生活と思い出と世の中と(1987年①)
遡って振り返る、「生活と思い出と世の中と」。52回目は1987(昭和62)年の第1回です。
当時のニュース・世相などと自分の生活を絡めて綴ります。
●ニュース
・NTT株が上場
…NTTの株が上場され、かなり高額だった気がしますが、株が財テクとして捉えられ始めた頃かな、となんとなく感じていました。
当時高校1年でしたが、中1の頃から株式市況などのニュースを聞くのが好きで意味も分からずよく聞いていたのもあって、この件は周りよりも多少興味を持って聞いていました。
それまで「電電公社」という私企業ではなかった団体が、上場企業になったという事で、昭和末期のいろんな公営団体が民営化していく流れの一つとしてこのNTTの変わりゆく姿がありました。
・三井物産マニラ支店長誘拐事件 人質の解放
…前年1986(昭和61)年から誘拐されていたこの支店長が、解放されました。人質になっていた時の写真などセンセーショナルに報じられていましたが、無事に解放されていました。しかしこの支店長はそれから程なくして亡くなられたのはまたも驚きでした。フィリピンは怖いところとその前から勝手に思っていましたが、この時も同様の感情を持ちました。
・国鉄の分割民営化
…国鉄が民営化され「JR」になりました。これも先のNTTの流れですが、もっと規模の大きい話であり、当時通常24時までしかやっていなかったNHKラジオが、日を越えても特番的に放送を続けていたのを覚えています。この年の最も大きな出来事、と個人的には思っています。
民営化してしばらく経ってもまだ「JR」の呼称が浸透しきらなかったこともあって、日の浅いうちは同級生は「国鉄で通ってる」という人も結構いました。
・朝日新聞阪神支局襲撃事件
…GWの真っ最中に起こったショッキングな事件でした。
赤報隊を名乗ったメンバーが新聞社に乗り込み銃を発砲し、記者を殺害したという大変痛ましい事件で、この事件以降にも赤報隊が起こしたとされる事件はいくつか発生していますが、すべて時効を迎えてしまっているとの事で、言論の自由を武力弾圧するという、当時社会の勉強を教科書で学んだ身としては、そういうものを超越した恐ろしい事件でした。ドラマではなくこんなこと現実にあるんだ、と思って。
・郷ひろみ、二谷友里恵結婚
…この年はビッグカップルの結婚が多く、また大々的に報じられ、来世で一緒に…というコメントで世を賑わせた郷氏がなんとリーこと二谷友里恵さんと結婚、お父さんの二谷英明さんは「特捜最前線」の10年間の出演を終えたばかりの頃でした。郷さんの曲に「LEE」というのがありましたが確か彼女の事ですよね。その後はニューヨークへ移住、郷さんの芸能活動はかなり限定的だった感がありました。
その後、秋には渡辺徹、榊原郁恵のカップルが結婚、その披露宴はテレビ中継がなされ高視聴率を取っていました。
・おニャン子クラブ解散
…1985(昭和60)年から放送された「夕やけニャンニャン」でおニャン子クラブが登場し、それまで素人同然だった子たちが突如アイドルになるような、新しいアイドル像が具現化されたこの現象、当時は何人も生き残らないと言われたものでしたが、意外と残ったもので、また議員になった方も居るほどとなりました。現在の乱立するアイドルユニットの萌芽となる存在ともいえるかと思います。
・関口宏のサンデーモーニング スタート
…この年に放送開始され、現在も放送されている超・長寿番組ですが、関口さんの番組は長寿番組が多く、当時でも他に掛け持ちもしていましたが、意外に知られていないのは「ミュージックステーション」の初期司会者は関口さんであり、タモリさんが最初からやっていたわけではないのです。
・竹下内閣発足
…5年間にわたる長期政権を誇った中曾根康弘首相からバトンを受け継いだのは竹下登氏でした。島根県出身の首相として注目されましたが、なんといっても「ばらまき」と言われたふるさと創生事業はとにかくインパクトはありました。そして昭和最後の首相として務めた後、1989年のリクルート事件で失脚しますが、当時はもっと長期政権になるかと思っていて、何か拍子抜けした感がありました。
・江川投手 突然の引退
…巨人の江川卓投手がこの年13勝を挙げ、チームは4年ぶりにセ・リーグ優勝(王監督政権下では唯一の優勝)をしたにもかかわらず、突然引退を宣言し、記者会見が開かれたのはビックリでした。肩の具合が相当悪く、完投もできず「100球肩」と揶揄されたことも多かったですが、今なら先発は100球で交代みたいなのがあるので、こんな事は言われることはないよな、とか思ってしまいます。
とにかく32歳の若さで、まだまだやれると思われた中での引退はショッキングで、翌年には同級生の掛布雅之選手が33歳の若さで引退してしまいます。
・横綱 双羽黒の廃業
横綱・双羽黒が親方と衝突し部屋から失踪する形で廃業となりました。
「新人類横綱」と揶揄され、堪え性のなさのようなものを指摘されていましたが、この世代も今や還暦ですが、昔の還暦に比べたらパソコンや機器類にも強いしトレンどにも敏感で、この昭和との時代の違いを感じます。
この年の相撲界では大関・若嶋津関が30歳で引退しました。結婚前は大関で優勝するなど、横綱に最も近い存在と言われましたが、その後ケガなどで伸び悩み、綱取りはなりませんでした。先日親方として定年を過ぎて相撲協会を退職したとの報がありここでも時の流れを感じます。
・マルサの女
映画として大ヒットし、伊丹十三監督の一連の作品の中でも顕著に流行語として世間を賑わしたりしていました。抜き打ち検査的なことを「マルサ」といったりもしていました。
・長寿ドラマシリーズが続々と終了
…この年は長寿ドラマや、そのシリーズが相次いで終了するなど、時代の境目的な年と感じました。
まずは「太陽にほえろ!」で、前年11月に石原裕次郎さん主演の形では14年4ヶ月、718回にわたる放送に終止符が打たれましたが、続いて「PART2」が制作され、放送延長も検討されましたが結局はこの年2月に終了しました。14年7か月、計730回の放送でした。
「特捜最前線」は1977(昭和52)年4月、それまで16年も続いた「特別機動捜査隊」という刑事ドラマ最長寿作品の後番組としてスタートしましたが、ちょうど10年経ったこの年の3月に放送を終了しました。
「必殺」シリーズは1972(昭和47)年に「必殺仕掛人」がスタートし29作もの作品が手を変え品を変えシリーズとして放映され、「必殺剣劇人」の終了をもって15年もの長きにわたってのレギュラー放送を一旦終える事となりました。
他にも「ハングマン」シリーズとして「ザ・ハングマン6」が放送スタートしましたが、諸般の事情で主演者が交代し、「ハングマンGOGO」の最終回をもって、連続ではありませんが約7年続いたシリーズが終了する事となりました。当時のテレビ局事情が色々あったようですが…。これが昭和の終りのような感覚を先取りしていたのかな、と今から思えば感じてしまいます。
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