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39高知県

2017年12月13日 (水)

とさでん交通/高知橋停留所・蓮池町通停留所 (高知県高知市)

高知県高知市のとさでん交通/高知橋(こうちばし)停留所・蓮池町通(はすいけまちどおり)停留所です。

当ブログで初めて路面電車の停留所の記事をupします。

今回は2ヶ所で、まずは高知橋停留所です。

-とさでん交通/高知橋停留所-
【路線】
とさでん交通桟橋線(高知駅前-桟橋通五丁目間)
【開業】2001年3月27日
【訪問】2011年4
【近隣の主要駅 (高知駅前方面)高知前停留所→隣駅 
           (桟橋通五丁目方面)はりまや橋停留所
→2駅

●電車とホーム

路面電車のある街ってそれだけで素晴らしいというか、観光客は特に見入ってしまいますよね。最近の路面電車は本当に色んな柄があって、そんな色々な柄を楽しむ事ができるし、という訳でこのカットです。

つい2014年9月末までこの路線は「土佐電気鉄道」といっていましたが、統合などで現在の「とさでん交通」になりました。この写真の当時(2011年)はまだ土佐電気鉄道の頃です。

この停留所は2001年に設置された新しい停留所です。元々は1928年に少し違う位置にありましたが名前を変えて、やがて1960年に廃止となりました。それからまた40年の時を経てカムバックした格好で、非常に珍しいケースかと思います。

隣は高知駅前停留所で、これすなわち高知駅の真ん前の始発の停留所です。そこから、わずか300mの地点にある、高知駅から最も近い電車の停留所です。向こうに見えている高知駅から全然歩いて行けますけどね。

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●バス停と電停

上の写真と反対向きのカットです。

向こうは高知駅から離れていく方向です。

右側に写り込んでいるのは、同じ高知橋のバス停です。

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●のりば

高知駅前方面ののりばです。

こっから乗っても300m程で終点です。

ちなみに高知の路面電車はの料金は市内均一200円ですが、南国市やいの町などへも通っているので、そこへ行く場合はこれを越える事となります。

路面電車でもその都市内を走る事が多いですが、ここは市内を越えても走っているので、高知市外の方でも路面電車を利用できる、旅行者の立場ならば「これを使って高知市外へも行ける」となります。

またダイヤ的には手前の方に記してありますが「昼間は6分間隔」で運行されています。

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●高知橋停留所

道路を渡って安全地帯前まで来たところ、停留所全景のカットです。

しっかり「高知橋」の入った標識があります。そりとおんなじ大きさの字で安全地帯とあります。

停留所スペースは屋根が曲線を描いたもので、幅はこんな感じです。

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●駅から離れた方向

停留所内で最も高知駅から遠い側です。こちら側にも「高知橋」と明示されています。

この向こうには既に次の停留所が見えているような…

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●ヤシ群

高知橋電停を下りて右を見ると川に架かる橋からこんな景色が!

高知市の絶景の代表的な一つだと思いますが、江ノ口川沿いのヤシの木の群れです。

これは高知に来たらまず観ておくべき光景ですね。

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以上が、高知橋駅です。

続いて、蓮池町通停留所です。

-とさでん交通/蓮池町通停留所-
【路線】とさでん交通桟橋線(高知駅前-桟橋通五丁目間)
【開業】1928年2月16日
【訪問】2011年4
【近隣の主要駅 (高知駅前方面)高知前停留所→2駅 
           (桟橋通五丁目方面)はりまや橋停留所
→隣駅

●停留所周辺

高知駅前の電停から2つ目、高知橋の次の電停になります。

高知橋からはわずか200m、高知駅前-高知橋間より更に短い間隔で、ホントにこのすぐ手前が高知橋の電停です。

左向こうには「イチヤ」のビルが見えます。現在は上場廃止となっているようですが、かつては低位株の代表のひとつとしてよく取り沙汰されていました。現在の商号は「一や」だそうで、かつて名乗っていた商号を元に戻したのだそうです。

ちなみにこのすぐ向こうは高知といえば…、で思い浮かぶ「はりまや橋」です。

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●電停へ近づく

上のカットから更に近づいたものです。

左側が高知駅方面で、このホームは高知駅へ向かう方となります。

高知駅前から2停留所先、距離にして500mほど、全然歩けますが、これくらいなら高知駅へあるいは高知駅からこの路面電車を使ってもいいかなと思えました。歩いて行った方が早い、とならない距離かな、というところで。

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●停留所

蓮池町通の停留所まで来ました。

高知橋のものと構成としては同じです。

この次のはりまや橋電停になると、明らかに規模感が違います。ちなみにはりまや橋電停までの距離は約300mです。

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●電停標識

高知駅から離れていく方向にある標識です。

すぐ向こうがまた栄えている所であるので、この辺りも全然駅前感バッチリというところです。

高知駅前の停留所から高知橋⇒蓮池町通と約500m来ました。

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2017年3月30日 (木)

高知/須崎 たそがれの港町…

高知県須崎市、JR須崎駅からの歩き旅です。

(2017年1月当時)

須崎には1999年12月に初めて寄って、その後2006年に7年ぶりの訪問をしたものの、さして写真を撮っておらず、再々度今年の1月に約10年ぶりの訪問によって、ようやくまともな記録を残せたので、須崎の町の様子をここにお届けしたいと思います。

●動輪

須崎駅前にある蒸気機関車の動輪です。

ここ須崎は高知県で最も人口の少ない市ではありますが、 「高知県鉄道発祥の地」だそうで、土讃線発祥の地でもあるといいます。その永い歴史を永久に記念するため、ここに動輪が置かれたといいます。

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●駅前通り

駅記事(2006年当時)でも同様の姿を載せていますが、手前のモニュメントで向こうが見えない形になっていました。ここでは向こうが見える形で載せています。

基本的にほとんど変わらないですね。この短い駅前通りと、歩道のみアーケードのついた商店街と、初訪問体からだと約20年になりますがホント変わらないです。

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●観光マップ

須崎市の観光マップです。

左上に高知県の地形の中の須崎市の位置が示されていますが、高知県のほぼ真ん中の海沿いにあり、「かわうそのまち」とありました。

カワウソの中でも日本に生息しているものはニホンカワウソとよぶそうですが、現在は環境省からも絶滅が宣言され(2012年)ているものです。この須崎とのかかわりは、当時ほとんど絶滅状態と言われていた中を1979年に発見され、テレビ局や地元の人のカメラに収まり、「守る会」までつくられたといい、最後の目撃例の出た街、という事で、カワウソの町になったというものでしょうか。それにしてもカワウソなんてそこらに居るもんだと思ったら、ニホンカワウソに関しては絶滅宣言がされるほどの幻の生き物だとは、この記事を聞くにあたって調べるまで知りませんでした、色々勉強ですね

ちなみにこのマップにおける須崎駅周辺は、地図真ん中やや左の色々な線の交わった辺りで、入り組んだ海辺がよく分かる地形になっています。実際港は駅から歩いて裏手に5分くらいのグッドロケーションですが。

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●須崎駅前バス停

須崎駅前広場ではなく、駅前商店街の短い通りの途中にあります。なので駅を出て数10mかは歩きます。

市内でここよりもやや賑やかに多ノ郷(おおのごう)駅行きのバスが7~16時台で全8本出ていて、1時間強に1本のペースで、この辺りにしてみれば便数の多い方かと感じます。最近特にバスを使ったりもするので、1日6本以上あれば、工夫次第で上手く使えるし、少ないとも感じなくなってきました、ある意味恐ろしいですねこの感覚。

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●すさき駅前食堂

須崎は「すき」と濁らずに読みます、今更ですが。

須崎駅前の短い商店街の突き当たり部分にあります。

駅前商店街は一応店はありますが、開いているのかいないのかよく分からない状態で、ここは確かに開いていました。開いてはいましたが、外から様子が分からず、客がいるのか居ないのかもよく分からず、入りそびれてしまいました。結局須崎では、多ノ郷駅から歩いて入ったお店でご飯を食べる事となりました。

行けなかったので調べてみるとこのお店、2010年に出来たばかりだそうで、前回ここを訪ねた時の2006年にはなかったという事になります。須崎といえば…といわれるほどの「鍋焼きラーメン」があるそうです。向かって左に立っているのが、その鍋焼きラーメンの幟です。

軒先はレトロな雰囲気に溢れていました。

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●原町

須崎駅から短い駅前商店街を通って左折した所がこの通りとなります。

特に商店街名を銘打っている感じではありませんでしたが、唐突に「ようこそ原町へ」と何か名所でもあるような雰囲気をもった看板が現われました。

ここに現われたキャラクターは「しんじょう君」といって、須崎のゆるキャラで、須崎と縁深いニホンカワウソをベースに頭部にはこれまた須崎の名物鍋焼きラーメンを被っている、全身これ須崎を表わしたものとなっています。名前はニホンカワウソが最後に発見された市内の新庄川からきており、絶滅したと宣言されてしまっても彼は日本のどこかに友達(ニホンカワウソ)がいないか、と全国を旅しているのだそうです。悲しげな夢のあるようなお話ですね。

それでこのキャラ、全く知らなかったのですが、2016年のゆるキャラグランプリでナント! 「1位」を獲得しているのです。2014,15年においても2年連続4位を獲得するなど、近年安定した人気を保っており、その割には全然この存在を知らずにいました。

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●川端シンボルロード

上の写真の原町の商店街を進んで出くわしたのがこの交差点で、この交差する道路が「川端シンボルロード」という訳です。ここで右折してこのロードを進んでいきます。

市街地にして須崎のメイン通りともいえる比較的賑やかなエリアで、12月になるとX'masイルミネーションという事で、夜には約6万球の光りの海が街を包み込み、ネットで写真を見た程度ですが、それはもう綺麗を通り越した光景でした。

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●シンボルロードの向こう側

上の写真から右折した風景です。

分離帯から左が車道、右が歩道という感じで分かれていました。

本来これより向こうに少し見どころがある訳で、進んで行こうと思ったのですが、まずは港町を見ておかないと(初訪問の1999年当時見た光景とも比べてみたくて)と思い立ち、急遽ここから引き返す事となりました。

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●コンクリートそのもの

今は使われていないであろう、すごく立派なコンクリート天然色そのものの建物が残っていました。これは撮らずにはいられないというものです。

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●津波之碑

昭和21(1946)年12月21日に発生した昭和南海地震といわれる大震災で特に和歌山県・高知県で甚大な被害が出ましたが、ここ須崎では津波が発生し、地震後10分も経たないうちに津波が発生し、それまでの古老の常識であった「地震後、間を置いて津波がやってくる」を覆したといいます。

死者51名、行方不明者3名、流失160戸余りといわれ、高さ6.5メートルにも達した津波は、うねりをあげて街に流れ込み、また一瞬にして海側へとのみこんで行ったといいます。

この碑は、その脅威を今の世にも伝えるシンボルとして、昭和40年から港の少し手前に建ち続けています。

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●踏切とイカリ

津波の碑から踏切を越えて、いよいよ港周辺へ、という所でこのような大きなイカリのモニュメントに出くわしました。港町の象徴的存在といえます。

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●港町の建物

須崎港まで出てきました。

踏切越えたらすぐそこというところで、1分も歩けばかなり港の近くです。

そこに建っていた建物たちですが、1999年に寄った時はもっち古めかしい事務所もあったような記憶があり、ここにある建物もそれなりに年季入っていますが、もっと古めかしいものがあったような…もうそれらはここには残っていないのかも…とか思いながら見ていました。

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●須崎港

港の部分です。

こうして船が沢山停まっていました。船というよりボートという規模です。

大きな船も数か所で見かけましたが、行き来している感じは皆無でした。

セメントと木材の集散地点として重要な役割を果たしてきたといいます。

前にここに来た時は、ほぼ夜に近い状況だったので、やっと昼間の光景が見られた、と嬉しい想いでした。

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●儚げなる港

最後はこの写真ですが、この辺りは1999年ごろには日本にある主要な港町という事で、ここ須崎を含む各港が地図内にて紹介されていましたが、いつの間にか撤去されたようです。

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2016年2月 7日 (日)

JR高知駅 (高知県高知市)

高知県高知市のJR高知(こうち)です

高知市は、高知県の中南部に位置し、人口は337,686人(2015.11.1現在)で、高知県の県庁所在地で、高知県で唯一、人口10万を越える自治体であり、県内2位が南国市の5万人程度である事が、いかに県内人口が高知市に集中しているかを物語っています。

月見の名所である「桂浜」や、高知城、朝市、土佐闘犬、はりまや橋等観光資源には事欠かない街です。

-JR高知駅-
【路線】
JR土讃線(多度津-窪川間)
【開業】1924年11月15日
【訪問】初訪問-1999年12
【1日あたり平均乗車人員】 5,210人/日 (2013年) 
【近隣の主要駅 (多度津方面)後免駅→5駅 
           (窪川方面)
伊野駅→7駅、須崎駅→20駅

●駅名標周辺

ここへの初訪問は1999年12月、当時西日本全県を訪問達成した、記念すべき地です。その後2006年、2011年…と何度か訪ねていますが、写真は2014年訪問時のものを中心にお送りいたします。

JR土讃線のキー駅として、香川県多度津の側から振られている番号が「D45」、当駅を基点として窪川側へ向かう駅番号が「K00」となっているものです。

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●ホーム

2008年に3代目駅舎としてリニューアルされ、「くじらドーム」と称される見事な半円アーチを描いた屋根つきホームで、地元の杉材でつくられているといいます。

2面4線ホームに列車が多数停まっているのが見受けられます。これは、当駅の所属上は土讃線のみながら、普通列車に加えて特急列車も停車し、また「土佐くろしお鉄道」の「ごめん・なはり線」への直通列車も乗り入れる為です。線数も改装を機に1線増えたのだとか。

そして列車接近時は「アンパンマンのマーチ」が流れます。四国の駅では多く流れていますが…

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●高架から街の様子

駅前の俯瞰の様子です。

南四国ではこのような高層ビルが並ぶのは本当にここぐらいではないかと思います。

街の真ん中は駅のすぐ前から路面電車が通っています。四国では路面電車が通っているのは、松山とここだけですね。高知の場合は南国市など高知市外にものびています。

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●龍馬とおりょう

が駅舎内でお出迎え、観光案内図の横に立っていました。

龍馬とおりょうは、龍馬の負傷治療の為、夫婦で各地の温泉を巡ったといいますが、これが日本における新婚旅行の最初とされています。

高知駅の改札はJR四国で最初に自動改札と特急券の券売機を導入したとされ、鉄道利用があまり多くない事もあってか何かと遅れがちな?JR四国内において先進的な役割を果たしているのですね。

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●駅を出て

すぐのところです。

すぐ、路面電車のりばがあります。

他にも路面電車の通っている街はいくつかありますが、そのほとんどは駅前広場の向こうにある、という感じであり、駅を出てこれだけ至近距離にのりばがある街はそうそうないと思います。

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●土佐志士像

高知駅前にでっかく立ち並んでいる土佐の三志士像。

甲府駅前に建っている武田信玄像を思い出させます。

左から武市半平太、坂本龍馬、中岡慎太郎 です。

2011年になって造られたそうですが、この前年にNHK大河ドラマ「龍馬伝」が放送され、その記念との事です。高知駅前を象徴する大きな存在として、これからも鎮座?し続ける事でしょう。

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●高知駅 駅舎

現在の駅舎は2008年にできた3代目です。

前の駅舎に比べてコンパクトになったな、というのが第一印象でした。中が見えるスケルトンタイプで軽くなった感じもしました。

駅が変わるという事は、必ずしも大きくなる事ばかりではないんだな、という事も改めて感じました。

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●高知駅旧駅舎と路面電車(2006)

今は亡き2代目駅舎ですが、今の駅舎に比べると随分と重厚感のあるものでした。

路面電車が真ん前に並んでいるのとセットで撮ると、たいへん絵になる駅舎だったとも思いました。

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●高知駅旧駅舎(1999)

こちらは初めて訪問した1999年当時の高知駅の姿です。

「JーPHONE」なんて懐かしいですね、今や「i-Phone」ですから(笑)

しかしこういう看板類って、一目で見てご当地が分かるものであって、昨今の駅舎にこのようなものが段々なくなっていくのは寂しいなと感じます。

だからこそ、こうやって残していきたい想いもあり、ちゃんと残す事ができ良かったと思います。無くなったものを後世に残していく…そんなたいそうなものではないですが、かつてここにはこんなものがあったんだよ、的なものを誰かが知る事ができれば…とは思います。

高知駅今昔…、今の駅舎はどんな歴史を刻んでいくか…陰ながら見守りたく思います。

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2015年8月15日 (土)

高知/南国 散りばめられたキャラ

高知県南国市、JR後免駅からの歩き旅です。

(2011年4月当時)

●駅前

「ごめん」の珍名で知られる後免駅前の様子です。

右向こうが後免駅で、駅を出て左に折れて進むと、この写真の手前の交差点へ出る、という形になります。

後免駅は南国市の中心駅として、JRと土佐くろしお鉄道とを結ぶ高知県屈指の拠点駅であり、南国市も高知県第2の人口を誇る市ではありますが、とはいえ5万人程(都道府県第2位の人口では全国最少)で、小都市の域は出ず、駅前の相応の穏やかな雰囲気ではありました。

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●らせん階段

駅前通りの一角にあったものですが、今となっては懐かしい?側にらせん階段のついたビルがありました。

この階段下のすぐ傍に立っているのは「後免駅前」バス停です。こんなすぐ傍に駅前のバス停があるなんて、このビルの住人達すごいと思いました個人的に自分の住んだ所がことごとくバス停から数百mの場所であったので、すぐ傍にバス停というシチュエーションには憧れます。その本数如何を問わず…。

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●ドキンちゃん

商店街を歩いていたら出くわしたドキンちゃんの像に驚きました。

この南国市を初めて訪ねたのは2006年10月の事でしたが、当時は後免駅から直進して路面電車の駅に向かった程度だったので、商店街の方はほぼ行きませんでしたが、こんな所にこんなものがあったとは!という事を4年半ぶりの再訪で気づかされました。

もっともこの像は2006年当時はなかったようですが…。2009年10月に街の振興のためにという事で、全8体が御影石製にて造られ、除幕式には作者である故・やなせたかし先生も訪れたとありました。

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●商店街

「やなせたかしロード」の異名もあるというこの商店街にアンパンマンのキャラクターの石像が点在している訳ですね。

こういったものがあるのとないのとでは、商店街として全然違ってくると思うので、よい「目玉」をつくったものだと思います。「水木しげるロード」ほど全面的にそういう面を強調している感じではなく、こうして通りだけぼんやり見ていると、普通の昔ながらの商店街に見えますが…。

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●ばいきんまん

今度はバイキンマンの像に出くわしました。こちらは色が着いてる感じですね。

南国市立後免町公民館の前という良い位置に置かれていました。

建物の前面の名称を示す部分が殆ど欠落していましたが…。

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●ごめんほのぼのMAP

上の写真に写り込んでいますが、後免町の公民館前にあったMAPです。

「ごめん駅からありがとう駅へ」とあります。「ありがとう駅」とは、土佐くろしお鉄道での後免駅の隣駅となる『後免町駅』の愛称です。「ごめん」の次は「ありがとう」というコンセプトのようですね!

通りを写真で見ると穏やかな雰囲気ですがこのようにMAPで見ると、結構商店街が多く並んでいる事に気づかされました。

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●各キャラクター石像

見つけられた分だけですが、しょくぱんまんとメロンパンナちゃん、そしてジャムおじさんの像がありました!

見た限りですが、着色してあったのはバイキンマンだけでした(笑)

水木しげるロードのような賑やかさはここにはないかもしれませんが、通っていて癒し・和みになる要素ができたな、という感はありました。

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●桜

訪ねた時期が4月というのもあって、このように桜を拝む事ができたのも、ここで記憶に残っている事のひとつでした。

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●路面電車

この写真のみ、初訪問時の2006年10月当時のものですが、南国市は高知市以外では唯一路面電車の走っている町です。(市以外では他に「いの町」も走っていますが…)

このようなアンパンマンが車体に描かれた楽しい感じの電車が街の中を走っていたのを見る事ができました。この路面電車に乗って市内の街並みを流してみるのも良いかもしれません。こんな楽しみ方ができる、という事だけは書いておいて、この記事の締めくくりとしたいと思います。

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2014年6月22日 (日)

高知/香美 土佐山田駅前'99・一枚の写真

高知県香美市、JR土佐山田駅前の様子です。

(1999年12月当時)

もう今から15年前、1999年末に撮った写真で、土佐山田の駅前通りです。

当時はまだ郡部で土佐山田町という自治体名でした。

現在は香美市となりましたが、その香美市では土佐山田駅の駅舎とこの写真とのたった2枚しか撮っておらず、これだけが自分の中での記録となっています。

この街並みが、15年経った今、どれほど変わっているのかいないのか非常に興味深く、そんな意味合いを込めて是非再訪しようと思っている次第です。これ以外にも記録として残したい、勿論記憶にも残したいと思う風景が沢山あるはずなので…。

たしかここへ訪ねた時、駅の真ん前に駐車場があって、そこに居た時に友人から携帯に電話があった、なんて事も一緒に思い出します。景色を見ると、その時の別の記憶が蘇ってきたりして、それがまた楽しい事だという事も感じさせられるものです。

この写真に「たばこ」とありますが、当時はまだ300円もしなかったのではなかったでしょうか?それが今や400円超な訳ですから、時代は確かに移り変わったな、という事をまざまざと感じさせられます。

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2013年10月13日 (日)

高知/四万十 最後の清流に架かる赤い橋!

高知県四万十市、土佐くろしお鉄道/中村駅からの歩き旅です。

四万十市といえば、今夏最高気温41℃という日本観測史上最高の気温を記録したことで一躍有名になりましたね。

(2006年10月当時)

中村第一ホテル

中村駅前にある、この当時泊まったホテルです。

今からちょうど7年も前になりますが、この町で駅至近にビジネスホテルがあるというのは貴重でした。

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駅からの風景

中村駅の駅前広場より。

右端が先ほどの中村第一ホテル、実に近いことが分かります。

でもって、駅前の風景は割とのんびりした感じでした。

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市街地

中村駅から市街地へと出ました。

交差する先は国道56号、右は宿毛、左は高知と四万十「町」です。

四万十市と四万十町というのが共存するのでややこしいですが、四万十市は、かつての中村市を含む都市で、四万十は窪川が代表的な地区として存在します。

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太平寺

道中で見かけたお寺、臨済宗妙心寺派 太平寺とありました。

臨済宗にも派はあるんですね。浄土真宗のように。

10以上ある臨済宗の宗派のうち、この妙心寺派は末寺3400余りを有する臨済宗最大の宗派なのだそうです。

創建は南北朝期の文和年間(1352-55年)といわれる歴史あるお寺です。明治初期には廃仏毀釈で廃寺になったものの1879年に再興した、とあります。

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この年は戌年でした、何の関係もありませんが、たまたま目に留まって、撮りたくなって撮ったものです。どこでどんなシチュエーションで撮ったか、7年も経った今思い出しかけもしません…でもかわいいです。毛がモッコモコで。

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国道439号

高知で「与作」といえば、この国道439号の事だと言うとか言わないとか。

徳島市からここ四万十市までを結ぶ総延長約350㌔、四国では二番目に長い、重要な国道といえます。国道といえど区間内には道幅の狭い所もあり、色々言われるようですが…。

ちなみに四国一長いのが国道56号(355.3㌔)で、この439号とここ四万十市で交差します。国道としては重要な道路が市内を通っている、という訳ですね。

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東下町稲荷通り

市内の商店街の一角です。

三月には稲荷大祭というまつりもあるそうです。

商店街のサイトはこちら↓

http://higashi344550.net/omise.html

結構遊び心あります。堅苦しくなくて。

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天神橋

Tenjinbashiとオシャレなローマ字で書かれており、四万十市唯一という「アーケードのある」商店街の入り口です。

HPがありました→http://tenjinbashi.web.fc2.com/index.html

こっちは割とスタンダードなタイプのページ?!でした。

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赤鉄橋と最後の清流

ここ四万十市の旅のハイライトだったのは、なんといっても最後の清流・四万十川とその上に架かるこの赤い「四万十川橋」でした。

四万十川の名は元々有名でしたが、今夏最高気温41℃を記録してから、四万十の名は一層有名になりました。その上に架かるこの通称「赤鉄橋」は、全長507mもあり、8連もある傾斜トラスの大規模なもので、「日本の橋100選」にも選ばれているそうです。下のしっかりした橋脚見応えあります。

中村駅からは少し歩かないとこの光景には出会えないのですが、四万十市に来たからには是非とも見てほしいと思う光景です。

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2013年8月17日 (土)

高知/香南 キリンの立つ橋やら

高知県香南(こうなん)市、土佐くろしお鉄道/のいち駅からの歩き旅です。

(2011年4月時点)

マンホール

香南は「こうなん」と読み、同じ読み方で表記の違う「江南」市というのが愛知県にありますが、ここ香南の方は平成の大合併でできた、新しい市です。

ただしこれは香南市のマンホールではなく、前身の野市町(駅名にもなっている)時代のものです。野市町の花のスイセンと、町の鳥のヒバリが描かれています。この鳥の絵ってスポーツチームのマークのように見えました。

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高架下

駅を出て左にあたる部分、振り返るとこのような目線になります。

駅出口から反対側に出ようとすると、この高架下をくぐる事になります。向こうには「洋服の青山」などが見えます。

また、この方向で2~3kmも行けば、隣の南国市に入り「高知龍馬空港」にアクセスできるという空港に至近なロケーションでもあります。西隣の立田駅からだと直線で1kmあまりの至近ですが…

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駅前通り

といっても上の写真と同じ道路ですが、こちらは反対向きで、駅出口側になり、金融機関やら公共施設が散見されます。

龍馬歴史館なんかもこの方向で500mあまりの所にあるんですが、歩いてるうちに見つけられなくなってしまい、別の場所を歩いて時間切れを迎える事に…

この駅の場合は駅からまっすぐ伸びる道路というより、駅舎から少しずれた高架下と交差する形で駅前道路が形成される格好となっています。

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野市図書館

駅前の道路をそのまま直進したところ、距離にして約200mの地点にありますが、西洋風のなかなか素晴らしい建物です。ひさしの部分が特に素晴らしいですね、突き出た三角屋根と、それを支える長い脚の部分と。

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野市郵便局

駅から直進していたのを図書館のところで左折し、そのまま直進し約200mの地点にあったこの野市郵便局。

特定郵便局であったという事で、本局ではないのかもしれませんが、かつての自治体名の郵便局でありながら建屋はかなり小さいです。といっても単なるローカル局よりはやや大きいかな、というところでしょうか、スロープもついて幟も並んでいたりします。ATMは土日とも17時まで取扱いしているそうです。

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木造

の建屋群に出くわしました。

傍には「ふれあい農園」なる看板が。

香南市が「土に親しんでもらいたい」との思いで、市民等に年間10,000円で全40区画を提供しているものだそうです。

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市役所方面へ

駅前を左折していたのですが、元へ戻り、図書館の所も越え(駅から見ると図書館の所で右折)、して上の写真の地点から約10分経っていました。

市役所や市の北庁舎前の橋の所、何かありそう遠いアプローチしてみました。

ユニークそうな橋と、その向こうの山の中腹に塔のようなものが建っていて、これは見なければ!と思ったのでした。

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北庁舎

見た時はこれが香南市役所だと思ってましたが、帰って調べると、市役所と隣接して立ってる北庁舎というものだったようです。この北庁舎、その後解体の方向で進められているとの記事を見かけましたが、解体したのかしないのか調べてもサッパリ分からず、この写真が今から2年半前の姿なのですが、今はどうなってるやら…??

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橋と頌徳碑と塔

2つ上の写真の橋の様子と、その渡った先の頌徳碑(しょうとくひ)です。碑はここが野市町だった時代の初代町長である村上正吉氏の功を讃えてのものだそうです。

階段上って向こうの塔まで見に行きたかったんですが…、あるものが障害となって行けませんでした。後で調べてみてもこの付近の事はあまり載ってないのかよく分かりませんでした。

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岩松橋と烏川

上の写真の橋と平行に、すぐ近くに架かっている橋、岩松橋とその下を流れているのは烏川という川で、橋の欄干の端っこには御覧のようなキリンやフラミンゴの動物が乗っかっていて、これがかなり目を惹きます。欄干部分にも動物たちの顔が埋め込み式に入っています。これは市内の「高知県立のいち動物園」に因んだもののようです。

のいち動物園は、旧・野市町時代の1991年に開園し、2011年には日経新聞の「生態がよく分かる動物園」の国内10位に入ったそうです。

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北庁舎前

最後はこの石碑じゃなくて、手前のがそうだと思いますが「古代寺院の礎石」として札が立てられていました。

札の字が読み取れず、よく分かりませんでした。あとで調べても何故かこの香南市役所周りのものが殆どヒットせず、何なのか分からないものが多数となってしまいました。この頃枚数取るだけ撮ってさっと立ち去ってしまうので、どれが何やら確かめない事も多いんですが、ここまで手掛かりに乏しいとは想像もしませんでした。

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2013年6月15日 (土)

高知/宿毛 宿毛駅から市役所まで

高知県宿毛市、土佐くろしお鉄道/宿毛駅からの歩き旅です。

(2012年1月当時)

宿毛駅前通

宿毛駅前広場から南へ進み、程なく交差する道路です。

交差点を右向いた所で、この先の方向は鉄道路線はなく、宿毛湾など高知の、というより四国の南西端の方へ向かう事となり、ここでは隣の東宿毛駅を目指して、これとは逆(写真でいう手前)方向を歩き進んで行きます。

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宿毛市マンホール

宿毛市の木がクスノキという事で、この花と葉っぱが前面に出たものでしょうか。市の花は寒蘭ということですが、それっぽいものは見受けられませんでした。

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国道56号と交差せん

とするところです。

やはり宿毛駅を南下し左折して直進し、高架線路もくぐり、という地点で、56号に入ると、愛媛県宇和島市へ進むか、反対側は四万十市へ進むか、になります。

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遍路道

宿毛→東宿毛への道中で、国道56号に差し掛かった所に出ていた案内看板です。

宿毛には四国八十八か所の第三十九番札所の延光寺というお寺があり、ここには目洗い井戸という眼病に効くとされる井戸があるといいます。

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小川

歩いていて出くわした小川です。

こんな景色も最近減ったような気がします。なつかしの日本の風景、ですね。

危険防止や景観やらで上から蓋をされ暗渠化することが多くなったように思います。こういう川を見て育った身としては寂しいですが、子どもにとって危険なのも確かなんですよね。

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陽のあたる…

家がありました。窓という窓封鎖してまず廃墟に違いないと思うのですが…

この色褪せっぷりが個人的に惹かれます。こういうのはホントシャッターを構える対象にことごとく入ってしまうのです。

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宿毛市役所

宿毛市役所まできました。

ここはもう隣の東宿毛駅からほぼまっすぐ北という位置で、市役所は宿毛駅よりも東宿毛駅の方が近くにあります。

さてさて、宿毛市の歩き旅第一弾はとりあえずこれにて。あまりこれという名所には出会ってませんが、鉄道のある市としては四国で最後に訪ねた所なので、見るものがあれこれ新鮮でした。

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2013年6月 3日 (月)

高知/安芸 安芸駅前チョットだけ

高知県安芸市、土佐くろしお鉄道/安芸駅から

ほんのちょっとだけ歩いた町の様子です(2006年10月当時)

駅前通り

安芸駅前のロータリーの端から駅前通りを眺めた所です。

ちょうどロータリーの分岐してるところで、この向こうへ続く通りは、車道の脇はブルーの帯でペイントされています。

駅前からいきなり市街地という感じで、並木道が続きますが、高い建物はさほど見受けられませんでした。

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功名が辻にちなみ

大河ドラマ「功名が辻」五藤吉兵衛ゆかりの地・安芸とあります。

この訪問当時、2006年は大河ドラマで「功名が辻」が放送されていました。この時も色んな土地行きましたが、功名が辻に色んな形で因んでたのを思い出します。

で、ここの場合は五藤吉兵衛(1553-83)(五藤為浄)という武将のゆかりの地で墓所があるそうです。山内一豊に仕えていた武将であった為「功名が辻」の名が出たのでしょうか。ご当地高知県なので、何かしらこの名が使われたのかもしれませんが…

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R55 土佐東街道

安芸駅から駅前道を南へ100㍍余りの地点で交差するのが、この国道55号、土佐東街道といわれているこの道路です。交差点を右折して程ないこの地点は「ヤマカ」というホームセンターが左手に見え、その向こうには四国銀行があります。

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安芸市観光案内図

安芸では駅から200~300m歩いて引き返したような格好ですが、最後は安芸駅へ戻ってきた時のものですが、安芸市の案内図です。

ナスの山地なんですね、ここは。

ハウス園芸地帯というのが所々に見られます。

隣の「球場前駅」は阪神タイガースのキャンプでお馴染みの安芸市営球場が目の前に見えます。

安芸市は安芸駅前をチラッと歩いただけで、もっと安芸ならではの場所を訪ね切れていないのですが、いつか機会があればもう少し詳しくめぐりたいものです。

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2012年9月20日 (木)

高知/土佐清水① 金剛福寺 亀と池

高知県土佐清水(とさしみず)市、高知県の、そして四国の西部南端に位置し人口は15,468人(2012.7.1現在)で、高知県では室戸市に次いで2番目に人口の少ない市で、四国で見ても同じく2番目に人口の少ない市ですが、足摺岬の存在がたいへん有名です。
(訪問・2012年4月)

足摺岬バス停

鉄道がないどころか最寄駅からバスで1時間以上かかるという珍しい市ですが、高知県では東の室戸岬(室戸市)と西の足摺岬は双璧といえるでしょう。

鉄道では土佐くろしお鉄道の中村駅までいって、そこからバスで約1時間40分で到着です。
2012年4月末のこの瞬間、四国の全市訪問を達成しました。ここはそんな記念すべき場所で、思い入れのある市です。足摺岬見たさに前々から来たかった訳ですがようやく夢叶いました。

で、こんな石積みのそばにポツンとバス停がありまして、なかなか危うい感じでした。

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金剛福寺 入口

バス停そばの金剛福寺です。

土佐清水で見たものといえば、足摺岬とここだけです。

バスの便数からしても1日数本のみで何ヶ所も寄れないので、岬に絞って他に見れるだけ見ようと思ったら、ここに出くわしました。

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山門

金剛福寺の山門です。

四国八十八か所霊場の三十八番札所と柱に表示がありますが、三十七番札所の岩本寺(四万十町)とは札所間の距離が八十八か所中最長だそうです。

出入口の両サイドには仁王像が立っており、仁王門となっています。

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山門を入る

と、このような景色が…

多角形の御堂がまず目に入りますが、手前のゴツゴツした岩岩も大変印象深いものがありました。

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大師亀

といわれる大きな亀の石像がお出迎えです。

海上で修業をする大師が海亀を呼び、その背に乗って海を渡ったといわれています。

「頭を撫で祈念すべし」ともありました。ビリケンさんの頭版?!みたいな。

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本堂

割に重心低そうなどっしりとした感じの御堂です。

屋根色もダークで全体にシックな雰囲気です。
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池と赤岩

このお寺で他に印象的なものは、右に見える赤い岩や、広い池で、普通のお寺に持っているイメージでこの寺を見ると、色々と違ったものが目に飛び込んできて、それはもう鮮烈な印象を与えてくれます。

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寄進のお願い

平成の大修理の為、敷石の寄進をお願いしたい(1枚1,000円)旨の表示が山門にありました。

寄進すると、金剛福寺と書いた日本手ぬぐいをもらえるそうです。

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お寺と一口に呼んでしまえないぐらいの見どころ満載の「観光地」と行ってもよいと思います。土佐清水に来たら、足摺岬とはセットで訪ねたい場所です。

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