生活と思い出と世の中と(2020年)
さて前回記事の続きで1年ごとに遡っていきます「生活と思い出と世の中と」。
今回は「2020年」について触れていきます。
個人的にはちょうど生誕半世紀を迎え、50歳という節目の年となりました。ついこないだの事ですが、振り返ってみると2年前か?ともなります。
なんといってもコロナ禍の始まりで、生活が激変した年でしたね。そしてその状況下は、withコロナという形で今もなお続いています。
●コロナ
中国・武漢からの大流行の疫病という形で、当初は昔のSERS?のような感じで捉えていて、海外からもたらされた流行り病だけど、そのうちほとぼりが冷めるだろう、的に思っていましたが…
まさか2022年の現在まで解決せずに引きずっているとは、当時思いもよりませんでした。
もうすでに最初の頃の記憶がなくなりつつありますが、いつの間にか海外渡航が禁止になり、国内出張も県境を越えるのがNGとなり、スポーツも中止、ライブやイベントも中止…何もかも中止になりました。東京オリンピックも延期になりましたね。
マスクが必要となり、アクリル板が、アルコールが、と次々と色んなものが必要となりました。
マスクは品切れで、かつてのオイルショックの時の紙のようであったといわれ、実際売っていなくてドラッグストアで開店待ちに並ぶ人たちが1日に少ししか出ないマスクを買い占めたとか、今とは桁違いな法外な値段で売ってて、実際自分で買った時、50枚入りで3,600円で買いました。ホント桁違いですよね。
検温計を買い、検温表を作り…ビニールカーテンを発注し…コロナに関連する業務が増えました。
雇用調整金の関係で、月に1度くらい?平日に休めましたが、基本コロナ禍になって忙しくなり、周りがリモートしていても、自分が現地にいなといけないのでリモート勤務なんてできませんでした。
GW…ほとんどゴーストタウンでした。店が開いてない事…。旅行なんて当然行かないし、行っても感染したらルートを辿られるなど大変面倒なので、行こうとも思いませんでした。その後も緊急事態宣言は時々出ていたものの、最も休業が多いと感じられたのはこの2020年GWだったと個人的には思っています。
歓迎会も送別会も当然なくなり、会社の飲み会はむしろなくなってくれて助かりましたが、プライベートの飲み会もできず、年に一度の旧友との再会もできず、これはいまだに果たせずにいます。
●自転車
春先に久々にスポーツ系サイクルを買いました。といってもマウンテンバイクや細い車輪のやつじゃなくて、ママチャリの延長上のものでしたが、それまで数年間はなんの足もなく、徒歩と公共交通機関だけで暮らしてきたので、久々の「足」でした。結局いつの間にか盗まれてて1年強ほどしか乗りませんでしたが、休みごとにチャリで出かけて、近所においての行動半径がグッと広がりました。
そしてよく隣の市の喫茶店やカフェでモーニングしたりしていました。
●バイク
年末に久々にバイクを買いました。ヤマハ「トリシティ125」という前二輪の三輪バイクを45万程度で、初めて新車を買いました。スクーターは16年ぶりに乗り、前のスクーターが90ccだったので、125ccとなると1994(平成6)年以来26年ぶりに乗る事となりました。20代前半までしか乗ってなかったバイクを50歳になって乗る訳で、不安もありましたが、体力もそんな落ちてないしと思って。あんまり関係ないですけど…
最初はあまりに慣れな過ぎて道路へ出るのもしんどくて、スピード感もすっかり忘れてしまってました。徐々に慣れる形で、とにかく慣らしでやっていたのが、この年の最後の1ヶ月間の事でした。
●髪
一時期黒染していたものの、髪が急に細くなりやめていましたが、あまりに真っ白になっていくので辛抱できず、黒染を習慣化しました。利尻昆布のシャンプーを買ったり。即効性のある白髪染は一切使いませんでした。それだけはしたくなかったので。最初はなかなか染まりませんが、徐々に黒くなっていく感じでした。
また50歳を目前に生涯初の「美容院」に行きました。髪を大事に扱ってくれるのは非常に感じましたが、髪以外のカットができないとのことで眉毛がおろそかになったり、とかはありました。セットしても結局後で崩れてしまうのですが。また髪を染めてても、自前での染だったので髪切るとまた白髪が目立つのもありました。
●相続
伯母が亡くなり、ナント結構な額の相続金が入る事となりました。
正直自分の父親からの金額より遥かに多くてびっくりしました。そんなに深いお付合いではなかったにも関わらず…
結局8割方母親に渡しました。
●断捨離
それまで相当な汚部屋で、ゴミ屋敷とまでいわないまでも結構足の踏み場もなかった部屋にいよいよメスを入れました。
強いてる布団の両サイドと頭側は床が見える程度にしよう、という事で、それまでほとんど埋まっていて、しかも敷布団上まで色々紙類が散乱している状況でした。ゴミ袋10個くらい消費したでしょうか、色々捨てまくりました。その頃捨てたものに関しては一切後悔していませんでしたが、今残っているものを捨てようと思うには、結構思い切りが必要で、今また少しものが増えつつあります。墓場まで持っていくものかどうか?よく問いかけて進めたいと思います。
●仕事
会社の組織変更で、春から部下持ちに。前年に部下なしになってフリーで動けたのに、逆に不自由になりました。何回も席替えしてややこしかった事も。ちょっと目算狂ったかなという感じで。
●政権
長期を誇った安倍政権から菅内閣へバトンタッチされ、コロナ対策を迫られていました。
●プロ野球
コロナで開幕が遅れて、6/19に開幕しましたが、120試合だかで内容は正直全然覚えてないです。
ただ一つ記憶にあるのは、無観客で試合やっていたのをTVで見て、かなり異様でした。ホームランが出ても無音で。
●大相撲
3月場所の開催が危ぶまれながらなんとか開催したものの、5月場所のみ中止でした。やはり中身は覚えてないですね。
●ゴルフ
家からの最寄りの練習場が夏に閉店となりました。ゴルフスクールに変わり、だいぶ行く頻度は減っていましたが、夏に最後に行ってから全然行かなくなり、他の場所へ久々に練習に行ったのは1年後の事でした。この年からコンペにも参加せず、現在に至ります。
●ハロプロ
年初から激震でした。「こぶしファクトリー」が解散を発表し、3/30をもって活動終了となりました。この間にコロナ禍が押し寄せ、当初から東京ドームシティホールでラストの予定で、これ自体は叶いましたが、結局無観客での寂しいラストになってしまいました。そしてまた遂に日本武道館での公演は実現できず、結成から5年強、メジャーデビューから4年半、最後の5人体制になってから2年強での解散となりました。
色んなステージやイベントが中止になりながらも、春恒例の「ひなフェス」に代って「ソロフェス」を実施、無観客でメンバー1人1人が全員、ソロパフォーマンスをやるという、画期的な手法で展開されました。その後も「BALLAD」という形で、声を激しくあげない、ハロプロ曲縛りのない、往年の名曲等当てこまれた曲を、またも一人一人が歌っていく形で展開されました。
なかなかグループでのコンサート・ライブが思うようにできない中で、違った形での展開をされることにより、個人個人の歌やパフォーマンスレベルが上がっていったのは間違いなく、良い企画であったと思います。そこで何もかも中止にならなかったのも良かったです。
コロナ禍でグループ活動も停滞する中で、卒業メンバーもあり、juice=juiceでは宮本佳林さんという中心メンバーが、アンジュルムでは室田瑞希さんという歌唱の中心が無観客で卒業、年末は有人でしたが、武道館で船木結さんが卒業しました。「ふなっき」の卒業はコロナで延びに延びて、「もう卒業忘れたかな?」と思っていましたが、残念でした。またアンジュルムでは太田遥香さんが活動停止となり、結局は契約解消となりました。もう少し「はちれら」が下っ端の頃を観たかったのですが。
コロナ禍もあってか楽曲もあまり売れなかったようで、個人的にすきな「ミラー・ミラー」がどうなかったのかよく分かりせんでした。
こういう時節柄、新加入も少なく、アンジュルムに3名川名凜さん、松本わかなさんがオーディションから、為永幸音さんがハロプロ研修生から昇格の形で加入し、彼女たちはそのメンバーカラーから「三色団子」と呼ばれ現在も親しまれています。
●旅行
年初だけ旅行していました。
この年は熊本県の菊池温泉で泊まり、山鹿温泉の日帰り温泉に行ったところ激込みで落ち着かなかったのを覚えていますが、温泉が好きといっても、人の海の中で入るのは厳しかったですね。逆に行きたくなくなる程でした。
あとは、三重県の南鳥羽にあたる「相差(おうさつ)」の海岸線や、奈良県橿原市の「今井町」の街並みなど、コロナ禍ギリギリ前の旅を楽しんでいました。
▼相差のホテル
…その他あまり浮かびませんが、何かあれば追記します。
以上 2020年でした。
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