生活と思い出と世の中と(1989年①)
遡って振り返る、「生活と思い出と世の中と」。44回目は1989(平成元)年の第1回です。
さて、いよいよ'80年代まで遡る事となりました。
という訳で、1989年のニュースなどから色々書き綴ります。
●ニュース
なんといっても「平成」になった事です。
当時の小渕恵三官房長官(後に総理大臣に)の掲げた「平成」のあれですね、年明け早々「平成」への改元で、ニュースは昭和天皇の崩御とこの平成への改元一色でした。
個人的にも、初めて経験した改元で「時代が変わった」感がすごかったです。
なにせ64年まで続いた昭和時代、殆どの人が改元を経験した訳で、それも激動の昭和の終り、という事もあり、時代の変わり目そのものでした。
平成から令和への移行はスッとした感じでしたが、この昭和から平成は…一時代の終わり、そのものを感じました。
1月8日から平成になりましたが、高校3年3学期、その新学期の日でもありました。教室に担任の先生が入ってくるなり黒板に「平成」の2文字を書いて、「今日からこうなります」と(笑)
昭和で迎えた最後の年明けはとにかく天皇陛下のご容態で、前年からずっとその報道は続いていましたが、遂に終わりの時が来て、わずか7日で昭和64年は終了しました。
ブッシュ氏が大統領に就任し、レーガン政権が終わりました。個人的に初めて記憶にあるアメリカ大統領はカーター氏でしたが、80年代はほぼレーガン大統領という感じで、その2期8年の政権が終了した訳ですね。
昭和天皇の崩御後は「大喪の礼」もあり、日本が昨年から続いていた自粛モードでした。考えてみればコロナ禍よりはマシだったように思いますが。
女子高生コンクリート詰め殺人事件が発生しました。その後夏から秋にかけては幼女連続殺人事件が発生、猟奇的な事件が多かった印象があります。
春先はリクルート事件で湧いていました。当時は何のことかよく分かりませんでしたが、献金がらみという事ぐらいですかね記憶にあるのは。
色々な街で、市制100周年を記念した博覧会が開催されていました。自分が3月まで住んでいた街も、4月から引っ越した街も、どちらでも開催されていました。
竹やぶから1億円が発見された事件がありました。見つけてしまった側は怖いですね。
漫才師の横山やすしさんが酒を飲んで事故を起こし吉本興業を解雇され、ここからほぼ第一線への復帰は無くなってしまいました。前年は息子の暴力事件により謹慎を余儀なくされ、不遇な晩年がこの辺りから始まってしまった、という感がありました。当時の写真週刊誌「FLASH!」にその後の髪がボサボサの「やっさん」の姿が取り上げられていました。
芸人というとフラワーショウのリーダーが入水自殺するという事件もあり、詳しくは見れませんでしたが哀れな最後だった印象がありました。
竹下登首相がリクルート事件の責任を取り辞職しました。ちょうど竹下氏のおひざ元である島根県へ来たその月に辞任するという、それはインパクトの強い事件でした。
その後宇野宗佑首相が後任に就きましたが正直「誰?」という感じでした。大体それまでは、首相の候補になりそうな議員は知っていたものでしたが、彼の事は全然知りませんでした。そんな宇野政権は、スキャンダルでまさかの超短期政権に終わり、海部俊樹氏が首相に就任、この1989年で2度も首相が交代しました。
美空ひばりさんが亡くなり、没後国民栄誉賞を受賞しました。52歳って今から考えるとかなりの早世という感じでしたが、個人的に彼女の全盛期を知らず、気づいた時には「昔すごかった大御所」という感じでした。
中者明菜さんの自殺未遂は衝撃的でした。しかも当時かねてからの恋人と噂されたマッチこと近藤真彦さんの自宅で。復帰後活動を再開しますが、やはり往時ほどの活動は見られず、現在は姿を見せずに体調面がかなり心配される中で、声明のみで世間に近況を知らせている格好で、その姿が再び現される事をファンは心待ちにしている、というものでしょう。
横綱千代の富士が通算965勝を挙げて最多勝を更新、この年三女が生後四か月で突然死するという不幸に見舞われた中、土俵人生を続けまだまだ強い横綱であり続けました。この年はまた国民栄誉賞も受賞し激動の年であったと思います。
歌謡ランキング番組の象徴的番組「ザ・ベストテン」が11年の歴史に幕を下ろしました。最終回は3時間スペシャルで、歴代の出場歌手やグループが多数参加しての大きな幕引きとなりました。
年末大納会の株式市場で日経平均が38,900円台を記録し、これを頂点に翌年以降バブル崩壊に向かって日本の失われた○○年が始まっていきました。今また株価は33,000円を越えてきて、バブル景気ではないのでしょうが、この時の崩壊があるので「上がりすぎると怖い」という向きが多いのかな、と感じます。この当時はまだまだイケイケドンドン、そんな感じの方々も多かったように思います。それまでずっと右肩上がりの社会だったので。
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