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15新潟県

2019年4月 9日 (火)

新潟/燕 雨に煙るスワローシティ

  新潟県燕市、JR燕駅周辺の様子です。

(2015年1月当時)

▼駅前広場にあった燕市街図です。

かなり色褪せたままになっていて、市名を名乗る駅前の広場にある地図なのにこんなもんで良いのか??と思ったものでした。

こういうところひとつ取っても観光に力を入れているかどうかも窺えるというものです。観光側面よりも市内の各施設の案内図的な側面が強いようです。

川の曲がり具合がすごく特徴的な街でもあるなと感じます。

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▼実質的な燕駅前の駅前通りで、これを入ったばかりの地点です。

この時は雨雪の舞い荒れる中での訪問となってしまい、まともな景色は撮れないわ、写真撮るのもままならないわで大変でした。

殆どの写真が雨や雪が線状になってのカットになっているかと思います。

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▼上の写真から進んですぐの所です。

駅前であっても軒の庇がめくれ上がったきりになっている建物もありました。

この時は終始あいにくの天気でしたが、道路が水面のように映えて、あちこちで建物が写り込んでいました。ここもそんな一端が窺えると思います。

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▼右側の渋い建物に「雪印メグミルク」の新しい看板の組み合わせがどこか妙な感じで撮ったカットです。

そして雪印の看板に雪が叩きつけていました…

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▼こちらは全面レトロ感満載といったところ、昭和から時が止まってる感に満ち溢れていました。

看板の字体など、今の時代で書かれる文字とは思えないほど?でした。

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▼上の写真で右側に見えていた建物です。

あまりの渋さにどんなたいそうな建物か??と思っていましたが、

「理髪店」でした。

燕の街で個人的に最も印象的な建物でした。

そしてここはまた「燕本町」のバス停でもありました。

ちなみに燕は昔は「津波目」と表記したそうです、津波という事ではないと思いますが、水とかかわりの深い街ではあったのだと思います。

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▼そしてまた街を歩いて、悉くというくらい古い建物に出会っていました。

建物は古いのに、道路はピッカピカで不思議な光景、燕の街ではこういうのばっかり目にしていたような気がします。

それぞれ昭和何年にできた建物なのか??アプリで年代を特定できたらいいのに…と思わされます。

それにしても今度は一度、好天の時に訪ねたいものです。

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2017年12月28日 (木)

新潟/村上 町屋再生の家並みを歩く

新潟県村上市、JR村上駅からの歩き旅です。

(2010年9月当時)

●むらかみ50景

駅前にあったものですが、50もの見どころがあるのか!と惹きつけられます。

市制施行50周年を記念してのようですが、1954年に市制化されており、この記念事業は2004年に行なわれていたものでしょうか?ちなみにこの訪問時が2010年です。

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●村上市マンホール

MURAKAMI CITYと魚が印象的なマンホールでした。

と、日本海夕陽百選の瀬波温泉の夕陽(真ん中あたり)と、村上城跡(右側)とで主に構成されていますが、カラーマンホールは鮭がかなりカラフルなようです。

村上という市ですが、かつて演歌界のホープとされながら31歳の若さで亡くなった演歌歌手の村上幸子さんはここの出身で、厳密には現在の村上市内ではありますが、当時は市外でした、というところです。本名ではなく、そのあたりから芸名も取られたようです。

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●村上市郷土かるた

村上市郷土かるたとして、いろは順でそれぞれ表記されており、道路のタイル面にもかるたの絵柄が所々に埋め込まれてあります。

「な」であれば「波の音背にして瀬波は漁の町」とありました。絵柄にも投網して魚取ってる絵が載っています。

歩道を歩いているうちに、村上の街の魅力を伝えようという仕掛けです。

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●肴町バス停

「さかなまち」と読み、魚屋が纏まって住んだ事によって付けられた町名で、ここだけでなく全国に同様の箇所がいくつかあるようです。この家の建っている辺りも魚屋だったのでしょうか??

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●木造建築群

村上で印象的だったのが、この木造建築家屋の多い事でした。

城下町の雰囲気を色濃く残す街並みでタイムスリップした気分になりましたが、住民の手で再生され、古い街並みの雰囲気を残しているそうです。

いわゆる「町屋造り」というもので、広い間口、広い奥行をもつ家屋が特徴的で、ここに写っているものからもその雰囲気を十分窺い知る事ができると思います。

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●町屋の屏風まつり

その町屋に関するまつりのポスターがありました。

各町屋で、伝統の農具や昔の民具などを展示、とありましたが、「各町屋で?」と真っ先に思いましたが、特定の施設ではなく付近一帯の町屋で、というところで、町ぐるみの再生活動によるものである事をここでも感じられました。各屋に伝わる屏風を展示しようというものですから。

この当時で第十回で、今年は第十七回を迎えており、2001年から始まったと思われますが、村上駅から徒歩5分強で行ける所にあり、街の雰囲気を感じるだけでもここに来る価値はあると思います。

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●武道館をつくろう

城下町は武道が盛ん、というイメージは確かにあるなと感じますが、この城下町色の濃いこの町において武道館がないという事で、このようなポスターがありました。

これが7年前の様子ですが、去年の市議会でも「武道館建設について」という議会質問があったようで、まだ建設されていないようです。建設の気運自体はもう30年以上も前からあるようですが…

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●村上郵便局

村上駅から東へ直進して400m程の所にあるのがこの本局です。

ここにも窓口ロビーで「町屋の屏風まつり」が展開されていました。局は休日であり中は見ていませんが、ここにも屏風が立っていたのか…??

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●村上地域振興局

市役所かと思っていたこの施設ですが、県の出先機関である地域振興局でした。村上市だけでなく、近隣の村や島も管轄しています。

尚、この駐車場は土日祝において、午前9時から午後8時まで無料開放されているそうです。

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●新潟県庁行バス

のバス停がありました。

新潟交通観光バスというところの「村上営業所」バス停です。

しかし!

この路線は去年(2016年)9月をもって廃止されたそうです。

時の流れは確実に進んでいるのですね…

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屏風まつりの様子が伝えられれば良かったのですが、表面的な形でのお伝えとなりました。深い旅をしている頃ではなかったので、浅く広くがモットーで旅したい方には、これを導入として興味を持って実際に行かれてみては?というスタンスでしたので…、これを見て実際に行かれる方が一人でもいたら幸甚というものです。

2017年10月 9日 (月)

新潟/南魚沼 直江兼続が見守る街

新潟県南魚沼市、JR六日町駅からの歩き旅です。

(2012年8月当時)

●周辺案内図

六日町駅にある案内図です。

新潟県の駅の駅前って

「線路に沿って川が流れていて」

「駅前道路を通ると程なく、川に出くわして」

「そこから本格的に街らしい(栄えた)姿が見られる」

というイメージを勝手に持っていて、この地図を一見してもそんな印象…と思いきや、ここの場合は、川を渡った先は山脈続きで、逆に川の手前側や、川とは反対側に街が開けている形となっています。

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●坂戸城跡

坂戸というと埼玉県に坂戸市がありますが、それとは違う新潟県の坂戸山という山の頂(634m)にある坂戸城という山城です。

上の案内図では上方の緑の部分がこれにあたります。

この六日町駅から15分ほど歩いて登山口に至り、そこから山道を上っていく形だそうです(この時は行きませんでしたが…)が、山麓との標高差は470m程でちょっと大変なようです。平安末期からその歴史があるようですが、江戸初期には廃城になっているようで、大都市にあるような城跡の探訪をイメージすると、だいぶ違ったものになると思います。

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●駅前

を見下ろした様子です。

広場の部分が隠れてしまっていますが、土産物店があるところにちょっとした都市感がありました。

そこからアーケードつきの商店街が山に向かって形成され、その中をバスが通っていますが車道がありました。

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●商店街を歩く

地平に降りてきて、駅前を早速通ります。

アーケードつきの歩道と間にある車道、昔の小都市の雰囲気がありましたが、このうちのどの程度が営業しているのだろうか?とこういう所を通るといつも思ってしまいます。

こういう商店街の定番である、店の名前を示す小看板がここでは全く見られず、ちょっとゴーストな感じを受けましたが…。アーケードや床面は小ぎれいな感じですが、建物は昔ながらでした。

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●直江兼続 自販機

「ようこそ南魚沼へ」の言葉とともに、戦国無双3の直江兼続が出ている自販機が商店街にありました。

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●商店街を歩く2

更に商店街を進んだ様子です。

建物の時が停まった感がかなりのものですが、実は結構お店はあります→コチラ

FMゆきぐには1998年開局されたという事ですが、この建物は以前からの使いまわしでしょうか。年季の入った建物がこれでもかというぐらいに続きますが、川を渡る橋を手前にした所で突然に途切れ、この区間はわずか200mほどで終わりを告げる事となります。

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●廣井橋跡

商店街を過ぎて、大きな川の手前に小さな川がありますが、この地点は昭和初期まで十二沢川と魚野川の合流点であり、この写真は当時の合流点と川船の船着き場の様子です。

河川改修の際に石垣が見つかり、ここに復元したとあります。

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●足湯

駅から向かって大きな橋の手前に足湯がありました。「お六の湯」だそうで、他にも商店街中にも「お六 上の湯」というのもあるそうです(後から知りました)。お六とは直江兼続の幼名「与六」からきたものといわれています。

足湯には入りたかったけど満員のようで、またタオルも持ってなかったので回避、羨ましいなと思いつつ、これを横目に橋へと歩き続けました。


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●六日町大橋

最初のマップで大きな川が流れているのが見えましたが、駅前から通ってきて、その川を渡している橋が、この六日町大橋です。

2004年10月に完成したというこの大橋、直江兼続でお馴染みの「愛」の字の兜があしらわれ、愛の大橋という別名をもらい、そのたもとにはいちばん下の写真のように「恋人の聖地」としてオブジェもつくられています。まさに愛に満ちた場所、ですね。

このオブジェのモデルもまた兼続の幼少期です。兼続サマサマの街、という気がしなくもないですが。「天地人」の恩恵を受けまくった地かなと思いました。

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●魚野川

線路に沿って流れている大きな川、それがこの魚野川(うおのがわ)です。

信濃川の支流のひとつである一級河川で、魚沼を流れる川が訛ったこの名になったの説があり、全長は66.7kmあります。

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●魚沼わさび丼

橋から引き返してきて、再び商店街へ。

ご当地グルメとして「魚沼わさび丼」という幟が立っていました。越後産もち豚と日本的に有名な魚沼産コシヒカリとのコラボという訳で、これはまたもっちりした感じでおいしそうですね。

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●名所案内

最後に駅へ戻って、名所案内一覧を。

坂戸城跡については触れましたが、その辺りは温泉郷が広がり、六日町温泉郷として個性的な温泉群をもつといい、これらを満喫するのも南魚沼を楽しむ大きな要素のひとつかと思います。

六日町に十日町に…と色々ある新潟ですが、ここは日町です。

行けなかったのでここには載せていませんが、温泉郷は今度行ってみたいものです。

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2016年12月 7日 (水)

新潟/十日町 赤い街・青い街

新潟県十日町市、JR・北越急行/十日町駅からの歩き旅です。

(2012年8月当時)

●周辺案内図

駅の周辺図ですが、この辺りはJRと北越急行線がほぼ接している区間となっています。

この近くは割に主要施設が中心に描かれていて、あまりこれといった観光名所が見られず、それらの場所に行くには少し遠出が必要かな、というところでした。

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●赤の商店街

歩道アーケードの屋根縁が赤いので、勝手にこのように呼びました。

駅記事でも載せていましたが、東口駅前風景から商店街の入口まで踏み込んだカットです。

小都市の駅前商店街でも、このようにアーケードがついていると、明確に商店街と分かって、いいなと思えます。

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●道案内

東口から東向きに見た形のものでも右側に矢印が出ているという事は南側へある事になります。

距離が書いていないので、あくまで方向だけになりますが、とりあえず智泉寺は程近くにあります。道の駅クロス10というのは逆に北側にあります。車で道路を通るとすると、一度この方向へ向かってから逆方向へ向かうという事でしょうか…。

一番上の「キナーレ」はコンサートホールの事かと思いますが、他にも現代美術館?やら、この名のつく施設が付近に複数あります。

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●更に道案内

「駅通り」と表示がありました。

上の写真では同じ方向になっていたものも、ここに来ると違う方向になっています。

ここまでは共通の道で、ここから分岐していくケースもある訳ですね。

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●智泉禅寺

曹洞宗智泉寺としてHPも存在するお寺です。

当初は市内の水沢という地区にあり、1607年ごろ当地にて開創とされています。現住職は26代目とか。延々と受け継がれていくもんですねぇ。

で、この入口の山門は18世紀中後期頃のものと考えられ、十日町市の指定有形文化財です。市指定の文化財自体は十日町では111あるという事で、ここのような建造物としては5つのみで、殆どがお寺の何らかの門ですね。

「第一番札所」なる表示が見られますが、妻有百三十三番霊場ということで、ここ十日町、津南町、小千谷市にわたる範囲で、江戸時代に札所として定められたものです。その栄えある一番札者がナントここなのでした。

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●水月寺

智泉寺とは道路を隔てて東側にあるこのお寺は「水月寺」といいます。

先程の智泉寺が第一番札所なら、ここは第二番札所です。

外壁の釣鐘模様?が印象的なこじんまりとしたお寺です。

昭和17年に水月庵より水月寺と改称、とありました。

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●青の商店街

最初の方の駅からまっすぐ通る商店街が「赤の商店街」なら、こちらはその道から南へ平行に走る「青い商店街」です。アーケードの屋根縁の色が青だからここで勝手に命名してるだけですが、このように柱なども青なんですね。

赤い商店街と青い商店街が平行に通っているところがここ十日町の面白いところです。

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●日時計

日時計を見てていつも思うのは、どっから見たらマトモに見えるんだろうか?という事で、やはり見る角度や位置によって見え方違うのでは?ですよね…

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●十口町市役所

十日町の「日」の真ん中横棒が取れて、『口』になってしまっています。十口町市役所と…。

無料送迎バス乗降場という表示までありました。

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●十日町市役所

上の写真と微妙にタイトル違います(笑)

工事中だったのか、入口周辺がゴチャゴチャした感じになっていました。

レンガ色っぽいシックな渋さのある建物でした。

十日町をこうして振り返って、色とりどりだなという感想がパッと出てきました。

赤と青の商店街、細かく店は巡りませんでしたが、それぞれにどんなお店があるのか、はたまた営業しているのかどうか、等見てみるのも良いなと思いました。

ここだけ見て、十日町の何たるかは大して語れませんが、もっと名所たる所にも行ってみたかったものです、しょっちゅう行けるような所ではないだけに。

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2016年4月14日 (木)

新潟/五泉 今は亡きもの達

新潟県五泉市、JR五泉駅からの歩き旅です。

(2012年8月当時)

●マンホール

まずは五泉市のマンホールです。

魚が泳いでいる川は阿賀野川で、そこに馬下橋が架かった様子、だそうです。

馬下橋は「まおろしばし」と読むそうで、決して「うましたばし」ではないんですね。

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●駅前通り

高い建物のない駅前通りは既に市街地の様相を呈しおり候…といった感じで、この先進んで行って何かあるのだろうか?という不安のような気持ちも同時に芽生えてきていました。

と言いつつ行くしかないので、進んで行きました。来る前にまずここを「ごせん」と読む事自体、ろくに知らなかったレベルでしたが

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●駅前通り2

五泉駅から北へ約100m、駅から進んで最初の交差点の様子です。

まだまだ駅前のこじんまりした商店が軒を並べる風景が続いていきます。

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●駅前通り3

上の写真から50mと進まないうちに次の交差点に差し掛かり、その周辺風景です。

色褪せたCoca-Colaの看板が時代を感じさせます。この看板には個人的にホントよく目がいってしまいます。つくづく「昭和」を感じさせられるといいますか。

その向こうにはちょっと小高いビルがありますが、この高さですら目立ってしまう五泉駅前です。

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●駅前一丁目

のバス停です。

これもまた上の写真から程ない所で、駅から2つ目の交差点を過ぎたばかりの辺りになりますが、ここから商店街の程部分が屋根つきになります。

バス停ですが、「五泉市ふれあいバス」という市のコミュニティバスのものです。便数的には下の写真の通りですが、4路線表示があり、うち2つは6本、8本とそこそこありますが、他の2路線は朝と晩の1本だけ?といった形です。ちなみに料金は大人一律200円です。

本数でいちばん多い路線は「さくらアリーナ」という所を通るものですが、これは「五泉市村松体育館」という事で、有料利用の体育施設のようで、五泉駅からではバスで17分かかるとされています。

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●今は亡き…

この「五泉信用組合」という金融機関…市を象徴する存在、のように見えますが、この名の金融機関はもうありません。2014年に阿賀野市を拠点とする旧太陽信用組合と対等合併したことで現在は「さくらの街信用組合」という地名の全くない名称になってしまっています。

この写真が2012年8月当時で、今から4年弱前ですが、金融機関も色々と変わりゆくものだなと感じせられますね。

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●MARUI

0101ではないマルイです(笑)

廃墟になってかなり久しいようで、稼働時の様子など調べてもなかなか出てこず、いつ頃閉店したのか?などもよく分かりません。

おそらく稼働時は結構な市内の象徴的存在だったのではないか?と推測しますが、錆び錆びになった電柱や庇が時の流れを感じさせながら、生々しく残り続けていました。

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●五泉郵便局

五泉市の本局です。

五泉駅から北へ500~600mくらいでしょうか。

GOSENですね、当初は「ごいずみ」だと本気で思っていた時期がありました

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●標識

ちょっと歩きではしんどいな、と思うような所ばかり出ていました…

そんな事もあって、ここ五泉ではあまり「コレ」というものに出くわしませんでした。新潟県の小都市の多くでこんな状態でしたが…

ボタン園が2km先という事ですが、「東公園」という所に"ぼたん百種展示園"というのがあり、実際には120種、5,000株ものぼたんが大輪の花を咲かせる、とありました。時期的には5月という事で、まさにこれから見ごろを迎えるという事で、五泉に行くならこのボタン園が選択肢の一つとして上がってくると思います。

ちょっと頑張れば歩くなくもないし、タクシーなどで行っても高くない圏内なので、時期が合えば行ってみるのは大いに良いと思います。

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●クリーニング

素晴らしい木造家屋の軒先にクリーニング店の看板がかかっていて、軒先とこの横から見た具合のギャップにたいそう驚きました。

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●ガードレール…

ちょっとした溝?に差し掛かった時のこのガードレールが…

塗装は剥げサビサビになり、そして所々ぐにゃぐにゃに折れ曲がっていました…

でもなんでこんな所で??車が通ってぶつけ回ったのか…??とにかく衝撃でした。

とまあ…こんな感じで特別どうこうという事なく、といった感じになってしまいましたが、五泉市の街の様子です。最もインパクトが強かったのはマルイの廃墟でしょうか。

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2015年5月 2日 (土)

新潟/阿賀野 遥かなる五頭連峰…

新潟県阿賀野市、JR水原(すいばら)からの歩き旅です。

(2015年1月当時)

●阿賀野市観光案内

駅記事でも見えていましたが、水原駅の広場にある観光案内図です。

この地図では、鉄道は下端をかすめるように通っていますが、水原駅はその真ん中にあります。そして上端には幾多の山々がそびえており、駅から街を歩くと、山々が見られる状態のロケーションとなっています。

駅の近くには「水原代官所」が描かれていますが、この先1.4kmと微妙な距離で、持ち時間もそれほど多くない中で、回避しました。(結局は別ルートでそのくらい歩いたのかもしれませんが…)

「お買い物のご用命はは町内で…」とありますが、旧・水原町のままで書かれていました。上端は「阿賀野市」と貼り換えられた感じになっていますが、下のフレーズまでついていかなかったんですね

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●標識

これも水原駅前広場、上の写真の地図のほど近くにあった標識で、見に行くような所はこれくらいかな…という感じでした。時間もさほどない中、これらは諦めて、街の様子を撮る事に決めたのでした。

ちなみに方向的には駅から街へ出る方向と違って、左へそれていくような感じです。

今思えば、瓢湖へ行って白鳥見るのも良いなとも思いましたが、この数日前に思わぬ場所(宮城県登米市=JR新田駅付近)で白鳥の群れを見たもので満足してしまっていた感もありました。

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●下条町

水原駅の所在地でもある「阿賀野市下条町」という事で駅前の電柱周りの様子を。

ここの看板はまだ「水原町」のままでした。こういう発見も平成の大合併でできた市を訪ねるにあたっては楽しみのひとつでもあります。

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●マンホール(旧)

旧・水原町のマンホールです。

町の花・あやめと町の木・さくら、町の鳥は瓢湖に飛来する白鳥、という事でそれぞれ描かれています。

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●マンホール(新)

こちらは現・阿賀野市のマンホールです。

各々全く違う地点で見つけたものですが、市の花としてはコスモスとなり、これが下に描き込まれていますが、瓢湖の白鳥は2羽になっていますが、相変わらずいます(笑)。

牛が見えているのは、旧・安田町が酪農発祥の地とされていることからきているといいます。牛の上にあるマークは阿賀野市の市章です。

また、上に見えているのは五頭(ごず)連峰と思われます。阿賀野市のマップでも上にあった山々ですね。

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●自転車置場前

水原の駅前広場を越えて右を向いた地点になりますが、早速バス停がありました。

駅記事で御紹介したように「水原駅」バス停はいちばん上の写真の案内図写真の間近にあるのですが、そこから何十mほどのこの地点にあるのです。その名が、水原駅「自転車置場前。バス停なので、色々細かい名前も出てくるわけですが、「自転車置場前」というのは初めて見ました。

こちらは「阿賀野市営バス」という事で、便数としては、市役所行きは1日3便、安田町等の方面は3系統あり、ある時間帯とない時間帯が激しいながら1日計8便前後あります。

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●駅前通り

駅前広場を出て直進、駅前の通りを歩いていきます。

昔の郡部の町の中心街的な雰囲気の穏やかな、高層の建物のない通りが続いていきます。

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●五頭食堂

という看板がありました。

駅前通りを歩き続けている所です。

五頭連峰に因んだものと思われますが、この一文字ずつ離れた表示が時代を感じさせてくれます。

あまりにひっそりした雰囲気で、「やってるのかな?」と思って通り過ぎましたが、後の調べで1年以内前に寄った方の報告があったので、まだ現役のお店のようです。

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●窓の外

通りの一角で目にしたものですが、この窓の外の斜めになって連なったものが目を惹きました。見るようでなかなか見られないものかと思いますが、これなんというんでしょうか?地面に置かれるアーチ状のものは犬矢来(いぬやらい)というんですが、この窓のやつが分からないです…何か外から保護するものではないか、と思うのですが…。

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●木造

とにかく木造の建屋もそこかしこで見られたのも、ここ水原の思い出として残っています。

この建屋はサイドの板張りがなんともいえず惹かれました。

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●阿賀野高校

これも駅前通りをまっすぐ歩き続けた先にありました。

2005年に水原高校・安田高校を統合して今に至るという事で、自治体合併ともリンクしているような印象を受けました。

普通科の公立高校ながら野球部は2008年のセンバツで21世紀枠での出場目指し、新潟県推薦で選出されましたが、残念ながら出場には至らずでした。調べて驚きましたが、都道府県推薦⇒地区推薦を経て、ここからまた絞られて晴れて21世紀枠甲子園出場となるのですね。

門の正面からこのようにV字型に校舎が見えるのが素晴らしく、またグラウンドの一角に雪が積み重ねられていました。

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●五頭連峰

向こうに見える山々が雪化粧もあって、ひときわ美しく見えました。

こんな山々をバックに街があって、道路では車が走ってくる、というのは非常に絵になる光景だと思わされます。舞台のワンシーンのようなこの光景が、ここでは日常なのか、といとう事に驚きも感じました。

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2015年4月25日 (土)

新潟/妙高 ホワイトサイドの道

新潟県妙高市、JR新井駅からの歩き旅です。

(2015年1月当時)

●新井駅前通り

新井駅の向かいには「新井信用金庫」の大きな建屋がデンと建っているのですが、これを左にややそれた形でこのような駅前通りが続いています。

旧新井市時代からの市の中心駅前ではありますが、それを感じさせない?!ほのぼのとした雰囲気を醸し出していて、特に手前の建屋の年季の入りようときたら、見事なものです。

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●雪の塀

上の写真の通りの起点ともいうべき、駅から左へそれた角のあたりですが、歩道はかき分けられて、両サイドに雪が固められ、まるで塀のようでした。そんな歩道を通って駅前の通りへと抜けます。

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●頸南バスのりば

駅前通りを歩き始めて程無くで出くわした「頸南(けいなん)バス」ターミナルののりばです。

新井駅と共に、もうひとつの交通の要としての役割をもつものでしょうか。このバス会社の本社はここ妙高市であり、妙高市を中心にバス事業を展開しているといいます。

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●商店街

駅前通りを進んで行ったところですが、商店が続きます。

朝早くの訪問もあり、ほとんどがシャッターの下りた状態でしたが、現在も営業している店舗はどの程度なのでしょうか。黄色い庇のコーヒーハウスが開いてたらいいな、と思うのですが、現役でやっているお店なのでしょうか?

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●新幹線開業看板

北陸新幹線の「上越妙高駅」というのが誕生する(この時、開業2ヶ月前)という事で看板が大々的に出ていました。誕生といっても新たに駅ができるのではなく、この新井駅の2つ隣の「脇野田」という駅に新幹線を追加する形での誕生です。

また、いかにもここ妙高市にできるように思えますが、所在地としては上越市となります。上越市の高田とここ妙高市の新井という互いの中心駅の間にできる形で、このような名前になっているという事です。

この人口の少ない妙高市にも新幹線の恩恵を受けられる、事になるのでしょうか。

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●妙高市役所

旧新井市役所でもあった妙高市役所です。

敷地入口から建屋へつづく屋根つきの通路に豪華な雰囲気を感じます。

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●北国街道

当地は北国街道の「新井宿」として栄えたところで、頸城平野から信濃へ抜けていく交通の要衝でした。佐渡の金は高田宿まで取りに行って、関山宿へ運んだといわれています。

右側に写るいかにもコンクリートな建屋が年季を感じさせて、雪と相まって荒涼感に満ち溢れた感じで惹かれました。

道路の両サイドは雪が積もって固められている中を歩く訳ですが、歩道幅が狭く、また凍っているか?の心配もあり歩行は大変でした。暮らしておられる方々はこれが日常な訳で、大変だと思うしすごいとも思います。

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●新井郵便局

角の部分に出入口のあるこの新井郵便局。

そのおかげでこんな感じで撮れました。V字のように広がっていて、真ん中の丸くて太い柱も印象的でした。

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●雪積む並木道

辺り一帯は雪で埋められた感じの並木道を歩きました。

ここもまた歩道スペースは雪で埋まっているので車道スペースを歩かねばならず、時々車が通るので気をつけなければ…という感じでした。さすがは冬の雪国ですね。

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●板張り

少し道をそれて入ってみると、見事な板張りの建屋が。

雪とこの板張りとのコントラストも素晴らしいなと改めて感じたものでした。

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●ラスト

の写真はこれです。

少しびっくりしましたがこんなにウサギが沢山いました。

最初鳥カゴかと思ったんですが、地面に置いてあるんで何かと思って見てみたら…。新井の地で大きなインパクトのあったもののひとつでした。

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2015年3月21日 (土)

JR燕駅 (新潟県燕市)

新潟県燕市のJR燕(つばめ)です。

燕市は新潟県の北東部に位置し、人口は80,287人(2015.2.1現在)で、洋食器の生産では世界的なシェアを誇る工業都市であり、新幹線の燕三条駅は当市と三条市の境にに跨る新幹線駅として有名でもあります。

-JR燕駅
【路線】JR弥彦線(弥彦-東三条間)
【開業】1922年4月10
【訪問】2015年1
【1日あたり平均乗車人員】 1,137人/日 (2013年)
【近隣の主要駅(弥彦方面)吉田駅→2駅
           (東三条方面)燕三条駅→隣駅

駅名標

「燕」の一文字です。

東三条駅から分岐する「弥彦線」の駅としては本ブログ初めてのupとなります。

市名である「燕」を名乗る駅ですが、市の中心感があまりなく、隣は三条市との境を跨ぐ「燕三条」駅で、反対方向の2駅隣には吉田駅という駅があり、燕市内ではこの吉田駅の方が燕駅より利用者数が1.5倍ほどあり、駅規模も大きいようです。

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●ホーム

2面2線のホームですが、このようは広く幅が取られたホームとなっています。

ここへは東三条駅の0番ホームからやってきました。

広いホームにまばらな人、という事でひっそりとした雰囲気がひしひしと感じられました。

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●ホーム2

両ホームが写った形のものとなりますが、これを繋いでいる跨線橋がなかなか素晴らしかったもので、筋交いが入りつつもサビでいい味出してた感もありました。

とにかく雪が降ってて大変でした。三条とここと、まさに「燕三条」は大変な街歩きになって、あまり遠くへも行けない結果ともなりました。

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●駅前広場

駅出て目線です。まっすぐのアングルと少々斜めからのと。

それなりの広場スペースが取られていて、市の中心駅っぽい雰囲気ではありました。

なにせ雨模様で路面からピカピカ状態で川面のようでした。

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●燕駅 駅舎

この辺りの小都市の中心駅らしい規模の駅舎でした。

駅前はひっそりという程ではないですが、賑わいはそんななくて、穏やかな雰囲気でした。

隣の三条市にある東三条駅の方が賑やかな雰囲気だったかなと。

燕市では新幹線のある燕三条駅の燕市側へ行ったのが初訪問でしたが、ここは燕市と三条市に跨っている訳で、純粋に燕市内の駅として訪ねたのはここが初めてでした。次に行く機会がもしあれば、、もう少し賑わいがあると思われる吉田駅へ行ってみたいものです。

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2015年3月13日 (金)

JR直江津駅 (新潟県上越市)

新潟県上越市のJR直江津(なおえつ)です。

上越市ではJR高田駅をupした事がありますが、今回急遽この直江津駅を取り上げさせて頂くのは、この駅がJRとしては今日で最後の日を迎えるからです。

北陸新幹線開業に伴い、JR駅としての役割を終え、明日からは「越後トキめき鉄道」の駅として新たなスタートを切る事となります。

-JR直江津駅
【路線】JR北陸本線(米原-直江津間)
      信越本線(篠ノ井-新潟間)      

【開業】1886年8月15
【訪問】初訪問-2005年11
【1日あたり平均乗車人員】 2,741人/日 (2013年)
【近隣の主要駅(米原方面)糸魚川駅→8駅
           (篠ノ井方面)高田駅→4駅
           (新潟方面)柏崎駅→11駅

駅名標

上越市では高田駅と並ぶいわばツイン中心駅体制となっていて、旧・直江津市の中心駅でありました。北陸本線の終着にして信越本線にも属し、更にはJRという会社においても、北陸本線はJR西日本、信越本線はJR東日本にそれぞれ属しています。

新潟県のこんな所にJR西日本とは驚きますが…。また北越急行ほくほく線には属していませんが、この路線の列車も乗入れしてきます。

ちなみに上越市に初めて来たのは2005年11月にこの駅の訪問時で、高田駅はその約3年後の2008年8月に訪ねています。この記事で載せる写真は途中までは2015年1月のもので、駅を出て以後の写真は、初訪問時のものをお送りします。

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●ホーム

この駅は初回訪問して以降、何度かこのようにホームに立ち寄っていますが、乗換待ちばかりで、外へ出たのは初訪問の時以来もう10年近くありません。

そんな中、この広くて屋根との骨組みを五角形でなすホームの様子が大変印象的です。とにかく素晴らしさを感じるホーム屋根ですね。

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●いろいろ時刻表

乗り入れる路線すべての時刻表が3本ホームに横並びになっている様は、これまた印象的です。左から北陸本線、信越本線、そしてほくほく線です。

本線2つにも属していながら、そんなに多くの電車が来る訳ではない、そんなダイヤの密度を感じます。

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●青い屋根

3面6線にもなる広大なホームをもつこの駅ですが、天井も素晴らしければ、屋根のこのピビッドな青さもまた素晴らしいと感じます。澄み切った青色、とでもいうか、ホントに素晴らしいものがあります。柱の下部の青色もまたその素晴らしさをアシストしているようです。

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●駅前

ここからは初訪問の2005年11月当時の写真にてお送りします。上の写真とは約10年の開きがあります。ちなみにこれは写ルンですで撮った写真をCDにしてもらったものです。少し間を置きすぎたのか、色がこんなになってしまいました。

この日はあいにくの雨で、それでひどい目にあったというか、あまり快い旅ができなかったのはよく覚えています。ちなみに真ん前の左側の大きな建物はホテルです。

Photo

●直江津駅 駅舎

同市内の同じく中心駅である高田駅が相当に荘厳で素晴らしすぎる駅舎である為、地味に見えてしまいますが、そこそこの規模ではあります。

この写真には「JR」と冠されていますが、明日3/14からはそうではなくなるのですね…

JR直江津駅として確かに刻まれていた事をここに残し、明日、移管の日を迎えたいと思います。

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2015年2月24日 (火)

JR水原駅 (新潟県阿賀野市)

新潟県阿賀野市のJR水原(すいばら)です。

阿賀野市は新潟県の北東部に位置し、人口は43,695人(2014.12.1現在)で、旧・北蒲原郡の2町2村が2004年に合併してできた市です。平成の大合併でできた市も市制化されて10年以上経つ事になるのですね。学校の授業で有名かと思いますが阿賀野川が流れている事からつけられた市名という事です。

-JR水原駅
【路線】JR羽越本線(新津-秋田間)
【開業】1912年9月2
【訪問】2015年1
【1日あたり平均乗車人員】 863人/日 (2013年)
【近隣の主要駅(新津方面)新津駅→2駅
           (秋田方面)新発田駅→4駅

駅名標

「みずはら」ではなく、「すいばら」と読みます。韓国にもソウル近郊にこういう感じの駅があります。

北蒲原郡水原町の中心駅だったものが現在は阿賀野市の中心駅的役割を果たしています。ちなみに水原町の人口は合併直前で約2万でした。

先月訪ねたばかりですが、新潟県の未訪のこり2市を訪ねた訳で、妙高市の新井駅を訪ねてから、同じ県にありながら何時間もかけてようやくたどり着き、ここへの到着を以って、新潟県の全市訪問および中部地方の全市訪問も達成となりました。そんな思い出深い、また記念すべき場所ともなりました。

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ホーム

ホームは2面2線で跨線橋で両ホームは繋がれていますが、屋根部分はブルーで縦横にラインと段が入った形となっていました。筋交いが目立つタイプのものではなく、また下の柱は太いものが少ない数で入っています。

ホーム屋根を支える柱は下半分がブルーでペイントされています。

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ホームと列車

左が駅舎側になりますが、この屋根幅がかなり広い事が分かります。

停まっている電車は短い車両のものでした。

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●トイレ間の白鳥

駅ホーム内にトイレがありますが、その間にはこのような白鳥の絵が!

これだけの設備があるのは沿線ではやはり規模の大きい部類に入るんだな、と思わされます。ここ水原は瓢湖という人工湖があり、白鳥の飛来地として知られています。

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白鳥と渡来地由来

これも駅ホームにあった白鳥の像です。意外となかなかいろんなものがある駅と感心しました。今これ見ると「アフラック」を思い浮かべてしまいます(笑)

1月5日現在の白鳥の飛来数1,462羽ありました。

瓢湖は江戸時代寛永年間につくられた用水地で白鳥もその頃から飛来していましたが、猟銃の普及により飛来してこなくなった、とあります。

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駅前風景

駅出ての目線です。

広場のスペースがあるだけ、という感じで、ロータリー的にはなっていませんでした。

駅前に立ち並ぶ建屋も低層のものばかりで、商店街という雰囲気でもなかったです。

そこらの小駅の駅前というか…、市の中心駅の駅前という感じは受けなかったですね。

それでも駅前にMAPは出ていました。

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阿賀野市営バス

の水原駅のバス停です。

上の写真にも見えますが、案内地図の右傍に写っています。なので、駅の真ん前というより広場の向こうにバス停がある格好ですね。

五頭温泉郷方面という事で出ているバスですが、その頻度というと1日4便のみなので、行くなら事前確認は欠かせないですね。ちなみに五頭は「ごず」と読むそうです、「ごとう」だと思ってました(笑)

この駅から終着の村杉温泉まで約25分との事で、ここからだと1日4便のみですが、ここからバスで5分の阿賀野市役所からだと1日6便あります。2便少ないのは夕方時にこの水原駅前が混んで乗り入れが出来ない為、と交通アクセスの説明書きにありました。

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●水原駅 駅舎

北陸の小都市にあるような平屋根で横長、というのとは少し違っていて、それほど横長ではない規模の小さめの駅です。それでも少しは長めになっているかな、というところでしょうか。

庇にあたる部分が建屋の長さとほぼ同じくらい長く取られていて、これが山折り谷折りに繋がっているのが特徴的な駅舎です。

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