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2022年6月12日 (日)

生活と思い出と世の中と(2021年)

今回、コーナー的に自分の人生を個人的に綴る機会を「年」ごとに設けたいと思います。

ただし、自分の思い出だけだと公表の意味がないので、当時の生活を交えたり、TVやメディアで知った事も反映させながら、「こんな時代だったな」と共感頂けるところも併せて綴っていきたいと思います。

去年2021年から1年ごとに遡っていく形で、まずは去年2021年から。

●PayPay

この2021(令和3)年、個人的には「PayPay」を始めました。PayPay自体は2018(平成30)年からサービス開始となったそうです。

それまでICカードをはじめとして、スマホでキャッシュレス払いをした事がなかったので、支払いも釣銭の事も考えず、楽だな、と感じたものでした。ただスマホの動きが重くてなかなか動かない時は、結局現金で払ったりすることが時々ありますが…。

 

●バイク

前年2020(令和2)年末に久々にバイクを購入し、21年から本格的に乗り回していました。

ヤマハの「トリシティ」という、前が二輪になっている三輪バイクで、125ccです。

行ったのは近場ばっかりでしたが、日曜ごとにちょっと普段の都市的エリアからちょっと離れたところへモーニングしに行くのが習慣でした。

前にバイクに乗っていたのが2003(平成15)~2004(平成16)年にAXISという90ccバイクに乗っていましたが、この当時に比べたら運転が楽になりました。前が二輪だから?分かりませんが。前が二輪といっても自立しないので、結局足で支える必要があり、転倒の可能性もある訳です。

前に乗っていたのが30代前半でまだ若かったのですが、今回50歳になってバイク買って大丈夫か?とスゴイ思いましたが、体力的にそんな落ちた感もないし、反射神経が鈍ってる感もなく、むしろ後ろの車間距離が昔より皆空けてくれるようになった?感もあり今のが楽かなという感覚です。

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●コロナ

コロナ2年目で、「お正月がコロナ禍」という初めての状況でした。

実際、自分も実家へ帰るのは控えていました。そういうご家庭も多かったのではないかと。だから帰省ラッシュもそれほどではなく。

夏頃は本当に厳しい状況でした。度重なる「緊急事態宣言」の発令で、店は閉まったり営業時間制限があったり、感覚的には前年ほどではなかったですが…。前年のGWは本当にゴーストタウンみたくなっていたうちの近所でしたが、2年目でwithコロナ的な雰囲気だったのか、どこもかしこも閉まっている、という感じではありませんでした。

緊急事態宣言下で、1日に2万以上の新規感染者が出ていましたが、数だけなら今年の方が10万人超出ていたり、今年のがひどいじゃないか!となりますが、重症化が少ないから?か、去年の方が規制が厳しかったですね。

 

そして、そんな規制が緩くなった背景と思われるのが「ワクチン」です。

当初は希望する方的な雰囲気だったのが、段々義務感的になっていって、表向きは強要しないものの、実際は「ワクチン打ったのか」と職場でプレスがかかる、そんな感じでした。

そんなこんなで、ワクチン2回打ちました。

それまで聞いていた「副反応」が恐ろしくて、かなり嫌でした。世の中の流れに従う形で?地元の市民会館へ打ちに行って、水とバファリンを用意して、きたるべき時に備えていました。

しかしながら1回目は肩周辺の痛みだけ、2回目は首周りの倦怠感のみ、熱は全く出ませんでした。自分の人生で10歳以降ン10年間、熱を出した事がないので、余計に副反応が心配でしたが、やはり熱は出ませんでした。

3回目…現時点まだ打ってないです。インフルにも生誕以来縁がなく予防接種経験もなく、そんなものかからないとどこか思っていますが、いつかかるか、いや人に発症させてしまうかも分からないので、いつか打たないとですね。

ワクチンの事以外でいうと、基本2020年の延長上ですが、それでも慣れた部分のせいか、秋を過ぎるとだいぶ緩くなった気がしました。

 

●アマチュア無線

令和のこの時代に出す内容か??ですが、アマチュア無線3級の講習を受けて、その場の試験で合格すれば取得、という講習に行きました。

いわゆる「3アマ」というものですが、4級である「4アマ」は2005(平成17)年に受けに行って取得していました。今回部屋の掃除で、久々にハンディ無線機を見つけて、また久々に無線を聞いてみたくなり、もっとスペックの高い機体が欲しくなり、受けに行きました。昔は国家試験でしたが、今はほぼ講習で金払えば取れるようなものです。

これが2回目のコロナワクチンを打った翌日になってしまって、副反応はそれほどでもなかったものの、色々しんどかったです。

モールス信号とか覚えて、なんとか晴れて合格。部屋用の「固定機」を初めて買って、今に至るまで毎日何かしら聞いています。

いかにも昭和の趣味らしく、聴こえてくる声にほとんど若い方のものはありません。

定年前後ぐらいのおじさんが多く、会社でも閑職っぽいコメントがよく出てきます。リモートで適当にとか、出てくるだけで5時のチャイムと共に会社出るとか、今は雇用延長で夏には完全定年でとか…。それも知り合い同士と思われる更新ばかりで、別に携帯かLINEでやれば?って感じのものばかりですね。強いて言うと、特定の人にかけずに、コールしてみて誰が出てくるかを楽しんでいるような。

仕事バリバリやってる人は、なかなかこういう所へ出てこないな、というのが聴いていての実感です。話している内容が無線とかアンテナの事がが多く、それ自体を楽しんでいるという言いようがないですが、それらを黙って聞いています(笑)

自分のもっと昔を辿ると「ハム」として中学生の学習雑誌に載っていて、この資料請求をしたのが始まりで、そのくらいには興味はありました。当時はまだ80年代初頭で携帯電話もない時代、機器で交信できるなんて「すごい趣味」という感じでした。その頃の思い出が2005年に蘇り4アマ取得、そしてこの時の3アマ取得となりました。

2005年頃は近所の消防署の救急無線が聴けましたが、今はデジタル化されて聴けなくなったのが寂しい限りでした。なので今は近所のおっちゃんの会話を聴いています(笑)

 

●資格関係

3級アマチュア無線技士の資格取得した訳ですが、あと取得した資格は「衛生管理者」でした。

これは職務上必要があり、我が事業所が50人を超えたので設置しなければ、という中で2020年10月に受験するも不合格となり、2度目でようやく合格しました。

それがものすごく合格率の低い回で、試験が難しかったです。受けた時は「また落ちた」と思って次に備えようとしてましたが、なんとか合格。前日までバッチリ仕上げて、全44問中どこから出てきても40問は絶対解ける、とほぼ満を持して臨んでみると、見た事のない問題がやたら出てきて…。

そんな受験生のようなハードな日々ではなかったものの、仕事しながら帰ってから勉強はやはりしんどく、あまり同じ資格の試験勉強を何度もやりたくないのが正直なところでもありましたが、一方で全国数か所しかない試験場の近くにいて「いつでも受けれる」感があったのが良くなかったです。さっさと終わらせてよかった、というところでした。

●仕事関係

はじめてMicrosoftのteamsというツールを使いました。箱モノを使いたがる会社?でメリットを感じませんが、会社としてやっていくのには最新のものを使うのがよしとされているんでしょうか…?すみません会社に対しては少し冷め気味につき…。

あとは部下が増えた事?1人から2人へ。一時部下なしになって、この時期がとてもやり易かったんですが。

 

●政権

日本の首相が代るのは毎年の事で、菅首相が退陣し、岸田首相になりましたが、相変わらずコロナ問題に対応しなければという状況でしたが、アメリカ大統領がトランプ氏からバイデン氏へ交代しました。いずれも高齢ですよね。トランプ氏は色々と破天荒というか話題性があったなという感じでした。

●オリンピック

2020年東京五輪がコロナで延期となり、この年実施されました。

正直ほとんど見ていません。

興味もわかなかったし、なんでこんな緊急事態でやるんだろ?というのがあり。選手にしてみれば晴れ舞台な訳ですが、政府の金儲け的な部分を感じてしまってどうにも見る気になれなかったですね。だから誰が何獲ったのかもよく知りません。元々そんなTVにかじりついてオリンピック子見た事ないですが、あったのは昔のロス五輪の時ぐらいですかね。

●大相撲

横綱鶴竜の引退、そして白鵬の引退と、両横綱が相次いで引退という世代交代の中で、長く低迷を続けていた照ノ富士が躍進し、年初は関脇でしたが大関を3場所で通過し、横綱まで昇り詰め、照ノ富士の年といっても過言ではなかったと思います。元大関が番付を大きく落として、再度大関そして新横綱になるという、異例のケースでした。しかし顔ぶれは相変わらずモンゴル勢、日本人の大関までは誕生するけど…という感でした。それにしても白鵬の引退はすごくひっそりした感がありました。

●プロ野球

野球も見なくなって久しいですが、オリックスの25年ぶりのリーグ優勝は、待ちに待ったもので大変嬉しかったです。その記憶だけはあります。中嶋選手は現役時代、阪急をはじめ色んな球団を渡り歩きながら、オリックスへ戻って来て優勝に導いてくれた、そんな感じがすごくあって、とにかくおめでとうありがとうでした。2000年代初頭のイチロー、田口などの去った後の惨状から想像すると実に感慨深いものでした。

●ハロプロ

大好きなハロプロについても。この年はコロナ禍の中で、独自の展開を見せてくれていました。

それまでの全グループ集まっての合同コンサート「ハロコン」の形態を変え、「花鳥風月」と題して、チーム花、チーム鳥…といった具合に、全グループのメンバーを4つに割ってグループ横断でチームを組ませ、そのもとでライブを行うというものでした。なので1公演ごとに見るのは、いつもの1/4の人数のメンバーですが、それだけメンバーの個性が強調され、また常に違うグループのメンバー同士が同じ曲に取り組むスタイルにつき、いつもと違う感覚で見られるというものでした。

その一方で、グループごとの「単独ライブ」がなかなか開催されないとの声も大きくなり、モヤモヤした感がファンにもメンバーにもスタッフにもあったと思います。

単独で例外的に開催されたのが日本武道館等の大きなステージでの公演で、主にメンバーの卒業公演として各グループで開催されていました。モーニング娘。'21では人気メンバーの佐藤優樹さん、juice=juiceではリーダーの金澤朋子さん、アンジュルムでは将来のリーダーと目された笠原桃奈さん、それぞれが単独コンサートで区切りをつけ卒業していきました。

またjuice=juiceに3人、つばきファクトリーに4人の新メンバーが加入したのも大きな話題でした。そしてこの誰もがみんな即戦力だったのがすごかったです。どちらもグループもそれまでハロプロ研修生あがりしか途中加入していませんでしたが、今回は初めてオーデイションでのメンバー加入という形が、両グループにありました。

つばきファクトリーは10月に初の日本武道館公演が決定し、卒業者のない形で新メンバーを迎えて大舞台に立ちました。2020年に中野サンプラザ等初の「ホールコンサート」が決定し、それまでライブハウスでのツアー経験しかなかった為、歓喜に溢れていましたが、直後にコロナ禍の状況がスタートし中止になった過去がありました。そこからホール経験もないまま、ライブハウスでの実績しかない状態で、武道館公演が決まったのでそれは驚きだったと思います。

年末に恒例のカウントダウンライブが開催され、いつもより早めに終わる形でしたが、近所の映画館へライブビューイングの形で参加してきました。この時にアンジュルムの新メンバーの発表があり、平山遊季さんの加入・即パフォーマンスがありました。事前に新メンバー加入の話があり、期待を込めて平山さんを予想していたらナント当たってビックリでした。

 

思いつくのはこんなところ…でしょうか。

なんかあれば追記かつい記事にてもします。

次回は2020年です。

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