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03岩手県

2016年11月 9日 (水)

岩手/宮古 大漁旗の舞う街に

岩手県宮古市、JR宮古駅からの歩き旅です。

(2013年8月当時)

●駅前広場(三陸鉄道前)

駅を出ると目に飛び込んでくる景色のひとつです。

手前の白い建物が何だったかも今となっては思い出せず、地図で色々調べてもなかなか出てきません。まさかこの3年の間になくなってしまったのか?分かりませんが…

左端の茶色がかった建屋は「キャトル宮古」というショッピングセンターで、スーパーから専門店まで各階ごとに店が配置された宮古駅前の顔的な存在です。1980年に開業し、サティが入っていましたが、2002年に閉店となり、このキャトルとなってからは震災も乗り越えて、ここまで36年間営業が続いてきています。

よくこういった都市の駅前のSCそのものが閉店→廃屋に追い込まれたり、あるいは建屋は残っていても、空洞化しながら寂しく営業を続ける様子を目にしているので、ここは是非とも頑張ってほしいものだと思います。

東北のサティの店舗の様子については⇒コチラ 

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●ミニステージ

バックの背景が正面から見ると「なぜ切れ切れになっているのか?」と思いましたが、横から見て納得しました。市内の景勝地「三王岩」のものでしょうか。

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●記念碑

左から「超我の碑」「鉄道開通記念碑」「三陸鉄道記念碑」のようです。

左の「超我の碑」は、1972(昭和47)年に建てられたものですが、1944(昭和19)年に起こった雪崩に乗り上げて起こった脱線事故が発端で、この時に運転者が瀕死の重傷を負い、事故の旨を他の職員に伝え走らせたものの、吹雪で視界不良となり、伝令者が戻った時には運転手は事切れていたそうです。

真ん中は1934(昭和9)年に建てられた鉄道開通記念碑で、右は1984(昭和59)年に建てられた三陸鉄道開業の記念碑です。

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●駅前広場(JR前)

三陸鉄道の駅前広場は本当に広場スペースという感じですが、その横にあるJRの駅前広場はこんな感じのロータリーとして機能している形です。

タクシー降場と明確に記されていたり、バスのりばがあったり、交通の集約場として機能しています。宮古市は人口5万そこそこですが、観光資源が豊富なせいか、その人口以上に賑やかな雰囲気がありました。

岩手県の太平洋岸はかなり穏やかな雰囲気かと勝手に思っていましたが、この辺りはそうでもないです。当時は「あまちゃん」の効果もあったのかもしれませんが。

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●橋の上から

踏切と立体交差する橋の上から見たホーム周辺のカットです。

いくつもの線路が織りなす模様が実に素晴らしく、交通の要衝感も出ていました。

線路の右サイドは結構更地が広がっていたりはしますが…。

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●メッセージ

三陸鉄道の駅舎内だったと思いますが、当時は震災の2年半後の頃で、まだまだ爪痕が色濃く、「がんばれ東北」のような手書きメッセージがこんなに多数、貼ってありました。

やはり直接被害を受けて、路線も途切れ途切れになったりで、バス輸送に転換されたり色々と厳しい局面に立った場所でもあるので、このような声は半端なものではなかったな、と感じます。

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●さんてつグッズ

これも三陸鉄道の駅舎内で、グッズの売店がありました。

こういうのでも儲けてるのか…とか思いながら見ていましたが、目先の資金はとにかく必要な状況でもある訳ですね。当時まさに「あまちゃん」放送中だったので、最も旬な時期にここを訪ねる事ができて本当に良かったと思いました。

放送が終わるとどうしても潮が引くようになってしまうし、また演じている女優さん自身がまた窮地に立ってしまったり、今行くとまた違った雰囲気になっているのかな、などと想像してしまいます。

かいけつゾロリのグッズが売っていましたが、作者に縁やゆかりがあるという訳でもなく、ただ「かいけつゾロリ号」なるラッピング電車を三陸鉄道に走らせており、ここに原作者の原ゆたか氏が全面協力している旨の記述は見られました。

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●おでんした

JRの宮古駅の出入口ひさし下に、「いわてさ よくおでんした」とありました。

盛岡駅にも「ようおでんした」という挨拶看板が何度か出てきたかな、とか思い出します。

よくお越しくださいました的な意味と思いますが「おでん」の文字にウケてしまいます。

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●県道138号

駅前の県道です。

宮古停車場線となっています。「停車場線」はだいたい駅から伸びている道路である事が殆どです。ここの場合は宮古駅から出て100m程で終わるようです。

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●駅前道を往く

Docomoショップやローソンなどがある駅前の通りを歩き出しました。

ここでの滞在時間は約2時間でしたが、何か食べたいという思いがかなり強く、でも見つけられずで、それだけで駅前に長々居た為、街歩きにはあまり時間を割けなかった、そんな印象を持っています。

なぜ食べる事に執着したかというと、ひとつは、三陸屈指の港町で海のものを食べない手はないだろう、という思いでした。いまひとつは、ここを出て移動する時にこの先数時間はまともにものを食べられそうにない、と予想できたからでした。

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●菓子店

駅前をずっと歩いて行ったある一角です。

この看板…、Coca-Colaの看板があるだけで立ち止まってしまいますが、それでいて現役のお店ってすごい!と驚きを隠せなくなってしまいます。

下側の写真は、「夢の星」という名前に惹かれて撮ったようなものです。おもちゃ屋さんですね。

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●大漁旗

途中でこんな大漁旗が掛かっている商店街に出くわしました。

こんな所にこうしてぶら下がった大漁旗はなかなか見た事がなく、宮古といえば…で自分の脳に鮮烈に焼き付きました。

こんな通りならば少々風が吹いても、大漁旗が揺れてるという事で、その事に気がいくのかもしれません。

海鮮丼とか食べたかったんですが、ここと思った店がなかなか開かず、結局待てずでゆっくり腰据えて食べられませんでした。電車がもう少し本数あれば…とつくづく思わされる機会もあちこち行ってればあります。

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●塩ドーナツ

宮古駅で買いました、塩ドーナツです。千葉恵製菓というところがつくっているとの事です。

ドーナツに砂糖ではなく塩です。でも全然違和感なく、普通にお菓子として食べられました。宮古駅を離れる道中にこれを食べていました。宮古土産のようなものです、すぐ消費しましたが(笑)

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2016年9月28日 (水)

岩手/滝沢 岩手県大・自然の恵み

岩手県滝沢市、IGRいわて銀河鉄道/滝沢駅からの歩き旅です。

(2014年5月当時)

●滝沢市案内板

駅記事にも書きましたが、この時は滝沢「村」から「市」になってわずか1ヶ月という時期でした。ここには堂々と滝沢「市」とあるのが素晴らしいですね。

岩手県のほぼ真ん中にあって、盛岡のベッドタウン的存在であり続け、人口はずっと郡部で最も多い時期が長かったのにいつまでも「村」だったこの滝沢、「町」を飛び越えていきなり市になった訳ですが、AKB関係の痛ましい事件が起きたのもこの市でした、関係者も無事回復して本当に良かったなと。心まではどうなのかですが…。

で、この絵は無形文化財である「チャグチャグ馬コ」というものです。農耕に欠かせない馬の勤労に対して無病息災を祈念したのが起源とされています。歩くたびにチャグチャグと音が鳴るとされる鈴の音は「残したい日本の音風景100選」に入っているといいます。

キャンプ場がちょいちょいありながら北西端には岩手山がそびえたっています。そんな中でどこへ行こうか?駅近くではあまりなにも見れないかな…?と思いながら街を歩いておりました。何も見つけられないままかも…と思いながら。

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●バス停

駅横といった感じの位置に広場があって、そこに複数バス会社のバズが乗り入れていました。ここにある岩手県交通というものと、岩手県北バスというものです。ここに写っている分は便数がまだありますが、県北バスの方は1日6便程度しかありませんでした。

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●天皇皇后行幸啓記念碑

滝沢駅前の小高い丘にあったものです。

昭和49年12月とありました。

これを書かれた上田常隆(1900-80)という人物は毎日新聞の社長を務め、日本新聞協会の最高顧問を務めた人物で、出身は大阪ながら郷里が岩手県であり、ここ滝沢村(当時)の名誉村民でもありました。

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●これから行くところ

ここ滝沢が長年5万を越える人口を有しながら、市はおろか町にすら昇格しなかったのは、昇格要件を満たしていなかった事とされており、その重要な一つが「中核となるエリアが存在しない事」でした。

その事は知っていたので、ここへ来てもあまり「中心地が栄えてる」的な予想はしませんでした。でも実際来ると本当にコレというものがなく、なんとなく街が続いている感じでした。駅前も駅前通り感皆無で、普通の街なかの通りでした。

それもあって、どこへ行こうかと思っても中心地にはさしたるものもなしでは??と思っておりました。ダメ元ではないけど、ここに標識の出ている「岩手県立大学」とやらへとりあえず歩いてみよう、駅前で思案の末、出た結論はこれでした。

そんな訳で、この駅前広場を右へと折れます。

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●たきざわマンホール

村のものか市になってからのものか、ここにはその疑問は不要ですが、案内図に出ていたチャグチャグ馬コとバックには岩手山の組み合わせ、これで滝沢という街を語らん、というのがマンホールで感じられました。

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●右へ折れて進む

岩手県大目指してこんな道路を進んで行きます。

駅前ラーメン入口、とありながら更地が続いて、その先にいくつかの建屋がありましたが、特定しづらいものがありました。

本当に駅前だからといってさしたるものがない通りです。長年市にならなかったわけだ、と。

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●むらの市

という看板が目立っていますが、「日の丸青果店」というお店です。果物野菜等のちょっとした食品が売っているようです。行った時は開いていませんでしたが。

ウリは学生(岩手県大?)に人気の200円の焼き芋だそうです。HPはコチラ 

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●銀行 コンビニ

こんな感じの街並みの中にこうして銀行があるのも、滝沢市ならではのような気がします。

大抵は市の中心駅前の通りに建っていて、街並みに溶け込んでいる感を銀行に対してい持っていますが、ここの場合は街から浮き上がっている感じすらして、市の中心駅の駅前だから賑わっている、の原則?!を崩して確たる中心地を持たないこの地ならではです。

コンビニはローソンが駅の真ん前にあったと思ったら、少し歩いたところにセブンイレブンがありました。本当に主要な施設が「点在」という感じでした。

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●郵便局

これまたポツンと唐突に郵便局がありました。パッと見てそれと分かる建物ではないので、右側の道沿いにあるオレンジの看板を目安にして下さい。それが郵便局です。滝沢駅からだと距離にして500m程度です。

左側は森林のような空間になっています。市の中心駅前数百mで北海道の自然のようなこの風景です。

で、郵便局に話を戻しますが、市の駅前にあるので本局かと思いきや、単なる駅前局で「滝沢駅前郵便局」です。では本家の?!「滝沢郵便局」はどこにあるのかというと、ここから10kmほども離れた全然違う場所にあります。ここ滝沢駅前が盛岡の北にあるとすれば、滝沢局は盛岡のほぼ西に位置し、この駅のあるIGRの路線と全く別の沿線(JR田沢湖線)にある大釜という駅から北へ1kmの地点にありますが、これとて本局ではないようです。このあたりも明確な中心地のない当地らしいロケーションかなと。結局それに行き着いてしまいますが。

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●野沢バス停

滝沢駅前バス停同様に、岩手県交通と岩手県北バスが乗り入れています。

後者の方はダイヤがこんな感じで、1日6便程度です。

左側はこんな感じで、山林の景色です。実際これを中に入って行ったら…と思うと、少々怖い感じすら覚えました。道はありますが、いつの間にか道がなくなっていそうで。

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●わかれ道

滝沢駅前をずっと歩いて来ましたが、ここが遂にわかれ道で、この先の行程はこれを右に折れる事となります。

郵便局からさほど歩かないうち、本当にすぐの地点ですが。しかしこの先を直進したとすると、それまで左側だけが高木の並木道でしたが、遂に両サイド高木に覆われる事となります。本当にこの先は何があるかが分からない、後で調べたら一応中学校や幼稚園はあるようですが、それだけという感じでした。

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●桜と山

5月上旬でも桜がこんなに綺麗に咲いているあたりはさすがに東北地方です。

そのバックに雲をたたえた大きな山がいい感じで写っています。とにかく素晴らしい景色、これで滝沢に来て良かったと思えました。山は先述の岩手山で、ここは2,000m級のなかなかの高山(頂上2,038m)で、岩手県では最高峰を誇ります。

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●県大入口 バス停

駅前の直線道路を右に折れて進んで行くところ。

やはりここもバス停標識が2本立っていました。いずれも県大入口という事で。この道を左へ折れていけば県大の敷地に入れます。公立大学ですよね、今頃気づきましたが。

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●大学通り

さて、滝沢駅から1kmあまり、ようやく岩手県立大学のほん近くまでやってきました。大学前のこの通りは、桜並木がお見事で、まさに「咲き誇る」という言葉がピッタリはまります。

そして、大学前の標識には右に大学、左には各研究機関の数々が点在し、このエリアは滝沢氏屈指のブレイン地域とでもいったところでしょうか、滝沢の英知がここに結集している、そんなエリアでした。

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●岩手県立大学

ここまで1kmほどの道のりで引っ張りに引っ張りましたが、今回記事の主題ともいうべき存在、岩手県立大学です。

この分度器みたいな?アーチをくぐる形で門を入って行きます。それこそオープンキャンパス、まったくノースルーで入れる感じでした(入りませんでしたが…)

学内地図もありました。同名の短期大学部も包括する形となっていて、看護学部や社会福祉、ソフトウェア情報学部など、かなり専門性の高い学部が多いのが特徴といえます。1998年開学という事で、我々が学生時代存在を全く知らず、それもそのはずで当時なかった訳です(笑)

県立大学という事で、県知事がかなり開学に尽力した模様です。開学して20年経っておらず、4年制の1期の卒業生でも現在35,6歳というところでしょうか。著名人は輩出するのはこれからでしょうね。

でも本当に自然豊かで落ち着く雰囲気のエリアです。若い人たちからすると活気がなくてさびしく持て余す感じもないとは言えませんが。旅行者としては本当にこのエリアに来れて良かったですし、滝沢にて良いひと時を過ごせました。

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●学舎

最後にこの写真を。

こんなのどかな場所で学び育っていくわけです。

キャンパスというより山里の分校のようでもありました。

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2016年3月23日 (水)

岩手/二戸 馬渕川までの駅前坂道

岩手県二戸市、JR(IGR)二戸駅からの歩き旅です。

(2015年10月当時)

●駅前俯瞰

二戸駅の橋上部分からガラス張りで駅前を俯瞰した様子です。

この二戸へは2009年8月に一度訪ねてはいるのですが、ほぼ夜で街の様子などまともに撮れたものではなく、記事にできるレベルではなかったので、去年10月に6年ぶりに訪ねて、今回記事にした、という事です。

昼間の景色が初めてだったので、2度目の訪問でも、「こんな感じだったのか…」と思わされた駅前風景でした。

左側に視線を移すとバスセンターがあり、多くのバスが停まっていて意外でした。都市間を結ぶものとして、あまちゃんでお馴染みの久慈行きのバスがあり、最短70分で着くそうです。

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●地平へ

降りてみての駅出てすぐのカットです。

だだっ広い駅前のスペースに、タクシーが一台だけポツンと停まっていました。スペース有り余ってる感ありありでした。

右手前には「南部美人」と岩手の地酒の名がデカデカと!昔ながらの地方都市の駅前の雰囲気を感じます。

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●おむすびではありません

駅前にありましたが、「北福岡駅開業八十八周年記念」の石碑です。

現在は二戸駅を名乗っている当駅ですが、国鉄の分割民営化直前の1987年1月までは「北福岡」という名前の駅でした。また二戸市という市も1972年に市制化され、それ以前は福岡町という形で存在していました。

開業が1891(明治24)年なので、この碑がつくられたのは、下にもありますが1979(昭和54)年になります。

当時の国鉄(第8代)総裁としてその名を刻まれている高木文雄氏は、1976-83年の間、総裁を務めましたが、この頃は赤字路線のバス転換政策で、国鉄には苦難の時期であったと思います。また珍しく国鉄外部からの総裁就任であったといいます。その後二代の総裁就任を経て、国鉄は民営化の時代と変わっていきます。

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●駅前通りを歩く

駅前広場を抜けて、通りをまさに歩き始めた所です。商店街的に店舗の建屋が続いています。

手前のお店は駅前俯瞰で出ていた右側の手前から2番目の建物にあたります。

野菜たっぷり味噌ラーメンが\750で食べられるなど、最近の食レポもあったようで、まだまだ現役のようです。その向こうのお店含めてこの辺り通っていて現役でない所も少なからず感じましたが、今現役の所はまだまだ頑張ってほしいものです。

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●標識

鹿角街道とよばれる駅前のこの通りは下り坂が続いていて、行きはよいよい帰りは…という感じでした。

そんな中で出ているこの標識、市の中心施設はこの駅の近くになく、1km以上離れた所になります。

現在地は「枋(こぶ)ノ木」という結構な地名です。実際そういう名の木があり、その正式名はニワトコ(接骨木)というそうです。

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●坂の中の商店街、

駅から更に進んで下り塚の中に続いていく商店街、ちょっと時代を感じさせる独特な色や模様の建物が軒を並べていて、なんとも不思議な感じでした。しかしこの中で現役の店舗はどの程度なのか、という事も考えさせられました…。

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●地下のある街

人口2万人台のこの二戸市に地下道がある、その事にまず驚きました。

それがこの「駅前地下道」です。

どうやら、この道路両サイドを結ぶ地下道のようです。これだけの為につくられたのか…?

そんなに交通量が多いとも思えず、正直いつでも渡れそうな雰囲気満載のこの道路ですが…、このために地下道使うだろうかという感じで。すごいところに金かけるな…と思って見ていました。もっともこれ以外に何か地下街のようなものが形成されていたら、もっと驚きますが…

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●二戸駅前郵便局

二戸駅から駅前道路を歩いて約200m、駅前道からは少しそれた所にあります。メインの通りが下り坂の中、一転してここは上り坂の途中にあります、何とも起伏の激しい街、二戸…

平日以外では土曜の12:30までATMのみ稼働しているだけの郵便局です。

ちなみに本局になる「二戸郵便局」はここから1kmあまり北東で、九戸城跡の近くにあります。

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●道なりに

駅前通りもまっすぐな部分が200m程で終了し、道なりにこのような大きなカーブを描いて大きな橋に至ります。

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●川原橋

という訳で、普通の進むと左へとカーブを描いて行ったその先は、「川原橋」という橋に行き着きます。

この橋の下を流れる川は「馬淵川」といいます。馬淵川水系の本流で一級河川であり、岩手県葛巻町から青森県八戸へと延長は142kmあるといいます。渡辺喜恵子という作家の方が「馬淵川」という小説を1959年に発表して直木賞を受賞しており、直木賞を生んだ川ともいえますね。

さて、ここまで駅前の食堂を除いてはコンビニも見当たらず、食べる所もなさそうな二戸駅前でした。街の様子は橋を渡る前と後とで少し違ってきます。同じ道なりに続いているだけでも違うものだと実感させられました。川の手前までは以上です。

秋口で紅葉っぽい色づかいが感じられ、少し寒いながら景色としては魅力ある歩き旅になったと感じました。

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2015年8月26日 (水)

岩手/陸前高田 復興のみちを往く!

岩手県陸前高田市、JR陸前高田駅からの歩き旅です。

(2015年5月当時)

●駅向かい

陸前高田の駅をバスで降り立ち、道路隔てて真向いにある「陸前高田市コミュニティホール」の建屋です。まだ朝早かったので開いてもいない状況でしたが。

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●少し離れて

右端に見える円柱様の建屋が陸前高田の駅ですが、少し離れるとこのような感じで、左端は防災センターの建屋です。手前には広大な更地が広がっていて、一応市の中心駅の駅前といえど、このような具合で、陸前高田がいかに大打撃を受けたか、という事が窺い知れるというものです。

この右端へ伸びている道路を手前に程なく行けば、陸前高田市役所です。

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●市役所前バス停

上の写真の道を手前に向かって進んだところに、この「陸前高田市役所前」のバス停があり、この標識から道路隔てた向かいに陸前高田市役所があります。

標識が2本ありますが、手前が岩手県交通のもので、向こうの黄色いのがデマンド交通とあり、予約型の乗り合いタクシーの停留所となっています。地域の足的な側面が強く、他都市への行き来はあくまでJR駅(BRT運行)の利用が向いていると思います。

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●陸前高田観光案内所

バス停のほぼ真向いにあったといえる建屋ですが、実にこじんまりとした建屋が1件ポツンと道端に建っていました。朝の8時台で、隣にある市役所に通勤する職員の方々が続々と歩いてくるような状態でしたが、ここはずっと閉まったままでした。

でも市の中心部といえる、この辺りが散発的に主要施設が立つだけで更地も多く、観光するとこあるのかな、と正直思わされたました。これまで東日本大震災後に石巻や東松島、久慈、大船渡などに行きましたが、ここまで更地が多かったのはここ陸前高田をおいてないのでは?とも思いました。復興って進んでないな、という事を感じました。

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●陸前高田 周辺地図

観光案内所の建屋前面に貼ってあってた地図です。

通行止め、通行規制区域と色々あり、復興の進んでなさを感じずにいられませんでした。

「奇跡の一本松」というのを見たかったんですが、あちらを取ればこちらが取れずとなり、ただでさえアクセスに大変苦労した街なので、この中心部を訪ねる事で他を捨てる結果となりました。

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●陸前高田市役所

観光案内所からほぼこの距離で市役所、というロケーションで本近くであります。

2F建てでしかもプレハブのこじんまりとした建屋。いかにも復興を目指す街、という感じですが、これがこの街の現実を表わしているんですね。あれから4年以上経ってもなお、この姿という訳です。

確かこの日は5/1で、GW期間中であったもののれっきとした平日で、朝8時半前には次々と職員さんが登庁され、遊んでてすみません、という気分になりました(^^;

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●市役所裏手

上の写真の向こうの建屋を裏から見たカットです。

ホントにただの道路沿いにプレハブで建っているだけ、という感じで、この地に本格的な庁舎が立つ日はくるのでしょうか。いつかこれが過渡期の庁舎の姿、となる日はくるのでしょうか、そんな事が気になったものでした。

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●コンビニとおかし工房

左側にあるのがセブンイレブンですが、陸前高田駅がこの裏手にある状態です。すぐ裏ではないですが、ほぼそれに近い至近さではあります。

右に半分見えているのは「木村屋」というお菓子工房と冠されたお店があります。

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●マンホール

陸前高田のマンホール、中央から市の花つばき、市の鳥カモメ、市の木スギ、という事らしいのですが、カモメがよく分かりません。

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●幹線道へ

一連の陸前高田駅~市役所あたりの一帯を抜けると、このような幹線道に出くわしますが、周りに何にもない感がプンプンする中を、あてもなく歩き続ける事となりました。

折角来た陸前高田でこれ以上の収穫があるのかないのか、そんな半ば不安の中の街巡りでした。

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●横目にタンポポ

こんなのどかな光景に癒されつつ、歩いていました。

何はなくともこういう景色を見ながら歩く事自体が旅の幸せ、と言えるのかもしれません。

案外こういうのがその街の思い出深いシーンになっていたり、個人レベルではそうなのですが、こうしてブログに載せる以上は、ここに行ってみたいと思わせる、この街独自のものを…と探してしまいます。

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●復興へ向けて

これが2015年5月の姿ですが、2011年3月に特に壊滅的な被害を受けたというここ陸前高田、4年経ってもとにかく更地の多い事。復興なんてまだまだ先、震災が過去の出来事として風化してしまう事の怖さを感じさせられます。ここはまだまだ全然、復興への途上にある訳で。

下の2枚の写真はこの幹線道の歩道から脇を見た様子です。

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●復興道路

と書かれた看板がありました。

「つなげよう 命の道」と。

本当なら2009年夏に行ってたかもしれない陸前高田でしたが、時間の都合で寄れず、こうして2015年になって訪ねて、復興への歩みを未だに見せている姿が見られて、それはそれでよかったのかもしれません。神戸の震災の時のように目につく部分が元に戻ったから復興、という訳ではない、という事をこの街では如実に教えられたと思います。

そんな想いで町めぐりをするのも、また一つかもしれません。楽しむというより、噛みしめる感じで、そんな旅があっても良いのかなと。人生勉強のひとつとして…。

陸前高田はまだまだ復興途上。これからの街です!という事でこの記事の〆にしたいと思います。

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2015年5月17日 (日)

JR陸前高田駅 (岩手県陸前高田市)

岩手県陸前高田市のJR陸前高田(りくぜん・たかた)です。

陸前高田市は岩手県の南東部に位置し、人口は19,267人(2015.2.1現在)で、2011年の東日本大震災で市の全世帯の約7割が被害を受けたといわれ、中心駅も流失し、いまだ線路もない形で、復興に向けて力強く動き出している街でもあります。

歌手の千昌夫さんや俳優の村上弘明さんなどもこの陸前高田の出身で、♪「花は咲く」にも登場されています。

個人的な話では、以前より行きたいと思っていた街で、2009年に近くまで来ていながら時間の都合で叶わず、震災前の駅を見る事が出来ずにいました。

震災後は線路がなくなり、アクセスが困難になったと聞き、なかなか訪問できずにいましたが、この5/1にようやく訪ねる事ができ、ここに着いた事で「本州の市・全訪問」を達成する事ができ、そういう意味でも記念の地となりました。

-JR陸前高田駅
【路線】JR大船渡線<BRT区間> (気仙沼-盛間)
【開業】1933年12月15
【訪問】2015年5
【1日あたり平均乗車人員】75人/日 (2013年) 
【近隣の主要駅(気仙沼方面) 気仙沼駅→4駅 
           
(盛方面) 大船渡駅→8駅 

●時刻表

何度か書きましたが、ここには未だ線路が通っていない状態で、「BRT」(バス高速輸送システム)というバス専用路線で運行されています。

かねてより何度も訪問機会を窺ってきましたが、私の地元からでは9時間ほどかかる事もあり、なかなか踏み出せずにいました。今回GWを利用して、一ノ関で泊まってからアクセスしました。

当日の行程は以下の通りです。

5:56 一ノ関 発
      ↓
7:25 気仙沼 着
7:36 気仙沼 発

      ↓    ここからBRT (バスに乗換)
8:07 陸前高田 着

一ノ関までは新幹線で行けるのですが、ここから先のアクセスが大変です。気仙沼まで約1時間半かかります。と、ここまでは電車ですが、気仙沼でバスに乗換となり、この先は駅の跨線橋の下を線路のない道路がある形でバスが出発します。

この時刻表は陸前高田でのものですが、気仙沼との便は、ほぼ1時間に1本の割合で運行されています。

また、JRの扱いとなるので、電車⇒バス乗継の場合は、最初の駅で切符を買うだけでOKで、上の行程でいうと、一ノ関駅で陸前高田までの運賃の切符を購入できます。

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●時刻表(気仙沼駅)

上の時刻表では分かりにくかったので、ここへ着くまでの気仙沼駅での時刻表を。

陸前高田にはこういう分かりやすい時刻表が見つけられなかったので。

該当分は右端の「下り 陸前高田・盛方面BRT(バス)」とある分で、1時間に1本程度であるのが分かります。きれいに各時に1本ずつですね(^^

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●運行情報システム

駅舎が流されて、1からつくる事となった陸前高田の駅ですが、驚く事に駅舎内このようなシステムがありました!

JRでは関西圏でもなかなかこのようなシステムがなく(大阪の地下鉄にはありますが)、JRでこのようなシステムがあるのは画期的!と思っていましたが「バスだからできるのか」とも思いました(^^ バスにはこういうシステムがたまにありますね。

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●駅舎内

ここへ来るまで陸前高田の駅舎についての情報を殆ど仕入れなかったので、建屋もろくにないバス停的なものすら想像していました。

そしたら、良い意味で誤算でした。こんな室内スペースがあって、みどりの窓口まであるとは職員さんはいませんでしたが…

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●陸前高田駅 駅舎

だいぶ引っ張りましたが、陸前高田駅の駅舎です。思いの外?素晴らしくて驚きました。

今のWikipediaで見ても、この形ではなく、もっとこじんまりしたプレハブ小屋が載っていますが、この写真のものが現時点の最新形です。今年2015年の3月14日に移設とあるので、この時で移設後1ヶ月半という状態です。

いちばん上の写真の手前にある「BRT専用」というレーンから入っていて、この建屋の真ん前にバスが停まります。乗客をのせると、これを左に回って、この駅舎を囲うように進路を取り次の駅に向かいます。

気仙沼・盛方面のどちらの方向でも、このレーンから入って左側の車線で停まり、同じように駅舎を囲う形で出て行きます。

ちなみに一番上の写真でいうと、駅舎の左半分(手前側)がみどりの窓口および待合室の「駅スペース」で、右半分はトイレになっています。

ここへ移設された3月14日には、JR東日本、県や市の関係者、住民等約100人が集まり、高田高校の吹奏楽部が演奏を響かせ、くす玉割り・テープカットなどの華々しい開業セレモニーが行なわれたという事です。

この駅周りの街は市役所がすぐ傍にあるものの、まだまだ復興に向けての開発があちこちで行われていた状況でした。その新しいシンボルとしての役割もこの建屋は担っていると感じましたが、この規模がさらに大きくなれば良いなと思います。がんばろう東日本!

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2015年5月 2日 (土)

JR盛岡駅 (岩手県盛岡市)

岩手県盛岡市のJR・IGR/盛岡(もりおか)です。

盛岡市は岩手県の中部に位置し、人口は300,033人(2015.2.1現在)で、岩手県の県庁所在地であり、岩手の中心として機能し、また南部鉄器の産地として伝統産業も有する街です。

-JR・IGR/盛岡駅
【路線】JR東北新幹線(東京-新青森間)
      秋田新幹線(盛岡-秋田間)
      東北本線(東京-盛岡間)
      田沢湖線(盛岡-大曲間)
      山田線(盛岡-釜石間)
    IGR(いわて銀河鉄道)線(盛岡-目時間)

【開業】JR-1890年11月1
     IGR-2002年12月1日

【訪問】初訪問-2000年1
【1日あたり平均乗車人員】JR-18,440人/日 (2013年)  
                 IGR-5,757人/日 (2013年)

【近隣の主要駅(東京方面) 北上駅→2駅 ※新幹線
           
(新青森方面) 八戸駅→3駅 ※新幹線
           (秋田方面) 角館駅→3駅  
※新幹線
           (東京方面) 木古内駅→6駅
           (大曲方面) 雫石駅→3駅
           (釜石方面) 宮古駅→17駅
           (目時方面) 滝沢駅→4駅 
※いわて銀河鉄道

駅名標

JRで新幹線として2路線、在来線として3路線に属し、「いわて銀河鉄道」の始発駅としても機能する非常に重要な駅です。

この駅名標は東北本線のものです。

ここ盛岡へ初めて訪ねたのは2000年1月になりますが、その後2012年に再訪時の写真を中心に今回の記事はお送りいたします。

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●ホーム

この左側のホーム番号は「7」となっていますが、2~9番線まであって、在来線だけでも実に4面8線も有する広大なホームとなっており、東北地方有数の規模を誇るといえます。これに加えて新幹線2面4線も有しています。

下側の写真の右端に時刻表が写り込んでいますが、実に多岐にわたる路線を有している事がここでもわかります。

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●わんこそば列車

といっても特別なものではないのですが、このような絵が描かれてありました。

「イートハーブいわて物語」とのフレーズもありますが、岩手県の産んだ偉大な作家・宮沢賢治による「理想郷」を意味した造語として有名ですね。岩手の旅を「理想郷」の旅にしたい、そんな想いが込められています。

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●IGR入口

IGR(=いわて銀河鉄道)ののりば入口です。

JRとは別になっています。この路線を利用したのは2014年が初めてだったので、IGRの関係写真のみ2014年当時のものです。

東北新幹線は1982年に開業されて以来、長らくここ盛岡が終点の座にあったのですが、20年経った2002年に青森県八戸まで延伸されて、これと同時にJRであったここからの青森方面への在来線が、青森県は「青い森鉄道」、岩手県は「いわて銀河鉄道」へとそれぞれ第三セクター化されました。(また運賃も上がました>_<)

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●IGRホーム

別入口になっている、いわて銀河鉄道のホームです。

IGR内の路線を通り続けるものと、途中でJRに乗り入れるものとがあります。

電光掲示の時刻表が示していますが、この時、朝の5時台でした。こんな時間帯からでも列車は出ています。ちなみにこの時は、市になって間もない滝沢へ行ってました。

下側の写真は新幹線の駅もある「いわて沼宮内」行の列車です。

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●多数の幟

再び2012年当時の写真に戻りますが、駅構内にこのように幟が並べたてられていました。

岩手県の誇る世界遺産「平泉」の存在は大きいですね。平泉は盛岡市内ではなく、平泉町という郡部にあります。

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●新幹線

新幹線ホームでのカットがこれだけだったのですが、この辺りの新幹線ってこんなつなぎ方なのか、と初めて見た時は驚きました。これで高速で走ってよくちぎれないな、と(笑)

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●新渡戸稲造 像

旧五千円札の肖像であった新渡戸稲造はここ盛岡の出身です。

お札になった人物としては比較的地味な存在かもしれませんが、彼が1900年当時に出版した「武士道」は各国語に訳されベストセラーになり、当時のアメリカ大統領にも感銘を与えたといわれます。ちなみに「武士道」というタイトルながら、原版は英語で書かれており、明治の日本人が英文で書を著わすというのは画期的な事だったのでは、と思いました。妻がアメリカ人であった事もあるのでしょうか。

そんな事もあってか国際的に高名という事で、国際連盟の事務次長にまで選ばれたこともあり、かなりの実績を残した人物でもありますが、五千円札に選ばれた当時は「?」の印象が強かった印象でした。逆に五千円札になった事で評価が見直されたかな、とも思いますが。

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●滝の広場

盛岡駅の象徴的な存在といえば、これかと思います。

ただこうして水が流れているだけではなく、イルミネーションが灯ったり、前の広場でさまざまなイベントが催されたり、と結構利用されている事に、帰って調べてから気づきました。(笑)

ですが、これ単体でもじゅうぶんインパクトあるし、これから暑くなる季節にはきっと清涼剤的な存在になるのでは?と思います。

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●もりおか

という石川啄木の筆跡によるひらがな書きが印象的な駅舎です。

ここに初めて来た2000年当時も、この部分だけの印象は残っています。

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●もりおか(2000年)

これがその初回訪問時、2000年当時の「もりおか」周辺の様子です。

「2000頌春」の文字が彩りを添えていました。2000年1月訪問だったので、まさにミレニアム・イヤーに湧いた頃でした。

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●盛岡駅 駅舎

上の写真と大きく違うのが、「盛岡駅」という漢字表記がある事で、2000当時来た時は「もりおか」表示しか見つからず、これなかったら駅かどうか分からないのでは?と勝手に思ったりしてました。

漢字駅名がでっかく付いた事で、より駅規模に壮大感が出たように思いました。建物が全く変わっていなかったとしても。「JR」マークが緑色なのもすごくアクセントになっています。

岩手県最大の街、盛岡の中心地として、さらなる発展を願います。

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2014年6月14日 (土)

岩手/八幡平 大更駅前れっつご!

岩手県八幡平市、JR大更駅からの歩き旅です。

(2013年5月当時)

Dsc03071●地図

駅周辺の絵地図といった感じのものです。

大更駅は右上端の方にあり、周辺のものを建屋で表しています。

線路を見てるとかなり湾曲が激しい事が窺えます。

Dsc03079●駅右

大更駅を出て右へ進むとこのような光景が見えます。

左側の看板に「養神館」とかかれた看板が見られますが、山歩きやスキー客を主とした旅館だそうで、ここを左折した奥にあります。

部屋数は和室9室で料金は1泊2日\6,500との事です。八幡平市で大更駅前に宿があるという事が分かり、妙に安心しました。

Dsc03086●ビジネスホテル

上の道路を更に進んだ先で、駅から徒歩1分という好位置にちゃんとビジネスホテルまでありました。この大更駅前にこういったホテルがあるとは、正直思っていませんでしたので嬉しい誤算というか。

「ビジネスホテル西根」という、そのまんまな感じの名前ですが、「西根」というのは、当地の旧自治体名ですが、八幡平市となってからもこの名前が残っています。宿泊はシングル\5,600~だそうです。

Dsc03085●空き地に土管

まさに「ドラえもん」の世界そのものですが、上の写真のビジネスホテルの道隔ててほぼ向かいにはこのような光景が!

二段重ねとかではなく、ジャイアンが乗っかってそうな感じではありませんでしたが、時が止まってる感満載の空間がそこにはありました。

Dsc03077●バス停

「大更駅前」バス停です。

2枚目の写真の左端に立っていた標識も同名のバス停ですが、それとこことは若干位置が違い、この写真のバス停は大更駅の駅前広場を越えてすぐの辺りに立っているものです。

コミュニティバスと岩手県北バスというのが通っているようで、コミュニティバスとしては3方面ほどで平日の2,3日程度で1日1便という感じの極めて少本数ながらも距離の長い便が多いようです。

岩手県北バスの方は盛岡バスセンターまでの便が通っていて、こちらは1日に20便以上あり、1時間に1~2本となかなかの便数があり、それほど待ちに困らない印象でした。

Dsc03089●駅前道

この道が駅から伸びている通りになりますが、初っ端からこのようなカーブを描き、かつ左サイドは覆いに囲われていました。

この通りの始点は上の写真のバス停辺りで、そこからこのように伸びているのですが、駅前商店街という感じではないですね。これを越えた辺りからそのような側面を見せるようになってきます。

ちなみにこの道路は岩手県道191号、大更停車場線、八幡平市夏間木とあります。標識がブルーの覆いにまぎれて見えにくくなっていますが。

Dsc03092●商店エリア

上の写真のカーブを抜けた所になります。

飲食店のビルや酒屋さん、その向こうはパチンコ店等々商店が並んでいますが、ちょこちょこ空きがあり、人通りが多いという訳ではなく、駅前というよりは幹線道という雰囲気でした。

Dsc03098●街の駅 大更

上の写真を少し進んだ所にありました。

大々的にウェルカムモードでしたが、朝早かったせいかしまってる感じでした。

こういう所が街の情報ステーションとして役目を果たせばいいなと思うのですが、調べたところあまり情報が取れなかった、のが少々残念でした。

Dsc03103●街の一角

頑丈な屋根に木造の戸という妙なアンバランス感に惹かれました。屋根の重みで家屋自体が大丈夫かな?とも。

こういう屋根見ると「北」の地方だなという事を感じさせられます。

Dsc03106●大更郵便局

八幡平市のメイン郵便局です。

大更駅から約300mの地点にあります。

これも駅前の通りの延長上にあり、ここから程なくしたところで、まっすぐの通りも突き当りに差し掛かります。

という事で、大更駅から300mまどのところ、街の様子でした。

2014年5月31日 (土)

JR大更駅 (岩手県八幡平市)

岩手県八幡平市のJR大更(おおぶけ)です。

八幡平市は、岩手県の北西部に位置し、人口は27,146人(2014.2.1現在)で、2005年に平成の大合併で新たに市となりましたが、市の西境にある山の八幡平から市名をとった事で、これについて境となる秋田県鹿角市より反発があったり、その合併は決して平坦なものではなかったようです。合併当初は3万あった人口も今では1割以上落としている格好となります。

-JR大更駅
【路線】JR花輪線(好摩-大館間)
【開業】1922年8月27
【訪問】2014年5
【1日あたり平均乗車人員】 304人/日 (2012年)
【近隣の主要駅(好摩方面)好摩駅→2駅、滝沢駅→4駅
           (大館方面)鹿角花輪駅→14駅

Dsc03179●駅名標

「おおぶけ」と読みます。徳島県から高知県に向かおうとする土讃線に「おおぼけ」という駅がありますが、響きがかなり似ています。

JR花輪線の駅で好摩駅でIGRいわて銀河鉄道に入っていきます。ここへは前回記事の滝沢駅を発ってから着いたのでした。

Dsc03175●ホーム

ホームは2面2線です。

向こうのホームのずっと向こうにポツンと小さな室内型の待合室がありますが、屋根のない部分が殆どで、市の中心駅感はかなり薄いと思います。

手前側のホームは改札周辺のみがこのように庇が出ているという感じでした。

Dsc03177●八幡平市名所案内

駅舎側のホームの端に立っていました。

こういうのがあると、市の中心だなと実感させられます。

大更駅は、この図の真ん中下辺りになりますが、すぐ下に南部富士カントリークラブとあります。ただしどのくらいの距離なのかさっぱり分かりません。

牧場なども多く、全般的にカントリーな雰囲気ですね。ただ、八幡平焼き窯元なんていうのもあります。

Dsc03180●ホーム間

両ホームですが、当駅は跨線橋がなく、向こうに見えている構内踏切での連絡となります。市の中心駅ですが跨線橋なしという事になります。

この通路は向こうの部分で仕切られていて、左側がホームとして機能し、踏切手前まで続き、右側はスロープで緩い下り坂になっていて、踏切の高さに最終的には合う形となり、通路としても踏切に通じます。

Dsc03176●倉庫

ホーム一角にあった倉庫らしき建物。

「消火用砂」とありました。

水で消火すると余計に燃え広がる等対応できない場合に、砂による消火が有効といいます。ここにはそれらの砂が詰まっているのでしょうか。

Dsc03075_2●スタンプ台

駅スタンプにつき台が設けられていて、規模が大きくないながらにも市の中心駅である事が感じられます。

外周のフレーズは「八幡平と焼走り溶岩流探勝の駅」となっています。

焼走りは「やけはしり」と読み、岩手山中腹から流出した熔岩流でできた岩原との事で、国の特別天然記念物に指定されています。

溶岩流の延長は約4kmにわたり、中腹にできた噴火口から形成され、その噴火は18世紀前半とされ、真っ赤な溶岩が急速な速さで流れているのを見た人々がそのように呼んだとされています。岩手山は近年でも噴火予報が出されているような活火山です。

Dsc03067●スケルトン地図

駅前にある地図です。

駅出て左にありますが、向こうが見えるスケルトン状です。

下にデジタル時計がついていますが、7:34となっています。この時、朝5時台に盛岡を発って滝沢に着き、ひとしきり歩いてからここ大更にやってきたのがこのくらいの時刻、まだ全くの朝でした。

焼走り熔岩流へは10kmも距離があります。

Dsc03073●大更駅 駅舎

平屋駅舎で横もそれほど広くなく、市の中心駅としてはやはり規模が小さいですが、かつては郡部の中心駅であったことから考えると相応かと感じます。

それでも屋根が立派なものであったり自販機も設置されていたり、随所に市の中心的な部分も感じられます。タクシーが停まっているところもそうですね。

Dsc03088●大更駅前広場

広場スペースが取られているだけで、真ん中にモニュメント等がある訳でもなく、ロータリー状にはなっていません。

八幡平市の地図が複数出ているのが、市の歓迎を示すものという事になるでしょうか。にしても駅前のフリースペースはかなり広くなっています。

2014年5月25日 (日)

IGRいわて銀河鉄道/滝沢駅 (岩手県滝沢市)

岩手県滝沢市のIGRいわて銀河鉄道/滝沢(たきざわ)です。

滝沢市は、岩手県の北西部に位置し、人口は55,513人(2014.2.1現在)で、2000年より10年以上の長きにわたり人口が50,000人を超える村で、また2002年からは当時の豊見城(沖縄県)が村から市に昇格したことに伴い、これも10年以上「日本一人口の多い村」でしたが、遂に今年、2014年1月1日をもって「市」に昇格し「滝沢市」となりました。盛岡市のベッドタウン的な位置づけの強いところでもあります。

※たまたまこれを書いていたところ、この滝沢市でのAKB握手会で負傷者が出たというニュースが飛び込んでビックリしています…特に川栄さんの怪我が軽い事を祈るばかりです。

-IGRいわて銀河鉄道/滝沢駅
【路線】いわて銀河鉄道線(盛岡-目時間)
【開業】1906年1月21
【訪問】2014年5
【1日あたり平均乗車人員】 2,953人/日 (2012年)
【近隣の主要駅(盛岡方面)盛岡駅→4駅
           (目時方面)好摩駅→2駅、いわて沼宮内駅→4駅

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●駅名標

いわて銀河鉄道としては、初の駅紹介となります。

「IGR」としてマークが入っていて、隣駅のすごは「巣子」、しぶたみは「渋民」とそれぞれ漢字表記します。

IGRいわて銀河鉄道は、2002年に東北新幹線が盛岡から青森県の八戸まで延伸開業された際に、それまでJR東日本の管轄であった在来線の部分が移管されたもので、隣のすご(巣子)駅はいわて銀河鉄道に転換後の2006年に開業した新駅です。

Dsc03053●ホーム

ホームは2面3線で、向こう(右側)のホームには待合室があり、両ホームは向こうの跨線橋で繋がっています。

跨線橋から待合室までは屋根がつながっていて、雨で濡れる事はないようになっていて、そのあたりに市の中心駅っぽさを感じます。それ以外の所は屋根なしですが…

ちなみに盛岡駅からはわずか4駅、ついこないだまで村の駅だったとは思えない普通の雰囲気でした。

Dsc03052●ホーム(反対側)

上の写真とは反対向きに撮ったものです。

向こうのホームの端に車止めがあって行き止まりになっており、そこにカラフルな車両が停まっていました。保全用なのか?よく分かりませんでしたが。

Dsc03055●ようこそ滝沢へ

という事で、ことし1月1日に滝沢「市」として誕生したことがアピールされています。

一時期は「村」であることをウリにして人口5万を越えても市制化しなかった(人口以外で市制化の条件を満たしてなかった事もありますが…)事もありましたが、今は市として新たにこの名を知ってもらう事が必要、になりますね。

Dsc03050●駅名標周辺

冒頭の駅名標は壁付けのものですが、こちらは地面から立っているものです。

「学園の杜」というのが書かれていますが、これは愛称としてつけられたものであり、市制化直前の2013.12.25につけられています。岩手県立大学や盛岡大学などが付近にあり、学園都市の側面も有しているという訳ですね。

Dsc02908●時刻表

改札を出て、駅舎内にあった時刻表です。

左半分が下り、右半分が上りです。いずれも平均すると1時間に2本、30分に1本程度で、個人的には意外と本数多いな、という印象でした。JR花輪線連絡という便もあり、2駅隣の好摩駅からJR花輪線へも分岐します。

下りはそんな訳で、JR花輪線に入って大館まで乗りこむものもあれば、八戸へ行くものもあったり色々で、便数はそれなりにあっても行先には気をつける必要があります。上りはほぼ盛岡行きなので問題ないですが。

Dsc02912●駅舎内

出札は閉じられていました。朝6時台に来たというのもありますが…。ただしこの時駅員さんは居て、ホームの清掃とかされていました。 

台数が少ないながらもコインロッカーが設置されています。ベンチは1人がけ用のがいろんな向きに置かれていました。床面は点字ブロックが設けられ、それなりの駅であることがここからも窺えると思います。

Dsc02914●駅前左

駅を出て左を向いたカットです。

自転車置き場があります。

で、桜の散った花弁が多数…この当時は5/2の朝ですが、岩手県ではこの時期でも桜がこんなに咲いてるんだ!という事を改めて感じました。考えてみるとGW時期に東北なんてほとんど行った事が無かった事もあって、そういうのが良く分かってませんでした。

Dsc02920●里やま市場

駅舎とほぼ真向いといっていい位置にある野菜の直売所です。

営業時間は11:00~とありました。この時はまだAM6:00すぎで開いてるべくもなしでした。両サイドは壁が作られていました。東北の冬は半端なく寒いので、こういうのがないと成り立たないかなと。傍には「滝沢市誕生」の幟が立っていました。

Dsc02934●駅前右

二つ上の写真と逆方向で駅出て右向いたカットです。

駅からまっすぐ伸びる通りはなく、左側に線路とほぼ平行に走る道路があり、これが駅前通り的なものとなり、右に見えているのはロータリー部分でバスはじめ車両が駅を行き来する際のスペースです。

Dsc02924●駅前

駅を出て真ん前ではなく、右側にロータリーがある訳ですが、右へ出てすぐ左を向くとこんな感じ、つまり駅からやや右にスライドした形での駅出て目線です。

道路は横に通っているもののみで、特に高い建屋はありません。右にはローソンがあって、駅の真ん前にコンビニはとりあえずあります。

この滝沢は人口5万をとっくに超えていながら、市になる要件を満たしていないというのは、「明確な中心地がない」という事でした。盛岡のベッドタウンとしてそれなりの世帯がありながら、栄えている部分が分散しているという事で、この辺り見ても市の中心駅の駅前という感じではなく、それまで村だったので、村の中心駅前としてはそれなりであったかもですが、これからは市として成熟していく事を期待され、この辺りも開発が進むのかどうか…分かりませんが、また来ることがあれば見てみたいものです。

Dsc02936 ●滝沢駅 駅舎

最後は駅舎です。

「たきざわ」として、下に愛称である「学園の杜」が同じ大きさの字で併記されています。

滝沢といえば、渡哲也さんが演じた「西部警察」の「大門」の企画書段階での名前は「滝沢」だったのでした。大門に変わる事が無ければ、「滝沢軍団」として世に躍り出る事となっていたところだったのです。と横道それましたが、屋根の部分が、襞のようなものが幾つも続く印象的な駅舎でした。

去年までは村の駅として、今年からは市名を名乗る駅として歴史を刻み始める、そんな時期にここを訪ねる事ができたのは良かったと思いました。というのも、未訪市訪問の一環で訪ねたので、去年まではここを訪ねる気は全くなかったんですが市になった為、ここを急遽訪ねたという経緯もあったりしました。

市としてのこれからの成長を陰ながら見守らせて頂きたく、この記事の〆としたいと思います。

2014年4月 3日 (木)

JR宮古駅 (岩手県宮古市)

岩手県宮古市のJR宮古(みやこ)です。

宮古市は岩手県の中東部に位置し、人口は56,300人(2014.2.1現在)で、三陸海岸に面し、浄土ヶ浜をもつなど、観光資源に恵まれた街です。

-JR・三陸鉄道/宮古駅
【路線】JR山田線(盛岡-釜石間)
          
※宮古-釜石間運休中
    三陸鉄道・北リアス線(宮古-久慈
間)
          
※田野畑-小本間運休中(2014.4.6再開予定)
【開業】JR-1934年12月6
    三陸-1984年4月1日

【訪問】2013年8
【1日あたり平均乗車人員】 JR-314人/日 (2012年)
                 三陸-323人/日 (2010年)
【近隣の主要駅(盛岡方面)盛岡駅→17駅
          (久慈方面)小本駅→6駅

Dsc05496●駅名標周辺

「みやこ」と書かれた駅名標がぶら下がっている駅名標の周辺部分です。

久慈と共に行きたいと思いながら機会を逃し、やがて東日本大震災が起こり、という事でなかなか行けなかった当地でしたが、なんとか昨夏に久慈ともども行く事ができました。

久慈から三陸鉄道に乗って田野畑駅を降り、代替バスで小本まで(田野畑-小本間が寸断の為)行って、そこからまた三陸鉄道でやってきて、出発時は盛岡方面へJRを利用しました。こちらはJRの様子です。

Dsc05497●ホーム

元々は国鉄単独路線であったのが、宮古線が第三セクターに転換され、ちょうど30年前の一昨日、4月1日に三陸鉄道北リアス線としての開業日を迎えました。

ライトブルーの跨線橋が印象的で、筋交いがなされ、橋脚も多数あります。そんな橋の下に停まっている電車は草色でコントラストの効いた景色になっています。

Dsc05434 ● ホーム俯瞰

跨線橋を挟んでのホームがあり、また手前には切欠き状の部分に三陸鉄道の電車が停まっていました。途中で寸断されている為、小本行となっています。車体サイドの赤いラインが上へ行ったり下へ行ったり印象的なデザインとなっています。

向こう、跨線橋の下に停まっている電車が草色なのでこれまた実にコントラストの効いた画となってるな、と感じました。

Dsc05492●跨線橋内

周辺に都会らしい駅がなく、付近では中心的存在で、よってポスターもこんな風に両サイドにビッシリ貼られています。

左側の天井付近の横断幕は、大人の休日に関するPRのものです。

また、左側手前から2枚目のポスターは大河ドラマ「八重の桜」。今となっては懐かしいですね、こういう記録って後々振り返るといつ頃か特定しやすいので、意識して残すようにしてます。

Dsc05495●ふるさと宮古号

って事で、臨時列車だそうです。

このあたり走るにはちょっと変わったというか、都会的というか不思議な雰囲気の列車だったんですが、調べるまで分かりませんでした。

車体サイドにわんこそばの絵が描いてあったので、それで分かりました。これに乗ってここを発ったんですが(笑

Dsc05488●ようこそ、みやこへ!

と旗の形にて歓迎されていますが、海面と太陽と水鳥とで、海洋都市というか、そんな側面の強い宮古を如実に表しているかな、と今は感じます。

とはいうものの、海の方へ行けぬまま発つ事となったのは何とも残念でした。

Dsc05487●ようおでんした

改札口の部分の歓迎看板です。

よくおいでなさった、的な意味合いでしょうか。

ここは陸中海岸なのですね。

久慈は「あまちゃん」で観光ムード強かったのですが、こちらは「あまちゃん」頼りでなくとも、そこそこ観光ムードのあるような雰囲気でした。

Dsc05477●近距離路線図

3つ下に見える茂市(もいち)駅から左へ分岐しているのが「岩泉線」で、2010年に土砂崩れによる脱線事故により全線不通になっており、この時はその3年後に当たりますが、依然不通のままで、鉄道路線を転換しバス路線にしたいとの意向が出され、かつ廃止届が出される前の時期でした。

そして、、二度と鉄道として復活する事なく、つい一昨日、2014年4月1日をもって廃線となりました。

Dsc05424●三陸鉄道/宮古駅

の駅舎です。

カクカクッとした建屋に庇の縁が赤いのが印象的な駅舎です。

床面は整備されていますが、だたっ広いスペースになっている、そんな感じの駅前でした。

Dsc05444●JR宮古駅

三陸鉄道とは横並びながら数10mばかり離れた位置にあるJRの駅舎です。

こちらの方が形的にバラエティに富んでいて工夫がなされている、そんな感じでした。

駅周辺も色々あるのですが、いちいち載せてるといつまでもブログ更新が進まないため、この記事はここで一旦切ります。