がっていたのかな?というところですが、山車が10台ほど集結する壮大なお祭りだそうです。

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▼中山道 本庄宿の標柱が立っていました。

場所は本庄仲町郵便局の前です。

本庄は中山道の宿場町で、江戸から数えて10番目にあたり、武蔵国では最後の宿場で、中山道では人口・建物とも最大規模であったそうです。

お城が早い時期に廃業になった事が、逆にこの町を宿場町として充実させていった原因と記されていましたが、それだけ栄えた町であったという事実を今まで知りませんでした。もっと宿場町として掘り下げて訪ねても良かったかな、とも感じました。

ただ当時の歴史的な遺産があまりなかった印象もあり、それは宿場町として栄えすぎた故火災が多く発生し、焼失したものも多かったともありました。

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▼ほんじょうかるたが郊外にもありました。

ここでは「ね」です。

「練り歩く 神輿で街は 人の波」というものでした。

これは今でも本庄まつりで、その雰囲気が引き継がれているのでしょうね。祭りとしては江戸時代から記録が残っているといいます。

11/2・3頃は祭りで賑わうこの街、この時期は混むから避けるか、祭りが好きなら見てみるか、ですが、毎年曜日に関わらず、11/2・3の2日間にて祭りは開催されるとの事です。

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本庄かるたと七福神めぐり、また古代史に興味のある方なら古墳訪問という、本庄訪問の選択肢は色々あるな、と訪ねてみて知りました。

という事で、旅のし甲斐のある本庄の街でした。

2019年1月 2日 (水)

JR本庄早稲田駅 (埼玉県本庄市)

埼玉県本庄市のJR本庄早稲田(ほんじょう・わせだ)です。

本荘市では在来線のJR本庄駅をupした事がありますが、今回の本庄早稲田駅は逆に新幹線のみの駅です。

-JR本庄早稲田
【路線】JR上越新幹線 (大宮-新潟間)
【開業】2004年10月21日
【訪問】2018年10月
【1日あたり平均乗車人員】 2,218人/日 (2017年)
【近隣の都市駅】(大宮方面)熊谷駅→隣駅 
          (高崎方面)高崎駅→隣駅

●駅名標

2004年に開業した上越新幹線の新駅で、自治体や企業の寄付によって開業にこぎつけたいわゆる「請願駅」で、元々市名を名乗った中心駅である「本庄駅」がありながら、これとは別に新幹線のみの駅としてできたものです。

高崎と熊谷の間にあり、埼玉県では大宮、熊谷に続いて3つ目の新幹線駅ですが、大宮、熊谷よりは全然人口の少ない10万に満たない都市の新幹線駅として存在しています。

当初は「本庄児玉」とか「新本庄」とかいう案があったようですが、早稲田大学の本庄キャンパスがあることから、この名になったといいます。

1日辺りの乗車人員は2017年で2,218人ということで、開業当初は4,300人程度を見込んでおり、だとすると半分程度ですが、近年は微増傾向にあるようです。

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●ホーム

2面2線のホームで、この新幹線ホームのみです。

夜の10時を過ぎていたので真っ暗ですが、ここの近くの宿へ泊まりにやって来ました。

駅前にホテルが並び立っているような街ではなく、この時泊まりに行ったホテルも2階建てのこじんまりとしたものでした。

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●新幹線構内

ホームから降りて改札までのスペースにあったものです。

大抵の駅では、その地の名産や名所など象徴するものをあげるのでしょうが、相違ものが見当たらなかったのか、オーソドックスに駅員スタイルの顔抜き看板が設置されていました。

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●彩北未来空間

と記された暖簾がかかった空間がこれまた駅構内にありました。

イベントスペース的な場所で、「ふるさと納税」の幟が立っていましたが、本庄や近隣のふるさと納税商品の紹介として展示しているようでした。あとは近隣の自治体のPRポスターがあったくらいでしょうか。

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●はにぽん、とか

同じ駅構内ですが、本荘市ゆかりのキャラクターの幟が立っていました。

「はにぽん」は本庄市のゆるキャラで、2016年のゆるキャラグランプリでは見事2位に輝いたとありました。2010年にキャラクターとして決定し、モデルはその名の通り「埴輪」です。

古代遺跡が数多く出土しており、県内で最古かつ最大の古墳を有していることから、埴輪がその象徴として売り出されているものと思います。

井上小百合さんという方の幟については、ここ本庄出身で乃木坂46に在籍している方だとか。ということで「広報観光大使」および「はにぽんアンバサダー」という肩書がつけられていました。

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●さらに広報観光大使

黛英里佳(まゆずみ・えりか)さんというこの方も、同じ広報観光大使のようで幟が出ていました。

アイドルではなく女優さんで、秘密のケンミンSHOWのドラマパートやCMにも多数出演されているようです。

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●返礼品

駅構内のこういうウインドウにはよく「〇〇市の特産品」として飾られている事が多いですが、実質的にはこれと同じ「ふるさと納税返礼品」として展示されていました。

お菓子詰め合わせはもちろん、石鹸やハムの詰め合わせや、特産である本庄絣(かすり)の詰め合わせなんかもありました。

また、ここにはないですがゴルフ場のプレー券もHPには載っていました。

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●本庄市はこんな街

という事を表すものがパネル形式で並べられていましたが、塙保己一(1746-1821)に関連するものでした。

江戸中期に活躍した盲人の国学者で「群書類従」の著作で有名ですが、ここ本庄にあたる地の出身者であり、郷土の偉人として売り出されているフシを所々で感じられました。

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●本庄早稲田駅 駅舎

周りになんにもない訳ではありませんが、駅前の街並みに比べて駅舎の立派さが際立っていました。

特徴的なのは、駅出口から長い庇が出ているところです。特に何かの施設と繋がっている訳では全くありませんが。

在来線の本庄駅との距離は約2kmで、歩いて移動は可能ですが、双方を繋ぐバスが出ていて、実際これで本庄駅まで行きました。ただしあまり本数は多くないようです。

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2018年12月 9日 (日)

埼玉/桶川 桶川駅西口公園

埼玉県桶川市、JR桶川駅前の様子です。

(2011年4月当時)

前回記事が北本市でしたが今回はその隣の桶川市の街の様子の記事になります。

●マンホール

桶川のマンホールです。それもカラー版を見つけられました。

「べに花の郷」と記されていました。

桶川には「べに花まつり」というのが6月にあります。江戸末期から有名になり、山形県の「最上紅花」に次いで全国2位の生産量を誇ったといわれています。桶川は宿場町でもあり、そこに農作物として紅花が盛んに取引されたといいます。

明治期に入ってから化学肥料にとってかわられる形で廃れていった紅花栽培ですが、平成8年に「べに花まつり」が開催され、復活を遂げて現在に至る形となっています。

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●駅西口公園

文字通り、桶川駅西口からすぐ近くにある公園です。

この時桶川市で行ったところといえばここぐらいで、他に挙げるものがありませんが、ちょっとした公園であったので寄ってみました。

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●公園内

さて公園に入ってみました。

鏡状になった手のオブジェがインパクトありました。

あとは何かくり抜かれたような入口も印象的で、そこをくぐり抜けると、水辺の中に間の開いた石が。飛び越えなくても跨いで行ける距離ですが、子どもにはちょっと危ない感じの箇所でした。ここを渡らずとも普通に入って行ける入口もありますが。

ここには写っていませんが遊具が多くてアスレチック要素に富み、そして木々が多く、水辺もありという事で「埼玉県のクールスポット100選」なるものに選ばれているそうです。

面積は約15,000㎡で正方形で表現するなら120m程度の四方になります。

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●公園モニュメント

上の写真で見えていたモニュメントです。

光を捉える塔で、水を写すスクリーンで、時の刻みを写す鏡で、と色々その役割が説明書きされていました。

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●鴨川源流域

関東で鴨川って千葉県を思い起こしますが、埼玉県にも一級河川として「鴨川」という川が存在しています。

荒川水系の川で、桶川市や上尾市や朝霞市、そしてさいたま市にも流れており、延長は19.2kmです。

桶川市の鴨川1丁目というところに源流を発しているということで、これが地名にもなっているようです。地名が先か河川名が先かですが…。

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●まろにえ通り

とありました。

駅西口公園のすぐそばです。

そもそもですが、マロニエってよく聞く言葉の割にその意味を全然知らなかったし、調べた事もなかったなと思い、この機会に調べてみました。

フランス語でいうところのマロニエとは「トチノキ」の近縁種「セイヨウトチノキ」の事でした。「栃」ですね。ここの並んでいる木々がセイヨウトチノキという事でしょうか??

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●パトリア桶川

桶川駅西口の整備開発事業として1988年に桶川駅直結で開業して以来27年間は東武ストアの「桶川マイン」を核店舗に運営されてきましたが、2015年にリニューアルしたというので、この写真当時が2011年につき、また変わった姿に今はなっていると思います。

浅くしか訪ねていない埼玉の都市のひとつですが、今度機会があればもう少し掘り下げて訪ねてみたいものです。

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2018年12月 4日 (火)

埼玉/北本 余命2ヶ月の温泉

埼玉県北本市、JR北本駅からの歩き旅です。

(2018年11月当時)

●駅前通り

先ずは北本駅から駅前の通りを歩いて行きます。

北本に初めて来たのは2011年の事でしたが、この時は駅の真ん前しか行ってなくて、街のネタが殆どないと思って、先日再訪してきました。

通っているうちにこのパステル調のクリーニング屋さんに目がいって撮りました。手前には何気に「無人市」がありました。

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●更に進む

北本駅東口からから北東へ更に進みます。

商店街的な名残か、独特の丸い2連街灯が立っていました。といっても他の箇所では見受けられず、どうなっているのかな?というところでしたが、この通りは結構住宅地の性格も強く、そこに店が点在している感じでした。

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●国道17号

北本駅東口から北東へ500m程度進むと、この歩道橋の架かる広い国道17号線と交差します。国道17号は東京の中央区から新潟市までを結ぶという総延長にして450kmを越える長い国道です。1952年に国道に指定されました。

この交差する道路を右折して目的地へと向かいます。

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●太鼓にキリン!

国道17号に差し掛かる交差点を右折して暫し歩いていたら、左手にこのようなキリンの居る風景に出くわしました。大きな太鼓とキリンで、とてもインパクトがあります。

こういうインパクトのある造形物って墓石店とか、こういう工芸展のものと察するのですが、これは見事な工芸品!でした。三越にあるようなライオン像もありました(笑)

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●謎のM

上の写真の工芸店・アートジャパンの建屋の部分ですが、赤い看板の下に謎の「M」の影が!この赤地の看板にピッタリのMでした。それも曲線の「m」です。

そしてここにも太鼓と一緒のキリンとは別に、キリンがいました(笑)

そのmの正体は…

下の写真にあります、マクドナルドと隣接していた訳ですね。

例の、高い位置にあるあの「m」の影が隣のビルに写り込んでいたのでした。

ちなみにここのマックでハンバーガーを頂きました、思い切り余談ですが。

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●美肌の湯

「北本天然温泉 美肌の湯」としてでっかい看板の出た日帰り温泉がありました。

今回の歩き旅の目的地はズバリここでした!

ここへ来ただけでも北本を訪ねた価値があるというものでした。

さあ入ろう!と意気揚々と乗り込んだのですが…

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●閉店のお知らせ…

入るや否や、いきなりこれでした…

2019年1月31をもちまして…、と「日」の表記が抜けてるのがお茶目でしたが…設備の老朽化もあり閉店の運びとなったとの事です。

もう残り2ヶ月を切りました。

ここはすっかりリニューアルされて2020年にHANAホテル北本、というホテルになるそうです。

現名称である「美肌の湯」というのも今年改称になったそうで、約20年前に「楽市楽湯」という名称で開業し、その後「湯花楽」への改称を経て、今年2月に現名称になった矢先の事でした…。

入口を過ぎて、一般入浴料820円とレンタルタオルセット210円の、しめて1,030円を払って入りました。

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●黒酢

100円で黒酢が飲めるコーナーがありました。

閉店前の割にはそれなりに設備投資されている様子でした。

マッサージ機も旧来のものではなく、割に新しい無重力のができるタイプでしたし。お風呂は2階層にわたって、どちらの階にも浴槽もサウナもありました。ただ、ジェットバス系の部分が「これ以上の圧力で出ません」的な記載があったり、その面については設備投資が厳しい事の表れなのかな、と感じさせられました。

食堂もありましたが、フードコートのようにバイブの番号札を持たせる方式のやつでした。

そこそこのスーパー銭湯で、終末期の閑散とした雰囲気もなく、最後まで平常運転で営業しようという気概のようなものを感じました。

来年1月末、つまり来月末までというカウントダウン態勢にはいった当温泉ですが、営業しているうちに多くの皆さんに来てほしい、と、訪ねた人間からのささやかなエールをここに贈りたいと思います。最後まで頑張って下さい!!

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2018年11月 3日 (土)

埼玉/蕨 日本一面積の狭い市の駅前風景

埼玉県蕨市、JR蕨駅周辺の様子です。

(2011年2月当時)

●泊まったホテル

蕨駅前すぐのホテルでした。

この日は埼玉県の各市を巡る旅をしていて、ここ蕨市は勿論の事、和光市や朝霞市へも生まれて初めて行きました。

特に朝霞市は駅前に本田美奈子.碑があって儚くも力強い存在感を放っていました。

他にも埼玉県内では川口市、志木市、新座市、所沢市、入間市、越谷市…などなどどんどん色んな市を訪ねて行ったのでした。

電車の本数が多いのでどんどん行けてしまうのですが、今思えば広く浅い旅であったので、今からでもそれぞれの街を深く訪ねたいと思っていますが、なかなか着手できていない所のひとつがこの埼玉県です。

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●駅前アーケード歩道

蕨駅西口ロータリーからすぐの駅前風景です。

東京駅から電車で約30分の近さにあるこの蕨駅ですが、駅前の道路が地方小都市のような歩道のみアーケードのついた商店街がありました。

ただ高層の建物が周囲にいくつも見られ、またシャッター商店街のようでもなく、そこはやはり都心に近い圏域という事を感じさせます。

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●駅前西口通り

上の写真の駅前西口から少し歩いて、反対向いて駅の方を撮ったものです。

商店街の店店の様子が分かると思います。

カラオケあり金融機関ありバラエティに富んでいます。

今から7年前の姿ですが、店の顔ぶれは殆ど変わっていないようです。

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●蕨ピアロード商店街

同じく蕨駅西口駅前、上の写真のアーケードつき商店街を西へ進んで、アーケードの切れ目から先がこの商店街「蕨ビアロード」です。

100mそこそこの短い商店街ですが、約30ものお店が軒を連ねています。

商店街のHPはコチラ

ここもシャッターの閉まったお店が殆どないようで、やはり都心近い事の利なのでしょうか。

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●住居表示街区案内図

日本一面積の狭い市である蕨市ですが、蕨駅前西側の住居表示です。

ここでは殆どが「中央○丁目」です。

面積は日本一狭い(5.11k㎡)ですが、逆に人口密度は日本の「市」(区を除く)では最も多く、14,498人/11k㎡を誇ります。狭い中に沢山の人が暮らしている訳ですね。

東側は駅前を歩くと程なく川口市へ出る為、蕨市内ではこの西口がメインとなる格好です。蕨駅前としては殆ど川口市内である東口の方がメインですが。ここでは右下に川口市と表記があり、蕨駅が川口市域と至近な事が分かる形です。

みどりの部分が公園エリアと思われますが、計画的に分散配置されているようです。

ただしこの案内図の作成は平成5年現在という事で今から25年も前(この訪問当時からでも18年も前)の様子です。

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●この先川口市

こちらは蕨駅前東口の様子ですが、かなり都心の様子に近い形で、高層ビルが連なっています。

蕨駅は東口の場合、駅から直進すると100m程の地点で川口市に入り、これらの街並みも実は川口市内の様子です。純然たる蕨市内である西口とはだいぶ様子が違っていました。

蕨駅の利用者数は非常に多い訳ですが、この川口市からの利用者の方が多いのではないかと思います。

蕨市ではこのように駅前西東の両サイドをチラッと寄っただけで大して実のない記事ですが、日本一狭い市であるこの蕨市でも観光できる所があり、先ほどの西口駅前にあたる「中央」徳では蕨本陣跡や、蕨市立の歴史民俗資料館等があります。

中山道で江戸から2番目の宿場であった蕨宿のある宿場町でもあり、往時を偲ばせる風景にもいくつか出会えるようで、これらは後から知ったのですが、是非そういったところにも着目として蕨の様子を愉しむ方がこれを見て1人でも居られたら幸いかと思います。

という事で蕨市の様子でした。

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2018年6月16日 (土)

埼玉/吉川 よしかわ天然温泉ゆあみの癒し

埼玉県吉川市、JR吉川駅前の様子です。

(2012年5月当時)

●ゆあみ

冒頭リンクの駅記事である程度駅前の様子は載せましたが、本当に駅からすぐの所に日帰り温泉があります。

それがここ「吉川温泉ゆあみ」 です。

吉川駅から徒歩1分と記されているくらい近いです。市の中心駅のこんな近くに日帰り温泉が大々的にあるという事はなかなか珍しいのではないかと思います。

これは6年前の姿ですが、今もしっかり存在しています。

駅の真ん前にあるのにバスが出ているようで、真傍に置いてありました。

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●料金表(当時)

平日850円、土日祝が950円となっていますが、現在は各々50円アップしており、

平日900円、土日祝1,000円となっています。(子供料金は今もこの当時のままのようです)

10:00~24:00の営業で、岩盤浴もあり、マッサージや癒し系の方にもかなり力が入っているようでした。

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●幟と幕

「都心に近い湯治場」

これがここのウリです。

東京駅から50分そこそこ、1時間とかからない何気に都心で、駅前すぐにある日帰り温泉という事で、東京から1時間以内で日帰り温泉に行こうと思ったら、都内よりもここの方が近い(所要時間が短い)という事もあるかもしれません。

50年の伝統ある漢方生薬のお風呂として、日本一の「智光薬湯」がここの名物と位置付けられていると思われ、こんな風に横断幕にデデンっと現われています。起源についてはよく分かりませんが、その位の歴史はあるようです。ここのオープン自体は1992年とあり、この当時でちょうど20年というところでした。

30種類の生薬を煮出したものとか書いてありましたが、人のレポを見ているとかなりひりひりするとかなんとか書いてありました。実際ここの温泉には浸かったのですが、このお湯の印象が皆無で、この薬湯に浸かったかも記憶に薄い状態です。

でもまぁここに来たなら一度は浸かってみてほしいものです。

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●温泉入口

都市の駅の真ん前にもかかわらず、ちょっとした庭園風のなかなか雰囲気のある入口になっていて、異空間的な雰囲気を放っていました。

駅前にこんな所があるのは個人的にすごく良いなと思います。都会の喧騒の中を少し逃れて癒しの空間へトリップ、そんな言葉がこれ見た時に浮かびました。

繰り返しになりますが、東京駅から1時間かからない日帰り温泉、それがこの吉川天然温泉ゆあみです。

吉川市といえば自分の中ではこの温泉だけだったので、温泉限定のような記事になりましたが、以上吉川市でした!

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2018年1月13日 (土)

埼玉/蓮田 むさし蓮田 祭りの日に…

埼玉県蓮田市、JR蓮田駅周辺の様子です。

(2018年8月当時)

●ちょうちんの群れ

「蓮田市民まつり」と「JR東日本コンサル」と「JR蓮田駅」が交互に連なる提灯群がありました。

この時は2008年、気がつけばもう10年も前になってしまっていました。ついこないだ行ったばっかりと思っていましたが…

当時の「蓮田市民まつり」は8/16・17という日程で、ここを訪ねたのが8/13だったので当然のように当地はお祭りムードでした。

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●マンホール

市の木としてハナミズキが前面にあしらわれたデザインになっていました。蓮田だけに「蓮」かと思い調べたら、市の「花」の方がスイレンで当たりでした!

このハナミズキ、どこかの歌にありましたが「薄紅色」ですね。中途半端にカラーですが、もっとカラフルなバージョンのマンホールも存在します。

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●いずみやビル

駅前の複合ビルで10年経った今もあるようですが、多少中の顔ぶれは変わっているようです。それはもう10年も経てばある程度当然の流れですね。

1Fのマクドナルドは今は別の店になっていて、また1Fの別の場所は今や日高屋が入ったりしています。

また3Fのジオスも今はここにはなく、駅から少し離れた所にあるようで、2Fには現在ドトールがあるようです。

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●ハイキングコース案内

の看板がありましたが、「代官屋敷跡・黒浜沼コース」とありました。

都心に近い都会的な雰囲気で歴史とは縁遠い地かと勝手に思っていましたが、3万年前から人が住んでいた事が確認されるなど歴史ある街です。

ここでは代官屋敷跡とありますが、これは西隣の北足立郡伊奈町というところの丸山駅を起点としたコースとなっています。丸山駅はこの蓮田駅の通る東北本線と平行に走る「埼玉新都市交通」の駅で、蓮田駅からは西へ3km程の地点にあります。

埼玉新都市交通ってここで調べて初めて知りましたが、東北・上越新幹線と平行に通っている路線でした。新幹線で都心に向かって走っていて、小さな駅みたいな施設が短い間隔で見えるなこれなんだろう?と思っていたものがどうやらこれの正体のようです。

いずれにしても今度は、この埼玉新都市交通乗りつくしたいものです。

ちなみに代官屋敷跡は伊奈町のもので、伊奈氏というのが築いたようですが、だだっ広い土地のみで、これという建物などはないようです。

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●蓮田の特産品

という事で、おすすめの品々や推奨特産品が並べたてられていました。

推奨特産品は「縄文サブレ」など「縄文」のついたものが数多く見受けられました。縄文黒胡麻、縄文ロマン、縄文の街、縄文づつみ…と。

縄文前期の貝塚が複数あるこの街は歴史と深いかかわりがある事を感じさせられ、訪問前のイメージと全然違っていました。

ここまで蓮田の名所の紹介できずにおりましたが、本当に蓮田の駅の真ん前しか行っておらず、すぐまた別の街へ行ったので載せられるネタが全然ない状態です。名所としては先ほどの貝塚があるという事で、次行く機会があれば「黒浜貝塚」「関山貝塚」などを行ってみたいところです。

黒浜貝塚は、蓮田市役所から徒歩約2分の所にあり、駅からだとバスで10分程度で市役所に着くといいます。関山貝塚は北西約2kmの地点にあります。

家族連れには「西城沼公園」というのもおススメとありました。まるで蓮田を行った事のない人間が伝聞で旅のおススメしているようですが、蓮田の街を今度はちゃんと訪ねたいと思いました。ってまぁそんなことばっかり言ってますが。昔はただ訪ねて、その地に足を下ろす事だけが目的の広く浅いものだったのですが、それを達成すると今度は各地を深く訪ねたいと思うようになった訳です。当初からその思いはあったのですが…

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2018年1月11日 (木)

埼玉/秩父 削られた武甲山に抱かれた街

埼玉県秩父市、秩父鉄道/秩父駅からの歩き旅です。

(2012年9月当時)

●まちなか回遊案内板

秩父祭が有形の重要文化財という話を前記事にて書きましたが、「秩父まつり会館」という施設もあります。

アスファルトの路面にQRコードが見えていますが、これコード拾えるのでしょうか??

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●お買物は市内商店街で!!

というこんなポスターが街灯ごとに張られていました。

ANOHANA PROJECTとあり「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない」というアニメ作品だそうで、2年前にはフジテレビ系で単発のスペシャルドラマとしても放送されたといいますが、ここ秩父が舞台設定のモデルになっているそうです。

埼玉というと、こういうアニメものが商店街の街灯にあるイメージが個人的に強くて、ここ以外にも幸手(さって)市は「らきすた」が前面に出ていた印象が強かったですね。

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●秩父駅入口交差点付近

秩父鉄道秩父駅からほど近い交差点の周辺の様子です。

左には武蔵野銀行とあり、埼玉らしさ?を感じました。

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●交通規制

秩父宮杯埼玉県自転車道路競走大会のための交通規制を行う、と看板にありました。

秩父宮、ってやっぱり秩父だな、と思いますね。

そういえば○○宮ってルーツは何だろうか、って疑問に思っても調べた事がなかったのですが、秩父宮の場合は、大正天皇の第二皇子が20歳の誕生日を迎えた時に創設されたといいます。昭和天皇の弟(現・天皇陛下の叔父)ですね。この方と妃にあたる人物のみで構成されていましたが、お妃さまが1995年に亡くなられた事で断絶しています。

断絶したにもかかわらず、このように名前が残されているのは素晴らしい事ですが、昭和28年から下賜し今に至る歴史ある自転車競技大会という事です。こういう看板に出くわす事で、その町の歴史や伝統を知る事ができますね、これがなかったら調べもしなかったと思いますし。

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●プチベタ踏み?!

これまた秩父鉄道秩父駅から西へ400m程伸びた先の「市立病院入口」交差点辺りですが、向こうに秩父公園橋という橋があり、その向こうは山というロケーションです。

島根県松江市にある江島大橋(通称:ベタ踏み橋)をちょっと思わせる雰囲気だったので、「プチベタ踏み」と書きました。あんなにすごい勢いの上り坂ではないですが、落差のある道が続いている感にベタ踏み橋を連想させられました。

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●松竹 秩父国際劇場

なんともレトロ感いっぱいのこの建物が秩父ではかなり印象的でした。

「秩父」「国際」が同居するこの不思議な語呂の間隔…やはりかつての映画館だったのかな?と思う訳ですが、元々は芝居小屋であったそうで明治33(1900)年竣工とありました、歴史ある建物である事は間違いなかったなと。

昭和25(1950)年東京浅草の国際劇場を模して改修された(だからこの名前になっている)とあり、昭和58(1983)年に閉館されたとありました。

この2012年当時は絵が描かれてシャッターが下りた状態でしたが、今はまた改装がなされ、イタリアンレストランとして再生されているようです。なのでこれもまた既に「過去の姿」となってしまっています。

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●秩父ふるさと館

ここもまた古い建物で大正時代からの歴史があり、現在は土蔵を生かした物産展示販売、郷土料理も出る手打ちそば屋、夜にはお酒も出る観光拠点にリニューアルされています。

夜はお酒…という事ですが、夜9時まで開いているそうです。

やはり秩父鉄道の秩父駅から徒歩約5分の駅近ですが、西武秩父駅からだと約15分かかるといいます。

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●秩父神社

とにかく派手な印象の強かったこの神社、色んな所へ目移りしました。

西暦927年の「延喜式」に掲載されるなど関東でも屈指の古社といわれる伝統ある神社です。尚、秩父の初見は708年という事です。創建まで遡ると崇神天皇10年という事で、西暦数十年くらいの話で、殆ど伝説の域かなというところです。

門が派手に赤いと思ったら拝殿は渋い色遣いで、そのギャップも面白いですが、拝殿の屋根の前面に妻が出っ張っているのもカッコよいですね。

その上部にはいろんなものが飛び出してきているのも非常に印象的でした。後はナント表したら良いでしょうか語彙力、という感じですが、これを見るだけでも壮観!という印象を持たないでしょうか?実際に見てみないと、こんな写真ごときで伝わらないと思うんですが。

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●道の駅ちちぶ

これまでほとんどが秩父駅より西側でしたが、ここは反対に東側にあります。

ちょっと宮殿っぽいですが、こじんまりとしたパステル調の道の駅でした。

秩父名物 豚のみそ漬とか秩父コロッケとか、ご当地らしさを感じさせるものが複数ありました。

道の駅というと、鉄道駅から遠いイメージが少なからずあると思いますが、ここは秩父鉄道の秩父駅の裏手から200m程の所にあり、距離自体は近いものです。裏手から、というのが多少時間がかかる要素ありですが。

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●よこしまな山

山頂が地層のように横にストライプになったこの山の景色がまた、ここ秩父で大変印象的なものでありました。

この山の名前は武甲山(ぶこうざん)という1,304mの山です。この山のこの姿は石灰岩が採掘できるため削れていってるといいます。

東京にビルが建つたびに、この山が削れていくといわれるほどで、削られていってるのが、目を惹く景色になっているなんとなんとも皮肉というか、ちょっと悲しくもあると感じました。

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●昭和レトロな店

レトロな店といっても稼働はしていないと思われるお店です。

この「家具のなかしま」という家具店の色褪せ具合が年月を感じさせます。店名の色褪せ具合や、外壁の汚れ具合とか、いったい何十年この地に建ち続けているのか、定点観測したものなどないのだろうか?とか色々考えさせられます。

そしてその下のパチンコ屋さん、朝日会館。〇〇会館というだけで、昭和の香り満載なのに、この面構えがいいですね、すっかり時代に取り残されながらも我が道を進み続けている、そんな頑固な感じが伝わってきます?!

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●旧秩父市役所

これもまた「在りし日の姿」となった秩父市役所です。

新市役所が昨年2月に竣工し機能していますが、この当時は東日本大震災の翌年で、当時の秩父市役所は被災し、建物の上部が大破しました。それでこんな風に覆いがあったという訳です、訪ねた時はそのような背景を知らなかったので、単に建替えしているのか、これが新しく建つのか?とか全然違う事を考えていました。

秩父の街は自然の景色も素晴らしいですが、こんな街なかで見る色々な景色にもまた目を惹かれまくりました。

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