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28大阪府

2019年6月16日 (日)

阪急/千里山駅 (大阪府吹田市)

大阪府吹田市、阪急/千里山(せんりやま)です。

吹田市ではJR吹田駅をupした事がありますが、今回はこの阪急駅をupしたいと思います。

今朝、この駅前で警察官が男に襲われ、拳銃まで奪われて、犯人が逃走しているとの衝撃的なニュースが流れてきました。

大変危険な状況で心配ですが、無事に解決するようただただ祈るばかりです。

-阪急/千里山
【路線】阪急千里線 (天神橋筋六丁目-北千里間)
【開業】1921年10月26日
【訪問】2007年4月
【1日あたり平均乗車人員】 7,622人/日 (2017年)
【近隣の都市駅】(天神橋筋六丁目方面)阪急吹田駅→4駅 
          (北千里方面)南千里駅→隣駅

▼この辺りは「千里」の付く名の駅が多く、阪急でも千里線という天神橋筋六丁目(天六)から北千里駅まで分岐した路線で、隣は南千里駅です。またJRでは摂津市に「千里丘」という駅があります。

古くからあった地名ではないようで、宅地造成などで使われたのか?江戸明治期の文献には表れないといいます。

どうしても千里ニュータウンのイメージが強いのかなと。

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▼ホームの写真は上の1枚しかありませんが、これは駅前の写真です。

割と穏やかな雰囲気の方向ですね。ほっかほっか弁当の弁当屋さんがありました。

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▼西口の駅前です。

狭い路地の中を色んな建物がひしめき合っていました。

右向こうには近畿大阪銀行という銀行が写っていますが、現在もこの位置にあるようです。

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▼千里山駅舎ですが、これは小さい方で、ほぼ出入口のみに使われている感じです。

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▼千里山駅の駅舎、メイン側のアップでの様子です。

ここではまだ全景を撮りきれていないのですが、何せ人の多い所なので、好きな位置から撮るというのもままならず、極力人が写らないように撮るのになかなか苦労します。(写っても消しますが…)

このような駅ビル式(阪急千里山ビル)としてできたのは、昭和最後の1988年だといいます。以来この30年で平成、令和と3時代に跨って存在し続けている訳ですね。

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▼千里山駅の全景です。

なんとかこの位置から撮れたかな、という感じでした。

これは2007年、今からもう12年前の様子ですが、偶々手前にこの交番が写っていました。

本日事件のあった交番が阪急・千里山駅のすぐ前の交番だというので、ここの事だと思いますが、襲われた警察官の方にはなんとか助かってほしいところです。

そして今、この周辺は非常事態のような状態で、公共施設は臨時休業に入り、不要不急の外出は避けるように!という状況であるとの事で、一刻も早く事件が解決し、元の平穏な状態に戻る事を願ってやみません。

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2019年6月 1日 (土)

大阪/泉大津 北助松から松ノ浜まで

大阪府泉大津市、南海/北助松駅から松ノ浜駅までの歩き旅です。

(2019年4月当時)

▼北助松駅を下りてすぐの道には、このような大きな神社があります。

幟が沢山並ぶこの神社は「助松神社」といいます。

奈良時代8世紀中ごろの創建とされ「南海線の神社100選」に選ばれている神社であるといいます。

しかしこの100選の内訳は何なのか??いくら調べても、ようとして分かり得ませんでした。なんで検索して出てこないのでしょうか??ですが、本当に分かりませんでした。

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▼助松神社の拝殿です。

バリアフリー対応がなされており、スロープが取り付けられています。

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▼ 「八幡神社」「金毘羅宮社」「戎神社」など境内には末社が多数ありました。

金毘羅宮社の鳥居の右手前には「境内にイヌを連れ込まないでください」とありました。「連れ込む」って…

今風のネット語でいうところの「イッヌ」を連れ込むなと…。

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▼夜店の表示がありました。

手書きも交えているところが温かいですね。

毎月6・16・26日という事で、え?10日に1回のペースで夜店やっているのですか??

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▼助松神社を離れて、南海で隣の松ノ浜駅まで歩く事としました。

その道の途中に…

こんな古い棚類が軒先に並んでいて思わず見入ってしまいました。おそらくもうやっていないであろうこの店に…

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▼助松神社は想定していませんでしたが、行く事を考えていたのはこの近辺の「田中家住宅」でした。しかし…

ナント門前に消防車がガッツリ停まっていて、さすがに撮りにいけませんでした…

折角泉大津の古き良き邸宅として写真におさめようと思いましたが…

ちなみにこの住宅は「田中遠江守陣屋跡」とも記されています。田中遠江守重景という人物が元亀年間(1570-73年)に居を構えた事がその始まりとされています。織田信長の石山攻めに参戦したのち、大阪に戻り大庄屋となり、紀州藩の参勤交代時には宿場になったといいます。

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▼田中家住宅が撮れず、この道路(紀州街道)の延長上を進むのをやめて、左折して平行する幹線道へ出ました。

上の写真でもそうでしたが、至る所こんな風に枝の上部を切り取られていた木がやたら多かったです。

なんか異様だったのでついつい撮りたくなります。

道路を逸れたのは「牛滝塚」なるものがこの辺にあるとGoogle mapに記載があったのですが、住宅に埋もれていたのかよく分からないままでした。その代りこの写真を撮ったようなものでした。

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▼幹線道を逸れて再度紀州街道へ戻り松ノ浜駅へ歩を進めました。

松ノ浜駅寄りになると、明確な名所に出くわしました。

それがこの木…ではなく、

「助松村石造物群」 です。

観光名所らしく「紀州街道」の標柱や、周辺マップなども配されていましたが、2015年に「泉大津ふるさと文化遺産」に認定され、2017年には大阪ミュージアム登録物として登録されたといい、近年その価値がかなり評価されているようです。

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▼その助松村石造物群にあるマップと説明板です。

この辺りは田中家住宅に紀州藩の参勤交代の宿として利用されるなどして紀州街道とよばれ、大阪城下と和歌山城下の約50kmを結んでいました。と、そんな事を想像しながらこの道を歩くと、もっと思い入れが深まるかと思います。

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▼その石造物群は、ここに見えるものです。

ここが自治体として助松「村」であったのは、1889(明治22)年までの頃です。

以後は上条村の大字となり、現在は泉大津市の大字として「助松」の名が残っており、南海電車の駅名も「北助松」駅があります。この近くにある隣駅は元々助松駅であったものが現在は「松ノ浜」駅と改称されています。

ここにあるうち3基は西国三十三度供養塔で、うち2基には1808年と1848年の建立銘があるといいます。江戸時代から遺る素晴らしい文化遺産ですね。西国三十三ヶ所の巡礼は観音菩薩が33の姿に変化して衆生を救済する、という思想に基づいて中世に始まったといわれています。

ちなみに右から二番目のものは徳本上人名号碑という江戸中期の高僧の碑であるそうです。

この辺りは場所的に助松村のはずれであったといい、村境などは当時追剥(おいはぎ)が出る場所とされ、そのある種魔除け的な意味合いで設置されたとの説もあります。

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▼石造物群のすぐ横にある地蔵尊です。

地蔵盆の頃にはきれいに飾付けをしてもらっている姿を写真で見かけました。

石造物群への感謝状も額にしっかり飾られていました。

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▼助松村石造物群を後にして、紀州街道をそのままほぼ松ノ浜駅付近まで来た地点に、この「松ノ浜温泉」がありました。

純然たる銭湯で、入口下足箱のところから男女分かれている構造でした。

先月の事ながら、中の記憶がうっすらとなってしまっていますが、サウナがかなり狭小な感じで、1人入っているだけでも入りづらかった事と、露天風呂が限りなく内湯っぽい雰囲気で、一応外気には触れていたものの、内湯とドアで仕切りしているだけの、別部屋の内湯ではないか?と思ったくらい、露天感が希薄であった印象があります。銭湯大好きな方には必ず行ってほしいところです。

下記にありますが料金体系が細かくて、小学生以下の料金設定がありました。

【松ノ浜温泉】

住所:大阪府泉大津市松之浜町2-7-1

電話番号:0725-32-2421

利用時間:15:00~24:00

定休日:毎週金曜日

入館料:大人(中学生以上) 440円、中人(小学生) 150円、小人(0歳から幼稚園児) 60円

アクセス:南海/松ノ浜駅より徒歩約5分

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という訳で、泉大津市の北助松駅から松ノ浜駅までの歩き風景の形にて御紹介でした。

 

2019年5月28日 (火)

南海/北助松駅・松ノ浜駅 (大阪府泉大津市)

大阪府泉大津市の南海・北助松(きたすけまつ)松ノ浜(まつのはま)の、今回は2駅の御紹介です。

泉大津市では南海/泉大津駅をupした事がありますが、今回は市内の他の南海駅の御紹介となります。

まずは北助松駅から。

-南海/北助松駅-
【路線】
南海本線 (難波-和歌山市間)
【開業】1957年12月28日
【訪問】初訪問-2007年3
【1日あたり平均乗降車人員】 12,595人/日 (2017年)  
【近隣の都市駅】(難波方面) 高石駅→隣駅 
          (和歌山市方面) 泉大津駅→2

▼この駅に初めて来たのは2007年3月の事で、つい最近2019年4月に12年ぶりに再訪しました。

という事で駅名標の写真を2枚載せましたが、上側が2019年版で、下側が2007年版です。(方向(ホーム)が違うので完全に同じ位置の比較ではありませんが…)

昔の方が正方形に近い小さな、しかも単色の駅名標で、12年経って駅名標は色遣いが綺麗になり、隣駅表示は漢字となり、駅ナンバーがつけられ、駅名はハングルも追加されています。

そしてその下の壁面ベンチはきれいに塗装されています。

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▼2019年版のホームです。

2面2線のホームである事は2007年と何も変わっていません。2007年版のホーム写真が他にないので、ホーム写真は2019年版のみです。

向かいホームには自販機が4つ並んでいました。

両ホームが繋がってる感がないのですが、それもそのはずで、各ホームそれぞれが出口にそのまま繋がっており、互いのホームへ行き交えない構造となっています。間違って逆方向の切符を買って改札を通ると、反対ホームへ移動しようとしても行く事ができず、一旦改札を出て、踏切を渡らなければならなくなります。

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▼2019年の和歌山市方面の駅舎です。

2007年版は、反対方向のなんば方面の駅舎しか撮っていなかったので、比較ができませんでした。

こちら側は本当に「出口」という感じで、通路の上に屋根が造られているだけに過ぎないというのが個人的印象でしたが、駅舎というより「出口」な感じでした(笑)

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▼その2007年当時のなんば方面の駅舎です。

先述の通り、改札入ると互いのホームを行き交う事ができない構造の為、入口の前に「なんば方面のりば」と明記されています。

こちらは反対に、2019年に撮っていなかったので、これまた比較ができませんでした。が、当時もこの駅舎であり、この12年間は特に変わっていないようです。

こちらは駅舎の体をなしていて、屋根の部分も厚みのあるものとなっていました。ここもやはり改札出るとすぐ出口で、その上に屋根と柱のついたエリアがあるに過ぎない状態ですが、そこに造られている建物が駅舎然とした感じではありました。

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続いて、松ノ浜駅です。

-南海/松ノ浜駅-
【路線】
南海本線 (難波-和歌山市間)
【開業】1914年12月10日
【訪問】初訪問-2007年3
【1日あたり平均乗降車人員】 3,965人/日 (2017年)  
【近隣の都市駅】(難波方面) 高石駅→2駅 
          (和歌山市方面) 泉大津駅→隣

▼これもまた駅名標周辺の比較です。

上が2019年版、下が2007年版です。

比較対象位置が全然違うので何とも言えませんが…

北助松駅は隣が高石駅でしたが、この松ノ浜駅は隣りが市内中心地の泉大津駅となります。

そして北助松駅は当駅より40年以上遅れて1957年に開業していますが、当駅は開業当初「助松駅を名乗っていました。

その後北助松駅開業して3年後の1960年に、助松駅から現在の「松ノ浜」駅に改称となっています。

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▼2019年版のホームです。

2面2線の高架ホームで、両ホームの屋根にあたる部分が柱的なもので繋がって続いています。

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▼こちらは2007年版のホームです。

現在のような高架ではなく、まだ地上ホームの頃で、当時は高架工事中の状況でした。

上りと下りを時期をずらして実施し、上りはこの翌年の2008年に、下りは2012年に高架化されたという事で、この時はまだどちらも高架化されていない工事中の状況でした。レアな時期に来たもんだと、今から思えばそう感じます。

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▼2019年のものですが、高架ホームを下りた改札内の様子で、主にトイレ周りとなりますが、広めのゆったりとしたエリアになっています。

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▼暗くて分かりにくいですが、こちらは2007年版の構内の様子で、地上ホームから階段を下りて地下へ一旦入り、その地下から再度階段を上って地上の改札へ出る構造でした。

下りて、通って、また上がって、出るという形でした。

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▼改札横あたりにあったダイヤです。

1時間4本が基軸で、朝晩の通勤時間帯などは多めに設定されている感じで、優等列車の停車はなく、隣の泉大津駅には急行などの優等列車が停車します。

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▼2019年版ですが、改札外から見た改札周辺の様子です。

階段上がって改札を出るのではなく、平坦の道のまま改札を出る形になっています。

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▼これも2019年版ですが、両出口の吹き抜け具合が分かる角度で。

この通路で駅を通り抜け、左側にはきっぷうりば、その向こうには改札がある、という構造になっています。

2007年訪問から、久々に2019年に寄ってみると、だいぶ駅の雰囲気が変わっていた訳ですが、駅舎も大きくなっていました。

駅は大きくなりましたが、特に何かのお店が入ったという事はなく、駅設備のみという部分は昔と変わっていない感じでした。

隣の北助松駅は、両方向にそれぞれ改札がある、駅規模としては決して大きくない駅ですが、駅舎が大きくなったこの駅の3倍以上もの利用者数があり、この大きくなった松ノ浜駅は北助松の1/3の利用者数という訳です。利用者数のはるかに少ないところが駅規模がぐんと大きくなるってなんだろう??と思いますが、都市計画に伴う高架化とか色々背景があるのでしょうね。

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▼ここから先も2019年版が続きますが、これは駅西口です。

とっても狭い道路の前に駅があります。高架化に際して駅も大きくなりましたが、周辺の土地があまり確保できなかったんでしょうか?

真ん前にはチケットの自販機があり、この写真の右手前には自転車置場(預かり所)があります。

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▼東口の松ノ浜駅の駅舎です。

建物の感じや駅前広場周辺から見て、こちらの方がメインという感じですね。駅前のスペースの広さが反対側と全然違います。

床地の部分はとてもきれいに整備されていました。

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▼東口の駅前広場の様子です。

どちらかというとメイン側な感じです。

駅の前もスペースが確保されております。

ともあれ、泉大津市内で市名を名乗る泉大津駅以外にこんなに大きな駅ができたのは素晴らしい事です。

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▼最後に2007年当時の松ノ浜駅の駅舎です。

高架化される前の小さな駅舎でした。

これが上の写真のような大きな駅舎になるのだから立派な「出世」ですね。

欲を言うならばその大きくなった駅舎に店のひとつでも入ると良いなと思ったのですが、今後そのような可能性はないのか??と期待もしてしまいます。

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2019年4月30日 (火)

大阪/交野 きさいちぃ散歩

  大阪府交野(かたの)市、京阪/私市駅からの歩き旅です。

(2018年12月当時)

▼交野(かたの)市の私市(きさいち)と、難読地名が続きますが、その私市駅を降りて程ない所にあった「天の川 散策マップ」

天の川ではありませんが、「天野川」という川が流れており、有名人の古歌に多数詠われているといい、そしたまた交野は「星のまち」を標榜している自然をウリにしたところで、大阪にあってこんな風に自然を前面に出したところはそう多くないと思うので、癒しを求める方にはとても良いかと思います。

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▼私市駅から高齢者・障がい者支援バスが1日8便このような時間帯で出ていました。

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▼これも私市駅前の一角ですが「交野市広報板」として色々なものが掲示されていましたが、やはり色んな所に色んな文化がある事を感じます。

で、交野というこの街にもいろんなイベントや開催事があるのだなという事も感じました、至極当たり前の事ですが「ここはどんな街なのか?」と疑問が湧く時、よけいにこの事を実感します。

TOEICもあれば太極拳教室があったり、環境フェスタなどもあったり、消防士の募集もキャラを登場させたり、色々でした。

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▼私市駅から出てすぐ左を向いた辺りで、既に住宅街に商店がついてるみたいな雰囲気でした。

この辺りは結構ガッツリ住宅街で、それ故先の天の川がウリにはなっているものの、それ以外のものを見つけるのがなかなか難しいものがありました。なのであまり「これ」というものは撮れませんでした。そういうものを探してはいたんですが…

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▼交野市のマンホールです。

真ん中を分断している形の横線は天野川のイメージで、市の木桜と市の花つつじがそれぞれ配され、更には市の鳥キジが添えられていて、「市の〇〇」でまとめられてしまっている感じでした。

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▼このあたりは「私市○丁目」という地名がつづく住宅街で、そんな住宅街に川沿いの家並みがありました。崖屋造りではないですが、それに似た感じの雰囲気が良かったです。

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▼私市駅前の広場と反対側へ出ての住宅街の一角です。

こちらは古くからの住宅街という感じで、いわゆるニュータウン的な感じではない、昔ながらの家々が立ち並ぶエリアで田畑もありながらのどかな雰囲気でした。

石垣塀から木が突き出しているのがとても印象的で撮ったカットです。石垣塀造る時にこの木を切らなかったのでしょうが、そんなに大事な木だったのでしょうか?カットとして面白いものになっていますが…

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▼私市駅の周りをぐるっと回るような形で、再度私市駅前広場側へ戻り、少し距離はありますが若宮神社というところへやって来ました。

270年からの歴史はあるようです。

広めの公園の中にあり、公園の延長上にある古くからの神社という感じです。

飾られている絵がインパクト大でした。龍が口から火のようなものを吐いていて。

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▼またまた私市駅を越えていく形で、ジグザグしていましたが、どの辺訪ねていいやら分からず、試行錯誤で?あちこち心の赴くままに歩いていたままの状態でした。とりあえず私市駅に戻るのはやめて、隣の京阪/河内森(かわちもり)駅へ徒歩移動する事にして、その道のりで写真を撮っていきました。

そんな中で、これらのブリキ版広告群に出会えました。

まだ全国各地に少し残っていますが、あればいちいち写真に撮ってしまいます。

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▼古めの住宅群を抜けると、こんなカントリーな感じの所へ出てきました。

「生産緑地地区」なんてあるんですね。

自治体によって指定された、農業などに使う用地であり、農地などとして残すべき土地、とされている場所です。

交野ってその名前からすると、都市的な雰囲気を勝手に抱いていましたが、その実は結構カントリーな要素に満ち溢れた街なんですね、という事を実際に訪ねてみて感じました。

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▼そしてこの辺りには結構お寺がありました。

これは浄土真宗「西念寺」というお寺です。

1624年に当時の私市の門徒さんの為に開かれたお  寺、と伝わっているようです。西念寺という名前は1719年についたといいます。

下側は門をくぐっての中の様子ですが、親鸞聖人像がありました。

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▼河内森駅へはこの道を向こうに進んで行きます。

田畑上の堤の上という感じの道路です。

河内森駅は駅舎の真裏に来てしまうと、すぐ傍にあるにもかかわらず、何百mも歩かなくてはならない超めんどくささがあり、これにも参りました。

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という訳で、これといった目を惹くものも大して見つけられず、私市駅から河内森駅まで来た感じの旅でした。

交野の街の一角の風景をお伝えしただけの格好となりましたが、名前のイメージと違って、星の里でカントリーな風景という大阪の市では珍しい所と思いますので、そんな事でアプローチして見ても良い街ではないかと思いました。

 

2019年3月24日 (日)

JR東寝屋川(現・寝屋川公園)駅 (大阪府寝屋川市)

大阪府寝屋川市のJR東寝屋川(=ひがし・ねやがわ。現・寝屋川公園=ねやがわ・こうえん)です。
寝屋川市では京阪/寝屋川市駅をupしたことがありますが、今回は市内唯一のJR駅である当駅の御紹介です。
-JR東寝屋川(現・寝屋川公園)
【路線】JR片町線(木津-京橋間)
【開業】1979年10月1
【訪問】2007年5
【1日あたり平均乗降車人員】4,610人/日 (2016年)  
【近隣の主要駅(木津方面) 京田辺駅→8駅 
          
 (京橋方面) 四条畷駅→2駅
▼これは2007年5月当時の「東寝屋川」駅時代のホームで、本記事での写真はすべてこの時のものであり、記事タイトルも旧名にしています。

ついこの前までこの駅名でしたが、ことし2019年3月16日「寝屋川公園」という駅名に改称されました!本当は改称後に訪ねて写真をupできればよかったのですが、改称で話題になったので、この機に旧駅名時代のカットを記事にあげた次第です。
両サイドがこのように覆われていて、切削された中にあるホームで、1面2線のみとなっています。

また1979年開業という、珍しい時期にできた駅でもあります。当時、寝屋川市は国鉄が通過するのみでしたが、この駅がつくられて市内にはじめて国鉄駅ができて、市内では京阪駅のみの状態ではなくなりました。また同じ片町線で木津方面へ4駅進んだ「藤阪」駅(枚方市)も同日に開業しています。

市の代表駅としては京阪の寝屋川市駅となりますが、ここは開業時から「東寝屋川」(寝屋川市駅より東へ約2kmの地点にりあます)と名付けられ、次第に「そのような地名はない」等の理由で、住民から改称要求があがっていたといい、府営寝屋川公園の最寄りである事からこの名前に落ち着いた、との話がありました。
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▼切削された部分にホームがつくられており、そしてこちら側は駅舎の下となっています。
上の写真では全く屋根がありませんでしたが、ここではトンネルが屋根代わりになっている格好です。
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▼駅前広場の様子です。
イズミヤの東寝屋川店が駅前の代表的な商業施設です。
あとは現在の駅名にもなっている寝屋川公園が約600mの所にあり、野球場が2つあり、テニスコートがありと大規模な運動公園施設となっています。
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▼寝屋川駅の駅舎でホーム上にある部分です。
ホーム線路を跨いでこの建物があり、切削された掘割部分に跨っています。
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▼東寝屋川駅の駅舎として出入口のカットです。今ではこの部分も駅名が変わって表示されている事でしょう。
階段を上がってすぐ出口、の格好になっていて、駅規模としては小さいものとなっています。
階段上に建物をつくっただけ、という意味では地下鉄駅とおんなじ構造となります。
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▼反対側の駅舎ですが、こちらは建物は少し長く続いているもののやはり、階段を上がった直後に出入口がある形で同じでした。

駅名改称は大変お金のかかる事で、そこまでして狙っているものは何だろうか?という気がしますが、再開発とかそういうものがあるのでしょうか。この写真から10年以上経っているので、多少の変化はあるかもしれませんが、色々調べる限り大きな変化は今のところはないようです。

どにもかくにも、新生「寝屋川公園駅」に期待したいと思います。
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2018年11月25日 (日)

JRりんくうタウン駅 (大阪府泉佐野市)

大阪府泉佐野市のJRりんくうタウン駅です。

泉佐野市では南海/泉佐野駅をupした事がありますが、今回は関西空港の隣にあるこの駅の御紹介です。

-JR・南海/りんくうタウン
【路線】JR関西空港線(日根野-関西空港間)
     南海空港線(泉佐野-関西空港間)

【開業】1994年6月15日
【訪問】初訪問-1997年3月
【1日あたり平均乗車人員】 JR-3,112人/日(2016年)
                  南海-5,316人/日(2016年)  

【近隣の都市駅】(関西空港方面)関西空港駅→隣駅 
           (泉佐野方面)泉佐野駅 →隣駅
           (日根野方面)日根野駅→隣駅

●駅名標周辺

駅の開業は1994年、関西空港の開港に合わせてできた駅です。

大阪の陸地と関西空港を結ぶ真ん中にある駅で、JRも南海でも空港線として中間駅の役割を果たしています。

今年の秋には台風の影響で駅機能が停止した事でも話題に上がりましたね。

こちらはJRのホームですが、南海も同居する形になっていて、隣の関西空港駅までこの関係性は続きます。ただし大阪の陸地(本州)側は隣駅がJRでは日根野、南海は泉佐野とそれぞれ別の所へ繋がる格好となっています。

駅名標の真下は時刻表だけでなく、路線図まで載っていました。ダイヤ的には1時間に3本程度で、普通以外に関空快速などは停車しますが、特急「はるか」は停車しません。また南海では特急にあたる「ラピート」は停車します。

ここに初めて来たのは1997年の事ですが、この記事の写真は2009年5月当時のものです。

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●ホーム

2面4線のホームで、外側が南海のホームで、内側がJRのホームとなっています。

高架ホームとなっていて、ここから階段を下りて改札へ向かう事となります。

真ん中の屋根が両サイド柱で繋がっていて、その上に半円状のものが覆った模様となっています。

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●駅を出て

だいぶ夕暮れ時であったので、全体的に暗めの画像になっていますが、駅を出て、いかにも人工的な街づくりを感じさせられました。やはり関空開港に合わせて造られているので、ビルや床やなんやかや人工物に覆い尽くされている感じでした。

向かいここの遊園地で遊んだことがありますが、その時は逆バンジーとかあって楽しみました。1人でここへ来てみると、何しよか?って感じになってしまいました。

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●観覧車

りんくうタウンの象徴的なものとして有名なこの観覧車「りんくうの星」。

高さは85mにもなり、泉州平野など一望できるこの観覧車は1人あたり700円で乗れます。夜はライトアップされていてとても綺麗で、関空から帰ってくる時に目に飛び込んでくるこの観覧車が素晴らしい訳です。

中途半端に暗いとライトアップされた見え方も中途半端です(笑)

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●りんくうタウン駅 駅舎

南海とJRのマークが駅名についていました。

ANAゲートタワーホテル大阪と表記のついたホテルが写っていますが、このホテルはこの写真の2年後の2011年6月に閉館となっています。その後7月にスターゲイトホテル関西エアポートとして開業しています。

りんくうプレミアムアウトレットなどがあるので、そういうところへ行くのも良いかな、というところです。しかし台風が直撃してくると立地の関係上、えらい事になるというのがこの秋の事でよく分かったので、泊まる場所として利用するかどうか、とか考えさせられたものでした。

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2018年9月15日 (土)

大阪/泉南 樽井の街の粋な風景

大阪府泉南市、南海/樽井駅からの歩き旅です。

(2018年4月当時)

●駅前

といっても駅すぐという所でなく、駅前をまっすぐ100m程進んでから右折した辺りの様子です。

商店街の雰囲気があるようなないようなですが、風情ある部分も随所に感じられ、木造建屋も結構目立っていました。

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●またも木造家屋

歩いているうちに出くわしました。

屋根の下の部分には「七」とありました。ここに「水」とあると火除けの意味合いがあるといいますが、七ってなんだろう??な感じでした。

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●坂道を上る

ある意味この一連の道が、個人的に泉南市で最も印象深い風景かもしれません。

この樽井には通算3度来たはずで、最初が07年、次が17年、そして今年…と。

最初の07年はホントに樽井駅前だけしか行ってないので足を下ろしただけで、二度目の17年は、樽井駅からJRの和泉砂川駅まで歩いて行ったのですが、そんなこれという景色に出会えぬまま、という感じでここまできてしまいました。

そして今年…ちょっと進路を変えてみて樽井界隈を歩いて見る旅にしたところ、この坂道に出会えました。プチ・ベタ踏み坂とでもいうか…。進めば進むほど急になっていく坂でした。

この坂は「仁右衛門坂」とか「受法寺坂」などといわれています。江戸時代に酒造業や廻船業など様々な商売に手を広げていた豪商の深見仁右衛門という人物が蔵から荷を運ぶのに便利なように道をつくったそうで、この坂を下っていけば(写真でいえば手前の部分にあたります)樽井の港へと至ります。

樽井の街は地形上このような坂が多くなる構造なのだそうで、3度目の訪問でこれに気づくとは…という感じでした。

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●受法寺

仁右衛門坂を上がった所にある受法寺というお寺です。

この坂が受法寺坂とも言われる所以はこのお寺があるからです。

かつてこの坂を使って港へ向かって荷を下ろしていた事が窺えると思います。

この受法寺は浄土真宗本願寺派のお寺ですが、表の山門はかなりきれいで近年改築したのでしょうか。歴史はよく分かりませんが、この坂が商売で利用されていた頃にあったお寺でしょうか。

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●火の用心!

坂の所を離れて街を歩いていたところに出くわした泉南市消防団の樽井分団です。

シャッターに描かれていた絵がかわいらしくてアップで撮ったのですが、「樽井」の名の入った纏を持つ人のものでした。まぁこんなに嬉しそうに纏を持つのか?ってのもありますが…。

その右側のカットは消防士がオープンカーに乗って消火栓から水を出しているカットで、2つとも何かを感じさせられるようなカットでした。

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●樽井温泉

消防分団のすぐ近くにある温泉施設で、表には「SPA TARUI」とありました。

大阪府下最南端の銭湯といわれていますが、電気風呂やリラックス風呂などお風呂の種類がなかなか豊富なようで、露天風呂もあるようです。

この時に立ち寄ったのが午前中で、営業が15時~であったので残念ながら入れませんでした。広間もあるということで、単なる銭湯ではない雰囲気で、そこがまた惹かれどころでしたが…。全体的に古めかしい感じの銭湯+αという感じの施設でした。

興味おありの方は是非に行って頂いて訪問記を書いてほしいところです(笑)

【樽井温泉】

住所/大阪府泉南市樽井4-25-32

電話番号/

営業時間/15:00~23:00

定休/毎週火曜日

入浴料/一般大人350円

アクセス/南海・樽井駅より徒歩10分

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●茅渟神社

「ちぬ」神社と読みます。平安中期創建とされる歴史ある神社です。

樽井温泉のところから、高いゲートの残ったところの横路地へ入って進んでいくと程無く見えます。昔はこのゲートももっと派手だったのでしょうか。なんとなく往時の雰囲気の面影だけを遺すような雰囲気を感じました。

そしていざ境内へ。

今年が戌年なので、このようなお戌様の大きな絵馬が。

茅渟の語源についても説明が記されていましたが、古代神話の戦いで血の沼になったというものでした。魚のチヌ(黒鯛)にも絡められ釣り人の参拝も多いといいます。

酒樽が沢山置かれていましたが「長龍」が懐かしかったです。今もあるんだなと。TVCMでやらなくなったら自分の頭からすっかりなくなってしまっていたもので。♪なーるほどよいさーけー ちょう~りょお~ って歌でしたっけ。

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●山の井遺蹟

茅渟神社を離れて今度はこのような遺蹟へ。

神武天皇の東征でその兄が矢傷で深手を負い、手当ての場を求めてここの清水で洗い流したというような事が書いてありましたが、色々と歴史的な出来事に遭遇するものですね。という訳でここは記念碑と玉垣などで構成された遺跡公園となっています。

さて、これまで二度の訪問であまり歴史的な部分に触れられず、泉南ならではのものをあまり感じられなかったものが、三度目の訪問は実のあるものとなりました。まさに三度目の正直で、それまで浅く広くしか訪ねられなかったところを、これから少しずつ深く訪ねたい、というのが近年の旅の個人的な理想です。

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2018年9月 7日 (金)

南海/樽井駅 (大阪府泉南市)

大阪府泉南市の南海/樽井(たるい)です。

泉南市では、JR和泉砂川駅をupしていますが、今回は南海での泉南市の中心的役割を果たすこの樽井駅をupします。

-南海/樽井駅
【路線】南海本線(難波-和歌山市間)
【開業】1897年11月9
【訪問】初訪問-2007年4
【1日あたり平均乗降車人員】 7,830人/日 (2016年)
【近隣の都市駅(難波方面) 泉佐野駅 →4駅
          
(和歌山市方面) 尾崎駅 →隣駅

●駅名標

ここへ初めて寄ったのは2007年の事ですが、この記事では2017年再訪時のものをお送りします。

南海での泉南市の中心駅的存在で、隣は阪南市の尾崎駅ですが、泉南市と阪南市で位置関係が紛らわしく、どっちがどっちかよく分からなくなります。南海の路線上で、より和歌山寄りなのが阪南市です。

岐阜県の関ヶ原辺りの東海道線に「垂井駅」というのがありますが、読みが同じで字が違う駅です。

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●ホーム

2面3線のホームで両ホームは向こうの跨線橋で繋がれています。

泉南市の中心的な役どころですが、特急は通過します。

利用者数的には南海100駅あるとして40位くらいという事で、平均よりやや上というところです。

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●跨線橋から

2線の線路がここから見えますが、もう1線は屋根の右側に隠れています。

左側が駅舎側です。

屋根の色がつぎはぎな感じで、所々まだらでした。

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●跨線橋内

割にきれい目な跨線橋に片側だけ掲示物がズラリと並んでいました。

屋根は三角形で突き当りが五角形に見える形のもので、窓は真ん中に並んだタイプのものでした。特に目を見張るものもなく、普通の窓付きの跨線橋でした。

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●駅前通り

向こうへ続くビル右の道が駅から伸びる駅前通りです。

手前の建物は目立ちますがその向こうは、あまり高い建物は見られませんでした。

駅前通りも商店街というより、市街地の一角という感じでした。

JR側の泉南市の中心駅的存在の和泉砂川も唐突に駅が現われる感じで、純然たる市の中心駅としてデンと構えている感じの駅がこの市内にはないな、というのを感じました。

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●樽井駅 駅舎

緑の屋根縁が印象的な駅舎です。

平屋の小さな駅舎ですが、横に長い駅舎となっていて、多少はそこそこの規模感を感じさせるものでした。しかしやはりあまり市の中心的な雰囲気は感じられませんでした。

泉南市にはキーとなる大きな駅がほしいなというところですが、相応の中心的なエリア不在というところでしょうか。

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2018年8月29日 (水)

大阪モノレール/大日駅 (大阪府守口市)

大阪府守口市の大阪モノレール/大日(だいにち)です。

-大阪モノレール・大阪メトロ/大日駅
【路線】大阪モノレール線(大阪空港-門真市間)
    大阪メトロ谷町線(大日-八尾南間)

【開業】大阪モノレール-1997年8月22
     大阪メトロ-1983年2月8日

【訪問】2007年3
【1日あたり平均乗車人員】 大阪モノレール-14,196人/日 (2016年)
           大阪メトロ-16,124人/日 (2017年)
                            
※大阪モノレールは乗車人員
【近隣の都市駅(八尾南方面)守口市→隣駅
           (門真市方面)門真市→隣駅
           (大阪空港方面)摂津駅→2駅

●駅名標

関東の西武や東武のような大きな駅名標が、この大阪モノレールの特徴のひとつです。

大阪モノレールでは終着・門真市の一歩手前の駅です。

ここではモノレールで訪ねたので、基本モノレール駅舎の関連が記事になりますが、同じ場所で高架の上がこのモノレール駅で、これを出てすぐの所で地下へ下りれば、大阪メトロの駅になります。

当駅はモノレールと地下鉄とが同じ場所にありますが、隣の門真市駅はこのモノレールと京阪電車が同じ場所にあります。

大阪メトロとは元の大阪市営地下鉄ですが、これが今民営化され、俗には「大阪メトロ」と呼ばれ、正式名称としては「大阪市高速電気軌道」といいます。今年4月1日に大阪市交通局は、その114年にわたる長い歴史に終止符を打った訳です。

大阪の地下鉄が大阪市外にも延伸しており、ここ守口市にもですが、八尾市へも伸びています。地下鉄駅としてのこの駅の開業は1983年ですが、それ以前の谷町線は隣の守口駅までの状態で、ここから1.8km延伸されてこの大日まで伸びて、以後35年変わらず今に至っています。

本数的にはほぼ10分に1本程度運行されており、何よりここの利便性は伊丹空港へ直通で行ける事です。

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●線路

モノレールの軌道は大抵適度なカーブを描いていて、これがあたかも空へ吸い込まれるように伸びている、そんな風に見えるので、どこで見ても美しいと思ってしまいます。

周りの景色の関わり方も相まって、適度に描くカーブがとっても画になっています。

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●駅前AEON

この大日駅前の象徴的なものといえば「AEON」です。イオン大日店です。

2006年9月にオープンしたという事で、この写真は2007年3月当時のものなので、まだ開業して半年のホヤホヤ状態でした。

地下鉄都は地下道で、モノレールとは2F歩道で、このAEONとつながっており、駅前におけるこのAEONの役割/位置づけたるやただならぬものを感じました。

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●駅前広場

ロータリー上になった広場にタクシーが何台も停まっていました。

子の真ん中にあるシェルターみたいなものはオブジェでしょうか?まさかトイレがど真ん中にあるとも思えませんが…。

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●地下鉄駅

当時の大阪市交通局の大日駅です。

しっかりと天井のついた立派な地下駅舎でした。

なんというか雑な部分が微塵も感じられない、しっかりとした感じの駅でした。

モノレールの高架から降りてきて、その駅舎を出て歩いてすぐにこの入口があり、地下へ行けば地下鉄と連絡状態です。接続がある、という意味ではありません。両者ともかなりの本数停まるので、ある意味自然な接続状態かもしれませんが。

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●大日駅 駅舎

モノレールの駅舎です。

モノレール駅なので高架ですが、大阪モノレールの駅舎はどれも大規模な建物です。

駅前も雑な事なく、床面もしっかり整備され、AEONへの通路があったり、地下鉄も通っていたり、かなり手厚く施されているエリアである事を感じました。

ちなみに守口市では、京阪の守口市駅が中心的存在で規模も大きく、この駅の地下鉄での隣駅はそれこそ「守口」と市名そのものなのですが、いかにもという感じの普通に地下鉄の駅で規模も小さいです。

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2018年8月19日 (日)

JR総持寺駅 (大阪府茨木市)

大阪府茨木市のJR総持寺(じぇいあーる・そうじじ)です。

茨木市では阪急/茨木市駅をupした事がありますが、今回は今年開業したJRの新駅をupします。

-JR総持寺駅
【路線】JR東海道本線(東京-神戸間)
【開業】2018年3月17
【訪問】2018年8月
【1日あたり平均乗車人員】 実績なし(本年開業)
【近隣の都市駅(東京方面)高槻駅→2駅
           (神戸方面)茨木駅→隣駅 

●駅名標

2018年3月17日、JRの摂津富田-茨木間3.7kmの間の駅として、エレベーターでお馴染みの「フジテック」の旧本社跡地につくられ、現在開業後5ヶ月を迎えています。

阪急に「総持寺」駅が既に存在する為、単に総持寺駅ではなく、「JR総持寺」と"JR"が冠された駅名となっています。その為、駅名標にも「JR」とデカデカと書かれています。

この関西圏域の新駅には、私鉄の同名駅が既にある場合が多いので、このようにJRが冠されているケースが非常に多くなっています。確かに場所的に他の名前を付けると混乱の元にもなると思うので、変な名前をつけられず、この形に落ち着いているのでしょうか。

この駅の沿線はほぼ阪急と平行に走っていますが、同じ名前の阪急総持寺駅は徒歩約10分の所にあります。駅名にもなっている総持寺へは徒歩5分程度で行けます。

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●待合室周辺

ホームの様子ですが、1面2線の構造で、隣の茨木駅は快速が停車しますが、当駅は普通のみの停車となっています。真ん中にシンプルな形の待合室があります。この暑い時期はここに入れるかどうかで全然違ってきます。

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●ホーム仕切り

新駅らしく?ホームの柵が設けられており、乗降口がスライドドアの形式となっていて、費用がかけられている事を感じます。

近隣の高槻駅では昇降式のホーム柵が設けられており、沿線も順次そのようにしていくのかは分かりませんが、この柵だけで見れば新幹線駅のような金のかかり具合?!でした。調べてみれば、この二重引戸の柵の採用は「JR西日本初」なのだそうで、驚きました。

改札へはここから降りていく形ですが、盛り土上に設けられたホームであり、高架駅の形ではありません。

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●改札外

階段を下りて改札を抜けて出てきたところです。

南口が公共交通機関の案内が、そして北口は施設関係の案内がありますが、正直なところこれといった何かがあるような感じではありませんでした、高層マンションなどはありますが。ちなみに阪急の総持寺駅へは南へ下る事となります。

バスは阪急茨木市駅行きなど2路線がロータリーに乗り入れてきますが、まだ初期設定というところでしょうか。今後増えていくのかどうなのか、そういう変遷を今後見て行くのも新駅の面白さかもしれないですね。

案内板の隣にある怪獣などの絵は、駅のブロジェクトで展示されているアートのひとつです。

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●北口

北口はロータリーも広場もない、ただ通路だけが線路に沿って伸びている状態でした。

駅を出て右側はいきなり封鎖されている状態で、左側から出るよりなく、これをひたすら歩いて行きました。

通路の右側は工事をしていたので何かしら開けてくるのかもしれません。もっとも向こうの柵のある部分は中学校なので、開けてくるかどうかは分かりませんが。

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●周辺案内図

バスやタクシーのロータリーのある南口にある案内板です。

阪急駅への方向でもあり、駅前の様子から見ても明らかにこっちの方がメインという印象でした。

この地図では下が北向きで、真ん中やや上が現在地であるJR総持寺駅で、左下から右上へ対角線上に走っているのがJRの路線になります。

左上をかすめるように走っているのが阪急線です。左上へ斜めに進むと阪急総持寺駅へと至り、この間が色々地図上に載っており、それなりに色々なものがあるようです。すみません実際には歩きませんでしたが(暑すぎて…)

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●南口周辺

案内板を含む南口ロータリーの様子です。

FUJITECに高層マンションに…とそんな建物は目立ちますが、デパート系や飲食系が前面にある訳ではなく、いかにもつくられた感じの雰囲気でした。

駅前も人で賑わう感じではなく、まばらな感じで、行き交う車もあまりありませんでした。

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●JR総持寺駅 駅舎

南口から見た駅舎です。

北口は先の写真のとおり、通路だけにつき南口からのみ、このように駅舎然とした建物として見る事ができます。

この時はタクシーが停まっておらず、バスの行き来も確認できませんでした。車の行き来は時々あった程度でしたが、これからどうなっていくのやら…というところですね。

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●おまけ

として、これは駅前というより、駅横にあたる部分で、真ん中が高架下でくぐる形ですが、駅入口までは距離がありながらも単なる標識ではなく、れっきとしたJRでの駅名表示がついていました。

北口通路の写真にもありました菅、やはり築堤サイドの石造り部分はやはり印象的な駅でした。

今後、阪急総持寺との連携や周辺駅の乗客取込みや色々と将来が考えられますが、そんな可能性にも期待しつつ、この記事の結びとしたいと思います。

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より以前の記事一覧