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01北海道

2018年8月22日 (水)

北海道/名寄 1997年のシンデレラ・リバティ

北海道名寄市、JR名寄駅前の様子です。

(1997年4月当時)

●駅前の一角

名寄駅よりほど近い地点の写真です。

といってもここ名寄を訪ねたのは1997年、実に今から21年も前の昔々の様子です。

平成になってまだ10年経っていない、昭和の色も濃く感じられる時期でした。この97年に1度行ったきりの名寄であるので、また行ってみたとしたらここからどの程度変わっているのか?ですね。

左側の建物は「パチンコ名寄センター」とありました。この当時ですら営業していたのかどうか?ですが2001年頃まで営業していたようで、2004年のニュースでは「跡地」となっていたので、建物ごと無くなっていた可能性があります。

今は場外馬券売り場「ハロンズ名寄」としてこの地に存在しているようです。

ちなみに今回記事で載せている写真は各々下に「フォトスキャン by Googleフォト」とありますが、拾い画ではなく昔「写ルンです」で撮った写真をスマホでスキャンしたものです。

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●商店街

車道の両サイドに歩道がついた商店街が続いていました。

両サイドのアーケードの外側まで跨いだゲートがかかっていましたが、骨組みだけになっていました。1997年当時でこの様子でしたが、いつだかまではきっとここにお店の名前が書かれた看板やらで埋まっていたのではないか?と想像します。元々骨組みだった訳ではないと思うのですが…。

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●宿泊ホテル

生まれて初めて北海道へ行った時は、軽い北海道一周的な旅をしていましたが、その2日目に泊まったのがここ名寄であり、その宿泊先がこの「ビジネスホテル リバティ」でした。

名寄駅から歩いて7分くらいの所にありました。

色々調べていましたが、このホテルは今はもうないようで、同じ位置に「二条旅館」として存在しているようです。

全くの飛び込みで予約なしで入ってみましたが空室ありでした。旅館の玄関形式で共通の靴置場にそのまま靴を置いて、宿泊手続きそして部屋へ、という流れでした。

確かお風呂は、普通の家のお風呂みたいなこじんまりとした感じで、1人入ったら鍵をかけて…という形で順番取りで1人ずつ入る共同浴場形式だったと記憶しています。

このホテルの周辺にはなかなか食べに行くところが見つけられず、駅の周りをウロウロと歩いていたら飲み屋街的なエリアを嗅ぎつけて見つけた、そんな感じでした。帰って来たらすっかり夜で12時までとはいきませんでしたが、結構な時間でこのリバティに着いたのでした。

インターネットで検索して、このホテルの名前自体はいくつかは見つかりましたが、こういう形でこの看板のついたホテルの写真はなかなか見つけられずでした。そんな意味でこの写真を載せるのはとても貴重な事ではないかな??と勝手に思いました。

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もう20年以上行っていない名寄ですが、稚内へ上る「宗谷本線」の途中駅で本数も極少で時間もかかるので、次行く機会があるのかどうか正直分かりません。

20年以上も前の姿を今ここで公開するのも悪くないかな、と思って載せてみました。

こうして見ると20世紀ってだけで懐かしく思える、そんな時代になったのだな、、と痛感します。

2018年4月21日 (土)

北海道/恵庭 サッポロビールとカントリーロード

北海道恵庭市、JRサッポロビール庭園駅からの歩き旅です。

(2005年10月当時)

●サッポロビール北海道工場

サッポロビールの北海道工場はここ恵庭にあります。

最寄り駅としては恵庭ではなく、隣駅にあたるズバリそのまま「サッポロビール庭園」駅で、全くの徒歩ですぐにアクセスできます。

ここの駅前は目立った物はこれくらいであとは多少の人家と広がるカントリー風景といった感じで、この辺りはこの記事で伝わるかと思いますが…

「サッポロ」ビールというぐらいなので北海道とは縁が深く、北海道からビールを生産し全国へ流通させていきました。(本社は東京ですが)

1876(明治9)年に 開拓使が麦酒醸造所をつくってから、その歴史は140年におよびます。

この工場は単に生産の工場として稼働しているのみならず、見学用施設としての性格もかなり強いものになっています。これは2005年当時のもので、今から12年以上経ちますが、今もその性格は強く、周囲もそれほど大きくは変わっていないのではないかと(勝手に)思います。

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●外周

右に隠れているのは道路(国道36号)で、左側は工場の塀の部分です。

この楽々乗り越えられる塀がいい感じです(乗り越えようとは思っていませんが…)

周囲を緑の木々が並んで取り囲んでいるのがまた北海道っぽいですね。ちなみに敷地は36万Haあるといいます。

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●工場構内

これだけ「見える化」状態になっています。ウェルカムモード満点というか。

パークゴルフ場あり、レストランあり、ビオトープ園あり、工場より観光公園的な側面が前面に出ていました。

ビオトープとは『自然復元生態園』を意味し、ここでは池にコイやフナが生息し、季節に応じた鳥が飛来し、季節に応じて虫などもやってくる、自然生態を実現させたエリアという事になりましょうか。中に入ってみてみたかったものです(この時、外から眺めていただけでした)

ちなみに見学のツアーは予約のみで2名から、自由見学は行っていないとの事です。この時の自分のように独りでフラッと見に行っても入れないのですね。

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●工場らしさ

サッポロビールの工場写真はこれが最後ですが、ちゃん大きなサイロ?もあって、ビールの生産工場らしい側面も勿論しっかりとあります。

ツアーではできたての生ビールが3杯まで飲めるという事で、これは好きな人にはたまらないですね。

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●ひたすら緑

サッポロビール庭園から離れて、駅から反対方向へ。

こちらはひたすらに緑の風景が続いていて、この時北海道に行った目的のひとつであった「自然が続く風景に行く事」がかなえられた瞬間でした。

というのもこの時が自分にとって2度目の北海道だったのですが、初回の時から基本的に主要都市の駅前ばかりを歩き回っていた為、北海道独特のカントリー風景にあまり触れてきていませんでした。

それでここに来た時も敢えて市の真ん中であろう恵庭駅を飛ばして、隣駅であるこのサッポロビール庭園駅にやって来て、周辺を歩いていたらこんな感じだった、という訳です。いかにも大草原という感じで「北海道に来たんだな」と改めて感じました。

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●モーモー

たまに出くわした建物を見てみれば…

そこには牛が沢山居ました。(見えにくいですが…)

これまた北海道に来たな、と実感させられました。

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●ひたすら道

緑いっぱいの北海道では、そこを通っている道路もまっすぐ一本道で、遥か地平まで続く印象を持っていましたが、ようやくそういった道に出会えたなと感じたのもここでした。

こんなに長くまっすぐな道が続いたら、車を運転してたら自然にスピードが出てしまういうものですね、昔からそれでよく悲しい事故のニュースを聞きますが。

何もない中をただひたすら歩くのも気が疲れてきて、こういう道はやはり自転車やバイクや車、何か乗り物で突っ切っていきたいな、と感じさせられました。

この道路の独り占め感も最高でした。

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●ひたすらカントリー風景

これまたひたすらに続くカントリー風景です。

北海道らしい、日本とは思えない、大自然広がる風景がここにはありました。

言語も文化も分からない海外でこんな所へ行こうとすると様々なリスクも付きまといますが、日本に居ながらにしてこのような風景が味わえるのは北海道ならではであり、折角北海道へ行ったならば、こういう景色は見に行かないと損だと、つくづく思いました。

本当にサッポロビールの工場以外これといってないところかもしれませんが、その何もない中にある大自然の雄大な風景こそがこの地の財産、感じました。そんな旅もイイですよね。

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2017年9月 6日 (水)

北海道/小樽 石原裕次郎記念館よ、永遠に!

北海道小樽市、先月末の8月31日をもって、あの「石原裕次郎記念館」が閉館になったという事で、在りし日の同館の様子をお送りする事で、記念館よ永遠たれ!との想いをのせたい思います。

(2015年5月当時)

●記念館の帆

石原裕次郎記念館の入り口を象徴する存在の大きなひとつであるこのヨットの帆。

1991とあるのは、1991年に開館された事を示しています。

今年閉館したので、開館期間は26年間という事になりますが、この26年はあっという間のように見えて、実は石原裕次郎氏の52年の生涯の実に半分にあたる訳で、相当長きにわたり語り継がれ、そして又、形になって残っていた事を実感させられます。

ちなみに先程「そして又」というフレーズを使いましたが、これは「太陽にほえろ!」の最終回のサブタイトル「そして又、ボスと共に」からとったものです。それまで長期休演していましたが、最後の最後に病身をおして再登場を果たし、7分にもわたる「遺言」ともとれるべきアドリブ(当時はそんなこと知る由もありませんでしたが…)は、ただただ圧巻でした。

この記事の姿は今から2年前の2015年5月当時のものですが、正直やはり往時の勢いには翳りが感じられ、個人的にこの時1997年以来18年ぶりに訪問しましたが、やはり97年の方が全然盛り上がっていた、その感は否めなかったですね。ファンの高齢化、館内の老朽化…致し方なしというところでしょうか。寒冷地での設備の維持・管理は相当苦労し、これ以上は難しいと閉館に踏み切った経緯が先日記されていました。

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●裕次郎記念館 本体

これが裕次郎郎記念館です。またまた個人的な話になりますが、初めてクレジットカードをつくった時に「裕次郎カード」を選んで、この建物の真ん中にあるサイン?は、その時によく目にしたものでした。結局カードの期限が来た時に裕次郎カードも廃止になってしまいましたが…。

この建物は貰い手がなければ解体されるそうです。裕次郎関係の絵や字は無くなるのは仕方ないかもしれませんが、建物の面影ぐらいは残っててほしいなと願ってやみません。団塊ジュニアといわれる我々世代にとっては絶対的な「ボス」であり、それは多分死ぬまで揺らぐことはないと思います。

ちなみにこの時は、JR小樽築港駅から歩いて来ました。徒歩約10分、小樽駅からでも歩いて行こうと思えば行けなくもないですが、2駅離れた築港駅が最寄りです。

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●斜めから

上の写真では正面からで奥行きがあまり感じられませんでしたが、斜めから見ると奥行きが感じられ、より大きな建物に見えます。1俳優でこれほどの記念館を遺せる人物はそうそう居ない訳で、石原裕次郎という人物のスケールの大きさ、周りのサポート力の強さをひしひしと感じます。

思えば「西部警察」の全国縦断ロケなども大病後にも関わらず積極的に敢行され、全国をことごとくイベント会場にしてしまったそのスケール感たるや、圧巻の一言でした。当時、関西にもロケで来て、大阪ででっかいイベントがあって行きたくて仕方なかったのですが、そこはまだ当時中学生になったばかり、とてもじゃないけど行けたものではありませんでした…、そんな想い出も甦ってきました。

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●裕次郎

建物に幕の形でどでかく顔が飾られていました。この姿ももう見られないのですね。40代前半頃でしょうか。今の同年代にこんな貫禄は出せないですね…

しかし、移動記念館という形で計画されているそうで、この北の大地になかなか足を運べないというお客も沢山居たという事で、今度はこちらから出向いて記念館を開くイペントの用意がある、とまき子夫人よりあったそうです。夫人の元気な間に閉めたら?というのが渡哲也氏の進言であったようです。

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●コンテッサ三世と軍団

記念館の外に飾られていたヨットと、ヨットに乗っていた石原軍団のスナップショットです。

ヨットは「コンテッサ三世」という名で1963年に進水し、1963,65,73年にヨットレース出場歴があるといいます。ヨット大好き裕次郎の象徴的なものは入口以外にもあった訳ですね。

そして石原軍団のショット、こういう感じのをある年の正月番組で見た事あります。石原軍団の恒例行事といった感じで、新年早々濃いなぁ…と思いつつ。裸の舘ひろしとか結構定番だったりして、あとバンダナ巻いてたりもして、それを見たビートたけしが「二日酔いの包帯」とか言ってましたが(笑)

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●記念館入口

ここまで引っ張りに引っ張りましたが、いよいよようやく館内入口です。

こんな豪華な素晴らしい施設が無くなっただなんて、改めて寂しい限りと思うしかない状態です。

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●玄関でお出迎え

館内に入ったすぐ先はこんな風に等身大?かわかりませんがほぼそれぐらいのでっかい裕次郎がお出迎えです。

ちなみにこれは西部警察の課長か太陽にほえろ!のボスか、というと後者です。

昔「太陽にほえろ!」は毎年ポスターカレンダーを出していました(長寿番組ゆえ)が、それの1983年版頃のカットだと思います。家で毎年買っていたのでよく覚えています。西部警察の課長は概して服が派手です、ベストの裏地がすごかったりとか。こういうピシッとしたスタイルは「太陽~」での場合が多いです。

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●名車続々

いよいよ館内です!

最初の写真の手前側はRS-TURBOとして西部警察に出てきた車両です。

日産スカイラインのR30型というもので、西部警察は日産自動車がスポンサーとして全面協力し、数々の車を番組に登場させ、また活躍させてきました。このRSは1から3まで3台を有していて、各刑事が番組中で乗り回していたいわば戦闘車両です。RSの中でこの車両は「1」で他の2や3と違って戦闘車利用的な側面の強い車両です。他の車は情報収集や分析面が強い車両、とそれぞれに役割があります。

二枚目の写真はスズキ刀Rというバイクで、舘ひろし演じる鳩村刑事(ハト)が後期に乗り回していたものです。ちなみに彼は西部警察では番組スタート時に巽刑事(タツ)役で出演していたものの、契約の半年(番組自体も当初は半年程度であったとか)が過ぎた時点で、殉職の形で降板していましたが、その1年半後に鳩村刑事としてしれっと甦り、現在に繋がる人気を獲得するに至りました。巽刑事だけの出演であれば、ここまでにはなってなかったかもしれません。ちなみにタツが乗り回していたのがハーレーダビッドソンで、タツとハトって役者は一緒だし舘氏本人も変える工夫はしなかったと語っていますが、タツは髪も長めでヤンキー色の強いワイルド系なのに対してハトは髪もちゃん耳が見える程度に切り揃え、若干大人の余裕めいたものも感じられました。

最後の写真は大門団長が乗るスーパーZ「(フェアレディZ)で、何といっても真横が縦に開くこの「ガルウイング」がインパクト大な車です。右側の裕次郎氏の後ろにあるのはオープンカー「ガゼール」です。西部警察でも割と初期に乗っていた印象が強くて、大病後は車に乗るシーンはかなり減ったような気がします。

でまぁ、石原・渡・舘と西部警察の3大スターが等身大写真で現れているのですが、なぜ舘氏だけが現在の写真なのか??と思わされます。

裕次郎ワールドというば、こように西部警察色がかなり強くなり、「太陽にほえろ!」的な要素はあまりないのですが、これは「西部警察」が石原プロモーション、また石原裕次郎自身が制作者として名を連ねている文字通り石原軍団ドラマなのにたいして、「太陽にほえろ!」での石原裕次郎というのは、東宝が制作している中での1役者に過ぎない、というポジションの絶対的な違いによるものが大きいです。

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●パネル

色んな写真がありました。

真ん中のは遺影としてよく出てくる分ですね。これはどっちかっていうと西部警察での服装という感じがします、派手な色のシャツとかが。

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●出演映画の数々

銀幕の大スターといわれるだけあって、数々の映画に主演してきたその足跡をパネルで楽しむ事ができました。TVスターとしてしか知らない我々世代にとっては、へえ~ものでしたが。

下側の写真は後期のものが多く、影狩りなどは「太陽にほえろ!」で初めてテレビ進出した頃の作品で、1970年代に入って映画産業も斜陽化していくと共に出演作品も減っていく訳ですが、テレビドラマに進出してからは更に映画出演が減り、「太陽~」のスタート翌年である1973年の「反逆の報酬」 (右下の)が最後の主演作となり、映画での主演は38歳が最後となりました、ちなみにこの作品では渡哲也氏とも共演しています。

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●最後の映画

1973年「反逆の報酬」を最後に映画での主演はなくなり、それまで殆どの映画を主演で登場しながら、最後の作品はその3年後、1976年中村雅俊が直後に妻となる五十嵐淳子と共演した「凍河」での友情出演のものでした。ポスターにあるようにここではもう裕次郎の顔すら登場していません。最後の出演作品の割にはかなり認知度が低いようで、Wikipediaにもこの作品は載っていないようです。

この時代は「太陽にほえろ!」のボスとしてお茶の間の大スターの座を不動のものとし、また自社での制作を始めた頃でもあり西部警察の前身ともいうべき「大都会」シリーズを開始させた頃でもあり、完全なTVスターだった訳ですね。

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●西部警察ワールド

ここまでは映画の世界でしたが、ここからはTVの世界、やはりどうしても西部警察に偏りがちですが、撮影に使ったカメラ群にまず圧倒されました。

DVDの立て続けのリリース時に話題になったのも、このドラマの元々の人気の地力的な部分があったものかと思います。

最後は団長である大門の殉職という形で5年間の放送に幕を閉じた西部警察、1984年のことでした、ギリギリ昭和50年代、本当に熱く素晴らしい時代でした。大門殉職はショッキングでしたが、自分が死ぬという形で皆さんに恩返しをしたかった、とは当時の渡氏の弁でした。

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●コンテッサ

最後はこの写真、コンテッサってどっかで聞いた名前…

と思ったら館外の一角にあったヨットですね、そこからとられたと思いますが、館内には飲食施設もありました。

飲みものが中心でしたが、裕次郎パンというのも売っていました。今思えば、これを食べなかった事を後悔しています…

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これは2015年の姿でしたが、偶然とはいえ閉館2年前に再訪する事ができて本当に良かった思いました。観光記というよりはヲタクが熱を語っていただけのようでしたが…

これからは移動記念館として活動予定があるとの事ですが、こういう固定の記念館として26年間もの長きにわたりの御活躍、本当にお疲れさまでした!

石原裕次郎記念館よ、永遠(とわ)に!

2017年7月 8日 (土)

北海道/北広島 ここは北のヒロシマ!

北海道北広島市、JR北広島駅からの歩き旅です。

(2013年4月当時)

●マンホール

北広島市のマンホールです。

「とんぼ」?かと思いましたが、妖精が向かい合っているのだそうです。

北広島駅に「エルフィンパーク」というのがあると駅記事に書きましたが、そこでも小妖精を意味する言葉が入っており、北広島が「妖精と出会える街」を標榜している事もあって、マンホールにもこれが反映された格好となっています。

特に妖精にまつわる歴史があったようではなく、自然豊かな地形からキャッチフレーズとして打ち出されたようです。

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●石造りのお店

北広島駅より程ない地点に、このような石造りのお店がありました。

「南インドスープカレー 天竺」というお店で、HPもありますが、1997年に札幌市の清田という所でオープンし、ここ北広島にもお店がある(この2店のみの模様)という格好です。

こうして数年前の写真に載っているお店を調べてみたら既に廃業しているという事も少なからずですが、ここのようにHPも残って食べログにもちゃんと残っていたりすることもあって、そういう変化の有無を確認するのも個人的な楽しみの一つでもあります。「前に行ったあの店、今どうなってるかな?」というの、ありますよね

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●北広島商工会

商工会議所です。

市役所と比べて意外とインパクトのある建物が多い、と個人的に思っているのがこの商工会議所で、やはり建替機会が少ない(であろう)のもあって、渋い建物である事が多いと思います。コンクリート色そのままの色の物とか。しかし、この建屋も手前部分の屋根の具合といい、いい感じに渋いなと感じました。

商工会のHPを見ると、日本ハムの本拠地移転構想に乗っかって、誘致活動を盛んに行なっているようです。札幌ドームから移転しようという構想があるんですね、それに驚きました。

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●カトリック北広島教会

レンガ造りで横長の素晴らしい教会です。

前の記事で万田坑の事を書きましたが、その事もあってかすっかりレンガ造りの建物に目が慣れてしまいました(笑)

バックには高層マンションがいくつも並んでいました。

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●天使幼稚園

「広島天使幼稚園」というインパクト絶大な名前の幼稚園がありました。そのまま「てんしようちえん」と読みます。看板は「広島」「天使」「幼稚園」とそれぞれ色違いで表現されていて、より目立つというものでした。

と、書きましたが、カトリックの幼稚園として多く使われている名前であると分かりました。本園もカトリック幼稚園連盟500校余りに属しているといいます。

駅記事でも書きましたが、広島県人が集団移住したきたという経緯があり、北広島市という名前になっていますが、地元では単に「広島」という表現が使用されている事も少なからずのようです。「きたひろ」とか「ひろしま」とかの表現をあちこちで見かけました。

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ヒロシマの願い

街を歩いていて行き着いた「開拓記念公園」です。北広島駅より北東方面に徒歩約15分という事で、北広島市役所の向かいとなります。

そこで見たものは、広島市との交流であり、また広島から「被爆石」が寄贈されており、これをここに設置していました。あの悲惨な戦争を再び起こさせないように、そんな願いが強く込められている事が伝わってきました。

「北広島市市制記念」として、ここに平成8年9月1日と刻まれていますが、この時に市制化されており、時期的にはかなり珍しいのではないかと思います。平成の大合併よりかなり前ですが、個人的にはもっと昔から市制化されていたのかと思っていたので意外でした。

ちなみに広島市との姉妹都市提携は結ばれておらず、実は広島市と1980年に提携が結ばれています。広島からの開拓移民の中に現在の東広島市域の方も含まれているとの事です。

提携のもと、昨年はここ北広島の小中学生14人が東広島市へ「子ども大使」という事で訪問したというニュースがありました。姉妹都市提携のイベントってあるものなんですね。

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●開拓記念公園

1984(昭和59)年に開基100周年を記念して造られた公園です。

上の写真はその一角の様子でしたが、この下の写真は結構メインというか、開拓記念公園で検索してよく出てくるカットです。

やはりなんといってもこのタイル状の通路はインパクトがあります。階段上の真ん中にあるオブジェは「飛躍」を表わしたものだそうです。

面積としては7,271㎡という事で、大体80m×90m程度ですね。

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●きたひろしまの歴史

かなりひびが入ってしまっていますが説明板がありました。

ここでの歴史年表は1889年の道路開通から始まっていますが、1884年に広島市の段原地区から和田郁次郎(1847-1928)ら25戸が移住し、開拓した事に始まります。段原といえば広島では路面電車の駅名として存在し、またこの姓の方も居られるということで、広島市を象徴する名前といっても過言ではありません。

開拓は容易ではなく、温暖な瀬戸内地方から来た移住者には北海道の寒さは厳しく、凶作に見舞われた事もあり、しばらくは移住をシャットアウトして開墾に務め約10年の時を経て軌道に乗ったようで、ここを「広島村」として初めて、広島の名が自治体として誕生しました。

その村が1968年に「町」になり、1996年には現在の「北広島」市となっており、年表にはここまでが記されています。

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●元町通り

公園を抜けて街へ出てきました。

「3-4-216元町通」とあり、バス停は「中央1丁目」とあります。

通りにこのような数字があるのがいかにも北海道ですね。この数字が表わすものとして昔どこかで見た記憶があるのですが、今ググってもなかなか出てきませんし、まずこういった形の標識自体が面白いほどヒットしません。標識とか通りの番号とかで検索しても何も出てこず、別な言葉で検索した方が良いのか、、とにかくサッパリ分かりません。

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●ショッピングつむら

細々と営業している感のスーパーですが、ブログをやっていたりもします。

タイトルには38年間営業しているとありますが、どこを起点にしているのか?とにかく今まで40年くらい営業し続けている老舗スーパーですね。味付けジンギスカンが名物的存在で、羊を一頭丸ごと買いして、特性のタレに漬けこんだものだそうです。スーパーとしては異色ですね、しかも地方スーパーとしては。

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●北広島東記念館

会議室や集会室、和室など借りる事の出来る施設のようです。

調べてもなかなか出てこず得体の知れない感じでしたが…、入口のゲートの辺りが昭和感の濃い感じでした。

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●北広島市中央公民館

東記念館のすぐ傍にある東広島市の中央公民館で、かなり立派な建物でした。

1974年築という事ですが、この(2013年の)直後の2015年5月にリニューアルオープンしたという記事がありました。

さまざまなサークル活動が行われていたり、ダンスパーティーがあったりなどというのも見かけました。

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●Joshinと空きビル

右の空きビルは名前の部分が欠落していますが、「ハマダビル」と思われます。フジカラーのお店は今はなく、右半分は既にこの時全く何も入っていないであろう状態でした。かつては動物病院などが入っていたようでした。

左のJoshinだけが残っている?と思いきや、この訪問の2年半後になる2015年11月に閉店を迎えたそうです。おそらくここに写っているものすべてが今や稼働していないと思われます。

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●廣島神社

最後になりますが、廣島神社です。

先述の和田郁次郎らが広島からの移住途中に伊勢に参詣し開墾の成功を祈り、移住後に彼らの守護神的な役目を担って奉斎されたとあります。3度の改修歴があり、現在の建物は1980年12月の造営との事です。廣島という名前ではあるものの、北海道らしい重厚な屋根はここだけ色が濃いのでよく目立ちます。重くのしかかってる感がすごいです。

下側の写真の「開村記念碑」は、広島村開村25周年を記念して1908年に建てられたもので、この看板はその100周年にあたる1984年に当時の広島町として記されています。開拓記念公園のできた年と同じですが、ここにとって記念すべき年であった訳ですね。

北広島は広島からの移民の力で今日を築き、それがまた自治体名にもなった訳ですが、和歌山から千葉に来て、自治体名まで持ってきた例になんか似ています。北海道にあるけど広島の心もここにはあるのかな、という事を感じさせられました。

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2016年3月31日 (木)

JR旭川駅 (北海道旭川市)

北海道旭川市のJR旭川(あさひかわ)です

 

旭川市は、北海道の中央部のやや北に位置し、人口は345,300人(2015.12.31現在)で、北海道道北地方の中心的都市で、人口では札幌市に次いで第2位の規模を誇る街です。

 

旭山動物園は日本最北の動物園であり、全国有数の動物園とされています。

 

-JR旭川駅-
【路線】
JR函館本線(函館-旭川間)
      宗谷本線(旭川-稚内間)
      富良野線(富良野-旭川間)

【開業】1898年7月16日
【訪問】初訪問-1997年4
【1日あたり平均乗車人員】 4,518人/日 (2013年) 
【近隣の主要駅 (函館方面) 深川駅→4駅 
           (稚内方面) 士別
→14駅
           (富良野方面) 美瑛駅→9駅


●駅名標

 

ここへの初訪問は1997年4月ともう20年近く前、北海道へ初めて行った時の事となりますが、その後も何度か訪ねています。2010年、13年、15年…といった具合に。

 

記事の写真としては、直近の2015年5月訪問時のものを中心にお届けしたいと思います。

 

JRの函館本線、宗谷本線、富良野線という3つもの路線に属し、更には石北本線も乗り入れしているという北海道きっての交通の要衝となっています。

 

また日本最北端の有人高架駅でもあります。

 

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●5-6番線

 

4つもの路線が乗り入れるだけあって、ホームは実に4面7線もあります。他の私鉄等の乗入れがなく、JRだけでこれだけあるのも地方ではなかなか珍しいかと思います。

 

この番線は日本最北端の稚内へ至る宗谷本線と、所属しないながら乗り入れする石北区本線のホームとなっています。

 

ホームの天井は最近の新幹線駅によくあるような、多数の骨組が織りなされた状態になっています。

 

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●ホームに電車

 

酷寒地仕様のキハ54の501と思われますが、旭川から出る宗谷本線の列車です。

 

アルミ製っぽく四国でよく走ってそうな見た目の車体、と思ったりしましたが、これでも酷寒地仕様なんですね。

 

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●多数の骨組み

 

この天井は実に見事なもので、どれだけの骨組みで構成されたら、こんな見事な状態になるのか?考えさせられます。

 

九州新幹線の駅ホームで、こういう形のものをよく見かけたので、どうしてもそれらのイメージと重なります。なので、北海道にはまだ函館(というより北斗市)までしか新幹線が走っていませんが、まるで新幹線駅のような雰囲気をじゅうぶんに醸し出しています。

 

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●エスカレータから

 

ここからみた天井は、先ほどの骨組みだらけのものとは全く違いますが、そもそもここは別のガラス張りの小部屋で覆われている状態につき、他の地方でいう島式ホーム上の待合室のような状態になっています。

 

北海道の駅ではよく見られる光景で、駅ホームの上にガラス張りの建屋があって、そこからこのようなエスカレータや階段になっているという構造です。

 

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●駅スタンプ

 

大雪山ってこの辺りなんですね。北海道の山という事は知っていましたが、どの辺りかということにこれまで興味関心が湧きませんでした。

 

「函館本線」と冠しているのは、複数路線ある場合は、代表的な路線を出すようにしているのでしょうか。

 

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●顔抜き看板

 

駅員さんの顔抜き看板がありました。

 

面白いのはバックの電車に動物たちが乗っている事で、旭山動物園のイメージはそこかしこに表現されていました。

 

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●ようこそ旭川へ

 

旭山動物園が前面に出たコーナーです。

 

「ペンギンと一緒に写そう」という事で、やはり顔抜き看板があって、その横には上向き下向きのアザラシがいました(笑)

 

下側はシロクマですが、これもまたまた顔抜き看板でした。そしてその前には、熊やアザラシが愛くるしい姿で置かれていました。

 

とにかく目で見ただけで楽しめるエリアでした。

 

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●駅前広場

 

手前が駅で向こうが駅前の通りになりますが、空の様子と相まって不思議な絵のような写真に見えます。歩行者エリアの広い広場でもありました。

 

北海道第2の都市の中心駅前らしく、大きな建物がどの面にも並んでいました。

 

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●駅前通り

 

上の写真を進んで行った所です。

 

高い建物がずーっと続いていく、さすがは旭川の駅前、という感じでした。

 

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●旭川駅 駅舎

 

2010年10月に一時開業した四代目の最新駅舎です。

 

偶々ですが、その前夜にここに泊まりでやって来て、翌朝すぐに帰ることにはなったものの、記念すべき日に立ち寄れたのは良かったです。ちなみにこの駅舎が全面開業したのは、その翌年の11月という事で、ここまで1年と1ヶ月を要しています。

 

 

 

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●旭川駅2010

 

これがその新駅舎一時開業期のものです。駅舎としてはまだ先代が使われ、駅名部分が立体的な三角錐になっていました。

 

窓の部分に横断幕的なものがあったのも、ひと世代前という感じがします。こういうの好きなんですが、なぜに無くなってしまうのでしょうか…?やはり次々に情報が目まぐるしく入れ替わってしまうからなのか…

 

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●旭川駅1997

 

更に昔の駅舎の様子で、初訪問した1997年4月当時のものです。

 

故・高倉健さんのでっかい看板が駅舎の上に!

 

なので個人的に旭川駅と高倉健が非常に強く結びついています(笑)

 

北海道第2の都市で、周りの建物は高いのですが、この駅舎自体の高さが意外に低くて、これが逆に驚きでもありました。

 

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●旭川駅78

更に更にこれは拾い画ですが、某TVドラマのロケに登場していた1978年当時の旭川駅の姿です。

国鉄時代の写真は貴重ですね。

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2015年12月26日 (土)

北海道/登別 バブルの賜物?

北海道登別市、JR登別駅からの歩き旅です。

(2013年4月当時)

●駅前通り

登別駅前の通りを駅前広場から。

まんなかの玉ねぎみたいな建造物はインパクトがありました。

それより駅出入口の熊とか、この手前にあるか金棒を持った鬼の方が何倍もインパクトがある訳ですが…

駅前広場ロータリーのど真ん中で、ここでくつろぐ人が居るのかどうか分かりませんが、木のベンチがいくつか置いてありました。

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●周辺地図

登別駅周辺の地図です。

肝心の駅周辺が光の反射で見えていないでもご心配なく、というところで、駅の右下(方角にして北東)の「登別マリンパークニクス」がまずはおススメです。

アシカショープールやイルカショープール、ペンギン館など動物関係や、観覧車があったり、デンマークの古城風の壮観な建物があったりなど数々の見どころがあります。これがまた郊外ではなく、登別の駅前にあるところがポイントだと思います。

この訪問時は、この存在に気づかなかった為、まずは街歩きをしていました。

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●駅前通り

という事で、まずは駅からまっすぐ伸びた道路を往きます。

低層の建物が続く通りで、見晴らし良しです(笑)

これといったお店に乏しく、風景を楽しむ事としました

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●のぼりべつマンホール

分かりにくいですが、下の方で小が2匹?(鬼はどう数えるのか…)、温泉に浸かっているようです。真ん中を横切る橋は新登別大橋といわれ、脇には市の花つつじがあてがわれています。

登別駅前の強烈なインパクトを放っていた鬼といい、この登別は何か鬼にまつわる伝説でもあるのと思いますが、どうやらそうではないようです。

その起源が昭和39年、東京オリンピックの開催された年ですが、当時の若者たちが観光客を呼び込むために、登別温泉の象徴的存在の「地獄谷」から連想される鬼を主役にした「地獄まつり」を発案した事によるそうです。昭和の発案だとは思いもしませんでした…。

新登別大橋は、実に24億円をかけて1986年に完成した長さ約240mの橋で、その赤い色と下の曲線アーチがとても美しい橋です(実際に見たかったですが…)

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●駅前通りを進む

登別駅から約200m程のところ、左側には「スーパー」と冠された建物がありますが、かなり錆び錆びの様子でした。

過去の遺産かと思いきや、このスーパーニチエーさん、全くの現役のスーパーだそうです。維持管理面に関しては敢えてこのようにしているのか?分かりませんが、旅行者として道行く者としては足を止めずにはいられない建物でした。

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●登別駅前郵便局

駅前郵便局、とついたものの中では豪華な部類に属すると思います。

というのも、これと別に「登別郵便局」という本局が存在しますが、登別駅から2駅離れた「幌別」駅の前にあるそうです。

実質、登別駅周辺では、この駅前郵便局が本局的な役割を果たすという事でしょうか。

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●交差点

駅前通りから交差点まで来たところですが、「登別伊達時代村」なる案内看板がありました。

日光江戸村の系列として1992年に華々しくオープンし、CMにはこの看板の絵のイメージにピッタリな俳優の千葉真一氏を起用したといいます。

初年度は70万人の入場者数を記録し、活況を呈したといいますが、それから12年後の2004年にはこの1割強にまで落ち込み、運営会社も撤退し、別の会社が運営して存続している模様です。

伊勢戦国時代村など、ここと同様の江戸時代疑似体験的なテーマパークが90年代に流行りましたが、これも流行り廃りものだったのか。しかし昔の体験を現在できる、というのは伝統継承でもあると思うので、存続はしていてほしいものです。

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●「登別」バス停

「登別」というあいまいな名称のバス停で、駅の真ん前にある訳でもありません。地方にはこういうケースは時々ありますね。

時刻表を見ると、苫小牧経由苫小牧市立病院行きとあり、日中のみ5便だけの運行のようでした。

北海道のバス停らしく、しっかりした小屋型の待合室がありました。こういうのがあるとつい入りたくなるのは日頃こういう光景を目にしないからでしょうか。

木枠の桟が懐かしいと思って見ていましたが、この小屋がいつ建てられたのかな?とか考えてしまいます。そんな資料などあろうはずもなくサッパリ分かりませんが。

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●マリンバークニクスへ!

駅から街並みをひと通り眺めた後、再び登別駅方面へも戻って、この「登別マリンパークニクス」に入りました。

駅方面に戻るまでこの存在を知らず、たまたま出発まで時間があったので、他にどんな風景に出会えるのかと思って寄ってみたのですが、これがナント嬉しい誤算でした。こんな素晴らしいテーマパーク?があるのかと。

ここは1990年にオープンし、なんでも「北海道最大の水族館」を実現する為に、登別市が中心になって第三セクター会社を設立し、73億円をかけてつくったそうです。

しかしここも先述の登別伊達時代村同様に、というか、開業2年までは年間60万人の入場者数を記録しながら、翌年は40万人にまで落ち込み赤字転落、参画していた企業も撤退し、登別市が丸抱えという憂き目にあいました。

現在は民間企業により運営されており、その企業努力により赤字幅も縮小していっている、との事です。

バブル経済とその後の崩壊と…いろんな所でそれが分かる風景を目にしましたが、その後放置になるか、立て直すか、これもまた各地各様ですね。せっかくの施設を無駄にしないように努力している所もあるんだな、とも感じさせられます。

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●ニクス城

マリンパークニクスの本体ともいうべき「ニクス城」です。

この中が水族館という訳ですね。登別の街並みだけを見ていた時は出くわす事のなかった、このような建物に出会えた自体が貴重でした。

ただ入場料が2,450円と結構割高で、ちょっと入ろうとは思えず(最初から入るつもりはなかったのですが…)、この価格で何十万人も入場していた開業当初は相当儲かっていたのかな?などと考えてしまいます。

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●入場口

この建屋から入っていき、チケット売り場が右手に見える部分にあります。

中へは入っていませんが、相当色んな生き物が見られるようです。

イルカやアシカのショーやペンギンのパレードなど、アトラクションの関係が多いせいか高い入場料となっていて、飽きられるとこの部分がネックになってくると思うので、プログラムの更新や趣向を凝らした運営が必要になってくるのでしょうね。

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●観覧車

敷地内には観覧車もあり、これまた花を添えているという感じです。

単なる水族館のみならず、このように観覧車があると、施設全体のスケールが大きく見えて、外からの印象もガラリと違ってきます。

北欧風建屋に観覧車のある水族館、登別市は相当意気込んでこの施設をつくったのだろうな、という当時の気迫というか情熱みたいなものを感じました。

単にきれいな風景として見るのもよし、色々背景や歴史を考えながら見るのもまたよしで、旅の楽しさや深さをまた感じさせられました。

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2015年9月12日 (土)

北海道/士別 西1条8丁目碁盤の上ニテ

北海道士別市、JR士別駅からの歩き旅です。

(2015年5月当時)

●合宿の里

「合歓(ねむ)の里」と見間違えてしまいましたが、まぎれもなく「合宿の里」でした。なんでも「スポーツ合宿の里」を目指しているそうです。合宿の受け入れ体制を強化し、地域経済の活性化を狙っているのだそうで。

市の中心駅の駅前でありながら、真っ平な土地にポツンと低い建物が点在して青空が広がる…いかにも北海道らしい光景というのを感じずにはいられませんでした。

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●士別中心街マップ

士別駅を中心とした士別市中心部周辺の地図です。

駅前のごく一部だけのような感じですが、碁盤の目の形で街が形成されています。あまりいろんなものが書かれておらず、駅前といえば穏やかな街まわりなのかな、と。

右側の「インフォメーション」欄の真ん中の方には宿泊施設が並べられていますが、結構数があります。

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●駅前通り

まっすぐの道がずーっと繋がっていて、いかにも北海道らしい光景でした。

高い建物も見受けられず、青空がとことん綺麗で、カントリーな雰囲気でした(笑)

これが士別駅の駅前通りです。街灯も駅前らしいちょっと変わったタイプのものが使われていて、違う高さに2灯ついてる形のものでした。

青々とした空に黄色い建物って実に映えるのですね、キカイダージローのスタイルが実に映える配色であるのと同じように(笑)

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●士別駅前バス停

駅前バス停といっても駅前広場にあるのではなく、駅前通りに入って程ない辺り、つまり駅から少し歩いた辺りにあります。

こちらは道北バスというバス会社で名寄方面として、名寄駅前まで急行と普通で交互に1時間に1本程度運行されています。名寄へは宗谷本線で電車でも行けます。

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●西1条8丁目

と信号にありました。

駅前の地図に碁盤の目のような街…と書きましたが、近隣の都市である名寄市同様に〇条〇丁目なる区画づけがされています。北海道には特に多いのですが、近代での開拓による要素が強いからでしょうか。

バス停も有りましたが、このバスは士別軌道とありましたか、ナント30分に1本も出ていて、人口2万程度で観光客で賑わう街とは言い難い所でのこの本数は破格ではないかと思いました。「外回り循環」という事で7:30~18:00まで、最終便が早いですが、コンスタントに出ています。

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●士別市マンホール

駅記事からでもそうでしたが、あくまでもさフォーランドにこだわり通すこの姿勢は立派なものです。しかし市の木や花を散りばめたものに比べればご当地感が強く、また目を惹くデザインにつき、そこは非常に良いと思います。こうして旅して、いかにもご当地ならではのもの、に出会えた感が強く残りました。

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●歩道と郵便局

士別市の本局である士別郵便局と、その前の歩道は川が流れているような曲線が延々と続いていました。

士別郵便局の建物はなかなか立派な印象でした。この角度でよりそう見えているのかもですが…(^^

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●道路標識

にも「サフォークランド士別」が出ていました。

これでもか、というぐらいで「刷り込み」の域ですね(笑)

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●8丁目

先に挙げたバス停は西1条8丁目というバス停名でしたが、こちらは単に8丁目です。

西1条~の交差点(この写真の向こうに見えている交差点)を左折して程ない地点で、まっすぐには続いていない状態です。上の写真のサフォークランドの標識のほぼ真下にあたります。

時刻表の部分が抜けてしまっているので、先のバス停と繋がっているのかどうかもよく分かりませんでした。さりげない広告がバス停に出ているのがなんとも微笑ましかったです。

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●瑞祥山 玉運寺

最後はこのお寺の様子です。

士別駅から徒歩で7,8分、西1条8丁目バス停から2分とありますが、曹洞宗の立派なお寺がありました。北海道で神社やお寺を見るのはレアな感じがします。とくにこういう本州にありそうなスタイルのものは。

仁王さんも豪快にお出迎えしてくれてます。つづじ?でしょうか、お花も見事に咲き誇っていました。

立派な山門がありますが、横から見ると木造感に満ち溢れていて、これもまた見事でした。

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2015年7月18日 (土)

北海道/北斗 薄暮の上磯 街歩き

北海道北斗市、JR上磯駅からの駅前の様子です。

(2015年2月当時)

●マンホール

現在の自治体である北斗市のものではなく、当地の旧自治体であった「上磯町」のマンホールです。

真ん中部分に縦書きで「かみいそ奴(やっこ)なる表記が見られます。北斗市指定文化財である「上磯奴」で、江戸時代の参勤交代による大名行列が原型であるとされています。

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●上磯駅前通り

上磯駅からまっすぐ伸びる通りですが、中層の建屋が多少並んでいる程度で、あとは駅前通りらしい街灯が立ち並んでいますが、距離はそれほど長くなく、突き当りは海になります。

2月の訪問であった為、両サイドは雪が積もったままでした。

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●仕切弁

「北斗市」とあったので撮ったようなものです。

この地はあまり寄る時間がなく、夜には札幌のホテルに泊まる事になっていたので、その日のうちに着く為には、ここには30分ほどしか居られない、という状態でした。

そんな訳で、とても「北斗市らしいもの」に出会えそうにないかと思い、とりあえずその表記のあるものを記録に残そうという安直な発想が、この写真を撮らせたのでした(笑)

ちなみに仕切弁は道路に埋設されている配水管が漏れたりした場合などに、他のルートを通って水が行き届くように仕切るもの、という事です。

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●駅前通り・途中

短い駅前通りの途中です。

突き当りで、シーサイドロードと交差する訳ですが、右折すると松前・木古内方面へ、左折すると函館方面へと至ります。

街灯が内側へ向かって曲線的に入り込んでいく、面白い形のものとなっています。

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●駅前通り・ドン突き

通りの突き当りまで来ました。

T字路になっていて、向こうは海です。

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●北斗郵便局

駅前通りの突き当りの角にある北斗市の中心的な郵便局です。

旧・上磯町であったので、上磯郵便局というのかと思っていましたが、現在の市名である「北斗」郵便局なのですね。

改称されたのか?と思って調べてみたら、2006年に北斗市の発足に伴って「上磯郵便局」から改称されていました。市制施行によって市名に合わせて中心局を改称する、というのはあまり聞いた事がなかったのですが、ここはやっていたんですね…、たしかに「北斗」郵便局って名前はカッコいいですが…。

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●シーサイドロード

駅前通りを右折して割にすぐの所です。

バス停は「上磯駅前通」となっていました。この傍にはコンビニがあって、ここで航空チケットの支払いをしました。この翌々日に乗る飛行機分の支払いをしないと…というところで、この時の旅程からなかなかコンビニ払いをする機会がなかったので、ここに30分しか居られない中で場所を特定して手続するのに焦った、という別に旅と何の関係もない妙な思い出があります。

薄暮の時間帯に黒っぽい雲が流れていて妖しげな雰囲気を醸し出していました。

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●海

ここは函館湾となります。

向こうに見えるのは函館山と、右側の橋のようなものはセメント工場のベルトコンベアです。上磯駅徒歩圏域では屈指の絶景かもしれません。

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●北斗市商工会

先程のシーサイドロードからやや内陸部(上磯駅寄り)に入っていっての通りですが、この建屋を見た時は最初、結婚式場かと思いました

入口部分には「北斗市商工会 エイド'03 北斗市商業活性化交流センター」とありました。

「新幹線開業」の看板も立てられていました。北斗市には来年2016年3月に新幹線駅として「新函館北斗駅」が開業する予定ですが、場所はこの辺りではなく、現在の渡島大野(おしま・おおの)駅が改称して開業する予定だそうです。

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●ようこそ駅前商店街へ

という事で、駅前商店街です。

ここには別の幟がありましたが、やはり新幹線駅開業をアピールするものでした。

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●商店群

上の写真と同じエリアで、棟続きになっていた複合商業施設的なものがありました。

派手な所はあんまりなかったですが、地道に商店街を形成している、そんなイメージの上磯駅前の商店街でした。

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2015年6月22日 (月)

北海道/紋別 夜のもんべつ・はまなす通り

北海道紋別市、北海道の北東部に位置し人口は23,550人(201.3.31現在)で、オホーツク紋別空港という空港を有し、またオホーツクの流氷の美しい街としても知られています。

個人的には北海道で最後に訪ねた市で、この5月23~24日に滞在しましたので、今回はこの時の様子をお届けいたします。

●バスチケット

この日(2015/5/23)は北海道の未訪残り2市を訪ねる旅、という事で、当日早朝に関西の地元を出て神戸→新千歳へと飛び、快速エアポート等で旭川まで。そこからまず未訪だった士別市を訪ね、再び旭川へ引き返してきて、旭川駅前の北紋バスの乗り場にてこの高速バス乗車券を購入しました。

18:30に旭川発という事で、¥3,190にて購入しましたが、ここから約3時間の道中となり、現地着は21:30か…と思いつつバスに乗り込みました。周りには都市が殆どないような地域なので必然的に当地で泊りという事になり、そのホテルもこの日の14時頃に取りました。

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●歓迎のマット

旭川から3時間、結構冷房の効いたバスで半ば震えながら、ようやくこの紋別バスセンターに着きました。これをもって北海道全35市完全訪問となった、その瞬間でもありました。

駅からバスで3時間もかけて行く地だけあって、以前からどうやって訪問しようかずっと考えていましたが、士別と抱き合わせで行けそうだと分かり、この機会を逃す手はないと思い、普通の土日ながら決行しました。

ここ単体で訪ねるならば、羽田空港経由で行けば割に早く着きますが、相当な高額になる上に、飛行機では羽田との便が1往復あるのみで、万一の事がある時に非常にリスキーでもあり、結局士別と同日に行けて安上がりで済んだし、効率よく何よりでした。1ヵ所ごとに濃密に旅できるに越した事はないのですが…。

ともあれ、ここに着いた事で日本全国の未訪市はわずか「2」となり、残すは鹿児島県西之表市(種子島)と沖縄県宮古島市(宮古島)のみとなりました。これらを行けば、日本全市訪問の夢がようやく叶います。焦らずに行ける時に行くスタイルで。

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●紋別バスセンター構内

既に夜10時近くという事もあり、バスセンターの窓口(左側)はこのようにシャッターがおりていました。翌朝の出発時の乗車券はここで買う事となります。

鉄道のない紋別はここが交通の要衝となり、観光案内なども併設されている訳ですね。

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●運行時刻表

紋別バスセンターの時刻表です。

オホーツク紋別空港の便が羽田との1往復しかないのに比べると活況といいますか、正直思っていたより便があるなと感じました。鉄道駅から遠く離れた人口2万台の市にどれほどのバス便があるのか、と思い、そこは事前にだいぶ調べました。

左からのりぱ1番・2番・3番とありますが、2番が長距離で、札幌行や旭川行があります。

旭川行は3便しかなく、札幌行は6便ありました。紋別空港行きは1便のみ。これは羽田行の航空便が1本しかない為の必然ですね。

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●紋別マップ

海がすぐ近くにある、紋別の中心街。

街に海に観光にはうってつけの場所で、この辺をひと通り歩いて巡るだけで立派な紋別の旅になりました。流氷が見れるのがベストかもしれませんが、それを差し引いても良い旅になったと実感はしています。

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●紋別バスターミナル

バスターミナルの建屋です。

夜ながらしっかり建屋が写りました。

こんな立派なターミナルだとは訪問前には思っていなかったので、嬉しい誤算でした。

ちなみにバスの乗降口は建屋左端となります。

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●広場

ターミナル前の広場スペースですが、こうして見えるだけでもタクシーが4台は停まっていました。これまた意外というか、もっと寂れた雰囲気を想像していましたが、意外に賑やかでした。といっても活気で盛り上がっていた訳ではありませんが…。

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●はまなす通りのスタート

紋別のターミナルの広場を過ぎて、坂を下りて行くうちに右を向けば、こんな通りに出くわしました。

「はまなす通り」、おそらく市内で最も賑わう場所。

商店街のゲートにネオンがついていて夜もピッカピカに光り、この先が意外なほどに明るく賑わっていて本当にびっくりしました。交通の至って不便なこの市にこんなに賑わう場所があるなんて、と。時に22時を回っている状態でまさかの…でした。

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●2番街へ

1番街から入り、真ん中の2番街へ、バスターミナルからは遠ざかる方向です。

ネオンチカチカの歓楽街といった雰囲気の色濃い所で、オホーツクの街では非常に珍しいそうです。実際この人口規模の北海道の他の町の中心部でこんな賑やかな所は見た事がないですね。

左手前の店なんて、その名前からいつ頃開店したのか?想像してしまいます。70年代末か80年代初めか…?郷ひろみさんのヒット曲のひとつです(笑)

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●地を回るベティ

はまなす通りのとあるお店の入口、ベティちゃんみたいな絵が歩道の部分でくるくる回っていました。何処かでくるくる回りながらここに照らし出されたもの?と思いますが、このような凝ったものも見れるとは…

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●どんづまり3番街

にぎやかな「はまなす通り」も3番街まで。

最後のゲートを過ぎると急速に真っ暗になっていきます。

最もこれと平行に通る道路は幹線道として賑わい、市内のホテルも多数あります。そしてその向こうは海、という絶好のロケーションで、紋別市を密度高く観光しようと思ったら、この界隈をひと通り歩けばよい、それくらいいろんなものが凝縮されたエリアではないかな、?と感じさせられました。

という事で、「はまなす通り」を中心にお伝えしました、紋別の様子でした。

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2015年6月15日 (月)

JR士別駅 (北海道士別市)

北海道士別市のJR士別(しべつ)です。

士別市は北海道のど真ん中よりやや北に位置し、人口は20,503人(2015.3.31現在)で、最後の屯田兵村のひとつであり、また「サフォークランド士別」をキャッチフレーズにヒツジの牧畜に力を入れている町です。

-JR士別駅
【路線】JR宗谷本線(旭川-稚内間)
【開業】1900年8月15
【訪問】2015年5
【1日あたり平均乗車人員】 370人/日 (2009年) 
【近隣の主要駅(旭川方面) 旭川駅→14駅  
           
(稚内方面) 名寄駅→6駅 

駅名標

つい先月に訪ねたばかりですが、ここへ着く前の時点で日本全国の市で未訪は4(士別・紋別・宮古島・西表)でしたが、ここに着いた事であと残り「3」となりました。と同時に鉄道駅のある市では新規訪問はここが最後となりました。他の未訪3市は離島であったり、鉄道駅がないので、鉄道で訪ねる事の出来た最後の新規市だった訳です。

という思い出深い地となりました。かねてより訪ねたかったのですが、どこか別の未訪市と抱き合わせで行く事を考えるとなかなか難しく何度も断念し、今回ようやく叶いました。

アクセスとしては、旭川駅14:08発の「サロベツ号」に乗って、14:57分に着きました。

所要時間約50分、各駅停車だと1時間強かかります。

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●降車後

のホームの様子です。

右に写っているのが乗って来た「サロベツ」号です。

旭川から北上する「宗谷本線」では、ここ士別、名寄、稚内という市に停まりますが、この士別が最も旭川寄りです。

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●跨線橋

支えの骨組みが多数なされている大変目を惹くもので、また屋根、壁、筋交い、それぞれが色違いでカラフルな印象を与えてくれます。

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●羊のまち士別へ

ようこそ!

という訳でホームの真ん中の仕切り壁兼歓迎看板という形で置かれているものです。

こういう、一目瞭然で何の町か分かるものがあるのは良いですね。それをイメージして旅ができます。それに捉われていても面白みが減るというものですが、他に何も見つけられそうにない時は、大変役に立ちます。とりあえずそれを狙って歩いていたら何かしらぶち当たる事が多いので、確実にご当地の思い出につながる訳ですね。

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●跨線橋内

両サイドにベンチがありました。

ここででも待合できるように、という事でしょうか。

あまり見た事のない光景ですが北海道では結構あるのでしょうか、分かりませんが…

ベンチは片側は同一色なのに、もう片側は全部違う色、という不思議な事になっていました。

しかし内装が想像以上に綺麗なのは嬉しい誤算でした。

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●再び歓迎看板

跨線橋を渡って改札側へ降り立った所です。

こちらは「サフォークの街 士別へ」というフレーズになっています。

この色褪せた感じがどことなく寂しげにも見えました。

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●ホーム屋根

改札側のホームで、この手前が改札となります。

柱はこれだけに対して、広くて大きな屋根が印象的でした。年季の入りようも

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●ホーム

改札側のホームから右手の島式ホームを眺めた様子です。

こじんまりとして列車が停まっていますが、これはここから旭川へと発つ時に反対側へ向かうものです。北海道らしいカラーの列車です。

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●改札口

ここも「ようこそ!サフォークランド士別へ」でした。

徹底してるな、と感じますが、これしかウリがないのかな?というのもすぐに浮かんでしまいました。都会の北限ともいうべき旭川から北へ離れた人口2万そこそこの街にはなかなか未来展望が図りづらい部分もあるのかな、とも感じさせられました。

それでもこんな看板のある駅はここから北はそうそうありません、あとは名寄駅と稚内駅ぐらいでしょうか。

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●時刻表

ここからは改札を出て駅舎内の掲示物を。

まずはこの宗谷本線の時刻表です。

左が上りの旭川方面、右が下りの名寄・稚内方面です。共に1日16本程度あって、思っていたよりも多いと感じましたが、昼間には2時間近く開いたりするので、予め調べた上で計画しておかないと大変待ちぼうけをくらう事にもなります。

右側にあるのは士別駅関係の過去写真含めたものが額におさまっていました。

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●駅スタンプ

が押されたものが掲示されてました。モロにベーシックな画鋲でとめてあるのに惹かれました、そこか?

このスタンプもまた「サフォーク」…徹底されてます…。

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●駅のはざま

駅舎を出ると横に通路が通っていて、外側に厚手のガラスで寄せ集められた外壁がつくられていて、この通路の上には一応蛍光灯が設置され、夜は点灯しているのでしょうか。

建屋でてすぐ外、ではなくて、ワンクッション置いた構造となっています。

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●駅前広場

とにかく広いスペースがありました。

やはりサフォークランドの広告塔が立っていました(笑)

バスのりばがあって、ちょうどバズが停まるところを撮れました。意外にもバスは行き来していた印象があります。バスの通っている部分は道路ですが、その手前のスペースが駅前広場という事になるでしょうか?これという仕切りもなく間延びした感がよく出ていますが…。

右側から斜めへと奥に駅前通りがとおっています.。

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●士別駅 駅舎

1Fの平屋建てで、平屋根ながら頑丈そうなガッシリと見える駅舎です。

右手前が先の写真での厚手ガラスの寄せ集めになりますが、これがガッシリ感をより引き立てている感じでした。

少ない台数ながらタクシーも停まっててやはり市の中心駅ではあるな、とは思いました。

ちなみに北海道では同じ読み名で「標津」がある為、この士別の方は「さむらい士別」と呼ばれているのだとか。

そんなこんなで鉄道駅で訪ねる新規の市訪問はここが最後となりました。この日はその後紋別市にも行ったので、あと2市(宮古島市、西之表市)行けば、全国約790ある市の全国制覇となります。今の目標はさしあたりこれで、日本全国の全市を訪問する事です。

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