鳥取/智頭 板井原集落、へ至る道
鳥取県八頭郡智頭町、旧・智頭宿の智頭往来をまっすぐひととおり進んできました。
ここで分岐点へ。県道40号とあり現在は鳥取市となっている用瀬(もちがせ)に至る道があります。この先を数㌔進めば、昔の姿をほぼそのまま残すという板井原集落に至りますが、そこまでの時間と体力がなく?!この先は少しだけ進んでみます。
雪が多いこともあり凍結しやすいのでしょうか、すべり止め防止剤なんてのが常設されていました。
上の地点同じ角の位置にあった「広域基幹林道 八頭中央線起点」の碑です。昭和49年11月に全線開通とあります。
県道40号を入って程なく、山裾の坂道に入り、集落から離れていくのが分かります。
坂の途中、分岐点から約2分歩いた辺り、このあたりが番所跡と地図にあったのですがよく分かりませんでした。何かが置いてありそうな所が他に見当たらなかったのですが…
番所というのは1575年毛利輝元が、織田信長についた尼子勝久、山中鹿之介の進入を阻止しようとこの辺りの小高い丘に設けられたもので、ある時、智頭淀山城主・草刈景継の使者がこの番所で捕まり、毛利の家臣であった彼が織田方に内通していると分かり、景継は切腹、弟の重継が家督を継いだそうです。草刈氏というのは毛利氏を後ろ盾にして勢力を誇っていたので、毛利の怒りたるや…という感じですが、この時代の人間模様はすさまじいものがあります。
もう少し坂を上ってみました。板井原集落へはまだまだでこの時はさんざん歩いていたのでとても進む気にはなれませんでしたが、ちょっと坂を上っただけでなかなか見晴らしのよいところまで来ました。
道の先の大きな木のある所の右側には斎場らしきものがあり、車が連なって来ていました。
上の写真の左端の辺りからの眺めです。
山や森林の美しい景色を見晴らせるいいところです。
いつかは板井原へ、日本の原風景の残る集落へ、と思いを抱きつつこの度はここを引き返して下りていきます。最初の写真の分岐点のところへ。
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