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35山口県

2018年6月21日 (木)

JR新下関駅 (山口県下関市)

山口県下関市のJR新下関(しん・しものせき)です。

下関市ではJR下関駅をupした事がありますが、これに続いての「新」を冠する駅の御紹介です。

-JR新下関駅
【路線】JR山陽本線(神戸-門司間)
      山陽新幹線(新大阪-博多間)

【開業】1901年5月27
【訪問】初訪問-2006年12
【1日あたり平均乗車人員】 4,972人/日 (2016年)
【近隣の主要駅(神戸方面)厚狭駅→4駅
           (門司方面)下関駅 →隣駅
           (新大阪方面)新山口駅→2駅  
※新幹線
           (博多方面)小倉駅→隣駅  
※新幹線

●駅名標

新幹線ホームですの駅名標です。「新」下関駅となったのは新幹線が開通した1975(昭和50)の事で、これ以前は「長門一ノ宮」駅という名前で、開業時は単に「一ノ宮」駅であったそうです。

新幹線では本州最西端の駅となり、西隣は九州、福岡県の小倉駅となります。

在来では下関駅が本州最西端となり、ここから2駅西に位置しています。

新幹線も在来線もありますが、在来線のみの下関駅に比べて利用者数は半分程度で、山口県の駅では第5位となります。ちなみに開業日は下関駅と同じです。

新幹線としては各駅停車の「こだま」以外では「さくら」の一部が停車する程度で、そういう意味での新幹線駅としての格はあまり高くない感じです。

ここへ初めて訪ねたのは2006年12月の事ですが、本記事での写真は、特に断りのない限りは2017年2月再訪時の写真です。

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●ホーム

新幹線ホームです。

2面3線あります。前はこだま以外ももう少し停まっていたように思うのですが気のせいだったのか…。山口県では近年まで郡部だった新山口がキー駅化していって、元々(現在も)山口県一の人口を誇るこの市の駅がこういうポジションなのは不思議な感じはします。

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●動く歩道

長い通路を持つこの駅には動く歩道が存在します。

中国地方の駅でこのような形は極めて珍しいかと思います。

この歩道、新幹線ホームの端から端まで歩くのと同じくらいの距離との事で、決して賑やかとは言い難い駅ですが、スペースが広い事もあってこういうのがあるのでしょうかね。

この写真から下3枚の在来線への移動、在来線の様子のものは2006年初訪問時のものです。

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●在来線への階段

新幹線から在来線へとやってくると、こんな階段があります。

在来線と新幹線は直角に交差している形で、宮城県大崎市の古川駅を思い起こさせます。

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●在来線ホーム

在来線の様子です。

これも2006年ですが、夜しか撮っていないのでこんなカットしかありませんが…。

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●ようこそ 下関へ

駅舎内の柱に歓迎のメッセージが写真入りで入っていました。海峡の街らしく画になる建造物が豊富な街です。「関門橋」の「関」は下関ですから。

向こうに見えるのはかわいらしい「ふぐ」たちです。下関はなんといってもフグの街でもあります。こういったかわいいやつがいくつも見られました。

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●構内2

フグが吊ってあるのと、向こうには壮大な建造物が。

これは市内の観光名所「赤間神宮」です。

土台が白で上部の建屋が赤というめっぽうコントラストに効いた門がお出迎えです。場所的には関門橋の近くで、この新下関駅からではバス20分、タクシー15分とありました。

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●新下関駅 駅舎と駅前広場

ちゃんと「新下関駅」と表示の見える場所で撮れずに、こんな形でのカットとなってしまいましたが、新下関駅の駅舎です。

どうも新幹線と在来線が十字交差した駅というのは撮りにくいという勝手なイメージを持っています。古川駅にもそんなイメージがありました。

別の出口から撮ればはっきり分かり易い表示があり、また大きな建屋だったようで、そこんとこは結構残念で、また再訪リベンジしたいものです。

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2018年2月22日 (木)

山口/山陽小野田 アサの夜景を見れる時期

山口県山陽小野田市、JR厚狭駅周辺の様子です。

(2018年1月当時)

●駅前通り

厚狭駅自体は駅記事にも書いた通り2008年11月に初めて訪問していますが、今回の写真は先月訪ねたもので、たしか3回目の訪問と記憶しています。

それまでほんの寄り道程度しか訪ねておらず、今回もこの辺りはあまりじっくり回っていないのですが、それでも食事と宿泊をしたという意味では本格的に旅ができたと言えるかもしれません、そんなところで夜泊まりにやって来た時のものです。

隣の小野田駅からここへ来た訳ですが、小野田ではこんなイルミのカケラもなくて、何の期待もせずにここへ来てみたら嬉しい誤算でこの見事なイルミネーション。これは載せない訳にいかない、と思いupしました。

ここへ訪ねたのが今年の1月13日でしたが、昨年の11/25より点き始めて、この訪問日は点灯期間のかなり末期であったようです。1週遅かったら多分見れなかったであろう状態で、良い時期に訪ねる事ができました。

6万個のLEDが煌めくイルミネーション、この地でこんな派手で素晴らしいものが見れると思っていなくて幸運そのものでした。

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●出て左

駅から出た方向で駅前広場の左側にあたります。

この地で印象的だったのが、真ん中の「献眼をたたえる碑」だったのですが、この時はやはり右側のイルミで、右端の天使みたいなのがやはり惹かれました。それとまた左端の時計も夜にあって明るい光を放つかのように文字盤がきれいに見えていました。

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●出て右

こちらが一連の駅前広場イルミネーションのメインともいえるゾーンかと思います。駅から出て右奥にあたる部分、ゲートやらツリーやらそれはもうピッカピカに光りを放っていて、その奥の寝太郎像が何気にライトアップされている感じで、寝太郎像すら光り輝いて見えたほどです。

撮った写真はこんな感じですが、実際に生で見るともっともっと大きな感動が得られます。年末年始限定で今はもう見れませんが。今度はまた11月下旬までお預けです。今年もやるならば。

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●天使

2枚目の写真にあった天使の周辺の様子です。

光りの塊のような天使がキューピッドの矢を放たんとするところでしょうか?

ところでキューピッ「ド」と濁るんですよね、長年勝手にキューピッ「ト」と思っていたのでお恥ずかしったらありゃしない状態でした。

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●夜の厚狭駅

夜のアサ、アサの夜景です(笑)

駅舎自体も電飾が取りつけられていました。

これでもここ、新幹線停車駅なんです。こっちは在来線口ですが。

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●駅前歩道

駅前の道路に入って歩道でのカットですが、そこの道路に面した木々にもまたイルミが仕込まれていました。これはなかなか金がかかっていますね。

右側に見える二反田旅館は和室14、洋室1の15室を有する旅館で5,000円以下でも泊まれるというリーズナブルすぎる旅館です。この時はここには泊まりませんで、ビジネスホテルも近くに複数軒存在します。

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●食事処

厚狭駅と駅前広場を隔てて向き合うように立つ「やよい」というお食事処です。ここの店先も光っていました。これは年中だと思いますが(笑)

宿泊するホテルが晩御飯なしだったのでここで頂きました。2012年当時で創業40年余という形で紹介されていたので既に45年は経っていると思われ、創業は1970年前後ではないかと思われます。

左端の入口は喫茶カフェ系の入口で2Fへの階段となっており、これを上がっていく事となります。右側は1F部分の入口で、こちらは和食・居酒屋系のメニューが出てくるという形になっています。

で、この時は1Fで定食を頂きました。2Fは貸切になっていたので。いかにもおふくろの味的な定食を頂き、またカウンターには常連客と思しきおじさん方が気ままに喋っておられました。

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●エクストールイン

これだけ夜の写真ではありませんが、この時泊まったホテルです。2017年1月にオープンしたばかりで、この時で1周年を迎えた直後という状態でした。

厚狭駅を出て右前にありますが、駅からすぐに見えていて2分も歩けば着きます。

大浴場もあるし、朝食の「具だくさん味噌汁」に惹かれてやってきたのもあります。

この駅前では昔ながらの旅館やそこそこのビジネスホテルはある訳ですが、こういう大規模感のあるホテルがなくて、そういう意味で「でっかくオープン」したなという感じで見ていました。

しかしここの駅前には観光すべきこれというものがなくて、街なかは普通の通りが続いていたので、歩き回るのは途中でやめましたが、この夜景が今回見れたのはかなりの収穫でした。山口県で山陽小野田というところはほぼ寄っただけで何を見たという記憶も皆無でしたので。イルミが見たいなら11月末~1月前半くらいになると思います。

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2017年7月27日 (木)

JR新南陽駅 (山口県周南市)

山口県周南市のJR新南陽(しん・なんよう)です。

周南市ではJR徳山駅をupした事がありますが、これに続いて周南市の駅の御紹介です。

-JR新南陽駅
【路線】JR山陽本線(神戸-門司間)
【開業】1926年4月18
【訪問】2009年1
【1日あたり平均乗車人員】 1,238人/日 (2015年)
【近隣の都市駅(神戸方面)徳山駅→隣駅
          (博多方面)防府駅→4駅


駅名標周辺


この駅の訪問は2009年初めの事です、ついこないだと思っていても、もう8年も経っている事に驚きました。

今でこそ周南市の1駅の位置づけにありますが、かつては新南陽市という人口わずか3万あまり市の中心駅でした。山形県に南陽市というのがありますが、自治体名に新〇〇市という表現はなかなかないですね、大阪狭山市とか大和郡山市とか北広島市という表現はありますが、新旧の「新」を使うとは…という感じで。ちなみに山形県南陽市も人口3万程度で新旧同程度の人口の市として共存していました。

その当時の自治体名であった「新南陽」に改名したのは1980年の事(新南陽市となったのは1970年)で、開業した1926年からそれまでの間は「周防富田(すおうとんだ)駅」と名乗っていたといいます。その新南陽市は2003年に徳山市などと合併して周南市となり、再度駅名と市名が不一致の状態となりました。

ちなみに山形県南陽市の中心駅は「赤湯」駅であり、これは合併前の旧・赤湯町という旧自治体名をそのまま使っているもので、「新」のつかない南陽駅というのは存在しません。(中国河南省南陽市という所にこの名の駅がありますが…)

ともかく、新幹線の停まる徳山駅が隣というロケーションです。

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●ホーム1

1面2線のみのホームで、使用されているのはこの面のみです。

そのホームの真ん中から、階段のある方と反対側を向いた形のものです。

時計が12時近くを指していました。

大きな広い屋根にかつての市の中心駅らしさを若干感じますが、それも昔の名残りという感じもします。新南陽市としての新南陽駅の歴史は1980~2003年の23年間でした。この間は、徳山、新南陽…と市の中心駅が2つ続く状態でしたが、今やこれらは合併して周南市となっています。

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●ホーム2

ホーム1と反対向きに跨線橋、そして駅舎の見える側のカットです。

ようこそ新南陽へ、的なものは感じられなかったのが少々さびしかったです。

大きな屋根は階段の入口まで続いてるので、階段まで濡れずに通る事ができます。

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●跨線橋内

1面2線のみのホームですが、改札へ辿り着くにはこの跨線橋を渡っていく必要があります。

半室内構造とでもいうか、上半分は吹きっさらしの状態で、通路幅はそこそこあり、掲示物は御覧のようにビッシリと貼ってありました。この辺りはさすがは元市の中心駅だな、と感じました。

しかし上半分がこんな感じにつき、路面も雨天時にはこのように濡れてしまう事となります。

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●駅舎側ホーム

電車が停まる等の機能は持っていませんが、島式の1面2線ホームから跨線橋を渡ってやって来た駅舎側ホームです。

駅ホームとしては機能していないので、端には柵がビッシリ張り巡らされていました。

使っていないので、人が滞留する事もまずありませんが、ホームとしては広い幅が取られています。

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●駅舎裏

駅舎の裏手にあたる部分、駅舎直結ホームの俯瞰の形です。

使わないホームの割に屋根ビッシリで、電車を降りてから改札まで濡れずに歩けるという具合です。屋根のコンクリートまんまの色というのがまた渋すぎますね。

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●広大なホーム

1面2線だとか、駅舎直結の使っていないホームだとかの話は出てきましたが、貨物駅として機能していて、それら以外の側線がこんなに沢山あります。

こんな広い駅だったのかと驚きます。一般客が利用するスペースはごく一部な訳ですが。

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●改札

黄緑色のボックス状のものが印象的でした。

窓口閉鎖時間帯があるようですが、1996年になってからみどりの窓口ができたのだそうです。この時は無人だったのでこうして撮った訳ですね。

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●駅舎内

改札を出て、駅舎内の様子です。

ちょっと広めの待合スペースがあります。駅舎内に自販機があるというのも個人的には駅としての規模?を図るのに重視しています。しかし少々残念なのは、改札上に次発列車案内がない事で、これの有無も駅としての機能の高さを図るうえで重要なファクターと考えています。

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●駅前広場

なかなかカラフルな床面をもった駅前広場がありました。さすがはかつての市の中心駅というところですが、この写真は1枚ものではなく2枚もので、上の床面の部分をアップにしたのが下半分に見える風車のもの、という具合です。

この風車は「ゆめ風車」といい、旧新南陽市内の「永源山公園」という所にある日本最大級のオランダ風車だそうです。そのイラストがこの駅前の床面に描かれている訳です。

人口3万そこそこの市の中心駅であったところの駅前と思えないくらい、ビルが連なっていて都会感のある駅前でした。

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●新南陽市時代

の非核平和宣言都市として謳っていたものです。

自然と工業が溶け合い、天に向かって伸びていくのが上の写真の駅前広場向こうの石造物の表わしているものだといいます。なんとなく立っている大きな石だと思っていたら、そんなに深い意味があったのですね。

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●新南陽 駅前通り

駅から伸びている道路です。

右側最手前には西京銀行があります。(駅前広場の写真にも見えていましたが…)

やはりこれが人口3万そこそこの市の中心駅前だった、感じはしませんよね?もっと人口の多い街の中心駅前っぽい雰囲気でした。

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●新南陽駅 駅舎

宇部進という予備校の新南陽校として1字1枚の形で立っていました。駅舎が予備校でもあるという稀有な例です。「新南陽駅」という本来の表記より目立ってしまっています。

タクシーが4、5台も停まっていて、駅前ビル群と共に意外な都会感がありました。

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2017年1月17日 (火)

JR湯田温泉駅 (山口県山口市)

山口県山口市のJR湯田温泉(ゆだ・おんせん)です

山口市ではJR新山口駅JR山口駅をupした事がありますが、市名である「山口」を冠しない駅としては初めてupします

-JR湯田温泉駅-
【路線】
JR山口線(新山口-益田間)
【開業】1913年2月20日
【訪問】2016年8月
【1日あたり平均乗車人員】 1,144人/日 (2014年) 
【近隣の主要駅 (新山口方面) 新山口駅→6駅
           
(益田方面) 山口駅→隣駅 

●駅名標周り

開業日は隣駅でもある山口駅と同じ日です。

元々は「湯田」駅ですが、1961年に現駅名に改称されて現在に至っています。

湯田温泉は中国地方でも屈指の規模を誇る温泉街を持ち、県都・山口駅の隣にあるという好立地でもあります。惜しいところは山陽本線上ではなく、山口線という南北に通る路線にある事で、どうしても公共交通機関の便数は少なくなってしまうというものです。

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●駅周辺MAP

さて、こっから景色は真っ暗なのですが、ここへ来たのが晩で、翌朝まで泊まって発ったので、駅名標の写真のように昼間の景色もある訳です。

で、これは湯田温泉周辺MAPという訳で、駅名標の真横にあるものです。

当駅がこの地図の最下部にあたり、真ん中らへんが温泉街なので、少し距離はあるものの、10分も歩けば立派に温泉街に行き着くので、駅からのアクセスとしては良い方かと思います。

幕末の維新と繋がるという事で長州の偉人たちや、文才溢れる歌人などに愛された湯として、ゆかりの人物についての説明書きもありました。

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●ホーム

最小限の1面1線ホームです。

待合室があって、そこまでの所で細い柱で支えられた屋根が取りつけられています。

まるでローカル線の終着駅のようなホームの雰囲気ですが、全くの途中駅です。

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●改札周辺

改札の位置に柵状のゲートが置かれていました。

早朝夜間を除いては「みどりの窓口」が営業しているという事で、駅員はJR子会社の職員が委託の形で務めているという事です。

みどりの窓口は1992年から営業開始されたという事で、元々あったものが廃止されたという事はあっても、なかったものが設けられるようになったというのは、あまり聞かない話で、当初想定よりも需要があったという事でしょうか??

2003年まで駅乗車人員は1,000人前後でしたが、今ではこの1割以上増えている状態です。決して劇的に増えている訳ではありませんが、山口線にあって人数増に転じているのはじゅうぶん評価に値すると言えます。

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●出札周り

着いたのが晩だったので、既閉じられていましたが、マークが入っていて「みどりの窓口」がある事が分かります。出札の窓口自体がみどりの窓口であり、別室にある形ではないです。その辺はやはりそれほど規模の大きな駅ではないという事で。しかしこの辺では十分格上の駅だと思います。

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●待合室内

ベンチが9脚設けられていて、自販機も駅舎内にある訳ですが、コインロッカーが設置されているところがやはり観光地の駅という感じです。

バックの窓の部分には「湯田温泉駅へ ようこそ」と何気に貼ってあったりします。

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●巨大白狐!

湯田温泉の象徴的存在といえる白狐が駅前にでっかく立っています。その高さはなんと8メートル!駅舎の高さよりよっぽど高いです。

滋賀県高島市のJR近江高島駅というのがありますが、そこの駅前にでっかく立っているガリバー像を思い出させてくれます。

白狐の湯(びゃっこのゆ)」との標識がバックにありました。昔、足を痛めていたと思われる白い狐が連日物音を立てながら池に足をひたしてはぎこちなく逃げて行ったのが、ある日しっかりとして足取りで逃げて行ったのを境に見かけなくなってしまい、村人がその池に行ってみるといい具合の湯加減の温泉が湧いていたという言い伝えがあり、このように呼ばれているようです。

白い狐とはまた…、、本来日本には存在しないもので、突然変異種ならばいなくもない、などとありました。それ以外だとホッキョクギツネぐらいだと。

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●駅前通り

駅前すぐは温泉街ではなくて、「どこが温泉駅なんだろう?」と思わされますが、10分も歩けば立派な温泉街に出くわします。

外湯めぐりもできますし、ホテルもこの温泉街に集中しています。ホテルでも温泉だけ入れる所やら、日帰り温泉で充実した設備のあるところ、お湯に入るだけの所など多種多様です。

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●湯田温泉駅 駅舎

巨大キツネは駅前のものですが、駅自体は実にこじんまりしたものです。

コインロッカーがあり、みどりの窓口設置駅でありながら、こんなに小さいとは!

温泉地でもあり、駅から適度に距離がある(徒歩でも行けますが…)ためかタクシーはそこそこ停まっていました。

このでっかい白狐は夜にこそ映えるのかな?という感じがします。昼も夜も撮ってみましたが、昼だと景色と同化して?!存在感がやや薄くなるのかもしれません。

「山陽路随一の温泉街」と謳われるこの湯田温泉の最寄駅、是非に行ってみられれば、と思います!

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2016年9月14日 (水)

山口/下松 1月2日にねこ3匹

山口県下松市、JR下松駅からの歩き旅です。

(2009年1月当時)

●ガイドマップ

「星ふるまち」として様々なイラスト入りのMAPでした。

もう7年以上前の姿なので、今もこの形かどうか分かりませんが…

下の部分には「笠戸島」がありますが、大橋で陸続きになっている様子が見て取れます。イラストだけ見ていてもちょっと面白そうですこの島…。ちなみに人口は1,200人ほどだそうです。陸続きの島なので、あまり島独自文化的なものは薄いようですが…

北の方はビッシリ山に取り囲まれている感じですね…

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●下松駅前広場

東口の駅前で、線路沿いに眺めた感じですが、ステーションホテルというホテルがあり、反対の西口駅前にも別のホテルがあったり、意外と泊まる場所はあります。これ嬉しい誤算といいますか…。

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●北斗町

まだまだ駅の真ん前ですが、駅前広場をぬけて駅前の通りへ差し掛かった地点で、この交差点が駅から最初の交差点になる、というところです。

丸い枠で覆われた球体の街灯が設置されていて、中央通り的な雰囲気は出ていますが、マンション以外にはさほど高い建物はない、そんな駅前の街並みです。

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●下松駅を振り返る

一番最初の交差点(北斗町)を過ぎてから、下松駅を振り返った画です。駅前遠景、ともいいますが(笑)

高層マンションは存在感ありますが、商店的な活気はそうでもないかな、というところですね。

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●北斗町・西

これまた北斗町交差点を今度は左へ向いた(西向きの)様子です。

山口銀行が見えますが、これは下松ローンプラザ出張所だそうです。

こうして7年前の姿を振り返っていますが、ほぼ駅の真ん前の交差点までしか行かずに引き返してきていて、ろくに行ってなかったんだな、と今頃になって気づかされます。当時はひと駅ひと駅訪ねるスタイルの旅をしていたので、一ヶ所にかける時間がかなり短く、こういう事もしばしばでしたが、これはもう下松へは再訪しなければ、と思わされてもいます。

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●いかにも、な屋台

下松駅へ戻ってきたところですが、なんとも直球的な「屋台」という感じのものがありました。普段ここで屋台出して、そのままにしているのでしょうか?こういうのって放置できるものでしょうか?よく分かりませんが、何せ昼の日中に閉じられた形でこのようにデンと置かれていました。

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●下松のねこ

下松駅前広場外周の自転車が散発的に置かれていた部分の陰に居た猫たちです。

1匹見たと思ったら、2匹3匹と…。

7年前のこんな猫たちを見てると、「もう生きてないかな?」とかついつい考えてしまいます。最近のニュースでペットのネコの平均寿命は12歳とありましたが、野良だと半分以下なのかな…?とか思ったり、そうすると彼らの子どもすら生きてるかどうか…

でもまぁ、彼らの生きていた証としてこうして載せるのもいいのかな、と思ったりします。

下松の、決して旅とはいえるものではないかもしれませんが、今度はちゃんと旅したい、ものです。

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2016年9月 4日 (日)

山口/萩 寺町や古き街並み

山口県萩市、JR東萩駅からの街めぐりです。

(2012年4月当時)

●東萩駅から

駅前の通りです。駅前広場を出たすぐ先の幹線道路です。

ここに標識が出ていますが、萩城跡までは約3kmあります。萩へ初めて行ったのが2008年11月の事でしたが、この時は晩泊っただけで、駅近なら萩城へ…も考えていましたが、断念して別の地に行く事にしました。なので、3年半後の再訪にあたる今回写真分にてようやく観光ができたのでした。

ちなみに城下町までは2kmという事で、時間があれば十分歩いて行ける距離ではあります。

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●萩城址線

東萩駅からはすぐ、駅から100mも行かないうちに橋が出ていて、これを渡った先の土原(ひじわら、と読みます)という地区での県道295号(萩城址線)の標識です。

中国地方で唯一、近世城郭に通じる県道だという事です。

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●萩グランドホテル天空

東萩駅から橋を渡ったりしながら500mほどのところにある、市内を代表するホテルです。HPは⇒コチラ 

宿泊プランカからすると、12,000円~はかかりそうですね。

このホテル名のバス停もあり、30分に1本ペースでバスで停まります。萩市のコミュニティバスである「まあーるバス」というものですが、路線図のオレンジ部分が西回り、ブルーの部分が東回りだそうです。

まぁここまで来てしまえば、他の観光地へそのまま足伸ばしで行けてしまうので、なんだかんだ歩いて行けてしまうんですが…。ただ、今時期のように歩いて行くのは大変で、バスの来る頃合いを把握できるなら、バスで行っても良いかな、というところです。

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●萩市観光地あたり

右上の丸囲み部分が東萩駅です。バス路線は上の写真と同じになりますが、東萩駅からでは萩城の方へ行き着く格好にならないので、橋を渡ってグランドホテルまで出ていく事となります。東萩駅の左横の丸囲み部分がグランドホテルです。

ここのバス停から上部への黒線に沿ったルートで萩城跡へ行き着く事ができます。萩の城下町は街なかにありますが、城跡自体は海沿いの半島状になった部分にあります。

この地図の下の真ん中部分は、旧家が多く観光資源も多いので、このあたりも要チェックです。人口は5万そこそこと山陰でもあり小さな街ながら、江戸時代までは歴史の中心でもあり、観光地らしくバスの本数が多いのは助かります。それだけ需要が多いのかもしれませんが。

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●吉田町交差点

東萩駅から歩いてグランドホテルを抜けた直後辺りです。

右手前のめしやの建物が強烈に惹かれました。城下町として整備されている印象の強い萩市でも、こういう自然に残った部分が見えるのも大変面白いものがあります。

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●享徳寺

吉田町交差点を西へ進んだ所にお寺が並んだ寺町的なエリアがあり(バス停も「寺町」となっています)、そのなかのお寺のひとつですが、「こうとくじ」と読みます。

1452年大内義弘を開基として創建されたとあり、この年の年号がお寺の名前にもなっている「享徳」(こちらは「きょうとく」と読みます)で、これが名前由来とされています。今でいうと「平成寺」みたいなもんでしょうか、昔はもっと年号サイクルが゛早いので、かなり意味合いが違うとは思いますが。現在の住職さんは二十四世だそうです。

当初は真言宗のお寺だったのが約120年後に現地へ移され、曹洞宗のお寺になったといいます。

この山門がなんとも印象的ですが、市文化財ということです。

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●享徳寺境内

享徳寺の境内に入ってのカットです。

「吉運山」という縁起良い名の扁額がかかっています。

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●佛定石

これも享徳寺内ですが、釈尊入滅の際に残したという足跡を石面に刻んだもの、とあります。釈尊入滅の際、とはお釈迦様が亡くなる時ですね。

インドではこれらを礼拝する習慣があるのだとか。日本伝来は奈良時代で、薬師寺にあるものが日本最古とも記されています。

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●しだれ桜

これも享徳寺のものですが、ちょうどこの訪問が4月中旬で、桜の時期でもあり、境内にはきれいな桜が咲いていました。

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●熊谷美術館

「くまや」びじゅつかん、と読みます。

関所跡によくこういうのがありますが、ここは熊谷家という旧家の跡で、更に熊谷美術館として今は存在しています。熊谷氏というのは江戸時代、萩藩の豪商でした。

江戸中期の1768年新築のこの建物は江戸時代の町屋建築の代表とされ、重要文化財に指定されており、代々が収集した美術工芸品や民具など文化史料などを保存、公開する事を目的として1965年に美術館として開館されています。

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2016年6月26日 (日)

JR仙崎駅 (山口県長門市)

山口県長門市のJR仙崎(せんざき)です。

長門市ではJR長門市駅をupしていますが、当駅はその長門市駅から山陰本線の支線として1駅だけ分岐した、いわゆる「盲腸線」の駅です。

-JR仙崎駅
【路線】JR山陰本線仙崎支線(長門市-仙崎間)
【開業】1930年5月15
【訪問】2013年9
【1日あたり平均乗車人員】  61人/日 (2013年)
【近隣の主要駅(長門市方面)長門市駅→隣駅
          (幡生方面)川棚温泉駅→14駅
          (京都方面)萩駅→6駅、東萩駅→7駅

●駅名標周り

冒頭述べた通り、JR山陰本線に属している長門市駅から1駅分だけ支線として分岐している盲腸線の駅です。夭折した「金子みすゞ」の出身地として強く存在感を放っており、駅自体の利用者数は多くないものの、長門市内で観光地的要素の強いエリアです。

少々古い話ですが、1989年度下期に放送されていたNHKの連続テレビ小説「和っこの金メダル」のヒロインもこの仙崎だったといいます。当時はその事を全く意識していませんでしたが、渡辺梓さん主演のこのドラマ、よく見てました。現在は桂文枝となっている当時の桂三枝師匠も珍しくドラマ出演されていた作品です。

中村雅俊さんが脱・青春俳優として30代では初めて飛ばしたヒット曲である「心の色」は、若くして亡くなった作詞家の大津あきら氏がその沈む夕日にいたく感動してつくったといわれています ♪朝日に出会って 夕陽に踊って~と何度も歌われるリフも印象的な曲でした。

バックのクジラの壁画がなんとも印象的ですが、この辺りは江戸時代にその全盛を迎えた古式捕鯨が行なわれていた所でもあります。和歌山県の太地(たいじ)なんかもそうでしたっけ。

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●ホーム

1面1線のみのホームです。

山陰本線の仙崎支線という1駅だけの盲腸線であり、1日の運行はわずか6本で、朝に3本、12時台に1本、夕方に2本だけというのが、当駅→長門市駅、長門市駅→当駅、共に基本パターンのようです。行先は厚狭駅から見ると、美祢線の厚狭(あさ=山陽小野田市にある新幹線駅)行きが多く、山陰本線を経て下関行きの便もありますが、山陰本線に入って東萩方面の直通便はない、という形になっています。

1日6本という事で、12時台の電車が乗れないと、次の便まで4時間程度開くという事になります。もっとも長門市駅との駅間は2.2kmなので徒歩移動でもじゅうぶん可能ですし、私が訪ねた時は長門市駅からバスで大泊というバス停まで行きました。これは仙崎駅を越えていく事になりますが、そういう目的で行ったので…。いずれにしろそんな頻繁に行き来している便はないと感じました。タクシーで10分程度乗るか、時間があれば徒歩が確実ではあります。

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●歓迎看板

駅のホームは素気ない1面1線で、クジラの壁画があるぐらい、と思うところですが、看板はこれだけありました。

「金子みすゞ」(1903-30)のふるさとであるという事。この仙崎の地で生まれ、26歳の短すぎ生涯をドラマティックに駆け抜けた童謡詩人で、東日本大震災での「こだまでしょうか?」のCMはあまりに有名ですね。またドラマで彼女を演じたのは松たか子、上戸彩といった錚々たる女優陣で、その扱いの大きさのようなものも窺えます。

もっとも彼女の存在は長らく世に忘れ去られており、没後50年を過ぎた1980年代に遺構集が発掘されてからは瞬く間に有名になったといいます。そんな事で死んだ後に評価が高まる後つけ天才のパターン(←アンジュルム「大器晩成」の歌詞より)になってしまったものの、その才は後々「再評価」された形です。そんな事もあり生誕百年の2003年に生家が「金子みすゞ記念館」として開館されています。

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●みすゞの街

駅ホームの端にあった看板です。

金子みすゞが仙崎の象徴的存在というのがよく分かります。

その横には、彼女の有名な詩「私と小鳥と鈴と」のフレーズが看板に載せられています。タイトルだけではピンと来ないかもしれませんが、「みんなちがって、みんないい」というフレーズはあまりに有名ですね。

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●駅舎内

ホームは(壁画はあったものの)それほど派手なものではありませんが、改札を出た駅舎内はこのようなモザイクアートで全面に覆われていて、ある意味衝撃でした。小さな駅の中にこんな派手な内壁だったとは…!それにしてもホームといい、壁は何かしら埋め尽くされてる駅ですね…。

皆の色んな思いが詰まっている感じの駅舎内はとても素晴らしかったです。

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●駅舎内2

コインロッカーがあったり、観光案内所もあったり、観光地的な要素も感じられる様子でした。レンタサイクルも1台外出しされていたりと。

でも人の気配は殆どなかったような…だからこうして駅舎内を好き放題撮れていた訳で。

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●駅舎内3

駅出入口から改札へ向かっての様子ですが、金子みすゞのモザイクアートがはっきり見て取れます。みすゞ再評価以前は、当然売り出しの対象になっていなかった訳で、また違った景色だったのでしょうね。

改札はゲートがあるのみですが、かつてはここに人が立ってハサミを入れたり、切符を取ったりしていたのかな、などと考えてしまいます。

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●駅を出て

すぐのところです。駅舎前の床面がきれいに整備されているのが分かります。

昔ながらの赤ポストと、向かいには金子みすゞ記念館への標識が出ており、記念館はこの駅からわずか400mの近さにあります。

ちなみに全くの偶然だとは思いますが、この駅の開業は1930年、みすゞの亡くなった年でもあり、亡くなった2か月後に駅が開業しています。

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●バス停

時刻表がいくつか貼ってありますが、ここにはバス自体はそこそこの本数来るようです。

どれが長門市駅まで行くのか、全て行くのか等なんだかよく分かりませんでしたが。

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●駅前通り

駅前広場から駅前の通りを眺めた様子です。

手前に四角い石のような椅子?がありますが、なかなかここに座る人はいないと思います。

時々ありますよね、意味不明な場所に椅子などが置いてあって「こんなとこ誰が座るんだよ?」みたいな感じのが。

で、この本の見開きのようなものは「金子みすゞとみすゞ通り」についての説明文がありました。

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●仙崎駅 駅舎

平屋の駅舎ですが、割と立派な建物が建っています。駅名の表示の上に屋根瓦が出ていたり、単に1駅だけ飛び出している、という感じでなく、観光地的な要素も少し出ているのかな、という感じでした。

ロータリーも整備され、駅から出た横断歩道からまた整備された床面に続いていくなど、手入れされている感も出ています。

JRで長門市駅からここへ来るには便は少なすぎますが、バス等で立ち寄ってここを見に来ても良いのではないかと思います。見どころもそこそこあるエリアなので、特にみすゞファンの方には必須の地という事で、他にも色々明確な売込み要素があれば(青海島もありますが…)更に良いと思えますね。

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2016年4月 4日 (月)

山口/光 百選?練磨の虹ケ浜!

山口県光市、JR光駅からの歩き旅です。

(2009年1月当時)

●駅前風景

光駅からの様子です。

「カンロのど飴」が真っ先に目に入りました。

飴で有名なカンロは東京に本社がありますが、前身は「宮本製菓所」という社名で、この光市にて1912年に誕生しています。以来100年を越える歴史を重ねて現在に至。、という訳です。

意外にも多い台数のタクシーが停まっていました。

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●光市マンホール

まず市の木がクロマツという事で、左側に描かれています。

そこから上に向かって出ているのは、市内の虹ヶ浜海水浴場に因んでの虹でしょうか?

あとはヨットやカモメと思しき水鳥と。マリーナシティ的要素を全面に押し出した格好でしょうか。

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●駅前通り

といっても、そのまま海水浴場へと続く道となり、向こうはもはや並木道状態です。なのでビルが続くとか商店街が続くとかはありません。

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●税務署前

向こうに並木道しか見えていませんが、これでも税務署前です。

ただ、税務署って必ずしも市の中心街にある訳でもなく、うちの地元でも「?」と思うような場所にありますし、ある所にポツンと存在する、という印象も少なからずあります。

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●海水浴場へ

虹ケ浜海水浴場へ。

光駅から徒歩3分という近さ。市の中心駅からこれだけ海に近いという素晴らしいロケーションです。

海岸であると共に、ここの松林は「宝積・虹ケ浜の松林」として「日本の名松百選」にもえらばれており、山口県では唯一の百選松林となっています。

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●他にも百選

松林の美しい海岸としては山口県随一の風景を誇りますが、百選はこれにとどまらず、「日本の渚百選」にもえらばれており、こちらは山口県では長門市の青海島(おうみじま)と2つ選出されています。山口県の山陽側では唯一という事になります(^^

他にも「白砂青松(はくしゃせいしょう)百選」というのにも選ばれています。美しい松原をともなった海岸、砂浜が選出されているという事で、これまた山口県では唯一です。

このように色んなものの百選に選ばれているのもすばらしいですが、いろんな「百選」があるんだな、という事も思わされます。

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●海岸

あまり周りがゴチャゴチャしていない、シンプルな周辺風景とでもいうか、自然に近い印象を受けました。砂浜に突然なんか建ってたりはしますが…

虹ケ浜という名ですが、ここでは虹が見れなかったものの、隣の島田駅では実際に虹を見ました。そういうものが見えやすい場所なのでしょうか?

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2015年8月29日 (土)

JR山口駅 (山口県山口市)

山口県山口市のJR山口(やまぐち)です。

山口市ではJR新山口駅をupした事がありますが、新山口は平成の大合併までは、山口市ではなく、「小郡駅」の名で、郡部の駅でした。

今回の山口駅は旧・山口市内の中心駅ではありますが、山陽本線からそれている為、本線上の新幹線駅でもある小郡が山口市になってからは中心地が取って代わられた感があります。それでも旧山口市の中心駅の名残が感じられる、そんな山口駅に触れたいと思います。

-JR山口駅-
【路線】
JR山口線(新山口-益田間)
【開業】1913年2月20日
【訪問】初訪問-2000年4月
【1日あたり平均乗車人員】 1,656人/日 (2013年) 
【近隣の主要駅 (新山口方面) 湯田温泉→隣駅、新山口駅→7駅
           
(益田方面) 津和野駅→13駅 

●駅名標周り

ここに初めて来たのは2000年4月の事でしたが、以後は2009年にバス移動の途中で寄ったぐらいで、この度2015年8月に久々にまともに訪ねて、撮ってきた写真を中心に本記事ではお送りしています。

山口県の県庁所在地・山口の市名を名乗る駅ですが、山口県で最も人口が多いのは下関市であり、また山口市においても旧郡部であった新山口駅の利用者数の2割程度しかない状況にあります。やはり、山陽本線からそれている部分はかなり大きいと思いますが、山陽本線上の新山口と山陰本線の益田とを結ぶJR「山口線」の真ん中にあるというロケーションであり、こんな所が県の中心的部分という事に驚きを感じました。

「のりかえ」にJRバスが挙がっていますが、電車では他都市へのアクセスがいまひとつという事でしょうか。新山口から萩へのバスがあり、ここで途中停車したりします。この時刻表のダイヤ的には1時間に1,2本程度あり、思ったよりは本数あるな、という印象ではありました。

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●ホーム

2面3線のホームです。濃いオレンジ色の電車が印象的でした。

複数路線を有する大規模駅ではないものの、大きなホーム上の屋根には県の中心的なものを感じました。

時に6時20分頃となっていますが、この時は島根県の益田へ向かうべく早朝から出発しておりました。益田までは2時間あまりかかります。

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●山口駅まわりMAP

「大内文化華やかなりし 西の小京都」とあります。

駅前にはお寺が多く、寺院めぐりにはうってつけの街だと思います。実際2000年春に初めて訪ねた時は、レンタサイクルで寺めぐりをしてました。

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●跨線橋内

三角屋根の橋で、幅はそれほどは広くないです。窓と掲示板があるくらいで、電光掲示の時刻表等はありません。

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●跨線橋より

停まっていた電車が2台ありました。

オレンジのと黄色のと。右側のは新山口からきたものと思われます。左側は、この時益田へ向かうべく乗った電車です。

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●ちぐまや

駅舎側のホームに立っていた、右からの文字の駅名標です。古都である雰囲気を強調するものとして象徴的なものといえましょう。新山口駅の記事に載せましたが、ここも同様に「りほごお」の駅名標があり、まさに姉妹品です(^^

その下にローマ字が普通に表記されているのがまた面白いです。

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●ホーム2

駅舎側のホームの様子です。

こちらは島式ではなく、幅が広く取られている感じです。

小さな幟?で「りほごお-のわつ」(小郡(=現・新山口)-津和野)の表示が並んで吊下げられていました。

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●大内人形

駅舎外に並んでいる「幸せ運ぶ 大内人形」です。

左側は「フシノのお殿様」、右側は「フシノのお姫様」とありました。

「フシノ」とは山口盆地を南北に流れる「椹野川」の事で、これらは一対ものに見えますが、当初はお殿様の方だけが2008年に造られ、その後「お殿様だけでは寂しい」ということで、2011年になってお姫様も造られたという事です。

地元の伝統工芸という事で、この人形は直径1.5m、台座からの高さは2mあるそうです。

年に一度は清掃されているようで、年末には地元の新聞記事になっていました。こういうものがあるのとないのとでは、全く違いますね。まさに華を添える、という感じで。

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●味一

という名のうどんそばのお店で、駅舎内にあります。

この駅に着いたのは昼間で営業時間内ではありましたが、空腹状態ではなかったので食べられませんでした(xx 山口といえば下関でふぐ入りのうどんを食べた覚えがありますが、ここのお店は地産地消をウリにしているようです。

ところで、メニューの部分含め、「円」とは書いてあるものの、価格が一切表示されていないのが妙に気になります(笑)

営業時間が19時まででありながらラストオーダーが18時30分、その差30分という居酒屋のような間隔が取られていますが、即席のうどん屋さんではないのかな?と疑問が。入らなかったので全然分かりませんが、こうして後から見ると色々突っ込みどころ満載な感じでした。

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●山口駅 駅舎

新山口の駅舎に比べると随分とこじんまりとした駅舎で、建屋の色は新山口が白に対して、こちらは茶色です。

中国地方の県庁所在地の中心駅で最も低い駅舎で、一応2階はありますが実質使われていないようでした。見た目が平屋で低く感じられる1層2階というべき建屋です。

それだけに「のんびりとした県都」を逆に味わえるというものかもしれません。

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●駅前通り

2000年に初めて来た時は、「県庁所在地ながら低い建物が続く駅前」のイメージが強く、右側手前のマンション等があった記憶がありませんが、とにかく県都の駅前通りとは思えない道路、と思っていました。滋賀県の大津にも同様の印象がありますが…。

中心的なエリアはここから10分ほど歩いた市役所周辺かと思います。この時泊まったホテルもその辺りだったのですが、この駅の真ん前だけ見てるとホテルも見受けられず、かつて郡部であった新山口よりも寂しい印象を持ってしまいます。

しかし、逆に渋い街であり、3km圏内で様々なお寺や塔など巡れるので、レンタサイクルで行くぐらいが丁度良いかと思います。この時は早朝出発でゆっくりできませんでしたが、次行く事があればじっくり街並みを堪能したいものです。

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2014年9月 2日 (火)

JR下関駅 (山口県下関市)

山口県下関市のJR下関(しものせき)です。

下関市は山口県の西部に位置し、人口は271,072人(2014.8.1現在)で、福岡県の門司とを結ぶ「関門海峡」があまりに有名で、県庁所在地でないにも関わらず、山口県で人口の最も多い都市でもあります。山口県で最も人口の多い都市は、山口市だとお思いの方も少なからずおられると思いますが、実はここ下関なのです。

-JR下関駅
【路線】JR山陽本線(神戸-門司間)
【開業】1901年5月27
【訪問】初訪問-1997年4
【1日あたり平均乗車人員】 10,432人/日 (2012年)
【近隣の主要駅(神戸方面)新下関駅→2駅
           (門司方面)門司駅→隣駅

●駅名

ホーム周りを撮った写真が殆どなく、いつもと違ってちゃんとして駅名標の始まりではありませんが、山陽本線で大阪・神戸方面から九州へ向かう時に、本州で最後の駅となり、次は関門トンネルを越えた先の福岡県/門司駅となります。

ちなみに金子みすずゆかりの地は山陰側の長門市になります。

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●駅前道周辺

長い歩道橋に多数の階段が下りていました。タコの足のように。

ちなみにここ下関に初めて来たのは1997年春、実に17年も前でやはりここ下関駅でした。

その時の写真は殆どないため、ここでは再訪時の2006年12月、宿泊時のものを載せています。という訳で約8年前の様子と思って見て頂ければと思います。

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●フグ

駅前の電話ボックスの上にはフグのオブジェがドカッと乗っていました。

ふぐの里です。質感ありそう…

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●駅前花壇

駅を出た延長上の通路部分に鉢植えの花が並べられていました。

スミレとか色々きれいでした。

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●駅出て目線

真向いにあるのは結婚式場だったと思います。

駅を出て、素晴らしい建物がお出迎えしてくれる、とも捉えられます。

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●歓迎

駅前の一角。

ヨットの帆に見立てたものに、歓迎の意を表し

「ようこそ しものせきへ」とありました。

港町としても名高い街で、近代捕鯨発祥の地ともいわれています。

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●下関駅 駅舎'06

撮っている限りで最新の駅舎です。これ以来ここには行ってないのでまた寄りたいと思っています。今年になって新駅舎ができたそうなので、この姿はもう残ってないのかなと思いますが、撮っておいて良かったと思います。

ちなみに新幹線が停車するのは2つ隣の「新」下関駅の方です。

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●下関駅 駅舎'97

そしてこちらは、初訪問時の1997年4月当時のものです。

06年版と殆ど変わりません。

意識全然してませんでしたが、結構同じようなカットが撮れてました

今回調べて初めて新駅舎になった事を知ったので、これは一度行くしか…ですね。

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