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スポーツ

2019年10月27日 (日)

ゴルフスコアの変遷

いつもの旅記事とは関係ありませんが、今回はたまに参加するゴルフで出したここまでのスコア変遷と共に、色んな事を書いていこうと思います。

 

◆第1回◆

スコア:173 (OUT84/IN89)

記念すべき第1回の参加でした。

実質40代後半で始めたゴルフ、直前の2週間になってからほぼ練習を始めた感じで、休日も平日もとにかく時間つくって急造で練習していました。

何しろコースに出た事がなくて、ひたすら打ちっぱなしで練習をして、手の皮ボロボロになっていました(ヘタの証拠ですが…)

練習もそこそこにコースに出た途端、フェアウェイの幅の狭さに戸惑いました。 「フェアウェイ、これだけ??」てな感じで。

とはいってもそもそもまず「前へ飛ぶかな??」からでした。フェアウェイの狭さも関係なしで、そもそもOBするほど飛ばなかったので。

初コースだったし、練習の時から意のままに全く飛ばないし、当たらない事も多々あった状態で、スコアがいくつになるか全く想像がつかない状態でラウンドしていました。

案の定ホールごとのスコアは12、15、12…みたいな感じで、つまりPAR×3倍のギブアップしたところもあったり、空振り、チョロ、転がり…ほとんどそれだったような気がします。

ドライバーはまともに飛ばないし、150ヤードまっすぐ飛べば万々歳モノでした。4人でコース回るうち、1人だけ全然飛ばないんで皆がカートに乗って悠々と次のショットへ向かうところを、1人で走り回っていました。

マナーも分かってなかったので、バンカーに入った時や、グリーン上の立ち振る舞いも分かっておらず、かなり常識はずれな事もしていたと思います。

そうしていくつかのホールを、同行者に打撃指導を受けつつ回って、初めて出たOUTの9ホールスコアは「84」。このままのペースでいけば、168で回る事になる、というのも見えてきました。

やる前は200ぐらい行くかな、入らずにギブアップしたらMAXで216か…とか最悪の事ばかり考えて回っていたので、とりあえず80台で済んでホッとしました。初心者丸出しのレベルですが…

 

お昼ご飯を食べて一息ついて、後半のINも同様に必死で回って、更に苦労しました。結果89と、OUTより更にダウンし、結果173。

周りから「よく数えたな」と言われた苦いデビュー戦でした。

がしかし、GROSSで下から3番目、下に2人いたのがまたビックリでした。

この時は空振りもしたし、チョロで数メートル転がって、同じとこら辺で何回振ったか、という感じでしたね、2年以上経った今、あんまりうまくなったとは思えませんが、それでも空振りはしなくなった点については、上手くなったのかな、とは思えます。

 

◆第2回◆

スコア:162 (OUT85/IN77)

1回目から半年開けての参加です。以後ずっとこのペースです。

それまで結構練習して、それでもこの程度でしたが、結果的には一応スコアは上がりはしました。

さすがにこの173から上がらなかったらヤバいだろうというところで。

INではなんとか70台におさめられて、OUT/INで初めて80を切りました(笑)、それでもパーの2倍以上ですが…

この時は朝から雨で大変でした。それもあってか、OUTでは前回より更にスコアを落として前回84に対して85でした。

このままでは170ペース、いやもっとスコア落ちるか?前回より落ちる??とかまた色々想像しました。なんとか初めて80以内に抑えられましたが…。

雨で地面がぬかるみ、バンカーから何回打っても出られず、それで大叩きしたのが、この85に含まれていて、それを2回くらいやっていました。なのでそれがなければ前回より上がってるはず、というのはありました。

アイアンは前回の初ラウンド時に7番しか使わず、ドライバーと7番トパターしか使わなかったのを、途中で自分のクラブセットに買い足した5番もつかったりしましたが、5番はこの次のラウンド以後練習で急に使いこなせなくなり今に至るくらいの重症になってしまいました。

この時も1ホールで10を超す事の方が殆どで(そりゃそうですね、162なので18で割ると平均9打なので)、ひとケタで済んでよかったと思ったり、正直実際何打かよく分からなくなってたりもしました。

最終的には初回とあまり変化が見られなかった感じでした。ただ変わったのは、谷越えができるようになったことですね。初回では谷があったらまず越えられなかったので(それくらい飛ばなかったです)。

 

◆第3回◆

スコア:148 (OUT79/IN69)

3度目にして初めてOUT/IN通じて80以上がなく、INでは60台にする事ができ、それなりに進展も感じた回でした。

ただ前半のOUTは84、85…ときて、大して変わらない79で、最終的にあんまり変わらないのかな??と思いつつ回っていました。

この時はグリーン近くでSWを活用し始めた時で、恥ずかしながらそれまでSWの使い道もよく知らず、グリーンが近づいたら9番を使っていた感じでした。

この時は5番7番SWを使っていました。

最初に比べ何が良かったのかは単にドライバーが最初よりは飛ぶようになったのですが、この回はスコアをあげるある種作戦として「プレ4」を有効活用していたところもありました。

ドライバーでOBすると「プレーイング4」で次が4打目として残り150ヤー辺りで打てるので、それまでならばこの地点で4打目どころかもっと打っていたので、4打目で自動的にここに到達できるルールは逆に有難かったです。

残り150ヤードを刻んでグリーンに持っていく形でやっていました。今もですがなかなかグリーンオンできないので、とにかく近づけようという事だけでした。

正直、後の事はあんまり覚えておらず、プレ4を有効活用して、かねてよりの目標?であった150をとにもかくにも切る事ができた、というそんな回でした。

 

◆第4回◆

スコア:138 (OUT72/IN66)

前回より10上がりましたが、ようやくそれなりのスコアになって、ド初心者より1ランク上がったかな?と感じたのがこの時でした。

目標はとにかく前回148から1打でも上げる、というただそれだけでしたが、130台に入れると思ってなかったので、それは本当に良かったです。

グリーンオンはできないながら、グリーン傍までのアブローチはなんとか早めにできるようになったかな、というのがこの回から感じた事です。しかし痛かったのが、この回以前の練習から5番アイアンが全く打てなくなってしまい、全然まともに当たらず、とても実戦で使えない!と思い、現在に至るまで封印するようになったことです。

またフェアウェイウッドも安定性に不安があり、使った事がなかったので、ドライバーショットでフェアウェイに打てても、2打目を7番アイアン以下で使うしかなかった、という状況でした。なのでグリーンオンが遅れたりしていました。

あと明確になった課題として、グリーン傍からのアプローチです。これが今に至るまで苦手で、いつもグリーン手前数ヤードくらいに落ちる為、グリーンオンがかなり苦労し、SWで打った時に飛び過ぎてしまい、反対側のグリーン外へ出てしまうという、これを結構何回も繰り返しては克服できませんでした。

ただこの時はバンカーに殆どハマらなかったので、そこは助かりました。

 

◆第5回◆

スコア:140 (OUT70/IN70)

2回目よりずっとスコアは上がり続けていて、今回の目標は130を切りたい!でしたが、それどころか初めて前回よりスコアが落ちてしまいました。

ほぼ前回同様の展開であり進展もなく、使えたクラブもおんなじという感じでした。5番アイアンもフェアウェイウッドも使えずで。

アイアンはそれまでの練習でボロボロで、始めた時よりヘタになってる気すらして使うの怖かったのですが、7番はなんとかそこそこいい具合に当たってくれました。

課題的にはやはりグリーン手前に球が落ちる事と、その後のカバーで往復する事です。2往復以上は不思議と、しないのですが。

3回目から同じようなレベルで停滞しているかな、と感じたのがこの回でした。ただし人生で初めてボギーがとれたのもこの回で、ダブルボギーすらラッキーものでしたが、ボギー取れて感激していました。それまではそれどころではなかったですからね、PAR4を8打とか。

どうも5~10ヤードくらいのやつを球をあげてなかなか打てない…という厄介な課題が付きまとい続けています。

 

◆第6回◆

スコア:116 (OUT54/IN62)

3回目よりの課題が克服できないまま、練習もロクにできないまま迎えてしまい、前回同様140くらいになるのかそれくらいで済めば御の字、と思って臨んだ回でした。

実際OUTの5ホールまで35で、このまま行って130くらいかな、というところでした。

ところがその後から神がかり的なプレーができて、生まれて初めてパーがとれたのを含め、あと全部ボギーとか、何か憑りついたのかというぐらい、ドライバーは悉くうまくいき、パターも入る(ピン近くで止まればプラス1打でOKというルール)し、絶好調で、こんな事はもうないだろうというぐらいツキまくっていました。

後半は多少スコアを落としましたが、前半の神がかりとは言わないまでも、ドライバーの好調が続き、OBを殆どせず、またこの回ではそれまでショートホールのティーショット以外で封印していたフェアウェイウッドを遂に2打目以降に使いました。そしてそれがまたうまくいって、グリーンアプローチが楽になりました。

相変わらずグリーン傍からのアブローチはヘタでしたが、往復は少し減りました。転がって無理矢理グリーンオンなんてことも何度もありましたが…。

INの後半はOBが増えてプレ4していたので、そこはスコアダウンの要因になりましたが、最終的に116.

恐ろしいほどの好結果が出て、そろそろ趣味はゴルフです、と言っても良いかな、とか調子に乗りたくなるくらいでした。

やはり課題はグリーン傍からの寄せでした。ただしバットは往復は全くなく、これ以上望めない程度だったかなと。

ショートホールでの失敗が目立ち、6打とか8打とかやってしまったので、ここも課題となりました。

とにかく「100を切る」なんて一生考えもしないであろう事を、このスコアが出た事によって考えるようになって、妙に色気づいてしまいました。

それまで上がり目も感じられず、モチベ自体も上がらず、ずっと140レベルで停滞するのかな?そろそろ辞めようかな?と思っていたところにこのスコアです。これはもう100切る練習と戦略を、となってしまっております。

 

2010年1月12日 (火)

力士出身地別【北海道】

大相撲初場所が始まりました。

で、相撲に関しての記事を書きたい衝動に駆られ…

昔は力士、とりわけ横綱・大関といえば北海道か青森と相場が決まっているような感すらあったぐらい、道産子力士というのが多かったのですが、今や見る影もなく、海外勢に押される以上に北海道出身力士(関取)はへって行ったように思います。

アラフォー世代なもので、やはり北海道出身力士と聞いて真っ先に思い浮かべるのは横綱・北の湖です。70年代後半はこの人の時代で、「憎たらしいほど強い」とテレビで言ってましたが、同じ事を子どもながら思っていました。同じ横綱・輪島とつくりあげた「輪湖時代」、輪島が朝青龍なら北の湖は白鵬といったところでしょうか。人気力士に対しても壁として立ちはだかり、表情を余り変えないところがヒール的役回りを負わされたような気がしますが、それでも実力はホンモノ。さすがに'80年代に入って輪島引退をはじめ、他のライバルたちも次々に姿を消すようになるとやや下降線をたどるようになって、昭和も60年代に入り新国技館こけら落としの場所、'85年初場所では1勝も挙げられずに31歳の若さで引退したのは、さすがに寂しいものがありました。若い頃に全盛期を迎えたのもあり、やや早い引退となってしまった感がありました。

次に浮かぶのは、昭和の大横綱・ウルフこと千代の富士ですね。人気も実力も十分で、優勝31回の国民栄誉賞力士です。北の湖は横綱時代しか知りませんが、この人は平幕時代からTVで見たことがあります。その頃はまだ100kgもなくて、95kgとかいってましたが、その小さな体で強引な投げ技が印象的で、その為に脱臼を繰り返して番付も落としたといいます。なので大関になった時は半ば驚きました。そんなに強いという印象がなかったので。ところがその大関をわずか3場所で通過し、あっという間に横綱になってしまいました。その当時は北の湖いたし、若乃花、後に隆の里というライバルがいました。この人の凄いのはむしろ30歳を過ぎてからの充実ぶりです。30歳以降の方が優勝を重ね、無類の強さを発揮し、あの53連勝も33歳の時の大記録でした。平成になっても90年代に入っても優勝を積み重ね、通算1000勝の大台にも乗せました。実に36歳の直前まで横綱として君臨、最後は自ら世代交代で引退に追い込んだ貴ノ花の息子である貴花田(後の貴乃花)に破れましたが、それまでの功績の大きさ、与えた影響は計り知れないものがあることでしょう。時にCMで見せるお茶目な表情が土俵上と正反対でこれまたよしでした。

あと千代の富士の弟弟子として大成した北勝海(ほくとうみ)は、昭和38年生まれで当時の「花のサンパチ組」の一人として、当初は保志の本名で頭角を現しました。サンパチ組には双羽黒、小錦、寺尾といった錚々たる面々が名を連ねています。'84年初場所で横綱・北の湖から金星を挙げ、世代交代を印象づけました。'86年に大関昇進時に四股名を変えましたが、同時に北尾が双羽黒と改名して横綱に昇進したのもあり、この時期は世代交代を感じさせました。同部屋の千代の富士の胸を借り、切磋琢磨して2横綱として君臨していましたが、千代の富士引退の翌年に29歳の若さで引退に追い込まれたのは惜しまれます。今は八角親方として関取を世に送り出しています。

北勝海としのぎを削った一人として大乃国もまた道産子で横綱までのぼりつめました。一時は200kgも越えたという日本人では超重量級の力士で、その事が体に大きく負担をかけてしまった感もありました。しかしパンダというニックネームがつけられ、愛すべきキャラクターの持ち主でもありました。'88年に千代の富士の53連勝を止めたのはこの人です。最後は確か千代の富士引退の次の場所、まだ30歳にもならずでの引退、その時の負け相撲を出先の喫茶店のテレビで見ていたのを覚えています。

大関では北天祐、'80年頃に現れた世代交代の旗手、と言ってもいいほど勢いがありました。彼が出てきた当時ではまだ'60年代生まれの関取など殆ど居なかったのではないでしょうか。大関までは順調に出世し、横綱に昇進する素質十分と言われながら、大関で9-6,8-7という成績が多くなってしまい、90年に引退、大関を保ったまま引退したのがせめてよかったかな、と思います。親方となりましたが、若くして亡くなられたのがお気の毒でした。

同じく大関・旭国。体は決して大きい方ではなく渋いの一言、の大関でした。個人的に大関で負け越すのを初めて見た人でした。子どもだったので「大関は負け越さないんだ」と勝手に思ってましたが…、お酒のCMにも出てました。大関として引退したのを初めて見た人でもありました。

三役クラスでは小結・大翔鵬。この人、好きでした。やや日本人離れした顔立ち、長いもみ上げ、ある意味道産子らしいものを感じました。 この人の実直そうなキャラクターも非常に好感が持てました。わずか32歳での夭折は大変悔やまれます。

あと、琴のつく佐渡ヶ嶽部屋の力士も昔は多く、いずれも十両に居たイメージが強いです。
琴乃富士という力士はいつも十両に居たイメージで、十両の筆頭に上がると負け越し、下がると勝ち越し、というそんなイメージです。
琴ヶ嶽(ことがたけ)という力士の四股名が印象的でした。「ことがごく」と読むんだと思ってましたから。
琴若は身長が190cm以上の長身力士だったのを覚えています。(琴の若とは全くの別人です)
彼らと少し後になりますが、琴千歳というこれまた十両に長く居た力士もいました。彼らは全員幕内経験者ですが、琴千歳以外は幕内に居た覚えが個人的にはないですね…。

最近(でもないか…)だと、北勝鬨でしょうか。久我の本名で取っていた時はもっと勢いがあった気がしますが、やはり関取の壁に阻まれたのか、十両昇進後なかなか幕内に定着できずでしたが、2000年まで現役を務め、残り少なくなった道産子関取の星といわれてました。

海外勢に押されて苦しい大相撲ですが、道産子力士の復活を願いたいところです。

2009年12月20日 (日)

この野球選手といえば…??

昨日、「この役者にこのアタリ役」の記事を書いていて、それの野球選手版はどうか…??という事を思いつきました。

この野球選手(監督コーチ含め)といえば、どこの球団の選手として真っ先に思い浮かべるか??というものです。正確には初めて見た時はどこの選手だったか、という事になりましょうか。今日は江夏-江本トレード発表の日だそうで、特にそういう色々と移り変わった選手についてのイメージを。

という訳で早速(選手名・敬称略)

長嶋茂雄→巨人監督。
 長嶋さんの現役時代は知らないので、背番号「90」の監督のイメージが最初です。
王貞治→巨人
 現役晩期知ってます。756号の頃もかすかに…
江夏豊→広島
 阪神や南海の頃知りません。最初に見たときは広島の抑え投手で、ユニホームも広島の頃が最もお腹が出ていたように見えてインパクト大でした。
野村克也→ロッテ
 現役でわずか1年しか居なかったロッテの頃のイメージがあります。南海の兼任監督の頃は知りません。
張本勲→巨人
 私が見始めた頃の巨人の中心選手といえば、王・張本でした。当時自宅のお盆には長嶋監督と王・張本の3ショット写真のがありました。
江本孟紀→阪神
 東映・南海に居たなど全く知りませんでした。凄いハンサムなのにヒゲ生やして勿体無いとか変なこと思ってました。
高田繁→巨人内野手
 元は外野手だったと聞いて驚きました。今はヤクルトの監督をしている事に驚きますが…
加藤初→巨人
 太平洋クラブライオンズ出身とは知りませんでした…
真弓明信→クラウン
 現阪神監督ですが、私のイメージでは移籍前の弱小クラウンのホープです。
田淵幸一→阪神
 真弓の(が?)交換相手ですが、阪神時代を辛うじて知ってます。まさかダイエー監督になろうとは…

2009年11月 8日 (日)

2009年 巨人投手成績から

昨日、日本一を「奪回」した巨人の今季の投手成績を大雑把に。

中継ぎ投手と外国人先発投手による活躍が日本一をもたらした、投手面からいえばそんなイメージを持ちました。

今季は日本人先発投手で2ケタ勝利者なしのピンチでした。結果的に高橋尚成投手が10勝をあげましたが、内海投手の開幕からの信じられない不調でチームごと大丈夫か??と思ったものです。上原投手も居なくなり、やはりもうエースと呼べる存在なので士気を下げないか、と。

しかしそれを補って余りあったのが、ゴンザレス、オビスポといった外国人投手の快進撃でした。グライシンガーは実績十分で順調なら10勝は確実に計算できる投手ですが、その他は未知数、ゴンザレスは07年9勝しているものの去年は出番もなくわずか1勝で計算できたものではなかったと思います。ましてやオビスポ…よく化けてくれた、というかよく起用してくれました、というべきでしょうか。

中継ぎは山口・越智の両投手が今季もフル回転できっちり仕事をこなしていました。抑えのクルーンは球は速いけどいつ見ても危なっかしい投球で、他チームの安定感抜群の守護神のようにはいかないものの、そこは越智、そしてベテラン豊田といった投手がよく穴を埋めてセーブをあげていきました。豊田投手などは西武から来てやや不本意なシーズンを送っていたと思いますが、今季についてはよく働けたのではないでしょうか。

巨人が更に安定した強さを誇るにはやはり内海投手の復活が最大のキーになるのではないでしょうか。あとは外国人頼みではなく、日本人の先発として高橋・東野投手ともう一枚(木佐貫、金刃といった投手の復活に期待)、中継ぎでは山口・越智といった投手の疲れ具合も気にかかりますが…、クルーンの次代の抑え投手の座に誰が来るかも期待したい(日本人の安定した守護神が欲しい)ものです。

(表示がおかしくてスミマセン…)

 

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                       
 

背番

 
 

選手

 
 

防御率

 
 

試合

 
 

勝利

 
 

敗戦

 
 

S

 
 

投球回

 
 

奪三振

 
 

11

 
 

久保 裕也

 
 

3.29

 
 

7

 
 

1

 
 

0

 
 

0

 
 

27.1

 
 

25

 
 

…かつてスクランブルで投げたが出番僅かにとどまる

 
 

17

 
 

東野 峻

 
 

3.17

 
 

27

 
 

8

 
 

8

 
 

0

 
 

153.1

 
 

133

 
 

…先発ローテに定着。

 
 

20

 
 

豊田 清

 
 

1.99

 
 

46

 
 

2

 
 

2

 
 

5

 
 

40.2

 
 

32

 
 

…少しだが抑え役も任され防御率も2点きる大健闘

 
 

21

 
 

高橋 尚成

 
 

2.94  

 
 

25

 
 

10

 
 

6

 
 

0

 
 

144

 
 

126

 
 

…結果的には2ケタ勝利&規定投球回到達したが…

 
 

22

 
 

越智 大祐

 
 

3.30

 
 

66

 
 

8

 
 

3

 
 

10

 
 

71

 
 

70

 
 

…セットアップに抑えに今季もフル回転

 
 

26

 
 

内海 哲也

 
 

2.96

 
 

27

 
 

9

 
 

11

 
 

0

 
 

179.2

 
 

115

 
 

…序盤絶不調で全く勝てず。9勝したものの連続2ケタ勝逃す       

 
 

28

 
 

金刃 憲人

 
 

3.60

 
 

6

 
 

1

 
 

0

 
 

0

 
 

5

 
 

3

 
 

…新人時代投げまくったが、今季は終盤のみ

 
 

29

 
 

グライシンガー

 
 

3.47

 
 

25

 
 

13

 
 

6

 
 

0

 
 

161

 
 

91

 
 

…今季も安定感でローテ守り13

 
 

30

 
 

西村 健太朗

 
 

4.97

 
 

11

 
 

2

 
 

0

 
 

0

 
 

12.2

 
 

10

 
 

…かつてよく投げていたが…

 
 

31

 
 

バーンサイド

 
 

-

 
 

-

 
 

-

 
 

-

 
 

-

 
 

-

 
 

-

 
 

33

 
 

野間口 貴彦

 
 

4.97

 
 

25

 
 

0

 
 

1

 
 

1

 
 

29

 
 

28

 
 

…いまひとつブレイクしきらず

 
 

36

 
 

M.中村

 
 

6.18

 
 

29

 
 

1

 
 

2

 
 

0

 
 

27.2

 
 

28

 
 

37

 
 

藤田 宗一

 
 

2.08

 
 

19

 
 

1

 
 

0

 
 

0

 
 

17.1

 
 

10

 
 

…ロッテより移籍。与えられた場所できっちり仕事をこなした

 
 

38

 
 

ロメロ

 
 

-

 
 

-

 
 

-

 
 

-

 
 

-

 
 

-

 
 

-

 
 

39

 
 

辻内 崇伸

 
 

-

 
 

-

 
 

-

 
 

-

 
 

-

 
 

-

 
 

-

 
 

41

 
 

木佐貫 洋

 
 

10.13

 
 

1

 
 

0

 
 

0

 
 

0

 
 

2.2

 
 

2

 
 

07年復活を印象づけていたが1260勝へ

 
 

42

 
 

クルーン

 
 

1.26

 
 

46

 
 

1

 
 

3

 
 

27

 
 

50

 
 

57

 
 

…毎度ヒヤヒヤさせてくれるが結果的にはこの成績

 
 

46

 
 

村田 透

 
 

-

 
 

-

 
 

-

 
 

-

 
 

-

 
 

-

 
 

-

 
 

47

 
 

山口 鉄也

 
 

1.27

 
 

73

 
 

9

 
 

1

 
 

4

 
 

78

 
 

62

 
 

…チーム最多登板。今季も安定感抜群のセットアップ

 
 

49

 
 

ゴンザレス

 
 

2.11

 
 

23

 
 

15

 
 

2

 
 

0

 
 

162

 
 

113

 
 

…まさか?!の快進撃。グイシンガーを上回るチーム最多15勝!

 
 

57

 
 

古川 祐樹

 
 

4.50

 
 

6

 
 

0

 
 

0

 
 

0

 
 

4

 
 

0

 
 

59

 
 

福田 聡志

 
 

3.48

 
 

9

 
 

2

 
 

0

 
 

0

 
 

44

 
 

31

 
 

60

 
 

深田 拓也

 
 

9.00

 
 

8

 
 

0

 
 

0

 
 

0

 
 

4

 
 

4

 
 

62

 
 

上野 貴久

 
 

-

 
 

-

 
 

-

 
 

-

 
 

-

 
 

-

 
 

-

 
 

63

 
 

会田 有志

 
 

-

 
 

-

 
 

-

 
 

-

 
 

-

 
 

-

 
 

-

 
 

…父は元ヤクルト投手。デビュー時はよく投げていたが…

 
 

65

 
 

宮本 武文

 
 

-

 
 

-

 
 

-

 
 

-

 
 

-

 
 

-

 
 

-

 
 

67

 
 

齋藤 圭祐

 
 

-

 
 

-

 
 

-

 
 

-

 
 

-

 
 

-

 
 

-

 
 

68

 
 

栂野 雅史

 
 

4.05

 
 

5

 
 

0

 
 

0

 
 

0

 
 

6.2

 
 

4

 
 

…いつの間にか懐かしい名前になりつつある感

 
 

90

 
 

歌藤 達夫

 
 

-

 
 

-

 
 

-

 
 

-

 
 

-

 
 

-

 
 

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…かつてオリックスで期待大で入団も出番なし

 
 

91

 
 

オビスポ

 
 

2.45

 
 

14

 
 

6

 
 

1

 
 

0

 
 

58.2

 
 

48

 
 

…周囲も驚く間もないまま6?!

 
 

92

 
 

木村 正太

 
 

3.38

 
 

25

 
 

0

 
 

0

 
 

0

 
 

29.1

 
 

23

 
 

…中継ぎで奮闘。今後に期待。

 
 

93

 
 

笠原 将生

 
 

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95

 
 

竹嶋 祐貴

 
 

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103

 
 

西村 優希

 
 

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106

 
 

林 イー豪

 
 

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107

 
 

李 イー鴻

 
 

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108

 
 

杉山 晃紀

 
 

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109

 
 

尾藤 竜一

 
 

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110

 
 

大抜 亮祐

 
 

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2009年10月12日 (月)

プロ野球・今年の引退選手

2009年のプロ野球も両リーグ優勝チームが決まり、この後クライマックスシリーズに日本シリーズという時期になってきました。その一方では、今シーズン限りで引退を表明した選手のセレモニーが行われたりもしています。現時点で引退を表明した選手につき書いていきたいと思います。

☆立浪和義 内野手(中日)
 アラフォー世代の我々からすると数少ない年上選手のひとり。であり、また早くから活躍し「10代の星」でもあったスター選手です。私が高3の時に中日に入団しいきなりレギュラーを獲っていたので、高校の友達と「去年まで高校の制服着てたのにもうプロでバリバリとはずこいな」というような会話を何度かしたものです。当時彼が打席に入ると光GENJIの「ガラスの十代」が流れていました。もう40代に差し掛かり…時の流れですね。

2003年には2000本安打を達成し名球界入り、衰えのカケラも感じられず、この先どれだけ上積みするんだろう??と思ったものでした。06年にはPLで共にプレーした同級生・片岡(阪神)を見送り、去年は同じくPLの先輩・清原(オリックス)を見送りました。

チームの若返り策やここ一番で打ってほしい代打稼業への転身などがありましたが、このままレギュラーでやっていたらもっと長くやれたように思いますが、腰痛などもあり守備機会軽減を配慮されたというのもあるのかもしれません。22年の現役生活はお見事でした。

☆江藤智 内野手(広島→巨人→西武)

 
わが同級生ですってただ学年が一緒なだけですが

 広島の若き主砲。90年代中盤の広島は、優勝こそ縁がなかったものの他チームも恐れる強力打線を形成していて、野村、前田、金本と後に名球界入りする選手が3人もいて、また走れてパワーもある緒方もいて、そしてそんな強打者軍団の中心に居る選手がこの江藤でした。この5人の中で本塁打王のタイトルを獲ったのも彼だけです(40本越えが一度もないのが意外ですが)。この5人で安打数は9000本は越えます。2000本超の野村、前田、金本と1500本強の江藤、緒方と…、恐るべき数字、このメンバーが1チームに同時期に居たわけですから…。

 しかし2000年、広島の中心選手の座をかなぐり捨ててFAで巨人へやってきます。それまで長嶋監督がつけていた背番号33を自らが「3」に変更する形で譲り渡して…。

 広島に居たら軽々2000本安打達成していたと思うのは違うでしょうか?ともあれ巨人・江藤は2000年の優勝を決めた試合で満塁ホームランをかっ飛ばしたりして、打率は低めながら大舞台での強さを見せてくれました。しかしその後は翌年までは30本クリアしていましたが、それが途切れ2003年からは100安打を切り、2004年から出場機会が激減、成績が尻すぼみになる一方でした。もはや巨人ではこれまで、の感も強くなり、本塁打0に終わった2005年オフにFAで入った巨人を、FAの人的保障(西武・豊田投手との)という逆の形で退団する事となりました。

 かくして2006年、初のパリーグ・西武でかつての栄光など色褪せた感がありましたが、代打に時にレギュラーに多くないながらしぶとく活躍を続けて、去年は38歳で7本塁打と健在ぶりをアピールしました。39歳まで現役を続けましたが、現役後半の苦労は今後の大いなる糧になると思います。

☆清水隆行 外野手(巨人→西武)

 
今年の登録名は清水「崇」行だそうです。かつての巨人のスター選手のひとりでした。

 96年、同期入団の仁志(現・横浜)と共に
新人で活躍し共に打って走れる選手として、当時FAで四番打者ばかりかき集めてきた巨人では盗塁が少なく、そんなチームに改革をもたらす選手、と個人的に期待したものです。

 しかし彼が2番を打っていた時期があるというのが巨人の凄いところでした。かつての川相のような選手が居なかったのかと…、当の川相はレギュラーを離れて久しい状態だったので致し方なかったのでしょうが、2002年1番打者として191安打で最多安打を放った年が最も注目を浴びた時期だったでしょうか。この時期はものすごい声援だった事を思い出します。

 打撃に関しては非凡なセンスがありながら、後の極度の打撃不振というのがかなり尾を引いてしまったのでしょうか?慣れない代打でまたリズムを狂わせたようにも思いました。2008年オフのトレードは「やはりか…」という思いで見ていましたが…。ともあれ2009年西武へ移籍、なかなかの滑り出しで一安心していましたが、知らぬ間に名前を見かけなくなり、、つい先日引退表明。もう少し頑張ってほしかったけど、おつかれさまでした。

 

☆井上一樹 外野手(中日)

元々は投手として数年やっていましたが、後に野手転向し遅くに台頭した苦労人でした。名古屋へ行くと近年、地下鉄に彼のポスターがよく貼ってありました。選手会長に就任しファンサービスの一環だったようですが、割に地味な印象だったのでポスターの前面に出てくるというのがどこか意外な感じでした。

 

晩年、代打の比率が上がってきても打率はむしろ3割を超えたり勝負強い部分がありました。それだけに今年の打撃不振は深刻だったのでしょうか、あるとき新聞で久々に名前を見て、1割どころか5分も切るような打率を見て驚きました。個人的には中日版・ガッツだと思っていました。

☆緒方孝市 外野手(広島)

巨人に居た緒方耕一選手とおなじ読みでかつ同学年、しかも同じ盗塁王のタイトルホルダーという縁があります。両者が決定的に違うのはパンチ力で、広島・緒方は台頭時期がやや遅かったものの、それからは爆発的なパワーを見せ、前述・江藤選手の項で触れましたが、打って走って広島強力打線の一角を担ってきました。

 ブレイクが95年からだったにもかかわらず、90年代の盗塁数は球界最多を誇ります。後年は代打としての出場が多くなりましたが、41歳になる年まで23年間カープ一筋で、これは衣笠祥雄、大野豊といった大選手と同じ最長タイ記録です。最終打席が三塁打というのもこの人らしいですね。

☆小宮山悟 投手(ロッテ→横浜→メジャー…→ロッテ)

ピッチングは頭脳でするもの、そういうイメージをもたされたのがこの投手でした。まぁそれもこの選手ほどの多彩な変化球が操れてこそ、なのですが…。二浪して早大に入った苦労人で、プロ野球で浪人して大学に入った人ってなかなか居ないよな、と思った事がありますが(スポーツ推薦などあると思うので…)、一般入試で早稲田に入る事自体が凄いのにそれがプロ野球選手になるとは…。

 なので25歳になる90年にプロ入りし、新人から先発ローテに入り6勝10敗と活躍しますが、この年はドラフトの大豊作、なかでも野茂(近鉄)というケタ違いの新人が居た為、新人王どころか他の投手タイトルまで彼の独り舞台といった状態でした。他にも潮崎(西武)や10勝をあげた酒井(日本ハム)、打率.300、20本塁打の石井(近鉄)といった、野茂が居なければ新人王が獲れる成績を残した選手たちもすっかり霞んでしまうほどでした。

 その後も低迷するロッテでエースとして投げ続け、負けも多いながら何度か2ケタ勝利を達成し、防御率のタイトルも獲得しました。2000年横浜へ移籍、この辺は紆余曲折ありましたが、ここでも一度2ケタ勝利を収めています。

 メジャーでは未勝利に終わり、その後野球浪人まで経験しましたが、39歳になる年でまたロッテに復帰したのは見事でした。その後敗戦処理を自ら買って出て、日本一に貢献したり、近年でも何勝かあげたり中継ぎで淡々と投げ続けて、44歳になる今年引退表明したと思ったら、最後の最後に史上最高齢44歳でのセーブを記録して、球史にその名を刻む事と鳴りました。

以上、自ら引退を表明して現役を終える数少ない選手たちにつきふれましたが、戦力外通告選手も次々と発表され、そちらの方も気にかかるところです。

2009年10月 6日 (火)

ハム リーグV!

日本ハムのパリーグ優勝が今日決まりました。

といってもクライマックスシリーズなどがあるので日本シリーズに出られるかもまだ分かりませんが…

このまま巨人×日本ハムでいいじゃないか、と思ってしまうのですが…

リーグ優勝の値打ちの低い事。。

巨人×日本ハムといえば、かつては同じ後楽園球場→東京ドームを本拠地に持っていた球団同士。1981年の日本シリーズがまさにその戦いでした。

当時は巨人の現・原監督が選手として入団したルーキーイヤーだった年でいきなりレギュラーに定着し新人王を獲得しました。またエース・江川が20勝の大台に乗って最多勝、ライバル西本も18勝でこちらは投手の最高栄誉と言われる沢村賞受賞と両雄並び立った年でもありました。内野陣は中畑、篠塚、そしてベテラン河埜とこの布陣はしばらく不動でした。

日本ハムは…間柴投手が15勝0敗の勝率10割を達成した年だったでしょうか、前年は新人として木田投手が投手記録を総ナメする大活躍でしたが…。それまでエースだった高橋直樹投手が広島へ移籍し、代わって優勝請負人・江夏豊投手が広島から移籍、同じく広島から移籍の高橋里志投手も活躍しました。打線は…柏原選手が主砲というイメージがあります。あと古屋、高代といった内野陣、外国人のソレイタ・クルーズのコンビも共に強打者のイメージがありました。外野は島田誠選手のイメージが強いですね。

両リーグの優勝球団が決まってもまだ日本シリーズのカードが決まらない…時代は変わりました。

GWに北海道に行った晩に買った「ファイターズ・ヌードル」です。
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2009年9月27日 (日)

土井正三氏 死去

元巨人の土井正三氏が25日に亡くなられました。67歳。

一昨年の巨人5000勝達成を祝う試合でかつてのV9戦士が一同に会しましたが、その球場で車椅子に乗ってすっかり痩せ細った土井氏の姿がありました。かなり痛々しい姿に見えましたが、あれから特に何を聞く事もなく月日は流れていったのですが…

V9時代の真っ只中に生まれた自分にとって、V9とか長嶋の現役時代というのはリアルでは知りません。野球を見始めた小さい頃の巨人は第一次長嶋政権下のV9戦士がかなり高齢化していた頃でした。

柴田、高田(現・ヤクルト監督)、王といった面々と共にV9の生き残りとしてその土井選手の姿はありました。彼が打席に入った時、実況で「うるさい土井がバッターボックスに入りました」と言ってたのを覚えています。まだ小学低学年だったので「うるさい」が単にやかましいという意味でしかとらえられず、「別にペラペラ喋ってないじゃないか」のような事を思ってました。いつものように見かけていたのに、いつの間にか居なくなり、背番号6もいつの間にか篠塚選手がつけていた、という印象です。現役最後の78年も規定打席に到達し、ダイヤモンドグラブ賞まで獲ったのに引退していたというのを後に知りました。

その後は巨人のコーチなど歴任しましたが、91年にオリックスの監督に就任。この時はビックリしました。元巨人の選手が他球団で監督をやるなんて、と。。とかくイチローを見出せなかったように言われますが、イチローといえど新人からあのような活躍ができたか分からないし、ある程度2軍で実績を積んだから今があるのでは…という考え方もあるかなと思います。確かにそれまでのブルーサンダー打線は影を潜め、地味なチームになったなと感じました。後に大リーグで実績を作った長谷川投手が新入団したのもこの91年、一軍で投げても投げても勝てず0勝6敗までいったように記憶してます。かつて阪急で山田投手がつけていた背番号17の呪縛があまりにも大きいんじゃないか、と。。それでも最終的に12勝9敗で新人王を獲得し、土井監督がガマンして使い続けた部分もあるのかな、と今思えばそんな気もします。オリックスの3年間は優勝に縁がなく、結局後任監督就任時に花開くわけで不運だった部分もあります。

横浜・仁志選手が「土井さんが居なかったら今まで現役でやっていない」というくらい、巨人コーチとしての功績も大きかったのかな、と思います。

ご冥福をお祈りします。

2009年9月13日 (日)

イチロー!

イチロー選手がメジャー9年連続200本安打まであとわずか2本となりました。

今まで数々の記録という記録をことごとく塗り替えていき、記録にも記憶にも残る選手として活躍を続けていますが、彼が脚光を浴び始めたのは1994年。15年経った今でも衰えるどころか進化を続けて、また規模的にもワールドワイドに注目されていようとは…、あの当時からは考えようもなかったです。まだ日本人メジャーリーガーのいなかった時期、その最有力野手としては広島・野村謙二郎選手(当時)が挙げられていましたが、その道を開く選手が居らず、ようやく野茂英雄投手が近鉄からパイオニアとして海を渡ったという時代でしたね。

イチローが世に出た時、オリックスに急に明るい光が差し込み、95,96年にはリーグ優勝、96年は日本一にも輝き、かつての阪急黄金時代の再来となるのかな、、と大いに期待したものでした。ブレイクした年に登録名をイチローとしていたところにも何か因縁めいたものを感じます。その後、サブローや太陽など苗字ではなく名前を登録名とした選手のパイオニアとなり、彼の影響力の大きさが窺えます。トレードで近鉄→オリックスに移籍した大島公一選手もイチローにあやかろうと背番号を彼に続く52にしたといいます。

まぁ9年連続200本は時間の問題でしょうが、メジャー3000本でも彼なら悠々と達成しそうな気が大いにします。

かんばれ、イチロー!

2009年8月31日 (月)

愛車・登場!

ここ近年、プライベートでは「足なし」生活が続いていました。

一応、それでも生活できるし買うのが面倒でついついズルズルと…

しかし、歩いて行くのも時間が勿体無いとか、やはりちょっと遠出(旅行とは違う意味で。生活の延長上というか…)もしたい!欲が久々に湧いてきて、愛車購入

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です。

しかし、これでも自分で買った自転車の中では史上最高額です。今まで1万円以上の買った事ありませんでした。(子供の頃、親から買ってもらったものを除いて)

が、これは2万弱単なるママチャリじゃ不足だったので、といって本格的なスポーツサイクルもちょっと…だったので、丁度良いところに落ち着きました。結構走ります、コレ。変速あるのもいいです、ギアをこまめに変えて走るのが、それなりに距離走る場合においてはよいと思うので。

早速走り倒してしまいました。何kmかな…、20kmくらい?!ジーンズ履きで走ったのがマズくて(そんな走るつもりじゃなかったので)、ひざが少々痛み出しました。久々にバッティングセンターへも。110km/hで75スイング、結構クタクタに。これを機にまたまた若返ってみましょうか

2009年7月13日 (月)

横綱・大関陣 誰から覚えてますか??

大相撲・名古屋場所が始まりました。

大関・魁皇が北の湖の通算勝ち星に並ぶという個人的に嬉しいニュースがありましたが、もうすぐ37歳になる彼が大関の座を張り続けなければならない状況とは…彼の意地でもあると思いますが…、、
本日の結びの取組は朝青龍-阿覧というモンゴル-ロシアの対決。現在の横綱は2人ともモンゴル勢、大関は日馬富士(モンゴル)、琴欧洲(ブルガリア)の方が勢いがあり、日本人の魁皇、千代大海、琴光喜と3人いますが皆既に30歳を越えているという状況…。早く日本人大関・横綱が誕生してほしい…国際化はいいのですが、日本人力士が強くないと個人的にどうも面白いと感じられないのです。

それぞれの年代でそれぞれの横綱・大関のイメージがあると思いますが、誰が横綱で誰が大関の頃から記憶がありますでしょうか??

私は個人的に横綱は輪島、北の湖で大関は貴ノ花、三重ノ海、旭国、若三杉といったところです。貴ノ花は勿論お父さんの方ですが、残念ながらお亡くなりになってしまいました。他は皆親方として活躍(輪島は廃業しましたが…)、北の湖、三重ノ海などは理事長にまでのぼりつめました。両横綱がしのぎを削っていて輪湖時代などと呼ばれていましたが、北の湖が「憎たらしいほど強い」と言われ、今の朝青龍のイメージに若干ダブる気がします。

大関陣も優勝争いに誰かが絡むような布陣だったように思います。ただ勝ち越すだけでなくもっとうえのレベルにいたような、あくまでイメージですが…。この中では若三杉が横綱に昇進し二代目若乃花を名乗りました。三重ノ海はずっと大関かと思ったら30歳を過ぎてから横綱に昇進しましたが、さすがにあまり長く在籍はできず、むしろ2人とも大関時代の方が輝いていたように思いました。

その後では増位山が急速に力をつけ大関昇進しましたが、既に高齢の感がありむしろ関脇時代の方が勢いがあってあまり長く活躍できなかった感じがありました。トントン拍子だったのが千代の富士です。三役定着までは少しかかったものの大関昇進するとわずか3場所で横綱に昇進してしまいました。当初はそれほど優勝に関われずでしたが、29,30歳頃あたりから完全に天下でした。その間に北の湖も31歳で引退していました。

隆の里は怪力のイメージがありましたが、30歳を過ぎてから横綱に昇進し当時の流行にあわせて「おしん横綱」と呼ばれていましたね、北の湖より1歳年上ながら引退は1年後の昭和61年、33歳と力士生命を全うしてといってもいいのかなと思います。

琴風は若くして大関に昇進し期待を集めましたが、怪我が多く結局は大関から陥落して28歳の若さで引退、現役中に歌手としても活躍(増位山などもそうですが…)していました。個人的には今の琴光喜とダブります(顔が似てるから??)

若嶋津は横綱に昇進しそうな勢いと雰囲気を十分に持っていましたが、昭和59年がピークだったかな、という感じでした。大関で全勝優勝したときは横綱になると思いましたが…。

朝潮・北天佑は典型的なハチナナ・クンロク大関と言われ、昇進前はやはり勢いがあったのですが、昇進後はいまひとつというか勝ち越すのがやっとという感じでした。彼らは平成になって相次いで引退していきました。

この後は世代が下になっていきます。
北尾は大きな体と素質に恵まれ大関までトントン拍子、横綱へも優勝がなかったものの割にすんなりと昇進して双羽黒と名乗るのですが、残念な事になりました。対照的に努力型といわれるのが保志改め北勝海でした。大関昇進時に改名し、同部屋の大横綱・千代の富士のもとで切磋琢磨し同じ地位に上り詰めました。怪我が多く30歳にもならないうちに引退しました。
大乃国は大きな体を武器に活躍、大関やがて横綱となりましたが、彼もまた28歳の若さで引退、この年代の力士たちは早くに出てきて30歳にもならぬうちに引退するケースが多かった感がありました。旭富士はやや年上になりますが、のらりくらりとした雰囲気で大関、少し遅れた感がありますが横綱にも昇進しました。30歳を過ぎてもとっていましたが、横綱になってからが地味な印象でした。

異色は小錦、霧島でしょうか。小錦は巨体を武器にプッシュプッシュで大関に昇進、その後横綱になってもおかしくない成績を残すも言葉の波紋等もあり残念な事となってしまいました。霧島は30歳を過ぎて大関になった遅咲きの力士でした。共に大関から陥落しても平幕で取り続けました。

その後は曙、貴乃花、若乃花、武蔵丸、武双山、栃東…といったところでしょうか、現役でない横綱大関は。出島、雅山などは大関も務めましたが平幕に陥落してからも長く今まで取り続けていますね。

で、個人的には最高の横綱は千代の富士です。

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