北海道/北広島 ここは北のヒロシマ!
北海道北広島市、JR北広島駅からの歩き旅です。
(2013年4月当時)
●マンホール
北広島市のマンホールです。
「とんぼ」?かと思いましたが、妖精が向かい合っているのだそうです。
北広島駅に「エルフィンパーク」というのがあると駅記事に書きましたが、そこでも小妖精を意味する言葉が入っており、北広島が「妖精と出会える街」を標榜している事もあって、マンホールにもこれが反映された格好となっています。
特に妖精にまつわる歴史があったようではなく、自然豊かな地形からキャッチフレーズとして打ち出されたようです。
北広島駅より程ない地点に、このような石造りのお店がありました。
「南インドスープカレー 天竺」というお店で、HPもありますが、1997年に札幌市の清田という所でオープンし、ここ北広島にもお店がある(この2店のみの模様)という格好です。
こうして数年前の写真に載っているお店を調べてみたら既に廃業しているという事も少なからずですが、ここのようにHPも残って食べログにもちゃんと残っていたりすることもあって、そういう変化の有無を確認するのも個人的な楽しみの一つでもあります。「前に行ったあの店、今どうなってるかな?」というの、ありますよね
商工会議所です。
市役所と比べて意外とインパクトのある建物が多い、と個人的に思っているのがこの商工会議所で、やはり建替機会が少ない(であろう)のもあって、渋い建物である事が多いと思います。コンクリート色そのままの色の物とか。しかし、この建屋も手前部分の屋根の具合といい、いい感じに渋いなと感じました。
商工会のHPを見ると、日本ハムの本拠地移転構想に乗っかって、誘致活動を盛んに行なっているようです。札幌ドームから移転しようという構想があるんですね、それに驚きました。
レンガ造りで横長の素晴らしい教会です。
前の記事で万田坑の事を書きましたが、その事もあってかすっかりレンガ造りの建物に目が慣れてしまいました(笑)
バックには高層マンションがいくつも並んでいました。
「広島天使幼稚園」というインパクト絶大な名前の幼稚園がありました。そのまま「てんしようちえん」と読みます。看板は「広島」「天使」「幼稚園」とそれぞれ色違いで表現されていて、より目立つというものでした。
と、書きましたが、カトリックの幼稚園として多く使われている名前であると分かりました。本園もカトリック幼稚園連盟500校余りに属しているといいます。
駅記事でも書きましたが、広島県人が集団移住したきたという経緯があり、北広島市という名前になっていますが、地元では単に「広島」という表現が使用されている事も少なからずのようです。「きたひろ」とか「ひろしま」とかの表現をあちこちで見かけました。
●ヒロシマの願い
街を歩いていて行き着いた「開拓記念公園」です。北広島駅より北東方面に徒歩約15分という事で、北広島市役所の向かいとなります。
そこで見たものは、広島市との交流であり、また広島から「被爆石」が寄贈されており、これをここに設置していました。あの悲惨な戦争を再び起こさせないように、そんな願いが強く込められている事が伝わってきました。
「北広島市市制記念」として、ここに平成8年9月1日と刻まれていますが、この時に市制化されており、時期的にはかなり珍しいのではないかと思います。平成の大合併よりかなり前ですが、個人的にはもっと昔から市制化されていたのかと思っていたので意外でした。
ちなみに広島市との姉妹都市提携は結ばれておらず、実は東広島市と1980年に提携が結ばれています。広島からの開拓移民の中に現在の東広島市域の方も含まれているとの事です。
提携のもと、昨年はここ北広島の小中学生14人が東広島市へ「子ども大使」という事で訪問したというニュースがありました。姉妹都市提携のイベントってあるものなんですね。
1984(昭和59)年に開基100周年を記念して造られた公園です。
上の写真はその一角の様子でしたが、この下の写真は結構メインというか、開拓記念公園で検索してよく出てくるカットです。
やはりなんといってもこのタイル状の通路はインパクトがあります。階段上の真ん中にあるオブジェは「飛躍」を表わしたものだそうです。
面積としては7,271㎡という事で、大体80m×90m程度ですね。
●きたひろしまの歴史
かなりひびが入ってしまっていますが説明板がありました。
ここでの歴史年表は1889年の道路開通から始まっていますが、1884年に広島市の段原地区から和田郁次郎(1847-1928)ら25戸が移住し、開拓した事に始まります。段原といえば広島では路面電車の駅名として存在し、またこの姓の方も居られるということで、広島市を象徴する名前といっても過言ではありません。
開拓は容易ではなく、温暖な瀬戸内地方から来た移住者には北海道の寒さは厳しく、凶作に見舞われた事もあり、しばらくは移住をシャットアウトして開墾に務め約10年の時を経て軌道に乗ったようで、ここを「広島村」として初めて、広島の名が自治体として誕生しました。
その村が1968年に「町」になり、1996年には現在の「北広島」市となっており、年表にはここまでが記されています。
●元町通り
公園を抜けて街へ出てきました。
「3-4-216元町通」とあり、バス停は「中央1丁目」とあります。
通りにこのような数字があるのがいかにも北海道ですね。この数字が表わすものとして昔どこかで見た記憶があるのですが、今ググってもなかなか出てきませんし、まずこういった形の標識自体が面白いほどヒットしません。標識とか通りの番号とかで検索しても何も出てこず、別な言葉で検索した方が良いのか、、とにかくサッパリ分かりません。
細々と営業している感のスーパーですが、ブログをやっていたりもします。
タイトルには38年間営業しているとありますが、どこを起点にしているのか?とにかく今まで40年くらい営業し続けている老舗スーパーですね。味付けジンギスカンが名物的存在で、羊を一頭丸ごと買いして、特性のタレに漬けこんだものだそうです。スーパーとしては異色ですね、しかも地方スーパーとしては。
会議室や集会室、和室など借りる事の出来る施設のようです。
調べてもなかなか出てこず得体の知れない感じでしたが…、入口のゲートの辺りが昭和感の濃い感じでした。
東記念館のすぐ傍にある東広島市の中央公民館で、かなり立派な建物でした。
1974年築という事ですが、この(2013年の)直後の2015年5月にリニューアルオープンしたという記事がありました。
さまざまなサークル活動が行われていたり、ダンスパーティーがあったりなどというのも見かけました。
右の空きビルは名前の部分が欠落していますが、「ハマダビル」と思われます。フジカラーのお店は今はなく、右半分は既にこの時全く何も入っていないであろう状態でした。かつては動物病院などが入っていたようでした。
左のJoshinだけが残っている?と思いきや、この訪問の2年半後になる2015年11月に閉店を迎えたそうです。おそらくここに写っているものすべてが今や稼働していないと思われます。
最後になりますが、廣島神社です。
先述の和田郁次郎らが広島からの移住途中に伊勢に参詣し開墾の成功を祈り、移住後に彼らの守護神的な役目を担って奉斎されたとあります。3度の改修歴があり、現在の建物は1980年12月の造営との事です。廣島という名前ではあるものの、北海道らしい重厚な屋根はここだけ色が濃いのでよく目立ちます。重くのしかかってる感がすごいです。
下側の写真の「開村記念碑」は、広島村開村25周年を記念して1908年に建てられたもので、この看板はその100周年にあたる1984年に当時の広島町として記されています。開拓記念公園のできた年と同じですが、ここにとって記念すべき年であった訳ですね。
北広島は広島からの移民の力で今日を築き、それがまた自治体名にもなった訳ですが、和歌山から千葉に来て、自治体名まで持ってきた例になんか似ています。北海道にあるけど広島の心もここにはあるのかな、という事を感じさせられました。
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