今週、ミスタープロ野球こと長嶋茂雄さんが89歳で亡くなられた、との報が入りました。
長嶋茂雄さん死去、89歳…巨人終身名誉監督『ミスタープロ野球』(中日スポーツ) - Yahoo!ニュース
ミスター○○(球団名)と称された野球人は何人かいますが、ミスタージャイアンツを越えてミスタープロ野球とまで言われた人物は、長嶋さんただひとりだと思います。
記録的にプロ野球でナンバーワンというものはないかもしまれせんが、プレーヤーとして超一流で、かつプロ野球人気を大いに盛り上げた存在、これほどプロ野球界で人気のあった「スーパースター」の言葉が似合う人はいないと思います。
もっとも、個人的には長嶋さんの現役時代は知らず、自分が4歳の時に引退され、彼の存在を知ったのは巨人の「長嶋監督」としてであり、選手であった事すら知らない(当時小学校に入ったかどうか位で、監督は元々監督だと思っていたので…)ほどでした。
巨人監督の第一次政権の頃で、90番の背番号をつけていました。
自分の意思ではありませんが、親が買ってくれた靴のひとつに長嶋監督の背番号90が両足の上に大きく書かれた靴があり、これを履いて通学していた時期がありました。(拾い画ですが、多分これです)
1978年くらいから野球を見るようになり、その時からは優勝する事がなくなりますが、江川投手の「空白の1日」の時の監督でもありました。
1980年の解任はビックリでした。当時は監督は監督だと思っていて、まだ監督の交代劇を見た事もなく、長嶋監督は退任するわ同時に王選手も引退するわで、巨人の歴史が大きく変わる転換点になかなか訳が分かっていませんでした。
その後は解説者をしながら、いわゆる「浪人」で、大洋の監督や日本ハムの監督になる?などの憶測が流れつつも実現せず、世界陸上の「ヘイ!カール」の発言などが取り上げられていました。
1993年に巨人の監督に再就任した時もビックリでした。
13年ぶりに長嶋監督が見れるのか!と。
しかも後年背番号「3」になり、そのお披露目としてユニフォームを脱ぐ瞬間がニュースになり、画になる人だなと改めて感心したものでした。
2001年が巨人監督として最後の年となりましたが、この最終試合で原辰徳氏へバトンタッチする時の試合は、食い入るようにテレビ画面に見入っていました。
2004年に軽い脳梗塞で倒れたニュースが流れ、その後数か月で復帰し球場に現れた姿が映されましたが、右半身マヒが見えて痛々しさを感じましたが一方で、驚異の回復力ともいわれ、病気が:結構なものであったんだな、と感じたものでした。
その後は見た目は不自由さを感じずにいられませんでしたが、生来もつオーラが半端ないせいか、周りがパッと明るくなり、周囲の人たちがその影響を受けているのも分かり、やはりただものではないなと感じさせられました。
「三振する姿すらカッコいい」とプロ野球選手から言われた人物など他になかなかいないと思います。
改めて、長嶋茂雄さんの御冥福をお祈り致します。
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