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36徳島県

2018年11月13日 (火)

徳島/阿南 ANANでもアンアンではない

徳島県阿南市、JR阿南駅からの歩き旅です。

(2009年8月当時)

●阿南駅前(西口)

どちらかというと、こちら側がメインな感じでしたが、駅前広場に時計塔があり、各主要施設への方向案内肥様式が出ていました。

向かいにはタクシー会社も見えます。

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●駅前通り

そこそこ高い建物が続いていました。

人口7万台ですが、徳島第2の人口を誇り、四国の南東部では重要な都市という位置づけになるかと思われ、それなりの姿でした。人通りが多かというと、そうでもなかったですが…。

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●ANAN一番街

阿南のローマ字表記はANANで、アンアンと一緒です(笑)

駅前からこんな風に分岐している中から、商店街のゲートがはっきりとあった「一番街」へ進んで行きました。

シャッターの降りた店が少なからずでしたね。ゲートや街灯周りは立派なものでしたが、過去に掛けられたお金という感じがしました。

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●阿南市役所

阿南駅から北西へ約500mの位置にあります。

桑野川の川沿いにあり、橋詰にもあるというロケーションの市役所です。

といってもこの建物は、今となってはもう「旧庁舎」です。

2015年に新庁舎が竣工ということで、この姿は2009年当時の在りし日の旧庁舎となります。現庁舎は7階建てという事で、これよりも高層になっています。何年も前の写真をこうして載せると、既に過去の姿であったりする、というのはもはやあるあるです。

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●牛岐城址公園!

阿南駅の駅記事で挙げていましたが、俳優の原田大二郎さんが朗読会をしていた題材であるこの「牛岐城(うしきじょう)の城跡公園です。

お城らしさを感じさせる部分があまりなく、向こうのこじんまりした林?の部分のみ、という感じで、あとは広場として整備されていた感じでした。まぁそれでも阿南市の公園の代表的なもののひとつではあると思います。

夜にはこのてっぺんの建物(牛岐城址館)からLEDによるイルミネーションが大変幻想的といいます。春にはサクラが綺麗だとか。夜にも春にも行っていないので残念です!

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●牛岐城址公園 完成予想図

この2009年当時で「完成予想図」とありました。既に公園としてあったじゃないか、と思いますが、キッチリと公園として竣工したのは2016年3月の事で、この姿以降色々なものがつくられていったものと思われます。

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●説明板

牛岐城についての説明板がありました。

ここの地名である富岡城ともよばれており、1575年には後に四国を平定する長宗我部元親が侵攻してきて、最後まで抵抗した城であったものの、遂には多勢に無勢で落城したとありました。

その後は秀吉の全国平定がある訳ですが、最終的には1638年に一国一城令でこのお城を取り壊される事となりました。

殆ど遺構は残っていないそうですが、先の草むらの部分のみ残っていて、これが城址公園を形成している格好です。

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●映画「奇跡の海」 ロケ地

この牛岐城址公園は「奇跡の海」という映画のロケ地として使用されました。

どんな役者が出ているのか、と思って見たら、篠田拓馬というNHK「私の青空」で有名になった子役がいて、当時13歳であったそうですが、他は渡辺裕之、田中好子、伊武雅刀、伊吹吾郎、そしてこの牛岐城についての朗読を行っていた俳優・原田大二郎という錚々たるキャスティングでした。

原田さんは後年にも阿南の夏祭り に参加したり、何かと阿南との縁は浅からぬものとなったようです。

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●光のまち阿南

阿南はなんの街かというと「光のまち」だそうで、その事を前面に売り出されている感がありました。

昼間しか訪ねていなかったので、勿体ない事をしたと思いましたが、城址公園のイルミネーションが綺麗だったり、あちらこちらが綺麗であろう事は想像できます。

ここは敢えて夜に訪ねて宿を確保して夜の街をあちこち巡ってみるのも、この街ならではの楽しみ方なのかもしれません。

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2017年10月15日 (日)

徳島/鳴門 大道さんから

徳島県鳴門市、JR鳴門駅からの歩き旅です。

(2010年7月当時)

●なると観光マップ

駅前にあった案内図です。

こないだ行ったばかり、と思っていた鳴門ももう既に7年前の事で、この記事でもその当時の姿となります。

鳴門市の地図という事になりますが北半分は殆ど山なんですね。よって街の部分は美南に集中しています。それに何といっても四国の玄関地、明石海峡大橋が開通してからは一層その役割がウエートを占めてきたように思います。

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●八の字歩道橋

通常「はちのじ」といえば、8の形を思い浮かべると思いますが、鳴門駅前にあるこの歩道橋は漢字の「八」の字の格好をしていました。右側の曲がり具合がなんともお見事です。末広がり感満載ですね。

歩道の角にあたる事からこのような形になったのでしょうか?

で、すぐ前にはビジネスホテルがあります。こういう写真を意識的に残すようにしていますが、それは再訪する時にこの街に泊まるところがある、という事を記録に残しておくためです。中には何年も経っていると無くなってるホテルもありますが…。

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●バス路線図

市営バスと地域バスの路線図という事で、山を真ん中に置いてぐるっと囲むルートを詳細に明示されています。

街は南東部に集中している感じですが、南西部は見ごたえありそうな雰囲気を感じます。

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●鳴門郵便局前バス停

鳴門駅から南へ200m程進んだ地点にあるバス停です。

のりば案内として、別の方面へはこことは対角線上に位置するバス停へお回りくださいとの表示がありました。

よくあるのが、ここにバス停はあるけど、反対方面のバス停が道路向かいにない、というケースですね、時々それで焦る時があります。駅からバスに乗ってやってきたはいいけど、帰りはどっから乗るんだよ?という時ですね、ヘタをすると、どっちも同じ側にバス停がある(双方向兼ねている)場合もありますので。

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●大道です。

歩道に屋根のある商店街に差し掛かったと思ったらいきなり「大道です。」って何のことかいな??と思わされますが、ここは「大道銀天街」という商店街で、昭和49年に鳴門で初の商店街振興組合が設立され、販促事業としてここにも出ている納涼市などのイベントが打たれて来たそうです。HPはコチラ

2015年には経済産業省より「がんばる商店街三十選」に選定されています。少なくとも廃れゆく商店街ではないという事でしょう。これからも頑張ってください大道さん!

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●NARUTOだってばよ!

2010年当時の鳴門市阿波おどりの案内ポスターです。

さすがは、という感じで見事にNARUTOに引っかけて出してきています。これはアニメの劇場公開に合わせてのものだったそうですが。

毎年8/9~11の3日間行われて、その翌日8/12~15の4日間は徳島市阿波おどりにバトンタッチの形となっています。徳島市の阿波おどり期間中に出くわした事がありましたが、鳴門市の夏も熱く燃えるんだな、とこれ見て思いました。

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●中心地へ

市役所や消防本部や各種施設が近くにあるところです。鳴門駅から南へ400m程度の地点です。

左向こうに見える時計塔が印象的でした。この建物は鳴門市消防本部でしょうか。接近して撮ったものを下に載せていますが、2013年に新庁舎に生まれ変わったようで、この時のこの建物はもうないようですね。この建物自体にも向こうの部分にも工事の様子が既にうかがえる状態でしたが。

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●白梅

市役所や消防本部の道を隔てて向かいに立っているのが、この昭和感満載の建物です。市の中心地のすぐ傍にこんな建物が残っているのが驚きでした。

やはりCoca-Colaのこの看板は昭和を感じさせるに十分ですね。これにくわえて「たばこ」の看板、抜群です!

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●鳴門市役所

建物が直角に曲がった変則的な建物でした。

ベートーベンの「第九」日本初演の地といわれ、鳴門駅前でも「渦潮と第九の街 鳴門」と紹介されています。

ベートーベンの第九、「一万人の第九」でお馴染みのあの曲(交響曲第9番=ベートーベン最後の交響曲)です。日本での初演は1918年6月1日に現鳴門市の坂東俘虜収容所にてドイツ兵捕虜によってとの事ですが、戦時中下であったせいか、長らく明るみにならず1990年代になって脚光を浴びたという事です。この大きな「第九」の歓迎看板も比較的最近のものという事でしょうか。

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●あそこ

鳴門の街を歩いていて最も印象的だったのは、ここでの景色です。

駐車場内にとにかく「あそこ」「あそこ」と…

「あそこ食堂」という食堂があり、その駐車スペースのようです。昔ながらの食堂のようで、調べると食レポもずいぶん上がってるのが確認できます。

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●撫養城

撫養は「むや」と読みます。この鳴門駅前地域はだいたい撫養とよばれる地区にあり、現在鳴門渦潮高校と称している旧・鳴門第一高校はその前は、「撫養高校」と称しており、その時代にはかつての阪急の名スラッガー・長池徳士氏などを輩出しています。

このお城は別名「岡崎城」といわれています。ちょっと高い山の上にあるように見えますが、この妙見山という山は標高60mの低い山です。登ってみればこの模擬天守をきっちり見れたのですが、この時はそこまで行けず、この写真を撮るにとどめています。

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●文明橋

最後ですが、この文明橋は撫養川に架かる橋のひとつで、石造りの欄干が立ち並ぶのが大変印象的です。神社の灯籠のような感じですね。

明治3年に初代の橋が架橋され、鳴門市の橋ではかなり古いもので、現在のこれが3代目の橋といいますが、昭和13年3月架設となったおり、そこからでも既に80年近い月日が流れています。

川を眺めた時に石造りの小屋?が目を惹きましたが、そこに「大阪セメント」と貼ってあったのも更に目を惹きました。現在は「住友大阪セメント」となっており、この大阪セメントは1994年には解散となっており、このミニ看板はそれ以前のものですね、ブリキ看板の流行った頃のものかと思いますが、大阪セメントの名称になったのは1963年との事です。

駅前をチョロっと歩いた感じだったのでこんな形となりましたが、今度来る時は西側の見ごたえありそうなエリアも見てみたいものです。

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2014年9月 9日 (火)

徳島/吉野川 鴨島駅前の時の移ろい…

徳島県吉野川市、JR鴨島駅からの歩き旅です。

(2009年8月当時)

●最後まで残った

空海の道、という看板が駅前に出ていました。

これがここのモデルハイキングコースというところでしょうか。

四国八十八か所のお遍路道なんですが、左は第十番・切幡寺~第十一番・藤井寺のルート、右が第十一番・藤井寺~第十二番・焼山寺のルートとなっており、所要時間は左が徒歩約二時間半、右が五時間だそうで、右については「健脚」とカッコ書きされていました。こういうチャレンジもいつかしたいなと思います。暇があったら…ですが。

ちなみに看板タイトルの「最後まで残った」とあるのは、約1200年前に弘法大師・空海の歩いた自然がそのまま残っている唯一の遍路道である、という意味だそうです。

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●駅前道路

駅から伸びている歩道部分屋根つきの商店街です。

提灯がぶら下がっていて華やかでした。人通りがそんなあった訳ではありませんが。

歩道上の屋根の縁の分厚さに昭和を感じますね…

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●「ん」が外れたまま

はん(印章店)かぱん(パン屋さん)か分かりませんが、窓の上にひらがなの跡が見え、その二文字目の「ん」が落ちて、窓の手すりに引っ掛かったまんまになっていました。こういうの見ると、この「ん」はいつここから解放されるのかな?と考えてしまいます。自然現象によるものか、解体までないのか…。

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●駅前通り 進む

とこんな感じです。

たまたま店が入っていない所のカットとはなりましたが、この奥がそんなに活気があるという感じではなかったです。街灯や立ち並ぶ提灯は華やかで賑やかさすら感じさせてはくれますが。

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●銀座商店街

これも鴨島駅前の商店街ではありますが、駅前通りが駅からまっすぐ伸びいてるのに対し、こちらはやや左から伸びた通りで、屋根つきのアーケード商店街です。

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●銀座商店街をゆく!

銀座という華やかな名のついた商店街ではありますが、中を通ると…

道幅の狭い、シャッターで閉ざされた店の多い、いかにも昭和感丸出しの商店街でした。

これでも昭和30年代は行き交う人々で溢れ、それこそ「袖摺り合う」程であったといわれますが、この時はホントにポツンポツンと数人程度の人影があった感じで、店に寄る人は皆無という状態でした。

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●更に

進みました。

天井の電灯の並びや骨組みにも昭和が存分に感じられました。

駅前商店街にしてゴーストタウンの様なこの雰囲気、鴨島で2つ大きな印象に残ったもののうちのひとつです。旅する者としてはとっても好奇心のわく空間でした。

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●電器点看板

鴨島のこの商店街自体が印象大だった訳ですが、その中でもどれかひとつ挙げろと言われたら、この看板を挙げます。

昭和の右肩上がりの時代の息遣いが今にも聴こえてきそうなぐらい、よくこれを保ってくれているなと思いますね。上の写真の左向こうに写り込んでいるものです。

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●郊外の昭和

銀座商店街を100mあまり歩いて抜けた後、左折して県道239号へ。

これをまた100mあまり歩いた所の角にあったこの家屋、これが鴨島で大きな印象を与えられた2つのうちの2つ目です。この家屋の寂れ、放置具合がなんともたまりませんでした。

旅館富士屋本家とあるようですが現在あるのは「ふじや本家旅館」という事ですが、冒頭の方でお届けした「藤井寺」にある、お遍路さん向けの旅館のようです。いつ頃の築かわかりませんが、この家屋はとにかく素晴らしかったです。

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●自販機

上の写真の建屋の前にあった自販機、ひとつの自販機に5~6種類ほどしかなかったのも昭和らしいですね。500ml以上とかなくて、250~350mlが主流だったりとか。だいたいが100円で買えるものだったんですよね。分かりやすい時代でよかったな、と今でも思います。

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●小道に並ぶ…

スナック街的なエリアもありました。

仕出しのお店も昔ながら感満載でした。

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●文楽通り

との表示のある通りです。これもまた小道という感じの所ですが、旅館があったりしました。これが現役なのかどうか確認はしていませんが…。

それにしても昭和感がこんなに満載な市の中心地駅前も素晴らしいな、という印象でした。それも取ってつけたものではなく、しぜんにそのままそこかしらが昭和…としいう駅前なだけに尚素晴らしかったです。

以上、吉野川市一旦ここまで。

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2014年7月 3日 (木)

徳島/小松島 港に映ゆる…

徳島県小松島(こまつしま)市、JR南小松島駅周辺の様子です。

(2009年8月当時)

●駅前某所

南小松島の駅前の通りの一角です。

この市内では、こういった普通の街並みをあまり撮っておらず、その数少ない中の一枚です。

あ、また写真の載せ方元に戻しました。

やはり、小さい写真だと惹かれない気がしたもので。

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●港へ

小松島港へ出てきました。

南小松島の駅からは200mも歩けば、入り組んだ港へ出られる、そんな港町です。

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●水辺に鳥

港に浮いたブイのような所に止まっていた鳥、こんな風にして止まっていた鳥が複数いました。

何もかもが水面に映えていて、それがまた印象的でした。

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●港に橋

沢山の小型ボートが止まるその向こうには橋が。

八千代橋というもので、平成3年開通とありました。

なかなか良い光景で、小松島ではこの港の姿がいちばん記憶にあります。(駅前のバキバキに折られて枠だけの案内板もインパクトありましたが…)

泉や港という水に関するものには事欠かない、そんな小松島でした。

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2014年6月29日 (日)

JR徳島駅 (徳島県徳島市)

徳島県徳島市のJR徳島(とくしま)です。

徳島市は徳島県の北東部に位置し、人口は261,900人(2014.6.1現在)で、徳島県の県庁所在地にして、「阿波踊り」の存在があまりに有名な町です。四国の県庁所在地では最も人口が少ない都市でもあります。

-JR徳島駅
【路線】JR高徳線(高松-徳島間)
      牟岐線(徳島-海部間)

【開業】1899年2月16
【訪問】初訪問-1999年12
【1日あたり平均乗車人員】 8,153人/日 (2010年)
【近隣の主要駅(高松方面)池谷駅→4駅
           (海部方面)南小松島駅→6駅

           (鳴門方面)鳴門駅→10駅 
※鳴門線
           (阿波池田方面)鴨島駅→9駅 
※徳島線

Himg0020●ホーム

四国の県庁所在地の駅としては当ブログ初登場ですが、ここへの初訪問は1999年12月でした。ただ、その時はバスでやって来て、慌ただしく移動したので、ホームはあまりよく見てませんでした。

この写真はその後10年ぶり2度目の訪問となった2009年8月訪問時のものです。ホーム上に横長の時刻表が吊り下がってるってどこか懐かしい風景でした。

Himg0021●アンパンマン

上の写真で向かいホームに停まっていた電車にはアンパンマンの絵がついていました。四国ならでは、ですね。このアルミっぽい車体も四国に多いなと感じます。

所属路線は、高松方面の「高徳線」と、南へ下る「牟岐線」の2つであり、当駅を境にこれらが逆方向へ分岐しますが、所属はしていないものの鳴門へ向かう「鳴門線」と、阿波池田⇒高知等へつながる「徳島線」の列車も乗り入れています。

実質4路線がこの駅を通っているという、四国の交通の要衝として重要な駅であり、利用者数もJR四国では高松駅に次いで2位といわれています。

Himg0011●踊る阿呆

徳島駅前のポストは、お決まりのように「阿波踊り」の像がありました。

折しもこの訪問時は、阿波踊りの当日で、夕方からは大混雑でした。その事を知らずにここへ来てしまいました。それもここが目的地でなく、徳島線の各駅を訪ねてたんですが…。

ここへ来て、またここへ戻る頃は夕方で、まず徳島へ向かう列車の混み具合が半端ではなく、蒸し暑い中かなりしんどかった、5年経ってもよく覚えています。

Himg0012●駅から

の目線です。

右に見えるのは「そごう徳島店」で1983年に誕生して30年余りとなりますが、当時は「四国最大」の百貨店を大いにウリにしていたといいます(現在では第4位)。

また、徳島県で唯一の百貨店だそうで、徳島県はここ徳島市が人口26万あまりですが、その次が阿南市(7万)、鳴門市(6万)という状況で、百貨店の進出がなかなか難しいのかな、と感じます。徳島市ではいくつかの百貨店がしのぎを削り淘汰された中で、現在のそごうだけが残っているという事です。

右側のちょうちんは阿波踊りでお祭りモードになっていて、左側には高木が立ち並ぶのが印象的です。

Himg0013●駅出入口

やはり阿波踊りでお祭りモードでした。

提灯がズラリと並び、「夏祭り」の文字が!

徳島でいちばん熱い時期なんですね。このお盆頃が。

Himg0017●酒樽積み

駅前広場に積んであったものですが、「阿波の酒を味わってみませんか?」とありました。これも阿波踊りモードで置かれていたものでしょうか。

向こうの横断歩道を渡った先が徳島駅です。

Himg0139●徳島駅駅舎2010

この写真は、上までの写真の翌年、2010年当時のものです。2009年訪問時に駅舎をちゃんと撮れていなかったもので、翌年再訪機会のあった時に撮ったという訳です。

徳島県最大規模の駅舎であるのは当然として、四国でも有数という事になるでしょう。高層となっている部分は「ホテルクレメント徳島」というホテルで、17階建て250の客室を有しています。客室料金を調べたら1泊\8,000~となかなかのものでした。さすがは駅のホテルだなと。

0050_2●徳島駅駅舎1999

1999年、初めて訪ねた時の駅舎の様子ですが、今と同じものです。

この時は西日本の府県を全制覇しようと、残る徳島、高知を訪ねる旅をしていました。そして先にこの徳島に来て、その後高知に入って、西日本全府県制覇となった訳です。

その後も2度ほど訪ねたのですが、徳島そのものを深く探訪した事が無いので、この記事upを機に一度よく訪ねたいと思いました。近くなのでいつでも行けるんですが、逆にいつでも行けると思ってしまって放置状態になってる、というところですね、徳島の魅力をより深く知りたいと思います。

2014年6月23日 (月)

徳島/三好 阿波池田は遥かなり

徳島県三好市、JR阿波池田駅の周辺の様子です.。

(1999年12月当時)

001●阿波池田郵便局

阿波池田の駅近くにある三好市の本局です。

駅からは約200m、駅前は結構「〇〇駅前郵便局」というのが多かったりしますが、ここは駅の近くに本局がありました。

年末で年賀ハガキの売り出し時期だったせいか、局の表はかなり賑やかな雰囲気で彩られていました。

●商店街

三好市で撮った写真は、阿波池田駅の駅舎と今回記事のこの2枚の計3枚のみです。

初めて訪ねた1997年は何の記録もなく、次に訪ねたのが2年後の99年、以来15年近くも訪ねていない事もあり、今度はちゃんと訪ねてもっと深く探訪したい、ここんとこ記事としてあげてる街は、昔に訪ねていずれも記録の少ない、旅もしていないとこばかりです。

阿波池田駅近くのアーケードのついた商店街(「銀座街」とありました)の様子ですが、この通り、今も同じように存在しているのか、変わったならどの程度変わったのか、興味深いものがあります。

右側に旅館の小さな看板が出ていますが、ここは今でも現役のようです。こういう所が残ってると嬉しく思います。

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ここも、土佐山田(香美市)と共に再訪して、ちゃんと旅したいものです。

2012年2月 7日 (火)

徳島/阿波① 橋を渡れば、阿波

徳島県阿波市、徳島県の中部に位置し人口は38,813人(2012.1.1現在)で、2005年に旧・阿波郡と板野郡の2町ずつが合併してできた新しい市で、世界三大土柱である「阿波の土柱」で有名で、礫層が風雨に浸食され柱状になった見事な自然美がそこにはあります。

▼高知県土佐市や愛媛県伊予市などの四国内の旧国名を名乗る市は昭和期から存在していましたが、この阿波市は平成の大合併でできた市です。ちなみに香川県はさぬき市というのが存在し、これも平成にできた市です。

合併前はいずれも町ばかりの4町が合併しましたが、どこにも駅がなく、阿波市としても全く駅のない状態で、徳島県内で唯一の鉄道駅のない市です。最寄駅は吉野川市の阿波山川駅とされ、そこからアクセスしてみたもののバスは皆無の状態で、ひたすらに、ただひたすらに歩いていくこととしました。

2,3kmほど歩いたところでしょうか、瀬詰大橋という橋を渡る所に、吉野川市とこの阿波市の境があり、ここからが阿波市の旅の始まりです。といってもホントに旅の成果物がないところでしたこの町は、、悲しいほどに…。それでも出会った風景の写真を載せます。

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▼この橋の下を流れているのは、吉野川。

日本三大暴れ川(他に利根川、筑後川)のひとつとされ、数多くの水害の歴史をもつといわれています。

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▼橋を渡り切ったところの堤防の一角にポツリと地蔵様が。

すごくいい表情してました。着せてるものがあったかそうに感じます。

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▼吉野川を渡った先、この道を進んで行きます。

県道3号線こと志度山川線という路線ですが、徳島県から香川県につながっていて、徳島県道でも香川県道でも3号線となっています。

ちなみにこの路線の総距離は41.191kmだそうで、かなりマラソンに近い距離ですね、小数点の部分まで結構似てて、かなりマラソンの距離に近そうなイメージを持ってしまいます。

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▼更に直進して、上の写真で遠くに見えた標識辺りまで来ました。

交差する路線は県道12号、鳴門池田線で撫養(むや)街道ともいわれています。

池田、とはあの池田高校の池田です。あ、つまり1980年代を中心に甲子園を沸かせた池田高校のある旧・三好郡池田町(現・三好市)であり、意外にもピーク時は郡部の県立高校だったんですね、意外にも。

直進先は「真重」とありますが、ここは阿波市内の字名です。

その横には「土柱 7km」の標識もあり、阿波市の一大名物?!のこの7km先、、さすがに徒歩では無理でした…。バス便もほとんど期待できない状態で、最初からそこへ行く気ならタクシーで行った方が良かったのかな、と。

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▼交差点も直進し程なくきたところ。

ポツリと「伊沢城跡」なる石碑が立っていました。下には阿波町教育委員会と旧自治体名表記で。下にある石垣が何気に城跡であったことを感じさせます。当時のものか否かは関係なく…。

平安末期に伊沢家景が築城したといわれ、家景は源頼朝に仕えたとされていますが武士としてというより文筆に関わる官僚として仕えていたようです。生年不詳ですが1221年に亡くなったとされています。

ちなみにここに写っている池は蛭田池という池です。
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▼そして、その蛭田池で、水に陸にちょこちょこ動き回っていた彼ら。

思わず沢山撮りまくってしまいました…

阿波市ならではのものはここまでは伊沢城跡くらいでしょうか、、

阿波市の第一回はとりあえずここまで。。

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2011年8月28日 (日)

JR阿南駅 (徳島県阿南市)

徳島県阿南市のJR阿南(あなん)です。

阿南市は徳島県の南東部に位置し、人口は75,626人(2011.8.1現在)で、四国で最も東にある自治体で、県内の鳴門市などと比べると知名度があるかどうかですが、人口は県都・徳島市に次ぐ第二位となっていて、高知(南国市)・山梨(甲斐市)などと共に人口10万に満たない県下第二の都市という状態です。

発光ダイオードの町として有名で、市内に日亜化学の各工場があり、駅周辺はあちこちネオンがチカチカしています。また、近年では県内に大きな球場が設置され、「野球の町」というアピールもなされ始めています。

-JR阿南
【市内】市内9駅(いずれもJR)の中心駅
【路線】
JR牟岐線(徳島-海部間)
【開業】1936年3月27日(訪問は2009年8月)
【1日あたり平均乗車人員】
 1,582人/日 (2006年)
【近隣の都市駅】(徳島方面)南小松島駅→6駅 
          (海部方面)日和佐駅→9駅

▼ローマ字表記すると、Ananで、「アンアン」と同じなんですね!

隣駅の「みのばやし」は「見能林」という漢字表記になります。

JR駅にナンバーリングしてあるところに四国の駅、というものを感じさせられます。

今のように「阿南駅」となったのは1966年のことで、それまではこの地域の地名から「阿波富岡駅」と名乗っていたといいます。阿南市となったのは1958年、それまで富岡町といったいたそうで、自治体名の変更に伴って駅名改称されたケースにあたるでしょうか。

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▼しっかりと電光掲示で次発列車の案内をしてくれます。徳島県内の駅では珍しい光景かも。

ホームは2面2線で、表示にあるように特急が停車します。

利用者数1日1,582人は県内では徳島駅に次ぐ第二位で、人口も阿南が徳島第二の多さですが、駅レベルでもここが実質徳島第二の地といえようかと思います。

また、徳島県内初めてにして唯一の橋上駅舎である事も注目に値します。

確かに四国の駅は橋上タイプが少ない印象はありましたが、徳島県でここ以外になかったとは、、調べてみて驚きでした。

階段の屋根部分の描く曲線が見事で、これは見ごたえありといった感じでした。

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▼自由通路内の様子です。

今のような橋上駅舎スタイルとなったのは2003年からだそうで、この当時はその6年後に当たりますが、まだピカピカできれいな様子でした。

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▼駅を降りたところ、出入り口にあたる部分です。

この大きく口をあけたような屋根ひさしがとっても印象的でした。プチドームみたいな…

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▼阿南駅の駅舎です。

正直、ここに来るまで阿南市というものに対しての印象がなかったので、まるきり予想していませんでしたが、こんなに見事な駅舎を有しているとは…という感じでした。徳島県で徳島駅と鳴門駅以外にこんな立派な駅舎に会えるとは…(JRではないですが宍喰駅もなかなか立派な駅舎でした)

縦棒がずーっと並び続けて、本を開いたような形に見えるこの姿は壮観そのもの。阿南は竹炭の町としても有名だそうで、この縦棒は竹炭をイメージしたもの、ともどこかで書かれていた気がします。

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▼阿南駅を横から。

駅を発たんとする列車と共に…

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▼出入り口部分を除いた状態で横からのアップです。

棒の長さがだんだんと違ってるさまがよく分かると思います。

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▼駅構内で見つけたポスターです。

「口伝 牛岐(うしき)城」として、俳優の原田大二郎さんが物語の朗読をされるというイベントのようでした。

いまから2年前の7月。この駅の近くに牛岐城址の館があって、そこで行われたようですね。この時、公園の新装オープンの記念という事で、訪ねたのはその翌月でした。つまり、訪ねた時はもうこの会は終わってたんですが、、

原田さんは大学で朗読を指導していたりなど、その分野では長けた存在のようで、役者として「Gメン'75」で関谷警部補として熱い演技で鮮烈な印象を残しましたが、朗読ってのもどんな感じなのか聞いてみたいものです。現在では昨年衆院選に立候補したことから政治活動に情熱を燃やして郷里山口に在住のようですが…、個人的には俳優としてもっと見たいです。

とまぁ、旅してることも忘れてしばしこのポスターに見入っていた、そんな阿南駅でした。

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2011年3月29日 (火)

JR鳴門駅 (徳島県鳴門市)

徳島県鳴門市のJR鳴門(なると)です。

鳴門市は徳島県の北東端に位置し、人口は61,479人(2011.1.1現在)で、鳴門海峡の西側にあって淡路島経由で四国の玄関となる町です。人口で見ると徳島第3の都市で、鳴門の渦潮や鳴門金時あまりに有名です。またベートーベンの「第九」の日本で初演の地ともいわれています。

-JR鳴門
【市内】
市内8駅(いずれもJR)中の1駅
【路線】
JR鳴門線(池谷-鳴門間)
【開業】
1928年1月18日(訪問は2010年7月)
【1日あたり平均乗車人員】
633人/日 (2006年)
【近隣の都市駅】
池谷経由(徳島方面)徳島駅→10駅 
                               (高松方面)三本松駅→14駅      
 

同じ鳴門市でJR高徳線上にある池谷駅から分岐する「鳴門線」の駅初登場で、鳴門線は全駅鳴門市内にあります。そして当駅はその終着駅です。前回UPの大湊駅も終着で中心駅的な役割であり、似たような位置づけという事ができるでしょうか。

ここへは昨夏の暑い盛りに来ました。三本松など高徳線が未踏だったのでまずそこへ行って、徳島で宿泊(徳島県初の宿泊!)し明くる朝に池谷駅を経て、やって来ました。鳴門という町は近くて遠い町、、いつでも行けるやと思って淡路からバスで通過した事も多々でしたが、一度は鳴門市も訪ねておこう、って事でやっと行けたという感じでした。

ローマ字で「Naruto」という表記を見るとアニメを想い出さずにはいられません

隣駅の「むや」は漢字では「撫養」と書きます。プロ野球・阪急黄金時代の元スラッガー長池選手の出身高校名がこれだった(現・鳴門一高)のですが、長らく「ぶよう」だと思っていました。

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▼ホームを改札付近から眺めた様子。

構内踏切で結ばれた通路にスロープがついている1面2線だけのホーム、そしてそこに短い車両の列車が停まり、また屋根のついたエリアも短く、とても人口6万の市の中心駅の光景とは思えないローカル丸出しな?!風景と感じさせられました。

柱状の歓迎看板がせめてもの市の中心駅らしさかもしれません。
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▼駅前には、渦潮のモニュメントが。上のは阿波踊りの笠でしょうか。

阿波踊りといえば徳島市のイメージが強いでしょうが、鳴門市でも3日間行われるそうで、なかでもここでは日程的に先陣を切って開催されるのだとか。参加人数の規模は徳島は桁違いに多いようですが…。
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▼終着駅らしく車止めがありました。

終着駅だとついコレに目が行ってしまうのです。といっても右側のは線路がないようですが…
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▼鳴門駅の駅舎です。

平根であまり大きい駅ではないものの、それなりに横に長い建屋でそれなりにスペースが駅舎にとられているという事になります。屋根は建屋からせり出して、ややひさし状になった形となっています。

駅前はタクシーはそこそこ停まっていて、ホームを見た時のローカル感に戸惑いましたが、外へ出てみてそこそこ賑わいがあるのにやや安心しました。
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▼駅出入口を正面から。

四国の町の駅によくあるような駅名の表記(字体)と感じました。青字のJR表記に漢字駅名、そしてその右にローマ字表記、という四国ではありがちな光景のような気が…、この時行った駅だけでも香川県の詫間駅が全くこれと同じ表記でした。

来る前はもっと大きな駅を想像していたんですが…、下調べしてこの目で見たい!と思いつつ訪ねるもよし、知らずに嬉しい誤算を得るのもよしだと思います。嬉しくない単なる誤算も多々ありますが…。
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2010年11月30日 (火)

JR鴨島駅 (徳島県吉野川市)

徳島県吉野川市のJR鴨島(かもじま)です。

吉野川市は徳島県の真ん中よりやや北部に位置し、人口は43,931人(2010.9.1現在)で、2004年にこの駅のある旧・鴨島町を中心に計3町1村が合併してできた徳島県5番目の新しい市です。市名がいかにも平成の大合併でできたような名前で、同じようなタイプに京都の木津川市というのがあります。

-JR鴨島
【市内】
市内9駅(いずれもJR)中の中心駅
【路線】JR徳島線(佐古-佃間)
【開業】1899年2月26日(訪問は2009年8月)
【1日あたり平均乗車人員】 不明
【近隣の都市駅】
(佐古方面)徳島駅→9駅 ※佐古駅経由
          (佃方面)穴吹駅→7駅 

▼旧町名の駅名となっていますが、これが将来、市名である吉野川に変わる事なんてあるのでしょうか?

麻植塚と西麻植と、かつての鴨島町の属した郡名である「麻植(おえ)」のつく両駅に挟まれており、吉野川市の市名募集時も2位は現市名ですが、1位は麻植市であったそうです。
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▼ホーム2面2線、この渋い跨線橋でつながっています。

橋の部分は筋交いが内側に向かって下りているものとなっていて、左右対称方のものとなっているのが面白いです。木造の跨線橋はどこが曲がっているようでなんとなく危うさも感じなくはないほどです。
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▼鴨島駅の駅舎です。

出入口上のせり出した屋根の妻に駅名が表記され、それが建屋のほぼど真ん中にあってなかなかいい形をした駅舎です。

鴨島町は元々合併前は人口24,000ほどの町であったので、町の中心駅でもそれなりの規模を誇っていた訳ですが、人口43,000あまりの市の中心駅としてはもう少し華がほしいかな、という気はします。それでもBIG Kioskとしてコンビニ程度のものは駅に入っていますが…
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▼駅前ロータリーにあった「郷土」とある石造物の上に波平さんのような顔が…。

鴨島町出身の喜劇俳優・曾我廼家五九郎(1876-1940)の碑であり、また彼の当たり役である「ノンキナトウサン」(大正時代の4コマ漫画の主人公)の碑です。

彼の演じるコメディは常に社会悪を風刺しながら涙と笑いを誘う、といったものだったそうです。松竹新喜劇ってそんな感じなのかなぁ、という気がするのですが。そういえば松竹には曾我廼家姓の役者さんが結構居ます。
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▼ロータリーを込みにした鴨島駅周辺の様子です。

駅前はさほど賑わいも感じられないのですが、タクシーは多目に停まっていました。

駅舎の向かって右には鴨島駅ワークプラザというのがあります。
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ここの駅周辺は駅前すぐに銀座商店街というのがあり、昭和の佇まいを堪能できます。

また、「最後まで残った空海のみち」、としてウォーキングコースもあったりして、そういう楽しみ方はできる所です。